「S」と一致するもの

 この国のファンクと歌謡曲の水脈の豊かさ、ことばのしたたかさと毒々しさ、社会を低い地点から観察するあたたかいアイロニー、したたる哀愁、洗練された諧謔精神、そして心とからだをじっとりと侵食してくるグルーヴ。僕はその日、面影ラッキーホール改めOnly Love Hurts(以下、O.L.H.)が表現する、それらすべてに激しく興奮し、心を打たれた。たまらなかった。
 いまだにあの日のライヴのことを思い出すと、胸がざわつき、ニタニタしたり、真顔になったりしながら、人に語りだしたくなる。小器用に格好つけるだけでは到達できない次元に彼らはいた。僕は久しく忘れていた、いや、忘れようとしていた感覚を思い出し、その感覚を肯定する気持ちになれたことを、O.L.H.に感謝しなければならない。

 ヴォーカルのaCKyのいかがわしくも愛らしい風貌とニヒルなMC、哀愁が滲み出した歌ときわどい歌詞と物語は、そこら中に転がっている、なんでもなくどうしようもないけれど、何かではある人生の寄せ集めそのものだった。公序良俗からはみ出してしまう気質。aCKyの存在と表現は、そういう抗し難い気質と性分としか言いようのないものからできているように思えた。 
 じゃがたらもビブラストーンもリアルタイムで体験できず、口惜しい思いをしている、遅れてきた世代のジャパニーズ・ファンク・フリークや、喉の奥に魚の小骨が引っかかったような、社会に対する違和感を抱えながら毎日をやり過ごしているぐうたらな不満分子は、O.L.H.を聴いてライヴに行くべきだと声を大にして言いたい。
 純愛、背徳的な愛、不幸な愛。ふしだらな性、性の悦楽。都会と田舎。渋谷のクラブの喧騒と場末のスナックの倦怠。階級、貧困、身体障害。ドラッグ、DV、児童虐待……。ヴォーカルのaCKyが取り上げる、こう書くとずいぶんと重たいテーマすべてを貫くのは、意地悪くもあたたかい人間観察と情熱的ニヒリズム、スケベ心、黒人音楽――ソウル、ファンク、ジャズ、R&B、アフロ――と歌謡曲への偏愛とその探求だった。

 うん、どうにもこういう書き方では、O.L.H.のいち側面を伝えているだけになってしまう。O.L.H.の華やかなステージングまでは伝えられない。なんてったって、O.L.H.は派手で、愉快で、ダンサンブルな集団なのだ。会場をバカ騒ぎさせて、笑いながら泣かせる演奏と歌をキメるプロなのだ。トランペット、サックス、トロンボーンを縦に横に動かすキュートな振り付けと艶やかな女性コーラス隊ふたりのキレの良いダンスの対比などは見事なもので、その光景はなんとも贅沢だった。会場の一体感というものに、胡散臭さを感じなかったのも久しぶりだった。
 主役のaCKyは、ピンク色のスーツとハット、薄いスモークがかかった妖しげなサングラスをかけて登場した。スーツはおそらくダブルだった。違ったかもしれない。とにかく、全身、眩しいまでのショッキング・ピンクだった。映画『ワッツスタックス』で観ることのできるルーファス・トーマスと初期・米米クラブのカールスモーキー石井と70年代のNYのギャングスタかピンプをミックスしたようなファッションといでたちだった。華やかなアーバン・ライフに憧れる地方出身者を戯画化しているようにも見えたし、まさにあのファッションがO.L.H.のリアリティとも感じられた。いや、どちらが真実だとかはどうでもいい。ウソとホントの境界線をぼやかしているのが、aCKyとO.L.H.の本質ではないかと思うからだ。

 生々しい物語をときにひっくり返る声で咽び泣くように歌い、セクシーな女性コーラス隊が空間を広げ、最高にグルーヴィーでエロティックな演奏を高いレヴェルでびしっとキメ、本物なんてクソ喰らえ! と舌を出す。スライもダニー・ハサウェイもディアンジェロも山口百恵もPファンクもモーニング娘。も、彼らがやるとすべてが素晴らしくいかがわしくなるのだ。ギター2人、ベース、ドラム、パーカッション2人、キーボード、コーラスの女性2人、サックス、トランペット、トロンボーン、そしてヴォーカルのaCKyという強力布陣から成るその日のO.L.H.がやったのは、そういう高度な芸当だった。
 “今夜、巣鴨で”、それから、まさにじゃがたらの“でも・デモ・DEMO”を彷彿させるアフロ・ファンク“温度、人肌が欲しい”へと展開するオープニングで一気にたたみかけると、aCKyはMCでギャグを連発した。「俺の方がヒップホップ育ちだよ」「ソールドアウトにはなれないけど、イル・ボスティーノにはなれるかな。イル・ボスティーノに失礼かwww」などなど。そして、“必ず同じところで”ではオールドスクール風のラップをかました(O.L.H.のドラマーは元ビブラストーンの横銭ユージだ)。その後も、ヒップホップ・ファンを意識したサーヴィス・トークは止まらなかった。

 そう、僕はここでもうひとつ大事なことを書かなくてはならない。その日の対バン相手は、田我流擁する山梨のヒップホップ・クルー、スティルイチミヤだったのだ。ある酔客のウワサによると、この対バンは、田我流のラヴ・コールによって実現したという。が、真相はわからない。いろんな幸運が重なったのかもしれない。とにもかくにも、O.L.H.の前にライヴをしたスティルイチミヤもまた、小器用に格好つけるのではなく、アウェイの雰囲気を楽しむように、山梨ローカルのバカ騒ぎをみせつけていた。
 デーモン小暮のようなメイクのMr.麿が歌謡曲から持ち歌までを絶唱しまくり、最後に田我流が、「新曲です」と言って、カラオケなのか、その曲をサンプリングしたトラックなのか、H Jungle with T「WOW WAR TONIGHT」の荒れ狂うビートの渦のなかでノリノリになって、大盛り上がりするパフォーマンスに至っては、見る側の気持ちも恥ずかしさを通り越して、爽快の域に達するほどだった。O.L.H.に対抗する俺たちのやり方はこれだ! という、この組み合わせにふさわしい、言うなれば、じつに潔い世代間闘争がくり広げられていた。黒人ができないドメスティックな方法論で音とことばを練磨することで、精神まで黒人化していくという逆説は、じゃがたら、ビブラストーンからOLH、そして田我流までが実践してきた共通テーマのように思えた。

 スロー・バラード、スウィート・ソウル、しっとりとしたジャジーな演奏から、猛烈なディスコ・ファンクへ。つねにいかがわしさを漂わせながら進んだO.L.H.の大人のナイト・ショーのボルテージはアンコールで最高潮に達した。袖から上下ピンクのスウェットで戻ってきたaCKyは、アンコールの2曲でステージ上で激しく飛んだり跳ねたり、踊りながらして服を脱ぎ捨て、最後はピンクのブリーフ一枚になり尻をむき出しにして、お客をこれでもかと煽り、去って行った……。もう最高だった。僕はことばを失い、ウーロンハイが空になったカップを口に咥えて、できる限り大きな拍手をO.L.H.に送ったのだった。
 
追記:この日、Jポップ/歌謡曲セットのDJで出演したセックス山口が、中森明菜のラテン・ナンバー“ミ・アモーレ”から槇原敬之のニュー・ジャック・スウィング“彼女の恋人”へと見事につないだ瞬間、僕はわおっ! と飛び上がり、彼がジャパニーズ・ファンクのなんたるかを全身全霊で表現していると思ったものだ。あの日の素晴らしいプレイをMIXCDでぜひ聴きたい!


