「Dom」と一致するもの

Housemeister - ele-king

 ナイアガラのクラウス・ワイスやガビ・デルガドーのソロ・アルバムなど、ジャーマン・ファンクにはまったくといっていいほど揺れがなく、ダンス・ミュージックとしてはかなり厳しいものがある。同じことがジュークを取り入れたジャーマン・エレクトロのハウスマイスターにも言える。

オープニングは"東京"。


 4作目はタイトルにもなっている通り、DJで世界を回りながら、それぞれの土地でOP-1だけを駆使してつくったそうで、なるほどジュークの質感は上手くトレースされている。チープで痙攣的。ジャーマン・エレクトロとして考えれば、ディプロを意識したらしきシャラーフトーフブロンクスに続く新機軸と言える。

M4"ニュー・ヨーク"。


 リズムに揺れがないからといって、楽しめないということはない。同じようにつくろうと思ったかどうかもわからないけれど、同じようにつくれないからこそ違う良さが出てくることもある。ジュークが基本的にセクシーな音楽だとすれば、『OP-1』で肥大しているのは過剰なまでのガジェット性である(ホルガー・ヒラーやダー・プランがもしもジュークをやったら......)。

M6"メキシコ・シティ"。


 ドイツ人の笑いというのは、それにしても不自然である。放っておくと観念論に走りやすいので、異化効果をもたらすためにはどうしてもそうなってしまうと三島憲一だったかが書いていた覚えがあるけれど、そのこととリズムに揺れがないこともどこかで繋がっているのだろうか。日本人がつくったハウスは重すぎてつなげないとはよく言われるし、きっと日本人がつくるジュークにも特有の民族性は滲み出てくるだろうから、それはもう少し先の楽しみということで。

M8"シカゴ"。


 ジュークのご当地である"シカゴ"では、むしろドイツっぽい曲になり、"モントリオール"はフザけすぎ(最高!)。そして、エンディングはなぜか"大阪"で、"東京"に比べて、妙にアグレッシヴだったり。やっぱりそれぞれの土地柄を表したということなんだろうか......。

 南アのアヨバネスやポルトガルのリスボン・ベースといった新興のエレクトロニック・ダンス・ミュージックを聴いていると、ジャーマン・テクノと大して違わないと思うことが多い。あるいは『OP-1』も、そのような南半球寄りのダンス・ミュージックに聴こえてしまう面が少なからずあり、実際、何の気なしに続けて聴いたヴェネズエラのダンス・ミュージック、チャンガ・トゥキと最初は見分けがつかなくなって、少し混乱もした。


https://soundcloud.com/bazzerk/bazzerk-changa-tuki-classics

 フランスのDJチーム、ジェス&クラッブがアンゴラ起源のクドゥロをまとめた『バザー』(2011)に続いてコンパイルした『チャンガ・トゥキ・クラシックス』はしかし、どちらかというとバイレ・ファンキを思わせるところが多く、これにDFCチームが"スエーニョ・ラティーノ"(89)に続いて仕掛けたラミレスやディジタル・ボーイなど90年代初頭のハード・テクノを注入したような曲が多く、ライナーによれば現地では猛禽に喩えられる音楽だという(DJババによればテクノトロニック"パンプ・アップ・ザ・ジャム"(89)が起源だそうで、確かにDJイルヴィン"ポポ・サウンド"には強い影響が聴き取れる。また、チャンガとトゥキは当初は違うジャンルだったらしく、興味のある方は長~いライナーノーツを参照のこと)。

 ディジタル・クンビアやシャンガーン・エレクトロなど南半球に存在する他のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに較べてチャンガ・トゥキは圧倒的にハードだし、途上国に対して抱くようなエキゾチジスムは最初から打ち砕かれてしまう(......どこにもないとは言わないけれど、しかし、ほとんどないに等しい)。それこそアフリカで最も人気があると言われるヒップ・ホップのMCが完全にUSのコピーでしかなくなってしまったのと同様、そういったものはもはや過去にしか存在しないか、むしろ先進国でデラシネとして息を吹き返すしかないのだろう(女性の割礼=FGMが数字の上ではフランスで増えているように......)。

 いずれにしろ現在のヴェネズエラはここに炙り出されているような強い性格の国なのだろうと思うだけである。チャベスが死んでからのことはよく知らないし、行ってみたいと思うわけでもないけれど、スノーデンが最初に亡命を申請したということは、いまでも反米の拠点か、そのように見做されているということだし、それだけのエネルギーが『チャンガ・トゥキ・クラシックス』から聴こえてくることは間違いない。

The XX - ele-king

 今年も終わってしまった......。
 フジロックは3日間で100を超すアクトがライヴを繰り広げるのだが、そのなかで毎年いくつかの奇跡のようなステージが生まれている。毎年必ずフジに行く人たちはそのことをよく知っているので、自分のアンテナを最大限に広げ、最高の瞬間の目撃者たろうとがんばるのである。
 それはかならずしもメイン・ステージのヘッドライナーではないし、自分が大好きなアーティストであるわけでもない。普段はあまり聴かないアーティストでも、会場にいてタイムテーブルを眺めていると、妙に気になったりするのだ。
 そしてその予感につられて泥濘んだ山道をえんえん歩いた先にとんでもない瞬間を目撃するのは、このフェスの醍醐味のひとつだろう。

 今年は予想通り3日間断続的な雨に降られはしたものの、オーディエンスは雨などものともしない完全装備であの広い会場を移動していた。まったく目撃することはできなかったが、ライ(Rhye)やマムフォード・アンド・サンズ(Mumford & Sons)、マヤ・ジェイン・コールズ(Maya Jane Coles)そしてウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson)はよかったんじゃないだろうか? 僕は今年それほど多くのステージを観ることはできなかったが、それでもThe XXだけは見逃さなくてほんとによかった、まさに奇跡としか言いようのないステージだったのだ。

E王
The XX
Coexist

Young Turks/ホステス

Amazon iTunes

 彼らのセカンド・アルバム『コエグジスト』が発売になったときには全体のトーンがファーストより落ち着いていたこともあって聴き流してしまい、どうしても自分なりの入り口が見つからなかった。
 しかしその状況は3月ぐらいに一変した。きっかけはユーチューブにアップされたBBCのスタジオ・ライヴで、彼らがカヴァーしていたのは2001年に世界中で大ヒットとなったハウス・ナンバー、キングス・オブ・トゥモロー(Kings Of Tomorrow)の"ファイナリー(Finally)"だった。その解釈のあまりの素晴らしさにドギモを抜かれ、これは『コエグジスト』を完全に聴き逃しているに違いないと、即座にリピート再生を開始した。

 それは界面のあまりの滑らかさに、かえって手触りや特徴を消し去られているような純度の高いアルバムだったと、ようやく発売から半年たってから気がついた。そして4月のコーチェラ、6月のボナルーとグラストンバリーのライヴをユーストやユーチューブで見ると、演奏も歌もファースト発売時より格段にレベルアップしている。まさかこれほど旬な時期に彼らのライヴを観られるとは願ってもないタイミングだ。
 昼間のうちに降った雨の湿気が森に溜まり、照明の光がぼやけた輪郭となって反射するなか、ライヴは"トライ(Try)"からはじまった。まず驚いたのはビートの音色の多彩なことだった。決して音数は多くないリズム・パターンなのに、ひとつひとつの音がほんとによく響いてくる。
 彼等の大きな特徴はダンス・ビートとの絶妙な距離感にある。そう、ダンス・ミュージックそのものを作ろうとはしてないのだ。そうではなく自然とこのビートを感覚で選びとっているのだ。ちょうどユーチューブで"ファイナリー"を発見した頃、同じようにジェイミーがソロ名義でルイ・ダ・シルバ(Rui Da Silva)の"タッチ・ミー(Touch Me)"のカヴァーをやっているのを見つけたことを思い出した。"タッチ・ミー"は2002年に全英でナショナル・チャート初登場2位でランク・インしている。
 彼等にとってティーンネイジャーの入口だった2000年から2002年あたりのイギリスのチャートの半分はダンス・ミュージックだったのである。これから自分はどんな音楽を聴くべきかを彼等が真剣に考えはじめたときに、イギリスでいちばん勢いがあったのがダンス・ミュージックであったことは間違いない。少なくともテレビやラジオからはさまざまなダンス・ミュージックが、毎週トピックになる新譜として流れていたはずだ。だとするならば音楽が彼等にとって大事なものとして意識された時点から、すでにそれはダンス・ミュージックだった。そしてこれは僕の妄想かもしれないけれど、"ファイナリー"と"タッチ・ミー"に共通する存在はダニー・テナグリア(Danny Tenaglia)である。テナグリアのDJで2000年から2005年ぐらいに踊ったことのある人ならすぐわかるだろう。The XXがもしテナグリアやジョン・ジョン・ディグウィードになんらかの影響を受けていたとすれば、彼等のビートの洗練のされ方は納得がいく。
 ステージにはスモークが焚かれ、白を中心とした照明が黒い服を着たロミーとオリバーを照らす。ちょうどライヴの中盤あたりで"ナイト・タイム(Night Time)"、これまでのステージに圧倒され言葉も出ない。ここからの後半さらにふたりのヴォーカルの響きが強さと深さを増した。彼等は孤独を歌っているけれど決して孤独を嘆いてはいない。その部分は変わっていないのだが、彼等の声の響きと演奏から強力な自信と信念が伝わってくる。
 これまで共鳴というかたちで響き合っていたメンバーの関係性がさらに進んで有機的に絡み合っているように思えてならない。もし、彼等が、もしくはロミーとオリバーがより深く向き合ってこのステージを行っているとしたら、いまこのときにしか見ることのできないライヴだ。僕は"シェルター(Shelter)"あたりから、ロミーとオリバーからまったく目が離せなくなってしまった。彼らもオーディエンスの思いに応えるということでなく、オーデェンスもそれぞれの気持ちを重ねるということではなく、目の前に現れた予想を遥かに超えたなにか純粋なものに息を飲むというような瞬間が続く。

 ラストの"エンジェル(Angel)"を終えてステージ袖に消えてゆくロミーとオリバーが手をつないだ瞬間、僕はほんとに胸が締め付けられた。
 もしあのふたりが僕の想像するように向き合っているのなら、これほどまでにピュアな関係性が現実ならば、僕はこの先の彼等に訪れるものを想像して震えてしまう。いやそうではない、終わってほしくない物語がまたひとつはじまったのだ。
 イギリスでは3枚、4枚と続いて進化もしくは深化し、さらにテンションを維持しながらアルバムを作り続けるアーティストはまれである、それはしかたのないことなのだ。しかし彼等なら、次の次元あるいは想像を超えた風景を見せてくれるかもしれない。

The XX "finally"


Jamie XX & Yasmin "touch me"


ECD - ele-king

 無地で、品質は最高、カットはシンプル、そしていつまでもすたれないデザイン――。『チープ・シック』(草思社、1977)が称揚したシックな着こなしというのは、「服を第二の肌にする」ということだった。おカネはかけないが、服はこだわって選び、だがそれ自体が目的ではないので、歩いているうちに着ていることさえ忘れてしまおう、と。そしていま、再評価の最中にあるこの素朴な古典は、そうした服装哲学の次の段階として、このように説いている。「つまらない、いっときのファッションには関係なく、静かに、個性的に、自分自身の人生を追うのです。」

