2013年12月30日、夕刻と報道にあったから、私は大瀧詠一さんが倒れたとき、湯浅学、牧野琢磨、山口元輝といっしょに新大久保のライヴハウスの舞台の上にいたことになる。われわれ湯浅湾と黒パイプとオプトラムとがホスト役でもう何年やっているか忘れたが年末恒例の〈黒光湯〉というイベントが昨年は飛び石的に2デイズあって、28日につづくその日は二日目だった。演奏はいつもながらではあったけれども、今年最後の演奏はほとんど練習しなかったわりに大きな失敗がなかったのはなにかの力が働いていたからかもしれないというと神秘主義にすぎるけれども、大瀧詠一さんは音楽と音楽の歴史の、ほとんど神秘的ともいえる系譜を聴きとる霊妙な耳をもつ音楽家であった。
湯浅さんは著書『音楽が降りてくる』(河出書房新社)所収のナイアガラでの日々をふりかえった「Fussa Struggle 1977 ある丁稚奉公の記録」をこう締めている。
「あるとき師匠がこうおっしゃられた。『おまえもこういう仕事を将来やるんだろうけど、知識だけでどうにかなると思ったら大まちがいだぞ』」
いまもそれをキモに銘じているという。ポップスの、とくに1950年代から60年代なかごろまでの古今東西の大衆音楽史を知悉していたプロデューサーであり、作曲編曲家であり、じつはたぐいまれなヴォーカリストとであるとともに特異な語り口をもつ音楽の語り部でもある総合音楽家が知識に依存しないことが音楽(と音楽にかかわるもの)に大切であると若者に告げる、そこには年長者のありがちなふくみはなかった。私はその場にいたわけではないし、大瀧さんにもお目にかかったことはないうえに音楽を熱心に聴きはじめた小六のころ最後のスタジオ盤『Each Time』(1984年)が出て、はっぴいえんどからはじまった活動期の15年を終えた大瀧さんは自他の歴史を発掘する作業にうつられていたが、そのことばには公約数的な箴言のまやかしは微塵もなく、過去の無数の音群との対話でつちかった耳の、あるいは音楽に対する鼻のめっぽう利く究極の粋人の孤高から導きだしたものがあった。大瀧さんは音楽史の巨星であるが星群をつくらなかった。ちかよりがたさを感じていたのは後発ゆえのひけめかもしれないが、いくら説明しても、本人さえ思いもよらない系譜とのつながりがあとからあとから湧いて、実像が遠のくように思えたのは私に父親のそれを思わせた。こちらが経験したことのない時代を生き、それが表現に結実し、その影響は私の知るかぎりの隅々まで広がっているが黙して奏でない。過去がただ深まる。それは山下達郎氏――達郎さんのバンドの屋台骨だったドラマー青山純さんも2013年に亡くなられたのだった――や細野さんともちがうのである。追いつけない深みにある実像が私に父を思わせたのか、70年代生まれの音楽ファンにとってのたんに世代差も手伝ったのか。私は20代のとき “幸せな結末”(1997年)はあったけれどもそれにしても過去からの残響、とても深い場所からの残響であり、音楽業界が過去最大の売り上げを記録しようとしていた当時、一代かぎりの完成したポピュラー・ミュージックの方法論は90年代のアーカイヴ主義のなかでも異彩を放っていた。さらに15年ちかく、風にのった神話のようにわすれたころに聞こえていた新しいアルバムも出すことなく大瀧さんは世を去った。文字よりしゃべり(ラジオとかね)をおもしろがった知識としてのことばは、細野さんが新聞にコメントしたとおり、大瀧さんといっしょにどこかにいってしまった。知識だけではないのは重々承知ですが。それもまたドルフィーいうところの音楽と同じということなんだろうか。もちろん音楽はのこっている。しかしながら大瀧詠一の肉体の消滅で日本の音楽史はひとつの分母をうしなった――というのは大瀧さんの分母分子論とはまったくちがうが、それはまたここ数年批評家よってたかって議論してきたことのさきがけだったが、肉体がなくなることが象徴の喪失に転化する、大瀧さんは音楽家としての後半生を意図的かどうかはさておき、そのようにもっていった。そしてゼロ除算は数学的に定義できない。
2013年12月31日、大晦日の7時のニュースに大瀧さんの訃報が流れている。数分後には紅白がはじまる。100万枚売るアイドル・グループがいる一方に、オープニングでグランウド・ゼロ時代(?)の改造ギターを手にした大友さんが登場するこの状況はたしかに定義しがたい。その前提のもとで系譜を継ぐか、空位となった分母に別のなにかを代入するか、現在時のみに時制をとるかは私たちに大瀧さんがのこした宿題かもしれない。そんなことを考えながら、ケヴィン・エアーズ、山口冨士夫、ルー・リード、かしぶち哲郎、多くの方をうしなった2013年は暮れ、暦の上ではもう2014年である。(了)
「Pã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
アナログ世代かCD世代かという議論があれば、僕は勝手に「12インチ・シングル・ジェネレイション」というタームを思い浮かべてしまう。ジャズ・ファンならLPだろうし、着うたフルで育った世代は「MP3のスカスカが懐かしい」というように、高校時代から普及しはじめた12インチ・シングルに馴らされてしまっただけともいえるけれど、身体性というのはそう簡単に変容できるものでもなく、CDが簡単に買えるようになっても(最初はヒドいものだった)、データ配信がこれだけ身近になっても、それに合わせて自分の体をカスタマイズできなかったと思うしかないような気がする。同じ曲を聴いていても、12インチならすんなり入ってくるものがCDではまったく身につかなかったり、データだと違う曲に聴こえていたりといったこともないとは言い切れない。どうか……している。
12インチ・シングルは、なぜか日本では定着せず、そこで輸入盤文化とJポップやアイドルなどの日本文化も離ればなれになってしまった印象がある。「NME」がいつだったか、プリンスの特集を組んだときに「知られざる100の秘密」というような記事も載せていて、そのなかに「日本ではプリンスの12インチ・シングルが1枚もリリースされていない!」という項目があった。プリンスだけではなく、誰もリリースされてないんだけどなとは思ったものの、それぐらい欧米では12インチというフォーマットが当たり前になっているということをその記事は教えてくれたといえる。片面に1曲しか刻まれていない12インチ・シングルは、縮み志向の日本人には合わなかったのか、しかし、余白と感じられるだけのスペースがあるからこそ、そこにはやがてリミックスという手法が呼び込まれ、それが複雑化し、さらにはDJカルチャーを促すものがあったといえる。レイヴ・カルチャーの有無がどれだけ音楽文化に違いを与えてしまったかは、「オマル・スレイマンがビヨークをリミックス!」とか、そういったことがまったくといっていいほど日本では起きないことからもよくわかるだろう。12インチ・シングルはPCが普及するまで音楽文化における大きなプラットフォームだったのである……と、思いたい。
20年ぶりに引っ越して、少し広い部屋に移ったために、なるべく買わないようにしていた12インチ・シングルを……また買い出してしまった。あー(嘆)。ドローンにも少し飽きてきて、ダンス・カルチャーに再び深入りしようかなという思いもあったからか、気がつけばヒドゥン・ハワイは揃える、リル・シルヴァは買い漁る、ウイリー・バンーズやなんだかよくわからない白盤がまたしても足元に溜まり出してしまった。幸い、断捨離教には入っていなかったので、いまのとことろは楽しいだけである。あー(嘆)。まー、せっかくなので、2013年のハイライトを12インチ・シングルで振り返ってみましょうか。
1月 Andrey Zots / Not So Secret Diary (Not So Secret Dairy)

年頭はまずロシアからアンドレ・ゾッツがぶっちぎり。ロウリン・フロシュトがハンガリーで立ち上げたレーベル名をそのままタイトルにした6作目で、ファニーな響きもさることながら、全体にここまで実験的なミニマルも珍しい。前作まではヴィラロボスの影響下にあったことは免れていなかったにもかかわらず、ジュークを取り入れたイントロダクションから動物園を丸ごとループさせたような展開など、ミニマルの裾野が無限大に広がっていく。
1月はまた、リル・シルヴァ「ザ・スプリット」も相変わらず絶好調で、〈ラフ・ドッグ〉が発掘してきたグローイング・パームスのソロ・デビュー作「RK#7」もご愛嬌。
2月 Lord Of The Isles / SHEVC007 (Shevchenko)

アンドレ・ゾッツでなければ、1月はジョージア州から彗星のように現れたHVLのデビュー作にしたかったところだけれど、同じようにミスター・フィンガーズを思わせるアトモスフェリックなディープ・ハウスなら2月はロード・オブ・ジ・アイルの8作目が圧倒的だった。キックもスネアもなしで10分を越えるロング・トリップを可能にした1枚で(ハットは少々入る)、延々と上昇しつづける音のスパイラルは『E2-E4』に似た世界を垣間見せつつ、デリック・メイにも近い部分を感じさせる。ほかには前の年に出た「ゴールド・ランゲージEP」ほどではないものの、レオン・ヴァインホール「ロザリンド」もまだかなりイケる感じで、〈モダン・ラヴ〉からデビューしたライナー・ヴェイルも今後が期待できる感じ。
3月 Amit / Acid Trip / Don't Forget Your Roots (Tempa)
3月はペヴ「アズテク・チャント」やウィリー・バーンズ=ブラック・ディアー……といいたいところだけど、「セカンド・カット」や「ヴィレッジ・フォーク」などのヒットで知られるドラムン・ベース・ヴェテランが前年からダブステップに手を染めはじめ、これにアシッド・ハウスを組み合わせた14thシングル「アシッド・トリップ」がダントツでした。まったくもってアイディアは単純。ヴィデオも最後で大笑い。フランスのアルビノにも似たようなことがいえる。
4月 Om Unit & Sam Binga / Small Victories EP (Exit Records)
これに関しては紙エレキングのブリストル特集(P.112)で長々と書いたので、そちらを参照ください。4月はほかにダブ・メックスのセカンド・シングル「ブロークンUFO」、イオマックの5thシングル「スプーク」、バーズメイキングマシーンのサード・シングル「2」、フローリアン・カップファーのデビュー・シングル「ライフトラックス」、Lヴィス1990「バラッズ」なども良かった。
5月 Various / Dark Acid (Clan Destine Records)

