「S」と一致するもの

Bing Ji Ling - ele-king

 昨年末の超満員のリキッドルームでモダン・ラヴァーズの“エジプシャン・レゲエ”をカヴァー(というかフレーズを引用)したのはオウガ・ユー・アスホールだった。そして、パティ・スミスがリアーナの“ステイ”をカヴァーしていると教えてくれたのは三田格だった。どちらも意外と言えば意外で、いや、オウガはアリか……、しかし後者は意外でしょう。かねてよりカヴァーを好み、歌詞マニアとして高名なパティ・スミスでさえもリアーナを認めるのか! と嬉しい驚きである。

 カヴァーは、商業音楽における常套手段だ。多くの人の耳に馴染んだヒット曲をオリジナルとは違ったアレンジで再現することは、アレンジの妙技を伝え、売れる可能性も追求する。多くのカヴァーにおいては、より洗練されたアレンジが求められる。たとえばレジンデンツの嫌味な“サティスファクション”ではより売れなくなり、リンダ・ロンシュタットが“アリソン”を歌えばエルヴィス・コステロの原曲より大衆受けする。カーペンターズがビートルズをカヴァーすればビートルズを聴かない層にもアピールする。
 それはAORへと繋がる。それは口当たりの良いMORへと繋がる。不思議なもので、バート・バカラックの“クロース・トゥ・ユー”をジャマイカのフィリス・ディオンがカヴァーすればルードボーイが涙し、北欧のジャズ・シンガーが歌えばオヤジの外車で再生される。マイルス・デイヴィスがシンディ・ローパーの“タイム・アフター・タイム”をカヴァーすれば誰もが微笑む。カヴァーは、聴き手を選び、原曲の方向性を変えることもできる。たいていの場合、我々音楽ファンを楽しませてくれる。

 Bing Ji Ling(冰淇淋)とは、中国語でアイスクリームを意味するそうだ。上海に1年住んだことのあるという彼は、トミー・ゲレロのバンドのメンバーとして紹介されることが多いようだが、調べると、西海岸のタッスルの元メンバー(ジ・アルプスのメンバーでもある)なんかともいろいろなプロジェクトをやっていたことがわかる。ノルウェーの〈スモールタウン・スーパーサウンド〉、サンフランシスコの〈ロング・ミュージック〉、ニューヨークの〈DFA〉といったクラブ系のレーベルから作品を出している。ディスコ・バンド、フェノメナル・ハンドクラップ・バンドのメンバーとしての活動も知られているが、ソロとしてのキャリアも10年ほどある。日本では、2009年に〈RUSH! PRODUCTION〉から出た『So Natural』が話題になったが、同年のシングル「ホーム」はクラブ・ヒットもしている。
 彼のユニークなところは、彼の経歴からもわかるように、アコースティック・ギターとソウル・ヴォーカルの組み合わせ──いわばSSWの弾き語りスタイル──をクラブ・ミュージックのコンテクストと接合した点にある。言うなればチルアウトなソウル歌手だ。

 ビン・ジ・リンの新作は、全曲カヴァーで、プリンス、シャーデー、ドナ・サマー、リル・ルイス、ティアーズ・フォー・フィアーズといった有名どころから、80年代に活躍したロンドンの洒落たラテン/ソウル/ジャズ・バンド、ルーズ・エンズ、スイスのシンセポップ、ジャズのスタンダードなんかの曲も試みている。ちなみにドナ・サマーの曲は、超有名な“ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー”。他は、リル・ルイスの“クラブ・ロンリー”、プリンスの『パレード』収録の“アナザー・ラヴァー”、シャーデーの『ラヴ・デラックス』収録の“キス・オブ・ライフ”など、80年代なかばから90年代初頭にかけての曲が多い。
 アイスクリームを名乗るくらいだから、実に口当たりの良い、洗練されたアレンジと歌をビン・ジ・リンはやる。軽いボサノヴァや無害なジャズに混じって高級車やカフェでかかっていることも充分にあり得るだろうし、うちの母親だって聴け……るってことはないだろう。居酒屋でかかるって感じではない。が、とにかく、それほどぱっと聴きは、清潔感に満ちた、青く透明に広がるMORなのだが、しかし“ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー”や“クラブ・ロンリー”の歌詞を思えば、これはエロさを隠し持った清潔感なのである。しかも、アルバムはチルアウトな感性で見事に統一されている。録音のクオリティも高く、マンキューソに評価されるのもうなずける。
 このアルバムにはシュギー・オーティス(ソウルに電子音を注いだ先人)からの影響も見受けられる。エレクトロニクス(電子音からギターのループなど)と適度なパーカッションは、目立たないけれど、あまたのアコギ+歌モノとは一線を画すべく、ユニークな響きを引き出している。マーク・マッガイアがアコギでバート・バカラックのカヴァーを歌っていると言ったら大げさだけれど、というか、そのレヴェルの面白さを誰か追求して欲しいものだが、タッスル~ジ・アルプスとの共作という過去とも、言われてみれば繋がるなとは思う。また、本作は最近のネオアコな気分とも同期している、と言えなくもないか。

ピンクの三角形とこの痛みを胸に - ele-king

「自分の人生を生きたいだけ 知る限りのいちばんいいやり方で/だけどあいつらは言い続けるんだ お前にそれは許されていないと」

 僕は本当に迂闊な人間なので、そんな言葉で始まるジョン・グラントのピアノ・バラッド──昨年の素晴らしいアルバムのクロージングを飾る美しい一曲──が、ゲイたちの人生に向けて歌われていることに、年が明けて発表されたこのヴィデオを観るまで気がつかなかった。そこでは、おそらく1930年代辺りから現代に至るまでのLGBT()の愛と闘いの歴史が、膨大な映像や写真をコラージュ的に詰め込むことで8分に凝縮されていたのだ。そのヴィデオを観たのはグラントが自身のHPで素っ気無く紹介していたからだが、僕はPCの画面の前で完全に打ちのめされてしまった。

 はじめのヴァースでは第二次大戦前後における同性愛のアイデンティティの目覚めと迫害の歴史が映し出される(恋愛関係にあったのかもしれない兵士たち、病だと「科学的」に喧伝される同性愛、『オズの魔法使い』)。現代から見るとそこで映し出される「彼ら」が同性愛者なのかはわかりにくいし、年代も判然としないものが多いのだが、ナチスのイメージがどうしてここで引用されるかはわかる。同性愛者たちはホロコーストで強制収容されていた事実があるのだ(小学生のときに習った覚えはないが)。”But this pain,”……その映像を背景にして、コーラスでグラントの声が響く。

 だけどこの痛みは、
 きみに向かっていく氷河
 貴重なミネラルや他のものを蓄えながら
 深い谷を彫り刻み 壮大な風景を創りあげていく
 だから恐怖を麻痺させてみたらどうだろう、
 状況がとりわけつらく思えるときには

 ひとつはっきりと言えるのは、このヴィデオがたんに歴史的事件を機械的に羅列しただけのものではないということだ。ヴェトナム時代を迎えてカラーの映像が多くなったあと2度目のコーラスで”this pain”とグラントが歌う瞬間、その日付ははっきりとわかる。1969年6月28日、ストーンウォールの反乱だ! そして西海岸ではハーヴェイ・ミルクが登場し、同性愛者たちの権利運動(と、警察との闘い)は過熱していく……が、3度目の”this pain”では1978年11月、銃殺されたミルクの通夜を、そこに集まった数千人の人びとの悲しみを映し出す。穏やかだが熱のこもったメロディと寄り添うように掲げられる無数のキャンドルたち……。ひどくエモーショナルで、センチメンタルですらあるその映像の続きでしかし、わたしたちはまだまだひとが死ぬことを知っている。80年代がやってくるからだ。正確に言えばあの忌々しいロナルド・レーガン時代、エイズの炎が燃え盛った季節の到来だ……。

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ジョン アーヴィング
(小竹 由美子 訳)
ひとりの体で

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 偶然にも、このヴィデオとまったく同じことを書いた小説をまったく同じ時期に僕は読んでいた。ジョン・アーヴィングの新刊『ひとりの体で』(小竹由美子訳、新潮社)である。だけど、大きく、奇妙で、可笑しく、そして間違いなく魅力的なこの作品をどこから説明すればいいのだろう? ……迷ったときは1ページ目を開いてみよう。そこにはこんな文章が書いてある。「私が作家になったのは十五歳という成長期にチャールズ・ディケンズのとある小説を読んだからだと誰にでも話しているのだが、」……。アーヴィングといえば(ジョイスなどの)ポストモダン文学をこき下ろし、ディケンズに由来するような物語の復権を訴えた作家として有名だが、それとてずいぶん昔の話だ。つまり、じゅうぶんに文学者としての地位を築き上げた大家が、いま紡ぎ上げたかった「物語」こそが本作だ。
 『ひとりの体で』では、70を目前とした老作家が10代の頃からの自分の人生を振り返る文章が綴られるのだが、一人称の主であるウィリアム・アボット──愛称でビリー、ビル──はバイセクシュアルであることで、性の揺らぎに翻弄される人生を歩んでいく。一見、半自伝的な体裁を取っているようで(物語の背景や舞台はアーヴィングの個人史と合致する部分も多い)そうではなく、著者いわく「もし十代の私が幼少期の衝動に従って行動していたらどうなっていたか、という想像」(本作帯より抜粋)であるという。そして本作では、そのでっちあげの歴史が、性のはぐれ者たちの見落とされた歴史と接続される。
 アーヴィングの生まれ年によるところもあるが、年代設定が巧みだ。回想の形を取っているので時系列も空間も行ったり来たりするのだが、上巻ではおもに10代のビリー青年がみずからの性の確固たるアイデンティティを獲得するまでが描かれる。それが1960年まで。下巻では、彼が故郷を離れて世界のさまざまなところで経験するさまざまな人間との性の探求がスピーディに展開するが、そこには当然、現代に至るまでの激動のセクシャル・マイノリティの歴史が詰め込まれており(すなわち、60年代からエイズ禍へと至る壮絶な年月も)、個人史は同時にすべての同性愛者たちの人生を浮かび上がらせていく。アーヴィングは本作をはっきりと「政治的」だと説明している(ちなみにアーヴィングの末の息子はゲイだと公言している)。
 が、もちろん、これは「物語」だ。それは“グレイシャー”と同じように、時折ひどくエモーショナルで、センチメンタルですらある。たくさんの面倒くさくて愛おしい人間たちが登場し、そしてたまらなく印象的で叙情的な場面が次々に訪れる(お気に入りの場面はたくさんあるが、僕はビリーが老いたレスリング・コーチにある「技」を教えられる、どこか滑稽でとても切ないくだりを挙げたい)。

