「F」と一致するもの

Sons Of The Morning - ele-king

 00年代エレクトロニカの記憶と技法は、いま、どのように伝承されているのだろうか。

 1990年代末から2000年代初頭、ハードの飛躍的な向上によって、PC内での音色の徹底的なエディットが可能になり、それまでの機材では不可能であった音色のエディットや運動感覚の生成、音響デザイン(それらのエラーの活用も含めて)が行えるようになったとき、いわゆる、ポスト・デジタル・ミュージック=初期エレクトロニカのフォームは完成したといえるのだが、同時に、音色や音響の運動に対する聴き手の聴覚もまた大幅に拡張させていった。ミュージック・コンクレートや電子音楽など現代音楽のフィールドに属するアカデミズム内ではなく、クラブ・ミュージック/テクノ・フィールドから派生したからこそ、よりポピュラーな形で聴き手の聴覚を更新させたのだろう。キム・カスコーンの語る「失敗の美学」が作り手と聴き手の間に一気に浸透していったのだ。

 そして、00年代初頭には、90年代末期の「実験」の成果を踏まえて、よりポップでありながらも、グリッチなどのソフト・ノイズを活用したミニマルな和声進行の瀟洒な電子音で織り成す応用型エレクトロニカが一世を風靡したわけだが、2000年代末期~2010年代初頭のドローン/アンビエント・ブーム以降(しかし、これは「音楽」への回帰でもあったと思う)、そういったエレクトロニカは、わずかな例外を除いて音の海に溶けていった。

 だが、昨年あたりからだろうか、大きな変化の兆候を感じるのである。まるで音の海に溶けていた音響が再び形を取り戻してきたかのように。たとえば日本のエレクトロニカ・シーンにおいて、00年代初頭のエレクトロニカ・ムーヴメントからの影響を受けた(間接的であっても。たとえば2003年のスケッチショウ『ループホール』以降の環境とも)音楽家たちが、極めて高品質な作品を相次いでリリースしている。〈プログレッシブフォーム〉からリリースされたポウン/ヒデキ・ウメザワ『ポートレイト・リ:スケッチ』(2013)などは必聴だ。

 では、海外はどうか。確かに近年のエレクトロニクス・ミュージックのトレンドは、インダストリアル/ノイズとの交錯であったり、ミニマル・ダブであったり、ジュークであったりするなど、00年代的なソフト・グリッチなエレクトロニカはシーンの中心にいるわけではない。だが、〈ラスター・ノートン〉は未だ健在だし、多くのアーティストが作品のリリースを続けていることを見逃してはならない。

 ビート・シーンからエレクトロニカ・ムーヴメントの交錯を実現したプレフューズ73ことギルモア・スコット・ヘレンもその一人である。デジタル・エディットだからこそ可能なボーカル・チョップの手法でシーンにその名を知らしめた彼は、トレンドとなったその手法に固執することなく、音楽的にも音響的にも作風を拡張してきた。彼は9枚のオリジナル・アルバムをリリースし、さらにはピアノ・オーヴァーロード、アーマッド・ザボ、サヴァス&サヴァラス、クラウド・ミレヤなどの別名義・別グループなどで大量の作品を生み出しきた。連名コラボレーション作品としてはザ・ブックスとのEP『プレフューズ 73 リーズ・ザ・ブックス E.P』(2005)もある。2012年には、突如、ピアノ・オーヴァーロード名義のアルバムをリリースし、われわれを驚かせたものだ。

 本作『スピーク・スーン Vol.1』は、ギルモア・スコット・ヘレンと写真家エンジェル・サバリョスによって設立された新レーベル〈イエロー・イヤー・レコーズ〉からのリリース第一作であり、LAビート・シーンの俊英ティーブスとのコラボレーションである。ティーブスといえば、2010年にリリースされたファースト・アルバム『Ardour』は未だ多くのリスナーに愛されている名盤だ。そのロマンティックな音響とクリッキーなビートを聴いていると、桃源郷へと連れていかれるような気分になる。画家でもある彼のトラックには、聴くペインティングとも形容したい色彩感を感じるのだ。フライング・ロータス以降、注目すべきビートメイカーの一人といえよう。

 プレフューズとティーブス。そんな二人のコラボレーション作品となれば、どれほどの作品に仕上がるのかと聴き手は思わず身構えてしまいそうになるが、本作は、そんな聴き手の想像などを軽やかにかわしたリラクシンなアルバムであった。まるで初夏の空気のように柔らかく、同時に夏の終わりのようなを淡い記憶を刺激するノスタルジアが緩やかにゆれる。何度聴いても聴き飽きない、何年先も聴けるような普遍的な作品である。

 同時に私は、先に書いたような00年代エレクトロニカの技法が、極めて自然な形で鳴っていることにも驚いてしまった。LAビート・シーンとエレクトロニカ? 確かに戸惑うだろうが、前述したプレフューズ以降(そしてフライング・ロータス以降)、エレクトロクスの使用方法において共通する点も多い。過度に圧縮された軽やかに蠢く電子音のエディットと、細やかな動き。それらがステレオに配置(デザイン)されていくことで耳をくすぐり、時にムード・ミュージックのように甘くドリーミーな和声感覚も鳴り響き、細やかなビートが絡むのだ。

 そもそも90年代のアブストラクト・ヒップホップの流れを受ける彼らが、00年代的エレクトロニカと交錯するのも極めて当然であった。00年代のエレクトロニカ的音響とは、サンプリング・ミュージック以降、もっとも大きなサウンド・テクノロジーの進化であるのだから。全7曲、どのトラックも、00年代的なデジタル・コンプレッションが多用された音が、デザインされ、軽やかに鳴っている。甘いコード。ソフトなグリッチ・ノイズ。大きな円環を描くようなクリッキーなビート。時に断片的なギターが鳴り響き、時にアンビエント/ドローンが持続する。あらゆるものからフローティングしているデジタル・サウンドがもたらす音の運動と色彩をめぐる音の快楽。ミニマルなスタイルと、適度にセンチメンタルで、ポップな音。夏の終わりの記憶を刺激する白昼の夢のようなサイケデリア。それらが日常の片隅で不意に鳴り続けること。

 このコラボレーションには、そんな00年代的音響の最良の部分が鳴っている。デジタル・サウンドに封じ込められた夏の終わりの記憶に、グリッチ・ノイズやサウンドが介入する。それが、私たちの、21世紀の音楽である。エンドレス・サマーは終わっていないし、終わらないのだ。現在と過去はノイズとデジタルと音楽/音響の狭間に、並列に、ある。00年代エレクトロニカ/音響は、いまも、これからも私たちの耳元で、波の記憶とデジタルなソフト・ノイズと共に鳴り続けるだろう。

オンリー・ゴッド - ele-king

 虚無的なLAの街に流れていたのはシンセ・ポップだった。それは、寡黙で暴力的な男が主役のクライム・ムーヴィーにはまるで不釣合いなほど甘ったるく、しかし同時に、どこか幼さを残すライアン・ゴズリングの不器用な恋心を代弁するのにはそれ以上の音楽はないように響いた。世界に野心的な監督の才能を発見させたニコラス・ウィンディング・レフンの前作『ドライヴ』の成功は、あの画面をシンセ・ポップで満たそうとしたセンスだったといまでも思う。台詞による言葉よりも、映像と俳優の佇まいと音でドラマティックな瞬間を示そうとするウィンディング・レフンはいまどき貴重なほど映画に奉仕するシネアストであり、一種古風で典型的な映画作法を用いながらもしかし新しい領域を模索せんとする探求者だ。快楽的でありながら、同時にまだ見ぬ可能性の香りがこのひとの映画にはある。

 バンコクというよりはLAに見える虚飾が煌く街を舞台に、ライアン・ゴズリングが画面のなかで押し黙っているレフンの新作『オンリー・ゴッド』は『ドライヴ』からの連続性を強く感じさせるがしかし、あのシンセ・ポップのような甘いひとときは皆無だ。少女をレイプし殺害した兄がその父親に惨殺され、そのさらなる復讐を犯罪組織のボスでもある母親に命じられるプロットの上で、過激と言うにはドライなあまり美しくすら思える暴力描写が次々に続く。『ドライヴ』が一種典型的な犯罪映画を下敷きにしていたように、本作もわたしたちのギャング映画や西部劇の記憶をかすめるが、それがギリシア神話や格闘技映画と接続されることで何か奇妙な手触りを残す。
 古風なようでいて、しかしどういうわけかこれは見たことのないものだと直感させられてしまうレフンの現代性はどこにあるのだろう? 『オンリー・ゴッド』においてそのヒントは、クリスティン・スコット・トーマス演じる(怪演!)絶対権力者である母親が、ゴズリングに「お前は自分よりもペニスの大きい兄に嫉妬してた」と、よりによって会食の席で口にする台詞にあるように思える。『ドライヴ』でのセックスの欠落はドライバーの恋の初々しさを示すものでもあったが、本作においてのそれは主人公ジュリアンが性的に未熟であることをほのめかしているようだ(母が溺愛する兄は「すごいペニス」を持っていて、そして少女をレイプするような男である)。レフンはそのフィルモグラフィで暴力的な男たちを溢れさせてきたがしかし、あどけなさを残すゴズリングという格好の被写体を得て、旧来のマッチョイズムには回収されない含みを漂わせる。男の出来損ないとしてのヴァイオレンス……映画における、性のステレオタイプの揺らぎが示唆されているのではないか。

