「ファクトリー」と一致するもの

Neon Indian - ele-king

 食事と服装はダウンロードできない。データの時代だというのに......まったく不便なものだ。食べ物も洋服もあくまでフィジカルなものだから、実際に自分の身体を通してはじめてどういうものかがわかる。
 筆者にはスタイル文化がわからぬ。ということで、着飾ることがどういった「正しさ」を持つのか、そしてネオン・インディアンがどういう人物なのかを確かめるべく気軽にイヴェントへ赴いた。週末のクラブ、チルウェイヴのDJでオールナイト――なかなか悪くない。翌日は投票日だが事前投票は済んでいる。

 深夜0時過ぎに会場のル・バロン・ド・パリ(南青山)に入ると、まずその内装に目を見開いた。豪華絢爛といっては大げさだろうか、内装はとても綺麗なクラブだ。会場に関していい評判を聞いたことはなかったのだが、こういうのもまったくわるくないなと思った。が、驚かされたのは、そう大きくない会場内をまっすぐに歩き、フロアにたどり着いたときのことだった。あれ、ここが踊る場所だよな? ――中学校の教室内でCDの音をちょっと大きめにかけたかなという程度の音量だった。リスニング・テストにはちょうどよかったかもしれない。
 DJブースを見れば、林檎のマークのうしろにDJの真剣な表情がうかがえる。周囲ではおめかしした若者が元気よく踊っている。たのしく踊れているのなら、それだけでこのパーティ、わるくないのではないか。ということにして、筆者は考えるのをやめようとした。
 酒を飲もうと暗いなかメニューに目を凝らすと、すべて1000円以上であることに気づいた......。

 会場内をもういちど見渡す。満員ではないが楽しくふらつけるほどに人は入っている。多くは20代前半から上のひとたちだろうか。〈Supreme〉のキャップがいくつか目につく。みんながとびきり目立ってオシャレというわけではなかったが、服装は(ちゃんと)意識してパーティにやってきたという趣があった。
 UKファンキーっぽい音楽にすこしノって飽きてしまった直後、知人に見つけてもらい、しばし会話をすると、人と話してすごすにはほどよい空間演出であることに気づいた。彼は「スタイル文化だよ」とは言いつつも、音楽とファッションのひとたちが手をとりあってアーティストが来れるならよいことだよと語ってくれた。正直、音響さえもっとしっかりしてさえあれば、まったくもってそのとおりだなと思えただろう。
 しばらくすると筆者と同い年(平成元年生まれ)の友人たちが5人以上でわらわらとやってきた。みんなで座れるスペースの一角に落ち着き、互いの近況なんかを話し合い聞きあい、会話を楽しむ。これがとても快適であった。いや、さすがにお酒をじゃんじゃん飲むことはできなかったが、それでも友人たちと楽しく会話で時間をすごすのにはちょうどよいスペースだった。

 友人のひとりが「まだかよー」と待ちくたびれはじめた深夜2時頃だったろうか、客がDJブース前にふらふらと集まりだす。ようやくネオン・インディアンがDJを開始する。はじめはテクノっぽいディスコを流している。なるほど、チルウェイヴの源流は80年代ディスコ的なサウンドにあるのかと痛感させられた。しかしチルではないゆえ、それがネオン・インディアンのDJである必然性はまだ見いだせなかった。
 ディスコ・サウンドが延々と続いた。チルは自ら、ということでブースから離れ椅子にもたれて友人と話していると、突如、いびつなシーケンスのシンセ・サウンドが聴こえた――ファクトリー・フロアの"トゥー・ディフィレント・ウェイズ"。心臓が掴まれたかのごとくDJブースに戻ってしまった。ハッピーな曲でもなく音響は充実していないため、フロアの人たちの踊りが止んでしまったが、おしゃれな場所においてダークで尖った曲を流すネオン・インディアン。わるくない。続いてミックスされるのがポール・マッカートニーの"テンポラリー・セクレタリー"。シーケンスの連想で繋いだのだろう。安易でなんとも微笑ましい。続いて何かテクノ・ポップ的なものを1曲挟み、ベタベタにYMOの"ビハインド・ザ・マスク"がはじまったとき、確信した。ネオン・インディアンはいいやつだと。
 友人たちはYMOに合せて「オー!オオオオー!オーオーオー!オオオオー!」と合唱し始める始末。音楽の音量が小さいためそのハーモニーはフロアでもかなり目立ち、筆者の周りが異様にガンガン踊り(はしゃぎ)はじめた。このベタベタな流れなら、次はもうニュー・オーダー(もちろんネオン・インディアンもフェイバリットの"ビザール・ラヴ・トライアングル")でもプレイするんじゃないかと思われた。実際にはもっとソリッドなテクノに戻ったのだが、やがて"ポリッシュ・ガール"(だったと思う...)などネオン・インディアン自身の曲を2曲ほどプレイした。彼の8bitサウンドはダンスフロアをチルというよりもドリーミーによどみなく流れ、オーディエンスは笑顔のまま好き勝手にふるまった。大したことはない。ただの土曜の深夜のクラブによくある光景。まして音響はしょぼちいもんだ。酒は高すぎて買えやしない。しかしそれでも(だからこそ)、友人含め若い人たちが、おめかしをして、クラブで自由に身体を揺らしてときをすごしているのは、大したことなく平和でうつくしい光景に見えた。特別な祭りではなく、ただの一夜の場面であること。そして、そこに友人たちといっしょにいること。ちょっとおめかしをしてナイト・クラビングすることの「なんでもなさ」を筆者は肯定したい。翌朝、布団に飛び込んで倒れるまでがナイト・クラビング。

 ネオン・インディアンに満足した友人たちとともに、これまた別の友人による不定期のDJパーティに参加するため三軒茶屋へタクシーを割り勘して向かった。会場に着き、ようやくデカい低音を浴びることができた束の間、筆者は具合が悪くなり寝込んでしまった。朝になり、パーティも終わり、友人たちはいまから渋谷へまだ飲みに行くという。まったく元気な連中だ。すばらしい。と思いながらも、筆者ひとりで凍えながら帰宅し、病床に臥した。病院に行くため外に出て、異様に晴れて暖かいことに気づく。流行の最先端=胃腸炎だった。再び自室で寝込み、現在時刻を忘れながらリビングに向かうと、テレビ画面、安倍晋三が神妙な顔をして話している。「自民」の文字の横では200以上の数字が表示されている。「たしかに僕は事前投票に行ったのだよな......」と頭のなかで反芻しながら再び布団に倒れた。

 ロンドンとパリは列車で結ばれている。ユーロスターで所用2時間。時差が1時間なので往路は3時間、復路は1時間という幻惑を誘うタイムラグ。しかも海底を抜ける。その途方もなさに、果たしてパリに無事辿りつけるのかという幼児なみの不安が頭をよぎる。住んでいるロンドンの自宅で予約はウェブ上で済ませる。当日、無事に起床することができた。出国手続きを終え、無事列車にも乗れた。なんてことはない。新幹線のような快適な乗り心地。いつの間にか海を越えていた。地上を走っている時間のほうが長い。フランスののどかな田園風景を走り抜ける。と、パリのターミナル駅に着く。最初の驚きは、駅舎の壁面に途切れることなく続くグラフィティ。その後、5日間の滞在でパリはロンドンをしのぐグラフィティの街だと知る。

 ウェブ・マガジン『ピッチフォーク』のフェスティヴァルがパリで開催されるというのでチケットをとった。ジェームズ・ブレイク、ファクトリー・フロア、アニマル・コレクティヴ、ジェシー・ウェア、ラスティー......と話題のアーティストばかり。7月にシカゴで開催された同フェスティヴァルの様子をウェブで見ていたので即決だった。正直、ちょっとパリにも行きたい気持ちもあったし、フェスティヴァルでパリジェンヌがどんな風に狂気するのか見てみたかった。  同じ歴史を感じさせる都市とはいえパリは明らかにロンドンよりも落ち着いた街だ。そして悦ばしいことに食べ物が美味しい。いずれもロンドンがうるさ過ぎ、食べ物が不味い、とも言える。フランス語ができればパリは日本人にとって住みやすい街なんじゃないか。とはいえ、たった数日の滞在では計り知れない。街中にグラフィティが溢れかえっている。この意味するところは何だろう。アートの街だから許容されている? 確かにお金を出しても惜しくない立派な作品にストリートで出合ったりする。そして、スリの腕は世界一だから気をつけるよう散々言われた。しかもよく考えると、2005年にこの街では暴動が起きている。表面的に落ち着いているように見えても、他の欧州各国と同様に煮えたぎるものがある? でも、いち早く左派政権になったし、この落ち着きは余裕をしめしているのか......。などと色々と頭の中を駆け巡った。だけど街中を歩く人びとがオシャレで似合っていて、ただただ魅了され雑念もふっ飛ぶ。たった2時間の移動でロンドンとパリでここまで違うのか、と当然のことかもしれないが改めて驚く(ロンドンのコモン・ピープルは必ずしもオシャレじゃないから)。

 会場はパリの北東部に位置する〈Grande halle de la Villette〉。大きな倉庫を改造したのか、ちょうどサッカー・コートぐらいの広さで天井がやたら高いホール。フランスで『ピッチフォーク』が扱うようなオルタナティヴなロックやダンス・ミュージックがどこまで人気があるのか知らない。しかも、ほとんどが英語圏のアーティスト。ピークでも会場の6割ぐらいしか埋まらなかったので、すごく人気がある訳ではなさそう。でも、その分、会場のなかに逃げ場があって過しやすかった。耳にイギリス英語が飛び込んでくる。とくに2日目はイギリス人が多かった。結局、僕のようにユーロスターでロンドンから来たオーディエンスが多数いる印象。

