「PAN」と一致するもの

interview with Oneohtrix Point Never(Daniel Lopatin) - ele-king

ヴェイパーウェイヴは僕のカルチャーではないよ。僕のシーンではないし、自分があの一部だったこともなければあれをフォローしたこともなかったし、あの手の作品をあさった、みたいなこともまったくなかった


Oneohtrix Point Never
Magic Oneohtrix Point Never

Warp/ビート

ConceptronicaHypnagogic PopAvant Pop

 インタヴュー、その2。その1からの続きです。
 さて、彼の自伝の一部と言える新作『Magic Oneohtrix Point Never』からかぎ取れる孤独な感覚については、おそらく前回のインタヴューで本人が語っている。ニューエイジ解釈についても多弁を呈しているが、ひとつ言えるのは、最終的に彼はそれを嫌いではないということ。で、たしかにそれはmOPNにある。歪められた奇妙な音響として。

 ダニエル・ロパティンの言葉を読みながら、彼は昔チルウェイヴにも手を染めていたことを思い出したりもした。チルウェイヴにしろヴェイパーウェイヴにしろドリーム・ポップにしろヒプナゴジック・ポップにしろチル&Bにしろ、10年前のインディ・シーンに広く伝染したエスケイピズム──刹那的だが、その刹那においては永遠のまどろみ──は、10年経ってさらに拡散しているようだ。NYのロックダウンによってそれが加速したとしても不思議ではない。ロパティンは、偶然にも、なかば感傷的にそのまどろみを再訪してしまった。が、10年後のロパティンは、彼のインナースペースの記憶を、彼がかつて検査し、調査した夢と現実のはざま、ないしはユートピアとディストピアの揺らぎをコンピュータにコピーすると、こなれた手つきで調整するかのようにそれらを対象化し、彼なりのポップ作品にまで仕上げたと。それがmOPNなる新作の正体ではないのだろうか。本人も認めているように内省的な作品だが、親しみやすい音響に仕上がっていると思う。
 御託はこの辺にしましょう。今回もまた、ロパティンがとことん正直に話してくれています。

そういえば、TINY MIX TAPESというWEBメディアが2019年の終わりに「2010年代のもっとも好きな音楽」として、あなたのChuck Person名義の作品『Chuck Person's Eccojams Vol.1』(2010)を選んでいましたが、ご感想をお願いします。

DL:光栄に感じた。ただ、と同時に僕には難儀でもあったっていうか……だから、自分は必ずしも、あのウェブサイトをやってる連中と同じような喜びとともにあのレコードを聴けるわけじゃない、と。あの音源があそこまで他の人びとにとって意味を持つというのには、自分も本当に「わあ、そうなの?」と興味をそそられる。
 あの作品を作ったときはほんと、自分はとにかく……直観的に作った、みたいな。自分を駆り立ててあれを作らせたものがなんなのか自分でもわからないし、意図的にやったところは一切なくて。とにかく「これをやる必要がある」と自分は感じていたし、その通りにあの作品をやって、その結果を人びとがああして気に入ってくれたのは、自分にとってショックであったし、と同時にありがたい恩恵でもあった。
 だけど僕にとっては非常にこう、(苦笑)理解しがたいんだよね、他の人びとがあのレコードに見出す重要性というものは……。いや、もちろんそう評されるのは素晴らしいんだよ! とてもワンダフルだし、自分の作り出した何かがいまだにこれだけ長い時間が経ってもなお人びとの心を動かしている、みたいなことであって、それはとても感動的なんだけどね。

アンビエントやドローンの文脈で出会った我々のようなリアルタイムで聴いてきたリスナーからすると、『Eccojams Vol.1』と同じ年の『Returnal』のほうが圧倒的にインパクトが大きいですし、『Replica』(2011)や『R Plus Seven』(2013)の当時の評価も高かった。なので、後々になって一部のリスナーが『Eccojams Vol.1』のほうを強烈に評価するというのは興味深く、やや不思議でもあります。

DL:うん、そうだよね。僕もいつも困惑させられるんだ、なぜなら自分にとっては──それがなんであれ、いま自分の取り組んでいる最新のものこそ自分に作り出せるベストなものになっていくだろう、そう思ってやっているからさ。だって、僕は生きているんだし、さらに良くなろうと努力しているところで、正直になろうと努めてもいる。だから僕からすれば常に、「頼むから、どうか自分の最新作をいちばん好きな作品にしてください!」みたいな(苦笑)。ところが……うん、僕にしても微妙なところだよ、あの作品は実にナイーヴなやり方で作ったわけだし。でも、と同時に自分にとってそれはとても素晴らしいことでもあるんだけどね。だから、あの作品を聴くとこう、自分の……無垢さを聴いて取れる、みたいな(照れ笑い)。
 当時の自分はオーディオ・エディターの使い方すらロクに知らなかったわけで、とにかくひたすら手っ取り早く薄汚いやり方で何かを作っていた。それってとても……っていうか、僕にとっては実際、そっちの方がはるかにセラピー効果のある音楽なんだよな、ニューエイジ・ミュージックを過剰に参照している類いの音楽よりも。なぜなら僕は自分自身を癒す手段としてあの音楽を作っていたから。退屈な仕事の時間しのぎとして何か作りたいなと思ってやったことだったし、あの音楽を作ることで自分もリラックスさせられたんだ。

もしかしたらそれは……コロナウイルスにまつわって生じた実存的な恐れの感覚、そことも少し関わっているのかもね? ここしばらくの間に自分が家族や友人連中と交わした会話、そのすべてはすごくこう、みんながそれぞれの人生を振り返り思索している感じだったし──だから、「一体どうして我々はこの地点にたどり着いてしまったんだろうか?」という。

日本ではあなたがヴェイパーウェイヴの重要人物のようになっていますが、いかが思われますか? 

DL:ああ、あれは僕からすれば、自分のカルチャーではないね。どうしてかと言えば、あれは一種、『Eccojams』に反応した一群の若い世代の連中、みたいなものだったわけで。彼らはなんというか、『Eccojams』をもとにして……それを様式化した、という。で、僕にとっての『Eccojams』というのは基本的に言えば……いやだから、あれが一種の青写真だった、というのはわかるよ。ごく初期の頃に、自分でもこう言っていたのは憶えているからさ、「これは、『誰にだってやれる』という意味で、フォーク・ミュージック(民族音楽)みたいなものだ」って。クッフッフッ! 要するに、ゴミの山にどう対処すればいいか、その方法がこれですよ、みたいな(苦笑)。

(笑)なるほど。

DL:そうやってゴミを興味深いものにしよう、と。で、思うにそこだったんだろうね、人びとがとくに興味を惹かれた点というのは。だから、あれは個人的かつキュレーター的な作法で音楽にアプローチする、そのためのひとつのやり方だったっていう。でも、ヴェイパーウェイヴは違うな、あれは僕のカルチャーではないよ。僕のシーンではないし、自分があの一部だったこともなければあれをフォローしたこともなかったし、たとえばBandcampでさんざん時間を費やしてあの手の作品をあさった、みたいなこともまったくなかった。まあ、ラモーナ(・アンドラ・ザビエル:Ramona Andra Xavier aka Vektroid他)のことは知っているけどね。僕たちは初期の頃に話をしたことがあったんだ。そこでとても興味深い会話を交わしたし、彼女は素晴らしい人物であり、コンポーザーとしても優秀だよ。ただし、自分は彼女とは違う類いのコンポーザーだと思ってる。

でも新作は、まさにこうしたOPNをめぐる理解と誤解を楽しんでいるあなたがいるように思ったのですが、いかがでしょうか? というのも、前作、前々作と比べるまでもなく、あなたのキャリアのなかでも明るい作品というか、funな感じが出ていますよね? 

DL:うんうん。

その意味でも、初期=『Eccojams』期のイノセンスを少し取り戻した、それが新作に作用したのかな?とも思いましたが。

DL:ああ、それは間違いなくある。自分にもそれは聴き取れるから。で、これってある意味、自分が話してきた、長いこと言い続けてきたようなことなんだけども(苦笑)──だから、「単に他の音楽を素材に使って『Eccojams』をやるんじゃなくて、自分自身を『Eccojam』(エコー・ジャム)してみたらどうだろう?」って(笑)。

(笑)それはすごくメタですね。

DL:うん。でも、それに、そっちの方がもっと合法的だし。(編注:もともとヴェイパーウェイヴは既存の曲の無許可なルーピングを元にしている)

(笑)。

DL:ハッハッハッハッハッ! (作者が同じなので)そんなに僕の名前をクレジットに記載してくれなくてもいいよ、みたいな(笑)。という冗談はともかく、うん、その意見には同意する。明るいし、カラフルで……『Magic Oneohtrix Point Never』収録のアンビエントなピースの多くは、僕の耳には、僕が僕自身を「エコー・ジャム」しているように響く。うん、たしかに。

そもそもなぜタイトルが『Magic Oneohtrix Point Never』、先ほどおっしゃっていたようにセルフ・タイトルなんですか?

DL:……自分にもわからない! もしかしたらそれは……コロナウイルスにまつわって生じた実存的な恐れの感覚、そことも少し関わっているのかもね? ただ……自分でもどうしてあのタイトルにしたのかわからないんだ。とにかくそういうタイミングだった、というか。ここしばらくの間に自分が家族や友人連中と交わした会話、そのすべてはすごくこう、みんながそれぞれの人生を振り返り思索している感じだったし──だから、「一体どうして我々はこの地点にたどり着いてしまったんだろうか?」という。

ええ。

DL:「この状況に自分たちを引っ張ってきたのは何? 何が起きてこうなったんだ?」と。彼ら自身の送ってきた人生、世界、そして政治や何やかやにおける人生を振り返っていて……だから一種の、(これを機に)自分たちの人生を査定する、みたいな感覚があったっていう。もしかしたらそれが(このタイトル命名の)由来の一部かもしれないよね? 
 でも、それと同時に……単純に、音楽そのものに対するリアクションっていう面もあったと思う。今作をまとめていく過程で、「この曲、それからこの曲を入れよう」って具合に楽曲群のなかから選んでいったわけだけど、そうするうちに自分に何かが聞こえてきた──「この曲、これはセルフ・タイトルのレコードみたいに聞こえる」と感じたんだよね。それとは別の曲群ではまったくそう感じなかったし、それよりもあれらの楽曲群はもっと、特定の、音楽的な美学の世界の方と関わっているように思えた。ところが、この曲、これは自分にとっては音楽的にとても自伝的なものとして響くぞ、と。過去に遡って、自分がひとりで何もかもやっていた頃、00年代初期あたりの自分を思わせるものがある、と。

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アルバムというフォーマットが死を迎えても、僕はかまわないけどね(笑)。世界はそういうものだ、というだけのことだよ、そうやって世界はどんどん変化しているんだし。それに自分は……戦略的に「これはこういう風に」と狙って何かやろうとしたためしがないんだ。


Oneohtrix Point Never
Magic Oneohtrix Point Never

Warp/ビート

ConceptronicaHypnagogic PopAvant Pop

アルバムの内容について訊きますね。ゲストのクレジットがない曲のヴォーカルは、(サンプル以外は)すべてあなたですか?

DL:うん。ヴォコーダーを使ってね。あれはこう……僕はずっと、ヴォコーダーを使ったレコードが好きで。ジョルジオ・モローダーの『E=MC2』(1979)だとか……

(笑)はい。

DL:ハービー・ハンコックの『Sunlight』(1978)等々、好きなものにはキリがない。ダフト・パンクだって『Discovery』(2001)以降、また使いはじめたし。いつもヴォーカルにヴォコーダーをつけてきたんだよ、だって、僕はシンガーではないからね。僕は、僕は……キーボード奏者だよ(苦笑)! だから、ヴォコーダーを使うと、自分の歌声をそのまま使ったり、たとえばそれにオートチューンをかけるよりもヴォーカル・メロディやハーモニーの面ではるかに興味深い、もっと流動的で、かつ豊かなものが手に入るんだ。というのも、自分はハーモニーという意味ではいまだに、自分の指で鍵盤を押さえるときほどクリエイティヴに考えることができないから。
 というわけで、僕にとってのこのレコードのサウンドと言えば、それになる。ほんと、ヴォコーダーにとても重点の置かれたレコードだ、というか。だから、(笑)仮にSpotifyのプレイリストに「これぞヴォコーダー作品だ」みたいな題のものがあって、『Sunlight』や『E=MC2』が並ぶなかにいずれ『Magic Oneohtrix Point Never』が含まれるようになったら、僕としてはとてもハッピーだよ、うん。

本作にはインタールードのような “Cross Talk” が4つ挟まれています。アルバム全体としては、ラジオの番組やチャンネルが変わっていく感じを意識しているそうですね。なぜいまラジオというある意味古いメディアに注目したんですか? 

DL:ふたつの理由があると思う。ひとつは、ニューヨークがロックダウンされていた、自主隔離生活を送っていた間に、友人たちがストリーミング・ラジオの番組をやっていて。もともとラジオは好きだったけど、あれをよく聴いていたのをきっかけに「Magic Oneohtrix Point Never」について考えるようになったし──というのもあの名前は、僕の育ったボストンにある、ソフト・ロックのラジオ局「Magic 106.7」(マジック・ワン・オー・シックス・セヴン)に引っかけた言葉遊びのようなものだから。
 最初に言ったように、僕はいつもラジオを聴いていたし、ラジオを録音したミックステープをずっと作っていた。とにかくリスニングするのが好きなんだ。ポッドキャストも、人びとのトークも、コマーシャルも、特殊音響効果等々も好きだし……とにかくラジオにある質感と色彩とが大好きで。子供だった頃からずっとそうだったし、あまりにも好き過ぎて、自らのプロジェクトをラジオ局にちなんで名付けたくらいだ。
 というわけで、もしも自分がセルフ・タイトルのレコードを作るとしたら──オーケイ、まず状況を設定する必要があるな、と。それって映画を作るようなものだし、さて、アルバムをどこに設定しようか? と。で、ラジオという設定に作品を据えたいと思ったんだ。

今年はラジオ放送が開始されてからちょうど100年です。そのことと関係ありますか?

DL:えーっ!?

アメリカで初めてライセンスを受けて商業ラジオが放送されたのは今から100年前にピッツバーグにて、とされています。なので、もしかしたらあなたがラジオを選んだのはそのせいもあるのか?と考えもしましたが……。

DL:(マジに驚いている模様)うわぁ………っていうか、ほんとに? アメリカで、最初のラジオ放送がおこなわれてから今年で100周年? ワ〜〜オ!

はい。この手の発明/テクノロジーの話だけに諸説あるかもですが──

DL:(苦笑)。

一般に、1920年の10月、ピッツバーグのKDKAという局が最初だった、とされています。

DL:ワ〜〜〜オ! 

でも、単なる偶然みたいですね。

DL:ああ、偶然だ。しかも、このレコードが出るのも10月だし。実に妙な話だね。

今日は配信全盛の時代で、音楽は単曲で聴かれることが主流ですが、この時代におけるアルバムの意義とはなんでしょう?

DL:ああ、僕にも見当がつかないな。アルバムってマジに死に絶えつつあるんじゃないかと思う(苦笑)。いやほんと、自分にはわからないし……だから、Spotifyの人は「アーティストもこれまでのように2、3年おきにアルバムを1枚作っていればいい、というわけにはいかない。コンスタントにトラックだのなんだのを作り続ける必要がある」(訳注:Spotifyの共同設立者ダニエル・エクが今夏「Music Ally」相手に語ったコメントのことと思われる。)みたいなことを話しているわけだし。どうなんだろう? なんとも言えないなあ。
ただ、アルバムというフォーマットが死を迎えても、僕はかまわないけどね(笑)。世界はそういうものだ、というだけのことだよ、そうやって世界はどんどん変化しているんだし。それに自分は……戦略的に「これはこういう風に」と狙って何かやろうとしたためしがないんだ。仮に、自分がその方向に向かうとしたら……だから、思うにティン・パン・アレー系の音楽(訳注:ティン・パン・アレーはマンハッタンにあった楽譜/音楽出版社他の多く集まったエリア。転じて、職業作曲家とパフォーマーとが分業制の商業主義ポップスの意味もあり)の興味深いところというのは、あの手の歌って尺がとても短かったわけじゃない? それはどうしてかと言えば、フォノグラフ盤に収録できる音楽の長さには物理的に限界があったからだ、と。オーケイ、なるほど。
 ってことは、別に悲しむべきことじゃないんだよ、これは。とにかくテクノロジーと美学とは、歴史を通じてそうやってずっとダンスを続けてきた、ということに過ぎない。だから、奇妙な(笑)、ダーウィンの進化論めいた自然選択が起こり、音楽が楽曲単位の各部に細切れにされるようになり、レコードという概念が古風で古臭いものになったとしても、それはそれでオーケイなことであって。
 ただし、僕はレコードを愛しているけどね。レコードを聴くのが好きだ。だから僕も単に、自分の育った時代、その産物だってことなんだろうな(苦笑)。自分にはわからないけど、でも、うん、それはそれでオーケイ、ありなことだよ。

ASMRの人気についてはどう見ていますか? 

DL:うん、すごく、すごーく興味深い現象だよね。あれはもしかしたら、孤独感……人びとの抱く寂しさとどこか関係があるんじゃないかな? 親密な繫がりの欠如、そこと何か関係があるんじゃないかと思う。というのも、密な繫がりがあり、他の人びとと近い間柄を保てていれば、ASMRは常に身の回りで起きているわけで。その人間の日常に密接な繫がりが欠けている、もしくは他との接触を絶たれていて孤立した状態だったら、ASMRを得る何かしら別の方法を見つけなくちゃならなくなるのかもしれない。うん……非常に興味深いし、かつ、ある意味とても美しくもある現象だ。
で……今回のレコードのなかにも一カ所、僕からすればASMRな瞬間が訪れる場面があって、それはアルカの参加曲。あのトラックを聴いてもらうと、彼女がヴォイスを使って「S(エス)」というぶるぶるしたサウンドを生み出しているのが聞こえる。僕は彼女のヴォーカルおよびその周囲をこう、サウンド・デザイン等々を通じて、ある種非常に親密に響くようなやり方で提示した、という。あれはとても興味深い、彼女特有のものだし、彼女がやりたがったのもそれだったんだよ、ただ「エス・エス・エス……」と繰り返し発語する、みたいなこと。あれは本当にクールだった。
 でもまあ……(軽く咳払いして)ASMR人気がどうして起きているのか、それは僕にもわからない。ただ、思うにそうした現象が浮上するのは、おそらく人びとが「親密な繫がりが足りない」と感じているときなんじゃないか? 。

いまおっしゃったように、“Shifting” にはヴォーカルでアルカが参加しています。2010年代、OPNとアルカはエレクトロニック・ミュージックの最前線を駆け抜ける二大巨頭のような存在でした。10年代が終わり、その両者がコラボするに至ったことに大きな感慨を覚えます。かつて、そして現在、アルカの音楽についてはどのように思っていました/いますか?

DL:ああ、彼女はとんでもない才能を持つクリエイターでありヴォーカリストだ。彼女の音楽は本当にずっと好きだったし、知り合って結構経つけど、僕たちはいつも「一緒に何かやろう、何かやろうよ」と言い合っているばかりでね(笑)。で、遂にはお互いウンザリしたというか、「いつまでこうして無駄話を続けるつもり?」みたいな。

(笑)話してるばかりじゃなく、やろう、と。

DL:(笑)そうそう、「とにかくやっちゃおう!」と。でも……そうだね、お互いのクラフトに対する、素敵な称賛の念(苦笑)を共有しているよ。彼女の音楽は聴いていてとても共感できるし、メロディ面でも同様で、たまに「ああ、なんて綺麗なメロディなんだろう!」と感じることもあって、昔からの友人みたいに思える。だから、言葉を交わすまでもなく理解し合える誰か、みたいな。それに僕は好きなんだ、常に惹かれてきたんだよ、こう……クレイジーでスキゾな音楽を作っているアーティスト、ジャンクのように聞こえるというか、彫刻的にごちゃっとした混沌の塊で、でも聴いているうちに形をとってまとまっていく音楽を作っているアーティストたちに。そういうタイプのアーティストに常に惹きつけられてきたし、それはアートの分野を問わずでね。
というのもそれって、とある人びとが見ている現実というものの眺め、そのもっとも興味深い表現の仕方のように思えるから。で、彼女はとにかく、そこに音楽で生命を吹き込むのが最高に上手いんだ。僕は常にそこに感心させられてきたし、強く心奪われてもきたね。

最後は “Nothing’s Special (特別なものはなにもない)” という曲で終わります。これは何を意味していますか? まさに本作の本質を自ら明かしているとか?

