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- ele-king
日本を代表するロック・フォトグラファー、ご存知「クボケン」こと久保憲司氏の写真集が今週末ついにリリースとなる。初めて渡英してからの約20年分――80年代をスタートとし、90年代をメインに据えて、久保氏がフィルムに収めた膨大な記録からセレクト/収録。カジュアルながらもかなり厚みのある仕上がりになった。
「このすべての現場に立ち会った男に猛烈に嫉妬する」
というのは、ぼくらのライヴァル、田中宗一郎さんから本書の帯にいただいたメッセージだ。過不足なく、この写真集がどういうものであるかを伝えてくれる。久保憲司は、とにかく“現場に立ち会った”男である。240ページ超にわたって収められたその点数、そして、ポストパンクからマッドチェスター、ブリット・ポップにアシッドハウス、グランジ、テクノ、ヒップホップ……と、UKを中心としながらもじつに広範なジャンルに及ぶアーティスト群像を眺めれば、必ずや当時の記憶と体験が湧き上がってくるだろう。
世代を異にする人々にとってもそれは同じ。“現場”とはそういうものなのだ。同じ時代に居合わせなくとも、それは生々しくよみがえり繰り返す。80年代回顧はいったんの落ち着きをみせているが、いま90年代がフレッシュに感じられるとすれば、本書はしっくりとその感覚に寄り添うだろう。
タナソウの言葉には、本当はつづきがあった。
「そして、そのすべてをフィルムに収めた偉大な写真家に心から感謝したい。」
レイアウトなどの都合でどうしても入らなかったのだが、嫉妬に感謝を重ねるこの名文句に、時代を超えて残る“現場”の輝き――クボケンがフィルムに収めたものが何だったのかということがありありと浮かび上がってくる。写真の横にはアーティスト名も明記。ちょっとしたエピソードが添えられているものもあり、ときどき笑いもこぼれてしまう。
けっして敷居の高くない、可愛らしくカジュアルなつくり、お値段。どうぞクリスマス・プレゼントとしてもご検討ください!
久保憲司写真集、『loaded(ローデッド)』発売!
クボケンの“90年代”をエレキングが解体。インディ・ロック、アシッド・ハウス、レイヴの狂騒。
ひたすら撮って歩いたあの時代が、
いま鮮やかにリヴァイヴァルする――
日本を代表するロック・フォトグラファー、久保憲司がフィルムに収めた膨大な記録。
10代で飛び込んだロンドンの街並み、レイヴやフェスの熱気、一時代を築いたDJたち、ブリットポップやグランジの記憶――約20年間の懐かしくも新しい空気を、240ページ超にわたってヴォリューミーに収めた写真集です。
Psychic TV、The Jesus and Mary Chain、The Stone Roses、Happy Mondays、
My Bloody Valentine、Oasis、Aphex Twin、Derrick May、
Andrew Weatherall、Sonic Youth、Nirvana、The Pastels、Radiohead…
★小さくて愛らしい版形の上製本。
★さりげなくガーリーなデザインはクリスマスのギフトにもぴったり。
★撮影メモや萩原麻理によるインタヴューも小気味よく写真を飾ります。
★いままでにない、クボケンのちょっと意外な一面が表れた作品です。
いまファッション誌でもリヴァイヴァルのはじまっている90年代を、貴重なヴィジュアル資料で振り返りましょう。
僕は、来週発売の紙エレキングで、2103年とは、ダブステップやってりゃ格好良かった時代が本当に過去のものとなって、いまやジュークやってりゃ褒められる時代でもなくなった、という旨のことを書いたのだけれど、ジュークは、2010年に世界がいっせいに聴いたときとは状況が違っていて当たり前で、DJラシャドとPRブーが評価されたのは、前者がUKのジャングルの接合による変化を見せて(あるいはヒップホップ的側面を強調して)、そして後者がドラムマシン使いの達人としての腕前のすごさをみせつけたから、要するに作品が良かったからであって、彼らがただシカゴ出身でジュークをやっているからという単純な理由によるものではない。この1年で、ジュークはその珍しさ、新奇さのみで評価されるものではないほど普及したのだ(食品まつりやペイズリー・パークスが評価されたことも同様、要は作品が良かった)。そしてダブステップときたら……ペヴァラリストは、同じく次号エレキングのYusaku Shigeyasuの取材で、ダブステップがジャンル用語として終わった現状をこう明かしている。「元々イギリスで名付けられて使われていたものなのに。いまでは完全に違うシーンで使われるようになっているし。こうしたことが起こるのは避けられないけどさ。みんなが自分の音楽を言い表すためにダブステップって言葉を使わなくなったのは、一般の人たちを混乱させてしまうことになるからだと思う。だから俺も現在の音楽を言い表すときには、その言葉は使わない」
マネー・チャネジズ・エヴリシング──三田格によれば、いまでは氷室京介までダブステップをバックに演歌やっているらしいし、ジェイク・バグが「電子音楽に興味はあってもダブステップは絶対にやらないね」と言うわけである。2006年にブリアル(ベリアルと言ったほうが正確な発音に近い)に電話取材したときには、彼は「アンダーグラウンドであり続けて欲しい」「有名にするために頑張らないで欲しい」「大きいクラブ・チューンにはなって欲しくない」と、将来への不安と展望について話してくれたものだが、ものの見事ダンス産業の甘い汁に吸い寄せられ、ジャンル名は別のものを意味するようになった。「ダブステップが変な方向にいってしまったら。もしアンダーグランドさをなくしたら、名前を変えてまた登場するよ。ダブステップって名前は捨ててね」などと、そのときのブリアルは元気に喋っているのだが、そのときが来た、いや、数年前に来ていたのである。
ブリアルが、プロモーターから金を積まれてもライヴ出演を断ってきた話はよく知られているところだが、彼の音楽にはそうした誘いを易々と引き受けてしまったら失われてしまうであろうものが、まだ保たれている。それを持っているだけでも、彼の音楽は聴く価値があるんじゃないだろうか。現実社会の傾向を言えば、なにはともあれ売れたもの勝ちなわけで、ゆえにブリアルのロマンティシズムはひと際眩しく発光していると言える。
