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「この世界の色を塗り替える/できないなんて思ったことねえぜ/stay young 正解はない/俺は疾風/誰よりも先走る」(“疾風” より)
『YC2.5』は、スピードに対する偏執が垣間見える作品だ。数々の乗り物や速度を表すモチーフ、それらに命を吹き込み駆動させるSEや効果音、ダッシュするビートとラップ。走ること、運動することによって変化する景色、視界を巡る色彩、肌を切りつける風。
Kamui は名古屋出身、現在は東京を拠点に活動するラッパーである。ダメ元で送ったというデモテープにプロデューサー/エンジニアの illicit Tsuboi が惚れこみ、2016年に『Yandel City』でアルバム・デビュー。その後なかむらみなみと結成した TENG GANG STARR や若手ラッパーをフックアップし組んだ MUDOLLY RANGERS での活動、THE ORAL CIGARETTES とのコラボレーション、そしてソロ活動で積み上げているカッティング・エッジな作品がアンダーグラウンドでつねに話題を呼んできた。『YC2.5』は2020年にリリースしたものの配信を取り下げることになった『YC2』のデラックス・ヴァージョンとして、クラウドファンディングで制作された最新作。「本作の完成度に大きく寄与するのは全曲のフック(hook)、つまりサビに掛かってるといっても過言ではないだろう」(※)と言及されていることからもわかるが、『YC2』ならびに『YC2.5』は過去作と比較し一段とフックのキャッチーさが際立っている。
けれども、アルバム終盤の “疾風” と題された象徴的な曲で表現されている通り、『YC2.5』はそのビートとラップでもってキャッチーに/滑らかに疾走するだけの作品ではないことも明らかだ。過去にもポエトリーラップ的手法で過剰な量のリリックをぶちまけヒップホップのリズムを大いに乱してきた Kamui は、颯爽と駆け抜けなければならないはずの曲──少なくとも「疾風」というタイトルからはそのようにうかがえる──でさえ、「stay young」と「正解はない」、「疾風」と「走る」で律儀すぎるくらいに韻を踏み、スピードを減速させて躓きを生む。そもそもこれまでも変則的なフロウが表出するしかなかった Kamui というラッパーのいびつな実存だが、サイバーパンク的SFを構築した架空と現実が入り乱れるような世界観をさらに推し進めた本作においても、彼のラップはゆがみ、捻じれ、やはり躓いている。
日本語ラップ史における「スピード」をモチーフにした作品というと Shurkn Pap の数々の曲が想起されるが、たとえばその運動性が極まった傑作 “ミハエルシューマッハ feat. Jinmenusagi” と比較しても、Kamui の特異さは際立っているだろう。一直線に走り抜ける「ミハエルシューマッハ」と対極にある価値軸を際立たせる『YC2.5』は、多彩なビートやめくるめくフロウによって細やかな情景を想起させながらも、それら各シーンをコマ送りするなかで、立ち上がってきた運動自体に Kamui の「蛇行する身体」が異質の文法を導入している。
──「未来はいち方向だけに進んでいるわけじゃないわ。私たちにも選べる未来があるはずよ」
冒頭の “Runtime Error” で告げられる台詞は、そのまま次の曲 “ZMZM” に繋がりながら、ここでも一方向だけにスムースに進まず躓いてしまう Kamui のいびつさを明らかにする。「MAZDA ZMZMZM」というフックが一聴するとキャッチーなようにも聴こえる本曲は、しかしながらマツダを飛ばしつつ振り絞る「ZM」の反復が、アクセルを踏んだ次の瞬間に弛めざるをえない凸凹の身体感覚を浮き彫りにさせる。そもそも、『YC2.5』は近未来を描きながらも無機質な電動マシーンがただただ加速し動いていくという姿が想起されづらい。むしろ、排気ガスを噴出しながら、アクセルとブレーキを人体の不自由さに委ねるしかない旧来的などうしようもなさが終始渦巻いている。