DL:んー、あのタイトルの二重の意味が気に入っているんだ。だから、あそこから所有格の「‘(s)」を抜かすと「nothing special(どうってことない/これといって別に、といった意)」という、いささかシニカルな意味合いにとれる。でも「’」を足すと「特別なものはなにもない」になり、まあ、一種の禅っぽい在り方ってことだよ。
あの歌にはちょっとこう……とても悲しいときはどんな風に感じるか、それについて考えをめぐらせてみた、みたいなところがあるね。だから、思い出すわけだよ──たとえこの、悲しみのどん底みたいなものにある状態ですら、人は思い出しているんだよ、「自分は悲しみを感じている」って風に(苦笑)。ただ単に悲しいのではなく、悲しみというものを「感じて」いるっていう。で、何かを感じるというのは形状を伴うものだし、それは吟味・検討の形状であり、すなわち生きているということの形だ、と。で、「nothing is special」というフレーズは、ある意味ものすごい悲しみ、自分にはなにも信じられないという状態のことだけど、と同時にそれはまた、悲しむのもひとつの興味深い感覚であることを思い起こさせてくれる、という。あれはだから、メランコリーについての歌だね。

もう予定時間も過ぎていますし、これで終わりにしようと思います。今日は、お時間をいただいて本当にありがとうございます。

DL:どういたしまして。

わたし個人も、このアルバムをとてもエンジョイしています。美しくまとまっていますし、曲の間に挟まるクロス・トークも面白いです。

DL:(笑)うんうん、あれね、あれは自分でもやってて楽しかったよ。ともあれ、ありがとう。

CAN:パラレルワールドからの侵入者 - ele-king

 映画『イエスタデイ』は、ビートルズのいない世界を想像してみろと、私たちに問いかける。リチャード・カーティスの、代替えの歴史の悪夢のように陳腐なヴィジョンのなかでも、音楽の世界はほとんどいまと変わらないように見え、エド・シーランが世界的な大スターのままだ。

 しかし、多元宇宙のどこかには、ロックンロールの草創期にビートルズのイメージからロックの方向性が生まれたのではなく、カンの跡を追うように出現したパラレルワールド(並行世界)が存在するのだ。それは、戦争で爆破された瓦礫から成長した新しいドイツで、初期のロックンロールがファンクや実験的なジャズと交わり、ポピュラー・ミュージックがより流動的で自由で、爆発的な方向性の坩堝となり、アングロ・サクソン文化に独占されていた業界の影響から独立した世界だ。

 カンのヴォーカルにマルコム・ムーニーを迎えた初期のいくつかの作品では、このような変化の過程を聴くことができる。アルバム『Delay 1968』の“Little Star of Bethlehem”では、ねじれたビーフハート的なブルース・ロックのこだまが聴こえるし、“Nineteenth Century Man”は数年前にビートルズ自身が“Taxman”で掘り起こしたのと同じリズムのモチーフを使った、拷問のようなテイクをベースにしている。

 カンの1969年の公式デビュー盤、『Monster Movie』のクロージング・トラック、“Yoo Doo Right”は、いかにバンドがチャネリングをして、ロックンロールを前進的な思考で広がりのあるものへと変えていったかがわかる小宇宙のようだ。ムーニーのヴォーカルが、「I was blind, but now I see(盲目であった私は、いまは見えるようになった)」や、「You made a believer out of me(あなたのおかげで私は信じることができた)」とチャントして、ロックとソウルの精神的なルーツを呼び覚ますが、それはベーシストのホルガ―・シューカイとドラマーのヤキ・リーベツァイトのチャネリングにより、制約され、簡素化されて、容赦のないメカニカルでリズミカルなループとなり、ミヒャエル・カローリのギターのスクラッチや、渦巻き、切りつけるようなスコールの満引きに引っ張られて、ヴォーカルから焦点がずらされる。

 カンが1960年代に取り組んでいたロックの変幻自在の魔術への、もうひとつ別の窓は、映画のための音楽を収録したアルバム『Soundtracks』で見ることができる。クロージング・トラックの “She Brings the Rain” などは、かなり耳馴染みのある1960年代のサイケデリックなロックやポップのようにも聴こえるが、このアルバムでは、それ以外にも何か別のものが醸し出されている。それは “Mother Sky” の宇宙的なギターとミニマルなモータリックの間に編まれた緊張感のあるインタープレイや、ヌルヌルしたグルーヴと新しいヴォーカリスト、ダモ鈴木の “Don’t Turn The Light On, Leave Me Alone” での不明瞭なヴォーカルでより顕著であり、おそらくバンドの最盛期の基礎を築いている。

 『Tago Mago』、『Ege Bamyasi』、『Future Days』といったアルバムは、現代のポピュラー・ミュージックの基礎となったカンのパラレルワールドが、我々の世界にもっとも近づいた所にあるものと言えるだろう。目を細めれば、異次元の奇妙な建築物と異界のファッションが、世界の間に引かれたカーテンをすり抜けて侵入しているのが、かろうじて見えるはずだ。それはポスト・パンク・バンドのパブリック・イメージ・リミテッド、ESG、ザ・ポップ・グループ他の生々しい、調子はずれのファンクのリズムや、ざらついたサウンドスケープ、あるいはマッドチェスター・シーンのハッピー・マンデーズやストーン・ローゼスといったバンドのゆるいサイケデリックなグルーヴのなかに、またソニック・ユースとヨ・ラ・テンゴのテクスチュアとノイズのなかに見ることができる。さらに1990年代初期のポスト・ロック・シーンでも、ステレオラブやトータスといったバンドの反復や音の探究を経て、おそらく21世紀でもっとも影響力のあるバンド、レディオヘッドにまで及んだ。カンは過去半世紀にわたり、ポピュラー・ミュージックの進化に憑りついてきた幽霊なのだ。

 カンの影響が長いこと残り続けるあらゆる“ポスト〜”のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ロック、そしてかなりの範囲でのポスト・ハードコアも)が、私にとって重要に思えるのは、これらはジャンルを超越したところにある、生来の本能的なジャンルだったからだ。ポスト・パンクは、パンクに扇動されて自滅したイヤー・ゼロ(0年)に、ファンク、ジャズ、ムジーク・コンクレート、プログレッシヴ・ロック他を素材として掘り起こし、自らを再構築しようとしていた音楽だ。一方、ポスト・ロックは生楽器をエレクトロニック・ミュージックの創作過程のループ、オーバーレイやエディットに持ち込んだ。それらは、従来のロック・ミュージックの世界での理解を超えた居心地の悪い音楽的なムーヴメントだったのだ。言うまでもなく、カンは最初からロックの接線上に独自の道を切り開いてきており、マイルス・デイヴィスが自身のジャズのルーツから切り開いた粗っぽいロックンロールのルーツと同じく、予測不可能なジャンルのフュージョンへの地図を描いていた──おそらくカンの爆発的なジャンルを超越した初期のアルバムにもっとも近い同時代の作品は、マイルスが平行探査した『Bitches Brew』 と『On the Corner』などのアルバムだろう。

 この雑食性で遊び心に満ちた折衷主義は、鈴木の脱退後のアルバムにおいても、カンの音楽の指針となっていたが、『Tago Mago』で到達した生々しい獰猛さを、1974年の『Soon Over Babaluma』の雰囲気のある、トロピカルにも響くサイケデリアのような控えめな(とはいえ、まったく劣ることのない)ものに変えたのだ。

 彼らはもちろん時代の先をいっていた。ロックの純粋主義者たちは、バンドの70年代後半のアルバムに忍び寄るディスコの影響を見て取り、冷笑したかもしれないが、グループの当時のダンス・ミュージックの流行への興味は、カンの幽霊の手(『Out of Reach』のジャケットのイメージによく似ている)に、彼らの宇宙的な次元と、報酬目当てのメインストリーム・ミュージックが独自の行進を続ける世界との間のヴェールを掴ませる役割を果たしていたのだ。カンは一度もロック・バンドであったことはなかったし、シューカイが徐々にベーシストとしての役割からリタイアし、テープ操作に専念するようになったことは、バンドの特異なアプローチが、音楽がやがてとることになる幅広いトレンドの方向性を予見させる多くの方法のひとつであったと言える。もっとも、カン自身はそれらのトレンドに対しては、斜に構え、独自の動きを続けた。

 そういった意味では、1979年の自身の名を冠したアルバムは、カンのことを雄弁に物語っている。10年に及ぶキャリアのなかで蒔いた種が、新世代の実験的なマインドを持ったアーティストたちに刈り取られ始め、カンの音楽とアプローチを軸にした作品が創られ始めたため、彼らはそういった作品に、“巨大なスパナを投げつけて”、妨害せずにはいられなかった。カン自身が創ったミニマリストのような、歪んだノイズのアトモスフェリックなディスコと、ファンクに影響されたサウンドは、キャバレー・ヴォルテールやペル・ウブ、ア・サートゥン・レシオなどと並べても違和感がなく、“ A Spectacle” や “ Safe” などのトラックは、彼らの技の達人ぶりを示していた。しかし決して安全な場所には留まらないのがカンであり、デイヴ・ギルモア時代のピンク・フロイド(1979年には絶対クールではなかった)のような世界にも喜んで飛び込み、SIDE2の大部分を躁状態のダジャレの効いたジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」のダンスのテーマである“Can-Can(カン・カン)”の脱構築に費やし、間にはピンポン・ゲームまではさんでいる。言うまでもなく、彼らの最もバカバカしく、最高のアルバムのひとつだ。


 カンの影響下にあるパラレルワールドは、時に我々の世界の近くにありながら、その音楽はあまりにも多くの迂回路に進むため、ほとんどの場合、ぎりぎり手が届かないというフラストレーションを感じてしまう。我々は、次元の間に引かれたカーテンを完全に通過することはできないかもしれないが、隅々まで目をこらして、影や、我々の世界の亀裂を見ると、そこにまだ特異性が根付いているのを見出すことができる。そこには何かが存在し、他の場所からの侵入者が、我々が引いた線の間をぎこちないファンキーさで滑りこんできて、固体を変異可能にし、現実を異世界にし、異世界を現実にするのだ。

 ここに、バンドの面白さを象徴していると思う6枚のアルバムを挙げる。

『Soundtracks』──1960年代のロックから、より宇宙的なものへのバンドの変遷を示している。

『Unlimited Edition』──カンのもっとも折衷主義的で、実験的なアルバム。

『Tago Mago』 ──カンのもっとも極端な状態。

『Ege Bamyasi』──ダモ鈴木時代の、もっとも親しみやすさを実現した作品。

『Landed』──ポップ、エクスペリメンタル、アンビエントなアプローチをミックスするカンの能力を示す素晴らしい一例。

『Can』 ──バンドがバラバラな状態にあっても、常に自分たちにとって心地よいカテゴリーの作品を作るのを避けていたことがわかる。

(7枚目の選択として、『Soon Over Babaluma』は、もっとも繊細で雰囲気のある、カンの一例。)

Can: Intruders from a Parallel World

Ian F. Martin


The movie Yesterday asks us to imagine a world without The Beatles. In Richard Curtis’ nightmarishly banal vision of that alternate history, the music world seems much the same and Ed Sheeran is still a global megastar.

Somewhere in the multiverse, though, there’s a parallel world where the direction of rock emerged out of its rock’n’roll youth not in the image of The Beatles but rather sailing in the wake of Can. It’s a world in which a new Germany, growing from the war’s bombed-out wreckage, was the crucible in which the raw energy of early rock’n’roll merged with funk and experimental jazz, taking popular music in more fluid, free-flowing, explosive directions, independent from the hegemonic influence of the Anglo-Saxon culture industries.

You can hear this process of transformation happening in some of Can’s early work with Malcolm Mooney on vocals. On the album Delay 1968, you can hear warped, Beefheartian echoes of blues rock in Little Star of Bethlehem, while Nineteenth Century Man is based around a tortured take on the same rhythmical motif The Beatles themselves had mined on Taxman a couple of years previously.

On Can’s official debut, 1969’s Monster Movie, the closing track Yoo Doo Right is like a microcosm of how the band were channeling rock’n’roll into something forward-thinking and expansive. Mooney’s vocals summon forth chants of “I was blind, but now I see” and “You made a believer out of me” from the rock and soul’s spiritual roots, but it’s constrained, streamlined and channeled by bassist Holger Czukay and drummer Jaki Liebezeit into a relentless, mechanical rhythmical loop, the vocals dragged in and out of focus by the ebbs and flows of Michael Karoli’s scratching, swirling and slashing squalls of guitar.

A different window into the transformational witchcraft that Can were working on 1960s rock can be seen on the album Soundtracks, which collects some of their work for films. Some songs, like the closing She Brings the Rain, come across as quite familiar sounding 1960s psychedelic rock and pop, and yet something else is brewing in the album too. It’s there most clearly in the tightly wound, tense interplay between cosmic guitars and minimalist motorik rhythms of Mother Sky, as well as more subtly in the slippery grooves and new vocalist Damo Suzuki’s slurred vocals on Don't Turn The Light On, Leave Me Alone, laying the ground for what is probably the band’s most celebrated phase.

The albums Tago Mago, Ege Bamyasi and Future Days are really where that parallel world in which Can were the foundation of modern popular music moves closest to our own. Squint and you can just about see that other dimension’s strange architecture and alien fashions trespassing through the curtain between worlds. You can hear it in raw, discordant funk rhythms and harsh soundscapes of post-punk bands like Public Image Limited, ESG, The Pop Group and others; it’s in the loose, psychedelic grooves of Madchester scene bands like The Happy Mondays and The Stone Roses; it’s in the textures and noise of Sonic Youth and Yo La Tengo; it’s in the repetition and sonic exploration of the nascent 1990s post-rock scene, filtering through bands like Stereolab and Tortoise, eventually informing perhaps the most influential rock band of the 21st Century, Radiohead. Can are a ghost that’s been haunting the evolution of popular music for the past half century.

The lingering influence of Can on all the “post-” genres (post-punk, post-rock and to a large extent post-hardcore too) feels important to me, because these were genres with an innate instinct towards transcending genre. Post-punk was music trying to build itself anew after the year-zero self-destruction instigated by punk, mining fragments of funk, jazz, musique concrète, progressive rock and more as its materials. Meanwhile, post-rock brought the live instruments of rock into the loops, overlays and edits of electronic music’s creation process. They were musical movements uncomfortable in the world of rock music as conventionally understood. Can, needless to say, had been charting their own path on a tangent from rock since the beginning, approaching a similar slippery fusion of genres from the rough roots of rock’n’roll that Miles Davis had been charting from his own jazz roots at the same time — arguably the closest thing to Can’s explosive, genre-transcending early albums among any of their contemporaries can be found in Davis’ parallel explorations on albums like Bitches’ Brew and On the Corner.

That omnivorous, playful eclecticism remained a guiding feature of Can’s music in the albums that followed Suzuki’s departure, even as they traded in the raw ferocity that had reached its peak in Tago Mago for something more understated (but in no way lesser) in the atmospheric and even tropical sounding psychedelia of 1974’s Soon Over Babaluma.

They stayed ahead of the curve too. Rock purists may have sneered at what they saw as a creeping disco influence on the band’s late-70s albums, but the group’s interest in then-contemporary dance music kept Can’s spectral hand (much like the jacket image of Out of Reach) grasping at the veil between their cosmic dimension and the mercenary world where mainstream music continued its own march. Can had never been a rock band anyway, and Czukay’s gradual retirement from bass duties to focus on tape manipulation is another of the many ways the band’s idiosyncratic approach foreshadowed the direction broader trends in music would eventually take, even as Can themselves continued to move oblique to those trends.

In this sense, their self-titled 1979 album says a lot about Can. Just as the seeds sown by their then ten year career were starting to be reaped by a new generation of experimentally minded artists and the pieces were starting to realign themselves around Can’s music and approach, they couldn’t resist throwing a giant spanner in the works. The sort of minimalist, noise-distorted, atmospheric, disco- and funk-influenced sounds Can had made their own would have sat very comfortably alongside the likes of Cabaret Voltaire, Pere Ubu and A Certain Ratio, and in tracks like A Spectacle and Safe, Can showed they were masters of that craft. Can were never about being safe though, and they were just as happy diving down rabbit holes of Dave Gilmour-era Pink Floyd (desperately uncool in 1979) and devoting a large chunk of side 2 to a manic, pun-driven deconstruction of Jacques Offenbach’s “Can-Can” dance theme, interspersed with a game of ping pong. Needless to say, it’s one of their silliest and best albums.

The parallel world that lives under the influence of Can is sometimes tantalisingly close to our own, and yet their music pursues so many oblique detours that it mostly feels frustratingly just out of reach. We may never fully be able to pass through that curtain between dimensions, but look in the corners, the shadows and the cracks in our world where idiosyncrasies can still take root, and there is something there: some trespasser from elsewhere, slipping in their awkwardly funky way between the lines we draw, making the solid mutable, the real otherworldly and the otherworldly real.


Here are 6 albums that I think represent six interesting aspects of the band.

Soundtracks - Shows the band's transition from 1960s rock into something more cosmic.
Unlimited Edition - Can at their most eclectic and experimental.
Tago Mago - Can at their most extreme.
Ege Bamyasi - The most accessible realisation of the Damo Suzuki era.
Landed - A great example of Can's ability to mix pop, experimental and ambient approaches.
Can - Shows how even as the band were falling apart, they always avoided making anything that fit into a comfortable category.

(As a 7th choice, Soon Over Babaluma is a great example of Can at their most subtle and atmospheric.)

interview with Oneohtrix Point Never(Daniel Lopatin) - ele-king

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは、僕がニューエイジのテープにかなりハマっていたことからはじまった。ああいうテープにはシンセサイザー音楽が山ほど使われているから。しばらくの間、あの手のテープに中毒したかなりのジャンキーだった。それくらい貪欲だったんだよ、自分に見つけられる限りのあらゆるシンセ音源を手に入れるぞ、みたいな。


Oneohtrix Point Never
Magic Oneohtrix Point Never

Warp/ビート

ConceptronicaHypnagogic PopAvant Pop

 この10年、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー (OPN)がぼくたちの耳と、そんでときには頭を楽しませてくれたことは事実である。なんの異論もない。ele-kingのweb版がはじまった2010年から毎年のようにOPN絡みの作品があーだこーだと紹介されている。まるでストーカーだ。紙エレキングの創刊号(2010年末刊行)では、日本では初となるダニエル・ロパティンのインタヴューも掲載しているが、これはまだ『Replica』すらリリースされる前のことで、ビートインクがOPNを配給/プロモーションするようになる3年も前の話。そう、もう10年前かぁ(はぁ〜)。
 その取材においてロパティンは名前の由来についてこう答えている。「歯医者に行くとよく耳にする“ボストンのひっきりなしにソフト・ロックをかける”ラジオ局、Magic 106.7(マジック・ワン・オー・シックス・セヴン)からとったシャレ。歯を削られる音とソフト・ロックがOPNというプロジェクトのインスピレーションになった
 なるほど! 「歯を削られる音」がノイズになったのかと『Returnal』の謎が解けた気になったのは、取材者の三田格だけではなかった……。

 チャック・パーソンの『Eccojams Vol.1』のことは長いあいだ知らなかった。OPNの初期作品に垣間見れるニューエイジめいた音色や展開の由来に関してもわからないままだった。今回ロパティンは、そのあたりのことを惜しみなく喋ってくれている。ぼくの関心ごとのひとつには、彼がニューエイジについていかように考えているのかというのがあった。このインタヴューでようやくそれを知ることができて嬉しい。

 OPNが新作出るんだけど、好き? なんてことを20代前半のリスナーに訊いたりしたら、「集大成なんですよね」などと言われた。ネット界のコピペ仕様の情報伝達は本当にヤバイ。「違うよ、集大成なんかではないよ」とぼくは無防備な若者にちょっと偉そうに言ってやった。が、OPNのある一面が拡張された作品ではあるんだろうね。
 最初期の名義をアルバム・タイトルとした新作『Magic Oneohtrix Point Never』は、Covid-19によるロックダウン下においてきわめて内省的になったダニエル・ロパティンが自分はどこからやって来たのかと、つまりはOPNの起源を思い出しながら作ったアルバムだ。ここに歯医者のノイズはない。かつてあったドローンもない。アルバムは架空のラジオ番組を装っている。合間に喋りを入れながら、17の断片()によって構成されている。いかがわしいほどキラキラした音色、そしてニューエイジめいた音楽/ソフト・ロックめいた曲(じつはそのどちらでもない曲)が流れる。ようこそOPNのシュールな世界へ。
 アルバムには近年の諸作のように、他者(ゲスト)がいる。何気に豪華だ。ザ・ウィークエンド、アルカ、キャロライン・ポラチェック(元チェアリフト)、ラッパーのNolanberollin、サンフランシスコのNate Boyce。『R Plus Seven』以降の彼なりのポップ路線は守られつつ、彼なりにエンターテイメントしている。奇妙だけれど心地良い。アートワークがまた今回もかなりセンスが良い。フィジカルでは特殊印刷が施されているリッチな作りです。
 インタヴューは2回に分けて掲載します。アルバム発売は来週30日なので、この1週間は本番に向けての予習ということで。まずはインタヴューその1、〈ニューエイジ編〉のはじまりはじまり。

僕はもともと、とてもプライヴェートで閉じたタイプの人間だった。ただ、そうは言っても、「他との繫がりを感じるのは自分は好きじゃない」ということではなくて、とにかく僕からすれば、ラジオを聴くのはいつだってこう、特別な、ほとんどもうスピリチュアルな類いの、とても私的な世界との繫がり方だった。

今年の春夏にかけてコロナ禍のなかで制作されたアルバムになりますが、いま世界で起きていることをあなたなりに考えたと思います。まずはそのあたりから話しませんか。

DL:ああ、うん。

この状況に直面し、あなたは何をどう考えたのか。

DL:うん……そうだね、正直、自分が生産的になる図はあんまり想像していなかった、みたいな。というのもニューヨークで自主隔離がはじまったときは非常にきつかったからね、僕のいたエリアは状況が本当にひどかった。だからほんと……ひたすら自宅に留まり、ただただ待機し、毎日さまざまな統計を眺める以外には何もやることがなかった。で、当時の僕は友人のはじめたラジオ番組をよく聴いていてね、Elara FMっていうんだけど(訳注:サフディ兄弟の制作会社がはじめたネット・ラジオ。OPNも4月にこのラジオ向けに「Depressive Danny’s Witches Borscht Vol.1」なるミックスを発表している)。それがいつしか、とてもいい手段になっていったというかな、他との接触をもつという意味で。
 あの頃は他の人たち会うことができなかったし、何がどうなっているのか誰もわかっていなくて、とにかくみんなものすごく怖がっていた。けれどもあのラジオがよかったのは、自分の知らなかった人や誰も名前を聞いたことのないような連中の作ったさまざまなミックスを耳にすることができたことでね。それに自分の知人たちもあれ向けにミックスをやっていたし……それらを聴いてるうちに、とにかくこう、あのラジオが存在してくれることへの深い感謝の念が湧いたっていうか? だから、あれが存在していなかったら、他者とのコネクションをもつのは不可能だったわけで。で、たとえば他の手段として映画を観ようとしたこともあったけど、頭がおかしくなりそうというか、とてもじゃないけど観てられない、みたいな。登場人物がお互いにタッチする場面だとか──

(苦笑)たしかに。

DL:(笑)映画のなかでみんなが集まって楽しそうに過ごしていたり。とにかく無理、映画を観ているのが耐えられなかったし、そのせいでラジオをよく聴いていたんだ。で、そうするうちにワンオートリックス・ポイント・ネヴァーという名義の由来やこのプロジェクトの起源といったことを考えはじめるようになった。ガキだった頃の自分はラジオをエアチェックしてDJミックステープを作っていたよな、云々。昔の僕はカセット・デッキとテープで、一時停止ボタンを使ってミックスをやっていたんだよ。何か自分の気に入ったものが聞こえてきたら一時停止ボタンを解除して録音し、それが終わったら一時停止、自分の好きなものがはじまったらまた録音開始……という具合に。
 こうして話すとケッタイに聞こえるけど、当時の僕はそういう、好きなラジオ局を次々に流してサーフしていく、みたいなちょっとしたミックステープ的なものを作っていたんだ。で、そういったことは常に自分のイマジネーションの一部だったっていうのかな──
 僕はもともと、プライヴェートでは閉じたタイプの人間だった。そうは言っても、「他との繫がりを感じるのは自分は好きじゃない」ということではまったくなくて、ただ、とにかく……僕からすれば、ラジオを聴くのはいつだってこう、特別な、ほとんどもうスピリチュアルな類いのそれと言ってもいいくらい、とても私的な世界との繫がり方だった。
 で、考えたんだよね、そういったことを念頭に置いて試しに音楽を作ってみる甲斐はあるんじゃないか、自分にやれるかどうかやってみたらどうだろう? と。でも、なかなかうまく噛み合わなくて、長くかかってね。というのも僕は自宅で、ベッドの脇で(苦笑)レコーディングしていたし……それもまたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの起源を思い出させてくれたんだけどね、「自分はずっとこういうことをやってきたんだよな」って。

なるほど。

DL:それにもうひとつ……そろそろセルフ・タイトルのレコードを作る時期かもなっていう思いもあって。そんなわけでやがて物事もクリックし出していったし、僕は戻ったんだ──だから、いったんニューヨークのロックダウン状況が少し落ち着いたところでニューヨークを抜け出して、このプロジェクト(=OPN)をスタートさせたときに僕が暮らしていた街に帰って。で、あそこでこのレコードを仕上げたっていう。だからこのレコードにはいわゆる、パーソナルな特性みたいなものが備わっているんじゃないかと思う。そうは言いつつ、それはまあコロナとの関わりという、広い意味での話だろうけれども。

ある意味「作るはずのものではなかった」作品とも言えそうですね? わたしたちが直面しているコロナ禍の特殊な状況の産物、偶然生まれた作品とでもいうか。

DL:その通り。まさにその通りだよ。自分じゃそこまでうまく言い表せないな(苦笑)! 