TEN YEARS AFTER』と『Don't worry be daddy』に続く三部作めいたECDの新作『The Bridge 明日に架ける橋』にとっても、服(オシャレ)との距離感、音楽それ自体の価値、そして、生活のあり方は重要なキーワードだ。
 ヒップホップにおけるファッションの流行史と、その時々の自分のリアルな反応を回想していく"憧れのニューエラ"は、サッカー・スタジアムの割れる声援のような高揚のムードに煽られ、過去の固有名詞を有意に列挙していくリスト・ソングとしてまず素晴らしいが、さまざまな流行り廃りに流され、やがて「ディッキーズにコンバースに無地TEE」へとたどり着くまでの歴史を通じて、必然的に自らのラッパーとしての立ち位置をも明らかにしていくあたり、唸るほどカッコいい。
 「服を第二の肌にする」――あるいは音楽もそうあるべきだろう。音源のために使えるおカネがもっとあったらいいのに、と思うこともあるが、本当にそれが必要なときに、部屋の棚やiTunesのライブラリーを悠長にひっくり返しているヒマはない。自分にとって第二の肌みたいな音楽があれば、それをサッと手に取り、軽いスニーカーを履いて、ただ自分がいるべき場所へと向かえばいい。時間が余れば本も読めるし、映画も観られる。あなたが望むのならば、デモにも行ける。
 ......と、思いきや、その傍らでECDは、たとえば"NOT SO BAD"のような曲をやる。積みっぱなしの本、買ったきり聴けてないレコード、遠慮もなく押し寄せる日常――「これが生活だ、出した答え」と"今日の残高"で宣言して以来の、いわば「ECD生活編」の最新作だが、日々のやりくりは必ずしも思い通りではないようだ。だがそれは、未練がまったくないと言えばウソになる、というくらいの軽いタッチで、『Don't worry be daddy』にはなかった微笑を誘うユーモアがそこに加えられている。リリックの組み立ては、間違いなくさらに巧くなっている。

 ECDの音楽には、わかりやすい希望もないが、ワザとらしい涙もない。『仁義なき戦い 広島死闘篇』のラストにおける山中正治(北大路欣也)が、どれほど望みを絶たれても決して泣かなかったように。おそらく、「明日」や「未来」という概念が、あらかじめ定められたように希望を騙ってしまう危うさへの残忍な眼差しが、そうさせるのだろう。"俺達に明日は無い"、その凄まじく両義的な精神はいま、"The bridge"と"遠くない未来"という、性格があべこべな双子のような楽曲を生んでいる。
 ソウルフルな序盤から、サイケデリックな(さらにはソフト・ロック的な)展開へとトラックが移植されていく表題曲"The bridge"においてECDが架ける橋は、漠然とした希望と言うよりはもっと暴力的で、ある種の強制力を伴うものだ。いかにも壊れそうな橋だが、否応なしに目の前に準備され、人はそこを渡るしかないし、いちど足をつけたらもう後には戻れない、そういうものとして「明日」は描かれる。それは今日よりも悪いものなのかもしれない、だが僕たちはどうやっても昨日には戻れないのだ。
 あるいはまた、雑誌『ポパイ』に寄稿された、ジョージ・オーウェル(とカレー屋)についてのECDのコラムを読み、なんてブレのない人なんだろう、と思った。そこで、同じくオーウェルを題材にした『remix』のコラムを思い出したのは筆者だけではないだろう――「しかし、家族がいるとそういうわけにはいかない。用心深くなったのは事実だ。それに、先のことを考えると昼間の仕事は60歳になったら辞めなければならないようだし、そうなったら、ビルの清掃員でもやるしかない」(『remix』219号)。
 当時、そのように総括されていた未来図は、図らずも現実のものとなったことが、"遠くない未来"において赤裸々に語られる。だが、文中の「そうなったら、ビルの清掃員でもやるしかない」が、「雇ってくれる原発見つかれば、廃炉作業員として現場」へと差し替えられた"遠くない未来"には、ブラック・ユーモアすれすれの緊張感を突きつけられつつも、小さな希望を僕は見た気がした。

 いろいろな話が混線してきた。が、とにかく、選択肢がありすぎて何も選べないようなときに、サッと手に取るべきもの。僕にとってのECDが、いつの間にかそのような存在になっていたことに気づいたのは、〈Shimokitazawa Indie Fanclub 2013〉でライヴを初めて観たときだった(DJはもちろん、イリシットツボイ)。
 そのダンサブルなトラックがライブでこそ本性を明かす、最高のパーティー・スターター"憧れのニューエラ"、鬱屈した犯罪願望をギンギンに露悪するsoakubeatsとの"ラップごっこはこれでおしまい"、『160OR80』を通じてジューク・カルチャーに捧げられた、ラッパーを振り落すようなバウンス・ビートの"Far from Chicago Beat"にはじまり、音源よりも長めにネタ元のイントロが取られた思わせぶりな"NO LG"、最後は"Wasted Youth"から"大阪で生まれた女"に向かって全力で駆け抜けていくECDは、低いステージの上で強く輝いていた。それはたぶん、僕がこの歳になって初めて観たパンクのライヴでもあった。

 トラップめいた"ラップ最前線"、パンク・ロック"tiolet toilet"、成功という概念にトラウマ的に脅える"ストレステスト"――他にも言及すべき楽曲ばかりだし、アルバムとしても『The Bridge 明日に架ける橋』はECDの代表作たり得る充実ぶりだ。だが、たとえば「傑作」なんていう惰性のような言葉では、それを書いている方が何も満足できないのは何故なのだろう......。
 そう思い、ふと視線を上げる。ここはどこだ? いまは2005年なのか? デジャ・ヴのような政治の狂気が、世間を堂々と闊歩している。以前よりも露骨に、陶酔さえ携えながら。それと対置されたような、労働や疲労による殺気と、謎めいた相変わらずの緩慢さでグロテスクに塗りつぶされた群衆......気づけば、そんなものにさえ慣れてしまいそうになる。
 だが、あのときほど無防備な人間ばかりではない。変わりつつある社会の領域も、確実に存在する。それは本作に託された実感でもある。「26年前には曖昧模糊としたイメージしか持てなかった『1984年』の世界が目の前に蘇った」(『ポパイ』796号)――それは、10年前と変わらない姿で迫りつつあるいまの社会でもあるだろう。流行りの服を体にあてがい、鏡の前でぐずぐずしているヒマなど、やっぱりない。

R.I.P. Mick Farren - ele-king

 去る7月27日、ミック・ファレンが亡くなった。享年69歳。彼のバンド、デヴァイアンツのライヴ中に心臓発作を起して倒れたそうだ。
 ミック・ファレンの音楽はサイケというか、いつでもプレ・パンクのような音楽だった。性格がパンクだったからだろう。
 「ミック・ファレンの業績は音楽だ」とあげる人が多いかもしれないが、ぼく的には音楽シーンにユーモアとアメリカン・コミック、SFを持ってきた人間ということで評価している。
 その辺のことは、彼の著書『アナーキストに煙草』に詳しく書かれているので読んで欲しい。
 そして、それ以上にこの頃、ぼくがミック・ファレンに対して気になっていた事は『アナーキストに煙草』の後半部分である。その部分には彼が『NME』にアメコミと笑いをどう反映していったか書かれているが、それ以上にぼくを惹き付けたのはプレ・パンク、パンク時代の『NME』のジャーナリストたちである。
 この頃のイギリスのロック・ジャーナリストは、各自が押すバンドを擁護するために派閥争いのような喧嘩をしていたというのを聞いていたので、ぼくはこの頃のロック・ジャーナリストが嫌いだったのだが、ミック・ファレンの本を読むとなんか、みんなかっこいいのである。
 この本を読む前に、ぼくはミック・ファレンの弟子のようなニック・ケントの『ザ・ダーク・スタッフ』を読んで、そこで『NME』なんかで原稿を書いていたニック・ケントが自分をもっと磨こうと、レスター・バングスの所に半年丁稚奉公しにいった話が書かれていて、そういうのもかっこいいなと思っていたからかもしれないが。
 イギリスのロック評論の方がずっと上だと思っていたのに、73年頃はアメリカにロック・ジャーナリズムの方が上だったというのは衝撃を受けた。
 でも、そりゃ、そうだよね、『ローリング・ストーン』というインディペンデントの雑誌がロック評論の新しい扉をひらいたわけだから、アメリカの方が上なのは当たり前だ。普通の出版社から発行していた『ミュージカル・エキスプレス』や『メロディ・メイカー』が『ローリング・ストーン』以上のことを出来るわけがない。
 でも、パンク以降はイギリスのロック評論が時代をリードしていくわけだ。その秘密がミック・ファレンの本には書いてあると思う。
 というか、自分はそういう風にして文章を書いてきた。
 自分はロック・フォトグラファーというのはダサイと思っていたんだけど、ロック・ジャーナリストというのはかっこいいかなとこの頃思っていた。そんなやさきにミック・ファレンの死はなかなか考え深いものがあった。


※明日、8月6日火曜日DOMMUNEにて、追悼番組あります。
19:00~21:00 MICK FARREN(THE DEVIANTS)追悼番組!「アナキストに献花を」
~ブリティッシュ・アンダーグラウンド・サイケ・シーンの始祖
出演:松谷健(CAPTAIN TRIP RECORDS)、赤川由紀子(翻訳家)他

我がためにある音楽は聴いた瞬間にわかるというもの
ブライオン・ガイシン

The 4000 year old Rock and Roll Band
ティモシー・リアリー/ウィリアム・バロウズ

 ブライオン・ガイシン、ウィリアム・バロウズ、ポール・ボウルズ、ブライアン・ジョーンズ、ティモシー・リアリー、オーネット・コールマン......世界のつわものを魅了してきたこの古代の響きを受け止められるだけの精神力が自分にあるのだろうか......? でも、たとえ精神的に戻れなくなってもいい、私にはその覚悟はできているんだ! 
 2012年6月、期待と不安に飲み込まれながら、私も先達と同じく、ジャジューカの魅力にとりつかれ村に吸い寄せられるように行ったひとりとなった。私の音楽観や人生観を一瞬にして変えてしまった3日間。村を後にしてからジャジューカを思い出さなかった日は1日もなかった。あれから丸一年、今年6月、私はまたジャジューカに戻ってきた。今回は友人たちとともに──。

 北アフリカ、モロッコ王国の北部、リフ山脈南に位置するアル・スリフ山にある小さな村ジャジューカ。この村で、アル・スリフ族のスーフィー音楽家たち‘The Master Musicians of Joujouka(ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ)’(アラビア名:マレミーン・ジャジューカ)によって、息子たち、甥たち、村の子供たちへと千年以上も時代を超えて守られ受け継がれてきた音楽がある。
 それは、村から1キロくらい離れた、背の低い緑が茂る緩やかな山の斜面に鎮座する大きな岩の横腹にポッカリと口をあけた洞窟、このブゥジュルード洞窟の伝説が起源になっている。


緑の山の斜面にいきなり大きな岩がある。

  昔々──、ヤギを放牧していた村人のアターが、みんな恐れて近づかなかったこの洞窟でうたた寝をしていると、どこからともなく美しい音色が聞こえてくる。ふと目が覚めると半人半獣(人間とヤギ)のブゥジュルードが自分の目の前に立っていた。そして、ブゥジュルードが村の女性のひとりを花嫁にする代わりに、他の村人に教えてはならないと約束させ、アターに笛を渡し音楽を教える。しかし、アターは約束を破り音楽を村人に伝授してしまう。村から音楽が聞こえ、怒り狂ったブゥジュルードは村に行く。慌てた村人たちは、頭がクレイジーな村の女性アイーシャを花嫁として差出し、激しい音楽で彼らを踊らせた。踊り疲れたブゥジュルードは満足して洞窟に帰り、それから毎年一度村に来て踊るようになった。それ以来、やせていた村の土地は肥え、村には健康な子供がたくさん生まれた。


