Home > Reviews > Album Reviews > DJ Nature- Return Of The Savage
レゲエやヒップホップ、レアグルーヴなどを内包したストーン・フリーなヘヴィ・ダウンテンポをして、90年代初頭にトリップ・ホップとして知られることになるブリストル・サウンド。そのオリジネーターであるワイルド・バンチ・サウンドシステム設立メンバーのDJマイロは、1988年に〈メジャー・フォース〉からリリースしたHiroshi+K.U.D.O feat. D.J. Milo名義のシングル「D.J. Mix」がヒップホップ史におけるメガミックス・クラシックスとして殿堂入りを果たしたという意味においても紛うことなきリヴィング・レジェンドである。
しかし、ワイルド・バンチの他のメンバーはマッシュルームとダディ・G、3Dがマッシヴ・アタックを結成。ネリー・フーパーはビョークやマドンナを手掛ける人気プロデューサーとなり、トリッキーがソロ・アーティストとして世界的な成功を収めたのに対して、DJマイロは華やかなシーンの表舞台から距離を置くように、1989年にニューヨークへ渡った。そして、一時滞在したことで生まれた日本とのつながりから、その後、スチャダラパーやエリ+ヒロシなどのリミックスを散発的に手掛け、2003年には日本発のソロ・アルバム『SUNTOUCHER』をリリースするものの、ブリストルのレジェントという形容が常に付いて回る境遇にあった。たしかに彼が音楽シーンに与えた影響を考えれば、そうした形容も至極当然なものであるが、ニューヨーク移住から20年以上を経て、彼のプロフィールはそろそろ加筆の必要があるように思う。
アルバムとしては実に9年振りとなる彼のDJネイチャー名義による『Return Of The Savege』は、その大きなきっかけとなる1枚だ。前作『SUNTOUCHER』では厚いスモークのその先でアブストラクトなロービートと生音を挿したディープ・ハウスを共存させていた彼の作風は、2010年にジャジー・スポートや本作のリリース元であるNYのレーベル、ゴルフ・チャンネルでの作品リリースを通じた活動再開後、その軸足はディスコ、ハウスに移行。12曲がすべて新曲となる本作のビートはよりスロウに、そして、エレクトリック・ピアノやトランペット、オルガンやサックスといった生楽器を交えながら、低速のグルーヴがテンションを緩めることなく足元に絡みつく。さらにストリングスやヴォーカルなどのローファイなサンプル・フレーズを重層的に重ね、その揺らぎやほころびにブラック・スピリチュアリティを宿すプロダクションはラフなメロウネスに貫かれており、そこにはブリストルから日本経由で、NYへ渡った彼の30年に及ぶキャリアを通じて育まれた揺るぎないものが確かに息づいている。
そして、このアルバムと共に筆者が知ることになった話はこれまで見聞きしてきたストーリーとは異なるマイロの素顔を伝えるものだ。1985年にリリースされたファーリー・キースの"Funkin With The Drum"でシカゴ・ハウスの洗礼を受けた彼は、ワイルド・バンチとして活動をおこないながら、実は長らくハウス・ミュージックへの情熱を募らせていたのだという。ワイルド・バンチ時代からマイロのことをよく知る荏開津広氏に直接聞いたところによると、当時から彼のDJは、ヒップハウスを交えたハウス・セットが独立して存在していたとのことで、1989年にニューヨークへ渡ったのも、当時のヒップホップはもちろんのこと、NYハウス・シーンへのシンパシーが大きな原動力だったという。
そして、当時、その治安の悪さから悪名高かったマンハッタンのアルファベット・シティに住み、チョイス時代のラリー・レヴァンやザンジバルでのトニー・ハンフリーズのプレイを体験し、サウンド・ファクトリーやレッド・ゾーン、ベター・デイズ、シェルターといったクラブに足繁く通っていた彼は、念願だったネイチャー・ボーイ名義での音楽制作を開始。シングル・リリースを重ねた末、92年に発表した(そして、その存在がほとんど知られていない)初のアルバム『Ruff Disco Volume One』は、荒々しいサンプリング・フレーズのループとプリミティヴなドラムマシーンの組み合わせから生み出されたダーティーなハウス・トラックに、当時、親交が深かったというNYハウスの代表的なレーベル、〈ニュー・グルーヴ〉の影響が色濃く反映されている。その後、プライヴェートで営むヴァイナルやストリート・ウェアの輸入会社が多忙になり、彼の作品リリースは途絶えるものの、断続的に音楽制作を行い、それが2003年の『SUNTOUCHER』となり、2010年以降の本格的な復活へとつながったようだ。
そうした経緯を踏まえたうえで、"野蛮人の帰還"という意味のタイトルを戴いた本作に、彼が込めた思いとはいかなるものなのか。ここではもちろんその全てを推し量ることは出来ない。しかし、ブリストルのゲットー、セント・ポールズで結成されたワイルド・バンチから現在まで、彼が音楽を通じて体現するラフネスが、執念のように青く燃え続けていることは確かだ。そして、すぐそこにあった成功には目もくれず、ブリストルのレジェンドという評価に甘んじることもなく、はたまた、ニューヨークの街が浄化されようとも、彼が時を超えて音楽の理想を追い求める荒ぶる情熱は、NYハウスがリヴァイヴァルしつつある時代にあって、この作品を特別なものにしている。
小野田雄