「S」と一致するもの

ele-king vol.18 - ele-king

 昔からよく言われることだが、Jポップからは背景が見えない。見えないのが日本の風景だと言われてしまえばそれまでだが、風景らしい風景がないかわりに内面ばかりが語られる音楽を聴き続けるというのは、どこか息苦しい。セックス・ピストルズにはロンドンの下町の匂いがあったし、ザ・スミスからはマンチェスター郊外の街並みが幻視できた。レゲエからはキングストンの熱気が伝播し、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノは街の知られる1面をレポートした。ブリアルのダブステップからもブレア以降の寂しい郊外が一緒に聴こえた。ヒップホップやグライムにいたっては、それが見えない作品を探す方が困難だろう。(ここで言う背景/背後とは、東京や湘南や札幌など、ただ地名を言うことではない。社会や歴史的背後という言葉に置換しうるものの意味で使っている)
 今日の日本の新しいヒップホップ、KOHHやBAD HOPからは背景も一緒に聴こえる。KOHHは内面的でもあるが、同時に彼が生まれ育ったところ、その背後も見えてくる(見えた気になる)のだ。KANDYTOWNのような、必ずしも経済的に厳しい出自ではない人たちも、その背後を隠さない。自分がどこからやって来たのかということに自覚的だ。要するに、本当の意味でのストリート感覚を内包した音楽ジャンルである。(しかも、言いたいことを言いたい言葉で言えるジャンルだし、そのほとんどがインディペンデントだ)
 ヒップホップは10年以上前から日本の地方都市にも根付いているので、ここで紹介するのはほんのその一場面に過ぎない。しかし、注目して欲しい、たとえば表紙に写っている(キャップを被ってもいなければスポーツシューズを履いているわけでもない)青年が、いまもっとも脚光を浴びているラッパーなのだ。紙エレキングの最新号──いまヒップホップに何が起きているのか?

■vol.18 contents

特集:いまヒップホップに何が起きているのか?

010 interview KOHH、ロング・インタヴュー 取材:山田文大
028 「いまヒップホップに何が起きているのか?」文:磯部涼
032 talking PUNPEE×NORIKIYO+ふたりが選ぶ日本語RAP名盤
043 columns RHYMESTERについて今一度考えてもらいたい 文:宮崎敬太
044 story 日本にラップは根付いたのか?――川崎・BAD HOPに始まる 文:磯部涼
048 interview MONJU(仙人掌、ISSUGI、Mrパグ)、ロング・インタヴュー 取材・文:二木信
062 columns いまなぜTwiGyなのか──『十六小節』刊行について 文:山田文大
064 interview WD sounds(澤田政嗣 a.k.a Lil MERCY)──ハードコア×ヒップホップ
067 interview Fumitake Tamura (Bun)──研磨されるビート/拓かれる聴覚
070 interview 荒井優作──トラップから路上の弾き語りまで
072 interview YungGucchiMane──未来の大器 取材:山田文大
074 interview Olive Oil──南の楽園設計を夢見つづける
078 story 酩酊は国境をも溶かす──「It G Ma」から見る日韓ラップ・シーン 文:磯部涼
080 columns トラップとはなにか? 文:泉智
081 talking オカモトレイジ×泉智「KANDYTWONを語る」
090 interview Moe and ghosts──新「ラップ現象」 取材:デンシノオト
097 talking 二木信×UCD「肯定する力とゆるさ──オレらが好きな日本語ラップ」
106 interview tofubeats──フロウとサウンド重視、発明がなければ面白くない
112 interview MARIA──KOHH、BAD HOPから高校生ラップまで語る
116 talking ECD×水越真紀 つまり「生きてるぜ」ってこと──ECDと考える貧困問題
126 3・11以降の日本語RAP 30枚 二木信+宮崎敬太+泉智
128 columns Beat goes on&on──あれから30年 文:高木完
129 いまUSヒップホップに何が起きているのか? 文:三田格
138 USヒップホップを知るための30枚 選・文:三田格

■連載
146 アナキズム・イン・ザ・UK外伝 第9回 わたしたちはもっと遡ったほうがいい ブレイディみかこ
148 乱暴日記 第三回 KOHHとボリス・ヴィアン ~あれもありこれもあり、あれがあるからこれがある~ 水越真紀
150 音楽と政治 第8回 磯部涼
152 ハテナ・フランセ 第5回 配達人に乾杯! 山田容子
154 初音ミクの現在・過去・未来(後編) 佐々木渉
156 ピーポー&メー 第9回 故ロリータ順子(後編) 戸川純

表紙写真:菊池良助

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LSDXOXO - ele-king

 初めてシカゴのハウス・ミュージックを聴いたときに誰もが感じたのは、そのいかがわしい光沢である。ときに露骨なまでの性欲、避けがたい淫靡さを前にするとドナ・サマーでさえも清純に思えたものだった。スエーニョ・ラティーノにいたっては貴婦人だ。
 ところが、こうしたセックス文化に関しては、日本のほうが寛大だという意見を外国の方から言われたことがある人も少なくないだろう。いくら浄化されたといっても歌舞伎町は歌舞伎町だ。コンビニでエロ本は堂々と売られているし、アイドルが幼児ポルノに見えてしまう外国の方も当たり前のようにいる。ドラッグには厳しく、セックスにはゆるい。だからなのか、リアーナ良いよね、と軽く言える。この調子で、ぼくは数年前にリアーナって良いよねと、あるアメリカ人に言ったら、口を聞いてもらえないほど軽蔑されたという経験がある。広いアメリカのいち部の人たちにとって、彼女はビッチのなかのビッチなのだ。大人の男を怒らせるのに充分なほどの。
 ゲットー・ハウス/ゲットー・エレクトロ、ゲットー・ダンス・ミュージックにも、大人の男を怒らせるほどの猥褻なものがある。本作は、ブルックリンのDJ、LSDの2014年のアルバム『w h o r e c o r e』に続く、セカンド・フル・レングスのミックステープ。基本はもちろんサンプリングで(ゲットーが生演奏であるはずがない!)、カニエ・ウェストの曲も餌食にされている。
 この音楽は、まあLSDという名前からもわかると思うが、まずはどれほどアホをやってられるかという、ゲットー・ハウス(ヒップ・ハウスの極端な展開)や、かつてディプロが引用して世界中にばらまいたボルチモア・ブレイクという淫らなダンスのスタイルの延長線上にあり、近年話題のジャージー・クラブやボールルームの系譜にある。ゲットーであり、ゲイ・カルチャーであり、手法はヒップホップであり、BPMはハウスである。
 〈Fade To Mind〉が昨年出した MikeQ & DJ Sliinkの「Mind To Mind」もニュージャージー発のそのトレンドをキャッチしたもので、聴けばわかるが、細かく、ときに不規則な現代的チョップによるゲットー・ハウス/エレクトロだと説明できる。ダーティーな言葉が飛び交うものの、なんともクリエイティヴで、間違いなくパワフルで、しかもファッショナブルな〈Fade To Mind〉からリリースされたことからも察することができるように、いまはこれがクールなスタイルであり(かつてモ・ワックスがDJアサルトを出したようなもの)、同時にこのスタイルが音楽的にさらに面白くなる可能性も感じないわけにはいかない。
 だが、高尚なゲットー・ミュージックなどはそもそもゲットー・ミュージックではないという矛盾があるように、むしろ生々しいから魅力があると言える。本作『Fuck Marry Kill』はただ淫らなだけではない。微妙な緊張感がある。それはきっとストリートの緊張感なのだ。(この原稿は先週書いたものだが、その数日後、ダラスでの銃撃事件が起きた。大統領選前のアメリカのなんたる殺気。こうした黒人vs警察の模様については、次号の紙ele-king vol.18で三田格が書いている)

 本作と違って、ほとんど年齢的な理由から、実生活のぼくはストイックである。このレヴューは現代のトレンドを紹介してるだけであって、決してぼくが好きな音楽ではない。しかし、オバマ大統領の最大の功績と言われるLGBTへの取り組み(アメリカというマッチョな国の、しかも経済危機のなかで、ゲイの結婚を認めさせることがどれほどのことか……)がアンダーグラウンドの祝祭ムードを盛り上げたことは間違いないだろう。ストーンウォールは観光名所になり、ヴォーグは流行、ボールルームは栄える。そして音楽も熱気を帯びる。これがいまクールなんだよ。

Gold Panda - ele-king

 これからますます、自分がどこに属する人間なのかを精査され枠に押し込められる時代がやってくるのだろうか。地理的に、信条的に、経済的に、政治的に……いま世界中で起こっていることを見ていると、そんな漠とした不安を覚えずにはいられない。これだけ荒れた状況だとそうした帰属意識が戦略的に必要な局面ももちろんあるだろうが、その交通が途絶えていくのは窮屈だし、息苦しくあるのもたしかだ。何者でもない瞬間が許されることも願ってしまう。

 ゴールド・パンダが特定のジャンルのリスナーをまたいで愛でられたのは、あらゆる枠組みからごく自然に解放されていた、音そのものの旅人めいた佇まいゆえだろう。ポスト・ダブステップともLAビートとも、もちろんエレクトロニカとも言われたが、結局そのどれでも説明できなかった彼の音楽は、だから、クラブでもベッドルームでもなく、ある特定の国でも地域でもない、ただ「あなた」がいる場所の生活と風景を切り抜いて感情の色をつけていく。それこそが“ユー”における目の前のひとへの眼差しだったし、“アイム・ウィズ・ユー・バット・アイム・ロンリー”における内省的な個人だったし、あるいは世界中を巡る異邦人としての『ハーフ・オブ・ホェア・ユー・リヴ』における半分はどこにも帰属していないという感覚だった。海外の音楽を聴く日本のリスナーに受けたのもよくわかる。この国にいながら、半分はこの国に必ずしも属していない(属することのできない)ような人間の気持ちを軽くするような想像力、風通しのよさがゴールド・パンダの音にはある。

 たとえば“千葉の夜”と題されたハウシーなトラックがそれでもクラブ・ミュージックだと断定しきれないように、『グッド・ラック・アンド・ドゥ・ユア・ベスト』もまた、ある特定の場所ではなくて、「あなた」がいるそこで鳴っている音楽だ。踊れるが、踊らなくてもいい。それは小さなクラブのDIYのパーティかもしれない。ひとりで過ごす夏の夜かもしれない。車の窓から眺める千葉の街並みなのかもしれない……。とてもメロディアスで、とても柔らかなエモーションが奏でられている彼の音楽からは、そのアコースティックな響きや丁寧に手をかけられたことが分かる編集も相まって、ゴールド・パンダそのひとの内側から来たものだということがよく伝わってくる。弾かれる弦の震えが見えるようなアコースティックの小品が“アイ・アム・リアル・パンク”と名づけられた理由を彼はインタヴューで語っていたけれども、そこにあるのは「パンクとは何か」という定義づけではなくて、友人とのごくパーソナルなエピソードであったことがパンダらしいな、と思う。あなたやわたしが何者か、ではなく、あなたとわたしの間でいま起こっていること、それを大切に扱えるひとの音楽だと感じる。

 使用される楽器も増え音色はさらに多彩になっているし、ブレイクビーツ、ドラムンベース、ハウスなどなどが控えめに断片的に聞こえてくるように、リズムもビートも見事にバラバラだ。エイフェックス・ツインのような無邪気さやフォー・テットのような叙情性も相変わらず覗かせつつ、だからと言って直系のフォロワーという感じもなく、本人の気の向くままに形にした結果がこれだった、というように気負いがない。“メタル・バード”がタイトルとは裏腹に金属的な響きを持たないように、ちょっとした反語的なモチーフをいくつか使いながら、あくまでも穏やかに聴き手の目の前にある風景に染みこんでくるようなまろやかさに覆われている。そして、“ソング・フォー・ア・デッド・フレンド”とのタイトルに対して思わず言葉を失っても、そのメロウともジェントルとも言い難い不思議なドラムンベースあるいはエレクトロニカあるいはシンセ・ポップを聴けば、これがやり場を失った、いまも行き場所探している感情のための音楽だとわかる。

 アルバムのタイトルにははじめ少し笑ったけれど、「あなたの」ベストを尽くしてというのはとても真摯なメッセージだと聴き終えたあとに思う。それはいつだってわたし自身のものだし、誰かから押しつけられるものではない。だからゴールド・パンダの音楽には大それた理想やスローガンではなくて、個人の日常生活の風景やちょっとした感情が響き合っているのだろう。ジャジーなクロージング“ユア・グッド・タイムス・アー・ジャスト・ビギニング”を聴くとずいぶん洗練された味わいになったなと思うけれども、彼にとってはタイトルにあるようにほんの始まりにすぎないし、きっと先のことはつねに未決定にしておきたいのだ。「あなた」のよき時間の。