Only Love Hurts


stillichimiya


SEX山口


Bruce Springsteen - ele-king

 911の回答としての『ザ・ライジング』(02)に象徴されるように、たぶん、いつもこの男の正しさ、立派さは同時に抑圧的だったろう。アメリカを巡る物語に、国外はもちろん、アメリカ人だってすべての者が参加しているわけではないのだから。テロリストに星条旗が焼き払われる映像が世界中に流されたとしても、すべての民が喪に服する義務があるわけではないだろう。911以降、(『ザ・ライジング』よりも時期的には後にはなるけれども)アメリカの価値観の揺らぎに肉薄している数々の表現に出会った僕は、スプリングスティーンのやり方は真面目すぎるように思えたのだ。
 だが、ダーレン・アロノフスキー監督作『レスラー』の主題歌を聴いたとき、僕ははじめてブルース・スプリングスティーンを本当に「いま」立ち上がってくるものとして感じられた。「持っていたものをすり減らしていく俺を見ただろう」……死んでいくかつての栄光に捧げる、せめてもの慈愛の歌。相変わらずメロドラマじみてはいたけれども、スプリングスティーンはそこで、老プロレスラーとともに終わっていくアメリカを背負うように見えたのだ。
 いや、その少し前、オバマの就任記念コンサートで、スプリングスティーンがピート・シーガーとウディ・ガスリーの“わが祖国”を歌うのを観ていたからかもしれない。“わが祖国”は国家としてのアメリカを讃える歌ではない。そこに住む、ピープルを讃える歌である。その数年前(06)、スプリングスティーンは『ウィ・シャル・オーバーカム:ザ・シーガー・セッションズ』を発表していたが、そんな風にして語り部としてかつての「人びとのアメリカ」を頑固に歴史の表舞台と接続しようとしているのならば、スプリングスティーンの使命感は機能していると思ったのだ。つまり、うるさい頑固親父としての。『レスラー』で親父は自らの老境を認めているようで、そしてその映画がアメリカで公開されるほんの数ヶ月前にリーマン・ショックが起こった。

 オバマ政権に対しても疑念が漂いはじめ、ウォール街デモから地続きのものとしての『レッキング・ボール』(12)における「We take care of our own(俺たちは自分たちで支え合う)」というスローガンには、だから、はじめ素直に頷いた。だが少しして、この「We」とは誰のことなんだろう、と思いはじめ、次に僕はアニマル・コレクティヴを聴いているようなドリーミーな若者のことを考えた。彼にこの「We」は響いているのだろうか? このアルバムで歌われる「希望と夢の国」がかつてのアメリカの理想として、それはもう消えていくものなのではないか? 「自由の鐘の鳴る音が聞こえないかい」……、それは、いつの時代の残響音なのか? スプリングスティーンの不屈さに鼓舞されると同時にいたたまれなくなるような、奇妙に分裂する感覚を僕は繰り返し聴くほどに覚えた。

 本作『ハイ・ホープス』は、11年に他界したクラレンス・クレモンズへの哀悼の意もあり、この10数年間からの録音を集めたものとなっており、その分コンピレーション的にカジュアルに聴ける面もあるかもしれない。だが、収録曲の3分の2にトム・モレロのギターがフィーチャーされていることで、音の主張は近作群よりも強くなっているようにすら思える。正しく、立派で、誇り高い。ドリーミーな若者たちには、彼らが愛でるノイズよりもこのアルバムが文字通り騒音的にうるさく聞こえるだろうが、だからこそスプリングスティーンが歌う意味がある。つまるところ、頑固親父がいる彼らのことが、僕は羨ましいのだ。ギターがエモーショナルに泣きわめくような“ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード”辺りになってくるとさすがに疲れてくるけれども……しかし、最良の瞬間はその次にやって来る。シンプルでウォームなフォーク・バラッド“ザ・ウォール”はスプリングスティーンがヴェトナム戦争で喪った音楽仲間に捧げられており、この個人的な歌はもちろん、戦争とつねに隣り合わせにあるアメリカ国家に対する静かな怒りでもある。ここでも頑なに、スプリングスティーンは無名の人間の生をアメリカ史と繋げていく。そうだ、彼の正しさにはなお、素朴な思いやりがこめられていて、だからこそ多くのひとが彼の声に耳を傾け続けるのだろう。
 そしてまた、続くラスト・トラックであるスーサイドのカヴァー“ドリーム・ベイビー・ドリーム”が暗示的だ。何かを振り払うようかに「カモン、ベイビー、夢を見続けよう」と繰り返される呼びかけ。これは『デヴィルズ・アンド・ダスト』(05)の頃のツアーでよく歌われた曲だというが、2005年といえばまだブッシュ再選の記憶も新しい頃で、そこでスプリングスティーンが言う「夢」はつまり気高き理想、やがて来るべき「change」のことだったろう。けれども、アメリカが落ちぶれていくこの10年のなかで、夢の意味は傷つきやすい若者たちが外界から身を守るためのものへと変容したのではないか? 僕はそのことにスプリングスティーンが気づいていないとは思えない。しかしそう知ってなお、この曲をアルバムの締めくくりに……この10年の終曲に選んだのではないか。いまでも共有できる夢があるのだと、「We」は支え合えるのだと。

 僕はいま、このアンビヴァレントで煮え切らない文章をどう終えようか決められずにいるが、ただ、ピート・シーガーの冥福を祈りたい気持ちはとてもシンプルに自分のなかにあって、だからそのことを書いておこうと思う。少なからずアメリカ文化から影響を受けてきた自分のような人間がいま、ピート・シーガーの遠い末裔のように錯覚してしまうのは……スプリングスティーンのせいでもある。

#2 泉まくら - ele-king

泉まくらとヒップホップ

 ご存知の方も多いかと思うが、泉まくらはヘッズだ。

泉:当時好きだった人が餓鬼レンジャーとラッパ我リヤのCDを貸してくれたんですよ。それが日本語ラップを好きになったキッカケですね。中高生の頃は吹奏楽部にいたんですけど、日本語ラップはわたしがそれまで聴いてきたどんな音楽とも違っていて、とにかくカッコよかった。

 僕が彼女に興味を持ったのは「わたしは日本語ラップを愛している」という主旨の発言を何かのメディアで読んだときからだった。

泉:とはいえクラブに行ったりはしませんでした。苦手なんです。わたしはCDを集めて、1曲の中で山田マン(ラッパ我リヤ)が何回韻を踏んでいるか数えたりするようなタイプ(笑)。ラップにはいろんな魅力があるけど、わたしが好きなのはガシガシ韻を踏むところ。韻踏(合組合)とかMSCとかも大好きです。ヒップホップには「like a ~」って表現が多いですよね。あれって普通のポップスにはあまり出てこない表現だと思うんですよ。ああいう表現って、明らかに韻を踏むための言葉選びですよね。それがダジャレみたいでダサいって人もいるけど、わたしにはカッコいいものに思えました。

 彼女が作り出す音楽や雰囲気は、ステレオタイプな日本語ラップのイメージと到底結びつかなかった。

泉:賞とかは一回も獲ったことはないですけど、昔から小説を書いていて。物語的な起承転結はあまりなくて日常の機微みたいなことを書いていました。だいたい同年代か少し年下の女の子と男の子の話が多いですね。“balloon”の歌詞はわりと自分が書いている小説に近いかも。小説的な世界観を表現するという意味で、日本語ラップの文字数の多さもわたしにとってすごく魅力的でした。あと、ラップだと普通の日常のなかにあるどうでもいいことや、テレビに出てる人たちの何気ない一言がパンチラインになり得るんですよ。なんでもない日常を韻を踏んで歌うことで、いくらかの人にグッときてもらえるのはすごく楽しい。

泉まくら “balloon” pro.by nagaco

 泉まくらを発掘したレーベル〈術ノ穴〉を主宰し、自身もトラックメイカー・デュオFragmentとして活躍するKussyは彼女をこう評す。


泉まくら
マイルーム・マイステージ

術の穴

Review Tower HMV iTunes

Kussy(Fragment):作品を制作する上でアーティスト自身のバックボーンがとても大切だと思うんです。泉はヒップホップがどういうものかということを感覚で理解しているのが大きい。ラップを使って表現する人は多いけど、彼女はヒップホップとしてのラップで表現するんです。たとえば、EVISBEATSさんがトラックを作ってくれた“棄てるなどして”って曲があるんですけど、このタイトルは雑誌から取ったものらしいんですよ。

泉:家に「部屋を片づけましょう」みたいな冊子があったんですよ。そこに「部屋は定期的にいらないものを棄てるなどして~」みたいな文章があって。その「棄てるなどして」が引っかかったんですよね。漢字も含めてそれをそのままサンプリングして、リリックを書き上げていきました。

 トラックメイカーが膨大なレコードの中から使えるブレイクを探してループを組み上げていくように、彼女は目に映るあらゆる言葉から使えるフレーズを探して、リリックを書く。

泉:(韻を)踏みたいけど、ダサくなるのは嫌。だからいまのスタイルになったんです。べつにわたしのヒップホップ愛は、みんなに伝わらなくてもいいんです。けど、誰かが「あれ!?」って気づいてくれたらおもしろいかなって。

泉まくらというプロジェクト

 日本語ラップの何が泉をそこまで惹き付けたのだろう?