〈クラン・デスティン〉が現在までに3集までリリースしているアシッドハウスのコンピレイション・シングルで、1枚めはなんといってもトーンホーク「ブラック・レイン」がハイライト。このPVを観て、音楽だけを聴いて……といっても無理だと思うけれど(最初に一回、映像を観ないで音だけ聴くことをオススメします)、いつにもましてトーン・ホークがソリッドにキメている(最近、ちょっと方向転換しちゃったみたいだけど……)。ほかにナッティマリの変名であるロン・ハードリーやタフ・シャーム(ドロ・ケアリー)をこの時点でまとめたところも慧眼といえる。ワイルド・ナッシングのEP「エンプティ・エステイト」にもちょっといいチル・アウトがありました。
6月 Serifu / Stucco Swim (Diskotopia)
5月はイナー・サイエンスによる音の乱舞が実に美しかった「サイレント・アウェイキングEP」も捨てがたいものがあったけれど、同じ日本人で6月はセリフのデビュー・シングル「スタッコ・スイム」がなかなかやってくれたという感じ。レーベルはディスコトピア。エスニックなイントロダクションからグッと惹きつけるものがあり、ドライヴの効いた2曲めに引き継がれ……と、ベース・ミュージックの新境地が次々と押し寄せる。いやー、これはカッコいい。どこかに和太鼓のリズムを感じさせる感触があり、それが全体にエスニックの裏打ちになっているのだろう。ディプロが見つけるのも時間の問題というか。同じようにスチール・パンで「ヴードゥー・レイ」をカヴァーしたジェレミー・デラー「イングリッシュ・マジック」もかなり斬新なアレンジで、マッドチェスターにトチ狂った覚えがある人は是非、聴いてほしい感じ(オプティモによるリミックス盤はもうひとつでした)。この人はターナー賞を受賞したことがある美術家なんだそうで、なるほどメイキング・ヴィデオもそれらしくアートっぽい?
7月 DJ Rashad / I Don't Give A Fuck (Hyperdub)
2013年の顔役のひとりで、野田努は「ローリン」を押しまくるけれど、僕はこっちが良かったピーッ。いかにもインプロ風に被せられたピーッという音のフリーキーさがたまりませんよね。アーリー・レイヴを思わせる不穏なシンセサイザーのループもいいムードを醸し出しているし、ピー……じゃなかった、Bサイドに収録されたフレッシュムーンとの共作「エヴリバディ」がまたM.I.A.を遅くしたような展開とデリック・メイを早回しにしたものが、どこかで接点を見出したというような曲で、実にけっこうでした。
8月 dBridge & Skeptical / Move Way (R & S Records)
エイミットやサム・ビンガ、あるいはダブ・フィジックスの陰にこの男ありというわけで、ここ数年、ドラムン・ベースの変容に立ち会ってきた〈イグジット〉主宰、ブリッジがジュークの影響をダンスホールで返したような直球勝負。ガッツ、ガッツでドタン、ドタンって、あまりな音数の少なさはS-X「ウー・リディム」にも匹敵するものが。つーか、ダンス・カルチャーというのはコレですよね。ヴェイパーウェイヴとかやめてほしいです。とにかく徹頭徹尾ビートだけで、快楽的なんだかストイックなんだかよくわからない~。追って10月にリリースされたテッセラの5thシングル「ナンシーズ・パンティ」もこれに影響されたんだろうか。
9月 FKA Twigs / EP2 (Young Turks)
前に書いたサウンド・パトロール(https://www.ele-king.net/review/sound_patrol/003359/)を参照ください。
10月 DJ Nigga Fox / O Meu Estilo (Principe)
アンゴラが起源とされるクドゥロのコンピレイション『バザーク』から2年、もっとも興味深かったリスボン・ベースのDJニガ・フォックスがついにデビュー! しかも、作風はかなりハウスに寄せていて、オソロしい才能を感じます。「ミウ・イシーロ」=「マイ・スタイル」を標榜するだけあって、本当に独特のものがあるし、ポリリズムすぎて詳しくはなんだかわかりませんが、クドゥロだけでなくルワンダから流れてくるリズム(?)やタラシンハ(?)、あるいはバティーダもミックスしてるとか(?)。とにかくウルドゥー語ヴァージョンなどを出していた頃のファン・ボーイ・スリーやトーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』の先を思わせるところもあったりと、ダンス・ミュージックの長い道のりを感じさせることしばしば。コレはマジやばいは。続いてリリースされた彼のお仲間(?)であるナイアガラは、しかし、かなりナゾ。10月はほかにヴァンパイア・ウィークエンドからバイオが少し垢抜けた「ミラEP」にルーマニン・ハウスではプリークとして知られるアドリアン・ニクラエ「アコースティックEP」もそれぞれ出色の出来。
11月 Shit And Shine / Blowhannon (Diagonal)
これは意表をついた。いままでもひと筋ではいかなかったハードコアというのか、サイケデリックというのか、それともマス・ロッックだったり、インダストリアル・ロックでもあったシット&シャインがハウス・シングルをリリース。そして、オルタナティヴ・ロックのエッセンスは見事にハウス・ミュージックに溶かし込まれ、異様なダンス・ミュージックに仕上がっている(ちょっとバットホール・サーファーズのサイド・プロジェクト、ジャックオフィサーズを思い出した)。いわゆるひとつの鉄槌感もあるし、なんだろう、インダストリアル・ハウスとでも呼べばいいのだろうか。しかも、B2にはセオ・パリッシュ「シンセティック・フレム」のエディット・ヴァージョンまで収録されて……(プロモ盤では「ディキシー・ピーチ」と題されていたものが、クレームでも入ったか正規盤ではセオ・パリッシュの曲名に変更されている?)。いや、しかし、もしかして、このままUSアンダーグラウンドのプライマル・スクリームになっちゃったりして…。
12月 Joe / Punters Step Out (Hemlock Recordings)
リリース・ペースはけして早くないジョーが続けさまにリリースした2枚のうち、後から出た方で、ちょうど1年前にスウィンドルがダブステップにマンボを取り入れたことに挑発されたか、オルガンをフィーチャーしたモンド・ステップで世界を少しばかりグニャリと歪ませてくれる。構成がとにかく大胆で、時間軸まで歪んだように聴こえるというか、「ダブステップは終わった」と言われてからが面白いと言わんばかり。カップリングはまるで上に挙げたシット&シャイン風で……あー、しかし、シャッフル感がぜんぜん違うかな、この人は。それこそ時間をかけるだけのことはある。12月はほかにマッドテオの8thシングル「インサイダー」、トム・ディシッコの6th「ノー・シンパシー」、グア・カモーレ「マシュタハ」もやってくれました。
……こうしてみると、まったくといっていいほどヒップ・ホップを聴かなくなったなー。ミックステープも落とすだけで長いからあんまり聴かないしなー。まー……それはおいといて、要するに12インチというのは短いから頭に入ってくるんですね。1日に詰め込める量なんて、実は限られているんだろう。昔は、「NME」のシングル・オブ・ジ・ウィークを毎週、チェックして、週に1枚、気に入ったシングルがあれば、それでかなりシアワセだったからなー。それでも年間にしてみれば50曲以上はフェイヴァリットになっているわけで、けして少なくはないわけだし。それこそ昔、よくやっていたのはデビュー作から3~4枚のシングルを好きな曲順で再構成したテープをつくってファースト・アルバムとして聴いていたこと。実際にファースト・アルバムが出ると、ほとんどの場合はがっかりで、どういうわけかそれ以上のものにはなってくれないという……。

再オープンしたサイレント・バーン
気分も新たな2014年。本年もよろしくお願いします。
NY(アメリカ)のお正月はあっという間に過ぎ、2日から通常営業。年の初めだし初心に戻り、またトッドPからはじめたい。2年前、2012年初めに、NYのDIYシーンの未来を語ってくれたトッドPである。
この時から状況は変化しているが、ブルックリンのDIY音楽シーンを支える彼のコンセプトは変わっていない。彼が引き続き、2014年の重要な鍵を握っていることは間違いない。ここ数年の彼は表立ったブッキングよりも、複数のプロジェクトを進めてきている。
彼がどれくらい忙しいかというと……以下が同時進行しているプロジェクト。
1. 285 ケント::オールエイジのパフォーマンス・スペースの経営。(ウィリアムスバーグ、ブルックリン)
2. トランス-ペコス(旧サイレント・バーン) :: オールエイジの会場、アートスペースの経営。(ブシュウィック/リッジウッド、ブルックリン)
3. オトラス・オブラス ::アートギャラリーの経営。(トゥワナ、メキシコ)https://otrasobras.mx
4. ショーペーパー ::オールエイジを対象にしたNYエリアのショーリスティングの新聞の幹部。フルカラーのアートは毎回変わる。2週間に1回発行。https://showpaper.info
5. マーケット・ホテル:: 長い間閉まっているコンサート/アートスペース。再オープンに向けて。(ブシュウィック、ブルックリン)
その他、ブシュウィックに、リハーサルスタジオ、多目的アートスタジオ、オフィス・スペースなどを貸している。https://toddpnyc.com
2013年12月に、#1のトランス・ペコス(元サイレント・バーン)が約2年半の歳月をかけオープン。喜んだその1週間後の12月19日には、定番のDIY会場、#2の285ケントがクローズ。NYのメディアもすぐ反応している。
https://gothamist.com/2013/12/19/is_285_kent_closing_tonight.php
https://blogs.villagevoice.com/music/2013/12/...
https://www.imposemagazine.com/bytes/285-kent-closes