(苦笑)。

DL:(笑)いやマジに、君が僕のアメリカ向けの取材を受けるべきだよ。だっていまの表現の方が、僕がグダグダ説明するよりもずっと短くて簡潔だしさ。

(笑)いやいや、あなたご自身の口から聞くのが大事なんですから。

DL:フフフッ!

家から出られないという特殊な事態はともかく、新作の作り方は、いままでの作品とどこが違っていましたか? お話を聞くと、あなたはある意味今回ご自分のルーツを再び訪れたようですが、でも──

DL:そう。だから、戻ろうとはしても、やはり過去に戻るのは無理だっていう。そう、ほんとその通りだよ(苦笑)……戻ってはみたものの、そこで気づかされるんだ、やっぱり自分も昔とは違う人間になっているんだな、と。

それに、あなたご自身のスキルも昔よりあがっているでしょうし。

DL:うんうん、実際、以前よりも自分でエンジニアをやるのがうまくなったし。そこもトラック作りの際の興味深い点だったんだよな、というのも僕はとても……スタジオで他のエンジニア相手に作業する云々の状況にすごく楽に対応できるようになったというか、それにすっかり慣れてきていた。ところがそこにこのコロナのあれこれが起きたわけで、うん、基本的に今回は(テクニカルな側面の)ほとんどを自分でこなしたね。だからその意味ではかつての自分の状況に少し似ているけれども、うん、やっぱり気づくものなんだよ、あの頃からずいぶん時間も経ったし、いまの自分の興味やテイストも昔とは違うんだな、ということに。

僕はどういうわけか自分の内面を探る行為に駆り立てられたし、そうなったのは自分の外側の現実ゆえだった、だろうね。だから乖離してはいないんだ。外部で何が起きているかの反動として、そこから目を背けることになった、と。

今回は数多くのコラボレーターが参加していますし、そこもかつてのあなたとは違いますよね。

DL:ノー、ノー(笑)! それはない。あの頃はドロップボックスも存在しなかったし、いまのように誰かに携帯でメッセージを送って音楽のステムをやり取りし合うだとか、そういったことは当時まったくできなかった。うん、だから今回は、他者とのコラボレートが大いに可能だった、一緒に何かを作っていくのがエレクトロニックな面でやりやすかった、ということだね……。(苦笑)しかも、今回は誰もが手に入って参加可能だったから! それくらい、みんな何もやることがなかったっていう(笑)。

(笑)たしかに。今年本当にコラボ型のアルバムが多く出ているのも、理由のひとつはそこじゃないかと思います。

DL:みんなヒマを持て余してる。

それはそれで、生産的になれていいのかもしれません。

DL:うん。

それに、ミュージシャンの多くは大抵他とは隔たりがあるというか。バンドで活動していれば別でしょうが、ソロ・アクトの場合は自宅で作曲したり音楽を作るケースが多いでしょうし、もともと「世界から自主隔離している」タイプの人は多いと思います。

DL:フフフフッ……そうだね、音楽人はどっちにせよ隔離されてるっていう(苦笑)。

どんな音楽もその時代を反映するものですが、しかし作者がどこまでそれを意識するかは人それぞれです。無意識にやっている人もいれば、意識的な人もいる。

DL:うん。

で、今作においてあなたは「時代性」や「社会」をどのくらい意識されましたか?

DL:んー、それは誰だって常に意識しているものだと思う。っていうか、意識せずにそうしている、というか。人びとの思考というのは、自分たちが把握しているつもりでいる以上に、もっと本当は深いものだと僕は思う。だから、「あなたは時代や社会について考えていましたか?」と訊かれたら、それは自分でもわからないけれども、自分は何か感じていたか? と言えば、その答えはイエス。だって、僕たちみんな何かを感じているわけだしね。
 何もわざわざ居住まいを正して意識的に何か作ろうとしたとは思わないし……要するに、「セルフ・タイトルのレコードを作りたい」という自分の欲、それ以外にこれといって開始点はなかったよ。とにかく思いついただけだしね、「常に自分の心を動かしてきた色々なもの、それらを探ってみるタイミングだ」と。
 だから、自分の外側で起きている現実のあれこれ、それに対するリアクションみたいなものとして作ったという面はそれほどないと自分では思っている。かと言って、「そうではない」とも言い切れないし……まあ、これを説明するいちばん適当な言い方は、僕はどういうわけか自分の内面を探る行為に駆り立てられたし、そうなったのは自分の外側の現実ゆえだった、だろうね。だから乖離してはいないんだ。外部で何が起きているかの反動として、そこから目を背けることになった、と。で、それは興味深いことだよ。精神分析医に尋ねた方がいいのかもなぁ(苦笑)、「どうしてこうなるんだ?」ってさ。

(笑)。

DL:ただ、自分にはわからない。自分としては、今回のレコードがいまの時代に強く、直接的に影響されているという感覚はないし……というのも、非常に内面的なレコードだからね。とてもパーソナルな類いのレコードだと思っている。ただ、こうして自分がそれを耳にすることになったのは、やはり時代のせいである、と。

なるほど。でも今年のアメリカはこれまで、政治的に非常に緊張した状況が続いてきました。「政治」といったものをどのくらい意識されましたか? 潜在意識のレヴェルでもなんらかの影響があるのではないかと思いますが。

DL:ああうん、色んなことが耳に入ってくるのからは逃れようがない。もちろんそうだ。ほら、だからなんだよ、そのせいでいっそう後押しされるというか……自分みたいな人間にとって……だから、僕は根本的に政治的な人間だし、自分のことをポリティカルな人間として理解している。ただ、かといってそれは自分が「政治」に興味があるという意味ではない、と。
 僕は常にある意味シニカルに構えていて、政治の場面で、人びとやメディア等々の何もかもを通じて日常的に展開されていくさまざまなメッセージに対しても、とても用心深く接している。僕はいつだってとてもシニカルなんだよ、というのもあれって何らかの取り引きのような感じがするし、それ以外の別の効用を備えているんじゃないか?  と感じるから。それらはダイレクトなメッセージではなく、操作されたメッセージであって、そのメッセージを理解しようとするように自分は強要されている、そんな気がするんだ。どうしてそれが自分の目に入ってくるのかを理解しようと強要されている気がする。ということは、自分は非常に居心地の悪いポジションに置かれたってことだし──というのも、僕はいつもとてもシニカルに構えているから。で、まさしくそれなんだよね。
 僕だって多くのアメリカ人たちとなんら変わりはなくて、幻想からすっかり覚めてしまっているんだよ。政府に対しての……そして国そのものという感覚に対してすら幻滅しているし、バラバラに分断された場所のようで、もはや国という風にすら感じない。しかも、その感覚が長く続いているっていう。そこには憂慮させられるね。だから、普通の人びとが僕みたいになってしまった──というか、人びとはそうなってしまっていると僕は思っているけど──それはやばい時代だってことだよ。というのも、なんらかの形で「自分も関わっているんだ」と感じるべきだし、自分が暮らしているのはどんな場所でそこでは何が起きているのか、それらを理解しようという意欲を掻き立てられるべきだから。
 そんなわけで、自分にとってのこの過去数ヶ月間というのは、項目リストをチェックしていたというか、「自分にちゃんとわかっているのは何か」という一種の目録みたいなもの作って過ごしていたという部分もあったんだ、そうやってもうちょっと……(政治や社会と)関わろうとしたっていう。だけど、やったことがなかったからね。それをやるのをこれまでの人生でほぼ避けてきたわけじゃない、自分の周辺に存在する、シニシズムとして感知してきたあれこれのせいで? だから一夜にして突然変化するはずがないし(苦笑)、それこそ基本的に、筋肉を新たに一から鍛えていかなくちゃならない、みたいな。そういうやり方で世界と関わるように努めなければならないってことだし、実践するのはすごく難しいことだよ。

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自分としては、今回のレコードがいまの時代に強く、直接的に影響されているという感覚はないし……というのも、非常に内面的なレコードだからね。とてもパーソナルな類いのレコードだと思っている。ただ、こうして自分がそれを耳にすることになったのは、やはり時代のせいである、と。


Oneohtrix Point Never
Magic Oneohtrix Point Never

Warp/ビート

ConceptronicaHypnagogic PopAvant Pop

本作向けのバイオによれば、自己啓発/自助のマントラが含まれているそうで──

DL:(笑)ああ、うん。

ということは『Magic Oneohtrix Point Never』は、自己啓発系ニューエイジのカセットテープから作ったサウンド・コラージュを使っているのかな? と。

DL:うん、やったやった。

それはどんな思いで使ったんですか? どうして今回のミックスのなかにそうした要素を含めたいと思ったんでしょう。

DL:それは……

それはたとえば、それらの自己啓発の主張のなかには、感心するものや感化されるものがあったから? 「このテープを聴くとモチヴェーションがあがるな!」と思ったとか(笑)?

DL:ノー、ノー、それはない(笑)。だから、常々感じてきたんだよ……自分はそれ以上に、その手のカセットテープの持つ人工遺物、ジャンクとしての側面に興味を惹かれてきたな、と。というのも、あの手のテープってまず、「こういう効果があります」の能書き通りになったためしがないわけでしょ?

ハハハッ!

DL:で、それって僕からすれば、まさに完璧なるアメリカのジャンクっぽい遺物だ、みたいな。というわけで、そうした類いのテープを利用すること、それらをサンプリングするのって、自分からすればほとんどもうアメリカの質感(テクスチャー)を使うことに近いわけ。だから、こうした「このテープを聴けば、あなたはこれこれこういう風に治癒されます」という発想とか、「一種のマントラを繰り返しつぶやけば癒される」だとか──そういうのってもう、下手したらスネーク・オイル(訳注:19世紀のアメリカで流行した、薬の行商人がカーニヴァル他でヘビの油と偽って売った鉱物油ベースのいんちきな万能薬。転じてほらのこと)と変わりないよね(苦笑)?

(笑)たしかに。

DL:僕にはそれってとても滑稽に思えるし、それに……だから、(苦笑)僕のメンタル・ヘルスは良好ではなかったってこと! おかげで人びとがやる色んなこと、コースだの各種セラピーについて考えはじめてしまった。だけどその手のセラピー効果のあるものって、僕からすると常に……んー、なんというか……ある種の質感を伴うもので……(苦笑)だから、あの手のあれこれって僕にはずっとインチキくさい感じがしてきたんだ。ペテンだろ、と。

(笑)。

DL:クハハハハッ! だからそこは好きなんだと思う。ところがそれとともに、自分のしばらくやっていたのもある意味そういうことだったわけじゃない? だから、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは、僕があの手のニューエイジのテープの数々にかなりハマっていたことからはじまった、みたいな。というのもああいうテープにはシンセサイザー音楽が山ほど使われているから。本当に大好きだったし、しばらくの間、あの手のテープに中毒したかなりのジャンキーだった。それくらい貪欲だったんだよ、自分に見つけられる限りのあらゆるシンセ音源を手に入れるぞ、みたいな。それで掘りはじめたわけだけど、しばらくして主な有名どころは片っ端から聴いてしまったところで、突然「もっと、もっと」という強烈なニーズが生じて、手遅れな中毒患者みたいなものだよ。で、遂にはハイを求めて、胡散臭い裏手の路地にたむろするドラッグの売人を探しに出るようになる、と。

(爆笑)はっはっはっはっ!

DL:(笑)いかがわしいドラッグをあさるくらいまで落ちるわけ。まさにジャンクだよ(※麻薬を意味するスラングのジャンクと、文字通りジャンク=クズのような低俗なシンセ音楽をひっかけた比喩)。ほんと、ジャンクな音楽ね。

なるほど。そうしたニューエイジ音楽の質感やサウンド、そして奇妙なアメリカ文化の一片でもある面がお好きなようですが、そこにこめられた自己改良や自助といった類いの啓発メッセージは信じていない、と。

DL:そうだね。

全部くだらないたわごと、ですか。

DL:まあ、たわごとではあるけれども、「いい」たわごとなんだよ。ってのも、自分はそれを使って何かをやれるから。それこそプラスティック素材のように、それを用いてあまりくだらなく感じないものへと作り変えていくことができる。僕にはそれを何かしらパーソナルなものにしていくことができるし、だから結局のところは──実はそれにしても、とてもセラピー効果があるんだと思う。もっとも、それ(啓発メッセージやマントラetc)そのものが効果を発しているから、ではないけどね。

ええ、もちろん。

DL:うん。だから、そうすることで僕も何かに取り組むことになるわけで……自分には変えることができるし……そうだな、とことんシニカルなことって、とにかく「こんなのしょうもないたわごとだ! テレビを観てた方がマシだ」と決めつけて、まったく相手にしないってことじゃないかな? ──そうは言いつつ、自分もそれはやってるんだけどさ(苦笑)。ただし、ただし……自分にとっては、それっていい開始地点になる何かだ、みたいな。くだらないことではあるけど、本当だと思える何かのとっかかりにもなるもの、という。

それらジャンクを、いわばあなたは改めて作り変え、リサイクルしている、と。

DL:そう。

僕は常にある意味シニカルに構えていて、政治の場面で、人びとやメディア等々の何もかもを通じて日常的に展開されていくさまざまなメッセージに対しても、とても用心深く接している。僕はいつだってとてもシニカルなんだよ。

ニューエイジとは歴史的にいえば、大雑把に言って、60年代から急速に拡大した物質社会/近代社会への反動的な宗教運動ないしそれにリンクするスピリチュアリズム〜自己啓発を指すわけですが、あなたは自分の音楽に「new age」とタグ付けされることをどう思いますか? 

DL:んー、思うにまあ……もしも僕がニューエイジと看做されるとしたら、他のれっきとしたニューエイジの作曲家たちは相当に「侮辱された」と感じるんじゃないかと。たとえばニューエイジ音楽を讃える授賞式に僕が出席し同じテーブルについていたとしたら、彼らはおそらく「お前は我々をクズだと思ってる奴じゃないか!」と非難するだろうね。
僕の音楽をそうやってニューエイジと比較するのはあまりいい方法だとは思わないけれども──ただ、イエス、さっきも話したように「文化の遺物」としてのニューエイジ音楽に自分はたしかに興味がある。それにもうひとつ、ああいうレコーディング音源のいくつかには形式の面で非常にインスピレーションを掻き立てられることがあって、そこは否定のしようがない。素直に、あれらは本当に、本当に素晴らしいよ。で、思うに、そこから自分が得る知恵というのは……音楽はとてもゆっくりしたペースのものになっていいし(苦笑)、またとても静かになってもいいものであり……かつ、音楽はいわゆる「歌」という形式から外れたところでも成り立てるものだ、と。というか、歌のフォルムをとらなくてたって聴き手を強く集中させることができるし……実際、聴き手の精神(psych)の多くを映し出す、それこそ鏡みたいなものになり得る。そうやって、聴き手が自身の精神と関わるための手段として、音楽が自らを提示しているっていう。
冗談抜きのシリアスなレヴェルでは、僕はたしかにニューエイジ音楽は興味深いフォーマットだ、本当にそう思っているんだよ。で、そのフォーマットで僕が何をしようとしているかと言えば、それはとにかく、僕自身の精神を鏡に相対させ、自らに正直になろうとすることであって……だから、僕は別に他の人びとの役に立つように、彼らが彼ら自身をそこに映し出せるために音楽を作ってはいないんだ。だからその意味で、僕は相当に、もっとずっと利己的だってこと。自分自身だけを反映する、そういうものとして僕は音楽を作っている。だからだと思うよ、(苦笑)たくさんの人間が「どうして?」って頭をかきむしるのは。で、僕としては、「あなたが僕の音楽を通じて僕の精神のなかに入っていきたくなければ、当然ですよね、仕方ありません」としか(笑)。

ある意味、そこはどう誤解されようがかまわないというか、あなたの音楽を「新手のニューエイジ」と誤解し誤解釈する人がいても、それはそれであなたはその誤解を楽しんでいる、みたいな?

DL:まあ、そんなとこかな、それでもオーケイ。うん、自分はそれでもかまわない。だから、僕は何もそうやって誰かを混乱させようとしているわけじゃないんだよ。ただ、たとえば「リラックスするための音楽」としてニューエイジを聴こうとするだとか……っていうか、僕の音楽を聴いてもあんまり聴き手のためにならない、リラクゼーションにならないと思うんだけど(苦笑)。

(苦笑)あんまりその効果はないですよね。

DL:……僕はいつだってこう、リラックスした状態を転覆し揺さぶろうとする傾向があるから。それは僕が自分の精神状態に正直であろうとしているからだし、それだけのことであって。だからその意味でニューエイジ音楽ではないんだよ、ああした実際的な効用はない音楽だしね。ただ、ニューエイジ音楽にとても強く影響されてはいる、と。というのも、僕は自分自身を見つめるために、ニューエイジ音楽の慣用句のいくつかを使っているから。またそれらを用いて、音楽を見つめてもいるんだ。そしてノイズやヴァイオレンスをはじめとする音楽を構成しているもろもろ、それらを見つめてもいる。

後半戦(その2)に続く。(予告:ヴェイパーウェイヴについての彼の考えを喋りまくってます

Wool & The Pants - ele-king

 先日は限定でアルバムのカセットテープ版まで出たWool & The Pants。英『Wire』誌でも評価されるなど、じょじょに国際的に認知されていっているようです。まあ、あのサウンドなので、当然といえば当然ですかね。
 で、じつは9月にNTSラジオでミックスを披露しているんですが、これがかなり格好いい内容なので、ぜひ共有させてください。ちゃんとECDからはじまってます。未聴の方、どうぞ!

https://www.nts.live/shows/guests/episodes/wool-and-the-pants-16th-september-2020

interview with Meitei - ele-king


冥丁
古風

KITCHEN. LABEL / インパートメント

ElectronicaAmbient

Amazon

 劣化したテープの触感はビビオを想起させる。じっさい、ビビオの音楽はすべて聴いているという。リズミカルにばちばちと火の粉を散らすクラックル・ノイズは、他方で、ベリアルを彷彿させもする。そこへ乱入してくる、くすんだ古の女性の歌声と「和」の雰囲気──。なるほど、たしかにこれは斬新なアプローチかもしれない。当人としてはとくにノスタルジーを意識しているわけではないそうなのだけれど、すくなくともサウンド面で「過去」が重要なテーマになっているのはまちがいない。
 広島在住のプロデューサー、冥丁のニュー・アルバム『古風』は「失われた日本」をテーマにしている。時代のばらつきこそあれ、“万葉”、“花魁”、“貞奴”、“縁日” と、曲名からもそのコンセプトは明確だ。といっても、彼が「日本」を題材にするのは今回が初めてではない。海外で評価された前々作『怪談』(2018年)や前作『小町』(2019年)もそうだった。そもそも「冥丁」じたいが、「日本の古い文化」を追求するためにはじまったプロジェクトだという。
 日々ニュースをチェックしていると、日本は完全に「後進国」になったんだなと痛感せざるをえないような事件ばかりが報道されている。そんなご時勢に叫ばれるのが無根拠な「日本すごい」「日本美しい」といった感情論であるのは、まあ、お約束ではあるけれど、どうも冥丁のコンセプトはその種の日本賛美とは一線を画しているようだ。「もっと日本に誇りを持つことができる活動をしたい」と、一見愛国主義的ともとられかねない発言もあるが、たぶんそれは「クールジャパン」のような政策とはちがった観点から、あらためて「日本」を描きなおしてみたいと、そういうニュアンスなのだろう。
 サンプリング~フィールド・レコーディングを駆使し、独特のざらついたエレクトロニカ~アンビエントを響かせる冥丁、彼の追い求める「過去」の「日本」とは、ではいったいどのようなものなのか? メール・インタヴューを試みた。

本だけではなく、料理人の作る料理、そしてその空間、香り、上質な素材で作られた洋服に袖を通すときなどに、音楽の用途のインスピレーションが湧き上がるんですよね。

まだあまりプロフィールも知られていないと思いますので、バイオ的なことからお伺いしたく思います。音楽をやりはじめたのはいつごろで、そのきっかけはなんでしたか?