泉:昔から自分に自信を持てなかったんです。プライドが高いわりに何かをできるわけでもなくて、とりたてて容姿がいいわけでもない。それに小学校の頃、上級生にちょっといじめられたりもして、徐々に「自分には何もないんだ」って思うようになったんです。でも、中高でやってた吹奏楽はけっこういい感じで。練習もすごいして、部員の中では誰にも負けないくらい演奏できるようになってました。音楽ならやれるんじゃないかって気にもなってたんです。だから、高校を卒業したら音楽の学校に行きたかった。そしたら、親に反対されて。「お前、音楽学校なんかに行って将来どうするんだ?」って言われたときに、何も言えなかったんですよ。いま思えば、親に反対されて諦めるくらいだから、そのときは「音楽でのしあがっていく」なんて意識はなかったでしょうね。その程度のものだったんです。でも当時のわたしにとって、それは挫折でした。音楽の道が断たれてしまったことで、また自信のない自分に戻ってしまったんです。それで高校を卒業して親に言われるがままに就職しました。ちょうどその頃に日本語ラップと出会ったんです。
 ヒップホップを聴いていると自分が強くなれたような気がして。自信を持てないその頃のわたしは、ずっとヒップホップを聴いてました。でもそのときは自分がラップするとは思ってなくて、このまま普通に働いて、貯金して、みたいな感じで人生を過ごすのだろう、と感じていたんです。でも、途中でそういう生活のなかにいることに対して、疲れちゃったんですよ。わたしは自分ががんばっていることが目に見えた形で残らないと嫌なタイプで。仕事をしているときはそういう部分で結構無理をしていました。そしたらふとした瞬間に「わたしはなんのためにこれ(仕事)をやっているんだろう?  何が楽しいんだろう?」って思っちゃって。そしたら精神的にガタっとくずれちゃって。認められないとダメと思っていたというか、誰かがいいって言ってくれないと自分のやっていることは正しくないんだ、足りないんだって思いがあって。だからラップをはじめた頃も人にとやかく言われるのが本当に嫌でした。いまはもうそうでもないですけど。もちろん「いい」って言ってもらえれば嬉しいですけどね。でも、そのことで一喜一憂はしない。

 では学生時代の泉まくらはどんな人物だったのだろう。深いカルマを背負った人間だったのだろうか?

泉:ぜんぜん(笑)。吹奏楽部では副部長してたし、誰とでも喋れるわけじゃないけど普通に明るくて友だちもいっぱいいました。でも大事な場面で人と合わせられないというか。たとえば、ここはあなたが「うん」と言えばすべて丸く収まりますよ、みたいなシチュエーションで「うん」と言えないことが多い(笑)。でも、なんかそれでも許されるような気がしたのがヒップホップだったかな。ヒップホップはなんでもありじゃないけど、なんていうか楽しめそうっていうか……。ありのままを許容してくれるような感じがしました。

 そんな彼女がラップをはじめたのは、友人の何気ない一言だったという。

泉:ラップ自体はずいぶん前からやってみたいと思っていたけど、思っていただけというか。「いいなー、いいなー。男の人はいいなあ、こんなことができるのかあ。カッコいいなあ」ってずっと思ってたんですよ(笑)。でもそういう思いをふつふつと溜めていただけで、なにも動いてはいませんでした。そしたら友だちが「やりたいんだったら、まず録ってみるといい」ってインスト集をくれたんですよ。そのインストに合わせてラップをはじめたのがきっかけですね。2011年かな。

 彼女が日本語ラップに見ていたカッコよさと、彼女のラップのカッコよさは明らかに異なる。本人いわく「ふつふつと溜めていた」思いはラップをはじめることで発露されたのだろうか?

Kussy:泉が最初に書いた曲はファースト・アルバムの『卒業と、それまでのうとうと』にも入っている“ムスカリ”って曲で。アルバムではオムス(OMSB)くんにトラックをお願いしているんですが、原曲はBLACK MILKのインストに泉がラップを乗せているんです。その曲なんかは、リリックがめちゃくちゃハードで(笑)。この子はトラックありきなんですよ。リリックはトラックからインスパイアされて書いているんです。

泉:いまのわたしのスタイルから考えると“ムスカリ”はぜんぜん違いますよね(笑)。鬱々とした思いは自分のなかにあったんだけど、“ムスカリ”を作ったことでそれが膿として出ちゃったというところはあるかな。でも、自分としてはそういうハードな曲が「もういいや」ってなってるわけじゃなくて。最初にもらったBLACK MILKのインストからインスパイアされたものがたまたまそういうかたちだったんですよ。そして次にもらったトラックがたまたま“balloon”だったというだけです。あのトラックでハードなことをするのも違うし。本当にわたしのリリックはトラック次第なんですよね。

 では、“ムスカリ”以降の曲は自身のパーソナリティが反映されたものなのかと訊くと……。

泉:自分としてはけっこう「作ってる」イメージですね。ドキュメントというよりは小説に近いというか。自分の感じたことももちろんあるけど、それは全体の20%くらい(笑)。トラックを聴いて感じたテーマを自分の頭の中で膨らませていって、わたしだったらこういうときにどう考えるか、どういう景色が見えるのかって考えてリリックにしていきます。そこに伝わりやすい言葉を選ぶ作業を足す。

Kussy:泉は“balloon”で才能が開花したんです。そのトラックを作ったのがnagacoってプロデューサーでした。彼が泉の才能を引き出したんだと思います。だから『卒業~』も『マイルーム・マイステージ』もメイン・プロデューサーはnagacoで行こうっていうのがみんなの共通認識でした。でも全部nagacoが手掛けてしまうのも、つまらないじゃないですか。だから泉のそういう資質も鑑みて、MACKA-CHINさんやEVISBEATSさんのようなヒップホップ寄りの人から、kyokaさんみたいなエレクトロニカ寄りの人までいろんなプロデューサーと組ませてもらって、彼女のいろんな引き出しを開けてもらおうと思ったんです。そういう意味では「泉まくら」はみんなの共同プロジェクトみたいな部分もけっこうあるんですよね。

泉:今回のアルバムはたしかにバラエティに富んでいて、ラップもいわゆるまくら節みたいなものはないと思うんです。でも、それはひとりの人間のできることがひとつじゃないのと同じように、トラックを聴いたときに思い浮かぶこともひとつじゃないから、まくら節みたくならないのは、わたしとしては当然のことだと思っています。

MACRA-CHIN

 しかしコラボレーション作業は口で言うほど簡単なものではないようだ。

泉:“真っ赤に”の制作は本当に大変でした。いままでいちばん悩んだ曲かもしれない。あんなふうに「ずっちゃちゃずっちゃ」って鳴るビートをわたしはいままで聴いたことがなくて。「どうしてくれようか?」みたいな感じでしたね……。