ブゥジュルード洞窟の岩。『Joujouka Black Eyes』のカヴァーで使われている。

  しかし、ある日突然ブゥジュルードが洞窟から姿を消した。そして、アイーシャも村からいなくなった。心配したアターはヤギの群れを連れてブゥジュルード探しの長い旅に出る。自分のヤギを順番に食べながら旅するが見つからない。ついに最後の4匹になった時、アターはそのヤギを殺しその皮をまとい変装して村に戻る。村人は彼をブゥジュルードが帰ってきたと思い込み、少年たちにアイーシャの恰好をさせ一緒に踊らせる。それ以来、アターはこの洞窟で生涯ブゥジュルードとして生きる。彼に死が近づいてきた時、村のある若い男に自分の変装の秘密を打ち明ける。そして、彼はその少年にジャジューカが繁栄するようにブゥジュルードとして踊ることを約束させた。


洞窟の中からリフの山々を望む。

  この音楽は1週間続くイスラームの祝祭エイド・エル・カビールで子孫繁栄と豊穣のため伝統的に毎年演奏されてきた。
 ギリシャ神話の牧羊神パーンに似通っているといわれるブゥジュルードのその音楽を私が初めて耳にしたのは今から2年数か月前、2011年春のことだった。1970年代後半から電子音に魅了され、それからずっと電子音楽だけを追い続け、94年に渡英し、気がつけば私はクラブ・カルチャーの真ん中にいた。自分の音楽史にロックを通過した跡がほとんどない私は、当然ローリング・ストーンズの元リーダー/ギタリストであるブライアン・ジョーンズのアルバム『Brian Jones Presents The Pipes of Pan at Joujouka』の存在など知るはずもなかった。
 ジャジューカに魅了されたブライアンが、68年に村で現地録音したテープをロンドンに持ち帰り、フェージングやクロス・フェード・エディティングによって完成させたこの作品は、69年、彼が不慮の事故死を遂げたことによって、残念ながらリリースがペンディングになっていた。しかし、彼の死から2年後の71年、ローリング・ストーンズ自身のレーベル第一弾として発売される。このアルバムの登場はジャジューカを世界的に知らしめ、その後世界中から人びとを村に引き寄せることになる。


ブライアン・ジョーンズのアルバム。カヴァーの絵はハムリ。レコードジャケットを広げると、並んだジャジューカのミュージシャンたちの真ん中に金髪のブライアンが描かれている。

  2009年末にモロッコへ旅し現地で音楽に触れたことがきっかけで、30年以上聴き続けた電子音楽を捨てるようにアラブ諸国の音楽にどっぷりと浸かっていった私に、友人はこのアルバムを教えてくれた。チャルメラに似た高い音を出すダブル・リードの木管楽器‘ライタ(ガイタ/Ghaitaともいう)のヒリヒリとした直線的な音と両面にヤギ革を張った木製のタイコ‘ティベル’がつくる原始的なリズムはとてもパワフルで、いきなり私の心を、いや、脳を直撃した。
 何度も何度もループさせて聴きかえす。出会いから約2ヶ月間、毎晩このアルバムをかけ続けた。窓から差し込む朝日の中でふと気がつくと、いつも私は居間のスピーカー前で倒れていた。私を2ヶ月間もベッドで寝かせてくれなかったジャジューカ! 周囲の心配をよそに、私はこの不思議な力を持った音に心をつかまれ、ジャジューカの世界にのめり込んでいったのだ。

 この小さな村の局所的な音楽が世界に知られる最初のキッカケは、ジャジューカ出身の母を持つモロッコ人画家モハメッド・ハムリが、カナダ人アーティストのブライオン・ガイシンを村に連れて行った1950年代初頭まで遡る。
 ガイシンが村へ行く前に、実は彼はボウルズと一緒にこの地域のとある町の祭りで、偶然この音楽に出会っている。その時彼はこの音楽を一生聴き続けたいと思ったという。しかし、それがハムリの村の音楽だったとは、実際に村で耳にするまでは知らなかった。
  ジャジューカにすっかり魅了されていたガイシンは54年ハムリと一緒に「1001 Nights Restaurant」をタンジェ(タンジール)に開き、村のミュージシャンたちを15人交代で呼び寄せ店で2週間ずつ演奏させ、次々と西洋のオーディエンスに紹介していった。そうすることによって、同時にハムリは、戦後とても貧しかった村のミュージシャンたちの生活をサポートした。
 タンジェに住みハムリやガイシンと交流があったアメリカ人作家のウィリアム・バロウズが村を訪れることは自然な流れだった。カットアップの手法で書かれた彼の小説『The Soft Machine』(61年)の中でジャジューカの音楽を思わせる‘Pan God of Panic piping’という言葉を使い、ガイシンの作品『The Dreamachine』が登場するバロウズのショートフィルム『Towers Open Fire』(64年)ではサウンドトラックにジャジューカを起用している。
 こうして、ガイシンやバロウズを通して、ジャジューカはビート・ジェネレーションと共振し、深く関わっていった。
 そして、ガイシンとハムリが先述のブライアン・ジョーンズを村に連れて行く。60年代を通じて、ティモシー・リアリー、ミック・ジャガー他、73年には、フリージャズの巨匠のひとり、オーネット・コールマンが村に滞在し、マスターズ(ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ)とセッション。この曲「Midnight Sunrise」は76年に発売されたアルバム『Dancing in Your Head』に収録されている。
 また、80年代には、ついにザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカは3ヶ月間の長いヨーロッパ・ツアーに出た。
 このようなユニークなバックグラウンドを持つ彼らは、国内よりむしろ海外でより知られた存在になっていく。

[[SplitPage]]

 ガイシン、バロウズ、ブライアンたちと同じようにジャジューカの生演奏を現地で体験できるというフェスティヴァルが、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカと20年来彼らのマネージャー/プロデューサーを務めるフランス在住のアイルランド人、フランク・リンによってはじめられた。
 ジャジューカの音楽に“Brahim Jones Joujouka Very Stoned”という曲もあるほど彼らに敬愛されているブライアン・ジョーンズの村訪問40周年を記念して、村で行われた「The Master Musicians of Joujouka Brian Jones 40th Anniversary Festival 2008」は、ブライアンの元ガールフレンド、アニータ・パレンバーグも参加し大成功を収めた。それ以来、世界限定50人の3日間フェスティヴァル「The Master Musicians of Joujouka Festival」として、毎年6月に村で開催されている。
 このフェスティヴァルによって、年1回、村のミュージシャンたちは確実な収入をひと週末で保障され、これはハーベスト(収穫)のようになった。そのお金は、食糧や村の学校に教科書を購入したり、村を何ヶ月か維持するために使われる。このフェスティヴァルには毎年、大学教授、作家、音楽ライター、ミュージシャン、アーティスト、フォトグラファー、学生などなど、ジャジューカ音楽へ様々な入り口から辿りついたファンたちが世界各国から集まっている。
 実は、現在はもうひとつ、バシール・アッタール率いるThe Master Musicians of Jajouka(ジャジューカのスペルがJaで始まり、その後にLed by Bachir Attarなどと彼の名が続く)が対立して存在するのだが、このフェスティヴァルは実際にずっと村に住んでいるThe Master Musicians of Joujouka(ジャジューカのスペルがJoではじまる)のもので、彼らはスーフィー音楽家たちとして村にしっかりと根づき、人びとに尊敬され、今日も子供たちにジャジューカの音楽を教え続けている。このマスターズを率いるのは、村のコミュニティの中で選ばれたリーダー、アハメッド・エル・アターで、彼はミュージシャンたちのリーダーであり、部族のリーダーでもあるのだ。
 私が2012年から足を運んでいるこのフェスティヴァルの参加者たちは、タンジェから電車で約1時間半行ったところにあるクサール・エル・ケビールという駅に集合する。そこで用意されたタクシーに分乗し約20分、伝説のジャジューカ村へ着く。実はジャジューカはいくつかの村が集まるこの地域の名前でもあり、伝説の音楽が残るこの村そのものの名前でもある。そのジャジューカ村はそんなに山奥に位置するのでもなく、主要道路から斜めに入る山道を車で3分ほど上っていったところにある。村に行こうと試みて辿りつけなかったファンが日本に少なからずいるのは、単に村を示す標識のないこの山道を見つけられなかったからかもしれない。
 しかし、比較的大きな町のそばに位置しながら、電気と携帯のアンテナが同時に設置されてまだ10年くらい。舗装されて2年も経っていない山道は村の途中で突然途切れ、あとはウチワサボテンが茂る足場の悪いオレンジがかった砂利道がずっと続く。村にはモスク、小学校があり、そして、村に点在する井戸が村人の水源になっている。それを運ぶのはロバの仕事で、ポリタンクに入った水を背負ったロバがのんびりと歩いていく。


ジャジューカ村。向かって左にある角柱の塔はモスク。

  こののどかな村は、15世紀末に村に辿り着き生涯をここで過ごしたスーフィー(イスラーム神秘主義)の聖者・シィディ・アハメッド・シェイクのサンクチュアリーがあり、人びとの巡礼の地でもある。この聖者はここの音楽には治癒の力があると感じ、平穏、心の病気の治療、平和と調和を促進する精神的な目的として彼らに曲を書き、音楽を治癒のツールとして使った。村のミュージシャンたちは彼からバラカ(恩寵)、精神的なパワーをもらい、スーフィーである彼らが演奏することによってバラカはライタ自身の中に入り、したがってライタはバラカを持っているとされ、楽器で患者に軽く触れることで治癒することもできるという。この治癒の音楽はフェスティバルでは演奏されないのだが、約500年前から今日も続く聖者が起源の音楽が存在し、ジャジューカ全体にはバラカがかかっているとされるのだ。
 巡礼の地ではあるが、ここはいわゆるガイドブックに載る様な外国人向けの観光地ではない。小さなキオスクが2軒と地元の人たちが集う(彼らはカフェと呼んでいる)場所があるだけで、当然ホテルのような宿泊施設などない。フェスティヴァルの間、参加者たちはそれぞれマスターズの家にホームステイする。つまり、マスターズのコミュニティに入り彼らと一緒に音楽漬けの濃厚な3日間を過ごすのだ。
 今年の参加者は約40名。その2割は私を含めリピーターだ。日本人は全部で5名、その他、ガイシンの「ドリームマシーン」をジャジューカの生演奏で体験しようと、大きな「ドリームマシーン」のレプリカを担いで来たカナダの若者もいた。結局壊れていて使い物にならず、「The most Dreamachine experienceだったのにー!」という彼の悲痛な叫びとともに実験は失敗に終わった。
 村にはマスターたちがいつも集まる場所が村の広場から少し先に行ったところにある。ここがフェスの会場で、半分テントで覆われ片側が開いた半野外のその場所には赤い絨毯が敷いてあり、前方にはリフ山脈の美しい緑の山並みが目線と同じ位置に見える。普段も彼らはここに集いおしゃべりをしたり演奏したりして過ごす。マスターたちに憧れる子供たちはこのような環境の中で、マスターたちから音楽を教わる。