考えてみれば、2009年にフォー・テットのレーベルから発表した「モス」がハウス調のトラックだったし、昨年の「Kindred EP」ではジャングル/ガラージのリズムを発展させつつ、ゴシックな気配も混ぜ合わせ、雑食的というよりも整合性を欠いた、金にまみれたダブステップの首根っこを握りつぶすような、薄気味悪いサウンドを見せている。しかも3曲のうち10分を越える曲が2曲もある。続く「Truant / Rough Sleeper」でも、収録された2曲とも10分を越えている。「僕はこの先、ウルトラ・ダークサイドのアルバムを作る」と、2007年の『ガーディアン』の取材で答えている彼だが、組曲のように場面が唐突に転換するそれらの曲は、たしかに『アントゥルー』よりもさらにまた暗く、どこに向かっているのかよくわからないというよりも、音の詩的展開で、機能的なクラブ・ミュージックというよりも、クラブ・ミュージックを応用した何かである。
その感じは今回にも引き継がれている。またしても3曲のうち10分を越える曲が2曲入っている。初期ジャングルのリズムを使った1曲目の“Rival Dealer”は、曲のなかばでクラブの深い時間のドラッギーな音に転調、そして後半はアンビエントへと展開する。“Hiders”では、オルガンの音に導かれながら、1992年頃の安っぽいレイヴ・ソングを披露。曲の終わりはドローンとなる。ゴスペル調の歌が入るダウンテンポ“Comes Down To Us”は、チリノイズとシタール風の音が混ざりながら、神々しいストリングスで盛り上げたかと思えば、スクラッチが入り、低ビット数のリズムが重なる。終わりの3分ぐらいは、例によってアンビエントへと強引に展開するのだが、その後味の悪さたるや、他に類を見ない。先日のエレグラで、僕は不覚にも撃沈したのだが、意識が途絶え、目が覚めたらなんと朝6時、鉛の身体を引きずってフロアに下りてみると、わずかな生存者を相手にセオ・パリッシュはDJをまだやっていたのだが、あのんとも殺伐とした光景と重ならなくもない。朝日は眩しく、フロアの汚れは浮彫となり、無残にも、僕のような行き倒れがここあそこにいる。胃は裏返るように気持ち悪い……。
しかし、そう、たとえ、帰りの電車が死ぬほどつらく、あやうく寝過ごして高尾山まで行きそうになったとしても、ブリアルはあの時代のアンダーグラウンド・レイヴに立ち返れと訴えているのだ。機能的な音色ではない。映像的な音色で、ブリアルは物語を語っている。雨の音とともに。
総勢14名から成るフィールド・レコーディング・オーケストラ、シアトル・フォノグラファーズ・ユニオンに途中から参加したらしきケイティ・ゲイトリーによる初ソロ(from LA)。これがフォークにもインダストリアルにも聴こえる不思議な感触を放つサウンドで、OPNが切り開いた地平の深さを見せるというのか、USアンダーグラウンドがまだ未知数にあふれていることを実感させてくれる。どこから聴いても、誰のマネでもなく、戸惑うばかりの新感覚である。
アコースティック・インダストリアルとでもいうような彼女のサウンドは一体、どこから来たのだろう。ゼロ年代前半に地下で蠢いていたマルシア・バセットのノイズ感覚と、最近だとメデリン・マーキーのような透明度の高いドローン・サウンドが同居しているのも奇跡的に感じられるし、インダストリアル・サウンドに憎悪ではなく、美的センスが感じられるところも素晴らしい。もしかしてアンディ・ストットの影響はあるのかもしれないけれど、それをフェミニンな変奏として示すだけでも充分にチャレンジングだし、そうだとすればそれは本当に成功している(アンディ・ストット・ミーツ・FKA・トゥィッグスというか)。インダストリアル=鉄槌感だという人には申し訳ないけれど、インダストリアルでありながらまったく重さも感じさせない。
本人の言葉に左右されて音楽を聴くという態度はあまり好きではないんだけど、どうしてもそういうことが気になるという人はインタヴューをどうぞ。「美」に関してはやはり意識的なところがあるようで、音楽に深く入り込むようになったのは去年の夏から。きっかけはドクター・アクタゴンと来た。クール・キースがダン・ジ・オートメイターと組んだサイケデリック・ヒップ・ホップの快作である。もちろん、彼女の作品とは似ても似つかない。最近のお気に入りはマイルズ・ウィットテイカーにデムダイク・ステアー。アンディ・ストットではありませんでした……。
サウンドクラウドで聴ける音源はこれよりも古いものなのか、時に重く、あるいは痛く、全体に洗練されていないニュアンスが残っている。つまり、はじめから独自のサウンドを有していたわけではなく、試行錯誤の末に現時点へと辿り着いたことが推測できる。あるいは、アルバムを先に聴いてしまったせいか、ここに上がっている曲はまるでデトックスのように感じられる。毒を吐き出して、後に残ったものの、なんと美しかったことというか。
https://soundcloud.com/katiegately
つーか、なんでファーマコンの音源がアップされているんだろう??
2013年は、クーシー、イケバナ、マサヨシ・フジタなどのリリースで、着実にファンを増やしている〈flau〉が、レーベル設立6周年を祝して、レーベル・ショーケース・イベントを開催する。12月22日、場所は原宿VACANT。IDM、アンビエント、ドローンの流れを汲みながら、フォークやドリーム・ポップとも接続するのが〈flau〉で、IDMを通過したチェリー・レッドというか、僕は、このレーベルが今日的なネオアコの新潮流になるんじゃないかと思っている。 まだ暑かった頃、イケバナのライヴを下北の教会で見たのだけれど、立ち見が出るほどの盛況だったなぁ。そのイケバナ、そして今年アルバムを出したクーシーをはじめ、今回の出演者は、以下の通り。
■ flau night in tokyo 2013
2013年12月22日(日)
@VACANT (渋谷区神宮前3-20-13)
open 16:00 / start 16:30
adv. 3,000yen / door 3,500yen
(共にドリンク代別途)
LIVE: IKEBANA, Cuushe, Sparrows, Twigs & Yarn, Black Elk (Danny Norbury+Clem Leek+Ian Hawgood)
PA:福岡功訓 (Fly sound)
SHOP:Linus Records
装飾:kotoriten office
FOOD:川瀬知代(粒粒)
前売りチケットメール予約 event@flau.jp
件名を「flau night in tokyo」とし、
お名前・連絡先・枚数を明記の上、上記のアドレスまでご送信ください。
3日以内にご予約確認の返信メールをさせていただきます。
ご予約のお客様にはスペシャル・プレゼントもご用意していますので、こちらもお楽しみに!
