「ズリ」と一致するもの

2 類似したものの中の異なったもの - ele-king

 いきなり興醒めな印象を与えかねないが、最近は定額制ストリーミングで新譜を聴いている。なかなかどうして面白い。特にアメリカとブラジルにハマっている。技術やセオリーが風靡していないというか、ちょっとしたアイデアで新たな聴こえ方を模索しているようなところが面白い。先日GONNOさんと少しミーティングした時に、アメリカは自分たちの音楽に若干飽きてきているような雰囲気がある、と言っていたが、その反映なのか、ソンゼイラのように、知っているはずのイかしたものを取り戻そうという意志なのか、ただただ深読みか、ともかく、量で煽ってくるストリーミングに弄ばれないためにはちょっとした自分なりのコツが必要だからそういうことから眺めてみている。アナログで買うのが一番いいですが……。

 僕は、ドラムやリズムから眺めてみると記憶に残りやすい。山にドラムセットを広げて、iPhoneとイヤホンで気になった曲をコピーするという奇妙なことをやっているのだが、それをすると曲の仕組みみたいなものが少しずつ見えてくる。USインディーやブラジルの新譜をコピーすると、この曲にはこのパターンでとか、ビートを安易に対象化するのではなくて、一つリズムのエンジンをシンプルな形でフレーズに言わば物象化しつつ、そこからは外れないようにしながら曲展開に合わせて自由に展開していくという手法を感じる。例えば、ケヴィン・モービーの新譜のリード曲“City Music”。イントロはギア1からスタート、ギターインに合わせてリムショットとタム、フロア回しのシンプルなフレーズになるのだが、ベードラとスネアの関係は「ドッチ(タ)フードドチ(タ)」で、それは曲が終わるまで続く。ギターが抜けてベースと少し付き合ってから、タム、フロアが自然と抜ける。歌と共にハットが入る。至極シンプルなフィルのあと間奏でリムショットがスネアに変ってギアが少し上がる。また歌で少しギアが落ちるけど、前の歌よりは少しテンションが高い。それらが繰り返されてリスナーを揺さぶる。ギターリフとフィルでギアマックス、と思いきや歌になる度少し下げつつ、やはり揺さぶりながら全体のテンションが少しずつ上がっていく。しつこいまでの歌とギターリフの繰り返しに呼応するギアの変化。あからさまには上がらず、そこどこに気が配られているけど、エンジンがあるからノレるし、気付いたら上がっている。フレーズが物象化とは言い過ぎかもしれないが、それは、アフロや例えばエルヴィンのようなエネルギーの塊みたいなエンジンが自由に発信されていくことへのリスペクトとパロディ、そしてそこからの展開はちょっとしたアイデア、その聴こえ方は、実に気が利いている!

 飽きていることの証明なのか、「クラブでアフリカものとか普通に流れている」とGONNOさんは言っていたが、その実は行ってないからわからない。でも、ハットを抜いて、キープはリズムギターに任せてみるとか、このノリで行きたいからエンジンは決めつつそこから曲に合わせて発展させていくとか、そういうちょっとしたことでも少し新鮮になるかもしれない。また、それは、色んな音楽を見渡せばいくらでもあって、別段新しいことでもないかもしれないが、それをポップスに落とし込もうとする意志が、ビートに、音楽に宿るだけでも聴こえ方は変わる。
 ただ、ここに危惧がある。これだけ真似したら、今度はそれこそただの対象化になってしまう。彼らが何を考えて何を聴いてそうなったのか、正確に捉えるには話でもするしかないが、深読みでも勝手な詮索でもいいからルーツや出発点を見つけないといけない。彼らだってきっとそこから始まっている。僕はそこにアフロを感じる。どこがや、と思うかもしれないが、対象化の貼り付けリズムとの差はストリーミングでも充分にわかる。なんでもないビートが気持ちいいなんて、それだけでアフロ的だと、言い過ぎでも言いたい。
 そこで、もう一つの危惧が、ストリーミングでのコピーという点。10代の最後の頃、ニール・ヤングをレコードで聴いてノリの違いにびっくりした。“Heart Of Gold”だったか、レコード屋もない小さな街でレンタル屋や一人の友達にかりてせっせとMDに移植して聴いていた頃は、所謂タメの効いたビートだと思っていたのが、7インチで聴いたらタマっているどころか躍動感に溢れていた。90年代のCDの音質のこともあると思うが、騙されたと思った。他にも例はいくらでもある。ライブもとても大事だけど、逡巡の傷跡が最もよく刻まれたレコードはノリも伝える。レコードはいい。
 グリズリー・ベアの新譜なんて、フレージング自体もアフロ的で面白かった。レオナルド・マルケスプロデュースのミニマリスタ『Banzo』#1は、場面とフレーズの関係とビルドアップは“City music”に似ているかもしれない。#2は、パルチード・アルトの今!といったら言い過ぎだろうか。#3は、最高のアンサンブル隙間の効いたドラムの間を、ベースがいくのが頗る気持ちいい。ドメニコ・ランセロッチは、『オルガンス山脈』で、ショーン・オヘイガンと組んで、融合を見事にポップスに持ち込んだ。トニー・アレン新譜も楽しみだ。

 もしかしたら、僕自身がハズレも多いレコード収集に若干飽きているだけかもしれない。少なくとも、一人で田舎にいるのも、何故かなんだか済まない気がしてくる時があるから、せめて新譜を聴きに、叩きに、山に行っていないといけない。そうしたら、昔のレコードもあらためて新鮮に聴けるような気がする。


R.I.P. Chuck Berry - ele-king

 その日の午後、わたしは本誌編集長野田努と渋谷で会っていた。ごく当たり前の出版論が、途中からなぜかチャック・ベリーの事になり、わたしは夢中になって話した。野田努はただ聞いているだけだった。セックス・ピストルズ以降の人間が、チャックの影響下にあるとは言い難い。わたしですら彼の事を意識し出したのは1970年で、16歳になってからだ。全盛期はその遠い昔だった。それ以来、彼の事は本当にずっと聞いて来た。1日に1回は必ず思い出していた。
 その晩に立ち寄ったロック・バーで、「新作がなかなか発売にならない」という話題が出た。ロンドンの音楽誌『アンカット(UNCUT)』2017年1月号でその情報に接したのはもう3ヶ月以上前の話になる。本人が「こんどのは最高の出来だ」と語っていた。彼が自作を喧伝するのは、極めて珍しい。

 「新しい事はやってないだろうね。でも懐古的な作品にはして欲しくないな」
 そんなありふれた事を喋った記憶がある。
 「もうだいぶ歳なんですよね」 
 「いや、あいつは死なないよ」
 根拠はないが妙な確信が浮かんで、そう答えて店を出た。

 翌々日、日曜の朝、衝撃がやって来た。チャック・ベリーの訃報だ。不思議と悲しくはならなかった。それより世の無常を悟ったような気分だった。

 彼の死は20日付け東京新聞社会面でも大きく報道された。今でこそチャック・ベリーこそロックンロールだ、という認識が一般化している。ただしそれまでにこの国で彼の事が評価されていたかどうかは、極めて疑わしい。もちろんカタログ注文のアメリカ盤を3ヶ月待って同時代的に聞いていた何人かは居ただろう。しかしこの国で「チャック・ベリー」という名前が挙がるようになったのは、1970年代半ばに起きたあの歪んだロックンロール・ブームからだ。たぶん最大の貢献者は、矢沢永吉のグループ、キャロルだろう。それ以前は、“ロール・オーヴァ・ベイトーヴェン”も“ロック・アンド・ロール・ミュージック”も、ビートルズが唄ったから誰でも知っていたのだ。

 チャックの所属していたレコード会社チェスの興亡を描いた映画『キャデラック・レコード』の中で、本人がドサ回りでクラブに行き「今晩出演予定のチャック・ベリーだ」と告げると、支配人に立ち入りを拒否される。彼曰く「お前じゃない。奴は白人だ」と。観る度に笑える場面だ。彼の地でも大人の認識はこんなだったのかも知れない。
 日劇ウエスタン・カーニヴァルの全盛期に採り上げられていた楽曲は、ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャード、エディ・コクラン、そしてエルヴィス・プレズリあたりで、チャックの歌をリパトゥワにしていた唄い手もバンドもほとんどいなかった。その無理解はこの時だけに留まらない。奇しくも野田努が編集した萩原健太の近著『アメリカン・グラフティから始まった』に、こんな記述がある。
 「日本では複数アーティストが参加したロック・コンサートで全員参加のアンコール演奏をしようとした場合、チャック・ベリーの“ジョニー・B・グッド”が選ばれる事が多い。歌詞をちゃんと歌えないやつが多いにもかかわらずだ。それが日本の“ロケンロール”史観なのだろう」(102頁)。
 これは全く正しい。21世紀になっても、この国のロックンロール好きは、「ゴージョニゴー」としか唄えないのだ。「チャック・ベリー、昔から大好きでした」なんて語る奴を、わたしは信用しない。ただ自分自身も50年近く聞いている事になるので、「昔から大好きでした」になってしまう。
 しかし、それは違う。わたしは明日もチャック・ベリーが好きなのだ。素晴らしい色彩で描かれた楽曲の数々は、聞く度にアメリカ合衆国のウラオモテを教えてくれる。弾力性を持ちながら機械のように斬り込んで来るブルーバード・ビートの刻みは、どんな腕の立つギタリストも真似出来ない。さらに、彼の面倒な属性は、世の中を生きて行く上で参考になる。

 映画『ヘイル、ヘイル、ロックンロール』での自己中心的振る舞いは、大いに話題になった。“キャロル」のイントロで執拗にダメを出すのは、明らかな嫌がらせ、いじめ、“マンキ・ビジネス”だ。その後でチャックがアムプの調整でつまづいた時に、キース・リチャーズがここぞとばかりにやり返して追い詰めるのも面白い。
 この映画を監督したテイラー・ハクフォードが冒頭で彼について喋る。「難儀(trouble)」、「面倒(difficult)」、「風変わり(funny)」と、その性格を説明する時、彼は毎回つい微笑んでしまう。チャックの事を、正しく理解しているに違いない。
 チャックの運転する車で仕事に行ったら、途中でガス欠に陥った。すると彼は高速道路から単身飛び降り、ガソリン缶を手に戻って来たという話がある。『ヘイル、ヘイル』の中だったかと、今回慌てて観直したけれど、その場面を見つける事が出来なかった。何処に所蔵されたこぼれ話だっただろうか。女性が語っていたような記憶がある。
 ジョン・ハモンド(元ジュニア)に取材した時、“ネイディーン”、“ブラウン・アイド・ハンサム・マン”をカヴァしているので聞いてみたら、「初期のレコードは、僕にずいぶん刺激を与えてくれた。でも68年に逢った時、なんて奴だって思ったよ。実にいやな男だったんだ。人間的にはちょっとねぇ……」と語気を強めて話していた。きっと機嫌の悪い時に出会ったのだろう。
 ゼニカネにうるさく、出演料は半額を契約時に、残りは「ドン前(緞帳を上げるまで)」、いずれも現金、というやり方を非難する意見は多い。でもこの世界ではそれが常識だ。元締めが売上を持って逃げる話は今でもある。後日の銀行振込なんて当てにしない。払ってくれないんなら演らないだけだよ……、カッコいいじゃないか。