追記:そして、本稿を書いている途中にブレクジットにインスパイアされたEPをリリースするとのニュースが入ってきた。世界のあちこちを自在に行き来する、いや、音そのものに軽やかな無国籍性を滲ませるゴールド・パンダにとって、非常にシリアスな問題だということがよくわかる。

ele-king PRESENTS - ele-king

 この世界にエレクトロニック・ミュージックが存在し、展開される限り、〈WARP〉はかならず振り返られるレーベルである。それがまず明白な事実として挙げられる。
 信じられない話だが、1970年代においてエレクトロニック・ミュージックは血の通っていない音楽とされ、さらにまたシンセサイザーは普通の人には手の届かない高価なものだった。しかし現代では、エレクトロニック・ミュージックはダンスに欠かせないヒューマンな音楽であり、自宅で作れるもっとも身近なジャンルだ。〈WARP〉は、まさに身近なものとしてある、現代的なエレクトロニック・ミュージックの第二段階におけるもっとも大きなレーベルなのだ。ちなみに、第一段階は70年代末から80年代初頭のポストパンク、第二段階は80年代末から90年代初頭のハウス/テクノのこと。このふたつの時代に共通するのは、因習打破の精神である。
 もちろんいまでは〈WARP〉をテクノ専門のレーベルだと思っている人はいないだろう。ただ、〈WARP〉から出すものは、基本、因習打破の精神を秘め、メッセージよりも斬新なテクスチャーが要求される。エイフェックス・ツインやオウテカ、フライング・ロータスやバトルズにまで通底するのは、テクスチャーに対する拘りである。つまり、聴いたときにフレッシュであること。新しいこと。新しさを感じさせること。
 音楽の世界が懐古趣味に走って久しいが、それはもう世界が前に進まなくてもいいと諦めてしまっているかのようだ。しかし〈WARP〉がリンクしているシーンは、懐古とは対極にある。アクチュアルで、ケオティックで、それは時代のなかで更新される音楽環境において、若い世代には新しい享受の仕方があり、それは現状を好転させようとする、前向きな可能性を秘めていると信じているかのようだ。昔は良かったとノスタルジーに浸るよりもいまの世界を変えたいのだろう。
 〈WARP〉はインディペンデント・レーベルである。試行錯誤しながらも、シーンとの接点を持ち続け、25年ものあいだインパクトのある作品を出し続け、なおもシーンを更新しようと試みていることは異例であり、脅威だと言えよう。たしかにレーベルにはすでに古典と括られる作品がたくさんあり、それらはなかばノスタルジックに消費されていることも事実である。しかし、25年前から未来に開かれていた〈WARP〉の作品にはいまだに多くのヒントがあり、また現在リリースされている作品でも挑むことを止めていない。メッセージではなくテクスチャーである。サウンドの冒険である。
野田努(ele-king編集長)

以下、ele-kingの執筆陣からのレビューと作品に寄せられたコメントを掲載しよう



APHEX TWIN 『Cheetah EP』
BEAT RECORDS

Cheetah MS800という恐ろしくマニアックかつ操作困難な初期デジタルシンセを全面に押し出したEP。APHEX TWIN作品の中でも、絶妙にダーティな音像と、ウネウネ/ブチブチと蠢くシンセテクスチャーによって、脳が「ぐにゃーっ」 とトリップさせられる怪作です。
佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア)

Aphex Twin(コラム)


APHEX TWIN
『Syro』
BEAT RECORDS

CDの寿命が20年とか聞くと、人類が蓄積しているデータは、その破片すら次の文明に引き継がれないことを思い知らされる。データは消えても、音楽は振動として永遠に残って行く。この音楽が僕らの時代の振動として、次の文明に引き継がれて行くことを、同時代に生きた人類として嬉しく思う。

東の医から観た彼の現在は、澱みのない色の舌と、適度に満たされた脈を打っている。今も昔も、いやむしろ今の方が、純粋に健康に音楽を楽しんでいる。稀な振れ幅の陰と陽の調和。憧れた人が、今も心地良い音楽を鳴らしていることは、どれだけ多くの人の気を増幅させたのだろうか。
伊達伯欣/Tomoyoshi Date

2014年最大の衝撃であったエイフェックス・ツインの復帰作。エイフェックス的なエレクトロニック・ミュージックの魅力が横溢し、何度聴いても飽きない。同時に徹底的に作りこまれたトラックメイクによって、「作曲家リチャード・D・ジェイムス」の側面が改めて浮かび上がってくる。まるで子供の魔法のようなテクノ。まさに傑作である。
(デンシノオト)

Syro(レビュー)


APHEX TWIN
『Computer Contorled Accoustic Instruments Pt.2』
BEAT RECORDS

プリペアド・ピアノというアイデアを発明したヘンリー・カウエルに始まり、ケージ、ナンカロウへと連なるメタ・ピアノの系譜から、ここでのリチャードは豊かな遺産を受け継ぎ、独自に発展させている。
これはすこぶるリチャード・D・ジェイムス=エイフェックス・ツインらしい、なんともチャーミングで畸形的な小品集だということである。
佐々木敦(HEADZ)

『Syro』から僅か4ヶ月でリリースされた、『Syro』とは全く方向性の異なる小品集。アコースティックなドラムとピアノのおもちゃ箱。機械的でありながらも感情豊かなドラムに、『Drukqs』を思わせるはかなげなピアノが絡んでいく様は、ピアノが打楽器でもあることを思い出させてくれる。二つの楽器が交差する際の残響音にも技巧が凝らされている。(小林拓音)

CCAI pt.2(レビュー)


APHEX TWIN
『Orphaned DJ Selek 2006-2008』
BEAT RECORDS

エイフェックス・ツインあるあるを言います。
「AFX名義だと顔出ししない」「AFX名義だと時代感を超越」「AFX名義だと選曲について悩まない」「AFX名義だと輪をかけてタイトルに意味無し」「AFX名義聴くと不思議に疲れない」「結果AFX名義が一番心地よくヘビロテ」つまり最もお薦めできるAFX名義の最新作がこれです。
西島大介/DJまほうつかい

リチャード・D・ジェイムスのアシッドハウスな側面が全開になったAFX名義、10年ぶりの2015年新作。脳髄を揺さぶる電子音シーケンスと、かつてのドリルンベース的なビートには強烈な中毒性がある。『Syro』では封印気味だった無邪気で攻撃的なRDJがここにある。90年代マナーなアートワークはデザイナーズ・リパブリックによるもの。(デンシノオト)

ORPHANED DEEJAY SELEK
2006-2008(コラム)


BIBIO
『A Mineral Love』
BEAT RECORDS

急な風で電線が揺れたり、低い雲が夕日で真っ赤に染まったり、何十回も繰り返してきた同じ種類の悲しみだったり、急に不安なる夜だったり、そうやって僕らの前に時折現れる景色や感情の起伏を、Bibioはいつもそれとなく音楽で代弁してくれるから、僕は好きだ。
山口一郎(サカナクション)

ヒップホップとエレクトロニカとフォークの愛らしい出会いを丹念に編んできたビビオが、ここではソウルとジャズとファンクの色を優しく混ぜていく。音の隙間が心地いいグル―ヴと、とろけるようなシンセ・サウンド、そしてビビオ自身のスウィートな歌が詰まっている。それは、子どもの頃の記憶をくすぐるような優しい歌だ。(木津毅)

Bibio (インタビュー)


BRIAN ENO
『The Ship』
BEAT RECORDS

EnoのI'm set freeのcoverイイ。あとEno本名クソ長い。
石野卓球(電気グルーヴ)*2016年4月27日のTwitterより引用

2ndアルバムの録音以来、Eno先生にハマってます。レコーディング中もよく聴いた。これは新譜だけど。
後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) *2016年5月7日のTwitterより引用

イーノが辿りついた音楽/音響の天国的な境地がここに。彼が長年追求してきたアンビエント・ミュージックとポップ・ミュージックが見事に融合しており、全編に横溢する中世音楽のようなシルキーな響きが美しい。イーノのボーカルによるヴェルベット・アンダーグラウンドのカバー「I’m Set Free」は未来へのレクイエムのように聴こえる。(デンシノオト)

Brian Eno (レビュー)


MARK PRITCHARD
『UnderThe Sun』
BEAT RECORDS

森の中のアシッドフォークから、深遠なシンセアンビエントまで、まるで断片的な夢のかけらのように、
立ち表れては消えて行く、音の桃源郷のようなアルバム。
柔らかなシンセの波に揉まれながら、夏の匂いを感じたくなるような気持ちにさせられる。
Chihei Hatakeyama

リロードやグローバル・コミュニケーションとして知られるテクノのヴェテランによる、本人名義としては初のアルバム。近年はベース・ミュージックに傾倒していた彼だが、本作では一転してベッドルーム志向のテクノ/アンビエントが鳴らされている。全体的にフォーキーなムードで、トム・ヨークやレーベルメイトのビビオ、ビーンズらが参加。(小林拓音)

Mark Pritchard (インタビュー)


ONEOHTRIX POINT NEVER
『Garden Of Delete』
BEAT RECORDS

人工知能にロック(というかメタル)に関するあらゆる情報を食わせて電子音楽として吐き出させたらこんなことになる。SFとしてのメタル。スペキュラティヴアートとしてのエレクトロニカ。エイリアンの知性、すなわちAIが見た、ヒトとロックをめぐる欲望と情動の見取り図。
若林恵(wired編集長)

アンビエントから遠ざかり始めた通算7作目。NINから影響を受け、大胆にメタルを採り入れたかつてない動的な野心作。そのあまりに過剰な音の堆積はポップ・ミュージックのグロテスクな側面を暴くためのものだが、けばけばしさの中に紛れ込む叙情性はOPNならでは。音声合成ソフトのチップスピーチの採用はボカロ文化にも一石を投じている。(小林拓音)

OPN (インタビュー)


PLAID
『The Digging Remedy』
BEAT RECORDS

I’ll say it right off: I love Plaid! But, to be honest, their newest work really surprised me. “The Digging Remedy,” rather than moving further in the direction Plaid established with “Reachy Prints” and “Scintilli,” seems to be yet another distinct stage in the evolution of this eccentric duo. What a beguiling mixture of bittersweet melodies, syncopated rhythms, and wonderfully retro Vini Reilly-style guitars…
- Michael Arias film director (Tekkonkinkreet, Heaven’s Door)
単刀直入に言うと アイ ラブ プラッド♥ ただ正直言って、彼らの最新作には驚かされた。「Reachy Prints」や「Scintilli」でプラッドが確立した方向性を更に進んだのではなく、「The Digging Remedy」はこのエキセントリックなデュオの進化の過程の中で、はっきりと今までと違う別の段階に達した様だ。ほろ苦いメロディー、シンコペーションのリズム、そして素晴らしくレトロでヴィニライリー風のギターの、何と魅惑的な混ざり合い、、、。
マイケル・アリアス 映画(「鉄コン筋クリート」、「ヘブンズ・ドア」)監督

PLAIDは細部に宿る
4拍目のキックの余韻に
ロールするシーケンスの奈落に
1分、1秒、1サンプルの隙間に

PLAIDは細部に宿る agraph

2年ぶりの新作。ドリーミーなプラッド節はそのままに、これまで以上にソリッドで研ぎ澄まされたエレクトロニック・ミュージックを聴かせてくれる。「CLOCK」のデトロイト・テクノな高揚感が堪らない。トラディショナルなベネット・ウォルシュのギターも印象的だ。アルバムタイトルは10歳になるアンディの娘さんが思いついたもの。(デンシノオト)

Plaid (インタビュー)


SQUAREPUSHER
『Damogen Furies』
BEAT RECORDS

「20年間オレのヒーロー」
OLIVE OIL(OILWORKS)

トム・ジェンキンソン自らが開発したソフトウェアによって生み出された通算14作目。全て一発録り。世界情勢に対するリアクションだという本作は、これまで様々なスタイルに取り組んできた彼の作品の中で最も好戦的な一枚となっている。とにかく凶暴なドラムとノイズの嵐の中にときおり顔を出すメロディアスなDnBが、往年の彼を思い出させる。(小林拓音)

SQUAREPUSHER (インタビュー)


BATTLES
『La Di Da Di』
BEAT RECORDS

音数の減少により浮き彫りになるキック、スネア、ハットの三点グルーヴがとんでもなく強烈です。
知っちゃあいたけどやっぱ凄えわ。」庄村聡泰([Alexandros])ーMUSICA 2015年10月号

歌をどのように自分たちのサウンドと引き合わせるかが課題のひとつだった前2作から一転、初期のミニマリズム、インスト主義に回帰した3作め……が、聴けばユーモラスな感覚はたしかに引き継がれている。ストイックだと評された時代をあとにして、あくまで理性的に繰り広げられる快楽的で愉快なバトルスが存分に味わえる。(木津毅)

Battles

 京都の若手レコード店主2人が着想し、地道にDIYで作り上げ、2013年の初回開催以来京都の音楽愛好者界隈では夏の風物詩となっている、《京都レコード祭り》(略称:「レコまつ」)。
 第4回となる今回(2016年7月9日[土]・10日[日]|於:ZEST御池 河原町広場)は、吉田省念バンド・オオルタイチらがライブで参加するなど、例年になく多彩な出演者を揃え、参加者の期待も高まっている。
主催の中心メンバーの1人、加地猛さん(〈100000t アローントコ〉店主)に話を聞いた。(村上潔)

第4回目ということで、これまでと違う点はありますか?