冥丁:エレクトリック・ギターを21歳のときに購入しました。そこからはギターをプレイすることに夢中でした。きっかけはジョン・フルシアンテの『Niandra LaDes and Usually Just a T-Shirt』。ただそのときにはまだ本格的な作曲はしていませんでした。
 本格的に作曲しはじめたのは25歳くらいからだったと思います。テープMTRを使っての作曲からスタートして音楽の面白さを知りました。PCでの作曲は便利すぎると感じたので、最初の入門編としてはテープの4トラックMTRが望ましいと感じました。でもだんだんとそれが24トラックの真空管内臓のデジタルMTRになり、28歳くらいから Cubase で制作をするようになりました。

冥丁さんの音楽は、大枠では「アンビエント」や「エレクトロニカ」、「フィールド・レコーディング」といったことばで分類することができるかと思いますが、どのような音楽/音楽家に影響を受けてきたのでしょう?

冥丁:音楽をするきっかけをくれたのはジョンと、当時付き合っていた彼女でした。でも影響を受けたアーティストとなると、絞ることが難しいです。単純に聴いているアーティストにダイレクトに影響を受けているかどうかは僕自身わからない。
 最近は BTS の “Your eyes tell” を100回聴きました。いつも気に入った楽曲は100回聴きます。なので同じような音楽ばかりを年間通して聴いているような感じかもしれません。ジョン・ケイジの “In a Landscape”、“Dream” も100回聴きしていますね。
 いろいろなミュージシャン、アーティストの音楽を普段から聴くことはあるのですが、聴いている音楽と作っている音楽はいまのところ違いますね。自分が音楽を作るときに、音楽からインスピレーションを得ることはほとんどないと思います。
 昨日広島の蔦屋書店で本を見ていたのですが、とてもインスピレーションを受けました。そういう場所で、いろいろな情報を目の当たりにすると、もっとこういう音楽が世の中にはあるべきだと思い付くんです。本だけではなく、料理人の作る料理、そしてその空間、香り、上質な素材で作られた洋服に袖を通すときなどに、音楽の用途のインスピレーションが湧き上がるんですよね。理由なくして音楽は生み出せないと僕は考えています。理由が湧き上がってから、それに向けて音楽を作るタイプです。
 考えてみたら、いつも作品のアイデアを音楽ではない環境から受け続けてきました。僕は本質的にミュージシャンでもアーティストでもないと思っています。だからプロデューサーかな? と思っています。音楽を作ること以外の音楽との関わり方に興味がありませんでした。だからクラブ、ライブハウスに行きたいと思ったことがなく、冥丁のおかげで、そのような場所に行くチャンスをもらいました。僕にとってそれは大きな経験になりました。

「冥丁」というアーティスト名の由来は? 「酩酊」は関係ありますか?

冥丁:「酩酊」と関係はないですね。「冥」の漢字は人びとが見落としている闇のなかの存在を再編していく意味を表しています。「丁」は「使い、奉公する人」の意味を表しています。「冥丁」は人びとが見過ごしてきた真実を音楽で現代に新たな印象値のクリエイトとして表現するブランドです。希望のある未来を見出したいと言う意味を込めています。

「日本の古い文化」を活動のテーマにしようと思ったのはなぜ?

冥丁:僕自身が日本を知りたかった、そして日本人としての表現を世界に発信したいと思ったからです。以前専門学校時代にフランス人の先生にお世話になっていました。彼女から言われた言葉をいまも覚えています。「君は日本人なのに、なぜ日本の要素を作品に入れることに積極的ではないのですか?」
 この文章だけ見ると、伝えづらい意味があるので、補足します。彼女はたぶん現代の日本人が普通に表現する日本という概念自体が、日本のテンプレート化された虚像にすぎないような印象であると思っていたのだと思います。現代の日本文化はそのような流れのなかにあるとも僕は思います
 いまはその意味がわかります。日本にはたくさんの音楽がありますが、同じような文脈で語られる音楽が多い印象を感じました。それは僕が日本人だから、きっとそう思うんです。ルーツ・ミュージック、特定のシーンの音楽、東京の音楽(*)など、文脈通りに一様に音楽が作られている日本文化のあり方が疑問でした。一連の流れができあがっている。でもその外でも音楽はきっと作れる可能性があるにもかかわらず、それに誰も希望を持っていません。「外」とは、音楽を好きな人たちの外を意味しています。本当の外です。
 そう考えたときから、自分が納得のいく作品ができるまでは音楽関係の人たちと一切関係を持たないことに決めました。7年間の間、ひとりで音楽を作り続けました。京都にその間住んでいましたが、新しい友人も作らないようにしました。なので府外の人が時々、京都に来て僕に会うだけで、僕は京都で孤独に生活をしていました。爽やかな孤独がそこにはありました。もう一生そのような時間を持つことはできないでしょう。
 そのときの僕は、そのような状況において自分自身がどのような音楽を作るのか楽しみでした。環境が最も大切な要因だと思っていました。そういう環境のなかで、「失われた日本」というテーマに出会いました。きっかけは本屋さんで偶然小泉八雲の怪談のリイシューを発見したのがはじまりでした。これを音訳する義務があると直感したんです。「Lost Japanese mood」というフレーズが浮かびました。そこで周りを見たときに、そのような音楽を作る人びとは誰もいなかったということに気が付きました。誰もしていないことをしないと、自分自身が次の人生の次元に進めないと思ったんです。
 実際、でもどうして日本人は日本の遺産を表現しないのか疑問に感じたことをいまでも覚えています。いまも感じていますし(文化の継承はありますが)。音楽を作る理由と意味がなければ、音楽を創造する理由が見当たらないように感じました。このときに、そのような隠れた自分の深い意識のあり方を発見したと思います。
 それから制作が進むにつれて、もっと日本に誇りを持つことができる活動をしたいと感じるようになりました。でもそれは最近ですね。日本にはたくさんの興味深いテーマがあります。そういうものを音で印象値化するようなプロセスにとてもワクワクしています。
 東京の音楽、音楽史の音楽を作るような人材は潤沢に揃っていますが、歴史の文脈とは違う文脈で、それでいて日本にフォーカスした音楽を作っている人がいなかった。それを残念に感じました。そういう人がいないということが、現代の日本社会の閉塞感を表していると突きつけられたような気がしました。
 『古風』を作りながら学んだことですが、こんなに昔と比べて自由に色々なモノを作れる環境にいるのにもかかわらず、現代人は同じような場所にみんなで寄り添って生きている。そこに未来の希望の光が僕には見えませんでした。自分が目指すのは日本の印象値をアイコニックでユニークな表現として仕上げ世界中に届けることなんです。そこに希望を感じます。そのための最初のステップとして「失われた日本」をテーマにした作品の制作に突入しました。

*編註:冥丁の補足によれば、どんな場所に住んでいてもおなじような音がつくられ、それが「東京」に集約されているように映る昨今の状況のことだそう。「東京であろうが、なかろうが、作られた土地感が出ないのが現代の音楽で、それは結局東京からアウトプットされるような文化の構造があると思います」と彼は指摘する。


photo: Yuri Nanasaki

文脈通りに一様に音楽が作られている日本文化のあり方が疑問でした。一連の流れができあがっている。でもその外でも音楽はきっと作れる可能性があるにもかかわらず、それに誰も希望を持っていません。「外」とは、音楽を好きな人たちの外を意味しています。

お住まいは広島ですよね。広島という地はご自身の音楽に影響を与えていると思いますか?

冥丁:特に意識して影響を受けている面はないと思います。おそらく引っ越しすると、影響を受けていたことに自然と気がつくと思います。
 以前住んでいた京都については、住みながらにして影響を受け続けていることに気がつくほどでした。学びが多い孤独な街でした。人生で最も影響を受けた街、場所だと思います。
 また住みたいです。そこでアルバム一枚作りたいですね。

2018年の『怪談』が『ピッチフォーク』で評価され、翌年『小町』もレヴューが掲載されました。そのときはどんな心境でしたか?

冥丁:『ピッチフォーク』を知らなかったので、実感がありませんでした。冥丁関係者がみんな喜んでいたので、それで僕も嬉しくなりました。チームで喜びを分かち合えたことが最高でした。国籍の枠を越えて、みんなで仕事できるのは最高です。そう感じました。

新作『古風』をシンガポールのレーベルから出すことになった経緯は?

冥丁:僕のNYの友人(ジェフ)が〈KITCHEN. LABEL〉のリックスを紹介してくれたんです。そこからリックスと連絡を取るようになりました。〈KITCHEN. LABEL〉の存在は知っていました。特に美しいアートワークの作品群には、以前から憧れのようなものを抱いていました。『古風』ができあがって、どのレーベルからリリースするかを慎重に考えました。色々なオファーがありました。NYの僕の友人は冥丁の世界観を理解し、最もパフォーマンスを向上してくれるレーベルと一緒にいるべきだとアドヴァイスをくれました。
 実際まだ音楽業界の知識、そしてノリを知らないので(いまも)、〈Metron Records〉のジャックや〈Evening Chants〉のナイジェルなどに相談しながら考えていました。丁度そのときにNYの友人が僕に〈KITCHEN. LABEL〉を提案してくれました。彼はリックスを知っていたので、すぐに連絡をしてくれました。そこからリックスもすぐに返事をくれて、今回のリリースに向けて新しいチームで動きはじめました。一年前です。そのときは冥丁の世界観とリックスのデザイン、そして〈KITCHEN. LABEL〉のアートワークが合体したらと考えているとワクワクしました。絶対うまくいくと確信していました。
 結果的にそれは美しいデザインのパッケージになったと思います。世界各国の色々な人たちから良いレヴューをもらっています。『古風』のリリースのおかげで、日本人の方々からの声も最近ようやく聞くことができるようになりました。とても気に入っているアルバム。世界中のみんなに推薦したいです!

サウンド面で『怪談』(2018)→『小町』(2019)は連続性があるように感じられますが、『古風』は少しスタイルが変わった印象があります。『怪談』『小町』が「静」だとすると、『古風』は「騒」になったように感じました。声のサンプルが多いからか、あるいはポップな “花魁I” やインダストリアルな “少年” のような曲があるからもしれませんが、このサウンド面での変化はアルバムのテーマと連動しているのでしょうか?

冥丁:もちろんです。いつもテーマに準じて音楽を作るのが冥丁の活動で重要なことだと認識しています。テーマがあるおかげで、なぜ自分が音楽を作る必要性があるのか(もう十分に世の中には音楽が溢れているので、これ以上に同じようなタグ付けで済まされるような音楽を作りたくないと思っています。なので作るのであれば他にはないような音楽でないといけないと思います)を、再確認することができます。
 『怪談』と『小町』が似ているのは、『怪談』の制作時に『小町』のトラック(「夜分EP」)をサンプリングしていたからです。『怪談』のなかで “池” (「夜分」、『小町』収録)は “骨董” になっています。時系列を話すと「夜分EP」からはじまり、『怪談』を作り、『古風』に進むことになりました。「夜分EP」の “池” や “波” などの4トラックが後に『小町』(“Kawanabe Kyosai” などの『小町』のもう半分のトラックは『怪談』の制作時に並行して作っていました)に収録されることになりました。なので、『古風』の前に作っていたアルバムは『怪談』だったんです。『怪談』制作中に日本の古いヴィジュアル・イメージによく出くわしていました。それでそのときから、次のサウンドの想像をよく頭のなかで巡らしていました。『小町』はしっとりとしたムード、『怪談』はコミカルで実験的なサウンド、『古風』はさらにそこに感情的な要素が相まって仕上がったような感覚を持っています。
 それに加え、古い日本のヴィジュアル・イメージからどのようなサウンドの質感が適切か厳格に選びました。「夜分」(『小町』)のときは京都の嵐山(宇多野エリア)に行って夜の大気を知ろうとしました。『怪談』は小泉八雲の怪談からはじまり、水木しげるなど、その周辺へとイメージを拡げ、音に仕上げました。厳密に言えばもっと様々なものに影響を受けていますが。
 そして『古風』はそのようなイメージから、江戸、明治、大正、昭和(歴史上の人物、当時の日常風景など、時代の香り)のムードの音訳、それに加え新たな音楽性の挑戦欲も相まって、以前のサウンドとは違うものになりました。そのような音の世界観を僕自身も肯定できたので嬉しかったです。

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世間の意識に自分の自意識を立て、反応した結果として作品を作る人が大勢います。でもそれは健康的な社会とは言えず、病的な状況だと僕は感じています。そこに未来の希望はないです。

ピアノなどの新たにクリエイトした音と、過去のサンプル音源をおなじひとつの曲にするときに苦労した点や注意したことがあれば教えてください。


冥丁
古風

KITCHEN. LABEL / インパートメント

ElectronicaAmbient

Amazon

冥丁:単純な、ただのミックス・サウンドにさせないことが重要ですね。タイミングなど、音と音の被り具合のバランスなど、とても細かくチェックしています。サウンドコラージュは生演奏で到達できない想像上の世界のムードを作りあげます。ピアノのサウンドは僕のオリジナルですが、今回はサンプリングした30’sの音素材をたくさん使いました。それらを掛け合わせるときに本当に苦労しました。どれくらい音にヒビを入れるか? そしてどれくらい耳障りな音にしておくべきか? 反対にどれくらい繊細に音の「ぬめり」を出すか? ぬめりと言っても伝わりづらいかもしれませんが、舌触りみたいな感覚です。特にエレクトロピアノの音にはそのような視点で臨みました。
 音楽史のなかでの音楽的なバランスという概念を重視せずに、音楽を作ることに最後まで戸惑っていました。なぜなら僕が知っている音楽はもっと綺麗で、既存の要素が多いものでしたから。自分の壁を破ることが大変でした。自分のなかの常識をいつも越えたいです。それは斬新さと言われる印象かもしれませんし、「型破り」ではなく、「形無し」だとも思われる可能性もあります。
 ひとつの概念の扉を閉じるということは、もうひとつの概念の扉を開けることになると思っています。概念の扉を開けるときは新たな常識を肯定する勇気が必要です。ただ物事の差異を選び分けるという知性とは違う次元の挑戦だと言えます。勇気と情熱なんです。熱量で勝負したい。その熱さというものが『古風』の音楽をより感情的で、激しい音のぶつかり合う瞬間をプロデュースするに至らせてくれたと感じています。
 もしそれがなければピアノとサンプリングの単純な古い音と新しい音のミックスで終わっていたと思います。そのようなサウンドでは『古風』とは言えないと思いました。熱さが『古風に』は必要だと思いました。現代の日本にも。

古い音源を用いているからかと思いますが、本作ではかなり多くクラックル・ノイズが鳴っています。たまたま入ってしまったというより、リズムに合わせて効果的に用いられているように感じたのですが、これは意図的なものですよね?

冥丁:そうです。

ザ・ケアテイカーベリアル、あるいはビビオは聴きますか?

冥丁:ビビオについては全ての音楽を知っていると思います。ビビオの音楽に自然と影響を受けていると思います。ザ・ケアテイカー、ベリアルについては最近知りました。海外の人たちから僕の音楽(『古風』)と彼らの音楽スタイルには共通点があると言われています。


photo: Saki Nakao

テーマとは僕らにとって希望なんです。希望を持っているとは、結果的にテーマに基づいて人生を生きるということだと僕は考えます。どんな希望を描いているかが現代の音楽制作で最も大切なことです。

「日本の古い文化」といっても、たとえば今回は「万葉」(平安以前)から「花魁」(江戸以降)、「川上音二郎と貞奴」(明治~大正)まで、かなり幅があります。ざっくり「日本の古い文化」ということで一緒くたにすることに、抵抗はありませんでしたか?

冥丁:もちろん抵抗がありました。正直にいうと貞奴さんだけでアルバムを作る方が本当は良いと思います。本心でそう思います。そして『花魁勝山』というアルバムも通しで作ってみたかったです。実際勝山(花魁)についてはたくさんトラックを作りました。そのなかからセレクトしてアルバムに収録させて頂きました。吉原遊郭のサウンドトラックも作ってみたいですね。
 僕自身の希望を言えば、たとえば、菌類研究の南方熊楠の生涯、そして宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の音訳作品など、それぞれのアルバムを作って行きたいくらいですが、冥丁はそれにOKを出してくれませんでした。なぜかと言うと、それはあまりにも膨大な時間がかかりますし、冥丁は僕にとってビジネスなので、そのような永遠と続くような作業は僕自身の人生に負荷がかかり過ぎると感じました。
 これはプロデューサー目線ですが、現代の日本に必要なテーマ性のある音楽をもっとたくさん作っていく必要がある。なので個人的に興味のある人物を掘り下げたくとも、他にも次の挑戦が控えているので、妥協しなければいけない部分があります。
 もし冥丁がパトロンを持つことができれば、僕はもっと歴史のワン・シーンにじっくり腰を据えて音楽アルバムを作って、それをみんなでシェアしたいと思います。そのような状況にならない限り、そこまでの制作時間を捻出することは不可能です。精神的、身体的、そして財政的にもリソースがないので。諦めてはいません。いまは保留です。
 たぶん映画監督の人たちと同じような心境かもしれません。彼らはたくさんの企画を持っていますが、そのなかから実際制作に移ることができるのは、ごく僅かなものらしいです。もっと冥丁は色々なジャンルの人たちと新しい音楽の仕事について話し合い、音楽の未来を模索していかなければいけないのかもしれません。いまは広島なのでそういった話ができる人たちとの出会いを十分に持つことはできませんが……コロナ期でもありますし。でもポジティヴです。

“女房” や “花魁” は虐げられた女性たちを描くという観点の曲のようですが、サンプルされた音声は意味がわからないようになっているため、ただ音のノスタルジックな部分だけを聴かれて、逆の意味にとられる可能性もありますよね。「女房」がなんでもやってくれた時代、和服を着た「花魁」がいた時代、つまり「男性にとっての “古き良き” 時代」へのノスタルジー、というふうに。そこはどう思われますか?

冥丁:作り終わった後に僕も同じ質問を自分自身にしました。当然出てくる問いかけのひとつですよね。その質問に対しての納得のいく答えになるかどうか分かりませんが……男性目線の作品であることを冥丁は意識しています。ノスタルジーを故意に表現したいとは思っていませんが、そういうことは現代で尊いことだと感じています。
 その点について説明すると、ノスタルジーの視点を最後まで持たずに僕は『古風』の制作を終えました。ただ目の前だけを見て、走り切りました。作り終えて一年ほど経ったときに、いま受けている質問と同じような問いかけを思いつきました。なぜそれを思いついたのかというと、一般的(一般論)な地点に立ってみたからでした。そこには繊細な現代社会の意識が網のように張り巡らされているようでした。男性目線の回答なのでは? というアンサーも自分自身のなかに見つかりました。でもそのときに、僕はそれで良いと思いました。冥丁は男性ですから。逆に男性目線の作品になっていないと不健康です。
 世の中がより繊細で複雑になるなかで、より一層閉塞的な意識の網が社会を包囲していると僕は思います。その状況下で、世間の意識に自分の自意識を立て、反応した結果として作品を作る人が大勢います。でもそれは健康的な社会とは言えず、病的な状況だと僕は感じています。そこに未来の希望はないです。
 僕が今回『古風』の制作(冥丁の活動)で学んだことがあります。それは一般的な文脈上の事例、見聞を参考にして、そこに意識を向けるのではなく、体圧、体感、つまり肌感覚を通じて時代の文脈では語りきれない点から、作品をプロデュースし、現代の文脈のなかに提出することが大切だと感じました。
 多くの日本人は生真面目にも正解というテンプレートを日常的に必要としているように感じます。音楽はそれが顕著です。既存のジャンルを頭のなかでタグ付けしてハイブリッドな音楽を作っている人が多いからです。それは計算して作る音楽で、それが正解ではありません。そもそも音楽に正解はないと思います。音楽以外のことでもそうです。
 たとえばひとつの目線を通して、世の中をみます。そうすると違う場所でも、同じように自分の目線で世の中を見る人がいます。賛同されたり、反対されたりします。世界(人間社会)とはそういうコンセプトなんです。それが悪くもないし、良くもないです。ここにも正解はない。僕らの世界は、そういう正解の決してないコンセプトの次元で存在しているということです。だから人間はテーマ(人生の意義)を持って生きているのです。
 つまりテーマとは僕らにとって希望なんです。希望を持っているとは、結果的にテーマに基づいて人生を生きるということだと僕は考えます。『古風』は冥丁のテーマに基づいて作られたアルバムです。アルバムは僕にとって希望なんです(だからこの僕の示す希望に対して意見が違う人も少なくからず存在すると考えることができます。世の中そういうコンセプトですから)。
 僕がこのアルバム『古風』で見た世界は過去の私たちの先祖たちが感じた粗野な感情の塊なんです。生々しい音が鳴り、汗をかき、熱風の吹き荒れた世界なんです。なので今作が男性目線のノスタルジーであるということは健全なことだと僕は感じます。それでいいのです。僕が仮に男性目線で作品を描くことに疑問を持ってしまったならば、冥丁に希望はないです。それだと、ただの音の塊を丁寧に作っているだけに過ぎないですね。なぜならば、いまや音楽なんて誰でも手軽に作ることができます。だからこそ、どんな希望を描いているかが現代の音楽制作で最も大切なことです。他の分野でもそうですけどね。

できることならタイムスリップして想像上の過去の日本、「LOST JAPAN」に暮らしたいですか?

