「Man」と一致するもの

James Ferraro - ele-king

 3割、いや、4割くらいだろうか。現在OPNに寄せられている賛辞のうち、それくらいはジェイムス・フェラーロに譲ってしかるべきだろう。シンセの音色や展開、音声やノイズの処理法、挿入のタイミング、全体的なテクスチャーやレイヤリング――彼らふたりはサウンドのメソッドをかなりの部分で共有している。それは今年リリースされた作品にも顕著に表れ出ていて、フェラーロの新作「Four Pieces For Mirai」が鳴らすチェンバロや音声ノイズを耳にすれば、それらがほぼ同時期にリリースされたOPNの『Age Of』と共時的な関係を結んでいることがわかるだろう。
 そのようなサウンド面での共振以上に重要なのは、彼らがともにコンセプチュアルなアーティストであるという点だ。バラよりもパンが、想像的なものよりも具体的なものが優先されるこの時代にあって、彼らはフィクションというものが持つ力をどこまでも信じきっている。そんなふたりがじっさいに友人関係にあり、アイディアを交換しあっているというのはなんとも素敵な話ではないか(『Age Of』の「○○時代」という着想は、フェラーロとの読書会をつうじて獲得されたものである)。

 ロパティンの『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』やラモーナ・ゼイヴィアの『フローラルの専門店』と同様、ヴェイパーウェイヴの重要作とみなされるフェラーロの『Far Side Virtual』(2011年)は、それまでのロウファイ路線から一気に舵を切った転機作で、彼に大きな名声をもたらしたアルバムだ。PCや携帯電話などの当世風環境音をレトロフューチャリスティックな佇まいで導入・再編した同作は、セカンド・ライフやグーグル、スターバックスのような記号と組み合わせられることによって、「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで評されることになったわけだけれど、最近の『WIRE』のインタヴューにおいてフェラーロは、『Far Side Virtual』の射程がたんなる資本主義批判に留まるものではなかったことを振り返っている。いわく、文化はいかにして存続するのか、今日人びとはどのように関係を結びあっているのか、それはインターネットを介してである、うんぬん。ようするに同作は、今日の資本主義がヴァーチャルを拠りどころにしていることをこそメイン・テーマとしていたのであり、たしかにそれは先に掲げた術語たちと相つうずる側面を持っている。
 その後R&Bを都市の亡霊として利用した『NYC, Hell 3:00 AM』や、合成音声とモダン・クラシカルとの不和をそのまま共存させた『Human Story 3』など、いくつかの重要なアルバムを送り出したフェラーロは、新作「Four Pieces For Mirai」でふたたび『Far Side Virtual』の見立てへと立ちもどり、当時のアイディアをより深く突き詰めている。

 最初に気になるのはやはりタイトルの「ミライ」だろう。これは差し当たり一般的な意味での「未来」ではなくて、2年前に世間を騒がせたマルウェアの「Mirai」を指している。世界じゅうの大量のデヴァイスに侵入し、それら端末をのっとることによって同時多発的に特定のターゲットへと膨大なリクエストを送信、対象のサーヴァーをダウンさせるというその手法は、なるほどたしかに今日のオンライン化した資本主義にたいする勇猛な挑戦であり、電子的なレジスタンスといえなくもない。フェラーロはミライを肯定的に捉えている。トレイラー映像でも触れられているように、ミライはわれわれをヴァーチャルへの隷属状態から解放すべく生み出されたものなのである。

 いまやオンライン上の人びとの自我はその領分を逸脱し、フィジカルな世界で具現化を試みている。そもそもデジタルな自己とフィジカルな自己とが一致する必要なんてなかったはずなのに、今日ではオンライン上での振る舞いが現実のそれへとフィードバックされるようになってきている――『WIRE』においてフェラーロはそのような診断を下しているが、たしかに昨今オンラインとオフラインとでまったくちがう自分を演じ分けることが徐々に難しくなってきているというのは、体感的にも賛同できるところだろう。ようするにフェラーロは、ヴァーチャルによって実生活が侵食されつつあると考えているわけだ。その閉塞を打破するのがミライである。「人間はインターネットの支配下にあるけれど、このヴィールスは人間を解放するものなんだ。悪魔が人間を自然の状態へと戻すものであるようにね」とフェラーロは同じインタヴューで語っている。「Four Pieces For Mirai」は、そのようなミライによる解放のプロセスを描いたもので、今後続いていくシリーズの序章に位置づけられている。