 そして復讐劇であったはずの映画は、信仰の問題に分け入っていく。ゴズリングは『ドライヴ』同様にここでも孤独な存在で、母親の絶対的な支配から逃れるようにして別の「神」を求めていく。これまでに暴力描写においてギャスパー・ノエの映画を参考にしたというレフンだが、ノエが『エンター・ザ・ボイド』において(よくも悪くも)スピリチュアルな領域に入り込んでいたのをここで思い起こさせる。ただ、本作はほとんど感傷を介在させていない点でレフンのほうが一枚上手であるように僕には思える。ジャンル映画を接続し、ミニマルな様式でそのじつ多くのことを(語るのではなく)ほのめかす、なるほどこれから先の映画を切り拓いていくだろう才能による勝負作である。
 最後に音のことに触れておくと、クリフ・マルチネスによるオリジナル・スコアはインダストリルな感触のエレクトロニック・ミュージックだ。その辺りのセンスにも、やはりゾクゾクさせられる。

予告編

interview with Warpaint (Jenny Lee Lindberg) - ele-king

 「世界は複雑な場所だ」と唱えることでむしろ世界を単純化しがちなわたしたちは、ウォーペイントの寡黙な力強さを通して、ふたたびその複雑さに触れる。美しい容姿の女性4人組バンドだと紹介すれば華やかだが、実際のウォーペイントに感じるものは実直なミュージシャンシップと、トレンドに頓着しない揺るぎなさだ。曲名も“ハイ”とか“ビギー”とか“ドライヴ”といった素っ気ないものが多いが、音に触れたときに流れ込んでくるものが、そのくらいのシンプルな言葉でなければ受け止められないような渦を持っていると感じられる。
 デビューEP『エクスクイジット・コルプス』(2009年)は彼女らに惚れ込んだジョン・フルシアンテによってミックスが施された。その後老舗〈ラフ・トレード〉からリリースされたフル・アルバムも大きな賛辞とともに受け入れられた。そしてクリス・カニンガムまでが急接近し、今回リリースとなるセカンド・フルのアートワークは、ヴィデオをふくめ彼とじっくり組む形となった。彼女たちのキャリアはいまさらなる飛躍のタイミングを迎えている。2010年前後においては、彼女らの〈4AD〉の幽玄に通じるサイケデリアとドリーム感、あるいはポカホーンテッドらに神話するわずかにダビーなプロダクションにはたしかに注目されてしかるべき同時代性があったが、それにしてもこのように大柄な「オルタナティヴ・ロック」が、これほど素晴らしく聴こえるというのは特筆すべきことだ。


Warpaint / Warpaint
ホステス / Rough Trade

Tower HMV iTunes

 今作はジョシュア・トゥリーで録音されたということだが、奇岩と砂漠が広がる乾燥地帯は、彼女たちのあの虚飾を拒むような音をよく象徴している。カントリー色こそないが、彼女たちの根元にロックがあることを感じさせる。それはスタイルではなく価値観であり、カルチャーではなく実存だ。フラッドやナイジェル・ゴドリッチの参加は、そのなかに旋毛のようにたくしこまれている繊細さを無重力的に立ち上がらせたと言えるかもしれない。レクトロニックに奥行を構築された本作は、トリップホップからインダストリアルな要素まで垣間見せながら、あくまでそれを自分たちの血とし肉として鳴らしている。

「力強さ」を強調するように書いてしまったが、それは彼女たちの持つ「ミステリアス」に安直なニュアンスを与えたくなかったからだ。ウォーペイントの沈み込むような文学性や、透明でありながらもどこか諦念や倦怠を感じさせる曲調は、今作によりディープに引き継がれている。こうした性格はドラムのステラの加入によって強められたともいうが、ソングライターを軸に曲ができていくというよりも、おそらくはセッションから曲の要素を取り出している彼女たちの方法がしのばれる話だ。インタヴュー中、ヴォーカルのリンドバーグは一貫して「We」で回答しており、あくまでバンドとしての自身らの矜持を語っているように感じられた。歌詞については「全体的に共通して「愛」を題材にしている」そうだ。4人それぞれの愛の観念が、岩とヨシュア・トゥリーの間を彷徨し、風のように唱和する──どろりとしたものと乾いたものとが、バンドというダイナミズムのなかで静かにせめぎ合う、そのなかでふと世界に触れてしまう、本当にまれにみる傑作だ。

これまで10年ものあいだ、テレサとエミリーと3人でやってきて、ひとつの集合体として育ってきたけど、それと同時に歳を重ねることで個々がはっきりしてもきた。今回の作品では、なによりその「個」の部分を失わずにひとつにまとめることができたと思うの。

セルフタイトルのアルバムとなりましたが、印象的な変拍子をはじめとして、リズムが少し戦闘的というかアグレッシヴになったと思います。“ハイ”などの16ビートもとても新鮮でした。今回は何らかのかたちでダンス・ミュージックが意識されていたのでしょうか?

曲作りのためにスタジオに入ったとき、特定のコンセプトやアイデアを事前に考えて臨んだりせず、それぞれがそのとき思いついた、自然に生まれたものをまとめようとしたの。いまやりたい音楽、いま聴きたいと思える音楽をね。

“ハイ”などのいわゆるトリップホップ的なムード、あるいはインダストリアル的な音の世界観は、とくに際立った特徴ではないかと思います。こうした音楽性を取り入れていくようになったきっかけのようなものはありますか?

これも自然な成り行きでできあがった曲で、テレサの家でわたしが思いついたベースラインにテレサがギターを弾きはじめて歌ったものが土台になってるの。マジカルにすべてがうまく自然に重なり合ってできた曲ね。

ジョン・フルシアンテからの影響や彼との仕事も素晴らしかったですが、今作はフラッドやナイジェル・ゴドリッチといった人々の手も活きていて、ウォーペイントはとてもブリリアントに90年代の音楽を再解釈しているようにも思われます。その頃の音楽が原体験にあるからでしょうか? どのような音楽に親しんできましたか?

うーん、わたしにはお手本になったバンドとか、「こうなりたい」と思う特定のバンドやアーティストはいなかったし、わたしたちは互いに幅広くいろんなジャンルの音楽を聴いて育っていると思う。だからわたしたち自身も、どのジャンルと特定するのか難しいくらいバンドとしてヴァラエティに富んでいる音を出していると思うわ。

フラッドやナイジェルは、あなたがたのバンド・サウンドのダイナミズムを損ねずに、エレクトロニックな展開やダンス・ビートへとつなげていると感じました。彼らに対してバンド側からの要望は何かありましたか?

ナイジェルはアルバムの中の2曲でミックスを手掛けているの。当初はとくにいっしょにやりたいと思える人が思い浮かばなくて、すべてセルフ・プロデュースにしようと考えていたんだけど、フラッドのことがふと思い浮かんで。彼を第一希望にしたわ。だから彼が引き受けてくれたのはうれしかった。彼は制作の最初からわたしたちといっしょにいてくれて、とくにわたしたちに方向性を押し付けたりこれまでのイメージを強調しようともしなかった。彼はすばらしいエンジニアでもあるし、何より彼にはより突き詰めるということの大事さを教えてもらったわ。たとえばわたしたちが「これで曲は完成!」って思って彼に聴かせると「よし、じゃあもうちょっと深いところまで行ってみよう」と、もっともっと深いところまでわたしたちの背中を押してくれて。結果的に自分たちだけでは到達できなかったであろう地点まで突き詰めることができたと思うわ。

一方、それとは対照的に、あなたがたのサウンド自体にはヒプノティックな雰囲気や、〈4AD〉を思わせるような幽玄がありますね。その中で“ラヴ・イズ・トゥ・ダイ”というような、文学的でヘヴィな認識が歌われるわけですが、自分たちに近い世界観を表現していると感じるアーティストや作家などはいますか?

特定のアーティストや作家というよりも、さっき言ったようにステラの加入が大きい部分ではあると思う。歌詞に関しては全体的に共通して「愛」を題材にしているということはあって、4人それぞれの現在思う愛のかたち、経験を歌っていることで作品全体の雰囲気を形成しているとは思うけど。

“Go In”などに顕著ですが、全体にダビーな手法が用いられていますね。ダブに憧れがあったりしますか?

もちろんダブは好きよ。あの曲はジョシュア・ツリーにいるときにできた曲ね。

クリス・カニンガムが今回は全面的にアートワークを手がけているようですが、彼が撮り彼が映像化したものを通して、あらたに発見した自分たちの姿や性質はありますか?

彼とはジョシュア・ツリーにデモを作りに行く前に出会ったんだけど、同行してバンドといっしょに過ごすことになったの。そうしていくうちにお互いをよく知ることができた。だから、彼の作ったものは必ずしもわたしたちだけでは思い浮かばないものだったりするんだけど、不思議とバンドとマッチしたと思う。これまで10年ものあいだ、テレサとエミリーと3人でやってきて、ひとつの集合体として育ってきたけど、それと同時に歳を重ねることで個々がはっきりしてもきた。今回の作品では、なによりその「個」の部分を失わずにひとつにまとめることができたと思うの。これまでももちろん、お互いを受け入れながらやってきたんだけど、今回はそれをより高めることができた。アートワークにはこれまでの私たちのいろんな映像が含まれているんだけど、まさしくそういう紆余曲折を経た後の「いまのわたしたち」がちゃんと捉えられていると思うわ。

彼は2年ほどバンドの姿を撮ってきたということですが、何か思い出深いエピソードはありますか? また彼の作品で惹かれるところがあればどんなところか教えてください。

彼は非常に器用で幅広いし、自分の気持ちにとても忠実なアーティストね。ある瞬間ロボットを扱っているかと思ったら次には草原を走り抜ける少年や動物を追っていたり、とにかくいま自分が感じていることに対して正直で、どのような領域でも誠実に自分の作品として扱うところが本当にすばらしいと思うの。自分の想像力に対し忠実であり誠実。でもとっても気さくで繊細で、いつもジョークを絶やさないおもしろい人。とにかくいつも驚かせてくれる人で、あの頭の中では何が起っているのかわからないけど、不思議なことに必ず誰もがおもしろいと思えるものを作り上げてしまうの。彼の作品はどれひとつつまらないと思うものがない。それが本当にすごいと思うわ。

まだあの頃は言いたいこともたくさんあったし、「Less is more」の精神がわからなかったのよ。

録音や音楽制作はアメリカで行っているのですか? 今回の録音に関してはどのような環境で行われたのでしょう?