 パリに着き、ホテルにチェックインしてから会場に入った。言葉が通じないので終止緊張していたせいか、疲れが出てボーとアルーナジョージなんかチェックしていたアーティストも遠巻きに見る。ティンバランドとミッシー・エリオットの出会いがいまのロンドンで実現されたら、と評されるこの異色ユニット。アルーナの愛くるしい佇まいが微笑ましかった。
 さて、いまはとにかくフジ・ロックでのライヴも終え話題になっているファクトリー・フロアに備えよう。アルコール片手にリラックスして会場を歩き回った。ロンドンのラフ・トレードが大きな物販ブースを出している。オフィシャルのバックをここで買う。片隅でジュエリーや靴なんかのハンドメイドの作品を扱ったフリー・マーケットも開かれている。オシャレ! いちいち立ち止まって見てしまう。そうこうしているうちにファクトリー・フロアだ。終止ストイックに展開するミニマリズム。退廃美はスロッピング・グリッスルのそれに近いが、さらに渇いている。この渇きは諦念に近いのか......。打ち鳴らされる音の粒の快楽に酔いしれる。どうしようもない寄る辺なさに身をゆだねる。恍惚とする......。
 その後、バンクーバーを拠点にするJapandroidsという謎のふたり組のロックバンドを見てポカンとしたり、The xx やSBTRKTのレーベル〈Young Turks〉からリリースのあるJohn Talabotで身体をほぐしたりしながら、ジェームズ・ブレイクに備えた。
 パリのジェームズ・ブレイクは都市のもつ気高さに演出され、いっそう高貴なものに映った。ヨーロッパを覆っているであろう無力感を一歩進めて絶望に至り、そこからの救済を希求しているような...、というと大袈裟? 不安定なトラックと彼の中性的な声が心の襞に分け入ってくる。見たことのない世界を見せてくれそうな予感に包まれる。
 午前1時頃、この日のヘッドライン、フランスのポスト・ロック・バンド、M83のやたらとテンションの高いライヴを横目にホテルに向かう。

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 2日目。午後5時開始。遅い朝に貴重なパリの1日を怠惰に過す。ルーブル美術館の近くにあるビルごとアーティストのスクワットになっている59 RIVOLIというスペースに行く。たくさんのアーティストの制作現場になっていて展示も無数にある。どれも個性的で目を惹く。街中で見かけたグラフィティと同じアーティストの作品もあった。1999年にはじまったスペースらしい。ヨーロッパではスクワットが違法ではない国がある。ちなみにイギリスでは2ヶ月前に住むことが違法になった。が、不思議なことに空いている建造物を一時使用することは違法になっておらず、まだスクワット・パーティなんかがある。
 少し遅れて午後6時頃開場についた。その日は目的がたくさんあった。まずはジェシー・ウェア。彼女を最初に見たのは5月にKOKOロンドンであったベンガのリリース・パーティだった。日本では考えられないが、ロンドンではダブ・ステップでモッシュが起る。DJも応酬してアオりにアオる。この日もそうだった。そんな、どちらかというと男くさい匂いが漂うパーティで、ジェシー・ウェアが登場すると変わった。たった1曲歌っただけなのに会場がしっとりとした雰囲気に包まれた。その後、ずっと気になっていたらジョーカーやSBTRKTと楽曲制作をしている歌手だと判った。ニュー・アルバムが発売される頃には、レコード屋のみならず駅の掲示板などにもポスターが貼られ、ちょっと盛上っていた。新作『DEVOTION』はイギリスのエレクトロニック・ミュージック・シーンを背景にしながら、しかし耳ざわりのよいソウル作品だ。ブロー・ステップのように過激/過剰に行きがちなシーンに淡々と距離をとっているとも言えるし、ただ自分の好きな音楽を黙々と追求しているだけにも見える。最近ではディスクロージャーと絡むなど趣味のよさ、立ち位置のうまさを印象づける。僕は新作をどう聞いたかと言うと、決して雰囲気がよいとは言えない不景気のロンドンで、ゆらぐことのないイギリスのアーティストとしての誇りのようなものを感じた。エイミー・ワインハウスは......あまりにもいまのイギリスの雰囲気を暴きだし過ぎている、と感じることもあるから。「DEVOTION=献身」が彼女を育んだミュージック・シーンに対するものであったら、それは素晴らしいことじゃないか。

 可愛い言葉づかいのジェシー・ウェア。肩の荷を下ろし一曲終わるたびに何やら語りだす。可愛い。歌いはじめると一気にオーラを身にまとう。特に凝った演出もなかったがその分、歌に集中できた。まだキャリアが始まったばかりのアーティストにありがちな衒ったところもなく純粋な歌がそこにあった。ジーンとする。
 続いてワイルド・ナッシング。80年代風、イギリスのギーター・ポップ・サウンドは日本人にとって聞きやすいがもはや"カルト"と評されている。ジャック・テイタム──実質、彼ひとりのバンドみたい──が、アメリカ人なのも共感できる。シンセも相俟ってキラキラしたギター・サウンドを、他国の過去の音に想いを馳せながら作っている感じ。わかる。新作『ノクターン』を愛聴していたのでライヴも楽しめた。なんだかんだいっても現代の解像度の高いサウンドとフェスの大音響の効果は心地よく、快感だった。

 ピッチフォーク・ミュージック・フェスティヴァルは個性派ぞろいのフェスティヴァルで、まったくノー・チェックでも意外なアーティストに巡り合う。例えばザ・トーレスト・マン・オン・アース。ボン・イーヴェルのツアーのフロント・アクトを務め知られるようになったというスウェーデンのアーティストだ。ボン・イーヴェルやベン・ハワードなんかの極楽系フォーク・サウンド。だけど、どこかボブ・ディランぽい。まとめると、現代スウェーデンのボブ・ディラン兼ボン・イーヴィル、その名もザ・トーレスト・マン・オン・アース。謎だが、謎めいた魅力があった。次に、初めて知ったけど欧米では結構知られているらしいロビンも強烈なシンガーだった。エレクトロニック・サウンドにのせ歌われるポップ・ソング。彼女独特のコケティッシュな魅力に溢れたステージ。どこか振り付けが80年代のアイドルっぽい。どうしても日本のアイドルを思い出してしまうステージをパリで、しかもピッチフォークのイベントで目撃するという倒錯感がすごかった。

 2日目のヘッド・ライナーはアニマル・コレクティヴ。新作『センティピード・ヘルツ』がこれまでの作品と一変していたので、ライヴはどうかと興味深く観た。新作の楽曲中心に進んでいく。リズムとサンプリングのおもちゃ箱をひっくり返したような躁状態が続く。サイケデリックなデコが虹色に怪しく明滅するステージのうえでたんたんと演奏したり機材をいじっている。変拍子や過剰なサウンド・エフェクトを駆使しながら不可思議な物語を感じるステージ。終盤は、これまでのアニコレのイメージどおりアシッドにフォークに展開し陶酔する。深夜2時近く、この日のパリの夜は時空が捩じれたまま深けていった。

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 さて3日目だ。またも遅い朝。昼食にパリに在住していたレゲエ・ライターの鈴木孝弥さんに教えてもらったアフリカ料理を食しに出向く。パリの南に位置する大通りブルヴァール・バルベス周辺はアフリカ人の街。その北側にあるセネガル料理屋シェ・アイダ。しかし...一向に見つからない。しばらく漂う。パリのアフリカ人街はヨーロッパ大陸に突然アフリカへの入口が出現したかのようで軽く混乱する。結局、見つからない。たぶん閉店したのだろう。何度か鈴木孝弥さんがこの店のメニューをお手本にして創った料理を東京で食して期待が膨らんでいたので、泣く。そのあと、ロンドンからの友人と落ち合い3日目のフェスティヴァル会場に向かう。

 この日、まずはプリティ・リングという4AD所属のユニットに度肝を抜かれる。声だけでなく佇まいもビヨークっぽいメガン・ジェームズと、均整のとれた体つきなのにラップトップに向かってひたすらヘッドバンギングするコリン・ロディックの男女二人組。クリック系のサウンドに浮遊感ただよう歌声。聴いているだけでひたすら気持ちいい。小さい体のメガンが時おりドラを打ち響かせるのでハッとし、ニヤっとする。
 3日目だけオール・ナイトだったのでお客さんも若く、オシャレ。ロンドナーだったら無造作にアーティストTシャツなんかで済ますところ、やっぱりパリッ子は違う。マフラーの巻き方や靴の合わせ方ひとつ違う。もしかして日本のクラバーに近いのかもしれないが、まあ、なんというか絵になる。パリッ子のファッションに憧れても、絶対に真似できない。さすが本場、なんて常套句を思わず心の中でつぶやく。ロンドナーよりも踊らないけれど、踊る姿が美しい。見惚れる。そして、この人たちのなかで踊っている自分はなんてオシャレなんだ、なんて自己満足。
 さて、このフェスティヴァルで一番楽しみにしていたグレズリー・ベアーだ。新作『シールズ』はバンド・サウンドの完成度と、楽曲としての先進性が同居する近年では希有な作品として聴いていた。これがいわゆるロックなのかどうかもはやわからないが、ロック編成の音楽の可能性みたいなものさえ感じていた。
 いたってクールに進んでいくステージ。サウンドに対して忠実でストイックな印象さえ受ける。しかし、だからこそ時おりサイケデリックに、またゴシックに展開するとき、音の渦に吸いこまれる。アンサンブルに酔い痴れ、コーラスワークの虜になる。
 しかしハイライトはグレズリー・ベアーではなかった。演奏が終わると、間断なくデェスクロージャーがはじまる。ピンとした空気が暴発して一気にパーティ・ムードへ。まだ20歳そこそこの兄弟のデュオ。"Tenderly"のようなUKガラージから、"Latch"のようなハウスまで気の利いたグルーヴが会場全体を覆う。うまい......と油断していたらジェシー・ウェア"ランニング"のリミックスが投下される。まるでドナ・サマーを初めてクラブで聴いたときみたいに、我知らず全身で踊っていた。

夜は長かった。トータル・エノーモス・エクスティンクト・ダイナソーズの変態的なエレクトロ・ポップに嵌ったと思ったら、グラスゴー出身のラスティーのDJセットにも終止引き込まれ、何度も雄叫びをあげる。このとき、客席前線の熱狂度はすごくて、オシャレなパリジェンヌが乱舞。なんというか、世界中どこにいっても変わらない。結局は、そういうことだ。