加地:いや、なんもない(笑)。回を重ねるごとにまだ来ていないお客さんを呼べていっているような気はしてるんで、それを続けていくという。やりかたとしてはそんなに変わってない。

前回は老舗の〈太陽レコード〉さんの参加が話題になり、それが『京都新聞』の記事になったりしましたが、今回の目玉は?

加地:〈クレモナ〉さん。お店が復活するタイミング(2009年1月閉店/2016年4月開店)で、参加してくれる。会場の店番に来るのは、先代の寺井さん。だからたぶん、「あー!」ってなるお客さん、いっぱいいると思う。あとは〈BBG-Audio〉さん。中古オーディオ屋さんなんだけど、レコード部門を最近作らはって。まあ、オーディオ部門と両方で来るねんけど。オーディオのほうは、手頃な価格のセットを組んでもらって。あと、会場のDJセットもここに頼んでる。「こういう音も鳴るよ」みたいな感じで。まあ、全部偶然やけど(笑)。
それと、いつもよりライブとかすごい多なってて。6組出るんやけど。それが全部9日に出て(笑)、10日は落語とトークが中心。9日はもうひっきりない感じ。
韓国のNice Legsっていうバンドは、レコまつのことをネットで検索して見つけたらしくて、それでオファーが来て出演が決まった。そういうことで言ったら、今回は外国人の人に来てほしいな、というのがテーマとしてある。ふだん店に来る外国人のお客さんはすごい増えてるのに、この祭りには来てないから。だから、英語ができる人にTwitterで英語で告知してもらったり、ゲストハウス(京都には外国人向けのゲストハウスが多い)にも初めてチラシを撒きに行った。

レコまつの当初からの一貫したスタイルは、レコード屋店主の有志がDIYで作る、ということですよね。いわゆる業界が関係することなく。それが京都で行なわれていることの必然性みたいなものはおそらくあると思うんですが、京都のレコード屋ネットワークのありかたが反映されていたりするのでしょうか?

加地:この祭りに関して言えば、まず俺と村松さん(〈ART ROCK NO.1〉店主)が具体的なことをやってて、あと会議に来る人が5人くらい。

会議ってどのくらいやるんですか?

加地:3回くらいかなあ。実際会ってやるのは。

ではそもそもの初回開催(2013年)に至る経緯というのは?

加地:村松さんと「こういうのやりたいなあ」という話はしていて、「じゃあ、やっちゃいますか」みたいになって。それで、最初は京都のレコード屋全店に声かけてみて、「出てもいいよ」って言ってくれた人たちでやった感じ。そのときに村松さんと俺ですごいやってるから、それがいまに続いてる感じ。

全店に声をかけるっていうのは、いつまでやったんですか?

加地:2年間。2回行って断られたところは、3回目来られたら(断るのに気を遣って)嫌やろうな、と思ったから。

それは、全店に直接足を運んで行った、ということですか? 電話じゃなくて。

加地:行った。電話じゃなくて。

直談判?

加地:そうそう。

初回は21店舗でしたが、参加店舗の数はだいたい一定してますよね。

加地:多少の増減と入れ替わりはあるけど、そんなに変化はないね(今回は24店舗)。ゲスト参加枠があるから、すごい多いイメージはあるけど。

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レコまつに出たことでお店に来るお客さんが増えたっていう声は聞きます?

加地:あんまり聞いたことない(笑)。ただ、終わってからしばらく、見たことない人が来るのは続くね、俺んとこは。

主催者側として理想なのは、ふだんお店に来ないお客さんが、レコまつをきっかけにしてお店に来るようになってくれることですよね。

加地:うん、だから、毎回地図(『京都レコードマップ』。毎年改訂版を発行。無料)を会場で配って。だけど、すぐに目に見える効果が出るわけじゃないかなら、いろいろやってみてる。

レコまつの影響でお店の売り上げが増えるとか、そういうダイレクトな「効果」以外の部分も、シーン全体では大きい意味をもっているようにも感じます。

加地:こういう祭りで、店のこととかあんまり把握してない人が、ばーっと買うやんか。それは、「○○さんのレコードを買いました」っていう意識より、「レコード祭りで買いました」っていう意識のほうが絶対強いと思う。だから、全体的に「レコードを買う」という行為が底上げされるというか、そういう効果があるんちゃうかな。それって、狙ったわけじゃないけど、なんかいい感じにできている気がすんねんな。

参加してるレコード屋同士の関係が、レコまつによって深まったりするんですか?

加地:毎回来る人らはすごい仲良くなってるよ。そのうちどっかに旅行でも行きだすんちゃう(笑)?

年齢構成はどんな感じでしたっけ?

加地:40代・50代、平均するとアラフィフくらいかな。

みなさんが若い頃って、こういうイベントはなかったですよね。だからなにかお手本があったわけじゃなくて。

加地:これね、「京都では(いままで)なかった」っていうのが、やろうかなってなった動機やったりするし。

モデルはあったんですか?

加地:いや、別に。俺は、すごい慣れてたからさ、レコードじゃなかったら。

古本市とか、《左京ワンダーランド》とか。

加地:そうそう、そっちで慣れてたから。この感じでレコード版をやったらいいのんちゃうのって。だから、手づくり市とかの集めかたといっしょで、呼べるところをいっぱい呼ぼうよって感じやったな。

でも結果的には、京都ローカルだけどすごいオープンなイベントになりましたよね。大阪とか神戸からもいっぱい人は来るし。ライブ・トーク・DJも、それ目当てで来る人はたぶんそんなにはいないけど、みんななんだかんだで、レコード買い終わったあと、見てますもんね、ふつうに。

加地:なんなんやろな、あの、がしゃがしゃした感じ(笑)。

ほんとそうですよね、みんな好き勝手に見て、喋ってて。

加地:特に、湯浅(学)さんといしい(しんじ)さんがやってるときは、妙な一体感があんのよ。ほったらかしっていうか、ほんまに、横でなんかやってはるわ、くらいの雰囲気。これやってるとき、なんかめっちゃ、完成度高いっていうか、すごい安心しておれんねん。

あとやっぱり、ジャンルが、これだけ揃えば当然、催しの内容もレコードの品揃えも、全体としてオールジャンルになるし、このごちゃまぜ感が、来る人には楽しいんじゃないですか。

加地:そうやね。まあ、ふだんから京都のレコード屋は、オールジャンルの店多いけど。さらに、ふだん店で扱ってないものをこれにあててきたりしよるから、もうなにが出るかわからへん(笑)。

そういう楽しみもありますね。でもなんで京都ってオールジャンルの店が多いんでしょうね? 大阪とかは専門店のイメージが強いですが。

加地:それはたぶん、街のサイズが影響してると思う。京都って、いわば「街歩き」の街やん。これを買いに行くっていうよりも、「出歩きに行く」ところ。レコード屋に行くことに関してもそうで、特定のジャンルの専門店のものはネットで新入荷をチェックしてればなんとかなる部分はあるけど、オールジャンルだとほんまにいつなにが入るかわからんから、どんなジャンルを好きな人もそれを見てまわって歩く。そうやって、いろんな人がごちゃごちゃ出入りしていくと、お店のほうもオールジャンル化していくんじゃないの? たとえば、〈ART ROCK NO.1〉さんも、もともとちょっと専門店ぽかったけど……。

インディーロック専門のイメージでしたね。

加地:でしょ? けどいまいちばんいろんなもん持ってるからね(笑)。

そうですね、狭い範囲に密集しているからみんな歩いてハシゴするし、レコード屋の近くには音楽好きな人が憩えるカフェもあるし。それでふらっと訪れる人たちのニーズに応えるかたちで、各店の商品構成が多様化するっていうのはあるかもしれませんね。そういえば、レコード屋めぐりに必要な『京都レコードマップ』は今年もレコまつにあわせて出すんですよね?

加地:もうあがってくる頃。今度は、英語と日本語と混合版(2015年は日本語版と英語版を別に作成した)。今回、このチラシ(日本語版のみ)を寺町通りのわりと大きいゲストハウス2軒に置きに行って、どっちもこういうチラシ受け付けてくれなさそうな大きいところで、ほんまに外国人ばっかり来るねんけど、「ああ、全然置きますよ」ってすごいウェルカムで。だから、持って行ったら持って行ったでつながるんちゃうかなって思って。それで、「地図できたらすぐ持って来ます」って言って(笑)。

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わざわざ京都までレコードを買いに来る外国のかたも増えるかもしれませんね。では、関西圏に住んでいて、「レコまつ、行ってみようかなどうしようかな」って考えている人に誘いの言葉をかけるなら、どういったものになりますか?

加地:ああ、あのね……、「こっそり垣間見ることもできます」(笑)。

え?(笑)

加地:それ重要やと思うねん、俺。こういうのって絶対、なにかしら密閉空間やん。でもこれってさ、こっそり見に来れるやん。

あ、外からね。そうですね(会場の〈ZEST御池 河原町広場〉は、地下の長大なショッピングモールの一角。地下鉄京都市役所前駅改札を出てすぐ。絶えず人が行き交う、開放的なエリア)。

加地:通りがかったふりとかもできるしさ。ほんで入れそうやったらちょっと入ってみようかなー、みたいな。めっちゃ大きい規模だったとしても、百貨店の上の催事場とかだったら、やっぱそのフロアに(わざわざ)「入る」みたいな感じがあるけど、これやとさ、ほんまに、「実は別の用事で歩いてるんですけどー」みたいな感じで(笑)。そういう、ちょっと「さらけ出してる」感が特徴的だと思う。

たしかに、オープンすぎる感じはありますね。じゃあ、逆に、コアなミュージック・ラバーには、どんな勧めかたをします?

