「ZE」と一致するもの

DJ Koze - ele-king

 ストリングスがうなり、フルートが戯れ、そこにシンプルなリズムが慎ましやかに寄り添う何やら壮大なオープニング“Club der Ewigkeiten”(“クラブ・永遠”)で荒野に夕日が沈むと、2曲め“Bonfire"で聞こえてくる聴き覚えのある声のサンプリングに思わず頬がほころぶ。それは、僕がその声の主=ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)のたんなるファンだから……というのはもちろんあるが、それだけではなく、そのハウス・トラックにまぶされた色彩感覚や柔らかな透明感の可憐さにときめくからだ。ヴァーノンがかつて孤独を滲ませた歌が、しかしここではメロウなソウルとなってベースのグルーヴと呼応する。3曲めはエディ・ファムラーのエフェクト・ヴォーカルが気だるく重ねられる“Moving in a Liquid”。リズムはシャッフルしている。続いてアトランタのアレステッド・ディベロップメントをフィーチャーして、90sヒップホップの空気をたっぷり持ちこんだファンキーな“Colors of Autumn”……ここでもリズムは横に揺れている。緩やかに。この曲が流れる頃には、僕は、それにきっとあなたも、すっかりこのアルバムに心を許している。これは目の前の風景の美しさに意識を奪われること、たったいま流れるグルーヴィーなサウンドに身を任せることに疑いのない人間が作ったダンス・ミュージックだと肌で感じるからだ。だからこそ、次のトラックはダンス音楽ですらなくてもいい。ビートレスのフォーク・ソング、よく歌うギターと鳥のさえずりに合わせてホセ・ゴンザレスが優しい声を聴かせる。「ハニー、ハニー」……。

 とにかくヴァラエティ豊かなトラックが78分ぎゅうぎゅうに詰めこまれている。DJコーツェのオリジナル・フルとしては5年ぶりとなる本作だが、このドイツのベテランは、当然その間にも数々のシングルやリミックス、ミックス・アルバム、それに数えきれないDJプレイを披露してきた。夜から夜へ、ときにはスタジオやベッドルームへ、それからまた夜へ。その日々がそのまま封じこめられているかのようだ。『ノック・ノック』の軸足にはしっかりとハウスがあるが、しかしもう片足は彼らしいロマンティックな感覚のもとで様々な土地の様々な時代を自由に行き来する。70年代風のソウル、ブレイクビーツ、アフロ・ポップ、フォーク、シンセ・ポップ、ディスコ、アンビエント。00年代は〈KOMPAKT〉のイメージが強いコーツェだが、自身のレーベル〈Pampa〉からのリリースとなった前作辺りからより幅広い音楽性を見せている。もともとヒップホップDJで様々なジャンルをミックスするのを得意としていたこともあるだろうが、それにしてもこの引き出しの多さには驚かされる。なかでもラムチョップのカート・ワグナーを招聘した“Muddy Funster”などは人選からして意外だが、陶酔感の強いアブストラクトなドリーム・ポップがそこでは展開される。かと思えばボーズ・オブ・カナダをよりチャイルディッシュにしたようなブレイクビーツ“ Baby (How Much I LFO You) ”や“Lord knows”もあるし、多くのひとがコーツェに期待するであろう激バウンシーなフィルタード・ハウスのシングル“Pick Up”もある。
 ゲストの多彩さ、音楽性の多様さは間違いなくこのアルバムの魅力だが、それはたとえば政治的な意味でマルチ・カルチュラルでなければならないといった大上段に構えたテーゼからではなく、いろいろな要素が入っていたほうが気持ちいいからという生理的欲求から来ているように感じられる。理屈抜きにダンスフロアにはいろんな種類のひとが踊っていたほうがいいし、いろんな音楽が鳴っていたほうがいいというような大らかさ。文字通りのDJミックス。
 だがバラバラになっていないのは、さっき書いたようなコーツェらしい色彩感覚によるところが大きいのだろう。ジャケットのように淡くサイケデリックな色合いで統合されていて、しかもそれは、よく聴けばごく細い筆で隅々まで丁寧に塗られている。『ノック・ノック』を、あるいはコーツェを聴いていて感じる胸の高鳴りは、昨日まで図画工作の時間で使っていた12色入りの絵の具の代わりに今日からこれを使っていいぞと48色入りを渡された子どもが抱くそれと似ている。それでいて実際出来上がった絵は、職人が手がけた確かなものなのだ。
 コーツェのトラックはよくカレイドスコーピック、つまり万華鏡的だと評される。その通りだと思う。幾何学的な美は様々に姿を変えていくが、それはつねに温かく優しい色を携えている。いずれにせよ『ノック・ノック』はよく出来たファンタジー世界で、そこに身体と意識を預ければ最高のトリップが約束されている。レイジーでカラフルな夏がもうすぐやって来る。

Dedekind Cut - ele-king

 北カルフォルニアのサウンド・プロデューサー、フレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIによるデデキント・カット名義の新作『Tahoe』がリリースされた。リリースは老舗〈Kranky〉。近年これほどまでに身体に作用するアンビエント/ドローンは稀ではないか。
 『Tahoe』は〈Hospital Productions〉からリリースされた前作『$uccessor』から約2年ぶりのアルバム(EPとしては『American Zen』や『The Expanding Domain』などを発表)である。そのサウンドはまるでアンビエントな音響が脳内でサラウンド化するような感覚になってしまうほどに進化=深化している。同時に現行のニューエイジ・リヴァイヴァルにも適応するかのごとき繊細な音のタペストリーも生成しており、聴き込んでいくにつれ意識が飛んでしまうような心地良さがある。