 彼の事を人間不信の変わり者、だけで済ますのは間違いだ。誰にも頼らずひとりで生きていくには、このくらいゴリカンでなきゃ無理だろう。チャック・ベリーは50年代のアメリカ合衆国の芸能の世界を何の後ろ盾もなく渡って来た黒人なのだ。
 こういう事実を知れば知るほど、1981年4月27日、厚生年金会館大ホールの下手袖で、わたしの差し出した公演パンフレットにサインしてくれたというのは、奇跡だろう。

 ニュースを聞いて数日後、同じロック・バーを訪れた。
 「あのすぐ次の日の朝だったね」と店主にさっそく話しかけた。
 「そうでしたね」、彼は少し怪訝な顔をしたが、付き合ってくれた。
 さんざん話して夜も更け、ようやく帰ろうとしたら、
 「あの後、一度来てますよ。『チャック・ベリーが死んだ』って、ワインを呑んでました」と、耳元で囁かれた。そうだったのか。全く憶えていない。
 チャック・ベリーは絶対に死なない。少なくともわたしの心の中では。早く新譜を聞きたい。既に公開されている1曲“ビグ・ボーイズ”は、まるでチャック・ベリーのロックンロールだ。今、他の誰にこんな事が出来ると言うのか。新しい1枚では、これまで粗製濫造していたジャムの寄せ集め的アルバムにそっと忍び込ませていたような、カリブ風だったり、保守的なスタンダード的だったり、あるいはカントリーそのものだったりする非ロックンロール曲に、大いに期待している。6月29日が発売日だという。チャック・ベリーは、これからもずっと生き続けていく。


 チャック・ベリー:チャ―ルズ・エドワード・アンダスン・ベリー 2017年3月18日午後、ミズーリ州ウェンツヴィルで死去。90歳。

Dirty Projectors - ele-king

(細田成嗣)

 ダーティ・プロジェクターズによるセルフタイトルを冠した堂々たる最新作について、ひとまずはその表面から受け取ることのできるものを言語化してみることから始めてみよう。本作はこのグループの7枚めのアルバムであるとともに前作からメンバーがガラリと変わり、というかリーダーのデイヴ・ロングストレスしか残っておらず、改めてこのグループが通常の固定メンバーを従えたロック・バンドとは異なった、あくまでロングストレスの変名プロジェクトとも言うべきものであるということを印象付ける作品だった。アルバムの内容を眺めてみると収録された9つの楽曲は多様多彩であり、それぞれの楽曲ごとに参加メンバーも異なりコンセプトも異なるというヴァラエティーの豊かさがある。ビッグバンド・ジャズを彷彿させるホーン・セクションがあるかと思えば弦楽四重奏が加わった楽曲はまるで室内楽風でもクラシカルでもなく、あるいはバーナード・ハーマンの映画音楽を素材にした楽曲ではジョエル・マクニーリーの指揮によるロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏の録音をサンプリング・コラージュし、かと思えば唯一の女声ヴォーカルであるドーン・アンジェリク・リチャードの歌が響き渡る。とっ散らかった印象を与えかねないそれら楽曲群が1枚のアルバムに収められることができたのは他でもない、彼のつまりロングストレスの歌声が全編を通して流れているからである。その声がおそらくは紐帯となっている。だがしかし、おそろしいのはその紐帯としての彼の声を彼は切り刻み変調し重ね合わせて録音し、自在に姿かたちを変幻しながらあらゆる角度から声の肌理の様相をあらわにしていることである。思えばダーティ・プロジェクターズの前作と前々作の特徴は3人の女声コーラスの見事なハーモニーがロングストレスの歌声と絡み合うアヴァン・ポップなロック・ミュージックであるところにもあったのだったが、そのフォーマットを根城にして新たな音楽に挑んでいくのではなく、やはりダーティ・プロジェクターズはロングストレスのプロジェクトなのであって、むしろそこからそうしたコーラス・ワークを手中に入れ、彼女らが不在の今作においても彼が彼自身の力量によってそれを披露したのだということなのだろう。そして今作において見過ごすことができないのはダーティ・プロジェクターズにおけるロングストレスのそうした前進と変化だけではなく、いや、ある意味ではそれに含まれもするのだが、彼とほぼ同世代で活躍する作曲家/電子音楽家であり元バトルスのメンバーでもあるタイヨンダイ・ブラクストンが参加していることである。

 一昨年リリースされたパーカッションと電子音のための作品『HIVE1』も話題を呼び、そのエレクトロ・アコースティック打楽器アンサンブルのアルバムは明らかにエドガー・ヴァレーズを参照点のひとつとしているとともにヴァレーズの遺産をいま一歩前に進め、それによって彼のもうひとつ前の作品『Central Market』において同様に参照され継承発展させられたイーゴリ・ストラヴィンスキーと併せてタイヨンダイ・ブラクストンの音楽的嗜好と背景の一端をある程度の幅を持って見ることができるようになったのだった。その彼が本作において参加しているのは5曲、全体のおよそ6割に参加しているのは単なるゲストというよりも半ば共作と言ってしまってもよいものだろう。モジュラー・シンセサイザーを用いた演奏やポスト・プロダクションを施す彼の手腕がロングストレスともっとも共振しているように聴こえるのはやはり“Keep Your Name”であり、それがもっとも不協和を奏でているような歪さを感じさせるがためにかえってふたりの類似と差異があらわれるところがおもしろく、また、別の共振のしかたを聴かせているとも言えるのは“Ascent Through Clouds”だろう。前者ではロングストレスの変調された低音のヴォーカルが印象的に響くところから幕を開け、彼が失恋の哀しみを歌い上げるそばでブラクストンによる変調された高音ヴォイス――あのバトルスがおそらくもっとも多くのリスナーの耳に焼き付けただろう“Atlas”で聴かせたそれ――が被さってきて、二声のエレクトロ・ヴォイスの対比的な絡み合いは見事としか言いようがない。しかし後者ではまるでぶつ切りにされたふたつの楽曲が強引に接ぎ木されたかのような構成をとっており、前半にロングストレスのヴォコーダーをかました歌声と爪弾かれるギターによるフォーキーな演奏、後半には打ち込みのビートにエレクトロニクス・ノイズとともに乗せられたブラクストンによる変調された高音ヴォイスのミニマルに反復する演奏がやってくる。そして後半にはさらにロングストレスの多重録音された歌声によるコール&レスポンスが差し挟まれていて、そこで生々流転する世界の循環について歌われたあとに続く打ち込みビートは興奮の閾値を超えるようにしてリズミカルにグルーヴする、それもまた圧巻なのである。そうした共同作業の成功の陰にあるのが、単に快楽主義的であるだけでなく、グリッチ・オペラや記憶のみを用いたアルバム・カヴァーなどといったアメリカ実験音楽の流れを汲むコンセプチュアルな作品制作に取り組んでいたロングストレスの音楽美学と、同様にアヴァンギャルドの遺産とエクスペリメンタルの可能性に浸りながら現代の音楽を創造するブラクストンのそれとのあいだに共有できるものがあったからなのかどうかは定かではないが、少なくともUSインディー・ロックなる矮小なジャンルには全くとどまることのないそうした志向をうちに秘めたふたりの音楽家の交わりのもとに生まれた最上の音楽のひとつがここにはあるのだということは言えるだろう。

細田成嗣

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(小林拓音)

 時代は変わった。昨秋リリースされたソランジュの『A Seat At The Table』は、インディ・キッズという迷い子たちを最新鋭のソウル/R&Bの領野へ誘導する決定的な分岐器となった。その領野から収穫された最高の果実のひとつが先日リリースされたサンファのアルバムであり、そしてもうひとつの果実がこのダーティ・プロジェクターズのアルバムである。
 サンファと同じように、デヴィッド・ロングストレスもまた『A Seat At The Table』でいくつかのトラックを手がけている。その経験が大きな転機となったのだろう。ダーティ・プロジェクターズにとって初のセルフタイトルとなったこのアルバムは、全編を通してR&Bへの強い意志に貫かれている。これまでの作品にもその要素は垣間見られたが、おそらく彼はいまはっきりと気がついたのだ。創造的な表現を試みる上で、ロックというフォーマットはもはや弊害にしかならないということに。
 失恋ソングの意匠を借りた冒頭の“Keep Your Name”は、一瞬ナオミ・クラインの名前に引っ張られて「これは商品や消費についての歌である」と解釈したくなるけれど、「バンドはブランド」というくだりを経るともうロックの失墜を憂う歎息にしか聞こえなくなる。「i wasn’t there for you(おまえのためにそこにいたんじゃない)」というブリッジの一節にはインディ・ロックに対するデヴィッドの複雑な思いが表れているし、その心情は「手遅れさ/巻き戻すことはできないんだ」という“Death Spiral”のヴァースからも聴き取ることができる。たしかに、ロックにできることなどもう何もないのだろう。バンドという形態に残されている可能性も皆無に等しい。「そんなことはない」とデヴィッドはこれまで、バンドに憧れるティーンエイジャーさながら自らに言い聞かせてきたのではないだろうか。だがついに彼はその慰めが現実逃避でしかないことを悟ったのだ。ソランジュが呪いを解いてくれたのである。

 とはいえデヴィッド・ロングストレスというタレントの創造性が、単なるR&Bという枠組みに収まり切るものでないことも容易に想像がつく。これまでダーティ・プロジェクターズが、ロックという沈没寸前の舟艇にしがみつきながらも特異なバンドたりえていたのは、彼の実験精神によるところが大きい。グリズリー・ベアのクリス・テイラーがプロデュースを手がけた『Rise Above』(2007年)には、「原曲を聴き返さずにカヴァーする」という大胆なコンセプトとアフリカ音楽の流用があった。その後かれらの評価を決定づけた『Bitte Orca』(2009年)や『Swing Lo Magellan』(2012年)には、リズムの探索や打楽器の音響的効果の開拓、それにかれらの代名詞とも言えるコーラスの妙技があった。その実験精神は姿を変え、このアルバムにもしっかりと受け継がれている。そのエクスペリメンタリズムの片棒を担ぐのがデヴィッドの旧友、タイヨンダイ・ブラクストンである。