イベント詳細ページ:
https://www.flau.jp/events/flaunight_tokyo2013.html

「プライマルは、いま何と闘っているのだろうか。」
――6年ぶりの新作『Proletariat』の背景にあるものを解きほぐすインタヴューを読み返して、この年末、あらためて本作を聴きかえしたくなった。折も折、豪華なゲストを多数迎えてのリリース・パーティの報が舞い込む。見ておくべきステージがまたひとつ増えた。
![]() PRIMAL プロレタリアート Pヴァイン |
傑作『Proletariat』を発表したPRIMALのアルバム・リリース・パーティが〈LIQUID ROOM〉にて開催決定! MSCをはじめ、豪華ゲスト陣が出演予定!!
2013年ベスト・アルバムの一枠に喰いこむであろう傑作セカンド・ソロ・アルバム『Proletariat』をリリースしたPRIMALのアルバム・リリース・パーティが恵比寿〈LIQUID
ROOM〉にて開催決定! 自身の所属する伝説的なクルー、MSCをはじめ、同作にも参加していたRUMI、PONY、OMSB(SIMI LAB)、DJ MARTIN、DJ BAKUらの出演がまずは決定しています! シークレット・ゲストもあり!!
■MUJO RECORDS PRESENTS 「零 GRAVITY」
まだイケるか?まだイケるぜ! PRIMAL「PROLETARIAT」RELEASE PARTY
日程:2013年12月27日
会場:恵比寿LIQUID ROOM
OPEN / START18:30 / 19:30
ADV / DOOR¥2,800(税込・ドリンクチャージ別)
LINE UP:PRIMAL / MSC / DJ MARTIN / DJ BAKU / RUMI / PONY / OMSB / and
SECRET GUESTS
TICKET:
チケットぴあ [218-466] / ローソンチケット [74057] / e+ / LIQUIDROOM / DISK UNION(新宿クラブミュージックショップ・渋谷クラブミュージックショップ・下北沢クラブミュージックショップ)、11/30 ON SALE
協賛:P-VINE RECORDS
協力:9sari group, TOKYO UNDERGROUND GEAR, MUSHINTAON, Sanagi
Recordings, 松生プロダクション, BOOT BANG ENTERTAINMENT, BLACK SWAN INC
INFO:LIQUIDROOM 03(5464)0800
大森靖子が大森靖子をやらずとも、あるいは誰かが大森靖子的な何かをやったかもしれない。実際、女子のシンガー/ソングライターはいま、ちょっとしたブームだ。だが、じゃあ、いったい他に誰がいた? いま、大森靖子ほど、女に生まれたことを呪い、またそれを強く受け止めている歌い手もいない。もっと言えば、いま、女子が女子であることを祝福するには、いちど呪わざるを得ないのだろうかとさえ、彼女の歌を聴いていると思えてくる。大森靖子のセカンド・フルレンス『絶対少女』は、女子への祝福と呪いとの屈辱的なせめぎ合いの果てにやっと吐き出されたジュエリーか汚物のように思える。
たとえば、『女子とニューヨーク』(メディア総合研究所)等の著作で知られる山崎まどかさんのブログ・エントリ「鏡よ鏡――〈わたしは可愛い? それともブス?〉と問いかける少女たち」で紹介された、YouTubeに自撮り動画をアップし、自分のルックス・レベルを世界に向けて問いかける十代の女の子たちは、自らを呪いにかけているのだろうか? それとも、呪いを解くまじないを唱えているのだろうか? いずれにせよ、自分が何をしていたのかを少女たちが自覚するような歳になったときに、彼女らは何か冷たい壁にぶつかるのだろう。ふと顔を上げ、その壁が自分を映した鏡であることを知ったとき、彼女たちはどんな歌を歌えるのだろうか。
もちろん、そうしたこじれないしは壁のようなものを、ある年齢の地点においてスルーできるようになることこそが、女子の処世であることはほぼ間違いない。だが、『絶対少女』はそうではない。そんな生き辛さへのアジャストなどまっぴら御免だと言わんばかりだ。だから、僕は彼女の言葉を受け取り、正面から眺め、いちど裏返し、また元に戻し、もう一度裏返してみて、迷いながらもやっと受け取ることになる。なにせ、一曲め“絶対彼女”の最初のラインからして「ディズニーランドに住もうとおもうの」なのだから。椎名林檎のジャケをパロディとして仕込まざるを得なかった前作『魔法が使えないなら死にたい』を聴いた人間であればこそ、こうした何気ないセンテンスの裏に何重もの意味を見てしまうハズ。
そう、マスメディア・レベルで暴力的に欲望される「こんな風にして世間的に/対男性的に欲望されるべきふつうの女性像」をヒリヒリと内面化し、社会人の彼氏の隣を歩ける服とやらに袖を通し、やっぱり脱いでみたりして、それにウンザリしつつも完全には拒否しきれない自分を何歩も引いた場所から冷めるように自覚し、あるいは端的に美しい女子に女子として萌えながら、かつ、そんな自分のような女子に名前を付けてさらに外側から消費の材料にしようとする市場の要請と、それをさらに外側から表現の前提として踏まえざるを得ないという、自意識の奈落をどこまでも再帰させたがんじがらめの場所で……大森靖子はそれでも何かを歌っている。とても力強い声で。ここでは呪いが祝福され、祝福が呪われていく。僕はこんな歌を他に聴いたことがない。
アルバムは、結婚・出産という女子の「ふつうの幸せ」とされるものを合わせ鏡の迷宮に陥れるシンセ・ポップ“絶対彼女”で幕を開け、結論を急ぐなら、それをオモテの意味で全肯定するタンポポの“I & YOU & I & YOU & I”を弾き語りカバーして終わる。この、〈ハロー! プロジェクト〉の歴史から言ってもヒット曲/有名曲とは言い難いナンバーがアルバムの象徴として選択されていることからも、これが単なるボーナス・トラック的な位置づけでないことは明白だろう(そもそもこの曲はシングルでさえなく、2002年にリリースされたベスト盤のために用意された新録曲である)。さらに言えば、この曲にバトンを渡す“君と映画”という曲は、タンポポに対する大森靖子からのアンサーのような曲になっている。おまけに、奥野真哉(ソウル・フラワー・ユニオン)が軽快に鍵盤をさばくロックンロール・アレンジになっているが、これはまるで……70年代のブルース・スプリングスティーンじゃないか(!)。