トランス-ペコス
まずふたつのサイレント・バーンについて説明。
元々のサイレント・バーン(951 wyckoff ave)は、2011年8月に強制撤退させられている。そして、2013年1月に新しいスペース(603 bushwick ave)で再オープンし現在に至る。その旧スペース(915 wyckoff ave)に、#1のトランス・ペコスが、2013年12月にオープン。旧サイレントバーン:603 bushwick ave(ブシュウィック) 新サイレントバーン(トランス・ペコス):951 wyckoff ave(ブシュウィック/リッジウッド)
トランス・ペコスは、違法だった場所を合法に変え、ライヴを見に来る目的だけでなく、飲みに来たり、ハングアウトできる多目的場所にしたいという、トッドPの新たな挑戦だ。トランス・ペコスのオープンに辺り、トッドPは12月10日に声明をリリースしている。トランス・ペコスをこれからどのような場所にしていきたいかなど、彼の情熱が伺える。著者は、12月18日に現在ほとんどのブッキングを担当するノーザン・スパイ・レコーズのショーケースで、サン・ワッチャーズ(From Nymph)、ピーター・カーリン8、プラティナム・ヴィジョンなどのバンドを見た。地下やバックヤードも改装され、トッドPの思惑通り「ゼブロン、トニックなどの、NYの伝統的な音楽スペースのように、広い範囲での「新しい」音楽ジャンルの場所」に一歩近付いている。ここに希望を感じたが、次の日が285 ケントの閉店とは誰が予想しただろう。

オトラス・オブラス
この285 ケントの終幕が、トランス・ペコスのオープンとどう関連するのかは謎だが、ウィリアムスバーグの重要なDIY会場を失ったのは事実だ。285 ケントの終わりは、ウィリアムスバーグの終幕を決定づけたとも言える。285ケントの最後のアクトとなったエストニアンのエクスペリメンタル・シンガー、100%シルクのアーティスト、マリア・ミネルヴァもパフォーマンスの最中、観客に向かって「私たちはいまここで、ウィリアムスバーグの最後を見届けている。個人的にも、この場所(285ケント)以外には行く必要はないと思っている」と言い放った。

285ケントの最後のアクトとなったマリア・ミネルヴァのライヴ
その他、ブルックリンの音楽ニュースは:
最近ウィリアムスバーグに鳴り物入りでオープンしたラフ・トレードは、騒音問題のため暫くライヴは中止。
現サイレント・バーンは、現在資金集めのためキック・スターターを展開。
多目的会場、ブルックリン・ナイト・バザーに、12月27日~28日と、サイキックTV(最高!)を2日連続で見にいった。人はたくさん入っていたが、クリスマスの後だったためか、ガクッとヴェンダーの数が減っていた。
11月22日からトッドPのウエブサイトのアップデートは停止している。
これらが何を意味するのか、変化の速度は速く、新たな時代に入っていることには違いない。2014年、何が起きても動揺しない精神の強さ(これ大事)で観察を続けたい。みなさんと共有できたら幸いである。