 加工されたデヴィッドのヴォーカルが美しいメロディを紡ぎ出す“Ascent Through Clouds”は、中盤でぱたりと沈黙を迎えモジュラー・シンセを招き入れるが、この官能的なシンセ使いはまさしくタイヨンダイが『Oranged Out E.P』で試みていたものだ。“Keep Your Name”におけるサンプルの使い方もじつにタイヨンダイらしい。野太いシンセを命綱に快楽指数の高いパーカッションが冒険を繰り広げる“Death Spiral”でも、ブラック・ミュージックにおける伝統的なホーン・アンサンブルを解体しようとしているかのような“Up In Hudson”でも、そして『A Seat At The Table』のセッションの合間にデヴィッドとソランジュによって書かれ、ヴォーカルにドーン・リチャードを迎えたキラー・チューン“Cool Your Heart”でも、タイヨンダイの持ち味が遺憾なく発揮されている。その強烈な毒素はタイヨンダイが参加していないトラックにまで影響を及ぼしており、たとえば“Work Together”における音声のエディットと配置のしかたは、デヴィッドが電子音楽家としてタイヨンダイと肩を並べる域にまで達しつつあることを告げている。

 時代は変わった。いまやR&Bこそがエクスペリメンタリズムを展開するのに最もふさわしい土壌なのである。ダーティ・プロジェクターズのこのアルバムは、まさにそのような状況の変化を告げ知らせている。ためらう必要はないので言ってしまおう。本作はダーティ・プロジェクターズのキャリア史上、最も優れたアルバムである。

小林拓音

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(野田努)

 音楽はなぜ実験を必要とするのか──サティは旧来の音楽の硬直さに疑問を抱いた、シュトックハウゼンはロマン主義を否定しなければならなかった、ミニマル・ミュージックは陶酔を忘れた現代音楽に抗した。フランク・オーシャンをみればわかるように、R&Bとはポップ・ミュージックの最新型であり、音楽ビジネス・モデルの最新型であり、同時に広大な実験場である。かつてロックが大衆的実験場であったように。
 しかし『ダーティ・プロジェクターズ』における実験は、時代の要請というよりは個人的追求心の結実なのだろう。ブライアン・ウィルソンの『スマイル』のように、コーネリアスの『ファンタズマ』のように。
 『ダーティ・プロジェクターズ』を特徴付けているひとつは、細かいエディットとその繊細な音響加工とミキシングの妙技にある。『Blonde』の1曲目で歌っていたのは元メンバーで、デイヴィッド・ロングストレスの元彼女だったアンバー・コフマンだが、彼女はかつてメジャー・レイザーのご機嫌なレゲエで歌ったり、ちゃらいブロステップ系のルスコで歌ったりと、芸術的にはまるで一貫性がない。そして残されたロングストレスだが、タイヨンダイの強力なサポートを得たとはいえ、ひとりであるがゆえの想像力を拡張させ、かくもユニークなポップ・アルバムを完成させたというわけだ。
 “Death Spiral”や“Little Bubble”のような、いくつかの印象的な曲を聴くと、音楽的にみれば本作を『Blonde』や『ア・シート・アット・ザ・テーブル』と並べたくなるかもしれないが、クラウトロックめいた音響加工やミキシングの妙味を混入することの面白さでいえば、コーネリアスあるいはアーサー・ラッセルの“レッツ・ゴー・スウィミング”のような曲とリンクする。言うまでもなくダーティ・プロジェクターズとは、かつて脚光を浴びた(良くも悪くも素人臭い音響実験に特徴を持つ)ブルックリン系と括られており、10年前のリスナーはアニマル・コレクティヴのファンと重なっていたほど、フォーキーでローファイなインディ・ロックをやっていたバンドである。もちろんロックとは旧来は、このように他のスタイルをどんどん吸収しながら変化する音楽でもあった。
 本作の“Up In Hudson”や“Ascent Through Clouds”といった曲にはドゥーワップ的要素もみられる。だが、それらもレトロであることは許されず、いちいち音響加工されている。過剰に感じられるかどうかのすれのすれのレヴェルで音はいじくられ、タイヨンダイの力を借りていない曲のひとつ、“Work Together”における声のエディットやサンプリング・ビートの鳴り方は、コーネリアスどころか『ボディリー・ファンクションズ』の頃のハーバートさえ思い出させる。アシッド・フォーク調の“Ascent Through Clouds”は、それこそ60年代末のビーチ・ボーイズを現代にアップデートしているかのようで、ソランジュが作詞作曲に参加し、ドーン・リチャードが歌う“Cool Your Heart”は、カリブ海のリディムが咀嚼され、本作においてもっとも色気を持った親しみやすい曲となっている。つまり『ダーティ・プロジェクターズ』は、魅力たっぷりのスリルと冒険心を持ったモダン・ポップ・アルバムなのだ。
 音楽はなぜ実験を必要とするのか──我々のなかに前進したいという欲望があり、それを封じ込めることはできないからだ。このアルバムにノスタルジーは、ない。

野田努

dedekind cut - ele-king

 2010年代の先端に位置する電子音楽/電子音響の分母はクラブ・ミュージックである。だが、その分母は明確な実態を認識できる「分母」ではない。そうではなく壊れたJPEG画像のように、なにがしかの「グリッチ」(それは音響的ノイズに限ることではない。インターネット以降の環境における情報量の無限の増大とそれに伴う極度のローカル化によって、われわれの無意識や共通認識がすでにグリッチしているからだ)によって存在が破損している「分母」なのである。

 いうまでもなく、90年代以降の「クラブ・ミュージック」とは、70年代までの「ロック」と同じく、ポップ/ミュージックにおける重要な分母だったわけだから、それが00年代的なエクスペリメンタル・ミュージックに流れ込んできてもまったく不思議ではないし、電子音による生成という側面から考えれば、むしろ当然の帰結なのだが、問題はわれわれの分母=現実が崩壊しつつある状況を(それが音楽という感覚にもっとも作用しやすいメディアゆえ)、反映「してしまっている」点が何より重要なのだ。少し前に「OPN・アルカ以降」というワードが一時期、頻繁に流通していたが、そこにおいても「破損しかけた分母」の問題が共通している重要なエレメントであったように思う(ゆえに「ミュータント」なのだ)。

 それゆえだからこそ、インダストリアルでも、アンビエントでも、ニューエイジなどの10年代的な先端的電子音楽/音響において、分母たるクラブ・ミュージックのエレメントが、どのように「残存しているか」、もしくは「最初からあったのか、否か」という問いは、クリティックやジャーナルにおいても重要な問題に思えるのである。それはジャンル内の正当性を判別する意味ではなく、そのような「共通認識」が、どこまで「壊れているのか」を思考する輪郭線のように機能するからに他ならない。そして、その「壊れている」感覚の根底には21世紀型「恐怖」がある。20世紀型の世界が終わる恐怖。足元が揺らいでいる感覚。それはネガティヴな意味に回収される問題ではない。そうではなく、その破損という「切断」は、逆に「今そのもの」として、私たちに新しい音楽と、その刺激を伝えてくれる。そう、デデキント・カット『$uccessor』のように。

 デデキント・カットはリー・バノン(フレッド・ワームズリー)の変名プロジェクトである。1987年生まれの彼は、ヒップホップをベースにしつつ、ジャングルからチルウェイヴ(もはや懐かしい名称だ)まで多様な音楽の要素を、自身の曲やアルバムに反映している。2014年に〈ニンジャ・チューン〉からリリースした『オルタネイト/エンディングス』は、ジャングル・ドラムンベースを全面的に導入したアルバムで話題になったが、2015年に同じく〈ニンジャ・チューン〉からリリースした『パターン・オブ・エクセル』では、一転して、断片的なサウンドをミックス音源のようにコラージュしたアンビエント作品へと変貌、まるで真夏の不穏のようなエクスペリメンタル・ミュージックを展開していたのである。

 このデデキント・カット名義、最初のフル・アルバム『$uccessor』は、先の『パターン・オブ・エクセル』の系譜を継ぐアルバムといえる。アンビエントを基調に、ニューエイジ、ジャングル、ノイズ、クラシカルなどのエレメントが交錯し、融解している。いわば、『$uccessor』は、情報がフロウする現代ならではのアンビエント・ミュージックと称することができる(ちなみに3曲め“カンヴァセーションズ・ウィズ・エンジェルズ ”には、DJシャドウが参加している)。じっさい『$uccessor』には多様な音楽のエレメントが横溢し、つながり、そして流れ、独自のアンビエントを生んでいる。当然、彼の出自をみれば分かるように、本作の「分母」にはクラブ・ミュージックがあるのだが(ドラムンベース的な箇所もある)、しかし、やはりこれまた今の先端的音楽としては当然ながら、その「分母」は、すでに融解し、微かな断片のよう存在している。そこでは「音」が廃墟のように壊れかけている。フレッド・ワームズリーは、そのサウンドの断片を「流れ」として、再構成していく。

 私には、その残骸の活用・再構成という点こそが、本作に特有の21世紀型の「郷愁」感覚を生んでいるように思えてならない。1987年生まれの若者が生み出す音楽に、不思議な「郷愁」があるということ。それはレコード文化の残骸や廃墟そのものともいえるかもしれないし(アルバム名「successor」という単語は「後任、後継者、相続者、継承者」という意味だ)、真夜中や真夏などの時間が停止した世界への感性ゆえかもしれない。だから「郷愁」は、そのまま「恐怖」に反転しうるのだ。柔らかくシルキーな音色に満ちた本作には、ある特有の「ダークさ」があるのだが、それはこの「郷愁/恐怖」の感覚によって生まれているものではないか。とくに6曲め“☯”から7曲め“5ucc3550r”には、感覚の反転が美しいアンビエントで鳴り響いている。いわば、恐怖と郷愁のアンビエント。2016年から2017年をブリッジするための、とても重要なアルバムである。