 そもそもドローン、ノイズ、インダストリアル、ニューエイジなど、いわゆる「2010年代以降のエクスペリメンタル・ミュージック(先端的な音楽)」は、20世紀後半以降の実験音楽やポスト・パンクの領域で応用された手法をクラブ・ミュージックの領域でリサイクルした同時代的なフォームだった。
 それはフレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIにしても同様で、たとえばリー・バノン名義で〈Ninja Tune〉からリリースした『Alternate/Endings』(2013)などを聴けばわかるとおり、ドラムンベースを基調としたクラブ・ミュージックのアーティストであった。「あった」というのは、だがそのサウンドは先端的音楽の潮流の中で次第にクラブ・ミュージックの定型から逸脱しはじめたからである。とくに2015年に〈Ninja Tune〉からリー・バノン名義で発表した『Pattern Of Excel』あたりから、どこかJ.G.バラードの後期作品を思わせるような不穏なムードを称えたミュジーク・コンクレート/シネマティックなアンビエント・サウンドへと変貌していったのである。
 その最初の達成がドミニク・ファーナウ主宰〈Hospital Productions〉からリリースされたデデキント・カット名義の『$uccessor』(2016)だろう。ちなみに2016年はミュジーク・コンクレート的なサウンドにモードが完全に変化してきた時期である。例えば2016年リリースのジェシー・オズボーン・ランティエ『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』などを思い出してみたい。
 そして、この『Tahoe』は「2016年的なミュジーク・コンクレート・サウンド」以降のアンビエンスをはやくも実現している。ここではノイズもドローンも「救済」のような質感を生んでいるのだ。本作と対比すべきアルバムは、やはり『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』だろう。『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』は、ノイズ系ミュジーク・コンクレートによる戦争/爆撃の果てにあるレクイエムのような音響音楽作品だったわけだが、『Tahoe』は、その世界のさらに果てにある安息の世界に鳴る音響音楽の讃美歌である。破滅の音像から救済のアンビエントへ?

 『Tahoe』には全8曲が収録されている。冒頭の1曲め“Equity”から2曲め“The Crossing Guard”、そしてアルバム・タイトル・トラックである3曲め“Tahoe”へと繋がる流れは水流のようにスムーズだ。この曲では不意にサウンドの中に水流のような音が紛れ込まされていることに気がつくはず。
 ちなみに「Tahoe=タホ」とは「アメリカ合衆国のカリフォルニア州とネバダ州の州境にあるシエラネヴァダ山中の湖」の名のようで、同時に「この地に先住するワショー族のインディアンの言葉で大きな水(つまり湖)を意味する言葉らしい。つまりこのアルバムは「水」が主題となっているのだ(思い返せばフレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIも北カリフォルニアの出身である。その意味で、自身の出自を神話的な音響で表現したアルバムといえるかもしれない)。すると、本作のアンビエンスが、どうしてこうまで心身に効く音響なのかわかってくる。「水」のアンビエンスが、人間の感覚に効くからではないか、と。
 アルバムは以降、ミストのようなアンビエンスと鳥の声などの環境音などがミックスされる“MMXIX”、クラシカルな旋律を響かせる“De-Civilization”、ドラマチックな“Spiral”、森の中のようなフィールド・レコデーィング・サウンドに不穏な持続音がレイヤーされ聴き手を別時間へと連れ去っていく長尺アンビエント/ドローン“Hollowearth”、アルバム終曲“Virtues”に至るまで、考え抜かれた構成で最後まで聴かせる。どうやらリリースが当初の予定からやや遅れたようだが、アルバム全編に横溢する凝りに凝った音響と構成を聴き込むにつれ、それも納得できるというものだ。

 このアルバムには神話的ともいえるアンビエンスが生成されている。同時に現代の世界・社会の変化によって生まれている人心のストレスを水の中に溶かしてしまうような音響が生まれてもいる。それはインターネットなどのメディアを通じて、あらゆる種類の音響・音楽が聴覚へと融解・浸透してくる現代的な感覚の生成にも近い。そう、この『Tahoe』には、破滅的なノイズ系・ミュージック・コンクレート「以降」の「安息/終局」の浸透的な音響が鳴り響いているように思える。
 なんという心身に染み入るようなアンビエントだろうか。この音響/音楽には10年代のエクスペリメンタル・ミュージックが行き着いた到達点のようなものを強く感じた。

Rich The Kid - ele-king

 Rich The Kid。リッチなキッド。名が特徴を表す。もとい、特徴がそのまま名となる。プリミティヴな、トラップ空間においては。この部族のしきたりは、その名に恥じない歌を編むことだ。だから、提出された。これら13の、富を高らかに宣言する歌が、提出された。
 若き男は富をつかんだ。車はマセラッティ。あるいはランボルギーニ。そしてベントレー。時計はオーデマ・ピゲ。そして自身のレーベルも運営する。札束をひけらかすアートワーク。Kendrick Lamar、Future、Lil Wayne、Migos、Rick Rossと錚々たる面子をフューチャー。2014年から数々のミックステープで実績をひけらかしながらもオフィシャル・アルバムをリリースしなかったのは、レーベルとの契約金を最大化する戦略だったのかと訝しんでみる。今回のアルバム契約に際し、もちろん複数のオファーを受けたが、彼は簡単に首を縦に振らなかった。結果、〈インタースコープ〉が競り勝つ形となった。