音についてもう少し触れておこう。アレンジのヴァリエーションはおそらく前作以上で、前述の“絶対彼女”はディスコ・ポップだし、前作で“新宿”のトラックを担当したカメダタクは、(((さらうんど)))を意識したようなシンセ・ポップ“ミッドナイト清純異性交遊”を提案しており、導入は非常に煌びやか。あるいは、ソフトなフォーク・タッチの“エンドレスダンス”の印象もあってか、一瞬、ポップ・ポテンシャルと引き換えにエッジを失ってしまったアルバムに思えるほどだ。だが、それも“あまい”のイントロが鳴るまで。アコースティック・ギターの凛とした響き、サビで合流するグランジ風ギターのダウンバースト、そこに漂う大森の歌声は聴き手の緊張を強いるとともに、とても澄み切っている。そして、同様のスタイルを引き継ぎながらも大森の絶唱でそこを破っていく“Over The Party”は序盤のハイライトだろう。
大事なことなので改めて書いておくが、本作のプロデュースはカーネーションの直枝政広が務めている。ゲストも多彩で、たとえば“展覧会の絵”では梅津和時がカオティックなサックスを吹きこんでいる。だが、玄人たちはいずれも裏方に徹している。アルバムを何度も聴いていくなかで立ち上がってくるのは、やはり中盤の弾き語りを軸にした彼女の表情豊かな歌声であり、選び抜かれた言葉だ(「嫌い」を連呼することで「キラキラ」を浮かび上がらせる遊び心なんかもある)。
もしかしたらどこかに、「ふつうの幸せ」をいちどは選び取り、その自撮りをアップしたSNSの前で更新ボタンをだらだらと押すなかで、思わず鏡に映った自分に何年かぶりに衝突してしまった女子がいるかもしれない。そこに限りなく近いポイントで生み出された“絶対彼女”の両義性と、“I & YOU & I & YOU & I”が象徴するある種のベタさ。『絶対少女』は、この遠く離れた点と点を繋ぐ、あるいは繋ごうとする、呪いと祝福の連なりである。もちろん、その軌跡は他人にとってはなんの補助線にもならないだろう。いま、大森靖子によってたまたまこういう線が引かれた、というだけのことだ。
しかし、前作までの彼女には、その未知数ぶりと表面的なイメージにより、勝手な役割意識を押し付けられる隙があったと言えばあっただろう。それがここに来て、それらのノイズをはねのける(ねじれつつも)太い芯を持つに至った本作を前に、ある種の失望を露わにする男の子と、勝手に裏切られて傷つけられたような気になる女の子の、そのどちらの姿をも、僕は勝手に想像してしまう。『絶対少女』は、あなたのサプリメントにはおそらくなり得ないし、あなたが期待した役割のいずれをも担っていない。しかし、だからこそ世に問われる価値があるのだろう。蜷川実花のカメラの前で美しく微笑む彼女を見ていると、少なくともそこに後悔らしきものは感じられない。
大森靖子、26歳、「Born to Hate」から「Born to Love」へとなりふり構わず駆け抜ける、堂々の代表作だ。
高畑勲監督のジブリ最新作映画『かぐや姫の物語』、ご覧になりましたか? 人目もはばからずふわわとあくびをし、カエルの真似をしてケロケロ這う無邪気な乳幼児時代のかぐや姫、激萌えでした。少女に成長してからも粗末な衣服を着て泥だらけで野山を駆け回っていた彼女は、翁からプレゼントされたピンクの薄衣を見るや目を輝かせ、衣を羽織って大喜びで家中を飛び回ります。ピンクの服、そしてお姫様として与えられた大きなお屋敷にときめくかぐや姫の気持ちは、きっと純粋なものだったはず。しかしそこからはじまる、欲望の客体「女」としてひたすら自我を殺すことを強要されるかぐや姫の怒りと絶望の描写には、娘を育てる身として大変心が痛んだものです(求婚しにきた浮気男を試すために本妻と入れ替わるという『ロンドンハーツ』みたいなドッキリには笑いましたけど)。
純粋な気持ちでピンクやプリンセスに憧れているうちに、「客体として生きよ」という世間からのメッセージを刷り込まれる。狭苦しい「女」の領域から抜け出したいと願っても、世間との軋轢は免れ得ず、いつしか自我を手放して価値観を世間に同化させてしまう。最後まで抵抗しながらもすべての記憶と感情を失って月に帰ったかぐや姫は、こうした女性たちのあり方を暗示しているようにも見えます。この問題意識はアメリカの女性たちにはなじみ深いものであるらしく、問題解決のためのさまざまな試みが女性自身の手でなされているようです。
Girls.
You think you know what we want, girls.
Pink and pretty it's girls.
Just like the 50's it's girls.
ガールズ
私たち女の子が欲しがるものが何か、わかってると思ってるでしょ
ピンクにカワイイもの、それが女の子
まるで50年代みたい
You like to buy us pink toys
and everything else is for boys
and you can always get us dolls
and we'll grow up like them... false.
みんなピンクのおもちゃを私たちに買い与えたがる
それ以外のおもちゃはみんな男の子のもの
いつだって女の子には人形を与えておけばいい
そうすればお人形さんみたいに育つだろうってね
……なわけないし
It's time to change.
We deserve to see a range.
'Cause all our toys look just the same
and we would like to use our brains.
We are all more than princess maids.
今こそ変わるとき
女の子も広い選択肢を知る価値がある
女の子用のおもちゃはみんな同じに見えるけど
女の子だって頭を使いたいの
私たちはただのプリンセスのメイドじゃない
Girls to build the spaceship,
Girls to code the new app,
Girls to grow up knowing
they can engineer that.
宇宙船を造る女の子
新しいアプリをコーディングする女の子
女の子にだってそういうものが設計できるって
学びながら成長する女の子
Girls.
That's all we really need is Girls.
To bring us up to speed it's Girls.
Our opportunity is Girls.
Don't underestimate Girls.
