「ZE」と一致するもの

Masabumi Kikuchi - ele-king

 代表作『Susto』(1981)で知られるジャズ・ピアニストの菊地雅章。マイルス・デイヴィスやエルヴィン・ジョーンズといったレジェンドたちとセッションをおこなってきた彼は、じつは他方で──原雅明(著)『アンビエント/ジャズ』でも明かされていたように──クラフトワークブライアン・イーノに熱中、とくにイーノのレコードはぜんぶ集めていたそうで、自身でも深くシンセサイザーと向き合っている。その成果が『六大(ろくだい)』と呼ばれる、1988年に送り出された6枚のアルバム(『地』『水』『火』『風』『空』『識』)なのだけれど、残念ながらそれらはいつの間にか忘れられた作品となってしまっていた。これが2026年3月、ついにリイシューされるというのだから、事件といっていいだろう。マスタリングはテイラー・デュプリー。フィジカル盤はSACDと、そして今回ヴァイナルでも初めてリリースされる。2026年の見過ごせないリイシュー案件、ぜひともチェックしておきたい。

2026.03.25発売
菊地雅章 / 六大 (地・水・火・風・空・識)

日本を代表するジャズ・ピアニスト、菊地雅章が遺した唯一無二のエレクトロニック・ミュージック『六大=地水火風空識』が遂に再発!

名盤『Susto』リリース後に制作された幻の音源『六大=地水火風空識』が、坂本龍一からの信頼も厚かったテイラー・デュプリーによるリマスタリングで、各6タイトルSACD(ハイブリッド盤)と2枚組レコードとして蘇る。

「15時間の映像のために制作された音楽『六大=地水火風空識』は、菊地雅章が遺した唯一無二のエレクトロニック・ミュージックである。『Susto』と『One-Way Traveller』のエレクトリック・ジャズ/ファンクを経て、80年代の大半がこの音楽の制作に費やされた。ピュアな電子音と向き合った記録であり、ジャズとエレクトロニック・ミュージックのミッシング・リンクを埋める、世界的にも稀有な作品だ。
テイラー・デュプリーのリマスタリングによって、これを再び世に紹介できることは喜び以外の何ものでもない。」 (原 雅明 ringsプロデューサー)

【リリース情報】
アーティスト名:菊地雅章(キクチ・マサブミ)
アルバム名:六大(ロクダイ)
発売日:2026.3.25
フォーマット:CD(SACD HYBRID仕様), 2LP
価格:CD ¥4,400 (税込) / 2LP ¥7,500(税込)
レーベル:rings
オフィシャルURL:https://www.ringstokyo.com/masabumikikuchirokudai/

※収録秒数が、多少変更になる可能性がございます。再発となるジャケットは、新規デザインを予定しております。

All Selections Composed by MASABUMI KIKUCHI
Real-Time Synthesizer Performance: MASABUMI KIKUCHI
Recorded OCTOBER ‘84-MAY ’86 at CRACKER-JAP STUDIO, Brooklyn, NY
Re-Mastering: Taylor Deupree
Re-design: Kohei Nakazawa

地・EARTH

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC134
JAN: 4988044135918

CD Tracklist:
1. Reggae Triste(9'45″)
2. Andes(11'28″)
3. Earth 61(13'06")
4. Cockroach's Dilemma(10'07")
5. SAYOKO(8'05″)

<2LP>
品番: RINR19
JAN: 4988044135970

LP Tracklist:
A1. Reggae Triste(9'45″)
A2. Andes(11'28″)
B1. Earth 61(13'06")
C1. Cockroach's Dilemma(10'07")
C2. SAYOKO(8'05″)

水・WATER

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC135
JAN: 4988044135925

CD Tracklist:
1. Moon Splash(12'33")
2. Spectrum(15'16")
3. Aurola(15’11”)
4. Blue Spring(11’58”)
5. Water Song(8'18")

<2LP>
品番: RINR20
JAN: 4988044135987

LP Tracklist:
A1. Moon Splash(12'33")
B1. Spectrum(15'16")
C1. Aurola(15’11”)
D1. Blue Spring(11’58”)
D2. Water Song(8'18")

火・FIRE

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC136
JAN: 4988044135932

CD Tracklist:
1. Fire Dance I (12'21")
2. Fire Dance II (7'35")
3. Fire Dance III (8'23")
4. Fire Dance IV (20'49")
5. Fire Dance V (7'35")

<2LP>
品番: RINR21
JAN: 4988044135994

LP Tracklist:
A1. Fire Dance I (12'21")
B1. Fire Dance II (7'35")
B2. Fire Dance III (8'23")
C1. Fire Dance IV (20'49")
D1. Fire Dance V (7'35")

風・WIND

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC137
JAN: 4988044135949

CD Tracklist:
1. WIND I,II(23’15")
2. WIND III(12'19")
3. WIND IV,V(21'54")

<2LP>
品番: RINR22
JAN: 4988044136007

LP Tracklist:
A1. WIND I,II(23’15")
B1. WIND III(12'19")
C1. WIND IV,V(21'54")

空・AIR

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC138
JAN: 4988044135956

CD Tracklist:
1. AIR I(6'46")
2. AIR II(23'25")
3. AIR III(14'12")
4. AIR IV,V(13'18")

<2LP>
品番: RINR23
JAN: 4988044136014

LP Tracklist:
A1. AIR I(6'46")
B1. AIR II(23'25")
C1. AIR III(14'12")
D1. AIR IV,V(13'18")

識・MIND

<SACD HYBRID仕様>
品番: RINC139
JAN: 4988044135963

CD Tracklist:
1. MIND(49'58”)

<2LP>
品番: RINR23
JAN: 4988044136014

LP Tracklist:
A1. MIND I
B1. MIND II
C1. MIND III
D1. MIND IV


photo by Abby Kikuchi

菊地雅章 Masabumi Kikuchi
ジャズ・ピアニスト。1939年10月19日東京生まれ。東京芸術大学付属高校作曲科を卒業後、1958年に18歳でプロとして活動開始。66年に渡辺貞夫カルテットに参加し、67年に日野晧正と日野=菊地クインテットを結成する。68年にバークリー音楽大学に留学し、帰国後の69年に菊地雅章セクステットを結成する。73年からニューヨークに移住し、77年からはギル・エヴァンス・オーケストラに在籍する。マイルス・デイヴィスのリハーサルへの参加を経て、81年にシンセサイザーを導入した『Susto』と『One Way Traveller』を発表。その後、80年代の大半を「六大」のエレクトロニック・ミュージックの制作に費やす。88年にオールナイト・オールライト・オフホワイト・ブギ・バンド(AAOBB)を、90年にはゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンとの自身のトリオ、テザード・ムーンを結成する。96年には吉田達也、菊地雅晃とスラッシュ・トリオも結成し、同時に後藤俊之らハウスDJとの制作にも取り組んだ。また、ソロ・ピアノのライヴ活動も行った。2012年、ポール・モチアン、トーマス ・モーガンとのトリオ作『Sunrise』をECMから発表。2015年7月6日、ニューヨークの病院にて死去。

Shintaro Sakamoto - ele-king

 2026年1月23日に発売される坂本慎太郎の新アルバム『ヤッホー』からの、“おじいさんへ”に続くニュー・シングル曲、“あなたの場所はありますか?”(坂本バンドはこの深い意味を含んだこの曲を去るアメリカ/メキシコ・ツアーで演奏している)のライヴ演奏MVが公開された。見よう! 自分たちの居場所を確保しよう。
 
 zeloneからのメールによると「今回のMVは、アルバム『ヤッホー』のレコーディングが行われたスタジオ、ピースミュージックにて撮影され、演奏もライヴ録音された、このMVでしか聴けないエクスクルーシヴなライヴ音源となっています。監督は山口保幸。演奏は坂本慎太郎バンドー 坂本慎太郎 (Vocal & Guitar)、AYA (Bass)、菅沼雄太 (Drums)、西内徹 (Flute) ——そして録音は中村宗一郎」

 なお、別冊エレキングは、来年1月末に『坂本慎太郎の世界』を刊行します。こちらもこうご期待です。

ヤッホー / 坂本慎太郎 
(Yoo-hoo / Shintaro Sakamoto)

2026年1月23日(金) Digital/CD/LP/リリース
国内デジタルPre-save / Pre-add: https://virginmusic.lnk.to/Yoo-hoo_pre

1. おじいさんへ (Dear Grandpa)
2. あなたの場所はありますか? (Is There A Place For You There?)
3. 正義 (Justice)
4. 脳をまもろう (Protect Your Brain)
5. 時の向こうで (On The Other Side Of Time)
6. 時計が動きだした (The Clock Began To Move)
7. 麻痺 (Numb)
8. なぜわざわざ (Why Do This?)
9. ゴーストタウン (Ghost Town)
10. ヤッホー (Yoo-hoo)

Written & Produced by Shintaro Sakamoto
Recorded, Mixed & Mastered by Soichiro Nakamura at Peace Music, Tokyo, Japan 2025

Vocals, Bass (10), Keyboard, Acoustic, Electric & Lap Steel Guitar: Shintaro Sakamoto
Bass & Chorus: AYA
Drums & Percussion: Yuta Suganuma
Flute & Saxophone: Tetsu Nishiuchi
Marimba: Manami Kakudo (8, 9)

CD (zel-029): 価格: ¥2,600+税 (2枚組/インストBONUS CD付)

LP (zel-030): 価格: ¥3,200+税
Distribution: Bridge Inc. https://bridge-inc.net/

Debit - ele-king

 今年、2025年の〈Modern Love〉からのリリースは、どれも本当に素晴らしいものばかりであった。アブストラクトなシューゲイズ・ドローンを展開する MOBBS&Susu Laroche『ZERO』、マンチェスターの DJ Tom Boogizm の別名義 Rat Heart による、ギター音響を拡張したモダンなエレクトロニカの傑作『Dancin' In The Streets』、Shifted 名義で〈Hospital Productions〉や〈Avian〉から作品を発表してきた Guy Brewer による、ミニマル・ダブとアンビエントを混交したモダン・テクノの到達点ともいえる Carrier『Rhythm Immortal』などなど、いずれも先端かつ鋭利な作品群である。〈Modern Love〉がついに音楽の最前線へと帰還したかのような印象を抱かせた。

