「PAN」と一致するもの

対談 - ele-king

 ときは1973年。ブルースとロックンロールを愛する静岡の高校生たちは「静岡ロックンロール組合」を名乗り、情熱の赴くまま1枚のレコードをつくり上げた。題して『永久保存盤』。21世紀になり一度CD化され、ロウファイ・ガレージ・ロックの文脈でも再評価された同アルバムが、アナログ盤として半世紀ぶりに蘇る。音質重視の12インチ45回転2枚組で復刻される同作について、オリジナル・メンバーである鷲巣功と、巣鴨のモッズ・バンド「イギリス人」の黒沢ビッチたつ子りんが語り合い、そして以下、鷲巣氏自らが記事を執筆してくれた。(編集部)


和気あいあいと話すふたり。向かって左がたつ子りん、右が鷲巣功。

 「マトイチ」という言葉をご存知だろうか。CDが登場する前も塩化ビニールのレコードというアナログ音楽録音作品は、発表前にA / B面の曲をそれぞれの間を取って順番に並べ、全体の最終的な音量や音質などを調整する「マスタリング」行程が、盤に溝を切り込む技師(カティング・エンジニア)によって仕上げられていた。その際、完成したレコード盤にはレイベル付近の溝のないところに、カティング・エンジニアの自筆で「matrix 1」という爪痕が刻まれる。「完成作品第一版」の証しだ。
 いま世の中ではロック名盤の「完成作品第一版」が密かな人気で、「マトイチ」と呼ばれているそうだ。中には酷い音量、音質で世に出された盤も多く、極端な例としてはA / B面が逆になっている不良品もあるという。もしこれが有名グループのものであったらば、郵便切手の「エラー」印刷と等しく、驚異的な値段で取り引きされそうだ。
 「マトイチ」からは初回ロットとして一定の量の複製、つまり一般的に言えば、商品としてのレコード盤が産み出される。後任の担当者がそのマスタリング状態に不備不満を感じてカティング作業をやり直す場合もあり、そうすると「matrix 2」になるので、「マトイチ」はそこで葬られ、余計に貴重となる。昨今では、誤字脱字誤植が山のようにある初版本のような価値が付くらしく、この領域にも好事家が出現し始めたらしい。
 先日ある場所で、マーヴィン・ゲイの “レッツ・ゲット・イト・オン” は、イギリスで出た17cmシンゴー盤の音が一番だ、と聞いた。その伝説をわたしは知らなかったので、急にこのシンゴーを欲しくなった。ただし、この噂は発売直後からあるらしいので「マトイチ」でなければダメだ。生きている間に “レッツ・ゲット・イト・オン” のイギリス・シンゴー盤、その「マトイチ」に逢えるだろうか。
 今回の対談の相手役であるモッズバンド「イギリス人」のヴォーカルのたつ子りんは、この「マトイチ」を集めているそうだ。形よりも実を取る性癖のたつ子りんは、盤が「マトイチ」ならばジャケットなどボロボロでも構わない、という徹底ぶりで恐れ入る。
 ブライアン・ジョーンズに憧れてハモニカを吹くところから本格的に音楽と触れたという彼は、新宿のロフトでアナログ・レコード・コンサートのDJを務めたりしていた。冴えたオーディオ感覚を持つ若い世代のたつ子りんには、今回蘇ったこのアナログ「『永久保存盤』マトイチ」を是非とも聞いて欲しかった。

 「僕は『永久保存盤』のマトイチをまだ聞いたことがないので、この音は非常に新鮮ですが、50年前のマトイチはどんなだったんですか」
 冒頭、45回転30cmLP2枚組A面の “シャンのロック” と “レインボウ・クイーン” を聞き終えた後、たつ子りんからこう聞かれた。
 『永久保存盤』は1973年5月に30cmLPの形で世に出た。手許にある発注書を見るとプレスは全部で70枚だ。7人のメムバはもちろん、周囲の関係者にも御礼として配ったから、多分それで殆どが無くなってしまった筈だ。わたしは古くからの友達に在庫1枚を売った覚えがあるが、それで制作費が取り戻せた訳ではない。
 その「マトイチ」の音はひどかった。田舎の子供はマスタリングという行程がある事すら知らずに、マスターたる4トラック19cm/sec.のオープン・リール・テイプを、プレスをしてくれる会社に持ち込んだだけだ。しかもA / B面とも20分を超える演奏時間で、既にその時点で良い音にするのは無理だったのだが、初代マトイチはそれを通り越したもっと酷い音だった。わたしですら針を落として、「あれえ」と違和感を持った。
 だから20年前にこの「名盤」が発掘されて水面下で小さな話題になった時に、わたしはたいそう悔しい思いをした。浜松駅前のレコード店では10万円という高値で買って帰った人が実在したという。その奇特なお方にも、せめて「絶対不変的な良い音」で「おお、これは」と言わせたかったのだ。
 発掘後の再発CDの音には不満はない。あの時点で精一杯の結果だ。そもそもこの『永久保存盤』は、決してオーディオフォニックな音ではないのだ。現場で関わった誰もが、その種の感覚を持ち合わせていなかった。故にもう少し良い音で塩化ビニール盤を刻って欲しかった。と、ここまでは、全て恥ずかしい言い訳である。
 今回は45回転30cmLP2枚組だ。アナログ・レコードにこれ以上の条件はない。実際「良い音」で出来上がった。あの時の「4トラック19cm/sec.のオープン・リール・テイプ」の音が出ている。これが正規の「マトイチ」だ。今から50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が、ここまでやれたのだ。

 「そのころ世界的な流行の波は2~3年遅れて日本に入って来てたんですよね。静岡となると、そこから半年くらいは更に遅くなったんですか」
 年齢不詳の、モッズバンド「イギリス人」のヴォーカリストたつ子りんは、
 静岡市に接している清水市で生まれ育った。わたしとは相当に歳が離れているから、あの田舎町界隈での音楽活動時期が重なってはいないが、彼があそこでどうやって音楽を続けていたか、という事には深い興味があった。
 今は政令都市静岡の「清水区」となっている旧清水市は、50年前にも国際貿易港を擁した活気ある町だった。「軽音楽」にイカれた青少年が大勢いて、その動きは派手だった。おしなべて清水の人間たちは聞いている音楽、持っている楽器、表現法、更には着ている物まで静岡ロックンロール組合員たちとは全然違っていて、カッコ良かった。周りにはいつも婦女子が群がっていたし、雑誌に出て来るような存在だったのだ。演奏会などで顔を合わせる度に完敗だった。
 その中のスターが河島信之という男で、わたし達よりひとつ年上、静岡市内にある県立工業高校の機械科に通っていた。1972年当時からグレコの、コピー・モデルだが、レスポールを弾いていた。わたし達はそれだけで大騒ぎだ。後に「すみれセプテンバーラヴ」の一風堂で知られた富士市の土屋昌巳でさえ、当時はヤマハのセミアコ(—スティック・モデル)の安い方だったのに。
 河島信之は音楽に理解のある環境で育ったようだ。家を訪ねたら、グランド(・ピアノ)があって驚いた。静清地区を総ナメにした後は東京に出て来てエアーズというグループで、華々しくデビューしている。
 東京都渋谷区に本校所在地を持つけれど、その発祥は清水市である東海大学付属の第一高等学校、そして工業高校があった事も関係しているのか、清水市の人間たちは、県都の静岡市ではなく東京の方を向いていた。それがたつ子りんの世代ではどう変わっていたのかにも興味はあった。東海一高と工業は1999年に一緒になり、今は東海大学付属静岡翔洋高等学校となっている。

 「結局のところレコードは静岡まで買いに行きました。それか最寄りの店で取り寄せてもらうようなやり方でした。ジミヘンを聞いてワウワウの音に異常な興味を持ちまして、それがギターだと教えらえて、自分で買ったのがなんと生ギター。当然クライ・ベイビーは繋げなかったんです。そのくらい周りに情報は全く無く何も知らなかった。親戚にひとりだけ、サム・クックを知っている人がいた程度です。その人はアメリカ大陸を放浪したりしてたヒッピーでね。その後にオーティス・レディングを聞いて、いいなあ、と思うようになりました。当初はレコード・クレジットをそのまんま信じて、セックス・ピストルズにシド・ヴィシャスとグレン・マトロック、ベーシストが二人が居るじゃないか、じゃあ俺たちにも二人必要だって決めた位なんです」
 まるで笑い話だが、たつ子りんの時代でも情報は不足気味で正確さに欠けていたようだ。加えてそれが上手く理解出来ていなかったという点でも、わたし達の頃とはあまり変わっていない。

 「小学生の時に、同じ町にドラムが出来る奴がいるって噂が耳に入りました。セットも一式持ってて、美術系の父親のアトリエでいつも叩いてるって言うんです。実際には会ったこともないのに、僕はその存在をとても意識しました。その町一番の太鼓叩きとは中学校で一緒になったので、すぐふたりで音楽を始めて『これはイケる』と直感しましたね。でも他のメムバはなかなか決まらなくて。出来そうな奴なら誰でも、っていう具合ですから、ある時にはギターが4人だったりね。特にベイスの人材ではずいぶん苦労しました。演奏技術じゃなくて、やる気があるかどうかですね。練習はよくやりましたけど、上手い奴が下手な奴に演奏を教えて1日が終わるんです」
 彼らの「練習」の様子が目に浮かぶ。手に取るように想像出来る状況だ。この辺もあまり変わりはない。
 「人前で演る機会はあんまりなかった。出られる状態でもなくて、そもそもライヴハウスがない。ハコみたいのはありましたが、そういう所に出入りしてるのは本当に悪い人間だった」。ほとんど同じだ。

 清水市一帯も静岡市と同じく温暖な気候で、陽当たりの良い山肌を利用してミカン栽培をしている農家が多い。
 「ミカンを出荷前に仕舞っておく倉庫で初ライヴしたなあ。エレキを使っての初ライヴは、山の上の作業場までロープウェイで楽器を運んで、自分たちでやりました。電源はバッテリーを使った筈です。それとそこに置いてあった発電機かな。ブヲーってその音がずっとうるさくてね」
 これは涙ぐましい武勇伝である。「ロープウェイ」と言うのは、それぞれの農家が独自に持っていた、山で摘んだミカンを麓まで降ろす電動設備だ。子供たちはこれで遊んでよく怒られていたという。危険なのだ。荷物を積むところは籐で編んだ籠である場合が多く、少なくともアムプやドラムズを運ぶには敵さない。だが若い力の向こう見ず精神は、非現実的事実を実現可能にしてしまう。
 「そこに仲間も呼んで気分はウッドストックでした。ガンガン演っていい気分になってたら、山の中とは言えどこかから騒音の苦情が出たらしくて、親たちが集まって来ちゃって、とても厳しく叱られた。夕方の帰り、山道は真っ暗闇でした」
 そうか、偉いぞ。環境が無ければ自分で造るんだ。音楽を志すなら、このくらいの頑固な思いは絶対に必要だ。

 「このLPは収録順に演奏して録音したのですか」、たつ子りんからの次の質問はこれだった。
 「一曲目と二曲目の音の違いに驚いたんです」、たつ子りんはこうも言った。
 これは正しい指摘である。“シャンのロック” と “レインボウ・クイーン” には明らかな違いがある。“レインボウ・クイーン” は確かに作者であるわたしの頭の中に仕上がった時の響きがあったが、結局は始めから終わりまで通して演奏しただけだし、他の曲でも楽器の持ち替えとか演奏者の入れ替えは殆どない。全曲で全員が担当楽器を持ち場で演奏している。ミクス・ルームでプレイバックを聞きながら音楽を詰めて行く余裕など、全くなかったのだ。
 「この “レインボウ・クイーン” が2曲目に置かれている事で、全体の印象がガラッと変わりました。このアルバムの世界観を作っているような気がする」
 それが良かったのかどうかは、分からない。ただ当時わたし個人は、もっとポップなロックンロールを演りたかった。婦女子から「キャー」と騒がれたかった。男同士の汗臭い世界にウンザリしていたのは事実だ。
 謎の多い録音詳細によれば、これらの楽曲は1973年3月22日に11 曲の全てが録音された事になっている。数十年ぶりにこれを読んだ時、わたし自身も信じられなかった。「まさかひと晩で……」全員18歳の浅学非才な子供たちがこんな事を仕上げるのは無理だ。ただ、最近ではこのデイタを事実として認めるようになって来ている。
 それまでに数日間のセッションはあった。初日に “お金がいちばん” を録って聞いたプレイバックの興奮は今も忘れられない。ただし、わたし達の音楽に精通した専任の録音技術者がいたわけではないから、ミクスもヘッタクレもなく、当然ながらそのテイクはボツになった。
 録音場所はNHK静岡放送局が入っていた建物の「第一スタジオ」だ。ここは天井が高くアップライトながらピアノも置かれていて、NHKが移転した後も市内の健全な合唱団や弦楽器演奏家たちが練習の場として使っていた。「軽音楽」にイカれた不良どもは、休日の工場や寺の境内、騒音に寛容なメムバの家などでエレキをかき鳴らすしかなかった頃だ。“シャンのロック” のイントロで「県民会館第一スタジオ」の音響が少し分かる。
 以前にここを訪れた機会があったわたしは、入って右側に大きなガラス窓があるのに気づいていた。内側からカーテンが引かれていて内部を見ることは出来ないが、これが「調整室」であるのはすぐに分かった。
 「ここなら『雑誌に載っていた写真』で見たようなレコーディングが出来る」。映画『レット・イト・ビ』の場面が心に浮かんだ。静岡市内でマトモな録音が出来るのは、ここだけだ。少なくとも当時わたし自身は他を知らなかった。
 「静岡県民会館」となっていた建物は静岡県の管轄で、第一スタジオの調整室跡は貸し出しの対象外だ。わたしは窓口の女性を努力と忍耐で説得し、使わせて貰った。そこは長いこと放置されていた全くの空部屋で、周辺から強制的に供出させたテイプ・デッキやミキサー卓を置く机すら外から運び込んだ。マルチ・ケイブルなど誰も見たことがない時代で、演奏ブースと調整室の間には数本のコードが通せる細いパイプが通されているだけだった。毎回の録音セッションは、そこに12本のマイク・シールドを通して二つの部屋を電気的に繋ぐ事から始まる。これは大変な作業だったが、ギターの孝弘がすぐに慣れて素早く出来るようになり、大いに助かった。
 楽器や録音機材をリヤカー他の人力で運び込んで設置し、このケイブル通しを行うとそれだけでもうグッタリだ。その後に本来の歌唱と演奏が待っている。わたし達のバンド屋稼業は重労働の連続だ。既にその頃は最も厄介な学業から全員が逃れられていたが、「雑誌に載っていた写真」のように、調整室内で「プレイバックを聞きながら音楽を詰めて行く」どころではなかった。だからひと晩で通しの演奏を録ってそのまんま、というのは事実ではないだろうか。

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 たつ子りんとの “レインボウ・クイーン” に関する質疑応答は続く。
「ハモニカをアムプリファイドしてるでしょう。この頃、もうみんなそうだったんですか」。
 ハモニカを吹いているチャアリイは、恐ろしいほどの集中力を持った男だった。その前は、ギターの近藤良美、ドラムズの竹内康博たちとクリームみたいな音楽を演っていて、ジャック・ブルース真っツァオのベイスを弾いていた。高校を3日で辞めて働いていたので自分で使える金があって、エルクのジャズベース型、そして録音でも使った同社製の大型アムプを持っていた。それがブルーズに急天直下したのだ。わたしはその頃からハードロックが大嫌いだったので、この転向は歓迎した。

 「そうですか、クラプトンからブルーズですか。正しい道のりですね」。
 正しいかどうかは分からないが、チャアリイのハモニカ演奏技術は、日本ビクターから『ザ・ベスト・オヴ・リル・ヲルター』が出た後、飛躍的に上達した。その次には音色に活路を求め、アムプリファイドに辿り着いたのである。実際にヲルターが行っていた事実も知らず、練習場所に転がっていた10ワット程度の小さなギター・アムプにダイナミック・マイクロフォンを直接突っ込んで「ヴォリウム」、「ベース」、「トレブル」、そして「リヴァーブ」までフルテンにする。つまりツマミは全部「10」の位置で、これが奴のセッティングだった。えらく迫力のある音が出た。低出力だからフィードバックも起こらない。その頃この町でハモニカをアムプリファイドしていたのはチャアリイだけだ。
 人格、芸が共に並外れて規格外のサニーボーイ・ウイリアムスンIIが大好きで、自分もハモニカを吹くというたつ子りんはこの日も一本持参していて、色々と話してくれた。その時に持っていたトムボのリー・オスカー・モデルは、今ミック・ジャガーも使っているという代物で、修理用パーツも整えられているそうだ。50年前にはホーナーのブルーズ・ハープとそれを模倣したトンボ・フォークバンドしかなかった。チャアリイは本物の方のブルーズ・ハープを何本も揃えていた。

 わたし達は丁度『永久保存盤』の録音中に七間町という静岡市の繁華街にあった「キングスター」というダンスホールで毎晩演奏が出来た。ステイヂには高価なビンスンのエコーチェムバが置かれ、小型ながら88鍵のピアノもあった。それまで本来の担当楽器であるピアノを弾いて一緒に練習をした事がなかったわたしには嬉しい環境で、毎日開店前に特訓をした。ただそれも全体の流れを頭に叩き込んで通すだけ。最初に演ってみた形を、どこまで間違えずに出来るか、が練習だった。
 その『永久保存盤』録音中に、静岡ロックンロール組合の全員は歌を唄いながら担当楽器を弾いていたのではないか。そうでもしなければ、今どこを演っているのかわからなくなってしまう。ヘドフォンはおろかモニターのひとつもなく、メムバはただ通し演奏をしただけだが、「足らぬ足らぬはソーゾーリョク」とばかりに、全ての不足を世間知らずの逞しい精神力で補っていたのだ。しかもその時はこれがフツーの状況だと考え、足りていない事物が何なのかすら、分かっていなかった。作詞作曲者の心の中にあった “レインボウ・クイーン” の完成形を、彼らがどのように考えて演奏していたか、今となっては知る由もない。

 「はい、それは分かります」。
5曲目の “ロックンロールNO.1” を聞く時、わたしはたつ子りんが口を開く前に「これはクリーデンス・クリアヲ-ター・リヴァイヴォー(以下C.C.R.)の『トラヴェリン・バンド』だよ」と告白した。その時の返事がこれだった。
 年齢不詳のたつ子りんは小学生時代C.C.R.に惹かれ、ベスト盤を買ったらしい。それは冒頭2曲が “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー” という演奏時間の長いブルーズ・ナムバで、たつ子りんはそれらを聞いて閉口し、「俺にロックはまだ早いんじゃないか」と、本気で考えたそうだ。
 “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー”、共に1枚目のアルバムからのシンゴー曲だ。〈リバティ〉からデビューする以前、C.C.R.はサンフランシスコはずれの実演クラブでハコ仕事をしていた。こういう場所ではひと晩で数回のステイヂをこなすのが絶対条件だ。ファンク的なワンコード曲やキイとテムポーさえ決めれば後は同じで何度でも繰り返しが可能なブルーズ・ナムバは、少ない持ち歌の楽団にとっては有難い。「三つ子の魂百まで」なのか、確かにC.C.R.のデビューLP『スージーQ』はハコバン(ド)時代の陰が濃い。その中から極め付けの2曲を最初に続けて聞かされては、幼い子供がウンザリするのも分かる。おかげでブルーズに対するアレルギーは無くなって、その後に聞いたザ・ローリング・ストーンズの “スージーQ” がとても心地よく聞こえたと言う。分かるね、その気持ち。
 C.C.R.はNHKの海外買い付け「軽音楽」フィルム番組の祖「ヤング・ミュージック・ショウ」の1971年第一回で楽しい実演の模様が放送された事もあり、組合員全員が好きだったが、彼らのリパトゥワを自分たちで採り入れる程ではなかった。わたしを除く6人はラジオで流れるヒット曲より、もっとハードロック的な音楽を志向していたのではないか。
 ジョン・フォガティは “アイ・プット・オン・ア・スペル・オン・ユー” を1コーラスしか唄っていない。激しい表現のようにも聞こえるが実に単純なギターのソロを挟み込んで、唄を2回同じように繰り返しているだけだ。ただし結果、スクリーミ・ジェイ・ホウキンズの原曲は2分半足らずなのに、C.C.R.版は4分半を超える「長時間演奏」となった。60年代の終わりには、複雑で難解、かつ非常識な激しい表現で長大な、重たい「軽音楽」が無条件に持て囃された時代であり、C.C.R.の単なる時間引き伸ばし作戦も、周囲には「驚異のニュー・ロック・サウンド」に聞こえたのかも知れない。それでもジョン・フォガティの本質的な歌心とロックンロール魂は、たつ子りんの心を捉えたらしい。ずっと注目を続けていて最近の動向にも詳しい。
 何れにせよたつ子りんは、ロックが一番カッコ良かった十年間に心を奪われているようで、対談中に話題となった音楽は大体わたしですら知っていた。彼の方でわたしに合わせてくれたのかも知れないが、50年前にわたしが目の仇にしていたレッド・ゼペリンの結成時には、キース・ムーンがドラムズ担当だったとか、貴重なよもやま話をいくつか教えてくれた。

