「PAN」と一致するもの

idiolatry - ele-king

 先日のパーティを大盛況に終えたC.Eから、新たなカセットテープのリリース情報です。海賊ラジオで放送された貴重なグライムの音源で、idiolatryことマイケル・カーター(Michael Carter)がコンパイル/エディット/プロデュースしたもの。アートワークもディジー・ラスカル『Boy In Da Corner』を手がけていたサイレント・リスナー(ベン・ドゥルーリー)が担当している。C.Eのウェブサイト(cavempt.com)を確認しよう。

アーティスト:idiolatry
タイトル:TRANSMISSION THE RISE OF GRIME ON PIRATE RADIO 2002 - 2006
クレジット:Compiled, edited & produced by idiolatry @idiolatry
Artwork by Silent Listener @trustmelondon
フォーマット:カセットテープ
収録音源時間:約90分(片面約45分)
価格:1,100円(税込)
販売場所:C.E
〒107-0062 東京都港区南青山5-3-10 From 1st 201
#201 From 1st Building, 5-3-10 Minami-Aoyama, Minato-ku, Tokyo, Japan 107-0062

問合せ先:C.E www.cavempt.com

Bob Marley & The Wailers - ele-king

 レコードにまつわる様々な試みをつづけるVGAの新作は、なんとボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのTシャツ。秘蔵音源『Studio Recordings Intro to the Matrix』のアナログ化を記念するアイテムとのこと。これはすぐなくなりそうなので、お早めにチェックを。

VGAにて遂にBOB MARLEY & THE WAILERS Tシャツの販売予約を開始します!

<本文>
60年代から80年代初頭までレゲエ・ミュージックを世界に広め、音楽のみならずその思想や支配的な体制に反対する姿勢など数多くの伝説を残したBOB MARLEY。今回は秘蔵音源、Studio Recordings Intro to the Matrixの初アナログ化を記念して作られたTシャツでフロント面はシルクスクリーンを駆使してプリントしています。

今回も期間限定受注販売ですのでお早めにどうぞ。



BOB MARLEY & THE WAILERS
Studio Recordings Intro to the Matrix
Official T-Shirts
Pre-Order Start!


BOB MARLEY & THE WAILERS
Studio Recordings Intro to the Matrix
Official T-Shirts
BLACK

4,800円 (With Tax ¥5,280)
S/M/L/XL/XXL


BOB MARLEY & THE WAILERS
Studio Recordings Intro to the Matrix
Official T-Shirts
ROYAL

4,800円 (With Tax ¥5,280)
S/M/L/XL/XXL

*Purchases from outside Japan are tax exempt.
※日本国外からのご購入は非課税となります。
*Free shipping within Japan for purchases over 10,000 yen.
※1万円以上のお買い上げで日本国内は送料が無料になります。
*Exclusively until 25 Jun. 2023.
※期間限定受注生産(~2023年6月25日まで)
*The products will be shipped in mid July 2023.
※商品の発送は 2023年7月中旬ごろを予定しています。
*Please note that these products are a limited editions and will end of sales as it runs out.
※限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。

<URL>
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-1038/


ゴスペルが歌われる、 黒人教会の様子(by Noda)

 これはスラヴォイ・ジジェクも取り上げていた、スパイク・リーの映画『マルコムX』においてもっとも印象的なシーンのひとつである。大学での公演に向かうマルコムXの前を、本を抱えた若い学生風の白人女性が駆け寄って、「あなたのスピーチを読んで、あなたの主張に賛同します。私のような偏見のない白人に何かできることはありますか?」と目をキラキラさせながら言う。するとマルコムXは表情を変えずに、「何もない(nothing)」、とだけ言って彼女を置き去りにする。この場面に込められた意味は、おそらくはこんなことなのだろう。「ありがとう。だが、思い上がるなよ」。ジジェクが言うように、私たちにできることは「(彼らの)解放」ではなく「支援」なのだ。そしてぼくが思うに、ではなぜ「何もない」のかを知ることではないだろうか。
 ブラック・カルチャーは、それ自体が途方もない宇宙である。それは昭和生まれの日本人である自分を表面的に形づくるうえで大きな要素となったもの——日本の土着性と西欧の近代性、これら両方と衝突し、凌駕し、ときに融合し、ときに想像力の動力源の燃料となり、ときに実存的な喜びを与えられ、そしてほとんどは太陽よりも眩しく、黒い宇宙として膨張する。その彼方に見える星座には、ジェイムズ・ブラウン、マイルス・デイヴィス、サン・ラー、ジョン・コルトレーン、ジミ・ヘンドリックス、ニーナ・シモン、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソン、ギル・スコット=ヘロン、あるいはアミリ・バラカ等々、といった伝説たちが瞬いているわけだ。
 アミリ・バラカの追悼文からはじまるグレッグ・テイトの『フライボーイ2』は、冒頭で次ぎのような一文が強調される。「作家が残すべきものは文体(スタイル)だけである」、要するに、重要なのは文体であると。では、なぜ意味よりも文体なのか、これこそがグレッグ・テイトがブラック・カルチャー(音楽、文学、アート、映画、政治)を語るうえで、いいや、ブラック・カルチャーそのものにおいて、その意味を解読するうえでひとつの鍵になるコンセプトだ。繰り返す。重要なのは文体である。何を言うのかよりもどう言うのか。スタイルにこそ本質がある。というのも、西欧植民地主義という最大の暴力に晒されたすべてのブラック・カルチャーにとっての意味は、おおよそすべてコード化(暗号化)されているのだから。ゆえにブラック・カルチャーにおいてはメタファーとダブル・ミーニング、ウィットが重視され、文体そのものがメッセージになりうる。


『フライボーイ2』日本版

 じつを言えば、『フライボーイ2』の翻訳に手を焼いていると、アフロ・アメリカンの友人(デトロイト・エスカレーター・カンパニーである)に相談したところ、彼の交友関係のなかで、グレッグ・テイトと深い交流を持っていたふたりのアフロ・アメリカンを紹介された。ひとりは、現在LAで映像作家をしている(たとえばジェイ・Zやビヨンセの映像を撮っている)デトロイト出身のドリーム・ハンプトン、もうひとりは、現在東京に住んでいる電子音楽家のデジ・ラ。ふたりにメールを送るとともにたいへん友好的で、ハンプトンにいたっては手術前だったのに関わらず助言してくれたのだが、このふたりから最初に言われたことは、「グレッグの翻訳という試みは、日本とブラック・カルチャーの関係において歴史的なことで、文化的に素晴らしいことだけれど、グレッグの英語を訳すのはおそらく不可能だ」「訳者が気の毒だ」という、こちらがくじけそうになるような言葉だった。

 文体の解釈は難しい。アミリ・バラカやフランツ・ファノンの日本版を読んでも、『フライボーイ2』のなかでグレッグが解説しているような、敢えて白人を挑発するようなその文体というところまでは、たしかにぼくにはわからなかった(たんに理解力の問題かもしれないが)。同じように、敢えて黒人の土着性(ヴァナキュラー)を強調しながら、黒人英語とアカデミックな用語を駆使し、意味がグルーヴを生み、読者にある一定の教養を要しながら、造語を交え、ときに唐突な飛躍をみせる彼の黒い文体を日本語化するのは困難極まりない。たとえばだが……ヒップホップが好きそうな街をぶらついている黒人が、ブラック・イングリッシュを使いながらフーコーやニーチェ、シェイクスピアなども援用し、ジャズやヒップホップや政治について知的刺激と批評眼をもった、即興的な喋りをおっぱじめている場面を想像してみてほしい。これが『フライボーイ2』の、ひとつの醍醐味だ。シリアスな文化批評の書物のなかで、これほど「マザーファッカー」「マザファカ」(そして彼の造語「ファザーマッカー」)が頻出するものはないだろうし、これほどNワード連発の本もないだろう。「マザーファッカー」はもちろんだが、Nワードだって当のアフロ・アメリカンにとってもかなりきわどい(聞きたくない人にとっては聞きたくない)言葉なのだ(ちなみに本書には、タランティーノ映画やラップの歌詞で世界中に拡散されたこの「Nワード」に関する考察もある)。