Hamilton Leithauser + Rostam - ele-king

 グラミー賞の季節に「アーケイド・ファイアって誰?」「ボン・イヴェールって誰?」という検索ワードが上位に来るという話題が上がることがあるが、明らかに今年は「スターギル・シンプソンって誰?」となるだろう。アデルやビヨンセに並んで最優秀アルバムにノミネートされたシンプソンは僕はたまたまアメリカで観たが、「オルタナティヴ・」という枕を忘れそうなほど、日本人の目から見るときわめてまっとうなカントリー・シンガーだった。けれども少なからぬアメリカ人にとってはそこに「オルタナティヴ・」の部分をいかに読み取るかが重要なのだろう。伝統の上に立ちながら、それをいかに更新していくか……性懲りもなく音楽と社会を結びつけて考えるならば、理念が大いに揺らいでいるあの国にとってそれは切実な問題であり、政治的なモチーフも取り入れられたスターギル・シンプソンの「オルタナティヴ・」カントリーはそのひとつの象徴なのだろう。

 伝統から切り離されていないことと、紛れもなくいまを生きていることをポップ・ミュージックとして両立させること。2000年代中ごろのUSインディ・ロックの隆盛を思い返すとき、その問いが彼らの音楽をより複雑により多層的に、ゆえに魅力的にしていた一因であるように感じる。それは9.11からイラク戦争へと向かっていった社会の荒れ方と無関係には思えなかったし、たとえ優等生的な振る舞いだと揶揄されようとも、自分たちがいま生きる場所とは何かをあのときインディ・ロック・ミュージシャンたちは真剣に考えた。大まかに言ってその回答をアメリカの外側に求めた一派と内側に求めた一派に分けられると思うが、後者としてはウィルコやザ・ナショナル、スフィアン・スティーヴンスやフリート・フォクシーズにボン・イヴェール……らがたしかに成果を残している。ニューヨーク派のザ・ウォークメンも明らかにそちら側であり、バンドが活動休止してからもフロントマンのハミルトン・リーサウザーはその実践を続けている。
 リーサウザーとヴァンパイア・ウィークエンドを脱退したロスタム・バドマングリがタッグを組んだ『アイ・ハッド・ア・ドリーム・ザット・ユー・ワー・マイン』は、ボン・イヴェールやエンジェル・オルセンといった例外を除いてどうも勢いが落ちているように見えるインディ・ロックのなかで昨年アメリカのメディアに静かに評価された作品で、けっして新しくはないが、親たちや祖父母たちの時代のポップ音楽へのまっすぐな敬意が感じられる。カウンター・カルチャーの夢が壊れてしまったのならば60年代よりももっと遡ってしまおうとばかりに、50年代のサウンドが聞こえる。なかば呆れるほどにレナード・コーエンへの尊敬が注がれてもいる。土ぼこりや酒とタバコ、男女の悲哀と文学の匂いのするフォーク/カントリーにドゥワップ、ロックンロール。見ようによっては古めかしいダンディズムやロマンティシズムも立ちこめているが、ロスタムによるシンセ・サウンドとリーサウザーのザラついたバリトン・ヴォイスを生かしたロウなプロダクションがギリギリのところで回避する。「お前が俺のものになる夢を見た」とアルバム・タイトルの言葉を狂おしく繰り返す“ア・1000・タイムズ”、ドラムの打音が生々しい響きを持った“シック・アズ・ア・ドッグ”の頭2曲を聴くだけで、まず本作の魅力を知るにはじゅうぶんだ。薄汚れたダイナーで演奏するバンドが、しかし、その辺に転がりボロボロになって忘れられた叙情を掬いあげるような……図書館の奥で眠っている優れたアメリカ文学を見つけたときのようなバラッド集が本作だ。白眉はギターのアルペジオがざわつく“イン・ア・ブラック・アウト”。繰り返すが、もう笑ってしまうぐらいここからはレナード・コーエンが聞こえる。ますます過去に遡っていくボブ・ディランと微妙にシンクロもしている。20世紀の遺産の行方を多くの人間が危惧した2016年に、しかしこのような誠実なインディ・ロックが産み落とされていたのだ。

 アメリカの社会は混乱している。それは間違いない。が、いまこそ「オルタナティヴ・」の枕を探すインディ・ロック勢……「優等生」たちが動こうとしている。2017年には、ヴァンパイア・ウィークエンドにダーティ・プロジェクターズ、グリズリー・ベアとフリート・フォクシーズの新作が出るという。新しい才能も現れるだろう。彼らは、自分たちが誰の子孫であるかを忘れていないのだ。

Jamie Lidell - ele-king

 正直なところ、日本ではあまり正当な評価を得ていなかった感のあるジェイミー・リデル。今でこそ彼は素晴らしいソウル/ファンク・アーティスト&シンガーであるが、そもそもイギリス出身の白人、当初はサブヘッドやスーパー・コリダーというミニマル・テクノ系ユニットに参加、ソロ作品をリリースするのは〈ワープ〉というエレクトロニック系レーベルの総本山、ソロ活動初期はIDMやエレクトロニカに傾倒、歌ではなくヒューマン・ビートボックスが出発点などが理由で、ソウルやファンクのシーンからは色眼鏡を掛けて見られていたと思う。彼がソウル/ファンク路線へ向かうのは2005年のセカンド・アルバム『マルチプライ』からで、チリー・ゴンザレスやファイストとの共演、3枚目のアルバム『ジム』(2008年)がインディペンデント・ミュージック・アワードのベスト・ポップ/ロック・アルバム賞を獲得したことなどで、どちらかと言えばロック方面から成功を掴むきっかけを得る。2010年の『コンパス』はベックとグリズリー・ベアーのクリス・テイラーをプロデューサーに、大ベテラン・ドラマーのジェイムズ・ギャドソンやウィルコのパット・サンソンなどとのセッション・アルバムで、ロックとファンクが融合した世界を見せていた。

 一方、2013年の『ジェイミー・リデル』はプリンスやPファンクなどの系譜を受け継ぐエレクトリック・ファンクで、デイム・ファンクからダフト・パンクという近年のブギー・リバイバルにも通じるところを見せていた。彼が取り入れた1970~80年代的なスタイルは、2000年代であれば単にレトロとしか見られていなかったが、そうした点で時代がやっと彼に追いついてきたのかもしれない。そして、今までの作品の中でもソウル/ファンクに接近した作品ではあるが、同時にエレクトロな色彩も強いので、独特のクセがあるアルバムでもある(プリンスやPファンクの作品がそうであるように)。ちなみに、ジェイミー・リデルはイギリスからアメリカのテネシー州ナッシュビルへ移住しており、『ジェイミー・リデル』はそこにある自宅スタジオで、往年のジャズ/フュージョン・プレイヤーのジェフ・ローバーらを招いてレコーディングされた。ナッシュビルと言えばカントリー&ウェスタンやサザン・ソウル、サザン・ロックと、米国音楽の聖地、もしくはアメリカ音楽の心のような町である。

 そうした町の影響を受けるのは当然で、『ジェイミー・リデル』にはナッシュビルらしさはなかったものの、3年ぶりの新作『ビルディング・ア・ビギニング』はアーシーで生々しいソウル/ファンク・サウンドに彩られている。参加ミュージシャンは長年のコラボレーターのモッキー、ジェフ・ローバーやパット・サンソンなど以前からの共演者のほか、ジャック・ホワイトのバンド・メンバーであるダル・ジョーンズ、マイルス・デイヴィスのグループでも演奏経験があるデロン・ジョンソンなど。ディアンジェロの『ブラック・メサイア』にも通じるところを感じさせるのは、ベースでピノ・パラディーノが参加しているからだろう。ちなみに、長年所属してきた〈ワープ〉を離れ、自身で設立した新レーベル〈ジャジュリン〉からの第1作となる。今回、彼のキャリアの中でもっともソウルに接近したことについて、作曲とプロデュースで参加したリアン・ラ・ハヴァスの『ブラッド』がグラミー賞にノミネートされ、Aトラックとの共作“ウィー・オール・フォール・ダウン”がヒットしたことで、曲作りの大切さを再認識したことが要因だそうだ。その結果、『ビルディング・ア・ビギニング』は極力オーヴァー・プロダクションを避け、自身の作家性を前面に打ち出すことにより、彼のソウル(感情や情感)が今までになくダイレクトな形で露わになっている。その好例が“ミー・アンド・ユー”や“ナッシングス・ゴナ・チェンジ”で、前者はベン・E・キングの“スタンド・バイ・ミー”あたりを、後者は往年のボビー・ウーマックを思い起こさせる素晴らしい歌と演奏だ。

 “ハウ・ディド・アイ・リヴ・ビフォア・ユア・ラヴ”は少しレゲエ風味のリラックスした曲調で、スティーヴィー・ワンダー風の“ジュリアン”(生まれたばかりの息子のジュリアンに捧げている)とともに、アルバムにリラックスしたムードを持ち込んでいる。表題曲のレイジーで枯れた味わいも格別で、スライ・ストーンのスロー・ナンバーに通じるものがある。“ミー・アンド・ユー”も表題曲もそうだが、スロー~ミィディアム・スローの良作が多いアルバムで、“ファインド・イット・ハード・トゥ・セイ”もその1曲。マリオン・ロス3世によるチェット・ベイカー風のトランペットと相俟って、ジャジーなムードを感じさせる曲だ。このトランペットは“アイ・ステイ・インサイド”でもフィーチャーされているが、これら作品ではジャズ・シンガーとしてもジェイミー・リデルは卓越した才能を持っていることが読み取れる。“ウォーク・ライト・バック”はスロー・ブギーの佳作で、『ジェイミー・リデル』にあったエレクトリック・ファンクの要素を本作用に変換させた作品と言えるだろう。“ドント・レット・ミー・レット・ユー・ゴー”も同様のエレクトリック・ソウル。こうしたソウル・ミュージックとエレクトリック・サウンドの融合こそ、ジェイミー・リデルの核となる部分だろう。プリンスが亡くなった2016年に、こうしたアルバムをジェイミー・リデルが発表したことは、ソウル・ミュージックの長い歴史と伝統を感じさせる。

Blood Orange - ele-king

 このアルバムに収録された「撃たないで!」と叫ぶ声を何度か聴いた数日後、バトンルージュで黒人男性アルトン・スターリングが警官に銃殺されたニュースを聞いた。そしてそのすぐ後にはダラスの銃撃事件……。ブラッド・オレンジにとってBlack Lives Matterを象徴する一曲と言えば、昨年の7月に発表され、「肌」をモチーフにした11分にも及ぶ力作“ドゥ・ユー・シー・マイ・スキン・スルー・ザ・フレームス?”だが、それから約1年経ってもアメリカではひとが死に続けている。銃によって、そして人種の問題で。だから本作『フリータウン・サウンド』も、ケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』のように、ディアンジェロ『ブラック・メサイア』のように、あるいはビヨンセ『レモネード』のように……ブラック・カルチャーにまつわる時代を象徴するアルバムになってしまった。そしてここからは、とても甘い愛の歌が聞こえる。