DJ Nature - ele-king

 レゲエやヒップホップ、レアグルーヴなどを内包したストーン・フリーなヘヴィ・ダウンテンポをして、90年代初頭にトリップ・ホップとして知られることになるブリストル・サウンド。そのオリジネーターであるワイルド・バンチ・サウンドシステム設立メンバーのDJマイロは、1988年に〈メジャー・フォース〉からリリースしたHiroshi+K.U.D.O feat. D.J. Milo名義のシングル「D.J. Mix」がヒップホップ史におけるメガミックス・クラシックスとして殿堂入りを果たしたという意味においても紛うことなきリヴィング・レジェンドである。
 しかし、ワイルド・バンチの他のメンバーはマッシュルームとダディ・G、3Dがマッシヴ・アタックを結成。ネリー・フーパーはビョークやマドンナを手掛ける人気プロデューサーとなり、トリッキーがソロ・アーティストとして世界的な成功を収めたのに対して、DJマイロは華やかなシーンの表舞台から距離を置くように、1989年にニューヨークへ渡った。そして、一時滞在したことで生まれた日本とのつながりから、その後、スチャダラパーやエリ+ヒロシなどのリミックスを散発的に手掛け、2003年には日本発のソロ・アルバム『SUNTOUCHER』をリリースするものの、ブリストルのレジェントという形容が常に付いて回る境遇にあった。たしかに彼が音楽シーンに与えた影響を考えれば、そうした形容も至極当然なものであるが、ニューヨーク移住から20年以上を経て、彼のプロフィールはそろそろ加筆の必要があるように思う。

 アルバムとしては実に9年振りとなる彼のDJネイチャー名義による『Return Of The Savege』は、その大きなきっかけとなる1枚だ。前作『SUNTOUCHER』では厚いスモークのその先でアブストラクトなロービートと生音を挿したディープ・ハウスを共存させていた彼の作風は、2010年にジャジー・スポートや本作のリリース元であるNYのレーベル、ゴルフ・チャンネルでの作品リリースを通じた活動再開後、その軸足はディスコ、ハウスに移行。12曲がすべて新曲となる本作のビートはよりスロウに、そして、エレクトリック・ピアノやトランペット、オルガンやサックスといった生楽器を交えながら、低速のグルーヴがテンションを緩めることなく足元に絡みつく。さらにストリングスやヴォーカルなどのローファイなサンプル・フレーズを重層的に重ね、その揺らぎやほころびにブラック・スピリチュアリティを宿すプロダクションはラフなメロウネスに貫かれており、そこにはブリストルから日本経由で、NYへ渡った彼の30年に及ぶキャリアを通じて育まれた揺るぎないものが確かに息づいている。

 そして、このアルバムと共に筆者が知ることになった話はこれまで見聞きしてきたストーリーとは異なるマイロの素顔を伝えるものだ。1985年にリリースされたファーリー・キースの"Funkin With The Drum"でシカゴ・ハウスの洗礼を受けた彼は、ワイルド・バンチとして活動をおこないながら、実は長らくハウス・ミュージックへの情熱を募らせていたのだという。ワイルド・バンチ時代からマイロのことをよく知る荏開津広氏に直接聞いたところによると、当時から彼のDJは、ヒップハウスを交えたハウス・セットが独立して存在していたとのことで、1989年にニューヨークへ渡ったのも、当時のヒップホップはもちろんのこと、NYハウス・シーンへのシンパシーが大きな原動力だったという。
 そして、当時、その治安の悪さから悪名高かったマンハッタンのアルファベット・シティに住み、チョイス時代のラリー・レヴァンやザンジバルでのトニー・ハンフリーズのプレイを体験し、サウンド・ファクトリーやレッド・ゾーン、ベター・デイズ、シェルターといったクラブに足繁く通っていた彼は、念願だったネイチャー・ボーイ名義での音楽制作を開始。シングル・リリースを重ねた末、92年に発表した(そして、その存在がほとんど知られていない)初のアルバム『Ruff Disco Volume One』は、荒々しいサンプリング・フレーズのループとプリミティヴなドラムマシーンの組み合わせから生み出されたダーティーなハウス・トラックに、当時、親交が深かったというNYハウスの代表的なレーベル、〈ニュー・グルーヴ〉の影響が色濃く反映されている。その後、プライヴェートで営むヴァイナルやストリート・ウェアの輸入会社が多忙になり、彼の作品リリースは途絶えるものの、断続的に音楽制作を行い、それが2003年の『SUNTOUCHER』となり、2010年以降の本格的な復活へとつながったようだ。
 そうした経緯を踏まえたうえで、"野蛮人の帰還"という意味のタイトルを戴いた本作に、彼が込めた思いとはいかなるものなのか。ここではもちろんその全てを推し量ることは出来ない。しかし、ブリストルのゲットー、セント・ポールズで結成されたワイルド・バンチから現在まで、彼が音楽を通じて体現するラフネスが、執念のように青く燃え続けていることは確かだ。そして、すぐそこにあった成功には目もくれず、ブリストルのレジェンドという評価に甘んじることもなく、はたまた、ニューヨークの街が浄化されようとも、彼が時を超えて音楽の理想を追い求める荒ぶる情熱は、NYハウスがリヴァイヴァルしつつある時代にあって、この作品を特別なものにしている。

interview with Carnation - ele-king


CARNATION
SWEET ROMANCE

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 わたしは先日(といっても、取材のときの先日だから、いまからだと1~2ヶ月前になるのが、読者、関係諸氏にもうしわけありません)、今年リリースされたカーネーションの『天国と地獄』の「20周年記念コレクターズ・エディション」を聴き直して、彼らは、先鋭的であること、ロックであることが、当然のごとくポップでもあるということをやってのけた、音楽において稀有な、音楽ファンにとってはありがたいバンドだとあらためて思った。一回だけならそう珍しいことではない。ポピュラー・ミュージックの歴史はそれほど短いわけではない。そういったミュージシャンはいくらでもいる。ところがカーネーションは一回こっきりではない。
 "夜の煙突"のころからの彼らの足穂的な情景を喚起する力をコンテンポラリー・ブラックミュージックのグルーヴに乗せた表題曲で幕を開ける『Edo River』(1994年)、5人体制の強みをみせた『Booby』(97年)、リフレインが耳にこびりついてなかなか離れなかった『Parakeet & Ghost』(99年)の"Rock City"とか"たのんだぜベイビー"とか、あるいは音楽の思索を立体化した2000年の『Love Sculpture』など、彼の実験と実践は10枚あまりの音盤に刻まれてきた。もちろん、順風満帆だったわけではなく、作品には音楽中毒者の悩ましさもある。どうしたら、時代ととっくみあいながら聴く楽しみをつづけていけるのか、聴く側にそれをもたらし、音楽に返せるのか、と。それを追求する過程で、カーネーションは5人組からトリオになり、2009年1月の矢部浩志の脱退をもって、直枝政広と大田譲のふたり組になった。
 『SWEET ROMANCE』はその体制でつくった、『Velvet Velvet』以来となる、3年ぶり15枚目のアルバムである。彼らはふたりになったが、このアルバムには、大谷能生、岸野雄一、山本精一をはじめ、ゲストは多彩であり、張替智広の助演をボトムにしたバンド・サウンドは引き締まっている。
 つまり彼らはいまもなお、走りつづけている。先週は甲府にいた。来週は北陸だ。高地の秋は深く、日本海側はすでにもう肌寒い。そろそろ音楽の密度が空気を暖める季節である。
 みなさん、カーネーションをお聴きください。

レコードをつくるのはずっとやめたくないし、そういうことがなくなってほしくないっていうのはあるから。今回も、架空のA面、B面みたいな、そういうつくりにはこだわっているしね。そういうのがやっぱり楽しいよね。音楽について考えるにしてもね。そういうフックを効かせていかないとやっている意味がないと思うよね。

大田さんは『天国と地獄』から加入されたんですよね?

大田譲:そうですね。

『天国と地獄』を聴くと、カーネーションは渋谷系の前に渋谷系の完成形を提示していたということがわかります。しかも、いま聴いても古びていない。あの頃といまと、心境の変化というと、いきなりボンヤリした質問になっちゃいますが、そういうものはありますか? とくに大田さんは、カーネーション在籍20周年記念でもあるわけですし。

大田:あれがいちばん憶えているかな、カーネーションに入って最初のアルバムだし。

直枝政広:練習しまくっていたよね。

大田:そう。

直枝:何か見えない敵とずっと戦っていたね。競いあっていたっていうか。

大田:レコーディング前に合宿したからね。

直枝:2回ぐらい合宿したかな。

大田:2回に分けてトータルで2週間くらいやったんだよね、たぶん。レコーディング自体も合宿だった。伊豆のほうに行ってやったんだよね。だから、(メンバーで)ずっといっしょにいたんだよな?

直枝:うん、煮詰まってたね。

大田:まあ若かったからね(笑)。

直枝:僕らは、作品性という部分でも、つねに評価っていうのかな、正しい評価ってされてこなかったので「ちくしょー! ちくしょー!」って、なんとかおもしろいものつくろうってがんばっていたんですよ。

当時は正しく評価されていないと思っていたんですか?

直枝:まったく評価がなかった。湯浅(学)さんがはじめて『ミュージック・マガジン』で書いてくれて、当時はそれがいちばん好意的だったのかもしれないな。「青臭い」って書かれたんだけど、でも最終的にはいいっていうか、わかるよっていってくれたんですよ。あとは理解されていなかったので。『天国と地獄』だって、評価されるまで20年かかって、ジワジワと、なんとなくおもしろいアルバムあるよって浸透していったっていう感じですね。

理解しない音楽メディアに目にもの見せてやる、という気持ちはありましたか?

直枝:そう思っていた! いままったくそんなこと考えてないというか、逆に、もっとこう、抜けているかな。戦ってないね、そこは。

戦ってない?

直枝:批評みたいなところとは戦っていないということだね。たとえば、点数何点とか。「そんなところじゃないんじゃないか? 」っていうところはあるかもしれない。

逆に、いま自分たちにとっていちばん大切なものっていうのはなんだと思いますか?

直枝:やっぱりやり続ける以上は、純度とか気持ちの問題なんじゃないかな。

透徹したというか、バンドというものを客観的に眺めた上で、何をなすべきか、わかってやっているというのが今回の作品には感じられますね。

直枝:ありますか?

そう思いました。自己愛的なものでもなくて、かといって、皮肉めいているわけでもなくて、適度な距離感で自分たちと外を見ている感じがあると思いました。レコード文化がたとえば終焉を迎えるかもしれない時期にあって、まだそういうことがアルバム作品としてできるっていうのがちょっとした希望のような感じに思いましたね。すばらしいと思いました。

直枝:レコードをつくるのはずっとやめたくないし、そういうことがなくなってほしくないっていうのはあるから。今回も、架空のA面、B面みたいな、そういうつくりにはこだわっているしね。そういうのがやっぱり楽しいよね。音楽について考えるにしてもね。そういうフックを効かせていかないとやっている意味がないと思うよね。

『UTOPIA』を去年だして、間髪置かず『SWEET ROMANCE』の制作に入ったんですか?