 グレッグの本来の姿を正確に知るには原書(アメリカ人でさえ難解だという文章)を当たるしかないのだけれど、日本語訳でも、彼が何を伝えたかったのかは理解できるはずだ、という思いから今回は刊行します。本書に収められたエッセイのひとつに「N*g*aはいかにしてジョークを手に入れたか」というのがあって、これを読むとなるほど、彼らブラックが宿命的にウィットの精神を持たざるを得なかったことがわかるし、アミリ・バラカがけっこう(悪い意味で)とんでもない人だったこともわかる。ウォール街占拠のデモになぜ黒人がいなかったのかもウィットに富んだ表現で説明されているし、ギル・スコット=ヘロンについて自分は知っているつもりでいたがじつは何も知らなかったことに気づかされた。ちなみにスコット=ヘロンの追悼文は、ぼくは原文を読みながら泣いた文章である。「30歳になったヒップホップ」や「ヒップホップとは何か?」(そして、70年代のブロンクスのグラフィティについて詳説されるラメルジーへのインタヴュー)はラップ・ファン必読の文章だが、ぼくはグレッグが、ウータン・クランを最大限に評価しながらそのミソジニーの体質を1997年の時点でしっかり批判している点にも驚かされた。グレッグが早いうちからフェミニズムに共感を寄せ、我が尊敬するベル・フックスと90年代の時点で友人関係にあったことも嬉しい驚きだが、決してフェミニストだったとは言い難いジェイムズ・ブラウンをどう評価するのかという難題を掲げながら、ファンク化された女性シンガーたちを紹介する「もしもジェイムズ・ブラウンがフェミニストだったら」という、これまた先見性に富んだ黒人音楽批評もある。チャック・ベリーに関する長い論考では、黒人がロックンロールを発明しながらそれがなぜ黒人のあいだで広まらなかったのかが明かされ、マイケル・ジャクソンの追悼文では、ブラック・コミュニティ内部においてのマイケルへのなんとも複雑で深い感情が切々と綴られている。アイス・キューブやマイルス・デイヴィス、もちろんラメルジーやウェイン・ショーター、そしてグレッグが最大に評価しているコメディアンのリチャード・プライヤーのインタヴューでは、彼らの生々しい姿が誌面から伝わるだろうし、そして本書の最後には、その場所に相応しく、アフロ・フューチャリズムに関する長い、断片化された散文詩が収められている。そしてその締めには、つまりこの本の最後の言葉として、ギル・スコット=ヘロンの歌詞が用意されているという案配だ。


額装され家庭内に飾られるキングとX(by Noda)。彼らレジェンドに関する解説もじつに興味深い。「マルコムがいなければ大富豪のラッパーも、ラップという巨大産業もなかったのだ」

 『フライボーイ2』は既発の原稿のベスト版的な寄せ集めの本なので、その人のための文章があるわけではないが、本書を通じて随所に出てくるのが、アフロ・フューチャリストのジョージ・クリントンでありサン・ラー、イシュメール・リードでありサミュエル・R・ディレイニー(そしてラルフ・エリスンでありW.E.B.デュボイス)である。とくにジョージ・クリントン(ないしはPファンク)の頻度は高く、グレッグへの影響の大きさがうかがえる。だからぼくのように、Pファンクの知性に関心がある人にはぜひ読んでもらいたいのだが……
 さてと、ぼくの戯言および宣伝はここらへんでいったん終了し、ここからは、日本版の訳に協力してくれたひとりで、グレッグ・テイトを師とする Kinnara : Desi La氏に話を聞いてみよう。ニューヨークで育った彼だが、ニューヨークの大学卒業後は日本に移住している。まさかグレッグの弟子のひとりが東京に住んでいたとは思いもしなかったことだが、先述したように、彼の助けなしでは訳せなかった箇所は少なくない。とくに、もっともキラーな「ヒップホップとは何か?」(https://www.youtube.com/watch?v=BRYm41A6uT8)のニュアンスには、なんどもなんども彼に教えを請うたのだった。


RIP Greg Tate
──黒人音楽 /ヒップホップ批評の第一人者、グレッグ・テイト急逝する Greg Tate 1957−2021


グレッグは、自分が黒人であることをすべての文章で読者に知ってもらいたかったから、ほかのライターとは違った書き方をしました。アメリカでは長年、黒人英語は白人社会から劣ったものとして見られてきました。文章に黒人言葉を使うなという、歴史的なものすごいプレッシャーがあったんです。だからグレッグは、ブラック・カルチャーとブラック・イングリッシュを高めるために、意図的に、敢えてそれらを使って書きました。

まずは出会いについて。

デジ・ラ:大学時代、私は前衛音楽について研究し、できるだけ多くの前衛黒人音楽家を調べていました。その過程で、 “conduction” なるコンセプトの生みの親であるブッチ・モリス(『フライボーイ2』でも紹介されているフリー・ジャズのアーティスト)のことを知りました。ブッチが大友良英をはじめとする日本の前衛音楽家たちと素晴らしいコンダクションを作り上げたことから、私はファンになりました。

 大学卒業後、私は日本に移住しましたが、故郷であるニューヨークには定期的に戻って、地元のシーンと連絡を取り合っていました。グレッグは『Wire』誌にラメルジーの記事を書いています。それは、とらえどころのないラメルジーへの非常に広範囲なインタヴューで(『フライボーイ2』収録)、そもそも黒人ジャーナリストが黒人の前衛的な先見性に対して深いインタヴューをすることは、私にとってじつに感慨深いものでした。その記事は素晴らしいものでしたが、ラメルジーの『Bi-Conicals Of The Rammellzee』を宣伝するために書かれたものでした。このリリース自体は少し物足りないもので、グレッグもややそんな感じでしたが、その記事のなかに私は間違いを見つけました。それは、その頃ラメルジーが『This is What You Made』を日本だけでリリースしていたことです。この2枚のアルバムの違いは大きく、私はたしかFacebookを通じてグレッグにこのアルバムについて書いたのです。私見ですが、この『This is What You Made』(※〈 Tri-Eight 〉からのリリースで、DJケンセイとD.O.Iがプロデュースしている)をグレッグが聴いていたら、グレッグのRammの新作に対する評価も変わっていたかもしれないと思います。何はともあれ、このことをきっかけに私たちは連絡を取り、交流がはじまりました。それであるとき、私はニューヨークで彼のバンドBurnt Sugarを知って、観に行ったんです。ブッチはグレッグの師匠でもあって、だからグレッグはその系譜を引き継いでいました。バンド自体は、コアメンバーもいれば常に追加メンバーもいる、6人だったり20人だったりする、とても自由なメンバー構成でした。このロジックは、ブッチの音楽の手法、そしてバンドが時間とともに進化していくというブラック・ミュージックの歴史に沿ったものでした。グレッグは何気なく私をバンドに誘いました。私にとってそのチャンスは計り知れないもので、ひとつは、バレエ・グループとのコラボレーション、コンサートはビルの最上階のバレエ・スタジオで行われました。また、サン・ラーへのトリビュート・コンサートを3時間以上やったこともあります。グレッグは、私に教養を与えてくれましたね。

音楽ライターとして、グレッグ・テイトが他のライターと違うのはどんなところだったと思いますか?

デジ・ラ:グレッグは、自分が黒人であることをすべての文章で読者に知ってもらいたかったから、ほかのライターとは違った書き方をしました。アメリカでは長年、黒人英語は白人社会から劣ったものとして見られてきました。だから、文章に黒人言葉を使うなという、歴史的なものすごいプレッシャーがあったんです。とくにジャーナリズムの世界ではそうでした。だからグレッグは、ブラック・カルチャーとブラック・イングリッシュを高めるために、意図的に、敢えてそれら(白人社会から見下された文体や用語)を使って書きました。多くの作家は、より認められたいがために意図的に自分で検閲を行う。グレッグはまったくその逆でしたね。アミリ・バラカのような作家の足跡をたどりながら、グレッグは黒人の思想のコード・ランゲージや私たちの民族の重みのある歴史を含む散文を書くことを選びました。

黒人のストリートの知性とアカデミックな知性を繋げたというのはよく彼の紹介で使われる説明文ですよね。ところで彼は文中で、「afrocentric」「ghettocentric」という言葉をよく使っています。「アフロセントリック」という言葉は、日本語で「アフリカ中心主義」と訳すとなるのですが、彼は自分のことを「アフリカ中心主義者」と定義しています。

デジ・ラ:そうです、彼はそうでした。

何故でしょう?