Kussy:MACKA-CHINさんからまくらの声がああいうラヴァーズっぽレゲエ風のビートに合うんじゃないかと。

泉:でもMACKA-CHINさんから来たトラックのファイル名が「MACRA-CHIN」(まくらちん)ってなってたんですよ(笑)。それ見たら「頑張ろう」って思えて、タイトルをMACKA-CHINさんと「まくらちん」から連想して「真っ赤に」にしたんです。そこからいろいろイメージを膨らませていきました。

 赤はとても女性的な色だと思っていた。ルージュやマニキュア、そして生理。どろどろとして女性の情念のようなものが込められているリリックかと思っていたが、ふたを開けてみれば元ネタはMACKA-CHINがつけたかわいらしいファイル名だった。

泉:たしかにいろんなトラックをもらえるのは嬉しいですよ。わたしはつねにトラックと1対1で向き合ってたいんです。それを続けた結果、いまのようになったというか。“新しい世界”みたいなトラックと“真っ赤に”みたいなトラックをいっしょにもらえるラッパーって少ないと思うし。わたしがそういうふうにもらえるっていうことは、「できるだろう」って思ってもらえてるのかなって。だからわたしとしてはつねに柔軟でいたいんですよ。「これはわたしの感じじゃない!」とかっていうよりも、いろいろなことを試して楽しみたい。

Kussy:泉はいま、いろんなビートをもらって、「こんなのが書けたんだ!」みたいな感じで自分のなかのいろんな才能に気づいている段階なんです。でも、唯一書けかったのは食品まつりってトラックメイカーのビートで。『160OR80』にも参加していた人でジュークのトラックなんです。泉は楽譜が読めるぶん、ジュークの変則的なビートは苦労するみたいで。いまも挑戦している最中なんですけど。

泉:聴いてるぶんにはカッコいいんですけどね(笑)。そこに自分が入ると思うと、なかなか……。

 泉の挑戦はいまも続いている。

マイルーム・マイステージ

 『マイルーム・マイステージ』というタイトルを聞いたとき、これはCDを出す以前の彼女のことなのではないかとわたしは思った。自分の部屋をステージに見立てて、「強くなれるヒップホップ」に憧れながら、コツコツとラップを録り溜めているような。

Kussy:たしかに彼女は「部屋感」のある人というか、引きこもり感のある人ですからね(笑)。レコーディングも自分の部屋でやってるし。

泉:でも引きこもっているかと訊かれれば、いまのわたしは意外とそうでもないんですよね。精神的にまいっていた時期は、「やっとベランダに出られた」みたいな状況だったこともあったんですが。

 アルバムの冒頭でも宣言される『マイルーム・マイステージ』というコンセプトはどのように生まれたのだろうか?

Kussy:『マイルーム・マイステージ』というコンセプトを最初に決めて制作をはじめたわけではないよね。

泉:あのコンセプトに関しては、何曲かリリックができて、その歌詞を読んでいて「あたしはいま部屋にいるんなだな」って感じたんです。そこから「マイルーム」というキーワードを思いつきました。でも「マイルーム」だけだと、あまりに限定的な気がしたので、何かないかなと思って考えて「マイルーム・マイステージ」という言葉に行き着いたんです。しかも、アルバム冒頭の朗読は最後に入れましたし。最初はラップのアカペラにしようって考えてたんですが、「これからこういう感じでやりますよ」っていうのが伝われば朗読でもいいのかなって思って、あの感じにしたんです。

 ドキュメントではなくあくまでフィクション。大島智子のヴィジュアル。彼女のリリック。ヴァラエティに富んだサウンド。『マイルーム・マイステージ』は作品として完成されている。

Kussy:僕の中では構成とかアルバムの長さとかのバランスは完璧ですね。

 オルタナティヴなヒップホップ・アルバムに仕上がった『マイルーム・マイステージ』。彼女は自分がプレイヤーになったいま、日本語ラップのシーンを意識したりするのだろうか?

泉:どっちでもいい……。

Kussy:でも「泉まくらはJ-POPじゃん」って言われるのも寂しいでしょ?

泉:そうですね。とは言え、自分がどう観られたいとかっていうのもぜんぜんないです。つねに全力でやれば誰に何を言われようとも大丈夫かなって。でも、「泉まくらはラップしなくていいじゃん」とか、「アイドルみたいな女の子ラッパーになればいいじゃん」とかって言われることもあると思うんですけど、そこは意地っていうか。わたしは音楽がやりたいわけであって、アイドル的な存在になりたいわけじゃないんですよ。「やっぱりイケてる女子になれない」っていう自分のスタンスが、わたしはけっこう気に入ってる(笑)。

Kussy:自分のイメージとしては、いまの泉まくらを保ちつつ進化してポップ・シーンにまで届くようにすればいいかなと思っているんです。いま、泉はアニメの仕事をしていて、菅野よう子さんとmabanuaさんと曲を書いてるんです。レーベルの僕らとしてはできるだけ、彼女にたくさんの可能性を作って、そこから彼女自身の新しい引き出しを開けてもらえればと思っています。そういえば昨日、イラストをやってもらってる大島智子からメールがあったんですよ。彼女が“candle”で初めて前向きな女の子が描けましたって内容で。これは彼女が楽曲から自分の違う引き出しを開けてもらったってことだと思うんですよ。そういう意味でも泉くらっていうのはみんなにとってのプロジェクトであり作品なんですよね。関わっている全員が楽しんでいて、本当にすごくいい状態です。

泉:……本当ですか!?  知らなかった。嬉しいな。

カフカ鼾 - ele-king

(1) ジム・オルークにとって音楽は、大きく3つのタームに分けられる。1.実験音楽、2.即興音楽、3.ポップ音楽である。オルークはこの3つの領域を横断しながら、ときにミックスするように、ときに全く別の次元で演奏するように作品を生みだしてきた。この3つはそれぞれオルークのアルターエゴを形成するものでありながら、同時に彼そのものであった。「ジム・オルークの考える音楽のすべて」だ。

(2) そして、ジム・オルークにとって音楽の歴史はすでに終わったものである。それが彼の強烈な批評性であり、音楽への愛の証といえよう。過去にこれほどまでに厖大で素晴らしい音楽がある以上、新しい音楽など作る意味はあるのか。ジョン・フェイヒーもデレク・ベイリーも、レッド・ツェッペリンもヴァン・ダイク・パークスも、高柳昌行も小杉武久も、武満徹もメルツバウもすでに存在するのに、いまさらどんな音楽を作れというのか。

(3) 同時にジム・オルークは音楽家である。彼は批評家ではない。新しい作品を作り、演奏をする人間だ。先の批評性は、強烈な自己批評性へと転化し、その矛盾を乗り越えようとする動きが彼に音楽を作らせる。どんな楽曲を作るべきか。どんな音を奏でるべきか。ソロ名義のアルバムが00年代以降、急速に減っていくのも、自己批評性・自己吟味の表れであり、00年代以降、インプロヴィゼーションやコラボレーションが増えてくるのも、即興や共闘こそが新しい音楽が生まれ出る可能のひとつとジム・オルークが認識しているからだろう。たしかに、出会いと即興は同じことを繰り返してはいけない。そこでは反復すら反復ではない。

 2014年早々、カフカ鼾のアルバム『Okite』が発表された。カフカ鼾は、ジム・オルーク(シンセ・ギター)、石橋英子(ピアノ)、山本達久(ドラム)ら3人によるインプロヴィゼーション・バンドである。彼らはカフカ鼾結成以前から別バンドやユニットなどでレコーディングを繰り返していたが、その活動のなかで自然発生的にカフカ鼾として録音するようになったという。バンドキャンプに2012年頃の音源も上がっているので必聴である。また、オルークと石橋、山本に、須藤俊明、波多野敦子、千葉広樹を加えたマエバリ・ヴァレンタイン(!)も活動中だ。

 本アルバム『Okite』は、2013年6月にジム・オルークが自身の音楽歴を総括する連続コンサート〈ジムO 六デイズ〉におけるカフカ鼾のライヴ録音である。同コンサートは初期の実験音楽から名作『ユリイカ』なども含めたオルークの音楽活動を総括したもの。そのコンサートのなかでカフカ鼾はオルークの新バンドとして登場し話題を呼んだ。オルーク自身も6日間に渡るコンサートのなかで最も思い入れが強い演奏と語っている。その後、彼自身がミックスを手がけ、アルバムとして完成した。