冥丁:暮らしてみたいかもしれません。でも強くそれを望みません。2020年が好きですし、この時代はとても良い時代です。

今回の『古風』で「LOST JAPANESE MOOD」3部作が完結します。次はまったく日本とは関係ないテーマになる可能性があるのでしょうか? たとえば次は古代ギリシャをテーマにしたり、はたまたラテン音楽にフォーカスしたり。

冥丁:冥丁ではいつも日本の音楽を作ることがコンセプトとしてあるので、日本を描き続けたいです。その先に何があるのか知りたいです。冒険のような。
 その他にも冥丁を通じて仕事をしています。たとえば舞台、ファッション業界、リミックス、特定の環境下で使用するための音楽などの制作をしています。先日は広島のLOGというホテルのための夜のライヴセットとアンビエントを用意しました。それは現在リリースしている音楽とはスタイルの違うものです(定期的に開催する予定ですので、皆さんにも足を運んでもらえたらと思います)。今後も冥丁のベーシック・ライン(Japanese mood)に加えて様々な音をプロデュースしていきたいと思っています。
 でも将来日本以外の国の音楽をもし作っていたらと考えると、その未来も面白いですね。
 ありがとうございます。

 11月7日(土)、川崎の工業地帯で野外パーティ、Bonna Potが開催される。海辺にある芝生の広場だそうで、詳しい場所(およびコロナ対策)は、前売りチケット購入者に追って知らされることになっている(当日券の発売は一切無し)。だいたい都心から電車とバス、またはタクシーで約1時間ほど。駐車場の関係で車でのアクセスはナシのことです。
 出演するDJは、Toshio “BING” Kajiwara、Shhhhh 、Ground、Mamazu、7e。
 また、会場内には音響会社HIRANYA ACCESSプランニングによるTaguchiの最新フラットユニット・スピーカーを導入し、高音質のサウンドシステムを構築するのこと。いったいそこでは何が……

"Bonna Pot"
2020/11/7(sat) 22:00~
@Secret location / An open-air party in Kawasaki industrial area

DJs:
Toshio “BING” Kajiwara (HITOZOKU Record)
Shhhhh (El Folclore Paradox)
Ground (Chill Mountain/ESP institute)
Mamazu (Hole and Holland)
7e

Sound design: HIRANYA ACCESS

Speakers: Taguchi

Solar Power: RA -energy design-

Lighting & Deco:
The Hikariasobi Club
Keisuke Yago
and more!

Food & Bar: 万珍酒店 / MANGOSTEEN

Tonic Shop: Circle Shot

Organized by Nusic & HIRANYA ACCESS

Ticket: 4,500YEN
- RA
https://jp.residentadvisor.net/events/1427402
- 銀行振込 
*以下のメールアドレスに「購入者名(カタカナ表記」と「希望人数」をお送りください。振込口座と詳細をご返信いたします。
bonnapotmusic@gmail.com

*当日券の販売は一切ありません。
*会場の場所は前売りチケット購入者の方々にパーティ前日のお昼頃にemailでお知らせいたします。アクセスは都心から電車とバス、またはタクシーで約1時間ほどです。駐車場の関係で車でのアクセスは出来ません。
*Emailでコロナ対策に関する情報をお送りします。

 今回のBonna Potは川崎の夜景の美しい工業地帯にあるオープンエアスペースで開催します。海辺にある広々とした芝生の広場にHIRANYA ACCESSプランニングによるTaguchiの最新フラットユニットスピーカーを導入し、ケーブル等を含め徹底的に音のクオリティにこだわったサウンドシステムを構築、18メートル四方のダンスフロアを出現させます。数ヶ月前に完成したばかりの新しいスピーカーはしっとりとした豊かな低音の質感が比類なく、楽曲の再現性の高さ、繊細さとぬくもり感、そしてパワフルなアタック感を前回以上のクオリティで表現するために、Bonna Potで使用するためのその新作スピーカーを現在量産してもらっています。場内には一切ガソリンの発電機を置かずに発生ノイズをなくしたピュアな環境をつくり、サウンドシステムは会場に並べたソーラーパネルで充電した太陽光発電による音響専用バッテリーシステムで鳴らします。DJ陣は前回同様のShhhhh、Ground、Mamazu、7eに加え、Toshio “BING” Kajiwaraがプレイします。それぞれが本当に幅広い音楽性とオリジナリティを合わせ持つ唯一無二のDJ陣です。音楽とダンスが好きであれば誰でも楽しめる空間をつくりたいと思っているので是非一緒に踊りたい人たちを誘って遊びにきてください。


Toshio “BING” Kajiwara

90年代初頭のNYでターンテーブルや自作楽器を駆使した独自の即興パフォーマンスを始める。後にクリスチャン・マークレイと実験音楽トリオを結成、00年代初頭まで数々の海外遠征やパフォーマンス・イベントを共にする。他にもペーター・コワルド、シェリー・ハーシュなどの演奏家たちとも活動。また13年間に渡りNYの老舗中古レコード店で勤務し、埋没した歴史的音源の発掘や再評価の運動にも貢献する。現在は京都に拠点を移し、パフォーマンス・アーチスト、芸術家、エンジニアーの集合体「ANTIBODIES Collective」を首謀しながら独自の演出方法と舞台音響の探求を続け、日本各地でパフォーマンス芸術の社会的な役割とその可能性を提示することに関わっている。また、京都/木屋町にて「ヒト族レコード」を運営し、マージナルな文化芸能への開かれた回路を地域に提供している。


DJ.Shhhhh (El Folclore Paradox/ The Observatory)

DJ/東京出身。オリジナルなワールドミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。2018年秋よりベトナムはホーチミンのクラブ、The ObservatoryのレジデントDJに就任。
https://soundcloud.com/shhhhhsunhouse
https://twitter.com/shhhhhsunhouse
https://www.facebook.com/kanekosunhouse
https://jp.residentadvisor.net/dj/shhhhh


Mamazu

90年代中期頃からDJとして活動を始める。今は無きclub青山MIXの洗礼を浴び音と人、空間に触発され多種多様な音を吸収。小箱から大箱、野外まで独自の視点で形成される有機的なプレイを続け、今を踊らせる。これまでにFuji Rock FestivalやBoiler Room、香港のCassio、ロンドンのNTS Radioなどに出演。様々な国のレーベルから楽曲やRemixを発表し、Nicola CruzによるRemixもリリースされた。それらの楽曲はいずれも高い評価を得て、Andrew Weatherallをはじめ多くのDJにプレイされている。またadidasやADAM ET ROPE’, BEAMS, EVISEN, HUF, SON OF THE CHEESEなどにも楽曲やMIXを提供している。
https://soundcloud.com/mamazu
https://hole-and-holland.com/


Ground (Chill Mountain/ESP institute)

DJ・Producer・Remixer。
音楽をツールに世界20カ国を超える様々なフェスやイベントに出演。デジタルレーベル「Chill Mountain Rec」をKabamix&Mt.chillsと共に運営。自身の楽曲制作では、2015年より3枚のアルバムを発表、2018年には、LA拠点のレーベルESP instutiteよりワールドデビューアルバム「SUNIZM」をリリース。2019年初旬、エクアドルはキトにて2ヶ月間の滞在の末に現地アーティストらとの共同制作で作られたEP、「Metcha Quito vol.1&vol.2」をリリース。2020年初旬ESP Instituteより(Wakusei Ep)、7年振りとなるMIXCD(Energemizmix)をリリース。
今夏最新Mini Album (Atarayo)がChill Mountain Recよりリリース中。
https://djgroundjapan.wixsite.com/ground13
https://soundcloud.com/dj-ground


7e

実験的電子音楽から世界のストリートミュージックまで、幅広いアーカイブから選ばれた新旧の楽曲を実験的にミックスする独自のダンスセットをプレイする。東京のディープなバーやクラブ、野外フェスティバル/パーティを中心に、近年はブラジルやドイツでのVOODOOHOPやAcid Pauliの主催パーティ、北カリフォルニアの人気フェスPricelessやLAのウェアハウス・パーティ、メキシコのアンダーグラウンド・パーティなど、世界に活動の幅を広げている。
https://soundcloud.com/7e_romanescos
https://www.facebook.com/7emusica

Marie Davidson & L'OEil Nu - ele-king

 「アプリケーションは拒否した?/私はあなたの機能の奴隷ではありません/あなたは気晴らしの大量兵器が欲しい/私はあなたにデモンストレーションする/あのー、ところで、これは金儲けするレコードではありませんから/今回、私は敗者の視点で調査します/言葉は気にしないでね/それが裏切り者のブレイクダウン」
 彼女の新プロジェクト、マリー・デイヴィッドソン&ルウィユ・ニュはこんな風に、敗者の弁からはじまる。裏切り者(レネゲイド)とは、彼女自身。なにからの? クラブ・カルチャーからの。
 「私のスピーチをもっと良くしようなんていう、あなたのアドヴァイスなどいらない/あなたの政治の話にも興味なし/あなたの意志は株式相場のように変動/あなたの仮面舞踏会はグロテスクだし、あなたのその格好ときたら計算しすぎ」

 “Renegade Breakdown”は敗者の曲にしてはファンキーなエレクトロ・ディスコで、歌詞には相変わらず男性社会へのアイロニーがあり、アグレッシヴだ。転んでもただでは起きない人になっているようにも感じられるが、この場合タイトルは「裏切り者の挫折」とでも訳すべきなのだろう。もっともマリーは2016年に『Adieux Au Dancefloor(ダンスフロアにさよなら)』なる題名のアルバムを出している。内的にはつねに葛藤があったのだろうけれど、彼女の出世作となった前作『Working Class Woman』のサウンドの骨格にあるのはテクノやハウスといったクラブ・ミュージックだったし、しかしそれ以前となるともっとぐちゃぐちゃな電子音響だったりもする。ちなみに彼女のデビュー・アルバムのタイトルは『Perte D'Identité(アイデンティティの喪失)』。

 「捨てることはなんも恥ずかしくない/最初から必要なかったから/すべてを取り戻してやる/商品になんかにしがみついてたまるか/もし香水があるのなら、その名は「ノーコラボ」/コラボレーションへの期待などありません/警察は必要なし/自警するから/私が作るすべてに背く/怒りが私のすべて」
 
 マリーの20代はたいへんだったと、彼女は『ガーディアン』の取材で打ち明けている。アルコール依存症、睡眠薬中毒、慢性的な拒食症。彼女はクラブ・カルチャーの浅はかな側面に関しては嫌悪しているが、しかしクラブと決裂した大きな理由はそこではない。それは彼女の悪化する健康状態に起因している。前作にあった“Workerholic Paranoid Bitch”とは自分のことで、あの曲のヒステリックな感覚は自虐でもあったのだろう。いずれにせよ、マリーがこれ以上音楽を続けるには、クラブ以外のほかのやり方を探すしかなかったと。
 そんなわけで、彼女はミュージシャンで夫のピエール・ゲリノーとプロデューサーでマルチ楽器奏者でもあるAsaël Robitailleといっしょにバンドを組むことにした。バンド名はフランス語で「肉眼=L’OEil Nu」。
 表題曲は途中で転調し、マリーはフランス語でシャンソン調に歌う。カナダのモントリオールの住民の大半がフランス系で公用語はフランス語。カナダのメディアではイアン・F・マーティンの記事もフランス語に訳されている。

 『Renegade Breakdown』はポップ・アルバムを目指して作られたアルバムで、マリアンヌ・フェイスフルやビリー・ホリデー、それから同郷の歌手ミレーヌ・ファルメールを参照しているという。なるほど、マリアンヌの『ブロークン・イングリッシュ』のように心身共にボロボロになったところからの回復はアルバムのテーマとしてたしかにあるのだろう。が、マリーが良いのは、拙訳で申し訳ないけれど、引用している歌詞を読んでいただければわかるようにパンチの効いたユーモアがあるところだ。幻滅や惨めさや自分の弱さを歌いながら傷口を見せびらかすのではなく、風刺やジョークをまじえてそれを観察し、怒りも忘れずに、そしてクラブの外側にある人生を綴ろうとする。
 
 いろんなスタイルをシャッフルした『Renegade Breakdown』はスタイリッシュで、ポップ・アルバムとして充分に楽しめるアルバムだ。前作の“Work it”のようなずば抜けたハウス・トラックがないのは残念だが、アコースティック・ギターをバックに歌う内省的な“Center Of The World”、キャッチーなエレクトロ・ポップな“C'est Parce Que J'm'en Fous”、ラウンジ・ジャズを展開する“Just In My Head”、そして美しいバラードの“My Love”やフレンチ・ポップな“La Ronde”などなど、一度で好きになれるような曲がアルバムの大半を占めている。
 彼女が活動をはじめた10年前はちょうど同郷のグライムスが脚光を浴びはじめた頃で、同じリハーサル・スタジオを使っていた自分たちはアンダーグラウンドのなかのさらに下の下だったとマリーは件の取材で回想している。つまり自分は何もないところから来たんだと、そんな風に腹を括れたことで、なんとか自分の居場所を見つけることに成功したと。クラブから外の世界へと出たときの、その広さのなかで。

 「私のたった一度限りの人生は反戦略的/それは喜劇と悲劇のあいだに横たわっている」



※CDとアナログ盤には歌詞が掲載されている。

Polygon Window - ele-king

 こいつはめでたい。1993年頭、エイフェックス・ツインがポリゴン・ウィンドウ名義で放った『Surfing On Sine Wave』、AIシリーズ初のアーティスト・アルバムであり、のちの『SAW2』への導線となった “Quino - Phec” を含むこの名作が、12月4日にリイシューされる。
 リチャード・D・ジェイムス本人が監修しているそうで、かつて一度2000年にリイシューされたとき(日本盤は未発売)にボーナストラックとして追加された “Portreath Harbour” と “Redruth School” の2曲はもちろんのこと、シングル盤「Quoth」に収められていた “Iketa”、“Quoth (Wooden Thump Mix)”、“Bike Pump Meets Bucket” の3曲も加えた計14曲、ポリゴン・ウィンドウ名義のトラックを網羅した「完全版」となっている。今回初めて聴くという方も、もう何度も聴いてきたというヴェテラン・リスナーも要チェックです。

POLYGON WINDOW
エイフェックス・ツインが初めて〈WARP〉からリリースした名盤中の名盤
ポリゴン・ウィンドウ名義でリリースされた全楽曲を収録!
その後のエレクトロニック・ミュージックの方向性を大きく変えた伝説のアルバム『Surfing On Sine Wave』が完全版としてリイシュー決定!
オウテカとワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの新作リリースも控え〈WARP RECORDS〉キャンペーンの開催も決定!

エイフェックス・ツインことリチャード・D・ジェイムス。若くして「テクノモーツァルト」の称号を得たエレクトロニック・ミュージック界の最高峰であり、誰もが認める〈WARP RECORDS〉の看板アーティストである彼が、初めて〈WARP〉からリリースしたアルバムは、エイフェックス・ツインではなく、ポリゴン・ウィンドウ名義で発表された『Surfing On Sine Waves』だった。当時22歳だったリチャード・D・ジェイムスによって世に送り出され、その後のエレクトロニック・ミュージックの方向性を大きく変えた伝説のアルバムが、オリジナル盤の9曲はもちろん、リチャードがポリゴン・ウィンドウ名義でリリースした全14曲を収録した完全版としてリイシュー決定!

商品詳細はコチラ
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11467

〈WARP〉が1992年にリリースした革新的コンピレーション『Artificial Intelligence』の1曲目に収録されたリチャード・D・ジェイムスによる楽曲こそ “Polygon Window” だった(ただし同作における名義は The Dice Man)。その年の冬にエイフェックス・ツインの『Selected Ambient Works 85-92』がレコード店に並ぶ。それに続くように、年明けの1993年1月に本作『Surfing On Sine Waves』がポリゴン・ウィンドウ名義でリリースされている。アートワークにも、〈WARP〉が本作を『Artificial Intelligence』シリーズの第二弾として位置付けていることが明記されており、〈WARP〉がポスト・レイヴの新たなムーヴメントとして掲げた「エレクトロニック・リスニング・ミュージック」というコンセプトを最初に体現したアーティスト作品の一つであり、その魅力のすべてが詰まっていると言っても過言ではない名盤中の名盤。

『Artificial Intelligence』と同じく、本作においてもオープナーを務める “Polygon Window” には、まさに「エレクトロニック・リスニング・ミュージック」の醍醐味と特徴が集約されている。「学生時代に工事現場でバイトしたときの騒音がインスピレーションだ」とリチャードが語るのは、シングルカットされた “Quoth”。そして『Selected Ambient Works 85-92』の発展型、もしくは『Selected Ambient Works Volume II』への布石とも言える名曲 “Quino – Phec”など、若き日のリチャード・D・ジェイムスがその才能を見せつけたタイムレスな名曲たち。そして本作には、リチャード本人監修のもと、シングル盤「Quoth」からアルバムには未収録だった2曲(“Bike Pump Meets Bucket” と “Iketa”)と “Quoth (Wooden Thump Mix)”、2001年にホワイトレーベル盤でリリースされた当時未発表だった2曲 “Portreath Harbour” と “Redruth Schoo” がすべて収録されている。

リチャード・D・ジェイムスが初めて〈WARP〉からリリースした名盤『Surfing On Sine Waves』は、ボーナストラックと解説書付きで12月4日リリース! 盟友デザイナーズ・リパブリックがアートワークを手掛けた本作が紙ジャケット仕様でCDリリースされるのは、今回が初めてとなる。

なお、今回の『Surfing On Sine Waves [完全版]』発売決定のニュースに合わせて、オウテカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーという超強力アーティストの新作が続く〈WARP RECORDS〉のキャンペーンの開催も決定! 対象商品3枚以上購入して応募すると、オリジナル卓上カレンダーが必ずもらえる!

対象商品には、ポリゴン・ウィンドウ『Surfing On Sine Waves [完全版]』の他、エイフェックス・ツインと同じく、『Artificial Intelligence』に楽曲が収録され、記念すべきデビュー・アルバム『Incunabula』自体も『Artificial Intelligence』シリーズの一環として位置付けられているオウテカの最新作『SIGN』(10月16日発売)、今やメインストリームにもその名を轟かせるプロデューサーでありながら、イーノ、エイフェックス・ツインらとも感覚を共有し、〈WARP RECORDS〉のアート性や実験性を継承しているワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの最新作『Magic Oneohtrix Point Never』(10月30日)の3作を中心に、現在好評発売中のスクエアプッシャー『Be Up A Hello』と『Lamental EP』、イヴ・トゥモア『Heaven To A Tortured Mind』、ロレンツォ・センニ『Scacco Matto』、ダークスター『Civic Jams』の国内盤が加わる。また各新作タイトルの国内盤CDの初回生産分には、それぞれデザインの異なる〈WARP〉ステッカーが封入される。

WARP RECORDS CAMPAIGN 2020

開催期間:2020年10月16日(金曜)~2021年2月末日

特典ステッカー

ステッカー対象商品
10月16日発売:Autechre - SIGN *国内盤
10月30日発売:Oneohtrix Point Never - Magic Oneohtrix Point Never *国内盤
12月4日発売:Polygon Window - Surfing On Sine Waves [完全版] *国内盤
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特典卓上カレンダー

卓上カレンダー対象商品
発売中:Squarepusher - Be Up A Hello *国内盤
発売中:Squarepusher - Lamental EP *国内盤
発売中:Yves Tumor - Heaven To A Tortured Mind *国内盤
発売中:Lorenzo Senni - Scacco Matto *国内盤
発売中:Darkstar - Civic Jams *国内盤
10月16日発売:Autechre - SIGN *全形態(デジタルは対象外)
10月30日発売:Oneohtrix Point Never - Magic Oneohtrix Point Never *全形態(デジタルは対象外)
12月4日発売:Polygon Window - Surfing On Sine Waves [完全版] *国内盤
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応募〆切
2021年2月消印有効

キャンペーン応募券

応募方法
対象商品に貼付された応募券を集めて、必要事項をご記入の上、官製ハガキにて応募〆切日までにご応募ください。

キャンペーン詳細はこちら↓
https://www.beatink.com/user_data/warp2020.php

Oneohtrix Point Never - ele-king

 波紋を呼んだ前作『Age Of』から早2年。多作かつコラボ大王のダニエル・ロパティンはこの間もサントラの制作やザ・ウィークエンド、モーゼズ・サムニーの作品への参加など、絶え間なく音楽活動にいそしんできたわけだけど、ついに本体=ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとしてのニュー・アルバムを10月30日にリリースする。
 なんでも、今回はこれまでのOPNを集大成したような内容になっているとのことで、期待も高まります。現在、アルバムから3トラックを収録した先行シングル「Drive Time Suite」が配信中、試聴はこちらから。

[10月14日追記]
 くだんの先行公開曲3トラックのうち、“Long Road Home” のMVが本日公開されている。監督はチャーリー・フォックスとエミリー・シューベルトで、エロティックかつなんとも不思議なアニメ映像に。OPN の原点の回想であると同時に最新型でもあるという新作への期待も高まります。

ONEOHTRIX POINT NEVER
集大成となる最新アルバム『MAGIC ONEOHTRIX POINT NEVER』から
先行シングル “LONG ROAD HOME” のミュージックビデオが公開!
過去作品のオマージュにも要注目!
アルバム発売は10月30日! Tシャツ付セットの数量限定発売も決定!