デジ・ラ:何故なら、アメリカという国は、マイノリティの人たちに自分たちや自分たち本来の文化を嫌わせるという根深い文化を持っているからです。たとえば「ゲットーセントリック(ゲットー中心的)」という言葉を使うことで、黒人そのものだけでなく、インナーシティのマイノリティの住民たちに誇りを持たせているのです。グレッグはニューヨークのハーレムで生まれたわけではないが、アメリカの他の地域にはない独特の黒人の歴史とプライドがあるからこそ、ハーレムを自分の故郷としました。
 グレッグは、70年代から2000年代まで、ニューヨークの生活を知るうえでもっとも重要な新聞だった『ヴィレッジ・ヴォイス』でおもに執筆していました(※グレッグは、ロック批評の世界で有名な同紙の編集長、ロバート・クリストガウに引き抜かれて編集部に長年在籍していた)。そこは自由でした。尖っていて、白人社会では無視されるようなアーティストやライターが、社会を動かすような、パンチの効いた記事を書くことができたんです。

グレッグの文章でいちばん好きなものはどれですか?

デジ・ラ:ラメルジーに関するグレッグの記事は、私が初めて彼の文章に触れたもので、Rammの芸術や複雑さを馬鹿にすることなく、Rammを説明する数少ない記事のひとつであったため、いまでももっとも重要なものだと思います。

『フライボーイ2』日本語版から、日本の読者に何を感じ取ってほしいですか?

デジ・ラ:グレッグの文章は、信じられないほど複雑です。ネイティヴ・スピーカーでさえも手を焼くような文章です。それでも、日本の読者には彼の言葉や解説によって、黒人社会をより深く理解してほしいと思います。そして、たとえ違う言語で書かれ、理解されるとしても、私たちの自然な表現の美しさを理解してほしいと思います。

ありがとうございます。ここからは、あなたについての質問です。なぜ日本に来たのですか?

デジ・ラ:私が日本に来た理由はたくさんあります。意識して知っていたこともあれば、無意識に知っていたこともある。私は16歳のときから旅をしていました。幼い頃から、旅は自分に合っていると感じていました。私はもともと多文化な人間で、多文化な環境を求めています。大学時代には留学ができなかったので、大学卒業後は海外で生活してみようと思っていました。その頃、私は日本のアンダーグラウンドに200%惚れ込んでいました。大友良英と彼のグラウンド・ゼロ、灰野敬二、ボアダムス、メルト・バナナ。日本に住めば、もっと頻繁に彼らを見ることができると思ったんです。ジョン・ゾーンのニューヨークと東京に毎年滞在するライフ・スタイルにとても影響を受けたんです。また、新しい国に住み、世界中を旅し続ける自由も欲しかったというのもあります。誤解してほしくないのは、食べ物や、近未来的な日本やアニメの日本、古風な日本への憧れはまったくありませんでした。私をここに移住させたのは、日本のアンダーグラウンドです。

エレクトロニック・ミュージックはいつから制作しているのですか?

デジ・ラ:私は、子供の頃から音楽家でした。ギターやチャンゴ(韓国の打楽器)など、さまざまな楽器を使って音楽を制作してきたんです。現在のプロジェクトでは、およそ13年前から制作を続けています。もっと言えば、20年以上にわたって、さまざまな形態の実験音楽で活動してきています。

あなたの、3Dや蛍光色のヴィジュアルへのこだわりはどこからくるのでしょうか?

デジ・ラ:美術に興味がなかったのですが、ヴィジュアル・アーティストとはいろいろなコラボレーションをしていました。そうこうしているなかで、自分でもヴィジュアルを作ることにしました。きっかけは、PROCESSINGでクリエイティヴ・コーディングを学んだことでした。私はこの新しい言語を学び、その限界に達することに夢中になりました。レヴェル・アップして、私の代表作のひとつである「PAIN IS AN ILLUSION」を制作するうちに、コーディングによるリアルな3Dヴィジュアル制作に新たな境地が見えてきたんです。コーディングに行き詰まった私は、3Dヴィジュアルを勉強することにしました。
 iPhoneやiPadなど、より多くのテクノロジーを使うようになったことで、私の生活は変わりました。それまでは、数年間、サンプルだけで楽曲を制作していました。iPadでは、PROCESSINGでヴィジュアルを作るだけでなく、直接音楽を作ることもできました。新しい技術を学ぶにつれ、私の技術や世界に対する見方は変わっていきました。私は、近代的な建物の建築をインスピレーションとして見ていました。パラメトリックデザインを発見し、建築家のザ Zaha Hadidは私のヒーローになりました。すべてがエキサイティングで、すべてが互いにつながっているのがよくわかりました。いままで無視していた東京を、劇的に新しい方法で見ているような気がしたのです。初めて『ブレードランナー』を観たときや、『マトリックス』に入ったときのように、それまで見えなかったつながりが見えるようになり、クリエイティヴなコーディングから3Dモーション・グラフィックスへと一気に進んだわけです。「DEAD MACHINE」と「ARCHITECTURE」は、これまでの自分とは明らかに一線を画す作品でした。また、ほぼiPadだけで制作した作品でもあります。これが、オーディオヴィジュアル・パフォーマンスを制作する私のキャリアのはじまりとなりました。これらの最初のプロジェクトから、私のアートは信じられないほど進化し、新しい社会を視覚的、聴覚的に表現する現在の主要なオーディオヴィジュアル・パフォーマンス作品「CHROMA」に至っています。

最近はドラムンベースにアプローチしているようですが、このスタイルの可能性をどのように考えていますか?

デジ・ラ:ドラムンベースは、私にとって「ソウル」ミュージックのようなものです。ブラック・ソウルやRnBではなく、私にとても近い音楽なのです。ドラムンベースは未来の音楽です。身体と魂を解放してくれる音楽です。10代の頃にパーティに行くようになってから、ドラムンベースを作りたいと思うようになりました。家ではほとんど聴かなかったがのですが、クラブに行くと真っ先にダンスフロアにいたものです。音楽はもともと非定形的なものです。だから、これだけ多くのスタイルが存在するのです。それに比べてテクノ・ミュージックは、驚くほど直線的です。20年以上前に作られたジャングルの曲のほとんどは、いまでも新鮮に聴こえます。だから、このサウンドが人びとを感動させる驚くべき回復力を持つのです。また、他のジャンルとマッシュアップすることで絶えず変化していくので、このジャンルの可能性は非常に無限大です。テクノと違って、ドラムンベースは数年間、音楽業界から見放されていました。しかし、いままた復活しつつあるのは、その生命力の強さを物語っていると思います。

ミルフォード・グレイヴスはあなたのメンターのひとりですが、彼からどのようなインスピレーションを受けましたか?

デジ・ラ:ニューヨークのフェスティヴァルに参加したとき、私が日頃から追いかけているミュージシャンのひとり、ジョン・ゾーンが、それまで聴いたことのないミュージシャンとデュオ・セットをやっていました。それがミルフォード・グレイヴスでした。このコンサートは、演奏しなくなったミルフォード・グレイヴスがふたたび演奏に戻るという意味で重要なものでした。デュオ・コンサートは、ミルフォードを自主的な亡命から連れ戻したという意味で、魔法のようでした。父と話をしていて、父がミルフォードと学校の同級生だったことがわかったので、私はミルフォードにコンタクトを取りました。彼との会話はとうぜん歴史の勉強になるし、強烈な知識にもなる。この時期、ミルフォードはジョン・ゾーンのレーベル〈Tzadik〉から2枚のレコードをリリースしています。ドラム、ヴォーカル、パーカッションだけの強烈な傑作です。ブラック・アヴァンギャルドを探し求める私にとって、ミルフォードは真の自然の力を証明してくれます。同じ楽器を演奏しているわけでもないのに、彼の考え方と私の考え方は一致していました。

最後に、好きな日本のミュージシャンを教えて下さい。

デジ・ラ:たったいまこの時点では、好きなミュージシャンはいません。何年も前のグラウンド・ゼロ時代の大友良英が好きでした。でも、EYE(ボアダムス+パズルパンクス)と灰野敬二はいまでもよく聴いています。