ガールズ、それが女の子に本当に必要なこと
私たちにスピードを
女の子であることが、私たちのチャンス
女の子を見くびらないで
これは女児向けのエンジニアリング玩具「Goldieblox」のプロモーション動画。音楽好きのみなさんならすでにお気づきのとおり、これはビースティ・ボーイズ“ガールズ”のパロディです。「皿を洗う女の子、俺の部屋を掃除する女の子、洗濯する女の子、俺たちが女の子に本当に求めてることはそれだけ」というヤンチャな歌詞が、見事に真逆の意味に入れ替わっています。
「Golodiebox」は大資本の企業が販売している玩具ではありません。スタンフォード大学でエンジニアリングを学んだデビー・スターリング(Debbie Sterling)というひとりの若い女性のアイディアから生まれたもの。小さな女の子にもエンジニアリングの楽しさを伝えるおもちゃが必要だと考えた彼女は、クラウドファンディング・サービス「Kickstarter」で目標額15万ドルをはるかに上回る28万ドルを獲得し、2012年10月に会社を設立。トイザらスと全国流通契約を結んだときに制作された、ピンクまみれの女児玩具コーナーを女児3人組が襲撃するというプロモーション動画がセンセーショナルだったこともあり、一躍ネットの注目を集めたのです。小さな女の子は、女児向けのカラーリングを施された玩具以外はすべて男の子向けだと考える傾向があると言われています。そのため、組み立て系の玩具が置いてあるコーナーに多くの女児は寄りつかないとも。そこで「Goldieblox」はピンク、ラベンダー、水色という定番の女児玩具カラーと、いるかのバレリーナや気の強いネコといったキャラクターを採用し、女児向けであることをわかりやすくアピール。さらにかわいい絵本風のブックレットも付け、物語に没入する感覚で組み立て玩具を楽しめるようになっています。
上記の“ガールズ”パロディ動画は瞬く間にネットに広がり、700万回以上も再生される人気動画となりました。そして今年11月、「Goldieblox」の知名度をさらに高める出来事が起きました。ビースティ・ボーイズ側が、楽曲の使用許可を得ていないことを問いただすクレームをGoldiebloxに送ったのです。そしてこれを受けたGoldieblox側が、実際に訴えられる前に「著作権侵害ではない」とする先制攻撃的な訴訟を起こすという斜め上の展開に。このユニークな騒動は各メディアで取り上げられ、「Goldieblox」は多くの人の目に触れることとなりました。問題の動画がステレオタイプなジェンダー観を批評するパロディ作品と認められるのか、それともただの著作権侵害と判断されるのか、法律に疎い私はわかりません。ただ、LAタイムスの記事によれば、SNS上の反応は圧倒的にGoldieblox側に好意的だとのこと。だいたいにおいてフェミニスト的な主張は笑いものになって終わることが多いのですが、ひとりの女性の奮闘で世間の空気が変わるという事態に勇気づけられずにはおれません。訴えたわけでもないのに一方的に悪者にされてしまったビースティ・ボーイズはお気の毒ですが……。
※訴訟を起こされた後にビースティ・ボーイズが発表した公開書簡では、Goldiebloxへのリスペクトを表明しつつ、あくまで商品の宣伝に自分たちの楽曲を使わせないという従来からのバンドの方針を強調しています。この方針が昨年亡くなったビースティ・ボーイズのメンバー、アダム・ヤウクの遺志によるものであることを知ったGoldiebloxは著作権侵害を指摘された動画を取り下げ、ビースティ・ボーイズと和解する姿勢を見せました。なお、メンバーのアドロックことアダム・ホロヴィッツの奥さんは、筋金入りのフェミニストバンド「ビキニ・キル」のキャサリン・ハンナ。
「女の子は、“さすが〜”“知らなかった〜”“すご〜い”“センスいい〜”“そうなんだ〜”だけ言っていればいいんだよ」というような言説は、いまでも少なくありません。「ほ〜うまいことあいうえお作文にまとめたもんだね〜」と感心する気持ちもあるのですが、同時に女の子を育てるのが怖くなることがあります。「わたしこんなことできたの!」と報告されるたびに褒めて励まして自尊心を育むこと、これが将来生きていく上で全部裏目に出てしまうのではないかと。でも世間はうつろいやすく、知恵と技術とプレゼン能力さえあればほんの少しずつでも変えることができる、変えるのは、未来を生きる女の子自身。そう考えれば、女の子を育てることに希望がわいてきますし、自分にだって何かできることがあるのではないかと思えてきます。
もしもかぐや姫に翁が与えたものが、ピンクの衣に大きなお屋敷ではなく、ピンクの大工道具だったら? はたまた自由にアプリをコーディングできる開発環境だったら? 無数に存在する幼いかぐや姫たちの、そのはつらつとした自我を守るためにできることを考えるのが、翁・媼サイドたる私たちの務めなのかもしれません。
ギークマム 21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア
(オライリー・ジャパン)
著者:Natania Barron、Kathy Ceceri、Corrina Lawson、Jenny Wiliams
翻訳:星野 靖子、堀越 英美
定価:2310円(本体2200円+税)
A5 240頁
ISBN 978-4-87311-636-5
発売日:2013/10
Amazon
わたしは必然とか運命とかいう言葉を一切信じない殺伐としたばばあだが、息子が出演した映画『Last Summer』には、えっ。と思うような偶然がわりとあったことを認めずにはいられない。
まず、息子が演じた役柄の名前が、彼の実名と同じだった。最初に脚本がメールされて来た時、へっ、もう坊主の名が入っていやがる。と思ったほどだったが、偶然に同じ名前だったらしい。
また、息子のベビーシッター的な役を演じた英国人女優というのが、ブライトン出身で、息子の小学校正門から300メートル以内に実家がある。っつうか、息子とわたしは毎日登下校の際に彼女の実家の前を通っている。この女優さんはBBCドラマ「ロビン・フッド」でヒロインを演じた人で、その後は問題作めいた低予算ドラマを中心に出演しておられ、そのうちの1本を見た監督が「いい」と思って起用したわけだから、その時点では、監督はうちの息子の小学校正門にまつわる事情など全くご存知なかっただろう。
しかも、わたしが「上品な婆さん」呼ばわりにしていた衣装および美術担当者が、わたしのオールタイム・フェイヴァリットと言ってもよい映画の衣装を担当した人だったという話は前回書いたし、これだけでも懇意にしている英国人のお母さんは、「ティラリラティラリラ」と『トワイライト・ゾーン』のテーマ曲を歌い出すのだが、実は、個人的なトワイライト・ゾーン話の真打ちは別にあったのである。