ライヒ、イーノ、エイフェックス・ツインからバトンを受け継ぐ存在としてシーンに登場し、今や現代を代表する音楽プロデューサーの一人となったワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、そのキャリアの集大成として完成させた最新作『Magic Oneohtrix Point Never』から、先行シングル “Long Road Home” のミュージックビデオを公開した。

Oneohtrix Point Never - Long Road Home (MV)
https://www.youtube.com/watch?v=w5azY0dH67U

アルバム発表と同時に、シングル・パッケージ「Drive Time Suite」として3曲を一挙に解禁した OPN ことダニエル・ロパティン。自身の作品だけでなく、映画音楽や、ザ・ウィークエンドの大ヒット作『After Hours』のプロデュースを経て、ポップと革新性を極めたサウンドに早くも賞賛の声が集まったが、今回ミュージックビデオが公開された “Long Road Home” は、その3曲の解禁曲の一つとなっており、メイン・ヴォーカルをロパティン本人が務め、元チェアリフトのキャロライン・ポラチェックが参加している。チャーリー・フォックスとエミリー・シューベルトの二人が監督した本ビデオは、異世界の不気味な二つの生物が、ロマンティックに絡み合う様子が描かれたストップモーション・アニメーションとなっており、人間の感情とエロティックなダークユーモアの間で展開する求愛の乱舞が、ファンタジーと現実の境を破壊していくストーリーとなっている。『R Plus Seven』のアートワークにも登場する、ジョルジュ・シュヴィツゲベルが1982年に発表した短編作品「フランケンシュタインの恍惚」へのオマージュとなっている点も楽しめる映像となっている。

これは愛と変質についてのロマンチックな寓話で、夏の間にダン(OPN)と交わした荒唐無稽で哲学的な会話から生まれたものです。グロテスクな、あるいは悪魔のような生き物を、求愛の儀式を通して、奇妙で愛らしく、また切なさを纏ったキャラクターに見せたいと思いました。親密さが切望され、同時に恐れられているこの時期に、突然変異体のような奇妙な歌声が響くこの曲に、完璧にマッチした映像だと感じました。心の底から素晴らしいと思ったし、それが滲み出てると思います。 ──co-directors Charlie Fox and Emily Schubert

これまでの OPN の音楽的要素を自在に行き来しながら、架空のラジオ局というコンセプトのもとそれらすべてが奇妙なほど見事に統合された本作『Magic Oneohtrix Point Never』は、OPN の原点の振り返りであり、集大成であり、同時に最新型である。

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー最新アルバム『Magic Oneohtrix Point Never』は、10月30日(金)世界同時リリース。国内盤CDにはボーナストラック “Ambien1” が追加収録され、解説書が封入される。また数量限定でTシャツ付セットの発売も決定。アナログ盤は、通常のブラック・ヴァイナルに加え、限定フォーマットとしてクリア・イエロー・ヴァイナルと、BIG LOVE 限定のクリア・ヴァイナルも発売される。Beatink.com 限定のクリア・オレンジ・ヴァイナルとカセットテープはすでに完売となっている。

また、本日10/14より〈WARP〉からリリースされたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの過去作品を対象としたポイント還元キャンペーンが BEATINK.COM でスタート! 会員登録をして対象タイトルを購入すると、次回の買い物時に使用することができるポイントが10%付いてくる。併せて、iTunes でも対象タイトルが全て¥1,222で購入できる期間限定プライスオフ・キャンペーンが本日よりスタート!

interview with A Certain Ratio/Jez Kerr - ele-king

 救世軍のバザーや古着屋で仕入れたレトロなスーツやシャツをこざっぱりと着こなした彼らは、パンクに似つかわしいとは言えない銀行の支店長のような髪型で決めて、インダストリアルなファンクを演奏する。あるいは、こ洒落たサファリルックに身を包みながらノイズまじりのラテン・ジャズを奏でる。さもなければ、ファンカデリックがドナルド・バードといっしょにTGをカヴァーしたかのような面白さ。“ポストパンク”時代のUKには、パンクの灰から生まれた因習打破のインディ・バンドが多々登場しているが、ア・サートゥン・レシオ,通称ACRもそのなかの重要なひとつ。取材に応えてくれたジェズ・カーはACRサウンドの核となるベース担当であり、そしてポストパンクからダンスの時代とそれ以降を渡り歩いたシーンの生き証人のひとりでもある。
 映画『24アワー・パーティ・ピープル』で描かれているように、ACRはジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーとともに初期〈ファクトリー〉の看板バンドだった。ことACRに関しては、トニー・ウィルソンがマネージャーを引き受けるほどレーベルお気に入りのバンドだった……が、しかしその活動は順風満帆というわけではなかった。多くのヒット曲に恵まれコマーシャルな成功をおさめたNOとくらべると、ACRは長いあいだ玄人好みのバンドであり、ある種ニッチなポジションに甘んじていたと言える。2000年代初頭のポストパンク・リヴァイヴァルにおいて、ACRが再評価の中心となるまでは。


Kevin Cummins ドイツ表現主義風の初期の写真。中央に立っているのがジェズ。

 ACRがポストパンク・リヴァイヴァルの目玉となったのは、ESGやリキッド・リキッドの再評価、あるいはDFAなどディスコ・パンク勢の隆盛ともリンクしたからだが、同時に、初期ACRのモノクロームなファンク(それは“ファンク・ノアール”などと呼ばれる)がアンダーグラウンドにおけるインダストリアルへの展開とも通じていたからだ。ACRはどこから聴けばいいのかと問われたら、まずは“Lucinda”を薦めることにしている。それは同時代のブリストルのファンクとはまた違った感触を持ったマンチェスターのファンクで、初めて聴くリスナーはその冷めたファンクが21世紀のいまもまったく古くなっていないことに驚くに違いない。
 80年代よりも現在のほうがACRの存在感は増しているといったら言い過ぎだが、昨年は結成40周年を記念してリリースされた愛情のこもったボックスセット(ミュートの素晴らしい仕事のひとつ)が欧米では話題となった。トーキング・ヘッズのカヴァー曲やグレイス・ジョーンズとの共作予定だった曲などトピックもいくつかあったが、多くのメディアが書いたのは長きにわたって過小評価されてきた先駆者へのリスペクトであり、悪化する社会経済を背景に生まれた40年前のポストパンクと現在の状況との相似点である。

 12年ぶり10枚目のアルバムとなる『ACR ロコ』(ACR狂)にはあらゆる世代から特別な期待が寄せられているようだ。そしてあたかもそれに応えるように、新作にはACRの魅力がわかりやすく表現されている。シンセポップからラテンないしはジャズやハウスなどさまざまな要素がポストパンク解釈によって加工される、ACRファンクの現在形が聴けるというわけだが、目立って新しいことをしているわけではない。しかしアルバムとしての完成度はじつに高く、それぞれの曲自体にそれぞれのアイデア=魅力がある。と同時にすべての曲には滑らかなグルーヴがあり、自信をもって初期の精神を忘れない演奏は感動的ですらある。
 インタヴューでジェズ・カーは、じつに多くのことを喋っている。2万5千字以上という長めの記事になってしまったが、いままで日本ではそうそう紹介されてこなかったバンドなので、ここはひとつほとんどエディット無しで載せることにした。のんびりと読んでください。こと〈ファクトリー〉にまつわる話はひじょうに面白いし、ところどころ笑える。通訳兼質問者の坂本麻里子によればジャズ本人も本当によく笑う人だったとのこと。

トニー・ウィルソンは僕たちにぞっこんで。だから僕たちは「彼のバンド」だった、と。言うまでもなく、彼はマネージャー業には向いていなかったわけだけど。っていうかビジネスマンですらなかった。

まずは取材を受けていただいてありがとうございます。

Jez(以下、J):どういたしまして。

新宿でのライヴも見にいきました。

J:うん、MARZのショウね。

ええ。なので、3曲目の“Yo Yo Gi”を聴いたときは、ちょっと嬉しかったです。

J:ああ、うんうん(笑)。僕たちは表をうろうろしていて。歩いているうちに代々木(ジェズは「ヨーヨージ」と発音)まで行き着いてしまって、それで地下鉄に乗って戻ったんだ。で、僕はあの車内放送を録音したんだけど……っていうか僕たちふたり(おそらくマーティン・モスクロップのこと)ともあれを録音したっけな。だから、(笑)僕が「大丈夫、二駅だけだから」って言ってるのが聞こえるはずだよ。アッハッハッハッ!

しかしあれは新宿駅の構内放送なのになぜ“Yo Yo Gi”になったんでしょう?

J:うん、たしかにそうだ。ごめんごめん。でも、あの名前、「Yo-Yo-Gi」っていうのがとにかく気に入っただけなんだ。

「Shin-juku」よりもファンキーな曲名かもしれません(笑)。

J:(笑)そうそう。っていうか、ああして地下鉄に乗っていたときに代々木の駅名の標識を見て、「こりゃグレイトなタイトルだな」と思ったんだ。でまあ、あるトラックに取り組んでいて、ふと「あの音源を使ったらどうだろう」と思いついて。うん、そんな風にして出来上がった曲だよ。

でもおもしろいですよね。なぜその音楽はラテンとハウスになったのでしょうか? 日本とは全然関係のない味わいなわけですが。

J:うん(笑)。だけど、その組み合わせがうまくいったと僕は思うけどね。それに、あの曲はミュージック・ヴィデオもかなり興味深いんだ。あれを作ったのは僕たちのファンで、2、3年前にこちらにコンタクトをとってきた。彼は自作のヴィデオ映像をいくつか送ってくれて、僕たちと何かやりたいととても熱心でね。で、このアルバムを発表する段になり、よし、試しにやってみよう、どんな映像のアイディアが浮かぶかやってみてよ、とお願いすることにしたんだ。彼はあのミュージック・ヴィデオを作ってくれて、僕たちもほんとに気に入ったし、そういう運びであのヴィデオができたっていう。だから、あれはファン制作のヴィデオなんだ(笑)!

そうだったんですね。さて、今回は12年ぶり、昨年の40周年記念を経ての10枚目のスタジオ録音アルバムです。

J:かなり長く間が空いたよね、うん。ただ、僕たちはその間もずっと活動していたんだけどね。レコードこそ発表していなかったものの、いま言われた過去12年の間もギグは続けていた。どこかから声がかかるたびにギグは続けていたんだよ。で、少し前から〈ミュート〉が再発をはじめて……

ボックスセットもありましたよね。

J:そう、それも含むバック・カタログのリイシューがあって、それを機にライヴをやる機会がさらに増えて。でまあ、うん、僕たちにはずっと「もう1枚アルバムをやれる」という思い、自分たちのなかにまだ音楽が残っているという気持ちがあったし、後はもうそのレコードを出すための方法/便宜を調達できるか否かにかかっていた。で、〈ミュート〉と再発の契約を結んだ際に、よし、アルバムに向けて作品をまとめる作業をはじめようと僕たちは考えたわけ。基本的に、このアルバムは過去1年くらいの間に自分たちで形にしていった。週末ごとに集まってレコーディングをはじめて、とにかくジャムを音源にしていって。そこから半年後にそれらの音源に改めて取り組むことにし、そこで作品を完成させたわけ。
 だから──そう、僕たちは作品を自主プロデュースしたし、その上で〈ミュート〉側にこの作品をライセンスする意向はあるかと尋ねたところ、彼らも僕たちの旧作の売れ行きに満足していたし、「オーケイ、新作を我々が出そう」と言ってくれて。だからある意味……自分たちはいまこそハッピーだって言うのかな、(苦笑)クハッハッハッハッ! いやだから、これまで以上にいまの自分たちは楽しめているんだ、ほんと。もちろん、初期の頃だって楽しかったよ、若くて何も考えずに済んだから。でも思うに、中期あたりかな、あの頃から、音楽活動だけではなく人生そのものも全体的に少々難儀になっていったんだよね(苦笑)。

『ACR ロコ』は、ACRの集大成のように、40年の活動が集約されているように思いました。あなたはどんな気持ちでこのアルバム制作に臨みましたか?

J:まあ、いつもと同じだったね。要するに、どこに向かっているか五里霧中でとにかくやっていく、っていう。

(笑)。

J:さっきも言ったように、僕たちはいまから1年以上前にこのアルバムのレコーディングに着手した、というか、とにかくスタジオに集まって──メンバーはみんな他に仕事をしていたり等々の事情があるから、全員集合できるのは週末だけでね。でまあ、集まって3つか4つのトラックをモノにして、大体はベース、ギターとドラムに、なかにはヴォーカルの混じるものもあって。で、少し音源を休ませた上で、またスタジオに入ってもうちょっとあれこれつけ足していくうちに6、7曲ぶんくらい、骨格になるアイディアが生まれた。そこからツアーをたくさんやって、その後でまたスタジオに戻り、去年のクリスマスの少し前に音源の仕上げに取りかかりはじめた。あのときからだったね、ほんと、作品がちゃんと形になっていったのは。
 ただ、さっきも言ったようにちゃんとした「プラン」はなかったんだ(苦笑)。とにかく何か録音していき、それをやっているうちにみんなが「おっ、これはグレイトだ。こういう方向に持っていったらどうかな? やってみようぜ」云々と言い出すし、レコーディング作業/音源自体が変化を促していくっていうか。でも、うん、いまの君の意見には同意するけどね。たしかに今作は、僕たちのやってきた数多くの異なるサウンドをレプリゼントしているし……そうだな、このアルバムを最初から最後まで通して聴くと、ACRの通ってきた旅路を追体験できるとでもいうのかな、そこには僕も満足している。

ですよね。

J:……と言いつつ、そうするつもりはまったくなかったんだけどね(笑)!

(笑)偶然そうなった、と。

J:ああ。でも実際、僕たちのキャリアは何もかもそんな調子だったんだって! そのほとんどは偶然起きたものだったし、「前もって計画を立ててやる」ところはまったくなかった。それはさっきも話したことだし……たとえば、僕の大好きなACR作品の1枚である『Sextet』(1982)にしても、制作時間はとても限られていて。スタジオに入った時点では、まだスケッチ段階の3曲くらいしか手元になかった。だから、それ以外の要素はすべてスタジオ内で生み出されていったっていう。

そうだったんですか。

J:うん。今回のアルバムでも“Taxi Guy”や“Friends Around Us”なんかがそれと同様で、胚芽程度のアイディアはあったとはいえ実際に曲が出て来たのはスタジオのなかでだった。僕にとってはそれがベストなやり方なんだよ、というのも非常にフレッシュだし、それに曲を書いたその場でレコーディングするのはとてもいいことだとも思っている。リハーサルをさんざんやって繰り返し演奏すると、その曲にあった当初の火花やヴァイブみたいなものが二度と取り戻せなくなるんじゃないかな。以前の自分の考え方はその逆だったんだけどね、リハをえんえん重ねて完璧にモノにしてからレコーディングするものだ、ずっとそう思ってきた。だけどそうじゃない。ベストなやり方、レコーディングに対する見方というのは、はじめのうちに録ってしまう、それなんだ。

経験を積んであなたがたもある意味賢くなった、ということかもしれません。「流れに任せてやればいいんだ」と。

J:(笑)。まあ、僕たちが学んだ主なことと言えば、物事をコントロールしようとすればするほど、その新鮮さと生命力は薄まってしまうものだ、だろうな。思うに僕たちはとにかく、以前よりもっと楽しめているんだよ。その面は音楽そのものに反映される。実際にやっていて楽しいと、その楽しさが自分たちのやっていることにも反映するもので。まだ若かった頃、バンドをはじめた初期の頃だってもちろん楽しかったよ、何もかもとても目新しい経験でエキサイティングだったから。でも、僕たちは気づいたんだと思う──その要素(=やっていて楽しいかどうか)こそ、自分たちのやることに必須な部分だってことに。
 だって、もしもやっていて自分たち自身が楽しくなかったら、それは観ている側にだって伝わるものじゃない? だからなんというか、僕たちは物事を本当にシンプルに留め、とてもスピーディに進めることにした。そんな風にナチュラルであるべきだし、小難しくなる必要はない、と。

たしかに今作は、僕たちのやってきた数多くの異なるサウンドをレプリゼントしているし……そうだな、このアルバムを最初から最後まで通して聴くと、ACRの通ってきた旅路を追体験できるとでもいうのかな、そこには僕も満足している。

新作については後でまたお訊きするとして、ACRの日本のメディアでのインタヴューはかなりレアなのでこれまでの歴史についても少し訊きたいと思っています。かまいませんか?

J:ああ、もちろんいいよ!

というのは、ひょっとしたら日本の多くのファンは映画『24アワー・パーティ・ピープル』で描かれていたACRが100%真実だと思ってしまっている可能性があります。

J:ハッハッハッハッハッ!

あの映画は大好きですが、あれはそもそもカリカチュアと事実とが半々くらいの内容であって──

J:(笑)イアン・カーティスが僕たちのことを「ファッキン・クソだ」って言う場面とか?

(笑)。あれは実際に起きたんじゃ?

J:そうだったのかもね? ただまあ、あの場面は、要は彼は自分たちの方が僕たちより上だと思っていた、ということでさ(笑)。

ええ。でも誤解を招いている気もする映画です。あなたご自身もカメオ出演なさっていましたが、せっかくのこの機会に訂正したいところなど、あります?

J:まあ、「半分くらいまでは本当」という箇所は多い映画だよね、うん。ただ、僕もあの映画はほんと大好きなんだ。あの映画がやってのけたのは〈ファクトリー〉というレーベルの気風を捉えてみせたってことで、それはなんだったかと言えば、「誰ひとり自分たちが何をしているかわかっちゃいなかった」で。

(笑)。

J:誰もがとにかくちょっと楽しい思いをするためにやっていたし、そのスピリットをあの映画は本当によく捉えている。さまざまなちょっとした逸話等々が含まれているし、その多くは事実だよ。ただ、なんというか、(笑)それらをあの映画はもっとユーモラスに見せていた、と。でもほんと、かつての僕たちはあんな感じだったからね、とにかく面白がって楽しんでいただけ(笑)。さんざん笑い合っていたし、そこまで真剣じゃなかった、みたいな。

なるほど。でもACRに関してでいいので、あの映画の真実ではないところを語ってもらえますか?

J:いや、とくに「これは真実じゃない」と言うつもりはないよ。でもまあ、そうだなあ、いくつか……ほら、トニーが……(苦笑)僕たちの脚に日焼けローションを塗りたくる場面があるよね?(訳注:ACRのトレードマークでもあったサファリ・ルックのショーツ姿のメンバーの白い脚を健康的に見せるためにトニー・ウィルソンが楽屋で小麦色のローションを塗る場面)

(笑)あれは笑えます。

J:でも、あれはトニーじゃなかった。女の子の一群が、トイレでローションを塗ってくれたんだ(笑)。だから、それくらいの軽い違いで……。

起きたことの本質そのものは変わっていない、と。

J:そういうこと。

あの映画のなかでトニー・ウィルソンは盛んに「ジョイ・ディヴィジョンはロブ・グレットンのバンドだが、ACRは自分のバンドだ」と主張しますけど、あれは?

J:ああ、あれは本当だよ。最初の何年か、トニーが僕たちのマネジメントをやってくれたから。彼は僕たちのマネージャーだったし、僕たちをニューヨークまで連れて行ってくれたのは彼だったからね。彼の母親が亡くなり遺産が手に入って、そのお金でアメリカに飛ばしてくれた。だからなんだ、ニューヨークでアルバム(『To Each…』/1981)をレコーディングできたのは。

初のアメリカだったでしょうし、さぞや素晴らしい体験だったでしょうね。

J:その通り。あれはすべて彼のおかげだったし、トニーは僕たちにぞっこんで。だから僕たちは「彼のバンド」だった、と。言うまでもなく、彼はマネージャー業には向いていなかったわけだけど。

(苦笑)ビジネスの感覚には欠けていたみたいですね。

J:っていうかビジネスマンですらなかった。だから彼はとにかく、ひらめきのアイディア人だったってこと。で……僕が〈ファクトリー〉で好きなのもそこだったんだよな、あのレーベルに関わっていた連中はみんなほんと、「レーベル・ビジネスを立ち上げて儲けよう」っていう観点からはじまっていなかったから。僕たちとおんなじで、〈ファクトリー〉の連中はミュージシャンみたいだった。クリエイティヴな面々で、面白可笑しいことをやろうとしていた。ほんと、初期〈ファクトリー〉はちょっとしたファミリーだったんだよね。所属バンドも若かったし、年代的に言っても、お互いライヴァル意識を抱いてはいた。
 ただ、と同時に同胞だという感覚もかなりあって。というのも、「〈ファクトリー〉のバンド」として一緒にライヴをたくさんやったから。ジョイ・ディヴィジョン、ACR、ドゥルッティ・コラム、セクション25、OMDの顔ぶれで「ファクトリー・ナイト」としてパッケージ・ツアーもやった。だからそれが、僕たちにちょっとした……そうだな、所属意識をもたらしてくれたんじゃないかな? 
 っていうか、〈ファクトリー〉のそもそものはじまりが零細家内工業みたいなものだったわけで。たとえば(〈ファクトリー〉の第一リリースである)『A Factory Sample』(1978)にしても、バンドの連中も実際にあれを何千枚か手作りするのを手伝ったんだし。そのぶんワクワクさせられたし、そこは楽しい要素だった。だからほんと、レーベル初期はエキサイティングだったね。で、それからちょっとした成功が訪れることになって──イアンが亡くなったときに、かなり変化が起きたと思う。あのあたりから、お遊びではなく、もっとシリアスになっていったっていうかな(軽く嘆息)。彼の死は、とても多くに影響したと思う。

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あの映画がやってのけたのは〈ファクトリー〉というレーベルの気風を捉えてみせたってことで、それはなんだったかと言えば、「誰ひとり自分たちが何をしているかわかっちゃいなかった」で。

まず、ACRのごくごく初期の話から聞きたく思います。あなたたちが結成されたのはマンチェスターのFlixtonとされていますが──

J:(苦笑)僕たちがバンドをはじめたのはフリクストンではなかったよ!

そうなんですね。ちなみにそのフリクストンは大まかに言えばどんな土地柄のところなのでしょう? 大マンチェスター圏の南西部のエリアですよね。

J:うん、ストレットフォード区(トラッフォード)の街だ。ただ、バンドの結成はフリクストンでじゃなかったんだ。シンガーだったサイモン・トッピングはフリクストン出身だったし、ピーター、ピート・テレル(G/エレクトロニクス)はその近くのアームストン(Urmston)出身で、その意味ではACRの起源はあのエリアだった、と言えるけれども……人びとはよく、ACRを(苦笑)ウィゼンショウ出身と言うこともあってね。というのも、僕たちのドラマーのドナルド(・ジョンソン)はウィゼンショウ出身だから。というわけで、うん、そうやっていろんな情報が混ざってしまっているけど──きっとどこかの時点で、僕たちの歴史について本を一冊書く人が誰か出て来るんじゃない? ハッハッハッ!