 『フリータウン・サウンド』のフリータウンとは、シエラレオネ共和国の首都であり、現在ブラッド・オレンジと名乗るデヴ・ハインズの父の出身地である。ハインズは英国で移民の息子として育ち、あるときはニュー・レイヴ期直前のダンス・パンク・バンドのメンバーであり(テスト・アイシクルズ)、あるときはフォーク・サウンドに手を出していたが(ライトスピード・チャンピオン)、ニューヨークに居を移しブラッド・オレンジとしてR&Bに集中していくことになる。存在としても音楽的にも流浪であり続けたハインズは、自らのアイデンティティをその自由の街に見出した。であるから、自然と「自分はどこから来たのか?」というルーツの問題に取り組むこととなり、前作『キューピッド・デラックス』では母の出身地であるギニアに赴いていたが、本作でもそのテーマを深めようとしている。根本的にはパーソナルなアルバムである。が、そうして西アフリカからの移民であった父と母のことを考えたときに、現在の隣人であり友人であるアフリカン・アメリカンへのシンパシーを覚えるようになったのだろう。
 アシュリー・ヘイズがミッシー・エリオットに捧げる詩の朗読から始まるこのアルバムは、おもに3つの文化によって支えられている。まずはブラック・カルチャー、彼を育んだクィア・カルチャー、そしてフェミニズムだ。“オーガスティン”(アウグスティヌス。ある意味でアフリカ移民であり、ボブ・ディランの歌のモチーフでもある)の瑞々しく感傷的なヴィデオを見るとそれらが彼のなかでどこまでも溶け合っていることがわかる。すなわち、マイノリティであることはハインズにとって最大のアイデンティティであり、そもそもはアフリカン・アメリカンでもなく、ゲイでもなく、女でもない彼こそが、それらを誠実な共感によってここで繋ぎとめようとしているのだ。それはたとえばジャネール・モネイのような存在と緩やかに共振していると言えるかもしれない。ドキュメンタリー映画のサンプルやスポークン・ワードを差しこむなどしつつ、ブラック・カルチャーの多層性を浮かび上がらせんとする挑戦が見て取れる。

 けれども、たとえば2012年に自警団員にアフリカン・アメリカンの少年トレイボン・マーティンが射殺された事件に言及しているという“ハンズ・アップ”にしても、それはとても優しくて聴いているととろけそうなスウィートなR&Bとしてここに出現している。とびきり感傷的な。前作からの80年代R&Bという基本路線は変わらないものの、よりパーカッシヴに、よりソウルフルに、アレンジはより煌びやかになっている。エンプレス・オブことロレリー・ロドリゲスがコケティッシュな歌声を聞かせるバウンシーな“ベスト・オブ”。ズリ・マーリーが切なげに歌うジャジーなピアノ・バラッド“ラヴ・ヤ”。80年代風のシンセ・ファンクでクールな声をデボラ・ハリーが響かせる“E.V.P.”。カーリー・レイ・ジェプセンが囁くような発話を披露するシンセ・ポップの官能“ベター・ザン・ミー”。様々な女たちが入れ替わり立ち替わり登場し、このフェミニンな世界を作り上げている。プロデューサーでありながら、ダンサーたるハインズはその真ん中で歌って踊る。これが、僕がいま存在するストリートだとでも言わんばかりだ。
 ストリート……わたしたちがニューヨークを想像するときにたぶん思い描くであろう雑多な人間が交差する街角の風景が、このアルバムからは浮かび上がってくるようだ。ほかの街ではマイノリティとして疎外されてきた者たちの集まる場としてのストリート、そこではリズムに任せて誰もが踊っている。ジャズとファンクとヒップホップ、それらを緩やかに繋ぎとめるラヴ・ソングとしてのR&B。前作に比べて1曲1曲が断片的で、その分風景が次々に変わっていくような鮮やかさと動きがこのアルバムにはある。シリアスなテーマを持ちながらも、音の足取りが重くなる瞬間は一度もない。

 荒れ果てる時代に愛という言葉こそ虚しいという声もある。だからこそ愛を訴えることが必要なんだという意見もある。その両方に引っ張られる僕はだから、このアルバムの“ラヴ・ヤ”を聴く。「さあ、僕にきみを愛させて」……そこではそう繰り返される。何度も何度も。僕はある映画の「愛はあるのにそのはけ口がないんだ」という台詞をふと思い出すが、そんなに悲しいことはない。『フリータウン・サウンド』は、デヴ・ハインズが自身の出自をゆっくりと辿りつつ、いま起こっている悲劇を断片的に挿入し、しかしどこまでもひととひとと間に沸き起こる感情について歌うことで、分断された社会に愛することを思い出させようとするアルバムだ。それは逆説的に、いまの引き裂かれた状況を示しているのかもしれない。けれども、ここではたしかにたくさんの人間の息づかいが交わされている……それこそがわたしたちの喜びだと示すかのように。

Various Artists - ele-king

 わたしたちはどこから来たのだろう? アメリカの音楽家たちが繰り返し実践してきたその問いが、いまこそ切実な問題として立ちあがっている。オバマの8年間でアメリカはもっとも二分したとも言われているが、なにもオバマの政治のせいだけではないだろう。オーランドーで発生した最悪の銃乱射事件がすぐに政治的な議論にスライドしているように、非常事態はいま目の前にあって、だがそれすらも分断された立場からのステートメントとして利用される。わたしたちはどこから来たのだろう……理念はどこにあるのだろう。ケンドリック・ラマーとビヨンセはアフリカを向き、ボブ・ディランはフランク・シナトラの時代の「スタンダード」をさらに探究する。そしてインディ・ロックのコミュニティはここで、60年代の西海岸との繋がりを思い出そうとする。

 2009年に発表されたエイズ・チャリティを目的とする『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』は当時のUSインディ・ロック・シーンの充実を示したランドマーク的なコンピレーションだったが、本作はその続編であり、そしてザ・グレイトフル・デッドのトリビュート・アルバムである。キュレーターは引き続きザ・ナショナルのサウンド面を担当するアーロンとブライスのデスナー兄弟だ。完成までにおよそ4年の時間がかけられたという本作は、全59曲、CDにして5枚組、全部通して聴けば6時間近くかかるという正真正銘のエピックだ。ザ・ウォー・オン・ドラッグスからはじまるように基本的には現在のインディ・ロック・シーンを中心としており、ザ・フレーミング・リップスやボニー“プリンス”ビリー、ウィルコ、ビル・キャラハンといったベテランからジム・ジェイムス(マイ・モーニング・ジャケット)、ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)、グリズリー・ベアといった中堅どころ、コートニー・バーネットやパフューム・ジーニアス、リアル・エステイト、アンノウン・モータル・オーケストラなどなどイキのいい新世代が参加している。だがそれだけでなく、現在のトレンドのひとつでもあるクラシック勢としてはyミュージックはアノーニとやっているし、タル・ナショナルのようにアフロ・ポップもあればラテンもジャズもパンクもあり、なんとティム・ヘッカーまでいる。いずれにせよ書き切れないのでラインアップはHPを参照していただきたいが、いまもUS(インディ・ロック・)シーンに音楽的な充実があるのだと証明するような気迫が感じられる。

 HPには、これは「隠された宝」なのだと説明されている。隠された……僕は『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』のアメリカーナ解釈のほかにもボブ・ディランのトリビュート・アルバムにしてトッド・ヘインズの映画『アイム・ノット・ゼア』のサウンドトラックでもあるコンピレーションを連想したが、しかしディランのような絶対的な存在と比べるとたしかにデッドはどこかで忘れられかけた存在だったのかもしれない。歴史的にカウンター・カルチャーはたしかに瓦解したし、そんななかでも熱心な信奉者が多く存在するがゆえにこそ、一時はアンクールなものとしてみなされることもあったろう。その意味では本作では批評性もありつつ、同時にデッドに対する――まず何よりもその音楽に対しての――素朴な愛と尊敬がある。僕などは聴いていて単純に「こんなに名曲揃いだったんだな」とあらためて感心したし、基調はレイドバックしたロック・サウンドなのでいまの気分ともフィットする。ブルーグラス・シンガーの大物、ブルース・ホーンビィとジャスティン・ヴァーノンのデュエットはほとんどボン・イヴェールを聴いている感覚に近いし、ティム・ヘッカーはほとんどオリジナル曲のようで笑えてくる。59曲というボリュームも逆に言えばどこから聴いてもいいし、自分でプレイリストとして編集できるということでもあり、まさに聴き手に能動的な発見を促すものとなっている。

 だから大前提として音楽的な批評と挑戦が本コンピレーションの目的だが、それでもなぜザ・グレイトフル・デッドなのかは一考の余地があるだろう。サイケデリック・カルチャーのアイコンとして手放しで礼賛しているようではないし、なにせ60アーティストも参加しているのだからそれぞれで思想や政治的立場は異なるはずだ。だが、それでも……聴いているとヒッピー・カルチャーの匂い、ないしはLSDの幻覚をどこかで錯覚するような気分になってくる。たとえばピッチフォークは、ミュージック・コンクレートの要素やカウンター・カルチャーの再考という面から21世紀初頭のフリー・フォークとの連続性を指摘している。社会からの逸脱、コミューン、ドラッグとジャム・セッション、スピリチュアリズム……その60年代の夢が、本当に過去のものになったのかを本作は問いかける。参加したアーティスト自身に、そして聴き手に。そして『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』がそうであったように、このコンピレーション自体がいまのアメリカにおけるひとつの緩やかなコミュニティとして存在しているのだ。立場も出自も異なる者たちが、それでも集える「夢」はまだ存在するのか、と。ゆえに非常にアメリカ的なイシューが内包されたものではあるが、日本の片隅で聴いていてもその「夢」を想像させる力が宿っている。

 デッドのメンバーであるボブ・ウィアーはウィルコとザ・ナショナルといった本作を代表する人気バンドとライヴ・テイクで共演しており、そこでは頬が思わず緩んでしまいそうな大らかな演奏が繰り広げられる。過酷な時代からただ逃避するためのサイケデリアではなく、いま一度同じ場所に集まるためのロック・ミュージック、その遺産がそこでは鳴らされている……そして愛が。現代のインディ・ロックの理想主義はなにもバーニー・サンダースの集会にのみあるわけではない……音楽のなかにこそあるのだと、この豊かな6時間からは伝わってくる。