 「これは……」と半ば不思議そうな表情でたつ子りんが訊ねたのは、新規マトイチB面最後、第6曲の “女と赤い花” に針がかかった時だった。
 この歌は “レインボウ・クイーン” よりも更に響きが大きく異なる。中途半端なブルーズ・ロック・バンドが、ただその場で演っている演奏ではない。たつ子りんが疑問に思うのも無理のないところだ。
 出来上がってから練習場へ持って行き、皆なに「新曲だ」と披露した時、康博に指定したリズムのアクセントは通常の2拍4拍ではなかった。ここでわたしはピアノではなくアクースティク・ギターを鳴らし、チャアリイも慣れないコンガを叩いている。伸びのあるロング・トーンを活かしたかんばのベイスが美しい。新規マトイチならはっきりと聞き取れる。他の収録曲と明らかに違う響きがたつ子りんの不審感を煽ったらしい。
 もとはシャンがラリって見た夢を基にした歌である。フツーの演奏では面白くない。結果として静岡ロックロール組合としては極めて異質な響きとなった。余談だが、わたしはマーク・ボランが全編でエレキを持つ前の、スティーヴ・トゥックがパカーションを叩いていた頃のティラノザウルス・レクスが好きで、その残像もこの変則的アクースティク・ロック “女と赤い花” には少し映し出されている。
 こんな説明をしたのだが、たつ子りんに分かって貰えただろうか。

 50年かかって出来上がった『永久保存盤』のマトイチ特別試聴会は、33回転時代のB面に入った。“今夜はバッチリ” は、イントロで孝弘がギター低音部の巻弦をピックで擦るのが見えるように生々しい。45回転ならではの音だろう。
 シャンのバカはしゃぎで突っ走る “徹夜ブギウギ” も充分な迫力だ。良美のスライド・ギターも冴えている。彼は一浪後の高等学校入学祝いにアリア製のレスポール・コピーモデルを買って貰っていて、ファズの後に流行りつつあった効果器「ブースター」と共に使っていた。この “徹夜ブギウギ” のソロは、その「ブースター」が際立って活躍している。収録されている何曲かで聞こえる雑音「ガリッ」というのは、そのアッテネータをいじった時の音だ。
 最長の演奏時間となったスローのブルーズ “A39” では、テープのヒスノイズが始まりから終わるまで気になる。しょせんは4トラック録音なのだ。ここで2022年のディヂトー時代に引き戻される。

 さて最後のD面だ。“川合節” は天理教の修行から戻ったチャアリイがこの録音のために持って来た「新曲」なので、誰にも馴染みが薄かった。セッションの終わり頃に手を着けて時間に追われるように仕上げたので、作者は「ないがしろにされた」と40年後にも文句を言っていた。その通りだ。もう少し詰めれば面白くなる要素がある。ただしここまでが1973年当時、静岡ロックンロール組合の限界だった。
 そして、いかにも70年代的な、遅れて来たメセヂ・ソング “ばかっちょい” で、45回転30cmLP2枚組の『永久保存盤』は終わる。音質はすべて極めて良好で、これなら堂々と「50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が」作り上げたLPの正規の「マトイチ」だ、と胸を張って言える。

 我ながら満足して達成感を味わっていたら、最後にたつ子りんが意外な事を尋ねて来た。
 「パンポットはどのように調整したんですか」。
 この質問には虚を突かれた。録音の全てを司った調整卓の「ヤマハ アンサムボー・システム」略して「YES」は、この国に音楽ミクスという概念を持ち込んだ画期的な新機軸だったが、しょせんは低価格の民生機で、登場後半年ほど経ってモデルチェンヂした後にパンポットのツマミが付いたものの、出入りしていた楽器屋から借り出した初代機の各チャネル出力先は、左か右どちらか片方をボタン・スイッチで選べるだけで、両方を押せばモノーラル出力となる仕様だった。
 諸般の事情によりずっとモノーラル再生で音楽を聞いていたそれまでの体験から、当時のわたしはスティーリオ感覚が貧困だった。これは21世紀の今も変わらず、モノーラルの方が気持ち良く聞ける。ただ今はスティーリオが当たり前で、更に使う音が沢山になって来ると、左右に拡がった音場を的確に利用する感覚が必須だ。
 「レヴェル・フェーダーやイクヲライザーを使わなくても、パンポットで音の場所を決めてやれば、バランス取りは上手く行きます。そういうのは自分がレコーディングを経験して分かった事です」。たつ子りんの言う通りだ。その後このわたしも音楽制作者となり、スティーリオ音場の使い方ほかのさまざまな勉強をしたが、この時は調整室に入っている手伝いに「楽器のソロになったらその楽器の出力チャネルは左右両方にする」と伝えるのが精一杯だったから、定位など考えている余裕はなかった。それでなくても、ひとつもライン録音がなく全てが実際に鳴っている音は、他のチャネルに回り込んでいた。
 この『永久保存盤』はスティーリオのレコードだ。しかし、全体を象徴する最後の一曲 “ばかっちょい” だけが、完全モノーラルになっている。前後に配した、静岡市内の賑やかな交差点で録った街頭音は、使ったカセット・レコーダーがモノーラルで、この辺りにわたしの貧困なスティーリオ感覚が顔を出している。
「この部分がスティーリオで録れていたら、雰囲気はもっと盛り上がったでしょうね」とはたつ子りんの言葉だ。御意。特にイヤフォーンでしか音楽を聞かない最先端の世代には、効果音がスティーリオなのは必須である。ただし、わたしには音楽そのものをモノーラルにした覚えはない。何故だろうか。先の記載録音日と共に『永久保存盤』にまつわる大きな謎である。

 静岡ロックンロール組合でわたしはロックンロール・オーケストラ的なものを意図していた。ジョー・コカーの『マド・ドグズ・アンド・イングリッシュメン』に多大なる影響を受け、そこのバン(ド)マス(ター)だったリオン・ラッソーに憧れていた。だから全員に出来る限り上手そうで滑らかな演奏を求めた。録音も然りで、もっと普通の良い音にしたかった。ただ今になって考えれば、目指していた音楽と静岡ロックンロール組合とは全く次元が違い、ああいうのはプロフェッショナルな人間たちが動き回る世界だ、という事にまるで気付いていなかったのである。採り上げた楽曲の質が違い過ぎる点も分からなかった。
 だからこそ、結局のところ静岡ロックンロール組合の『永久保存盤』は、東海地方の静岡という田舎町の世間知らず達が暴走した、当時はまだ概念すら確立していなかった、極めて「パンク」的なLPになったのではなかろうか。
 総じて、わたしとたつ子りんの時代で、田舎町の音楽状況はあまり変わっていなかったようにも思える。実際に会う前は、さぞかし違った世界が開けているように考えていたが、そうではなかった。これには正直、納得が行く。まあこんなモンではなかろうか。
 敢えて言っておこう。『永久保存盤』の程度の事なら、今この記事を読んでいるあんたにも出来る。五十年後の今ならラクショーだ。ガンガンやってくれ。ロックンロールだ。

 対談が終わって、今回のセッション全域で惜しみない協力をしてくれたオーブライト・マスタリングスタジオの橋本陽英が、「ちょっと確認させて下さい」と、もう一度アナログ盤の “シャンのロック” を回した。そして「大丈夫です」と直ぐに針を上げてから、この前のCD『永久保存盤』について語り出した。
「あの時は『他のCDに音量や音圧感で負けたくない』という思いが強かったので、ダイナミク・レインヂなんかよりそっち優先で作業したんです。その後は時代も少し落ち着きましたんで、今回は本来のマスター・テイプの魅力を引き出す事に専念出来ました」

 有難い言葉だった。CDの利便性にはわたし自身も抵抗出来ないが、世の中がすべて効率的で便利なだけでいいのだろうか、という疑問からは離れられない。特に昨今、あらゆる事をスマフォの中で済ませてしまうような思想にはジンマシンが出る。古い奴だとお思いでしょうが、その延長かこの45回転30cnLP2 枚組『永久保存盤』の制作は、自分自身にとって非常に重要だった。50年かかって、ようやく「マトイチ」が出来た。巻き込まれたみなさん、どうもありがとうございます。
 今回、世代を超えて建設的な意見をしてくれたたつ子りんにはことさら感謝だ。「イギリス人」という風変わりな名前の彼のロックグループの実演予定をここに挙げておこう。そこには静岡ロックロール組合との、何か共通点があるかも知れない。

モッズバンド イギリス人
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 その他、この記事をもっと深く理解するために参考になる文書、資料などは、以下にある。

エリス第36号連載 旧聞ゴメン「『数え歳で』50年後の真実」
(電子書籍版は、https://bccks.jp/bcck/173946/info パスワードak74h)

CD『永久保存盤』解説書(ユーケー・プロジェクト / DECREC DCRC-0061)
https://note.com/morninblues/n/ne967d2abb407

■静岡ロックンロール組合 LP&Tシャツ通販ページ
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/shizuoka-rocknroll-kumiai

interview with Danger Mouse - ele-king

 それは間違いなく事件だった。ジェイZの『The Black Album』(2003)のリミックスを、あろうことかビートルズの『The Beatles (White Album)』(1968)からのサンプルで制作するという企みは『The Grey Album』(2004)というネット上で流通する作品の形で結実した。その首謀者はデンジャー・マウスという人を食ったような名前をまといキャラ立ちしたプロデューサーだった。ポール・マッカートニーにさえ歓迎されながらも音源使用クリアランスの問題で決して正式にはリリースされないそのスキャンダラスな作品は、ヒップホップにおけるサンプリングというアートフォームの可能性と限界を同時に指し示すものだった。

そしていま約20年の時を経て、マルチプレイヤーとして、プロデューサーとして多くの経験を積んだデンジャー・マウスが、ヒップホップ史上最高のMCのひとりであるブラック・ソートとタッグを組み、再びサンプリングというアートフォームに向き合った作品をリリースした。音声やリズム面の快楽を撒き散らしながらもパズルのように絡まり合う意味をほどいていく面白さを教えてくれるブラック・ソートのリリックと、これまでになくエモーショナルで映像を喚起させるようなデンジャー・マウスのビートの相乗効果は凄まじく、現行のヒップホップ・シーンで盛り上がりを見せるブーンバップ・ルネッサンスに一石を投じる作品となった。『Cheat Codes』と名付けられたこの傑作の成り立ちについて、デンジャー・マウスその人に話を聞いた。

僕が今回求めていたのは、メランコリーでドラマティックなサウンド。

おふたりが出会ってから約20年越しのアルバム完成ということですが、なぜ、どのようにしてこのタイミングでアルバムの共作となったのでしょう?

DM:僕たちが出会ったのは2005年。最初に出会った場所はスタジオで、一緒に音楽やアルバムを作れたらいいねという話になって、そのあとしばらくしてからアイディアをいくつかレコーディングしたんだ。レコーディングしたものは、すごくクールで良かったんだけど、そこからもっと踏み込むつもりで少し寝かせていたら、ふたつのことが起こってしまってね。ひとつはナールズ・バークレイ(Gnarls Barkley)。そしてもうひとつは、タリク(Black Thought)がザ・ルーツの活動で忙しくなったから、お互いに時間がなくなってしまったんだ。で、そこから何年も経って、2010年か2011年にまた会って一緒に曲を作ったんだけど、そのあとまた忙しくなり、またそこから時間が経って、2017年か18年に電話で話した。そのときに、やっぱりどうしてもアルバムを完成させたいという話になって、電話をした2日後くらいにスタジオに入って、制作をはじめて、このアルバムができ上がったんだ。

楽曲の制作プロセスを教えてください。まずあなたがビートを作り、タリクがリリックを書いてレコーディングしていったのでしょうか? 特に普通ではないプロセスで生まれた曲があれば教えてください。

DM:まず僕が、ビートを含めいろいろな種類の音を作って、タリクが朝に僕の家に来て、僕が作ったビートを聴いて、彼がその中から選んだものを使って僕が音楽を書きプレイして、彼がリリックを書き、それをレコーディングした。アルバムのほとんどは、そのプロセスででき上がったんだ。コロナがあったから、ゲストの何人かは一緒にレコーディングできずに別々でレコーディングした曲もあったけど、それはコロナ禍でなくてもあることだから、普通でないとまではいえないかな。エイサップ・ロッキーは一緒にレコーディングしたけど、ラン・ザ・ジュエルズはリモートだったりしたんだよ。シンガーのパートも、別録しなければならなかった部分がいくつかあった。まあ、前からそういうプロセスも経験しているから、めずらしいことではなかったけどね。

今回のサウンドは、サンプリングのループを中心としながらも、マルチプレイヤーのあなたが楽器の演奏を足しているように聞こえますが、どこまでがサンプリングでどこまでが演奏なのか区別できないほど馴染んでいますね。

DM:サンプルだけを使った曲と、サンプルと生演奏がミックスされたものが入った曲があるんだ。それが区別できないほど馴染んでいると思ってもらえたのは嬉しい。それは、僕が意識したことだからね。これまで僕は、生楽器を使った作品もたくさん作ってきたし、サンプルを使った作品も作ってきた。でも今回は何もルールを設ける必要はなかったし、自分が何かを加えたい、加える必要があると思ったらそれを加えるという、本当に直感と自然の流れに任せたやり方で曲を作っていったんだ。僕が今回求めていたのは、メランコリーでドラマティックなサウンド。それを作り出すために、もう少しその感情を表現するために何かが必要だと思ったら、コード進行を考えたり、それに合ったサウンドを自由に加えたり取り除いたりしながら作っていったんだ。

やはり相当意図的なものだったんですね。そのサンプリングされているレコードの演奏に耳を傾けると、ひとつひとつの楽器のサウンドは当然録音された時代のヴィンテージ感があるにもかかわらず、同時にあなたの演奏であってもおかしくないほど現代的でクリアな分離が良いものとなっています。なぜこんなことが可能なのでしょう? 今作はミックス、サンプリング・サウンドの楽器の粒立ちというものに相当気を遣いましたか?

DM:2005年に彼と初めて出会ったときは、まだそこまでそのブレンドはうまくできていなかったと思う。でも、いまはその加減がわかるんだ。もちろん、やってみてしっくりこない混ざり方になってしまうこともあるけど、そのときはボツにするしね。このアルバムで聴くことができるのは、その成功例。どうして可能なのかを言葉で説明するのは、かなり技術的な話になってしまうからちょっと難しい。僕自身も、そういう技術的な部分が必要になってきたときは、エンジニアと一緒に作業するんだ。僕はプロのエンジニアではないからね。大切なのは、自分がその曲に何を求めているのかをきちんと把握していること。何を必要としているのかという目的がハッキリしていれば、それを作り出すために何を取り入れて重ね合わせるべきかがわかるからね。サンプルを使うなら、何のためにつかうのかというポイントを押さえて使いはじめなければならない。それがわかっていれば、作業はグッと楽になると思う。

僕が意識しているのは、その音楽を聴いたときに、その音を誰が演奏しているのかを人びとが想像できないサウンドを作るということ。僕は、リスナーに楽器を演奏している人を想像してほしくないんだよね。

基本はサンプリング・ネタにブレイクビーツの組み合わせという、非常にブーンバップの正統的な手法で制作されているような本作ですが、実はとても繊細な仕掛けがそこかしこに為されています。たとえば “Identical Deaths” のビートは一聴すると、最近オーセンティックなブーンバップ曲で流行っている完全なるワンループ、つまりドラムもウワモノもどちらも含んでいるネタのワンループに聞こえます。でもさらに耳を傾けると、フィールド・レコーディングのような街のざわめきが重なっていたり、後半部分ではラウドなブレイクビーツが絡む間奏があったりと、非常にシネマティックな作りになっています。あなたはこれまでデヴィッド・リンチやダニエル・ルッピなど映画監督や映画音楽制作者とも仕事をしてきていますが、今作の制作にあたって「映像的」な作品を作るという意図はありましたか?

DM:僕は比較的すべてのものをシネマティックな捉え方で見ているから、それが映像的な要素になっていると思う。自分が作品を作っているときも、サンプルを探しているときも、僕自身がそういうサウンドに惹かれるしね。でも、意図的に自分の作品を映像的にしようとしているというよりは、それを作り終えたあとに、自然とそうなっていることが多いんだ。僕が意識しているのは、その音楽を聴いたときに、その音を誰が演奏しているのかを人びとが想像できないサウンドを作るということ。僕は、リスナーに楽器を演奏している人を想像してほしくないんだよね。ドラムやギターを演奏する姿を思い浮かべてほしくないんだ。僕が作りたいのは、自分自身の世界を想像できるような音楽。だから、僕が求めている音楽は、背景にいるミュージシャンのことを考えさせない音楽なんだ。映画音楽は、それが実現できてる音楽だと思う。演奏ということを意識させずに人びとの頭の中に入っていく音楽だからね。

普段、視覚的なイメージにインスパイアされて音楽を作るケースはありますか?

DM:いや、ヴィジュアルにインスパイアされて音楽を作ることはほとんどない。それよりも、僕は音楽を聴いて、リスナーが自分のヴィジュアルを作り出し、それを感じてほしいんだ。

今作のシネマティック、という印象は、物語性を感じさせるという意味でもあります。今回のサンプリングされたサウンドの数々は、各楽器や歌声、ドラムの音まで非常に1970年代を感じさせる温かみのあるアナログ感が強調されています。さらに “Aquamarine” や “Saltwater” のように、ベースラインの動きで元ネタのサンプル・ループを4小節以上のコード進行のある叙情的な展開が作られていることで、背後に物語の存在を感じさせる曲作りになっていると感じました。あなたのミュージシャンとしての側面から、コード進行やハーモニーのある楽曲展開は自然と出てくるものでしょうか?

DM:自分が好きなものを取り入れている過程で、自然と出てくるんだ。自分が惹かれるものと、自分が作ろうとするものは似てくるからね。コード進行に惹かれることもあれば、楽器に惹かれることもあるし、テクスチャーに惹かれることもある。そういった魅力あるサウンドに自分が作るものを近づけようとする過程で、より楽しく、より意味のある展開ができ上がっていくんだよ。たとえば “Saltwater” は、サンプルには含まれていなかった感情を加えるために、あのベースラインを追加したんだ。そうすることで、新しいエモーショナルな要素が加わって、より良いものが生まれると思ってね。

そのような楽曲展開への志向が、ヒップホップ的なミニマルなワンループという制約でもあり美学でもあるものとあなたの中でぶつかり合うことはありますか?