 ニューヨークに生まれNasやBiggieを愛聴する一方で、ハイチにルーツを持ち、フランス語系のクレオール言語を操る。Biggieから学んだことがあるとするなら、「Notorious(悪名高い)」から発想した「名の上げ方」かもしれない。MCとしての成功のためのスキルには、ライミングやフロウ、デリヴァリーだけでなく、当然セルフマーケティングも含まれるからだ。
 卵が先か、鶏が先か。最初からRichを名乗る。オフィシャル・アルバムをリリースしないうちから、名を馳せる。もはやアルバムという括りにも、オフィシャルという括りにも縛られる必要はない。そういう時代だ。ただ「Rich」という名を広めることこそが、その名をますます真実にしていく。「Rich」という名が広まるにつれ、その名の真実味が増していく。名乗りそれ自体が目的となる。
 トラップ・ミュージックのプレイヤーたちは群れをなし、共同のひとつのプレイグラウンドに何か巨大なモノ/ジャンルを築こうとしているのだろうか。砂場の砂で、どこまでオーバーサイズな楼閣が形作られ得るのか。互いが互いの鏡像と成り合うことで、群れ全体における砂場におけるプレイング・ルールが成形されていく。しかしそこでは個別のスタイルはどのように生まれるのか。彼らは互いの喉仏の形状を確認しながら、舌と唇と声帯で出来たトーキングドラムセットを抱え、TR-808のビートに合わせてそれを乱打する。隣の奴が持つリズムと、ときには競り合うように。そしてときには隣のドラムの響きを引き立てるように。
 それは奇しくもヒップホップの黎明期のアティテュードに接近している。まだソロ活動という概念がなかったとき、彼らは徒党を組んで活動した。個ではなく、群れとして。サイファーが基本的なプラットフォームだった。サイファーにおける他のMCたちは、自分の鏡像だ。彼らは鏡の中の自分に向けてスピットする。
 だからRichがこれだけの個性的なゲストに囲まれながら、彼ならではのスタイル=個性がどこにも見当たらないとすれば、それは彼の瑕疵ではない。むしろそれは、彼が1970年代と2018年、つまり40年以上を隔てたヒップホップとトラップに通底する本質を体現していることにはならないか。

 これもまた「ひとりではない」ソロ・アルバムだ。ゲストをフィーチャーした楽曲群のデザイン。基本的にはまずはRichが最初のヴァースとフックをキメることでグランドデザインを示してから、客演のMCたちがコントラストを最大限に発揮しながら登場する。
 たとえば“No Question”では、Futureが「brrt, brrt」と着信音に擬態しながら、荒い目のヤスリで磨いたようなざらついた声色を曝け出す。“Lost It”ではMigosのOffsetとQuavoが俄然パーカッシヴな骨太のトーキングドラムを演奏する。“End of Discussion”では残響の深いパッドと16分で刻まれるハットの上、Lil Wayneが韻先行の高速でうねる狡猾なフロウを披露する。
 そしてKendrickをフィーチャーした“New Freezer”。ラッパーの肉声となんらぶつかり合うことのないウワモノ、ベースとドラム。そこではドラムがグリッドを描き、声は裸にされる。ヒップホップ史上(と言って差し支えなければ)、声がもっとも裸にされているのが「いま」なのだ。裸の声を神輿に担ぐ内省的なビートなのだ。Richの滑舌の悪さは白日に晒される。滑舌の悪さは、意図的でないにせよフロウをマンブルに近付ける。それは意味(リリック)であるより先に音色だからだ。
 一方のKendrickの舌は剃刀だ。Kendrickはあらゆるフィーチャリング曲で、毎回異なるアプローチを打ち出す。自分の曲でないから余計に自由になる。彼は恐るべきことに、ここで身をもって示してしまう。トラップライクなビートはこうやって乗りこなすんだと、示してしまう。少ない言葉数で、節をつけたフレーズを絞り出す。「6,400万ドル(目もくらむ稼ぎ!)で一体何をショッピングすればいい?」と暗にRichを挑発する。お前らのやり方を、乗っ取ってやると。かつてコンプトン出身の彼が「キング・オブ・ニューヨーク」を名乗った大胆不敵さで。Richは果たして、いかに応答するのか。したのか。