 ここでフェラーロが「自然」という言葉を持ち出しているのは重要だろう。なぜなら「Four Pieces For Mirai」からはじまるこの新たなシリーズは、ほかならぬ「文明の衰退」をテーマとしているからだ。それは「人新世」なる語によって人間が相対化される昨今の風潮ともリンクしているし、あるいは「自然」を「文明」に対抗するものとして捉え返した『文明の恐怖に直面したら読む本』と問題意識を共有しているともいえる。しかもフェラーロは、ものごとを刷新するには既存のそれを燃やし尽くす必要があるという考えを表明してもいて、それはアンドリュー・カルプにもつうじる発想だ。既存の体制を維持しながら部分を改良するのではだめなのであって、一度すべてを破壊しつくさなければならない。ミライはそのための「人工的な火災」なのである。
 さらにいえば、フェラーロが着目したマルウェア「Mirai」の生みの親が、「アンナ先輩」と名乗っていたことも示唆的だ。『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』において、体制のもたらす法を無条件に信じこみ、それに従わない者たちを取り締まる立場にあった彼女が、遵守すべき法と自身の欲望とのあいだで折り合いをつけるために、既存の道徳を独自に読み替え、主人公の属するテロ組織以上に過激に立ちまわる人物であったことを思い出そう。彼女は体制を妄信するがゆえにこそ、その法を極度に徹底することによって法それ自体の瓦解を誘発しているのである。だから、「彼女」によって開発された「Mirai」=ミライは、われわれにそのような創造的な誤読=思考の変更を強制的かつ同時多発的に実行させるヴィールスなのだと考えることもできる。

 かつて『Far Side Virtual』が「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで語られてしまったことにたいして、フェラーロはじつはひそかに不満を抱いていたのではないだろうか。というのも、それらの語は68年を契機に力を持ちはじめた概念であり、またそれらの語を用いた人物は80年代に人気を博した思想家だったからだ。『Far Side Virtual』がリリースされた時点ですでに「ポストモダン」という言葉はレトロな響きを携えていたし、何よりヴェイパーウェイヴという運動それ自体にそのような過去の相対化が含まれていたのだから、遠景へと退けたはずのものと親しい概念によって自作が評されてしまうことに、フェラーロは既存の体制の堅牢さを感じとったのではないだろうか。だからこそ彼は今回、ミライという破壊的なコンセプトを考え出したのではないか。

 冒頭の“Fossils”や“Green Hill Cross”、“Butterfly”などで顔を覗かせるチェンバロ、“Green Hill Cross”や“Mirai”や“Gulf Gutters”などで差し挟まれる不気味な音声ノイズ、“Butterfly”や“Mirai”や“Remnant”などで展開されるバロック的だったり東洋的だったりする音階に耳を傾けていると、ロパティンとフェラーロはあらかじめ共謀していたのではないかという気がしてくる(とくに最後の“Gulf Gutters”)。『Age Of』と「Four Pieces For Mirai」は奇妙なまでに対照的で、相互補完的だ。前者がポップとアヴァンギャルドのあいだで引き裂かれているのにたいし、後者はそれと近しいサウンドを用いながらも前者が回避したアンビエントとしての完成度を追求している。あるいは前者が人間と非人間とのあいだで揺れ動くロパティンのためらいそのものをエモーショナルに表現しているのだとしたら、後者は絶滅の危機にある人間(“Remnant”)を救うために非人間が破壊を遂行していく様を淡々と描いていく。コンセプトに重きを置いた作品が目立つ2018年にあってこのふたつの作品は突出している感があるけれど、ラディカルさにかんしていえば、アノーニに引っ張られて躊躇しているロパティンよりも、肯定的に破壊を描き切ったフェラーロのほうが一枚上手なのではないだろうか。

