古くからのファンなら、冒頭の和音とドラムを耳にしただけで涙がこぼれてくることだろう。スクエアプッシャー通算15枚目、5年ぶりとなるニュー・アルバム──といってもそのあいだにプレイヤーとしての側面を強く打ち出したショバリーダー・ワンのアルバム(2017)や、逆にコンポーザーとしての側面に重きを置いた、BBCの子ども向けチャンネル CBeebies による睡眠導入ヴィデオのサウンドトラック(2018)に、オルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーへの楽曲提供(2019)という、対照的な性格の1+2作品があったわけだけれど──『Be Up A Hello』は、ぶりぶりとうなるアシッド、切り刻まれたドラム、ジャングル由来のリズムなど、往年のスクエアプッシャーを彷彿させる諸要素に覆いつくされている。とはいえこれをたんなる懐古趣味として片づけてしまうことはできない。アルバムは序盤こそメロディアスで昂揚的な展開を見せるものの、ビートレスな “Detroit People Mover” を経て次第にダークさを増していき、おなじくビートレスでなんとも不穏な “80 Ondula” で幕を下ろす。
フィジカルのシンセやミキサーを用いて制作されたという今作は、自身で新たにソフトウェアまで開発してしまった『Damogen Furies』(2015)とは正反対のアルバムだといえよう。その対照性はテーマにもあらわれている。前作では政治や社会にたいする怒りが原動力となっていたのにたいし、今回のアルバムをつくりはじめる契機となったのは、親友クリス・マーシャルの死というきわめて私的な出来事であった。クリスとは90年代初頭に一緒に音楽をつくって遊んでいた仲だったそうで、ようするにまだレコード・デビューするまえの、10代だったころのトム・ジェンキンソンに大きな影響を与えた存在だったわけだ。そのときのわくわくするような感覚、これからなにが起こるのか予測できない危険な感覚を取り戻したかったと、素朴にトムは語っている。ゆえに本作はアナログ機材を多用することになり、また90年代初頭の音楽から大いにインスパイアされることにもなった。ハードコアであり、レイヴである。
その点においてこのアルバムは、いわゆるベース・ミュージックではないにもかかわらず、2010年代後半以降の──それこそ『92年におまえはどこにいた?』と問うゾンビーが体現しているような──当時を体験できなかった、けれどもかわりにグライムやダブステップを通過した世代によるいくつかの表現とリンクしうる一面を有しており、そういう意味ではきわめて今日的な作品であるともいえる。そしてそのような再帰性を用意することになったのが、かけがえのないひとりの人間の死であり、共有不能なかなしみであったこと、それについてわたしたちはどう思考を巡らすべきだろう?
彼はやさしくほほえんでいた。そんな表情の写真はこれまで見たことがなかった。今回のアルバムは彼にとって、そしていまの音楽シーンにとってどのような意味を持つのか──昨秋〈Warp〉30周年イヴェントのために来日していたトム・ジェンキンソン本人に、新作の背景やそこに込められた想いについて語ってもらった。
あのころの感覚を取り戻したいというのがあったと思う。
■2019年、〈Warp〉は設立30周年を迎えました。あなたはそのうち24年間〈Warp〉に関わっています。
トム・ジェンキンソン(Tom Jenkinson、以下TJ):30年のうちの大多数だね。
■じつに8割を占めます。レーベルがアニヴァーサリーを迎えてどういう気持ちですか?
TJ:振り返れば契約したのは96年だった。ほかのレーベルからのオファーもあったけど、〈Warp〉を選んだんだ。理由は、90年代初頭に彼らがリリースしていた音源に興味があったから。それが当時の僕のインスピレイションでもあったんだ。
■契約した当時といまとで、レーベルの変わらないところはどこでしょう?