 ここでひとつ示されているのは、即物的な言葉を、空間的な音にぶつける手法だ。そこに生まれるのは、世界の歪みだ。奇妙な余韻だ。これは何もRichの専売特許ではなく、共有されている手法(楼閣の建材のひとつ?)だが、「Rich」を名に持つ彼が放つブランド名は、アトモスフェリックなシンセで額装され、抱えきれないほどの空白を撒き散らすのだ。
 たとえば前述の“Lost It”のMetro BoominやWheezyによる共同プロデュースのビート。すぐ耳元で弾けるクラップ。それとは対照的に遠くにこだまするシンセのパッド音。両極の間でラッパーの立ち位置はどこか。それは視覚的なヴィジョンとして現れる。トラップの遅いBPMと音数が少ないことで溢れ出した行間が意味するもの。それは音の空間性だ。だから顕現するのはトラップ空間だ。8分から16分、そして32分とその幅を変化させながら縦横のグリッド線が行き交うその空間で、全ての音は座標を意識される。そして言葉も然り。
 キックとスネアがグリッドを刻む空間の上で、メロウで、残響音を伴うシンセが滲む。そして投入されるのは、即物的な言葉の数々。見せびらかす、アイスまたはフリーザー。宝石や時計。ルイ・ヴィトンのカーペット。彼にとっては高価でもないベントレー。ドラッグとセックス。内省を促すようなアトモスフェリックな滲みの上で、いまこの瞬間の溢れんばかりの富がドロップされる。その際限のなさが、トラップのスカスカのビート空間にこだまする。そこに虚無を嗅ぎとるのは簡単かもしれない。何れにせよトラップ空間が、モノの異化をもたらす装置であることは疑いようもない。

 このアルバムには、ゲストなしにRichひとりがライムする曲も、もちろん存在する。しかし彼は、ひとりではない。メランコリックな逆再生風シンセが手を引く“Plug Walk”。彼のPlug(ドラッグディーラー)との片言のコミュニケーションを宇宙人との会話に擬えるMV。「いまここ」で手に入るブランドを貪り尽くし、「富めること」の想像力は、宇宙へ向かう。未来へ向かう。イーロン・マスクがテスラの自動車をロケットで打ち上げてしまう発想と、火星を思わせる荒野でE.T.とダンスするRichのヴィジョンは共鳴する。Plugを迎えに行くのは、彼がE.T.が乗って来たような宇宙船と呼ぶ車たちだ。“New Freezer”のMVでもRichは、宇宙船のコクピットのようなクーペでKendrickと一緒に未来へ向かうのだ。
 そして本人を召喚せずにひとりでふたりの関係を示す“Dead Friends”では、Lil Uzi Vertを壮大なビート(DJ Mustardが音素材サイト「looperman.com」の無料ネタをサンプリングしている!)をもってしてディスる。2015年の“WDYW”ではA$AP Fergを間に挟んで、ふたりのヴァースはシナジーを生んでいた。しかしあれから数年で、一体何が狂ってしまったというのだろう。Richは本曲のヴァースでライムする。「俺は永遠の富を手に入れた。スターになった。大量のアイス。大量の札束。そして大量のトラブルさ」

Miki Yui - ele-king

 ドイツ・デュッセルドルフを拠点に活動する美術家/音楽家ミキ・ユイ、その待望の新作が、マンチェスターのエクスペリメンタル・レーベル〈Cuspeditions〉からでリリースされた。前作『Oscilla』から3年ぶりである。マスタリングは『Oscilla』から引き続きラシャド・ベッカーが手掛けた。
 彼女は故クラウス・ディンガーのパートナーであり、その遺作『JAPANDORF』の共同制作者でもあるのだが、多くの音響リスナーが知っているように、ミキ・ユイは『Small Sounds』(1999)、『Lupe Luep Peul Epul』(2003)、『Silence Resounding』(2005)、『Magina』(2010)、『Oscilla』(2015)などの音響作品を継続的にリリースし続けてきた音響作家である。

 2015年に自主レーベルからリリースされた前作『Oscilla』は、(リリース当時)5年ぶりのソロ・アルバムだったが、非常に印象深い音響作品に仕上がっていた。音が放つ空気の層が澄んでおり、聴くほどに空間と体に浸透するようなミニマルなサウンドが生成・構築されていたとでもいうべきか。電子音であるとか、フィールド・レコーディングであるとか、そんな技法的な形式に囚われず、ただ、「そのむこう」で鳴っている音/時間に満ちていたのである。
 この新作『Mills』も同様だ。本作もまたあらゆるドグマから自由な音楽/音響が、密やかに、清冽に、そして濃厚な時間の層のなかで生成している。まずは試聴して頂きたい。

 現在、テクノ〜音響派以降を経由した(主に西欧の)エクスペリメンタル・ミュージックは、ある種の現代的ロマン主義の弊害に陥っている。現代的ロマン主義とは、音それ自体から離れていく観念の肥大だ。観念をコンセプトと言い換えれば、コンセプチュアルなサウンド・アートもまたロマン主義の末裔ともいえる。いずれにせよ、音それ自体からは離れてしまう。
 Miki Yuiの音楽にはそれがない。音が音として具体的に手触りとして存在している。とくに前作から、その傾向がより強くなってきたように思える。それぞれの音が、それぞれの音として、ただ、存在し、鳴り、そして舞う。作曲者の意図が全編を覆いがちな(その結果、ロマン主義的な抽象性へと帰結してしまうような)現代の電子音楽であって、稀有な音楽/音響である。

 新作『Mills』でも、それはまったく変わっていない。音はまろやかに、同時に音の輪郭線と構造は明確だ。そのうえ風に揺れる木の葉のようにしなやかである。そう、音が、「そこ」にある感覚とでもいうべきか。
 本作にコメントを寄せたスラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアは「このアルバムは私に あたかも演劇作品を見ているかのような錯覚をあたえる。それぞれの音は独立していて、独自の役柄が巧妙なドラマツルギーにそって物語をつくりあげてゆく」と評しているが、「ドラマツルギー」と語っている点が重要に思える。音と音、その存在同志が奏でる饗宴。