2年前の2月頃からジョシュア・ツリーでデモを作りはじめて、それからレコーディングをLAのスタジオで行って、最終的なミックスはロンドンでやったわ。時間がかなりかかったように聞こえるけど、プロデューサーのフラッドのスケジュールに合わせるのがとても大変で、でもそのおかげで4人だけの時間もできてかなり細かく曲作りに打ち込めたからよかったわ。

セルフ・タイトルとなった理由はどんなことでしょう?

これまで2枚の作品を出しているけど、わたしたちの中ではこれがウォーペイントとしての初めての作品のような気がするの。ステラが加入して最初の作品でもあるし、この中には彼女が加入する前から書かれた曲もあったけど、彼女はそうした曲にも自分の色をちゃんと加えていて、この4人の作品として完成させることができたからセルフ・タイトルにする意味があると思ったの。

1曲めなどは、かなりロウなかたちで、あなたがたのセッションが生々しく感じられる録音になっていますが、全体としては、アルバムはアルバムとして別のプロダクションが目指されていると感じます。ライヴの音をCDで再現したいという思いはあまりないのでしょうか?

たしかにレコーディング開始当初はわたしもそこで迷ったんだけど、フラッドから「後のことは気にせず、いいアルバムを作ろう」と言われて吹っ切ることができたの。ライヴ用にアレンジすることはいくらでもできるし、音源とまったく同じでもおもしろくないし。むしろその方がライヴをよりエキサイティングなものできるし、音源とちがう表現にはなるけど、それはこれまでにもやってきているし、自分たちの得意としているところでもあると思うの。この作品ではライヴで演奏したときのマジカルな瞬間を捉えることもできていると思うし、先日行ったライヴですでにアルバムから4曲新曲をプレイしたんだけど、むしろ音源よりヘヴィなアレンジになったから何も心配はしていないわ。

いま思い返してみると『フールズ』はどのような作品でしたか?

もうリリースしてからはずいぶん長いこと聴いていない。もちろんライヴでは演奏するけどちゃんと音源として盤を聴いてはいないし、手元に持ってすらいないわ。ちょうど1年くらい前に聴き直す機会があったんだけど、そのときの印象は、とにかく好きな音源ではないということ。プロデュースされすぎて生々しさに欠けているし、間違いなくライヴ・バンドとしてのわたしたちを捉えていないし、とにかく気に入らなかったんだけど、最近はもうそれも乗り越えて客観的に聴けるようになって、思っていたほど悪くないなと思えるようになったの。もう過ぎてしまったことだし。ただあの音源をライヴでやるにはいろんな音を削ぎ落とさなければならなくて、それが今回のアルバムの教訓になっているの。レコーディングでは「これを上げて、これを下げて」ってバランスを取れるけど、ライヴではすべての音を鳴らせるわけじゃない。『フールズ』では本当は削りたくない音まで削ることになっちゃったから、今回のアルバムではそうならないようになるべく音数を増やさないように心がけたの。まだあの頃は言いたいこともたくさんあったし、「Less is more」の精神がわからなかったのよ。

Hyperdub 10 - ele-king

 なにせローレル・ヘイローのライヴを見れるんだぜ、それだけでも充分なのに、DJラシャドのDJで踊れる。エレクトロニック・ミュージックないしはダンス・ミュージックが好きで、いま海外で起きている、ちょっと尖ったことに少なからず興味がある人なら、こ、こ、これは、真面目な話、なんとしても行かねば……ですよ! DJフルトノもプレイするしな。先着順の特典も欲しいので、オレは開場時間に行こっと。

 出演者のプロフィールなど、細かい話はココを見てくださいね。
 ↓
 https://www.beatink.com/Events/Hyperdub10/

●来場者先着特典有り!

2014/1/31 代官山UNIT
OPEN/START 23:00  TICKET: 前売3,800YEN / 当日4,500YEN
※20歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。必ず写真付き身分証をご持参ください。
You must be 20 and over with photo ID.
企画制作/INFO:BEATINK 03-5768-1277(www.beatink.com
主催:シブヤテレビジョン

前売TICKET詳細:
BEATINK (shop.beatink.com
ローソンチケット - https://l-tike.com(Lコード70328)、
イープラス e+ - https://eplus.jp
tixee (スマートフォン用eチケット) - https://tixee.tv/event/detail/eventId/3725
clubberia (eチケット) - https://www.clubberia.com/ja/store/product/382-Hyperdub-10-E/ :1/31(FRI)14:00まで販売。

店頭販売(1/31(金) 各店閉店まで販売):
TOWER RECORDS(新宿店、秋葉原店)
disk union (渋谷Club Music Shop / 新宿Club Music Shop / 下北沢Club Music Shop / お茶の水駅前店 / 吉祥寺店)
disc shop zero
JET SET TOKYO

地方公演:レーベルの豪華精鋭4組が一挙に4都市を巡る激圧JAPANツアー!
2014/2/1(SAT) 名古屋CLUB MAGO
INFO: CLUB MAGO 052-243-1818[ https://club-mago.co.jp ]
2014/2/2 (SUN) 金沢MANIER
INFO: MANIER 076-263-3913[ https://www.manier.co.jp ]
2014/2/3 (MON) 大阪CONPASS
INFO: CONPASS 06-6243-1666[ https://conpass.jp ]


T.B.Brothers - ele-king

Bing Ji Ling - ele-king

 昨年末の超満員のリキッドルームでモダン・ラヴァーズの“エジプシャン・レゲエ”をカヴァー(というかフレーズを引用)したのはオウガ・ユー・アスホールだった。そして、パティ・スミスがリアーナの“ステイ”をカヴァーしていると教えてくれたのは三田格だった。どちらも意外と言えば意外で、いや、オウガはアリか……、しかし後者は意外でしょう。かねてよりカヴァーを好み、歌詞マニアとして高名なパティ・スミスでさえもリアーナを認めるのか! と嬉しい驚きである。

 カヴァーは、商業音楽における常套手段だ。多くの人の耳に馴染んだヒット曲をオリジナルとは違ったアレンジで再現することは、アレンジの妙技を伝え、売れる可能性も追求する。多くのカヴァーにおいては、より洗練されたアレンジが求められる。たとえばレジンデンツの嫌味な“サティスファクション”ではより売れなくなり、リンダ・ロンシュタットが“アリソン”を歌えばエルヴィス・コステロの原曲より大衆受けする。カーペンターズがビートルズをカヴァーすればビートルズを聴かない層にもアピールする。
 それはAORへと繋がる。それは口当たりの良いMORへと繋がる。不思議なもので、バート・バカラックの“クロース・トゥ・ユー”をジャマイカのフィリス・ディオンがカヴァーすればルードボーイが涙し、北欧のジャズ・シンガーが歌えばオヤジの外車で再生される。マイルス・デイヴィスがシンディ・ローパーの“タイム・アフター・タイム”をカヴァーすれば誰もが微笑む。カヴァーは、聴き手を選び、原曲の方向性を変えることもできる。たいていの場合、我々音楽ファンを楽しませてくれる。

 Bing Ji Ling(冰淇淋)とは、中国語でアイスクリームを意味するそうだ。上海に1年住んだことのあるという彼は、トミー・ゲレロのバンドのメンバーとして紹介されることが多いようだが、調べると、西海岸のタッスルの元メンバー(ジ・アルプスのメンバーでもある)なんかともいろいろなプロジェクトをやっていたことがわかる。ノルウェーの〈スモールタウン・スーパーサウンド〉、サンフランシスコの〈ロング・ミュージック〉、ニューヨークの〈DFA〉といったクラブ系のレーベルから作品を出している。ディスコ・バンド、フェノメナル・ハンドクラップ・バンドのメンバーとしての活動も知られているが、ソロとしてのキャリアも10年ほどある。日本では、2009年に〈RUSH! PRODUCTION〉から出た『So Natural』が話題になったが、同年のシングル「ホーム」はクラブ・ヒットもしている。
 彼のユニークなところは、彼の経歴からもわかるように、アコースティック・ギターとソウル・ヴォーカルの組み合わせ──いわばSSWの弾き語りスタイル──をクラブ・ミュージックのコンテクストと接合した点にある。言うなればチルアウトなソウル歌手だ。