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映画のプロデューサーとエグゼクティヴ・プロデューサーの違いというのは、素人のわたしには今ひとつ判然としなかった点だが、エグゼクティヴのほうが偉そう。という一般企業的解釈は間違っていたのか、『Last Summer』の場合、エグゼクティヴ・プロデューサーは実際にイタリア南部の撮影地までやって来て働く人びとで、単なるプロデューサーこそ、名前(&資金集めのネットワーク)を貸しているだけという感じであった。
息子が出た映画にはエグゼクティヴ・プロデューサーがふたりいたのだが、そのうちのひとりであるAというスキンヘッドのおっさんは、ちょっと変な人であった。息子はこの人に一番世話になったが、例えば、息子の学校とのパイプ役になったのはこのおっさんである。それでなくとも出席率に厳格な英国の公立カトリック校で、「5週間も休ませるなんて無理」とわたしが言ったにも関わらず、このおっさんはイタリアから息子の学校に電話をかけ、いったいどうやって校長以下事務所のセクレタリーまで丸め込んだのか、「たいへん信頼できる製作会社です。5週間は欠席扱いにしません」と言わしめたのである。ハリウッドのマフィア映画を髣髴とさせる低音のイタリアン英語に女性教師たちがぐっと来たのか、それともカトリック校とイタリアという黄金の組み合わせが功を奏したのかは不明だが、息子の映画出演を可能にしたのは彼であった。
このネゴ上手なおっさんの本職は、国際税法専門の弁護士なのだが、DJなどというちゃらけた副業まで持っており、昔はアムステルダムやイビサ界隈でぶいぶい言わせていた身分だという。で、どういうわけかこの多才なAとうちの連合いがやけに意気投合してしまい、連合いがイタリアに陣中見舞いに来た週には連日バーでふたりで飲んでいたが、また酔った拍子にうちの連合いもベラベラと余計なことをくっちゃべってしまい、「うちの嫁はジャパニーズ・ライター。専門はジョン・ライドン」などとわけのわからぬことを言ったらしい。
んなわけで、ある日、Aがわたしに言った。
「金曜日にメイン・プロデューサーのエルダ・フェッリがローマから来る。彼女は『ライフ・イズ・ビューティフル』を手掛けた人で、イタリアでは有名だ。しかも、『Copkiller』のプロデューサーだから、ディナーの席でジョン・ライドンについて聞いてみたら」
わたしの全身が硬直していた。
というのも、『Copkiller』というのは、ジョン・ライドンの唯一の主演作だからである。というか、ドキュメンタリーや、ライドン本人として出演している映画は他にもあるが、きちんと俳優として彼が出演しているのは1981年製作のこの作品だけだ。ライドンは同作でハーヴィ・カイテルと共演しており、連続警官殺しの犯人であるサイコパスを演じている。ということは知っていたが、実はまともに通して見たことは無かった。あまりにもレヴューがひど過ぎたせいもあるが、やっぱライドンは瞬発力の人というか、他人が書いた脚本を演じるのは下手だと決め込んでいたからである。
が、ライドンの映画を製作した人が今回の映画のプロデューサーとは何たる奇遇。と気持ちは盛り上がったが、何といってもわたしの身分は単なる子役の保護者である。ディナーの席でメイン・プロデューサーのそばに座れるわけもなく、遠くからお顔を拝見するだけで終わったのだった。
そんなわたしを不憫に思ったのか、数日後にAがホテルの部屋に訪ねて来た。
「週末、ローマに帰ったから焼いてきた」と言って1枚のDVDをドア越しに差し出す。
自宅のプリンターでコピーしたらしいジャケットには、『Copkiller』のUK市場用のタイトル『Corrupt』と印刷されていた。
イタリアのホテルで見たライドンの主演映画は、意外にも面白かった。何より驚いたのは、彼がシリアスな映画俳優としても逸材だったことである。
故ヒース・レジャーが、死後にオスカーを受賞した『ダークナイト ライジング』のジョーカー役を演じるにあたり、ピストルズのジョニー・ロットンをモデルにしたと言ったのは有名な話だが、彼は『Corrupt』(または『Copkiller』)を間違いなく見たと思う。ヒース・レジャーのジョーカーは、ライドンが演じたサイコパスのカーボン・コピーだった。
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『Last Summer』の撮影が終了した後、わたしと息子はイタリア南部からローマに向かったのだが、ローマでAからディナーに招待された。どこまでも気配り上手なおっさんで、イタリア料理に飽きていた息子のため、英国風ロースト・チキンを自ら料理するという。
Aの自宅で、彼の妻や子供に挨拶していると、『Last Summer』のメイン・プロデューサーであり、ライドン映画のプロデューサーも務めたエルダ・フェッリが奥から出て来た。ライドン映画のDVDを貰った後で、実はエルダはAの姑だったということがわかり、あのDVDは彼女が所有しているオリジナル・カットのコピーだということをAから聞かされていたのだった。
「こんばんは」と挨拶すると、エルダが脇に立っていた初老の小柄な男性を紹介した。「私の夫ではないけれど、この人とは何十年も一緒に住んでいます。なんて言うのかしら、こういうの英語で」とエルダが言うので「パートナー。ですかね」と答え、「初めまして」とくだんの男性と握手を交わす。
と、Aが背後から言った。
「彼は、ロベルト・フェンザという映画監督だよ。『Copkiller』の監督」
全身の関節がべきべきと外れて崩壊しそうになった。
んなわけで、なぜかわたしは、ローマの民家で、ジョン・ライドンの唯一の主演映画の監督とプロデューサーに挟まれてロースト・チキンを食っていた。この状況がわたしにとってどれほどシュールなものであったかは、ジョン・ライドン応援サイトをやっていたわたしの過去をご存知の方ならおわかりだろう。
「彼は生真面目でプロフェッショナル。常に現場のムードを敏感に感じ取る繊細な人間だった」
「人は彼をパンクとか言うけど、実は一番まっとうでね」
「シド・ヴィシャスについては何も聞かれたくないようだった」
「どんな映画の撮影でも、製作側が俳優に保険をかけるのはmustなんだが、ジョンだけは、全ての保険会社が拒否した。後にも先にも、そんな出演者を使ったことはない。才能があっても彼が映画界で活動できなかったのは、そういう事情もあるんじゃないかな」
「うちは今でも家族ぐるみで彼と付き合っているよ」
などという話を膨張した頭でぼんやり聞いていると、ロベルト・フェンザ監督が言った。
「明日PiLがローマでギグやるんだ。その翌日に一緒に食事しようってジョンから電話がかかって来たんだけど、良かったら、来る?」
えええっ。
聞いてないですよ、そんなの!?
ていうか、A! 貴様こういうことはサプライズにしないで、さっさと言いやがれ!! そうすれば何とかしたものを。
ファッキン・バスターーーーーーーード!!!