直枝:いや、しばらくは迷っていましたね。去年の震災以降、スケジュールが立てにくくなっちゃって、動きにくくなっちゃったところがあったので、アルバムの制作の予定は一回ストップしたんですよ。それで、『UTOPIA』っていうミニ・アルバムにして、一回ちょっと考えてみようっていう。それでようやく、今年の3月くらいに曲出しがあらためてはじまって、5月からレコーディングで。『UTOPIA』は先行ミニ・アルバムだったんですが、そのわりに間が空いたっていう感じですね。

そのストップしたのは心情的な事情ですか?

直枝:そうですね。去年は心情的なものはとても大きかったので。どうなんのっていう。

でもそれもどこか新作には反映されてますよね?

直枝:もちろん、(前作『Velvet Velvet』からの)ここ3年くらいの流れで、葛藤みたいな心理的な揺れみたいなものは絶対あると思う。でも、それがよくなったとかそういうことじゃなくて、全部同じで、何も変わってないっていうことは、俺はもう理解してるっていうか、そのなかで大きく見ていくっていう感じになっていると思うんですよね。

まさにそうですね。現状は簡単に変えられないにしても、そのなかで自分をもってやっていかざるをえないっていうことですよね?

直枝:ある覚悟とかいうところもあるのかもしれない。開き直りというか。

ハラがすわった感じですか?

直枝:うん、泣くとこは泣くよっていう。正直に。

酸いも甘いも辛いも苦いも噛みしめているところが『SWEET ROMANCE』には出ていますよね。

直枝:そういう意味では、つい昨日じゃなくて、もうちょっと離れたところからつづけて流れを見ていかないと、形にならない。もしかして、3年っていい空白だったかもしれないです。じゃないときつい作品になったかもしれない。20年前の曲を今回、入れてみたり、10年前にまだ形になってなかったコード進行がどっかにあったり、大きな流れでやっていかないと動かない、すごく難しいデリケートなパズル・ゲームをやっていた気がしますね。

いま流行をそれほど気にすることはなかった?

直枝:全然ないね。逆に、気持ちいいものっていうところでアナログ・レコーディングっていうものを捉えていったんですよ。「ああ、俺たち、アナログといい感じに出会っているね」というかね。すごく運命的な、奇跡に近い出会いだと思った。そこを大切にしていきましたね。だからいろんな人と出会って、混ざりあって、ひとつの作品にしてくっていうことがとっても楽しかったし、新鮮に響いたんですよ。誰もやっていないものっていうよりは、どこにもないものっていう。なにか決まりきってないものとか、わけのわからないグシャとした何かとか、そのいろんな感覚が混ざりあう、そのスリルみたいなものがよかったですね。

矢部さんが辞められたときに、バンドとして、ドラマーがいなくなるのはどうなんだろうというのを、いちファンとしてはとっさに思いましたが、心配をよそに、その空白さえうまく作用したっていう感じですね。

直枝:そうですね、作用していますね。

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ある覚悟とかいうところもあるのかもしれない。開き直りというか、泣くとこは泣くよっていう。正直に。


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おふたりになって、何か変わったことはありますか? 音楽というより、バンド内の関係性の面で。

直枝:ますますなにかこう、言葉でないところで交流してるよね?

大田:まあ、(そのことについては)いままでもあんまり意識をしてきてないからね。なんだろう、細かいところまで話し合ってやんなきゃいけないバンドじゃないんですよ。いままでもそういうところもなかったし、まあ、直枝くんがどう考えているかは、俺はわからないけど。俺は(カーネーションは)話し合いながら民主的にものをつくっていくバンドだとは思ってないからいいんですよ。敷いてもらったレールの上を走っていればいい。それに乗っかっていっしょにやれるのがバンドで、イヤになったら降りるしかないんだから、それはそれでしょうがない。だから、あんまりいろんなこと考えないほうが気が楽だと思いますね。

そうはいっても、スタジオやライヴの現場でそれまでと違ってきたところはありますよね。

大田:うーん、どうなんだろうな......。でも音出しているときには、そんなに意識をしないかな。やっぱりさすがにね、あのドラムがなくなったわけだから、違いはありますよ。だけど、まあ結局はカーネーションの曲をやるんだから、そしたらまあ自分が弾けるベースを弾くしかないし、歌をちゃんと聴かせるしかない。だからバンドですよ、ふたりでも(笑)。まあ最低限の人数じゃないですか? ふたりって。

『SWEET ROMANCE』の制作はスムーズでしたか?

直枝:スムーズだったよね。すっごい順調。

つくっているときの楽しさみたいなものがすごく伝わるアルバムですよね。

直枝:アナログ・レコーディングの、あまり直しが効かない、なんか制約される感じがまたよかったっていうかね。

レコーディングのときはふつうに順録りだったんですか?

直枝:そうそう。データでドンカマとかパーカッションとか、ガイドのリズムになるトラックとかを入れてやっていました。それを聴いて「せーの」で演るんですよ。俺ら、だいたいレコーディング用のリハーサルをしないで、いきなりスタジオなんですよ。そこでセッティングして、音決めして、「じゃあ練習!」そしたら「録音しよう!」って。で、アッという間に仕上げる。

そんなに簡単にいくものなんですか?

大田:なんかそれでいけるようになってきたよね?

直枝:なんかいけるね。

アレンジもアイデアをどんどん試していくということですか?

直枝:基本的にデモ・テープのアイデアみたいなものを聴いといてもらって、それぞれが解釈してもらう形ですね。それでいい感じになればいいかなっていう。

そこにゲストの方々も、そのつど、録る曲ごとにきていただくということですね。

直枝:そうです。ピアニストの方とかにきていただいて。

岸野(雄一)さんもスタジオにいらっしゃったんですか?

直枝:岸野くんは現場にいっかい見にきましたね。それでいっしょにコーラス歌って、帰っていきました(笑)。あと、彼は自分の家で"Bye Bye(Reprise)"という曲をミックスしてくれたんですよ。

"Spike & Me"には大谷(能生)さんをラップとサックスでフィーチャーしていますね。DCPRGとか〈Black Smoker〉から出した『Jazz Abstractions』とか、大谷さんは最近よくラップしていますよね。

直枝:かっこつけるよね(笑)。大谷くんは露骨にかっこつけるんですけど、本当にそういうかっこつける人たちがいいなって思うんだ、俺(笑)。そういうことってなかなかできないからね。そういう人たちは時間をかけて積み上げてきてるから。どう見せるかって考えてきてるでしょ?

見せると同時に、どう見えるかということにも自覚的かもしれないですね。『SWEET ROMANCE』は基本的に全曲を直枝さんが作詞/作曲されていて、ラップをやった大谷さんは作詞でクレジットされていますが "Bye Bye"でミントリ(岡村みどり)さんに編曲を依頼されたのは何か理由があったんですか?

直枝:3年前に岸野くんの誕生日ライヴ(岸野雄一は毎年、1月11日の誕生日に渋谷O-Westでライヴを行っている)にカーネーションが誘われたことがあるのね。そのときに岡村さんと知り合って、宮崎貴士くんと岡村さんと3人で夜ステーキを食べる会みたいな感じで集まって遊んでいたんですよ。そのうち、ファイルとかやりとりしたりして、いつか何かできたらいいですねみたいな話をしていて、それで今回、これは絶対お願いしようと思ったんですよ。岡村さんなら、歌をすごく理解してくれるという自信があったから、内容のことに何もふれずに「お任せします」って渡したんですよ。

曲を、ですか?

直枝:いや歌詞です。歌詞を理解してくれたんです。

それはすばらしいですね。

直枝:俺はあとはなにもいいませんから、その感じでやってくださいって。もう伝わっているはずなんで、ディテールやイメージはあえて伝えませんでした。感じたままやってもらえればいいので、と。

アナログでいえばA面の最後にあたる"Bye Bye"からB面の頭の"Gimme Something, I Need Your Lovin'"への流れが、涙が出ちゃいそうなくらいいいですよね。あと本当、大田さんの歌がすごくよかった。

直枝:すっげー評判いいのよ、大田くん(笑)。

やっぱりそうですよね! 大田さんが歌う"未来図"から"遠くへ"の流れも最高でした。大田さんは"未来図"をご自分で歌うとなったときどう思いました?

大田:まあとにかく歌えと。つくるから歌え、と。「はい」って渡されました(笑)。

XTCのアルバムなんかでも、コリン・ムールディングが1曲歌ったりするじゃないですか。わたしはあれがすごい好きなんですよ。

直枝:最高ですよね。大田くんは、コリンの役割なんですよ。リンゴ・スターじゃないからね。

ハハハハ。

大田:あと、スティーリー・ダンのデイヴィット・パーマ。ファーストで、1曲歌ったりしているじゃない? あのへなちょこさ。なにこの歌みたいなさ。ああいう歌が大好きで(笑)。わざわざ呼んできたヴォーカリストなのにへなちょこじゃん。じつはそういうところ目指したいと思っていたんだよね。

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バンドで、すぐ反応してくれる人たち、俺の考えたフレーズをいっかい噛み砕いてすぐ吸収してもらえて、すぐ表現できる人たちがいるから進むんだと思うんですよ。エンジニアさんも含めて、みんなが反応し合って、みんなで高め合っているから、気持ちいいんだよね。


CARNATION
SWEET ROMANCE

Pヴァイン

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さっきの見せ方の話にもつながるんですが、弱い部分を滲ませながら、それでもかっこつけてみせるのが、非常に効いていて、これをライヴの後半に聴いたらさぞや感動するだろうって、そんなことまで想像しました。そこから"遠くへ"につながるのが白眉だと思いました。

直枝:ありがとうございます。

これが比較的、全体的に抜けてるというか、自然に出てきた曲たちがあるべきところに並んでいるアルバムっていう。

直枝:そうですね。3年のあいだ、もしくは10年、20年、それくらいの考えみたいなものがずっとつながってきて、ここに結実しているんですけど。

つながっているっていう感じはありますか?