 レーガン時代に戻ろう。小説が70年代も終わりに近づく頃、もうすぐたくさんひとが死ぬだろう予感が漂い始める。しかし気づいたときにはすでに遅し、物語の前半で登場したたくさんの人間たち──同級生や友人、かつての恋人たち──がバタバタとエイズでこの世から消えていく。メル・シェレンの自伝の下巻においてエイズ時代到来以降に友人たちや恋人たちが次々と死んでいくのをしくしく泣きながら僕は読んだものだが、『ひとりの体で』の下巻におけるエイズ時代を僕はやっぱりしくしく泣きながら読むしかなかった。だがそこはアーヴィングだ、それでも不意にこぼれるユーモアに、僕は同時に笑ってさえいた!(そしてそれは、ジョン・グラントがもっともヘヴィなテーマの楽曲にかぎって皮肉に満ちたユーモアを用いることを僕に思い起こさせた。)
 ソダーバーグの『恋するリベラーチェ』にしても、もうすぐ公開されるジャン・マルク=ヴァレ監督『ダラス・バイヤーズクラブ』にしてもそうだが、いまさかんにエイズ禍が回顧されているのは偶然ではない。ゲイ・ライツ運動が沸く現在という時間の前にどんな地獄があったか、どんな闘いがあったのか、どんな愛が、どんな痛みがあったのか……「わたしたち」の前史を思い起こすためだ。数え切れない死者を出しつつ、あるいは、あの時代を生き残ってしまった者たちは消えない罪悪感を抱えつつ、しかし『ひとりの体で』のビリーも“グレイシャー”で映されるゲイたちも力強く現代へと向かっていく。

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 “グレイシャー”のヴィデオは、ピアノとストリングスが華麗に壮大に歌い上げるアウトロで90年代から現在へと猛烈な勢いで進んでいくが、そこではおもに同性愛を描いた映像作品と社会運動がピックアップされる。『マイ・プライベート・アイダホ』、ヘイト・クライムの被害者たちと加害者たち、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』、提案8号、『トランスアメリカ』、『エンジェルス・イン・アメリカ』、「神はオカマを嫌ってる」のプラカード、『ブロークバック・マウンテン』、『モンスター』、もちろん『ミルク』、ブッシュ政権からオバマ政権へ、同性結婚デモとゲイの結婚式、数々のゲイ・プライド、プッシー・ライオット、『アデル、ブルーは熱い色』、そしてフランク・オーシャン。嵐のように吹き荒れる大量の映像に圧倒されるがしかし、ディス・イズ・ハプニング、身体と脳が反射して、これはまさに「いま」起こっていることなんだと意識に入り込んでくる。
 ヴィデオは暗闇に煌く無数のピンクの三角形を映して終わるが、レインボー・カラーよりもピンク・トライアングルを選ぶところがジョン・グラントらしい。ラベンダー・ピンクの三角形は先述のホロコーストで同性愛者を識別するために彼らの胸につけられたものであり、そして現在はLGBTの権利運動のシンボルとなっている。いま愛と権利を訴えることは同時に、迫害の歴史を、たくさんの友人たちと恋人たちの死を思い起こすことだと三角形はわたしたちに訴える。ジョン・グラントは同性結婚をして都会的な暮らしをして、養子を迎えるようなゲイの幸福を体現することはなかったが、むしろそこから離れたところで──HIVポジティヴを公言し、自らの惨めさを隠さず、徹底して孤独であることを歌うことで、僕たちゲイの希望の星となった。なぜならば彼は誰よりも独りだが、彼は「この痛み」が自分だけのものでないと知っているからだ。

 「この国は遅れている」などと、ブツクサ文句を言うのはもうやめにしたほうがいいのだろう。だって、これは、たったいま起こっているんだから! わたしたちは、彼らと彼女らと彼でも彼女でもない、たくさんの性の逸脱者たちとともにいる。それに、たくさんの幽霊たちもついている。この痛みが壮大な風景を創りあげるまで、わたしたちは何度だって、その愛おしいひとたちのことを思い出すことができる。

※LGBT……レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの総称。本稿ではゲイであるジョン・グラントを中心としているのでゲイという表記が多くなっていますが、とくに男性同性愛者に限定する意ではありません。また、『ひとりの体で』の作中にもありますが、最近ではLGBTQ(Qはクィアもしくはクエスチョニング(未確定))、など様々なヴァリエーション

踊ってばかりの国 - ele-king

 現世に属さない者たちのうた。天国も地獄も満員で、神さまの見習いが作ったようなこの出来損ないの世界を漂泊する、本当はここにいない者たちのうた。踊ってばかりの国は、最初、そんな風に聴こえた。『Good-bye, Girlfriend』のころの話だ。
 それは陽気で、浮世離れしていて、サイケデリックで、夢心地で、ちゃらんぽらんで、ゆったりとしていて、ヘラヘラで、牧歌的でありながらもアシッディで、ダーティで……同時に、手が付けられないほど醒めてもいた。斜に構える、というレベルの話ではない。僕はもう、この世の住人ではありません。ですから、あなた方、世俗のイザコザとはいっさいの関係を持ちません。僕は風であり、花です。まるでそんな風に聴こえた。もっとも素晴らしかった頃のデヴェンドラ・バンハートがそうであったように。

 実際、「あの日」を境に、現実の世界に引き寄せられていく彼らだが、驚くべきことに、そのどこまでも陽気な曲調・発声という点において、彼らはあの震災の影響を受けることがなかった。少なくとも表面的には、そう思われた。2011年の11月にリリースされた傑作『世界が見たい』は、『カメラ・トーク』に喩えられたほどだ。彼らはいつもの、あの底抜けに陽気な調子で、死について、神さまについて、愛について、あるいは続くEP『FLOWER』では放射能や、戦争のことを歌った(“話はない”は、デヴェンドラの反戦歌“Heard Somebody Say”へのアンサーだろう)。
 とてもシンプルで、簡単なことが、どうしても理解できない人たちと共に暮らさなければならない痛みの傍らで、なにもシリアスになることだけが抵抗ではない──リリックの額面以上に、下津はそんな風に歌っているように思えた。彼らのレパートリーには“ルル”という宝石のような1曲があるが、一匹の犬のためにこんなにも美しく歌ってやれるシンガーを僕は他に知らないし、もちろん、そんな人間があの日以降の一連の出来事に何も感じないわけがない。だからこそ、一度は「世界が見たい」という形で表現された切なる願いが、すぐに「別に話はない」に反転してしまうわけだが、その黙秘に込められた怒りに僕は震えも泣きもした。

 そして、東京──。踊ってばかりの国は、下津光史は、2014年という時代をあなたと共有すべく、現世に降り立った。行き先はしかも、東京駅前。よりによって、丸の内の小奇麗なオフィス街だ(https://www.youtube.com/watch?v=__gLp_GImtA)。そのバックには、跳ねるように軽快なスネア、ご機嫌なベースライン、抑制の利いたギター・ソロといった、およそ不釣合いな音楽が流れている。そう、活動休止期間と、メンバーの交代がどれほど影響したかはわからないが、これまで以上にルーツ・ベースドで(ブルースからの影響がより大きくなったかもしれない)、新体制での基本的なアンサンブルを噛みしめるかのごとく、驚くほどシンプルなロックンロールがごく淡々と鳴っている、あるいはとてもダンサブルに。
 しかも、下津が“東京”で歌う「東京」は、なんら象徴味を帯びることがない。どこにでもある没個性的な労働都市として、その街を突き放して見せる(実際、下津の声は素面で、どこか素っ気ない)。これは正直、ステレオタイプな描写と言えなくもない……が、それもおそらくは「あなたたち、何も変わらなかったね」という皮肉に違いない。おまけに途中、「横断歩道に4人で」という、ウンザリするほど使い古されたあの構図が採用されているのだが、4人はそこで歩きもしなければ笑いもしない。やがて、下津だけが風にさらわれるようにして消える。何を言い残すこともなく。そこにはいささかの感傷もない。

 アルバムには、おそらくバンド史上もっともシンプルで、ポップな楽曲がずっしり詰まっている(“風と共に去りぬ”、“正直な唄”、“サイケデリアレディ”……)。が、注目はやはり、風営法の規制強化に言及した“踊ってはいけない国”だろうか。この曲は、例えば磯部涼の一連の編著に集められた文化人・知識人の知的反骨心と呼ぶべきロジックの強靭さとはまったく異なる位相で、ある種の言い方をすれば、とても無責任に鳴っている。そもそも、『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)というタイトルからして、これは法解釈の厳密さを欠いたミスリードに取られる可能性があるとして、磯部涼自身が何度も牽制球を投げていたものだったハズだ(事業者への一定の規制はどんな分野にだってある)。
 それが、ふはははは、2014年というこのタイミングで、下津は「踊ってはいけない/そんな国がほらあるよ」「踊ってはいけない/そんな法律があるよ」と、なんの予防線を張らずにひとまずは歌い切ってしまう。「ここにはクソな国がほらあるよ/クソな法律があるよ」と。この大胆さこそが彼らの魅力だとは理解しながら、すでに重ねられた具体的な議論をまったく無視したようなこうした表現には、違和感がないでもない。もちろん、下津はもともと多くの言葉を持つタイプの歌い手ではない。彼の口から飛び出すのは、ただ花に見とれ、星を数え、風のうたに耳を澄ませている人間の言葉だ。
 しかし、だからこそ、おこがましくも蛇足しよう。個人的にこの法律が気に食わないのは、「善良の風俗と清浄な風俗環境の保持/少年の健全な育成」という目的、かつての警察官僚が真剣な顔で掲げたのであろう、この大義名分、法律の根っこのほうだ。彼らが対峙すべきは、もしかしたらこちらではなかったか。ロックンローラーとして生まれた人間がこんな時代にもいるのだな、ということを、彼らはただそれだけで示してきたのだから。ちなみにこの“踊ってはいけない国”という曲には続きがあって、12インチのEPでDJ YOGURTによるアシッド・リミックスに生まれ変わる予定、ということがすでに報じられている。つまり、まあ、とりあえずは「そういうこと」なのだろう。踊ろう!