ブルックリンでのサイキックTV
映画館で映画を観るときには、ぜったい5分とか遅れてしまって開始前に着席できず、アクション映画などの派手なトレーラーが流れはじめているのを背に人の前を横切ったりして気まずい思いをするので、筆者にはこうしたときの感覚が映画館の体験と分かちがたく結びついている。それで、この6曲からなるEPの冒頭“ソード・オブ・ザ・ギャザリング・クラウズ・オブ・ヘヴン”を聴いたときには気まずさと笑いが込み上げた。総制作費何百億、みたいな映画のトレーラーでよく聴く気がするあの感じ……導入になるような短いセリフにつづいて、合唱付きの交響曲みたいなのがはじまって、そこに重ねて急激にクレッシェンドする戦闘機のようなSE、そしてその頂点で鋭く炸裂する、ドンという低音と四分音符分の金属音。あれが、嫌味なくらい再現されている。
サンプリングではないらしいので、これは巧妙なパロディであって、片割れ(アーロン・デヴィッド・ロス)がフォード・アンド・ロパーティンの『チャンネル・プレッシャー』にも参加していたブルックリンのデュオ、ゲートキーパーは、今度は『ブレード・ランナー』のシンセ感ではなくて、エイティーズ・ブームの一段落とともに『ロード・オブ・ザ・リング』とか『トランスフォーマーズ』とか、もっといい例があるかもしれないけれど、とにかくあのSEが施されたシンフォニックな合唱付きに住み心地のよいディストピアを見つけたということなのかもしれない。最初のEP『ギザ』(2010)や〈ヒッポス・イン・タンクス〉からリリースされた『エキゾ』(2012)のへんなインダストリアル、ダークウェイヴには垢抜けない印象を受けたが、こちらはずっとコンセプトが明確で、趣味がいいとはいえないけれど、おもしろいと思った。
声楽的な発声の歌やコーラスを用いるプロデューサーは増えたが、筆者は声をただ「素材」だとする人にも、声に神秘的な意味を汲みすぎる人にも距離を感じてきた。対するにゲートキーパーにはクラシカルなスタイルを持つ合唱作品のヘンさ(発声時の独特の表情とか「裏声」への素朴な違和感を含む)や、逆にその魅力やダイナミックさへの正直で開かれた態度があると感じる。彼らはたぶん、本当にそうした合唱作品が好きなのだ。もしかするとそれなりにその道の造詣も深いのかもしれない。『エキゾ』終曲は、マリー・シェーファーと〈ナイト・スラッグス〉とブレイクビーツの悪趣味な合体のようにも聴こえる。とすると、ある種のサントラを模すことであの過剰な金属性と人声のせめぎあいをクリティカルに高出力する今作には、現代版の“鉄への呪い”(トルミス)といううまいオチがつくかもしれない。『ヤング・クロノス』は「Inspired by a true story.」という喚起的なセリフで幕を開け、それが「ネオ・サピエント」のストーリーであるとつづけられている。
インダストリアルというよりはEBMがトレンドの先端かもと言うならば、もしかするとそれを先取ってもいた彼らだが、それが“ハーヴェスト”のように、ソプラノのメリスマと掛け合わされていくところなどにも笑ってしまう。本当に品がないけど、心からエキサイトしているのだろうし、“インペラトリクス”や“ザ・ソイル・ハズ・サワード”などのコーラス部分も、とても「ウワモノ」という言葉では片付かない。ゲートキーパーのハイパーなエネルギーは、声というものを通してやっと存分な広さの放出口を得たのだと思える。ビートがせり出てきても、そのオブリガートであるかのように合唱パートが執拗に追ってくる。たとえばルチアーノの“”セレスシャル”に用いられているコーラス・サンプルなど、クォンタイズされないながらも繊細にビートを立てていくような洗練とは無縁だけれど、声やその始原的なエネルギーを安易なトライバリズムに求めず、真っ直ぐに西洋音楽の中心に突っ込んでいくような彼らには意外性と爽快さがある。
アルバムの1曲目がキラーだ。『R.I.P.』(2012年)も『Splazsh』(2010年)もそうだったかもしれない。今回も1曲目(“Forgiven”というのが曲名)を聴いたとき、心底格好良いと感じた。何回聴いても良い。その格好良さは、過去のテイストとは違う。とくにアンビエント色を強めた『R.I.P.』とは対照的だ。音色はくすんでいるがリズミックで、ダンサブルで、ファンクの躍動感がある。ドレクシアの後継者という言い方が使えるなら、このアルバムのためにあるかもしれない。ゲットーのダーク・ファンタジー、アフロ・フューチャリズム、想像力を働かすには、充分なほどの仕掛けがある。この原稿を書いている現在、午前中だし、寒い曇り空が広がっているので、『ゲットーヴィル』を聴くには申し分のない条件が揃っている。しかもテレビではプレミア・リーグの録画放送をやっている。スパーズがユナイティッドのゴールを脅かしている……
年末から年始にかけては、子供とサッカー番組をぶっ通しで見た。もちろんW杯への予習をかねてだが、サッカーは、会話を持てないときの親子にとっては最高の潤滑油で、とくに好きになれないシティやチェルシーの試合であろうとも話のサカナとしてあまりあまる。小学生の中学年となれば、日本代表がロビンのいないオランダ代表に引き分けても喜ばないし、フランス革命とはニューキャッスルを意味する。ちなみに、昨年末三田格がレヴューで触れていたトルコは、サッカー・ファンのあいだでは欧州リーグの元スーパースターわんさといることで知られる。Jリーグとは比較にならないほど監督も選手も有名人が多い。チャンピオンズ・リーグを戦っているガラタサライ(イスタンブルの人気クラブのひとつ)の数年前の監督はライカールト(永遠のスター)だし、いまの監督はマンチーニ(前々インテル、前シティ監督)、クラブにはドログバ(元チェルシー/コートジボワール代表)とスナイデル(オランダ代表)もいる。かつてジーコを監督に招いたライヴァルのフェネルバフチェにはカイト(オランダ代表)がいる。トルコのシュペル・リガは、その熱狂も含め、欧州四大リーグに次ぐリーグへとなりつつあるとも言われている。ついでながら言えば、本田圭佑が前に所属していたCSKAはロシア陸軍のクラブが元になっているし、移籍先のACミランの会長は悪名高きベルルスコーニ、現在シティを抜いて1位のアーセナルは兵器工場の労働者のクラブからはじまっている。年末に亡くなられた大滝詠一さんは、日本音楽における分母としての「世界史」を強調されていたことで知られるが、サッカー・ファンは、否が応でも世界史と直面している。
と、話は大きく脱線したが、まあ、単純な話、アグエロを見ているだけでも今年のW杯のアルゼンチンはかなり強いだろうとか……、日本の子供から見てもプレミア・リーグ(もしくはチャンピオンズ・リーグ)は面白いので、家族の会話をうながしてくれる。僕の週末の感情(悲しみや喜び、憂鬱と錯乱)に振り回されるJリーグと違って、帰属意識なんかにかき乱されることもなく、気楽に見れるところも良いのだろう(もちろん現地では日本以上の強い帰属意識の衝突が繰り広げられている)。
いやいや、そうじゃなくても、アクトレス(ダレン・カニンガム)が、19歳まで、世界最高のリーグのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに所属していたという過去には興味をそそられる。稲本潤一も在籍したことがあるクラブだ。テクノ・ファンがここで思い出すのは、セルジオ・メンデスと一緒にアルバムを作ったブラジルのペレではなく、本気で野球選手を夢見たデトロイトのマイク・バンクスだが、アクトレスの数少ないインタヴュー記事を読んでいると、彼は、日々ストイックに人生を過ごしているバンクスとは正反対で、いかなるときもウィードを手放さない瞑想的な生活を送ってらっしゃるようだ。そのライフスタイルの違いは、音に出ている。『ゲットーヴィル』は、最初聴いたときはずいぶんトゲのある、暗いアルバムだと感じたが、繰り返し聴いているうちに気持ち良くなった。
アクトレスがフットボーラーを辞めてDJになり、そしてレーベルをはじめた頃はマシュー・ハーバートに夢中だったというが、ほとんどの場合の彼は、自分の音楽を説明するのにデトロイト・テクノを引用している。ときに自分はホアン・アトキンス(デトロイト・エレクトロ)の系譜だと言い、『ダミー・マグ』という最新型を好むポストモダン小僧御用達メディアを相手取って、いまでもインナー・シティの“グッド・ライフ”は通用すると主張し、若いインタヴューアをたじろがせている。しかし、彼の音楽にはハウス的なカタルシスはないし、彼自身も言うように、損得勘定で作っている音楽だとは到底思えない。ただただ純粋な探求心があり、聴き手の度肝を抜く。
怪我をしなければアクトレスは可能な限りボールを蹴っていたのだろう。『R.I.P.』のように死を連想させながら、情熱によって音を追求している彼の逆説的な前向きさにも、人生の舵を大きく別の方向に切ったことが関係しているのかもしれない。現在ウェスト・ブロムには、有名どころで言えばアネルカ(元フランス代表/元アーセナル~元チェルシー等々)がいる。ピークを過ぎた選手だが、ウェスト・ブロムはイングランド中部の歴史あるクラブだ。ダレン・カニンガムのポジションはどこで、どんなプレイヤーだったのだろう。 90年代なかばの数ヶ月だけ我がチームに在籍して、その後スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャで世界的評価をモノにしたブラジル人のジャウミーニャはザ・スミスのファンだったという。南米の選手らしく華麗なフェイントを駆使するミッドフィルダー(清水ではFWで使われていたが)がマンチェスターの暗い叙情詩のどこに共感したのか知るよしもないが、それを思えば、UKミッドランド工業地帯のアフリカ系のフットボーラーがUS北部の廃墟から生まれた電子音楽に共振することは驚くには値しないかもしれない。噂によればこれが最後の作品になるとか……どうせガセだろうとは思うけれど。
アナログ盤の値上がりがきついし、YouTubeをパトロールするのが苦手なので、昔よりも難易度は高まっているように思うけれど、2014年も良い新譜に出会えますように。今年は、地上最大の祭典と呼ばれるW杯がある。サッカーと同じように、音楽を探究することは、個人的な意味を越えた何かにぶち当たる。それを世界史と呼ぼうが、社会と呼ぼうが、ブラジルでは、ディフェンダーをうまく騙すことは人生と深く関わりがあると思われている。ずるい子こそがうまい子になる。2014年は64年ぶりにトリックスターの聖地でW杯が開催される!
![]() V.A. カーネーション・トリビュート・アルバム なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの? |
2013年12月14日、渋谷クラブ・クアトロのステージにはバンド結成から30年の節目の年を迎えたカーネーションが、年を重ねるごとに若がえる、回春というと何やらあやしげだけれども、その汗と音楽を迸らせていた。
直枝政広と大田譲を中心に、バンド・メンバーには張替智広(Dr)と藤井学(Key)、それにこの冬のツアーをサポートしたスカートの澤部渡と(スカートのメンバーでもある)カメラ=万年筆の佐藤優介の姿も。“Edo River”で前編を締め、直枝政広がプロデュースした『絶対少女』を出したばかりの大森靖子を加えたアンコール以降はとくに「さざなみ」というより高波に掠われるようだった。
いい大人といい若者による渾然一体とした音楽。それはそのまま、『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』と題したカーネーションのトリビュート盤にもあてはまる。
シャムキャッツ、森は生きている、失敗しない生き方、大森靖子といった新鋭から岡村靖幸、曽我部恵一、山本精一、さらには森高千里といったおなじみの方もそうでない方もまじえ、音盤という物体に乗った音楽のもつ構造を多角的に対象化したこのアルバムの発起人、上述の澤部渡、佐藤優介のふたりが、ときにおどろくほどざっくばらんに、カーネーションへ捧げた音盤を語りおろす。
僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているか提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。(澤部渡)
■『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』は澤部さん、佐藤さんが発起人ということになっていますが。
澤部:カーネーションが30周年だから何かやりたいと思っていて、若手からカーネーションをもりあげることができたらいいなと思っていたんです。これもかなり正直な意見になるんですけど、20代のひとたちがカーネーションを知る機会が少なかったのがもったいない気がしたんです。
■澤部さんは何歳ですか?
澤部:26です。
■佐藤さんは?
佐藤:24です。
■同級生でカーネーションを聴いていたひとは?
澤部:ほとんどいないですね。
■あえて若手を中心でつくるということになったんですね。
澤部:もともとは中堅、大御所の方と若手半々の予定だったんですが、フタを開けたらちょうどいいバランスになったと思います。
■人選はすんなり決まったんですか?
澤部:そんなに苦労はしなかったですね。
■声をかけはじめていったのはいつくらいからですか?
澤部:今年の春くらいでした。
■今年初頭にたちあがって、ちょうど一年かけてできあがったということになるんですね。参加された方と澤部さんなり佐藤さんなりが相談しながら選曲していったんですか?
澤部:ミツメは何枚かは聴いたことはあるといっていました。でも全部は聴いていないというので、僕がベスト盤を編んで、ミツメに送って、そうしたら“Young Wise Men”を選んできたんですね。
■全バンドそういった対応ですか? 森は生きている(以下「森」)などは新作からのカヴァーですが。
佐藤:森の“Bye Bye”に関してはスタッフさんと相談して、彼らのイメージに合いそうな曲を選びました。
■音楽性が多様で活動期間も長いとなると、固定的なイメージを結びにくい感じがあるのかもしれないですね。
澤部:ひとによっては実体がわからないというひともいるのかもしれませんね。
■ひとりひとり相談しながらオルグして、それ以上に制作に立ち入っているんですか?
佐藤:お願いしてからはお任せでした。
■曲順はどうやって決めたんですか?
澤部:一度みんなで集まって、どれがいいあれがいいとか、1曲めはあれがいいといって仮の曲順を決めていたんですけど。
佐藤:最初は“夜の煙突”を最後のトラックに置いてたんですね。カーネーション本人たちが参加しているからボーナストラック的な扱いで最後かなと思っていたんですけど、それが音が届く前のことで。会議のときに初めて届いた音を聴かせてもらったら、すごく瑞々しくて。届いたなかではどの若手よりも――
澤部:勢いがあった(笑)。
佐藤:これは最初に置きたいというのが満場一致で決まって――
澤部:それから、曲順を考え直したんですよ。いろいろ考えていたら、あるときふと気づいたんです。中間の並びはいろいろあったんですが、1曲め2曲めと最後の12、13はこれだというのがあって、それがデビュー・シングルではじまり、最新作で終わるという順序だったので年代で並べたらおもしろいんじゃないかって提案したら、それがバシッとハマったんです。
■最初からそういうコンセプトだったんじゃなかったんですね。
澤部:想像以上にピッタリはまったんでビックリしましたね。
佐藤:ハハハハハ。
■その大森靖子さんも参加していますが、存在感が突出しているというわけではないと思うんです。それがこのアルバムの完成度でもあるし、さまざまな解釈が入る余地がカーネーションの音楽にはあるということでもあると思うんです。これは難しいと思いますけど、おふたりがそれぞれいちばん気に入っているカヴァーはどれですか?
澤部:僕はカメマン(カメラ=万年筆)かBabiさんですかね。
佐藤:(山本)精一さんのがすごく好きなんですけど、メロディとかも精一さんの曲のように聴こえてきて。
■原曲は大田さんの歌唱ですね。あの儚げな感じが原曲と地続きな気がしますね。
佐藤:そうですよね。大好きです。
[[SplitPage]]

それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。
(佐藤優介)
■おふたりにとって好きなトリビュート盤というとどういったものがありますか?
澤部:流行った時期がありましたね。何聴いたかな。小学生のころ、はっぴいえんどのトリビュートが出て。『Happy End Parade』です。
■〈OZ〉じゃないんですね。
澤部:さすがに〈OZ〉じゃないです(笑)。印象に残っているというか、ようはトリビュートのブームより僕らはちょっと後なんですよ。キンクスのトリビュートが出ても、シンバルズが参加して叩かれるといった時期で。あ、でも、yes, mama OK? のトリビュートのスタッフをやったことはあったな。
佐藤:僕はハル・ウィルナーの仕事は好きですね。クルト・ワイルとかディズニーとか、あの手は全部いいです。でもトリビュートなんて聴かないですよ。
澤部:発起人がそんなこといっていいのかって話ですけど。
■でも現役の日本人アーティストの曲をトリビュートするのは心理的なハードルもあると思うんですね。おふたりだって、好きに解釈すればいいというだけじゃなかった気がしますが。
澤部:僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているかを提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。
■削ぎ落としても残る部分を剥き出しにしたい。
澤部:そうですね。
■カーネーションの良さはやはりメロディにトドメをさしますか?
澤部:いろいろあるんですよ。バンドがいかに成熟していたのかという、5人時代の折り重なるようなアレンジもすばらしいですし、3人になったカーネーションの強靱なグルーヴにはひれ伏すしかない。そういう視点からトリビュートだと見られないじゃないですか。いろんな時代の楽曲が並ぶわけですから、バンド自体に頼らない、なんていったらいいのかな、バンドの構造に頼らないで聴くものにするかといえば、頼るべきは詞とメロディなんじゃないかということですね。
■イコール直枝さんの作家性ということですか?
澤部:直枝さんであり、僕のやった曲(“月の足跡が枯れた麦に沈み”)は矢部浩志さんのつくった曲なんですよ。もう『Parakeet & Ghost』くらいになると別のバンドって感じがしますけどね。すごく好きなんです。キャリアのなかでもある意味浮いていると思うんです。やっぱり外部にプロデューサーがいるからかな。地続きではあるんですけど、何かが突き抜けたアルバムだと思うんで。
■『パラキート~』がもっとも好きなアルバムですか?
澤部:難しいんですけど、3位以内には絶対入ります。
■佐藤さんにとってカーネーションをカヴァーするポイントというか、彼らをどう捉えていましたか?
佐藤:やっぱり直枝さんはすごいヴォーカリストじゃないですか。そこから離れて、それぞれの歌になったときにメロディがどう聴こえてくるか、個人的にすごく興味があったところなんですけど、すごく浮き彫りになってメロディが聴こえてくるというか、再発見できたメロディが多かった。僕らがカヴァーした曲は“トロッコ”という、メロディがすごく特殊な、他ではあまり聴かないような半音の動きがあったりして、好きな要素なんですが、カヴァーするにあたってはすごく悩んだんですよ。曲をどう活かすか、ということで自分がやる意味のようなものですね。みんな意識的にも無意識だとしてもそういうふうに考えてやってくれたと思うんで。
■それ全体の調和を乱していないのがコンピレーションとしての完成度の高さだと思います。ちなみにタイトルは誰がつけたんですか?
澤部:カーネーションの曲の引用なんですけど、これもタイトルを決めないと案内も出せないというすごいギリギリの煮詰まったときに、とりあえずそれぞれ何か考えてこいという話になったんです。結局ふたりともいいのが思いついていなくて、スタッフさんと話していたときに、岡村ちゃんのトリビュート・アルバムがあったじゃないですか? 『どんなものでもきみにかないやしない』これは“カルアミルク”の歌詞の一節の引用ですけど、そういうクレバーなことをできないかということになって、スタッフさんがアルバムの収録曲の歌詞を読み上げていくんですよ。まったくクレバーな要素がないな、この会議は、と思っていたんですが(笑)、97年の『Booby』の曲名を読み上げたときに、会議の場がグッと締まったんですね。まさにこのトリビュートのことをいっているんじゃないかということで、これしましょうということになりました。
[[SplitPage]]

本人もわからないくらいミツメの“Young Wise Men”のアレンジが変わっていて、それがすごい僕はおもしろかった。ある意味では、誰の思惑のなかにもなかったものができあがったんだという気がいして僕はよかったと思いました。(澤部渡)
■漠然とした話になりますけど、おふたりは日本の音楽史でカーネーションをどういうふうに位置づけています?
澤部:なんなんだろうな、とよく考えるんですけど、そのときそのときにいいレコードを残してきたバンドなんだなということになりますよね。屈強というか。メンバーが抜けても、そのときそのときにつねにいいものを残している、それはすごく恰好いいと思います。でも続けているバンドってそこが恰好いいんだよね。
■30年続けるというのは。
澤部:ねえ。
■おふたりは30年、音楽をつづけていくことを想像できますか?
澤部:僕は30年やりたいとは思うんですけどね。たいへんだと思います。どうなるんでしょう。不安になってきた(笑)。
■将来の不安はここでは置いておきましょう(笑)。
澤部:一度こうやってトリビュートで縁ができてしまったので、大先輩という感じになってしまいましたね。それまではただのファンでしたけど。……難しいですね。何いっても正解じゃない気がします。どう思います(と佐藤氏に)。
佐藤:単純に知られなさ過ぎているな、とは感じていたんです。こんなにいい曲をつくっているひとたちが知られていないのはすごくもったいないことだと思っていたし、知らないひとにとって「30周年」とかいわれると――
澤部:重いよね。
佐藤:重いし、若いひとたちに近寄りがたい存在になっちゃっている。それを危惧していたんです。でも最新作を聴いてもらえればわかりますけどいまでもすごくフレッシュじゃないですか。そんなバンドが知られていないのはすごくもったいないことだと思っていたんで。
■枯れていない感じはありますよね。
佐藤:そうですね。演奏も勢いがすごい。
澤部:“ジェイソン”でいまだにあんなにバリバリにギター・ソロを弾くひとはいないよ。
佐藤:ぜんぜん「ベテラン」っていうイヤな重みがないですよね。フットワークは軽いし。
■キャリアにものをいわせることはないですからね。
佐藤:それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。
■30年、40年となると。
佐藤:知らないひとにとっては、関係ないところにいると思っているんじゃないですか。30年というのはそれぐらいの距離になってしまいかねない。
■それだけの作品数があるともいえるわけですからもっと端的に教えてくれよ、という気持ちは入門者にはあるかもしれないですね。
佐藤:だからカーネーションのファンよりも、僕はもっと広く知られてほしいと思ったので、ファンからしたら、もっと仲のいいベテランのひとがいるじゃないかという指摘もあるでしょうし、そのひとたちにやってもらってもすばらしいものになったと思うんですが、いま僕らが企画できることでいちばん広がりがある人選であり企画だったと思います。
■身内感がですぎると広がりがかぎられる可能性はありますね。
佐藤:身内だけで聴いちゃうことになってしまいますから。もっと広く知られてほしいという気持ちがありました。
澤部:『Wild Fantasy』のころカーネーションが謳っていた「大人の聴けるロック」というキャッチコピーには頭をかしげたことはあったんですね。大人に向けてアピールするより若い世代にとっても純粋にいいじゃないですか。
■佐藤さんがおっしゃった、瑞々しい感性がカーネーションの真骨頂なのだとしたら、それは逆のベクトルだったかもしれないですね。というか、カメマンもスカートも大人に受けのいいミュージシャンだという気もしますが。
澤部:そういわれるとそうかも(笑)。
佐藤:そうなの!?
澤部:僕は若者に聴かれている実感がないよ。この前昔の雑誌の記事に「高校生のムーンラーダーズファンが」というフレーズがあって、そうかムーンラーダーズにも高校生のファンがいたのか、と思いました。
■いつの話?
澤部:80年代です。それを読んでドンヨリした気分になりました。
■スカートには若いファン多いと思いますけどね。
澤部:いるんですかね(笑)。カメマンのほうが若いファンが多いでしょ。
佐藤:全然いないですよ。オッサンばっかりですよ(笑)。
■目の前をオッサンが埋めつくしているんですか?
佐藤:前にはいないです。壁際に。でも嬉しいんですよ。
■カーネーションはもとより、スカートもカメラ=万年筆も老若男女に聴かれるべき音楽だと思うんですけどね。
澤部:ほんとうにそうですよね。
■ここ最近、澤部くんたちの影響かはわからないですが、音楽そのものに力を入れている若いミュージシャンが増えた気がします。ここに入っているひとたちは比較的その系譜に置かれるひとたちかなという気がします。
澤部:そうですね。
じっさいはパッとやったもののほうがうまくいったりすることも多いんでしょうけど、さすがに今回は悩みました。(佐藤優介)
■ところで直枝さんたちにはいつの時点で作品を聴かせたんですか。
澤部:マスタリングが終わって、スタジオに来てもらったんですよ。トラックシートを見ないで聴いていて、1曲めが終わって次はミツメなんですが、曲がはじまってしばらくして歌がはじまって、直枝さんが「なんだっけこれ?」っていうんですよ。「ミツメです」っていったら、「いやそうじゃない。この曲なんだっけ?」って。本人もわからないくらいミツメの“Young Wise Men”のアレンジが変わっていて、それがすごい僕はおもしろかった。ある意味では、誰の思惑のなかにもなかったものができあがったんだという気がして僕はよかったと思いました。
■矢部さんや鳥羽修さんが参加しているのはどういういきさつですか?
澤部:僕は最初、“オフィーリア”をやろうとしていたんだけど、リストを見て、矢部さんの曲が入っていないから、「矢部さんの曲を、俺やりますよ」となった時点で、スタッフさんから矢部さんに参加してもらおう、と提案があってその人が連絡してくれたら即快諾していただいたんです。で、さらにその人のアイディアでうどん兄弟とカメ万のコラボには鳥羽さんに参加してもらったんです。発起人の曲にひとりずつ脱退したメンバーが参加するかたちになったんですよ。
■なるほど。でもカメマンは2曲やっているんだから。
澤部:“トロッコ”はマスタリング当日まで作業していましたから、誰かに参加してもらうのはムリでしたね。
■なぜそれほど時間がかかったんですか?
佐藤:ずっと試しちゃうんですよ。まとめるのはずっと後になってからで……
■でも考えてはいるんですよね。
佐藤:迷っているのが好きなんです。終わるのが好きじゃないんです。ずっとやっていたいんですけど、そうはいかないんですね。
■ひとの曲をカヴァーするのでも幾通りも方法論を模索するんですか?
佐藤:はい。じっさいはパッとやったもののほうがうまくいったりすることも多いんでしょうけど、さすがに今回は悩みました。
ノイズ/インダストリアルにおける歴史的プロジェクト、キャバーレ・ヴォルテールの3枚のリイシュー盤が世界的に盛り上がっているようです
(⇒https://www.ele-king.net/interviews/003431/)。
『ザ・クラックダウン』、『マイクロフォニーズ』、『カヴァナント、ソード・アンド・アーム・オヴ・ザ・ロード』の3枚は中期の名盤であり、ノイズ/インダストリアルが未来を向いて、よりダイナミックな音響とビートをモノにして、ダンスへと歩を進めた時期の代表作であり、当時のヒット・シングル「ジェイムズ・ブラウン」が象徴するように、彼らのブラック・ファンクからの影響を反映させた作品でもあります。
さて、キャバーレ・ヴォルテールの魅力といえば、ノイズ/インダストリアルというジャンルを拡張した音楽性のみに限られたものではありません。彼らのアートワークは、スタイル雑誌の草分け『THE FACE』のアートディレクター、80年代のUKでもっとも影響力のあったデザイナー、さまざまなフォントの開発者、巨匠ネヴィル・ブロディが手がけています。つまり、当時のキャバレー・ヴォルテールとは、もっともエッジの効いた音楽をスタイル・カルチャーを切り開いた有名デザイナーがデザインしたものだったのです。
そして、その影響は日本にも及んでいます。キャバレー・ヴォルテールが再発されると聞いて、すぐさま「ネヴィル・ブロディ」の名を挙げたのが、グラフィック・デザイナーのSk8ightTing(スケートシング)です。
しかも、時代の風を敏感に読むことで知られるこの天才デザイナーの近年の作品が、インダストリアル調のものなのです。つまり、キャバレー・ヴォルテールとのコラボレーションは、ある意味必然だったと言えます。
Sk8ightTingがデザインしたTシャツを、新たな再発盤、先述の3枚と同時期に発売された『ドリンキング・ガソリン』(映像DVD付き)とのセットにて数量限定生産により販売します。こちらのTシャツのホワイトカラーは、来年1月22日よりANYWHERE STORE(現在は取扱いしていません)のみの販売です。
ジャスト・ファッシネイション(まさに魅惑)──『ザ・クラックダウン』に収録された彼らのヒット曲の曲名の通りです。