直枝:ずっとつながっているんです。このアルバムはそのくらいの長い時間で成り立っていて、かつ、俺はこうじゃなきゃいけない、ああじゃなきゃいけないっていう思いが、いま、あまりないんですよ。そのままやりゃいい、なんも考えるなっていうところにいるので、曲順なんかも考えてないかもしれない。だからそれは流れっていうか、奇跡なんですよ、ある意味ね。

それはでも、やろうと思ってできることではないと思いますが。

直枝:うーん、たまたまそうなったっていうかね。だから、とてもいい状況だったんじゃないですかね。緊張感もあって、本当に作業進めなきゃいけなくて。あと、いろんなスケジュール調整も自分でやったりして、きつかったんですけど、でもそのかわりスタジオにいる時間が幸せなときだったっていうのかな、こんなに楽しいスタジオはないなっていうくらいだった。このくらい自分が楽しいと思えなきゃウソだっていうのも最近ようやくわかってきた。雑務はやるけど、スタジオではこのくらい楽しんでいいんだなって。過去は追いつめてたっていうかね。責任をへんに背負おうとしたところがあったから。

大田:カーネーションのスタジオはむかしはピリピリしていたから。そういう時間がものすごく長かったじゃん?

直枝:長かったね。

大田:ここ何年の変わりようはすごいですよ、やっぱり(笑)。ライヴとかだと、メンバーがどんどん減ってきて、本当は自分の責任が多くなっていくじゃない? でもスタジオなんか見ていると、意外に逆をいってるというか、責任をそんなに背負っているように見えてこないというか、見ていると前より全然楽にできているのよ。

じゃあ昔はもっとカチッとつくっていたんですね。

直枝:そうそう! むかしは1ミリでも狂っちゃダメみたいな。俺のイメージはこうなんだからダメだよ! って怒って灰皿蹴飛ばしたり、そういう世界ですよ。最悪ですよ(笑)。

それは緊張感ありますね(笑)。 

大田:そんなにいうんだったら、わかった! やり直すよとかいって、ずっとベース弾いていたからね。朝まで直しとかやっていたよ、レコーディングってこういうもんなんだなって思いながらも、しょうがねーなって(笑)。

直枝:ほんとうに『Velvet Velvet』のあたりから、僕らは解放されてきていますね。いろんな人との交流みたいなものがとても自然になってきて、作業が楽しめるようになった。みんなも信頼してきてくれるし、それを理解してくれてやってもらえているのがいちばんいいのかなって。

大田:そうだね。結局言葉でいっぱい説明しないで済む人が自然にきてやってくれてるから。

それはこれだけ活動してきて、これだけのクオリティの作品を出し続けているからだとも思いますよ。たとえば、わたしたちの世代はカーネーションを十代のときに聴いているわけだから、その世代の血肉になっているんだと思います。それは教育とかそういうことじゃないですけど、音楽、あるいは文化はそういうことでまわっていくとも思いますし。

直枝:そういう循環のなかにいるんだろうな。

いると思いますね。

直枝:それはね、少しずつ結びついてきているんだよ。閉じ込められた状況から、どこかカギ外したっていう瞬間があったのかもね。僕らが楽になって、まわりももっと入りやすくなっている。これからもっとそうなってくるかもしれないし。

バンドがあって、アンサンブルをよくして、曲をよくして、自分たちでがっちりやっていかなきゃいけないっていう状況から変わったんでしょうね。

直枝:なんかね、もっと大切にするポイントが増えたっていうか、もっと重要なこともある、もうひとつ、なにかやり方があるよというか、柔らかくなっているのかもしれないですね。

柔らかさというのは、なんか柔和になったっていうのとはまたちょっと違うんですよね。

直枝:違いますね。考え方というか。それはね、ドラムの張替(智広)くんもそうなんですけど、大田くんとか、曲の理解能力がすごく早いので、立ち止まらなくていい、ストレスのなさがいい効果を与えていて、プレッシャーはあるんだけど、スピードだけは落とさねーぞっていう意地がそれぞれにあるから、気持ちいいんですよね。

打てば響く?

直枝:そうそう! で、俺はひとりで音楽ができるとは思ってないから。イメージはつくれるけど、それやろうとしたらね、ソロ・アルバムで5ヶ月かかりました(笑)。それでも人の助けが必要だったですから。だからこういうバンドで、すぐ反応してくれる人たち、俺の考えたフレーズをいっかい噛み砕いてすぐ吸収してもらえて、すぐ表現できる人たちがいるから進むんだと思うんですよ。エンジニアさんも含めて、みんなが反応し合って、みんなで高め合っているから、気持ちいいんだよね。これ、ほかだったらムリじゃないかなって思いますね(笑)。ムダに遊ばないからね。

まあでも音楽のなかに遊びはいっぱいありますよね。

直枝:そうそう(笑)。

まあ、でもそういうようなバランスというか、まさにチーム・カーネーションみたいなものができあがっているところのなかもしれないですね。

直枝:今回はチームというよりも、バンドは怪物みたいなもの、それでいいんじゃないかなって思いましたね。

カーネーションは直枝さんのバンドというより、直枝さんの手を離れていっている?

直枝:だんだんそうなってるかもしれない。どんどん勝手に進んでいる感じがするので。

自分もこう、カーネーションに助けられているという感じがありませんか?

直枝:うん。参加してくれている人たちみんなに助けられているし、外側の、ジャケットまわりの仕事とか、いろんなことに対してもそうで、やっぱりこっちがいい具合にテンションを高めたり緩やかになったりしながら、なんとなくできてくるんですね。そういうのを楽しんでますね。

そういう時期というか、誰かとめぐり会って、別れもあるでしょうけど、それは完全な別れではなくて、またどこかで出会うかもしれない予兆を孕んでいる。そのニュアンスが『SWEET ROMANCE』にはすごく出てると思いました。

直枝:あとこういうアルバムを聴いた誰かが、「こんなアルバム作りてーな!」って思うような流れとか、あったらいいなと思いましたね。そういうマジックがあればいいなって。

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チームというよりも、バンドは怪物みたいなもの、それでいいんじゃないかな。


CARNATION
SWEET ROMANCE

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楽曲に目を移すと、毎回そうなんですが、今回もやはりヴァリエーションに富んでいる。

直枝:幅みたいなものが出てきちゃいますね。あんだけ、音楽を聴いてるとね(笑)。

ところが、『天国と地獄』の頃のように、それを引用、素材として使うというよりも、もっと滲みだしてくるような感じで、そのリスナー体験がでてきているような気がしました。

直枝:うん、ちょっと笑えるようなところはありますけどね。体験なんでしょうがないんですよね。それを自分は通ってきているっていう意識はつねに忘れないようにしていますし、音楽に対してはいつも感謝していますよ。

ハハハハ。

直枝:リスペクトは、それはもうありますから、キーワードとしてかき出せばいくらでもありますよ。

その厚みですよね(笑)。

直枝:とてつもないね(笑)。わかりやすいところでこうやって人と音楽のキーワードについて話はしますけど、「それだけじゃないんだよなー」っていうのもいつもあって、そこが難しいところですね。そこから外れたいって思いも一方ではありますから。だけど、他者の音楽を好きになっていくこと、聴きつづけること、そういう作業は忘れたくないね。「俺は俺」それだけになりたくはない。自分に溺れないためにも。

文章にも書かれていましたもんね、「ひとりよがりになってるか、なっていないか」っていうのは。

直枝:あれはいろんな意味でとれますけど、ほんとうにそういうところもありますよね。

カーネーションの言葉が喚起する情景がわたしは大好きなんですが、『SWEET ROMANCE』の歌詞について、これまでと変化はありますか?

直枝:歌詞については深く考えないようにはしていました。この3年間のなかで曲が生まれて、そのうねりに身を任せればいいかなっていうところはありましたね。感情的になりすぎてはいないか、状況判断をしっかりしないといけない、デリケートな時期だから、とはもちろん思っていました。

デリケートだっていうのは震災のことをおっしゃっていますか?

直枝:感情が渦巻く時期だから、へたをすると、そういうことが歌に出てきちゃうんですよ。そこに溺れちゃうっていうことの怖さっていうのはなんとなく感じるので、言葉が武器にならないように、気をつけたところはありました。

直枝さんは歌詞を書くのははやいですか?

直枝:どうだろうな。決まるときはだいたいはスッといくんですけど、決まんないときは長いですね。今回は苦しみはあまりなかったですね。曲と詞がいっしょに出てきた曲がわりと多かったからかもしれない。

なるほど、わかりました! ツアーは10月からですが、ツアーの準備はもうそろそろやってますよね? ツアーにかける意気込みをうかがえればと思います。

直枝:いっぱい練習しますよ!

大田:今回は再現するのがなかなか大変だろうな。

直枝:だから再構築になると思うけどね。でも、そこはまた、決まったことはやらないんでね。どこか、毎回違うっていうかね。(了)

ツアー情報(2012年11月以降)

2012年11月9日(金)
富山・総曲輪かふぇ橙 (ACOUSTIC LIVE)
SPECIAL GUEST:小貫早智子
OPEN 18:30 START 19:30
前売:3,500円 当日:4,000円 (1ドリンク別)
(問)オレンジ・ヴォイス・ファクトリー 076-411-6121

2012年11月10日(土)
金沢AZ
SPECIAL GUEST:小貫早智子
OPEN 18:00 START 19:00
前売:4,000円 当日:4,500円 (1ドリンク別)
(問)AZ 076-264-2008

2012年11月11日(日)
名古屋TOKUZO
SPECIAL GUEST:大谷能生、小貫早智子
OPEN 17:00 START 18:00
前売:4,500円 当日:5,000円 (1ドリンク別)
(問)JAILHOUSE 052-936-6041

2012年11月17日(土)
札幌COLONY
OPEN 18:00 START 19:00
前売:4,000円 当日:4,500円 (1ドリンク別)
(問)WESS 011-614-9999

2012年11月18日(日)
旭川CASINO DRIVE
OPEN 18:00 START 19:00
前売:3,500円 当日:4,000円 (1ドリンク別)
(問)旭川CASINO DRIVE 0166-26-6022

2012年11月24日(土)
仙台enn 3rd
SPECIAL GUEST:ブラウンノーズ
OPEN 18:00 START 19:00
前売:4,000円 当日:4,500円 (1ドリンク別)
(問)GIP 022-222-9999