 その作品群の中でも、メキシコ・モンテレイにルーツを持ち、現在はニューヨークを拠点とする電子音楽家デビット(Delia Beatriz)による3年ぶりの新作『Desaceleradas』は、一際鮮烈であった。その夢と現実が交錯する音響は、南米のカミュとでも呼びたくなるような夢幻的サウンドスケープを形成している。
 アルバム『Desaceleradas』の根底には、モンテレイのストリート文化が生んだクンビア・レバハーダ(cumbia rebajada)の歴史的記憶が横たわっている(らしい)。クンビアとは南米コロンビア発祥のダンス・ミュージックであり、カリブ海沿岸地域で先住民、アフリカ系、スペイン系文化が融合することで生まれた。シンプルな2拍子リズムが特徴といわれる。
 「クンビア・レバハーダ」は、そのテンポを大幅に落とした派生形で、1960〜70年代に、カセットデッキの不安定な再生によって自然に速度が落ちたクンビアのサウンドが、若者たちに支持されたことがはじまりという。原曲よりも10〜30%遅いテンポと沈み込むピッチにより、重低音の揺らぎと粘性の高いグルーヴが際立つ。モンテレイの若者文化「チョロンビアーノス」(cholombianos)の象徴であり、地域のアイデンティティを支えた唯一無二のメキシコ産ダンス・ミュージックである。21世紀以降は NAAFI や DJ Python の活躍を通じて国際的評価を高めた。

 『Desaceleradas』を主導する音像は、クンビア/クンビア・レバハーダを象徴するアコーディオンの音の輪郭である。テープ・ヒスや電磁ノイズの霧の奥から断続的に立ち上がり、倍音構造のみが残されていく。特徴的なリズムはほぼ完全に消失し、テンポは固定点を欠いたまま漂流する。特に9曲目 “Gabriel Gabriela Dueñez” では、旋律そのものが崩壊の縁で揺らぎ、音と沈黙の境界が緩やかに溶解していく。劣化した録音媒体の断片と人工的処理が折り重なり、過去と未来の位相が消滅するような聴取体験をもたらす。その強烈な未聴感は、聴き手から言葉を奪うはずだ。
 デビットは本作で、民俗的素材と電子的処理の交錯を「音響的遺伝子操作」のように提示した。アコーディオンやリズム断片はアナログ・シンセによって変質させられ、テープ・ループとディレイによって時間軸が交錯・伸縮する。この音響合成は、AI合成声とマヤ神話的時間を接続した前作『The Long Count』の延長線上にあるといえよう。すなわち「歴史がテクノロジーによって再構築される」過程の探究である。
 『Desaceleradas』が提示する未知の聴取体験は、アンビエント的静謐を参照しながらも、その中心には「ひずんだ時間経験」の提示がある。音は歪み、時間は断絶し、身体感覚は宙づりにされる。デビットは音楽の享楽性を細かく解体し、アンビエント音響へ再構築する。クンビアの奥底に沈殿していた郷愁、孤独、断絶の残響を、彼女はアンビエントとして抽出していく。
 6曲目 “Cholombia, MTY” は、メキシコ北部都市文化特有のサウンドスケープが電子的腐食を受け、ゆっくりと溶解していく。南米的インダストリアル・アンビエントとでも呼びたくなるような楽曲だ。7曲目 “El Puente del Papa” では、アコーディオンの旋律がノイズの雲間から一瞬姿を見せ、すぐに消える。記憶の内部にしか存在しない旋律を徹底して音響化したトラックであり、ザ・ケアテイカーの手法とも通じる。11曲目 “Desaceleradas” では、全編に散在した残響がゆっくりと時間へ回収されていき、減退・縮減・遅延・消失といった音響的主題が見事に収束する。

 デビットが本作で突きつける問いは明快だ。「テクノロジーによって減速された身体は、どのように記憶を保持し得るのか」である。スロー化とは単なるテンポ変更ではない。そうではなく「経験の速度そのものの編集」だ。情報加速が感覚の空洞化を生む現代社会において、彼女は「減速」を抵抗と再生の手段として提示する。かつてモンテレイのストリートで生まれたスロウダウンしたリズムは、21世紀の情報社会における〈遅延の抵抗装置〉として再活性化されていくのだ。
 『Desaceleradas』は、クンビアの亡霊的残響とテクノロジー処理が交差する音響を描き出すわけだ。「減速」という操作がもたらすのは、音楽の文化的再配置であり、記憶の再編集なのである。アンビエントでもドローンでもなく、しかしアンビエントでもありドローンでもある。クラブ文化の記憶を遠く反射させながら、デビットの音は既存の系譜への回収を拒む。身体、時間、地域性、テクノロジー、電子処理。それらの境界線を曖昧化し、音楽/音響の定義を問い直していくのだ。
 速度を落とすこと。音を溶解させること。そして、沈黙を聴くこと。デビットの手にかかれば、それら一つひとつが文化的抵抗であり、過去と未来への「祈り」なのである。

本邦初のイギリス現代思想案内

インタヴュー
國分功一郎毛利嘉孝田崎英明宮﨑裕助

資本主義リアリズム、思弁的実在論、加速主義、ゼノフェミニズム
そしてカルチュラル・スタディーズの功績とは
押さえておきたいキーワードを解説

●マーク・フィッシャー入門――その音楽批評から加速主義との関係、うつ病、最終講義のポイント、現代アートへの影響まで
●初めて触れる読者のための、マーク・フィッシャー著作案内――『資本主義リアリズム』『わが人生の幽霊たち』『奇妙なものとぞっとするもの』『K-PUNK』『ポスト資本主義の欲望』それぞれの解題から未邦訳テキストの紹介、そして彼が手がけた出版事業まで
●ポール・ギルロイの功績、現代のキーパーソンたち=レイ・ブラシエ、オーウェン・ハサリー、アルベルト・トスカーノらの思想、サイバーフェミニズム、イギリスにおけるマルクス主義の系譜、ほか

執筆
イアン・F・マーティン/野田努/河野真太郎/鈴木慎一郎/有元健/仲山ひふみ/幸村燕/清水知子/水嶋一憲/平山悠/大岩雄典/宮田勇生/安藤歴/杉田俊介/大橋完太郎/原塁/飯田麻結/山本浩貴/星野真志/長原豊/小林拓音

装幀:SLOGAN
菊判220×148/並製/256ページ

目次

【インタヴュー】
國分功一郎 今こそ階級闘争を仕掛けるとき──イギリス滞在時に感じたこと
 ▶イギリスと日本の違い│社会の幼年期に注目する必要がある│こちらから階級闘争を仕掛けなければならない│自然と満足できるように│新しい病としての「うつ病」│今こそフィヒテを読みなおすとき
毛利嘉孝 自分たちの知をつくること──大衆文化にラディカルな思想が流れこむ
 ▶イギリスだからこそカルチュラル・スタディーズは生まれた│知をアカデミズムに閉じこめない風土│スチュアート・ホールの功績│ストリート出身のポール・ギルロイが変えたこと│ヨーロッパの理論はイギリスでどう受けいれられたのか│マーク・フィッシャーが残したもの
田崎英明 ジェンダーも人種も、階級とセットで考えよう──アイデンティティ・ポリティクスが批判される背景
 ▶加速主義を切り捨ててはいけない│なぜ労働はなくならないのか│イギリスとフランスは交流が盛ん│イギリスにはアルチュセール派の影響が大きい│マルクス主義とフェミニズム/クィア理論は共闘できるか│シニシズムに陥らないために
宮﨑裕助 私たちの世界には根本的に幽霊がいる──デリダ研究者から見たマーク・フィッシャー
 ▶デリダ研究を牽引していたのは英語圏だった│ロンドンは世界各地から知が集まる場所│亡命知識人たちがつなぐ世界│ポップ・カルチャーに思想が侵入する│もともとの憑在論の意味について│イギリス現代思想の未来

【マーク・フィッシャー著作案内】
『資本主義リアリズム』(仲山ひふみ)/『わが人生の幽霊たち』(平山悠)/『奇妙なものとぞっとするもの』(大岩雄典)/『K-PUNK』(宮田勇生)/『ポスト資本主義の欲望』(安藤歴)/その他のテクスト(仲山ひふみ)/ゼロ・ブックスとリピーター・ブックス(仲山ひふみ)

【ポール・ギルロイの功績】
黒い大西洋(鈴木慎一郎)/ポストコロニアル・メランコリア(有元健)

【コラム】
道は一本ではない、とマーク・フィッシャーの音楽批評は示している(イアン・F・マーティン/青木絵美訳)
ポピュラー文化との共鳴にこそ興奮するイギリスの論客たち──レイモンド・ウィリアムズからバーミンガム学派へ、そしてフィッシャーへ(野田努)
成人教育はポストフォーディズムの侍従か──マーク・フィッシャーのカルチュラル・スタディーズ的出自(河野真太郎)
レイ・ブラシエと哲学の未来(仲山ひふみ)
加速主義以後の加速主義と加速主義的なもの(幸村燕)
憑在論的メランコリアを超えて──マーク・フィッシャーとサイバーフェミニズムの行方(清水知子)
月曜の朝のかすかな光──マーク・フィッシャーと加速主義(水嶋一憲)
鬱病リアリズムという提案──生き延びることの肯定に向けて(杉田俊介)
『ポスト資本主義の欲望』講義の続き──欲望の向きをいかに定めようか(大橋完太郎)
旅をして夢をみる──《消滅していく土地について》とふたつの「イーリーなもの」(原塁)
亡霊の足跡(あるいはDo It With Style)(飯田麻結)
イギリス現代アートにおけるマーク・フィッシャーの影響──オトリス・グループとスペキュラティブ・テートを中心に(山本浩貴)
オーウェン・ハサリー──闘争するモダニスト(星野真志)
馬鈴薯と袋と資本とその主義(ファシズム)(長原豊)
ぎょっとするホブゴブリンがブリテンのあちこちではびこっている──イギリスにおけるマルクス主義の大雑把な見取図(小林拓音)