ANYWHERE STOREにてCabaret Voltaire× Sk8ightTing - ele-king


ANYWHERE STORE
https://www.ele-king.net/anywherestore/

名盤3タイトルのリイシューが大好評だったキャブスからリイシュー企画第二弾登場!

‘85年に発売されたCabaret Voltaire、4曲入りEPのリマスター音源(CD)と、入手困難だったインダストリアル映像のバイブルとしても名高い(DVD)の2枚組が発売!!

さらに、今回Sk8ightTing(スケートシング)とのコラボレーションが実現!
C.EのTシャツ付限定盤をANYWHERE STOREで販売開始しました。
ホワイトカラーが手に入るのはANYWHERE STOREだけです!!

ジャスト・ファッシネイション(まさに魅惑)
──『ザ・クラックダウン』に収録された彼らのヒット曲の曲名の通りです。

Cabret Voltaire x C.E T-shirts SET
定価:6,825円(税込)
Mサイズ:着丈69/身幅52/袖丈20
Lサイズ:着丈73/身幅55/袖丈22

  

※サイズには個体差があります
※洗濯後縮みます
※乾燥機の使用不可

[CD]

85年に発売された4曲入りEPのリマスター音源。
(収録時間約33分)

【Drinking Gasoline】
1 Kino 8:28
2 Sleepwalking 8:27
3 Big Funk 8:10
4 Ghost Talk 7:59


[DVD]
85年に発売されたウルトラ・クールなインダストリアル映像作品”Gasoline in Your Eye。この映像作品は、彼らの音楽同様、今でも最も先鋭的な作品だ。今回リリースするにあたりDVD Extra映像として4曲のミュージック・ヴィデオを追加収録された。
監督は、自身とピーター・ケア(デペッシュ・モード、R.E.M., ニュー・オーダー、P.I.L.等のMVを手掛けた映像作家。UK, 旧東西ドイツ、日本、US等で撮影された映像を元に制作された。
(総再生時間:約82分)

【Gasoline In Your Eye】
Introduction 3:45
Crackdown 8:28
Diffusion 8:04
Sleepwalking 8:23
Slow Boat To Thassos 6:17
Sensoria 7:50
Automotivation 6:20
Big Funk 8:12
Kino 8:39
Ghostalk 8:08
Fadeout 7:04

Directed by Cabaret Voltaire and Pter Care

【DVD Extras】
Just Fascination 7” Mix 3:06
Sensoria 7” Mix 4:05
I Want You 7” Mix 4:03


ANYWHERE STORE
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interview with Nanorunamonai - ele-king

まばらな星 半分の月
降ろされたシャッター
絵にならない絵を描く芸術家
彼らはとてもアンバランスを保つのが上手で
お日様にも見つからないほど遠くへ
波乗りのリーシュ
笑えないジョーク 人づてに聴く文句
まわりくどい皮肉 一人よりも孤独
焦げ付いた記憶 手のひらに食い込む 油汗と蝋燭
遠のく永遠なるスローモーション

赤い月の夜 何もない空を漂う
赤い月の夜 ひび割れた鏡を叩き割る
赤い月の夜 重力を振りほどく 
赤い月の夜 俺は俺を殺す
赤い月の夜

 12月某日。なのるなもないの取材から数日後。〈タワーレコード渋谷店〉の4階のフロアの一角には人だかりができていた。なのるなもないのインストア・ライヴを観ようと集まった多くのファンで埋め尽くされていたのだ。ファンたちの熱い視線が、蛍光灯のまぶしい灯かりの下で、幻想的な詩をメロディアスにフロウするラッパー/詩人に注がれる。このイレギュラーなシチュエーションで、しかし、なのるなもないもファンも素晴らしい集中力だ。そこには甘美で、濃密な小宇宙が発生していた。そして、ライヴ後のサイン会には長蛇の列ができた。僕は試聴機でブリアルの最新作を聴き、久々に会う友人や知人とおしゃべりをしながら、その光景を感慨深くながめていた。


なのるなもない
アカシャの唇

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 降神のなのるなもないが、昨年12月にセカンド・アルバム『アカシャの唇』を発表した。ファースト『melhentrips』からじつに8年ぶりとなるアルバムだ。8年という歳月は長いようで短く、短いようで長い。『アカシャの唇』は、まとまった作品を完成させるのに8年という歳月が必要だったことを証明する素晴らしい出来栄えとなった。降神の作品や前作『melhentrips』の延長線上にありながら、なのるなもないは詩とラップに確実に磨きをかけ、次のステップに進んでいる。詩とラップが不可分に結びつき、ひとつひとつの曲の世界観に明確な方向性を与えている。

 初期の降神の毒や狂気、抵抗を好んだ僕のようなリスナーには、その点に関しては欲を言いたくなる気持ちもある。だが、なのるなもないのように、幻想的で、空想的な詩を書き、メロディアスに、ハーモニックにフロウできるラッパーは他にはいない。そのラップをこうして堪能できることをまず喜びたい。
 “宙の詩”という曲では、ことばにジェット・エンジンを装備させて、宇宙の彼方に飛ばすような凄まじいフロウを魅せつけている。ことばと音のめくるめくトリップだ。谷川俊太郎や宮沢賢治、稲垣足穂といった作家の文学に、なのるなもないが独自の現代的な解釈を加えられているように感じられるのも『アカシャの唇』の魅力だ。ここには、童話とSFとラップが混在している。

 サウンド的にいえば、ポストロックやエレクトロニカとラップの融合という、00年代初期から中盤にかけて、アンチコンを中心に盛んに行われた試みの延長にある。そして、今作の共同プロデューサーであるgOと、ビートメイカーのYAMAANから成るユニットYAMANEKOがトラックを制作した“めざめ”と“ラッシュアワーに咲く花を見つけたけど”は、その発展型と言えるかもしれない。この2曲は、ギャング・ギャング・ダンス流のトライバルな電子音楽とラップの融合のようだ。後者に客演している女性シンガー、maikowho?の透き通る歌声には病みつきになる不思議な魅力がある。アルバムには盟友である志人、toto、tao、sorarinoといったラッパー/シンガーたちも参加している。

 前置きが長くなっているが、ここでもうひとつだけ言いたいことがある。『アカシャの唇』をきっかけに、00年代初頭から中盤に独創的な音楽を創造したオルタナティヴ・ヒップホップ・グループ、降神と彼らのレーベル〈Temple ATS〉の功績にあらためて光が当たってほしいということだ。この機会に、ファースト『降神』とセカンド『望~月を亡くした王様~』を聴き直し、降神の不在の大きさをいまさらながら痛感している。彼らのフォロワーはたくさんいたが、そのなかから彼らの独創性を凌駕する存在が生まれることはなかった。なのるなもないと志人というふたりのラッパーが中心になり、彼らは“降神”という音楽ジャンルを作り上げたのだ。時の流れが気づかせてくれる発見というものは、示唆的である。

 さて、これ以上書くと話が脇道にどんどん逸れて行きそうだ。2013年の年の瀬も迫る12月中旬のある寒い夜、渋谷でなのるなもないに話を聞いた。

結婚して、子育てをしながら、ライヴをしたり……要約しちゃうと、もう超簡単ですよ。

今日はなのるなもないの人となりにも迫りたいですね。

なのるなもない:人となりって言われると、別に語るべきことが俺にはよくわからないんだよね。

いきなりインタビュアーをがっかりさせるようなこと言わないでくださいよ(笑)。

なのるなもない:だってさ、自分を客観視するのは難しいし、そういうドキュメンタリー的なところで語るべき言葉がわからない。

大丈夫ですよ。

なのるなもない:秘すれば花っていうか、なんでもかんでも言うことがいいとは思ってないよ。訊きたいことがあれば答えるけどさ。

前作『melhentrips』から8年経ちましたよね。8年をざっくり振り返るというのはそれこそ難しいですけど、どうでした?

なのるなもない:結婚して、子育てをしながら、ライヴをしたり……要約しちゃうと、もう超簡単ですよ。

ははは。まあそうですよね。お子さんも大きくなったんですよね。

なのるなもない:うん。

『アカシャの唇』、興味深く聴かせてもらいました。00年代前半から中盤ぐらいは、たとえば〈アンチコン〉を筆頭に、ポストロックやエレクトロニカとラップの融合みたいな試みが盛んだったと思うんですね。本人がこういう言い方を喜ぶかはわからないですけど、音楽的にいえば、『アカシャの唇』はその発展型という側面もあると感じました。

なのるなもない:ふーん。

言うまでもなくこの作品で詩は重要な要素ですけど、変幻自在なラップのメロディとフロウが、とにかく圧倒的だな、と。

なのるなもない:ああ。

僕がいまのところいちばん好きで聴いている曲は、“宙(チュウ)の詩(シ)”ですね。

なのるなもない:あはっ(笑)。あの曲はね、“宙(ソラ)の詩(ウタ)”って読むの。

あ、そうなんですか。これは読めないや。

なのるなもない:まあ、これは読めないよ。

“宙の詩”は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や稲垣足穂の言語感覚を彷彿させるSFラップですよね。

なのるなもない:ああ、そうかもねぇ。

この曲、すごいカッコ良かったですよ。この曲について解説してもらえますか?

なのるなもない:最初にこの曲のトラックから宇宙的なものを感じて、「宇宙ってなんだろう?」っていう疑問から出てくる言葉を連想して書いていったんだよね。光とかロケットとか、自分の宇宙観から想起するものをフロウで表現しようとした感じかな。

とても映像的ですよね。言葉の意味に引っ張られるより先に、映像的なイメージが広がっていくんですよね。

なのるなもない:フロウに関しては、「風になったらいいのかな」とかそういうイメージで考えたりするね。人でない人っていうもので考えるときもあれば、もちろんリズムで考えるときもある。でもまあ言葉ありきだとは思ってるけど、両方だよね。どちらかに引っ張られることはあるかもしれないけど、両方とも捨てきれない。

なのるなもないのラップにおいて言葉の意味も重要な要素ですからね。『アカシャの唇』は、渋谷にある本屋さん〈フライング・ブックス〉がリリースしていて、インナースリーヴもパッケージも読み物として丁寧に作られていますよね。どうしてこういう形にしたんですか?