2012年11月25日(日)
石巻La Strada
SPECIAL GUEST:ブラウンノーズ
OPEN 18:00 START 19:00
前売:3,500円 当日:4,000円 (1ドリンク別)
(問)La Strada  0225-94-9002

2012年12月8日(土)
渋谷WWW
SPECIAL GUEST:梅津和時、大谷能生、小貫早智子
OPEN 18:00 START 19:00
前売:4,500円 当日:5,000円 (1ドリンク別)
(問)WWW 03-5458-7685

vol.41:「サンディ」の憂鬱 - ele-king

 大型ハリケーン「サンディ」の襲来で、現在北東部沿岸は厳戒態勢下にある。オバマ大統領が対策のため選挙集会出席をやめてワシントンに戻るなど、大統領選にすら影響が出ている状況だ。NYでは10月28日(日)の夜7時、ハリケーン・サンディ(別名フランケン・ストーム)接近のため、公共交通機関がいっせいにストップした。NYの公共交通機関(MTA)の歴史のなかで、全面ストップというのは、2回めらしい(1回めはハリケーン・アイリーン)。いままでにない非常事態なのである。

https://alert.mta.info/

 思えば、1999年にNYに移って以来、2001年の9.11、2003年のNY大停電、2011年のハリケーン・アイリーンなど、著者はいくどとなく大きな災禍に遭遇している。(日本では1995年の阪神大震災を経験した。)そして今年は、アメリカ史上最悪の台風と言われるハリケーン・サンディに遭遇しているというわけだ。ただいま通過真っただなか。

 それに応じ、10月28日(日)のお昼からニューヨーカーの戦争がはじまった。お店ははやく閉まり、グロセリーストアで、食料、水、懐中電灯などの非常用の買いだめがはじまり、水際に住む人たちに避難勧告が出される。予定されていたショーもほとんどがキャンセル(スワンズ@バワリーボール・ルームとシック・アルプス@ニッティング・ファクトリーは敢行)。スワンズは、2ディズで10月29日(月)の正午ぐらいまで、「今日もショーを行う」としていたのだが、会場のミュージックホールより正式に延期が発表された。知るかぎり、今日10月29日(月)のショーはすべてキャンセルになっている。


ストームにも関わらず、ニッティング・ファクトリーで演奏したシック・アルプス
写真は前日の公演@ラン・ティー・ハウスの模様

 10月28日(日)、交通手段のなくなったニューヨーカーたちは、7時前に大挙して家へと移動しはじめた。去年のアイリーンの折も、お風呂に水をためたり、ろうそくを買いだめしたり、地下に住んでいる人は階上へ避難するなど、想像される緊急事態に備えて行動したが、思ったほどの被害はなかった(少なくとも著者のまわりは)。が、今回のサンディは、CNNや『ニューヨーク・タイムズ』で情報のアップデートがつぎつぎと流され、日本領事館も緊急本部を設置し、避難警告を呼びかけている。10月29日(月)の朝10時の時点で、すでにレヴェルはアイリーン並み(まだサンディは上陸していない)、バッティー・パークは浸水し、ロッカウェイ・ビーチは、波が大変なことになっている。


ロッカウェイ・ビーチの波の様子

https://www.huffingtonpost.com/
https://news.yahoo.com/

 コンエディソンは、コンエディソンの歴史以来最悪のストームで、ローワー・マンハッタン、ブルックリン、クイーンズの浸水エリアで、電気をストップすると発表(家の電話がすでに止まっているエリアも)。さらに、ホーランド・トンネル(ダウンタウンとニュージャージーを結ぶトンネル)やヒュー・ケリー・トンネル(ダウンタウンとブルックリンを結ぶ)をクローズ。ブルームバーグ市長は、明日火曜日も引きつづき、学校、銀行、郵便局などの公立機関を休みにすると発表した。いまのところ、公共交通機関の復旧の見込みは立っていない。

https://www.nyc.gov/html/oem/html/home/home.shtml

 電気が止まると、インターネットもない、電話もつながらない、ライトもない、家に閉じこもってサンディが過ぎるのを待つしかないのだが、史上最悪のストームは、これからどんな脅威をもたらすのか。現在NY時間10月29日(月)午後4時、サンディが上陸するのは今日の夜といわれている。窓の外では、雨が激しく降り、ヒュー~~~~ン! という突風の音が聞こえ、木々が激しく揺れている。いつもは人がたくさん歩いているストリートには、誰もいない。家から出られないストレスと、開き直りが交差し、淡々と家事をこなしているのだろう。情報も徐々にとだえてきた。次のアップデートができることを祈って。


著者宅の窓より。すべてのお店がクローズ

Outer Space - ele-king

 〈ミュート〉傘下の〈ブラスト・ファースト〉からアウター・スペースの新作、カセットや編集盤やCDRをのぞけばセカンド・アルバムにあたる『II』がリリースされた。ジョン・エリオットは何よりもまず......、そう、エメラルズのメンバーのひとりであり、マーク・マグワイアと並ぶ多作家であり、ヴィンテージの機材の蒐集とその音色へのこだわりでも知られている。
 そういえば、カリブーことダン・スナイスのレーベル〈ジャイアログ〉が今年エメラルズの「Does It Look Like I'm Here? 」のテクノ・クラブ仕様のリミックス盤を出していたことを最近知った。なので、決してリンドストロームが先ではありませんでした、すいません......
 まあ、でも、ほぼ同時期に交流がはじまっているようだ。先日は日本のレイヴにも呼ばれ、ドミューンにも出たそうだし(あー、見逃した!)、ヨーロッパのレーベルとしては、〈ブラスト・ファースト〉(ファクトリー・フロアのシングルを出しているところ)は、この手の音に敏感だった歴史を持ちながら、いまようやく合流......といったところだろうか。銀色を地にしたアートワークは、グレアム・ランプキンが手がけている。気合いがはいってる。

 繰り返そう。アウター・スペースのひとつの個性は、アナログ・シンセサイザー、メロトロン、アナログ・エフェクターといったアナログ機材の音色への執着にある。『II』でも、彼ら(今作のメンバーはジョン・エリオット+5名)がいかにも気持ちよさそうにオシレイターを操作しながら、フィルターやエンベロープ、LFOのつまみをいじっているような音響が広がっていく。たびたびタンジェリン・ドリームと比較されるが、タンジェリン・ドリームほどクラシック音楽のロマン主義めいた展開(ないしは音色)はなく、現代っ子らしいミニマルなセンスが全体をコントロールしている。2曲目、3曲目などは、ドラムマシンが入っていないだけで、マッガイアと同様にダンサブルなうねりを持っている。下手したらジェフ・ミルズやドレクシアへとも接近しそうだ。
 この音楽がDJカルチャーと親和性が高いのは自明の理だ。いずれは、より両者の流れの交わりは加速していくのだろう(NHKyxによれば、こういうのは、クラブ的なダンスではなくライヴハウス的なダンスだと言えるらしい)。

 アウター・スペース──そのネーミングからして、この音楽がトリップ・ミュージックを志していることがわかる。ジョン・エリオットは、マーク・マッガイアよりもずっと無邪気にそれを追求している感がある。フライング・ロータスのような物語性はなく、ただひたすら夢中に夢想している音楽だ。メッセージはない。本当にどこまでも、どこまでも、そう、どこまでも飛んでいく......

 音楽は聴覚範囲のなかでエクスタシー状態に導かねばならない。──スティーヴ・ライヒ

interview with Wild Nothing (Jack Tatum) - ele-king


Wild Nothing
Nocturne

Captured Tracks/よしもとアール・アンド・シー

TOWER RECORDS

 デビュー・フル『ジェミニ』がしずかに、しかしつよい支持をもってシーンに迎え入れられたのは、ここ数年にわたるエイティーズ・ブームのもうひとつの側面を象徴していたと言えるかもしれない。シンセ/エレクトロ・ポップなどがふたたび参照され、さらなる先鋭化がほどこされている状況は多くのリスナーの知るところであるし、インディ・ダンス・シーンも同様である。あのマーク・マッガイアですらがライヴでディスコをかけてしまうほど80年代色は強烈に機能してきた。
 ワイルド・ナッシングやそのリリース元である〈キャプチャード・トラックス〉は、そうしたものと共鳴しながらも、よりポスト・パンクやギター・ポップ、シューゲイザーといったUK寄りの音に新しい息を吹き込んだ存在だ。より内向的な音楽性を特徴として、UKインディの美しい遺産を掘り当ててきた。いま、そうしたトレンド自体は徐々に次のフェイズへと移りゆこうとしているが、変わらぬものをいとおしむように――ポップスとしての普遍性を取り出して研磨するように――、ジャック・テイタムはセカンド・アルバム『ノクターン』を完成させた。ソングライターとしての才と、レコード・コレクターとしての愛情や探求心がこぼれそうにたたえられた作品である。眠れぬ夜を相手に紡ぎだされたというそれぞれの曲には、以下の回答に明瞭に示されるとおり、彼の繊細で真面目な性質までもが陰影ゆたかに彫り込まれている。

ぼく自身はあのプロダクションにすごく惹かれるんだよね。あと、あの時代の音楽には、すごく純粋な感触がある気がする。ある意味すっごくシリアスなんだけど、同時にシリアスでもないっていう。

好きなアーティストとしてザ・スミスなどの名が挙がっていますが、まわりの同世代もザ・スミスを聴いていたりするのですか?

ジャック:別に周りが聴いてたわけじゃないな。ぼくはつねに音楽を探して、レコードを買ってるような人間のひとりなんだよ。つねに音楽をリサーチして。いまでもそう。レコード屋に毎日通って、何時間もいて、あるバンドに繋がる別のバンドを発見していって。そういうのってオブセッションになったりもするしね。

〈キャプチャード・トラックス〉には、あなたの他にもミンクスやクラフト・スペルズなど、〈クリエイション〉や〈サラ〉、〈ファクトリー〉といった80年代UKのギター・ポップ、あるいはニュー・ロマンティクスと呼ばれたようなバンドの影響が感じられます。ミンクスもクラフト・スペルズもあなたも、みなアメリカのアーティストであるということがおもしろいのですが、あなたからは80年代のUKや音楽はどのように見えますか?