 ビン・ジ・リンの新作は、全曲カヴァーで、プリンス、シャーデー、ドナ・サマー、リル・ルイス、ティアーズ・フォー・フィアーズといった有名どころから、80年代に活躍したロンドンの洒落たラテン/ソウル/ジャズ・バンド、ルーズ・エンズ、スイスのシンセポップ、ジャズのスタンダードなんかの曲も試みている。ちなみにドナ・サマーの曲は、超有名な“ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー”。他は、リル・ルイスの“クラブ・ロンリー”、プリンスの『パレード』収録の“アナザー・ラヴァー”、シャーデーの『ラヴ・デラックス』収録の“キス・オブ・ライフ”など、80年代なかばから90年代初頭にかけての曲が多い。
 アイスクリームを名乗るくらいだから、実に口当たりの良い、洗練されたアレンジと歌をビン・ジ・リンはやる。軽いボサノヴァや無害なジャズに混じって高級車やカフェでかかっていることも充分にあり得るだろうし、うちの母親だって聴け……るってことはないだろう。居酒屋でかかるって感じではない。が、とにかく、それほどぱっと聴きは、清潔感に満ちた、青く透明に広がるMORなのだが、しかし“ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー”や“クラブ・ロンリー”の歌詞を思えば、これはエロさを隠し持った清潔感なのである。しかも、アルバムはチルアウトな感性で見事に統一されている。録音のクオリティも高く、マンキューソに評価されるのもうなずける。
 このアルバムにはシュギー・オーティス(ソウルに電子音を注いだ先人)からの影響も見受けられる。エレクトロニクス(電子音からギターのループなど)と適度なパーカッションは、目立たないけれど、あまたのアコギ+歌モノとは一線を画すべく、ユニークな響きを引き出している。マーク・マッガイアがアコギでバート・バカラックのカヴァーを歌っていると言ったら大げさだけれど、というか、そのレヴェルの面白さを誰か追求して欲しいものだが、タッスル~ジ・アルプスとの共作という過去とも、言われてみれば繋がるなとは思う。また、本作は最近のネオアコな気分とも同期している、と言えなくもないか。

ピンクの三角形とこの痛みを胸に - ele-king

「自分の人生を生きたいだけ 知る限りのいちばんいいやり方で/だけどあいつらは言い続けるんだ お前にそれは許されていないと」

 僕は本当に迂闊な人間なので、そんな言葉で始まるジョン・グラントのピアノ・バラッド──昨年の素晴らしいアルバムのクロージングを飾る美しい一曲──が、ゲイたちの人生に向けて歌われていることに、年が明けて発表されたこのヴィデオを観るまで気がつかなかった。そこでは、おそらく1930年代辺りから現代に至るまでのLGBT()の愛と闘いの歴史が、膨大な映像や写真をコラージュ的に詰め込むことで8分に凝縮されていたのだ。そのヴィデオを観たのはグラントが自身のHPで素っ気無く紹介していたからだが、僕はPCの画面の前で完全に打ちのめされてしまった。

 はじめのヴァースでは第二次大戦前後における同性愛のアイデンティティの目覚めと迫害の歴史が映し出される(恋愛関係にあったのかもしれない兵士たち、病だと「科学的」に喧伝される同性愛、『オズの魔法使い』)。現代から見るとそこで映し出される「彼ら」が同性愛者なのかはわかりにくいし、年代も判然としないものが多いのだが、ナチスのイメージがどうしてここで引用されるかはわかる。同性愛者たちはホロコーストで強制収容されていた事実があるのだ(小学生のときに習った覚えはないが)。”But this pain,”……その映像を背景にして、コーラスでグラントの声が響く。

 だけどこの痛みは、
 きみに向かっていく氷河
 貴重なミネラルや他のものを蓄えながら
 深い谷を彫り刻み 壮大な風景を創りあげていく
 だから恐怖を麻痺させてみたらどうだろう、
 状況がとりわけつらく思えるときには

 ひとつはっきりと言えるのは、このヴィデオがたんに歴史的事件を機械的に羅列しただけのものではないということだ。ヴェトナム時代を迎えてカラーの映像が多くなったあと2度目のコーラスで”this pain”とグラントが歌う瞬間、その日付ははっきりとわかる。1969年6月28日、ストーンウォールの反乱だ! そして西海岸ではハーヴェイ・ミルクが登場し、同性愛者たちの権利運動(と、警察との闘い)は過熱していく……が、3度目の”this pain”では1978年11月、銃殺されたミルクの通夜を、そこに集まった数千人の人びとの悲しみを映し出す。穏やかだが熱のこもったメロディと寄り添うように掲げられる無数のキャンドルたち……。ひどくエモーショナルで、センチメンタルですらあるその映像の続きでしかし、わたしたちはまだまだひとが死ぬことを知っている。80年代がやってくるからだ。正確に言えばあの忌々しいロナルド・レーガン時代、エイズの炎が燃え盛った季節の到来だ……。

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ジョン アーヴィング
(小竹 由美子 訳)
ひとりの体で

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 偶然にも、このヴィデオとまったく同じことを書いた小説をまったく同じ時期に僕は読んでいた。ジョン・アーヴィングの新刊『ひとりの体で』(小竹由美子訳、新潮社)である。だけど、大きく、奇妙で、可笑しく、そして間違いなく魅力的なこの作品をどこから説明すればいいのだろう? ……迷ったときは1ページ目を開いてみよう。そこにはこんな文章が書いてある。「私が作家になったのは十五歳という成長期にチャールズ・ディケンズのとある小説を読んだからだと誰にでも話しているのだが、」……。アーヴィングといえば(ジョイスなどの)ポストモダン文学をこき下ろし、ディケンズに由来するような物語の復権を訴えた作家として有名だが、それとてずいぶん昔の話だ。つまり、じゅうぶんに文学者としての地位を築き上げた大家が、いま紡ぎ上げたかった「物語」こそが本作だ。
 『ひとりの体で』では、70を目前とした老作家が10代の頃からの自分の人生を振り返る文章が綴られるのだが、一人称の主であるウィリアム・アボット──愛称でビリー、ビル──はバイセクシュアルであることで、性の揺らぎに翻弄される人生を歩んでいく。一見、半自伝的な体裁を取っているようで(物語の背景や舞台はアーヴィングの個人史と合致する部分も多い)そうではなく、著者いわく「もし十代の私が幼少期の衝動に従って行動していたらどうなっていたか、という想像」(本作帯より抜粋)であるという。そして本作では、そのでっちあげの歴史が、性のはぐれ者たちの見落とされた歴史と接続される。
 アーヴィングの生まれ年によるところもあるが、年代設定が巧みだ。回想の形を取っているので時系列も空間も行ったり来たりするのだが、上巻ではおもに10代のビリー青年がみずからの性の確固たるアイデンティティを獲得するまでが描かれる。それが1960年まで。下巻では、彼が故郷を離れて世界のさまざまなところで経験するさまざまな人間との性の探求がスピーディに展開するが、そこには当然、現代に至るまでの激動のセクシャル・マイノリティの歴史が詰め込まれており(すなわち、60年代からエイズ禍へと至る壮絶な年月も)、個人史は同時にすべての同性愛者たちの人生を浮かび上がらせていく。アーヴィングは本作をはっきりと「政治的」だと説明している(ちなみにアーヴィングの末の息子はゲイだと公言している)。
 が、もちろん、これは「物語」だ。それは“グレイシャー”と同じように、時折ひどくエモーショナルで、センチメンタルですらある。たくさんの面倒くさくて愛おしい人間たちが登場し、そしてたまらなく印象的で叙情的な場面が次々に訪れる(お気に入りの場面はたくさんあるが、僕はビリーが老いたレスリング・コーチにある「技」を教えられる、どこか滑稽でとても切ないくだりを挙げたい)。

 レーガン時代に戻ろう。小説が70年代も終わりに近づく頃、もうすぐたくさんひとが死ぬだろう予感が漂い始める。しかし気づいたときにはすでに遅し、物語の前半で登場したたくさんの人間たち──同級生や友人、かつての恋人たち──がバタバタとエイズでこの世から消えていく。メル・シェレンの自伝の下巻においてエイズ時代到来以降に友人たちや恋人たちが次々と死んでいくのをしくしく泣きながら僕は読んだものだが、『ひとりの体で』の下巻におけるエイズ時代を僕はやっぱりしくしく泣きながら読むしかなかった。だがそこはアーヴィングだ、それでも不意にこぼれるユーモアに、僕は同時に笑ってさえいた!(そしてそれは、ジョン・グラントがもっともヘヴィなテーマの楽曲にかぎって皮肉に満ちたユーモアを用いることを僕に思い起こさせた。)
 ソダーバーグの『恋するリベラーチェ』にしても、もうすぐ公開されるジャン・マルク=ヴァレ監督『ダラス・バイヤーズクラブ』にしてもそうだが、いまさかんにエイズ禍が回顧されているのは偶然ではない。ゲイ・ライツ運動が沸く現在という時間の前にどんな地獄があったか、どんな闘いがあったのか、どんな愛が、どんな痛みがあったのか……「わたしたち」の前史を思い起こすためだ。数え切れない死者を出しつつ、あるいは、あの時代を生き残ってしまった者たちは消えない罪悪感を抱えつつ、しかし『ひとりの体で』のビリーも“グレイシャー”で映されるゲイたちも力強く現代へと向かっていく。

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 “グレイシャー”のヴィデオは、ピアノとストリングスが華麗に壮大に歌い上げるアウトロで90年代から現在へと猛烈な勢いで進んでいくが、そこではおもに同性愛を描いた映像作品と社会運動がピックアップされる。『マイ・プライベート・アイダホ』、ヘイト・クライムの被害者たちと加害者たち、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』、提案8号、『トランスアメリカ』、『エンジェルス・イン・アメリカ』、「神はオカマを嫌ってる」のプラカード、『ブロークバック・マウンテン』、『モンスター』、もちろん『ミルク』、ブッシュ政権からオバマ政権へ、同性結婚デモとゲイの結婚式、数々のゲイ・プライド、プッシー・ライオット、『アデル、ブルーは熱い色』、そしてフランク・オーシャン。嵐のように吹き荒れる大量の映像に圧倒されるがしかし、ディス・イズ・ハプニング、身体と脳が反射して、これはまさに「いま」起こっていることなんだと意識に入り込んでくる。
 ヴィデオは暗闇に煌く無数のピンクの三角形を映して終わるが、レインボー・カラーよりもピンク・トライアングルを選ぶところがジョン・グラントらしい。ラベンダー・ピンクの三角形は先述のホロコーストで同性愛者を識別するために彼らの胸につけられたものであり、そして現在はLGBTの権利運動のシンボルとなっている。いま愛と権利を訴えることは同時に、迫害の歴史を、たくさんの友人たちと恋人たちの死を思い起こすことだと三角形はわたしたちに訴える。ジョン・グラントは同性結婚をして都会的な暮らしをして、養子を迎えるようなゲイの幸福を体現することはなかったが、むしろそこから離れたところで──HIVポジティヴを公言し、自らの惨めさを隠さず、徹底して孤独であることを歌うことで、僕たちゲイの希望の星となった。なぜならば彼は誰よりも独りだが、彼は「この痛み」が自分だけのものでないと知っているからだ。