なのるなもない:前から本は作ってみたかったんだよね。だから、これはひとつの夢でもあったっていうことなんだよね。

でも俺はCDで出したかったんだ。CD屋に行ってCDを手に取って、開いてみて、買うっていう楽しさを伝えたかった。

詩集を作りたかった?

なのるなもない:うーん、詩集を出そうって気持ちで出してるわけではないんだよね。いまの時代にCDで出すっていうことはそんなに求められてないような感じもあるでしょ。

まあたしかに。

なのるなもない:でも俺はCDで出したかったんだ。CD屋に行ってCDを手に取って、開いてみて、買うっていう楽しさを伝えたかった。詩を書いてはいるけれど、ラップとしてアウトプットしてると思ってるし、ラップという表現じゃないときだってあるかもしれないけど、言葉があって、音があるというのが終着地点だと思うからさ。

『アカシャの唇』ってタイトルはどこからきたんですか?

なのるなもない:今回のアルバムはgOってヤツが半分ぐらいの曲で関わってくれてるんだけど。

共同プロデューサーの方ですよね。

なのるなもない:そう。お互いの分野にいろいろ入り込みながら、ああだこうだ言いつつ、よく遊んでもいたからね。ほとんど遊ぶ時間もなくなってきてるけど、gOとはよく遊んでもいたね。

gOさんとは何して遊ぶんですか?

なのるなもない:ドライブしたり、友だちのライヴを観に行ったりとか、まあいろいろだよ。でもすべては音楽を作る方向に向かっていて、そういう過程で、gOがアカシックレコードにアクセスしたみたいな話をしてきてね。

アカシックレコード?

なのるなもない:アカシックレコードは人類の魂の記録の概念のことで、そこにアクセスすれば、過去も未来も全部わかるという考え方があって、たまたま俺たちはそういう類の本を読んだりもしてたのね。まあ、「ルーシー・イン・ザ・スカイ」みたいな気持ちなのかな。

なはははは。“アカシャ”はサンスクリット語で“天空”も意味するんですよね。このタイトルについて、資料には、「人間のいろんな感情、聖者のような時も、毒々しい時も、無味乾燥なこともあると思うし、そういうの全部含めて話したい」と自身の言葉が引用されていますけど。

なのるなもない:自分は曲を書いているときの感覚が、そういうところにアクセスしようとしてるんじゃないかなっていうのが強くあって。自分で書いているんだけど、すでにそれがあったような感覚があって、そこに行き着くというかね。

そのアカシックレコードにアクセスする感覚や体験は、リリックを書くときとラップしてるときの両方にあるんですか?

なのるなもない:両方あるね。

制作はいつぐらいからはじめたんですか?

なのるなもない:制作期間がけっこうまばらなんだけど、“アイオライト”と“silent volcano”はけっこう前で、他の曲はここ2、3年だね。

『アカシャの唇』は、オーソドックスなラップ・ミュージックやヒップホップからは逸脱していると思うんですけど、いまでもラップやヒップホップは聴きます?

なのるなもない:聴くよ。なんでも聴くからね。

たとえば最近はどんな音楽を聴いてます?

なのるなもない:なんだろうなあ、昔のジャズとかまた聴いたりもしてるし、そんなに最近の音楽はわからないけど、まわりの友だちが教えてもくれるから、そういうのを聴いたり。中古のフロアを掘って、「なんじゃこりゃあ?」みたいな驚きだったり、そういうのを面白がる感覚は、昔より少なくなってきたかもしれないね。

なのるなもないさんは、ラッパー、詩人として表現に貪欲であると同時に、音楽を聴くことにも貪欲な人だと思うんですよ。ジャンル関係なく幅広く音楽を聴いて、それを自分で独自に解釈して、吸収して、表現として吐き出しているじゃないですか。たとえばの話ですけど、降神がファーストを出した00年代初期あたりに、ザ・タイマーズとかも熱心に聴いてたでしょ。僕はあの突き抜けた過激さみたいなものが降神の音楽にもあったと思っていたし、そういう意味でいまどんな音楽を聴いてるのか気になるんですよね。

なのるなもない:そうだなあ、特別にこの音楽が今回のアルバムに影響しているというのはないと思うけど、ボノボとかハーバートとかノサッジ・シングだって面白いと思ったし、ヒップホップだったらブラッカリシャスやマイカ・ナインとかブラック・ソートとかもやっぱり面白いなって思うよ。現行のラッパーだったら、タイラー・ザなんとか、とかさ。

タイラー・ザ・クリエイターですね。

なのるなもない:そう、ああいうのも気持ち悪いかっこいいなーって思ったりするよ。いやー、でももっと聴かないとね。俺さ、あんまり四つ打ちを聴かなくて、ある先輩に「もうちょっと深く聴いて」って言われたりもしたよ(笑)。四つ打ちって言い方も悪いか(苦笑)。でも、トライバル・ハウスとか、チャリ・チャリとかかっこいいなって思って買ったこともあるよ。

ダンス・ミュージックにどっぷりハマってレイヴに行ったりとか、そういう経験はなかったんでしたっけ?

なのるなもない:行ったことはあるけど、俺はそっち側にはガチに行かなかったんだよね。

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俺は俺なりの「on and on」を言うまで、ここまで時間がかかったってことかもね。

いまでも自分がヒップホップをやっているという意識はありますか?

なのるなもない:スタンスとしてそれはあるよ。いろんな表現があるなかでよく「これはヒップホップじゃないね」とか言う人がいるけど、「その考え方がヒップホップじゃない」と思うときもあるよね。そもそも破壊と再生をくり返して、吸収して進化を続けるものだと思ってるからね。それに自分はジャンルの区切りとかなく音楽を聴いてきたし、現行のシーンらしい音でそれっぽいことをやるっていうのは、自分にとってはすごくどうでもいいっていうかさ。自分なりの本当のところを追求したいと思ってるよ。

冒険のススメ”で「on and on and on and on and on」っていうリリックを独特の節回しでセクシーに歌ってるじゃないですか。あの歌い方がすごく面白いと思って。「on and on」って熟語は、ブラック・ミュージック、R&Bやヒップホップの常套句じゃないですか。

なのるなもない:うん。

その常套句をこんな風に解釈して歌うんだって。そこがすごく面白かった。

なのるなもない:あはははは。

僕はあの歌い方になのるなもないのBボーイズムを感じましたよ(笑)。

なのるなもない:だから、やっぱりそういうことだよね。タカツキくん(ベーシスト/ラッパー。スイカ/サムライトループスのメンバー)が、「チェケラッ!」って言葉を言えるまでに10年はかかるみたいなことを冗談かも知れないけど言っていて、でもそうかもなとも思ってさ。俺は俺なりの「on and on」を言うまで、ここまで時間がかかったってことかもね。

降神の初期や前作『melhentrips』のころと比べると、毒々しさは薄まりましたよね。

なのるなもない:そうだね。でも意味ある毒を与えたいとは思う。ただ、自分のなかから出てきた毒を無責任に放つことはしたくないよね。

吐き出す毒に、より責任を感じるようになったということですか?

なのるなもない:うん、それはある。吐き出した毒で(リスナーを)どこへ連れて行きたいのか?ということには意識的になるべきだし、(表現者は)みんなそうなんじゃないのかな? わかんないけどさ。キレイ過ぎてもしっくりこないときもあるし、毒っていうものはどうしても潜んでしまうと思う。皮肉や毒がない世界で生きられたらいいけどね。

降神の魅力のひとつに、狂気と毒があったと思うんですよ。不吉さと言ってもいいと思います。社会や人間の矛盾を生々しく体現するグループだったと思うし、そこに魅了されたファンも多かったと思うんですね。表現の変化とともに、なのるなもないのファンも変遷しているだろうし、表現者としてリスナーやファンを裏切りたくないか、あえて裏切りたいか、そこについてはどう考えてますか?

なのるなもない:金太郎飴みたいなスタイルってすごいとは思うんだけど、俺はわりと良い意味で裏切りたいって気持ちを持ってるね。でも、いまでも降神のころのようなスタイルも持っているし、スタイルが特別変化したとは思ってないかな。ただ、いまは社会や政治、時事的なことについて吐き出すべき時期ではないという感覚はある。そういうものは、もっと溜めて溜めて、自分の意志を固めてから表現したい。べつにそういうことはラップで表現しなくてもいいかな、とも思うしね。具体的に行動したいっていう気持ちが強い感じかな。そうやって自分のなかでいろいろ思うことがあるのに、なかなか動けていない自分についても含めて語るっていうのもありかもしれないけど。

ここ最近世の中で起きていることで関心のあることは?

なのるなもない:社会や政治の問題をひとつひとつ検討して、結論を導き出すレヴェルに俺はいないと思うから、それを手にした上で語りたいとは思う。そりゃあさ、東電の対応とか、当たり前に「おかしいでしょ」「本当に大丈夫なの?」って思うことはある。政党が変われば疑問に思うこともあるよ。でも10年、20年やらせてみて、それから判断するのもひとつの真実だとも思う。でも、もちろん誰が見ても「これはおかしいだろ」っていうことはたくさんある。そういうところで闘ってる人は応援してるし、力を貸したいなとは思ってる。

学生だって、仕事やっている人だって、それとは別に夢を持って頑張ってる人だって、その世界のなかで思い切り遠くに飛んでしまえば、人からしたら現実逃避って言われてしまうかもしれないけれど、その世界のなかでは成立しちゃうことでしょ?

降神のセカンドに入ってる“Music is my diary”って曲で、「現実逃避も逃げ切れば勝ちさ」というリリックがあるじゃないですか。厭世的といえばいいのかな、そういう感覚はいまでもあります?