ジャック:ぼく自身はあのプロダクションにすごく惹かれるんだよね。あと、あの時代の音楽には、すごく純粋な感触がある気がする。ある意味すっごくシリアスなんだけど、同時にシリアスでもないっていう。ソングライターとして、キュアーにしてもスミスにしても、何故かぼくにとってはすごくコネクトできるんだ。ぼくの音楽を好きな人も、ああいう音楽を聴いてる人、聴いたことがある人が多いと思う。だって......いい音楽だから(笑)。

〈キャプチャード・トラックス〉が埋もれていたシューゲイザー・バンドの発掘を行っている点などからみると、あなたがたは自然に集まってきたというよりは、主宰者であるマイク・スナイパーによって招き入れられたという感じなのでしょうか?

ジャック:その通り。全部マイクのアイデアなんだよね。ぼくの場合、マイクがぼくをインターネットで見つけてきた。いくつか自分の曲をアップしてたんだけど、それを聴いたマイクが「もっと聴きたい」って連絡してきて。最初はもっと曖昧な関係で、ぼくは彼のことをあんまり知らなかったし、レーベルのこともよく知らなかったんだ。その頃はまだ〈キャプチャード・トラックス〉も7インチしか出してなかったし。でもニューヨークに行って、彼に会うことになって......今ではしょっちゅう会ってるし、レーベルの全員と仲がいいんだ。ある意味ファミリーなんだよね。音楽的なアイデンティティをシェアしてるし、みんな音楽のファンで、80年代UKの音楽に参照点があるのも同じだから。

MTVに象徴されるような、アメリカの80年代の音楽へのあこがれやシンパシーはありますか?

ジャック:そういうのってないかも。コンテンポラリーなポップ・ミュージックについていくのって、僕にとってはすごく疲れちゃうんだよね。ラジオも聴かないし、テレビもあんまり観ないし、ラジオから流行ってる曲が流れるたびにびっくりしちゃうんだ。それが何か全然わからないから(笑)。遅れてるんだよ。

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いまではしょっちゅう会ってるし、レーベルの全員と仲がいいんだ。ある意味ファミリーなんだよね。音楽的なアイデンティティをシェアしてるし、みんな音楽のファンで、80年代UKの音楽に参照点があるのも同じだから。


Wild Nothing
Nocturne

Captured Tracks/よしもとアール・アンド・シー

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『ノクターン』は、大半がツアーのために滞在したジョージア州で書かれたということですね。滞在したのはどのような場所でしたか? また、こうした生活のなかで印象深かったことがらについて教えてください。

ジャック:ジョージアは関係してると思う。曲のほとんどは、ツアーじゃなくてジョージアに住んでたときに書いた曲だし、もともとジョージアに引っ越したいちばん大きな理由が......ある意味、当時僕のまわりで起きてたことから離れるためだったんだよ。あの頃、僕はつねにツアーをしてて、帰る家があるって感じられなかったんだよね。大学のためにヴァージニアに移ったあと、ずっとツアーが続いてて。で、休みに入ったときに、友だちが住んでるジョージアに引っ越したんだ。とにかく、いろんなことからいったん離れるのにいい場所だと思ったんだよね。ずっと旅をして、毎晩ライヴをやるのって、ほんとに疲れるから。「ジョージアだったら静かな生活が送れるだろう」って思えた。でも結局どうだったかっていうと、もちろん快適で、住み心地もよかったんだけど......やることがほとんどなくて(笑)。自分の時間を有効に使ってると思えなかったんだ。その頃もまだツアーはあったし、なんか落ち着かなかったんだよね。そのせいで眠れなくなって。でも、それがいい結果にもなった。ジョージアにいるときにいい曲が書けたし。他にやることがなくて、音楽のことばっかり考えるようになったせいでね(笑)。ずっと言ってることなんだけど、このレコードの大半は深夜に書かれたし、心が落ち着かない、うまく眠れない――みたいなフィーリングから生まれてきたんだ」
注)現在はブルックリンに居住

ファースト・アルバムはガレージ・バンドでひとりでつくりあげたということですが、今作はプロデューサーとしてニコラス・ヴェルネスが加わっていますね。はじめにあなたからどのような作品にしたいというお話をされましたか? また彼とのレコーディングの模様について教えてください。

ジャック:このレコードについて話した人たちのなかにニコラスがいたんだよね。いっしょにやる相手としては、他にも何人かプロデューサーと話したんだけど。そう、まだ引っ越す前にニューヨークでいろいろ人とミーティングをしたときに、彼とも話をしたんだ。そのときはちょっとだけだったんだけど、ニコラスの人柄やプロセス全体への彼のアプローチが気に入ったんだよ。もともと会おうと思った最初の理由は、彼がブラッドフォード・コックス――ディアハンターやアトラス・サウンドでやってた仕事が好きだったからなんだ。で、会ってみたら美意識的にも音楽的にもしっくりきて。実際、最初に会ってからレコーディングに入るまでにはかなり期間が開いてたんだよ。知り合った頃、僕はまだ曲を作りながら、セカンド・アルバムで何をやりたいのか模索してたから。で、ニューヨークに引っ越してから、またニコラスと話すようになって、彼とレコードを作ろうって決めた。

前作のラフでもこもことこもったようなプロダクションも好きでしたが、今作はすっきりとクリアに整えられたように感じました。"ディス・チェイン・ウォント・ブレイク"や"パラダイス"などのように、ベース・ラインやビートもシャープになったと思います。あなたのなかでもっとも前作とちがうと感じている部分はどのようなところですか?

ジャック:今回とりかかったときに考えてたのは、前よりもクリーンで、ああいうサウンドに頼らないものにしよう、ってことだった。最初はリヴァーブとかのエフェクトをもっと削ぎ落としたサウンドを試したんだよ。

リヴァーブやディレイはいまでもあなたのなかで新鮮なエフェクトだと感じられますか?

ジャック:いまでも重要なエフェクトだと思うよ。必ずしも不可欠じゃないけど、やっぱりつねに好きなサウンドではあるから。

ジャケットも美しく、中古レコード屋でみつけた80年代の隠れ名盤のような趣があります。こうしたヴィジュアル・イメージもあなたのアイディアによるものですか?

ジャック:もともとはひとつのカヴァーにするつもりだったんだよ。でも候補が挙がってきたときに、全部マーブル紙的なアートワークで、それからひとつ選ぶことになって......。たぶん、最初に「全部やろう」って提案したのは〈キャプチャード・トラックス〉だったと思う。パルプの『ディファレント・クラス』みたいなアイデアだね。あのアルバムのスリーヴって、表が切り抜きになってて、6枚のちがうインサートが入ってるだろ? だから僕らも6枚のインサートを作って、好きなように変えられるようにしようってことになった。いったんそのアイデアが出てくると、全員が興奮したんだよね。いまじゃもうないようなアイデアだから。僕自身レコード・コレクターだから、フィジカル・コピー、ヴァイナルとしておもしろいし、人がそれを買う理由になるのにも惹かれた。ネットからダウンロードしたりするだけじゃなくて、物としての価値があるってところにね。

日本盤のボーナス・トラックである" フィール・ユー・ナウ"などには、よりエレクトロニックな方法が試されているように感じますが、これからの音楽的な展開として思い描いているようなことはありますか?

ジャック:しばらくそういうことは考えないんじゃないかな(笑)。あれはちょっと出てきたアイデアっていうだけだと思うし。まだ次のアルバムのための新曲も書きはじめてないし。"フィール・ユー・ナウ"は確かに他の曲とちょっとちがうけど、実際、いつでも同時進行でいろんな種類の曲があるんだよ。『ノクターン』でも、他の曲と合わないから入れなかった曲がたくさんある。アルバムの一貫性が欲しかったからね。まあ、次のアルバムを作りはじめるときには僕のテイストががらっと変わるかもしれないし......まだわかんないよ。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのカタログが再発されましたね。あなたはどの作品が好きですか?

ジャック:どれも大好きだよ! 僕がいちばん好きな曲は実際、EP『グライダー』に入ってるんだ。"オフ・ユア・フェイス"っていう曲。すっごくきれいな曲なんだけど、あのギター・サウンドもあって。どれも好きだけど、初期の『エクスタシー・アンド・ワイン』はすごく好きだな。

ひとりで音楽づくりをはじめる前に、バンドを組んだりしてはいないのですか?

ジャック:大学に入るまで、他の人とプレイすることはなかったんだ。バンドもやったんだけど、本気でやってたわけじゃなくて。

いまあなたがとくに関心を寄せている音楽について教えてください。

ジャック:んー、なにかな。実際、前より60年代の音楽に興味がわいてきてるところなんだ。バーズとか、ホリーズとか。クラウトロックも聴きはじめてる。あと、ビージーズの初期のレコードをかなり聴いてるんだよね(笑)。フェイクなロック・バンドだった頃。見つけたときには、そのこと知らなかったんだけど......だから、すっごくエキサイトして。なんていうアルバムだっけ? たぶん、『ビー・ジーズ・ファースト』っていうタイトルだったと思う(笑)。

Jon Convex - ele-king

 『アタック・ザ・ブロック』を制作したエドガー・ライトといえばデビュー作にあたる『ショーン・オブ・ザ・デッド』がいまだに金字塔的作品で、このところ強くなっていく一方だったゾンビを極端に弱い存在にしたことがひとつの勝因ではあったといえる。それを、さらに上回るというか、下回る弱さでゾンビを登場させたのがキューバ初のソンビ映画『フアン・オブ・ザ・デッド(邦題『ゾンビ革命』)』で、いくらなんでも弱すぎるというか、これではゾンビがどんどん増えていくのは不自然かも......と思うほどだった(おかげでキューバ音楽とのマッチングはよかったし、海底のシーンはかなりよかった)。また、アメリカとの関係はやはり複雑なんだなーと思う場面が多々あって、アメリカは圧倒的に強いということを示すためにゾンビの頭部がまとめて刈られていくシーンがあり、そのひとつが地面に転がった瞬間は奇妙な間も含めてなかなか印象に残る場面となった。ゾンビの首がちょっとかわいかったんですよね。

 頭部マニアなのか、インストラ:メンタルの抽象路線とはやや様変わりしつつ、ジョン・コンヴェックスのファースト・ソロにはまたしてもキャサリン・Wの頭部がデザイン的にシリーズで使われている。アルバム・タイトルは「アイドル」と読ませたいんでしょうか。前半が英語で後半はローマ字? とはいえ、キャサリーン・Wが低い声でボソボソと歌う感じは(なんとなく「エイジ・オブ・ラヴ」なんだけど)アイドルのイメージからは遠くかけ離れていて、ある種のSM的イメージを浮かび上がらせる。つーか、単純に混乱させられる。村上隆の作品を初めて見せられた欧米人の感覚はこうだったかも......しれない。