 「この国は遅れている」などと、ブツクサ文句を言うのはもうやめにしたほうがいいのだろう。だって、これは、たったいま起こっているんだから! わたしたちは、彼らと彼女らと彼でも彼女でもない、たくさんの性の逸脱者たちとともにいる。それに、たくさんの幽霊たちもついている。この痛みが壮大な風景を創りあげるまで、わたしたちは何度だって、その愛おしいひとたちのことを思い出すことができる。

※LGBT……レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの総称。本稿ではゲイであるジョン・グラントを中心としているのでゲイという表記が多くなっていますが、とくに男性同性愛者に限定する意ではありません。また、『ひとりの体で』の作中にもありますが、最近ではLGBTQ(Qはクィアもしくはクエスチョニング(未確定))、など様々なヴァリエーション

踊ってばかりの国 - ele-king

 現世に属さない者たちのうた。天国も地獄も満員で、神さまの見習いが作ったようなこの出来損ないの世界を漂泊する、本当はここにいない者たちのうた。踊ってばかりの国は、最初、そんな風に聴こえた。『Good-bye, Girlfriend』のころの話だ。
 それは陽気で、浮世離れしていて、サイケデリックで、夢心地で、ちゃらんぽらんで、ゆったりとしていて、ヘラヘラで、牧歌的でありながらもアシッディで、ダーティで……同時に、手が付けられないほど醒めてもいた。斜に構える、というレベルの話ではない。僕はもう、この世の住人ではありません。ですから、あなた方、世俗のイザコザとはいっさいの関係を持ちません。僕は風であり、花です。まるでそんな風に聴こえた。もっとも素晴らしかった頃のデヴェンドラ・バンハートがそうであったように。

 実際、「あの日」を境に、現実の世界に引き寄せられていく彼らだが、驚くべきことに、そのどこまでも陽気な曲調・発声という点において、彼らはあの震災の影響を受けることがなかった。少なくとも表面的には、そう思われた。2011年の11月にリリースされた傑作『世界が見たい』は、『カメラ・トーク』に喩えられたほどだ。彼らはいつもの、あの底抜けに陽気な調子で、死について、神さまについて、愛について、あるいは続くEP『FLOWER』では放射能や、戦争のことを歌った(“話はない”は、デヴェンドラの反戦歌“Heard Somebody Say”へのアンサーだろう)。
 とてもシンプルで、簡単なことが、どうしても理解できない人たちと共に暮らさなければならない痛みの傍らで、なにもシリアスになることだけが抵抗ではない──リリックの額面以上に、下津はそんな風に歌っているように思えた。彼らのレパートリーには“ルル”という宝石のような1曲があるが、一匹の犬のためにこんなにも美しく歌ってやれるシンガーを僕は他に知らないし、もちろん、そんな人間があの日以降の一連の出来事に何も感じないわけがない。だからこそ、一度は「世界が見たい」という形で表現された切なる願いが、すぐに「別に話はない」に反転してしまうわけだが、その黙秘に込められた怒りに僕は震えも泣きもした。

 そして、東京──。踊ってばかりの国は、下津光史は、2014年という時代をあなたと共有すべく、現世に降り立った。行き先はしかも、東京駅前。よりによって、丸の内の小奇麗なオフィス街だ(https://www.youtube.com/watch?v=__gLp_GImtA)。そのバックには、跳ねるように軽快なスネア、ご機嫌なベースライン、抑制の利いたギター・ソロといった、およそ不釣合いな音楽が流れている。そう、活動休止期間と、メンバーの交代がどれほど影響したかはわからないが、これまで以上にルーツ・ベースドで(ブルースからの影響がより大きくなったかもしれない)、新体制での基本的なアンサンブルを噛みしめるかのごとく、驚くほどシンプルなロックンロールがごく淡々と鳴っている、あるいはとてもダンサブルに。
 しかも、下津が“東京”で歌う「東京」は、なんら象徴味を帯びることがない。どこにでもある没個性的な労働都市として、その街を突き放して見せる(実際、下津の声は素面で、どこか素っ気ない)。これは正直、ステレオタイプな描写と言えなくもない……が、それもおそらくは「あなたたち、何も変わらなかったね」という皮肉に違いない。おまけに途中、「横断歩道に4人で」という、ウンザリするほど使い古されたあの構図が採用されているのだが、4人はそこで歩きもしなければ笑いもしない。やがて、下津だけが風にさらわれるようにして消える。何を言い残すこともなく。そこにはいささかの感傷もない。

 アルバムには、おそらくバンド史上もっともシンプルで、ポップな楽曲がずっしり詰まっている(“風と共に去りぬ”、“正直な唄”、“サイケデリアレディ”……)。が、注目はやはり、風営法の規制強化に言及した“踊ってはいけない国”だろうか。この曲は、例えば磯部涼の一連の編著に集められた文化人・知識人の知的反骨心と呼ぶべきロジックの強靭さとはまったく異なる位相で、ある種の言い方をすれば、とても無責任に鳴っている。そもそも、『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)というタイトルからして、これは法解釈の厳密さを欠いたミスリードに取られる可能性があるとして、磯部涼自身が何度も牽制球を投げていたものだったハズだ(事業者への一定の規制はどんな分野にだってある)。
 それが、ふはははは、2014年というこのタイミングで、下津は「踊ってはいけない/そんな国がほらあるよ」「踊ってはいけない/そんな法律があるよ」と、なんの予防線を張らずにひとまずは歌い切ってしまう。「ここにはクソな国がほらあるよ/クソな法律があるよ」と。この大胆さこそが彼らの魅力だとは理解しながら、すでに重ねられた具体的な議論をまったく無視したようなこうした表現には、違和感がないでもない。もちろん、下津はもともと多くの言葉を持つタイプの歌い手ではない。彼の口から飛び出すのは、ただ花に見とれ、星を数え、風のうたに耳を澄ませている人間の言葉だ。
 しかし、だからこそ、おこがましくも蛇足しよう。個人的にこの法律が気に食わないのは、「善良の風俗と清浄な風俗環境の保持/少年の健全な育成」という目的、かつての警察官僚が真剣な顔で掲げたのであろう、この大義名分、法律の根っこのほうだ。彼らが対峙すべきは、もしかしたらこちらではなかったか。ロックンローラーとして生まれた人間がこんな時代にもいるのだな、ということを、彼らはただそれだけで示してきたのだから。ちなみにこの“踊ってはいけない国”という曲には続きがあって、12インチのEPでDJ YOGURTによるアシッド・リミックスに生まれ変わる予定、ということがすでに報じられている。つまり、まあ、とりあえずは「そういうこと」なのだろう。踊ろう!

ANYWHERE STOREにてCabaret Voltaire× Sk8ightTing - ele-king


ANYWHERE STORE
https://www.ele-king.net/anywherestore/

名盤3タイトルのリイシューが大好評だったキャブスからリイシュー企画第二弾登場!

‘85年に発売されたCabaret Voltaire、4曲入りEPのリマスター音源(CD)と、入手困難だったインダストリアル映像のバイブルとしても名高い(DVD)の2枚組が発売!!

さらに、今回Sk8ightTing(スケートシング)とのコラボレーションが実現!
C.EのTシャツ付限定盤をANYWHERE STOREで販売開始しました。
ホワイトカラーが手に入るのはANYWHERE STOREだけです!!

ジャスト・ファッシネイション(まさに魅惑)
──『ザ・クラックダウン』に収録された彼らのヒット曲の曲名の通りです。

Cabret Voltaire x C.E T-shirts SET
定価:6,825円(税込)
Mサイズ:着丈69/身幅52/袖丈20
Lサイズ:着丈73/身幅55/袖丈22

  

※サイズには個体差があります
※洗濯後縮みます
※乾燥機の使用不可

[CD]

85年に発売された4曲入りEPのリマスター音源。
(収録時間約33分)

【Drinking Gasoline】
1 Kino 8:28
2 Sleepwalking 8:27
3 Big Funk 8:10
4 Ghost Talk 7:59


[DVD]
85年に発売されたウルトラ・クールなインダストリアル映像作品”Gasoline in Your Eye。この映像作品は、彼らの音楽同様、今でも最も先鋭的な作品だ。今回リリースするにあたりDVD Extra映像として4曲のミュージック・ヴィデオを追加収録された。
監督は、自身とピーター・ケア(デペッシュ・モード、R.E.M., ニュー・オーダー、P.I.L.等のMVを手掛けた映像作家。UK, 旧東西ドイツ、日本、US等で撮影された映像を元に制作された。
(総再生時間:約82分)

【Gasoline In Your Eye】
Introduction 3:45
Crackdown 8:28
Diffusion 8:04
Sleepwalking 8:23
Slow Boat To Thassos 6:17
Sensoria 7:50
Automotivation 6:20
Big Funk 8:12
Kino 8:39
Ghostalk 8:08
Fadeout 7:04