と胸中で激昂&慟哭しながら、わたしは大人の顔をつくって言った。
「でも、わたしたち明日英国に発つんです」
すべての道はローマではなく、ライドンに通じていた。
が、やはり全面的には通じきってなかったところが、わたしの人生だろう。
ロベルト・フェンザとジョン・ライドンがローマでランチしていた頃、わたしは人手不足のブライトンの保育園で21人の幼児のオムツを替えていた。
木津:やってまいりました、ゆうほとつよしのアラサー女子力対決「とびっきり素敵な12月」のコーナー。
橋元:勝てる気がしませんね。
木津:闘いましょうよ(笑)! 年末といえば来年の星占い記事とクリスマスでしょう? 橋元さん、クリスマス・ケーキもう決めました? それと自分へのごほうび♡
橋元:木津さんはあれでしょう? ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)の痛ケーキ。……あ、ちがうわ。お得意の〈ピエール・エルメ〉ね!
木津:だってこの美しさですよ! 今年の僕のケーキは「エラ」です。あー、ワインも買っちゃおうー。
橋元:「エマ」じゃないんだ。それにしても、いずれ劣らぬご褒美価格。「エラ」の赤い艶はとくにラグジュアリーですね。その点はシャアザク・ケーキもいい勝負なんですがね。
木津:オ、オタクリスマス……。まあ、クリスマスを楽しまないと年越せないですよ。締めくくり、せっかくなんで満喫しましょうね!
橋元:もちろんです。SNSが普及してから、年中行事の果たす役割が急に大きくなったように思いますね。それはいいとして、何か素敵な12月のプランはありますか?
木津:クリスマス・マーケットは行くとして、ライヴや音楽イヴェントも満喫して年を終えたいですねー。
橋元:そう、12月は本当に楽しそうなイヴェントがたくさんあります。今日はそのなかから、13日(金)にスタートするLAのビートメイカー、バス(Baths)くんの来日ツアーについてお話しましょうか。バスのセカンド・フル『オブシディアン』は、木津さん、どうでした?

左・Cerulean(2010)/ 右・Obsidian(2013)
木津:いや、前作(デビュー・フル『セルリアン』)のイメージがけっこうクリーンな感じ、やわらかな感じだったので、今回の陰影にはビックリしました。が、ある意味しっくりもきて。ダークで烈しいモチーフになってますけど、なんていうか、汚くはけっしてないんですよね。思春期的な潔癖性というか。
橋元:そうそう。前作のモチーフが「天上」のイメージなら、今作は「地獄」ですね。実際に『セルリアン』という色には天上のイメージがあったといいますし、『オブシディアン』は黒死病(ペスト)を題材にした中世の絵画からインスピレーションを得たといいます。1枚めから2枚めであまりにあからさまに天から地下へ直滑降しているんですが、その直滑降っぷりが本当に思春期的で潔癖的。
彼自身はハタチを過ぎているんですが(笑)、あのアンファン・テリブルな雰囲気というのはずっと失われないですね。ドリーミーだけれども攻撃的。14才の攻撃性です。それは両作ともそう。
木津:ドリーミーというキーワードは健在ですね。ゴシックなモチーフに惹かれる感覚、っていうのはある種の暗さの夢想ですし。ノイジーなんだけど聴いている感覚としては、すごくふわふわできるというか。
橋元:わかります。暗さがそのままロマンティシズムに結びついていますよね。「闇落ち」のドラマツルギーみたいなものがあって、『オブシディアン』はそういうものが根本に持つロマンチックでドラマチックな感覚があふれていると思います。もちろん無意識なんですけど。
木津:前作がチルウェイヴからの距離で測れた作品だったとすれば、『オブシディアン』はインダストリアルな感触もあって、すごくいまっぽい。天然かもしれないけど、感性もアンテナも鋭いですよね。
橋元:きっと天然ですね。インダストリアルを方法として意識しているとは思えないですし、あるいは今作でちょっと顔を覗かせているブラックメタル的な感覚も、「わりとそういう気分だった」というところだと思います。
でも“アース・デス”とかびっくりしました。そもそもはデイデラスに見初められて、〈ロウ・エンド・セオリー〉でDJを務めたりというキャリアがあるわけですけど、そういう「LAビート・シーン」を引っぱろうというような意識はすでに微塵もなさそうですね。ファーストのあの跳ね回って錯綜するビートが姿を消しつつあります。
木津:たしかに。でも、確実にシーンの重要なキャラクターでもあるのがおもしろいですね。僕がいちばん最近にバスくんの名前を見たのは、気鋭の23歳トラック・メイカー、ライアン・ヘムズワースのアルバムのゲストでです。彼はカナダ人ですけど、やっぱりLAビート・シーンに足を突っ込んでるひとで。僕はその「思春期的なムード」を彼にも感じ取ったんですけど、あの界隈ってそういう叙情性と親和性のあるところなのかも、じつは。ノサッジ・シングなんかもですけど。
橋元:そうですね、ティーブスとかもそう。恐れることなく叙情しますよね。それはやっぱり、彼らの音楽の基本がビートにあるなんだと思います。ドリーミーなモラトリアム感覚はチルウェイヴにも通じるんだけど、チルウェイヴの方がちょっと苦くて、かつぼんやりしていて、方法的にも甘い。適当な言い方だけど20代の甘さみたいなものを感じます(笑)。対するにバス勢の(10代的な)攻撃性は、テクニックとファンタジックな想像力に支えられたものだと思いませんか?