 先行シングル→https://soundcloud.com/surus/jon-convex-fade-convex

 抑制の効いたオープニングからアルバムは全体にスキューバやジミー・エドガーとは雰囲気の異なるストロング・スタイルのエレクトロやゴツゴツとしたテクノで占められ、ロスカと同じくケヴィン・サンダースン的なセンスを随所で感じてしまうと同時に、ソロの石野卓球にも近い資質を感じさせる(あるいは、その原型であるジョーイ・ベルトラム=ニュー・ビートとデトロイト・テクノの交点に彼は現れた)。拷問と快楽が紙一重で混在する極端なストイックぶりには、ルーシー以降のコールド・ミニマルや、16ビートを志向しないシンセ-ポップ・リヴァイヴァルがファクトリー・フロアー(やトレヴァー・ジャクスンのミックスCD『メタル・ダンス』)のようにビートを強化してインダストリアルな傾向(=ミニマル・ウェイヴ?)に突進しはじめたこととも共振性はあるだろう(むしろアンディ・ストットやマルセル・デットマンのような生真面目な快楽主義とは、どことなく相容れない?)。太鼓の乱れ打ちを思わせる「ディソレイション(孤独)」がとくにいい出来かな(また、同じインストラ:メンタルからアレックス・グリーンもボッディカ名義でジョイ・オービソンとナイス・コラボレイションを連発中で、ボッディカもエレクトロ主体ながらだいぶ奇妙な方向性を示しているし、すでに9曲はあるわけだから、このタッグのままでなんとかアルバムもやって欲しい限り)。

 唐突にダブステップを取り入れたクリスチャン・ヴォーゲルの14作目も結果的にはストロング・スタイルのエレクトロに聴こえる作品を完成。新機軸を取り入れているのに、なぜ『慣性の』というタイトルにしたのかはわからないけれど、スペインのバレエ団のために2枚のアルバム制作していたため(これがいい!)、いわゆるダンス・ミュージックのアルバムとしては5年ぶりとなった。もともと、アブストラクトな感性をあふれんばかりに携えてデビューしてきた人なので、どことなく90年代初頭に戻った感もあり、それが円熟味を増して完成度を高めたと聴くことも可能だろう(スーパー_コライダーも呑み込んで!)。『リスケイト137』で自らのルーツ(=チリ系)を全開にした時もちょっと感動があったけれど、ややこしいリズムの連打にはやはり心が和んでしまう。波をイメージしたらしきエンディングは意外にもガス(マイク・インク)を思わせるアンビエント・タッチ。

Death Grips - ele-king

 デス・グリップスは異様なまでに、攻撃的な破壊者だ。ハードコアとヒップホップの反抗精神による大胆不敵なアートフォーム......不気味なイラストのジャケット......〈Thirdworld〉と名付けられた怪しげなホームページ、フロントマンをつとめるステファン・バーネットの強烈なスタイル。怖いもの見たさという好奇心もたっぷり煽ってくれる。
 ドラマーのザック・ヒルを中心とするサクラメント出身のこの3人組は、2011年に発表したミックステープ『Exmilitary』や動画によって世間の注目を集めた。そして、結成1年半足らずでメジャーのエピックとの契約にいたっている。本作『ザ・マネー・ストア』リリースの直前にはビョークの「Biophilia」のリミックスにも参加している(このあたりはさすがビョーク)。

 ミックステープとして発表した『Exmilitary』はダウナーで呪術がかった作風だったが、『ザ・マネー・ストア』では痛快な弾けっぷりを見せている。トランシーで無軌道な享楽性の爆発だ。
 1曲目の"Got Get"。ドライヴの効いた攻撃的なビートを持ち、ソウルフルで、ラスティを彷彿とさせる陶酔的なサウンドで突っ走る。歌詞の内容は、何をしてもうまくいかない主人公が最後、自殺によって解放されるといったもの。"Fever"の破壊力も良い。乱れ飛ぶビートと増幅していくサイレン音の上に乗る、咆哮にも似た破天荒なフロウが耳につく曲だ。こちらはドラッグ常用者の幻覚・幻聴のパラノイアを歌っている。繰り返し歌われる「Diamond」という単語はキラキラに光って見えるドラッグを指しているわけだが、頽廃的な彼らの音楽を象徴する1曲だ。
 ほかにも、オールドスクールのエレクトロをハードにアレンジした"I've Seen Footage"、一時期のレネゲイド・サウンドウェイヴやパブリック・エネミーを思わせる騒々しさの"System Blower"、ブレイクコアからの影響を感じるオリエンタルなナンバー"Punk Weight"、ファクトリー・フロアにラップを付けたような"Hacker"など格好いい曲がたくさんある。ステファン・バーネットのラップには、オッド・フューチャーの猟奇性と〈アンチコン〉以降というべきしなやかさがある。野太い声質と荒々しいフロウにはN.W.A.からの影響を感じさせるキャッチーさがあるので、やかましいが耳なじみが良い。
 
 グループの中心人物、ザック・ヒルはボアダムスにも参加したことのある凄腕ドラマーで、実験的なロック・デュオ、ヘラを筆頭に、ほかにもエル・グループ・ヌーヴォ・デ・オマー・ロドリゲス・ロペス(El Grupo Nuevo de Omar Rodriguez Lopez)、ウェイヴスやスカーズ・オン・ブロードウェエイなどにも参加した経験を持つ。ザック・ヒルの新しい試みがデス・グリップスというわけだ。ストイックに技巧を見せるヘラに対してデス・グリップスは衝動的で、音楽的にはより拡張されている。ヒップホップとハードコアのなかにはフィールド・レコーディング、ノイズといった要素も注がれている。クソみたいな生活を送りながらパラノイアを歌い、ハイになる。ネガティヴで鬱屈した精神をエネルギーに反転させる。だいたい"パンクの重さ(Punk Weight)"なんていう曲もある......fuck that! これは毒、新しい劇薬だ。

悪魔の翼を与えられ、
夢の続きを彷徨う
"Got Get"



Factory Floor - ele-king

 ファクトリー・フロアがどうして不機嫌なのかは知らない。応援しているフットボール・チームの調子が良くないのだろう。とにかく機嫌が悪そうだ。連中が応用するのはジョルジオ・モロダー流の、くらくらするような16分音符のシーケンスだが、そのサウンドはいわば「I feel hate」、ひときわイラついている。「どこまで我慢強いんだ」と人間のマゾヒズムをあざ笑うかのように、ときにサディスティックで、残忍でもある。アンソニー・バージェスが描いた15歳の少年アレックスは喜ぶに違いない。
 名前も良い。ファクトリー・フロア......「デス・ファクトリー」とも似た胸くそ悪い響きがある。いま我々が生きている場所こそ強制収容所みたいなものであると言ったのは二木信でも――もうすぐ「水星」のレヴューを書いてくれるであろう磯部涼でもなく、自らのスタジオを「デス・ファクトリー」と命名したスロッビング・グリッスル(TG)だが、ロンドンで結成されたファクトリー・フロアもまた冷たい反復による一種のデス・ディスコを展開している。私的な夢を転覆する社会への復讐心を巧妙に刺激するかのようだ。

 とはいえ、これはパンクというよりもトランス・ミュージックである。ポスト・パンクにおけるインダストリアル・サウンド(TGやナース・ウィズ・ウーンド、キャバレ・ヴォルテール等々)が実際のところ"サイケデリック・ミュージック"の延長線上にあったように(60年代末にピンク・フロイドでトリップしている世代)、ファクトリー・フロアにもその気がある。2010年の『Untitled』に封入されたDVDの、1時間以上にわたって展開されるアブストラクト・ノイズを見れば一目瞭然だ。そうした観点で言えば、このバンドは、実はコーヘイ・マツナガのNHKyxとも決して遠くはないように思う。
 NHKyxとの大きな違いはダンスだ。ファクトリー・フロアは、レイヴ・カルチャーの現場が廃屋や工場であった時代を思い出させる。人気のない醜悪な場所を我々の桃源郷へと転換したところにあの文化の本質があったわけだが、ファクトリー・フロアはその頃の記憶をフラッシュバックさせる。敢えてみすぼらしい場所を見つけては、踊りながら、ポスト・パンクのインダストリアル・サウンドと初期のジェフ・ミルズのハード・ミニマルないしはドップラーエフェクトの病んだエレクトロとの溝を埋めている......そんな感じである。

 本作『JPN』は、2010年の『Untitled』をはじめ、アナログ盤でのみ作品をリリースしてきた彼らの主要シングルを編集した日本企画盤だが、これがけっこう売れているらしい。まあ、たしかにいまの日本にはない"音"である。
 『JPN』には〈DFA〉からの「Two Different Ways」のみが収録されていないが、この2年で発表してた曲やリミックス・ヴァージョンはほぼ網羅できる。〈DFA〉以外では、〈ミュート〉傘下の〈ブラスト・ファースト〉や〈オプティモ・ミュージック〉といったレーベル、スティーブン・モリス(ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダー)やクリス・カーター(TG/クリス&コージー)といったリミキサーの名前からも彼らへの期待度の高さやその音のにおいをうかがい知ることができるだろうが、むしろこの手の固有名詞を知らない若い世代にこそ聴いて欲しい1枚。本作には収録されてはいないけれど、まずはこれを聴いてみましょう。


 
 ファクトリー・フロアのオリジナル・アルバムは年内には聴けるという話だが、今年の3月、メンバーのひとり、紅一点のニッキ・コーク・ヴォイドがクリス&コージーといっしょに1枚のアルバムを発表している。この盤に関しては、正直に言えば、目の錯覚を利用したアートワークに「おっ」と思ってのジャケ買いである。アナログ盤にはCDも封入されているでのお買い得と言えばお買い得だ。
 『トランスヴァース』は、世代を越えた共作としても本国では注目されている。モロダー的というよりもメトロノームで、ファクトリー・フロアよりもさらにまたマシナリーで、クローネンバーグ的で、J.G.バラード的で、温かみなぞいっさいない。単調きわまりない音が続いている。こちらはライヴ映像のリンクを貼っておきましょうね。

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