 言うまでもなく本作は、先の3つのタームでいえば即興音楽の部類に入る。事実、石橋英子の硬質なピアノ、微分的にリズムを刻む山本達久のドラムに、ジム・オルークの微かなギターとシンセが絡み合う38分間の濃密なインプロ演奏を記録した盤である。石橋のミニマル/リリカルにして鋭利なピアノはその都度、新しい音楽を生成し、山本の常人には絶対不可能なリズムの分割感は、他にはない圧倒的なグルーヴを演奏に与えている。そんな超絶インプロヴィゼーションの横溢のなかで、まるでスティーヴ・ライヒとシャルルマーニュ・パレスタインが衝突しあうような驚異的な音楽が生まれているのだ。

 そして、ジム・オルークの演奏は、彼らの演奏のあいだに、もしくは違う層に存在しているように思われる。だがそれは演奏に介入する異物というわけではない。そうではなく二人の圧倒的なプレイとは違う場所で、でもたしかに、同じ時間に鳴っている音という印象なのだ。これはどういうことか。これまでのオルークのインプロヴィゼーションにおいて、そのような音の質感や運動はあまりなかったと私は思う。

 オルークは、即興と作曲を同時にしているように私には思えるのだ。即興と作曲の同時生成。実際、本盤でのジム・オルークのシンセやギターの音は、彼の初期の電子音楽を思わせる。たとえば傑作『ディスエンゲージ』(92)や、近年発掘リリースされた初期音源集『ロング・ナイト』、そしてクリストフ・ヒーマンとの発掘コラボレーション作品『プラスティック・パルス・ピープル』シリーズ(1991年)を思わせる響きと構成、電子音の緩やかで乾いた持続、まるで水の底に沈むような音の質感、次第に盛り上がっていく物語的な構成力など共通点は多い(オルーク作品には「水」のモチーフが出てくるのだが、本作のジャケットもまたそれを感じさせるものだ)。

 先に上げたバンドキャンプの演奏よりも、その傾向は強まっているとも思う。もちろん自身の総括コンサート〈ジムO 六デイズ〉での演奏という作用もあるだろう。そして同じ人が演奏しているのだから、かつての作品と似たトーンがあるのは当然という意見もわかる。だが重要なのは、本作『Okite』において重要なのはジム・オルークの即興演奏と実験音楽の境界が少しずつ無化されてきた、という点ではないか。そもそも、コンポジションとインプロヴィゼーションはその根源においてじつは同じものではないか。

 あるインタヴューで「あの人と即興をやると、新しい音楽が浮かんでくるっていうのが成功」とジム・オルークは語っていた。石橋英子と山本達久が生み出す音が、ジム・オルークにそのような変化を与えたのは明白だ。そしてそんな彼らが、この演奏を正式なアルバムとしてリリースしたのも、何か特別なものが宿っているからではないか。それは何か。私見だが、ここには実験音楽と即興音楽が安易な融合ではなく、その二つが同時に生成しているような、非常に高度な音楽のように思えてしまうのだ。オルークは次のようにも語っていた。「私たちが作ったのは即興音楽じゃなくて、カフカ鼾の音楽。別のドラマーやピアニストだとできない、この3人だけの音楽」と。3人によって作曲と即興の差異が高密度に無化されること。ジム・オルークの音楽の現在は、このような領域へと至っているのかもしれない。実験音楽と即興音楽の新たな領域への「移動」。ジム・オルークという稀有な音楽家は、昨年の〈ジムO 六デイズ〉以降、「総括と包括」から、それらの「超克の時代」へと移行しているのではないか(オルークがバンドキャンプで過去の発掘音源をリリースしはじめたのも示唆的だ。)。

 そして、このカフカ鼾の最初のアルバムには、そんな「総括以降」の音楽がたしかに鳴っている。実験音楽・即興音楽、ポップ音楽の総括と超克。このカフカ鼾の最初のアルバムには、そんな空想すら確信に近いと思わせるだけの力があるのだ。微音から爆音まで、音楽が自在に生成し変化する。その自由さ、その豊穣さ。音楽の生成と即興と作曲。その音の気持ち良さ、演奏者のテンションの高さ。それらが高いレヴェルで絡み合うことで、誰も聴いたことのないようなインプロヴィゼーション/コンポジションが生まれているのだ。終盤、演奏はロック的かつダイナミックなミニマリズムへと至る。そう、ここからポップ音楽への距離は、そう遠くない。

 いつの日か、ジム・オルークという厖大な音楽記憶装置という存在は、実験音楽と即興音楽とポップ音楽という3つのテーゼを包括し、音楽史そのものを超克するような作品を作るだろう。その最初の「鼾」のような兆候が本作とはいえないか(ちなみにフランツ・カフカには「掟の門前」という短編作品もある)。そして、そのような大切な音楽=演奏が、ジムひとりだけではなく、3人の才能に溢れた音楽家とのコンビネーションによって生まれたという事実を私は何より嬉しく思う。3人だからこそ生まれた音楽、そのジョイフルな共闘。本作もまたアワー・ミュージックなのだ。1から3へ……。つまりは3のOkite!

Stephen Malkmus & The Jicks - ele-king

 スティーヴン・マルクマスと初めて会ったのはペイヴメントの1回めのUKツアーのときだった。僕は彼らのデビュー・アルバム『スランテッド・アンド・エンチャンテッド』の“サマー・ベイブ”にやられていたので、彼らに会うのが楽しみだった。  “サマー・ベイブ”はバンド名に相応しい道の端に落ちたゴミのような音だった。でも、夜道を歩いているとき、たまにそのゴミが落ちた道が綺麗に感じられることがある。“サマー・ベイブ”はまさにそんな音だった。ドイツの写真家、現代アーティストのアンドレアス・グルスキーの作品で、ゴミが散乱した川を美しく撮っているシリーズがあるけど、“サマー・ベイブ”の魅力はまさにそんな感じだった。
 ルー・リードの歌もまさにそういう感じなのだが、スティーヴン・マルクスの歌はルー・リードみたいにドラッグ、ゲイ、性倒錯者みたいなセンセーショナルな素材を探すこともなく、普通に日常にいる変な人、たとえばペイヴメントのドラマーみたいな人や風景を若々しい目線で歌っている感じがした。それはまさに90年代の感じがした。  当時のアメリカからはいろんな面白い人たちがどんどん出てきていたから、こんな歌を歌っている人はどんな人だろうと期待していた。  カート・コバーンは完全にレッドネックなのに、本当に素晴らしい目線を持っていた。レッドネックがどんなドラッグをやれば、あんな新鮮な目線を見せてくれるんだろうと僕は思っていた。バットホール・サーファーズは本当に気がふれているようだった。で、ペイヴメントのスティーヴン・マルクマスはどんな人だったかというと、ブダペストのTシャツを着ていて、その姿は「何でブダペストのTシャツやねん」とつっこむ感じじゃなく、あっ、この若い青年はブタペストの歴史とかそういうものに興味があって、ブダペストに2週間ほど、旅行に行ってきたのね。と思わせてくれる風貌だった。悪くいえば金持ちの坊ちゃんという感じ。アメリカの若者でブダペストなんかに行くやつは金持ちしかいないよ。  スティーヴン・マルクマスの顔を見てもらえばわかるけど、ロスの青年弁護士みたいな雰囲気を出してますよね。彼のソロ1作めのジャケットなんて完全にそれですよね。なんで、音楽なんかやっているのという感じです。
 でも、そんな彼の作品はじつはどれも素晴らしいんです。とくにペイヴメントの後では『リアル・エモーショナル・トラッシュ』が素晴らしい。イギリスの67年くらいのあの音なんですよ。デヴィッド・ボウイなんかがやろうとしていた音、ヒッピー前夜の混沌としていたあの感じをうまく現代にあった感じでよみがえらせています。XTCのアンディ・パートリッジなんかが好きなサイケ感ですよね。アンディ・パートリッジよりもその感じを上手く再現していると思うのですが、日本のその筋の人たちから評価されないのが不思議です。その次のアルバム『ミラー・トラフィック』はその感じにペイヴメントのあの感じを足したというか。僕はちょっと安易じゃないかと思ったんですけど、イギリスではチャートに入り、アメリカでも3万枚売れたみたいです。スティーヴンもレコード会社からペイヴメントみたいなのやってと言われているんでしょう。
 で、今作『ウィグ・アウト・アット・ジャグバッグズ』なんですけど、『リアル・エモーショナル・トラッシュ』をもっとよくした感じなんです。ペイヴメントよりな『ミラー・トラフィック』があったから、ペイヴメントっぽいものから離れようとしていた不自然さが完全になくなって、『リアル・エモーショナル・トラッシュ』以上にプログレみたいな曲やアシッド・フォークなどのいろんなジャンルの曲を完全に自分のものとしてやっているのです。その上にスティーヴン・マルクマスのあの独特なメロディがしっかりとのっているのです。『ウィグ・アウト・アット・ジャグバッグズ』を聴いて思うのは、ルー・リードを受け継ぐのはスティーヴン・マルクマスしかいないということです。トム・ヴァーレイン、リチャード・ヘル、ショーン・ライダーでもピート・ドハーティーでもなく、ロスの弁護士のようなスティーヴン・マルクマスが彼を受け継ぐというのもどうかなと思うけど、正しいんでしょうね。やっぱ、ジャンキーはダメなんですよ、現代は。