 アルバムには全5曲が収録されているが、どの曲も電子音と、環境音と、微かなノイズによる落ち着いた音色/トーンのミニマル・ミュージックに仕上がっている。聴き込んでいくと分かるが、そのミニリズムは、あるとき必然のように不意に逸脱する。その逸脱の瞬間と持続がとてもスリリングなのである。
 穏やかなミニマリズムが微かなグリッチ音の介入によって僅かなズレと逸脱を生む“dial sun”、遠い夜の世界に響くような打撃音とざわめきのようなノイズが交錯する“granit”と“salute”、生成と消失を反復し空虚の中の清冽さを鳴らすミニマル/ドローンの“mica”、12分に及ぶ長尺のなか(本作の重要曲のはず)、さまざまな音と音が微かに触れ合うように蠢き、変化を遂げる“solareo”、冒頭の“dial sun”と対を成すような“dial moon”の何かを叩くような乾いた音と電子音の反復。
 これら全5曲を聴き終えたとき記憶と耳に残るものは、鉄を軽く叩くような乾いた音であった。柔らかな夢のような持続音、密やかなノイズ、環境音のミニマルな断片、それらのサウンド・エレメントが「音楽」として丁寧に織り上げられていることへの静かな驚き……。それは人が持っている原初の音の記憶のようだ。

 音に触れて、音のなかに潜むもうひとつ音を鳴らすこと。その存在を許容するように生成すること。ここには観念より、より具体的な音の手触りがある。それは、どこか「夜の音」のようだ。「夜」という時空間において、見慣れた木々がまた別の存在感を放つように。
 本作は紛れもなくミキ・ユイの最高傑作である。だが、そんな大げさな形容に意味はない。ただ、音を聴くこと、その秘密を聴くこと。リスニングの魅力と贅沢がここにあるのだから。

 オカルトじゃありませんよ。アニメーション界のレジェンドと、現代のミュージシャンとの世代を超えたコラボレーションを行う「チャネリング」シリーズです。坂本慎太郎が現在90歳のクリヨウジ(久里洋二)の貴重な実験アニメーション作品にあわせて自身のオリジナル曲をフルセットライヴで演奏する。キュレーターはDOMMUNEの宇川直宏。これは見逃せません!

■「GEORAMA2017-18 presents チャネリング・ウィズ・ミスター・クリヨウジ」
日時:2018年6月19日(火)18:30開場/19:30開演
会場:WWW X(東京・渋谷)
出演:クリヨウジ aka 久里洋二 x 坂本慎太郎
キュレーター 宇川直宏(DOMMUNE)
※クリヨウジ氏(90歳)の実験アニメーション作品を投影し、その映像に呼応しながら坂本慎太郎氏がフルセットライヴでオリジナル曲を演奏するという歴史的な試みです。

前売:5,500円/当日:6,000円(共に税込、ドリンク代別)
チケット:e+(イープラス)にて、5月26日(土)10:00より発売。
公演詳細:https://channeling-kuri.info

主催:ニューディアー/DOMMUNE
協力:zelone records
助成:アーツカウンシル東京(公共財団法人東京都歴史文化財団)

「チャネリング・ウィズ・ミスター・クリヨウジ」メインビジュアル(デザイン:宇川直宏)

■本企画キュレーター宇川直宏によるコメント

「戦後日本にアートアニメーションという新しい地平を切り開いた(久里洋二改め)クリヨウジは偉大だ!!!!!!! 氏は、生誕90歳の卒寿を迎えた今も日夜セル画に命を吹き込み、この世界を動かし続けている!!!!!!! NHK『みんなのうた』で"動く絵”を体感し(MTV開局の16年前に既に)NTV『11PM』で"動くポピュラーミュージック”を享受した僕らは、"クリヨウジ"と書いて”アニメーション"と読んでいる...そう、クリヨウジこそが日本アニメーション界の真の創世神なのだ!!!!!!!! そんな偉大なクリヨウジの実験アニメーション作品を投影し、その映像に呼応しながらあの坂本慎太郎がフルセットライヴを行う空前絶後の歴史的試みがこの度、実現する!!!!!!! 新奇な歌と演奏でお伽話を口承する坂本慎太郎は、空虚な現代日本における弁士であり、サイケデリックな吟遊詩人である!!!!!! クリヨウジと坂本慎太郎!!!!!! この二大巨星の邂逅は、米朝首脳会談よりも意義深い、ドラマティックな皆既日食だ!!!!! 太陽と月が重なって描かれるダイヤモンドリングのように神秘的な天体現象が、この日、立ち現れるに違いない!!!!!!!!」宇川直宏(DOMMUNE)

王舟 & BIOMAN - ele-king

 窓からはそれほど強くない、だがぬくもりに溢れた陽光が差し込んでいる。猫がひなたぼっこをしている。コーヒーの香りが一面に広がる。談笑が聞こえる。喫茶店あるいはちょっとした食堂の昼下がり、それも見知らぬ人ばかりが集う都心のそれではなく、訪れる者たちがみな顔見知りであるようなローカルなそれ。もしかしたらその場では陽気なギターの弾き語りなんかもおこなわれているのかもしれない。これはきっと、気心の知れた友人たちと楽しいひとときを過ごすための音楽なのだと思う。