なるほど。ややこしいみたいですね。

J:でも、グレイトな話はたくさんあるんだよ(笑)!

あなた自身はどんな少年時代を過ごされたのでしょうか? 

J:僕の子供時代?

はい。たとえば、JD/ニュー・オーダー絡みの記事や本で、サルフォード出身のバーニーは「自分の子供時代のサルフォードは陰鬱で寒々しくて」みたいなことをよく言っていますが。

J:(苦笑)ああ、うんうん。

あなたはどうだったんでしょう。少年時代のあなたはフットボール(サッカー)に夢中だった、と話している海外記事を読んだ記憶がありますが。

J:そうだね、僕はフットボール小僧だった。

その頃は音楽よりフットボールにもっと入れ込んでいた?

J:いや、音楽ももちろん好きだったけど、自分で音楽を演奏するというほどまでにはまだのめり込んでいなかった。僕の伯父はフットボール選手だったんだ。だから伯父の志しを継いで、11歳から17歳までマンチェスター・ユナイテッドで、MUSC(Manchester United Supporter’s Club)の学童訓練チームでプレイしていてね。だから子供時代はフットボール一直線だった。ところが17歳のときにくるぶしに大怪我をしてしまって。

フットボール人生がそこで終わりを迎えたんですね。

J:そういうことになる。でも、いまの自分からすればかなり「ああなってくれてよかった」、みたいな(笑)。それでも当時の自分にとっては大ショックだったし、そこから1年後にACRに参加した。ACRは僕にとって最初のバンドだったんだ。

時期的に考えてみて、それ以前に地元のアマのパンク・バンドで軽くプレイしたことはあったんじゃ?

J:ノー、それはない。ACR以外のバンドでプレイしたことはなかったよ。ただ、僕は当時……君は知ってるかなぁ、ジルテッド・ジョンってバンド(訳注:ノヴェルティ/パンク・パロディ・アクト。1978年にシングル「Jilted John」をヒットさせた)がいたんだけど?

(笑)はいはい、憶えてます。

J:あの「Gordon The Moron」と、僕はハウスシェアしていたんだ(訳注:「ゴードンの低能野郎」は“Jilted John”に登場するキャラで、ガールフレンドに振られた主人公ジョンの恋敵。ここではバンドの『トップ・オブ・ザ・ポップス』出演時にステージでゴードン役を演じた人物を意味すると思われる)。あそこらへんの連中とはマンチェスター・ユース・シアター経由で知り合いでね、ジルテッド・ジョンのシンガーだったグレアム・フェロウズのことも知っていた。実は、グレアムは僕たちがシェアしていたあの家の居間のソファであの曲を書いたんだ(笑)。

(笑)そうだったんですか!

J:(笑)僕たちはラシュロームでハウスシェアしていて、家の住人の共通項はみんなマンチェスター・ユース・シアターに参加していたってことで。それに〈レイビッド・レコーズ〉の連中も僕は知っていた(訳注:〈Rabid〉はマンチェスターのインディ・レーベルでマーティン・ハネットのプロデュースしたジルテッド・ジョンのシングルをリリース)。僕はまだとても若かったし、あの面々のなかでは最年少のひとりだったな。ほんの17歳で、あの手の連中とつるんで遊んでいた。もっとも、当時の僕はミュージシャンじゃなかったけどね。音楽を演奏してはいなかったし、とにかく……自分をやや見失っていたんだと思う、フットボールの夢が消えてしまったところで。
 そうするうちに、ACRがピップスって名前のディスコで演奏するのを観てね。ピートとサイモンのふたりだけで、演奏後に彼らとお喋りした。そしたら何ヶ月か経って通りでサイモンにばったり出くわして、「バンドの方はどんな調子だい?」と尋ねたら、彼は「ベース・プレイヤーを探してるんだけど」と返してきて。僕はたまたまベースを持っていてね、ただし、演奏はできなかったんだけど。そんなわけで、その2日後にはバンド・オン・ザ・ウォールって会場で彼らとギグをやっていたっていう。

(笑)たった2日後に?

J:うん、リハを1回やって、2日後には本番。それで決まり。だからそれくらい、僕たちの能力には限界があったってことだよ。だけど、実はそれが僕たちの魅力でもあったんだと思う。演奏の腕前はほんとどうしようもなかったものの、僕たち3人が合わさることで何かしら興味深いサウンドを生み出していたし、そこからほんの2、3週間後にマーティン(・モスクロップ)が加入したしね。彼はそれ以前に他のバンドでプレイしていたんだけど、彼のバンドが出演した同じ晩にバンド・オン・ザ・ウォールでACRのライヴを観て。で、僕たちもマーティンのバンドを観たんだけど、そのときの彼のファッションが僕たちとまったく同じ、モッズ・スーツ姿でさ(苦笑)。バンドの方はグラム・ロックっぽい見た目で、彼はなんだか浮いてた。
 というわけで彼は僕たちのバンドに参加することになり、4ピースとして6、7ヶ月間プレイして、そのあたりだったね、〈ファクトリー〉とのシングルをやったのは。ドラマーがいない状態で作った、1枚目のシングルだ。で、ドナルド(・ジョンソン)が入ってくれて、そこからだったんじゃないかな、バンドが本格的に伸び始めたのは? というのも、僕たちはインダストリアルっぽいサウンドをやっていたわけだけど、そこにファンキーなドラム・サウンドが加わったことで──途端にふたつがハマった、うまくいった。あそこからはじまっていったね、ほんと。

僕はフットボール小僧だった。僕の伯父はフットボール選手だったんだ。だから伯父の志しを継いで、11歳から17歳までマンチェスター・ユナイテッドの学童訓練チームでプレイしていてね。だから子供時代はフットボール一直線だった。ところが17歳のときにくるぶしに大怪我をしてしまって。

あなたが加入する以前のACRはサイモンとピートのデュオだった、と。

J:うん。

当時の彼らはどんなバンドでしたか? インダストリアルなパンクというか、ノイズと騒音だけ、とか?

J:(苦笑)いやいや、とても興味深いものだったよ。サイモンがベース、ピートがギター担当で、それにサイモンは友人が作ってくれた「ノイズ・ジェネレーター」なる呼び名の小さな箱も使っていて。要はオシレーター(発振機)で、つまみをひねると(耳ざわりな電子音を真似て)イ・イ・イイィィ〜〜イィ〜ン……みたいなノイズが出て(笑)。たしか3曲、“The Thin Boys”とかを演奏したんじゃなかったかな? 僕が参加したリハーサルでも“All Night Party”に“The Thin Boys”、“Genotype/Phenotype”をやったし、それにレコーディングせずに終わった“Intro Talking”っていうトラックもあって。だけどあのトラックは、後にアルバム『Mind Made Up』(2008)収録の“Teri”になっていった。というのも、僕はまだあの1回目のリハーサルの模様を録ったテープを持っていて……実家、母親の家にしまってある(笑)。だからいま言った4曲が残っているし、あのテープはいつかディジタイズしなくちゃね。人びとがあれを聴くのに興味を持つ日がいずれ来るかもしれないし。

あなたにとっての大きな音楽的な影響はなんでしょう? バンドでプレイしはじめた頃に大きかったのは?

J:まあ、ピートとサイモンは……ピートがとくにそうだったけど、彼はブライアン・イーノにハマっていてね、とりわけ『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974)と『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』(1977)の2枚に(編註:バンド名は『テイキング・タイガー・マウンテン』収録の“The True Wheel”の歌詞の一節から取っている)。『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』に“No One Receiving”という曲があるけど、あれを聴くと“Do The Du”(編註:初期の代表曲。がちょっと聞こえると思う。ハッハッハッハッハッ! “Do The Du”の歌詞を書いたのはピートだったし、あれは……たしか、ドナルドが加入する前にできていた曲だったはずだ。でも、彼が後からドラム・パートをつけ足してくれて。ドラム部が入るまで、ライヴであの曲はやらなかった。とにかくまあ、最初の頃の僕たちはブライアン・イーノにザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、クラフトワークあたりを聴いていたね。
 ただ、ラッキーだったのは──僕たちはパンク・バンドになるつもりはなかったんだ、バンドがはじまったのはたしかにパンク期だったけれども。ある意味、あの当時は誰もがパンクの後に続こうとしていたと思う。でも、77年にパンクはまだ本当の意味でマンチェスターに達していなかったし、人びとが「パンク・ミュージシャンはいわゆる“ミュージシャン”ではなく、立ち上がって自分たちで何かやっている連中だ」という事実を理解したのは78年頃のことで。おかげで非ミュージシャンな連中の多くにインスピレーションがもたらされたし、彼らに「自分も試しにやってみよう」という気を起こさせたっていう。僕たちはまさにそういうクチだった。誰ひとりちゃんと楽器を弾けなかったし、それでも何かやりたいと思っていた。最初の頃はドラマーすらいなかったし(苦笑)、とにかく3人で興味深いサウンドを出していただけ。その意味で、あの頃の僕たちはスロッビング・グリッスルみたいな連中に近かった。ドラムレスだったし、あの手のインダストリアルっぽいサウンドに引き寄せられていたし。うん、いまあげたような名前、VU等々が大きかったな。
 それでも、僕たちは他にも……だから、僕はあの頃どこのクラブに行ってもかかっていたノーザン・ソウルを聴いて大きくなったわけで。マンチェスターはダンスが本当に大きい土地柄だし、ウィークデイは働いて、週末になると金土の晩は踊りに繰り出す、と。誰もに「自分のお気に入りのダンス・ミュージック」があったし、言うまでもなくディスコ・ブームが訪れ、それに続いてパンクが到来し……だけどそのパンクにしても、レゲエおよびダブ・ミュージックとの連携は非常にディープなものだったんだ。僕たちのプレイした会場の多くも、パンク・バンドが出演し、詩人ジョン・クーパー・クラークが出て、レゲエ・バンドも出るって感じだったしね。そのグレイトなところというのは、本当に混ぜこぜだったってことで。
 だから、ギグを観に出かけると、ダブ・ミュージックにパンク、ダンス音楽を耳にすることになる。それらすべてがミックスされていて、すごくよかった。だからあれは、いわゆる「アフター・パンク」の結果だったし、当時はニュー・ウェイヴと呼ばれていた。本当に色んなものが許容されていたし、それくらい人びともオープンで心が広くて。とにかく自分たちにプレイできる場があること、それをみんながエンジョイしていた。大会場ではなく、スモール・タウンにちらばった小さな会場がたくさんあったし、小規模なレーベルもたくさんあったんだ。

(編註:1982年のサード・アルバム『I'd Like To See You Again』を最後にバンドを脱退するオリジナル・メンバーのサイモン・トッピングは、ハシェンダでシカゴ・ハウスを──UKにおいてもっとも早く──スピンしたレジデントDJのマイク・ピカリング率いるバンド、クアンド・クアンゴに加入。これがやがてUKで最初期のハウス・プロジェクト、T-COYへと発展する)

彼はブライアン・イーノにハマっていてね、『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』に“No One Receiving”という曲があるけど、あれを聴くと“Do The Du”がちょっと聞こえると思う。とにかくまあ、最初の頃の僕たちはブライアン・イーノにザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、クラフトワークあたりを聴いていたね。

そんな小さなレーベルのひとつが〈ファクトリー〉でした。ACRは〈ファクトリー〉がリリースした最初のバンドなわけですが、トニー・ウィルソンとはどのように出会ったのでしょう?

J:あれは、ジョイ・ディヴィジョンのマネージャーだったロブ・グレットン、彼が僕たちがバンド・オン・ザ・ウォールで演奏するところを観てね。彼ら(トニー・ウィルソン、アラン・エラスムス他)は〈ファクトリー〉をはじめたばかりのところで、ロブ・グレットンがトニー・ウィルソンに「あのバンドを絶対にラッセル・クラブに出演させろ」と進言して。ヒュームにあったラッセル・クラブという会場で、〈ファクトリー〉は毎週木曜にイヴェント・ナイトを主宰していたんだ。というわけで、バンド・オン・ザ・ウォールでの僕たちのギグを観たロブが、僕たちをラッセル・クラブに出せとトニーに言ってくれて。それでトニーも僕たちを観ることになったし、ギグの後にトニーが楽屋に来て、「シングルを1枚やろう」と提案してくれた。で、その後でトニーは僕たちのマネージャーになったっていう。ハッハッハッ!

ドナルド・ジョンソン(Ds)加入後、「Shack Up」(編註:USファンク・バンドの1975年のヒット曲のカヴァー。まさにポストパンクとノーザン・ソウル文化との交差点)のあたりからすぐにファンク・サウンドを表現しますが、ファンクはその後のACRにとってトレードマークにもなります。あなたがファンク・サウンドに拘っている理由は何なんでしょうか?

J:思うにそれは、さっきもちょっと話したけど、僕たちがノーザン・ソウルを聴いて育ったからだろうね。とくにジェイムズ・ブラウン。彼の影響は巨大だったし、何せ彼はものすごくファンキーな人なわけじゃない(笑)? 要するに、彼の音楽を聴いているとじっとしていられなくなる、そこだよね。“Get On Up”や“Sex Machine”といったレコードをかければ、その人間が誰であってもみんな、ビートに合わせて足踏みせずにいられなくなる(笑)。うん、すごくシンコペーションが効いていて、ファンキーで……で、さっきも話したように、僕たちはああいうファンキーな音楽はずっと好きだったんだ。
 ただ、実際に自分たちが演奏していたのはこの、インダストリアル調の(苦笑)、ヘヴィなノイズだったわけで。4人編成になってから6、7ヶ月くらいの間、6、7曲から成るセットをずっとやっていたのは憶えている。で、ドナルドが参加したときに彼に言ったのは、「このセットに合わせてドラムをやってくれない?」だけだったし、(苦笑)それで決まり、だった。基本的に彼は既存の楽曲に合わせてドラムを叩いたわけだけど、ばっちりで。聴き返して、「おおっ、最高じゃん!」と。(ドラムが加わって)実にパワフルな響きになった。
というわけで、僕たちはしばらくの間そんな風に演奏していたわけだけど、どうだったかと言えば──だから、ドナルドが参加する以前の僕たちは、ドラマーがいなかったから4人全員がリズムを弾いていたし、そのせいで空間を音で埋め尽くしていたわけ。ところがドラマーが参加したところで、ある意味、僕たちの側は演奏するのをやめたっていうか(笑)。というのも、ドナルドがリズムを維持してくれるんだし、彼がプレイしてくれれば、僕たちが音空間をすっかり埋める必要はないじゃないか、と。とくにそれは、“Forced Laugh”みたいなトラックに当てはまる。ああいった楽曲群を聴けば、ドナルドに何もかも任せて、僕たちは実質何もやっていないのが分かるよ(苦笑)。で、あれが僕たちの音楽的な発展だったんだ。ドナルドのファンキーなドラム・プレイももちろんあったけれども、僕たちの方もこう……おかげで、それまでとは違うやり方でプレイするようになれた。ほんと、僕たちのスタイルはああやって出て来たんだ。
 でも肝心なのは、人びとは「あれこれ考えた上でああなったんだろう」と考えるだろうけど、そんなことはなくて。とにかく僕たちはリハーサル部屋に入り、演奏をはじめ、そこで浮かんだいいアイディア、そしてグルーヴとに沿ってとにかく続けていっただけだよ。

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photo : Kevin Cummins


photo : Kevin Cummins  マンチェスターに来たときACRを訪ねたグレイス・ジョーンズといっしょに。

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僕たちがノーザン・ソウルを聴いて育ったからだろうね。とくにジェイムズ・ブラウン。彼の音楽を聴いているとじっとしていられなくなる、すごくシンコペーションが効いていて、ファンキーで……で、僕たちはああいうファンキーな音楽はずっと好きだったんだ。

2000年代初頭にポストパンク・リヴァイヴァルがあって、そのなかでとくに初期のACRの音源が再評価されました。

J:(笑)ああ、人びとももっと僕たちを意識するようになったね。

おかげで若いファンもACRを発見しましたし、〈Soul Jazz〉が編集盤『Early』(2002)をリリースし、最初のカセットテープ作品『The Graveyardされしました。あのときはどんなお気持ちでしたか? 「パンク・ファンクのオリジナルのひとつ」と改めて見直されたわけですが。

J:何であれ、評価してもらえるのはとても嬉しいことだよ。まったくねえ、我ながら信じられないよ、もうそんなに昔の話だなんて……。いや、でも、認識してもらえるのは本当に嬉しいことで。そうは言いつつ、ACRはいまだに音楽をプロデュースしているわけだし。だから……僕たちは常に前進し続けてきたってこと。同じ地点に留まることはまずなかったし、思うにそれだったんだろうな、人びとがたまに僕たちをミスることもあったのは。ACRは同じ場所に長く留まるってことがなかったから(苦笑)。初期のインダストリアル・サウンドも長く続けなかったし、そこからあのパンク・ファンク調をやりはじめ、その後にはジャズっぽいことをやり出して(笑)。聴き手からすれば「何これ?」、「どうなってるの?」ってもんだよ。彼らの反応は当然「わかんない」だし、「とにかくこっちの好きなことをやってよ」と求めてくるわけだけど、それだけは僕たちは絶対にやらなかった。僕たちは常にトライしていたし……だからなんだろうね、やっていてACRがずっとおもしろかったのは。

もしかしたらそれが、ACRが他の同期のバンドやレーベルメイトの多くよりも長続きしてきた理由のひとつかもしれません。

J:いや、そうなったのは……バンドとして存続していくのって、本当に難しいことだからだよ。僕たちはある意味、運がよかったんだろうな。はじめのうちはトニーがマネジメントを担当してくれたけど、その後の僕たちは実質自分たちでマネジメントをこなしていた。おかげで早いうちに知ることになったんだ、この業界がどんな風に動いているか、レコードをリリースするにはどうすればいいか云々を。というわけで、〈ファクトリー〉を離れた時点で、正直僕たちはバンドとして終わっていてもおかしくなかった。ところが僕たちにはまだレコードを作る意思があったし、ギグも続けていて。それでマネージャーをつけて、〈A&M〉と契約した。メジャー・レーベルと契約することにしたんだ。

たしかその頃、ご自分たちのスタジオ「SoundStation」を設営しますよね? そこもいい判断だったと思います。

J:その通り。だから基本的に、〈A&M〉と契約したおかげでスタジオを手に入れることができるようになった。自分たちで音楽をプロデュースする「場」を持てたということだし、イコール、レーベルは必要ではなくなる、と。自分たちで物事を始められるし、〈A&M〉から出たアルバム『acr:mcr』(1990)は、本当の意味で自分たちで作った最初の作品だった。制作費を出す者はいなかったし、自分たちのスタジオで、自腹を切って作った。僕たちが〈A&M〉にあのアルバムをリリースさせたんだよ、というのも向こうは出したがっていなかったし(苦笑)。

意図的にではないにせよ、あなたがたは常にインディペンデントさを、自給自足を目指していたようですね。

J:ああ。それにもうひとつ大事なのは、実際に〈ファクトリー〉を離れることになった際に──彼らは借金を山ほど抱えていたから(苦笑)、その代償として僕たちは自分たちの音源を持って出て行けたんだ。だから、僕たちの音楽作品のすべて、と言っても〈A&M〉時代の作品は契約の一部だから除くけれども(笑)、音源の権利はすべて自分たちで所有している。それができたんだから僕たちはとても運がよかった。
 というわけで、僕たちの手元にはすべてのマスター音源やマルチ・トラック群、1/4インチのマスター・テープ等々があるし、それらをみんな自分たちでディジタル音源化していった、と。それを最初にやったのは、〈クリエイション〉が僕たちの旧作を再発したときだったんじゃないかな(訳注:〈クリエイション〉による1994年のCD再発)。で……あー、いま、何を言おうとしたたんだっけ? ど忘れしてしまったな……

(笑)無理なさらず。

J:ああ、だから、23スキドゥーみたいな、いわゆるパンク/ポストパンク系のバンド群はみんな……いや、彼らもきっと、まだ活動を続けているんだと思うよ。実際、あの手のバンドのいくつかはいまも、たまにギグをやっている。ただ、とにかく、とても難しいことなんだ、バンドを続けていくのは。家族がいれば大変だしね、音楽活動は定期収入ではないから。ニュー・オーダー/ジョイ・ディヴィジョンのように運よく大成功を収め、ファンの数も巨大じゃない限り、バンドを維持し続けるのは難しい。で、自分たちはとにかく踏ん張り続けたっていうのかな。自主プロデュースで、僕たちなりのもっと小規模なやり方で活動を続けてきた。
 ラッキーなことに、〈ミュート〉は素晴らしい仕事相手でね。彼らは僕たちのバンドのことを本当に理解してくれていると思うし、〈ミュート〉の旧作再発の仕事ぶりもとてもよかった。彼らがあの『ACR:SET』の編集盤をまとめた手法にしても、あれは一種、僕たちのやってきたライヴのセットを反映するような内容だったわけで。だから、僕たちはライヴ活動をストップすることはなかったんだよ。常にライヴで映えるバンドだったし、ライヴのよさで名を馳せるようになって。バンドはまだ生きているってことだし、「じゃあひとつ、アルバムを出そうじゃないか」と僕たちも思ったっていう(笑)。「レコードを1枚やってみようよ」とね。で……うん、新作には僕たちもとても満足している。シングルは今日(9/10)発売だし、アルバムは9月25日に出る。また日本にぜひ行きたいよ、ハッハッハッ!