昼間のセッション。音楽に合わせて踊る村の少年たち。


バイオリンが入る昼間のセッション。

 フェスティヴァルではもちろんアンプもスピーカーも通っていないマスターズの生の音を昼夜聴き続ける。タイムテーブルもなく、マスターズの周りで参加者たちはゆったりとしたジャジューカ時間を過ごす。昼間に演奏される音楽はジベルという山の生活や民族的なテーマを歌った伝統的な民謡が主で、宗教的なものや恋心を歌ったラヴソングもあり、バイオリン、ダラブッカ(ゴブレット形太鼓)、ティベル、ベンディール(枠太鼓)、リラ(笛)などで演奏される。その他、ブゥジュルードの音楽のリラ・バージョンや「Brahim Jones Joujouka Very Stoned」のようにゲストが来た時に作られた比較的新しい曲も存在する。
 マスターズの数人が楽器を手にして音を出しはじめると、他のマスターたちも楽器を持って集まってくる。私は2回目だからもちろんわかるが、村のおじさんたちも私服のマスターズに交じっているので、楽器を持つまで誰がマスターかはっきりわからない。他の村人と全く変わらないこの男たちがひとたび楽器を持つとたちまちあの伝説のマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカに変身する。今でも音楽だけで生活する彼らにとって音楽は生活の一部であり、演奏することがとても自然なのだ。


リラが中心の昼間のセッションで踊るマスター。

 そんな感じでゆるくはじまる1曲30分近くの音楽は、10分を過ぎたころからじょじょに盛り上がりグルーヴが出てくる。これでもか! とあおるようにじょじょにリズムも早くなり、ダラブッカを打つ手が腫れるのではないかと聴いている方が心配になるほどリズムも激しく音も大きくなって、「アイワ! アイワ!」(そうだ、そうだ! いいぞ!)の掛け声が飛ぶ。そんな掛け合いのコミュニケーションの中でグルーヴが生まれるのだと感じる。マスターズや村のおじさんたちに手を引かれ一緒に踊ったりしている中、ある者は散歩に行ったり、ある者はおしゃべりしたり――。こうして、地元の甘いミントティーでまったりしながらとても自由で贅沢な1日がゆっくりと過ぎていくのだ。


会場のテントからリフ山脈を眺める。

 マスターズの妻たちが会場の裏手にある家で作る新鮮な地元野菜をふんだんに使った家庭的なモロッコ料理、タジン、クスクス、サラダ、スープなどどれも優しい味でとても美味しい。モロッコは6回目だが、やはり私にとってジャジューカでの食事が一番美味しい。朝食は各自宿泊先の家庭でいただき、昼食と夕食は会場でみんな一緒に食べる。しかし、妻たちは一切表に出てこない。女の子供たちまでも入ってこないのだ。そんなジャジューカの女性たちにも実は彼女たちの音楽があるのだが、フェスティヴァルでは聞くチャンスはない。


北アフリカの伝統料理のひとつ、クスクス。


地元野菜のサラダ。

[[SplitPage]]

 この時期の昼間は日差しが強く暑いジャジューカも夜になると涼しくなる。辺りもすっかり暗くなりテントに裸電球がいくつか灯る中、遅い夕食をとる。食事が終わり少ししてから夜0時頃、ブゥジュルード音楽の演奏のため準備がはじめられる。この音楽は、既述した木管楽器ライタとタイコのティベルのみというシンプルな楽器編成で演奏され歌はない。
 昼間は私服でいるマスターズは全員、この演奏のために一変して黄色のターバンを頭に巻き、カラフルなボンボンが付いた茶色の分厚い生地の正装ジュラバに着替え、向かって右側にティベル奏者が4人、その横から左側に7人のライタ奏者が、横一列に並んだオレンジ色のパイプ椅子に座る。
 演奏がはじまる前は期待でいつも緊張する。自分の目の前にあのザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカが勢ぞろいしているのだ! と、夢のような現実をもう一度自分に言い聞かせる。これからブゥジュルード伝説の音楽が目の前ではじまるのだ!   
 横一列に揃ったマスターズは数分間みなそれぞれライタで少し音を出した後、みんなの準備が整ったタイミングを見計らって、リードのライタ奏者がちょっとしたメロディでスタートの合図を出す。そのとたん、他の6本のライタと大小4台のティベルが続き、いきなり演奏がはじまる。そして、待ったなしの音のローラーコースターに乗った私たちはディープな世界へと連れていかれるのだ。
 ジャジューカをCDやレコードで聴くと、残念ながら何本ものライタ音は一本の大きな束になって平たくなってしまう。当たり前のことだが、ボリュームを上げればその束は大きくなりうるさくなる。しかし、生の演奏を目を閉じて聴くと、各ライタの直線的な音は一本一本きちんと分かれていて、それらがそれぞれ一直線状に額から飛び込んでそのまま脳をまっすぐ突き抜ける。今どこのライタの直線が脳を突き抜けたかがわかり、それはとても立体的で、耳で聴いているというより、他の感覚を使って音を捉えているとしか思えない。ライタ音は信じられないくらいにパワフルな音を出す。ところが、もの凄い大きさの音にもかかわらず、とても澄んでいて美しくまったくうるさくないのだ。
 循環呼吸で演奏するライタ奏者たちは向かって左にドローン、真ん中にメロディ、右にリードと三つのセクションに分かれ、ヒリヒリとした直線的なライタの高音が上をすべるように走る。その下を二台の小さいティベルが高速で回転するようなリズムを刻み、二台の大きいティベルが地に響く低音の力強いリズムでしっかりとテンポをキープしていく。そして、今度はティベルの真正面で目を閉じてみると、それぞれのタイコが生み出す複雑かつ立体的で跳ねるようなリズムがライタ音の前にググッと出る。ライタの前に立つかティベルの前に立つかで、また聞こえ方が変わる。


ライタを演奏するマスターズ。

 中央に座っているリードのライタ奏者が他のライタ奏者を目で伺いながら、次の曲に入る合図らしきメロディを出す。曲を移行させるのはティベルではなくリードのライタなのだ。リードのライタ奏者の合図に従い、他のライタ奏者たちが続く。それと同時にティベル奏者たちがリズムを変え、一瞬にして曲が変わる。曲は次の曲へとシームレスに変わり、一回のセッションに5〜6曲演奏される音のジャーニーはすべるようにノンストップで続いていく。
「現地で実際に体験しないとこの音楽の本当の凄さはわからないよなぁ......ガイシンやブライアンがハマったのがわかる......」なんて遠い思考の中でぼんやりと思うのだが、次々と押し寄せるライタの線の嵐にすぐにかき消されてしまう。そのうち、ライタのパワフルな音とティベルの原始的なリズムはさらにパワーを増し、私の思考を完全に破壊していく。私は目を閉じたまま意識の向こう側へ、意識を超えた感覚だけの世界へ深く入っていく。弾むようなティベルのリズムと待ったなしに次から次へとすべるように走り抜けるライタが織りなすグルーヴの中で、私の脳と身体は自由自在に音の世界を泳いでいく。


ライタを演奏するドローン・セクションのマスターズ。

 音のローラーコースターがどんどん奥に進んでいき、観客がうねるようなグルーヴにのみ込まれ興奮も最高潮に達しはじめたころ、急に電気が消え、テント前の芝の真ん中で火が燃え上がる。火は見る見るうちに真っ暗な空に向かって大きくなっていく。子供たちや村人たちも集まっている中、建物の横で隠れるようにみている村の女性たちの姿が炎で照らし出される。みんなが大きく燃え盛る焚火に釘づけになっていると、突然、黒いヤギの毛皮をまとい麦わら帽子をかぶった伝説のブゥジュルードがオリーブの枝を両手に持ち現れる。暗闇に立ちのぼる原始的な火をバックに、ブゥジュルードは狂乱したように踊る。オレンジ色の荒々しい炎に激しく揺れるブゥジュルードの黒いシルエットが重なる。


焚き火の前で踊るブゥジュルード。

 アイーシャに変装した3人の少年たちも現れ、腰を振りながら乱舞する。私たちも押し寄せるグルーヴの中に身をゆだね、踊る、踊る、踊る。音に操られるように全身が激しく動いていく。自分がどこの誰かなんて関係ない、今がいつなのかもどうでもいい。この音を全身に浴びて裸になった自由な精神があることだけで十分なのだ。


マスターズとブゥジュルード。

  最後の一音がバンッと大きく鳴り、音旅の終わりを告げる。パワフルな音の刺激とうねるグルーヴの大きな波にのみ込まれて、私は完全に圧倒されていた。大きな拍手が沸き起こる中で、私は「アズィーム ジッダン!」(とても素晴らしい!)と叫び、村人も何か叫びながらマスターズを称える。やがて拍手が止むと、辺りはいつもののどかな村の夜の顔に戻る。ぼわ~んとなった私の耳に人びとの話し声と虫の音がぼんやり聞こえてくる。夜露で湿った絨毯や自分の服の重たい感触に気づく。そして、腕時計をのぞいてみる。
 夜0時くらいにはじまった演奏が終わったのは夜中2時半過ぎだった。私たちは約2時間半の間、ノンストップでぶっ飛ばされ続けたのだった。息つく暇もないくらいに「もの凄かった!」としか言えないくらいもの凄かった......! としか言えない......。そして、マスターズの信じがたいタフさにもただただ感服するのだ。その凄すぎた世界からしばし出られずまだ余韻を引き摺って座っていると、あっという間に私服に着替えた私たちの宿泊先のマスター、ティベル奏者のムスタファが、テント前の芝から私たちを目で呼ぶ。そして、ついさっきまで2時間半休みなくティベルを叩き続けていた彼と一緒に真っ暗なオフロードを、彼の家までトボトボと15分くらい歩いて帰る。そして、寝るのは毎晩夜中の3時過ぎ。この生活が3日続く。

 繁栄や豊穣のための祭りや儀式で演奏されてきたこの音楽は、ブゥジュルードを踊らせる、つまり生粋のダンス・ミュージックであり、ダンス・ミュージックの源泉、そして、本物のトランス・ミュージックなのだと感じる。この音楽は耳で「聴く」のではなく、全身で「体験」する音楽なのだ。
 ふだん私は淋しいような切ないようなメロディを持つ曲を聴くとネガティヴな思い出とくっ付いて悲しい気持ちになることがある。私はメロディに自分の感情をコントロールされるのがあまり好きではない。記憶という時間軸に縛られているようで鬱陶しく、感情にわざとらしく訴えかけてくるようなおせっかいなメロディの音楽に心地良さをあまり感じない。
 しかし、ブゥジュルードの音楽は、感情に訴えかけてくるようなメロディを持っていない。この音楽は、「感情」の向こう側の時間軸を外れた「今」だけが連続する精神にダイレクトに届くような気がするのだ。だからこそ、この音楽は私の精神を自由にさせ、精神が自由になるからとても気持ちいいのかもしれない。そして、時間軸に縛られていないからこそ、この音楽は千年以上経った今でも常に新しく、どこの時代で切り取っても、ジャジューカの音楽は永遠に「今」の音楽なのだ。

