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このアルバムに収録された「撃たないで!」と叫ぶ声を何度か聴いた数日後、バトンルージュで黒人男性アルトン・スターリングが警官に銃殺されたニュースを聞いた。そしてそのすぐ後にはダラスの銃撃事件……。ブラッド・オレンジにとってBlack Lives Matterを象徴する一曲と言えば、昨年の7月に発表され、「肌」をモチーフにした11分にも及ぶ力作“ドゥ・ユー・シー・マイ・スキン・スルー・ザ・フレームス?”だが、それから約1年経ってもアメリカではひとが死に続けている。銃によって、そして人種の問題で。だから本作『フリータウン・サウンド』も、ケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』のように、ディアンジェロ『ブラック・メサイア』のように、あるいはビヨンセ『レモネード』のように……ブラック・カルチャーにまつわる時代を象徴するアルバムになってしまった。そしてここからは、とても甘い愛の歌が聞こえる。
『フリータウン・サウンド』のフリータウンとは、シエラレオネ共和国の首都であり、現在ブラッド・オレンジと名乗るデヴ・ハインズの父の出身地である。ハインズは英国で移民の息子として育ち、あるときはニュー・レイヴ期直前のダンス・パンク・バンドのメンバーであり(テスト・アイシクルズ)、あるときはフォーク・サウンドに手を出していたが(ライトスピード・チャンピオン)、ニューヨークに居を移しブラッド・オレンジとしてR&Bに集中していくことになる。存在としても音楽的にも流浪であり続けたハインズは、自らのアイデンティティをその自由の街に見出した。であるから、自然と「自分はどこから来たのか?」というルーツの問題に取り組むこととなり、前作『キューピッド・デラックス』では母の出身地であるギニアに赴いていたが、本作でもそのテーマを深めようとしている。根本的にはパーソナルなアルバムである。が、そうして西アフリカからの移民であった父と母のことを考えたときに、現在の隣人であり友人であるアフリカン・アメリカンへのシンパシーを覚えるようになったのだろう。
アシュリー・ヘイズがミッシー・エリオットに捧げる詩の朗読から始まるこのアルバムは、おもに3つの文化によって支えられている。まずはブラック・カルチャー、彼を育んだクィア・カルチャー、そしてフェミニズムだ。“オーガスティン”(アウグスティヌス。ある意味でアフリカ移民であり、ボブ・ディランの歌のモチーフでもある)の瑞々しく感傷的なヴィデオを見るとそれらが彼のなかでどこまでも溶け合っていることがわかる。すなわち、マイノリティであることはハインズにとって最大のアイデンティティであり、そもそもはアフリカン・アメリカンでもなく、ゲイでもなく、女でもない彼こそが、それらを誠実な共感によってここで繋ぎとめようとしているのだ。それはたとえばジャネール・モネイのような存在と緩やかに共振していると言えるかもしれない。ドキュメンタリー映画のサンプルやスポークン・ワードを差しこむなどしつつ、ブラック・カルチャーの多層性を浮かび上がらせんとする挑戦が見て取れる。
けれども、たとえば2012年に自警団員にアフリカン・アメリカンの少年トレイボン・マーティンが射殺された事件に言及しているという“ハンズ・アップ”にしても、それはとても優しくて聴いているととろけそうなスウィートなR&Bとしてここに出現している。とびきり感傷的な。前作からの80年代R&Bという基本路線は変わらないものの、よりパーカッシヴに、よりソウルフルに、アレンジはより煌びやかになっている。エンプレス・オブことロレリー・ロドリゲスがコケティッシュな歌声を聞かせるバウンシーな“ベスト・オブ”。ズリ・マーリーが切なげに歌うジャジーなピアノ・バラッド“ラヴ・ヤ”。80年代風のシンセ・ファンクでクールな声をデボラ・ハリーが響かせる“E.V.P.”。カーリー・レイ・ジェプセンが囁くような発話を披露するシンセ・ポップの官能“ベター・ザン・ミー”。様々な女たちが入れ替わり立ち替わり登場し、このフェミニンな世界を作り上げている。プロデューサーでありながら、ダンサーたるハインズはその真ん中で歌って踊る。これが、僕がいま存在するストリートだとでも言わんばかりだ。
ストリート……わたしたちがニューヨークを想像するときにたぶん思い描くであろう雑多な人間が交差する街角の風景が、このアルバムからは浮かび上がってくるようだ。ほかの街ではマイノリティとして疎外されてきた者たちの集まる場としてのストリート、そこではリズムに任せて誰もが踊っている。ジャズとファンクとヒップホップ、それらを緩やかに繋ぎとめるラヴ・ソングとしてのR&B。前作に比べて1曲1曲が断片的で、その分風景が次々に変わっていくような鮮やかさと動きがこのアルバムにはある。シリアスなテーマを持ちながらも、音の足取りが重くなる瞬間は一度もない。
荒れ果てる時代に愛という言葉こそ虚しいという声もある。だからこそ愛を訴えることが必要なんだという意見もある。その両方に引っ張られる僕はだから、このアルバムの“ラヴ・ヤ”を聴く。「さあ、僕にきみを愛させて」……そこではそう繰り返される。何度も何度も。僕はある映画の「愛はあるのにそのはけ口がないんだ」という台詞をふと思い出すが、そんなに悲しいことはない。『フリータウン・サウンド』は、デヴ・ハインズが自身の出自をゆっくりと辿りつつ、いま起こっている悲劇を断片的に挿入し、しかしどこまでもひととひとと間に沸き起こる感情について歌うことで、分断された社会に愛することを思い出させようとするアルバムだ。それは逆説的に、いまの引き裂かれた状況を示しているのかもしれない。けれども、ここではたしかにたくさんの人間の息づかいが交わされている……それこそがわたしたちの喜びだと示すかのように。
木津毅