COVI-19状況が落ち着けば、またきっと行けるでしょう。

J:ああ、そうだよね。まったく悲惨な話だ。あれはこの業界を破壊しつつある。とりわけ小規模の会場がそうだし、というか誰もに影響が及んでいて。何千人もの人間にダメージを与えている。

それまでコンスタントに作品を出していたACRですが、90年代後半になってから新作が途絶えますよね。バンドにとってどんな時期だったのでしょうか? メンバーが家庭人になったことでの休息期だった?

J:ああ、それもあった。でも、ああなったきっかけで大きかったのはロブが亡くなったときだったね。僕たちはあの頃ロブ・グレットンの〈Robs Records〉に所属していたし(編註:ロブのレーベルからは1992年にリズミックな躍動を持った『Up in Dowsnville』、1996年にはトリップ・ホップを取り入れた『Change The Station』をリリース)、彼が亡くなったとき(1999年)の僕たちはこう、「ああ、なんてこった、これでおしまいだ……」みたいな。作品を出すレーベルがなくなってしまった、と。
それにメンバーも全員家庭持ちになったりいろいろとあったし、ここらでいったんブレイクをとろうということになって。それでも、いずれまた集まって何かやることになるだろう、そこは自分たちにも分かっていたけどね。だた、そうだな、7、8年近く、僕たちは休止期間に入っていた。ところがその間に〈Soul Jazz〉がコンピ『Early』をまとめて、僕たちにギグを依頼してきたんだ(笑)(訳注:ロンドンのElektrowrerkzでの2002年のギグ。前座はACRの大ファンだったアンドリュー・ウェザオール)。で、こっちはもう「うわ、まいったな、どうしよう??」みたいな(笑)。

(笑)。

J:でもはっきり憶えているよ、そこでどうしたかと言えば、エイブラムス・モス・センターっていう、マンチェスターにあるスタジオ兼コミュニティ・カレッジみたいな施設に入ってね。マーティンはあそこで教鞭をとっていたから、そのコネでスタジオを使わせてもらえた。で、僕、ドナルド、マーティンの3人でスタジオに入り、「さて、どうする?」と。そこで“Do The Du”をプレイしてみたんだ。あの曲は、フーッ、そうだな、25年くらい? ずいぶん長いこと演奏していなかったけど、実際にプレイしてみたらファンタスティックな響きで。僕たち自身「ワオ、こりゃ最高だ!」と思った。
 そんなわけで……まあ、〈Soul Jazz〉から頼まれたとき、僕たち自身ギグをやれるかどうか半信半疑だったんだ。だからああやって3人で集まってリハをやってみたし、でもその結果、これはイケるという手応えがあって。本当にいいサウンドが出たし、それであのギグをやった、と。あれは2002年のことだったけど、以来、僕たちはまたギグをやり出すようになって。で、あの経験は本当に素晴らしかったけれども、と同時に……さっきも話したけど、僕たちは常に前に進んでいるわけじゃない? 『The Graveyard〜』に『To Each…』曲をプレイしたけど、僕たちは前進している。僕たちのオーディエンスもよく言うからね、「こっちは発売されたばかりのアルバムを聴いてるところなのに、バンドはもう次のレコードをライヴで演奏してる」って。クハッハッハッハッ!

そうやって初期の音源が再評価されるいっぽうで、〈A&M〉時代のハウス・ミュージックの影響を取り入れた『Good Together』(1989)や『acr:mcr』も当時は人気でしたよね。時代によって変化していったACRですが、あなた個人にとって、過去作品で思い入れがあるのはどの作品になりますか?

J:個人的にもっとも満足度の高い作品は『Sextet』。もちろん、あれ以前の初期作品も気に入ってるけどね。僕たちがマーティン・ハネットとやっていた頃の、たとえば12インチ『Flight』なんかは最高だと思う! あのシングルだろうなぁ、マーティン・ハネットとACRとの結合が本当にうまくいったのは。だけど『Sextet』は自分たち自身でプロデュースした最初の1枚だったし……(苦笑)いや、何も「自分たちで作ったから好きだ」って言いたいわけじゃないんだよ。ただ、あの作品には独自の要素があって。さっきも話したように、あのアルバムをレコーディングするのに1ヶ月しかもらえなかったし、スタジオに入る前に3曲しかできていなかった。だから、制作期間1ヶ月で3曲からアルバムを作ることになったし、それ以外はスタジオのなかでのジャムから成る作品だった、と。だからだと思う、あの作品にああいう響きがあるのは。本当にフレッシュだし、他とはすごく違う響きがある。あの作品が出たとき、人びともやや虚をつかれて当惑したんだ。ほら、(笑)『24アワー・パーティ・ピープル』に、僕たちがハッシエンダ(のオープニング)で演奏する場面があるじゃない? で、誰かが「こいつら、ウィゼンショウ発の最初のジャズ・バンドじゃねえか」みたいなコメントをするっていう。

(笑)はいはい。

J:(苦笑)。だからそれくらい、あの当時は理解してもらえなかったっていう。ところが、何年か前に再発されたところで、あのアルバムは「革新的なアルバムだ」云々の新たなステイタスを獲得したわけで。うん、自分がいま聴いても、あのアルバムは「ACRのなんたるか」を捉えていたなと思う。それにマーサ・ティルトンの歌唱、彼女の声も、人生の儚さみたいなものを実によく捉えていたと思うし、うん、あのアルバムは本当に好きだね。

『ACR ロコ』は、冒頭にも言いましたが、これまでの集大成的なアルバムだと思いますし、ファンクからシンセポップ、ラテンやハウス、ACRの音楽のすべてが結集されている。とはいえ、“Bouncy Bouncy”や“Always in Love”、“Berlin”のようにメロディが際立っている曲があり、ミニマルな“What's Wrong”やクローザー・トラックの“Taxi Guy”では新境地も見せていると思います。

J:ああ、“Taxi Guy”ね、あれは僕もお気に入りの曲だよ。あの曲はパーカッション部からスタートしたもので、でも、メロディ部を弾いているのはサキソフォン。しかもその上に303が乗っかっているし、「なんだ、これ??」みたいな(苦笑)。だけど、僕からすればそこが抜群なところで。聴いた人間がつい「どういうこっちゃ?」と首を傾げる、「どうも理解に苦しむ」と思う曲だ、という点がね。ハハハッ! でも、かなりいい曲なわけだろ? そういう戸惑いは、僕からすれば素晴らしいリアクションなんだ。あの曲は基本的にはサンバ曲だけど、そこから外れていく要素を後半に加えていって、ベースや303が混じっていって。ところがその上にトニー(・クィグリー)がサックスを被せたら曲のヴァイブがまたすっかり変化して、別物へと変わっていったっていう。うん、あのトラックだね、新作で僕がいちばん好きなのは。

いくつかの曲で故デニース・ジョンソンも歌っていますね。

J:うん。

彼女は90年代のACRのメンバーだったし、思い出について語りはじめたら時間が足りないでしょうが、手短かに彼女とはどんな人だったのか喋ってもらえますか?

J:彼女はビューティフルな人物だった。正直、僕たちはいまだに動揺していいるところで……デニースはもうこの世にいない、という事実に対してね。彼女は本当に大きなパーソナリティの持ち主だった。彼女がどういう人だったかと言えば──僕たちで一緒にギグをやるわけじゃない? で、ライヴを終えてツアー・バスに乗り込んだところでも、彼女は演奏した会場のバーのスタッフやセキュリティをやってくれた人たちのことを思いやっている、そういう人だった。だから、彼女はそういう風に大きなキャラ、その場にいる誰もをギグに含めようとする人だったんだ。で……僕はまあ、1985年に歌わされる羽目になったけど、実はシンガーだったことはなくて(苦笑)。
 自分は実質、ベース・プレイヤーだよ。歌い手としての役目が突如降り掛かってきてなんとかそれをこなしていたとはいえ、デニースがACRに参加してくれたところで、僕も本当に楽になった。というのも、ライヴの場でお客さんと繫がってくれるのは彼女だったから。彼女のパーソナリティはそれくらい、本当に大きかったし……うん、とにかく、彼女は実にビューティフルな、あったかい人だった。それはもう、彼女の声を聴けば感じるだろうし、それにあの笑顔に目を見ればわかる。ファンタスティックな人だったし、僕たちみんなが、彼女を本当に惜しむだろうね。
 でも、実は『ロコ』を録り終えたとき──あの作品のミキシングは早めに済ませていたし、スタジオ時間が余って週末に2回ジャムって、そこで新音源をやりはじめたんだ。で、次のアルバム向けに5曲作っていたっていう(苦笑)。僕たち3人とデニースとの組み合わせでね。

ぜひ、発表していただきたいです。

J:ほんと、アメイジングな出来の楽曲だよ。あれらは実質『ロコ』向けのセッションの一部ってことになるけど、あれをやった時点でもうアルバム1枚分に足るトラックは仕上がっていたし。だからあの音源は、将来のどこかの時点でACRの次のアルバムの一部を成すものになるだろう、と。

楽しみです。彼女への追悼という意味でもぜひ。

J:ああ。でも、悲しくもあるけどね。というのも彼女自身は、あの音源が日の目を見るときを僕たちと一緒に楽しめないわけだから……。あれはもう、信じられない完全なショックだった。だって、彼女はバンドのなかで一番若かったからね。彼女は(ACRでは)まだ「ひよっこ」だったんだよ。

デニス・ジョンソンとACR。

“Get A Grip”はスライ&ザ・ファミリー・ストーンを思い出すんですが、あなたのルーツだったりするんですか?

J:うん、もちろん。あの手の連中はみんな僕たちの音楽的なヒーローだよ、スライ、ジョージ・クリントンにパーラメント/ファンカデリックといった……

ファンキーな人びとが。

J:そう、ファンキー・ピープル。彼らはみんな、ものすごく大きな影響だった。ドナルドのドラミング・スタイルはもちろんだけど、彼はたくさんのレコードを僕たちに聴かせてくれたし、あの手の音楽を僕たちは山ほど聴いた。で、“Get A Grip”、あの曲はたぶん、さっき話に出た“Taxi Guy”を除けば、今作でいちばん好きな曲だと思う。とにかくシンプルなグルーヴが続いていく曲だし、そこから……っていうか、あれはこのアルバムをやりはじめたときに最初にやった楽曲のひとつで。
 ところが、録ったはいいもののその後1年近く放ったらかしで、その段階ではベース/ギター/ドラムだけだった。あの曲にキーボードもヴォーカルも入っていない、そういう状態を想像してもらえばわかると思う。
 で、そのままで長いこと放置されていたんだけど、改めてあの音源に取り組むことになった段階で、新たなキーボード・プレイヤー、以前はブラン・ニュー・へヴィーズのメンバーだったマット(・スティール)が参加してくれていてね。で、一緒にあの曲をジャムってみたところ、彼があの曲にメロディをつけてくれて。そこで僕たちも「よし、じゃあヴォーカルをつけよう」と思ったんだけど、ドナルドとマーティンはあそこで別のシンガーのフレイヴァーを入れたがって、それでシンク・ユア・ティース(Sink Ya Teeth)っていうバンドのマリアに歌ってくれないかと頼んだんだ。彼女たちとは去年一緒にツアーした間柄でね。で、彼女に曲を送り「これにヴォーカルをつけてくれないかな?」と。彼女がヴォーカル部を書いて送り返してきて、その上で僕たちが楽曲とヴォーカルを若干アレンジし直して……うん、すごくうまくいったと思ってる。

ACRは常に新しい血を取り入れている、ということですね。

J:うん、っていうか、バンド外の他の人たちと一緒にやるのって、とても助けになるんだと思う。自分たちのやっていることのなかに、また別の味を持ち込んでもらえるから。キーボードのマットにサックス奏者のトニー、それにデニースにしても、彼らみんながレコーディングに何かを持ち込んでくれる。僕たちがやっているのはそれらを組み入れるってことだし、その結果生まれるのがACRの音楽だ、と。それって、多様さを持たせることになっているんじゃないかな。僕たち3人以外に誰もいない状態でシコシコ音楽をやってたら(苦笑)、音楽が安定して変化のないものになってしまうだろうし。

ちょっと生気に欠けてしまう、と。

J:うん。だから、『Sextet』にはそういうところがちょっとあったんだと思う。あのアルバムを作ったやり方にはピリッと辛い味わいがあったし、そのせいで他とはかなり違う作品になったんじゃないかと。僕たちは常に知っていたんだと思うよ、重要なパートというのは、他の人たちを助けたり、あるいは他の人たちの能力を借りて、自分たち自身の音楽を彼らに委ねることだ、と。


『Sextet』のオリジナル盤。ポストパンクの名盤で、これはマストでしょうな。ジャケットの粗目の厚紙、それからインサートもいかにも〈ファクトリー〉意匠で格好いいです。

これまでずっと自分の友だったアルバムのひとつに、『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』があるね。バナナのジャケの、あれ。うん、あのアルバムは本当に大好きで、常に僕のそばにいた。

デビューしてから40年余りのあいだ、いい時期も大変だった時期もあると思いますが──

J:(苦笑)。

あなたを奮い立たせてきた、支えてきたような音楽があったら教えて下さい。

J:そうだな、これまでずっと自分の友だったアルバムのひとつに、『The Velvet Underground and Nico』(1967)があるね。バナナのジャケの、あれ。うん、あのアルバムは本当に大好きで、常に僕のそばにいた。

どうしてでしょう? VUはいわゆる「洗練された上手いバンド」ではなかったから? 優れたソングライターのいたバンドとはいえテクニック面では荒削りですし、その意味ではパンクやDIYバンドの先駆者だったわけで。

J:そう、その通り。彼らが洗練されていない、そこが好きな理由(苦笑)。だからあのアルバムが好きなんだ。それもあるし……なんというか、とにかく僕はちょっとやぶにらみな作品を選びがちで。ルー・リードの言葉をいつも引用するんだけど、いわく「コードを3つ使っていたらそれはジャズだ」と(苦笑)。彼だってコードは2個くらいしか使っていないわけでさ。で、ACRにしても、初期音源を聴くとコード・チェンジはまったくやっていないのがわかると思う。キーはひとつだけ、と。
 そんなわけで僕はいつだって、VUのそういうところが好きでね。それに、彼らのアプローチって、こう……ディストーションとかディレイを多く使っていて、そういう風に奇妙で、ややサイケデリックになるところも僕は気に入った。しかも、彼らはそういったことを他とはちょっと違うやり方でやっていた、そういう感じがあって。思うに、それはドラムのモー・タッカーに負うところが大きかったんじゃないかと。それにもちろん、ジョン・ケイルの弾いたヴィオラの要素もあったし……だから、それらさまざまなエレメントが本当に彼らを、他とはかなり異なる存在にしていたんだと思う。彼らはユニークだった。そこだと思うよ、自分が彼らを好きな理由は。うん、曲ももちろん素晴らしいけれども、彼らのアプローチだね。一種アート的な──そりゃまあ彼らはウォーホルと関係があったから当然だけれども──アプローチだったし、僕が好きなのはその点であり、かつあの、彼らの一種アンダーグラウンドな視点だったと思う。

おっしゃる通り、VUは「一般的なバンド」像とは違いましたよね。ジョン・ケイルは現代音楽、ルー・リードは職業ポップ・ライターだったこともあり、モー・タッカーのドラムは素人っぽく単純という具合で、妙なコンビネーションだったにも関わらず、それが生きていたわけで。

J:うん。僕もそう思う。いま君の言った一種の奇妙さというかな、それぞれが別の場所から集まって生まれたストレンジさだよね。ロックンロールやファンクといった要素からも彼らは完全に外れていたわけで……初期ACRにも、そういう面が確実にあったと思う。そういう姿勢とパンクな姿勢、僕たちはそれらのアティテュードを音楽に対して抱き続けてきたんだ。要するに、「退屈なものにはなるな」みたいな(笑)。

最後の質問ですが、昔のマンチェスターの「音楽や生活にいたるまでの文化」にあっていまのマンチェスターが失ったものとはなんでしょうか?

J:それは……ぶっちゃけ、マネーってことだと思うけど。ここのところマンチェスターは本当に様変わりしていてね、ビッグ・マネーが流れ込み、新たに多くのビル/施設etcが建っている。ところがそれらは地元マンチェスター人のためのものではなく、ロンドンに通勤する人びとのためのものでさ(苦笑)。だからまあ、ちょっとロンドン化が進んでいるっていうか。金のある連中がこちらに流入している。
 ただ、いまのマンチェスターにもシーンはあると思っているよ。たとえばいまなら、ロンドンでいちばん大きいのはジャズ・シーンらしいし、盛り上がって形になってるみたいだよね。だから現時点ではマンチェスターよりロンドンの方が活況だという風に映るし、それは残念なことだ。というのも、こっちにもたくさんバンドがいて、音楽をやるのに興味がある人間がいまだに多くいるのは僕も知っているから。ただどうも、彼らはそうした勢いを発信していくアウトレットをまだ見つけていないようで。
そうは言っても、小さな自主レーベルはこちらにもいくつか存在するけどね。だから……そうだな、僕はとにかく、次の波がやって来るをの待っているところだ(笑)。

その前にまず、現在のコロナ危機が沈静化するのを待ちましょう。それが過ぎれば、何かが生まれるかもしれません。

J:(プフ〜ッ! と嘆息まじりで)ああ……うん、コロナのせいで多くがダメになってしまったよね。だから、アンダーグラウンドとまでは言わないけれども、非メインストリームなシーンの形成に関わっている人びとみんな、多くの小型ヴェニューに関わっている連中、そういう人びとはちゃんと存在するし、彼らもライヴを企画するとか、あれこれやりたがっているんだよ。ところがもちろん、現時点ではCOVID-19がそれらの活動に待ったをかけているわけで。うん……でも、僕はヘブデン・ブリッジ(西ヨークシャー)を拠点にするバンドのいくつかと仕事してきてね。あそこには素晴らしい小さな音楽シーンがあって。

話に聞いたことはあります。いいアート・シーンが育っているようですね。

J:うん、若いバンドがたくさんいるよ。僕がいま関わっているのがThe Short Causewayっていう名前のバンドで、彼らなんてまだ15歳くらいだし(笑)。でも、彼らは実に抜群でね。彼らはハリファックス出身のThe Orilelles(訳注:西ヨークシャーのハリファックスで結成されたトリオ。現在はマンチェスターに拠点を移し〈ヘヴンリー〉に所属)にインスパイアされていて、そのオーリエルズももういくつか作品を発表して好調だ。彼らはある意味「どこからともなく登場した」わけだけど、あのエリアにはザ・トレイズ・クラブ(ヘブデン・ブリッジ)という名のクラブ、そしてザ・ゴールデン・ライオン(トッドモーデン)というパブ会場があってね。数は少ないけれども、そうした会場が音楽をプレイしたがっているキッズに場を提供している。ほんと、物事がはじまるのはそこからであってさ。でも、COVID-19とそれに伴う規制でそうした小さなヴェニューの多くがドアを閉ざしたわけで、うーん、ああしたシーンも失われるのかもしれない……だから、演奏できる場所がなければ若手も苦労するし、一部の才能は消えていくんじゃないかと。でも、たぶん彼らはまた別の何かを生み出していくんだろうね。

そう思いたいですね。きっと、新たなアイディアが生まれるはずです。

J:ああ、僕もそう祈ってる。何かがここを抜けて出て来るだろう。その意味で僕たちはとても運がよかったんだね、過去にアメリカにも行けたし。ところがいまや、アメリカに行くのもヴィザetcがバカバカしいくらい大変だし、それにいずれブレクジットのせいで欧州ツアーも面倒になるだろう。カルネ等の税関申告手続きが煩雑になり、かつてのようにヴァンに飛び乗って欧州入りしてギグをやる、というわけにはいかなくなる。で、それって本当に、人びとが何かをやる、何かをクリエイトする行為を制限するものなんだよな。だから、若い、これから伸びつつあるバンドが思いつきにまかせてパッと何かやる、いまはそれをやるのがはるかに難しい環境になっていると思う。とてもやりにくくなっている。

ある意味新作のタイトル『ロコ』は、そんなクレイジーな時代にふさわしいかもしれません。

J:(苦笑)その通り。だからあのタイトルにしたんだと思うよ。でもまあ、誰かから教えられたんだ、スポティファイか何かではメキシコがACRの主要リスナー国のひとつだ、と。ACRのリスナー数の統計ではメキシコがトップらしくて(笑)。それもある意味あのタイトルを考えるのに繫がっていったし、それに『ロコ』という単語はとにかく、トランプだのブレクジットだのなんだの、いま起きているクレイジーなことすべてにふさわしい気がした。うん、僕も思う、いまの時代はクレイジーだと。
 で……僕たちは何も、特に政治色の強いバンドではないんだよ。ただ、とにかく(フーッと軽く嘆息して)、アーティスティックで、クリエイティヴで、感性の繊細な人びとにとって、世界はどんどん遠ざかっている、そんな気がする。何もかもが反動的かつ右に向かいつつあるし、「これはやるな、あれはやってはいけない」と人びとを封じていて。僕たちがバンドを始めた頃なんて、止めだてするどころか「ノー、やめるな、どんどんやれ!」って感じだった(苦笑)。はるかに自由な時代だったと思うし、それにコンピュータetcもまだなかったわけで、僕たちはその影響を大きく受けなかった。対していまの若い子たちには、「こうあるべき」みたいなプレッシャーが強くかかっているんじゃないかと思う。ネットに対して、カルチャーと接点を持つ際のやり方に対してね。
 だから昔といまではまったく違うわけだけど、それでも僕は、いまの若い子たちだっていまだに、若かった頃の僕たちが抱いたのと同じフィーリングを抱えているはずだと思ってる。ところが残念なことに、そのフィーリングを表現するための「場」が、かつてに較べてはるかに限定されているんだね。

たしかに。でもきっと新しい方法が出て来るはずです。パンク〜ポストパンクもある意味同様だったんじゃないでしょうか。

J:ああ、うんうん。

当時の貧しく若い子たちにはあまり行き場がなかったでしょうし、だからこそ彼らはDIYで場を作っていったわけで。

J:そうだよね。僕もそうなるだろうと思っている。

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