加地:それは、いちばんの話で言ったら、さっき言ったみたいに、「なにが出るかわからん」っていうのはやってるほうも毎回思ってるし。あと、この様子のおかしいレコード市(笑)、こういうのも「あり」っていうか、なんやろ、「これ楽しくない?」っていうね。そういう提案というか。
たしかに、そういうすごいコアというか、ほんまに音楽好きな人も来るやんか。そんで知り合ったりしたら、その人別になんもしてないのに、どっかで買ったビールとか飲みながら、「楽しいわー!」とか言ってくれるのよ。そういう感じかな(笑)。(こっちが)「え、楽しいの、これ?」って言って(笑)。別にすごいレコードがあったからとかじゃなく、「いや、楽しい」って。それはすごい、いいなって思う。ふだんからだいぶ突っ込んでレコードを買っているような人でも、そんなこと言うんやって思って。こっちからしたら、そこまでマニアックなものを集めて「どや!」って感じでやってるわけじゃ全然ないから、そこはちょっと「ごめんね」っていうところがあったんやけども、でもそういうふうに楽しむ人もいるんやって。それはわりと、はっとしたけどね。なんかレコードで盛り上がってるっていうのが、うれしいんやろね。
1日目のDJしてくれるWATARU.Wくんなんかも、なんでもかんでも聴きたい人なんやけど、一日DJやってくれへんって頼んだら、めっちゃ喜んでくれて、「ここ何か月かで最大の仕事ですよ!」って(笑)。

なるほど。コアな人向けに作っていないところ(こそ)がコアな人なりに楽しめるポイントだっていうのは、おもしろいし、説得力がありますね。では、最後に、今回の目標なんかがあれば。

加地:目標? 目標はね……、「無事で」。やっぱりでかくなってくると……。

運営がたいへんになりますからね。

加地:わりと早い段階で大きいイベントに慣れている〈pocoapoco〉の寺尾さんとかから、「あんまり人ようさん来たら事故とかもあるかもしらんから」って言われて、それで(レコードの)下置き(机の下に置くこと)なくしたんやけど、そのとき正直、俺はまだ「別に大丈夫なんちゃうかな」って思ってたんよ。でもさすがに最近は「そうやな」って思って。「そういうとこもちゃんとしとかなな」って。ほんまに、無事に二日終わったら、すごい安心すると思う。

外からはけっこうカオスにやっているように見えるけど、実はみんな神経を遣ってるんですよね。

加地:それはほんまにそやと思う。

無事に、楽しく二日間が終わることを願っています。ありがとうございました。

*2016年7月2日、〈100000t アローントコ〉にて収録。

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 実を言うと私・村上は、《京都レコード祭り 第1回》にレクチャー担当で出演した経緯がある。そのときはたしか、開催の数日前に加地さんから依頼され、急遽読み上げ原稿を準備し、「入門・はじめてのアナログレコード――聴きかた、買いかた、そしてレコード屋さんがあることの意味」というレクチャーを会場で実演したのだった(第1回の報道記事はこちら→https://buzzap.jp/news/20130730-kansai-analog-record1/)。その際、加地さんらレコード屋店主だけでなく、出演する京都のミュージシャンのかたもスタッフとして早い時間から運営に携わっていて、本当に手づくりで成り立っているイベントなのだということを実感した。そして、回を重ね、来場者が増えていっても、やっぱり主催者の方々は交代でレジを打ち、レコードを袋に入れ、ライブやトークの機材準備をし、来場者からの問いかけに答え、楽しみながら汗をかいている。また、見えないところでは、仕事の合間を縫って(会場で無料配布する)『京都レコードマップ』の細かい改訂作業を行なう協力者もいる。きっと私の知らないところでハプニングやアクシデントもあるのだろうし、間違いなく主催の中心メンバーは準備で寝不足状態なのだろうが、みな当日は張り切って現場で動いている。
私は素直に、この《京都レコード祭り》を毎年開催している方々に敬意を表するし、こうしたシーンの裾野に「参加」できていることをうれしく思う。いわゆる「アナログレコード・ブーム」が喧伝されて久しいし、それを利用した展開も実際あるのだろうが、そうした流れとは無縁の、一つの地域のレコード店主たち──と、そのまわりにいる人たち──が自力で・協同で企画・運営を続けているこのシーンの存在は、街で遊ぶことが好きな、そして音楽の楽しみを人と分かち合いたい人からすれば、きわめて貴重で魅力的なものである。加地さんが言うように、まずはそれを「垣間見てみる」、そしてこの(レコまつという)「場所そのものを楽しむ」ことを実践してみてほしい。それはきっと、誰にとっても、「京都」で「レコード」を楽しんだという、かけがえのない「体験」になるはずだ。
最後に付け加えると、《京都レコード祭り》は、「祭り」と名乗るには奇妙な点があり、ここがとてもおもしろい点なのだ。レコまつは、出店するレコード屋やイベント主演者にとっては、「ハレ」の舞台。いうまでもなく祭りの主体だ。だが、祭りはそれだけでは成り立たない。もうひとつの主体は、それを取り巻く多くの通りすがりの人々。この人たちは純粋に「ケ」=日常の世界を生きている。この両者が偶然の流れによってごちゃごちゃに混在するところが、この祭りの場のいちばんの魅力だ。レコードを探しに来たお客さんは、その両面の要素をもっていて、この立場はこの立場でおもしろい。祭りの世界を、さまざまな立場の人々が、状況に応じて楽しむことができるのだ。だから、ただ外から眺める(=垣間見る)だけでも──会場に出店する〈Bar Rockpile〉では、ビール・ラムネ・冷やしあめ・みかん水を販売するので、お祭り気分も味わえる──興味深いポイントが見つかるだろうし、ぐいぐいとこの空間に浸り込んでいっても非日常の興奮が味わえるだろう。それは、たんに「探していたレコードが見つかった」/「お目当てのミュージシャンの演奏を聴けた」という次元とは異なる、「場の体験そのものの愉楽」というものだ。それを享受することで自然と、この京都のレコードシーンの内在的な地力・魅力に気づくことができるのではないかと思う。まずはほのかな期待を胸に、会場を通りがかってほしい。

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Second Woman - ele-king

 テクノに関して言えば、ぼくには問題点がひとつある。ぼくがもうすでに良いテクノをたくさん知っているということだ。みんなより早く生まれたお陰で、オウテカやベーシック・チャンネルの時代から聴いてきた。IDMというタームが出てきた時代も経験している。ぼくはいまでも日常的にエレクトロニック・ミュージックを聴いているけれど、新作に関しては年々おっくうになってる。すでに自分の日常には、魅力的なテクノがたくさんあるからだ。とはいえ、やはりどうしても飽きる。その多くに関して言えば、高尚なアートなんぞではなく、そして取り立てて言うほどの感情移入もない、ある種の刺激物として消費しているのだから無理もない。それはこの音楽の出自を考えればすぐにわかることだ。
 で、だったら新しいのを聴こうという気になり、本作のように情報としての共有に値する秀作に手を出すハメになる。こちら〈エディションズ・メゴ〉のサブレーベルからリリースされた、BelongのメンバーとTelefon Tel Avivのメンバーのふたりによるプロジェクトで、文句なしに素晴らしい最新エレクトロニカである。
 ミニマルであってミニマルでない。反復されるが不規則で、複数のレイヤーがそれぞれずれていく。単純な快楽主義ではないのだが、彼らはそこを〝聴かせる〟次元にまで押し上げている。オウテカがミニマルをやったと喩えてもいいな。音響体験としてのスリルがあるのだ。

 昔からぼくはエディットが細かいものが好きなので、気が滅入るほどの細かいチョップも心地良く、スラップスティック風に耳を刺激するし、ベーシック・チャンネル以降、マーク・フェル以降にも対応している。
 オウテカの新作も良さそうだし、テクノ(IDM寄りのほう)が盛り上がっているのは確実だ。20年前にエレクトロニカが好きだった人も、いままたこのサブジャンルに注目してもいいかもよ。まあ、ある種の刺激物として。

interview with All We Are - ele-king


All We Are
All We Are

Double Six / ホステス

Indie RockElectronicSynth-Pop

Tower HMV Amazon

 ジアゼパム(催眠鎮静薬)を飲んだビー・ジーズ、というような表現も見かけた。オール・ウィ・アーを名のる彼らは、ライやインクのようなオルタナR&Bのフィーリングを──スムースでヒプノティックなヴァイヴを宿した、リヴァプールのアート・ファンク・トリオだ。

 可能なかぎりソフトな、壊れそうに繊細な音やヴォーカリゼーションは、どこか潔癖的な印象を誘い、当時彼ら自身も比較されたようにチルウェイヴの面影を残している。けっして、マニアックで、テクニカルで、ソウルへの造詣が深い、というタイプの人たちではない。しかし、こんなに穏やかながら、ジャムを楽しんでいる感触がつたわってくる。それはそうだ、彼らは3人とも教育を受けたギタリストだったにもかかわらず、バンドをやりたいがためにパート替えまでして、イチから楽器を習得しているのだから。それぞれリヴァプールにやってきて音楽を学び、いっしょにバンドをやりたいがためにかの地に残った、その気持ちのようなものが透けてくる。

 オール・ウィ・アーは、そんな「ささやかな」バンドだ。〈ドミノ〉傘下のレーベルと契約したとか、あるいは、クールなR&Bマナーだというようなことにかかわらず、それはあたたかみあるスモール・ミュージックであり、親密な場所で鳴っていてほしいと感じさせる音楽である。

 しかし、その優しさと親密さにはもう少しディテールがある。彼らがそれぞれ国籍もバラバラで、帰属する場所を持たないバンドだということだ。以下につづくように、それは「どこにもビロングできない」と語られることもあれば、「ノマディック」だとポジティヴなニュアンスとともに表現されることもある。アイルランド、ノルウェー、ブラジル、故国もまた外国のような感覚になってしまっている彼らにとって、自分たちの居場所は、自分たちの居る場所──ここ、だ。オール・ウィ・アーは、「ここ」をあたためるために優しく、また、同じように「ここ」を持つ人々への繊細な共感と想像力をめぐらせて鳴っている。

 彼らの「ここ」が音楽のかたちをしていることを喜びながら、それではこの素敵なトリオをご紹介しよう。今年6月中旬、彼らはフィーリングを同じくする日本の若きバンドThe fin.の招きで来日していた。

■All We Are / オール・ウィ・アー
リチャード・オフリン(Dr, Vo/アイルランド)、グロ・イックリン(B, Vo/ノルウェイ)、ルイス・サントス(G, Vo/ブラジル)からなる3人組。リバプールの大学で出会い、ヒップホップとソウルが好きという共通点をきっかけにバンドを結成。シングルで注目を集め、2014年に〈ドミノ〉傘下〈ダブル・シックス〉と契約。2015年にデビュー・アルバム『オール・ウィー・アー』をリリースした。

ここにいたるまでにわりと時間はかかっていて。……だっていっしょにバンドをやりたいがために楽器を練習したからね(笑)。(リチャード)

3人は音楽の学校で出会ったんですよね。しかも3人ともギタリスト。ギター・トリオという選択肢もあったんでしょうか(笑)?

リチャード・オフリン(以下リチャード):ははは、次の作品はそうしようか! でも3人の中じゃルイスがいちばん上手かったのは間違いないね。グロはどっちかというとソング・ライティングのためにギターを使うという感じだったかな。学校を出てからもみんなリヴァプールに残りたいって気持ちがあって、そうするためにはもっと幅を広げてバンドのかたちを整えなきゃいけなかった。だからグロはベースに転向して学んで、僕はドラムを学んで、ルイスはそのままギターで……ってなったんだ。

その編成に落ち着いたのは、セッション性を優先したからではない?

グロ・イックリン(以下グロ):あたしたちみんな、ソングライターを自認してるんだ。リチャードもあたしも歌を歌うから、いずれ楽器プラス歌っていう編成のものはやることになるかなと思っていたんだけど、ともかくもいっしょにやりたいならこのかたちしかなかった。そのために必要な楽器を習ったの。

では、きっと曲や音楽性のイメージも頭の中にすでにあったんですね。

リチャード:すごくオーガニックなかたちでいまのバンドができあがっていったんだけど、ここにいたるまでにわりと時間はかかっていて。……だっていっしょにバンドをやりたいがために楽器を練習したからね(笑)。楽器がうまくなるにつれてできる音楽も変わっていったし、いっしょに音楽をつくる過程でも変わっていった。だからあらかじめ考えていたことはとくになくて、ほんとに自然にいまのかたちになったんだ。強いていうなら、人を踊らせたいってことだったかな。グルーヴのあるもの。でもどうやったら人を踊らせられるのかはわからなかったんだけどね。いまもそれは模索中。

ファースト・アルバムは、ここまでにいたる自分たちの人生が──だから、とても長い期間が──反映された作品でもあるから、そう考えると、自分たちのやりたかったこと、言いたかったこと、募った思いなんかが、校舎ってものと反響しあってできた部分はあると思う。(ルイス)

へえ! ダンス・ミュージックを目指していたとすれば、ずいぶんおだやかですよね。ファーストの『オール・ウィ・アー』(2015)は廃校の校舎で録音したということなんですけれども、それはプロダクションへのこだわりからですか? それとも何か思い入れのある場所だった?