R.I.P. Prince - ele-king

松村正人

 とりとめない不快な夢で目をさまし寝つけなくなったので、やむなくたまった仕事を片づけようとパソコンをたちあげて飛びこんできた急逝の報。「歌手のプリンスさん、死す」一瞬で目がさめた。
 月曜のディランのコンサートの帰り、保坂さんと湯浅さんとはいった居酒屋で、ボブの身長はいかほどかという話から、ロック界いちののっぽはサーストン・ムーアだとして、ではもっとも低いのはだれかと議論になり、湯浅さんが86年の横浜でのコンサート終演後、その日の主役が六本木に流れると耳にはさみ、半信半疑まま、おしのびで行くと聞いたディスコにたどりつくと屈強なガードマンふたりに脇をかためられたプリンスがほんとうにいた。トイレですれちがったんだけど、俺とたいして変わらなかったんだよ、たぶんシークレットブーツ履いてさ、と平日夜の居酒屋で殿下が酒のサカナになった。そのとき彼が鬼籍にはいろうとはだれひとり想像していない。御年とって五七――といえば、2009年に歿した一歳下のマイケルより長らえたが、すくなくとも長命でない。2014年、ほぼ同時期にリリースした『アート・オフィシャル・エイジ』、サードアイガールとの『プレクトラムエレクトラム』、たてつづけに出した2作の『ヒット・アンド・ラン』で変わらぬソングライターとしての筆の冴えを見せていた矢先の訃報は青天の霹靂であり、書きはじめたいまも放心を禁じえない。お見苦しいところあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。なんといっても、私にとってプリンスは、「I Wanna Be Your Love」冒頭のイントロどころか、一音目のスネアの一発が鳴る前のスティックが裂く空気の振動で、この曲をはじめて聴いた生家の6畳の子ども部屋にトリップするほどのかけがえないミュージシャンのひとりなのである。あの溌剌としたギターのコードカッティング、鍵盤の和音の刻み、リズムには隙間があり、休符を縫ってプリンスは歌い出す。「I ain't got no money」ストーンズが「まったくこれっぽっちも満足できない」ように金がない。とはいえ、あなたの恋人にはなりたいし、なれるにちがない多幸感が音楽にみなぎり、きっちり3分におさめたポップ・ソングは、78年のファースト『フォー・ユー』では七分咲きだった才能の、この曲を収録した翌年のセルフ・タイトルなる2作目での開会宣言とでもいうべきもので、邦題を『愛のペガサス』といったこのアルバムについては、私はたしか、『空洞です』のころだったはずだが、ゆらゆら帝国の坂本さんにインタヴューしたとき、新作をつくるにあたって参照された作品はありますか、という愚にもつかない質問に、プリンスのセカンドを聴こうとしたんだけど、ジャケを見ると松村くんの顔を思い出しちゃってね、とかえされたほど思い出ぶかい。いや、そんなことをいえばすべての作品になにがしかの記憶がはりついている。『ダーティ・マインド』『Controversy(戦慄の貴公子)』『1999』『パープル・レイン』『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』『パレード』『サイン・オブ・ザ・タイムズ』――80年代のプリンスはロック~ポップスとソウル~R&B~ファンクの境界を軽々と跨ぎこす実験をくりかしながら、実験性をおくびもださないしなやかなポップだった。完璧だった。自動車業界から音楽へ、地場産業の看板を奪還したデトロイトのモータウンがブリティッシュ・インヴェイジョンとブラックミュージックを接近させ、ジミやスライが交配させ生み出した白黒混淆の音楽の奇妙な果実を、ミネアポリスのプリンスは引き継ぎ育てあげた。いま思えば、殿下の映画へのこだわりもおそらくベリー・ゴーディの映画産業への進出を意識したものであり、おなじように成功したとはいいがたかったが、音楽はたわわに実った。プリンスの音楽としかいいようのない特異性は、ギター、ベース、ドラムの演奏にも長けた彼一代かぎりのものだとしても、かつて「密室的な」と形容された音楽のつくり方を範とする者は今後もあとをたたない――というより、作家、歌手、演奏者としての完璧主義は音楽がひとりの手になる時代をさきかげてもいた。テクノロジーが音楽を進化させるとともにそのあり方を規定する逆説。『ブラック・アルバム』のブートレグ騒動もワーナーの副社長への就任とその後のゴタゴタ、たびかさなる改名も、さらには2000年代以降のインターネットへの敵対的な活動も、産業構造をふくむシステムとの不断の闘争の歴史であり、2010年代もなかばになって、プリンスは当面の結論を出したかにみえた。「人工的な」を意味する「アーティフィシャル」にひっかけたであろう『アート・オフィシャル・エイジ』はEDMがわが世の春を謳歌する時代を見越したサウンド・プロダクションだったが、いたずらな諦念や韜晦よりも、いまここでなにをすべきか、自身と時代との対話の末のつきぬけた肌ざわりがあった。ファンキーかつエモーショナルであるとともにエヴァーグリーンなメロディがあり、トラックの独創性はそれを支えた。エロスは往時ほどではないにせよスウィートだった。『Lovesexy』が座右の盤である私にとってそれらのぬきさしならぬ関係こそプリンスであり、あのアルバムのジャケットをひきのばした雑誌の付録ポスターを部屋に貼っていたときは、ふだん子どものやることにまるで口出ししない父親にも「なにかあったのか」と声をかけられたものだが、学生時代は、どうしても就職しなければならないなら、ニュー・パワー・ジェネレーションかザッパのマザーズかマイルスのバンドにしたいとわりと真剣に考えていたこともある。うちふたつは学生を終える前になくなってしまった。最後にのこったプリンスももはや地上にはいない。いま就職活動に血眼になっているみなさんには、親と音楽はいつまでもあると思わないほうがいいと忠言したい。殿下ものびのび音楽だけやっていれば命を縮めることもなかったかもしれない、という仮定がなりたたないのは百も承知だが、ペイズリー・パーク・スタジオで息をひきとったとの続報を知るにつけ胸が痛む。慰めとなるのは、おそらくプリンスは無数の未発表曲を残しているだろうということだ。もしかしたら、私たちの痛めた胸さえ踊らせる楽曲が陽の目をみるときを待っていないともかぎらない。
 亡き王子によるパヴァーヌはいまはじまったばかりだ。(了)

野田努

 今日ここにぼくたちが集まったのは
 人生なるものを過ごすため

 遺作となった2015年の『HITNRUN Phase Two』の1曲目“Baltimore”は、彼の当時の政治的主張が歌われ、現在の抗議運動として知られるblacklivesmatterへの共感も表現されている。ポップのスーパースターのサポートとしてはもっとも早かったのではないだろうか。

 1980年代初頭、プリンスがとくにデトロイトで人気があったことは有名な話だ。のちのテクノの主要人物たちに思想的な影響を与えたエレトリファイン・モジョと交流があったことも知られてる。その記憶は、やがてモデル500が“I Wanna Be Your Lover”をサンプリングすることで広く共有された。
 最初によく覚えているのは、実家の部屋にポスターが貼られたときだった。紫のビキニにコートにギターで決めているそれをレコード店でもらった弟が冗談で貼ったもので、ぼくたちは笑った。そんな具合なのだから、男性的な黒人社会でその外見がいかに過激なシロモノであったのかは容易が察しが付く。が、映画を見ればわかるように、プリンスは、ナイーヴでみみっちく、センチメンタルな思いを、壮麗で、さすまじい叙情詩にまで高めてオーディエンスを圧倒した。
 黒人文化における男の感性を解放/更新したスターが、やがては、公民権運動が生んだもっとも有名な組織、NAACPから表彰されたということはあまりにも美しい話である。ほぼ1年に1枚のペースで作品を出し続けながら、言わなければならない(正しい)ことを絶えず言い続けたということも、彼のずば抜けた才能以上に、あまりにもすごいことだ。
 80年代プリンスの代表作の1枚、『パレード』ばかりを聴いた時期があった。最後にトレイシーが死ぬアルバム、そう、その曲“Sometimes it snows in April(4月でも雪が降ることがある)”だけは、その後も能動的に聴き続けている。4月でも雪が降るがことがある──プリンスにはキラーなラインが多いけれど、これがぼくにとっては最高にキラーだ。

今では春になるとぼくはトレイシーの涙を思い出す
誰もトレイシーにように泣くことはできない

Under The Cherry Moon

三田格

 ファン・ボーイ・スリーのライヴをユーチューブで観ていたらバッキングはすべて女性だった。ドラムも。キーボードも。トロンボーンも。テリー・ホールだけがいわゆる白人の男で、あとは黒人と女しかいない。どうしてこのような編成になったのかはわからないけれど、1983年のロック・コンサートとしてはけっこう不思議な光景だったのではないだろうか(https://www.youtube.com/watch?v=HXQpuN45xTA)。ランナウェイズのように女だけか、フロントに女がひとりかふたりというのはそれほど珍しくはなかった。しかし、女性のミュージシャンが特別な位置ではなく、組織の一員をなしているという印象を与えたのはほかにトーキング・ヘッズかニュー・オーダー、あるいはアート・オブ・ノイズや初期のノイバウテンぐらいで、いずれにしろニューウェイヴが生み出した価値観だったのではないかと思う。ローリング・ストーンズが醸し出してきたようなホモ・ソーシャルな美学には、こういった発想が入り込む余地はなかった。

 その次の年にプリンス&ザ・レヴォリューションが全米のメジャー・チャートを席巻し始める。「レッツ・ゴー・クレイジー」のような激しい曲を演奏する彼らを見て「ギターが女かよ」と思わなかったキッズはいなかったのではないだろうか。ウェンディ&リサだけではない。シーラ・Eから最近のサード・アイ・ガールズに至るまでプリンスの周りには常に過剰なほど女性のミュージシャンがいて、プリンスがいつも女をはべらせているように感じていた人も多かったことだろう。しかし、テリー・ホールやプリンスは単純に女性の才能を認めることができた人だったのではないかと僕は思う。女性を活用すると宣言しながら、女性の閣僚が一向に増えない日本の内閣を見るだけで、それが実はどれだけ既存の組織には難しいことか、誰にだってすぐにわかることである(現カナダを除く)。

 こんなエピソードがある。プリンスのステージにキム・カーダシアン(現カニエ・ウエストの妻)が客席から上がった時のことである。上がっただけで何をするでもないカーダシアンを見てプリンスはすぐにも「ステージから消えろ!」と怒鳴りつける。アメリカを代表すると言えなくもない無能なタレントにそれこそ容赦なく、ダンスもできない女はうせろと、プリンスは言い放つのである。プリンスが認めるのは才能のある女性であって、女ならなんでもいいわけではなかった。そういうことではないだろうか。プリンスにはたくさんのエピソードがある。あのアリアナ・グランデでさえ、プリンスの勇ましさを無条件で称えている。しかし、僕にとって最も印象深いのはザ・レボリューションにウェンディ&リサを加えたことである。最も大事な時期に。ここが勝負だというタイミングで。

