Home > Reviews > Book Reviews > Chee Shimizu(著)- Obscure Sound 桃源郷的音盤640選
「ジャケ買いして失敗した」という人は根本的に間違ってないだろうか。「ジャケ買い」というのはジャケットを買うことなので、たとえ中身を聴かなくても、ジャケットを買った時点で成功じゃないですか(成功とは言わないか)。さらに、それで音楽の方もよかったら、プラスαの意味があったと思うべきじゃないかなー。ザ・KLF『チル・アウト』も「ファイル・アンダー・アンビエント」と書かれたシールを見て、一回はエサ箱に戻してしまったものの、やはり思い直して「ジャケ買い」したものだったし、ワルター・マルケッティなどはどこの誰だかも知らなかったのに、あまりにキレいな緑色に惹かれて、それだけで高い中古盤に手が出てしまったし(ネットではこの色はわからないけれど→)。
ディスコセッションのチー・シミズといえば、70~80年代のシンセサイザー・ミュージックでは誰も適わないほどの知識を持っている(......ので、『裏アンビエント・ミュージック』に引き続き、『アンビエント・ディフィニティヴ』でも新たに原稿をお願いしています)。その彼が、なんだ、コレは......というレコード・カタログを書き下ろした。題して『オブスキュア・サウンド』。定義はよくわからない。「曖昧模糊とした存在の音楽」、あるいは「世に知られていない」という意味で使っているとまえがきには書いてある。そして、それこそ見たこともない魅惑の「ジャケ」がこれでもかと並んでいる。いちおう、章立ては施してあって「オーガニック」「エスニック」「サイケデリック」「スピリチュアル」など12のスタイルに分けられてはいる。しかし、ここまで訳がわからないものが並んでいると、そういうことはどうでもいいというか、どのページを見ても気になるジャケット・デザインに目が留まってしまうだけである。うむむ。
4年前に『アンビエント・ミュージック』を編集した際、あれがないこれは違うといった瑣末な物言いに混ざって、たったひと言だけ批評的な言葉を頂戴した記憶がある。それは「アーカイヴ型の発想でつくられている」というものだった。これには自覚があった。ロックやジャズのように歴史を前提としたカタログ本ではなく、いわば、歴史を捏造しているという自覚である。つまり、「あれがない」の意味がぜんぜん違うということである。何もアンビエント・ミュージックの専門家になりたかったわけでもないので、この点に突っ込んでくる人がいれば、「体系化」について僕の手を離れた議論も可能になっただろうなと思ったりもするものの、結局、そういうことにはならなかった。アニメ文化などでデータ・ベース消費ということが言われて、けっこう日数も経っていたというのに、応用が利かないというのかなんというのか。
『オブスキュア・サウンド』もアーカイヴ型の発想であり、歴史にはとらわれていない「データ・ベース消費」型のつくりである。これまでジャズに押し込められ、ワールドで一括されてきた音楽を歴史の呪縛から解放し、「スタイル」だけをもって再構成するやり方は『アンビエント・ミュージック』とまったく同じといえる。そして、それはDJカルチャーが「曲」を作家性から切り離し、まったく違う文脈のなかで立ち上がらせていったプロセスの連続が可能にしたものといえ、そのような文化のあり方がもしかすると初めてレコード・カタログになったものだといえる。ハウスやエレクトロの名盤をずらずらと並べた「DJカルチャー」のレコード・カタログではない。「DJカルチャー」というような歴史性からも自由であり、歴史性を共有するつもりがないという意味ではとても退廃的な試みなのである。どちらかを選ばなければならないというものでもない。強いて言えば歴史性にフィードバックがもたらされればもっとも健康的なのかもしれないけれど、先にも書いたように『アンビエント・ミュージック』でも議論は起きないのだから、DJカルチャーとそれ以前の音楽文化にはきっとそういったことは今後も起きないだろう。それ以前に、ここで扱われている音楽があまりにも未知なものが多く、フィードバックのしようがないということもあるだろうけれど......。
ついに先週末発売となった『アンビエント・ディフィニティヴ』には、Chee Shimizu氏も参加! 書店で見かけたら両方チェックしてみよう。カブりそうでカブらないスリリングな関係!!
■『AMBIENT definitive 1958-2013』
ele-king books新刊、電子書籍機能も付いたアンビエント大カタログ、今週末刊行!
(http://www.ele-king.net/news/003218/)
三田 格