Home > Reviews > Sound Patrol > Burial(ブリアル)- トゥルーアント
映画『ぼくのエリ』はホラーというよりは、ロマンスである。夢見る少年の恋愛映画だ。冷血さや残忍さゆえにヒットしたのではなく、家にも学校にも居場所のない孤独な人たちのロマンティックな物語に共感したのだと思う。選挙前に何を言っているんだかという話だが、これは痛みながらも夢見ることを抑えきれないという話だ。ダーク=暗い、ではない。ダーク=たとえ暗くても夢想を止めない、である。深夜にしか出会えないとしても、愛は芽生える。
結局のところブリアルが先鞭をつけたのはこの感覚だった。痛みを感じながらも、陰鬱でありながらも、しかし、じゃあ、もう諦めればいいのかと言えば諦めきれない夢想者、その善し悪しはともかく、この感覚が最近もっとも噴出しているのがロンドンの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉で、そしてアンドリュー・ウェザオールやドレクシアらがいまも古くならない理由もこの感覚がこのところ年々強まっているからだ。
ゴシック路線を打ち出した「キンドレッド」以来いきなりリリースされたニュー・シングル「トゥルーアント」は、アンディ・ストットやシャックルトン、いま個人的にいちばんのお気に入りのレイム(Raime)のデビュー・アルバム『クオーター・ターンズ・オーヴァー・ア・リヴィングライン』などとも重なる。ブリアル芸とも呼べるR&Bサンプルを相変わらず使いながら、11分を超えるタイトル曲はスムーズなグルーヴとベース音があり、埃をかぶった物置に何十年も放置されたままのレコードのチリノイズさながら、つまり何らかの遺物の存在を思わせる音響、そしてセクシャルな色気で構成されている。「キンドレッド」のように組曲めいた展開があり、機能的なクラブ・ミュージックとは別次元で語りかける。アンディ・ストットの『ラグジュアリー・プロブレムス』は日本でも瞬く間に売れたそうだが、理由はインディ・リスナーも虜にしたからである。
アルト・ジェイのアルバムは「すべてのフェスティヴァルを笑え」という歌詞からはじまっている。音楽は予見的である......というジャック・アタリの有名な言に従うなら、ブリアル以降におきている変化は、とても興味深い。僕は家でヴァージン・プルーンズの「ペイガン・ラヴソング」を久しぶりに聴いた。選挙は消去法で考えるしかない。これでマスコミが言うように自民党が圧勝したら、ブレイディみかこさんが紙エレキングで書いているように、情況的には日本もまたパンク前夜に似ていると言えるだろう(実際にこの後、パンク・バンドが出てくるという話しではないです)。
野田 努