DM:それは、僕がずっと前にサンプリングをしばらくやめた理由のひとつだった。デーモン・アルバーンと一緒にゴリラズのアルバムを制作していた頃は、ドラムのサンプルは使っていたけど、音楽的なサンプルはほとんど使わなかったんだ。コード進行やハーモニー、その他いろいろなものを使ってみたくても、サンプルを手にすると、そこにあるものに縛られてしまう。頭の中にアイディアがあっても、サンプルをアレンジして、その方向性を変えることはできない。ずっと前にすでに演奏されたものを、いまいきなり変えることはできないんだ。だからしばらく遠ざかっていたんだけれど、やっぱり良いものは存在するし、僕がサンプリングが大好きなことは紛れもない事実なんだよね。そして、サンプルを使うからこそ生まれる制約が逆に良いものをもたらすこともある。どちらがいいとかではなく、サンプリングと楽曲展開は別物なんだ。僕はそれを混ぜ合わせることができるけど、そこにはやはり生まれるものと失われるものがあると思う。

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個別の楽曲についても少し教えてください。“Belize” にはMFドゥームがフィーチャリングされていますが、『Danger Doom』のリリースから17年が経過しています。どのようにしてドゥームをフィーチャーすることになり、この曲は生まれたのでしょう?

DM:MFドゥームの部分をレコーディングしたのはずいぶん前だった。ドゥームとブラック・ソートは互いのファンで知り合いだったから、ドゥームのヴァースとブラック・ソートのヴァースを2、3曲レコーディングしていたんだ。で、僕がそれを使ってときどき作業はしていたんだけど、結局完成させることができずにいた。でも、このアルバムのために、“Belize” としてきちんと仕上げさせることにしたんだ。で、それが決まってから、このアルバムのムードとフィーリングに合うように、音楽を加えていったんだよ。あと、オリジナルのトラックには悲しみの要素はなかったけど、ドゥームが亡くなったいま、この曲には悲しみが必要だとも思って、それを加えたりもした。だから曲単体の雰囲気も変わったと思うし、アルバムにとても合う作品に仕上がったと思う。

“The Darkest Part” では、キキ・ディーの楽曲のサンプリング・フレーズを使っていますが、そのスピードとピッチを変化させることでコード進行をつけ、キッド・シスターの歌うフックが乗ることで全く新しい楽曲が生み出されています。これはサンプリング素材を使って新しい絵を描くという、非常にクリエイティヴな手法に思えます。どのようにしてこのような手法にたどり着いたのでしょう?

DM:その曲は、アルバムに収録されているものとは最初全く違っていたんだ。曲のほぼすべてが、ドラムのサンプルとキキのサンプルだったからね。すごくゴチャゴチャしていて、複雑だったんだ。で、アルバムができ上がるにつれて、僕が改めてその曲のためにコーラスの部分を書いて、それを歌ってくれるヴォーカルが必要になった。そこでキッド・シスターに連絡を取ったんだ。で、彼女の声はもちろん良かったんだけど、曲がまだまだゴチャゴチャすぎてしっくりこなかったから、ドラムのサンプルを全部取っ払ったんだよね。それから、僕のスタジオで働いてくれているサム・コリンに頼んでドラムを演奏してもらって、それをチョップして曲に加えたんだ。そうすることで、ボーカルがより目立つようになったと思う。その曲は、かなり試行錯誤してでき上がった曲なんだよ。その変化を加えるまで、アルバムに収録しようとさえ思えていなかったんだ。

アルバムの中であなたがお気に入りの曲はありますか?

DM:特別この曲ということはないけれど、“Aquamarine” は、ブラック・ソートの視点から見ていちばんエキサイティングな曲のひとつだと思う。あの曲が持つエモーションも好きだし。

確かに “Aquamarine” は本作の中でもひと際輝いている楽曲のひとつだと思います。あなたの壮大なスケール感のあるビートの上で、タリクがノリにノッて溢れ出すリリックをスピットしている感覚が伝わってきます。これらの楽曲が生まれた環境についてはいかがしょう。アルバム制作で使ったサンプラーやDAW、楽器、マイクなどのレコーディング機材について可能な範囲で教えてもらえますか。ハードウェアのサンプラーは使用していますか、それともPC上のソフトウェアでしょうか?

DM:ごめん。僕は機材に関しての質問には答えないことにしてるんだ。たぶん、ハードウェアのサンプラーは今回は使用していないと思う。ほとんどがソフトウェア。それが僕の原点だからね。『The Grey Album』も全部ACIDで作ったし。いまでもACIDを使ってるんだ。

サンプルを使うからこそ生まれる制約が逆に良いものをもたらすこともある。どちらがいいとかではなく、サンプリングと楽曲展開は別物なんだ。僕はそれを混ぜ合わせることができるけど、そこにはやはり生まれるものと失われるものがあると思う。

なるほど、いまでもACIDを使っているんですね。ありがとうございます。ではハイファイになりすぎないヴィンテージサウンドを表現するために、特に駆使したプライグインはありますか? それも含めサンプリング・ネタとドラムやブレイクビーツをフィットさせるために、どのような点に気を遣いましたか?

DM:その質問にも答えられないんだ。申し訳ない。いい質問だとは思うよ(笑)。スタジオにいてくれたら何を使っているのか見せるんだけど、言葉だけだと説明が難しいんだ。どの点に気を使ったかも言葉にするのが難しい。サンプルを探すときに、自分が他の人が見ているのとは違う部分に注目している音源を探したり、あまりにもハッキリとした特徴がないものを探すことかな。でも、あまり考えずに、これ最高だな! と思うものを選ぶこともある。そのサンプルの原型を崩しても、しっかりと機能するものである必要もある。それが機能するかは、もちろんまずは試してみる必要があるけどね。バランスが大切なんだ。

タリクは以前のインタヴューで「ブライアンの音楽を聴くと、リリックが自然と流れてくることに気づき、解放された気分になった」と言っていました。たしかに “Aquamarine” や “Saltwater” のようなビートにはラッパーを没入させる強烈な叙情的なサウンドを持っていると思います。自分の音楽のどこがラッパーを引きつけるのだと考えますか?

DM:わからないな。ラッパーとはそんなに何度もコラボしたことがないから。エイサップ・ロッキーは、僕がナールズ・バークレイと一緒にやった作品をすごく気に入ってくれたらしい。あの、エモーショナルでダークな感じに惹かれたらしいんだ。ブラック・ソートは、すごく好奇心が強かったんだと思う。彼は、もちろん僕の音楽も気に入ってくれたんだろうけど、僕がどうやって彼とフル・アルバムを作るかにすごく興味があったみたいなんだ。僕がいったい何をするのかが予測できなかったらしい。でも、皆、僕とコラボをする理由はすごくシンプルだと思うよ。ドゥームが僕とコラボしたのも、僕のビートを気に入ってくれたことが理由だったし。

逆に、あなたはタリクのラップのどのようなところに惹きつけられますか? 今作ではタリクの言葉や物語が引き出されるようなビート作りを意図的に目指したのでしょうか?

DM:彼は最高。彼は僕のお気に入りだし、彼がやることにはすべて奥深さがある。ブレス・コントロールも素晴らしいし、ヴォイストーンもそうだし、すべてが際立っているんだ。彼のすべてが必要不可欠な要素なんだよ。僕は長年彼の声をずっとファンとして聴いてきたから、ビートを作っている時点で、彼がラップを乗せたらどんな感じになるかが想像できるんだ。彼がこんな風にラップをするなら、こういうビートにしたらいいかな、とかね。で、もしビートとラップが合わなければ、彼が他の方法を試してくれたりもするしね。でもたいていは、ビートを作っている時点でなんとなくそれが彼の声と組み合わさったらどうなるかを想像できるんだ。

あなたはヒップホップ・アーティストに限らず幅広くプロデュース・ワークをおこなっていますが、ラッパーにビートを提供するビートメイカーとプロデューサーの大きな違いはなんでしょうか?

DM:そのふたつは全然違う。誰をプロデュースしているかによっても変わるけど、プロデュースに関しては、一からすべてをはじめる。制作をはじめるときには何もできていなくて、最初に思いついたコードやピアノ、ギター、リズムやドラムビートといったアイディアの周りにサウンドを構築していく。こちらの方が、よりコラボっぽいんだ。一緒に曲を書いて、一緒に楽器を演奏するから。一方で、ビート作りは、より瞑想的。ひとりで部屋にいるという部分も大きな違いだしね。でもどちらの場合でも、作業の過程で偶然起こる奇跡を期待していることに変わりはない。それを待って、それを元に曲を作っていくんだ。作業中にミスをして、そこから良いものができることもあるしね。形式的なソングライティングではなく、僕はそっちのやり方が好きなんだ。

ではプロデューサーとしてその作品をプロデュースする際に最も重要なことはなんでしょうか?

プレイリストの一部としてではなく、アルバムとして作品全体を楽しんでもらえたら嬉しい。日本ってまだCDショップがあるんだよね? アルバムを買ってそれを最初から最後まで聴くって素晴らしいことだと思うから、ぜひそうしてほしい。

DM:自分のフィーリングを信じることかな。他の誰かが難色を示しても、それに心を揺るがさないこと。何かに対して最高だと思ったら、それを貫かないと後で必ず後悔するから。これはいい! と思ったら、その気持ちを信じてそのまま進みつづけることが大切だと思う。

あなたのブロークン・ベルズの活動や様々なアーティストのプロデュース経験は、久々のヒップホップ・アルバムとしての今作の制作にどのような影響をもたらしているでしょう?

DM:いちばん大きかった影響は、曲の構成とアレンジメントの仕方だと思う。あとは、メロディックで悲しい感情の表現かな。“No Gold Teeth” みたいな曲からはその影響は感じられないかもしれないけど、アルバムのほとんどはその影響を受けていると思う。あとは、考えすぎないこと。何か良いものがすでにできているなら、そこからあまりこれでいいのか、もっと手を加えた方がいいのかと深く考えすぎず、そのできたものを信じること。サンプルも、ときにいじりすぎずにそのまま使った方がいいものもあるしね。シンプルであることの大切さも、そういった経験から学んだと思う。

トラップがメインストリームとなって以降、それでも依然としてサンプリング主体のヒップホップは生き続け、進化しているように見えます。あなたは数多くの楽器を扱うミュージシャンでもありますが、『Grey Album』以降ずっと中心的な制作方法であるサンプリングという手法はあなたにとってどんな存在ですか? サンプリングというアートのどこに魅力を感じていますか?

DM:難しい質問だな(笑)。どんな存在かを説明するのは難しいけど、魅力なら答えられる。サンプルにおけるベストな部分は、作業をしながらも、そのサウンドのファンでいられること。自分で楽器を演奏していると、ちょっと自意識過剰になってしまって、自分のやっていることだけに耳を傾けてしまうことが多々ある。でもサンプリングをしているときは、ただそれを流しているだけで美しいサウンドを聴くことができるんだ。あと僕は、再文脈化することが好きだから、すでに自分と深い関係のある曲をサンプリングするのは好きじゃない。曲全体が大好きな作品は、それを変えたいとは思えないからね。あと、他の人びととのつながりが強すぎる曲も選ばないようにしている。多くの人がすでにつながりを持ってイメージが固定したものではなく、自由にアレンジしても心地がいいものを選ぶようにしているんだ。

日本のヒップホップ・ヘッズたちも、このアルバムを歓迎しています。日本のファンたちへメッセージをお願いします。

DM:僕はシンガーやフロントマンではないから、こういう形で誰かに向けてメッセージを伝えるのは得意じゃないんだ(笑)。だから、このインタヴューで話したことを僕からのメッセージとして受け取ってほしい(笑)。今回のアルバムは、たくさんのレイヤーが重なってひとつの作品ができている。だから、プレイリストの一部としてではなく、アルバムとして作品全体を楽しんでもらえたら嬉しい。日本ってまだCDショップがあるんだよね? アルバムを買ってそれを最初から最後まで聴くって素晴らしいことだと思うから、ぜひそうしてほしい。

今日はこの素晴らしいアルバムの成り立ちについていろいろと興味深いお話を伺うことができました。どうもありがとうございました。

DM:日本には何度か行ったことがあって、日本は大好きな国なんだ。タリクはつい最近、ザ・ルーツのライヴで来日したばかりだしね。今日はありがとう。

Valerio Tricoli - ele-king

 イタリア、シチリア島北西部パレルモ出身で、現在はドイツのミュンヘンを拠点とするエレクトロ・アコースティック・アーティスト、ヴァレリオ・トリコリ。その新作『Say Goodbye To the Wind』が、フランスのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈シェルター・プレス〉からリリースされた。

 トリコリは、オープンリールテープを用いて霞んだ質感のサウンド・コラージュを作り続けているアーティストである。実験的な作風だが、その手仕事を感じるアナログな音響空間には不思議な魅惑が横溢している。聴き込むと現実と非現実の境界線が曖昧になるような感覚を得ることができるほど。それら音のエレメントは、アナログなテープ素材を手仕事で繋いでいったものだ。いわば音のブリコラージュ? 私見だが、そのようなブリコラージュ感覚こそ、10年代の「尖端音楽」「エクスペリメンタル・ミュージック」の(ある部分の)本質であったのではないかと考えてしまう。ひとことで言えばマシンとアナログの中間状態にあるようなサウンドとでもいうべきか。完全なデジタリズムから距離を取り、アナログの質感と手法を追及すること。しかしそのサウンドには大胆さと細やかさと新しさがあること。トリコリの乾いた音色には没入感と同時に常に突き放すような感覚がみなぎっているのだ。

 トリコリは、アヴァン・ロック・グループの3/4HadBeenEliminatedのメンバーとして活動しつつ、これまで10枚ほどのアルバムをリリースしてきた。そのなかにはトーマス・アンカーシュミット、ファビオ・セルヴァフィオリータ、ヴェルナー・ダーフェルデッカー、ハンノ・リッチマンら優れたサウンド・アーティストたちとのコラボレーション・アルバムも含まれる。個人的にはヴェルナー・ダーフェルデッカーと共作したジョン・ケージの初期電子音楽作品のリアライズ・アルバム『Williams Mix Extended』(Quakebasket/2014)が強く印象に残っている。硬質で硬く、強く、美しいサウンドだった。またユニットとして、作曲家、ピアニスト、エレクトロニックミュージシャンとのアンソニー・パテラスとのAstral Colonels、ニコラス・フィールドとのRe-Ghoster、エッカ・ローズ・モデルカイとのMordecoliとしてもアルバムを発表している。 とくにAstral Colonelsは現代音楽とモダンな先端音楽が優雅に融合したようなアルバムで一時期、愛聴したものだ。

 ソロ作品としては、2004年にイタリアの実験音楽レーベル〈Bowindo〉からアルバム『Did They? Did I?』を送り出して以降、現在まで継続的にアルバムをリリースしている。なかでもドイツのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈PAN〉からリリースした『Miseri Lares』(2014)と『Clonic Earth』(2016)の二作は大変に素晴らしいものであった。この二作は〈PAN〉特有のセンスの良いアートワークもあいまって、彼のサウンドの魅力をリスナーによく伝えていた。一方本作は〈シェルター・プレス〉からのリリースである。トリコリにとってこのレーベルからは最初のリリース作品だ。私は当初は意外な組み合わせに感じたものだが、いざ聴いてみると彼の霞んだ音色のサウンド・コラージュと、〈シェルター・プレス〉特有の優雅な実験音楽のムードがよくマッチしていて、驚いてしまった。

 『Say Goodbye To the Wind』は、J.G.バラードやサミュエル・ベケットの『Le Dépeupleur』、そして「神智学」(神秘的直観、思弁、幻視、瞑想、啓示を通じて、神と結びついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものらしい)に強い影響を受けたアルバムだという。その意味で音による超越的な認識を希求するようとする意志がありそうだが、音を聴くと、ニューエイジ的な胡散くささはなく、もっと冷たく、物質的で、醒めていると形容しても良いようなサウンドに仕上がっていた。たしかに、過去のアルバムよりは、ややドラマチックに音響が拡張するような面もあるが、マテリアルな質感は維持したままであり、それほどのものではない。
 
 本アルバムには約25分の“Spopolatore”、約17分の“Mimosa Hostilis”と“De Vacuum Magdeburgicus”などの長尺3曲を収録している。どの曲も時間感覚がうっすらと溶けていくような感覚のコラージュサウンドを味わうことができる。静寂な空間の中に、アナログ・テープから不意にいくつもの音が再生され、折り重なっていくような感覚。環境音に加え、次第に弦楽や管楽器、さらには声も聴こえてくるのだが、過度に音楽的になることはなく、物質的でクールな感覚が残存しているのである。抽象と具象の境界線が溶け合っていく音響空間だ。

 1曲目“Spopolatore”はベケットの『Le Dépeupleur』にインスパイアされた曲らしい。音の群れがうごめき、やがてそれが物音の交響楽のように拡張していくさまを耳にすることになるだろう。硬質なチェロの音が麗しい。つづく2曲目“Mimosa Hostilis”は、生後数ヶ月のトリコリの息子の微かな息の音から始まり、やがて音が生成・変形し、メタリックな持続音を生み出していく。3曲目“De Vacuum Magdeburgicus”は、冷たく美麗なチェロの音から幕を開け、静謐で細やかな音が折り重なり、深淵な音響空間を生み出していく。チェロや声の要素がサイケデリックに拡張され、意識に浸透するような曲だ。どうやら17世紀のドイツの科学者オットー・フォン・ゲリケを振り返るようなテーマらしい。

 本作に満ちている幽玄な音のマテリアリズムというべきものは、トリコリの初期作品から変わらないものである。冷めている/醒めている感覚の発露。彼のサウンドが10年代的な実験音楽(エクスペリメンタル・ミュージック)を象徴するものがあるとすれば、この物質的な冷めた音の質感だろう。むろんそれはこの最新アルバムでも同様である。導入された楽器音や声ですらもマテリアルな質感を醸しだしているんだから。まさにサウンド・コラージュの達人による至高の一作。うごめく音の一音まで聴き込みたいアルバムといえよう。

Dry Cleaning - ele-king

 メロディアスなギター、静かに語りかけるようなヴォーカルに、高い文学性を備えたリリック。突き抜けるようなポストパンク・サウンドで大いに称賛を浴びている4人組、ドライ・クリーニングがついに日本にやってくる! 東京と大阪の2公演で、11月30日(水)は恵比寿 LIQUIDROOMにて、12月1日(木)は梅田 CLUB QUATTROにて開催。10月21日に発売されるニュー・アルバム『Stumpwork』のリリース直後という、絶好のタイミングでもある。これを逃す手はないでしょう。売り切れる前に急げ。

DRY CLEANING
待ちに待ったドライ・クリーニングの初来日公演、詳細決定!
最新作『Stumpwork』は 10月21日発売!

新進気鋭バンドがひしめき合うサウス・ロンドンのシーンでも 80~90s の US ニュー・ウェーヴ / オルタナ の芳香を纏ったアートな佇まいで、多くの音楽ファンを魅了し、 デビュー・アルバムがいきなり全英チャートを4位まで駆け上がった4人組バンド、ドライ・クリーニングの初来日公演が決定!

デビュー・アルバム『New Long Leg』は、全英アルバム・チャートで4位を獲得、2021年のベスト・アルバムの一つとしても選定され高い評価を得た(The New York Times、Pitchfork、SPIN、The Atlantic、The Ringerが、その年のトップ10アルバムに選出)。ここ日本でも音楽専門誌からファション誌まで幅広いメディアに取り上げられ、大絶賛を浴びた。

今回の初来日に先駆け10月21日には最新アルバム『Stumpwork』が発売される! このアルバムを聴けば、彼らの勇気ある挑戦を感じるに違いない。最新作でも、巧みで複雑なリフにしっかりと絡みつくヴォーカル、フローレンス・ショウのシュールな歌詞は、様々なテーマに渡り感受性も強めていて、激しくソリッドなオルタナ・ロックやポストパンクのアンセム感とジャングルやアンビエント・ノイズとが融合したバンドの鋭くも豊かな音楽性、アート感が作品全体に漲っている。これは、完全にドライ・クリーニング独自のものであり、同世代のバンドとは一線を画す、刺激的なサウンドである。
ディーヴォからソニック・ユースまでを彷彿とさせる個性的なサウンドを放つに要注目バンドの初来日公演、これは見逃せない!