なのるなもない:若ければ若いほど、世の中に対して「クソヤロウ」って思うこともあるし、降神でそういうこともラップしてたけど、人からすれば「お前に言われたかねーよ」っていうのもあったかもしれないよね。なにが現実で、なにが現実逃避かは一概に言えないよね。犬猫じゃないから、子どもはほっといたら死ぬからさ。いまは子育てという現実も常にある。そこからは目を背けられない。でもやっぱり、自分のやりたいことにも向かっているしね。「現実逃避も逃げ切れば勝ちさ」ってリリックには、学生だって、仕事やっている人だって、それとは別に夢を持って頑張ってる人だって、その世界のなかで思い切り遠くに飛んでしまえば、人からしたら現実逃避って言われてしまうかもしれないけれど、その世界のなかでは成立しちゃうことでしょ? だから、そうなったら勝ちじゃねえかという意味があったの。

現実逃避とつながる話だと思うんですけど、降神や〈Temple ATS〉は、活動がはじまった当初から一種の共同体みたいなものでしたよね。なのるなもないさんは、当時〈Temple ATS〉の事務所兼スタジオのような高田馬場のマンションに一週間ぐらい寝泊まりしてた時期もありましたよね。部屋に行ったら、ソファで気だるそうに寝てる、みたいな(笑)。

なのるなもない:いや、もっと長かったね。なんだろうね。自分がいっしょになにかを成し遂げたい仲間たちがそこにいたんだよね。あのころは、そこから離れたらいけないという強迫観念があった。だから、マサ(onimas。降神のトラックメイカー。〈Temple ATS〉の一員)の部屋に転がり込んで自分の家に帰らなかったりしたんだろうし。東京に住んだり、東京の近くに住んだりしているほうがやりやすいことはあるし、物理的な距離が関係ないとは言わないけど、自分がしっかりやっていれば、いろんなコミットの仕方があって、本当になにかをやろうとしたらできるといまは思うね。

降神と〈Temple ATS〉のメンバーの関係はかなり濃密でしたし、あの濃密な共同性があったからこそ降神の音楽が生まれたと思いますね。なのるなもないも志人もフリースタイルでしか会話しない、みたいな時期さえありましたよね。お互い、激しく、厳しく切磋琢磨してましたよね。

なのるなもない:そうだね。志人が「真の友は影響し合う」みたいなことをなにかに書いていたけど、その通りだなと思う。

最近は志人には会ってますか?

なのるなもない:このアルバムのリリース・ライヴ(2013年11月10日に〈フライング・ブックス〉で行われた)のときに会ったね。

アルバムに一曲ゲスト参加してますしね。今後、降神としてはやったりしないんですか? 気になっている人は多いでしょう。

なのるなもない:やりたいよね。でも、うーん、俺だけの気持ちじゃないから。あいつ(志人)の気持ちもあるからさ。俺が言える想いもあるけど、まだ公で話すような感じじゃないかな。とにかく、俺はあいつの表現が好きだし、尊敬しているし、いつも挑戦して成し遂げてきたヤツだと思うね。いっしょにやりたいけど、お互い忙しいってのもあるよね。

降神で作った曲でリリースされていない曲はある?

なのるなもない:けっこうあるよ。

本人たちは望まないかもしれないけど、未発表曲だけで一枚アルバムできちゃうんじゃないですか?

なのるなもない:「作れ!」って言われたら、できるかなっていうのはあるけど、それぞれやりたいことがあるからね。ふたりの伝えたいメッセージも必ずしも同じではないからね。

でも、それは最初からそうなんじゃないですか?

なのるなもない:昔はもう少し散文的だったというか、お互いのメッセージや世界観、リリックの方向性が違っても曲が成立したというか、びっくり箱の中身を作ってるみたいな感覚だったんだよね。

ああ、なるほど。『アカシャの唇』はひとつひとつの曲に明確な方向性と主題がありますよね。僕は、『アカシャの唇』はジャンル云々以前に、とにかく美しい音楽だなと感じましたね。

なのるなもない:自分のなかでの様式美を追求しつつ、息苦しさや喜びや気づき、そういうものはぜんぶ詰め込みたかったね。音楽を作っている人はみんなそう思っているかもしれないけど、前よりもっといいものを作りたいとは思うよ。聴いた人が前より良いとか、悪いとか思うのはまた別だけど、そういう気持ちはある。

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NHKの「みんなのうた」じゃないけどさ、みんなのうたを歌いたいというのはあるよね。みんなが存在している世界について歌わないとやっぱりウソだと思う。でも目に映るすべてをそのまま伝えるべきとも思わない。

リリックはどんな風に書いてるんですか?

なのるなもない:描くように書いたり、外郭を描くことで、言いたいことが発見されていく、そんな作り方をしてると思う。それからその画を動かすことで、より鮮明になっていく感じだね。

SF的でもあり、童話的でもありますよね。

なのるなもない:NHKの「みんなのうた」じゃないけどさ、みんなのうたを歌いたいというのはあるよね。みんなが存在している世界について歌わないとやっぱりウソだと思う。でも目に映るすべてをそのまま伝えるべきとも思わない。

さっき毒の話をしましたけど、アルバムのなかで心の暗部を描いていて、しかも他の曲よりも生活感が滲み出ている曲があるとすれば、“赤い月の夜”ですよね。それこそ、「くそったれ/てめえなんて死んじまえ/出かけたセリフをあわてて飲み込む」というリリックは、さっきの吐き出す毒とその責任の話に通じるなと。

なのるなもない:この曲には不幸の前兆みたいな要素があるよね。仕事とかで擦り減りまくって、自分がどんどん無くなっていくのに、それでもヘラヘラしてる。それは逆に狂気だと思うし、そういう現実が狂ってるなというのはあるよね。いわゆるヒップホップ的な“リアル”とは違うけど、自分のなかの魂の記憶にアクセスしたいんだよね。そこで描き出されるヴィジョンみたいなものを表現したい。そこには怒りだって絶対ある。怒りっていうものをそのまま吐き出すことはいけないって思ってる部分もあるんだけど、どんなときでも怒らないっていうのも非現実的だと思うし、“赤い月の夜”に関しては、あえてそういう怒りを表現したかった。

『アカシャの唇』を聴いて真っ先に思い浮かんだ作家が、谷川俊太郎と宮沢賢治、あと稲垣足穂だったんです。ここ最近で、好きな作家や印象に残ってる作品はありますか?

なのるなもない:いまの3人の本を持ってはいるけど、今回の作品に彼らからの直接的影響があるのかは、自分ではちょっとわからないなあ。“アルケミストの匙”に関していえば、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』にインスパイアされた部分はあるね。というか、あの小説のなかに好きなエピソードがあるんだよね。

どういうエピソードですか?

なのるなもない:幸せに生きるにはどうしたらいいか? という問いに対するひとつの答えを描き出しているエピソードがあるんだよね。ある賢者が少年に油を入れたスプーンを持たせて、油をこぼさずに宮殿を歩いてくださいと命じるの。で、少年は最初、スプーンの油に集中し過ぎて、宮殿をまったく見なかった。そこで賢者はもういちど宮殿を見てくるように命じる。今度は、少年は宮殿を見てくるんだけど、スプーンの油はなくなっていた。でも、幸せというのは、スプーンの油をこぼさないようにしながら、宮殿の美しさも見渡すことなんだと。

だからあの曲に、「二人の旅は日々の営み/アルケミストの一匙さ/こぼしてはいけない日々の営み」というリリックがあるんですね。

なのるなもない:その一方で、ものすごい印象的な一夜だったり、そういうものを求めてる自分がいる。

特別な体験を求めてる?

なのるなもない:俺は今日どこまで行けるだろう、みたいなことは求めてる。

あはははは。なるほどー。

なのるなもない:ははは。それも幸せだと思う。

いわゆるヒップホップ的な“リアル”とは違うけど、自分のなかの魂の記憶にアクセスしたいんだよね。そこで描き出されるヴィジョンみたいなものを表現したい。

音楽を聴いていてもそれは伝わってきますね。じゃあ、聴いている人にぶっとんでもらいたいという気持ちもある?

なのるなもない:あるよね。

やっぱりあるんですね。そういう音楽ですもんね、この作品は。

なのるなもない:なんだよ、その質問! ははははは。

いやいや、音楽の重要な要素のひとつじゃないですか。

なのるなもない:二木のなかでそのプライオリティが高いということだね(笑)。まあ、“ぶっとぶ”って言葉はすごい抽象的だけど、理路整然としているところはしていたいし、そのレールからはみ出してどこにたどり着くんだろうっていうスリリングさも表現したい。で、たどり着いた場所がここなんだって納得できる音楽を作りたいね。

では、なのるなもないにとって、そういうスリリングさを味わわせてくれる音楽にはどんなものがありますか?

なのるなもない:それはもう、それこそジャンルとかじゃなくて、出会ったことのない感覚に尽きるよね。あれだよ、ブランコを漕いでいて、高く舞い上がって、臍のあたりがうーってなる感覚があるじゃん。わかる?

わかりにくい(笑)。

なのるなもない:フライング・パイレーツとかで急にぐーっと上げられて、臍がぐううーってなるでしょう。で、「これ、大丈夫かな?」って一瞬思うんだけど、「やっぱり大丈夫だった」って戻ってくる。それでまた乗りたくなる。そういう感覚に近いかも。

最近、具体的にそういう音楽体験で記憶に残っているのはありますか?

なのるなもない:うーん、ちょっと思い出せないけど、それぞれのジャンルが発展していくときってそんな感じなんじゃないの? ダブステップをはじめて聴いたときも、「すげぇ空間が曲がってるぞ」って思ったし。ダブだったらさ、俺には子宮がないけど、子宮に響いているみたいな感覚があった。ジミヘンが逆再生をやり出したときだって、はじめて聴いた人は「なんだよ、これ?」ってなったと思うし。

『アカシャの唇』は、グッドとバッドの両方の旅の境界線が曖昧な音楽ではありますよね。バッドな状況も楽しんじゃうタイプなんじゃないですか?