Directed by Cabaret Voltaire and Pter Care

【DVD Extras】
Just Fascination 7” Mix 3:06
Sensoria 7” Mix 4:05
I Want You 7” Mix 4:03


ANYWHERE STORE
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interview with Nanorunamonai - ele-king

まばらな星 半分の月
降ろされたシャッター
絵にならない絵を描く芸術家
彼らはとてもアンバランスを保つのが上手で
お日様にも見つからないほど遠くへ
波乗りのリーシュ
笑えないジョーク 人づてに聴く文句
まわりくどい皮肉 一人よりも孤独
焦げ付いた記憶 手のひらに食い込む 油汗と蝋燭
遠のく永遠なるスローモーション

赤い月の夜 何もない空を漂う
赤い月の夜 ひび割れた鏡を叩き割る
赤い月の夜 重力を振りほどく 
赤い月の夜 俺は俺を殺す
赤い月の夜

 12月某日。なのるなもないの取材から数日後。〈タワーレコード渋谷店〉の4階のフロアの一角には人だかりができていた。なのるなもないのインストア・ライヴを観ようと集まった多くのファンで埋め尽くされていたのだ。ファンたちの熱い視線が、蛍光灯のまぶしい灯かりの下で、幻想的な詩をメロディアスにフロウするラッパー/詩人に注がれる。このイレギュラーなシチュエーションで、しかし、なのるなもないもファンも素晴らしい集中力だ。そこには甘美で、濃密な小宇宙が発生していた。そして、ライヴ後のサイン会には長蛇の列ができた。僕は試聴機でブリアルの最新作を聴き、久々に会う友人や知人とおしゃべりをしながら、その光景を感慨深くながめていた。


なのるなもない
アカシャの唇

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 降神のなのるなもないが、昨年12月にセカンド・アルバム『アカシャの唇』を発表した。ファースト『melhentrips』からじつに8年ぶりとなるアルバムだ。8年という歳月は長いようで短く、短いようで長い。『アカシャの唇』は、まとまった作品を完成させるのに8年という歳月が必要だったことを証明する素晴らしい出来栄えとなった。降神の作品や前作『melhentrips』の延長線上にありながら、なのるなもないは詩とラップに確実に磨きをかけ、次のステップに進んでいる。詩とラップが不可分に結びつき、ひとつひとつの曲の世界観に明確な方向性を与えている。

 初期の降神の毒や狂気、抵抗を好んだ僕のようなリスナーには、その点に関しては欲を言いたくなる気持ちもある。だが、なのるなもないのように、幻想的で、空想的な詩を書き、メロディアスに、ハーモニックにフロウできるラッパーは他にはいない。そのラップをこうして堪能できることをまず喜びたい。
 “宙の詩”という曲では、ことばにジェット・エンジンを装備させて、宇宙の彼方に飛ばすような凄まじいフロウを魅せつけている。ことばと音のめくるめくトリップだ。谷川俊太郎や宮沢賢治、稲垣足穂といった作家の文学に、なのるなもないが独自の現代的な解釈を加えられているように感じられるのも『アカシャの唇』の魅力だ。ここには、童話とSFとラップが混在している。

 サウンド的にいえば、ポストロックやエレクトロニカとラップの融合という、00年代初期から中盤にかけて、アンチコンを中心に盛んに行われた試みの延長にある。そして、今作の共同プロデューサーであるgOと、ビートメイカーのYAMAANから成るユニットYAMANEKOがトラックを制作した“めざめ”と“ラッシュアワーに咲く花を見つけたけど”は、その発展型と言えるかもしれない。この2曲は、ギャング・ギャング・ダンス流のトライバルな電子音楽とラップの融合のようだ。後者に客演している女性シンガー、maikowho?の透き通る歌声には病みつきになる不思議な魅力がある。アルバムには盟友である志人、toto、tao、sorarinoといったラッパー/シンガーたちも参加している。

 前置きが長くなっているが、ここでもうひとつだけ言いたいことがある。『アカシャの唇』をきっかけに、00年代初頭から中盤に独創的な音楽を創造したオルタナティヴ・ヒップホップ・グループ、降神と彼らのレーベル〈Temple ATS〉の功績にあらためて光が当たってほしいということだ。この機会に、ファースト『降神』とセカンド『望~月を亡くした王様~』を聴き直し、降神の不在の大きさをいまさらながら痛感している。彼らのフォロワーはたくさんいたが、そのなかから彼らの独創性を凌駕する存在が生まれることはなかった。なのるなもないと志人というふたりのラッパーが中心になり、彼らは“降神”という音楽ジャンルを作り上げたのだ。時の流れが気づかせてくれる発見というものは、示唆的である。

 さて、これ以上書くと話が脇道にどんどん逸れて行きそうだ。2013年の年の瀬も迫る12月中旬のある寒い夜、渋谷でなのるなもないに話を聞いた。

結婚して、子育てをしながら、ライヴをしたり……要約しちゃうと、もう超簡単ですよ。

今日はなのるなもないの人となりにも迫りたいですね。

なのるなもない:人となりって言われると、別に語るべきことが俺にはよくわからないんだよね。

いきなりインタビュアーをがっかりさせるようなこと言わないでくださいよ(笑)。

なのるなもない:だってさ、自分を客観視するのは難しいし、そういうドキュメンタリー的なところで語るべき言葉がわからない。

大丈夫ですよ。

なのるなもない:秘すれば花っていうか、なんでもかんでも言うことがいいとは思ってないよ。訊きたいことがあれば答えるけどさ。

前作『melhentrips』から8年経ちましたよね。8年をざっくり振り返るというのはそれこそ難しいですけど、どうでした?

なのるなもない:結婚して、子育てをしながら、ライヴをしたり……要約しちゃうと、もう超簡単ですよ。

ははは。まあそうですよね。お子さんも大きくなったんですよね。

なのるなもない:うん。

『アカシャの唇』、興味深く聴かせてもらいました。00年代前半から中盤ぐらいは、たとえば〈アンチコン〉を筆頭に、ポストロックやエレクトロニカとラップの融合みたいな試みが盛んだったと思うんですね。本人がこういう言い方を喜ぶかはわからないですけど、音楽的にいえば、『アカシャの唇』はその発展型という側面もあると感じました。

なのるなもない:ふーん。

言うまでもなくこの作品で詩は重要な要素ですけど、変幻自在なラップのメロディとフロウが、とにかく圧倒的だな、と。

なのるなもない:ああ。

僕がいまのところいちばん好きで聴いている曲は、“宙(チュウ)の詩(シ)”ですね。

なのるなもない:あはっ(笑)。あの曲はね、“宙(ソラ)の詩(ウタ)”って読むの。

あ、そうなんですか。これは読めないや。

なのるなもない:まあ、これは読めないよ。

“宙の詩”は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や稲垣足穂の言語感覚を彷彿させるSFラップですよね。

なのるなもない:ああ、そうかもねぇ。

この曲、すごいカッコ良かったですよ。この曲について解説してもらえますか?

なのるなもない:最初にこの曲のトラックから宇宙的なものを感じて、「宇宙ってなんだろう?」っていう疑問から出てくる言葉を連想して書いていったんだよね。光とかロケットとか、自分の宇宙観から想起するものをフロウで表現しようとした感じかな。

とても映像的ですよね。言葉の意味に引っ張られるより先に、映像的なイメージが広がっていくんですよね。

なのるなもない:フロウに関しては、「風になったらいいのかな」とかそういうイメージで考えたりするね。人でない人っていうもので考えるときもあれば、もちろんリズムで考えるときもある。でもまあ言葉ありきだとは思ってるけど、両方だよね。どちらかに引っ張られることはあるかもしれないけど、両方とも捨てきれない。

なのるなもないのラップにおいて言葉の意味も重要な要素ですからね。『アカシャの唇』は、渋谷にある本屋さん〈フライング・ブックス〉がリリースしていて、インナースリーヴもパッケージも読み物として丁寧に作られていますよね。どうしてこういう形にしたんですか?

なのるなもない:前から本は作ってみたかったんだよね。だから、これはひとつの夢でもあったっていうことなんだよね。

でも俺はCDで出したかったんだ。CD屋に行ってCDを手に取って、開いてみて、買うっていう楽しさを伝えたかった。

詩集を作りたかった?

なのるなもない:うーん、詩集を出そうって気持ちで出してるわけではないんだよね。いまの時代にCDで出すっていうことはそんなに求められてないような感じもあるでしょ。

まあたしかに。

なのるなもない:でも俺はCDで出したかったんだ。CD屋に行ってCDを手に取って、開いてみて、買うっていう楽しさを伝えたかった。詩を書いてはいるけれど、ラップとしてアウトプットしてると思ってるし、ラップという表現じゃないときだってあるかもしれないけど、言葉があって、音があるというのが終着地点だと思うからさ。

『アカシャの唇』ってタイトルはどこからきたんですか?

なのるなもない:今回のアルバムはgOってヤツが半分ぐらいの曲で関わってくれてるんだけど。

共同プロデューサーの方ですよね。

なのるなもない:そう。お互いの分野にいろいろ入り込みながら、ああだこうだ言いつつ、よく遊んでもいたからね。ほとんど遊ぶ時間もなくなってきてるけど、gOとはよく遊んでもいたね。

gOさんとは何して遊ぶんですか?

なのるなもない:ドライブしたり、友だちのライヴを観に行ったりとか、まあいろいろだよ。でもすべては音楽を作る方向に向かっていて、そういう過程で、gOがアカシックレコードにアクセスしたみたいな話をしてきてね。

アカシックレコード?