Various Artists - ele-king

 あたかも極限状態を試すかのように、このところハウス・ミュージックばかりを聴いている人間が日本に少なくとも5人いるはずである。彼らは日夜『HOUSE definitive 1974-2014』のため、なかばマゾヒスティックなまでに4/4キックドラムを浴びているのだ。雪が降ろうと快晴だろうと、腹が減ろうと満たされていようと、外へは一歩も出ずに……

 長年音楽を聴いてきて、大衆音楽史においてもっとも大きな分水嶺となっているがディスコ/ハウス・ミュージックだったというのは確信がある。数ヶ月前も、たまたまある場所で、ある高名な音楽評論家と目があった瞬間に「俺はクラブは嫌いだから」と言われたが、こういうことは西暦2014年になろうが珍しいことではない。ノイズ/インダストリアルの愛好家でも、80年代半ばにそれがディスコを意識するようになってから離れていった人は少なくないが、僕も最初からディスコ/ハウス・ミュージックを素直に受け入れたわけではないので、その気持ちがわかる。10代~20代前半の若い頃は、ダンス・ミュージックなんてものはナンパで軽くて、低俗だと思っていた時期がある。恥ずかしくて聴けたものではないと。たんに自分がその超然とした優雅さを理解できなかっただけのことだが。

 ディスコは一時期商業的に大ブレイクしたので、1975年までのアンダーグラウンド時代を、そして流行が終わった後のアンダーグラウンド回帰時代(代表的なのがアーサー・ラッセル)を顧みずして、先入観や偏見だけで出来上がってしまったイメージがまだある。ダンスがうまくて、やたらキラキラしたイメージだ。実際は、音響装置の実験もあり、また、ゲイの運動家たちの拠点としての政治的な側面も併せ持っていたりと多様だが、たぶんどんな人にもざっくりとしたイメージがあるだろう。ところがハウス・ミュージックには、ディスコほど明確なイメージがない。ハウスはディスコから来ているが、しかしそれが出てきたとき、ディスコと違って匿名的で、つまり妖しく、より異質に見えた。

 ラリー・ハードの超名曲がほのめかしたように、ハウス・ミュージックは「ミステリアス」だった。ジョン・サヴェージが言うように、80年代半ばのレアグルーヴ(昔のファンク崇拝)が支配するダンスフロアにとっては、あり得ない何かに思えたものだ。この日常世界のどこかには、自分たちのまだ知らない感性による何かが始動している。まだ知らない世界がある。〈トラックス〉や〈DJインターナショナル〉、〈ニュー・グルーヴ〉のレーベル面の素っ気ないロゴ、ラフなデザインと印刷もそうだが、クレジットには初めて見るような名前ばかりが印刷されている。同時代のニューウェイヴ・ディスコの洒落たデザインとは対極で、しかも事前の情報もなく、ただそこに1枚の12インチがある。
 そこには好き勝手に録音された得体の知れない音が彫られている。ときにはセクシャルなトーチ・ソング、ときには狂ったかのようなドラッギーな反復、ときにはディープな思いを誘発する音が、名も無き人たちによって作られる。世界のどこかで醸成されるその「ミステリアス」さ、これがハウスと括られるジャンルの大きな魅力だった。
 かつて、ベルリンのベーシック・チャンネルというレーベルは確信犯として、その「ミステリアス」さを継承した。アーティスト名が読めないくらいがちょうど良いのだ。誰が作ったかという情報を明記するよりも、どんな音がそこにあるのかということへの関心を高めるほうが、このジャンルでは最高の効果を果たす。今日、東欧(ルーマニアやブルガニア、ロシアなど)のミニマルなハウスが異常に人気なのも、「ミステリアス」さと大いに関係があるのだろう。そしてNYのレーベル〈L.I.E.S.〉もまた「ミステリアス」であることに自覚的だ。

 本作は、昨年末のリリースで、レーベルにとって2作目のコンピレーションとなる(1枚目は『ピッチフォーク』いわく「スクリレックスの口のなかに尖った棒をぶっ込んでいるかのような」作品。どんなものかわかるでしょ?)。先日、NYでクリス&コージーがライヴを披露したときにサポートしたのがこのレーベルだったというが、彼らの音は明白なまでにアシッド・ハウス寄りで、ガラージ・ハウスもしくはディープ・ハウスなどよりはノイズ/インダストリアルに近い。ディスクロージャーではなく、ファクトリー・フロアやBEBの側……いや、それ以上に衝動的な何か。レーベルを主宰するロン・モレッリは、自身の作品はノイズ/インダストリアル系の〈ホスピタル〉から出している。
 紙エレキングで島田嘉孝氏が書いているが、〈L.I.E.S.〉は、昨年から日本でも人気レーベルなっているそうだ。レゴヴェルトはテクノ・リスナーにはそこそこ知られているだろうし、昨年話題になったトーン・ホークもこのレーベルから出している。が、基本「リリース経験の乏しい名の知れないようなアーチストばかり」の作品を出しているというのに売れているのは、レーベルへの信頼度や極めて衝動的(ガレージ・ロック的)であるがゆえの楽曲のユニークさもさることながら、そこで何が起きているのか知りたいという欲望が駆り立てられているからなのだろう。ハウスは難しい音楽ではないが、これが意外と気持ち良ければいいって音楽でもない。『Music For Shut Ins』には挑戦的な若々しさ、毒々しさ、激しさがある。

 NYは、ディープ・ハウスよりの〈Mister Saturday Night〉も調子が良い。NYは、アレックス・フロム・トーキョーによれば、のぼり調子だという。なにせ新しいNY市長ビル・デブラシオへの期待が大きい。民主党から(左よりの)NY市長が当選するのは24年ぶりだそうだ。前々市長のジュリアーニや富裕層を優遇した前ブルームバーグ市長に真っ向から対立する低所得者層支援の政策を掲げている彼は、これまで日常化していた警察の職務質問まで緩和させる方向らしい。デブラシオはイタリア系で、ディスコもディスコティックのイタリア語風の読みだし……。何にせよ、ウォール街のデモは無駄ではなかったわけだし、NYのクラブ・カルチャーも盛り上がるわけだ。〈L.I.E.S.〉の流通をベルリンのハードワックス(マーク・エルネストゥスが経営する世界的人気のレコ屋)が手がけるということも島田氏のくだんの原稿に書かれているが、さすがに鼻のきく連中だと感心する。時代の風向きはここにあるのだ。