リチャード:廃校の校舎っていうのは、このアルバムをつくるために使った場所ではあるんだけど、録音はちゃんとしたスタジオでやったんだ。ダン・キャリーといっしょに、ロンドンでね。

ヒプノティックなムードとか、出来過ぎてないプロダクションとかが、ちょっと廃校の校舎のイメージと重なったので、そういう雰囲気のようなものは大切にされているのかなと思いました。

リチャード:じつは、僕の住居なんだよね、その校舎は(笑)。ノスタルジックなあの場所の雰囲気はこのアルバムによく出ていると思うよ。あの校舎の後ろは、昔は幼稚園だったんだ。だからちっちゃなトイレとかシンクがあったり、庭にも古いおもちゃが転がっていたりした。それに170年くらい建っている古いビルだから、ビルそのものが持っているいろんな人の思い出や郷愁なんかが沁みついている部分もあると思う。

ルイス・サントス(以下ルイス):ただ、今回のファースト・アルバムは、ここまでにいたる自分たちの人生が──だから、とても長い期間が──反映された作品でもあるから、そう考えると、この校舎ではないけど、自分たちの過ごした学校とか、自分たちのやりたかったこと、言いたかったこと、募った思いなんかが、校舎ってものと反響しあってできた部分はあると思う。学生時代ってもの自体への郷愁みたいなものがね。

あらためて振り返ってみると、それぞれの国の音楽ってすごく特徴があって。その共通項として、悲しみみたいなものを感じるかな。あたしたちのつくっている曲にもそういうサッドネスは表れていて、それが郷愁につながるのかもしれない。(グロ)

ここまでの人生がまとまって反映されているというお話でしたけれども、3人は出身国もバラバラですよね。そのへんは、お互いの人生がどのように交叉している作品になるのでしょうか?

グロ:それぞれとても音楽的な家庭に育っているから、楽器もちっちゃい頃からやっていたし、音楽にも馴染んでいたんだよね。でもあらためて振り返ってみると、それぞれの国の音楽ってすごく特徴があって。ノルウェーはフォーク・ミュージックがすごく充実していて、リチャードのアイルランドはチューンと呼ばれる歌のない曲がいっぱいあるし、ブラジルはもちろん音楽の豊かな国。その共通項としては、悲しみみたいなものをあたしは感じるかな。あたしたちのつくっている曲にもそういうサッドネスは表れていて、それが郷愁につながるのかもしれない。

リチャード:アイルランド、ノルウェー、ブラジル、それぞれの音楽には「yearning」──憧れとか強い思慕っていうものがすごくあると思う。僕らのファースト・アルバムについては、そういうところはすごくあると思うよ。

それぞれの国にはもっとベタな伝統音楽のイメージがありますよね。ブラジルならサンバとか(笑)。みなさんの場合はそういうトラディショナルとはちがって、もっとモダンなところで音楽が溶け合っているのが素敵だと思います。

リチャード:それぞれの音楽のエッセンス、本質みたいなものを取り込んでいるんだ。きっとね。スタイルそのものを寄せ集めるのではなくて、さっきも言っていたような思い焦がれる気持ちとか、ノスタルジーとかっていうものは、音楽が持っているスピリットだと思う。それは僕らの深いところで融合しているんじゃないかな。

ルイス:ただ、それを「わかりやすいかたちではやりたくない」って決めているわけではないんだ。自然とこういうかたちになったというだけでね。僕らの国はそれぞれにちがうんだけど、お互い人間としてわかりあってみると、共通することがとっても多い。そういうところも自然に溶け合った音楽になっていると思う。

リヴァプールのバンドとして認知されたんだなってことが、僕たちにとってはすごく大きいことだった。でも本来の自分たちの出身地ではない。かといって故国に戻ると、そこの人間でもなくなっている……。そういう意味ではノマディックな存在なのかもしれない。居場所は「ここ」。「いま、ここ」だよ。(リチャード)

なるほど。みなさんの認識として、いまのホームとしてはリヴァプールということでいいんですよね?

リチャード、グロ、ルイス:そうだよ。

ルイス:リヴァプールに残ることにしたのは、自分たちにとって特別な場所だったから。音楽のコミュニティにおいても、やっぱり自分たちはここの一員だなって思えるところなんだ。昨年(2015年)、「ベスト・リヴァプール・アクト」っていう賞をもらったんだけど、リヴァプールのバンドとして認知されたんだなってことが、僕たちにとってはすごく大きいことだった。といって、出身もバラバラだし、どこにもビロングできていない感じもまたつねにあるんだ。国を離れてリヴァプールに来て、そこが居場所だとは思ってるんだけど、本来の自分たちの出身地ではない。かといって故国に戻ると、そこの人間でもなくなっている……。どこにも帰属しきれていない僕たちというのが拭いがたくあるから、そこはもしかしたら特徴かもしれないね。そういう意味ではノマディックな存在なのかもしれない。居場所は「ここ」。「いま、ここ」だよ。

すごくよくわかります。みなさんはこう呼ばれるのが嫌かもしれないですが、シーンに登場した当時はよくチルウェイヴに比較されていましたね。チルウェイヴもまた、地域性に拠らないムーヴメントでした。世界中のベッドルームやドリーミーな空間を拠点としたというか。音楽的な比較とは別に、あなた方のノマドなありかたというのは、それに並行するものではありますね。

デビュー・アルバム『All We Are』収録の“Utmost Good”MV

リチャード:それはおもしろいね。僕たちがいろんな国から集まっていて、それぞれの国の音楽の影響を取り込めるということは間違いないんだけど、以前以上にリヴァプールでの生活も長くなっていて、リヴァプールにかぎらず北イングランドの音楽の伝統も身体として理解しはじめていると思う。次のレコードでは、そのひとつの成果が反映されると思うよ。というか、じつはセカンドのレコーディングがもうほとんど終わっているんだけど、音楽としてはよりハードに、よりファストになってるよ! だからもう「チル」ではないんだ(笑)。だけど、それはたぶん、リヴァプールで──北イングランドで生活した時間が長くなってきたからだね。

ルイス:ファーストの頃は、ただ自分たちが言いたかったことをそのまま表現しただけだったんだけど、たぶんいまは表現したいことも変わってきて、伝えたいエネルギーも変化している。好きなものも変わったかな。そういう成長が自然に表れてくるのが次のアルバムだと思うんだ。だから、リチャードの言葉に加えるなら、よりエネルギッシュで、ちょっとダークなところがあって、前作のハートはそのままに──ポジティヴなメッセージは変わらずに、それとはちょっと違う部分が表現されるアルバムになると思うよ。
いま振り返ると、最初に指摘されたように、たしかに僕らのダンス・ミュージックは穏やかなんだよね。でもいまはまた変化しているんだ。

(次の作品は)ポストパンクのムーヴメントに触発されている部分があるんだ。あの時期の音楽は、じつはつらい時代を経て生まれてきたものでもあるんだよね。政治的にも、経済的にも。それはいまの時代にも連なってくる問題だと思うんだ。(リチャード)

それは楽しみです。自作に参照されるかもしれない「北イングランドの伝統音楽」というのは、起源の古いもののことでしょうか? それとも60年代くらいからのポップ・ミュージックを含む新しめの音楽のことですか? それから、あなた方は、いわゆるレコードおたくというか、音源を掘る欲求を制作にフィードバックさせるタイプではない?

リチャード:最初の質問だけど、むしろ80年代くらいからのことかもしれない(笑)。ポストパンクのムーヴメントに触発されている部分があるんだ。あの時期の音楽は、じつはつらい時代を経て生まれてきたものでもあるんだよね。政治的にも、経済的にも。政府のやり方を見ていても、それはいまの時代にも連なってくる問題だと思うんだ。もちろんポリティカルな作品になるという意味ではまったくないんだけど、バンドで言うならば、ニュー・オーダーとかジョイ・ディヴィジョン、初期のU2とか。あとはもちろんいまのエレクトロニック・ミュージックもたくさん聴いているから、そういう要素も多分に入ってくると思う。時代的にはそのあたりのことだね。

グロ:二つめの質問は、そうね、あたしはスポティファイをよく使ってるけど。簡単にいろいろ調べられるし。でも、やっぱりヴァイナルも大好き。手に取って開く、あの感覚は何ものにも代えられないものがあるなって思う。ひとつのアートだよね、あれは。

ファーストの中に“フィール・セイフ”っていう曲があるんだけど、あれはリール・トゥ・リールのテープ

ルイス:すごく面倒くさいんだけど、アナログ・レコードをオープンリールのテープに録って聴いたりしてたよ。オープンリールは普通はなかなか家にあるものじゃないと思うけど、たまたま父親が持っていたんだ。そっちで聴いたほうが音がいいって言うから、わざわざ音源を移してね。時間はかかるし、聴くたびにメンテナンスが必要なんだけど、楽しいし、音もいいし、そういうこともまた愛着を生んでいくというか。よくアナログ・レコードの音には温かみがあると言うけれど、そういうことと似ているんだろうね。

あなたたちの音にもそのウォームな感じは反映されていると思いますよ。

ルイス:ファーストの中に“フィール・セイフ”っていう曲があるんだけど、あれはリール・トゥ・リールのテープ
で録っているんだ。

リチャード:僕の場合もほぼオンラインだね。この間までアップル・ミュージックをやっていたんだけど、またスポティファイに戻ろうと思ってるよ。ただ、ヴァイナルの音は僕も大好きだよ。袋を開けて、かけて、ひっくり返して……って手間が、音楽に意味合いを感じさせてくれる気がする。MP3だ、ストリーミングだ、って、音楽が軽んじられているというか、使い捨てにされているいまの時代だからこそ、そうやって手間をかけるというのは音楽にとっても大事なことのような気がするよ。

All We Are - Feel Safe (Official Video)

きっと最終的には人間が勝つって思っているよ。一度辛いめに遭っている国だから、そこからどう切り抜けるかということは身体でわかっているんじゃないかって。(ルイス)

そうですね。先の質問で、みなさんはジョイ・ディヴィジョンやポストパンクが出てきた社会的な背景について興味を持ちながら音楽を制作していると答えてくれましたね。それは、要はサッチャリズムというか、貧困や格差についてのいまの状況を作り出した根本を考察することで、何か現在の状況に対して働きかけられると考えたんですか?

リチャード:そうだね。前提として、僕らはけっしてポリティカルなバンドではないんだ。だけど、当然ながら周囲の状況やものから影響を受ける。これもまたミュージシャンにとっては当然のことだと思う。その中で自分たちが現状に対して何かできることがあるとすれば、それは何なのか──僕らがつくり演奏する音楽にはけっこうへヴィなものもあるけど、その一方でとても楽しい、喜びを感じさせるものでもある。そのことがひとつのカタルシスとなって、僕らだけじゃなくて聴いているひとにも同じ感覚を味わってもらえて、それが何かにつながっていけばいいなと思うよ。直接的なかたちで、政治的な状況に何か介入できるとは思っていないけれどもね。けど、ヒューマンなレベルでポジティヴなものを発信していければ、って感じてるんだ。それが変化につながっていくかもしれない。僕らにはそういうやり方しかわからないな。

なるほど。ルイスさんとグロさんにとっては、UKはひとつの外国でもあるわけで、おふたりにとってはUK国内の問題はどんなふうに感じられているんですか? それからおふたりにとってはポスト・パンクの体験はどんなものなんでしょう?

グロ:うん、変化はリアルに感じているんだよね。友だちを見ていても社会保障を受けられなくなっていく人、住むところを追われる人、それから街もゴミが散らかったままになっていたりとか、そういう部分にも政治的に荒んだ状況がよく表れてる。リヴァプールに住んでいるけど、そこを含む北イングランドの街の雰囲気の変化は、悲しいことだなって思う。

ルイス:ずいぶん変わったよな、って僕も思う。怒りと恐怖が人々の間にあるなって感じるよ。投書住みはじめた頃はぜんぜんちがってたんだ。

グロ:そう、当時はまだハッピーな、楽しい雰囲気があったと思う。

ルイス:とはいっても、この国は素晴らしいっていう思いも変わらないんだ。きっと最終的には人間が勝つって思っているよ。一度辛いめに遭っている国だから、そこからどう切り抜けるかということは身体でわかっているんじゃないかって。

(The fin.は)演奏しながら自分たちだけの世界や空気をつくっていく感じも僕らと近いかもしれない。(リチャード)

ブリット・グリットってやつでしょうか。一方で、ノマディックなバンドであるというキャラクターも持っている。とってもおもしろいと思います。さて、今回の来日はThe fin. (ザ・フィン)に招かれてですよね。The fin. もひとつの音楽的ノマドかもしれませんが、彼らのことはご存知でしたか?

リチャード:楽しくやらせてもらってるよ(笑)。彼らの音楽はBBCのラジオでも流れてたんだ。それで、聴いたこと自体はあったんだよね。EPを手に入れて聴いてみたりもしたな。昨日は仙台(2016年6月16日/仙台CLUB SHAFT)だったんだけど、だんだんお互いのことがわかって、仲良くなってきたところだよ。最初に東京で遊んだけど、それも楽しかったな。

へえ、東京ではどこで遊んだんですか?