 尋常ではない数の名義を使い分け、尋常ではないペースで作品を発表し続けるジェイムス・フェラーロ。彼によって送り出される無数のピースたちそれ自体がきっと、ミライのようなヴィールスなのだろう。彼の音楽を聴いた世界じゅうのリスナーたちはいつの間にかその毒に感染し、気づかぬうちに思考を変えられてしまっている――フェラーロが想定するミライとは、そのような未来のことなのかもしれない。

Lori Scacco - ele-king

 ロリ・スカッコの音楽を聴くと、いつも「波紋」のようなサウンドだと感じる。水滴と波紋。その水面での折り重なり。いわば「丸と円」のレイヤーのような音楽。もしくは「輪」のような音のアンサンブル。それはカタチや現象の問題だけではなくて、どこか人と人との関係性、つまり「縁」を表しているのではないか。
 じっさい2004年にスコット・ヘレン(プレフューズ73)が運営し、あのサヴァス・アンド・サヴァラスのアルバムなどもリリースしていたレーベル〈Eastern Developments〉から発表された彼女のソロ・ファースト・アルバムも『Circles』というアルバム名だった。このアルバムを制作する前、ロリ・スカッコはバンド、シーリー(Seely)の解散を経験していたわけだし、それなりに人間関係の大きな変化の只中にいたのだろう。
 ちなみにシーリーは、1996年にトータスのジョン・マッケンタイア・プロデュースのファースト・アルバム『Julie Only』を〈Too Pure〉からリリースしたバンドである。シューゲイザーからステレオラブまでのエッセンスを持ちながらミニマル/ドリーミーなポップを展開し、熱心なリスナーも多かったと記憶している。ロリはこのシーリーのピアニスト/ギタリストだった。シーリーは2000年にアルバム『Winter Birds』をスコット・ヘレンとの共同プロデュースでリリースし、そして解散してしまったが、その解散から4年の月日をかけて彼女はソロ・アルバム『Circles』をリリースしたわけだ。
 そしてその音楽性はバンド時代から大きく変わった。ギターやピアノ、弦楽器などにエレクトロニクスが控えめにレイヤーされた「アコースティック・エレクトロニカ」とでも形容したい作品に仕上がっていたのだ。日曜の朝とか晴れた日の夕暮れ時を思わせる穏やかで美しいクラシカルなアルバムである。永遠に耳を澄ましていたいような心地良さがあった。もちろん聴き込んでいくと、音と音の重なりは和声感も含めて、実に繊細に織り上げられていることに気が付く。まさに「サークル」の名に相応しい作品である。このアルバムは熱心な聴き手に深く愛され、リリースから10年後に日本盤CDが〈PLANCHA〉からリイシューされ、新しいリスナーからも歓迎された。
 『Circles』リリース以降のロリ・スカッコは、ダンス、映画、ビデオ・アートの音楽制作を行いつつ、サヴァス・アンド・サヴァラスのメンバーのスペインのアーティスト Eva Puyuelo Muns とのストームス(Storms)としても活動し、2010年にはアルバム『Lay Your Sea Coat Aside』をリリースした。そして2014年にはデジタル・リリースのソロ・シングル「Colores (Para Lole Pt.2)」を発表。加えて先にも書いたように〈PLANCHA〉から『Circles』がリイシューされた(ボーナス・トラックを追加収録)。

