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Valerio Tricoli

Experimental

Valerio Tricoli

Say Goodbye To the Wind

Shelter Press

デンシノオト Sep 20,2022 UP

 イタリア、シチリア島北西部パレルモ出身で、現在はドイツのミュンヘンを拠点とするエレクトロ・アコースティック・アーティスト、ヴァレリオ・トリコリ。その新作『Say Goodbye To the Wind』が、フランスのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈シェルター・プレス〉からリリースされた。

 トリコリは、オープンリールテープを用いて霞んだ質感のサウンド・コラージュを作り続けているアーティストである。実験的な作風だが、その手仕事を感じるアナログな音響空間には不思議な魅惑が横溢している。聴き込むと現実と非現実の境界線が曖昧になるような感覚を得ることができるほど。それら音のエレメントは、アナログなテープ素材を手仕事で繋いでいったものだ。いわば音のブリコラージュ? 私見だが、そのようなブリコラージュ感覚こそ、10年代の「尖端音楽」「エクスペリメンタル・ミュージック」の(ある部分の)本質であったのではないかと考えてしまう。ひとことで言えばマシンとアナログの中間状態にあるようなサウンドとでもいうべきか。完全なデジタリズムから距離を取り、アナログの質感と手法を追及すること。しかしそのサウンドには大胆さと細やかさと新しさがあること。トリコリの乾いた音色には没入感と同時に常に突き放すような感覚がみなぎっているのだ。

 トリコリは、アヴァン・ロック・グループの3/4HadBeenEliminatedのメンバーとして活動しつつ、これまで10枚ほどのアルバムをリリースしてきた。そのなかにはトーマス・アンカーシュミット、ファビオ・セルヴァフィオリータ、ヴェルナー・ダーフェルデッカー、ハンノ・リッチマンら優れたサウンド・アーティストたちとのコラボレーション・アルバムも含まれる。個人的にはヴェルナー・ダーフェルデッカーと共作したジョン・ケージの初期電子音楽作品のリアライズ・アルバム『Williams Mix Extended』(Quakebasket/2014)が強く印象に残っている。硬質で硬く、強く、美しいサウンドだった。またユニットとして、作曲家、ピアニスト、エレクトロニックミュージシャンとのアンソニー・パテラスとのAstral Colonels、ニコラス・フィールドとのRe-Ghoster、エッカ・ローズ・モデルカイとのMordecoliとしてもアルバムを発表している。 とくにAstral Colonelsは現代音楽とモダンな先端音楽が優雅に融合したようなアルバムで一時期、愛聴したものだ。

 ソロ作品としては、2004年にイタリアの実験音楽レーベル〈Bowindo〉からアルバム『Did They? Did I?』を送り出して以降、現在まで継続的にアルバムをリリースしている。なかでもドイツのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈PAN〉からリリースした『Miseri Lares』(2014)と『Clonic Earth』(2016)の二作は大変に素晴らしいものであった。この二作は〈PAN〉特有のセンスの良いアートワークもあいまって、彼のサウンドの魅力をリスナーによく伝えていた。一方本作は〈シェルター・プレス〉からのリリースである。トリコリにとってこのレーベルからは最初のリリース作品だ。私は当初は意外な組み合わせに感じたものだが、いざ聴いてみると彼の霞んだ音色のサウンド・コラージュと、〈シェルター・プレス〉特有の優雅な実験音楽のムードがよくマッチしていて、驚いてしまった。

 『Say Goodbye To the Wind』は、J.G.バラードやサミュエル・ベケットの『Le Dépeupleur』、そして「神智学」(神秘的直観、思弁、幻視、瞑想、啓示を通じて、神と結びついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものらしい)に強い影響を受けたアルバムだという。その意味で音による超越的な認識を希求するようとする意志がありそうだが、音を聴くと、ニューエイジ的な胡散くささはなく、もっと冷たく、物質的で、醒めていると形容しても良いようなサウンドに仕上がっていた。たしかに、過去のアルバムよりは、ややドラマチックに音響が拡張するような面もあるが、マテリアルな質感は維持したままであり、それほどのものではない。
 
 本アルバムには約25分の“Spopolatore”、約17分の“Mimosa Hostilis”と“De Vacuum Magdeburgicus”などの長尺3曲を収録している。どの曲も時間感覚がうっすらと溶けていくような感覚のコラージュサウンドを味わうことができる。静寂な空間の中に、アナログ・テープから不意にいくつもの音が再生され、折り重なっていくような感覚。環境音に加え、次第に弦楽や管楽器、さらには声も聴こえてくるのだが、過度に音楽的になることはなく、物質的でクールな感覚が残存しているのである。抽象と具象の境界線が溶け合っていく音響空間だ。

 1曲目“Spopolatore”はベケットの『Le Dépeupleur』にインスパイアされた曲らしい。音の群れがうごめき、やがてそれが物音の交響楽のように拡張していくさまを耳にすることになるだろう。硬質なチェロの音が麗しい。つづく2曲目“Mimosa Hostilis”は、生後数ヶ月のトリコリの息子の微かな息の音から始まり、やがて音が生成・変形し、メタリックな持続音を生み出していく。3曲目“De Vacuum Magdeburgicus”は、冷たく美麗なチェロの音から幕を開け、静謐で細やかな音が折り重なり、深淵な音響空間を生み出していく。チェロや声の要素がサイケデリックに拡張され、意識に浸透するような曲だ。どうやら17世紀のドイツの科学者オットー・フォン・ゲリケを振り返るようなテーマらしい。

 本作に満ちている幽玄な音のマテリアリズムというべきものは、トリコリの初期作品から変わらないものである。冷めている/醒めている感覚の発露。彼のサウンドが10年代的な実験音楽(エクスペリメンタル・ミュージック)を象徴するものがあるとすれば、この物質的な冷めた音の質感だろう。むろんそれはこの最新アルバムでも同様である。導入された楽器音や声ですらもマテリアルな質感を醸しだしているんだから。まさにサウンド・コラージュの達人による至高の一作。うごめく音の一音まで聴き込みたいアルバムといえよう。

デンシノオト