『キャバレー・ヴォルーテル──通称キャブスは、ノイズ/インダストリアルの草分け的存在であり(スロッビング・グリッスルと並んで、二大巨匠のひとつ)、ポストパンク時代において、もっとも重要なバンドのひとつに挙げられる。 (~中略~) パンクでテクノでノイズのキャブスの時代が、またやって来たのである。』



オマールはシリアの音楽的リジェンドである。1994年以降、彼と彼のミュージシャンたちはシリアの数カ所、folk-popの重要商品として出回っている。が、彼らはいままで国外ではほとんど知られていない。今日、シリアのどの街の店においても簡単に見つけられる、500本以上の、スタジオとライヴの録音のカセットテープ・アルバムがリリースされているというのに。 『Highway To Hassake』(2007年)ライナー
オマールの故郷は、ツーリストが想像しうる道からはほど遠い。そこへ行く外国人は、考古学者か歴史家か、さもなければヘンテコな音楽のプロデューサーである。「人は自分の国の伝統音楽で踊るべきだ。folk musicは文化遺産であり、伝統だ。それを失うことは、自分の魂を失うことだ」『fRoots』2010年11月/12月
この結婚式の退廃的などんちゃん騒ぎはYoutubeによって見られるものだが、しかし、オマールはいま他国を彷徨っている。彼の国シリアは内戦によって破壊された。「望みはそれに終止符を打つこと。すべての人びとが日常に戻れることだ」と彼は言う。(略)オマールは、クルドの分離主義者、シリアの軍隊と反体制の勢力との戦闘よって住めなくなった彼の故郷をあとにしながら、決して好んで住んでいるわけではないトルコから『ガーディアン』に話す。『ガーディアン』2013年10月18日
年の瀬も迫った某日、下落合のフジオプロの一室で、ダブケだの、チョービーだの、日本からずっと遠い、中東の、レバントと呼ばれる東部地中海沿岸地域の、サウジアラビアとエジプトのちょい北の、イラクの東の、トルコのちょい南の、なんだかいろいろな半音階の旋律と独特のリズムのダンス・ミュージックを聴いている。2013年、ele-king最後の大仕事は、シリアの歌手、オマール・スレイマンを紹介すること。さて、どこから話そう。
![]() Omar Souleyman Wenu Wenu Ribbon Music/ホステス |
まずは2004年。サン・シティ・ガールのアラン・ビショップが主催するシアトルの〈サブライム・フリーケンシー〉レーベルは、ミュージシャンであるマーク・ガージスによるコンパイルで、シリアの現地録音音源集を編集したCD2枚組『アイ・リメンバー・シリア(I Remember Syria)』をリリースする。CDのブックレットには、街の売店にカセットテープ・アルバムが壁のように並んでいる写真がある。そして、CDのなかには、オマール・ソレイマンの曲が収録されている。
「『アイ・リメンバー・シリア』がまず最高に面白いんだよ。街中の音とか入ってて、このCDがフィールド・レコーディングなのよ」と、赤塚りえ子は説明する。たしかに聴いてみると、ラジオの音から街のざわめきまで聞こえてくる。シリアの大衆音楽がインディ・ミュージックのシーンに最初に紹介された瞬間は、おそろしくローファイで、生々しい。
それから2007年、〈サブライム・フリーケンシーズ〉はマーク・ガージス監修によるシリアの歌手のオマール・スレイマンの編集盤『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』をリリースする。結果、2010年までのあいだ、同レーベルから計3枚の編集盤をリリースするほど彼の音楽は西側の世界で騒がれることになる。
そして2011年、同レーベルの3枚目のコンピレーションとなる『ジャジーラ・ナイツ(Jazeera Nights)』がリリースされる頃には、彼はすでにヨーロッパツアーに招かれている……いや、それどころか、ライヴ・アルバム『Haflat Gharbia - The Western Concerts』を〈サブライム・フリーケンシーズ〉からリリースするにいたる。ビョークが彼をリミキサーに起用したのはその1年後のことだが、わずか3年のあいだにオマール・スレイマンは欧米でもっとも名が知れたシリアの歌手となったばかりか、エレクトロニック・ミュージック・シーンのもっともカッティング・エッジなところでの評価をモノにするのだった。宗教が(信仰というよりも)文化の一形態としてグローバルに受け入れつつある現代では、アラブ諸国(もしくは東南アジア)の、露店で売られるカセットテープに吹き込んでいた歌手が、あれよこれよという間に、数年後にはテクノ・シーンで騒がれ、やがてディアハンターやフォー・テットなんかと同じステージに立つのである。
「私はこのところ『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』の4曲目の“Atabat”を聴きながら眠っているのよ」と、赤塚りえ子は自慢しやがる。そもそもele-kingがオマールさんを取材することになった原因は、この女にある。11月のある晩、赤塚りえ子はバカボンのパパよろしく「ダブケでいいのだ」と言った。
「フォー・テットがプロデュースしてオマール・スレイマンのニュー・アルバムを作ったんだよ、当然ele-kingは取材するよね」「あ、は、はい」「ヤッラー!」「……」などと話はトントン拍子に進まなかったのだが、赤塚りえ子をインタヴューアとして、我々はホステスウィークエンダーに侵入することになった。そして、わずか15分だったとはいえ、シリアの英雄の話を聞くことができた。「あんな色気のある男はそうそういないわよね」というのが取材を終えたばかりの赤塚りえ子の感想だったが、いかんせん15分である。記事を作るには短すぎるので、オマール・スレイマンとその音楽=ダブケについての話を、このところアラブ諸国の音楽を聴きまくっている彼女との対話を交えつつ、進めたい。
私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。
赤塚:さっきも言ったけど、2004年に〈サブライム・フリーケンシーズ〉から出た『アイ・リメンバー・シリア』というコンピレーションが、オマールが西に紹介された最初だったんだよね。オマールはもともとウェディング・パーティのシンガー。最初は伝統的な音楽をやっていたんだよね。94年から歌いはじめて、96年にリザンと一緒になる。それまでは伝統的な楽器を使っていた。結婚式で、そのときの新郎新婦にあった言葉を詩人が囁いて、それをその場で歌にして歌う。それをカセットテープに吹き込んで新郎新婦にプレゼントして、そのパーティに来た人はそのテープを買うみたいなね、そういうことをしていた。“Atabat”は伝統的なスタイルの曲だよね。
■赤塚りえ子はオマール・スレイマンの音楽をいつから聴きはじめたの?
赤塚:『ジャジーラ・ナイツ』が出た頃だよ。イギリスにいるジョン(・レイト)から、「スゲー、ヤツがいる」ってリンクが送られてきて、それを聴いて一発でハマった。私はこのところずっとアラブ諸国の音楽を追いかけていたから。でも、それまで聴いていたのはエレクトロニック・ミュージックで、いくら聴かなくなったとはいえ、それはやっぱ自分の血のなかにあるんだよね。で、オマール・スレイマンは、アラブで、しかも電子音楽じゃん。ハマらないわけがないよね(笑)。
■ぶっちゃけ、野田家の2013年のヒット作は、オマール・スレイマンでした。
赤塚:狂乱的なグルーヴですよね。いままでの自分の常識をブッ壊される音楽でつねにブッ飛ばされたいと思っている私にとって、オマールの音楽は、アラブ諸国の音楽(伝統的な音階や楽器を使った)とエレクトロニック・ダンス・ミュージックの要素があるという、惑星直列的快楽があります! ああ、あとね、アラビア語の発音も私は好きなんだよ。音として。
■ハハハハ、ミニマルで、独特のグルーヴも良いけど、アラブ音階独特の旋律とかね。
赤塚:単音で、あれだけ脳みそ引っ掻き回されるとねー。少ない楽器編成でこれだけの雰囲気とグルーヴを作り出すのだから怪物的スゴさ! オマールもスゴイが、リザンのリズム感と演奏中に次々と音を変えていくキーボードの音選びのセンスもまたものスゴイ!
■つまり、これがただ物珍しい中東の骨董品とか民族音楽とかっていうことではなく、モダンな音楽作品として率直に面白いわけですね。
赤塚:もちろん。
マーク・ガージスの発掘はただの偶然ではなかった。それは探索の結実だった。「私は長いあいだ、父のコレクションよりも、もっとパワフルで生のアラブ音楽を探していた。私はベリーダンスものも全部聴いたし、それからライも聴いた。ライは生で、パンクの一種のようで、私は好きだったけれど、自分が望んでいるものではなかった。しかし、ジャジーラの音はワイルドで、ダブケのパンク・ヴァージョンのように思えたのだ」
『fRoots』(前掲同)
■オマールさんは、1966年生まれで、僕よりも若いんですよね。故郷はラース・アル=アイン(Ras al=Ayn)というシリアの北東部、アラブ人、クルド人など多様な民族が生活しているところですね。
赤塚:
ジャジーラにある村でアラブ人の一家に生まれて、イラクのポップ、ダブケ、70年代〜80年代のイラクのチョービー(choubi)なんかを聴きながら育ったという話です。音楽をやるまではいろいろな労働をしていたそうですね。最初、歌はただの趣味で、石工だったり、肉体労働だったり、ずっと仕事をしていた。友だちか誰かの結婚式で歌ったら声が良いって褒められて、それでやってみようかなと、94年に歌いはじめたのがプロへの第一歩となったと。で、96年に別のグループで演奏していたリザンを引き抜いて、いまのスタイルになった。
彼の音楽は、ダブケという、レバントと呼ばれる地域に広がるfolk音楽で、みんなでラインダンスで踊る音楽なんだけど、面白いのは、オマール・スレイマンのダブケには、たとえば、イラクのチョービーと呼ばれる音楽──これがまた面白いんだけど(笑)、ほかにクルドの音楽、トルコの音楽も混ざっているんだよね。それは彼の故郷が、多様な民族が生活しているところで、すぐ近くはトルコやイラクだったりする。サズという撥弦楽器も取り入れているしね。レバントって、いろんな国があって、ものすごく広いからね。オマール・スレイマンにはすごくミックスされていると思う。ただ、彼はクーフィーヤ(アラブ人男性が頭に被る布)を被っているように、多様な文化が共存しつつ、伝統が残っていた地域なんだろうね。
ハサケは、コンクリートの日雇い労働の街だ。この色は、さまざまな住人たちから来ている。アラブ人、クルド人、アッシリア人、イラク人、シーア派、スンニ派、クリスチャンズ、カルデア人、ヤジーディー、アルメニア人、アラウィー派(シリアのイスラム教シーア派)。道やマーケットには顔にタトゥーを入れた歳を取った女たち、クリスチャンとアッシリア人は首にばかでかい十字架をぶら下げ、アラブの男たちは彼らの伝統であるクーフィーヤとジュラバをまとい、女性たちはヘッドスカーフを着けているもの、着けてないものもいる。みんなそれぞれ伝統的部族の服装をしている。このエリアの、シリア、そしてレバントの真実の姿は、人種学者や宗教学者の誰もが解明したがるような、豊富な文化の混合、人種の混血にある。私はオマールに、これらすべての異なるエスニックたちは、平和に共存しているのか尋ねた。「私にはクルドやクリスチャンなどいろいろな友人がいます。私自身はアラブです。最近の私のツアーには、クリスチャンの詩人が同行しました」
『fRoots』(前掲同)
赤塚:しかもオマール・スレイマンは、伝統的な音楽にシンセとドラムマシンを取り入れて、テンポを速くした。『The Quietus』(2009年3月)のインタヴューを読むと「1994年から2000年にかけて私は売店(キオスク)で有名になった。2000年にビデオクリップを作って、アラブ諸国がそれに気がついた。それから5〜6個のビデオを作って、いま(2009年)はTVに流れている」って言っているね。フォー・テットがプロデュースした『ウェヌ・ウェヌ』に“KHATTABA”って曲が入っているんだけど、この曲は、アラブ圏内でものすごくヒットした曲なんだよね。それでヨルダンやサウジとかドバイとかの大きなウェディング・パーティなんかに呼ばれるようになる。だから、最初はローカルなウェディングから、だんだんでっかいウェディング・パーティでも歌うようになったんじゃないかな。