 そういえば、ディスクロージャーのリミックス・アルバムの人選にラリー・ハードの名前があった。EDMとの違いを見せつけているが、それが通って話ではなく、読者にはハウス・ミュージックの「ミステリアス」さに注意を払って欲しい。これはレトリックの問題でもあるが、アティチュードと音楽性に関わる話でもある。ハウス・ミュージック以降の電子音楽の実験系でもそれは踏襲されている(3~4年前のOPNもそうだった)。「ミステリアス」とは辞書的に訳されるところの「神秘的」ということではない。「より多くを知りたくなる何か」であり、「咄嗟に説明の付かない何か」であり、それは安易に長いものには巻かれないことで保たれる。ま、『Music For Shut Ins』は僕のようないい歳の人間が聴くにはドラッギー過ぎるのだが、この1週間、ディープ・ハウスばかり聴いていたので、口に直しにはちょうど良かった。

NHK yx koyxeи - ele-king

 電子音楽の創造的なダンスホールにようこそ。コーヘイ・マツナガ(aka NHK yx koyxeи)が、マーク・フェルを引き連れて日本ツアーをやります。かつてはSND名義の作品でエレクトロニカを追い求める玄人なリスナーからさんざん支持されたフェルですが、ここ3~4年はエディションズ・メゴからのソロ作品によって、(感覚派の多い今日の電子音楽界にあって、良い意味で)理屈っぽく、どう考えても頭でっかちで、ロジカルに、そしてユニークなミニマル・サウンドを創出している。彼の最新のプロジェクト、Sensate Focusも好調なようで、今回のライヴPAは見逃せない。
 コーヘイ・マツナガも、PAN(ベルリンのもっともいけてるレーベル)からのダンス3部作の3枚目『Dance Classics Vol. III』も無事リリースされ、好評を博している。また、関西のほうでは、MadeggやAOKI takamasaも出演する! 


●2月25日@Dommune (web stream 21pm~midnight)
NHK Special.8
Mark Fell
Christophe Charles
Interviewer
Minoru Hatanaka (ICC)
live: Miclodiet、 Yuki Aoe
dj: Susumu Kakuda、 NHK fm

●3月1日@Soup 東京
-soup 7th anniversary "wasted"-
Sensate Focus
NHK yx Koyxen
CoH
Miclodiet
Nobuki Nishiyama
DJ Spinkles (aka Terre Thaemlitz)

https://ochiaisoup.tumblr.com
https://sludge-tapes.com

●3月2日@ACDC gallery 大阪
Sensate Focus
NHK yx Koyxen
shotahirama
lycoriscoris
DUCEREY ADA NEXINO
Madegg
And Vice Versa
hyAhar
Eadonmm

https://www.acdc-japan.com
https://idlemoments-jp.com

●3月5日@Metro 京都
-"night cruising" Red Bull Music Academy-
Mark Fell
NHK yx Koyxen
Sub-tle
Marihiro Hara
AOKI takamasa
Tatsuya Shimada(night cruising)
https://www.metro.ne.jp
https://www.nightcruising.jp

●3月7日@CMVC 大分
Mark Fell
NHK yx Koyxen
in
AOKI takamasa

https://twitter.com/cmvc_hita

●3月8日@DEF 金沢
Sensate Focus
NHK yx Koyxen
DJ NOBU (Future Terror/Bitta)
DJ Susumu Kakuda
Haruka Nitta

(石川県金沢市片町2-5-6 AYAビル2F)

●3月9日@Soup 東京
-soup 7th anniversary "wasted"-
Mark Fell
Kouhei Matsunaga
Painjerk
Christophe Charles
AOKI takamasa
NHK fm

https://ochiaisoup.tumblr.com
https://sludge-tapes.com


Julie Byrne - ele-king

 ジュリー・バーンの鈍く立ち上がる歌い起こしにつられて、一日が質量を持ちはじめる。彼女の歌を聴くなら朝がいい。朝から元気いっぱいならアッパーな音楽で加速するのも楽しいだろうけれど、そうでもない身体を起こすべくテンションの高い音楽をかけたり、目覚ましの音をマックスでセットしたりするのは、冷や水を浴びるようなもので、むしろストレスを増すだけだ。バーンは重たい。遅い。起伏が少ない。しかし心地よい温かみがある。チルアウトではなくてウォームアウト。そんな言葉はないけれど、彼女のギターと歌は、どちらかといえば後ろ向きな寝起きの思考と身体を、あったかく落ちつけて覚ましてくれる。

 ジュリー・バーンは現在はシアトルで活動するシンガー・ソングライターで、本作は彼女のカセットテープ・リリース2作をコンパイルしたデビュー・アルバムだ。冒頭のように書くとさぞオーガニックでスローな価値観やテクスチャーを持った音楽だと思われるだろうが、たとえばグルーパーをオーガニックでスローだと考えるのならばその意味ではそうだと言える。シンプルな弾き語りをリヴァービーな音像に仕上げる、『ドラッギング・ア・デッド・ディア・アップ・ア・ヒル』のようなプロダクションを持ったサイケ・フォークの逸盤だ。アシッド・フォークと言い切らないのは、たとえば木でできた家具ばかり商っていたりするオーガニック系の店などでもぎりぎりかけられるようなクリーンな明るさがあるから。グルーパーがより彼岸に振れる音なら、バーンは此岸にとどまる音である。

 というのは印象だけの問題でもなくて、実際に歌われている内容もドメスティックなものが多いようだ。部屋の描写、いっしょに暮らしていた男性のこと。ちょっと変わっているのは、彼女が長くイヴェント・ホールに住んでいたということだろう。それは自身にとっても人生を大きく変えるような経験だったと彼女は語っている。大きな規模のハコではなくて、おそらくはささやかな場所なのだろうけど、つねに人がなにかをしていて、プライヴェートを分け合うような生活だったというその述懐のなかには、若い女性の日常というにはもう少し大きい、ホールを舞台として交錯する無名的な人々の時間、そこに生まれる悲喜交々といったものが影絵のように動いている。

 おもしろいことに、2本のテープのうちの1本はそうした暮らしのなかで生まれた作品だそうだが、もう1本はその後小さなアパートメントに引き移ってからできたものだという。仕事場と部屋を行き来し、部屋ではずっとラジオを聴いて過ごしていた時期があった、その、ホールとは対照的な空間や時間の流れがパッケージされた作品だと推測するが、時期的にはどちらだろうか、『ジュリー・バーン』『ユー・ウッド・ラヴ・イット・ヒア』はともに2012年作である。音からすると『ジュリー・バーン』のほうによりウォーミーな感触がある。けっして飛翔することはないけれど、“キープ・オン・レイジング”のアルペジオなどには、ジュリアナ・バーウィックの光の束から1本の光を抜いてきて、フォーク・ソングに鍛えたというような静かな輝きが感じられる。“アタッチト・トゥ・アス・ライク・ブッチャー・ラップ”などの物哀しくミニマルな曲調を持った前半の方が、「アパートメント・ソング」なのかもしれない。しかし互いが互いの尾をつかむように、音の流れは円になってめぐる。底に流れるバーンの声のゆったりとした幅、印象的な低音が一貫しているから、両者は何周かするうちに入れ替わり、両方の生活の色をつないでいく。“ピアノ・ミュージック・フォー・ルーシー”が終曲となっているのは素敵な偶然だろう。にぶいオルガンがほぼ単音で紡ぎ出すこのアンビエント・トラックは、その境界があいまいになったふたつの場所を、ともに彼女の人生として撚り合わせ、聴く者の心へと流し込む。心が起きはじめるのを感じるのは、ひとりの生が流れ込んでくるからだ。そしてそれは、多くの人が拒絶の必要を感じない、なにかおおらかな力を持ったものだということを強調したい。ジャケットの近影もなにかそうしたことを裏付けるに十分な表情を浮かべていると思わないだろうか。