Kamui のオルターエゴであるボーカロイド・キャラクター suimee やピーナッツくんなどが随所で前面に立ちながらも、ゆえに、SFにありがちな冷淡さは退けられ、街や人に体温が通っている。そう、本作においてはSFが運動を規定するのではなく、運動がSFを形作っているのだ。たとえば『I am Special』(2019年)を支配していた音割れに向かうブリブリのベースラインも、シングル曲 “東京CyberPunkness” (2020年)の各小節内で散らかる花火のようなサウンドの破片も、最新作『YC2.5』ではある程度まで過剰さが抑制されている。しかし、いや、だからこそ、それでも整理整頓しきれずにそこかしこに飛び散る Kamui の肉体の破片が際立っている。思えば、デビュー・アルバム『Yandel City』からインダストリアルなビートの導入を徹底することで自らの体温を際立たせていた彼のことだ。
あるいは、“BAD FEELING feat. 荘子it” のドラッギーなスピード感は格別とも言えるだろう。1:09からスピットする Kamui のラップは音節の区切りが交錯し、リリックにある通り、まさに痙攣と眩暈を喚起するような未聴感を届ける。Kamui の蛇行による異物感がクライマックスを迎えたところで入る荘子it のヴァースも抜群にキレている。重いラップの演出! 重々しい自らの実存をどうにか持ち上げて駆動させていくような、スピードと重量の引っ張り合いが破裂しそうではないか。「リストカットまみれのナオンとネオン/律動過多のパオンが振り切るレッドゾーンのエンジン音(ぶおおおん)」というラインではエンジンをふかす騒々しい音とともにネオン輝く歌舞伎町の情景がアクロバティックに描写される。リストカットまみれのぴえん系女子が「ぴえん超えてぱおん」と呟きながらたたずむ、それら生と死が漂うシーンを振り切って駆け抜けるのは、車と一体化しつつ実存を懸けて死ぬまで生ききる「重々しい」ラッパーの姿だ。(昨年末に荘子it に取材した際、彼は最近初めてハマったというバイクのスピード、そこで風とともに路上にさらされる自らの身体の加速について熱心に語ってくれた。おそらく、彼のなかでスピードと実存というものは昨年末から大きなテーマになっているのではないだろうか)
躓き、蛇行、重さ──。それら運動は、本作におけるスピードを一筋縄ではいかない、非常に興味深い試行錯誤として成立させている。だからこそ、Kamuiは、その変化球のスピードで世の中の先を進む。『Cramfree.90』(2018年)とトラヴィス・スコット『ASTROWORLD』(2018年)、『MUDOLLY RANGERS』(2019年)とリル・アーロン『ROCK$TAR FAMOUS』(2018年)、『I am Special』(2019)とプレイボーイ・カーティ『Whole Lotta Red』(2020年)──それらは共鳴しているに違いない。もはや2022年のヒップホップがトラップとブーンバップの範疇を超えてあらゆるリズムやニュアンスを吸収していることと同様に、『YC2.5』は四つ打ちやドラムンベースなど多彩なビートと Kamui の肉体の破片を飛び散らせながら、最後の曲 “Hello, can you hear me” で空っぽな空洞のようなトラックのなか、手を差し伸べて「君」を確かめる。これは希望だろうか──開始から1分56秒で、相変わらず躓いたリズムを響かせながら。
「頭ん中ぐちゃぐちゃになったけど/死ぬことをやめました/壊れたものは元には治らない/だから花火を天に打ち上げよう」
「遠のく記憶の先で/君の声が聞こえたよ/目が覚めたならもういないよ/手を差し伸べて/俺は君を確かめた/思い出になる前に/消えてしまう前に」
※万能初歩【Album Review】 Kamui, 《YC2》 (2020)
https://note.com/allroundnovice/n/n5337c1c2638e?magazine_key=m0a82010e3a19
つやちゃん