なのるなもない:アカシックレコードは人類の魂の記録の概念のことで、そこにアクセスすれば、過去も未来も全部わかるという考え方があって、たまたま俺たちはそういう類の本を読んだりもしてたのね。まあ、「ルーシー・イン・ザ・スカイ」みたいな気持ちなのかな。

なはははは。“アカシャ”はサンスクリット語で“天空”も意味するんですよね。このタイトルについて、資料には、「人間のいろんな感情、聖者のような時も、毒々しい時も、無味乾燥なこともあると思うし、そういうの全部含めて話したい」と自身の言葉が引用されていますけど。

なのるなもない:自分は曲を書いているときの感覚が、そういうところにアクセスしようとしてるんじゃないかなっていうのが強くあって。自分で書いているんだけど、すでにそれがあったような感覚があって、そこに行き着くというかね。

そのアカシックレコードにアクセスする感覚や体験は、リリックを書くときとラップしてるときの両方にあるんですか?

なのるなもない:両方あるね。

制作はいつぐらいからはじめたんですか?

なのるなもない:制作期間がけっこうまばらなんだけど、“アイオライト”と“silent volcano”はけっこう前で、他の曲はここ2、3年だね。

『アカシャの唇』は、オーソドックスなラップ・ミュージックやヒップホップからは逸脱していると思うんですけど、いまでもラップやヒップホップは聴きます?

なのるなもない:聴くよ。なんでも聴くからね。

たとえば最近はどんな音楽を聴いてます?

なのるなもない:なんだろうなあ、昔のジャズとかまた聴いたりもしてるし、そんなに最近の音楽はわからないけど、まわりの友だちが教えてもくれるから、そういうのを聴いたり。中古のフロアを掘って、「なんじゃこりゃあ?」みたいな驚きだったり、そういうのを面白がる感覚は、昔より少なくなってきたかもしれないね。

なのるなもないさんは、ラッパー、詩人として表現に貪欲であると同時に、音楽を聴くことにも貪欲な人だと思うんですよ。ジャンル関係なく幅広く音楽を聴いて、それを自分で独自に解釈して、吸収して、表現として吐き出しているじゃないですか。たとえばの話ですけど、降神がファーストを出した00年代初期あたりに、ザ・タイマーズとかも熱心に聴いてたでしょ。僕はあの突き抜けた過激さみたいなものが降神の音楽にもあったと思っていたし、そういう意味でいまどんな音楽を聴いてるのか気になるんですよね。

なのるなもない:そうだなあ、特別にこの音楽が今回のアルバムに影響しているというのはないと思うけど、ボノボとかハーバートとかノサッジ・シングだって面白いと思ったし、ヒップホップだったらブラッカリシャスやマイカ・ナインとかブラック・ソートとかもやっぱり面白いなって思うよ。現行のラッパーだったら、タイラー・ザなんとか、とかさ。

タイラー・ザ・クリエイターですね。

なのるなもない:そう、ああいうのも気持ち悪いかっこいいなーって思ったりするよ。いやー、でももっと聴かないとね。俺さ、あんまり四つ打ちを聴かなくて、ある先輩に「もうちょっと深く聴いて」って言われたりもしたよ(笑)。四つ打ちって言い方も悪いか(苦笑)。でも、トライバル・ハウスとか、チャリ・チャリとかかっこいいなって思って買ったこともあるよ。

ダンス・ミュージックにどっぷりハマってレイヴに行ったりとか、そういう経験はなかったんでしたっけ?

なのるなもない:行ったことはあるけど、俺はそっち側にはガチに行かなかったんだよね。

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俺は俺なりの「on and on」を言うまで、ここまで時間がかかったってことかもね。

いまでも自分がヒップホップをやっているという意識はありますか?

なのるなもない:スタンスとしてそれはあるよ。いろんな表現があるなかでよく「これはヒップホップじゃないね」とか言う人がいるけど、「その考え方がヒップホップじゃない」と思うときもあるよね。そもそも破壊と再生をくり返して、吸収して進化を続けるものだと思ってるからね。それに自分はジャンルの区切りとかなく音楽を聴いてきたし、現行のシーンらしい音でそれっぽいことをやるっていうのは、自分にとってはすごくどうでもいいっていうかさ。自分なりの本当のところを追求したいと思ってるよ。

冒険のススメ”で「on and on and on and on and on」っていうリリックを独特の節回しでセクシーに歌ってるじゃないですか。あの歌い方がすごく面白いと思って。「on and on」って熟語は、ブラック・ミュージック、R&Bやヒップホップの常套句じゃないですか。

なのるなもない:うん。

その常套句をこんな風に解釈して歌うんだって。そこがすごく面白かった。

なのるなもない:あはははは。

僕はあの歌い方になのるなもないのBボーイズムを感じましたよ(笑)。

なのるなもない:だから、やっぱりそういうことだよね。タカツキくん(ベーシスト/ラッパー。スイカ/サムライトループスのメンバー)が、「チェケラッ!」って言葉を言えるまでに10年はかかるみたいなことを冗談かも知れないけど言っていて、でもそうかもなとも思ってさ。俺は俺なりの「on and on」を言うまで、ここまで時間がかかったってことかもね。

降神の初期や前作『melhentrips』のころと比べると、毒々しさは薄まりましたよね。

なのるなもない:そうだね。でも意味ある毒を与えたいとは思う。ただ、自分のなかから出てきた毒を無責任に放つことはしたくないよね。

吐き出す毒に、より責任を感じるようになったということですか?

なのるなもない:うん、それはある。吐き出した毒で(リスナーを)どこへ連れて行きたいのか?ということには意識的になるべきだし、(表現者は)みんなそうなんじゃないのかな? わかんないけどさ。キレイ過ぎてもしっくりこないときもあるし、毒っていうものはどうしても潜んでしまうと思う。皮肉や毒がない世界で生きられたらいいけどね。

降神の魅力のひとつに、狂気と毒があったと思うんですよ。不吉さと言ってもいいと思います。社会や人間の矛盾を生々しく体現するグループだったと思うし、そこに魅了されたファンも多かったと思うんですね。表現の変化とともに、なのるなもないのファンも変遷しているだろうし、表現者としてリスナーやファンを裏切りたくないか、あえて裏切りたいか、そこについてはどう考えてますか?

なのるなもない:金太郎飴みたいなスタイルってすごいとは思うんだけど、俺はわりと良い意味で裏切りたいって気持ちを持ってるね。でも、いまでも降神のころのようなスタイルも持っているし、スタイルが特別変化したとは思ってないかな。ただ、いまは社会や政治、時事的なことについて吐き出すべき時期ではないという感覚はある。そういうものは、もっと溜めて溜めて、自分の意志を固めてから表現したい。べつにそういうことはラップで表現しなくてもいいかな、とも思うしね。具体的に行動したいっていう気持ちが強い感じかな。そうやって自分のなかでいろいろ思うことがあるのに、なかなか動けていない自分についても含めて語るっていうのもありかもしれないけど。

ここ最近世の中で起きていることで関心のあることは?

なのるなもない:社会や政治の問題をひとつひとつ検討して、結論を導き出すレヴェルに俺はいないと思うから、それを手にした上で語りたいとは思う。そりゃあさ、東電の対応とか、当たり前に「おかしいでしょ」「本当に大丈夫なの?」って思うことはある。政党が変われば疑問に思うこともあるよ。でも10年、20年やらせてみて、それから判断するのもひとつの真実だとも思う。でも、もちろん誰が見ても「これはおかしいだろ」っていうことはたくさんある。そういうところで闘ってる人は応援してるし、力を貸したいなとは思ってる。

学生だって、仕事やっている人だって、それとは別に夢を持って頑張ってる人だって、その世界のなかで思い切り遠くに飛んでしまえば、人からしたら現実逃避って言われてしまうかもしれないけれど、その世界のなかでは成立しちゃうことでしょ?

降神のセカンドに入ってる“Music is my diary”って曲で、「現実逃避も逃げ切れば勝ちさ」というリリックがあるじゃないですか。厭世的といえばいいのかな、そういう感覚はいまでもあります?

なのるなもない:若ければ若いほど、世の中に対して「クソヤロウ」って思うこともあるし、降神でそういうこともラップしてたけど、人からすれば「お前に言われたかねーよ」っていうのもあったかもしれないよね。なにが現実で、なにが現実逃避かは一概に言えないよね。犬猫じゃないから、子どもはほっといたら死ぬからさ。いまは子育てという現実も常にある。そこからは目を背けられない。でもやっぱり、自分のやりたいことにも向かっているしね。「現実逃避も逃げ切れば勝ちさ」ってリリックには、学生だって、仕事やっている人だって、それとは別に夢を持って頑張ってる人だって、その世界のなかで思い切り遠くに飛んでしまえば、人からしたら現実逃避って言われてしまうかもしれないけれど、その世界のなかでは成立しちゃうことでしょ? だから、そうなったら勝ちじゃねえかという意味があったの。

現実逃避とつながる話だと思うんですけど、降神や〈Temple ATS〉は、活動がはじまった当初から一種の共同体みたいなものでしたよね。なのるなもないさんは、当時〈Temple ATS〉の事務所兼スタジオのような高田馬場のマンションに一週間ぐらい寝泊まりしてた時期もありましたよね。部屋に行ったら、ソファで気だるそうに寝てる、みたいな(笑)。

なのるなもない:いや、もっと長かったね。なんだろうね。自分がいっしょになにかを成し遂げたい仲間たちがそこにいたんだよね。あのころは、そこから離れたらいけないという強迫観念があった。だから、マサ(onimas。降神のトラックメイカー。〈Temple ATS〉の一員)の部屋に転がり込んで自分の家に帰らなかったりしたんだろうし。東京に住んだり、東京の近くに住んだりしているほうがやりやすいことはあるし、物理的な距離が関係ないとは言わないけど、自分がしっかりやっていれば、いろんなコミットの仕方があって、本当になにかをやろうとしたらできるといまは思うね。

降神と〈Temple ATS〉のメンバーの関係はかなり濃密でしたし、あの濃密な共同性があったからこそ降神の音楽が生まれたと思いますね。なのるなもないも志人もフリースタイルでしか会話しない、みたいな時期さえありましたよね。お互い、激しく、厳しく切磋琢磨してましたよね。

なのるなもない:そうだね。志人が「真の友は影響し合う」みたいなことをなにかに書いていたけど、その通りだなと思う。

最近は志人には会ってますか?