※デジ・ラさんの音楽作品はbandcampで聴ける。どうぞこちらから侵入してください。
https://kinnara-desila--afrovisionary-creations.bandcamp.com/


Desi La(Bandcampの写真より)

Meitei - ele-king

 先日G7サミットが開かれたばかりだが、その広島を拠点に活動し、日本文化をテーマに音楽制作をつづけているプロデューサーが冥丁だ。彼が飛躍するきっかけになったファースト・アルバム『怪談』の5周年記念盤が7月21日にリリースされる。ボーナストラック2曲を追加、初のCD化だ(LPも再発予定)。さらにツアーも予定されているとのこと。詳しくは下記より。

広島を拠点に活動するアーティスト・冥丁の2018年傑作デビューアルバム『怪談』が、ボーナストラック2曲追加した5周年記念盤として初CD化!
※LPヴァージョンは後日カラーヴァイナルで再発予定。

アーティスト:冥丁
タイトル:怪談(5th Anniversary Edition)
フォーマット:国内流通盤CD・デジタル配信
発売日:2023年7月21日(金)
品番:AMIP-0330
レーベル:Evening Chants / KITCHEN.LABEL
ジャンル:ELECTRONIC / AMBIENT
流通:Inpartmaint Inc. / p*dis
本体価格:3,000円(税抜)

TRACK LIST
01. 漣
02. 骨董
03. 塔婆
04. 地蔵
05. 青柳
06. 魍魎
07. 山怪
08. 障子
09. 筵
10. 九十九
11. 涙 (*Bonus Track)
12. 海峡 (*Bonus Track)

日本の幽霊話のジャンルの1つである怪談。その怪談の持つ闇の中の美しさや「Lost Japanese Mood」(失われた日本のムード)と称する雰囲気を、精巧な作曲構成に落とし込んだ冥丁の1stアルバム『怪談』(2018年)は、Pitchforkの「Best Experimental Albums of 2018」への選出をはじめ、Bandcamp、The Wireなど様々な海外メディアから賞賛され、世界のアンビエント~エクスペリメンタルシーンに冥丁の名を確立し、その後リリースされる『小町』『古風Ⅰ』&『古風Ⅱ』などの「Lost Japanese Mood」を主題にしたシリーズの最初のアルバムであり、冥丁独自の音世界と卓越した音楽性を示した重要作。

日本各地に伝わる伝説や幽霊話に独自の解釈を加えて文学作品に昇華させた小泉八雲の名作『怪談』は、本作の方向性に大きなインスピレーションを与えており、「漣(さざなみ)」「骨董」「障子」「筵 (むしろ)」などの楽曲は、小泉八雲作品へのオマージュと言える。また、漫画家・水木しげるからも影響を受けており、「塔婆」や「地蔵」は水木氏の漫画『ゲゲゲの鬼太郎』へのオマージュとして制作された。

このように、日本の重要な芸術から影響を受けた本作には、明らかな不気味な要素だけではなく、ユーモア、情緒、そして哀愁も、まるで霧で濡れた苔のように視覚的に表現されている。さらに、ローファイ・ヒップホップの新しい波に興味を持った冥丁はその要素を再編して絶妙に織り混ぜ、繊細なバランスで怪談の持つ和の雰囲気を構築した。

本5周年記念盤は、オリジナルリリース元のEvening Chantsと、『古風』シリーズをリリースしているKITCHEN. LABELという2つのシンガポールのレーベルによる共同リリースとして、ボーナストラック2曲を追加したCD盤が先行発売、その後、カラーヴァイナル(スモークヘイズ) の発売も予定されている。冥丁本人の曲解説が掲載された8ページブックレットも付属。マスタリングはテイラー・デュプリーが担当。

★7月後半より『怪談(5th Anniversary Edition)』のリリースを記念したジャパンツアーも各地で開催。(※詳細は後日発表。)


【冥丁 / MEITEI】
日本の文化から徐々に失われつつある、過去の時代の雰囲気を「失日本」と呼び、現代的なサウンドテクニックで日本古来の印象を融合させた私的でコンセプチャルな音楽を生み出す広島在住のアーティスト。エレクトロニック、アンビエント、ヒップホップ、エクスペリメンタルを融合させた音楽で、過去と現在の狭間にある音楽芸術を創作している。これまでに「怪談」、「小町」、「古風」(Part I & II)などによる、独自の音楽テーマとエネルギーを持った画期的な三部作シリーズを海外の様々なレーベルから発表し、冥丁は世界的にも急速に近年のアンビエント・ミュージックの特異点となった。日本の文化と豊かな歴史の持つ多様性を音楽表現とした発信により、The Wire、Pitchforkから高い評価を受け、MUTEK Barcelona 2020、コロナ禍を経てSWEET LOVE SHOWER SPRING 2022などの音楽フェスティバルに出演し、初の日本国内のリリースツアーに加え、ヨーロッパ、シンガポールなどを含む海外ツアーも成功させる。ソロ活動の傍ら、Cartierや資生堂IPSA、MERRELLなど世界的に信頼をおくブランドから依頼を受け、イベントやキャンペーンのためのオリジナル楽曲の制作も担当している。

Loraine James - ele-king

 喜びたまえ。出すもの出すものハイクオリティの快進撃をつづけ、昨年の来日公演でもすばらしいライヴを披露してくれたロレイン・ジェイムズが、新たにアルバムを送り出す。『やさしい対決(Gentle Confrontation)』と題されたそれは2年ぶりに〈ハイパーダブ〉からのリリースで、9月22日発売。サプライズもある。日本のマスロックからの影響をたびたび口にし、「とくに好きなのは Toe と mouse on the keys」と語っていたジェイムズだが、新作のCD盤にはなんと、その mouse on the keys をフィーチャーした曲がボーナストラックとして収録される。どんなコラボが実現されているのか楽しみだ。公開中の新曲 “2003” を聴きながら夢を膨らませておこう。

Loraine James

エレクトロニック・ポップ・ミュージックの新たな地平を開く、最高傑作が誕生!
ロレイン・ジェイムスが最新アルバム『Gentle Confrontation』をコード9率いる〈Hyperdub〉より9月22日にリリース!
新曲「2003」がMVと共に公開!

ジャズ、エレクトロニカ、UKベース・ミュージック、アンビエントなど、様々な音楽性を内包したクロス・オーバーな作風で人気を博す北ロンドンの異能、ロレイン・ジェイムス。昨年行われた初の来日ツアーが完売となり、ここ日本でも大きな注目を集める彼女がコード9率いるUK名門〈Hyperdub〉から3枚目となる最新アルバム『Gentle Confrontation』を9月22日にリリースすることを発表、アルバムからの先行解禁曲「2003」がMVと共に現在公開されている。

Loraine James - 2003
https://youtu.be/6gikGLeq6mc

Director & Editor - IVOR Alice
Art Direction & Set Design - Dalini Sagadeva
Lead Assistant (Camera, Lighting, & Set Design) - Charlie Buckley Benjamin
Clothing courtesy of Nicholas Daley

本作は、彼女の過去と現在をつなぎ、彼女自身にとっての新しい章を開く作品だ。この作品は彼女が10代の頃に好きだったドゥンテル(DNTEL)、ルジン(Lusine)、テレフォン・テル・アヴィヴ(Telefon Tel Aviv)のようなマス・ロックやエモーショナルなエレクトロニック・ミュージックを聴きながら制作が行われ、気だるさや楽しさ、様々なフィーリングを感じさせる仕上がりとなっている。シカゴ出身の新鋭シンガーKeiyaA、ニュージャージーのバンドVasudevaでギタリストとして活躍するCorey Mastrangelo、名門〈PAN〉からのリリースで注目を集めたピアニスト/SSWのMarina Herlop、ヴィーガン率いる〈Plz Make It Ruins〉から昨年リリースした作品が注目を集めたロンドンのGeorge Riley他、これまで以上に多くのゲストを起用している。『Gentle Confrontation』は、人間関係(特に家族関係)、理解、そして少しの優しさと気遣いをテーマにしており、水のような柔らかい質感のアンビエンスが漂う中で、ポリリズムやASMRなビートが広げられたエレクトロニック・ポップ・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとっての最高傑作が完成している。マスタリングはテレフォン・テル・アビブのメンバー、ジョシュア・ユースティス(Joshua Eustis)が手がけ、シャバカやキング・クルールを手がけるディリップ・ハリス(Dilip Harris)がミックスを担当した。