東京  11月30日(水) LIQUIDROOM
大阪  12月1日(木) 梅田 CLUB QUATTRO
OPEN 18:00 / START 19:00
前売¥6,000(スタンディング、ドリンク別 )
INFO: BEATINK [www.beatink.com], SMASH [smash-jpn.com]

●TICKET INFORMATION
オフィシャル先行受付*外国語受付有り
受付期間:9月13日 18:00~9月19日(月)23:59
日本語受付: https://eplus.jp/dry-cleaning22-official/
For Foreign languages: https://ib.eplus.jp/drycleaning

●最速プレオーダー
受付期間: 9月20日 12:00~9月25日 23:59
受付URL: https://eplus.jp/dry-cleaning/

●一般チケット発売 *外国語受付有り
10月1日(土) 10:00~
東京:e+ 、ぴあ(227-390)、ローソン(73557)
大阪:e+ 、ぴあ(227-258)、ローソン(55648)
For Foreign languages : https://ib.eplus.jp/drycleaning

チケットに関しての注意事項
・先行予約・一般発売共に1回の申込に付き4枚まで購入可能
・電子チケットのみの取り扱い。(発券は公演2週間前になります。)
・チケット購入者は購入時に個人情報の入力が必要になります。
 複数枚購入の場合は、チケット分配時に同行者の方の個人情報の入力をお願いします。
・小学生以上はチケットが必要となります。
・保護者1名同伴につき、未就学児童1名まで入場可能。
・未就学児は同行の保護者の座席の範囲内で観覧可能。

企画/制作:SMASH/BEATINK
INFO:SMASH [smash-jpn.com] / BEATINK [www.beatink.com]

10月21日に世界同時発売となる新作『Stumpwork』の日本盤CDには解説および歌詞対訳が封入され、ボーナス・トラックを追加収録される。なお、限定ブラック・ヴァイナルには購入者先着特典としてシングル「Don't Press Me」とアルバム未収録曲をカップリングした特典7インチ(レッド・ヴァイナル)をプレゼント。通常アナログ盤はホワイト・ヴァイナル仕様でのリリースとなり、どちらも初回限定日本語帯付仕様となる。現在各店にて絶賛予約受付中。

label: 4AD / Beat Records
artist: Dry Cleaning
title: Stumpwork
release: 2022.10.21 FRI ON SALE

国内盤CD
4AD0504CDJP(解説・歌詞対訳付/ボーナス・トラック追加収録/先着特典タオル)¥2,200+税

LP限定盤
4AD0504LPE(限定ブラック/初回日本語帯付仕様/先着特典7インチ)¥3,850+税

LP輸入盤
4AD0504LP(通常ホワイト/初回日本語帯付仕様)¥3,850+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12859

TRACKLISTING
01. Anna Calls From The Arctic
02. Kwenchy Kups
03. Gary Ashby
04. Driver's Story
05. Hot Penny Day
06. Stumpwork
07. No Decent Shoes For Rain
08. Don't Press Me
09. Conservative Hell
10. Liberty Log
11. Icebergs
12. Sombre Two *Bonus Track for Japan
13. Swampy *Bonus Track for Japan

BEAT GRANDPRIX - ele-king

 ビートメイクと映像のオンラインコンテスト「BEAT GRANDPRIX(ビートグランプリ) MUSEUM 2022 supported by TuneCore Japan」が作品を募集している。これは、パンデミック前は名古屋で開催されていた「ビートグランプリ」という、全国から凄腕のビートメイカーが集結し、1on1のバトル形式で勝敗を競うという人気のコンテストだったもののオンライン版。
 過去、多くの著名なビートメイカーを輩出してきた大会。今回は、オンラインということもあってか、映像にも視野を広げ、名称もあらたにアート・コンテスト「ビートグランプリ MUSEUM」として再スタート。ちなみに昨年は、Mitsu the Beats (GAGLE / Jazzy Sport) 、☆Taku Takahashi (m-flo,block.fm)、TOMOYUKI TANAKA (FPM) 、鈴木光人(スクウェア・エニックス)など第一線で活躍しているアーティストが審査員として集結した。ビートを作っている人たちは参加しよう!

 なお、コンテストに関する詳しい説明は、ビートグランプリWEBサイト(https://beatgp.com/)を参照ください。


Kamui - ele-king

「この世界の色を塗り替える/できないなんて思ったことねえぜ/stay young 正解はない/俺は疾風/誰よりも先走る」(“疾風” より)

 『YC2.5』は、スピードに対する偏執が垣間見える作品だ。数々の乗り物や速度を表すモチーフ、それらに命を吹き込み駆動させるSEや効果音、ダッシュするビートとラップ。走ること、運動することによって変化する景色、視界を巡る色彩、肌を切りつける風。

 Kamui は名古屋出身、現在は東京を拠点に活動するラッパーである。ダメ元で送ったというデモテープにプロデューサー/エンジニアの illicit Tsuboi が惚れこみ、2016年に『Yandel City』でアルバム・デビュー。その後なかむらみなみと結成した TENG GANG STARR や若手ラッパーをフックアップし組んだ MUDOLLY RANGERS での活動、THE ORAL CIGARETTES とのコラボレーション、そしてソロ活動で積み上げているカッティング・エッジな作品がアンダーグラウンドでつねに話題を呼んできた。『YC2.5』は2020年にリリースしたものの配信を取り下げることになった『YC2』のデラックス・ヴァージョンとして、クラウドファンディングで制作された最新作。「本作の完成度に大きく寄与するのは全曲のフック(hook)、つまりサビに掛かってるといっても過言ではないだろう」(※)と言及されていることからもわかるが、『YC2』ならびに『YC2.5』は過去作と比較し一段とフックのキャッチーさが際立っている。

 けれども、アルバム終盤の “疾風” と題された象徴的な曲で表現されている通り、『YC2.5』はそのビートとラップでもってキャッチーに/滑らかに疾走するだけの作品ではないことも明らかだ。過去にもポエトリーラップ的手法で過剰な量のリリックをぶちまけヒップホップのリズムを大いに乱してきた Kamui は、颯爽と駆け抜けなければならないはずの曲──少なくとも「疾風」というタイトルからはそのようにうかがえる──でさえ、「stay young」と「正解はない」、「疾風」と「走る」で律儀すぎるくらいに韻を踏み、スピードを減速させて躓きを生む。そもそもこれまでも変則的なフロウが表出するしかなかった Kamui というラッパーのいびつな実存だが、サイバーパンク的SFを構築した架空と現実が入り乱れるような世界観をさらに推し進めた本作においても、彼のラップはゆがみ、捻じれ、やはり躓いている。

 日本語ラップ史における「スピード」をモチーフにした作品というと Shurkn Pap の数々の曲が想起されるが、たとえばその運動性が極まった傑作 “ミハエルシューマッハ feat. Jinmenusagi” と比較しても、Kamui の特異さは際立っているだろう。一直線に走り抜ける「ミハエルシューマッハ」と対極にある価値軸を際立たせる『YC2.5』は、多彩なビートやめくるめくフロウによって細やかな情景を想起させながらも、それら各シーンをコマ送りするなかで、立ち上がってきた運動自体に Kamui の「蛇行する身体」が異質の文法を導入している。

──「未来はいち方向だけに進んでいるわけじゃないわ。私たちにも選べる未来があるはずよ」

 冒頭の “Runtime Error” で告げられる台詞は、そのまま次の曲 “ZMZM” に繋がりながら、ここでも一方向だけにスムースに進まず躓いてしまう Kamui のいびつさを明らかにする。「MAZDA ZMZMZM」というフックが一聴するとキャッチーなようにも聴こえる本曲は、しかしながらマツダを飛ばしつつ振り絞る「ZM」の反復が、アクセルを踏んだ次の瞬間に弛めざるをえない凸凹の身体感覚を浮き彫りにさせる。そもそも、『YC2.5』は近未来を描きながらも無機質な電動マシーンがただただ加速し動いていくという姿が想起されづらい。むしろ、排気ガスを噴出しながら、アクセルとブレーキを人体の不自由さに委ねるしかない旧来的などうしようもなさが終始渦巻いている。Kamui のオルターエゴであるボーカロイド・キャラクター suimee やピーナッツくんなどが随所で前面に立ちながらも、ゆえに、SFにありがちな冷淡さは退けられ、街や人に体温が通っている。そう、本作においてはSFが運動を規定するのではなく、運動がSFを形作っているのだ。たとえば『I am Special』(2019年)を支配していた音割れに向かうブリブリのベースラインも、シングル曲 “東京CyberPunkness” (2020年)の各小節内で散らかる花火のようなサウンドの破片も、最新作『YC2.5』ではある程度まで過剰さが抑制されている。しかし、いや、だからこそ、それでも整理整頓しきれずにそこかしこに飛び散る Kamui の肉体の破片が際立っている。思えば、デビュー・アルバム『Yandel City』からインダストリアルなビートの導入を徹底することで自らの体温を際立たせていた彼のことだ。

 あるいは、“BAD FEELING feat. 荘子it” のドラッギーなスピード感は格別とも言えるだろう。1:09からスピットする Kamui のラップは音節の区切りが交錯し、リリックにある通り、まさに痙攣と眩暈を喚起するような未聴感を届ける。Kamui の蛇行による異物感がクライマックスを迎えたところで入る荘子it のヴァースも抜群にキレている。重いラップの演出! 重々しい自らの実存をどうにか持ち上げて駆動させていくような、スピードと重量の引っ張り合いが破裂しそうではないか。「リストカットまみれのナオンとネオン/律動過多のパオンが振り切るレッドゾーンのエンジン音(ぶおおおん)」というラインではエンジンをふかす騒々しい音とともにネオン輝く歌舞伎町の情景がアクロバティックに描写される。リストカットまみれのぴえん系女子が「ぴえん超えてぱおん」と呟きながらたたずむ、それら生と死が漂うシーンを振り切って駆け抜けるのは、車と一体化しつつ実存を懸けて死ぬまで生ききる「重々しい」ラッパーの姿だ。(昨年末に荘子it に取材した際、彼は最近初めてハマったというバイクのスピード、そこで風とともに路上にさらされる自らの身体の加速について熱心に語ってくれた。おそらく、彼のなかでスピードと実存というものは昨年末から大きなテーマになっているのではないだろうか)

 躓き、蛇行、重さ──。それら運動は、本作におけるスピードを一筋縄ではいかない、非常に興味深い試行錯誤として成立させている。だからこそ、Kamuiは、その変化球のスピードで世の中の先を進む。『Cramfree.90』(2018年)とトラヴィス・スコット『ASTROWORLD』(2018年)、『MUDOLLY RANGERS』(2019年)とリル・アーロン『ROCK$TAR FAMOUS』(2018年)、『I am Special』(2019)とプレイボーイ・カーティ『Whole Lotta Red』(2020年)──それらは共鳴しているに違いない。もはや2022年のヒップホップがトラップとブーンバップの範疇を超えてあらゆるリズムやニュアンスを吸収していることと同様に、『YC2.5』は四つ打ちやドラムンベースなど多彩なビートと Kamui の肉体の破片を飛び散らせながら、最後の曲 “Hello, can you hear me” で空っぽな空洞のようなトラックのなか、手を差し伸べて「君」を確かめる。これは希望だろうか──開始から1分56秒で、相変わらず躓いたリズムを響かせながら。

「頭ん中ぐちゃぐちゃになったけど/死ぬことをやめました/壊れたものは元には治らない/だから花火を天に打ち上げよう」
「遠のく記憶の先で/君の声が聞こえたよ/目が覚めたならもういないよ/手を差し伸べて/俺は君を確かめた/思い出になる前に/消えてしまう前に」

※万能初歩【Album Review】 Kamui, 《YC2》 (2020)
https://note.com/allroundnovice/n/n5337c1c2638e?magazine_key=m0a82010e3a19

interview with Jockstrap - ele-king

 男性用下着を名乗る彼らが最初に注目を集めたのは、2018年のEP「Love Is The Key To The City」だった。ストリングスを効かせたラウンジ・ミュージックとグリッチという、ある意味で対極のものを融合させるアイディアは、現在の彼らの音楽性にも通じている。すなわち、ある既存の音楽をもとの文脈から切り離し、自分たちの感性に引きつけて再構築すること。いわばメタ的なポップ・ミュージックである。それを理屈優先ではなく、自然にやってのけているところがジョックストラップの強みだろう。
 ともにギルドホール音楽演劇学校に通っていたふたり、ヴォーカリストでありヴァイオリニストでもあるジョージア・エラリーと、プログラミング担当のテイラー・スカイから成るロンドンのデュオは、その後〈Warp〉と契約。「Wicked City」など2枚のEPを送り出したのち〈Rough Trade〉へと移籍、このたびめでたくファースト・アルバムのリリースとあいなった。
 初のアルバムではほとんどの曲にヴァイオリン隊がフィーチャーされている一方、多くの曲で電子ノイズやパーカッションなどが単調さを遠くに退けている。先行シングル “Concrete Over Water” に顕著なように、展開の読めなさもまた彼らの武器だろう。
 ときにシュールでときにロマンティックなエラリーの詞にも注目しておきたい。そもそもジョックストラップなるバンド名がそうなわけだが、「自分に触れると/いつだってわかる」(“Glasgow”)のマスターベーションのように、通常「(女性がそれを)公言するのは好ましくない」とされるセクシュアルな表現を遠慮することもない。“Greatest Hits” では「想像して 私はマドンナ」と歌われている。飾らずに官能をさらけだすスタンスも、本作の魅力のひとつだ。
 クラシカル、ジャズ、ハウス、ダブステップなどなどの小さな断片が違和感なく調和した、このみずみずしいエレクトロニック・ポップがどのように生み出されたのか、BCNRの一員として来日していたジョージア・エラリーに話を聞いた。

ダブステップはとてもエモーショナルだし、音の幅を広げるというか、どこまで動物的でモンスターみたいな音にできるか、みたいなおもしろさがあると思います。

今回はジョックストラップの取材ですが、先ほどBCNRのチャーリー・ウェインとメイ・カーショウの取材に立ち会ってきました。フジロックはどうでしたか?

ジョージア・エラリー(Georgia Ellery、以下GE):環境もいいし、お客さんもじっくり聴いてくれたし、ステージのセットアップもよくて最高でした。

日本は初めてですか? どこか行かれましたか?

GE:素晴らしいですね。東京大好きです。こんなに熱帯的でトロピカルとは思っていませんでしたけど、暑いのは好きだから。街も刺戟的で、ファッションもとてもすてき。

いまイングランドも熱波到来でめちゃくちゃ暑いですよね。

GE:湿気は向こうのほうが少ないんですが、暑いといろいろ故障しちゃったりするんです。暑すぎて電車が走らないとか。古い線路だと、一定以上の温度になると危ないみたいで。最近はコーティングをして熱対応にしているみたい。すごく不便ですね。

暑さでライヴに支障が出たりはしないんでしょうか? 曲順がトんだりとか。

GE:(フジの)ステージ上はちょっと暑かったけど、それほど大変ではなくて。ちょうどわたしたちの出番のときに曇ってきたから大丈夫でした。虫が楽器に止まったりして良かったです。

ジョックストラップの結成は2017年です。バンド名が一風変わっていますが、どのようなコンセプトではじまったプロジェクトなのですか?

GE:じつはバンド自体よりも先に、名前が決まっていたんです。ヘヴィ・メタルのバンド名が大好きで、「ジョックストラップ」ってどこかアイアン・メイデンみたいにエロティックな感じもあるし、ハードコアな感じもあるから。もともとわたしが考えていたコンセプトがあって、テイラー(・スカイ)に「こういう名前で考えているんだけど、一緒にやらない?」って聞いたら「いいんじゃない?」ってすぐOKしてくれました。おかしな話だけど(笑)。でも母親は「え!?」って。「なんでそんな名前にしたの」みたいな(笑)。でもスポティファイにもそんな名前のひとはいなかったし、いいかなって。

どういう音楽性のバンドにするかも決まっていたんですか?

GE:初めはどういうサウンドになるかぜんぜんわかりませんでした。わたしがつくったデモをもとに、テイラーがプロダクションを加えるかたちで。彼のプロダクションがどういうものか、フェイスブックにクリップみたいなものを上げていたから、だいたいはわかっていたけど、それらが融合したときにどういうものができるかは、そこまでよくわかっていなかった。

エラリーさんが作詞・作曲、スカイさんがプロデュースの担当ですが、作詞・作曲を済ませたあとは彼に任せる流れですか?

GE:最初は個別でつくるんですが、テイラーのつくってきたプロダクションを聴かせてもらって、ふたりとも気に入ったものがあった場合はそれを追求していく。それからふたりでエディットしながらいいものへと仕上げていくんです。互いが互いの作詞・作曲、プロダクションに興味があるから、ふたりでゴールを定めて共同作業していく感じかな。

先にトラックがあって、それに味つけしていくというパターンもあるのですか?

GE:今回のアルバムではそういう順番でつくったものが何曲かあって、“50/50” って曲なんかはテイラーのトラックの上にわたしが重ねていく、という手法をとりました。

いま話に出た “50/50” は「アー、エー、ウー、イー、アー」と母音で歌い上げるのが印象的です。これにはなにか参照元などがあったのでしょうか?

GE:彼が聴かせてくれたサンプルがあったんですが、それにたいするわたしの解釈が母音みたいだなと思ったから。

リリックはどのようなプロセスで書くのでしょうか?

GE:リリックを書くときはいつも、詩みたいに短い感じで書きます。内容としては、自分が個人的に体験したこと……自伝って言うのかな、そこで生まれた感情を受け入れたいときに、詩的に書く。それがリリックのベースになっていますね。

リリックを書くうえで、小説や詩など文学を参照することはありますか?

GE:シルヴィア・プラスというアメリカの詩人。彼女はシュールなイメージの自伝的なものを書いています。あと、おなじくアメリカの作家の、キャシー・アッカー。スリルのある近代的なライティング・スタイルで、散文やストーリーを書くひとです。

今回リリックでもっとも苦労した曲はどれですか?

GE:“Debra”。これも最初にトラックがあって、それにリリックを載せていきました。ビートがかっこよかったから、その要素に合わせていい歌詞を書きたいと頑張っていたんだけど、すごく難しくて。結局、ゲームの『あつまれ どうぶつの森』の内容についての歌詞になりました(笑)。

わたしたちは1曲1曲がヒット曲みたいなものをつくりたい

『あつ森』はふだんからけっこうプレイしているんですか?

GE:かなりね(笑)。

『あつ森』もその一種に数えられることがありますが、最近はメタヴァースが話題です。そういった仮想空間でアヴァターを介してコミュニケイションをとることについては、どう思っていますか?

GE:わたしはあまりほかのひとと一緒にはやらずに、ひとりでやることが多いんですが、やっぱりその空間は完璧なヴァーチャル・ワールドで、とても心地いい。一種の逃避ですね。インスタグラムのヴァージョンでフォロウするのが楽しくて、よくやっています。

もし『マトリックス』の世界のようにテクノロジーが発展したら、そちら側の世界で暮らしてみたいと思いますか?

GE:バランスが重要ですよね。難しいことにも直面するだろうし。

これはスカイさんに訊くべき質問かもしれませんが、ほとんどの曲に変わった音だったりノイズだったりが入っていますし、展開がまったく読めなかったり、実験的であろうと努めているのがわかります。ただ気持ちのいいポップ・ソングをつくるのではなく、実験的であろうとするのはなぜでしょう?

GE:テイラーはつねに新鮮なサウンドを求めていて、そこに刺激を感じるひとなんです。いままで聴いたことのあるものだとつまらないと感じるタイプだから、いつもじぶんの限界に挑戦して、聴いたことのない音を追求していますね。彼は11歳のころからプロダクションをやっていて、自分のスタイルに磨きをかけているひとだから、非常に独特な方法で(サウンドを)追求しているし、そんな彼を尊敬しています。

彼はどういった音楽から影響を受けたのでしょうか?