なのるなもない:このアルバムのリリース・ライヴ(2013年11月10日に〈フライング・ブックス〉で行われた)のときに会ったね。

アルバムに一曲ゲスト参加してますしね。今後、降神としてはやったりしないんですか? 気になっている人は多いでしょう。

なのるなもない:やりたいよね。でも、うーん、俺だけの気持ちじゃないから。あいつ(志人)の気持ちもあるからさ。俺が言える想いもあるけど、まだ公で話すような感じじゃないかな。とにかく、俺はあいつの表現が好きだし、尊敬しているし、いつも挑戦して成し遂げてきたヤツだと思うね。いっしょにやりたいけど、お互い忙しいってのもあるよね。

降神で作った曲でリリースされていない曲はある?

なのるなもない:けっこうあるよ。

本人たちは望まないかもしれないけど、未発表曲だけで一枚アルバムできちゃうんじゃないですか?

なのるなもない:「作れ!」って言われたら、できるかなっていうのはあるけど、それぞれやりたいことがあるからね。ふたりの伝えたいメッセージも必ずしも同じではないからね。

でも、それは最初からそうなんじゃないですか?

なのるなもない:昔はもう少し散文的だったというか、お互いのメッセージや世界観、リリックの方向性が違っても曲が成立したというか、びっくり箱の中身を作ってるみたいな感覚だったんだよね。

ああ、なるほど。『アカシャの唇』はひとつひとつの曲に明確な方向性と主題がありますよね。僕は、『アカシャの唇』はジャンル云々以前に、とにかく美しい音楽だなと感じましたね。

なのるなもない:自分のなかでの様式美を追求しつつ、息苦しさや喜びや気づき、そういうものはぜんぶ詰め込みたかったね。音楽を作っている人はみんなそう思っているかもしれないけど、前よりもっといいものを作りたいとは思うよ。聴いた人が前より良いとか、悪いとか思うのはまた別だけど、そういう気持ちはある。

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NHKの「みんなのうた」じゃないけどさ、みんなのうたを歌いたいというのはあるよね。みんなが存在している世界について歌わないとやっぱりウソだと思う。でも目に映るすべてをそのまま伝えるべきとも思わない。

リリックはどんな風に書いてるんですか?

なのるなもない:描くように書いたり、外郭を描くことで、言いたいことが発見されていく、そんな作り方をしてると思う。それからその画を動かすことで、より鮮明になっていく感じだね。

SF的でもあり、童話的でもありますよね。

なのるなもない:NHKの「みんなのうた」じゃないけどさ、みんなのうたを歌いたいというのはあるよね。みんなが存在している世界について歌わないとやっぱりウソだと思う。でも目に映るすべてをそのまま伝えるべきとも思わない。

さっき毒の話をしましたけど、アルバムのなかで心の暗部を描いていて、しかも他の曲よりも生活感が滲み出ている曲があるとすれば、“赤い月の夜”ですよね。それこそ、「くそったれ/てめえなんて死んじまえ/出かけたセリフをあわてて飲み込む」というリリックは、さっきの吐き出す毒とその責任の話に通じるなと。

なのるなもない:この曲には不幸の前兆みたいな要素があるよね。仕事とかで擦り減りまくって、自分がどんどん無くなっていくのに、それでもヘラヘラしてる。それは逆に狂気だと思うし、そういう現実が狂ってるなというのはあるよね。いわゆるヒップホップ的な“リアル”とは違うけど、自分のなかの魂の記憶にアクセスしたいんだよね。そこで描き出されるヴィジョンみたいなものを表現したい。そこには怒りだって絶対ある。怒りっていうものをそのまま吐き出すことはいけないって思ってる部分もあるんだけど、どんなときでも怒らないっていうのも非現実的だと思うし、“赤い月の夜”に関しては、あえてそういう怒りを表現したかった。

『アカシャの唇』を聴いて真っ先に思い浮かんだ作家が、谷川俊太郎と宮沢賢治、あと稲垣足穂だったんです。ここ最近で、好きな作家や印象に残ってる作品はありますか?

なのるなもない:いまの3人の本を持ってはいるけど、今回の作品に彼らからの直接的影響があるのかは、自分ではちょっとわからないなあ。“アルケミストの匙”に関していえば、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』にインスパイアされた部分はあるね。というか、あの小説のなかに好きなエピソードがあるんだよね。

どういうエピソードですか?

なのるなもない:幸せに生きるにはどうしたらいいか? という問いに対するひとつの答えを描き出しているエピソードがあるんだよね。ある賢者が少年に油を入れたスプーンを持たせて、油をこぼさずに宮殿を歩いてくださいと命じるの。で、少年は最初、スプーンの油に集中し過ぎて、宮殿をまったく見なかった。そこで賢者はもういちど宮殿を見てくるように命じる。今度は、少年は宮殿を見てくるんだけど、スプーンの油はなくなっていた。でも、幸せというのは、スプーンの油をこぼさないようにしながら、宮殿の美しさも見渡すことなんだと。

だからあの曲に、「二人の旅は日々の営み/アルケミストの一匙さ/こぼしてはいけない日々の営み」というリリックがあるんですね。

なのるなもない:その一方で、ものすごい印象的な一夜だったり、そういうものを求めてる自分がいる。

特別な体験を求めてる?

なのるなもない:俺は今日どこまで行けるだろう、みたいなことは求めてる。

あはははは。なるほどー。

なのるなもない:ははは。それも幸せだと思う。

いわゆるヒップホップ的な“リアル”とは違うけど、自分のなかの魂の記憶にアクセスしたいんだよね。そこで描き出されるヴィジョンみたいなものを表現したい。

音楽を聴いていてもそれは伝わってきますね。じゃあ、聴いている人にぶっとんでもらいたいという気持ちもある?

なのるなもない:あるよね。

やっぱりあるんですね。そういう音楽ですもんね、この作品は。

なのるなもない:なんだよ、その質問! ははははは。

いやいや、音楽の重要な要素のひとつじゃないですか。

なのるなもない:二木のなかでそのプライオリティが高いということだね(笑)。まあ、“ぶっとぶ”って言葉はすごい抽象的だけど、理路整然としているところはしていたいし、そのレールからはみ出してどこにたどり着くんだろうっていうスリリングさも表現したい。で、たどり着いた場所がここなんだって納得できる音楽を作りたいね。

では、なのるなもないにとって、そういうスリリングさを味わわせてくれる音楽にはどんなものがありますか?

なのるなもない:それはもう、それこそジャンルとかじゃなくて、出会ったことのない感覚に尽きるよね。あれだよ、ブランコを漕いでいて、高く舞い上がって、臍のあたりがうーってなる感覚があるじゃん。わかる?

わかりにくい(笑)。

なのるなもない:フライング・パイレーツとかで急にぐーっと上げられて、臍がぐううーってなるでしょう。で、「これ、大丈夫かな?」って一瞬思うんだけど、「やっぱり大丈夫だった」って戻ってくる。それでまた乗りたくなる。そういう感覚に近いかも。

最近、具体的にそういう音楽体験で記憶に残っているのはありますか?

なのるなもない:うーん、ちょっと思い出せないけど、それぞれのジャンルが発展していくときってそんな感じなんじゃないの? ダブステップをはじめて聴いたときも、「すげぇ空間が曲がってるぞ」って思ったし。ダブだったらさ、俺には子宮がないけど、子宮に響いているみたいな感覚があった。ジミヘンが逆再生をやり出したときだって、はじめて聴いた人は「なんだよ、これ?」ってなったと思うし。

『アカシャの唇』は、グッドとバッドの両方の旅の境界線が曖昧な音楽ではありますよね。バッドな状況も楽しんじゃうタイプなんじゃないですか?

なのるなもない:そのときに楽しめるかどうかは別でさ、苦しいけどね。嫌な思いもそのときしかできない体験だし、それだけ心が動いたってことだからさ。

最後は戻ってこれたと。

なのるなもない:そう。俺はこんなことを考えていたんだって感心するときもあるし、バカだなあと思うときもあるよね。で、小さいかも知れないけど、自分なりの未知な世界の終着地点までを表したい。いちど出したものは、俺のものじゃなくて、その人のものだから。聴いてくれる人が楽しめる状況にしておくのがやる側の責任……とかいうとイヤだけど、当たり前のことだよね。そのレヴェルにつねにたどり着きたいと思ってやってるよ。

アムネジアの風に吹かれても忘れてしまうわけない
アクエリアス 溢れてしまう 生きたシャンデリア
飛ばすレーザー 静かなるエンターテーナー
ラフレシア アモルフォファルスギガスへ今届けておくれ
うまくできた? 完璧じゃなくても笑っていたいならやってみな
SL1200のターンテーブル BPM66星雲で
33回転する 記憶にないものまで再現する
あなたならこの景色をなんていう その海どこまでもふくらんでく
一つの愛my name is ビビデランデブー
宙の詩

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