待望の最新作『Gentle Confrontation』は9月22日にCD、LP、デジタルと各種フォーマットで発売! CDには、LPに収録されないボーナス・トラック「Scepticism with Joy ft. Mouse on the Keys」が収録される。また、国内流通仕様盤CDには解説が封入される。

label: Hyperdub
artist: Loraine James
title: Gentle Confrontation
release: 2023.05.26

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13437

Tracklist
01. Gentle Confrontation
02. 2003 02:39
03. Let U Go ft. keiyaA
04. Deja Vu ft. RiTchie
05. Prelude of Tired of Me
06. Glitch The System (Glitch Bitch 2)
07. I DM U
08. One Way Ticket To The Midwest (Emo) ft. Corey Mastrangelo
09. Cards With The Grandparents
10. While They Were Singing ft. Marina Herlop
11. Try For Me ft. Eden Samara
12. Tired Of Me
13. Speechless ft. George Riley
14. Disjointed (Feeling Like A Kid Again)
15. I'm Trying To Love Myself
16. Saying Goodbye ft. Contour
17. Scepticism with Joy ft. Mouse on the Keys

interview with James Ellis Ford - ele-king


 ジェームス・フォードのことを優れた裏方として認識しているポップ・ミュージック・リスナーは多いだろう。エレクトロ・デュオのシミアン・モバイル・ディスコの片割れとしてニュー・レイヴの時期に台頭し(ニュー・レイヴを象徴する1枚であるクラクソンズ『Myths of the Near Future』(07)のプロデュースを担当している)、アークティック・モンキーズやフローレンス・アンド・ザ・マシーンといった人気アーティストの作品を手がけることで名プロデューサーとしての知名度を高めてきたフォードは、ある意味70~90年代にブライアン・イーノがポップなフィールドでデヴィッド・ボウイやU2に対して担ってきたことを現在請け負っているようなところがある。シミアン・モバイル・ディスコもまたニュー・レイヴ、ニュー・エレクトロの狂騒を離れて地道に作品をリリースするなかでよりストイックなテクノへと向かったわけで、きわめて職人的な立場を徹底してきたのがジェームス・フォードなのである。最近もデペッシュ・モードの新作やペット・ショップ・ボーイズの次作といった大御所とのコラボレーションが続いているが、そこでも彼は縁の下の力持ちの役割をまっとうするのだろう。

 だから、〈Warp〉からのリリースとなるジェームス・エリス・フォード名義の初ソロ・アルバムが、彼本人のパーソナリティを強く感じさせる内容に仕上がったのは嬉しい驚きだ。シミアン・モバイル・ディスコのパートナーであるジェス・ショウが病気になったことで活動休止を余儀なくされたことから生まれた作品だが、そのことでフォードは自分自身にフォーカスすることとなった。その結果、マルチ・インストゥルメンタリストとしてフルートやバスクラリネットやチェロといった管弦楽器も含めたすべての楽器を演奏して自身の手でミキシングしているのはもちろんのこと、公の場で歌ったことのないという彼が控えめながらはじめて歌声を披露しているのだ。そして、そのことがアルバムの人懐こい空気感を決定づけているところがある。
 音楽的にはオープニングのアンビエント “Tape Loop#7” に始まり、チェンバー・ポップ、サイケ・ロック、プログレ、ファンクなどをゆるくミックスした雑食的でストレンジなポップ作で、とりわけロバート・ワイアットの諸作のようなカンタベリー・ロックからの影響を強く感じさせる。イーノの『Another Green World』(75)を意識することもあったようだ。少なくともシミアン・モバイル・ディスコのようなテクノやエレクトロからは離れており、内省的でメランコリックだが同時にユーモラスで牧歌的なムードは、どこか懐かしいブリティッシュ・ポップを彷彿させる。派手さはないがそこここに遊びと工夫があり、パレスチナ音楽を取り入れるなど発想もオープンで、気取ったところがまるでない。ガチャガチャした音を方々で鳴らしながらゆるいグルーヴを立ち上げるリード・シングル “I Never Wanted Anything” は、フォードの遠慮がちだが落ち着いた歌声も含めて本作のチャーミングさを象徴する一曲だ。

 その “I Never Wanted Anything” では若さゆえの野心を失っていることをむしろ心地良く感じている心境を歌っているように、フォードがここで主題にしているのは年を取ること、もっと言えば「老い」だ。未熟なままで親になることなど、そこには不安や憂鬱もたしかにあるのだが、そのすべてをゆるやかに受容しようという感覚が貫かれていて、このアルバムの柔らかな響きと通じている。以下のインタヴューでフォードが語っているように、10代のときにあまり興味がなかった父親のレコード・コレクションの良さが年を取るとともにわかってきたというのもいい話だ。人気者たちを輝かせるために裏方として地道に働いてきたジェームス・エリス・フォードはいま、ささやかな人生の面白さや豊かさをじわじわと感じさせる愛すべきレコードを作り上げたのだ。

自分の音楽はいつも後回しにしてきたというか。「また今度やればいいか」っていう。でも「今度」って絶対ないんだよね。


『The Hum』を聴きました。ユニークで実験的であると同時に、フレンドリーでもある素敵な作品だと感じました。ただ、今日はプロデューサーとしての側面もお伺いしたいと思っているので、これまでのキャリアについても、まず少し聞かせてください。

 あなたは多くのミュージシャンのプロデュースを務めてきましたが、そのときにご自身のパーソナリティを極力出さないようにしているのでしょうか? それとも、ある程度あなた自身のキャラクターを出すようにしていますか? というのも、基本的にはプロデューサーはアーティストの作品にエゴは出さないと思うのですが、著名なプロデューサーが関わった作品を聴くと、彼らそれぞれの個性やキャラクターも作品に反映されていると思うんです。

ジェームス・エリス・フォード(以下JEF):前者かな。僕はつねに、誰かのヴィジョンを実現する手助けをするのが自分の仕事だと考えているから、必要とされているものを提供しようとしているし、ときにはそれが演奏だったり作曲だったり、ときにはシンプルに音的なことだったり、あるいは制作過程のガイド役的なことだったりする。僕にとって、それは彼らのレコードであり、自分はつねに手助けする立場であって……なんというか、あまり好きではないんだよ……もちろん例外はあって、ティンバランドやネプチューンズは大ファンだし、彼らの場合は自分の音楽をほかのひとのために作っているという意味合いが強いけどね。ただ、それってポップ・ミュージック寄りの慣習かもしれない。でも自分の領域では、プロデューサーのサウンドが立ちすぎているものはあまり好きじゃないかな。もちろん自分が下す判断によって自分っぽいサウンドになるとは思うけどね。でも誰かの音楽に自分のサウンドを押しつけるつもりはないんだ。

プロデューサーの仕事において、あなたがとくに重要だと考えていることは何ですか?

JEF:これまでやってきて学んだおもなことは、柔軟でいることと、平静でいること。制作過程ではいろんな意味で不安要素やストレスが多い場合もあるから。だからそうだね、着実に前に進んでいくことがもっとも重要だと思う。そして様々な状況における様々なひとのニーズを理解して、親切に対応することを心がける。僕がどう貢献するかという点では、ときには制作プロセスの終盤に入っていってミキシング的な作業をする場合もあれば、あるいはリック・ルービン流にドンと構えて自分は手を出さないこともある。そして正直なところ、これまで作った多くのレコードでは何でも屋で、曲を書いて楽器も全部演奏してそれを自分で録音して。なんというか、ピッチをシフトさせ、ギャップを埋めながら、いいレコードを作るために必要なことをするという感じかな。

シミアン・モバイル・ディスコのファースト・アルバム『Attack Decay Sustain Release』のタイトルが象徴的だと思うのですが、そもそもあなたは音楽制作において、音のパラメータの調整やサウンド・プロダクションに手を入れる作業にもっとも快感を覚えるタイプですか?