なのるなもない:そのときに楽しめるかどうかは別でさ、苦しいけどね。嫌な思いもそのときしかできない体験だし、それだけ心が動いたってことだからさ。

最後は戻ってこれたと。

なのるなもない:そう。俺はこんなことを考えていたんだって感心するときもあるし、バカだなあと思うときもあるよね。で、小さいかも知れないけど、自分なりの未知な世界の終着地点までを表したい。いちど出したものは、俺のものじゃなくて、その人のものだから。聴いてくれる人が楽しめる状況にしておくのがやる側の責任……とかいうとイヤだけど、当たり前のことだよね。そのレヴェルにつねにたどり着きたいと思ってやってるよ。

アムネジアの風に吹かれても忘れてしまうわけない
アクエリアス 溢れてしまう 生きたシャンデリア
飛ばすレーザー 静かなるエンターテーナー
ラフレシア アモルフォファルスギガスへ今届けておくれ
うまくできた? 完璧じゃなくても笑っていたいならやってみな
SL1200のターンテーブル BPM66星雲で
33回転する 記憶にないものまで再現する
あなたならこの景色をなんていう その海どこまでもふくらんでく
一つの愛my name is ビビデランデブー
宙の詩

Gabriel Saloman - ele-king

 ピート・スワンソンの『パンク・オーソリティ』がその熱で赤く光る鋼鉄の花だとすれば、ガブリエル・サロマンの『ソルジャーズ・レクイエム』は黒く燃え落ちた末に白い粉をまとった灰色の彼岸花といったところだろうか。間違いなく2000年代を代表するフリー・ノイズ・デュオであり、2008年の解散までに数え切れないほどのカセット、ヴァイナル、CD-R作品をリリースし続けてきたイエロー・スワンズ。その元メンバーである2人が、2013年にエクスペリメンタル・ノイズを棲家としつつも、それぞれ好対照なソロ作品をリリースした事実はとても興味深いことである。外宇宙から享楽に向かうピート・スワンソンに対し、内宇宙から終末に向かうガブリエル・サロマンというか。なんというか。

「兵隊の葬送曲」と名づけられたタイトル。そしてアートワークはヴァイオリンを奏でる底気味悪い骸骨。なんともビザール嗜好をくすぐる、好きものにはたまらない恍惚を与えてくれるこの暗黒風情。筆者もCDショップの試聴機に並ぶこのパッケージを見て迷わず手に取り耳にした口であるが、冒頭から危うい響きを奏でるピアノ、そして不安定ながらもエレガントに折り重なるゴースト・ドローンに意識もろともすとんと他界に突き落とされてしまった。調べてみるとこの作品、バンクーバーにあるサイモン・フレイザー大学・現代芸術学科の学生たちによって演じられた、戦争を題材にしたライヴ・パフォーマンス『ウォー・レクイエム』のために作られた音楽とのこと。なんでも「ダンス、音楽、メディア、光、衣装のアイデアが絶頂に統一されたパフォーマンス」と評されていてその舞台の動向も気になるところだ。

 さてアルバムの内容だが、先の退廃的音響に続く“マーチング・バンド”では、ガブリエル・サロマンによるドラミングを聴くことができる。ドラムといっても快音とはほど遠くがらんどうのような響きがバタバタと連続する。そのスネアロールはタイトルどおりに「マーチング」と解釈するにはあまりにも七曲がりで、むしろデヴィッド・ジャックマン(オルガナム)がかつて鳴らした悪夢のマシンガン・ドローン・ノイズにも似た恐怖と憂鬱を与えてくれる。そして本作の肝となる“ブーツ・オン・ザ・グラウンド”。トレードマークともいえるギターがくぐもったフィールドレコーディングを通り抜け、(イエロー・スワンズ時代の過剰に加工されたものとは違い)はっきりとした輪郭をもってメロディーを紡いでは漆のような闇をうつらうつらと彷徨う。やはりガブリエル・サロマンのギターは格別だ。のっぴきならない虚無感のなか時折仄見えるリリシズムに、いままで世界のはずれでこの音楽に耳を澄ましていたはずが、じつはここが世界の中心であるかのような錯覚に陥る。そんな妙な安堵感を打ち消すように再び現れるあのマーチング。まるでよるべない死が転がり回るような不吉なスネアロール。さらにとどめはパワー・エレクトロニクスよろしく冷たい壁をなす悲愴美あふれるパワー・ギターだ。ああ……もう何もいらない。いや、もとい。この官能はくせになる。もっとほしい。もっとくれ。もっとだ。もっと堕落を!

 CDジャケットの内側にさり気なく記された「Fight War, Not Wars(戦争で戦うな、戦争と戦え)」の文字。もちろんイギリスのアナーコ・パンク・バンド、クラスのファースト・アルバム収録曲から引用されたメッセージである。そしてよくよく考えるとアルバム・タイトルの『ソルジャーズ・レクイエム』はシカゴ・パンクの異端児、ネイキッド・レーガンの曲名から採られたものに違いない。なるほど。タイトルにそのまんま「パンク」をもってきたピート・スワンソンに対し、それとなくパンク心を開示するガブリエル・サロマン。哀調を帯びた憂鬱質な男にしてじつに粋な男である。

interview with Black Knights (John Frusciante) - ele-king

 昨年末に流れたインフォメーションにより、界隈では待望となっていた、ブラック・ナイツの新作――なんと元レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリスト=ジョン・フルシアンテがプロデューサーとして加わったヒップホップ作品――が日本先行という形でリリースされた。フルシアンテは、いまやその名を聞いて大方の人たちがイメージするような、ファンキーなギター弾き語りアルバムを作っているわけではない。本作国内盤特典となる40000字にも及ぶ超ロング・インタヴューから、事の経緯をかいつまんで紹介してみよう。インタヴュアーを務めているのは、信頼のハシム・バルーチャ氏。このライナーの文字量には、誰もがギョッ! とすることだろう。

彼らが最初に俺の家にレコーディングに来たときにブラック・サバスの『Master Of Reality』を聴かせたんだ。


BLACK KNIGHTS / MEDIEVAL CHAMBER
(Produced by John Frusciante)

RUSH!×AWDR/LR2

Tower HMV Amazon iTunes

 ウータン・クランの通算5枚目となるスタジオ・アルバム『8 Diagrams』(2007年)に参加したことで、ウー総統=RZAとの関係ができたジョン・フルシアンテ。ふたりが会う機会に必ず同行してきたのが、本作の主役を半分務めたラグド・モンクだったらしい。

 「彼らはコンプトンとロングビーチ出身のグループなんだ。俺がレッド・ホット・チリ・ペッパーズを辞めた頃から、RZAと仲良くなって、よく家に遊びに来るようになった。RZAが来るとき、必ずモンクが同行していた。一緒に音楽を聴いたり、ツルんだりするようになった」(ジョン・フルシアンテ)

 米西海岸コンプトン出身のラグド・モンクとロングビーチ出身のクライシス・ザ・シャープシューターからなる2MCが本作の主役=ブラック・ナイツだ。1995年に結成され、1997年にウータン・クラン・ファミリーとなった彼らは、これまでウー関連の作品には多数参加してきたが、アンダーグラウンドな活動を余儀なくされてきたグループだ。ブラック・ナイツのスタイルは、自身が語るように「ストリートでありながらもリリカル」といったアブストラクトなものでもあり、それはRZA曰く「オマエらのようなウェストコースト・ラッパーを聴いたことがない」ということらしい。

 「もちろん出身がこのエリアだから、ウェストコースト・ミュージックを聴いていたけど、東海岸のラッパーはリリックがディープだったから、東海岸のラッパーもよく聴いていた。東海岸のラッパーのリリックの書き方がすごくクリエイティヴだったんだ」(ラグド・モンク)

 「スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレー、アイス・キューブを聴いていたし、ウータン、ナズなど深くて知的なライムをしていた連中も聴いていた」(クライシス)

 90年代中期を席巻した〈ロウカス・レコーズ〉などに代表される「アングラ・ヒップホップ」のムードも想起させるふたりのマイクマナーは、たしかにジョン・フルシアンテが手掛けたトラックとの相性がいいものだ。

 「彼らが最初に俺の家にレコーディングに来たときにブラック・サバスの『Master Of Reality』を聴かせたんだ。このアルバムのサウンドがいいかどうか彼らに尋ねてみた。また、彼らにブラック・サバスのこのアルバムの後の作品はサウンドが明るくなっていったことを説明した。70年代後半、レコーディング業界ではサウンドが明るくなったほうがいいサウンドだと思われ、その考え方は80年代にさらに強くなっていった。トレブルを強調した鮮明なサウンドこそ最高のサウンドだという考え方が当時は主流になっていた。ラモーンズやブラック・サバスは、初期の作品のサウンドが不明瞭でこもったサウンドだった。俺は『Sabbath Bloody Sabbath』よりも、その前にリリースされた『Masters Of
Reality』のほうが優れたサウンドだと思っている。簡単に言えば、彼らに“俺は『Masters of Reality』のサウンドは好きなんだけど、君達はどう?”ということを尋ねた。彼らもそのサウンドが好きだと言ったから、その瞬間に求めていた情報を彼らから聞き出すことができたと思った。つまり、80年代後半のヒップホップ・プロダクションのアプローチで、このアルバムの制作に取り組めるということだった。あと、このアルバムの音質を70年代初期の音質に近づけてもいい、ということだった。70年代初期の作品のサウンドはあまりシャープな高域がなくてこもったサウンドだった。俺はそのこもったサウンドが好きで耳に心地いいと思っている。そういう時代のレコードを聴くと大音量で聴きたくなる。レコードを聴くときにトレブルが強調されすぎると大音量で聴いたときに耳が痛くなる。でもブラック・サバスの『Paranoid』や『Master of Reality』みたいなレコードは爆音で聴いても耳が痛くならないし、小さい音量で聴いても素晴らしい。そういう音質の作品を作りたかった。それがエンジニアリングのコンセプトだった」(ジョン・フルシアンテ)

 ジョン・フルシアンテはブラック・サバスをたとえに、本作のサウンド・コンセプトをブラック・ナイツと練り上げた。これはなかなかユニークな逸話ではないだろうか? 彼らはこのアルバムで、「80年代のルールとガイドラインに基づいたヒップホップを作ることだけを意識した」とも語っている。それは、1987年に初めてSP1200を手にしたセッド・ジーのテンションと、時空を超えて共振しているような興奮をジョン・フルシアンテに与えたとも言える。

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俺は5年前から不協和音がたっぷり入った音楽を作っているけど、それは昔のヒップホップの概念と同じなんだ。