“Lovely Bloodflow”(『Cerulean』収録)このMVは『もののけ姫』のイメージだったそうなんですけど、じつに構築的というか、コンセプトの根幹がしっかりしている。ドリーミーというよりもファンタジックというほうがハマると思うんです。ぼんやりしているんじゃなくて、積極的に夢を見にいっている。彼らの複雑でアブストラクトなビート構築というのは、こういう想像力と噛み合って存在しているものだと思います。
木津:なるほど。ファンタジックというのはわかります。『セルリアン』は子どもの空想が元気よく暴れている、無邪気さゆえの危なさ、みたいなものも感じましたね。
橋元:あと、彼らがその意味で大人にならないのかなるのか問題は興味があります。映画は詳しくないんですけど、『テッド』とか? 大人になりきれない成人のグダグダをおもしろく描きつつも、アメリカの映画は、最後は何らかのかたちで彼らが社会的な責任を引き受けるという成長譚になりがちだってききます。
その功罪は措くにしても、「大人になったからつまんなくなった」とか「子どもを突き通しているからおもしろい」とかそういう短絡を拒絶する「なんだかスゴイ展開」をバスの少年性には期待したいです。
木津:成長譚、なりがちですねー。音楽ではアニコレ以降、その境目がどんどんぼやけていったけど、ただ映画でもアメコミ原作ものなんかは、そういう感覚にも抵触してるかもしれないです。その辺りの思春期性の「揺れ」に注目ですね。
橋元:ダイナミックに「揺れ」てますよねー。さて、バスくんのパーソナリティなんですが、先ほどの〈ジブリ〉の影響を指摘するまでもなく、かなり日本のカルチャーには親しみを持っているみたいですね。
木津:おお、OTAKUですか。
橋元:モラトリアム云々という話を置いておくにしても、かなりのポケモン好きらしいですし。
初来日の際に真っ先に向かった〈ポケモンセンター〉前でのもの。
木津:はははは。でもポケモンっていうのがほんと、男の子感あっていいですねー。変にエグい方向ではなくて(笑)。
橋元:そういうところもキュートなんですけど、その表出がけっこうアートっぽかったりするところもミソですね。ツイッターなんかには自分のイラストも投下するし、自身の全身タイツ姿をとってもイマジナティヴに撮ってアップしたりね、多才だと思います。
木津:クリエイションもするんですね。ビョークが好きだというのもなんだか頷ける。
橋元:そうそう、ビョークすごく好きみたいですね。お父さんがテレビ・ドラマとかの脚本家で、お母さんが画家だったかな。お家の環境から受けた影響も少なくないでしょうね。彼に実際に会うと感じるんですけど、すごくタレンテッドなというか、「お隣の兄ちゃん」って感じはさらさらないんですよ。変人でも変態でもないんだけど、天才型な雰囲気をバンバン出してます。

Baths / Pop Music / False B-Side / Tugboat(2011)
Bサイド集。ジャケットの絵はBaths本人のもの
木津:橋元さんはインタヴューされてますもんねー。『イナズマイレブン』のノートを見てすごく喜んでくれたとか……。あと、バスくんが描いたキュートすぎる絵も強烈に覚えてますよ。
橋元:そうですよね。彼のツイッターなんかを見ていると、無邪気にオジサン好きに見えるんですが、あれって無邪気に見えちゃうほど複雑な感覚が隠れていたりするんですかね?
木津:たぶん複雑な回路は彼のなかにあると思うんですけど、アウトプットを無邪気にしている時点で、僕にはひとつの態度表明に思えますね。たしかに僕は、男が好きな男ということを異化できるひとの表現にほうにより興味はありますけど、あの無邪気さっていうのは、知恵なんだと思うんですよね。つまり、社会的なアングルを一切廃した場所で、自分の感情(とリビドー)が正しいんだ、という。やっぱりオタク少年っぽいんですよ。そういう意味では理解はできますよ。でもバスくん、キレイなマッチョが好きなんですねえ……。
橋元:キレイなマッチョ(笑)。彼のまわりのオジサンにはデイデラスがいますけど、木津さんはデイデラスのヒゲはどうです?
木津:僕が好きなヒゲは、順に髭(口ヒゲ)、髯(ほおヒゲ)、鬚(あごヒゲ)なんですけど、口ヒゲがないのは大きくマイナスですよねえ……独自のセンス出しすぎ……。
橋元:はは。わっかんねー……。
木津:でも、奥さんとラブラブなのはいいです。奥さんを大事にしているオーラのある男のセクシーさってありますよね~。ともかく、知的にぶっ飛んだひとですよね。ヒゲはイマイチでも、存在は大好きです。
橋元:なるほど、奥さんのローラ・ダーリントンとは付き合いも古そうな感じが素敵ですね。ジェントルがネタなようでいてとても本気っていうのも好きです。キマってます。
木津:ライヴ、僕は観たことないんですけど、どういう感じですか? 音源を聴く感じだと、歌が重要なんじゃないかなという予想があるんですけど。
橋元:はい。ライヴはとにかくエネルギーに満ちていて。それこそデイデラスが華麗にサンプラーのパッドやツマミをいじるように、ヴィジュアル体験としてもかなり充実したものがあります。京都はseihoさんも出演されますが、彼との競演というのはちょっとすごいと思いますよ。アルバムのヴァージョンの何割増の音数、ノイズ。音圧ももちろん比べ物にならないですし、当然のこと、彼のライヴの本懐は音源の再現・再生にはありませんね。
木津:へえー! ノイズばりばりっていうのはいいですね!
橋元:ご指摘のように歌(メロディ)は重要で、とにかく声量もすごい。あのファルセットは吠えるように出てきます。なんだかそういうことも含めてマンガっぽい存在というか、けっこう規格外ですね。
木津:ああ、エクストリームな感じになっちゃうんですね。それはすごく理に敵ってる感じしますね。
橋元:ただ、今作は音楽的にずいぶんと装いが変わっているので、どんなかたちになるのか楽しみです。カラオケ状態ってことはないと思いますが、さらに歌に重点が移っているとも考えられますよね。
木津:今年は歌の年でもありましたし、声とメロディを聴きたい気分ですよね。バスくんの歌心を発見できたら、まさにドンピシャなんですけどね。
橋元:彼にはビートを跳ねて暴れまわらせる、本当に奔放でやんちゃな天使といった佇まいがあるんですけど、ビートを抑圧する展開があるとすれば、彼はその分のエネルギーをどうやって放出するんだろう……。
木津:抑圧があるってことは抑揚があるってことですから、その分ビートが暴れる展開のカタルシスはあるのかのしれない。あとはやっぱり、何よりも彼のエモーショナルな部分を僕は見たいですね。
橋元:その点はもう、エモーションの塊ですよ! 12月の空からね、バスのエモーションがキラキラ降ってきます。そういうことがやれちゃう個性、やれちゃう音ですね。
ちなみにバスは4月16日生まれということなので牡羊座ですけれども、牡羊座ってどんな感じなんです? 相性ですとか。
木津:えっ、橋元さんとの相性ですか(笑)? 牡羊座も獅子座も火の星座だからバッチリですよ! ちょっと暑苦しい相性ですね。牡羊座は猪突猛進で、直感を信じるタイプです……バス、そんなところありますね。ちょっと納得しましたよ。
橋元:ははは! わたしとの相性はまあおいといて(笑)。じゃあ獅子座の人は運命の出会いになるツアーかもしれませんね。