TJ:正直にいって、リリースしているもののすべてが良いとは思っていない。でもそれは当然のことだよね。僕はレーベルがリリースを選ぶ過程に絡んでいないからね。そういう意味では、ほかのレーベル以上に〈Warp〉に興味を抱いているわけではないんだ。でも友だちもいるし、関係も良好に続いているから、いまにいたっている。正直、〈Warp〉のすべてをフォロウしているわけではないんだ。
■では〈Warp〉の作品で良いと思っているものは? できれば友人ではない方の作品で。
TJ:イェー。ナイトメアズ・オン・ワックスのすごく初期のやつとか。とくに “Dextrous” は当時いちばん好きだったね。あとは LFO の “LFO” というトラック。それ以前の僕はエレクトロニック・ダンス・ミュージックにとくに興味を持っているわけではなかったんだけど、あれを聴いて初めて、その手の音楽の世界観に注意を払って聴くようになったんだ。それ以前のダンス・ミュージックはいわゆるコマーシャルなブルシットばっかりだったから。ラジオで聴くようなものにかんしてはね。だから興味をひかれなかったんだけど、LFO のあのトラックは深みがあるし、刺戟的だったし、挑んでくるような感覚があったし、聴いていてわくわくした。カタログのなかでメジャーかどうかはべつだけど、僕にとってはあの1曲だね(註:このエピソードはすでにいろんなところで語っている。たとえば『別冊ele-king Warp 30』をお持ちの方は123頁を参照)。
■新作『Be Up A Hello』はジャングルのリズムの曲が多く、またアシッドもよく鳴っています。前作『Damogen Furies』ではじぶんでソフトウェアまで開発していましたけど、今回はアナログ機材が多用されているように聞こえました。原点回帰の意図があったのでしょうか?
TJ:このアルバムには個人的な側面があるんだ。かなしいことに、友人のクリス・マーシャルが去年(2018年)亡くなってしまってね。彼にたいするデディケイトの意味あいもこの作品にはあるんだ。そういう意味で今回のアルバムはトリビュートのかたちをとっている。そのために、今回使っている機材と出会ったときの、つまり90年代にクリスと一緒に音楽をつくっていた当時の……彼と僕はテクノロジーにすごく興味を持っていたから、これを使ったらどういうふうになるんだろう、どんなことができる機材なんだろう、ってふたりで探りながらやっていたんだけど、あのころの感覚を取り戻したいというのがあったと思う。当初のああいう古いマシーンって音のキャラクターも独特だしね。だから、今回の楽曲には機材の存在が刷り込まれているんだ。そうなってくると、機材から逃れることは完全には無理なんだよね。もちろん逃れようとはしたんだよ。新しい使い方をしたいとも思ったけど、割り切れないところもあった。だからそれを超えて、おなじ機材だけれど、むかしはやっていなかったようなやり方をしたいなと。そういう試みはしたつもりだね。
いちばん当てはまる言葉は、「アンプレディクタブル(予測不可能な)」だったと思う。先が読めない、なにが起こるかわからない。そもそも型が決まってなかったから毎回状況がちがう。それがいまのじぶんの音楽にも生きているんだ。
■オフィシャル・インタヴューでは、レイヴ初期のシーンからインスパイアされたとも語っていましたね。
TJ:当時90年から93年くらいまでのクラブで流れていた音楽にはおおまかなくくりがあると思うけど、そのなかにもいろいろなものがあって、具体的に僕がそのインタヴューで触れていたのはアメリカのハウス・ミュージック、それから影響を受けた英国の音楽、それと当時のオランダやベルギーから出てきていた音楽だね。一時期オランダ、ベルギーからよりハードなダンス・ミュージックが爆発的に出てきていたからね。あとはブレイクビートの導入期のころでもあったと思う。当時ハードコアと呼ばれていたものは、のちにジャングルという呼び方に変わっていくわけだけど、そういうものにかんしてインタヴューで触れていたと思う。でも僕はとくに明確に分け隔てをしているわけではなくて、僕が聴いてエキサイトできるものを、大きな音で楽しむ。あとはヘドニスティック(快楽主義的)な体験ができる音楽がいいね。音楽そのものだけではなく、その周辺も含めて、ね。だから、使っているものがブレイクビートであれ、ドラムマシーンでつくったビートであれ、そういうことは関係なくて、じぶんが聴いて腹に響くみたいな、そういう体験ができる音楽のことをインタヴューでは話したと思う。
■じっさいレイヴの場には行っていました?
TJ:ああ、もちろん、行っていたよ。当時はまだじぶんではパフォーマンスをしていなかったから、オーディエンスの一員としてそれを体験していたね。僕がパフォーマーとして最初にやったのは、いわゆるバンドの形態で。10代のころにやっていたのは、ジャズとかロックとか、名称はなんであれ、むかしからある音楽の提示のしかただった。でも一方で、じぶんの楽しみやリラクゼイションのために、そういったレイヴ的なイヴェントに行くことが多かったね。
■レイヴにはDIYで自由で革命的な側面がある一方で、ドラッグの問題もありました。レイヴのムーヴメントについてはどう思っていますか?