JEF:もちろん好きだよ。それって音楽の遊びの部分というか、ものすごく大事なものだと思う。音楽を作る過程にはいくつかの段階があるけど、まずは遊んだり、とにかくいじってみるというところから作り始めるわけだよね。そしてプロジェクトの終盤においては、細部にまでこだわるという部分でもある。EQやコンプレッションのパラメータ、技術的な部分はどこまでも深くいけるし、興味は尽きない。ただし細部に寄りすぎたら引くことを忘れずにいないといけない。「この部分にこだわる価値はあるか?」という。全体像を見失わないということも細部と同じく重要で。そのふたつのちょうどいいバランスを見つけるのが難しい場合もあるんだよね。

シミアン・モバイル・ディスコの活動が休止したことでソロを制作することになったそうですが、それ以前から、いつかソロ作品を作りたい気持ちはあったのでしょうか?

JEF:そうだな……僕はアーティストになりたいという気持ちはあまりないけれど、音楽を作りたいという欲望はつねにあるんだよ。それで、いろいろなひとといっしょに制作したり演奏したり曲を書いたりすることで、創作面の満足感を得られている。コラボレーションは大好きだからね。シミアン・モバイル・ディスコもすごく好きだったし。それでいくつかのきっかけがあって──まず、いま自宅のスタジオがあって、ドラムキットとかシンセサイザーとかたくさん機材が置いてあって。自分のスタジオを持つのがはじめてで、これができたことによって、夜だったり息抜きの時間に遊んだりいろいろ試したりできるようになったんだ。それから知っての通り、ジェスが病気になりいっしょにスタジオに入ることができなくなったこともあって。それからパンデミックが起こった。そういうわけで自分ひとりで作ることが増えて、それまでずっとスマホやパソコンにちょっとしたアイデアやスケッチを書き溜めていて、本当にしばらくぶりにそういったスケッチを開いて、自分ひとりでそこから先へと進めてみることにしたんだ。そしたら楽しくなってきて、気づくとアルバムができていた。どうしていままでやらなかったんだろうと思うけど、僕はいつも忙しくて、それはとてもラッキーなことだったんだよね。つねに次のプロジェクトが控えていて、次はこのひとと、次はあのひとと、という感じでオファーがあるから。いろんなひとと音楽を作るのは楽しいしさ。だから自分の音楽はいつも後回しにしてきたというか。「また今度やればいいか」っていう。でも「今度」って絶対ないんだよね。



ロバート・ワイアットやケヴィン・エアーズといった70年代前半のイギリスのプログレッシヴ・ロックなんかも大好きで。もちろんブライアン・イーノのソロ作も好きで、僕が趣味で聴くのはそういう感じのものなんだ。

あなたのように多岐にわたる音楽的知識や技術を持っていると、音楽性をフォーカスするのがかえって難しい側面があると思うのですが、『The Hum』の音楽面においてもっとも重要な課題は何でしたか?

JEF:たしかに僕はこれまで様々なタイプの音楽を作ってきた。今回もアンビエンドのレコードを作ることもできたし、メロディックなインストゥルメンタル・レコードにしてもよかったかもしれないし、もっと曲っぽい感じのレコードにすることもできたかもしれない。実際このアルバムのなかだけでも、すでにかなり多様なんだ。でもとにかく課題としては、作り続けて完成させることだったかな。あと僕にとっての一番のチャレンジは歌うことだったと思う。いや、歌うのはそうでもなかったけど、歌詞を書くことだったかもしれない。そもそも自分はプロデューサーであってシンガーではないしっていう頭があったんだよね。それで曲を作っているときもヴォーカルのメロディを書いて誰かに歌ってもらうかな、なんて考えていた。でも作っていくうちに「なぜ自分で歌わないんだ?」となってきて、頭のなかで自分を押しこめる枠を作っていたことに気がついた。だからその枠にとらわれず、自分自身に挑戦すべく歌ってみることにしたわけなんだ。そうやって新しい領域に自分を追いこんでみるという発想にすごくワクワクしたし、歌詞を書くというのは僕にとってまったく新しいことで、書く過程はとても楽しかった。やっぱり不安だけどね、とくにこれからライヴをやらなくちゃならないわけだし、歌詞について話さなきゃいけなくなるから。でも自分で安全地帯の外に出て、これは自分がやりたかったことなんだと自分に言い聞かせるんだ。

シミアン・モバイル・ディスコとはまったく違うことをやりたいという気持ちはありましたか?

JEF:一番の望みは、正真正銘これが自分だというものを作ることだったと思う。自分の音楽の趣味、これまで聴いてきたものだったり散歩のときに聴くもの、つまりは楽しみとして聴くものはかなり深遠だったり、かなり静かなものが多くて。ロバート・ワイアットやケヴィン・エアーズといった70年代前半のイギリスのプログレッシヴ・ロックなんかも大好きで。もちろんブライアン・イーノのソロ作も好きで、僕が趣味で聴くのはそういう感じのものなんだ。もともと僕の父がそういったサウンドに傾倒していて、それで僕もそれを聴いて育ったようなところがあるんだよ。DNAに組みこまれているというか。僕はこれまで作ってきた音楽はテクノ、ハウス、ポップ、フォーク、ロックと、あらゆるものが混ざっている。だから今回は本当にただ、自分自身の旗を立てて、これが僕の作る音楽だ、ということを示したかったんだ。

楽器の演奏も歌もエンジニアリングもほとんどあなたでコントロールしていますが、『The Hum』において「すべて自分で作る」のがなぜ重要だったのでしょうか?

JEF:ある意味コラボレーションしないという実験だったんだよね。なぜならコラボレーションは毎日のようにやっているから。それはそれですごく恵まれていて、とても楽しいものだけどね。でも、だからコラボレーションしなかったら何が起こるのかを知りたくなったのかもしれない。自分以外の人間が誰も関わらなかった場合に何が出てくるのか。幸い楽器もいろいろあるし、自分で演奏できるしね。それにおそらく15年前には自信がなかったかもしれないけれど、いまだったら前に進んでいけるという自信もあった。それにもともとはただこの小さな空間で実験しようとしていただけで、誰かに聴かせるつもりもなかったんだ。


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コラボレーションしないという実験だったんだよね。なぜならコラボレーションは毎日のようにやっているから。何が起こるのかを知りたくなったのかもしれない。自分以外の人間が誰も関わらなかった場合に何が出てくるのか。

『The Hum』は多楽器による音色の多彩さが魅力です。あれだけ多くの楽器を演奏できるようになるのは大変だと思うのですが、ほかのプレイヤーに頼るのではなく、自分自身で楽器を弾けるようになりたいというモチベーションはどこから来るのでしょうか?

JEF:新しい楽器を演奏するのが大好きなんだ。じつはバスクラリネットをeBayでかなり安く買ったことがきっかけでこのアルバムが始まったんだ。子どもの頃フルートを習っていたから多少は知っていたし。とにかくバスクラリネットの音が大好きだから取りあえず買ってみようと。クラシックのコンサートで素晴らしい演奏ができるわけではないけれど、メロディを奏でることならできるから。すごく刺激になるんだ。このスタジオには日本のシンセもあって、もちろん全部僕が理解できない言葉で書かれていて音階もちょっと違ったりするけれど、そういうちょっと違うものだったり、少し難しかったりするものが大好きなんだ。たぶんモジュラーシンセが好きなのもそれが理由だと思う。そのチャレンジにおいては普段やらないようなことをしたり、通常とは異なる判断をしたり、いつもとは違う場所へと追いこまれたりする。それはアイデアを生み出し、音楽に対する熱意や興奮を呼び覚ますのにいいと思う。パソコンで音楽を作ろうとすることもあるけれど、あまりにも簡単にできてしまったりするから、面白くするためには難しくする必要があるんだよ。

先ほどもお話しにありましたが、『The Hum』はいろいろな音楽的要素があるなかで、ロバート・ワイアットなどのいわゆるカンタベリー・ロックの要素をわたしは強く感じました。音楽家として、カンタベリー・ロックからの影響はもともと強かったのでしょうか?