 新作『Desire Loop』は、14年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムである。リリースは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点とするアンビエント・レーベル〈Mysteries Of The Deep〉から。〈Mysteries Of The Deep〉は、ニューヨーク・ブルックリンのエクスペリメンタル・バンド、バーズ・オブ・プリティのメンバー、グラント・アーロンによって運営されており、Certain Creatures、William Selman などの作品をリリースしている。
 本作も生楽器主体の『Circles』から一転し、シンセサイザーをメインに据えたアンビエント/トライバルな電子音楽に仕上がっていた。この変化には一聴して驚いてしまったが、しかし何度も聴き込んでいくと、どんどん耳に馴染んでくる。『Circles』と同じように波紋のような音がレイヤーされていく構造になっているからか、聴くほどに耳と身体に浸透するような音楽なのだ。音と音が泡のように生成しては変化し、持続やリズムをカタチづくっていく。あの見事なコンポジションは、形式を変えても健在であった。いや、深化というべきかもしれない。
 シンセ中心のサウンドのムードは、どこか現行のアンビエントやニューエイジ・シーンともリンクできる音楽性だが、浮遊感に満ちた和声感覚と音のレイヤー感覚などから、やはりロリ・スカッコという「作曲家」の個性が強く出ている電子音楽にも思えた。

 とはいえ、あざとい作為は感じられない。ごく自然にミニマルな音とミニマルな音が重なり、そこにコードやリズムが必然性を持って生まれていた。1曲め“Coloring Book”には、本作の特徴が良く出ている。やや硬めの電子音の持続から音が分岐するようにいくつかのループが生まれ、やがて糸がほぐれるように変化したかと思えば、それらはループを形成し、トライバルなビートが鳴り始めもする。持続と反復。その中断と非連続性の美しさ。まるで確かに水の波紋のように、一種の自然現象のように、電子音たちが踊っている。続く2曲め“Strange Cities”はニューエイジなムードのシーケンスから幕を開け、それらが電子音の層へと溶けるように変化を遂げていく。この最初の2曲に象徴的なのだが、ロリ・スカッコの作曲は音の反復を持続の中に「溶かす」。電子音という生成変化が可能な音響だからこそ実現する反復と非反復の融解とでもいうべきか。
 アルバム中、重要な曲は5曲め“Back To Electric”ではないか。トライバルなリズムが鳴らされていくのだが、もう1階層、別のリズム/ビートがレイヤーされており、そこに規則的な電子音と民族音楽がグリッチしたような旋律が鳴る。聴いていくと時空間が「ゆがんで」いくようなサイケデリック感覚を味わうことができた。続く6曲め“Tiger Song”は細やかなノイズと、どこか日本的な旋律に反復的なビートが重なる印象的な曲だ。7曲め“Red Then Blue”もノイズのレイヤーからミニマルな反復が生成し、ゆるやかに聴き手の知覚を変化させるような見事なトラックである。アルバム・ラストの8曲め“Other Flowers”では、それまでサイケデリックに歪む時空間が、次第に知覚の中で整えられていく。まさに「花」のような端正な電子音楽である。

 こうして14年ぶりとなるロリ・スカッコの新作アルバムを聴いてみると、やはりこの歳月は必要だったのだと痛感する。反復と非反復の往復。知覚の遠近法を変えてしまう音のゆがみ。それらを曲として成立させること。作曲と即興のあいだにある音と音の自然な生成の追求。そのための時間。何より音楽それじたいが聴き手に対しても長い時間をかけて浸透するような時を内包しているのだ。それは自分の音楽を作り続けた人だからこそ獲得することができる「時の流れ」の結晶ではないか。そんな感覚を『Desire Loop』の隅々から聴き取ることができた。

 かつてはアトランタで建築を学ぶ学生であった彼女だが現在はニューヨーク在住という。いまのアメリカの政治や社会状況には憤りを感じているというが、音楽にそのような感情は直接には反映されていないように思えた。しかし、彼女の音楽に耳を澄ましていると見えてくるのは、脆さや弱さ、そして美や強さに向かい合いつつ、極めて誠実に音楽=世界と向かい合っている音楽家/作曲家の姿だ。この酷い世界を音楽によって肯定すること。音と人の関係性を、その弱さを脆さと共に感じ取ること。そんな意志が音の粒子に舞っているのだ。

 本作は繰り返し聴取することで、どんどんその魅力が増してくるようなアルバムだ。ぜひとも「電子音楽家としてのロリ・スカッコ」が鳴らす音の波に耽溺してほしい。世界の事象が溶け合っていくような見事な作品である。


interview with Gilles Peterson - ele-king


Maisha
There Is A Place

Brownswood

Spritual Jazz

ジェイク・ロングを中心としたセクステットで、人気サックス奏者のヌビア・ガルシアもメンバーとして参加している。ファラオ・サンダース直系のスピリチュアル・ジャズの現代解釈。