GE:確実にダブステップだと思う。わたしもそうなんだけど、そこからいちばん影響を受けているかな。ダブステップはとてもエモーショナルだし、音の幅を広げるというか、どこまで動物的でモンスターみたいな音にできるか、みたいなおもしろさがあると思います。あと、ブロステップやハウスからも影響を受けていますね。

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ダブステップのアーティストだとだれが好きですか?

GE:スクリレックスかな。あとトータリー・イノーマス・エクスティンクト・ダイナソーズ。ハウスにエモいヴォーカルが入っている感じで。ジェイムス・ブレイクが出てきたときも、そのポスト・ダブステップにとても感銘を受けました。彼はソングライティングもすばらしいから、そこからも大きな影響を受けていますね。あとはジェイミー・エックスエックス。エモーショナルかつダンス・ミュージックで、そのふたつの要素の融合に惹かれますね。

では、ダンス・ミュージック以外で影響を受けた音楽はありますか?

GE:70年代のジョニ・ミッチェルとか、80年代のコクトー・ツインズとか。80年代のオルタナティヴなミュージック・ライティングとかが好きですね。

そのあたりはリアルタイムではないと思いますが、どのようにして発見したのでしょう?

GE:ジョニ・ミッチェルやボブ・ディランは両親からの影響で……似たようなテイストがわたしにも引き継がれているのかも(笑)。テイラーの場合は、両親が実験的な音楽が好きだったから、父親がジェイムス・ブレイクのアルバムを聴かせてくれたり、母親がスクリレックスのライヴに連れていってくれたりしたみたい。

バイオグラフィーによると、クラシック音楽を聴いて育ったのですよね? そちらの道に進まなかったのはなぜですか?

GE:テイラーは12歳ぐらいのときにコンピューターを手に入れてから、じぶんで音楽ができることに気づいて、電子音楽のプロダクションにのめりこんだんだと思う。わたしの場合は、そこまでクラシックの演奏が上手じゃなかったし、オーケストラに参加するのもいやで、もっとちがうことがしたいと思ってジャズを専攻することにしました。

ヴァイオリンを習っていたそうですね。じつはわたしもかつて習っていたことがあるのですが、ヴァイオリンをやっていてつまらないと感じたのはどんなときですか?

GE:あなたも! つまらなかったというわけじゃなくて、弾くのは好きでした。オーケストラとかもね。ただちょっと堅いというか、世界が狭いというか。やっぱりわたしはダンス・ミュージックも実験的な音楽も好きだったから、ヴァイオリンだとクラシック向きすぎて、じぶんの作曲には合いませんでした。わたしはもっといろいろな道を探求したいから。あと、わたしってけっこうまじめなほうだと思うんですが、プロだと1日9時間くらい練習するんです。それはちょっと無理かなって。ほかにやりたいことがたくさんあるし。

本作のほとんどの曲にストリングスが入っていますね。やはりヴァイオリンの音を入れたかった?

GE:EPをつくったときに初めてストリングスのオーケストラを導入したんですが、そのときわたしたちの独特なサウンドがまとまった感じがしたから、アルバムをつくるとしたら入れようと思っていて、そうなりました。じぶんたちの持っているスキルの活用ですね。

ジョックストラップの作品に、あなたの出身地であるコーンウォールの要素は入っていると思いますか?

GE:意識的には、ないかな。むしろロンドンという都会の街の要素のほうが強いし、歌詞にもそういった部分は出ていると思います。

ちなみにBCNRとジョックストラップとで、もっとも異なっている点はどこでしょう?

GE:BCNRだと、みんなでリハーサル・ルームに集まって演奏しながら作曲して、ライヴを経て曲が完成していくんですが、ジョックストラップの場合はテイラーのベッドルームで集中的に作業して、曲を完成させてから初めてライヴで披露します。だから作曲のプロセスがいちばんちがう部分かな。

「ハイパーポップ」ということばがあります。ジョックストラップはそれと同時代に属しながら、それが持つある種の過剰さや空虚さとは異なる方位を向いている印象を受けます。

GE:たしかにハイパーポップから影響は受けていると思う。とくにソフィーにはね。彼女はすごく独特なスタイルだし、彼女にしか表現できない音楽のランゲージが存在する。テイラーにもそういう部分があると思うから、ハイパーポップとの共通性はあるかもしれません。とくに前回のEPはハイパーポップに近いものだったかも。

今回は初のアルバムです。流れがあり、それをしっかりと聴かせようという意思を感じました。

GE:アルバムにするってなったとき、曲順を考えなきゃいけないから通して聴いていたんですが、それまではあまり意識していませんでしたね。すべてがそうというわけではないけど、曲は時系列順だったり部類順に並べていて、EPも時系列順に並べています。1曲1曲のサウンドが大きくちがうから、曲順を考えるのはかなり難しかった。ひとによっては “Glasgow” を1曲目に持ってくるべきだって意見もあったんですが、最近つくった曲だから最後のほうに持っていって。そうすることで、わたしたちの進化の過程を表現したかったんです。ほかのアイディアとしては、ダンスっぽいトラックを前半に、アコースティックなものを後半にしようという案もありましたけど、それもなんかちがうなと。

マスタリングしていないヴァージョンをラジオに送って、一度かけてもらったことがあるんですが、それを録音してマスタリングすることで、ラジオの周波数の音が出せました。“Greatest Hits” はラジオのヒット曲についての曲だから

ほかのアーティストの音楽を聴くときは、アルバムを通して聴きますか?

GE:アルバムを通して聴くものもあります。アルバムの曲順によって流れがある作品もすごく好き。でもわたしたちは1曲1曲がヒット曲みたいなものをつくりたいから、そういった曲を並べるという作業がすごく難しくて。カニエ・ウェストもトラックリストを考えるのには苦労しているんじゃないかな(笑)。全曲ノリノリのアッパーチューンだと、べつに流れとかはないと思うから。

三曲目のタイトルはまさに “Greatest Hits” ですが、これがまさにそういった感覚をあらわしているのでしょうか? マドンナのようなヒット・ソングをつくってみたいという曲ですよね。

GE:“Greatest Hits” をアルバム・タイトルにしようというアイディアもあったんです。でも、すべてが “Greatest Hits” にはならなかったから(笑)。この曲はけっこうつくるのが大変で、マドンナっぽいサウンドもあるんですが、やっぱりテイラーはワンアクション加えたかったみたいで。OPN とザ・ウィークエンドのようなテープっぽい音を入れたくて、サンプリングを多用していますね。あとは、マスタリングしていないヴァージョンをラジオに送って、一度かけてもらったことがあるんですが、それを録音してマスタリングすることで、ラジオの周波数の音が出せました。“Greatest Hits” はラジオのヒット曲についての曲だから、そういったプロダクションをしたかったんです。

いまは2032年だと仮定します。10年前にこのデビュー・アルバムが出た意味とは、なんだったと思いますか?

GE:テイラーにとっては、新鮮味のないものかも。古いからもうダメ、みたいな(笑)。でもやっぱりヒット曲というか、バンガーであってほしいですね。名曲は変わらず名曲だから。

JOCKSTRAP x WAVE

いよいよ今週9/9にデビュー作をリリース!
ジョックストラップ 、WAVEとのコラボ・アイテムを同時発売へ!

ロンドンを拠点とする新生オルタナティブ・ポップ・デュオ、ジョックストラップの待望のデビュー・アルバム『I Love You Jennifer B』の世界同時リリースに合わせてWAVEとのコラボレーション・アイテムを発売することが決定した。

今回アルバムに使用されたアートワークを配したロングスリーブTシャツ、Tシャツの2型をリリース。9月9日(金)からWAVEオンラインストアとSOFTHYPHENにて発売する。

WAVE (ウェイヴ) ONLINE STORE www.wavetokyo.com
INSTAGRAM @wave_tokyo

80〜90年代を中心に “音と映像の新しい空間” としてカルチャーの発信基地のように様々な文化を発信する存在だったレコードショップWAVEの新しいプロジェクト。音楽、ファッションだけにとどまらない様々なカルチャーミックスをベースに情報を発信。

LONG SLEEVE TEE ¥8,800 (TAX IN)

TEE ¥7,150 (TAX IN)

名門ギルドホール音楽演劇学校で出会い、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのメンバーでもあるジョージア・エラリーとテイラー・スカイが2017年に結成したジョックストラップ。既存のスタイルを解体し、それを巧妙に組み直して全く新たなジャンルを生み出すような時間的そして空間的に激しく混乱した形のポップ・ミュージックを作り出すことで注目を集めている。また、先行シングル「50/50」はシャネルのキャンペーン・ビデオやステラ・マッカートニーのランウェイショーに使用されるなど音楽の領域を超えた話題も提供している。

2022年のカオス、喜び、不確実性、陰謀、痛み、ロマンスを他にはない形で表現しているジョックストラップの待望のデビュー・アルバム『I Love You Jennifer B』は、9/9世界同時発売。本作の日本盤CDには解説および歌詞対訳のDLコードが封入され、ボーナス・トラックを追加収録する。輸入盤は通常LPに加え、数量限定グリーン・ヴァイナルが同時発売される。

label: Rough Trade / Beat Records
artist: Jockstrap
title: I Love You Jennifer B
release: 2022.09.09 FRI ON SALE

国内流通仕様盤CD RT0329CDJP ¥2,200+tax
 解説+歌詞対訳冊子
輸入盤CD RT0329CD
輸入盤1LP (通常ブラック) RT0329LP
輸入盤1LP (グリーン・ヴァイナル) RT0329LPE

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12868

この楽しみを知らないのはもったいない!
最前線を切り拓くユニークな名作たちをテーマ別に紹介

独創的な想像力を発揮し、多くの魅力的なタイトルを生み出してきたインディ・ゲーム。
そのなかからぜひともプレイしておきたい名作を9つのテーマのもとに厳選、気鋭の執筆者たちによる深いレヴューとともに紹介する。
インディ・ゲームがどのように現実社会を映し出してきたかもわかる、画期的ガイドブック。

執筆陣:
田中 “hally” 治久/今井晋
徳岡正肇/洋ナシ/櫛引茉莉子/木津毅/松永伸司/葛西祝/藤田祥平
近藤銀河/野村光/古嶋誉幸/山田集佳

田中 “hally” 治久 (たなか・はりー・はるひさ)
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。作編曲家。主著/監修に『チップチューンのすべて』『ゲーム音楽ディスクガイド』『インディ・ゲーム名作選』。ゲーム音楽では『ブラスターマスターゼロ』等に参加。レトロ好きなのにノスタルジー嫌いという面倒くさいインディ者。

今井晋 (いまい・しん)
IGN JAPAN 副編集長。2010年頃からゲームジャーナリスト、パブリッシャー、リサーチャーとして活動。世界各国のインディーゲームの取材・インタビュー・イベントの審査員を務める。

目次

序文(田中 “hally” 治久)

第1章 戦争 (キュレイター:徳岡正肇)
第2章 インターネットと現代社会 (キュレイター:洋ナシ)

[コラム]現実の社会や政治を “想像” させるインディーゲームたち(葛西祝)

第3章 歴史 (キュレイター:徳岡正肇)
第4章 フェミニズム (キュレイター:櫛引茉莉子)
第5章 LGBTQ+ (キュレイター:木津毅)

[コラム]インディーゲームにおけるDIY精神とトキシックなコンテンツの関係(今井晋)

第6章 音楽 (キュレイター:田中 “hally” 治久)

[コラム]インターネットの音楽から影響を受けたインディーゲームの世界観(葛西祝)

第7章 アート (キュレイター:松永伸司)
第8章 アニメ (キュレイター:葛西祝)
第9章 文学 (キュレイター:藤田祥平)

[コラム]近年のゲームが持つローカル・アイデンティティ──地域性に根ざした多様な表現(徳岡正肇)

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interview with Koichi Matsunaga - ele-king

 DJイベントでもなんでも、そこにコンピューマの名前を見つける確率は、彼が仲間たちと精力的にライヴ活動をしていた90年代よりも、ゼロ年代以降、いや、テン年代以降のほうが高いだろう。年を追うごとにブッキングの数が増えることは、近年のアンダーグラウンドにおいては決して珍しい話ではない。シカゴのRP Booやデトロイトのデラーノ・スミスやリック・ウィルハイトのように、大器晩成型というか、年を重ねてから作品を発表する人も少なくなかったりする。ことにDJの世界は、ミックスの技術やセンスもさることながら、やはり音楽作品に関する知識量も重要だ。ゆえにコンピューマのDJの場が彼の年齢に比例して多くなることは、シリアスに音楽を捉えているシーンが日本にはあるという証左にもなる。
 とはいえ、そうした文化をサポートするシステムや人たちが大勢いる欧米と違って、この国でアンダーグラウンドな活動を長いあいだ続けることはそれなりにタフであって、だからコンピューマのようなDJはいままさにその道を切り拓いているひとりでもあるのだ。先日、アルバム『A View』を発表した松永耕一に、まあせっかくだし、これまでの活動を思い切り振り返ってもらった。

当時はそれを世に出すなんてことはとてもじゃないですが考えたことなかったです。「チェック・ユア・マイク」にはバイト仲間の友だちと一緒に応募しましたが、テープの段階で見事に落ちてました(笑)。

音楽活動をはじめてからいま何年目ですか?

松永:音楽活動は、バンド/グループのメンバーとして参加したのはADS(Asteroid Desert Songs)が初めてです。1994年末にADSイベントをはじめて、作品を出したのが確か1995〜6年にEPミニ・アルバムを出してますので、その頃から音楽活動をはじめたということになるのではないかと思います。

ADS( Asteroid Desert Songs)がきっかけだった?

松永:バンドやグループに入って、自分自身が何か楽器を演奏して音を奏でるっていうことは、それまではあまり考えたことがなかったんです。どうにもリスナー気質で、DJはやりたいと思っていましたが。そう、だから聴くの専門で、ただ高校時代ダンス・ミュージックのメガミックスが流行ったり、メジャーの音楽でもホール&オーツでのアーサー・ベイカーのリミックスなどを知ってからは、自宅でラジカセでカセットテープを切り貼りしてみて、下手くそながら連打エディットにトライしてみたり、強引にカットイン繋いだりしてみたり、もちろん遊びの延長で全然上手くできないんですが、雰囲気や気持ちだけは(笑)。
 その後上京して、コールドカットや「Lesson 3」などヒップホップ的メガミックスを知ってから、学生時代に4トラックMTRを使ってトラック作りの真似事やコラージュミックスなどを下手っぴで作ったりしたことはありましたけど、当時はそれを世に出すなんてことはとてもじゃないですが考えたことなかったです。〈チェック・ユア・マイク〉(※90年代初頭にはじまったECD主催のヒップホップのコンテスト)にはバイト仲間の友だちと一緒に応募しましたが、テープの段階で見事に落ちてました(笑)。
 そういうこともオタクDJの延長でやってました。なので、まさか自分がバンド/グループに関わって何か作品を出すことになるなんてことは思ってもいませんでした。

ヒップホップが大きかったんですか?

松永:リスナーの延長線上でも身近に音として戯れられるというか、こういう音の組み合わせにしたら何か新たな発見や楽しみ方ができたりワクワクしたのはあの時代に出会ったヒップホップ的ミックス感覚でした。大好きで影響を受けたのは、いとうせいこう/ヤン富田/DUB MATER X『MESS/AGE』、KLF『Chill Out』に『Space』、デ・ラ・ソウルの1stと2nd、ジャングル・ブラザース、パブリック・エネミー、そしてジ・オーブも。グレイス・ジョーンズ『Slave to the Rhythm』、マルコム・マクラレン『Duck Rock』などもあらためて……こういった作品やアーティストのセンスとユーモア、コラージュ感覚にとても惹かれました。クリスチャン・マークレイの存在もこの時期に知ってさらに世界が広がりました。あとは細野晴臣さん責任編集の季刊音楽誌『H2』の存在も大きいです。

KLFの『Chill Out』と『Space』が出てきたのは、その後のコンピューマの作風を考えてると腑に落ちますね。

松永:大胆なコラージュ感覚とか、惹かれました。アート・オブ・ノイズも大好きでした。

本当にサウンド・コラージュが好きだったんだね。

松永:いま訊かれて気付いたんですけど(笑)。そういう組み合わせの心地よさを無意識に感じていたんでしょうね。学生時代の音楽仲間と、いろんなジャンルのレコードのビートレスの曲のみでノンビートに近いDJミックスを作ったりしていたことも思い出しました。

10代のころ好きだったレコードを挙げるとしたら?

松永:PiL「Public Image」『Metal Box』『This Is What You Want…』、アート・オブ・ノイズ『Who’s Afraid Of The Art Of Noise』『Moment In Love』、プロパガンダ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドまで〈ZTT〉ものが好きでした。

東京出てきてからの方が音楽にハマった感じ?

松永:インターネットもまだなかったですし、当時の同じ地方出身者同様に、熊本での限られた情報のなかで雑誌やラジオ、テレビを聴いたり見たりしながら、ラジオ短波でエアチェックしていた大貫憲章さんの全英トップ20だったり、NHKサウンドストリートだったり、音楽雑誌で紹介されてるアルバムを聴いていました。ただ、小遣いも限りがあるし、いわゆる田舎の普通の高校生の趣味の範疇での世界で、情熱はありつつも、そこまで深追いはできてなかったのではないかと思います。
 思いだすのは、高校入学してすぐに仲良くなった音楽に詳しかった同級生から、彼の寮の部屋でペンギン・カフェ・オーケストラやブライアン・イーノを教えてもらったりして、衝撃を受けたりしてました。環境音楽? アンビエント? こんな音楽もあるんだとか。ヒップホップも、好きだったPiL経由で“World Destruction”を知って、アフリカ・バンバータの存在を認識しました。で、ジャケットがカッコよかった「Renegade Of Funk」の12インチを買ったり……。コールドカットのようなメガミックスものをちゃんと知るのは80年代後半に東京に出てきてからです。そこからまた新たな音楽世界を知っていくことが日々楽しくて楽しくて、友だちとレコード屋行きまくって、もちろん一人でも。当時は試聴もできなかったからレコードのジャケの雰囲気や裏面、見れたら盤面クレジットを舐めるように見て妄想して買ってみて、当たることもあれば、まったく予想と違っていたり、外したり……。ただ、そのときには聴いてよくわからなくても何とかわかろうとする気持ちというか、何度も聴いてみて、そこから新たな発見したりしなかったり……。買ったあろにあーだこうだと語り合ったり、お金もあまりないからレア盤はなかなか買えないし、とにかく安いレコードを買いまくって、そこから新たなグルーヴやあえてビートのない部分でかっこいいパートを探したりもしてました。コラージュするために(笑)。

面白いですね(笑)。

松永:とにかく安く中古レコードを売っているお店に行って、ネタが見つかったらすかさず報告しあう。みたいなことをやってました(笑)。

バイトは?

松永:当時、埼玉県の川越にあった〈G7〉っていうローカルなレンタル・レコード屋さんです。国内盤だけじゃなくて、輸入盤のCDやLP、12"、日本のインディも扱ってました。ヴィデオ・レンタルもやっていたり、なかなかマニアックなものが揃っていましたと思います。そこでの経験や出会った先輩や同僚、みなさんからの影響が大きかったです。

ADSは〈WAVE〉(※80年代から90年代まであって西武資本の大型輸入盤店、当時は影響力があった)で働くようになってから?

松永:そうですね、〈WAVE〉に入ってからですね。ただ、ADSのイベントの初期では、〈G7〉時代の友だちにも手伝ってもらったりしてました。

〈WAVE〉で働くきっかけは?