周回遅れの「雨にまつわる曲」


ブレイディみかこ
 

 数年前、エレキングで雨にまつわる曲を各ライターが選ぶという企画があった(確か梅雨のシーズンだったように思う)が、そのとき、わたしの頭に真っ先に浮かんだのはプリンスの「パープル・レイン」だった。が、わたしはあえてその曲のことは書かなかった。ベタすぎるからではない。そう気楽には書けない思い出があったからだ。

 二十代の頃、何年か同じ姓を名乗る間柄だったことのある男性に口説かれたときのBGMがそれだったし、もうその人との生活がそれ以上は続けられないことがわかって草履ばきで逃げた時にタクシーのラジオからどういうわけか同じ曲がかかってきて、どうして人生というやつはこんな風に悉くどこまでもクソなのかと思って窓の外を睨んでいたわたしの顔も土砂降りだった。

 その人とわたしは聴く音楽も着る服も、政治に対する考え方もまるで違っていた。が、恋愛というものは「相手のことを理解したい」という狂気に人を駆り立てるもので、相手の好きなアーティストを聴き始めたらいつしかこっちも好きになってた、なんてことがあるのもご愛嬌だが(……実はいまでも。去年前半のわたしの携帯のリングトーンは「FUNKNROLL」のイントロだった)、彼はわたしにプリンスを与え、わたしは彼にニック・ケイヴを与えた。と思う。

 プリンスは知的なミュージシャンだった。逆説的なトリッキーさも天然であるかのように振るまえた冷徹なまでの才人だったのだけれども、それでいてどこかおっとりと無防備なほどロマンティックで性的なところがあり、実は本人は自分のそういうところが一番好きだったろうと思う。
 こういうアーティストは、これもまた逆説的だが、セクシーなんて言葉とは対極に位置するストイックでひねた人種だと思われている英国人から愛されるのも事実で、そもそもプリンスが先にブレイクしたのは米国ではなく英国だった。プリンスの曲で男から口説かれた経験のある英国人を少なくとも3人は知っている(2人は女性で1人は男性だ)。

 タクシーの中でわたしの顔を土砂降りにさせた人がいま生きているのかどうかわたしは知らない。向こうだってそうだろう。そろそろリアルにそういうことを考える年齢になってきた。プリンスだって忽然といなくなってしまったのだから。
 (ところで「パープル・レイン」がすごい理由は、そんな効果音など入っていないのに、サーッと降る糸のように細い雨の音が聞こえるところだ。やはり数年前の「雨にまつわる曲」特集で素直にそう書くべきだった)

 プリンスという天才の音楽やその功績を分析する文章は無数に出て来るだろう。
 だけど本人は意外とこういう痴話ネタが一番聞きたかったんじゃないかと思って書いてみた(彼と誕生日をシェアしているという頼りない根拠をもって乱暴に推測している)。
 恋と音楽も。革命も。
 つまるところはユニティーだ。異質のものさえ結合させ、何ものにも閉ざされず、階層を横断するユナイトだ。
 ああだけど人は、なんてそれができないことだろう!
 わたしにとってのラヴ&ピースは、いつだってジョン・レノンではなくプリンスだった。



Some Day My Prince Will Come

岩佐浩樹

 1994年発表のアルバム『Come』の日本盤キャッチコピーに「プリンス、逝くーー」などと書いてあったのを見た自分は悪趣味なことをするもんだ(棺桶ベッドで寝る女優か)、と思ってそのアルバムは買わず、シングル曲”Letitgo”の12インチだけを何度も再生していた。ただし6曲入りのそのアナログ盤の中で一番好きだったのは”Letitgo ((-)Sherm Stick Edit)”というタイトルの、プリンスのヴォーカルすら入っていない、という訳の判らないトラックだった。

 それから15年。2009年にトレイ・ソングスがアルバム『Ready』の中で歌った”Yo Side of the Bed”はまんま”Purple Rain”だったのでこれはどういうことでしょう、と思っていたらこの2曲をメドレーにした2010年のBETアワードでのライヴ映像(しかも客席にはプリンスがいる)があった。ここでのトレイのパフォーマンスはお世辞にも素晴らしいとは言えないが、クライマックスで「Prince! I love you!」とシャウトした直後に自曲のサビで音程を外すトレイはまるで「だって好きなんだもん、好きなんだもん!」と駄々をこねてる子供のようでありました(一瞬カメラに抜かれたプリンスの横顔は、甥っ子の発表会をハラハラしながら見守る親戚のおばちゃんみたいな微妙なものでしたが)。

 フランク・オーシャンが「いまだに『安らかに眠れ』などと言う気にはならない。死よりも大きなものがそこにあるからだ。」という一文に始まる追悼文をタンブラーに投稿した。その中でフランクはこう綴っている。「彼が誇示した自由や、明らかに時代遅れな性規範など意に介さない様子が、それだけで自分と自分のセクシュアリティーをどう統一したらいいのか、という僕の気持ちを楽にしてくれた」と。そしてそのフランク・オーシャンを解放したプリンスが他の誰よりも不自由そうな佇まいであったことを思えば──やはり”R.I.P.”とは言えない。

 「プリンス、逝く」の一報を聴いた時に自分が真っ先に探したのはどこかに仕舞ってあるはずの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のレコードで、聴きたいのは”Purple Rain”なんぞではなく"Raspberry Beret”、とレコード棚を引っ繰り返しても出てこないので泣きたい気持ちになり、でもよく考えたらベスト盤CD『The Hits/The B-Sides』をiTunesに入れてたわ、と気が付いて"Raspberry Beret”を聴き終わり、で油断していたら次の曲がTLCのカヴァーも秀逸だった“If I Was Your Girlfriend”で、それでも涙は出てこない。

 とにかくヘン(な声の)人だった、と思う他はない。この人の「変」の質はマイケル・ジャクソンのそれと大して違わない、と自分は思っているが、MJが自分の「変」を力技で「人類愛」や「世界平和」などで厚塗りに覆い隠そうとした(そのひび割れた箇所からどうしても漏れてしまうエピソードがいかにもタブロイド的に判りやすく面白いために「キング・オブ・ポップ」)、その果てに力尽きたのだとすれば、服を脱ごうが着ようが剥いても剥いても「変なもの」が出てきてしまうせいで、却って判りやすい箇条書きにして消費することができないプリンスが創ってしまった音楽には、未来の誰か(いつか王子様)がそこにまた新しく書き込むための余白が、果てしなく残されているはずだ。


Nothing Compares 2 U

小林 拓音


 好きな人が好きな人。ぼくにとってプリンスとは、そういう存在だった。

 プリンスが亡くなった日の夜、「究極のギフトとは、インスパイアすることである」とジェイミー・リデルは追悼の言葉を述べている。プリンスに刺戟されて音楽を作り始め、プリンスを模倣しながら、しかしどうやってもプリンスをコピーすることなどできないというまさにその葛藤にこそ自らのオリジナリティを見出していったジェイミー・リデルにとって、今回の訃報は青天の霹靂だっただろう。
 ぼくは彼ほど熱心なプリンスのリスナーではなかったけれど、それでもプリンスの死の知らせを聞いたときは全身に衝撃が走った。ボウイのときもそうだったが、スターの死というものは、その熱心なファンではない者にまで何がしかの感慨を抱かせるものだ。そういう意味で、プリンスもまた正真正銘のスターだった。

 先日、ファティマ・アル・カディリの2枚目のレヴューを書いたときに、一枚目の方も聴き直した。そのオープニング・トラックである "Shanzhai (For Shanzhai Biennial)" は、中国語による "Nothing Compares 2 U" のカヴァーである。初めてそのトラックを聴いたとき、なんて美しい旋律なのだろうとため息が出たことをいまでも覚えている。もちろん、それ以前にもプリンスの代表作とされるアルバムは聴いていたけれど、そのカヴァーを耳にして以来、ぼくにとってのプリンスの代表曲は "Nothing Compares 2 U" になった。 
 とはいえ、アル・カディリが実際に参照したのはおそらく、ザ・ファミリーによるオリジナルのトラックではなく、シネイド・オコナーによるカヴァー・ヴァージョンの方だろう。つまり "Shanzhai" はカヴァーのカヴァーということになるが、そもそもアル・カディリは、ヘレン・フォンによって中国語で歌われたこの "Nothing Compares 2 U" のアカペラ音源を受け取ったことがきっかけとなって、『エイジアティシュ』というアルバムを作り始めたのだそうだ。すなわち、プリンスがシネイド・オコナーを刺戟し、シネイド・オコナーがヘレン・フォンを刺戟し、ヘレン・フォンがファティマ・アル・カディリを刺戟したということである。要するに、プリンスがいなければアル・カディリのファースト・アルバムが生み出されることもなかったということだ。ここには確かに「インスパイアすること」の幸福な連鎖がある。

 これはほんの一例だけれども、そんなふうにプリンスは、誰かをインスパイアするという「究極のギフト」をたくさん残していった。「シャンツァイ(山寨)」とはいわゆる模造品のことだが、模造品はそれが模造品であるがゆえに、逆説的にオリジナルを際立たせることができる。直接的に影響を受けたジェイミー・リデルにせよ、間接的に影響を受けたアル・カディリにせよ、それら数多くの「模造品」の存在がかえってプリンスの類なさを証明しているのだ。つまり、「あなたと比べられるような人は誰もいない」と、そういうことである。

 好きな人が好きな人は、好きな人が好きであるがゆえにこそ、唯一無二の王子様だったのだ。

囚人服のケンドリック・ラマーに王冠を渡すべきだったのはプリンスなのかもしれない。

泉智

 ボルティモアの運動へのいち早い支持表明にしてもそうだけれど、それ以前、昨年2015年のグラミーのアルバム・オブ・ザ・イヤーの発表時に、プリンスは「アルバムはいまだ重要だ。本や黒人の命と同じように、アルバムもいまだ重要さ(Albums still matter, like books and black lives, albums still matter)」とコメントして歓声を浴びた。デジタル配信時代において忘れられがちなアルバムという単位…あるインタヴューでレコーディングにおいて一番大切なものは? と質問されて「プロット」と即答したというケンドリックは、まさにスキットや構成をふくむアルバムというそのクラシカルなユニットにこだわり続けてきた。ライムとビートによる3分間の快楽、それだけじゃとても伝えきれないものがあるのだ。ケンドリックは今年、『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』でかつてのマイケル・ジャクソンに次ぐ歴代2位、11部門にノミネートしてグラミー5冠を達成し、囚人服姿で壮絶なパフォーマンスをおこなった。