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 UKジャズは、ジャズとはこうあらねばならないという固定観念から自由だ。UKジャズは、50年前はロックと結合し、40年前はパンクに共鳴し、30年前はカリブ海のリズムを導入するいっぽうで、ヒップホップとDJカルチャーにジャズを見いだし、90年代なかばにはテクノとジャングルをジャズの延長で解釈した。そして21世紀も20年近くを経た現在、UKジャズはアフロビートと連結しながらデジタル・テクノロジーへの打ち壊し(ラッダイト)よろしく生演奏にこだわり、人種混合の理想とフェミニズムとリンクしながら躍動している。
 UKジャズにおける“ジャズ”とは拡張する契機であり、ゆえに「こんなのジャズじゃない」と思われがちだが、じつは逆説的にそれは褒め言葉である。UKジャズはつねにおりおりの若い世代に開かれているからだ。

 さて、今回の躍動の象徴となったのが、2018年の初頭に〈Brownswood〉からリリースされた『We Out Here』で、そのコンピレーション・アルバムのトップバッターを務めたマイシャ(Maisha)も11月9日にアルバム・デビューする。
今回は、〈Brownswood〉レーベルを主宰しながら、BBCのラジオ番組によっていまでは世界中にUK解釈のジャズを発信しているジャイルス・ピーターソンに話を訊いた。以下、UKジャズの特徴や面白さをじつに簡潔に語ってくれている。

たとえば〈ヴァーヴ〉や〈ブルーノート〉の社長から電話がかかってきて『非常にエキサイティングだ、もっと欲しい、どこに行けばいいか教えてくれ』と言われると、これは何かが起こっているなと確信するよね(笑)。

ここ2年、UKの若々しいジャズ・シーンの熱気がじょじょにですが日本にも伝わってきています。とくに2018年は、年の初頭に『We Out Here』というコンピレーション・アルバムが出たことがその勢いのひとつの印のようにも見えましたし、サンズ・オブ・ケメットに続いて、ジョー・アーモン・ジョーンズカマール・ウィリアムスといった若いひとたちの素晴らしいアルバムがリリースされました。日本でも松浦俊夫のアルバムがこうしたUKの動きにリンクしていたと思います。あなた自身、この1~2年を振り返って、やはりこのシーンの熱量には手応えを感じていると思うのですが、いかがでしょうか?

GP:素晴らしい時代が来たよね。ただそれほど驚いてはいないんだ。というのもそれはつねにそこにあったものだから。わりとよくUKジャズの歴史について訊かれるんだけど、ぼくは1988年に……ちなみに30年前のことだけど、『Acid Jazz And Other Illicit Grooves』と『Freedom Principle』をリリースしたんだけど、それは当時UKに存在したシーンのスナップ写真のようなもので、ジャズに関連した、もしくはジャズに影響を受けた音楽だったんだ。それ以来この音楽とムーヴメントは持続的に成長してきて、すごく注目された時期もあれば無視された時期もあったわけだよ。UKが盛り上がることもあれば、ドイツや日本といった場所が盛り上がることもあって、そして2018年、2017年、2016年くらいで、若い世代のミュージシャンたちがついにこのムーヴメントを自分たちのものとして引き受けて、自信を持ち、演奏技術を身につけて、SNSを駆使してクラブ・イベントを主催したりスタジオでのセッションを企画したり、そういったすべてのことがハリケーンのように巻き起こったんだ。
それを率先してやってるのがモーゼス・ボイド(Moses Boyd)やシャバカ・ハッチングス、ヌビア・ガルシア(Nubya Garcia)といった素晴らしい人たち、あるいはJazz re:freshedのようなグループや、サウスロンドンのペッカムやデトフォード周辺、イーストロンドンのダルストン辺りのクラブ、そういったものすべてが、より伝統的なジャズの世界に対するオルタナティヴとしてあるんだ。
ジャズはものすごく深い音楽で、強い基盤があるだけに、自分たちがジャズの所有者だと思ってる人たちがいるんだよ。どういうわけか上の世代はジャズを囲い込んでおきたいと思っている。それで、いま起きていることがこれだけエキサイティングな理由は、若者たちがジャズを自分たちのものにしたからなんだ。もちろん年配の人たちに対するリスペクトはあるけど、自分たちが立つ舞台を自分たちで作り出さなければならないことを理解して、実際それでいまこういうことになっているわけ。資金援助やスポンサーやサポートの必要を感じていない……いや、もちろんぼくたちは彼らの音楽を応援しているしプッシュしていきたいし、ぼく自身もこの動きに参加できて嬉しいし助けていきたいと思ってるけど、彼らはぼくのような人を必要としていないんだよ。ぼくがいようがいまいが関係なくて、いずれにしろ自分たちはやるんだという。それがこのムーヴメントを力強いものにしているんだ。だから若い人たちも共感できるんだ。友だちがやってたり、似たような育ち方をした誰かがやってたり、ステージに立っているミュージシャンが年寄りばっかりじゃなくて同世代の連中だからさ。