松永:就職活動の時期、1990年に『ミュージック・マガジン』に〈WAVE〉の社員募集の広告が出ていたんです。〈WAVE〉には当時憧れていたし、よく通ってもいたので応募して、面接も何度かあったりしました。社員入社して……、ちょうどその頃、ヒップホップやダンス・ミュージックを経た新しいタイプの音楽がどんどん登場するような時代だったので。なんとなくですが、自分もそういう新しい音楽をいろいろ紹介できるといいな、という夢を漠然とではありましたが、何となく描いていました。

担当はどこだったでんすか?

松永:入社してすぐは〈WAVE〉の店舗ではなく〈ディスクポート〉という百貨店のなかにあるいわゆるレコード屋コーナーの店舗に配属されて、そのときの上司にお願いしまくって入社2年目にようやく渋谷のLOFTの1階の路面にあった渋谷〈LOFT WAVE〉に何とか移動できたんです。そこで、レジやアシスタント業務をしながら若手の一員としてワイワイと働いていたんですが、『RE/SERCH』誌の「Incredible Strange Music」特集号の出る前、その後のモンド・ミュージック前夜、『サバービア・スイート』が流行りはじめる頃に、そのサバービア関連アイテムを紹介できる小さなスペースをいただいて、本で紹介されていたムード/ラウンジ・ミュージック、エキゾチック・サウンズやオルガン・ジャズ、サントラ、ムーグものなどジャンル分けが難しいような作品やアーチストのCDになっている盤をセレクトして、それにプラス自分の勝手な妄想盤、サン・ラやジョー・ミーク、それに宇川直宏さんが作っていたハナタラシのライヴ音源にボーナス音源でついていたストレンジなムーグものやエキゾチック・ヴードゥーものセレクションCDをどさくさでサバービア関連と一緒に置いてみたりして……。そういえば当時、この売り場を見た橋本徹さんに「これはサバービアでない」と冗談まじりに怒られたり、とにかく無理矢理そういうコーナーをやらせてもらったんです。いま思うとホント勝手な奴で……若気の至りとはいえ、いろいろ反省してます。

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とにかく安いレコードを買いまくって、そこから新たなグルーヴやあえてビートのない部分でかっこいいパートを探したりもしてました。コラージュするために(笑)。

音楽制作をやるきっかけは、村松誉啓くん(マジアレ太カヒRAW )との出会い?

松永:もちろんです。それまで、先ほど少しお話ししたように、学生時代にコンテストへ応募したりもしてみましたが、本格的に音楽制作をやるきっかけは、村松さん、高井(康生)さんと出会ってADSをはじめてからです。

どうやって出会ったの?

松永:ヤン富田さんがプロデューしていたハバナ・エキゾチカ経由でバッファロー・ドーターも好きになって、サバービア橋本徹さんからの紹介でムーグ山本さんと出会いました。当時バッファロー・ドーターが渋谷のエレクトリックカフェでライヴをやるというので、それを見に行って、ライヴ終了後にムーグさんから村松さんを紹介していただいたんです。村松さんは当時、『i-D Japan』という雑誌の編集を手伝っていて、同誌の「オタクDJの冒険」というコーナーを担当していました。だからぼくのほうは勝手ながら村松さんのことを、あのコーナーを担当したあの人だ! と知っていたんです。
 出会った頃の村松さんは、灰野敬二さんのような髪型していて、とんでもなくお洒落で……。当時の界隈ではなかなか存在感のある目立ってた人だったのではないかと思います。高井(康生)さんもそこで紹介されて、全員がヤン富田さんが大好きということで、いろいろ盛り上がって話しているうちに、みんなでDJイベントをやろうと意気投合して。高井さん、村松さんはそれぞれ楽器もできるというので、いろんなアイデアからDJと演奏との実験的セッションみたいなことをDJイベントとしてやってみようと、それがADSのはじまりでした。1994年だったと思います。青春ですね。ムードマン〈M.O.O.D.〉からEPを出してもらう前のことです。


Asteroid Desert Songs
Pre-Main E.P.

M.O.O.D.(1996)

 〈WAVE〉繋がりもあって仲良くしてもらっていた、ちょうどその頃にオープンした〈LOS APSON?〉の 山辺(圭司)さんにもDJをお願いしたり、〈LOS APSON?〉経由で知り合った宇川(直宏)さんにVJをお願いしました。その後、佐々木(敦)さんから四谷P3でのイベント「Unknown Mix」でのライヴに誘われて、村松さんドラム、高井さんがギターを担当するという、バンド演奏に初めてトライしてみました。ベースは当時、村松さんがDMBQのベース龍一君と3人でUltra Freak Overeatというバンドをやっていたんですが、そのベースだった(高橋)アキラ君(アキラ・ザ・マインド)を誘いました。で、ターンテーブルが自分という。消防士のヘルメットをレンタルしてコスプレして、ビーチ・ボーイズの“Fire”をカヴァーしました。ヘルメットで、ヘッドホン・モニターがめちゃくちゃやりずらかったことを思い出します(笑)。

ADSといえば、村松君の機材で変調させた子供声も評判でしたが、あれも最初から?

松永:最初からですね。エレクトロ愛から。チップマンクスはもちろんバットホール・サーファーズもちらり(笑)。

エレクトロ愛が高まったのは、ADSを組んでから?

松永:より高まりました! とにかく、エレクトロ愛は、村松さんと出会ってさらに加速したっていうのはあると思います。

村松くんはもうエレクトロ?

松永:ビリビリにバリバリでした! 自分もそれに感化されながら、日々エレクトロ愛を邁進してました。それと同時に、お互い当時リリースされる数多くの新譜もかなりチェックしてました。

あの時代は新譜が常に最高だったからね。

松永:毎週火曜日でしたっけ? CISCOの壁一面にその週のイチオシのものがバーン! と並んで、全員それを買うみたいな、そういう時代ですもんね。

ADSは2年ぐらいで終わってしまって、すぐにスマーフ男組になるじゃないですか。あれは?

松永:自然の流れというか。もっとエレクトロに絞った活動をやりたくなって、それで、スマーフ男組になったという感じです。

松永くんはまだ〈WAVE〉で働いていたんですか?

松永:渋谷の〈LOFT WAVE〉から関西へ異動を命じられたんですね。非常に悩んだんですが、ADSをはじめてすぐの頃だったんで、どうしてもそのときは東京にいたかった。それで泣く泣く〈WAVE〉を退社して……。その後、タワーレコード渋谷店へ何とか再就職できたという流れになります。

それでいきなり、いまや伝説となったいわゆる「松永コーナー」を作ったんだ?

松永:1995年当時、タワーレコード渋谷店が現在の場所に移転したタイミングでした。6階がクラシックの売り場で、現代音楽の売り場もその階にもあったんです。ただ5階のニューエイジの売り場の隅にも現代音楽の一部も扱いつつ、アヴァンギャルドやその狭間みたいな、ジャンルは何?的な、売り場ではなかなか取り扱いが難しく扱いしづらいアーティストや作品を置けるような……当時は音楽産業絶好調で、しかも大型店だからできたと思うんですが……、余白を扱えるスペースとして機能できそうな売り場を作ることができたんだと思います。
 タワーレコード渋谷店が現在の場所に移転した年で、ぼくはその5Fのニューエイジの売り場へ配属になって、上司や同僚と試行錯誤しながら、お客様やアーティストたちと併走するような形で学ばせてもらい、その売り場を形作ろうとしたように思います。クラシック現代音楽のコーナーにあるようなコンテンポラリー・ミニマルなアーティスト作品から電子音楽、ニューエイジ、アヴァンギャルド、アンビエント、民族音楽、フィールド・レコーディング、効果音、そしてこの時代ならではでのジャンル分けの難しい、規定のジャンルやコーナーでは取り扱いの難しいアーティストや作品を紹介できるような売り場になっていったんです。最初は売り場に名前をつけようがないのでとくに付けてなかったのですが、どうしてもコーナー・サインとして何かしらのジャンル名を付けなくてはならなくなって、ホント難しくて、悩みに悩んで“その他”(OTHERS)コーナーと付けたように思います(笑)。

あのコーナーはホントに面白かったですよ。サン・ラー、ジョン・ケージ、ジョー・ミークやアンビエントまで、ジャンルの枠組みを超えたDJカルチャー的なセンスで展開していました。

松永:そういう時代だったんでしょうね。

赤塚不二夫まで置いてあったよ(笑)。

松永:アニメーション作家レジェンド久里洋二先生の廃盤だったVHS作品をタワレコ渋谷店のみで限定再発とか(笑)。ESGのライヴ・アルバムなんかは、卸業者さんを通じて直接メンバーに連絡してもらい、残っていたCD在庫200枚をすべて卸てもらったり、上司の高見さんがイタリア〈Cramps Records〉のジョン・ケージやデヴィッド・チューダー、アルヴィン・ルシエ、『|Musica Futurista 』(※ルイジ・ルッソロなど、未来派の音楽の編集盤)などの電子音楽の古典的名作アルバムの数々をいち早く独占CD化したり、思い出すといろいろ懐かしいです。
 デヴィッド・トゥープの影響も大きかったです。1996年に『Ocean of Sound』のCDも出たし、あのリリースには勇気づけられましたね。あのコンピレーションがメジャーレーベルからオフィシャル・リリースされたことで、ジャンルを横断的に楽しむってことは、もう普通になりつつあるんだなってことをあらためて感じて。そういう時代が来たんだなと。あれは嬉しかったです。実際、売り場でもものすごく売れました。

幅広いけど音楽への深い愛情と信念、ユーモア、その音楽を自分自身へと浸透させる力、そこへの気持ち、自分の言葉として語ること、宿る気持ち。村松さんはその説得力と音楽愛は半端じゃなかったです。

松永くんはそういう自分のレコ屋のバイヤーとしての仕事をやりつつ、音楽活動もやってきている。だからあの時代のクラブの感じやレコード文化の感じの両方わかっているよね。ところで、スマーフ男組という名前は、村松くんが付けたの?

松永:ふたりでつけたんですよね。ADS(Asteroid Desert Songs)のネーミングからの反動もあって(笑)。エレクトロでは“スマーフもの”っていうスマーフをテーマにしたりタイトルに付けたクラシックがけっこうあって、ブレイク・ダンスの型にも“スマーフ”っていうスタイルがあったり、1980年代、エレクトロとアニメのスマーフがわりと繋がっていたところがあった。スマーフのキャラもかわいいし、村松さんも自分もフィギュアやグッズも集めてたんです(笑)。それとPファンクやヒップホップのように、何とかクルーとか何とかプロダクションとか、次々と入れ替わり立ち替わりメンバーを迎え入れる不定型の集まりでいるような、そういうものにもどこか憧れていたので、それで男組になったんです(笑)。とはいえ、結局のところは村松さんとアキラくんと自分、ほぼこの3人での活動でしたが(笑)。

スマーフ男組の最初の音源は?

松永:〈P-Vine〉から出たマイアミベースのコンピ(『Killed By Bass』1997年)だった気がします。そのあとに〈File〉からの『Ill-Centrik Funk Vol. 1』(1998年)。〈Transonic〉からの『衝撃のUFO 衝撃のREMIX』(1998年)への参加だったと思います。


Various
Ill-Centrik Funk Vol. 1 (Chapter 2)

File Records(1998)

松永くんから見て村松くんはどういう人だったの?

松永:天才ですね。ADS、スマーフ男組と一緒に活動させてもらっていましたが、ある意味では、自分も村松さんのファンで、村松さんの才能やすごさを世に伝えたいっていう気持ちがずっとあったように思います。

彼の海賊盤のミックスCDを聴くと、フリー・ジャズからポップスまで、選曲が本当に自由じゃないですか。あのセンスはずっとそうだったんですか?

松永:ずっとそうですね。幅広いけど音楽への深い愛情と信念、ユーモア、その音楽を自分自身へと浸透させる力、そこへの気持ち、自分の言葉として語ること、宿る気持ち。その説得力と音楽愛は半端じゃなかったです。掘り下げ方、レコードやCDクレジット、ジャケットや盤面への思い、愛情と向かい合い方、情熱、気持ち。姿勢、本当にオールタイムで学ばせてもらったというか。

ぼくはこういう仕事してるから音楽好きに会うんですけど、でもその「好き」の度合いが、けっこう軽かったりする人も少なくないんです。でも村松くんの「音楽が好き」っていうときの「好き」は、すごいものがあったよね。

松永:ホントそうですよね。そして、どこかカリスマ的なユニークなスター性もあったというか。


スマーフ男組
スマーフ男組の個性と発展

Lastrum(2007)

Smurphies' Fearless Bunch* And Space MCee’z
Wukovah Sessions Vol. 1

Wukovah(2007)

『スマーフ男組の個性と発展』は、本当はもう少し早く出すはずだったんだよね?

松永:『Ill-Centrik Funk』が98年なんで、本当はその後すぐに出ていてもおかしくなかったんですよね。でも、そこから10年くらいかかってしまいました(笑)。ただその分、なんとも味わい深いアルバムができたと思うんですが、ADSからスマーフになって、その勢いがある時期でのリリースは完全に逃してしまいました。(笑)。
このデビューアルバムをリリースした後に下北沢〈Slits〉スタッフだった酒井(雅之)さんに声をかけてもらって、 酒井さんのレーベル〈 Wukovah〉からSpace MCee'z(ロボ宙とZen-La-Rock)とのJohn Peelセッションばりのスタジオ・セッション・アルバム(『Wukovah Sessions Vol. 1』2007年)をリリースしたんです。このプロジェクトを経て、スマーフ男組のライヴ・バンドとしての新しい可能性も感じて、メンバー3人ともすごくフレッシュな気持ちでそこへ向かい合っていました。その頃はたくさんライヴもやったんですよ。

音楽活動とレコ屋での仕事とのバランスはどういうふうに考えてました?

松永:もう両方やってくしか生活できないっていう、ただそれだけです(笑)。

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悪魔の沼を10年以上まだ続けられて、現在もオファーをいただけて3人でプレイできているというのはホントにありがたい限りで、はじめた頃のイメージからすると信じられないありがたさです。

DJはもうスマーフになってからはやってました?

松永:DJはADSをはじめる前、〈WAVE〉に入った頃に六本木〈WAVE〉にいた同期入社だった井上薫君や現kong tong福田さんに誘ってもらって西麻布にあった〈M〉(マティステ)でやらせてもらうようになって、そこからADSイベントにもつながっていくのですが、スマーフ以降2000年代以降の大きな経験ということであれば、(東高円寺のDJバー)グラスルーツの存在が大きいです。店主であるQくんにDJ誘っていただいて、あの場所でいろいろと鍛えられました。タワーレコード渋谷を離れた頃、2004年、毎月水曜平日の夜中に「コンピューマのモーレツ独り会」っていう一人DJ会を1年間、全12回をやらせてもらったり。翌年には「二人会」シリーズ「ふらり途中下車」になって、これ以降、グラスルーツを拠点にDJとしての活動が本格化したように思います。

自分のレーベル〈Something About〉もはじめますよね? 最初は自分のミックスCDだったね?

松永:そうなんです。『Something In The Air』という自分のミックスCDでした。ちょうどそのときもリリース後にele-kingのwebサイトで野田さんに取材(Something In The Air)していただきました。2012年なんで、もはや10年前なんですよね。時間が経つのが早すぎます。

はははは。

松永:このミックスCDをリリースする2010〜11年頃は、個人的にもプレイスタイルの過渡期で、自分のDJスタイルを見つめ直していた時期でした。引っ越しもあったりして、あらためてレコードやCDのダンボールを整理したりしつつ、タワレコ渋谷5F時代に紹介した電子音楽や実験音楽などのCDをあらためて聴き直したりして、自分なりにDJミックスの表現の可能性を追求してました。東日本震災も大きいかもしれません。そんな中で生まれたのが『Something In The Air』でした。

あれはまさにサウンド・コラージュ作品だったよね。

松永:この作品を制作するにあたって、密かに大きかったのが、2000年代初頭、永澤陽一さんのパリコレのファッションショーの音楽を担当する機会をいただいて、テーマや意向を詳しく教えてもらって、それをイマジナリーに音や音楽に変換してみて、その候補になりそうな音源サンプルを打ち合わせの際にたくさん持っていって、それらをひとつひとつ聴いていただいて、そのなかからじょじょに絞っていきながら、最終的に絞り込まれた厳選音楽素材、それらの音源を組み合わせてショーの音楽を構築していきました。10〜15分ほどの短いショーの時間内で、その音世界としてどのように起承転結を作ってくかというときに、自分の技術力の問題や選ぶ音楽の傾向や種類も関係したかもしれませんが、ビートが強くある曲を選ぶと、どうしてもBPMで繋いでいかなきゃいけなくなったり、カットアップ&カットインのポイントやタイミングの難しさや違和感にも繋がるから、なるべく柔らかに変容していくようにするために、どうしてもビートのあまり強くないものやノンビートのものを意識して選んでミックスしていたんです。その頃の経験が、その後『Something In The Air』でミックスしているようなことに繋がっていったように思います。

どんな感じだったんですか?

松永:拙い英語力なので、コミュニケーションもままならないなか、現地スタッフさんと一緒にルーブル美術館の地下のフロアでひとり冷や汗かきながらMDプレイヤー数台とラック式CDプレーヤーを数台積んで。PA卓でショーのリアルタイムでプレイをトライしてました。モデルさんの出るタイミングやシーンの雰囲気の変わるタイミングを察しながら、舞台監督からの指示をもう片方の耳でモニターしながらでのプレイでもあるので、もうそれが半端じゃない尋常じゃない緊張感というか、絶対にミスれないので、めちゃくちゃドキドキで、かなり鍛えられた気がします。その経験を4〜5年やらせていただいたように思います。でもそのときの思い出として、ショーを無事に終えれてフィナーレのタイミングで拍手をもらったときの嬉しさやホッとする安堵感はいまでもたまに思い出します。貴重な経験させてもらいました。


Something In The Air
mixed by COMPUMA

2012

『Something In The Air』はエディットなしのライヴミキシング?

松永:基本そうですね。

それはじつに興味深いですね。で、『Something In The Air』は当時すごい反響があった。

松永:うーん。どうなんでしょうか。やっぱりアンダーグラウンド・リリースですし。でもあの作品をリリースしたことは自分にとってとても大きかったように思います。

コンピューマ作品のひとつの原点になったよね。

松永:それは本当そうですね。ありがとうございます。

松永くん個人史のなかで、人生の節目というのはいつだったと思いますか? 

松永:そうですね。ソロ名義のアルバムをリリースしたいまのタイミングも大きそうな気がしますし、まだまだこれから先も続いていく、続いていってほしいとも思ってます。なので、これから先にもまだまだそのようなタイミングがいくつかあるかもしれませんが、これまでということで考えてみると、さっきとも重複してしまいますが、やはり震災を経て2012年初頭『Something In The Air』、あの作品をあのタイミングでリリースしたことは大きいかもしれません。自分のなかですごく楽になったというか、励みになりました。こういう世界観やプレイスタイルもDJ ミックスとしてトライしていいんだっていう、自信とまではいかないですけど、もっとやっていいんだ、ということに繋がったと思います。それと2017年に浅沼優子さんの尽力のおかげもあって、ドイツ〈Berlin Atonal〉へ出演できたこと、そこでDJ経験できたことも大きいと思います。何か景色が変わった気がします。

いっぽうで悪魔の沼もはじめます。

松永:下北の〈MORE〉、厳密にいうと〈MORE〉店長だった宮さんがその前にやっていた同じく下北沢ROOM”Heaven&Earth”ではじまったイベントだったんです。メンバーのAWANOくんから「沼」をテーマにイベントをやるので一緒にやりませんかと、そして、何かいいタイトルないですかと相談されて、そのときに「沼」と聞いて、瞬間的にトビー・フーパーの映画『悪魔の沼』のポスターの絵、大鎌を振り回すオッサンのあの絵が頭にパッーと浮かんだんです。それで冗談まじりに『悪魔の沼』」はどうですか? と(笑)。で、AWANO君から「誰か一緒にやりたい人いますか?」と尋ねられて、その頃自分は勘違いスクリュー的なプレイを盛り上がってよくやってた頃で、コズミック(イタロ・ディスコ)が再評価された後の時期でもあったので、西村(公輝)さんは面識はあったのですが、それまではDJご一緒したこともほぼなかったんです。AWANO君と西村さんは学生時代から縁もあって、それもあって西村さんとご一緒できたらと思って声をかけていただきました。悪魔の沼イベント初期は全編ホラー映画のサントラのみでトライしてみたり(笑)。初期は一人30分交代だったので一晩で3〜4セットをプレイするという、皆レコード中心だったので準備だけでもなかなか大変で、かなりしごかれました(笑)。オリジナルメンバーとしては二見裕志さんも参加されてました。一時期、1Drink石黒君も参加していたこともありました。そんなこんなを経て、現在の3人になりました。その頃に、ミヤさんに「3人でback to backでやってみたら」とアドバイスもらい、試しにそれをやってみたことがきっかけで現在のスタイルに繋がってます。
〈MORE〉時代の沼イベントは、およそ季節ごとの開催でした。フリーゆで卵とか、フリーわかめとか、幻や沼汁というドリンクあったり(笑)、毎回ゲストを迎えながら、ダンス・ミュージックながら自由に沼を探ってました。

これだけ長く続いているのは、やっぱ楽しいから?