 現在この村で音楽を守り続けているのは、ブライアンが村に来た時まだ11歳だったリーダーのアハメッド・エル・アター率いる最大で19人、普段は10〜12人のミュージシャンたちである。その他にもミュージシャンになるだろうと思われる10代半ばの少年が何人かいて、また、20代の少年たちも地域にいるが、マスターズの基準に達するにはまだまだ時間がかかるようだ。
 大きなセレモニーでは大きなグループで演奏し、比較的小さなセレモニーでは4~5人が2~3のグループに分かれ交代で演奏することも可能で、地元の生活のすべての宗教的な機会、大きな地域では、割礼、結婚式などのセレモニー、地元の公式なセレモニー、そして、ロイヤル・セレモニーで演奏する。
 昔ジャジューカのマスターたちはある王朝のスルターン(君主)に音楽を気に入られ、長い間に渡り援助を受けながら専属の音楽家として、セレモニーや軍の一部として戦場へ行き演奏していたこともあった。しかし1912年、モロッコがヨーロッパ列強の保護領になりスルターンからの援助が打ち切られた。
 過去には65人いたこともあったというザ・マスター・ミュージシャン・オブ・ジャジューカは、村がスペイン領だったときに兵士としてスペインへ内戦及び第二次世界大戦に連れて行かれた者たち、モロッコの近代化に伴い村を出て行った者たちなど......その他、時代のいろいろな困難を乗り越えて生き残ってきた。
 世界が目まぐるしく変化していく中で、伝統を継続させることはとても難しい。ここモロッコのジャジューカも例外ではない。
 マスターになるのは職人のようなシステムで、マスターたちについて訓練して訓練して、その後ティベル奏者なら半ドラマーになって、ライタ奏者なら半ライタ奏者になって、パンを取りに行ったり店に飲み物を買いに行ったりと、日々のマスターズのタスクをこなしながら一人前になっていく。そして、まず何よりも第一に音楽のために全てを犠牲にできるほどジャジューカの音楽を十分に愛していなければならない。しかし、全員が最終的にマスターになれるわけではない。マスターズの一員になるには、彼らに受け入れられ永遠に行動をともにし、仲間として仲良くやらなければならない。この音楽は集合体として連結しながら演奏されることからもわかるように、彼らは仲間同士の信頼と強い絆が必要なのだ。
 マスターになるのは決して強制ではない。だからこそ、子供たちや若者たちがジャジューカの音楽に魅力を感じ、この音楽の素晴らしさを理解し、そして、「マスターになりたい」と自発的に思うことが大切だ。そのために、マスターズは子供たちや若者たちが尊敬し憧れる存在であること、また音楽家として音楽で生活ができることを示し、伝統を継続させる大切さを自らみせることが必要なのだ。そうでなければ、若者たちは村を出てタンジェの工場に働きに行ってしまうだろう。しかし、フェスティヴァルでリズムに乗って激しく楽しそうに踊る子供たちをみると、この子たちの身体の中には確実にジャジューカの音楽の血が流れていることがわかる。どうかこの子供たちが大きくなったらマスターズになってジャジューカの伝統を担って欲しい、そして、どうかこの素晴らしい音楽が絶えることなくいつまでも続いて欲しいと切実に願う。

 2011年には、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカはイギリスの野外音楽フェスティヴァル「グラストンベリー・フェスティヴァル」に出演。メインステージであるピラミッド・ステージにてオープニングを飾った。演奏していることが日常で自然な彼らはステージ以外の場所でも何度も演奏していた。それを聴きつけたクスリでぶっ飛んだ連中がマスターズの周りに集まってくる。そして、エレクトロニックのダンス・ミュージックで踊るように、この古代からのダンス・ミュージックで踊るのだった。

 今年6月初旬には、イギリスのDJ・エロル・アルカンも出演したイタリア・ローマのVilla Mediciで開催された「Villa Aperta 2013 IV edition」に招かれ、ダンス・ミュージックのオーディエンスからも喝采を浴びた。

 そして、今年2月6日DOMMUNEで配信された「21世紀中東音楽TV2 ジャジューカNOW!!」でサラーム海上氏と一緒に、今まで日本では詳しく明かされていなかったジャジューカについて語り、トークの最後に2012年のフェスティヴァルで録音してきたブゥジュルードの音源をスタジオの電気を消し暗闇から放送。視聴者は延べ2万5千人を超えた。

 現在のザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカはジャジューカの伝統的な音楽スタイルを忠実に守りながらも、ダンス・ミュージックという入り口から新しいオーディエンスを魅了し始めているようだ。ビート・ジェネレーションやブライアンとの出会いがそうだったように、ジャジューカにとってまた新しい何かがはじまろうとしているのかもしれない。

 精神の音楽を演奏し続ける素朴なマスターズに心打たれ、その純粋な音に自分の魂をすっかり裸にされた。私の音楽観や人生観までも変えてしまったジャジューカに、私は来年もまた行く。

赤塚りえ子

ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ公式サイト
https://www.joujouka.org/

ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ・フェスティバル 2014
日程:2014年6月20日~22日
フェスティヴァルの申し込みはこちらから
https://www.joujouka.org/the-festival/more-about-the-festival-and-booking/

ディスコグラフィー
『Joujouka Black Eyes』(1995年/Sub Rosa)

Amazon iTunes

『Boujeloud』(2006年/Sub Rosa)

Amazon iTunes

interview with Co La - ele-king


Co La
Moody Coup

Software / melting bot

Amazon iTunes

 対面インタヴューならば食い下がったのだが、あいにくのメール・インタヴューだ。コ・ラは自らの音楽についてこう解題した――「慌ただしいレストランでウェイターがグラスを落としたときと同じ印象や効果を音楽にしたくて」。今作の彼の音を見事に説明するイメージである。と同時に、これはたとえばジャム・シティやキングダムといったアーティストにもまったくよく当てはまるフィーリングだと思う。金属的で、神経の緊張を断続的に強いてくるようなサウンド・コラージュ。なぜわざわざそんなストレスフルな音に執着するのか、そして、インダストリアルという言葉に新しい表情を与えるようなそうした音が、複数のアーティストから同時に生まれてきているのはどうしてなのか、そのあたりを訊くことができたらよかった。なにせ、まだ名前のないムーヴメントなのだ。

 とくにジャム・シティやキングダムを擁する〈フェイド・トゥ・マインド〉は、こうした音像に視覚イメージを与えて意味づけ、ダンス・ミュージック・シーンに鮮やかなインパクトを生みつつある(ジャケでもロゴでも、レーベルとして一貫したスタイルを感じるだろう)。本作をリリースする〈ソフトウェア〉も、エッジイで批評性に富んだエレクトロニック・ミュージックを送り出すことに関してはもはや名門の域だ。主宰フォード&ロパーティンのレトロ・フューチャリスティックで硬質なサイバー趣味には、前者と同じようにツンケンした、金属っぽいサウンド・デザインが埋め込まれている。そして、以下、コ・ラ自身の口からも前者へのシンパシーが語られるように、毛色の異なる両者が、インダストリアル・ノイズの今日性を模索するようにして邂逅する様子には、どうしたってシーンの「次」を感じざるをえない。

 前作『デイドリーム・リピーター』が「家具の音楽」なら、今作でコ・ラはそれを置くべき場所を作った。ガラスを引っ掻くパンダ・ベア、というのがコ・ラことマシュー・パピッチの新作『ムーディー・クープ』の印象である。パンダ・ベアのまどろみと多幸感の島で、なぜかわざわざガラスを割りまくって引っ掻いている、それをなぜかと問い返すなかにいまのモードのひとつのかたちが見えてくるだろう。

 前作のタイトルは『デイドリーム・リピーター』だが、パンダ・ベアやアニマル・コレクティヴにはじまる2000年代のサイケデリックの成果が、2010年をまたぐ頃にドリーム・ポップの複合的な盛り上がりへと帰結し、シーンの内向化を促したとするならば、今作でのパピッチはその源流を角のあるもので傷つけながら、自分の居やすい空間へと改変しようとしているように見える。けっしてそこに穴を開けて風通しをよくし、外に出ようと促すのではない。あくまでベッドルーマーとしてデイドリーム・リピートする前提で、でも、気が散って落ち着かないようなドリーム空間があってもいいだろうというのが『ムーディー・クープ』ではないだろうか。ディストピアがユートピアの一種なのか、ユートピアがディストピアの一種なのかがわからなくなるような世界が立ち上がってくる。彼のような変種の存在は、この10年のUSのサイケデリック・ミュージックがいかに多様性持つものであるかをよく物語る。

 「耳障りでストレスフル」とは書いたが、あくまで品のあるダンス・アルバムだ。エキゾチックな表情やジャジーなフレーズも多数サンプリングしながら、聴く音としても洒落た仕上げを施している。前作から大きな飛躍を遂げ、かなり個性的な作品になったと思う。『ムーディーな一撃』......このタイトルのクールな矜持が、そのまま本作の魅力である。

ドライヤーや車の衝突音の方がサックスのソロよりも惹かれる。音楽がリズムで構築されるとき、日常にある偶然の音が入ってくる、それが未来の音楽を示していると僕は考えているんだ。

『デイドリーム・リピーター』について、コンセプトとしては「家具の音楽」(サティ)に通じるものだという説明をしておられましたが、実際に家具にするにはノイジーな仕掛けに満ちていると思います。今作はとくにそう感じました。あなたのめまぐるしいサンプリングやコラージュが持つ哲学について教えてください。

パピッチ:ジョン・ケージのような感覚かな。そういった音には常に興味があって、とくにいわゆる音楽じゃないものだね。ドライヤーや車の衝突音の方がサックスのソロよりも惹かれる。音楽がリズムで構築されるとき、日常にある偶然の音が入ってくる、それが未来の音楽を示していると僕は考えているんだ。背景や壁紙でなく、開いた窓のスクリーンような......空気ではない、「音」をフィルターしているつもりだよ。

金属的で鋭角的、あたりのキツめなプロダクションには、たとえばジャム・シティ(Jam City)などに共通するところがあると感じます。こうした音づくりはとくに今作から顕著になったものだと思いますが、どんなことを意識されていたのでしょう?

パピッチ:慌ただしいレストランでウェイターがグラスを落としたときと同じ印象や効果を音楽にしたくて、そのフィーリングを引き延ばして動的に表現にしたらそうなったんだ。

〈ナイト・スラッグス(Night Slugs)〉などのレーベルと交流があったりはしますか? 彼らもあなたも現代におけるインダストリアル・ミュージックのひとつのフロンティアと呼べるように思います。

パピッチ:全然ないけど好きだよ。DJをやるときはいつもKingdom(Fade To Mind)みたいな感じになるね。

ただテクニカルというわけではなく、硬質なマテリアルから多彩な感情表現を引き出しているのも素晴らしいと思います。あなたの音楽にとってエモーションはどのくらい重要なものでしょう?

パピッチ:新しい音楽を作るときはとくに重要だね。コンセプトやフィーリングでなく、そのときに聴いて影響を受けた音楽に近いところからスタートする。聴いている音楽からループをざっくり探して、くっつけて、エモーショナルなポイントを見つけ、そういった音そのものから得たアイデアを、曲作りのパワーにしているんだ。

[[SplitPage]]

坂本九の歌に関しては、じつはそれが日本の歌だとまったく知らなくて、4 P.M(For Positive Music)のやつをいちばんよく聴いていたんだ。

同時代で好きだったり気になっているアーティストはいますか?

パピッチ:ニッキー・ミナージュ。

"スキヤキ・トゥ・ダイ・フォー(Sukiyaki To Die For)"には坂本九の"スキヤキ(上を向いて歩こう)"を思わせるフレーズが登場しますが、"スキヤキ"から感じられる日本人像と実際いま目の当たりにする日本人とのあいだに相違を感じますか?