 その『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』に収録された“コンプレクション(ア・ズールー・ラヴ)”のコーラスは元々、プリンスが歌うはずだったんだそうだ。結局はスケジュールの都合でプリンス不在となってしまったその作品で、ケンドリックはついにベスト・ラップ・アルバムの王冠を戴くことになったのだけれど、もちろんここで重要なのは、アルバムの製作スタイルうんぬんの話ではなく、ポップ・ミュージックがアクチュアルな社会問題に対してどうリアクションするのか、ということだ。
 全米で吹き荒れるデモの熱気に水をさすような発言をしていたケンドリックは、しかしアルバムで誰よりも生々しくアフロ・アメリカンの現在地点をえぐりだし、“オールライト”の一節がデモで合唱されるチャントになったとか思えば、デモを組織するblacklivesmatterはドナルド・トランプに勢いよく中指を突き立てるとともに、ヒラリー・クリントンにも、バーニー・サンダースにさえ鋭い批判を向けている……。この状況は、素晴らしい才能を持つミュージシャンが、その音楽とは別にコンシャスな活動にコミットすべきか否か、なんて退屈きわまりない問題圏をはるかに超えている。それは、アートと政治を几帳面に切りわけるようなお行儀のいい態度をそろそろゴミ箱に放り込んでしまえ、という合図にもとれる。

 それでも、プリンスの“ボルティモア”は優しかった。そしてなにより愚直だった。去年の4月にボルティモアで黒人青年が殺されて抗議運動が発生するとプリンスはすぐさま現地で大規模なフリー・ライヴを敢行し、そのレイドバックした爽やかなギター・ナンバーをウェブで無料公開した。ファレル・ウィリアムスの“フリーダム”が詩としての普遍性をまとっていたのに比べれば、女性コーラスが終始「ボルティモア」と呼びかけ続け、マイケル・ブラウンやフレディ・グレイといった警官に殺された犠牲者の個人名が飛び出し、デモのコールっぽいリフレインまで登場するこの曲の愚直さはほんとに……不格好とさえいっていい。この不格好なまでの愚直な優しさだけが、あのときのボルティモアの怒りと哀しみを抱きしめることができた。優しさとは、恐れないことだ。なりふり構わずに誰かを抱きしめなければいけないとき、プリンスはそれを恐れない。“ボルティモア”は、プリンスの最後のアルバムの、最初の曲になった。偶然といえばそれまでだが、すくなくとも象徴的ではある。

 ボルティモアでのフリー・ライヴの1ヶ月後、プリンスはホワイトハウスに呼ばれてバラク・オバマの前で演奏している。そこで彼とオバマがどんな会話を交わしたのかは不明だけれど、今年のグラミーのすこし前、ケンドリックもオバマに会うためにホワイトハウスに乗りこんだ。面会後のケンドリックのステートメントは、アフロ・アメリカンの子どもたちにとってのシニア・メンターの重要性についてだった。年端もいかない子どもが、初めてドラッグを目の前にしたとき、震える指で銃を手にしたとき、孤独にさいなまれて自殺を考えたとき、ロクでもない男のせいで望まない妊娠をしたとき、みずからのセクシャリティについて悩みを抱えたとき。その瞬間、彼や彼女の脳裏にいったい誰の顔が、どんな言葉が浮かぶのか。その一瞬が子どもたちのその後の人生や、へたをすれば生死をわけてしまうこともある。ときにその誰かの顔や言葉というのはアーティストのものだったりする。それがポップ・スターという言葉の意味だ。

 いまじゃアメリカのキッズたちは実の親よりも政治家よりもラッパーやアーティストの言葉に真剣に耳を傾ける。もしかすると日本でもすでにそうなりつつあるのかもしれない。それはオピニオン・リーダーどうこうの話じゃなく、もっと切実で、パーソナルな次元でのことだ。プリンスのクィアネスに救われたフランク・オーシャンが、彼の死をうけてもレスト・イン・ピースと言えなかったのは、そういうことだ。今年のグラミーでケンドリックの名を読みあげたプレゼンターは、元N.W.A.のアイス・キューブとその息子オシェイ・ジャクソン・ジュニアだった。ギャングスタ・ラップの聖地コンプトンの若き王子としてのケンドリック、というのもたしかに重要ではあるけれど、もう一方で、もし現在プリンスから王冠を与えられるにふさわしいラッパーを1人選ぶとすれば、それがケンドリックであることも事実だ。それはなによりそのメッセージの愚直さと、そしてなにより音楽的な怪物性において。そのふたつの要素の共存は、プリンスの大きな音楽的源泉のひとつがPファンクであり、2パックとの対話で終わるケンドリックのアルバムの冒頭に、他でもないジョージ・クリントンが呼び出されていた事実と、とても無関係には思えない。すべて偶然じゃないのだ。

 個人的な追想を許してもらえば、俺のプリンスとの出会いは福岡の定時制高校に通っていた頃、シンナー中毒の友人にオリジナルのヒップホップ・ミックスを作ってもらったときのことで、2パックにエミネムにスヌープにナズ…まあそのあたりで占められたミックスのラストが、なぜか“パープル・レイン”だった。その頃の南の街ではマリファナさえなんとなくヒップなドラッグだったから、ハードコアな不良はだいたいローティーンの頃にシンナー漬けになっていた。シンナーは比喩ではなく文字通り脳みそを溶かしてしまうドラッグなので、一度それにハマるとハッパなんかじゃ全然トベない、バッドなときは黒い雨の降る幻覚がみえるんだぜ、と語っていた友人は、どうやらベロベロの状態で“パープル・レイン”を聴いていたようだ。ミネアポリス産のセクシーなパープルというよりは、南部ヒューストン産のコデインのパープルに近い。とくにリアル・タイムでその軌跡を追ってきたというわけじゃない世代、しかも日本の地方都市で生まれ育った人間にとっての、それがプリンスの原体験だ。そこにはプリンスのメッセージどころか、その音楽そのものさえ、ひどくゆがんでしか届いていなかったと思う。その感覚はもしかすると、東京で太平洋の向こう岸のラップを聴いているいまも、べつに大差ないのかもしれない。

 プリンスの訃報をうけて全米が紫色に染まる中、ボルティモアのシアターでは“パープル・レイン”の劇場版の特別緊急上映が決まったそうだ。俺に“パープル・レイン”を教えてくれた友人はその後かなり大変な状況になってしまって、長いこと音信不通だったけれど、2、3年前にひとづてにその生存報告を聞いた。疎遠になった昔の友達が生きていたことを知って感傷に浸るようなナイーヴさは自分の中にもう残ってはいなかったので、そうか、よかったな、ただそう思っただけだった。それでも、たまにプリンスの歌声を聴くときはいつも、有機溶剤のあの甘ったるい匂いを想い出す。それはきっと、“ボルティモア”でプリンスと出会ったボルティモアのローカルのキッズたちからすれば、怒りを感じてもしょうがない記憶のリンクだ。これからも世界中のいろんな場所で、いろんな世代のいろんな連中が、いろんなエピソードとともにプリンスと邂逅するだろう。それがポップ・スターという言葉の、もうひとつの意味だ。

 フランク・オーシャンとはまったくべつな理由で、というのも俺にとってプリンスはもともと雲の上にいるような存在でレスト・イン・ピースと呼びかけるのもなかなか実感が湧かないので、マイケルやボウイのときと同じく、しばらくは彼の遺した音楽を自分勝手に聴くことにする。あいかわらず甘く、けれど昔よりはいくらかクリアなはずの豊かなインスピレーションに圧倒されながら、サンキュー、とだけ言っておく。この先の未来のぶんもふくめて、めいっぱい。


Random Access NY 号外 - ele-king

 先週、ディーライトのレディ・ミス・キアーやヴァンパイア・ウィークエンド、ダーティ・プロジェクターズなどのバンドを、https://www.brooklynvegan.com/watch-grizzly-bear-and-epmd-play-the-bernie-sanders-rally-in-prospect-park/

 グリズリー・ベアーは、“While You Wait For the Others”, “Two Weeks”, “Knife”をプレイ。「can't you feel the knife(ナイフを感じないの?)」という歌詞の下りを「can't you feel the bern(バーニー・サンダースを感じないの?)」と歌い、EPMDは、"You Gots to Chill"をプレイ。総勢20,000もの人が集まり、お昼の贅沢な野外コンサートを楽しんだ。私の日本人女子友達は、そうとは知らず、普通にプロスペクト・パークでピクニックをしていたが。

 そして今日月曜日4/18は、最後のキャンペーン(予備選挙の)。場所は、ロングアイランド・シティのハンター・ポイント・サウスパークで、人もセキュリティも気合が入ってる。数々のバーニーグッズの押し売りを潜り抜け(Tシャツだけで何十種類とある)、空港のようなセキュリティチェックを受け、ようやく中に入る。7時からのショーに、人は早々と5時頃から待っていたようだ。

 数人のスピーチの後、TV・オン・ザ・レイディオが登場。“Young Lliars”他6曲をプレイしたが、オーディエンスは、バーニー・サンダーズを出せ、と演奏の最中にも容赦なく「バーニー」コールを投げかける。バーニーの人気はすごいが、バンドに対しての態度はあまり良くない。

 「Bern baby bern」とかいたTシャツを着ているベイビーや「Fuck Trump-Keep America Great」というTシャツのカップルなど、それぞれの思いをTシャツにして着ている人がたくさんいた。最近Tシャツを見ると、なんて書いてあるか注意して見てしまう。

 そして、バーニーが登場するころには、音楽のヴォリュームが倍になり、大きな拍手で彼を迎える。バーニーのスピーチは30分以上にも渡り、これはアメリカの変化への第一歩、自分とクリントン氏の違う所や(彼女はウォール・ストリートから寄付を受け取っているが、自分は受け取っていない)、など、様々な勇敢な言葉でオーディエンスを活気づけていた。彼の一言一言で、バーニー・プラカードが力強く振られ、「そうだそうだ」と、やんやの声援が送られ、人びとがひとつになる姿を、また目の当たりにした。バーニーは、スピーチのしすぎなのか、声が結構枯れていたが、言葉は力強い。さて、明日どうなることやら。(沢井陽子)


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