松永:自分的には、ADS、スマーフ男組を経て、そしてDJの延長線上でもあったし、沼がテーマでしたし(笑)、なんだかとても気持ちが楽だったんです。季節ごとにやる趣味の会合や寄り合いくらいの感覚だったというか、なので、10年以上まだ続けられて、現在もオファーをいただけて3人でプレイできているというのはホントにありがたい限りで、はじめた頃のイメージからすると信じられないありがたさです。西村さん、AWANO君との共同プレイで、ヒリッとした刺激はもちろん、毎回の化かし合い含めて切磋琢磨し続けられているのはホントにありがたいなと思ってます。

松永くんはDJをやめようと思ったことってないの?

松永:いまのところ意識的にはないですね。ただ、いつまでこういうことを現場でやっていけるのか。やっていいのか。やり続けていいのか。ということはここ最近何となく思うこともあります。コロナ禍以降、最近は、より若い世代や幅広いジャンルの素敵なDJやアーチストさん、バンドとご一緒する現場も多くて、幅広い世代の皆さんと一緒に音を奏でられることにも大きな喜びを感じてます。それと長年サポートしてくれている友人と家族には感謝の気持ちでいっぱいです。

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もう本当にそれはありがたい限りでして。一緒に遊ばせてもらってるっていうか、彼らと話していると、たまに、「お父さんと(お母さんと)同い年です。コンピューマさんの方が年上です。」とか話してくれたり(笑)。

それで、今回のアルバム(『A View』)が、これだけ長いキャリアを持ちながら、初めて自分の名前(COMPUMA)で出したアルバムになるんですよね。

松永:はい。

元々は演劇のために作ったものを再構築したっていう話なんですけど、作り方の点でいままでと変わったところってあります?

松永:僕はミュージシャンではないので、できることがかなり限られてるんです。だから、ある意味で音楽を作る場合は、諦めからはじまるともいいますか。今回の作り方も基本的にはそういう意味では一緒なんですが、ここ近年での制作は、今作も含めて、Urban Volcano Sounds/Deavid Soulのhacchiさんの存在はすごく大きいです。

ダブでやミニマルであったり、松永くんのDJミキシングのサウンドコラージュ的に作っていたものとはまた違うところにいったように思いました。

松永:今回は、北九州の演劇グループ〈ブルーエゴナク〉さんからオファーいただいた演劇『眺め』のための音楽が基になってます。 2021年春頃に〈Black Smoker〉からリリースした『Innervisions』というミックスCDがありまして、その内容がかなり抽象的な電子音のコラージュが中心で、ダンス・ミュージックと電子音楽の狭間を探求するような、わりと内省的な内容だったんですけど、ブルーエゴナク代表の穴迫さんがこのミックスCDを購入していただいたようで、そこからオファーをいただきました。自分的には当初『Innervisions』の感じの抽象的なものだったら何とかできるかもしれないと思って、リクエストもそんなような感じの内容だったんで、それであればいけるかもということでお受けしたんですが、具体的に進行させたところ、実際にはかなり場面展開もあって、抽象的な音がダラッと流れるだけじゃどう考えても成立しないということがわかって、しかも九つの場面用の音楽が必要ということで、実のところかなり焦りました(笑)。
そこからBPM90でミニマル・ミュージックというお題をいただいたり、台本から音のイメージにつながる言葉をいくつもいただいて、それらの言葉をイマジナリー音に変換していって、それらをパズルのように組み合わせて試して構築していきながら制作を進めました。

『眺め』という言葉を松永くん的に音で翻訳してたと思うんですけど、どんなふうに解釈してどんなふうに捉えていったんですか?

松永:演劇タイトル「眺め」から当初感じていたのは、何となく、どこか遠くからというか、俯瞰してるような感覚でした。ただ、制作を進めていく中で、これは俯瞰だけではなくミクロでマクロな世界観も含めての「眺め」なんだと再認識しました。

穴迫信一さんさんのライナーノーツにすごくいいことが書いてありました。希望が見えない時代のなかで、いかにして希望を見つけていけばいいんだろうみたいな、それを音に託したというような話があって。

松永:本当に恐縮で素敵なライナーノーツをいただきました。そして何より演劇の音楽を担当するという貴重な機会をいただいて心から感謝してます。

松永くんの関わってきた音楽作品はダークサイドには行かない、それは意識していることなんですか?

松永:そうですか。そういうイメージなんですね。そこは無意識でした。ダークサイドに行っているか行ってないかどうかは自分ではわかりませんが、今作に関しては、演劇のための音楽でしたので、舞台と装置、照明や映像、お芝居もそこに入ってくるので、そういう意味では、今まで作った作品以上に、どこか余白の部分が残ることを意識した音、イメージとして何か少し足りないくらいの音にすることは意識しました。あとは、何と言いますか、何でもない、聴き疲れしまい音を目指すと言いますか、、

それはなぜ?

松永:最初は自分の持っているシンセなどで用意した個性的な音を合わせたりしたみたんですが、どうにも今回は、なんだかイメージが合わなかったんです。それとミニマル・ミュージックというテーマもいただいていたので、そこも意識しながら発展させてみました。何も起こらない感覚といいいますか、インド古典音楽ラーガ的メディテーショナルな世界も頭のなかに浮かびつつ。

いまでもレコードは買っていますか?

松永:新譜も中古もレコードもCDも買います。カセットテープもたまに。データで買うものもあります。全部のフォーマットで買ってますね。笑

いま関心があるジャンルとかあります?

松永:オールジャンル気になった新譜をサブスクで軽く聴いたり、そこから気に入ったものはCDやレコードでも買ったりするんですが、サブスクって、ふと思ったのですが、便利なので活用しますが、何と言いますか、聴いてるけど何となく聴いた気にだけなっているというか、しっかりと自分の中に沁み込んでこないというか。年寄りだからなのかもしれませんが、レコードCDで購入する音源への思い入れが強すぎるのかもしれませんが、長年の習慣での癖が抜けきらないんですかね。購入したものでないとなんだかしっかりと頭に記憶されないというか(笑)。DJプレイに関わるものはまた別ですが、リスニングするものは幅広くオールジャンルに話題作、旧譜もチェックしてます。これも年のせいなのか、より耳疲れしないような音楽と音量や距離感を求めているようにも思います。

最近はどのぐらいの頻度でDJやってるんですか?

松永:DJは平均すると週1〜2回くらいでしょうか。その時々によって差があるかもしれません。

コロナのときは大変だったよね。

松永:DJほとんどやってなかったんで家にずっといて、街も静かだったじゃないですか。いろんなことを考えさせられました。東京も、こんなに静かなんだとも思って。

なんかこう将来に対する不安とかある?

松永:それはもうずっとあります(笑)。凹んだり落ち込むようなことが多い世のなかですけど、少しでもいいところや心地いいところ面白いところを探していけたらと努めてます。息子達の世代が、少しでも未来に希望を持てるようなことを伝えられたり作っていってあげたいなというのが正直な気持ちとしてもあります。現実には、いろいろとなかなかハードなところだらけじゃないですか。だから、何かちょっとでも明るい未来を感じられるような気持ちと視点でありたいなという願望かもしれません。

松永くんからみて90年代ってどういう時代だったと思います?

松永:自分の勝手な解釈なんで違うかもしれませんが、90年代といまが違うとしたら、妄想力の違いでしょうか。当時はまだインターネットがなかったから、海外のマニアックな音楽や文化に関しては、勘違い含めて、皆が妄想力でも追求して熱量で挑んでいたと思うんですね。DJ的センスが良くも悪くもいろいろな場面で浸透しつつあって、その感覚でいろんな視点から色々な時代いろんな音楽を面白がる感覚がより世間的にも広がっていくような感覚が90年代に誕生したんではないかとも勝手ながら思います。インターネット以降、とくに最近は、やはりその知り得る情報の正確さ、速さが90年代とでは圧倒的に違うと思うんです。勘違いの積み重ねや妄想の重ね方の度合いは90年代の方が圧倒的に高かったと思うんですよね。翻訳機能のレベルも高くなりましたし、ただ、SNS含めて情報量がとにかく多すぎるので、本当に自分のとって必要な情報を選ぶことが大変な時代になっているような気もしてます。それはそれでなかなかに大変ですよね。自分でも何か検索すると同じような情報がたくさん出過ぎて、どれを読めばいいのか、ホントに知りたい正しい情報まで逆に辿り着けなくて、それだけで疲れてしまうことも多々あったりしますし。
 とは言ってもインターネットは便利ですし、音楽制作においてもDJにおいても素材集め含めてとんでもなく早く集められるし、それを活かせる環境があるから、90年代と比べると洗練された上手いDJプレイをできると思うんですよね。ただ、一概に比較は難しいのですが、どっちが好みかというのはまたちょっと比べられないですよね。どっちにもカッコよさもありますし、かっこよすぎてかっこよさ慣れしてしまう感覚もありますよね。

松永くんは世代を超えて、若い世代のイベントにも出演しているわけだけど。

松永:いや、もう本当にそれはありがたい限りでして。一緒に遊ばせてもらってるっていうか、彼らと話していると、たまに、「お父さんと(お母さんと)同い年です。コンピューマさんの方が年上です。」とか話してくれたり(笑)。

(笑)でも、DJの世界は、音楽をどれだけ知っているかが重要だから、ベテランだからこそできることっていうのがあるわけなので。

松永:ここ最近「沼」のメンバーとは会うたびに、こんなおっさんたちが、果たしていつまでこういう現場にいていいものかどうなのかっていう話にはいつもなります(笑)。

はははは。でも、続けてくださいよ、本当(笑)。最後に、〈Something About〉をどうしていきたいとか夢はありますか?

松永:今回もいろいろな皆さんの協力のもと、自主リリースでソロ名義で初めてのアルバムをリリースすることができて本当にありがたい限りなのですが、このCDリリースをきっかけにして、ここから新たないろんな可能性を探求できたらと思ってます。できることなら海外の方にも届けられたらとも思いますし、デジタルやアナログ・リリースも視野に目指してみたいです。自分なりのペースにはなりますが、これからもオヤジ節ながらトライしていきたいと思います(笑)。精進します。どうぞよろしくおねがいいたします。
 それと9/30金に、渋谷WWWにてリリース・イベントを開催させていただくことになりました。最高に素敵な皆さんに出演していただくことになりました。よろしければ是非ともです。よろしくお願いいたします。


COMPUMA 『A View』 Release Party

出演 :
COMPUMA
パードン木村
エマーソン北村
DJ:Akie

音響:内田直之
映像:住吉清隆

日時:2022年9月30日(金曜日)開場/開演 18:30/19:30
■会場:渋谷WWW
■前売券(2022年8月19日(金曜日)12:00発売):
一般 : 3,000円/U25 : 2,000円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
■当日券 : 3,500円(税込・1ドリンク代別/全自由 ※一部座席あり)
■前売券取扱箇所:イープラス<https://eplus.jp/compuma0930/
■問い合わせ先:WWW 03-5458-7685 https://www-shibuya.jp/

※U25チケットは25歳以下のお客様がご購入可能なチケットです。
ご入場時に年齢確認のため顔写真付き身分証明書の提示が必要となります。
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interview with Kode9 - ele-king

 まずは2曲め “The Break Up” を聴いてみてほしい。最先端のビートがここにある。
 振り返れば00年代半ば~10年代初頭は、グライムにダブステップにフットワークにと、ダンス・ミュージックが大いなる飛躍を遂げた画期だった。そんな時代とつねに並走しつづけてきたプロデューサー/DJがコード9である。レーベル〈Hyperdub〉のキュレイションを見てもわかるが、その鋭い嗅覚はここ10年でもまったく衰えることを知らない。7年ぶりの新作『Escapology』は、彼のルーツたるジャングルはもちろん、ゴムやアマピアノといった近年のトレンドまでもを独自に咀嚼、じつにカッティング・エッジな電子音楽を打ち鳴らしている。2022年のベスト・アルバムのなかの1枚であることは間違いない。とりわけクラブ・ミュージック好きは絶対にスルーしてはいけない作品だろう。
 他方 『Escapology』 は、深いテーマを持ったアルバムでもある。音楽家として次なるステージへと進んだスティーヴ・グッドマン、新作のコンセプトについて髙橋勇人が話を聞いた。(編集部)


カレドニアの闇の奥、あるいは宇宙への脱出

「年に二、三回、家族に会うためにグラスゴーに帰ってきているんだよね。それで、ここ10年くらいは子どものときには全然知らなかったスコットランドのハイランド地方と恋に落ちてね。だからロンドンから逃亡(escape)するために友だちを連れて、ただドライヴをしているんだ」、と約束時間の朝10時30分きっかりにズームの画面に現れたコード9ことスティーヴ・グッドマンは、サウスロンドンにいる僕に話す。
 彼の7年ぶりのアルバムとなった『Escapology』のライナーノーツを僕が担当したのだが、その執筆のための取材を、両親が暮らすスコットランドのグラスゴーの実家から受けてくれたのだった。グッドマンが生まれ育った街である。
 以前、野田努と自分の対談で話したように、〈Hyperdub〉はアヤロレイン・ジェイムズなど、若手の先鋭的なミュージシャンを紹介し、グッドマンは盟友のスクラッチャDVAやアイコニカとともにゴムやアマピアノといった南アフリカのサウンドシステム・ミュージックを世界のクラブでプレイしてきた。今作はその音のフィードバックが期待されるアルバムでもある。
 また『Escapology』は2022年10月にリリース予定のコード9名義でのオーディオエッセイ/サイエンス・フィクション作品『Astro-Darien』のサウンドトラックという立ち位置である。こちらは日本の文化的文脈でいうならば、ドラマCDのサウンドに特化したもの、と理解できるかもしれない。
 最近、日本でも紹介が進んでいるマーク・フィッシャーやニック・ランドといった哲学者/理論家たちとともに、グッドマンはウォーリック大学の修士と博士課程で学び、哲学の博士号を取得。その研究の成果や音の文化への関心は、武器としての音や彼がDJ/プロデューサーとして発展に貢献したダブステップの重低音に着想を得て執筆した著書『Sonic Warfare: Sound, Affcet, and the Ecology of Fear』(2010年)へと繋がる。グッドマンはフルタイムで音楽活動をはじめる以前、2004年に始動した〈Hyperdub〉と並行しながら、東ロンドン大学でサウンド文化を教えていた。
 グッドマンが哲学にはまったのは、法律を学んでいたエジンバラ大学時代に哲学者ミシェル・フーコーを発見したときで、ウォーリック時代に彼が在籍していた学術グループ、サイバネティクス文化研究ユニット(Cybernetics Culture Research Unit:CCRU)では、ポスト構造主義があまり扱っていなかった唯物論の観点からデジタル/テクノロジー文化やサイエンス・フィクションへと焦点を当てるようになる(この詳しい話はまたの機会に)。このとき、CCRUではフィクションを通して世界を理論的に記述するセオリー・フィクションというスタイルが生まれており、このオーディオエッセイもある意味ではその延長線上にあるともいえる。

こういった未来的なシナリオを描くことによって、僕は神話を作っているという意図もある

 作品の物語を説明しよう。舞台となるのは、歴史と政治的事象を共有した架空の現代のスコットランド。同国に拠点を置くゲーム会社トランセスター・ノースのゲーム・プログラマー、グナ・ヤラは、スコットランドがイギリスの連合から独立できず、さらにブレグジットが決定した政治状況に不満を感じている。パナマとスコットランドの混血であるヤラは、かつてスコットランドが企て、イングランドやスペインの妨害によって頓挫した同国によるパナマのダリエン地方を植民地化するというダリエン計画に注目する。17世紀末に企てられたこの失策は、スコットランドの財政悪化を招いた一因とされ、1707年のスコットランドが現在の形のユナイテッド・キングダム(UK)に統合されるきっかけのひとつだったと考えられている。周知の通り、当時のイングランドは植民地政策と奴隷貿易を行なっていたわけだが、スコットランドも負の歴史へと加担していくことになる。
 ヤラはそのような植民地主義の歴史や、自分のルーツでもあり当時のスコットランドの理想となったダリエンという外部に着想を得る。物語の世界線でも、スコットランドは住民投票でUKからの独立に失敗し、UKはEUから離脱している。そのようなスコットランドが直面する現在の政治的閉塞状況に苛まれるヤラは、宇宙へと「アストロ・ダリエン」という名のスペース・コロニーをスコットランドが打ち上げるというゲームをプログラムする。ここでシミュレートされるのは、政治的/歴史的袋小路からの宇宙への脱出術(Escapology)なのだ。
 この作品を僕は一足先に聴くことができたのだが、そこには直線的なタイムラインはなく、混沌としたサウンドの奥で、断片的に異なるストーリーが「鳴っている」ような作品だった。「彼女が住むスコットランドから、1690年代のダリアン地方へとヤラの思考はフラッシュバックしたりする。だからその物語は時系列に沿ったものではなく、あくまで彼女の思考を追ったものなんだ。まるで密林を、あるいはジョセフ・コンラッドの『闇の奥(Heart of Darkness)』の物語を突き進むようにね。いうなれば『カレドニア*1の闇の奥』さ」

 「作品に取り掛かったのは2019年で、そこから徐々に物語を組みはじめた。アイディアの醸造はもっと前からはじまっていたけどね。2014年のスコットランド独立住民投票、2016年のブレグジットが決定した投票などがあったからさ」とグッドマンは説明する。
 本作はそもそもピエール・シェフールらミュジーク・コンクレートの創始者たちの現代音楽機関、フランス音楽研究グループINA GRMのイベントでのライヴのために製作されたものだった。
 「2020年3月に、GRMのためにパリのラ・メゾン・ドゥ・ラ・ラジオ(La Maison de la Radio)でライヴをする予定だったんだけど、パンデミックでそれが年末に延期になって、それがまた延期になった。最終的にそれが2021年10月、場所はフランソワ・ベイルのアクースモニウムになって、それを念頭に作品を書いていた」
 パンデミックを挟んで製作され、さらに構想が広がった『Astro-Darien』の表現形態は、ライヴだけではなく、オーディオエッセイとしてのリリース、さらには映像を使用した、ロンドンのクラブ、コルシカ・スタジオで開催されたインスタレーションや後続のミュージックビデオ作品としても発展していく。