リチャード:新宿だよ。なんとか横丁みたいな場所。……「ゴールデン街」って言うんだ?

あはは、飲んだんですね。

ルイス:何時間もいたね。とっても気が合ったよ。着いたのが遅かったこともあって、レコード屋とかは行けなかったけど。

音楽的な部分で気の合うところはどんなところでしょう?

リチャード:ユーモアのセンスが似てるかな。いつか機会があったら、曲をつくったりしていけたらいいよね。音楽的にも似ているところは感じるよね。

グロ:そうだね。シンガー(Yuto Uchino)のメロディ感覚はすごいと思う。素晴らしくセンスがあると思うな。

リチャード:演奏しながら自分たちだけの世界や空気をつくっていく感じも僕らと近いかもしれない。

音楽もそれ自体が言葉だもんね。(ルイス)

なるほど、それではお時間になってしまいました。新しいアルバムはいつごろ出るんです? ヒプノティックじゃないオール・ウィ・アー、楽しみにしています。

リチャード:来年の頭に、って思ってるよ。何事もなければね。

ルイス:僕からもひとつ訊いていい? 僕らの、どこにも属さない感覚についてすごくわかってくれたよね。それは、あなたもそう感じている人のひとりだってこと?

ああ、うわ、質問されてみると難しいですね。そうですね……この国を出たことはなく、またこの国を愛してもいるんですが。国籍以前に、日常のいろんなレベルで、何かに属しているという感覚が薄いのかもしれないですね。

ルイス:仲間になれるかも(笑)。

うれしいです。このネット時代、そう言ってくれる人とか、共感のある仲間を見つけることも容易ですしね。だから、強いていうなら私もベッドルームの帰属民ですね(笑)。

ルイス:それはいいね(笑)。音楽もそれ自体が言葉だもんね。僕たちの音楽に共感してくれる人がいるのは本当にうれしいよ。

浮遊感のあるトラック5選 - ele-king

 パーティの流れの中で、もしくは、DJセットの流れのなかで、浮遊感のあるトラックが映える瞬間がある。例えば、真夜中のダンスフロアで意識を没頭していくようなモノトーンな時間帯を経たときや、野外で夜明けを迎えるときだ。そうした場面で解放感を演出したり、荘厳さを醸し出したりするなど、浮遊感のあるトラックが果たす役割は幅広い。怪しげな雰囲気のものから爽快な感じのもの、さらにはノスタルジックなものまで、浮遊感の印象はトラックによって様々だ。
 その印象に大きな影響を及ぼしているのはパッドだろう。サウンドプロセッシングならではの特性であるテクスチャー変化を体現する音素材であり、コード進行やメロディ以外の深みを音楽に加えるパッドはエレクトロニック・ミュージックの醍醐味のひとつだ。堅牢なビートや極太ベースラインのように力強くオーディエンスの身体を突き動かすことは少ないかもしれないが、パッドはトラックの背後でじわじわと湧き上がって上昇していったり、トラック全体を柔らかく包み込んだり、濃霧のように漂ったりしながら、楽曲の全体的な色彩やムードを実に豊かに変化させる。
 ここに掲載した5曲はいずれも非4つ打ちトラックとなっているのでグルーヴにタメがあり、より浮遊感を感じられるものになっている。どんな状況/環境で映えるのか、もしくは、どのようにDJセットに組み込んで印象を彩るのか。そうしたことを思い描いてみると面白いかもしれない。


Edit Select - Loop Continue (Dino Sabatini remix) (Dreiklang)

ボトムの効いたキックとおぼろげなハイハットによるビートに神々しく降り注ぐパッドが印象的。スネアやクラップが使われていないので、浮遊感が際立っている。それに対して重厚なベースラインがコントラストとなっていて心地よい。

Forest Drive West - System (Livity Sound)

深淵へゆっくりと下降していくかのようなディープな1曲。異なる周期で揺らぐパッドが重なり合うことで徐々に大きなうねりを生み出していく。擦り付けるようなハイハットが鼓膜と意識をかきむしる。

London Modular Alliance - Fallow (Applied Rhythmic Technology)

タイトに打ち込まれるエレクトロ・ビートの間をパッドがシンセベースと連動しながら吹き抜けていく。中盤のブレイク部ではメロディ素材と絡み合いながら程よくノスタルジックな空気をもたらしてくれる。

Tom Liem - A Liquid State (Shipwrec)

いつまでも漂っていられる浮遊感がたまらない。その肝は、じわじわと解放されていくバックグラウンド・パッドの爽快なテクスチャー変化と、アシッドサウンドになりそうでならないベース・シーケンスの焦らしだ。

Kane Ikin - Tap Tap Collapse (Type)

長く減衰する残響音がパッド代わりとなって大きく起伏するベースラインと共に鼓動する壮大なトラック。アクセントとしてホイッスルのように吹き付けられるシンセにハッとさせられる。

今年はまだ半分しか来てないのに、面白い映画が多いよねー。(三田)
僕もかなり面白いと思いますよ、今年は。観るべきものが多い。(木津)

三田:今年はまだ半分しか来てないのに、面白い映画が多いよねー。木津くんとは趣味が合うのかどうか、いつもよくわからないんだけど、どうなの、今年の映画は?

木津:三田さんとは合わない予感がうすうすしているんですが(笑)、僕もかなり面白いと思いますよ、今年は。観るべきものが多い。

三田:じゃー、お互いのベスト5を書いて見せ合おう。

(シャカシャカシャカ……パッと見せ合う)

木津:あれー、1作も重なってませんね。

三田:なんで『クリーピー 偽りの隣人』が入ってないの! 邦画差別だ!

木津:やめてくださいよ(笑)! いや、『クリーピー』も楽しく観ましたよ。非常に黒沢清監督的な、映画映画した演出が充実していたことが僕は良かったですが、三田さんはどういうポイントで評価されてるんですか?


『クリーピー 偽りの隣人』©2016「クリーピー」製作委員会

三田:まずは『リアル』で、この人は完璧に終わったと思っていたので、単純に復活したなと。しかもファンが期待するジャンルで。実は後半はサーヴィスのようなもので、極端なことをいえばなくてもいいというか、日常のディテールを執拗に積み上げていく前半に引き込まれたんですよ。フランスでル・ペンが大統領候補に残った時にローラン・ガルニエが「隣人が信じられなくなった」と言っていたんだけど、いまの日本も隣人というものがナゾを通り越して政治的な文脈では敵にしか見えなくなってきた面があるのではないかと。ヘイトはその幼児的な表れだし、監視カメラやSNSが地縁にとって替わられてきた感触をうまく捉えている。女子大生が隣人をストーキングする岸善幸監督『二重生活』はディテールを積み上げる前にドラマティックになり過ぎて、同じような共感は覚えにくかったんだけど、問題意識には共通のものがあるように思えた。「クリーピー」というのは、いわば「キモい」という意味だけど、自分と違う意見の持ち主に対して漠然と抱いているムードを表す言葉として適切なものを選んだなという感じ。

まずは『リアル』で、この人は完璧に終わったと思っていたので、単純に復活したなと。しかもファンが期待するジャンルで。実は後半はサーヴィスのようなもので、極端なことをいえばなくてもいいというか、日常のディテールを執拗に積み上げていく前半に引き込まれたんですよ。(三田)

木津:なるほど。前作『岸辺の旅』でも、そばにいる人間が生きているか死んでいるかすらわからなかったですからね。映画としても、観客ははじめ西島秀俊を主人公だと思ってひとまず信頼するんですけど、あまりにも事件に入りこんでいくからだんだん信用できなくってくる。隣人だけじゃなくて、家族も部下も疑わしい、漠然とした不信感が画面を覆っている感じ……それがSNS時代と言われると、うなだれてしまうところがありますね。三田さんはサーヴィスだとおっしゃいますが、だからこそ後半、映画がドライヴしていくのに僕は興奮しましたね。

三田:後半はまったく違うストーリーでも成り立つと思ったんだよね。話の導入部も移動だったけど、後半に移動を重ねることで地縁の否定をさらに印象付けている。それでも、いまの日本に体裁として残されているのが血縁で、家父長制は自発的につくられてきたんじゃないかという告発は興味深いものがあった。あるいはすでにその程度のものでしかないということだよね。これは安藤桃子監督『0.5ミリ』(2014)でもハードに追求されたテーマだったけど、前田司郎監督『ふきげんな過去』がすでに失われた家父長制をスタート地点としていたこととも遠くで呼応しているんじゃないかと。黒沢清と『贖罪』でタッグを組んでいた小泉今日子が次にこの映画を選んだのは芸能界的に少々できすぎな気もしましたが。

木津:『あまちゃん』でも基本的には父が不在でしたから、小泉今日子が案外そういう役目を負っているのかも……と言ったらこじつけすぎですかね。ただ家父長制がもはや滅びゆくものなのだとしたら、ペドロ・アルモドバルが何度もやっているような、男を必要としない世代のやり取りっていうのは日本映画でこそ観たい気はします。『クリーピー』に話を戻すと、そういう意味では、隣人の子どもが女の子っていうのはポイントですよね。家父長制に完全に与することはない、という。『ソロモンの偽証』(2015)で典型的な立ち向かう少女を演じていた藤野涼子が、ここでも物語を旋回させる役回りで。これが男の子だったら違った話になっていると思えます。

三田:『トウキョウソナタ』の男の子は最後に出すマイティカードとしては実に無理があったからね(笑)。あんなことで解決できたら世話はないというか。黒沢清は一種類の女性しか描けなかったのが『贖罪』で変わったと発言しているので、あそこがターニング・ポイントになったことは確か。北野武も宮崎駿も村上春樹も女性を描けないことがなぜか許されている国で黒沢清が家父長制にもっと踏み込めたら、けっこう面白いことになるかもしれない。「男を必要としない世代」というのは『アナと雪の女王』で世俗的なフォーミュラはすでに確立されているし、応用だけで済む段階になっているから、こじつけていえば『ふきげんな過去』がそこにスパっと当てはまってしまう面もなくはない。それこそ主演の二階堂ふみが誰から何を受け継ぐかというテーマを達者に演じていて、しかも、その回路を巧みに屈折させているところが非常に面白かった。最近の邦画ではかなり珍しい発想だと思う。

木津:『ふきげんな過去』についてはたしかにそうですね。序盤から終盤まで、世代の異なる女たちがどうでもいい話をうだうだ喋っている感じなんかは、邦画であまり見られない光景ですもんね。しかもいまの話の流れで言うと、血縁と地縁の両方が組み込まれていて、そこからいかに逃れられないか、もしくはいかにして逃れるか、というテーゼが両方とも描かれている。僕は女が移動する映画の系譜が脈々とあると思っていて、そしてそういう作品は面白いものが多い。『ふきげんな過去』の場合は、移動する女と留まる女の両方がいて、二階堂ふみがそのどちらの可能性も秘めた存在としていますよね。そこが現代的なのかなと。「巧みに屈折させている」っていうのは、もう少し具体的に説明するとどういうことですか?