 「80年代からポップスというのは、楽器やヴォーカルのピッチが全部ぴったり合っていないといけないという概念に基づいている。でもヒップホップでは、必ずしもすべての楽器の音のピッチが合っているわけじゃない。ミュージシャンは楽器のチューニングをチューナーでぴったり合わせるけど、いろいろなサンプルを組み合わせて曲を作る場合、それぞれのサンプルのピッチを完璧に合わせることは不可能に近い。楽器の音符でハーモニーを作り出すのではなく、ヒップホップでは色々な音色でハーモニーを作り出すわけなんだ。俺は5年前から、不協和音がたっぷり入った音楽を作っているけど、それは昔のヒップホップの概念と同じなんだ。ギターの音符のピッチを合わせる概念じゃなくて、音色そのものの組み合わせ方からハーモニーを作り出している。ヒップホップを作ることも、俺の音楽を作ることの取り組み方は同じなんだ」(ジョン・フルシアンテ)

 サンプリング・アートの快感をここまで天真爛漫に語れるジョン・フルシアンテに嫉妬すらおぼえる。彼は本作で音楽の可能性を実感し打ち震えている。しかし、それは逆説的に、彼がかつて在籍したレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、いかに楽理的なコードに縛られたなかで、新しいサウンドを模索してきたかという、苦しみの証左でもある。ジョン・フルシアンテが麻薬にアディクトしていた絶頂期に作られた、ファースト・ソロ作『Niandra Lades and Usually Just a T-Shirt』(1994年)は、アシッド・フォークの名作として、いまでも扱いがいいアルバムだが、この作品を聴いた大方のリスナーの脳裡によぎったことは、「この人はもうじき死ぬのだろうな」という感慨だったはずだ。そういったリアリズムが先のアルバムには充満していた。だが、その20年後、ジョン・フルシアンテが元気にヒップホップ・アルバムを作っているなんて、誰が想像できただろうか?

 「このアルバムがヒップホップに聴こえるのは、こういう音楽を作るためのテクニカルなスキルを身につけたからなんだ。べつにしょっちゅうヒップホップを聴いて、それを真似しようとしているわけじゃない。
 たとえばデペッシュ・モード、ピーター・ガブリエル、デヴィッド・ボウイのプロダクションに刺激されることのほうが多い。ヒップホップのトラックを作ることは、自然にできるし、とくに努力する必要もないし、過去のヒップホップばかりを研究しているわけじゃない。前にも説明したことがあるけど、ジャングルの作り方を探っていた時期があって、その技術を習得した頃には、ジャングルを作ることに興味がなくなり、ヒップホップを作ることに興味が湧いた。でもジャングルを作るスキルとヒップホップを作るスキルは基本的に同じなんだ。ジャングル・プロデューサーの中には、ヒップホップを作らない人もいるし、作れない人という人もいるけど、それはその人の人間性によるものだと思う。ジャングルとヒップホップを構成する音楽的な要素は基本的に同じだ。サンプルを使って、自分独自の音楽を生み出すアプローチは、ジャングルもヒップホップも同じだ。ヒップホップを作ることは俺にとって自然なんだ。長年ヒップホップを作ることに抵抗してきたんだけど、じつはトラックを作ってほしいと昔からラッパーの仲間に頼まれていた。つねに自分にとって音楽的に興味がある分野を研究して何かを学ぼうとしている。誰かの役に立つために音楽をやっているわけじゃなくて純粋に興味があり、そこから学ぶことがなければ取り組まない。だから、ヒップホップを作ることが俺にとっていちばん自然なスタイルになったのはたまたまなんだ。誰かとコラボレーションをすることや、他人にいいところを見せたり、他人を喜ばせる音楽を作ることよりも、音楽的に自己教育することのほうが俺にとって重要だ。俺とブラック・ナイツの相性が完璧なのは偶然でしかないんだ」(ジョン・フルシアンテ)

 「ジョンのことをトリックフィンガーと呼んでいるんだけど、彼のすごいところは、ビートを一曲の中でどんどん変えていくことなんだ。曲の途中でまったく違うビートに変化するから、曲の中にまた別の曲が入っているような感覚になるんだ。それは俺たちにとってチャレンジになる。曲が途中で変化すると別の世界観が広がる」(ラグド・モンク)

 「俺は個人的に単調なビートの上でラップすることは退屈だから、逆にジョンのトラックの上でラップができて刺激になったよ。音楽的に深みのあるトラックの上でラップしたほうがおもしろいしジョンは究極までそれを表現した」(クライシス)


ブライアン・イーノは“自分の声はデヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーに匹敵しないから歌わなくなった”と以前言っていた。いまはプロデューサーとして彼の見解は理解できる。

 『メディーヴァル・チャンバー』=中世の部屋、と題された本作には、いろいろなタイプのトラックが並んでいる。なかには、シカゴ発祥の変則ダンス・ミュージック=ジュークにインスパイアされたというトラックまであって驚いたが、それは同時に、欧米におけるジュークへの期待値の高さを表してもいる。ヴェネチアン・スネアズと組んだスピード・ディーラー・マムズなどの活動で研鑽を積んだエレクトロニクスへのアプローチも手伝い、ジョン・フルシアンテは本作のコンポーザー/エンジニア/プロデューサーとして、立派にヒップホップ対応を務め上げている。

 「モンクとクライシスのヴォーカルと同じくらいに高度なメロディを俺が作れて、彼らのポリリズムと同じくらいに複雑なリズムを俺が作れるんだったら、自分の曲は作りたいところだけど彼らの声の周波数帯の方が俺よりも幅広い。だから、彼らの声にディレイをかけたり加工したほうが、俺の声でやるより面白い音になる。ブライアン・イーノは“自分の声はデヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーに匹敵しないから歌わなくなった”と以前言っていたけど、それを最初に聞いたとき“ブライアン・イーノの声は素晴らしいのに、なんで歌をやめちゃったんだろう?”と思った。でもいまはプロデューサーとして彼の見解は理解できる」(ジョン・フルシアンテ)

 ジョン・フルシアンテにここまで言わせてしまったブラック・ナイツとのコラボレーションは、当然、本作だけで終わるものではなく、なんと、セカンド・アルバムはすでに完成していて、現在はサード・アルバムの制作が佳境を迎えているとのことだ(!)。

 今年2月には新作ソロ・アルバム『エンクロージャー(Enclosure)』のリリースも控えているというジョン・フルシアンテ。「サンプリングとロック・ミュージックとジャングルと抽象的なエレクトロニック・ミュージックは相反するものではなく、全部をひとつに融合できるということを見せたかった」と語る新作ソロ・アルバムにも、ファンの期待は集まることだろう。しかし、ジャングル・リヴァイヴァルにジョン・フルシアンテが乗っかっていることがほんとに面白い。スーパー・ロック・ギタリストのキャリアの変遷としては、乱調も乱調、かなりユニークな部類に属するものではないだろうか。興味深い話はまだまだ尽きないのだが、このつづきは国内盤特典のロング・インタヴューで楽しんでもらうことにしよう。アメリカとヨーロッパのツアーも予定されているという、ブラック・ナイツ『メディーヴァル・チャンバー』は、お互いのキャリアの中でもきっと重要作になることだろう。RZAのレーベル=〈ソウル・テンプル・レコーズ〉からのリリースも控えているというブラック・ナイツの今後ともども、追いかけて聴いていくといいことがありそうなミュージシャンたちである。

野田努

 たとえコミカルな映画であっても、返り血で床が赤く染まるような、血なまぐさい暴力シーンは誰にでも好まれるわけではない。デビュー当時のエミネムのリリックが顰蹙を買ったように、強姦を面白可笑しく表現することへの拒否反応はあるだろう。しかし4年前、11歳のヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)が、ジョーン・ジェットの曲に合わせて、大勢の悪党を片っ端からやっつける場面には突き動かされるものがあった。世間体なんか気にしないというパンク・ソングが流れるなかで、武器を持って襲いかかる大人の男を次から次へと倒していく小さな彼女は、力でねじ伏せようとする世界をひっくり返す象徴としての、いわばスーパーヒーローにおけるパンクだ。その続編である『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』においても、思春期を迎えたヒット・ガールは、あまりにも格好良かった。(以下、ネタバレあります)

 原子炉エネルギー開発会社を所有する資産家のバットマンが格差社会の極貧困層の反乱を鎮圧する『ダークナイト ライジング』と違って、『ジャスティス・フォーエバー』では頭のいかれた鼻持ちならない金持ちが超悪党だ。その彼──クリス(異名マザーファッカー)は、作中において「自分のスーパーパワーとは、クソとしての金持ち(rich as shit)であることだ」と自己認識する。キック・アスとヒット・ガールというふたりのヒーローは孤独なティーンエイジャーだが、悪党クリスもおそらくティーンエイジャーであり、孤独だ。キック・アスはクリスと死闘を繰り広げるが、助けようともする。そう見ていくと、『ジャスティス・フォーエバー』は、無名の市民が世界を救うという政治性を匂わせつつも、表向きにはティーンエイジャーのファンタジーとして作られている。
 15歳のヒット・ガールは学校で同級生の女たちの陰湿なイジメにあうが、これは日本でも日常的な光景だ。ほかにもいちいち風刺が効いていて、台詞のひとつひとつにも無駄がない。現代アメリカ社会のリベラルな知識人が過敏になっている差別表現や卑語を包み隠さず、むしろ図太く使っている。そんなところにも、外面的には礼儀正しい社会へのアイロニカルな感性が読み取れる。暴力描写も、大人を怒らせるためのティーンエイジ・ライオットの一環かもしれない。
 が、単純化できないこの物語には困惑させられもする。たとえば、元悪党の、宗教に目覚めたことで改心し、古くさいGIジョーの格好をしたジム・キャリー演じる大佐、彼の名前はスターズ・アンド・ストライプス、つまり星条旗大佐だ。その彼の睾丸がイヌに食いちぎられる場面は深読みできなくもないが、彼はあくまでキック・アスの味方として登場している。また、典型的な保守的アメリカ人として描かれているのがキック・アスの父親で、キック・アスはそんな父の生き方に反発しながら、親子の愛情は受け入れている。