 今年に入って起ち上げられた〈felicity〉の「兄弟」に当たる新レーベル〈NEWHERE MUSIC〉は、「エレクトロニック・ライト・ミュージック」すなわち「電子的な軽音楽」を標榜している。その栄えある第1弾リリース作品に選ばれたのが、これまで〈felicity〉から作品を発表してきたシンガーソングライターの王舟(NRQの新作にも参加)と、neco眠るや千紗子と純太での活動でも知られるBIOMANによる共作『Villa Tereze』である。エンジニアを務めるマッティア・コレッティは、2006年にイタリアのファエンツァでライヴ録音されたダモ鈴木ネットワークのアルバム『Tutti i colori del silenzio』にも参加したことのあるギタリストで、山本精一や古川日出男、オシリペンペンズらとの共演歴もある。その彼がEP「6 SONGS」でコラボした王舟と来日ツアーをおこなった際に、大阪でBIOMANと出会ったことからこのアルバムの制作がはじまったのだそうだ。王舟とBIOMANのふたりは昨年末、コレッティを訪ねてイタリア中部の小さな町まで足を運び、そこで本作が録音されることとなった。

 その町の名前が冠された冒頭の“Pergola”がこのアルバム全体のムードを決定づけている。その穏やかなギターの調べはどこまでも聴き手に安心感をもたらすが、背後で繰り広げられるさまざまな具体音の饗宴が、たんに本作がひとりきりのメディテイションを目的としているわけではないことを告げている。その姿勢は4曲目“Ancona”のコイン(?)や7曲目“Falconara Marittima”のニワトリ(?)のような微笑ましい種々の具体音に、あるいはギターとドラムがポストロック的な展開を聴かせる8曲目“Senigallia”の、ひねりの加えられたリズムにも表れている。心地良さの追求と手の込んだ音選び、生演奏と電子音との幸福なる融合。アルバムはそして、冒頭と同じ旋律を奏でつつも具体音を排除したギター1本の小品“Tereze”で幕を閉じる。それら本作に仕込まれたギミックの数々は、ミュジーク・コンクレートやアンビエントの手法がけっしてマニアックな好事家だけのものではなく、ふだんJポップにしか触れる機会のないようなリスナーたちにも開かれたものであることを教えてくれる。

 さまざまな趣向を凝らす一方で、どこまでも人間の持つ温かな側面を伝えようとするこのアルバムは、たとえば友だちのほとんどいない僕にとっては、けっして訪れることのない幸せな語らいの時間を擬似体験させてくれる、VRのような作品である。この軽やかにして喚起力豊かなアンビエント・ポップ・サウンドに、あなたもひとつ身を委ねてみてはいかがだろう?


Interpol - ele-king

 00年代前半、ポストパンク・リヴァイヴァルの波に乗って登場し、いまやNYを代表するバンドにまで成長したインターポール。昨年は、彼らの出発点となるファースト・アルバム『Turn On The Bright Lights』(Other Musicで売れたアルバム100枚のなかでは17位にランクイン)から15周年ということもあり、ロンドンにて同盤を丸ごと再現したライヴがおこなわれたが、去る5月11日にそのライヴを題材にしたドキュメンタリー映像が公開されている。

 バンドは先週、デヴィッド・ボウイの画像をあしらった謎めいた写真をInstagramに投稿してもおり、これを受け『NME』は、2014年の『El Pintor』に続く6枚目のフル・アルバムの発表が近づいているのではないかと報じている。

Interpolさん(@interpol)がシェアした投稿 -


 ちなみに『El Pintor』のリミックス盤にはファクトリー・フロアやティム・ヘッカーといった興味深い面子が起用されていたけれど、そういったアーティストからのフィードバックがあるのかも気になるところ。続報を待とう。

Nanaco + Riki Hidaka - ele-king

 昨年、リキ・ヒダカのライヴを見たとき、彼は歌うのではなく、ステージの上でひとりでドローンを演奏した。いわゆるインディ・ロック系のオムニバスのライヴのだったので、そりゃあもちろん、スマホをいじっている客もいた。が、そこにいたほとんどのオーディエンスは、リキ・ヒダカの演奏に集中した。リキ・ヒダカもまた、オーディエンスの耳を話さなかった。アンビエント系とかその手のイベントならまだしも、経験的に言えば、ライヴハウスでロックのファンを前にこれができるミュージシャンは多くはない。
 リキ・ヒダカは素晴らしいボヘミアンだ。広島のStereo Recordsからリリースされている彼のアルバムは、静かな波紋を呼んで、本当にゆっくりと広まっている。そのひとつはジム・オルーク、石橋英子とのライヴ・ツアーだが、いまもうひとつ、意外なコラボレーション作品のリリースが発表された。年々再評価を高めている80年代を駆け抜けた伝説のシンガー、佐藤奈々子との共作『Golden Remedy』がそれだ。
 世代もジャンルも異なるこのふたり、いったい何がどうしてコラボレーションすることになったのか謎ではあるが、間違いなく注目作でしょう! 