[共同監修者プロフィール]
仲山ひふみ(なかやま・ひふみ)
批評家。主な寄稿に「加速主義」(『現代思想』2019年5月臨時増刊号)、「ポストモダンの非常出口、ポストトゥルースの建築――フレドリック・ジェイムソンからレザ・ネガレスタニへ」(『10+1 website』2019年10月号)など。レイ・ブラシエ『解き放たれた無──啓蒙と絶滅』(河出書房新社、2026年)を共訳。

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・仲山ひふみによる記事
Aaron Dilloway Japan Tour 2023@落合Soup (2023/2/11) ライヴ(デッド)レポート
不気味なものの批評を超えて──マーク・フィッシャー『奇妙なものとぞっとするもの』紹介

2025年のFINALBY( ) - ele-king

 この過去の夏、大阪の歴史的建造物であるミソノビルの閉鎖/解体の発表に対する悲しみは、その歴史と長寿を祝うための一連のパフォーマンスによって明るいものとなった。7月5日に予定されていたそのパフォーマンスのひとつは、∈Y∋(BOREDOMS)による新プロジェクトFINALBY( )(発音 ― Final B Empty/ファイナルビーエンプティ)であり、大阪を拠点とするCOSMIC LABとのコラボレーションであった。大阪音楽シーンの伝説である∈Y∋は、間違いなく、このビルの長寿を祝う最適な人物だった。興奮した私は、すぐにチケットを購入し、関西への旅を計画した。不運なことに、いまはもう11月の終わりであり、スケジュールの都合でその旅をキャンセルせざるを得なかったことに、いまだに軽い痛みを覚える。ああ、なんという惨めさ! 叶わなかった夏の記憶。家に居なければならなかった悲しみは、ほとんど耐えがたいものだった。

 しかし運命とは不思議なもので、東京では∈Y∋関連のイベントが次々と行われている。逃した夏の機会を補って余りあるほどに。∈Y∋は渋谷の中心ど真ん中、ミヤシタパーク3階のgallery SAIで開催された新しい展覧会Mapocy(まぽチー)のために東京に戻って、さらに、歌舞伎町のZERO TOKYOにおけるFINALBY( )の東京初演があった。それから、歌舞伎町の王城ビルでのBENTEN2のための∈Y∋の2024年のARV100パフォーマンスのマルチスクリーン・インスタレーションもあって、Art Tokyo Week でのC.O.L.O.(COSMICLAB)による小さなサプライズ・コンサート、さらに締めくくりとしてMUTEK Japanの巨大ステージでのC.O.L.O.とのユニークなオーディオ・ヴィジュアル・パフォーマンスがあった。
 日本のオルタナティヴ・シーンにおける最大級の革新者としての∈Y∋の多く多くの年月にもかかわらず、BOREDOMSの非活動とより散発的なソロ活動が相まって、∈Y∋は数年間“混沌の中心”にいなかった。だからこそ、半年の間にこれだけ多くのイベントがあることは、一種の“再紹介”のように感じられる。新たな歴史をつくるための完璧なタイミングだ。私が最後にBOREDOMSのライヴを見たときのひとつは、∈Y∋がステージ上で足を骨折し、痛みにもかかわらず演奏を続けたときだった。だから、まだ気づいていないなら言っておくが、∈Y∋関連の出来事はしばしば歴史的なのだ。私はこの秋のこれらすべての素晴らしい体験をレポートにまとめた。

MAPOCY

 5つの部屋に分かれ、とくに4つ目はほとんど“隠し部屋”のようなサプライズになっている。本展「MAPOCY」は、∈Y∋のジャンク・アート的な作風を巨大インスタレーションとして展開したもので、現在も活動をともにするPUZZLE PUNKSのパートナー、マルチメディア・アーティストの大竹伸朗の気配と、彼がしばしば扱うドラムのシンバルというモチーフが混ざり合っている。
 まず圧倒されるのは、とにかく“緑”。これでもかというほど緑。壁に取り付けられたキャンバス、シンバル、ビニールシート、ガラクタの数々——あらゆるものに緑のペンキがぶちまけられている。床にまで飛び散っていて、空間全体が緑色の施工現場のようでもあり、同時に、初期∈Y∋作品でも見られた木片の寄せ集めによるギザギザの形状がそこかしこに出現している。
 ひとつ目の部屋は床と壁にオブジェが置かれた比較的ゆとりのある空間だったが、ふたつ目に入ると一転、大小さまざまな物体が山のように積み上がり、すべてが同じ緑に染められている。天井からはビニールシートが垂れ下がり、換気用のファンが絶えず唸っている。最初はまとまった形など見えず、ただ“ノイズ”だけがある。正直なところ非常に混乱を招く展示だが、もし音楽におけるノイズに惹かれる人なら、聴覚的ノイズと物質としてのノイズに大差はないとすぐ理解できるだろう。
 混沌は3つ目の部屋でも続く。奥の隅にほとんど真っ暗な空間へと続く黒い入口が見え、その向こうに“4つ目の部屋”がある。ここはFINALBY( )のメンバーたちと制作した映像作品が、三面の細長いクリーンに巻物のように投影されるダイナミックな空間だ。黒いビニールシートで覆われた小さな穴をくぐって入ると、モノクロームの点滅するプログラム図形と、轟音のノイズ・ミュージックが部屋全体を震わせている。精密にピクセル化された映像は、伝統的なアジアの雲や花の意匠を再構成し、左右から現れては中央でぶつかり、新たな幾何学へと変容していく。その視覚的なカオスは池田亮司のもっとも衝撃的な作品を思わせつつ、より柔らかく親しみのある感触を残す。ここを先に観たことで続くFINALBY( )のライブがどのようなものになるのか、無自覚のままヒントを得ることになった。
 最後の5つ目の部屋は、これまでの強烈な表現から一度“息をつかせる”空間だ。出口前の壁一面に、古い手描き作品と実際のアナログ盤が組み合わされて展示されており、紙のドローイングという∈Y∋の原点的な表現へと立ち返る、一種の後味として配置されている。

FINALBY( )

 FINALBY( )が初めて姿を現したのは、観客の多くがその存在を知らぬまま迎えた2021年のフジロックだった。以来、その公演歴は香港、大阪、そして今回の東京のみと極めて限定的だ。∈Y∋が音楽家であると同時に卓越したヴィジュアル・アーティストであることはよく知られているが、これほどまでにステージ上で視覚と音響が正面衝突した例は稀だ。私の目には、テクノロジーを全面的にアップデートして蘇った現代版ハナタラシのようにも映る。∈Y∋は、身体性を伴う新しいパフォーマンスを構築しており、それはパフォーマンス・アートと、ノイズマシンや照明、センサーと接続されたオブジェ群とが密接に絡み合ったものだ。この技術面を支えるFINALBY( )の共同制作者は、COSMIC LAB(C.O.L.O.主宰)、アートエンジニアの堀尾寛太、そしてプログラマーの新美太基である。デジタライズされた∈Y∋——まさにテクノロジー時代が生んだ独自の結晶だと言える。
 私自身、この新しい方向性の萌芽を、パンデミック前の原宿で偶然目撃する幸運に恵まれた。2019年、TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku で開催されたBOREDOMSのTシャツ展でのことだ。∈Y∋はフェイスマイクを付け、両手に装着したモーション・センサー内蔵のサウンドマシンからノイズを放ちながら、黒いジャケットの下に隠れた装置を動かし、通常のマイクに縛られない歌唱を試みていた。ここにはすでにFINALBY( )の原型があった。また、このとき∈Y∋は巨大な円錐形オブジェへの偏愛を初めて披露している。黒いコーンの底部にセンサーが仕込まれており、それを持ち上げて振るたび、音は揺らぎ、形状の奇妙さも相まって視覚的にも滑稽で魅力的だった。背後には技術面を支えるエンジニアが控えており、30名ほどのファンしかいない小部屋での濃密な光景は、後に東京で結実するまでに6年かかった構想の出発点を示していた。

 FINALBY( )を観に行く前、気分を高めようと私はBOREDOMSの入手困難な問題作『Super Roots 5』を久々に取り出した。重厚なドラムとシンバルへ傾斜していく初期段階にあたる一枚で、1曲=1時間という構成、ほぼ一本調子の宇宙的トーンに泡立つノイズとシンバルが折り重なる——「曲」というより「体験」だ。これを聴くと、1982年のある出来事を思い出す。
 1982年、前衛ギタリスト/作曲家グレン・ブランカは『Symphony No.2 – The Peak of the Sacred』をライヴで披露した。副題「聖性の頂」は本来その作品固有のものだが、彼のエモーショナルな創作全般を言い当てる表現でもある。複雑な転調をほぼ廃したこの交響曲は、天上のエネルギーが雷鳴のように連続して吹き荒れる、彼の作品中もっとも強烈な体験のひとつだった。
「聖性の頂」とは、人間が自己を超越するための、絶えず恍惚と狂喜を更新し続ける音楽を指す。∈Y∋がBOADRUMシリーズやその他の公演で追求してきた方向性は、明言されていなくとも、まさにその頂点に向かう試みだったと私は感じている。「曲」よりも「経験」を重視する姿勢——それは彼の精神性と音楽性が複雑に深化してきた証でもある。FINALBY( )の公演中、∈Y∋はまさにその「聖性の頂」に到達しようとしていた。

2025年10月25日 FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED
presented by COSMIC LAB & TST ENTERTAINMENT CO.,LTD.

FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

 当日の「FINALBY( )Live in 歌舞伎町Expanded」というフルタイトルの公演は、実に2時間ノンストップのパフォーマンス作品だった。事前告知からは想像もできない構成である。チケットを買った時点で「2時間」とあったため、DJか何かが挟まるのだろうと勝手に思っていたが、違った。2時間まるごとが、巨大なノイズの奔流と悦楽的ヴィジュアルの対話で満ちていた。
 ステージ中央には、光に照らされ巨大なカップケーキのように見える“何か”が鎮座している。後にそれが、∈Y∋ がジェンベのように叩くノイズ・ジェネレーターであると知った。ステージ上には複数のコーンが配置され、最大のものは宙吊りになっていて、∈Y∋の身長を完全に覆うほど巨大だった(実際、後半で∈Y∋がその内部に隠れる場面があった)。さらに、フロア中央、観客のほとんどが囲むようにして別の巨大コーンが置かれ、公演後半ではそのコーンが発光し、∈Y∋の手で回転させられる仕掛けになっていた。
 ZEROTOKYOという会場は、巨大なメインスクリーンに加え、左右と背後にも細長いスクリーンが連なる独特の構造で、360度的な没入感を生み出す。MAPOCYで見たモノクロームのデジタル雲はここでも再登場し、背面や側面から湧き上がるため、観客は携帯で“映え”を狙う余裕を失い、その瞬間に没入せざるを得なくなる。近年まれに見る、記録では再現不可能な体験だった。
 奇妙なパンク・バンドから出発し、90分超の儀式的公演を構築できる存在へと変貌したBOREDOMS。その中心人物である∈Y∋は、観客の細胞レベルに作用する「悟性の構造」を知り尽くしている。聖性の頂。

 公演の最後、∈Y∋は稀にみる“口頭での解説”を行い、コーンの群れを「家族」だと呼んだ。FINALBY( )の本当のメンバーはコーンであり、人間はその媒体にすぎないのだと。※詳しくは∈Y∋本人が10月26日付でInstagramに投稿した説明を参照してほしい。
 この一連の経験は、初期舞踏、ローリー・アンダーソン、フィリップ・グラスらの系譜に連なる、ダイナミックなパフォーマンスアートの華麗な再誕に等しかった。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

∈Y∋ × C.O.L.O(COSMICLAB)@ MUTEK JAPAN

 渋谷で開催されたMUTEK JAPAN 2025で、∈Y∋はC.O.L.O.とともに初めてこのフェスのステージに立った。ART WEEK TOKYO(11月5日)のサプライズ公演をさらに拡張し、より長く、より“怪物的”な形で提示したものだ。FINALBY( )とは異なり、形式上は伝統的なオーディオビジュアル公演に近いが、幸いにも遥かに奔放だった。多くのMUTEK出演者が“引き算の美学”で勝負するなか、これは「足し算の極北」とも呼べる公演だった。
 FINALBY( )が2時間のノイズの海へ沈めるような体験だったのに対し、今回の2人は長いテーブルに並んで立ち、背後の巨大スクリーンとともに、∈Y∋のDJ PICA PICA PICA的な狂騒を現代化したような世界を作り上げた。FINALBY( )のノイズ成分と、モノクロームのフリッカー映像、そして近年∈Y∋が執着するハイパー・サイケデリックなシンゲリ(singeli)が高密度に衝突し合う。言語化困難なコラージュも大量に挟まれる。
 ∈Y∋の音楽とヴィジュアルは、まるでドラッグまみれのポップアートだ。C.O.L.O.は∈Y∋の衝動を鏡のように反射し、狂気じみたフリッカー花、精神を攪拌する幾何学模様、スクリーンいっぱいの“眼”、ハートやブタの絵文字が奇妙な規則性で踊り、そのあとにはスローモーションのデコトラ事故寸前3D映像が続く。強度は綿密に計算され、現実味がないほど完璧だった。息つく暇もない全頭脳的ラッシュ。

 ここ数ヶ月の間に、∈Y∋の唯一無二の表現が多角的に更新される様子を目撃してきた者として、2026年にさらに何が生まれるのか、ただ祈るばかりである。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda


Sadness at the announcement of the closing / demolition of the historic Misono building in Osaka this past summer was brightened with a string of performances to celebrate the history and longevity of the famous landmark. One of those performances, scheduled on July 5th, was EYE`s (Boredoms) new project FinalBy ( ) **(pronounced - Final B Empty) (ファイナルビーエンプティ), a

collaboration with Osaka based COSMICLAB. EYE, a legend in the the Osaka music scene, was definitely the best choice to celebrate the building`s longetivity. Excited, I immediately purchased and planned my trip to Kansai. Unfortunately, it`s now the end of November and I still feel a light sting of having had to cancel said trip due to schedule conflicts. Oh the misery! A summer memory unrealized. My sadness at having to stay home was almost unbearable.

Fate though works wonders and Tokyo is enjoying a string of of EYE related events. More than enough to make up for the missed summer opportunity. EYE has returned to Tokyo for a new exhibition, Mapocy (まぽチー), smack dab in the center of Shibuya

on the third floor of Miyashita Park at gallery SAI, the Tokyo premiere of FINALBY ( ) at ZERO TOKYO in Kabukicho, a multi- screen installation of EYE`s ARV100 performance in 2024 for BENTEN2 at 王城ビル (also in Kabukicho), a small surprise concert

with C.O.L.O. (COSMICLAB) at Art Tokyo Week, and a unique audiovisual performance with C.O.L.O. on a huge stage for MUTEK Japan to round it out. Despite EYE`s many many years as one of the greatest innovators in the alternative scenes of Japan, the inactivity of the Boredoms coupled with more sporadic solo

activities means that EYE hasn`t been at the center of the chaos for some years. So with this many events within just half a year, it feels like a reintroduction of sorts. Perfect for creating new history. One of the last times I saw the Boredoms live was when EYE broke his leg on stage and kept performing despite the pain. So if you haven`t guessed so far, anything EYE related is often historic. I have compiled all of these great experiences this fall in a report.

MAPOCY

Separated into 5 rooms with the 4th almost a secret surprise, MAPOCY reflects EYE`s junk art style as a large installation closely in line with his ongoing PUZZLE PUNKS partner, multi-media artist Ohtake Shinro, mixed with his other common collaborator, the drum cymbal.

The installation is very, very, very, very, very green. Green paint splattered on canvases installed on the walls, on cymbals, on plastic sheets, on junk items. There is green paint literally everywhere including the floor. Almost like an artistic, construction site mixed with wooden assemblages, created into jagged shapes you can see in older EYE works. While the first room was spacious with objects on the floor and wall, the second room was chaotically littered and piled up with numerous objects of different types completely splattered with the same green paint, plastic sheets hanging down and a fan constantly going to keep possible fumes from making anyone sick. There were no coherent shapes at first, just noise. The site is honestly incredibly confusing and confounding but if you have any taste for noise in your music, I would say there is no difference between aural noise or physical noise.


The chaos continues in the 3rd room where in the far corner you might see a dark entrance way into a near pitch black room. The 4th room is a dynamic 3 wall screen scroll-like video of his work with the other members of FINALBY ( ). Only viewable by entering through a small hole created with black plastic sheets, the room literally reverberates with the intensity of the monochrome flashing programmed shapes and the noise music blasting. The images carefully pixelated reimagine traditional Asian cloud flower designs colliding into each other becoming new geometry. Often starting from the far left and far right side, they eventually meet in the center and evolve into new forms. The visual cacophony reminded me of Ikeda Ryoji`s most impactful works but with a fresh and friendly take. Visiting this exhibition first gave me a good unknowing hint of what the following FINALBY ( ) would be like.

The last room is a calm down from the bold expressions of the previous ones. Only one wall of older very familiar hand drawn art combined with physical lps before the exit, it was an interesting last taste offering a comparison to EYE`s initial choice of expression - paper drawings.

FINALBY ( )

FINALBY ( ) first debuted at Fuji Rock in 2021 in front of an unknowing crowd. Since then, FINALBY ( ) has performed only in Hong Kong, Osaka, and now Tokyo. We all know that EYE is a visual artist on top of being a musician but rarely has his visual side collided justly with the music on stage. Like an updated and rebirthed technological Hanatarash (by my eye), EYE has developed a new strong, physical performance more like


performance art coupled with objects connected to noise machines, lights, and sensors. His technical collaborators = other members of FINALBY ( ) are COSMICLAB (directed by C.O.L.O.), art engineer Horio Kanta, and programmer Niimi Taiki. This is very much a digitized EYE. Without a doubt a unique combination of our technical age.

I was lucky enough to witness the beginning of this new venture toward multi media in a small room in Harajuku before the pandemic. At TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku in 2019 for a BOREDOMS t-shirt exhibition, EYE wore a face mic and a black jacket somewhat covering two motion detecting sound machines attached to both his hands that emitted noises. Activating the sensors with motion and singing unbound by a regular mic, EYE was experimenting with the beginning of what would become FINALBY ( ). Here EYE also introduced his obsession with large cones as sound devices. To match his clothing, EYE had a black cone with sensors on the bottom. Picking it up and waving it around affected the sounds emitted and provided funny eye candy as cones are naturally bottom heavy and odd shaped. Behind EYE was an engineer to support the technical side of the performance. Having witnessed this very intimate performance in a room full of 30 or so fans, I can now see the initial development and vision that took 6 years to materialize in Tokyo.

To prepare and hype myself up for going to see FINALBY
( ), I dusted off a copy of the Boredoms` Super Roots 5, one of their most difficult to attain recordings and also their most abstract. At the beginning of their heavy drum and cymbal phase, the one track album is one hour long and basically one long cosmic tone

maintained straight with bubbling noise and cymbals. There is no song per se. Only a holy experience. This reminds me of 1982.

In 1982, the avant garde guitar composer, Glenn Branca performed live his work Symphony 2 with the added title “The Peak of the Sacred.” Only meant for that work in particular, that title though often describes much of his most emotional work. Symphony 2, one of the least complex of his works in terms of multiple chord changes, was one of his best for the sheer intensity and almost god-like continuous blasts of angelic amorphous energy that felt like thunder in the air.

The idea of the peak of the sacred evokes music that is continuously euphoric and orgasmic for humans to rise beyond themselves. EYE`s direction of the Boredoms with the BOADRUM series and other performances I feel were meant to reach “ the peak of the sacred” whether explicitly expressed or not. EYE`s focus on the “experience” over the “song” illustrates his evolving and complex mental state and music focus since then. Throughout FINALBY
( ), I keenly felt EYE reach “ the peak of the sacred” as only he could.

FINALBY ( ) Live in Kabukicho Expanded (the full title of the night) was a 2 hour uninterrupted performance art piece which didn't advertise itself to be that. Genius. When purchasing the ticket, I noticed that the performance was supposed to be 2 hours but I assumed that there would be a dj or something. No, it was 2 full hours of huge blasts of noise with EYE and matching euphoric visuals designed to create a dialogue that worked very perfectly.