いろんな国からのリアクションがあると思うのですが、いかがでしょう?

GP:ジャズって面白くて、世界中でフェスティヴァルが開催されていて、彼らはコンテンツを欲しがっているわけさ。それで、新しい世代が出てきたことで、じゃあもうウェイン・ショーターやハービー・ハンコックやソニー・ロリンズに頼らなくていいんだと思うようになった。もちろん彼らはいまでもみんなから愛される素晴らしいアーティストだけど、でも世界中のフェスティヴァルやクラブは餌を欲しがってるわけだよ。そして食欲が旺盛なところへ、いまここからたくさんのパンが供給されつつあるという(笑)。
本当にみんな色めき立っているんだ。去年パリにいたときに、New Morningっていう素晴らしいジャズ・クラブがあるんだけど、そこに貼ってあるポスターに毎晩のようにイギリスのバンドが出演者として載っていたんだ。その翌日の新聞には、たしか『ル・モンド』だったと思うけど、その状態を“British Invasion”と名付けていた。フランス人がイギリスのジャズについてそんな風に書くなんて初めてのことだと思うよ。イギリスは変な破壊的な音楽とかは素晴らしいけど、ことジャズに関してはたぶんフランスの方が伝統があるんだ。だからそれは興味深かったね。
 あとは今年の初めにニューヨークのWinter Jazzfestに招かれたときも、ザ・コメット・イズ・カミング(The Comet Is Coming)やヤズ・アハメド(Yazz Ahmed)、ヌビア・ガルシア、オスカー・ジェローム(Oscar Jerome)といった人たちを紹介したんだ。それで来年の1月には、ドラマーのユセフ・デイズ(Yussef Dayes)やエズラ・コレクティブ(Ezra Collective)、ヤスミン・レイシー(Yazmin Lacey)、エマジーン・チャクレイ(Emma-Jean Thackeray)といった人たちが出ることになっていて。ニューヨークでも盛り上がっているというのは嬉しいことで、たとえば〈ヴァーヴ〉や〈ブルーノート〉の社長から電話がかかってきて『非常にエキサイティングだ、もっと欲しい、どこに行けばいいか教えてくれ』と言われると、これは何かが起こっているなと確信するよね(笑)。

今日のUKジャズの盛り上がりはどのようにして生まれたのか、あなたの分析を聞かせてください。

GP:このムーヴメントはとても自然発生的で、これがきっかけだったとはっきり言える瞬間がない。だからこそ力強いムーヴメントだと思うんだ。これ以前のムーヴメントはメディア主導だったんだよね。でも今回はとてもオーガニックで、それはもちろんいいことで、もしメディアが別の何かに注目しようと決めても存在し続けるし生き残り発展し続けるんだ。通常何かムーヴメントが起こったときは少し注意する必要がある。ちょっとフェイク・ニュースと似ていて、記事を読んで『いまはこれが流行ってるのか』と思っても実態がなかったりする。でもこれは間違いなく起こっていることなんだ。ぼくがこのムーヴメントの何が好きかというと、演奏のクオリティが高いことと、音楽のアイデアが非常に興味深くて、しかも成長し続けているということ。2年前と比べてもいろんなレベルでかなり変化があって、技術的には世界レベルになりつつある一方で音楽的なアイデアはユニークだから余計面白いんだよね。

このムーヴメントに「新しさ」があるとしたら、それはなんだと思いますか?