三田:具体的にはスポイラーになってしまうので言えないけれど、結論だけを見ると「反社会性」は血縁に由来するということになってしまいそうなのに、そんな単純なことではないでしょうと思わせるだけの仕掛けが施してあったなと。極端なことを言うと、オウム真理教の子どもたちのことを考えてしまったんですよ。そこまでは想定してないと思うけど。

木津:ふーむ。たしかに、「反社会性」がかなり意図的に用意されていたように見えました。

『ロブスター』はおもしろかったですねえ。ミヒャエル・ハネケやラース・フォン・トリアー、ウルリヒ・ザイドルがやってきたようなことにぐっと笑いを持ちこんだことは大きいですよ。(木津)

三田:あと、邦画をもう一本、『太陽』を。監督の入江悠は閉塞感を絵で見せるのが実に上手いなと思ったことがあるんですよ。『サイタマノラッパー3』で視界がまったく利かない逃避行のシーンがそれなんだけど、ヒップホップをモチーフにしていることが壁になって、実際、ヒップホップが嫌いじゃなくても面会のシーンはあまりにクドいので、あのシーンを時代の表現として捉えた人は限られているだろうなと。それが『太陽』では町ひとつを隔離するという設定なので、あの閉塞感がどのように変容したかが観られるのではないかと思って。結論から言うと、『太陽』というのは蜷川幸雄の演出が話題になった作品で、それにだいぶ引きずられてしまったのかなあと。自分の文法を明確に持ち込めなかったという印象がどうしても残ってしまった。とくに、今年はヨルゴス・ランティモス監督『ロブスター』が隔離というテーマをこれでもかと絞り込んで見せたので、ついつい比較してしまうところもあって。

木津:『ロブスター』はおもしろかったですねえ。ミヒャエル・ハネケやラース・フォン・トリアー、ウルリヒ・ザイドルがやってきたようなことにぐっと笑いを持ちこんだことは大きいですよ。配役もいいし、単純に設定がキャッチーで巧いんですよね。俗っぽいのもいいなと思う。だから俗っぽい例で言うと、『セックス・アンド・ザ・シティ』が結婚しない女たちの話だったはずなのに人気が出たら結局そこに回収されるしかなかったように、あるいは東村アキコの『東京タラレバ娘』で結婚から取り残されることがリアルな恐怖として描かれてヒットしているように、世のなかが経済的に困窮していくなかで制度に歩み寄らない人間が異様なものとして扱われることへの不安がヴィヴィッドに表れている。パートナーのいない人間は動物にされる=理性を奪われるというのもすごく端的だし。あるいは、制度から外れる人間は極端な運動に巻き込まれざるを得ない。いま同性婚の制度化が世界的に進むなかでゲイ・コミュニティの内部で意見が分裂しているところがありますが、『ロブスター』が描いていることを後景に置くとそれもすごく納得できるというか。モノガミーに対する疑念がありながら、だからと言って適切な代案も見当たらないことに対するフラストレーションがよく描かれているなと、僕は思いましたね。


『ロブスター』©2015 Element Pictures, Scarlet Films, Faliro House Productions SA, Haut et Court, Lemming Film,
The British Film Institute, Channel Four Television Corporation.

三田:ランティモスはデビュー作『籠の中の乙女』(09)でも隔離をテーマにしていて、同じ設定なのに、今回は大量の要素を盛り込んだよね。監督本人は他人と生きなければいけないのも苦痛だし、ひとりで生きるのも苦しいとか、適当なことを言ってたけど、それは間違っていて、どちらも制度として機能しているから限界があるんだよね。監督が発言している通りだったら、誰かと生きなければならない社会で、時々、ひとりになれる時間を制度的に保障してあげれば解決してしまう可能性は高い。それどころか、いまの日本にはミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』を経てもなお、まだ「恋愛をしない自由がある」と開き直れる余地は文化的にも経済的にもあるし、橋口亮輔『ハッシュ!』(02)みたいに3人で暮らしたいというケースがあれば、その方がラジカルな選択になってくる。そういう意味では、僕はどちらかというと、古い左翼にダメ出しをした映画に思えたんですよ。対立項というのは結局のところ同じ価値観の裏表でしかないと。体制批判はいくらでもあるけど、反体制批判は珍しい。

木津:なるほど。そこに、いまヨーロッパを中心にアイコニックな存在になっているレア・セドゥを持ってくる捻れたセンスがランティモス監督なのかなという気がしますね。

三田:レア・セドゥは映画の選び方が無茶苦茶すぎて、もはやそれだけで面白い。あの森のシーンを見て、しかし、僕はデル・トロ『パンズ・ラビリンス』(06)でレジスタンスが潜んでいた森に意識が飛んでしまって。公開から10年経ったのかと、思わず観直してしまったんだけど、あれが、しかし、南ヨーロッパの経済的破綻を予感させる映画だったとしたら、同じスペインのその後、破綻後の景色を収めたものがカルロス・ベルムト監督『マジカル・ガール』ではないかと。いまはもう、スペイン経済は回復基調なので、少し前の風景ということなんですけど。

木津:ベルムト監督はしかも若いですからね。あの硬質なノワールは伝統的なようでいて新しい感性でもあるということだし、いま三田さんがおっしゃったように経済破綻が背景にあるとすれば、それを直撃した世代の率直な言い分だとも思えてきます。僕は『マジカル・ガール』は、金銭の獲得が肉体的な苦痛と直結していることが気になりました。セックスもバイオレンスも金銭の移動を誘発する行為でしかなくなっているというか……カネを得るための代償が、文字通り「痛い」ものになっている。しかもその場面は見せないでしょう? バイオレンスの快楽も観客に許さない、すごいドライさだなと思って。それにしても、この悲惨だけど笑えてしまえる話に、日本のカルチャーが参照されたのってどうしてなんでしょうね。単純に監督が日本にいたからとか好きだったからとか、そういうレベルの話じゃないものを感じるんですが、それが何かが判然としなくてちょっとモヤモヤしてるんですよ。

三田:共同体がどこにもないんだよね。喫茶店ぐらいかな。『ロブスター』と正反対。「痛い」と言われて、当時、スペインの女の人たちが卵子を売って暮らしていたことを思い出した。そういう報道があって、同じ時期にジンバブエでは道端で男が女たちに襲われる精子強盗が話題になっていて、最近は金がなくても遺伝子を捕られちゃうんだなと。そうやって得たお金を、しかも、憲法の本に挟んで渡すんだよね。あれはスゴい皮肉。どこもかしこも超法規的なことばかりなのに。日本文化を持ち出しているのは、いい方に考えれば救いを求めているのかなとも思うし、そもそも、あの女の子が日本に興味を持ったばかりに……とも取れるので、なんとも言えない。『ポケモン』を観てスペインの子どもが自殺したという報道もあったから、何かスペイン人にとって、ジャパニメイションとかは死生観を揺らがせるメタファーに満ちているのかもしれない。

木津:それは何ともドンヨリする話ですね……。身体性についても本当に経済の問題なんだ。ベルムト監督もそうだし、上半期は比較的新しい作家が目立ったかなと思います。アンドリュー・ヘイ『さざなみ』、ネメシュ・ラースロー『サウルの息子』、ミシェル・フランコ『或る終焉』、ジャスティン・カーゼル『マクベス』などなど。どれも見応えありましたが、なかでも、いまの文脈に通じるのはデヴィッド・ロバート・ミッチェル『イット・フォローズ』でしょうか。すごくいい意味でインディペンデント感のある青春ホラー映画なんですけど、描いていること自体は真っ当な思春期性でありながら、背景に荒廃したデトロイトの街が映りこんでいる。それがすごく良かったですね。スフィアン・スティーヴンスがデトロイトの衰退について歌ったのもすでに13年ほど前で、若い世代にとっては廃墟のような街がもう前提なんですよね。『マジカル・ガール』のノワール、『イット・フォローズ』のホラーと並べてみると、経済が破綻してもはや回復しないであろう地点で何を描くか、という共通点が見えてきます。いまのところそれは死であり呪いであり暴力なんですけど、さらにいろいろなことがテーマになってくるでしょうね。

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三田:ベン・ウィートリー監督『ハイ・ライズ』は、そういう意味では崩壊に至るまでのプロセスを辿り直してくれたようなところがあった。70年代に原作を書いていたJ・G・バラードの予見性もさることながら、これは同時に再開発によってイギリスから失われていく風景を記録したものにもなっていて、具体的であるがゆえにかえって観念的なブラック・ジョークにしか思えなくなってくる。妙な神話性を帯びてくるというか。バラード・ファンに受けた『マッド・マックス 怒りのデスロード』もまったく同じだったんだけど、そうなると美術や特殊効果にやたら凝りまくるという感覚は興味深いよね。『ハイ・ライズ』はジェレミー・アイアンズを起用している時点でクローネンバーグを意識していることは自明だし、縦横無尽にインサートされるショート・カットがそれこそクローネンバーグのカット・アップに観えてくるんだよ。あれは実に楽しめた。ウィートリーも含めて若い才能ももちろんいいんだけど、同じような映像の快楽を味わわせてくれたのが『イレブン・ミニッツ』のイエジー・スコリモフスキ監督で、78歳とは思えない発想、斬新な映像感覚、カット割り、そして音楽だった。

木津:『イレブン・ミニッツ』! 素晴らしかったですね。公開は8月ですが、僕も今年ベストの1本ですね。描いていること自体も非常に現代的ですし、でもそれ以上に映画的快楽を浴びているうちにあっという間に終わっているという。タランティーノの『ヘイトフル・エイト』も頑張ってましたが、この域まで行ってほしいですねー。エンニオ・モリコーネの音楽に助けられてるところもありましたから。『ハイ・ライズ』はまだ観れてないんですが、ポーティスヘッドによるアバ“SOS”のカヴァーが主題歌になったのが話題になってましたね。その組み合わせ、センス良すぎるだろっていう。スタイリッシュなSF繋がりで言うとアレックス・ガーランド『エクス・マキナ』の音楽もジェフ・バーロウが手がけていて、そういうところにいまも要請があるのはほんとさすがだな、と。話自体は人工知能を描いたものとしてはわりとオーソドックスなんですけど、インターネットが重要な要素として描かれているのは大きいと思いました。さっきの家父長制の話で言うと、娘が強権的な父に囚われていると見なせるんですが、それが地縁でも血縁でもなくネットの検索ワードに支えられてるんですよ。これはすごく現代的だと思いました。と同時に、やっぱり家父長制みたいなものがそんな世界でもテーマになるんだな、とも。ダン・トラクテンバーグ『10クローバーフィールド・レーン』、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン『裸足の季節』と、娘が父権的なものに閉じこめられている映画をやたら続けて観ている気がします。この対談のテーマのひとつですね。

三田:どれも観てないので少し違うかもしれないけど、レニー・アブラハムソン監督『ルーム』でも娘の子どもを父親が受け入れない場面があったよね。あそこはステップ・ファミリーの方がイレギュラーな事態に対処できるという図式になっていた。娘は娘で母親に「あなたが教えたように、困っている人に親切にした結果がコレだ」と批判する場面もあって、母と娘も修復できないのかと思ったら、あの子どもが「僕、ばあばのこと好きだよ」と逆からブリッジをかけることになって。アブラハムソンがひとつ前に撮った『フランク』で主人公がおかしくなってしまう理由と、そこからの脱出を音楽に求めていたのに対して、『ルーム』は音楽というファクターなしで同じことをやってみたのかなと。前半と後半で隔離の質が変わるだけというのは『ロブスター』にも通じるものがあるというか。他人に閉じ込められるか、家族に閉じ込められるか。

木津:うーん、じつは僕は『ルーム』は引っかかるところが多くてあまり受け入れられなかったんですが、そう言われるとなるほどと思います。娘の子どもを父親が「見れない」と言う場面が一番ヘヴィでしたね。だから僕は、「見ること」についての話だと思ったんですよ。自分が暴力の被害に遭ったことをいかにして見るか、受け入れるか。そして子どもにとってははじめて「見る」世界が待っている。ただ、子どもがはじめて空を見る場面でドラマティックな音楽が流れたり、やり方としてはちょっとあざといんじゃないかなと。三田さんがおっしゃるようにステップ・ファミリーという点ではオルタナティヴな家族の形を示しているようにも思いますが、ただ、その共同体が彼の純粋さに救われてしまっていいのかと感じたんですよ。何より観客が救われた気分になれてしまう。少女監禁を描いた映画では世間的にこっちは大絶賛で、後味の悪さが残ったアトム・エゴヤンの『白い沈黙』(14)がボロカスっていうのはちょっと不平等かなと。

三田:『白い沈黙』ってボロカスなの? それは随分だなー。『ルーム』は『フランク』の監督だということ以外、設定は何も知らずに観たので、空を見る場面はとんでもない開放感がありましたよ。盛り上がりすぎて音楽が流れていたことすら気づかなかった(笑)。確かに「観客が救われた気分になれてしまう」ということはあるかもね。観ながら、実は『ネル』を思い出していたんだけど、意図的なのか偶然なのか、ショーン・ブリジャースが両方の作品に出ていて。『ネル』になくて『ルーム』にあるのは強力な母子関係なので、子育てで気が変になる母親のことも考えざるを得なかった。ショーン・ブリジャーズの役回りと世の中の父親って大して違わないじゃない? それがそのまま山下敦弘監督『オーバー・フェンス』にも被っていくんだけど、公開が9月だから、これはさすがにやめよう(笑)。