JEF:そうなんだよ。父がそういったレコードを大量に持っていて……ジェントル・ジャイアント、キャラヴァンといったバンドがひと通りあって、それを聴いて育ったという背景がまずあった。10代の頃はあまり好きじゃなかったけど、年を取るにつれてある意味父親の趣味に回帰するというか。

そのカンタベリー・ロックもそうですが、雑食的な要素からブリティッシュ・ポップの系譜を感じさせるアルバムだとわたしは感じました。このようにくくることには語弊があるかもしれませんが、ポップ・ミュージックにおけるいわゆる「ブリティッシュネス」というか、英国から生まれる音楽の特色について考えることはありますか? そうだとすると、あなたの視点でポップスにおける「ブリティッシュネス」をどのようにとらえていますか?

JEF:僕も「ブリティッシュネス」が好きだよ。たとえばロバート・ワイアットの声は僕にとって非常にブリティッシュで、ほかのどこからも出てきようがないものだと思う。説明が難しいけれど、簡素というか何というか、若干控えめな感じというか、そこが本当に好きだね。それが不思議なほどエモーショナルなものに感じられるというか。過剰に歌いあげず、ドラマチックになりすぎない。僕はアイヴァー・カトラーの大ファンで、まあ彼はスコットランド人だけど、それと少し似ていて、そういうすごく独特な静かさが大好きなんだよね。とにかく僕もイギリス人だし、今作にも間違いなくブリティッシュネスはあると思う。

いっぽうで、“The Yips” でのパレスチナの音楽の要素も面白いですね。パレスチナの音楽のどのようなところに魅力を感じますか?

JEF:ロックダウン直前に旅行でパレスチナへ行ったんだ。もともと非西欧音楽はすごく好きで、日本にも素晴らしいものがたくさんあるし、いわゆる民謡と呼ばれるもの、インドの民謡やアラビア音楽だったり、その多くが西洋の12音階からは少し外れた音階やチューニングなんだよね。そこにものすごく惹かれるんだ。パレスチナに行ったとき、幸運にも現地のミュージシャンたちに会うことができて、オーケストラの演奏を聴きに行ったんだけど、その演奏に本当に胸が熱くなったし信じられないくらい素晴らしかった。だからたぶんそれも自分のなかに残っていたし、それから僕が大好きな〈Habibi Funk〉というレーベル(註:ベルリン拠点のアラブ音楽を発掘するレーベル)があって、そこは60年代、70年代の音楽を扱っていて、あの辺の地域の人びとがたとえばジェイムズ・ブラウンを真似していたり、でも音階が奇妙だったり、荒削りだったりするっていう。その辺のものが大好きなんだよ。あの曲を作りながら僕の頭にあったのはそういう感じのもの。

パソコンで音楽を作ろうとすることもあるけれど、あまりにも簡単にできてしまったりするから、面白くするためには難しくする必要があるんだよ。


『The Hum』の親しみやすさには、サウンドのユーモラスな感覚によるところも大きいように感じます。“Emptiness” のようなややビターな曲でもどこかファニーな感性があるように思うのですが、だとすると、あなたのユーモア感覚はどのようなものから影響を受けたものですか?

JEF:昔から少しユーモアがあるものが好きだったし、ユーモアと音楽には奇妙な関係があると思う。あまりにもシリアスすぎるものは好きじゃないかな。まあバランスが大事だと思う。同じように、あまりに綺麗すぎたりハッピーすぎるっていうのもね。僕にとっては最高の曲ってどれもメランコリックで、そこに悲しさがあり、明るさもあるというもので。そのふたつの間のバランスというのが興味深い部分なんだよ。さっき言ったアイヴァー・カトラーもそうで、彼の楽曲って僕的には本当に面白くて、完全にシュールで笑えて、ああいったユーモアが大好きだね。それから偉大な作詞家の多く、たとえばレナード・コーエンなんかもそうだけど、彼らの歌詞の下には、つねに小さなユーモアの輝きがあるんだ。

『The Hum』というアルバムで、ミュージシャンとしてあなたが達成した最大のことは何でしょうか?

JEF:これを作ったこと、完成させたこと自体が、もうそうかな。自分自身を乗り越えるというか。僕はこれまでプロデューサーとして、たくさんのひとにたくさんのことを要求したり、自分自身をさらけ出すように言ってきた。だから自分の作品を完成させること、ひとつのプロジェクトを終わらせること、全部が達成だよ。とくにひとりの場合は、誰かが知恵を貸してくれるわけでも背中を押してくれるわけでもないから大変なんだ。自分自身の意思の力で、自信を持って、何かを終わらせて世に送り出すこと自体が大きなチャレンジだったね。でも、常日頃自分がほかのひとにそういうことをやれって言ってることに気づけてよかったよ(笑)。だからやっぱり一番誇りに思うのはそこだね、作ったぞっていうさ。

 あるバルのほんの目先にあるひとつの切り株。それは地上から数センチのところで切断され、チェーンソーで深く十字が切り込まれていた。悲惨な光景だ。人間によって、この場所で「生きるな」というメッセージを強く刻印されたひとつの有機的な植物の前に私は立ち尽くした。その木の近くにあるバルは俳句バルだ。季語という魔法のようなアウラを与えられている植物とは一切交わらず、なんの木かもはやわからないそのような木が現実にあった。私はまずそれを記しておきたい。
 最近、領域横断の気鋭の研究者、桑田学さんによる、19世紀中葉~20世紀前半の英国における〈経済〉と〈生態〉を同時に考える思考の思想史をまとめた『人新世の経済思想史 生・自然・ポリティカル・エコノミー』という本が出た。ジョン・ラスキン(1819–1900、美術・建築・社会批評)、パトリック・ゲデス(1854–1932、植物学・動物学)、フレデリック・ソディ(1877–1956、物理化学)などの当時の学問の分野をまたがる思想家たちが、産業革命以後、どのように、〈生命―富―自然〉の関係を問い直し、著述してきたか、世に喚起してきたかをとても精緻に追っている。人間の暮らしの艶と経済を取り戻そうという、言ってみれば「美と経済」への展望を描いた一冊だ。空を毎日のように観察して記録をつけていたラスキンや、ダーウィンの進化論とは異なり競争とは異なる共同や相互依存を提示したゲデスや、植物だけが光合成で太陽から無生物エネルギーの流れを生命力へと変換しうると強調し、「自国と植民地双方でエネルギーの生命利用の条件を破壊しながら膨張する帝国主義的経済の末路をエネルギー論的な次元から分析」するソディ(彼の分析は戦争へも及ぶ)など、植物、地層、大気推しの議論がたくさん出てくる。上野でやっている「恐竜博2023」もすごかったがこの本も自然、本当の意味での科学、太古へのロマンがすごい。読み終えると壮大な科学ロマンを読んだようだ。もちろん最近の大気のウイルスにも一文で言及し、現代への警鐘もある。

 先に挙げた思想家同様、桑田さんは、生命を支える「富」は葉などの植物的な腐食・散逸・劣化に向けた絶えざる「流れ」のなかにあり、貨幣/信用・負債の増殖・成長・蓄積のロジックとは根本的に異質なものであると看破する。それは、動物的ではない、植物的な生命観だ。昔話で葉っぱがかわいらしくいたずら好きのたぬきやきつねの頭の上でどろんと金に化ける、そんな話は、おそらく現代でも流用しなくてはならない挿話なのではないかという気がする。それは、人間の生命原理における、失われた植物の優位性・先端性を示唆しているのではないか。そう考えると、人間が死んだとき、遺骨として残されるのもなんだかおかしい。エジプト、中国、日本でも、残そうとしてくる。以前、小さな子どもと古墳に訪れたことがあった。古墳跡は草原のようになっている。そこに吹き抜ける風に、ひとりの子どもがみなぎる自分のパワーとシンクロしたようでとても喜んでいた。もちろん、『アラビアン・ナイト』の話のように、財宝が墓に一緒に埋められているというロマンもやはり捨てがたいが。でもそれは、増殖・成長・蓄積のロジックではない。ある価値変換をされたロマンという信用だ。もちろん、負債の富、「虚構の富」とは異なる、絶えざる散逸、劣化、崩壊、分解に向けた流れを本質としている富もある。まあそれは物語の中や海賊や探検家や投資家にまかせておくとして、現代人の生が、魂の「流れ」が滞っていて蘇りにくいのは19世紀から理由があるよということをこの本が教えてくれた。