 思春期を迎えた登場人物たちは、この年頃の若者特有のアイデンティティの悩みを抱えている。こと15歳のヒット・ガールは、義父から若い女性として、もっと学生としての生活をエンジョイするよう、執拗に問い詰められる。そして、実の父によって有能な暗殺者に育てられた彼女から「子供時代」をうばったのはその父だと説き伏せられる。お洒落したり、デートしたりと、彼女自身も一時期は失った子供時代を取り戻そうと努めるが、結局のところ彼女は、子供でいることが必ずしも幸福ではないと、返す刀で世間の常識をはねのける。それが本作を逆説的なファンタジーへと転換させる(友だちを作りなさい、友だちができて良かったね、などという大人の言葉が子供にとってどれほど抑圧的に働くか……)。
 この見事な反旗と重なるように、『ジャスティス・フォーエバー』で最大の見所となっているのが、ヒット・ガールのアクション・シーンだ。明らかに前作以上の見応えがある。考えて欲しい、あれだけ素晴らしかった前作をしのいでいるのだ。ダンスするシーンも、紫色のドゥカティに乗って爆走するシーンも、素晴らしい。彼女が何度もぶん殴られるシーンには目を背けたくなるだろうが、はっきり言えば、躍動するクロエ・グレース・モレッツを見るだけでも、この映画には価値がある。ナウシカにパンクはない。彼女はいまや、虚構ではなく、本物のスーパーヒーローになったと言える。「HIT & RUN(やって、逃げる)」と記されたナンバープレートのバイクに乗って街を去る彼女を見ながら僕は……、いや、もうこの辺で止めておきましょう。

野田 努

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木津 毅

 ナイーヴな文化系男子たちがいかにクロエ・グレース・モレッツが好きか、前作『キック・アス』での少女の登場にヤラれたかはわかった。それはいい。冒頭、防弾チョッキを着てクロエに吹っ飛ばされる主人公デイヴの嬉しそうな表情には「やれやれ」とはまあ思うけれども、それは自分のなかでずいぶん前に解決した問題だ。だから先に書いておくと、たしかに本作のクロエもまた、最高だ。学園ドラマのヒエラルキーの最高ランクに位置する女王蜂とその取り巻き(たぶん、きみのことを10代のときにキモいオタク扱いしたあいつらだよ)を、颯爽とクソ扱いし、将来とアイデンティティに迷うデイヴを(そして、きみを)男として鍛え上げてくれる。

 問題は、「ジャスティス」のほうだ。第一作の時点で、クリストファー・ノーラン『ダークナイト』においてぐずぐずと正義に悩んでしまうバットマンに対するカウンターとして機能していた本シリーズはまたこの2作目で、(バットマンのような)特権階級でもなく、警察のような権力でもない、普通の人びとの正義はもっとシンプルなものであるはずだと主張する。たしかにそうだ……いや、そうなのか? 僕はそこに引っかかる。「市井の人びとの理想主義」を称揚する僕のような人間はむしろ本作を味方しなければならないのではないか、という内なる声も聞こえるがしかし、彼らが作る自警団に賛同しきることができない。
 この映画で敵として設定されるのは、私怨を晴らすために金で暴力を雇う資産家だ。それが現代資本主義社会のカリカチュアであるならば、本作の主張は「正しい」。しかしその正しさはおそらく同時に自分の首を絞める罠にもなり得るだろう。たとえばクロエ演じるヒット・ガールが卒業試験としてキック・アスと戦わせるチンピラたち、彼らにどれほどの「悪」があるのだろう? 資本主義の奴隷だから? そうかもしれない……が、本シリーズは痛快さを追求するあまり、おもにゼロ年代からのアメコミ・ヒーローものが取り組んだ倫理の多様性の問題をやや大雑把に扱っているように感じられてしまう。
 たしかに僕も『ダークナイト』は過大評価されているとは思う。あの薄暗い画面のなかで、自意識を募らせるばかりで身動きが取れないバットマンには苛立ちを感じる……。ただ、もしあの映画に「正義」があったとすれば、観念的な論理を繰り広げるジョーカーに翻弄される「ヒーロー」の下にではなくて、暴力の被害者になりながらあっさりと暴力の誘惑を放棄するフェリーの船長……まさしく「小市民」の下に、であった。だとすれば、本作『ジャスティス・フォーエバー』で自警団の闘いがどうにも小競り合いに見えてしまう僕にとって、ここでの正義は主人公デイヴの父親の下に宿っているように見える。小市民たる父は暴力に屈するばかりなのだが、しかし自分の弱さを隠さない。しかしながらそれは「正義」という言葉よりも、「愛」のほうが近いのかもしれない。

 『キック・アス』が3部作になるとして、僕が次回作に期待したいのはデイヴの成長ではなくてヒット・ガール=ミンディ=クロエ・グレース・モレッツの成長だ。それは本シリーズのコアがまさにクロエそのものであるという事実によってだけでなく、彼女が自分の強さのなかに弱さを見つけたときに、またそれを認めたときにこそ、『キック・アス』における人びとの正義は深みと多様性を持ち始めるのではないかと思うからだ。『バットマン』シリーズへの痛快な苦言としてではなく、ヒット・ガールがただ存在するだけでパワフルなメッセージが放たれる瞬間が見たい。

木津 毅

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Jar Moff - ele-king

 グルーパーことリズ・ハリスとタイニー・ヴァイパーズのジョシー・フォーティノが2012年に結成したユニットはミラーリングと名付けられていた。ミラーリングというのは神経科学でもかなり最近の発見で、大雑把にいえば人間の模倣能力がニューロンに由来し(=ミラーニューロン)、これが会話や学習を可能にするというもの。俗流の解説書などでは人間の社会はミラーリングによって結ばれる無線LANのようなものだと説明されたりもする。言ってみれば「利己的な遺伝子」に対するカウンター概念としてドーキンスが考え出した「ミーム」に生化学的な根拠が与えられたようなものといえ、これが機能していない状態を自閉症と考える仮説も立てられている(興味のある方はマルコ・イアコボーニ著『ミラーニューロンの発見』早川書房など)。彼女たちが「ミラーリング」を名乗るということは、だから、歴史概念や連続性の標榜であり、これに『フォレイン・ボディ(=異物)』というタイトルを与えたことは、ミーム同様、前の時代のアウトサイダーから次の時代のアウトサイダーへの再編=進化概念の更新を意味することになる。当然のことながら、裏表で「淘汰」も想定されていなければならない。

 そのようなマニフェステイションを経て、リズ・ハリスは、2013年後半、さらに2つのコラボレイションを進めている。最初は〈ルーム40〉主宰、ローレンス・イングリッシュとのスロウ・ウォーカーズで、もうひとつが〈ルート・ストレイタ〉主宰、ジ・アルプスなどで知られるジャフレ・キャンツ-レズマとのラウム。スロウ・ウォーカーズは淡々としているというのか、終始一貫、地味にメランコリックなアンビエント・ドローン。ラウム(=スペース)はさまざまに表情が変わり、『取り置きの内容』というタイトルだけあって、曲自体もランダムに転がり出てくるような印象がある。「リズ・ハリスの引き出しの多さ」とでもいえばいいだろうか。とくに後者は『A I A 』のようなソロ・ワークとは違った側面が散見され、西海岸のバリアリック傾向に馴染んでいこうとする姿勢が意欲を感じさせる。美しくも鬱々としたスロウ・ウォーカーズは、その世界観をそのまま写し出すようにジャケットに金の箔押しが使われ、ラウムも折りたたみ式のカヴァーを採用している。いずれもシンプルだけど、粋なデザイン・センスである。

 ティム・ヘッカーやディープ・マジックがリズムを導入したのに対し、リズ・ハリスは文字通りのドローンにこだわり続けている。一見するとミラーリングの進化概念からは取り残されているようだけれど、彼女たちが「異物」を表明していたことに着目すると、それも納得がいく。ショーン・マッカンやティム・ヘッカーが示し合わせたようにスティーヴ・ライヒを取り入れたことは(それこそ無線LANのように)、明らかに商業的なベクトルがドローンに混入しはじめたことを予想させる。イエロー・スワンズやKTLが現在、アンディ・ストットやエンプティセットといったデザインの領域に様変わりしていることを思うと、こういった力はどうしても働いてしまうものなのだろう。そこから意識的に逸れること(=無線LANからの逸脱)が彼女にとってはミラーリングの意義を全うするものなのだろう。次の時代に「異物」を反射させること。それこそ『フォレイン・ボディ』の最後の曲は“ミラー・オブ・アワ・スリープ”と題されていたではないか。「眠りの真似」である。現在の気運にのって、いま、立ち上がってはいけない。スロウ・ウォーカーズのエンディングで“ウェイク”と題された曲は「起きる」と訳すことも可能だけれど、これには「通夜」や「葬儀」といった意味もある。どちらを示唆しているかは曲調を聴けば明らかである。

 以前にも書いたように、マッチョ的なドローンはここ数年でフェミニンな変奏に取って代わられ、あるいは、ダンス・ミュージックへと擬態していった。モードというのはそういうものである。僕はモード化していく瞬間が最も好きで、そのような助走段階を聴き遂げるためにアンダーグラウンドに関心があるといってもいいぐらいである。ところがここに、マッチョ的なドローンが擬態をよしとせず、そのままモード化しようとする例が現れた。ジャー・モフである。紙エレキングの年間ベストでも3位に挙げたジャー・モフが年末ギリギリになって(ギリシャなのに)『財政豊か』と題されたセカンド・アルバムをリリースし、リズムが幅を利かせていた前作から一転、あらゆるものが高速で崩れ落ちていくドローンを構築してきたのである。若き日のノイバウテンがドローンをやればこうなったかもしれない。あるいは、この何年かギリシャで暮らしていれば、このようなカタストロフィーは心象風景として当然、目に見えるようなものといえたのかもしれない。しかし、それを正確に写し取ることができる(=ミラーリングできる)かどうかは才能を選ぶところだろう。『フィナンシアル・グラム』の描写力は凄まじいの一語に尽きる。ダンス・ミュージックに吸収されてしまうかに見えたドローンの行く末がグルーパーとジャー・モフによって、再び、わからないものになってきた。

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