TJ:いちばん当てはまる言葉は、「アンプレディクタブル(unpredictable:予測不可能な)」だったと思う。ようするに先が読めない、なにが起こるかわからない。ああいうものがすべてにおいて初めての時代だったから、決まったかたちがいっさいなくてね。ダンス・ミュージックを聴くためのイヴェントに前例がなかった時代だから。そもそも型が決まってなかったし、だから毎回状況がちがう。環境もさまざまで、場所だってパブのバックルームでやっていたり、巨大な倉庫みたいなところでやっていたり。音楽のためにつくられた場所ではないところからはじまっているんだ。いわゆるダンス・ミュージックのクラブというものが発展する以前の世界だよ。だからとうぜん危険な要素も絡んでいたとは思う。でも、危険だからこそ、なんかわくわくするというか、楽しいとか、いったいなにが起こるんだろうって感覚がすごくあったことを覚えている。その感覚がいまのじぶんの音楽にも生きているんだ。なんでも探訪してやろうっていうメンタリティーだね。あえてまだしっかり理解されていないもの、みんなが把握しきれていないものを探っていこうっていう感覚、それは当時のあの雰囲気にすごく近いと思うんだ。つまりパターンがないということだね。
あともうひとつは、企業のスポンサーがなかったということ。つまりレイヴのイヴェントというのは、その場にいる人たちだけのものだった。いまのフェスティヴァルって規模は大きいけど、なにかのプロダクトのプロモーションに使われている感じがあるよね。そこに僕が出る場合も、僕の音楽がなにかを売るために使われているんじゃないかと思ったり。販売のヘルプだよ。あるものをかっこよくみせるためにじぶんの音楽が使われているような感じがして、僕はすごくいやだね。往年のあの雰囲気を知っている者としては、いまのあり方はちがうなってすごく思う。当時いちばんプレシャスだったのはそこかもしれないな。
レイヴはその場にいる人たちだけのものだった。いまのフェスって規模は大きいけど、なにかのプロダクトのプロモーションに使われている感じがあるよね。僕の音楽もなにかを売るために使われているんじゃないかと思ったり。販売のヘルプだよ。
■スクエアプッシャーはアルバムごとに新しいことに挑戦してきましたけれど、どのアルバムにもかならず1曲か2曲、とてもキャッチーで美しいメロディの曲が入っていますよね。今回だと1曲目の “Oberlove” がそれにあたると思うんですが、いつもそういう曲を入れるのは、実験的な試みとのバランスをとろうとしているのでしょうか?
TJ:たしかにそのとおり。その洞察はひじょうに興味深いな。僕が魅力を感じるのは未知の世界なんだ。いま売れているもの、いま流行っているものとそうでないもののあいだの境界線を僕はあまり意識していないけど、基本的には良い曲が好きで、良いメロディに惹かれる。これはじぶんではどうしようもない部分だよ。それを楽しみたいじぶんをあえて引きとめて、ちがうこと、そうじゃないことをやろうとするとしたら、それはじぶんにたいしてすごく残虐な行為だよね。じぶんへの裏切りだと思うんだ。僕自身はポップ・ミュージックもすごく好きだけど、でも一方では前衛的なものも大好きで。それからフューチャリスティックな試みをしている音楽も大好きだ。それらぜんぶをひっくるめてじぶんだと思っているから、たぶんそのさまざまな世界に橋渡しをするような音楽をつくりたいんだろうなって僕は思っている。聴いていてスウィートな気持ちになるような音楽ももちろん大好きだけど、おもいっきり実験的な、テクノロジーを用いてつくる音楽も大好きだからね。ときには音楽をつくるときも、メロディから入っていくことだってあるんだ。そのメロディはとてもわかりやすいものだけど、つくっていく過程でそれがだんだん発展していって、ぜんぜんちがうものに突然変異することもあるから、その過程じたいがそういう橋渡しをしていることになるのかな。そんな気もするね。ストレートでわかりやすい音楽からブルータルに実験的なものまで、そのあいだにあるのがたぶんジャズなんだろうな。ジャズでも、たとえばインプロが入ってくることによって、おなじ素材を扱っていてもぜんぜんちがう角度からその音楽を見ることができるような、ね。そういう橋渡しのようなことは意識的にしているよ。
■最後の “80 Ondula” はノンビートでとてもダークで、ほかの曲と雰囲気が異なります。この曲でアルバムを終わらせたのにはなにか意図があるのでしょうか?