 少し長くなるが、とてもかっこいいので、桑田さんの本からラスキンの言葉と桑田さんの言葉をいくつか引用する。(この本は抜き書きしたくなるような文章が異様に多い。読むのが本当に楽しい)

 内在的価値とは生命を維持するためのモノの絶対的な力である。(…)人がそれらを拒絶しようが、軽蔑しようが、小麦や空気や花の内在的価値には少しも影響することはない。使用しようが、されまいが、それ自身の力はそれらのもののうちにあって、その特異な力は他のなにもののなかにも存在しない。(117)

このような声明を基底とした富の定義から、経済学のさまざまなカテゴリーが論じなおされていく。たとえば労働である。富の価値が、それが人間の生に対して有用であるか否かによって決まるのと同様に、「労働には生の要素を多く含むか少なく含むかにおうじて高低の順」があり、創造的で享楽的でさえある「プラスの労働」(opera)はそれ自体が、感覚を鍛え思考の自由を高め、生を増進させるが、「破壊的」な「マイナスの労働」(labour)はひたすらに生を消耗させ、「死を生ずる」という。(119)

経済学の対象とする富・有用性が、究極において自然界からもたらされるエネルギーと物質(いわゆる低エントロピー源)に由来する、という事実であった。あらゆる純正産物は、物質とエネルギーの支出に伴う「自然によって支払われる利子」と理解されなければならない。とくにフィジオクラートがすでに洞察していたとおり、太陽エネルギーを光合成のはたらきによって人間を含む動物(微生物も含め)にとって利用可能なエネルギーへと変換している植物界こそがあらゆる生き物にとってもっとも根源的な富の純生産者というにふさわしい。大気、水、光、土壌、森林といった自然の保存こそは真の意味での富の貯蓄であり、そこに産業改革が準拠すべきひとつの原則がある。ダンディー大学で行われた最終講義「生物学とその社会的意味──植物学者はいかに世界を見るのか」において彼はこう述べる。

[植物の]葉は生命の主要な産物であり現象である。この世界はひとつの緑の世界であり、そこに比較的少数の小さな動物たちが棲みついていて、そのすべてが葉に頼って生きているのである。葉によってわれわれは生きるBy leaves we live。

(202-3)

「太陽エネルギーの収入を超えた暮らし」を可能にしたのは、化石燃料の燃焼、すなわち「巨大なエネルギーの資本貯蔵」、「何百年前も以前に地球に到達した太陽光のたくわえを解放する」ことであった。ソディはこの無生物エネルギーinanimate energyの解放──すなわち有機経済から化石経済への転換──がもつ文明論的な意味を繰り返し強調している。ただしこの化石エネルギーの資本ストックは、けっして「われわれ自身の手柄」ではなく、「計り知れないほど古い時代に生じた、われわれにとって好都合な生物学的・地質学的な出来事の連鎖」の所産であって、その起源をたどるならば遠い時代に植物が捕捉し貯蔵した太陽エネルギーにいきつく。生物進化の理論によって、「本当のアダムは動物的であったことが明らかとなった」ように、「エネルギーの教説によって、真の資本家real capitalistは植物であることが明らかとなる」(257-8-3)

 事物や労働の内在的価値と植物のロマンを説いている。私は気象学的な画家ターナーと地質学的な画家セザンヌが好きだ。植物的な画家ゴッホも。なんだかそのような美術には、人の生きる魂や大気(風)・大地(土)・植物と有機的に関わっていた人類の感覚を呼び起こさせている気がする。経済も、「経済の根幹は植物、太陽と土壌と植物、経済がどれだけ進展してもこれはカットできない。経済と生態は分離しない」と桑田さんは言う。ギリシャ語で経済学は、オイコスだ。オイコスは家庭という意味だ。家庭には「庭」と入っている。庭には植物がある。絶対にわたしたちは植物や太陽、土壌と腐敗、そして循環の流れの中で生きている。それが私のようにベランダしかない者でもそうだ。
 トークイベントで、「変人をそうみせないように意識して書いた」と桑田さんが語っていたが、実に「変な人」がたくさん出てくるとてもおもしろい本だ。そしてわたしも変だ。これらの思想家は「階級」という言葉を使わない。思想家たちは、スラムの中にいる人の生活にもう一回美しさを取り戻すか、学校とスラムをどうやってつなげるか、そこにアナキストが入っていくなど、どうやって生活の中に広い意味での芸術を取り戻すかということを考えている。貨幣はチケットのように他者に請求できる。その信用は金属的なもので半永久的にその形が変わらないが、強靭なようでそれにすがるととてももろい。単純交換の原理で腐らず、維持にコストもかからず、永続的な利子をもたらす負債であり、自然を回避しようとする法的手段や契約の性格を帯びるようになる。しかし、紙幣は、もともと葉だ。木だ。生きて腐り、変わっていくものへの敬意、信用、生活における艶、広い意味での「美」の力だ。また、この本も紙(木)からできていた。だけどこれは、電子的なもの、テクノポップ、ポーカーなども好きなわたしの一読書記録だ。20世紀の美術家運動、未来派も機械的なものに魅かれていた。それも含めて、人新世でどう腐るかということに思いを馳せることも、重要なことだ。最近、Official髭男dismの “ミックスナッツ” を聴いた。ピーナッツ、落花生の花言葉は、「仲良し」。「ここに僕が居て あなたが居る」って言葉いいなと思った。

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 坂本龍一のソロ楽曲を集めたコンピレーション『Travesía』(英語で「journey」の意)が〈Milan Records〉からリリースされている。〈Milan〉といえば、これまで海外で坂本の『async』や『ASYNC - REMODELS』などをリリースしてきたUSのレーベルだ。
 キュレイターは映画監督のアレハンドロ・イニャリトゥ。『レヴェナント: 蘇えりし者』で共同作業をした際に、今回の選曲を依頼されていたという。当初はイニャリトゥ自身の誕生日のためのコレクションになるはずだったが、坂本の逝去を受け彼の回顧録として公開。収録されているのは下記の20曲。フィジカルでも2CD盤(RZCM-77722A)、2LP盤(RZJM-77720A)が5月3日に発売されている。

Travesía
Tracklist:
01. Thousand Knives
02. The Revenant Main Theme (Alva Noto Remodel) *未発表音源
03. Before Long
04. Nuages
05. LIFE, LIFE
06. Ma Mère l’Oye
07. Rose
08. Tokyo Story
09. Break With
10. Blu
11. Asadoya Yunta
12. Rio
13. Reversing
14. Thatness and Thereness
15. Ngo/bitmix
16. +Pantonal
17. Laménto
18. Diabaram
19. Same Dream, Same Destination
20. Composition 0919

Milan公式サイト:
https://www.milanrecords.com/release/travesia/
commmonsmart:
https://commmonsmart.com/collections/compilations

 そしてもうひとつ、最新情報をお知らせしておこう。坂本龍一のマネージメント・チームにより彼の「最後のプレイリスト」が公開されている。自身の葬儀でかけるために生前、坂本本人が選曲していた33曲のコレクションで、バッハやラヴェル、ドビュッシーといった彼のルーツにあたる曲からデイヴィッド・シルヴィアンアルヴァ・ノトのような彼のコラボレイターたちの曲までをピックアップ。最後はなんとローレル・ヘイローで締められている。同時代の音楽への関心を失わなかった坂本らしいプレイリストだ。

NHK yx Koyxen - ele-king

 これまで〈Diagonal〉〈DFA〉〈Pan〉〈L.I.E.S〉〈Mille Plateaux〉〈WordSound〉〈Scam〉といった一癖も二癖もあるレーベルから作品を出しているNHK yx Koyxenこと松永コーヘイが、久しぶりにアルバムを出す。やった。ベルリンの〈Bruk〉から5月26日リリース予定の『Climb Downhill 2』は未発表音源集で、コーヘイのムズムズしたシュールなエレクトロニカ・ダンスの魅力がコンパクトに詰まったショーケースだ。聴こう。
 このアルバムを機に、完全なる新作もリリースされるかもしれない。わからないけど。

NHK yx Koyxen
Climb Downhill 2

Bruk
BRUKLP1
Release Date: May 26th
 

 素晴らしいことに、韓国から250(イオゴン)の来日が決まった。以下、詳細です。

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