On stage at the center was a “thing” that I could only describe as a light illuminated huge cupcake. That “thing” I learned later was a noise generator that EYE could tap at like a djembe. Across the

stage were several more cones with the largest suspended in air at the front of stage so massive it could cover EYE from head to toe (which it later did). In the center of the floor surrounded by the majority of the audience right before the sound and visual mixing booth of another huge - I do mean huge - cone on a platform that later would light and spin in a circle pushed by EYE. During the performance EYE moved back and forth from the stage to the floor centered cone. ZEROTOKYO, for the many who have never been inside it, is a venue unique in having not only a huge stage screen but long thin screens on the left, right, and back wall making a 360 degree surround experience.

The monochrome digital clouds from Mapocy re-introduced themselves here, they emerged from the back and the sides making everyone have to be present in the moment instead of looking for the next instagram moment with their phones. Unlike any performance I have been to in years, this was first time in ages where no documentation could do justice to each person`s experience that night. Whether with the noise assault or the constantly shifting orientation of the images.

EYE, having changed the Boredoms from an unusual, quirky punk group to a band capable of performing hour and a half concerts has attained the psychological knowledge few have of how to construct enlightening performances of such depth that change the molecules of the crowd. The peak of the sacred.

EYE named the group of cones a family and stated so at the end of the performance in a rare commentary of his ideas to the audience. The cones were a family and the real members of FINALBY ( ) making the human members only conduits. *** Please refer to his exact explanation of the cones posted on

October 26th on EYE`s own Instagram account. The total experience felt like a great rebirth of dynamic performance art in the tradition of early Butoh, Laurie Anderson, Philip Glass, and others.

EYE with C.O.L.O of COSMICLAB at MUTEK JAPAN

Held in Shibuya, EYE for the first time ever graced the stage of the 2025 edition of MUTEK JAPAN with C.O.L.O. (COSMICLAB) presenting a more fantastic and longer version of the surprise performance they did for ART WEEK TOKYO on Nov. 5. Unlike FINALBY ( ), this performance was closer to a traditional audiovisual performance but luckily more unhinged. Most performers of MUTEK try to impress with a less-is-more aesthetic but this was a case of more-is-so-much-more one. The FINALBY (
) concert was a submersion in 2 hours of near constant noise. The MUTEK performance of C.O.L.O. and EYE, standing together at a long table shadowed by a huge screen behind, was closer to EYE`s manic DJ PICA PICA PICA mix style. An incredible soup of noise portions of FINALBY ( ) with the same monochrome flicker visuals side by side with hyper psychedelic hardcore singeli music reflecting his ongoing fascination with the manic genre. And tons of near indescribable collages in between.

EYE`s music and visual style is like pop art on acid. C.O.L.O. convinced me he was the best collaborator for EYE, brilliantly reflecting EYE`s impulses assaulting the audience with demented flicker flowers, mind-altering geometry, a sea of eyes (totally tongue in cheek), heart and pig emojis dancing across the screen in similar patterns followed by near collision slow motion disaster 3D video game scenes of Dekotora trucks loosing their wheels. The intensity


was beautifully calculated and unreal. A full head rush with barely a moment to breath.

With so many perspectives of EYE`s singular always evolving expression in only a few months time, I can only pray that 2026 brings us more.

キャロライン二階堂和美Tocago

特集:日本のシンガーソングライター、その新しい気配
featuring 中野ミホ、井上園子、heimrecord
エクスペリメンタル系SSW/クィアの表現/新潮流ディスクガイド30、ほか

2025年ベスト・アルバム発表

cover photo by Yuichiro Noda

菊判218×152/160ページ
*レコード店およびアマゾンでは12月18日(木)に、書店では12月25日(木)に発売となります。

編集部より、お詫びと刊行のお知らせ

【目次】
キャロライン、インタヴュー(ジェイムズ・ハッドフィールド/野田祐一郎/江口理恵)
二階堂和美、インタヴュー(水越真紀)
Tocago、インタヴュー(野田努/野田祐一郎)

特集:日本のシンガーソングライター、その新しい気配

「シンガーソングライター」とは何か?(野田努)
オルタナティヴとしてのフォーク主義(松永良平)
小さき者たちの矜持(岡村詩野)
中野ミホ、インタヴュー(風間一慶/川島悠輝)
井上園子の登場は衝撃だった(大石始)
井上園子が選ぶ2025年もっともよく聴いた5枚
ヘイムラコルトが漂わせるノスタルジー(峯大貴)
ヘイムラコルトが選ぶ2025年もっともよく聴いた5枚
新潮流ディスクガイド30
(天野龍太郎、峯大貴、松島広人、小林拓音、田中亮太、風間一慶、野田努、三田格)
ポップスにクィアの想いを溶けこませる(木津毅)
シンガーソングライターに惹かれない理由(三田格)
エクスペリメンタル系SSW(野田努)

2025年ベスト・アルバム30枚
リイシュー&アーカイヴ23選

●ジャンル別チャート
テクノ(猪股恭哉)│インディ・ロック(天野龍太郎)│ジャズ(小川充)│ヒップホップ(高橋芳朗)│ハウス(猪股恭哉)│エクスペリメンタル(ジェイムズ・ハッドフィールド/青木絵美)│ポスト・ハイパーポップ(松島広人)│レゲエ/ダブ(河村祐介)│アンビエント(三田格)
●コントリビューター・チャート
青木絵美、天野龍太郎、小川充、小山田米呂、Casanova.S、河村祐介、木津毅、緊那羅:Desi La、篠田ミル、柴崎祐二、柴田碧(パソコン音楽クラブ)、高橋智子、TUDA、つやちゃん、DJ Emerald、デンシノオト、橋本徹、ジェイムズ・ハッドフィールド、二木信、Mars89、イアン・F・マーティン、松島広人、三田格

2025年のオアシス現象、その拭いがたき違和感(野田努)

プロフィール

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紀伊國屋書店
MARUZEN JUNKUDO
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全国実店舗の在庫状況
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三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/戸田書店、ほか
有隣堂
くまざわ書店
TSUTAYA
大垣書店
未来屋書店/アシーネ

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お詫びと訂正

このたびは『ele-king vol.36』をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
同書に誤りがありましたため、謹んで訂正いたしますとともに、
お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

●1ページ下段中央および137ページ左上

誤 DJ Emerlard
正 DJ Emerald

●155ページ上段後ろから8行目

誤 磯部(拓)→ここも森の発言 この時期は本当に暗い曲ばっかで、
正 この時期は本当に暗い曲ばっかで、

●155ページ下段4行目

誤 磯部(拓) ライヴで〝家〟をやったとき、
正 ライヴで〝家〟をやったとき、

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下、OPN)ことダニエル・ロパティンによる11作目のアルバム『Tranquilizer』が11月21日にリリースされた。その前夜、原宿に期間限定で展開されているBEATINK Listening Spaceでは先行試聴イベントが開催。一足早く、なおかつ高音質で『Tranquilizer』のサウンドを体験するために、OPN愛に溢れるリスナーが集った。
 高音質というのは、BEATINK Listening Spaceに設置された、「正確で曇りのない音」をコンセプトに掲げるドメスティック・スピーカー・ブランド、BWVによる最高音質のスピーカー・システムのみに由来するわけではない。今回は特別にオーディオ専門家視点で高音質の録音メディアの最高位とされるオープン・リール・デッキが導入。このオープン・リール・デッキは、スイスの老舗オーディオ・メーカーであるREVOX社製で、プロの現場でも親しまれてきた名機の最新型である。
 いわゆるヴェイパーウェイヴと呼ばれるジャンルの代表的アーティストとして名前を挙げられることも少なくないOPNの最新作を、このようなハイエンドな環境でリリースの前夜に聴くことに、この日、この場所に集まったリスナーがどのように価値をつけるのかはそれぞれの物差しに依るだろうが、とはいえ、特別な時間/空間だったことは間違いない。というのも、視聴前、視聴中と会場にはえも言われぬ緊張感が充満していたのだ。おそらく、それは見ず知らずの人とまだ聴いたことのない音楽を同じ場所で聴く緊張感というよりも、長いキャリアの中で様々なコンセプトを持って制作に取り組み、世界中のリスナーを知的かつ身体的に楽しませてきたOPNが作品に込めた意図を一聴して理解できるのだろうか、という自問によるところが大きいだろう。そこには要するに、ラーメンではなく情報を有難がって摂取しているというような状況が音楽にも往往にしてある中で、OPNの新作とほとんど情報のない状態で対峙する緊張感とスリルが立ち込めていたのである。

 視聴会は主催するビートインクのスタッフによる(おそらく、あえて作品そのもののコンセプトや背景に一切触れない)簡単な説明が終わるとすぐさまスタートする。ビートと呼べるものがほとんど存在せず、しかしカオスで、同時に美しい音の鎮座する前半。視聴会後のトークに登壇したOtagiriが触れていたように、オーディエンスはビートのない中でどこか節のようなものを見つけてかすかに揺れていたり(その揺れはそれぞれズレていたりもする)、じっと動かずに耳を傾けていたりと思い思いに楽しんでいたが、その掴めなさゆえだろうか、どこからどこまでが同じ曲というのもわからない状態だったのもあるが、場を支配している緊張感はむしろ膨らんでいたようにも感じる。
 オープン・リール・デッキの特性上テープの入れ替えで10分程度の小休憩が挟まれて、『Tranquilizer』の後半が再生される。後半、つまり終わりが見えてきているとはいえ、いつ終わるのかもわからない中でアルバムを聴くという行為は現代において極めて特殊で会場を覆う緊張感が途切れることは決してなかった。ただ、とりわけ終盤の激しいビートが登場し、アルバムが明確にクライマックスへと向かっていく段階では、その緊張の糸にほんの少し緩みが現れていたようで、視聴会を終えたリスナーの多くは安堵と満足感の混じりあったような表情を浮かべていたように思う。