「私はすでにダブケに親しんでいたが、まだまだ学ぶところがあったのだ。そもそも私は、そのような速い、生な音楽を聴いたことがなかった。それは本当に私を鷲掴みにした。私が毎回『これは誰ですか?』と訊くと、いつも同じ答え、オマール・スレイマンと返ってくるのだ」マーク・ガージス
『fRoots』(前掲同)
■マーク・ガージスがダブケに興味を持って、2000年に2回目のシリアへの旅に出ている。結局、ダマスカスの売店でコピーされ、それがまたコピーされ、そして鳴り響いているオマールさんのテープを大量に買い付けて(『ガーディアン』の記事よれば700本のカセット・アルバムがあったそうだが)、ベスト・トラックをコンパイルしたと。
赤塚:マーク・ガージス自身がイラク系の人で、オマール・スレイマンに初めて会ったときに、「そのアクセントは、イラクの祖父と話しているようだった」と回想しているね。そのときハサケまでバスで旅したらしいんだけど……。とにかく、ものすごいリズムのダンス・ミュージックだし、で、もう、最初はアシッド・ハウスの最新型だとか書かれたり(笑)。
■「マルコム・マクラレンやザ・KLFへのシリアからの回答か」なんていう記事もあるね(笑)。そのぐらい、大きな衝撃を与えたんだね。
赤塚:〈サブライム・フリーケンシー〉の企画で、2009年にヨーロッパ・ツアーをやっているんだよね。UKとか、デンマークとか、そのときの曲も入っているのが2011年に〈サブライム・フリーケンシー〉からライヴ盤としてリリースされている。これ、格好いいよ。 私がアラブ諸国にハマったのは、まずリズムの魅力なんだよね。西側のフォーマットにはあり得ない進行の仕方があって、信じられない構成があって(笑)。ライヴ盤の2曲目“Gazula / Shift Al Mani ”とかすごいよ。私、さんざん音楽を聴き続けてきてさ、もうよほどのことでは驚かない。ただ、「ナイスだね」だけの曲は物足りない(笑)。なんか、そういう感じで。ダブケのリズムはそういう意味で、驚いた! あと、シリアのウェディング・パーティでやってきたライヴは4〜5時間ぶっ通しで演奏していたそうで、それが欧米のライヴでは40〜50分でしょう。そのギャップも大変だったみたいね。
[[SplitPage]]
■ベルリンを拠点にしているNHKコーヘイ君も、ステージが一緒になったことがあったというし、昔ながらのワールド・ミュージックの流れっていうよりも、テクノのシーンとシンクロしながら、最近の耳に訴えるものがあったんだろうね。
赤塚:多国籍文化の国、例えばイギリスなど、カルチャー的にもワイドな耳を持つ西側の人たちにウケるのわかる。面白いのは、シリアには、シリアの大使館がリコメンドしたいような音楽っていうのがあるじゃない。それとは違うんだよね。だってこっちは本当に大衆音楽だから。でも、そういうハイブローな感じの音楽を推進している人たちからすれば、オマール・スレイマンがシリアの音楽の代表になってしまったことは気に食わないらしいんだよね。だって、シリアには他にも有名な歌手がいると思うんだけど、西欧社会の有名なフェスとかに出るいちばん有名なシリアの歌手になっちゃったわけじゃない。
■シリア国内では、あれはただのキッチュだっていう批判もあるらしいからね。
赤塚:でも、民衆から出てきた人なんだよ。
■じゃあ、西側のポップ・カルチャーがオマール・スレイマンを選んだのは素晴らしかったんだね。ちょっと、マルチチュードみたいなところがあるんだろうね。
赤塚:ダブケがハイソなものではないし、民衆のダンス・ミュージックだからね。
■しかし、シリア……というと、この2年、激しい内戦状態がずっと続いているでしょう。オマールさんが、西側で発見されたのが、2007年だとして、その頃とは、あまりにもシリアをめぐる状況が違っているじゃない。2010年の『fRoots』のレポートでは、ストリートのレヴェルではエスニックの調和はうまくいっていると、書かれているけど、2013年の『ガーディアン』の記事なんかは、ずばり、内戦によって崩壊したシリアを突いているよね。
赤塚:だから、欧米で、オマール・スレイマンの記事が最初に載った頃の言葉と、最近の記事の言葉とでは、テンションが違ってきているよね。最初の頃はやっぱ「ウェディング・パーティで歌いたいんだよね」みたいなことを言ってるんだけど、最近はもうちょっと違っているよね。
■シリアにはもう住んでいられないからね。
赤塚:いまはシリアではライヴできないからね。『ガーディアン』の記事でオマールは、「シリアの人たちすべてに日常が戻ってきて欲しい」って言ってる。『Fader』(2013年)の記事は、トルコの国境への脱出劇の話なんだけど、読んでて涙がでそうになったよ。トルコから出発するフライトに間に合わせるため、ベイルートからシリアを通ってトルコの国境に向かう話で、アメリカで開かれるシリアへのチャリティー・コンサートに出演するため、自分の責任を果たすため、トルコから出発するフライトに間に合わせようと、決死の覚悟で爆弾の音とガン・ファイヤーの音が響き渡る破壊された誰もいない街を、タクシーで疾走するんだよ。
■タクシーの運転手もよく運転したよね。
赤塚: タクシーで国を移動するのはわりと当たり前のことらしいけど、危ない旅だしかなりの金額も払うことになったし、相手がオマールだからってこともあったと思うよ。でも、読んでて、やりきれない気持ちになった。あと、彼は自分は政治的ではないと言っているね。
■今回の取材でも「政治的な質問はNG」と言われてしまったけど、さんざん欧米の取材で訊かれまくって疲れたのかもね。
赤塚:最近、スイスかどっかに呼ばれたときビザがなかなかおりなかったらしいね。シリアだから、亡命者だと思われてしまって。いまはすごくハードな時期だから。言えることはひとつだし、彼が歌っているのはラヴソングだからね。
しかし、彼の歌う愛や人びとの関係性の叙情的なラヴソングは、恋愛や結婚は人びとの日常生活の上に成り立つことで、それらさえもまともにする余裕もないようないまのシリアの悲惨な現状のなかで、彼のラブソングは人間の根源的なことをうたっているように感じてならないな。だから、オマールのラヴソングは、人びとが普通に生活できないいまのシリアの悲劇を浮き彫りにするよう。そういう意味で、オマールの歌は直接的に政治的ではないけど、私たちがイマジネーションを働かせて感じてみると間接的に関わっているように感じる。
彼はダブケを世界のオーディエンスに持ち上げた。しかし、彼の国は、スレイマンが歌うには、よりハードな苦境を迎えている。「事実、明日には何があるのかわからない。それ自体が絶望だ」彼は言う。「シリアには音楽はもうない。音楽をやりたいミュージシャンがいたとしても、それをやる喜びや意志をもって、以前のようなことはできない。この殺戮と破壊のあと、音楽を作るのは本当にハードだ。すべての人びとに影響している。しかし、私は政治に関与しない。私は解決方法を知らない」
『ガーディアン』(前掲同)
■赤塚りえ子は、どのアルバムがいちばん好き?
赤塚:私はやっぱ、『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』。このアルバムの4曲目がないと私寝れないから(笑)。このローカル感っていうの? もう、残りの500本のカセット全部聴きたくなるよ(笑)。
■『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』が〈スタジオワン〉なら、『ウェヌ・ウェヌ』は〈ON-U〉みたいなものかね。
赤塚:まあね(笑)。『ウェヌ・ウェヌ』も好きだけど、ちょっと万人にわかりやすくなったよね。オマール自身のいままでの音で十分満足している私にとって、ぶっちゃけフォー・テットがプロデュースっていうことはそんなに重要ではなく、ただオマールの人気がエレクトロニック・ダンス・ミュージックのファンへも広がるのは間違いないわけで、それがスゴく嬉しい!
■インディ・ロックのファンにもウケてるよ。
赤塚:そういえば、この人、ビョークのことも知らなかったし、フォー・テットのことも知らなかったからね(笑)。ていうか、私、リザンとの関係もすごいと思うの。リザンとオマールの掛け合いみたいに聴こえる。このふたりだからこそ、少ない楽器編成で、これだけのグルーヴを創れるんじゃないかなと思う。オマール・スレイマンは、パーティ・シンガーで、盛り上げ役だから。リザンは、1990年代半ばにジャジーラから登場した、もっともハードでエッジーなダブケの発明家として評判だったそうで、コルグを使った才能あるプロデューサーとして名が通っていたと、『fRoots』の記事には書いてあるね。
■欧米の評論読んでいるとリザンへの評価が高いと思うよね。
赤塚:体力もすごいでしょ、だって、ずーっと弾いているんだよ!
さてさて、それでは、以下、12月1日、恵比寿ガーデンホールでの楽屋での15分を紹介しましょう。
[[SplitPage]]
私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいる。それらを大切にしたい。
赤塚&野田:アッサラーム・アレイコム!
赤塚:イスミーリエコアカツーカー(私の名前は赤塚りえ子です)。ウヒッブ・ムーシーカークム・カスィーラン(私はあなたの音楽が大好きです)!
オマール:シュクラン(ありがとう)。
赤塚:あなたは自分の町で、どんな音楽を聴いていたのですか? 具体的に好きなミュージシャンはいますか? または、影響を受けたミュージシャンはいますか?
オマール:こだわりはない。西洋も東洋も両方聴いている。いちばん好きなミュージシャンは、サアド・エルハルバーウィーという人です。その人がインスピレーションをくれました。
赤塚:1990年代半ばにダブケのニューウェイヴが出現したとあなたの記事で読んだことがありますが、それまでのダブケと違って実際にどのようなところが新しかったのですか? 伝統楽器がシンセサイザーに置き換えられたということでしょうか?
オマール:活動しはじめたときは伝統的なリズムを使っていたのですが、1996年にあの(電子)キーボードを使いました。そして、リズムを速くして、より盛り上がるようにしました。
赤塚:人をもっとダンスさせるため、速くて強い4/4ビートのリズムを取り入れることになったのですか?
オマール:私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。
■電子楽器を取り入れるきっかけはあったんですか?
オマール:特別何か理由があったわけじゃないんです。それは自然になことで、世界中が電子楽器を使いはじめたとき、世界と肩を並べるために取り入れました。みんなが使っているから使いましたし、これからもずっと使います。
赤塚:あなたの音楽がアラブ世界を越えて西洋の人たちを熱狂させ、そして、私たちアジアも熱狂させていますが、言語の壁を越えて、国境を超えて世界があなたに魅力を感じる何か共通のものがあるとしたら、それは何だと思いますか?
オマール:世界がまだ私たちの音楽に慣れていないし、まだみんなが知らないリズムだから、みんなが気に入って受け入れてくれたと思っています。
■今日のライヴもすごく盛り上がってましたが、オマールさんの感想を教えて下さい。
オマール:とても嬉しいです。日本は初めてでしたが、とても良い印象を持ちました。来る前は、日本の観客のことがよくわからないから緊張しましたが、私がステージに上がった瞬間、みなさんがこの音楽を好きになってくれることを感じました。日本に感謝している。
赤塚:海外メディアのあなたのインタヴューであなたが「自分の音楽のスタイルを変えない。これが私の伝統だから」と言っているのを読みました。あなたが自分のスタイルを守る姿勢と伝統の重要性について教えて下さい。
オマール:私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいます。それらを大切にしたいと思います。
赤塚:今後あなたが望むことは何ですか?
オマール:来てくれる人が多ければ多いほど私も嬉しい。だから、世界中の大きなステージに立ちたいと思っています。そして、自分が有名になっても、自分が人のことを尊敬するように祈っています。日本がずっと安全であることを祈っています。日本も日本人もとても素敵です。本当にありがとうございました。