パピッチ:坂本九の歌に関しては、歴史も世界的な人気もあって、いくつものカヴァーやヴァージョンが存在しているよね。そういったことに興味があるよ。じつはそれが日本の歌だとまったく知らなくて、4 P.M(For Positive Music)のやつをいちばんよく聴いていたんだ。基本的にはR&Bヴァージョンなんだけど、バーバーショップ(Barbershop)のハーモニーもあるし。2年くらい前のある日、家でケニー・ボール(Kenny Ball)のヴァージョンを聴いていてね。ビッグ・バンドのインストなんだけど。そしたらいっしょにいたダスティン・ウォン(Dustin Wong)が曲の歴史を教えてくれたんだ。彼はもちろんオリジナルをよく知っていた。その時点では重要なサンプルだったし、自身がクリエイトしようとする複雑な物語を作るという点で、的確な参考資料のように感じていた。

ボルチモアであなたが働いていたというギャラリーや、現在のボルチモアのアート・音楽シーンについて教えてください。

パピッチ:ボルチモアには知的で前衛的な、いいオーディエンスがいる。ここでのパーティーはシュールだと感じるよ。ボルチモアにはいわゆる音楽の「マーケット」はなく、経済的にも乏しい。そのおかげもあって、音楽を前進させるような空気があるんだ。そしてルールがまったくない。

フランク・ザッパやデヴィッド・バーンを輩出した土地でもありますが、そもそも実験的なムードや気質があるのでしょうか?

パピッチ:人によってはボルチモアをそう捉えているけど、実際はわからないな。もうここに住んで10年、年が経つにつれて好きになっていくね。ここにいる人はおもしろいよ。建築もユニークだし。貧乏な都市だけどそういった空気感が好きであれば最高の場所だと思う。

少し前ですと、ボルチモアというと〈スメル(smell)〉周辺の動きが気になりましたし、エイヴ・ヴィゴダ(Abe Vigoda)、ミカ・ミコ(Mika Miko)、ダン・ディーコン(Dan Deacon)、ジャパンサー(Japanther)などエクスペリメンタルでアーティなギター・バンドに存在感があったと思います。エクスタティック・サンシャイン(Ecstatic Sunshine)もそうした素晴らしいユニットのひとつだと思っていますが、ムーヴメントとしては一旦終息した感じなのでしょうか? それとも後続も出てきていますか?

パピッチ:その時代は3~4年前に終息したよ。破壊ではなく拡散した終わり方だったと思う。自分たちが出していた音楽はそのときその場所で鳴らされるものでしかなかったから。ウェアハウスなスタイルのパーティーで、PAもないしステージもない。規模は小さいけどダイレクトに反響のある音楽だった。そういったバンドにはもうあまり興味がないから、いまどうなっているかはなんとも言えないな。

[[SplitPage]]

このレコードは夜だね。暗闇のなかから現れた歌だ。都会の雑音が好きで、それを重ねてなんともいえない音楽にする。


Co La
Moody Coup

Software / melting bot

Amazon iTunes

〈カー・パーク(Carpark)〉から〈NNA〉〈ソフトウェア(Software)〉という流れは、この10年の音楽の特徴のひとつを象徴するものだと思います。インディ・ロックとエレクトロニックな表現はさらに緊密に結びついていっていますし、ドリーミーなサイケデリアが通底していると感じます。あなた自身のなかで、エクスタティック・サンシャインとコ・ラとはどのような関係をもっているのでしょうか?

パピッチ:一年間くらい音楽を作らない時期があって、ちょっとずつギターから離れ、アンプやエフェクト、自分が持ってたほとんどの機材を売ったことがあったんだ。そのときに音楽をもっと聴くようになったよ。違ったレンズでね。エクスタティック・サンシャインに関しては、よりテクスチャーを追求して、最終的にはアブストラクトな方向へ向かったと思う。その休止期間の後に、新しい耳とともにまた一からという最初の地点に戻れたんだ。それがコ・ラだね。

〈NNA〉や〈ソフトウェア〉のことをどう思いますか?

パピッチ:どちらのチームもいっしょに活動できて本当に最高だよ。トビー(NNAテープスのA&R)、マット(ソフトウェアのディレクター)、ダニエル(ワンオートリックスポイントネヴァーOneohtrix Point Never)、ジョエル(Joel Ford aka Airbird)は素晴らしいキュレーターでありアーティストだし、彼らの文脈の一部になれたことを光栄に思っている。

先鋭的なテープ作品のリリースが増えているのはなぜだと思いますか? またあなたがそのフォームを選択する理由を教えてください。

パピッチ:こっちだととても簡単なフォーマットだと思うね。すぐにリリースできるフィジカルなフォーマットだし、古いタイプの多くの車にはまだカセット・プレイヤーがあるから簡単に聴けるんだ。

ダブやアンビエントに惹かれるのはなぜでしょう?

パピッチ:Tetrahydrocannabinol (THC)。

『Moody Coup』はどのような環境で聴かれてほしい(聴かれるのが理想)ですか?

パピッチ:このレコードは夜だね。暗闇のなかから現れた歌だ。都会の雑音が好きで、それを重ねてなんともいえない音楽にする。ヘリコプター、バス、都会の鳥、湿気のある環境、暗闇、そして人工的な光の輝き。

いま音楽以外で関心のあることについて教えてください。

パピッチ:味、花、光、霧、文字、政治にとても興味がある。

パンダ・ベアは好きですか?

パピッチ:はい。

Co Laの新章 - ele-king


Co La
Moody Coup

Software / melting bot

Amazon

 〈ソフトウェア〉からのリリースとなったセカンド・アルバム『ムーディ・クープ』で格段に磨かれた感のあるボルチモアのプロデューサー、コ・ラ。〈NNAテープス〉、〈ソフトウェア〉といったアンダーグラウンドのポジティヴな熱量がこもったレーベルを拠点に、ジャム・シティやキングダムを擁する〈フェイド・トゥ・マインド〉などへも音楽的な橋をかけ、大きな飛躍を見せようとしている。今回の初来日では、「元ポニーテイル」という紹介がもはや不要となりつつあるギタリスト、ダスティン・ウォンとのコラボレーションが予定されていたりと、東京・大阪のそれぞれの夜を、次のシーンを築く個性的なアーティストたちがサポートする様も楽しみである。


昨年の〈100% SILK〉のジャパン・ツアーにつづく10年代のサマー・オブ・ダブ! 近未来のエキゾチカを描くUSアンダーグランドの鬼才Co Laが初来日!!

ニュー・エキゾチカ、 アヴァン・ラグジュアリー、 ファーニチャー・ミュージックと称された〈NNA Tapes〉からの怪作『Daydream Repeater』、最新作『Moody Coup』は近代エレクトロニック・ミュージックの旗手 Oneohtrix Point Never主宰、NYCブルックリンの新鋭レーベル〈Software〉よりリリース、トロピカルに土着的であり、モダンに都会的であり、シンセティックに未来的である、10年代エキゾチカの奥地へと突き進み、前人未到のダブの領域へと踏み込んだボルチモアの鬼才、Co La。未だかつてない温かくも冷たい至高のサイケデリア、インディ・ダンス、ディスコ、ダブ、アンビエント、ドローン、テクノ、インダストリアル、ハウス、ジューク、ベース、ビートなど、様々なジャンル、モード、文脈が入り乱れるネット/10年代以降の感性を結実させた新しい辺境の夏が始まる。

https://bondaid.jp

■C o L a J a p a n T o u r 2 0 1 3

■東京公演

BONDAID #1 8.2 (FRI) @ SECO Bar Shibuya Tokyo

Live: Co La, Dustin Wong, Co La x Dustin Wong - Ecstatic Sunshine -,
Sapphire Slows, Dream Pusher,

Dj: Cold Name, Mayu, sali, asyl cahier, SlyAngle

日程:2013年8月2日(金)
会場:SECO Bar Shibuya Tokyo
時間:OPEN 21:00 / START 21:00
料金:ADV & W/F 2500 yen | DOOR 3000 yen

詳細: https://bondaid.jp/post/52069137191/bondaid-1

主催:BONDAID
お問合わせ bbondaidd (at) gmail (dot) com

■大阪公演

OZ 8.4 (SUN) @ Club Circus Osaka

Live: Co La, metome, Eadonmm,
Dj: Keita Kawakami, Seiho, OZ crew

日程:2013年8月4日(日)
会場:Club Circus
時間:TBA
料金:ADV 2000 yen | DOOR 2500 yen

主催:OZ
お問合わせ https://oz-party.tumblr.com

詳細: https://bondaid.jp/post/52068939200/oz


Chee Shimizu(著) - ele-king

 「ジャケ買いして失敗した」という人は根本的に間違ってないだろうか。「ジャケ買い」というのはジャケットを買うことなので、たとえ中身を聴かなくても、ジャケットを買った時点で成功じゃないですか(成功とは言わないか)。さらに、それで音楽の方もよかったら、プラスαの意味があったと思うべきじゃないかなー。ザ・KLF『チル・アウト』も「ファイル・アンダー・アンビエント」と書かれたシールを見て、一回はエサ箱に戻してしまったものの、やはり思い直して「ジャケ買い」したものだったし、ワルター・マルケッティなどはどこの誰だかも知らなかったのに、あまりにキレいな緑色に惹かれて、それだけで高い中古盤に手が出てしまったし(ネットではこの色はわからないけれど→)。

 ディスコセッションのチー・シミズといえば、70~80年代のシンセサイザー・ミュージックでは誰も適わないほどの知識を持っている(......ので、『裏アンビエント・ミュージック』に引き続き、『アンビエント・ディフィニティヴ』でも新たに原稿をお願いしています)。その彼が、なんだ、コレは......というレコード・カタログを書き下ろした。題して『オブスキュア・サウンド』。定義はよくわからない。「曖昧模糊とした存在の音楽」、あるいは「世に知られていない」という意味で使っているとまえがきには書いてある。そして、それこそ見たこともない魅惑の「ジャケ」がこれでもかと並んでいる。いちおう、章立ては施してあって「オーガニック」「エスニック」「サイケデリック」「スピリチュアル」など12のスタイルに分けられてはいる。しかし、ここまで訳がわからないものが並んでいると、そういうことはどうでもいいというか、どのページを見ても気になるジャケット・デザインに目が留まってしまうだけである。うむむ。

 4年前に『アンビエント・ミュージック』を編集した際、あれがないこれは違うといった瑣末な物言いに混ざって、たったひと言だけ批評的な言葉を頂戴した記憶がある。それは「アーカイヴ型の発想でつくられている」というものだった。これには自覚があった。ロックやジャズのように歴史を前提としたカタログ本ではなく、いわば、歴史を捏造しているという自覚である。つまり、「あれがない」の意味がぜんぜん違うということである。何もアンビエント・ミュージックの専門家になりたかったわけでもないので、この点に突っ込んでくる人がいれば、「体系化」について僕の手を離れた議論も可能になっただろうなと思ったりもするものの、結局、そういうことにはならなかった。アニメ文化などでデータ・ベース消費ということが言われて、けっこう日数も経っていたというのに、応用が利かないというのかなんというのか。

 『オブスキュア・サウンド』もアーカイヴ型の発想であり、歴史にはとらわれていない「データ・ベース消費」型のつくりである。これまでジャズに押し込められ、ワールドで一括されてきた音楽を歴史の呪縛から解放し、「スタイル」だけをもって再構成するやり方は『アンビエント・ミュージック』とまったく同じといえる。そして、それはDJカルチャーが「曲」を作家性から切り離し、まったく違う文脈のなかで立ち上がらせていったプロセスの連続が可能にしたものといえ、そのような文化のあり方がもしかすると初めてレコード・カタログになったものだといえる。ハウスやエレクトロの名盤をずらずらと並べた「DJカルチャー」のレコード・カタログではない。「DJカルチャー」というような歴史性からも自由であり、歴史性を共有するつもりがないという意味ではとても退廃的な試みなのである。どちらかを選ばなければならないというものでもない。強いて言えば歴史性にフィードバックがもたらされればもっとも健康的なのかもしれないけれど、先にも書いたように『アンビエント・ミュージック』でも議論は起きないのだから、DJカルチャーとそれ以前の音楽文化にはきっとそういったことは今後も起きないだろう。それ以前に、ここで扱われている音楽があまりにも未知なものが多く、フィードバックのしようがないということもあるだろうけれど......。

ついに先週末発売となった『アンビエント・ディフィニティヴ』には、Chee Shimizu氏も参加! 書店で見かけたら両方チェックしてみよう。カブりそうでカブらないスリリングな関係!!