 視聴会が終了すると、GILLOCHINDOX☆GILLOCHINDAEが主宰する、現代美術の展覧会とライヴを組み合わせたプロジェクト『獸(JYU)』などでアート・ディレクションやグラフィック・デザインを手がける八木幣二郎、社会的・政治的背景を帯びた音声や音響と音楽のあいだを往還する作品を制作する電子音楽家=Prius Missile、ラッパー/トラックメイカー/DJ として活動し『獸』にも出演するOtagiri がゲストとして登壇しトークがスタート。ここで重要だったのが、自己紹介より先にPrius Missileが『Tranquilizer』についてはっきりと「すごく音楽的」と評した瞬間だろう。筆者も含め、コンセプトや周辺情報を差し引いて、というかそういった情報の少ない中で作品に触れてまず抱いたであろう、「音楽として美しい、素晴らしい!」という感想を彼が代弁したことで、会場の緊張感は目に見えて崩れていった。
 その後、「到達していない未来から見た懐かしさ」のようなものを感じるという点でも共鳴しつつ、三者のトークが用意された資料に基づく“答え合わせ”にならず展開していったこともこのイベントを特別なものにしていただろう。それぞれが作り手としての視点とリスナーの視点を行き来しながら、『Tranquilizer』についての意見を交換していく。

 例えばPrius MissileはOPNを追いかけるリスナーの視点で最近の傾向をこう分析する。

「論じるよりも聴いた方が早いんですよね。例えば僕の大好きな『Replica』(2011年)は、その広告の音楽っていうルール、縛りをまず作って、それを音像に立ち上げるというような手法で制作されていて、何がどこからどうサンプリングされているかっていうのに論じ甲斐があるんですけど、特に最近のOPNのリリースに関しては聴くのがまず先。すごく絵画的というか、OPNの描いた情景をシェアしているような状態ですかね。その彼の文体がリリースを重ねる毎にアップデートされていて、それを追ってチェックしているような。この『Tranquilizer』はもっとシンセ・オタクとしてのOPNの、日頃作り溜めたアーカイヴ的なものという印象がすごくある」

 八木幣二郎は最新作のデザインと『Age Of』のデザインを比較してこう語る。

「OPNのジャケの話だと、『Age Of』ではDavid Rudnick(デヴィッド・ラドニック)という今の流行の一つのChrometypeの元祖のような人がやっていて。中世の音楽シーンを意識してあえて装飾的にロゴを作ったりしている人で。その次とかはちょっとサイケっぽくなって。今回のアルバムはElliott Elder(エリオット・エルダー)というロンドンの方がやっているんですけど、最近はブラック・ミュージック、ヒップホップ周辺でよく仕事をしている印象のある人なんです。彼がよくやるのは結構固めに組んだ文字をあえて印刷してスキャンして画像に取り込んでちょっと陰影とか紙のノイズ感とかを入れていくような手法で。そういう手触り感みたいなものを意識的に取り込んでいて、なおかつ高解像度のディスプレイで見られることを前提にしているから細かい文字もあえて使っていたりする。で、今回のアルバムを聴くと、細かい文字感とロゴっぽさってちょっと未来っぽく見えるんですよね。SFチックなデザインをあえてやっているんだろうなって」

 一方でOtagiriは手法が先か、デザインが先かという話題を登壇者に回しつつ、『Tranquilizer』から感じた羨ましさを紐解いていく。

「というのも私がイメージというものをあまり持ちながら創作をしたことがなくて、手法に寄っているんですけど、『Tranquilizer』はイメージと手法が一緒にあるような気がしたんです。イメージ先行は画家の場合だと「こんなこと描きたいのに、それが描けない、つらい」みたいな状況が起こる。手法が先だと、例えば私はヒップホップ的な、ラップ的なことやっているんですが、ヒップホップが一人称であることに昔から嫌悪感があって、誰よりかっこいいとか、金持ちだとか、強いとか、女の子にモテるとか、そういうのもいいんだけど、私はそういう人ではないし、もっと登場人物が勝手に喋ってくれればいいなと思っていた。だから今は6個世界を作って、世界ごとの主人公を作って。Chat GPTさんと協業しながらプロットを作って、その人たちがどんなことを喋るかというようなことをやっているんです。だから完璧に手法が先なんですね。と定義したときに、皆さんの話を聞いていて、イメージと手法が同時にあるようなものを羨ましい、それをやりたいって思ったんだろうなという気がしました」

 最後まで、共通する意見と、それぞれの視点が次々に現れ、示唆に富んだトークが展開されていった。そこには、みんなで集まって音楽を聴くこと、その感想を言い合うことの意義がたしかに存在していたのではないだろうか。トークは「明日別の環境で聴くのも楽しみ」「来年のライヴに行きましょう」といういわばありがちな締めによって終わるが、その頃には会場を満たしていた緊張感はすっかり溶け、代わりにそれぞれがそれぞれの視点でOPNの作品と向き合うことの尊さにも似た何かが漂っていた。それは紛れもなく、この特別な時間と空間の成果だろう。


 VINYLVERSEをご利用いただいているコアなユーザーの皆様にお話を伺う連載企画『ユーザーズ・ヴォイス』。今回で3回目となる本企画では、次は若い世代の声に耳を傾けたいと思い、白羽の矢を立てたのが「Kang」という名義でアカウントを運用されている23歳の中尾莞爾さんです。

 時代の主流とは異なるフォーマットであるレコードをあえて選ぶ。その選択の裏側には、どんな価値観や感覚があるのか。中尾さんの言葉を通して、レコード文化の“今”を少しでも浮き彫りにできたらと思います。


——こんにちは。中尾さん、今日はありがとうございます。 今回お声がけさせていただいたきっかけが、中尾さんが大学院でサブスク時代のレコードを研究されてるとプロフィールに書いてあったので、面白いお話が伺えるんじゃないかなと考えてお声がけさせていただきました。

中尾:はい。大変光栄です。ありがとうございます。
今は大学院修士1年なんですけど、2年間かけて研究していこうかなっていう感じで思っております。

——まず中尾さんがVINYLVERSEを知ったきっかけを教えてください。

中尾:はい、ele-kingで出しているVINYL GOES AROUND監修の『レコード復権の時代に』を読ませていただいて、内容がすごく面白かったのですが、その中のVINYLVERSEの記事を読んで、レコードっていう家の中にあるものをアウトプットするオンライン空間、そういうメディアって今までなかったなと思って、これはかなり面白いと思いまして、それで使わせていただきました。

——ありがとうございます。現在はどのように使われておりますでしょうか?

中尾:僕はコレクターって言うほど全然枚数を持ってなくて、ただ本当に買ったものをそのままアップしていて、今アップしているものがほぼ全部なんですけど、 レコードを買ってはVINYLVERSEに乗っけて、例えば友達と話をする時に、「俺こんなレコード持ってるよ」っていう風に画面で説明したりだとか 。あとはなんだろうな。それこそ自分で眺めて、「俺こんなん持ってたわ」みたいな、そういう確認をする時によく使わせていただいております。

——VINYLVERSEに何かしら興味を持たれているのであれば、その魅力ってなんでしょうか。

中尾:肌感覚の話になってしまうのですが、僕って音楽の話をするのがすごく苦手なんです。 例えば「好きな音楽は何?」って聞かれた時に自分の本当に好きなものを言えない。これって割と最近の若者全体に、この風潮があると思っているんですけど、その時にフィジカルを持っているっていうこと自体が自分の中での、 自信というか「その音楽を好きで、理解しているひとつの根拠になるな」という風に感じています。そういう時に、「こういうレコードを持ってるんだ」ってアプリ内のギャラリーを見せれば、その音楽のビジュアルを提示できるっていう点がとても便利です。あとはレコードの単純な物量であったり、「このジャケットのこのデザイン面白いよね」っていうところをすごく簡単に共有できるところ。それはインターネット空間でもそうですが、リアルの空間でも、実際にスマホの画面を見せながらそういったコミュニケーションを外側に開いていけるメディアとして魅力があるというか、自分みたいなタイプの人間にはめちゃくちゃありがたいと思っています。

——ご友人でも使われている方って結構いらっしゃるんですか?

中尾:そうですね。僕自身がVINYLVERSEをめちゃくちゃ広めていまして。「これめっちゃ面白いから使ってくれ」ってレコード持ってる人に言って回っています。それこそコメント機能がまだないので、人のギャラリー覗いては、LINEとかで友達に「これいいじゃん」みたいな。そういう事をやっていますね。

——それはとてもありがたいです。そんな中尾さんにとって初めてレコードを買ったきっかけって何だったのでしょうか?

中尾:レコードを買い始めたのは、大学1年生のときです。ちょうどその頃に横浜へ引っ越して、同時にサブスクも使い始めました。世の中的には、サブスクを使い始めたタイミングは、わりと遅い方だったと思いますが、使っていくうちにあんまり音楽をちゃんと聴けてないという感じがしました。というのも、月額1000円ぐらいで無限に何でも聴けるがゆえ、音楽が自分の中にうまく定着していないような感覚があって、自分のプレイリストを見ても、「なんだったっけこれ?」みたいな曲が増えてきてしまい、「もっとちゃんと聴きたい」と思って、レコードを買ってみたーーというのは1つ理由としてあります。やっぱり物として存在するのと、あと時空間が束縛されるので、しっかり聴かざるを得ない。 なので、音楽をちゃんと聴かせるメディアとしてはレコードって、今の時代にはとても貴重だなと思っています。おそらく、今、若者がレコードを買っている理由の一つにこういう視点も、もしかしたらあるんじゃないかなと思っています。

——ちなみに初めて買ったレコードって何ですか?