TJ:言っていることはわかる気がするよ。ほんとうに単純に言ってしまえば、「ライトからダークへ」。だんだんより暗くなっていくんだ。
■暗くして終わらせたかったと?
TJ:友人がなくなったことで僕はすごくかなしい思いをしたから、その気持ちを、なんらかのかたちでこのアルバムで表現したかったんだ。ふだん死を意識しないで暮らしている人たちにも、命のはかなさみたいなものを感じて考えてもらえればなと思ってつくった。そのあらわれだと思うな。やっぱり生きている人間、残された人間にとって死のかなしみにひたるのはほんとうにつらいことだけど、それを含めた僕の経験みたいなものが、この暗いほうへと向かっていくアルバムの流れにあらわれているのかも。
基本的には良いメロディに惹かれる。それを楽しみたいじぶんをあえて引きとめて、ちがうことをやろうとするとしたら、それはじぶんにたいしてすごく残虐な行為だよね。じぶんへの裏切りだと思うんだ。
■前作『Damogen Furies』には世界情勢にたいする怒りがありました。また3年前に国民投票でブレグジットが決まったとき、あなたは “MIDI sans Frontières” という曲を発表して、世界じゅうの人びとにコラボレイトを呼びかけました。いまのイギリスの状況についてはどう考えていますか?
TJ:とても複雑な状況だよ。手短に話すのも難しいけど、僕から見たところ、国民投票にいたるまでのキャンペーンの段階から、ひじょうに、人びとを分断する方向に動いていたような気がする。じぶんと相反する意見の人たちを悪いように見せようとして、相手にたいして疑念を持つような、そういう方向へ持っていこうとする動きがみられたと思う。それは「英国人対諸外国からきた人たち」という図式になっているけど、とにかくネガティヴで相手の悪いところばかりを増進させる、そういう政治的ゲームに巻き込まれていたように僕は思う。それを見ていてすごく気持ちが悪かったんだ。そこからどんどん下り坂で。国民投票以降、状況はさらに悪化している。見ていて衝撃的だと思うくらい、政治的な下降がみられると思っている。僕がここでなにか言ってもそれがすぐに功を奏するわけではないということはわかっているけど、少なくともじぶんのステイトメントとして、いままで見せられてきたものの対極を示したい。互いの良いところをもっと見て、つながりあおうよということだね。互いにコミュニケイションをとろうということ。それを訴えるうえで、音楽は良い道具になると僕は思っているんだ。効果のあるインストゥルメントになると思う。悪いところじゃなくて、人間の良い側面、調和性みたいなものを増進して伝える、音楽はその術になると思うね。
*
訊きたいことはほかにもたくさんあったのだけれど、残念ながらここで時間切れ。蛇足ながら最後に、昨日公開された真鍋大度の手による “Terminal Slam” のMVについて少しだけ触れておきたい。
渋谷の街中や車内に掲げられている広告を次から次へとスクエアプッシャーのものへと置き換え、それらを過剰なまでに暴走させるこの映像は、大企業や広告代理店の残虐性を見事に告発している。1月30日の深夜0時、同ヴィデオが渋谷のスクリーンに映し出されるのをじっさいにこの目で眺めるというメタ的な体験をしてみて、いかにふだんわたしたちが暴力的な広告に包囲されているのか、あらためて確認させられることになった。「僕の音楽がなにかを売るために使われているんじゃないかと思ったり。販売のヘルプだよ」という前出のトム・ジェンキンソンの発言とあわせて考えると、ひじょうに示唆的なMVである。

5年ぶりとなる超待望の単独来日公演が大決定!!
2020年4月1日(水) 名古屋 CLUB QUATTRO
2020年4月2日(木) 梅田 CLUB QUATTRO
2020年4月3日(金) 新木場 STUDIO COAST
TICKETS : ADV. ¥7,000+1D
OPEN 18:00 / START 19:00
※未就学児童入場不可
MORE INFO: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10760
チケット情報
2月1日(土)より一般発売開始!
名古屋:イープラス、チケットぴあ (Pコード:176-074)、LAWSON (Lコード:42831)、LINE TICKET [https://ticket.line.me]、BEATINK、クアトロ店頭 他
大阪:イープラス、チケットぴあ (Pコード:175-878)、LAWSON (Lコード:53383) 他
東京:イープラス、チケットぴあ、LAWSON (Lコード:73049) BEATINK、GAN-BAN店頭 他

