 『Escapology』のリリースに合わせて発表された、同アルバム収録曲 “Torus” のビデオでは、スペース・コロニーとしてのアストロ・ダリエンの内部が描かれ、そこにはスコットランド北部のハイランド地方の自然が広がっている。ここにはどのような背景があるのだろうか。
 「パンデミックのロックダウン中、小島秀夫のゲーム『Death Stranding』をよくプレイしていて、ゲーム内でヴァーチャルのハイキングをたくさんした。それで『自分の実生活でもハイキングをしないとダメだ!』って思うようになってね。それまでの人生でハイキングなんてしたこともなかったのに、そこからまさか自分が実際にスコットランドでハイキングをするなんて、ほんと典型的なハイパースティション*2だ(笑)。それでちょうどCovidによるロックダウン(都市封鎖)が一時的に解かれた2020年の10月に、友だちとスコットランドのマンロー*3を訪れた。僕たちが行ったのは、ハイランドの最も北に位置するベン・ホープというマンローだった。『Escapology』に入っている “In the Shadow of Ben Hope” はそこに由来している。なんでベン・ホープに行ったのかというと、人工衛星の打ち上げ場の開発現場がその山のすぐ隣にあったから。『Astro-Darien』で使用された映像のいくつかは、ベン・ホープの頂上で撮影されたものだね。アイル・オブ・スカイにも行った。そこには『エイリアン』シリーズの映画『プロメテウス』の撮影にも使われたオールド・マン・オブ・ストー(Old Man of Storr)という垂直に岩がそびえ立つ場所があるんだけど、そこも登った。前にもその場所を見たことはあったんだけど、映画を見て興味を持ったんだ。それが “Torus” のアニメーション内で再現されている」

Kode9 - Torus

画面はゲーム『Astro-Darien』の画面になっており、ミッションやレベル、イングランドの経済的攻撃への対抗措置としてスペース・コロニー内で使用される暗号通貨「Nicol」の所持数などが表示されている。暗号通貨名はスコットランド国民党党首ニコラ・スタージョンに由来。

 このように、『Astro-Darien』におけるスコットランドの自然描写は、同国の地理学的特性の表現と、そこで現在起こっている文化的事象ともリンクしたものになっている。登場人物ヤラが働くトランセスター・ノースにも、現実の文化との関連がある。
 「犯罪シミュレーション・ゲーム『グランド・セフト・オート』の開発元のロックスター・ノースはスコットランドの会社だけど、彼らがアメリカのストリート・ライフをシミュレートする代わりに、スコットランドとそこで起こっていることに関するゲームを作ったらどうなるんだろうと思ったんだよ。それでロックスター・ノースをトランセスター・ノースに変えて、実際には存在しないゲームのありうる姿を想像している」
 またそこには、『Astro-Darien』でのテーマである、スコットランドの政治状況もリンクしている。“The Break Up” のビデオは、グッドマンがハイランド地方のロードトリップ中に撮影したものを編集し、ゲーム内のミッションである宇宙への逃亡のためにスペース・ポートへと可能な限り早く到達する様子を、ゲームのスクリーンを模して表現したものだ。この楽曲タイトルは、あるスコットランドの理論家から採られているとグッドマンは説明する。
 「楽曲タイトルの元にはあるのは、1977年に出た本『The Break-Up of Britain』だね。著者はマルクス主義社会理論家のトム・ネアン(Tom Nairm)で、彼は歴史学者のペリー・アンダーソンとも仕事をしている。その本は、グローバル化、歴史の終わりなどに際して、ナショナリズムに一体何が起こるのかについて書かれている。触れられているのは極右ナショナリズムやスコットランドやカタロニアで見られるような市民的ナショナリズム(Civic Nationalism)*4だね。これは不可避なUKの分裂に関するとても予言的な本なんだよ。
 『Astro-Darien』の物語にも出てくる、伝染性の白い泡(Contagious White Foam)に沈んだブリテン島は、僕が描く分裂するディストピックなUKだ。これはパンデミックとブレグジットの混合物の例えだね。その泡が人びとの間でパラノイド的精神病を引き起こし、「白い泡」というのは白人主義的英国ナショナリズム、という設定だ。スペース・ポートへの逃亡は、UKを支持する統一支持者(Unionist)から高速で逃げるスピード・チェイス、というわけ」

Kode9 - The Break Up

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ジャングルはどんなダンス・ミュージックよりも、ポリリズム的で回転的な力(フォース)がある。

 グッドマンは『Astro-Darien』をフィクションでありドキュメンタリーでもあるような作品だと捉えており、「この現実性の枠組みをゲームとして組み直している感じだ」と説明する。同作内では実際のニュース音声などが、物語のナレーションとともに引用され、展開されていくが、このように現実とフィクションが入り混じり、いま実際に起きていることを浮かび上がらせていく。ここで描かれるのは、リアリティの描写と、そこから派生していく架空現実なのである。
 またゲーム化していくような現実をサイエンス・フィクションから描いた意図も彼は説明する。「2014年の独立投票は失敗し、スコットランド国民党は次の独立投票を2023年に計画している。この期間に僕はこれがゲームみたいなもののようにも感じはじめたんだよね。もしゲームで失敗したら、またそれをプレイするまでで、それが『Astro-Darien』にも通じている。もし結果が気に入らないのであれば、またプレイするまでだ、と」
 ここにおいてフィクションがどのように機能しているのか、グッドマンは加速主義*5を扱った以前のプロジェクトと関連させて説明する。「前のプロジェクト『The Notel*6』は右派と左派の加速主義の対立についてのもので、その両方をおちょくった作品だった。同じように、この『Astro-Darien』は左派加速主義のシナリオを、わずかながらに誇張しつつ想像している。地球を離れるとか、そういう設定でね。技術的に強まった社会主義的な未来は、スコットランド独立が目指すものであるのは間違いない*7。独立派の主な理由は、スコットランドがイングランドよりももっと左派的であるという点にある。だからこういった未来的なシナリオを描くことによって、僕は神話*8を作っているという意図もある」
 グッドマンはここで、黙示録的サイエンス・ファンタジー『ラナーク』で知られる小説家、アラスター・グレイ(Alasdair Gray)が指摘するグラスゴーとパリやロンドンといった大都市の違いに触れている。後者の二都市は、映画などのヴァーチャルな世界で頻繁に描かれることによって、聴衆が都市を訪れる前からその場所性を思い描けるようなフィクショナルな空間である。対して、グラスゴーにはそのようなヴァーチャルな領域が少なく、閉所的な場所になっている。
 こういった地政学が現実を作っている*9。実際にはありえないが、可能性としてはありえる事象を描くことができるフィクションという手法を用いて、スコットランドという文化的空間が持つ可能性を神話化し、現実の一側面を強調する作業をグッドマンは行なっている。
 「(これが)『Astro-Darien』のナレーションが、スコッティッシュのテキストスピーチ音声になっている理由でもあるんだよね。大体のコンピュータ化されたテキストスピーチ音声ってイングランドかアメリカン・アクセントで作られている。だから自分の作品ではこの理由からスコティッシュ・アクセントを使いたくてね。それで数は少ないけど5個くらいの音声を見つけることができた。コンピュータ化されたスコティッシュ・アクセントを通して、つまり、若干ノーマティヴなものから遠ざかることによって、コンピュータ化された音声とはどんなものになりうるのかに気づくことができると思うんだ。

テクノ・ミュージックだけがもう未来を独占しているのではないということ。つまりは4つ打ちのキック、デトロイト由来、ヨーロッパでの突然変異などは、ひとつの音楽的観点から覗く未来でしかない。

 では『Astro-Darien』/『Escapology』のサウンドはどうだろうか。「『Astro-Darien』のサウンドトラックのほとんどはパンデミックの前にはできていたね。ソフトウェア・シンセをかなり奇妙に使っていたよ。レコード・ボタンを押して、鍵盤を嫌っているかのごとく連打してね。とにかくすべてを録音して、とにかくランダムだった。文字通り自分は楽器を演奏するサルみたいなものだったよ(笑)。事故的で、非意図的で、予想もつかないかつ音的にも興味深いものができたと思っている。楽器を演奏しない者は何かをでっち上げなけなきゃいけないから、僕はそういう方法を生み出す必要があった。そうやって生まれたものをジグソーパズルのように組み上げていったんだよ。
プロダクションの過程で使用されたソフトウェア・シンセサイザーのひとつにグッドマンはスケッチシンセ(Sketch Synth)を挙げている。韓国人プログラマー、パク・ジュンホが製作したこのオープンソースのソフトウェアは、ヤニス・クセナキスの電子音響作成コンピューターUPICのように、図形を音へと変換することができ、グッドマンはこのツールを自身のテーマとリンクさせてみせる。
 「GRMのアクースモニウムをどうやって使用するかを考えていたら、向こうがスピーカーの位置を示した会場のマップを送ってくれてね。それでそのマップをスケッチ・シンセに入れたら、不安定で不協和音な、とても居心地の悪い音ができた。それが『Astro-Darien』の物語にピッタリだと思った。スコットランドがイングランドの連合に入った1707年の後、ダリエン計画は明らかに植民地主義として失策だったけれど、イングランドの奴隷制度にスコットランドも加担するようになった。だから『Astro-Darien』で、僕は歴史のナレーターの重要性にも触れている。ゲームのAIシステムは、奴隷制度や植民地主義がスコットランドの資本主義にどれだけ重要かについて話している。当初、スコットランドの産業には多くの奴隷制度からの資本が入ってきていた。だから、それを表現するように、サウンドトラックは可能な限り居心地の悪いものにしなければいけないと思っていたんだよ。そのサウンドデザインにスケッチ・シンセは完璧だった」
 また今作において、とくにヘッドフォンで聴いたときに際立つのは、音が左右をダイナミックに移動するプロダクションだろう。そこにおいても、音の移動にもグッドマンはフィクションとの関連を想定している。
 「ステレオ・パニングによって方向感覚を失わせるようなプロダクションを目指したというのはあるね。ステレオ・イメージのプロダクションはほぼヘッドフォンだけでやった。ステレオを体験するのには最高の「場所」だからね。僕のスタジオは音がヘッドフォン並みに分離するほどスピーカーが離れるくらい大きいわけでもない。
  この物語では回転や、らせん状の運動が起きる。例えば “Lagrange Point” は、重力井戸のラグランジュ点を指しているんだけど、地球と月の間には複数のそういった重力の点が存在していて、それによって重力が安定している。宇宙ステーションやスペース・コロニーについて70年代に書かれたものを読んでみると、それらが位置しているのは、そういった重力の力(force)の間なんだよ。『Astro-Darien』のインスタレーションでは、YouTubeで見つけた動画を使っているんだけど、それは地球と月のお互いが関わり合ったらせん状のシステムについてのものだ。スペース・コロニーとしてのアストロ・ダリエンは回転していて、その中に入ると、回転するトーラス(“Torus”)がある。こういった複数の回転をステレオ・イメージで描いるというわけさ。“Lagrange Point” にはジャングルの要素があるけど、僕が思うに、ジャングルはどんなダンス・ミュージックよりも、ポリリズム的で回転的な力(フォース)がある。いうなれば、異なるループがお互いに関わり合って構成されるブレイクビーツの回転システムだね。

 ここでサウンドトラック『Escapology』収録曲のジャングルのリズムに触れられているが、本編である『Astro-Darien』の楽曲にはビートがない。なぜグッドマンは『Escapology』にビートを加えたのだろうか。
「『Escapology』を作ることは当初考えてはいなかったんだよね。まず『Astro-Darien』を作って、マスタリング音源をもらって、アートワークのためにヴィジュアルを担当したローレンス・レックやデザイナーのオプティグラムと長く作業をしていた。それで、この作品のためのイントロダクションになるような段階が、7年ぶりにアルバムを聴く自分の普段のリスナーたちのために必要だと感じた。奇妙な音で彩られたAIが作るスコットランド・アクセントなんて誰もいきなり聞きたくないはずだ(笑)。僕は『Astro-Darien』 のサウンドデザインが気に入っていたし、正直、この作品のためだけにその音を使うのはもったいないように感じてもいた。自分の頭の中では実験的なクラブ・ミュージックが鳴っているのだって聞こえていたから、その音をまた使いはじめたんだよ」
 今作で流れるビートは、グッドマンの音楽センスを形成したジャングル、それから初期ダブステップ以降の彼のトレードマークにもなっているフットワークや南アフリカが生んだゴムやアマピアノのリズムやベースラインだ。なぜここにはこう言ったリズムがあり、かつて未来の音楽だと言われたテクノはないのだろうか。
  「これは僕の過去20年の指針でもあるんだけど、テクノ・ミュージックだけがもう未来を独占しているのではないということ。つまりは4つ打ちのキック、デトロイト由来、ヨーロッパでの突然変異などは、ひとつの音楽的観点から覗く未来でしかない。だから、自分や友だちのDJたちの視点から異なる未来を描いているんだよ。例えば、過去数年、スクラッチャDVAやクーリー・G、アイコニカやシャネンSPはアマピアノをよくかけているよね。僕はあのベースラインが大好きだ。でも僕の頭はこんがらがっているから、アマピアノのベースがフットワークのリズムで欲しかったりするわけ。サイエンス・フィクションのための異なる音楽の遺伝子組み換えみたいなものだよ。加えて、自分のDJセットの要素もプロダクションに含んでいる。

僕の頭はこんがらがっているから、アマピアノのベースがフットワークのリズムで欲しかったりするわけ。サイエンス・フィクションのための異なる音楽の遺伝子組み換えみたいなものだよ。

 『Escapology』のリズムにシカゴや南アフリカの黒人文化に直結したリズムが選ばれ、また先ほどグッドマンが挙げた〈Hyperdub〉アーティストたちはUKの外側にも人種的ルーツを持っている。以前からグッドマンが公言しているように、レーベルはサウンドシステム由来の「ブリティッシュ・ミュージックと関係する、アフリカン・ダイアスポラ(離散)の音楽的突然変異のプラットフォーム」でありつづけてきた。2020年にふたたび世界規模のムーヴメントとなったブラック・ライヴス・マターへの共感も、当然グッドマンは抱いていおり、その要素も『Astro-Darien』には上記のようにサウンド、そして設定の段階でも関連性があったという。
 「パンデミックがはじまったくらいのときに、僕はスコットランドがどう帝国主義に関わっていたのかについて、かなり多くの本を読んでいた。さっき言った奴隷制度との関係、どうやってスコットランドに奴隷制資本が流れてきたのか、といったことだね。そしてダリエン計画は間違いなく壊滅的な計画だった。もしスコットランドが未来をどうにかしようとするなら、歴史の暗黒面と向き合う必要がある。
 スコットランドは市民的ナショナリズムを持っていると言われるけど、それはつまり国境が開いたナショナリズムを意味している。ブレグジットとは真逆なわけだよ。ブレグジットはイングランドのパラノイド・ナショナリズムだ。比べて、スコットランドには違った可能性があって、もっとオープン・マインドなナショナリズムのモデルを示していると思うんだ。
 でも同時に、帝国主義によって発生した負債をどうにかしない限り、スコットランド独立のサイエンス・フィクションは不可能だと思った。ゲームとしての『Astro-Darien』のゲーム・エンジンはTディヴァインっていうんだけど、それはスコットランドの最も有名な歴史家のひとり、トム・ディヴァイン(Tom Devine)から採られている。彼は『Recovering Scotland’s Slavery Past』という本を編纂している。この設定は、ゲームを駆動するAIは、スコットランドの地政学の歴史全体のシミュレーションである、というアイディアによるものだね。スコットランドは過去の罪をどうにかしなきゃいけない。それが次のレベルへ進むための必要条件なんだ」

 ポストコロニアル的批判的思考回路を自身の表現形態に接続することにより、グッドマンが目指すのは、ドキュメンタリー/フィクションを通した未来の創造と、未来を現在に到来させることだ。それはここで彼が述べるように、市民的ナショナリズムのもと、共同体の構成員の援助と、外部に開かれた新たな国家のあり方を探りつつ行なわれる。その先に広がる未来のために、現代の国家の礎となっている奴隷制度に着目し、歴史的な反省にも向かっている。これが特定の国家の「解放」の未来を描きつつも、それを安易には理想化しない『Astro-Darien』でグッドマンが提示する共同体の理論である。
 国家という共同体の未来像を、フィクションを通して彼は描いているわけだが、ではここにグッドマンの個人史はどのように関係しているのだろうか。「パナマとスコットランドにルーツを持ち、内部にいながらアウトサイダーの視点を持つグナ・ヤラは自分に似ているかもしれない」とグッドマンは答える。コスモポリタニストでノマドであることを肯定する彼の出自にも、ヤラに通じるものがある。「僕はスコットランドに半生以上住んでいなくて、両親はイングランド出身で、さらに彼らはブリティッシュというわけではなく家系の各世代が異なる国の出身。ある種の移民家族みたいなもので、祖父母世代はウクライナ、ポーランド、チェコ出身なんだよね」
 今作は決して自伝的なものではないとした上で、グッドマンはアウトサイダーの視点の重要性について、以下のように説明する。
 「彼女は、エイリアン化をポジティヴなものとして捉えるために、『Astro-Darien』を外部へと開かれた状態でいつづけるようにプログラムしている。つまり、いかなるスコットランド的な観念にもエイリアン的であるようなものに開かれている、あるいは反動的なナショナリズムのカウンターであるとも言える*10
 グッドマンによるプロジェクトは、彼の友人のベリアルがそうであるように、ある種の匿名性に包まれたプロジェクトで、そこからは彼の出自に関する情報は希薄に思われることもあった。しかし『Astro-Darien』/『Escapology』にあるのは、個人と大きな歴史のパラレルを往復してできたサウンドの結晶である。
 「作品を作り終わったあと友人と話していて、『一体全体、自分は何をやっているんだ!』と思ったよ。なぜなら、これは自分が普段やろうとする類のものじゃないからね」とグッドマンは作品を振り返る。奇妙な時代が新たな語り部を必要としている。思惑する芸術家は、自身を貫くカレドニアの闇の奥から、対峙すべき過去と未来を、サウンドとともに描き出したのだ。


(註)
1 スコットランド地域を指す地理用語。
2 ハイパースティション(Hyperstitution):CCRU関連のテキストで用いられる概念で、単なる噂(superstition)がテクノロジーによって強度を上げ、現実になっていくことを指す。
3 マンロー(munro)標高3000フィート以上のスコットランドの山を指す。
4 市民的ナショナリズム(civic nationalism):ナショナリズム(国家主義)の一形態であるが、自民族中心主義的はなく、共同体の構成員である市民の個人権利や平等などを重要視している。
5 加速主義(Accelerationism):資本主義の発展と技術革新を加速させることによって、社会変革を目指す思想。左派加速主義は資本主義システムの崩壊を指向し、右派のそれはその強化へと向かう。CCRU時代のニック・ランドがその根本的な考えを示したとされる。
6 The Notel (2016):シュミレーション・アーティスト、ローレンス・レックとグッドマンによる映像と音楽によるインスタレーション/パフォーマンス作品。未来の人間がいなくなった中国にある、AIによって制御され、ドローンが働く全自動ホテルの内部をシュミレートしている。この作品に関して、筆者は『現代思想 2019年6月号 特集=加速主義──資本主義の疾走、未来への〈脱出〉』で考察を行なっている。
7 現在のスコットランド与党のスコットランド国民党の政策は、スコットランド独立に加え、教育費の公的負担、EU支持、医療制度の充実、貧困層支援、労働賃金の引き上げなど、社会主義的な政策を掲げている。
8 神話(mythology):ある特定の共同体内で共有されている文化規範などを反映した世界の秩序や創生に関する造話。
9 会話でもグッドマンはここで「地政学(Geopolitics )」という言葉を使っている。特定の地域の文化社会的、政治的な事象を、地理学的な特性によって考察する学問分野/手法。
10 進行中の社会情勢に反動する形で右傾化する姿勢が反動主義的ナショナリズムと呼ばれる。例えば、イギリスの80年代のサッチャリズム~90年代トニー・ブレア政権に端を発するニューレイバーの新自由主義政策の行き詰まりから、ブレグジットの実現にいたる過程を例に取ることができる。UK国外にルーツを持つ「アウトサイダー」的視点は、このような自国/白人中心主義的なイギリスの反動主義に対抗するものであるとグッドマンは主張している。「新自由主義が失敗するとき、人びとがする最もたやすいことは、反動主義的ナショナリズムを拠り所にすること。だから、スコットランドで起きていることは、ナショナリズムに興味深いものを見出す、現在進行形の闘争だ」と彼はいう。

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