『AMBIENT definitive 1958-2013
ele-king books新刊、電子書籍機能も付いたアンビエント大カタログ、今週末刊行!
https://www.ele-king.net/news/003218/

Nobuyuki Sakuma (Jesse Ruins / Cold Name) - ele-king

Jesse Ruins
Facebook: https://www.facebook.com/jesseruins
Twitter: https://twitter.com/JesseRuins

最近Nate Youngを聴きながら無理矢理ドストエフスキー読んでます。
Curt CrackrachもLust For Youthもジャケがかっこいいです。German Armyはカセットをこれからコレクトしようかなと。Strarredは音よりもボーカルLiza Thornの存在感でしょうか。
Jesse Ruinsはファーストアルバムが発売中です。Cold Nameは初ライブを8月×日にする予定です。

〈Jesse Ruins〉
Live Schedule
2013/09/21 Rhyming Slang at Ebisu Batica
w/ ミツメ, Elen Never Sleeps

〈Cold Name〉
DJ Schedule
2013/08/01 Dommune
2013/08/02 Co La Japan Tour at Seco Bar

2013/07/最近聴いてるレコード


1
Curt Crackrach - Alice Dee feat. Nikhil Singh & Carmen Incarnadine (Clan Destine Records)
https://www.youtube.com/watch?v=pVz1HSBUU6w

2
Tuff Sherm - Burglar Loops (The Trilogy Tapes)
https://www.youtube.com/watch?v=SarNlHxNi1Q

3
Destruction Unit - Sonic Pearl (Suicide Squeeze Records)
https://www.youtube.com/watch?v=BkbgRkHihvI

4
Lust For Youth - Breaking Silence (Sacred Bones Records)
https://www.youtube.com/watch?v=J5MD-yd0t6A

5
German Army - Folded Skin (Skrot Up)
https://vimeo.com/22063575

6
Young Echo - Voices On The Water (Ramp Recordings)
https://www.youtube.com/watch?v=fAPiosBC5T0

7
Nate Young - When Nothing Works (NNA Tapes)

8
V.A - Dark Acid (Clan Destine Records)
https://www.youtube.com/watch?v=tsKnV8nMmdM

9
Starred - Cemetery (Pendu Sound Recordings)
https://www.youtube.com/watch?v=rq-jsShPDi0

10
Sewn Leather - Φυλλ Σκυλλ(Phase! Records)
https://www.youtube.com/watch?v=8e-hlgxkLcc

interview with Washed Out - ele-king


Washed Out
Paracosm

Sub Pop/よしもとアール・アンド・シー
(8月7日発売予定)

Amazon iTunes

 態度ははっきりしている。音楽にできる最良の行為、それは現実を忘れさせること。アドルノ以来、「醜い現実を酷くないかのように見えなくしてしまうのは実にけしからん」と、延々と批判されてきた大衆音楽の特性をアーネスト・グリーンは肯定する。まやかしであっても夢を選ぶ、そう思いたくなるときもたしかにある。現実が酷ければ酷いときほど、ダンス・カルチャーが燃え上がるように。
 現実直視音楽にも最高につまらないものがあるように、現実逃避音楽は誰にでも作れるわけではない。テクが要るし、スキルも、コンセプトも、時代を見る目も要る。フランク・オーシャンのように、ドリーミーな音楽が現実を軽視した浮ついたものであるとも限らない。時代と向き合うことでしかドリーミーな音楽は威力を発揮しないとも言える。
 夢作りの確信犯、ウォッシュト・アウトの新作『パラコズム』は、あなたを騙すことができるのだろうか。以下の取材から、彼は何を目的に、どんな思いで音楽を作っているのかが伺えるだろう。同時に、彼の音楽的な土台、その方向性もより明確にわかるはずだ。彼が夢見ているのは、ごくごく素朴な夢である。ゆえに彼は広く愛され、同時に非難される。が、しかし、この2年、どれほど彼のフォロワーが出てきたことか......

すごく昼間っぽいサウンドのアルバムを作りたかったんだ。晴れた夏の日に外で聴きたいレコードをね。曲を書いてたのは真冬で、すごく寒くて、でも頭にそんな場面を浮かべて書いてた。だから遅くても8月にはリリースしなきゃって思ったし、そこを目指してたんだよ。

アセンズに引っ越したと聞きましたが、住んでいるのはそこですか?

アーネスト:うん、ジョージア州アセンズ。いまもその家で電話してるんだ。いいところだよ。いまは春の終わりから初夏って感じで、いい季節。

ウィズイン・アンド・ウィズアウト』が2011年の7月ですから、ちょうど2年ぶりの新作となりますね。いまの心境は?

アーネスト:そうだな......最初に頭に浮かぶのはこの2年間のことかな。で、そのほとんどはツアーでライヴをたくさんやってたんだよね。この前のアルバムでは少なくとも1年半、2年近くツアーを続けたから。あいだには短い休みしかなくて、曲を書きだすには次のステップが何かちゃんとわかってなきゃいけないんだけど、いつも移動してライヴをやってるとそれがすごく難しくて。だから去年の8月にツアーが終わると、ほとんどすぐに新しいレコードの曲を書きはじめたんだよ。で、仕上げたのが今年の4月の初め。だから僕はツアーが終わるとほぼすぐに自分のスタジオにこもって、新曲を作ってた。休みなくね。

今回のアルバムのリリースが8月になったということに関しては理由がありますか? 夏に出したかったとか、夏の終わりに出したかったとか?

アーネスト:その通り。一番の理由は、この新しいレコードが......最初、僕はすごく昼間っぽいサウンドのアルバムを作りたかったんだ。晴れた夏の日に外で聴きたいレコードをね。曲を書いてたのは真冬で、すごく寒くて、でも頭にそんな場面を浮かべて書いてた。だから遅くても8月にはリリースしなきゃって思ったし、そこを目指してたんだよ。少なくともここジョージアでは9月、10月に涼しくなって季節が秋に変わりはじめるから、それまでに出せるよう、完成させるのが僕にとっては重要だった。実際、そうやって締切を設定するのがよかったんだよね。とはいえ、もし曲作りに詰まって素材が揃わなかったら、当然リリースは先に延ばしただろうけど、自分としては夏までに出そうと思ってたんだ。

あなたは、チルウェイヴという新しいジャンルの代表格となってしまったことで、賛同者も多い反面、多くの批判にも遭ったと思います。ここ日本でも賛否両論がありましたが、あなたは自分を取り巻いた、そうしたさまざまな言葉は気になりましたか? 傷ついたり、翻弄されたりしませんでしたか? 

アーネスト:変な気がするのは......いま2009年、2010年の頃を振り返ると、僕には音楽業界における経験がまったくなかったし、それ以上に音楽制作やプロダクションにさえ経験がなかったから、ものすごくナイーヴだったんだ。いまあの頃の曲を聴くと、自分ではそのナイーヴさが聞こえてくる。その経験のなさは、いいことでも悪いことでもあったと思う。例えば評価されても批判されても、自分の音楽について書かれること自体初めてだったから、受け入れやすかったっていうのかな。誉められてもリアルに感じられなかったし......うまく説明できないんだけど。変に聞こえるかもしれないけど、あんまり気にならなかったんだよ。
 たぶん、『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』を作ってるときは期待されてるのがわかってたし、その前に出したレコードを気に入ってるファンが大勢いるのがわかってた。たぶんどんなアーティストにとって難しいのは、そういうファンの期待に応えながら、新しいことをやって前に進もうとすることなんだよね。僕自身、同じようなレコードを何枚も作りたくないから。
 で、批判に関していうと......かなり早い段階から、無視するのが一番だってわかったんだよ。レヴューは読まないほうがいい、って。それを早い段階で学んだのが大切だったと思う(笑)。とくにネガティヴなやつは。何の得にもならないし、僕はできるかぎり避けようとしてる。

ベッドルームで作った音楽をブログにあげたらいきなりそれが話題となって、そして、アルバムまで出すことになってしまいました。日本からも、いきなり野外レイヴにライヴで呼ばれたり、2010年から2011年は、いろいろな急展開があったと思います。ベッドルームで楽しみにのために作っていた音楽を、人前でライヴ演奏することは、最初、いろいろな困難があったと思います。いかがだったでしょうか?

アーネスト:そうだね。日本でのライヴに関して言うと、これまで何度かやったんだけど......最初の来日は〈フリークス・フェスティヴァル〉だっけ? あれはほんとにライヴをはじめたばっかりの頃だったんだ。だからまだ試行錯誤してたし、ベスト・パフォーマンスだったとは言えないな(笑)。でもその1年後に〈フジ・ロック〉でまた日本に行って、あれは個人的にあらゆる場所でやってきたたなかでも思い出深いライヴのひとつなんだよ。自分たちでも何歩か前に進んで、どうすればいいパフォーマーになれるか、やりかたがわかりはじめてた。で、いまはそこからまた進んで、より経験を積んで、用意ができてると思う。新作でも重要だったのが、これをライヴで演奏することになる、ライヴが前よりずっとよくなるってことだったんだ。

つまり、たくさんライヴをいろんな場所でやった経験が、音楽そのものやソングライティングにも影響したということ?

アーネスト:その通り。いま思ったんだけど、僕ら、いろんなバンドと一緒にツアーしたんだよね。演奏においてもソングライティングにおいても、よりビッグなバンドのサポートを務めたことがすごくいい経験になったと思う。最後のツアーではザ・シンズのサポートをやったんだ。僕は長年彼らのカジュアルなファンだったんだけど、実際に毎晩彼らのライヴを観て、そのプロフェッショナリズムに触れるのがすごく興味深かった。
 と同時に毎晩彼らの曲を聴いて、ソングライティングでも......聴いてて自分が盗みたいところを頭のなかでメモしてたんだよね(笑)。だからライヴをやればやるほど、どうすればうまくいくかトリックがいろいろわかってきて、それを自分の曲に取り入れたくなった。もしベッドルームでずっと曲を作りつづけてたら、絶対にこんなレコードはできなかっただろうな。ただのベッドルーム・レコードじゃなくて、ライヴの延長っていう部分がすごく大きいんだ。

[[SplitPage]]

僕は、もちろんいまでも新しい音楽はネットで追いかけてるんだけど、ある意味クリエイティヴな距離を置こうともしてるんだ。トレンドってことで言えば、フランク・オーシャンとか、ドリーミーでありながらR&B寄りのサウンドがある。いまは、そのへんのサウンドをやってる面白い人たちが大勢いると思う。


Washed Out
Paracosm

Sub Pop/よしもとアール・アンド・シー
(8月7日発売予定)

Amazon iTunes

ライフ・オブ・レイジャー』のような音楽は、当時のリーマンショックと、直接的ではないにせよ、少なからず何らかの関係があると思いますか?