中尾:ディアンジェロの『Voodoo』が1番が最初ですね。当時は全然お金もなかったので、確か渋谷のフェイスレコーズで6000円ぐらいで売っていたものを、思い切って買ったのですが、そこでお金がなくなっちゃったので、それ以降1ヶ月間くらい食事はパスタばっかり食べてました。

——中尾さんがVINYLVERSEに上げていただいているレコードの中で、特に思い入れのある1枚ってありますか?もしあればその理由もお伺いできますか。

中尾:インク・スポッツのベスト盤ですね。基本的に僕はレコードはインターネットで買わず、リアルな実店舗に行って出会ったものを買うという探し方をずっとしているんですけど、ある時インク・スポッツが欲しくなって店を巡ったのですが、どこにもないんですよ。本当にどこの店に行っても。でも、どこを探していいかもわかんないし、ボーカル・グループなのかジャズ・ボーカルなのかっていうのもよくわらなくて、全然見つからなくて。で、「今日は必ずインク・スポッツを見つけるぞ」って思い立った日があって、たくさんのレコード屋さんを回ったんです。横浜と渋谷とか。でもなかなか見つからない。朝から出かけたのですが、夜の8時ぐらいまで探していても見つからなくて。そうしたら、本当に最後の最後でインク・スポッツのレコードが出てきて、半分泣きながら「これお願いします」ってレジに持っていった・・という思い出がありますね。

——インク・スポッツって、まだドゥワップがでてくる直前のすごい絶妙な、ある意味、時代のはざまにいるグループなんですね。ジャズではないし、R&Bの先駆け的な音楽なのですが、他に同時代にこういうコーラス・グループ的なスタイルの音楽をやっているって実はかなり珍しいんです。なおかつ、レコードとしても高額なレコードじゃないから、お店も積極的に仕入れたり、目立つところに置いたりしないんですね。 レコード自体は珍しく無いんですけど。

中尾:そうなんですよ。

——でも、なんでインク・スポッツなのでしょうか?どこで出会ったんですか? 23歳の人がインク・スポッツに出会うタイミングって、非常に興味深いです。

中尾:バイオショックっていうゲームがあるんですけど、このゲームが1930年代頃の音楽をBGMに使っていて、それのプレイリストにぶつかった時に多分知ったんだと思います。

——なるほど。すごい。そんなところにこういうのがあるんですね。音楽以外で、例えば映画、アート、ファッションとかで何か好きなものってありますか?

中尾:あんまり「好き」って言えるほど自信はないんですけど 、本を読むのはすごく好きですね。映画もちろん好きです。本当に広く浅くというか。音楽きっかけでいろんなものを知った、みたいなところはあるかなと思います。それこそインク・スポッツも『ショーシャンクの空に』の冒頭で使われていることを知って、それがきっかけで観てみたり。あとは『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が好きなのでそのサントラのレコードを探してるんですけど、これもなかなか見つからないですね。

——ところで中尾さんにとってレコードは昔のメディアだと思うのですが、レコードを新しいものに感じているのか、それともレトロなものに感じているのか。またレコードに新しさを感じるとしたらどういうところに感じるのでしょうか?

中尾:僕の研究と少しかぶってくるんですけれども、レコード自体の「古い」「新しい」というよりも、レコードっていうものに付与されてる意味みたいなもの、レコードがどういうイメージなのかみたいなものが、おそらく昔の時代とは変わってきていると思うんです。特に若者の中で。多分それってサブスクの影響がものすごく強くて。僕が時空間に束縛されているって言ったのは、サブスクが、いつでもどこでも気軽に聴けるーー加えて何でも聴けるっていうような、聴取空間を作り出したわけですよね。その中で、みんながそういったものを使っている環境の対局にあるのがレコードだと思っています。レコードは再生する装置やレコードそのもの自体にも、すごくお金がかかるし、基本的には室内で聴かなければいけない。かつ、レコードが再生している時間っていうのは改変できない。針を飛ばしながら聴くことはできますが、スマホのボタンひとつでスキップとかはできない。レコードってその特性が現代のメディアに比べると、融通が効かないんですよ。そんな中でも、すごく今はレコードっていうものが「若者にとって正当性のあるもの」―――って話し出したら説明が長くなってしまうのですが、つまり趣味っていう、そのものが他人との闘争みたいな、マウントの取り合いって言ったら語弊があるかもしれないのですが、でもそういった側面もあると。 で、例えば極端な話かもしれませんが、1970年代ごろだったら、クラシックを聴いている人はハイソサエティで、ロックを聴いている人は労働者階級、みたいな。ジャンルごとのイメージや、リスナーの音楽性に基づいたヒエラルキー(文化的な上下関係)が、当時は確かに存在していたと思うんです。
 でも、サブスクが普及してからは、みんなそこまでジャンルを意識せずに音楽を聴いている。じゃあ今の時代、何がその文化的なマウントの序列を担保しているのか?と考えると、僕は「メディア」なんじゃないかと思っています。
 レコードを買うという行為には、それなりの経済的余裕も必要だし、作品を理解するための教養も求められる。
 そういった意味で、レコードというメディアは今、文化的ヒエラルキーの中で比較的高い位置にあると思うんです。
 だからこそ、レコードの存在意義や象徴性が、今、大きく変わりつつあるんじゃないかと感じている……というような研究をしてます。

——面白い研究をされてますね。

中尾:ありがとうございます。

——でもそれは、あるかもしれないですね。やっぱり、他人とのコミュニケーションの中で“マウントを取り合う”というのは、人間としてある程度避けられない部分があると思います。それって、きっと全世界共通の感覚なんじゃないかなと。僕らの時代、「お前、そんなもん聴いてんのかよ」っていう、ある種ネガティブな競争意識の中で音楽を聴いていた実感がありました。でも今は、例えばすごくマニアックなソウルを聴いている人が、同じ感覚でアイドルやJポップも聴いていたりする。それがごく自然なこととして受け入れられていて、「そんなの聴いてるの?」とか「そんなの知らないの?」みたいな発言で優位に立てる、というコミュニケーション自体が、あまり成立しなくなっている。
 ただ、その中で例えば「俺はレコードで聴いてるよ」「お前、まだサブスクだけ?」という価値観には、確かにある種の上下関係が感じられます。
 もう1個だけ、ちょっとその発展で話させてもらうと、極論かもしれませんが、昔よりも今の方が「お金持ちが優位」な感じが強くなっている気がするんですよ。ステータスとして。30年前は「お金持ち=かっこいい」っていうイメージもゼロではなかったけど、今ほど強くなかったと思うんです。それよりも、知識があったり、スポーツができたり、文化度が高かったり、もっと言えば人情味があるとか。もちろん外見もあるけど、その人自身のポテンシャルの方が評価される時代だったように思います。
 でも今は、経済的に成功した人=かっこいい、っていう空気をすごく感じるんですよね。
 昔は音楽に詳しくなくちゃ話にならない、みたいな雰囲気もあったし、貧乏でも哲学や学問に深い人がリスペクトされた。でも今は、そういう人ってちょっと“変わり者”みたいな扱いをされがちで、それよりも“お金を持っている人”がもてはやされる。なのでみんなまずは「お金が欲しい、お金で成功したい」と思いがちな気がします。そうなると、音楽や哲学、文学といった“すぐにはお金に結びつかないもの”が後回しにされてしまって、結果的に文化活動全体が軽視されていくように感じるんです。いわば文化の衰退につながってきている。
 そういう価値観が、昔よりもあからさまになってきてる気がするんですよね。
 だからもっと、中尾さんみたいに若い世代に文化的な人が増えていってほしいと思うし、そういう人がかっこいいと思われる社会になってほしい。
 で、ここでもうひとつ聞きたいんですけど、ただ中尾さんを見てると、ステータスの感じ方もまた少し変わってきてるのかなと感じまして。――今の若者って、「文化度が高い人=かっこいい」っていう感覚って、あるんでしょうか?

中尾:文化度が高い人が“かっこいい”とされる感覚、今の時代だからこそ実はあるのかもしれません。たとえば、音楽の聴き方でいうと、今はサブスクリプションを通じて音楽を聴く人がほとんどですよね。サブスクの面白いところは、そこに“経済的な優位性”が出にくいという点なんです。みんな同額の金額しか払っていないので。つまり、お金を持っているかどうかではなく、どれだけ幅広く聴いているか、どれだけ知識があるか、といった“リテラシー”が問われる仕組みになっていると思います。たとえば、あるアーティストの名前がふと出たときに、「あ、それって○○の系譜ですよね」みたいな話ができる人は、音楽好きとしてちゃんとリスペクトされる。そういう価値観は、サブスクやSNSの中にも確かに存在していると思います。
一方で、その対極にあるレコードが“救世主”になれるかどうか、という視点もすごく重要だと思っています。さっきも話したように、レコードには「所有していること自体に価値がある」と捉える文化もありますよね。例えば、高価なレコードの所有を誇示するスタイルや、インテリアとしてレコードを「飾る」ような感覚などです。これは、ele-kingが刊行している『ヴァイナルの時代』でも語られていたことですが、レコードのモノ性にだけ頼りすぎると、かえってその内実である音楽が蔑ろにされてしまう。ここで大事なのはそれがサブスクでもレコードでも、「どんなメディアで聴くか」ではなく、「どう聴くか?」が問われなければならない。「レコードで聴いているから=素晴らしい」といった単純な価値観にも注意が必要で、ここも今の音楽文化の難しいところかなと思います。
 つまり大事なのはメディアが持っている文脈、それこそ「レコードは正当」ーーだとか、「サブスクは幅広く聴いているやつが偉い」とか、そのような価値観をどう個人が「自身の気持ちの中で読み替えていくか」っていうところに意義があると思っています。大事なのはいつの時代も「音楽」そのものなので。ただ、僕個人の意見ですが、レコードで音楽を聴くことで、サブスクでの体験との違いみたいなものが、明確に実感できるだろうし、その比較の中で音楽の輪郭もはっきりしていく。だからこそレコードって今は非常に大きな価値があるし、今後の音楽文化を救う可能性があるのではないかなというふうに感じています。

——どうもありがとうございます。勉強になります。最後にサブスクしか使ってない人にレコードを聴かせようとする場合、その人たちにレコードをお勧めする方法やご意見があれば教えてください。

中尾:ありがとうございます。多分サブスクしか使ってない人の中には最初の僕と同じような感覚、なんか音楽をちゃんと聴けている感じがしないであるとか、 自分のものとして音楽を吸収できている感じがしないっていう人が多分いると思うんですよね。で、それこそレコードっていうのは、参入障壁が高い、お金もかかるし、機材揃えなきゃだし、機材の知識ないしみたいな感じなので、 多分踏みとどまっているというか、なかなかそこに行けてない人っていうのは一定数いると僕は思っています。で、 その人たちに向けてメッセージを送るとするならばとりあえず買ってみよう。 安いスピーカー内臓のプレイヤーでも何でもいいから。とりあえず自分の好きなアーティストをそれで聴いてみて欲しいなってすごく思います。やっぱそのレコード体験っていうのは、そういうモヤモヤがある人にとってはすごく貴重なものになると思うので。是非迷っている人がいれば、 買って聴いてみてください。


