Home > Reviews > Live Reviews > Neon Indian- @ 南青山 Le Baron de Paris
食事と服装はダウンロードできない。データの時代だというのに......まったく不便なものだ。食べ物も洋服もあくまでフィジカルなものだから、実際に自分の身体を通してはじめてどういうものかがわかる。
筆者にはスタイル文化がわからぬ。ということで、着飾ることがどういった「正しさ」を持つのか、そしてネオン・インディアンがどういう人物なのかを確かめるべく気軽にイヴェントへ赴いた。週末のクラブ、チルウェイヴのDJでオールナイト――なかなか悪くない。翌日は投票日だが事前投票は済んでいる。
深夜0時過ぎに会場のル・バロン・ド・パリ(南青山)に入ると、まずその内装に目を見開いた。豪華絢爛といっては大げさだろうか、内装はとても綺麗なクラブだ。会場に関していい評判を聞いたことはなかったのだが、こういうのもまったくわるくないなと思った。が、驚かされたのは、そう大きくない会場内をまっすぐに歩き、フロアにたどり着いたときのことだった。あれ、ここが踊る場所だよな? ――中学校の教室内でCDの音をちょっと大きめにかけたかなという程度の音量だった。リスニング・テストにはちょうどよかったかもしれない。
DJブースを見れば、林檎のマークのうしろにDJの真剣な表情がうかがえる。周囲ではおめかしした若者が元気よく踊っている。たのしく踊れているのなら、それだけでこのパーティ、わるくないのではないか。ということにして、筆者は考えるのをやめようとした。
酒を飲もうと暗いなかメニューに目を凝らすと、すべて1000円以上であることに気づいた......。
会場内をもういちど見渡す。満員ではないが楽しくふらつけるほどに人は入っている。多くは20代前半から上のひとたちだろうか。〈Supreme〉のキャップがいくつか目につく。みんながとびきり目立ってオシャレというわけではなかったが、服装は(ちゃんと)意識してパーティにやってきたという趣があった。
UKファンキーっぽい音楽にすこしノって飽きてしまった直後、知人に見つけてもらい、しばし会話をすると、人と話してすごすにはほどよい空間演出であることに気づいた。彼は「スタイル文化だよ」とは言いつつも、音楽とファッションのひとたちが手をとりあってアーティストが来れるならよいことだよと語ってくれた。正直、音響さえもっとしっかりしてさえあれば、まったくもってそのとおりだなと思えただろう。
しばらくすると筆者と同い年(平成元年生まれ)の友人たちが5人以上でわらわらとやってきた。みんなで座れるスペースの一角に落ち着き、互いの近況なんかを話し合い聞きあい、会話を楽しむ。これがとても快適であった。いや、さすがにお酒をじゃんじゃん飲むことはできなかったが、それでも友人たちと楽しく会話で時間をすごすのにはちょうどよいスペースだった。
友人のひとりが「まだかよー」と待ちくたびれはじめた深夜2時頃だったろうか、客がDJブース前にふらふらと集まりだす。ようやくネオン・インディアンがDJを開始する。はじめはテクノっぽいディスコを流している。なるほど、チルウェイヴの源流は80年代ディスコ的なサウンドにあるのかと痛感させられた。しかしチルではないゆえ、それがネオン・インディアンのDJである必然性はまだ見いだせなかった。
ディスコ・サウンドが延々と続いた。チルは自ら、ということでブースから離れ椅子にもたれて友人と話していると、突如、いびつなシーケンスのシンセ・サウンドが聴こえた――ファクトリー・フロアの"トゥー・ディフィレント・ウェイズ"。心臓が掴まれたかのごとくDJブースに戻ってしまった。ハッピーな曲でもなく音響は充実していないため、フロアの人たちの踊りが止んでしまったが、おしゃれな場所においてダークで尖った曲を流すネオン・インディアン。わるくない。続いてミックスされるのがポール・マッカートニーの"テンポラリー・セクレタリー"。シーケンスの連想で繋いだのだろう。安易でなんとも微笑ましい。続いて何かテクノ・ポップ的なものを1曲挟み、ベタベタにYMOの"ビハインド・ザ・マスク"がはじまったとき、確信した。ネオン・インディアンはいいやつだと。
友人たちはYMOに合せて「オー!オオオオー!オーオーオー!オオオオー!」と合唱し始める始末。音楽の音量が小さいためそのハーモニーはフロアでもかなり目立ち、筆者の周りが異様にガンガン踊り(はしゃぎ)はじめた。このベタベタな流れなら、次はもうニュー・オーダー(もちろんネオン・インディアンもフェイバリットの"ビザール・ラヴ・トライアングル")でもプレイするんじゃないかと思われた。実際にはもっとソリッドなテクノに戻ったのだが、やがて"ポリッシュ・ガール"(だったと思う...)などネオン・インディアン自身の曲を2曲ほどプレイした。彼の8bitサウンドはダンスフロアをチルというよりもドリーミーによどみなく流れ、オーディエンスは笑顔のまま好き勝手にふるまった。大したことはない。ただの土曜の深夜のクラブによくある光景。まして音響はしょぼちいもんだ。酒は高すぎて買えやしない。しかしそれでも(だからこそ)、友人含め若い人たちが、おめかしをして、クラブで自由に身体を揺らしてときをすごしているのは、大したことなく平和でうつくしい光景に見えた。特別な祭りではなく、ただの一夜の場面であること。そして、そこに友人たちといっしょにいること。ちょっとおめかしをしてナイト・クラビングすることの「なんでもなさ」を筆者は肯定したい。翌朝、布団に飛び込んで倒れるまでがナイト・クラビング。
ネオン・インディアンに満足した友人たちとともに、これまた別の友人による不定期のDJパーティに参加するため三軒茶屋へタクシーを割り勘して向かった。会場に着き、ようやくデカい低音を浴びることができた束の間、筆者は具合が悪くなり寝込んでしまった。朝になり、パーティも終わり、友人たちはいまから渋谷へまだ飲みに行くという。まったく元気な連中だ。すばらしい。と思いながらも、筆者ひとりで凍えながら帰宅し、病床に臥した。病院に行くため外に出て、異様に晴れて暖かいことに気づく。流行の最先端=胃腸炎だった。再び自室で寝込み、現在時刻を忘れながらリビングに向かうと、テレビ画面、安倍晋三が神妙な顔をして話している。「自民」の文字の横では200以上の数字が表示されている。「たしかに僕は事前投票に行ったのだよな......」と頭のなかで反芻しながら再び布団に倒れた。
斎藤辰也