アーネスト:当然外の世界と関係してた。もちろん、全部僕個人の経験をフィルターにはしてるけど。だって僕はあの当時大学を卒業して、不況で職が見つけられなかったんだよ! 実際、タイトルの『ライフ・オブ・レジャー』もちょっとしたアイロニーのつもりだったんだ。僕は実家に戻って親と住みながら、"ライフ・オブ・レジャー=悠々自適の生活"を過ごしてたんだから。それが5年も続いた。家賃も払わずにすんで、すごく変な感じだったな。大人になったのに、何もやらずに親と同居して、気楽ではあるんだけど、同時に......まともな大人になれてないという後ろめたさもあった。
 罪悪感があったんだよ。あのレコードの歌詞はそれについてだしね。でも音楽的には、僕はずっとああいうフィーリングの曲を作ってきたと思う。そこは僕の直感的なものっていうか、喜びと悲しみの中間、何も起きてないけどオプティミスティックな感覚はある、みたいな――僕がいまあのレコードを聴くと、そういうフィーリングが聞こえるんだよね。

興味深いのは、ちょうど『ライフ・オブ・レイジャー』の頃から、ドリーミーで、逃避的な音がいろんなところから聴こえるようになったことです。これを時代の隠された声として捉えることはできると思いますか?

アーネスト:うん、できると思う。僕がやっていたことと似ていることをやってたバンドがいくつかいて......コンセプト的に同じようなものがあって、それを音楽にしていた。ちゃんとした理由は答えられないんだけどね。いくつか思い浮かぶのは......ひとつは当時テクノロジーにおいて、レコーディングができるセッティングが手に届くようになったこと。しかもそのレコーディングの方法が以前とは違ってた。テープや高価なスタジオを使わない、コンピュータでのレコーディングだね。そのことが曲作りにも影響を及ぼしてたんだ。そこは大きかったと思う。ネオン・インディアンやトロ・イ・モアみたいな人たちを考えると、僕らはみんな同じツールを使ってたし、みんな同世代で、たぶん似た音楽を聴いて育ってきてて。そこが一番大きいんじゃないかな。コンピュータ・テクノロジーの側面が。他の人たちにもその質問訊いてみたら面白いだろうけど。

とくにアメリカでは、こういうドリーミーな音は、ウォッシュト・アウトが出てくるまで、あまりになかったと思います。しかし、この2年、欧州のインディ・シーンでもドリーミーな音が目立っています。あなたに近いテイストをもった音楽で、共感できるアーティストはいますか?

アーネスト:それはいま挙げたような人たちだよね。新しいバンドで言うと......難しいな。僕は、もちろんいまでも新しい音楽はネットで追いかけてるんだけど、ある意味クリエイティヴな距離を置こうともしてるんだ。トレンドってことで言えば、フランク・オーシャンとか、ドリーミーでありながらR&B寄りのサウンドがある。ああいうのが去年すごく人気になったよね。うん、フランク・オーシャンをはじめとして、そのへんのサウンドをやってる面白い人たちが大勢いると思う。
 ただ個人的にはもうちょっと古いレコードを聴いてるんだ。とくにこの新作はいま出てきてる新しいアーティストより、古いレコードのほうに影響を受けてる。新しい音楽に関しては、僕はDJをよくやるんだけど、そのときはもっとダンス・ワールドにプラグインしてるんだ。プールサイドっていうバンドはすごくいいと思う。面白いサウンドを持ってて、よくあるクラブっぽいサウンドのダンス・ミュージックじゃない。もっとスロウで......この前のレコードはすごく好きだったんだ。ただ、このレコードの大きな影響のひとつにヴァン・モリソンの『アストラル・ウィークス』があって。それってダンス・レコードからものすごく飛躍してるんだけど(笑)。だから自分としては今回、純粋なエレクトロニック・ミュージックとは違うサウンドの音楽に興味を持ってたんだよね。

あなたの音楽は初期の頃から、「戦わずに逃げよ」と言っていますよね? なぜそのような思いにいたったのでしょうか? とても興味深い反応だと思います。

アーネスト:その通りって気がするな。理由はわからないけど。僕は根っからのデイドリーマー、夢想家なんじゃないかな。生まれてからずっとそうだったし......いや、僕は大好きなことをやってるし、別に自分のミジメな存在から逃げだしたいってわけじゃない。それでも、本能的にそういうところがあるんだと思う。僕はきっと理想主義者で、ロマンティックで......僕の音楽から"エスケーピズム=逃避主義"っていう言葉を受け取って、それをネガティヴに考える人が多いんだけど、僕からするとアート自体がユートピア的なものなんだよね。日常の生活、いまここにおいてはすべてがパーフェクトってわけにはいかないかもしれないけど、なんであれ白昼夢として夢想することはできる。とくにこのレコードは全部それについてなんだ。頭のなかのもうひとつの世界、白昼夢、オルタナティヴな現実――なんて呼んでもいいけど。

トールキンやルイスの『ナルニア物語』のようなファンタジー小説をあなたが好む理由は何でしょう?

アーネスト:えーと、実際そういう本は読んでるし、ファンと言ってもいいけど、そういう物語が大好きだとは言えないな。でもファンタジーっていう言葉を聞くと、そういうものがまっさきに思い浮かぶ。一番先に思い浮かぶ世界がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だったり、トールキンの中つ国だったり。ただ、必ずしもこのレコードの制作時にそういうものを考えてたわけじゃなくて。むしろ、もっと現実的な世界をユートピア的視点から見てるっていうのかな? 別に動物がふわふわ浮かんでるとか、そういうんじゃないんだ(笑)。いま起きてることのもう少し良いヴァージョンなんだよね。
 僕、これが最初のインタビューだから、あと何度かやればもうちょっとうまく説明できるんだろうけど......。とにかく僕は毎日作業を続けてたんだけど、どんなアーティストでも作家でも、長い間ひとつの創造的空間を生み出そうとしてると......あるポイントにくると、もう問題は「ウォッシュト・アウトにとって意味が通じるか?」ってことじゃなくて、「自分が作りだしているその空間にとって意味が通じてるか?」ってことになるんだ。うまく言えないんだけど、僕にとってはその思考が興味深かった。その結果、2年前なら使わなかったような音楽的アイデアをたくさん使うことになったしね。頭のなかの空間で生きてるような感覚、創造的世界が存在してて、『どうすればこれを描きだせるだろう?』って感じだった。僕にとってこのレコードのサウンドは全部それなんだよ。とても温かくて、視覚的なサウンドで......ハープを多用してるよね? あのクラシックなハープ、グリッサンドっていうんだけど、あれは僕にとって夢の状態をリプリゼントするサウンドなんだ。初期のディズニー映画なんかでよく使われてる音なんだけど。とにかくそういうテキスチャーが、僕なりに自分が作りだそうとしていた世界を描きだしてるんだよ。

[[SplitPage]]

僕の音楽から"エスケーピズム=逃避主義"っていう言葉を受け取って、それをネガティヴに考える人が多いんだけど、僕からするとアート自体がユートピア的なものなんだよね。日常の生活、いまここにおいてはすべてがパーフェクトってわけにはいかないかもしれないけど、なんであれ白昼夢として夢想することはできる。


Washed Out
Paracosm

Sub Pop/よしもとアール・アンド・シー
(8月7日発売予定)

Amazon iTunes

『ライフ・オブ・レイジャー』に収録された楽曲は、サンプリング・ベースの作りをしていました。そこから脱却するのに、あなたは自分の作曲法をどのように変えていきましたか?

アーネスト:サンプリングが素晴らしいのは、サウンドのテキスチャーが豊かなんだよね。何かしら処理が施されてるから、アコースティック・ピアノの純粋な音なんかとは感触が違う。僕はサンプリングのそういうところがすごく好きなんだけど、欠点としては曲を書くときにフレキシビリティがないんだ。あるループが曲の一部にはハマっても、曲を広げていこうとすると仕えなくなったり。反復的にしか使えないんだ。ダンス・ミュージックやヒップホップが反復的なのは、だからなんだよね。僕は新作ではそこから離れて、もうちょっと違うソングライティングのアイデアを試したかった。もう少し複雑なアイデアをやりたくて、そのためには普通のインストゥルメンテーションを使うほうが理に適ってたんだ。
 でも普通のインストゥルメンテーションをウォッシュト・アウト的にするには、さっき言ってたようなテキスチャーのある楽器を見つけなきゃいけなくて。で、いくつかのキーボードがこのアルバムのサウンドの核になったんだよ。一番有名なのがメロトロン、60年代初期に作られたキーボードで。オーケストラルな楽器、フルートやホーン、ハープ、そういう音があらかじめ録音されてて、ほとんどサンプラーみたいなキーボードなんだよね。元々の楽器、フルートなんかから録音された音がそれぞれの鍵盤に割り当てられてて、弾けるようになってる。しかも時代遅れのテクノロジーを通じて、面白いテキスチャーが生まれてるんだ。僕にとってはそれが両方の世界の一番いいとこどりだった。サンプリング的なテキスチャーがあるのに、ピアノを弾くように自由に弾けるんだ! 僕はそれでコードを弾いて、ハーモニーを作っていった。すごく楽しかったな。

今回は機材の面で、どのような変化がありましたか? セッティング自体も変わった?

アーネスト:機材もセッティングも変わったね。僕はジョージア州アトランタからアセンズへ引っ越したんだけど、そんなに遠いわけじゃなくて、車で1時間くらいかな? ただ田舎に移ったことがこのアルバムにとっては大きかった。僕にとっては初めてちゃんとしたスタジオを家に設置したことも重要だったと思う。
 うん、実際このレコードには、ウォッシュト・アウトの他のレコードで使われた音がひとつとしてないんだ。全部一から作っていったから。『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』はかなりシンセサイザーを多用したレコードで、シンセサイザーの長所はほぼどんなサウンドでも作れるところだよね。ベースでもドラムでも、どんな楽器のどんな音でも大抵複製できる。だから『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』は一握りのシンセサイザーで作ったレコードだったんだけど、新作ではそこをもっと広げたかった。全部にシンセサイザーを使うんじゃなくて、サウンドごとに合った楽器を使うっていうのかな? 例えばチェレスタっていう鍵盤楽器はベルみたいな音、高音域のキラキラした音が出るから、とくにそういうテキスチャーが欲しいときに使ってみたり。とにかくシンセサイザー一辺倒じゃなくて、もっと音のパレットを広げたかったんだ。できるだけ新しいサウンドを導入したかったんだよね。

(※この続きは紙『ele-king vol.10』に掲載。興味深いことに彼は、本作のインスピレーションとして、ヴァン・モリソンの傑作『アストラル・ウィークス』の他に、フォークトロニカ時代のフォー・テットを挙げている。初期のフォー・テット......というのは最近再発されているけれど、ウォッシュト・アウトとの親和性で言えば、実に辻褄が合う話だ。そうなるとやはり、少々強引な言い方だが、サマー・オブ・ラヴの種子は気がついたらアメリカに戻っていた、ということなのだろうか......。もしそうだとしたら、『コスモグランマ』もエメラルズもサン・アローも、そしてトロ・イ・モアやウォッシュト・アウトも......)



  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159