Kangさんのギャラリーはこちら
https://vinylversemusic.io/gallery/kang


 音楽を取り巻く環境が日々進化し、スマートフォンやストリーミングサービスなどの利便性、AIの発展が極まる中で、レコードというアナログメディアは、再生に手間がかかり、保管にも場所を要するなど様々な制約があります。にもかかわらず、彼の言葉からは、そうした「不便さ」こそが、レコードに特別な価値を与えているのだという強い意識が伝わってきました。選ぶという行為そのものに意味があり、自らの意思で音楽と向き合う時間が、現代においては逆に新鮮で豊かな体験となっていると感じ取れました。

 VINYLVERSEは、そうした一人ひとりの文化的なこだわりや、主体的な選択を尊重し、それを外に向けて自由に発信できる場でありたいと考えています。そして今後は、人と人とがつながり、価値観を共有し合えるようなコミュニケーションのハブとして、より一層の発展を目指していきたいと思います。

VINYLVERSE アプリ

Geinoh Yamashirogumi - ele-king

 山城祥ニが主宰する音楽集団、芸能山城組の代表作『輪廻交響楽』(1986)がアナログでリイシューされる。レーベルはロンドンの〈Time Capsule〉(ちなみにレーベル・オーナーのケイ・スズキのインタヴューは『ele-king vol.33』に掲載)、発売日は2026年の2月20日。
 当時同作を聴いた大友克洋が『AKIRA』に使わせてほしいと問い合わせたところ、それなら一からつくるということで1988年に『Symphonic Suite AKIRA』が生まれることに──というエピソードをご存じの方もままおられるかもしれないが、こたびのリイシューはかなり気合いが入っている。というのも山城は、人間の可聴域を超える高周波であっても脳や身体に直接影響を与えるという理論「ハイパーソニック・エフェクト」の提唱者なのであるが、今回のリイシューではその理論が実践され、耳では聞こえない音域まで盤に刻まれているという。
 また、その『輪廻交響楽』第一章~第四章までの再現ライヴ《「幻響」其之弐〈転生〉》も開催が決定している。12月14日(日)、会場はなかのZERO大ホール。これは見逃さないほうがよさそうです。

アーティスト:芸能山城組
タイトル:輪廻交響楽
レーベル:タイムカプセル
カタログ番号:TIME024
発売日:2026年2月20日
ジャンル:エレクトロニック・クラシック・フォーク、ワールド、
スタイル:ニューエイジ、アンビエント、トライバル、合唱、声明、ガムラン
フォーマット:世界初の〈ハイパーソニック・エフェクト〉オーディオ強化処理 × ハーフスピード・マスタリング盤。8ページ・インサート/初回プレス限定帯
ライナノート:Anton Spce
マスタリング:Miles Showell (Abbey Road)
キュレーション:関塚林太郎(VDS)、Kay Suzuki

https://timecapsulesounds.taplink.ws/

芸能山城組公演
「幻(げん)響(きょう)」其之弐〈転生(てんしょう)〉開催のお知らせ

2025年12月14日(日)
なかのZERO大ホール

芸能山城組は、来る12月14日(日)、芸能山城組公演「幻響」其之弐〈転生〉を、なかのZERO大ホールで開催いたします。
危機に瀕する地球の未来を精神世界から転換させる試みに挑戦し大反響を巻き起こした昨年の「幻響 其之壱」に続く、待望のシリーズ第二弾となります。
芸能山城組が長年追求してきた意識を失わない恍惚の状態〈ライト・トランス〉性の音表現で、地球生命の循環を謳うライブ空間です。
第一章の『輪廻交響楽』は、東洋の宇宙観の根底をなす〈輪廻転生〉をモチーフに、地球生態系の循環メカニズムを讃えた1986年の作品です。大友克洋監督にアニメ「AKIRA」の音楽を芸能山城組に託すことを決意させた作品でもあります。
今回、作曲者・山城祥二自らが全編を刷新し、絢爛たるガムランの響きや人の声が豊かな生命力を謳いあげます。
第二章では、アニメ映画の金字塔「AKIRA」(大友克洋監督)の世界を彩った『交響組曲AKIRA』を基に、人の声、ジェゴグ、ガムラン、電子楽器が交錯し、見違えるような変貌を遂げたライブパフォーマンス『幻響AKIRA』をお楽しみいただきます。

【公演概要】
■名称:芸能山城組公演「幻響」其之弐〈転生〉
■日時:2025年12月14日(日) 開演16:00 開場15:30
■会場:なかのZERO大ホール(JR・東京メトロ東西線「中野駅」南口から徒歩8分)
■チケット(全席指定):HS席8,000円/S席6,000円/A席4,000円
■チケット取り扱い:イープラスeplus.jp 好評発売中

【演奏曲】
第一章『輪廻交響楽』から〈翠生〉〈散華〉〈瞑憩〉〈転生〉
第二章『交響組曲AKIRA』から〈金田〉〈クラウンとの闘い〉〈鉄雄〉〈ケイと金田の脱出〉〈未来〉他

【お問合わせ先】 
芸能山城組 公演プロジェクト 
〒164-0003 東京都中野区東中野1-22-3 芸能山城組事務所内
Tel 03-3366-4741 Fax 03-3366-4742
メール:kouen@yamashirogumi.jp
公式サイト:https://www.yamashirogumi.jp/

K-LONE - ele-king

 K-ローンの新譜をリピートしている。もっと言うと、夜、ひとりの帰り道なんかでじっくりと、繰り返し聴いている。前作『Swells』を河村祐介さんが「鼻歌まじりで歌いたくもなるメロディアスで涼やかなアルバム」と評したように、デヴュー作『Cape Cira』を含む諸作は何より明るく、カラフルな音が持ち味だった。しかし、本作の公式インフォによれば「これまでで最もパーソナルな作品/父の死後に制作されたこのアルバムは、逃避と内省の場となった」とあるように、きわめて内面的かつ静ひつな領域へと足を踏み入れている。

 ファクタと共同設立した〈Wisdom Teeth〉は、ペヴァラリストの〈Livity Sound〉やバトゥの〈Timedance〉などと並び、いずれも2010年代以降、ベース・ミュージックを通過したUKサウンドの更新に貢献してきた。K-ローンは間違いなくその現行のクラブ/ダンス・カルチャーを担う人物のひとりであるわけだが、今作においてシンコペートするUKガラージのリズムやダブステップのウォブリーなサブ・ベースは主役ではない。……もっとも、前者は自主レーベル〈Sweet 'N' Tasty〉、後者は名門〈Tempa〉からの12インチなどでその趣味を発散させてはいるのだが。
 しかし本作の自己内省に必要なのは、空間を包みこむダブ処理、アンビエント的なパッド、リッチなシンセ・ワーク、あるいは繊細なイーヴン・キックだったりする。こう書くと、根城である〈Wisdom Teeth〉ではなく、DJパイソンフエアコ・Sの作品を揃える、アンソニー・ネイプルズ主宰の〈Incienso〉からの投下であることは、サウンドを掴むための重要な手がかりに思える。

 まず先行シングルの “slk” がいきなり素晴らしい。ダビーな音響空間と催眠的な4/4キックが不規則にうねり合うダブ・ハウスといった具合で、端的に言えばこの空気がアルバムに充満している。“slide by side” のメランコリックにゆれるディープ・ハウス、またヴォイス・チョップの面白い仕掛けで作品に躍動感を加える “sslip” も欠かせない。だが何より、一番の見せ場は冒頭の “someone else” に尽きる。ほの暗く沈みこむヴォーカル・サンプル、もこもこと浮遊するコード、ときおり挟まれる光沢あるシンセ・フレーズは今作最長の6分半に及ぶ。背後で鳴るこれらの音は掴みようのない霧のよう。だが同時に、そぎ落とされた最小限のビートが音の核に位置する。一発でこの音世界への没入を誘う、随一の曲に仕上がっている。

 と、こうして聴き進めるとK-ローンの個人的な気分がそのままアルバムの空気に反映されていることは間違いない。一方で〈Wisdom Teeth〉が提示する、UK(ロフト期のアヤ、パリス)からアジア(名古屋のアベンティス、韓国のサラマンダ)まで、才人への審美眼が冴え渡る良質なレーベル・コンピとのつながりにも言及すべきだろう。
 引き合いに出すのはダウンテンポ志向の『To Illustrate』や高速BPMの『Club Moss』ではなく、2025年の『Pattern Gardening』。K-ローンの愛する00年代ミニマルへの愛を示したこのコンピでは〈Perlon〉の古いカタログを参照したそうで、今作に通底するクリック感ある繊細なリズムと明らかに符合する部分があり、レーベルのいまの方向との同期を感じさせる。また、ベース・ミュージックの感覚を通じて四つ打ちを展開してきた〈AUS Music〉からは、「Catching Wild」シリーズなる12インチを出している。ここにある初期ハーバートめいたハウスの文脈の延長線と捉えることもできそうだ。これらミニマル/マイクロ・ハウスなビートを基礎としつつ、K-ローンことジョー・グラッドウェルのパーソナルな感情を織り込んだサウンドを空気として漂わせることで、今作はひとつのかたちになったのだろう。

 父との別れと、その喪失の感情。この主題をアンビエントやダブをもってして抽象化した今作のサウンドはどこか暗い影を落としている。一聴したときは、歌もあるポップな前作と較べると思い切りのよい作風の転回だと早合点した。「鼻歌まじり」というより、シリアスに対峙すべき作品だと。しかし何度も聴くうち、深い霧の奥にシグネチャーたる明るくきらめく瞬間が随所にあることにも気付く。それは幕引きの “the haze” を聴くといい。つまりは思い切った「転回」ではなく、むしろK-ローン(とレーベル)のいま現在を踏まえた「洗練」や「深化」と呼ぶべき到達点ではないか。そうして研ぎ澄まされたサウンドとビートは、今夜もまたひとりの帰り道に優しく寄り添ってくれるはずだ。

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