OF MONTREAL - ele-king

 オブモンってったら「オブ・モンスターズ・アンド・メン?」、オブモンってったら「ああ~あのエレファント6系の?」。そんな声が結構耳に入って来ましたっけ、来日前には。
 オブ・モントリオールに対する日本の状況。ここ何年かは明らかに本国やヨーロッパなどとの評価&人気の差がついてましたから、主催者としてちょっと……いやかなり心配だったんです。12月に来日したアクロン/ファミリーが「次は誰を呼ぶの?」「うん、オブモン」「おお! それは日本中がディスコ・ナイトになるネ!」なんて言われてもスカスカ・ディスコだったらオエ~だなァとかとか。

 実際オブ・モントリオールは作品を出す度に進化、そして成功を収めて来ました。とくに2010年の『ファルス・プリースト』はまさかのビルボード34位を記録。ライヴでの圧巻パフォーマンスもあってフロントマンのケヴィン・バーンズは確実にインディー界のスターになったわけです。そのグングン上がっていったオブモンの状況がとにかく日本ではぽっかりと空いてしまっていた。ほとんど伝わっていなかった。ああ~もったいないってことで、新作『ロウジー・ウィズ・シルヴィアンブライアー』も出たしってことで、5年ぶりの単独公演を本当にドキドキしながら開催したのですが……あ~良かった! ディスコになりましたよ。お客さんってば本当に素敵!

 ケヴィン以外のメンバーはボブ・パーリンズ(ベース)、ベネット・ルイス(ギター)、ジョジョ・グライドウェル(キーボード)、クレイトン・ライクリク(ドラム)、そして紅一点レベッカ・キャッシュ(ヴォーカル、キーボード)の5人。ちなみに昨年のTAICOCLUB出演時のメンバーとは誰ひとりかぶっておらず、『ロウジー・ウィズ・シルヴィアンブライアー』のレコーディング参加メンバーを揃って連れて来たかたち。
 ただ、ここ数年のオブモン作品はほとんどケヴィンひとりで制作しており、ライヴとレコーディングは別物にしていたので、この両方が同じメンバーで構成されていることはオブモン史に取ってすんごいトピックなのです。そんな新生オブモンのステージはレベッカ嬢のデタラメ英語からファンキー・チューン“Girl Named Hero”でスタート! キラキラフリフリのテトリスみたいな柄のジャケットを着こなしたケヴィンの登場に会場は一気に色めきトキメキー。もうすでにディスコ。そしてケヴィンが本当にかっちょいい。デヴィッド・ボウイかプリンスかヒデキ・サイジョーか岡村ちゃんか。グラマラスにソウルフルに、踊りながら、ピョンピョン跳ねながら、お客さんを煽る煽る。そしてこんなに歌がうまいのかと。声量があるのかとビックリさせられる。かと思えばセクシーなブラコン・ナンバー“Faberge Falls for Shuggie”では目の前のお客さん(もち女性)に耳元で囁いたり抱擁したりでキャー。そしてケヴィン、レベッカ、クレイトンの三人でのザ・コーデッツのカバーを挟み、新作から“Colossus”、レベッカがメイン・ヴォーカルを務める“Raindrop in My Skull”と。レベッカがまたいいんです。まだ23歳、普段はキャッキャッ言いながら辛いモンばっか食ってる小娘なんすが、この曲ではエレガンスにエモーショナルにいたいけな小娘になりやがる。可愛い!そして人気曲 “Plastis Wafers”。こんなにライヴでは激しいのか!って、会場はドッカンドッカン。ディスコ・ロックですよ。ディスコ・フレディ・マーキュリー。そして一転してミラーボールがこれほどまでに似合う“St. Exquisite’s Confessions”では、ハイ来ましたー。ケヴィンの脱ぎ脱ぎコーナー。その鍛えられた贅肉全く無し腹筋ムキムキの身体にまたまたキャー。イギー・ポップの100倍輝いている。そして激・志茂田景樹な衣装替えを挟んで“Oslo in the Summertime”もこれまたビックリのへヴィー・アレンジ、で、大名曲“Heimdalsgate Like a Promethean Curse”を爆発させて本編終了。お客さんの笑顔が乾かない内にアンコールは“Gronlandic Edit”と“She’s a Rejecter”。いや~もう完璧でしょ。こんなに幸せになれるとは私も思わなかったし、お客さんも思わなかったはずです。


 で、ツアー中ずっと一緒にいて本当に思ったのは、ケヴィンがこのメンバーと一緒にやっていることが心から楽しいのだろうなぁってこと。全員が彼より年下なもんで、ケヴィンがお父さんみたいに世話してるんですよ。でもそれが本当に嬉しそうで。実際ツアー前のやりとりもエージェントを通さずにケヴィンとやりとりしていたので、彼がメンバー全員のビザ書類を集めたり、機材リストを作ったり、ホテルの部屋割りをしたり。地元アセンズに「ケヴィン御殿」を建てたスターが、今回は敢えてすべてをやってくれたんです。それ位このメンバーに思い入れがあるようだし、新しいオブ・モントリオールのあり方みたいなものを彼自身が発見したんじゃないかな。そのタイミングに日本に来てくれたこと、そして体験出来たことを心から嬉しく思います。冒頭に「日本ではぽっかりと空いてしまっていた」と書きましたが、いやいやそれ以上のものだったと。白馬に乗ったケヴィンとか、紙吹雪とか風船も無かったけど、さらに輝きはじめたいまのオブ・モントリオールがやっぱ最高! だって何回もケヴィンは言ってくれましたよ。「また日本に来るよ。もちろんこのメンバーでね!!」

Dum Dum Girls - ele-king

 ダム・ダムという言葉を聞くと僕はINUの「ダムダム弾」を思い出してしまいますが、ダム・ダム・ガールズはイギー・ポップの“ダム・ダム・ボーイズ”よりもヴァセリンズの“ダム・ダム”ですよね。
 2010年リリースのダム・ダム・ガールズの『アイ・ウィル・ビー』を初めて聴いたときはびっくりしました。こんなにもイギリスのあの音をやれるアメリカのバンドが出てくるとは。「あの音」とはプライマル・スクリームの“ヴェロシティ・ガール”のことです。もう何十年もぼくたちの胸をジーンとさせてくれる謎の音は、すべてここからはじまったと言っていいでしょう。ダム・ダム・ガールズの原点もこれですよ。
 もともとはアメリカの音なんですけどね。ヴェルヴェッド・アンダーグラウンドの音、デヴィッド・ボウイが“ジーン・ジニー”とかでパクった方じゃなく、捨てられた部分、いなたい部分、でも切ない部分。それをイギリスの公団住宅に住んでいるニキビ面の少年たち、ドラッグも買えず、シンナーしかできないような子どもたちが拾って、新しいポップの歴史を作っていったのです。

 この永遠の音は、永遠ですけど、永遠すぎて、前進できないんです。みんな成長していかなければ──プライマルはガレージになったり、アシッドハウスになったり、ビッグなドラム・サウンドを入れたりしないとダメなんです。そして、青春はどこかに消えていくのです。ストロヴェリー・スイッチブレイドがそうであったように。それでなければ、ヴァセリンズのように清くありつづけて、どこにも行かないと宣言するかです。

 ダム・ダム・ガールズのセカンド『オンリー・イン・ドリームス』(2011年)は中途半端でした。行きたくないのか、行きたいのか、どっちやねんという感じです。でも、この3作め『トゥー・トルー』はふっきれてますね。この手のバンドのふっきれるときの常套手段、ビッグなドラム・サウンドが入ってます。でも、セル・アウトしてないんですよね。ビッグなドラム・サウンドも、ゴスっぽい展開もどこか冗談ぽいんです。彼女たちはちゃんとわかっているという感じです。こういうところ、アメリカ人はイギリス人よりも強いのかもしれません。クランプスが一度もセル・アウトせずに生き延びることができたように。
『トゥー・トルー』はビッグなドラム・サウンドになってますが、あの青春的なイナタさは失っていません。どっちつかずだったセカンドより輝いています。
 僕はダム・ダム・ガールズを応援します。

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