Nanaco + Riki Hidaka『Golden Remedy』
2018年6月20日リリース
PCD-25259 定価:2,500円+税

伝説のシンガー、佐藤奈々子の5年ぶりニュー・アルバムは、今もっともアートなサウンドを紡ぐ大注目ギタリスト、Riki Hidakaとのあまりに美しきコラボレーション!
唯一無二のウィスパー・ヴォーカルと吸い込まれるほど夢幻的なギター・サウンドが織りなす妖艶なるポップ・ワールド──。カメラ=万年筆とコラボした前作に続き、またしても若き天才との化学反応が生んだ恍惚の傑作が誕生!

<トラックリスト>
1. Old Lady Lake
2. 王女の愛 (Love of Princess)
3. Frankincense Myrrh Gold
4. I Will Marry You
5. 美しい旅人 (Beautiful Traveller)
6. Secret Rose
7. 未来の砂漠でギターを弾く君と私 (The Desert)
8. 魔法使い (Wizard)
9. 白鳥 (Swan)

<参加ミュージシャン>
オカモトレイジ (OKAMOTO’S):dr
野宮真貴:cho
ジェシー・パリス・スミス:keys, cho
Babi:cho
佐藤優介 (カメラ=万年筆):p
佐藤望 (カメラ=万年筆):chorus arrangement
ほか

◆プロフィール


佐藤奈々子 (Nanaco)
歌手・写真家
1977年 佐野元春氏との共作アルバム『ファニー・ウォーキン』でデビュー。4枚のソロアルバム他をリリース。
1980年以降、カメラマンとなり、広告、雑誌などで活躍し、5年間パリで暮らす。
1996年 アルバム『Love is a drug』をイギリス、アメリカ、日本でリリース。タイトル曲のシングルは、日本人アーティストではじめて、NMEの"single of the week" に選ばれる。
1998年 イギリスBella Unionより、Simon Raymondeプロデュースによるアルバム『Luminous love in 23』をリリース。
2000年 R.E.Mを手がけたMark Binghamのプロデュースにより『sisters on the riverbed』をリリース。
2013年 カメラ=万年筆とのコラボレーション・アルバム『old angel』(diskunion)リリース
2016年 前田司郎監督の映画「ふきげんな過去」の主題歌を歌唱+作詞。近年はライブ活動も行なうようになり、さまざまなミュージシャンとのセッションやライブツアーも行なっている。写真家としては、広告、雑誌、またCoccoや細野晴臣といったミュージシャンのCDジャケットなどの撮影を多数手がけている。ピチカート・ファイヴに楽曲提供した「Twiggy Twiggy」は世界的なヒットとなった。


Riki Hidaka
1991年LA出身。東京育ち。2014年よりNY在住。ギター奏者。
『NU GAZER』(‘11)、『POETRACKS』(‘11)、『LUCKY PURPLE MYSTERY CIRCLE』(‘17)など、自主制作による限定リリースを含む多数のソロ作品をリリースするほか、QN、THE OTOGIBANASHI’S、GIVVNなどの作品にギタリストとして参加。また、アートワークやフィルム制作、ショーの音楽など、様々な分野で活動している。ライヴも精力的に行い、17~18年に行われたジム・オルーク、石橋英子との二度に亘るスリーマン・ツアーは話題を呼んだ。


Brett Naucke - ele-king

 現代的電子音楽シーンにおいて注目すべきレーベルのひとつ〈ウモール・レックス〉からリリースされたカセット作品『エグゼキュータブル・ドリームタイム』(2016)でも知られるシカゴのモダン・シンセシスト、ブレット・ナウケの新作が、〈エディションズ・メゴ〉傘下にして、元エメラルズのジョン・エリオットが運営する〈スペクトラム・スプールス〉からリリースされた。マスタリングを手掛けたのはベルリンのD&M。ちなみに〈スペクトラム・スプールス〉からは2014年の『シード』以来、2作目のアルバムである。

 ブレット・ナウケの活動歴は(意外と)長い。彼は2007年に自身のカセット・テープ・レーベル〈カトリック・テープ〉をスタートさせ、2010年にマイケル・ポラードのレーベル〈アーバー〉からソロ作品『サザン・カリフォルニア』をリリースしている。
 以降、ブレット・ナウケ自身のアルバムや音源のリリースのみならず、そのレーベル運営によって幾多のアーティストや音源を送り出してきた。いわば00年代末期から10年代にかけてアメリカのモダン・シンセサイザー・ミュージック・シーンを支えてきた人物のひとりといっても過言ではない。

 それにしてもブレット・ナウケのモジュラーシンセを駆使する電子音楽家の音を聴いていると、不思議と「音楽」から遠く離れていく感覚になる。正確には音楽から記憶の層へと遡行するような感覚に陥るのだ。これはいったいどういうことか。
 むろん、ブレット・ナウケの音楽が「音楽的ではない」というわけではない。むしろこの種の電子音楽の中ではニューエイジやアンビエントの要素が適度にミックスされ、とても聴きやすく「音楽的」といえなくもないくらいだ。とはいえ現代において無数に存在するこの種のニューエイジ・リヴァイヴァルなアンビエント・電子音楽作品とはどこか違う気がする。

https://hausumountain.bandcamp.com/album/multiple-hallucinations

 そう、彼の電子音は不思議な官能性がある。まるで「記憶=ノスタルジア」のように。これは興味深い音楽現象である。電子音楽の「モノ=現在性」と「記憶=ノスタルジア」の結晶とでもいうような。
 この新作『ザ・マンション』も同様である。一聴するとシンセに細やかな環境音などがレイヤーされ、天国的ともいえるマテリアルなアンビエント作品に仕上がってはいる。だがその電子音のモノ性のむこうに、感情を淡く揺さぶる記憶の層は煌めいているのだ。モジュラー使いとして知られているブレット・ナウケならではのノイズ音響を生成している「だけではない」点も面白いのだ。