ホステスウィークエンダーには僕も何度お邪魔したことがあるが、基本、インディ・ロック好きをターゲットにしたイヴェントである。オマール・スレイマンのライヴの日は、おそらくはディアハンターを目当てにした若者たちでいっぱいだった。音楽も素晴らしかったが、そんな若者たちがダブケで踊っている光景もまた素晴らしかった。
■15分だったけど、無事取材もできて良かったね。赤塚キャラ風のオマール・スレイマンの絵もプレゼントできたし(笑)。
赤塚:嬉しそうに笑ってたよ。「シュクラン」(ありがとう)って言ってたね。赤塚マンガで人を笑顔にすることは、うちのオヤジがやりたかったこと。シリアの人も笑顔にできた!
■バカボンとか、どんな風に思ったんだろうね。
赤塚:オマールと天才バカボンとの組み合わせは無茶苦茶シュールだよね(笑)。
■はははは。
赤塚:とにかく、マジであれ以来、私のオマール熱は上昇で、重度の熱病にかかってます。ちなみに彼の名前をアラビア語から直接カタカナにすると「オマル・スレイマーン」です。
「こんにちわ、西側のオーディエンスたち。私はこの音楽があなたにとって何らかの意味があることを願います。そして、あなたが楽しむことを願います。すべての人びとに幸運があることを、そしていつか私があなたと一緒にいることを願います」
2006年1月 オマール・スレイマン
『Highway To Hassake』ライナー
昨年のスプリングスティーンの呪いが解けなかった僕は今年、スピルバーグの『リンカーン』にいたく感銘を受けて「市井の人びとの理想主義」を探していたが、それはブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマに、ジャネール・モネイに、あるいはザ・ナショナルに見つけることができた。たしかにそれらは僕が期待するほどこの国で話題になっているとは思えなかったけれど、それでもそういう音楽が、そういう人びとが世のなかにいることに勇気づけられた。だが振り返れば、何よりもジョン・グラントが歌うソウルと孤独に胸をかきむしられた年だったようにも思える。普段あんまりしないけれど、思わず自分の10年後のことを考えたりした。彼の視線に捕まったのは何やら運命的な出来事だった……と書くと、スピってると言われてしまうのだろうか。ああ、そう言えば、来年はスプリングスティーンの新作が出るらしい。
木津毅、2013年の10枚!
1 |
John Grant / Pale Green Ghosts (Bella Union) |
|---|---|
![]() 2 |
Blind Boys of Alabama / I'll Find A Way (Sony Masterworks) |
![]() 3 |
Oneohtrix Point Never / R Plus Seven (Warp) |
![]() 4 |
Janelle Monáe / The Electric Lady (Bad Boy Entertainment) |
![]() 5 |
Tim Hecker / Virgins (Kranky) |
![]() 6 |
The Flaming Lips / The Terror (Lovely Sorts of Death Records) |
![]() 7 |
Volcano Choir / Repave (Jagjaguwar) |
![]() 8 |
The National / Trouble Will Find Me (4AD) |
![]() 9 |
The Haxan Cloak / Excavation (Tri Angle) |
![]() 10 |
James Blake / Overgrown (Republic) |

初ライヴを終えた禁断の多数決、ほうのきかずなり氏から今年2013のベスト・アルバム10選が届いたぞ! 12月12日、デコレーション・ユニットOleO(R type L)とVJが怪しく飾り上げた渋谷〈WWW〉は一分の隙なき満員御礼状態、メンバーのおどろおどろしいメイクはもとより、異様な速さでアンプが回転しだしたり(折しも“くるくるスピン大会”がはじまったときで笑ってしまった)、着ぐるみウサギがどこか背徳的なたたずまいで歩き回っていたり、不可解にシンメトリーを成して歌う女性たち(尾苗愛氏とローラーガール氏)、だらりと垂れる毛皮、クモの巣、悪夢のように切れ間なくつづくセット・リスト……等々、彼らが愛するデヴィッド・リンチ感が炸裂しており、それは“バンクーバー”で極まっていた。禁断の多数決のやりたいことが何なのか、あの日あの場所に詰めかけた人には言葉にならないながらも明瞭だっただろう。
そして、あのとき生まれた禁断の生命は、この後ゆっくりと急速に、時間の中を奇妙に伸び縮みしながら大きくなっていくはずである……。2014年、今後の展開がさらに期待される。

禁断の多数決(ほうのきかずなり)
- 1. Blood Orange / Cupid Deluxe / Domino
- 2. Sky Ferreira / Night Time, My Time / Capitol
- 3. Alex Chilton / Electricity By Candlelight: NYC 2/13/97 / Bar/None Records
- 4. Ian Drennan / Prelude To Bleu Bird Cabaret / PIKdisc
- 5. Oneohtrix Point Never / R Plus Seven / Warp/ビート
- 6. Mazzy Star / Seasons of Your Day / Republic of Music
- 7. Fuck Buttons / Slow Focus / ATP
- 8. Grouper / Man Who Died in His Boat / Kranky/p*dis
- 9. Solar Year / Waverly / Selfrelease
- 10. Prefab Sprout / Crimson / Red / Icebreaker / ソニーミュージック
ブラッドさんのジョン・ヒューズ映画のようなアルバムに胸躍らせて、スカイさんに恋をして、アレックスさんで泣いて、イアンさんとOPNのミステリアスな世界に迷い込んで、マジー・スターとグルーパーの哀愁で鬱になって、ファックさんとソーラーさんの狂気にやられて、プリファブさんのグレート・ロマンチシズムに酔いしれました。