木津:そうですね(笑)。うーん、だから、そういう閉じた母子関係みたいなものがしんどかった部分も、僕はあるかもしれないです。ブリー・ラーソンはもっと別のところでも希望を見つけてほしいというか。ではここで僕の上半期ベストのトッド・ヘインズ『キャロル』の話をするんですが(笑)、いまの流れで言うと、そっちには母であることを奪われていく女が出てくるんですよ。女を愛する女であるということと、母であるということを両立させてもらえない時代であり世界の話ですね。いま同性愛を扱うのなら、いかに過去を描くかだと思うんですよ。ローランド・エメリッヒの『ストーンウォール』はホワイトウォッシュだと言われてボイコットまでされましたが、要するにいまの状況の下地をきちんと検証することが重要になっている。『キャロル』の場合は60年代の前の50年代ということが強調されるんですが、そのことによってトッド・ヘインズのかねてからの古典映画への憧憬がはじめて結実したように思えたことがひとつ。「同性愛を美化している」との評もいくつか見ましたが、それはまったく逆で、50年代のハリウッド映画の美的世界に同性愛を持ちこんでいるんですよ。当時は許されなかったわけですからね。もうひとつは、ルーニー・マーラの側から見ると、自分の欲望するものを手に入れようとする女の一瞬を描いているという、とてもシンプルな意味での女性映画だと思えたことですね。LGBT関連では老ゲイ・カップルのちょっとした問題と日常を描いたアイラ・サックス『人生は小説よりも奇なり』も素晴らしかった。こちらは現代のニューヨークを描いていますが、熟年夫夫なので過去が透けて見えてくる。それはふたりの過去であり、数々のゲイたちの歴史であり……。僕、ブームもあるからゲイ映画は基本的に疑って観るようにしているんですが、これに関してはもうずっと泣いてました(笑)。


『キャロル』 ©NUMBER 9 FILMS (CAROL) LIMITED / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2014 ALL RIGHTS RESERVED

三田:さすがに力が入りますね(笑)。『キャロル』は観てないんだけど(観なくちゃね)、ジル・ソロウェイ『午後3時の女たち』とかグロゼバ&バルチャノフ『ザ・レッスン』とか、女性がちょっとした欲望を持つ映画ってたいてい悲劇になるのはそれが現実的だという判断なのかしら。ウッイ・メーサーロシュ・カーロイ『リザとキツネと恋する死者たち』なんか、そこまでいじめることはないだろうと思うけど、やっぱりその方が説得力があるのかなーと。やっぱ観そこなっちゃったんだけど、トム・フーパー『リリーのすべて』はどうなんですか?

木津:あ、まさにそういった文脈で僕はあまり評価していないです。実話がもととはいえ、トランスジェンダーの悲劇性が強すぎるように思えて。しかもそこで観客が涙するっていう構造になっているのがね……。トランスジェンダーなのでこれも女の映画と言えますが、そういった意味では『キャロル』と逆なんですよ。女の悲劇が現実に則したものなのだとしたら、僕はやっぱりそれを描いた上で、乗り越えていくものが見たいと思います。だから僕は、トランスジェンダーの娼婦をある種溌剌と描いているというショーン・ベイカー『タンジェリン』を一般公開してほしいですね。しかし女の話ばかりしてますね、この対談。

三田:男はスパイになって飛び跳ねてるだけだからねー。そう言われてみると、男はドラマを持ってないのかも。火星に行ったり、雪山に登ったり、部屋にいたりするだけで。役者的に見てもトム・ハーディやマイケル・ファスベンダーが人気なのはいいけど、あまりに癖がなさ過ぎる。本当にしょうがない男を描いたチャーリー・カウフマン『アノマリサ』はそこを突いたということなんでしょううか。ジョージ・クルーニーやチャニング・テイタムにスパイもののパロディをやらせたコーエン兄弟『ヘイル、シーザー』はけっこう笑えましたけどね。

木津:『ヘイル、シーザー』はちょっと気が利きすぎですよー。ほんとに笑えるだけっていうか。『アノマリサ』はテーマとスタイルがピッタリ合っていて感心する半面、あまりにもカウフマン的な現代人の鬱の話なんでちょっと心配になっちゃいました……。でも、スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』は飛び跳ねないスパイを描いていたじゃないですか? 大御所の意地というか、あの地味な辛抱強さはやっぱり偉いし、グッときましたよ。まあ、今回の話の流れで言うと父権的なものを讃えているとも取れて、そこは僕がマッチョなものに抗えないところが出ちゃってるかもしれないですけど(笑)。

三田:『ヘイル、シーザー』は政治に左右されず単純に面白い映画を撮りたいというメッセージはしっかりあるじゃない! ジョージ・クルーニーもわざわざ共産主義にカブれる役をやるなんてセルフ・プロデュースの能力が高いなーと関心したし。『ヘイル、シーザー』だけじゃなくて『完全なるチェックメイト』とか『ムーンウオーカーズ』が冷戦ものにどんどん変化球を加えてくるなか、『ブリッジ・オブ・スパイ』は剛速球という感じでしたね。「007」シリーズが全盛期に匹敵する盛り上がりを見せているということは、エクスキューズなしのエンターテイメントをやるチャンスでもあって、木津くんはダメかもしれないけど、僕はガイ・リッチー監督『コードネーム U.N.C.L.E.』(15)が去年のベスト5に入るんですよ。スタイリッシュなのに斜にかまえたところが一切ないというのはなかなかできないことだし、かつての「007」シリーズに対する、当時の「カジノ・ロワイヤル」的な知性を感じるところがあった。角砂糖のシー ンが最高でしたね。

木津:おおー、ここで『コードネーム U.N.C.L.E.』を三田さんが褒めるとは(笑)! 僕はご予想の通り、ダメだったなー……編集がチャラチャラしてるように感じてしまいました。でもたしかに、政治から逃れられないムードは欧米の映画ではいま強いでしょうね。

三田:『ブリッジ・オブ・スパイ』は60年代の冷戦ものに対して、悪くいえばお勉強的な視点を持っているよね。たまたまキャロル・リードが50年代に撮った『二つの世界の男』を観た後だったので、ベルリンに壁が建設されていく過程は余計に歴史的な重みを伝えてくるところもあって。冷戦というのはスパイの遊び道具じゃないんだよというか(その後で観たマルクス・ディートリッヒ監督『ビームマシンで連れ戻せ』にはベルリンの壁に対するさらに異なった認識が展開されていて驚愕でしたけど)。木津くんが感じるように父権的なモードを発動しているとしたら、それは、僕はあの映画がエドワード・スノーデンを意識しているからではないかと思うんだよ。『ソルト』(10)だったら、スパイは根無し草のように扱われるし、国家が庇護するという感覚からはほど遠いんだけど、スノーデンは正義を行ったんだという感覚を捨てきれないアメリカ人も多いだろうし、そのまま当てはまるわけではないけれど、国家が市民をどう思っているかという意識が反映されている気がして。

木津:ああ、スノーデンのブームもすごいですよね。かなりアイコニックな存在になってますね。

三田:今年のレコード・ストア・デイにスノーデンがトランスのレコードを出してたね。ジャン・ミッシェル・ジャールのサウンドにスピーチを載せてるだけなんだけど。



木津:スノーデンのトランスって……。踊っていいのかわからなくなっちゃいますね。そう言えば、スノーデンによる一連の暴露の過程をリアルタイムで追ったドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』はなかなか興味深かったですよ。

三田:そんなものを撮ってたんだ。

木津:アメリカでは2014年に公開されていてそのスピード感はさすがアメリカ映画だなとは思ったんですけど、2016年にこれを観られたのはある意味ラッキーで、「結局オバマ時代って何だったんだろうなー」とボンヤリ考える契機になったというか。リバタリアンのスノーデンに対しては政治的な観点では疑問に思うところもありますけど、ただ、アノーニの“オバマ”じゃないですが、いまのどんよりとした失望感みたいなものはうまく抜き出してるかなと。それと、カメラがまさにそれが起こっている現場にずっとあったっていうのは、単純にやっぱり興奮しましたね。

三田:なんでも撮るよね、いまは。

2016年の上半期を象徴する映画っていうと何になりますか? 僕はディズニー映画の『ズートピア』なんですが。(木津)

木津:ただドキュメンタリーでは、森達也監督の『FAKE』が逆のアプローチをしているように思えて、さらに面白かったんですよ。佐村河内守の例のゴーストライター事件のあと、基本的には佐村河内側にカメラと監督が密着しているだけなんですけど、絶妙なところで電車が走ってきたり「劇映画の演出みたいだな」って思うところがあるんですよ。観客に対して、ずっと「これは現実なのか演出なのか?」と不安にさせるところがある。『シチズンフォー』がアメリカン・ジャーナリズム的に真実の重要性を訴えているとしたら、『FAKE』は「そもそも真実をひとは見たいんでしょうかね」という不敵な態度があって僕はゾクゾクしましたねー。これは問題意識的にも、いまの日本をよく表しているなと思いました。では最後に、個人のベストは別にして三田さんは2016年の上半期を象徴する映画っていうと何になりますか? 僕はディズニー映画の『ズートピア』なんですが。

三田:なんだろ。クリスティン・ウィグが出てる映画全部。『ミニー・ゲッツの秘密』『オデッセイ』『ズーランダー2』『ゴーストバスターズ』……まだやってないけど、あの鼻のカタチが気になる……。

木津:なんでですか(笑)。僕が『ズートピア』をここで挙げたいのは、#BlackLivesMatterかつ、女の映画ですから。ビヨンセの『レモネード』とセットで観るといいのかな、と。ただ、実際に観ると完成度は高いし、評価が高いのもすごく分かるんですけど、同時にアメリカがいま分断されていることも表しているな、とも思っちゃって。数年前からポリティカル・コレクトネスの問題は気になっていたんですが、ある意味これは決定打だなと。ドナルド・トランプを支持するようなひとたちは説教くさいと思うだろうし。あの世界が「ユートピア」なのは基本的にリベラルな意識が浸透しているからで、そうではないひとたちとは話自体が噛み合わなくなっているということなんだな、としんみりしてしまって。完成度が高いだけに……ということですけどね。とくにアメリカは政治的なモードがしばらく続くとは思うので、よくも悪くも11月の大統領選がターニング・ポイントになるでしょうね。ここ数年の映画は、こうして振り返るとその前夜のムードをすごく感じますよ。

2016年 上半期ベスト5

木津毅
1. キャロル
2. 母よ、
3. ブリッジ・オブ・スパイ
4. 人生は小説よりも奇なり
5. さざなみ
次. LOVE 3D

三田格
1. ロブスター
2. マジカル・ガール
3. ルーム
4. ふきげんな過去
5. クリーピー 偽りの隣人
次. ビームマシンで連れ戻せ

Sam Kidel - ele-king

 彼・彼女は受話器を取ると途端に声が変わる。感情はない。ただはっきりと明快に「もしもし」は繰り返される。その声の丁寧さ、礼儀正しさ、明朗さ、そして感情の無さは、ぼくたちの生活の一部であり、文明の一部であり、古代にはなかったものである。
 「もしもし」はそして、考えてみれば異様な声だ。当たり前すぎて考えたこともなかったが、ブリストルのヤング・エコー・クルーのひとり、El Kidのソロ・アルバムでは、A面いっぱいに、24分間も「もしもし(hello)」「〜をうけたまわりました」などなど白々しい電話の声が続く。企業のコールセンターに電話する(あるいは一方的にされる)。「もしもし」「のちほどおかけください」「がちゃん」「ピー」「……」。機械よりも機械的な声が続く。そして、この声に、ヴェイパーウェイヴが再利用した使い捨てのBGMがミックスされる。レストランやエレヴェーターなど商用施設のための音楽(ミューザック)が。

 〝分裂するミューザック〟と題された本作の淋しさ、人気の無さは、一聴に値する。通信ネットワークに繋がれた空間の寒々しさ。ぼくたちの生活の一部であり、文明の一部であり、アンビエントなのだ。このコンセプチュアルなアルバムは、明らかに、2年前までがゴシック/インダストリアルなどと括っていたもの、たとえば〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉のようなものとヴェイパーウェイヴとの結合である。そう、吸血鬼によって魂は吸い取られたというわけだが、その場所が丘の上の古城でも夜の墓場でもないことをこのアートワークは教えてくれる。
 B面はその「もしもし」=声を消したミューザックで、このように書くとたったそれだけかよと損した気になるのだが、作者であるSam Kidel は、「もしもし」なしでもこの音楽が面白いことを証明したかったのだろう。たしかに面白い。最後まで聴く気にさせるし、メランコリックであることはたしだが、しかし、この音楽からブリストルという記号は聴こえてこない。

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