 アルバムには全7曲が収録されているが、中でも冒頭の“The Vanishing”は、そのような「モノ」と「記憶」の層が交錯するような音楽性を象徴するトラックである。電子音のアルペジオ、微かに騒めくノイズ、聖歌隊のような声など複数の音響が複雑に折り重なりつつも、しかし全体として「大袈裟な物語」を描くことはなく、「記憶=ノスタルジア」を遡行するようなミュジーク・コンクレートとなっているのだ。
 続く“Youth Organ”、“Sisters”も同様だが、特に“Born Last Summer”は、シンセサイザーの魅惑と環境音などのマテリアルな質感とノスタルジックな抽象性が同居するトラックに仕上がっている。以降、“The Clocks In The Mansion”、“A Mirror In The Mansion”、“No Ceiling In The Mansion”の3トラックは、まるで記憶の層をコンポジションするような音響空間を生成している。

 それもそのはずで、本作はどうやらブレット・ナウケの子供時代の記憶をイメージしているアルバムなのだ。タイトルの「マンション」も、それに関連しているのだろう。加えて曲名に散りばめられた「オルガン」(Youth Organ)、「妹」(Sisters)、「時計」(The Clocks In The Mansion)、「鏡」(A Mirror In The Mansion)といったワードもまたその家の記憶に関連付けられているのかもしれない。
 つまり本作は、記憶の音響であり、記憶のアンビエントでもあるわけだ。「記憶」と「電子音」が生成・交錯をしていくことで、ある種のオブジェクト感覚が生まれた。たとえば「写真」のように。つまり記憶の定着化である。音響によって生まれる記憶のイマージュ、その結晶。
 マテリアルな魅惑と、記憶(ノスタルジア)への誘惑と横溢。本アルバムに横溢する電子音質感に、そのような物質と記憶がもたらす官能性のようなものを強く感じてしまうのである。

IDM definitive 1958 - 2018 - ele-king

 なぜ1950年代から……?
 このタイトルを目にした方がたの多くは、まずそこに戸惑いを覚えることだろう。でも、まさにそこにこそこの本の秘密がある。
 IDMすなわちインテリジェント・ダンス・ミュージックという言葉は90年代に作られたものだ。それはハウス・ミュージックより後に生まれた概念であり、ダンスを出自としながらそこに留まらないことを希求する、ひとつのオルタナティヴな態度でもある。とはいえ、その言葉に含まれる「インテリジェント」という部分がどうしても「それ以外のダンス・ミュージックには知性がない」というニュアンスを帯びてしまうため、その呼称を忌避する者も多い。それゆえUKや欧州では当時からエレクトロニカという言葉も用いられ続けてきたわけだが、不思議なことに合衆国ではその語はプロディジーやケミカル・ブラザーズのような音楽を指すために使われることとなった。このような奇妙なねじれ、このような言葉の揺らぎそのものに、IDM/エレクトロニカという音楽の持つ特質、すなわちそれを他とわかつ決定的な指標が潜んでいるのではないか? であるなら、その前史を振り返ってみることもまた有意義なことなのではないか?
 とまあ、堅苦しい言い方になってしまったけれど、本書はディスクガイドである。IDM/エレクトロニカとはいったいなんなのか――それについてどう考えるにせよ、その中心にエイフェックスがいることは間違いない。近年では、彼を筆頭とする90年代のIDM/エレクトロニカから大いに影響を受けたラナーク・アートファックスのような新世代が台頭してきている。あるいはそこに〈CPU〉やブレインウォルツェラ、バイセップダニエル・エイヴリーなどの名をつけ加えてもいい。昨年『ピッチフォーク』が「The 50 Best IDM Albums of All Time」という特集を組んだことも話題となった。いま、90年代前半に起こった音楽的旋回がさまざまな形で参照され、新たな意味を帯びはじめている。
 そのような今日だからこそ、この『IDM definitive 1958 - 2018』はあなたに音楽の新たな聴き方を提供する。エイフェックスを起点として過去と未来とその双方に向けて放たれた無数の矢、選び抜かれた800枚以上のタイトルがいま、あなたに聴かれることを待っている。

IDM definitive 1958 – 2018

監修・文:三田格
協力・文:デンシノオト
文:野田努、松村正人、木津毅、小林拓音

contents

Chapter 1
Musique concrète / Synthesizer Music (1958~1965)

Chapter 2
Sound Effects (1966~1971)

Chapter 3
Improvisation / Composition (1972~1979)

Chapter 4
New Wave / Industrial (1980~1989)

Chapter 5
Braindance (1990~1993)

Chapter 6
Glitch Electronica (1994~1999)

Chapter 7
Indietronica & Folktronica (2000~2006)

Chapter 8
Life and Death of Rave Culture (2007~2013)

Chapter 9
Now (2014~2018)

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