GP:いま言ったようなことも新しさだと思うし、自分の声を見つけるのが難しい音楽のなかに自分の声を見つけたということが、新しいと思う。というのもジャズのような長い歴史を持った音楽のなかに自分の場所を見つけてオリジナルな存在になるというのは難しいことなんだ。これまでのグループはもしかしたら少し伝統を重んじすぎてきたのかもしれないと思う。でもいま彼らはその伝統のなかにそれぞれ自分の声を見つけつつある。そのいい例がシャバカ・ハッチングスで、彼はサンズ・オブ・ケメットのリーダーでザ・コメット・イズ・カミングというグループもやってるんだけど、ぼくは彼は本当に素晴らしいと思っていて。というのも彼のレコードは単なるレコードではなく、ひとつのテーマだったりコンセプトのようなものでもあって、この時代を定義付ける重要なものだと思うんだ。彼が今年出したアルバムは伝統的な女性の役割に疑問を投げかけていて、いまの時代と波長が合っていて、そこも非常に重要だよね。

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Maisha
Maisha

ぼくにとってマイシャは、ぼくがクラブでDJをするときにかける音楽にいちばん近いんだ。クラブでぼくがジャズをかけるときは、スピリチュアル・ジャズを選ぶ傾向があって、浮遊感があるものというか。だからドラマーのジェイク・ロングがマイシャとして新しい音楽を聴かせてくれたとき、瞬時に引かれたんだ。

ジョー・アモン・ジョーンズはひじょうに若々しいアルバムをリリースしましたが、あなたはあのアルバムの良さはなんだと思いますか?

GP:まずジョーが作曲家として成長するのを見ているのはすごく喜ばしい。どの音楽でも、ムーヴメントが起こっていろんなクラブや人が関わって盛り上がるというのはもちろん素晴らしいことなんだけど、やっぱりそこには記憶に残る曲が必要なんだ。アンセムが必要なんだよ。それでジョーには、アンセムを書く能力があるとぼくは思う。彼のアルバムには3、4曲、本当にいい曲が入ってると思うし、そこはスタンダードなジャズ・レコードと一線を画す部分じゃないかな。構成もアレンジもアイデアも素晴らしいし、しかも彼の場合まだはじまったばかりだからね。先週末BBCでやった企画があって、ロンドンのメイダヴェールでライヴをやって、彼がハウス・バンドだったんだけど、オーガナイズもプレゼンも素晴らしくて、ある意味彼はイギリス版ロバート・グラスパーだね。


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ジェイク・ロングを中心としたセクステットで、人気サックス奏者のヌビア・ガルシアもメンバーとして参加している。ファラオ・サンダース直系のスピリチュアル・ジャズの現代解釈。

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ほかにも〈22a〉のテンダーロニアス(Tenderlonious)のアルバムもありましたし、この年末には、マンスール・ブラウン(Mansur Brown)のソロも出ますし、このたびあなたの〈Brownswood〉からはマイシャのアルバム『There Is A Place』がリリースされます。彼らは『We Out Here』の1曲目でもありましたよね。いまのシーンを象徴しているバンドのひとつのように思うのですが、あなたの口からマイシャとはどんなグループで、どんな魅力があるのか語ってもらえますか?

GP:ぼくにとってマイシャは、ぼくがクラブでDJをするときにかける音楽にいちばん近いんだ。クラブでぼくがジャズをかけるときは、スピリチュアル・ジャズを選ぶ傾向があって、浮遊感があるものというか。だからドラマーのジェイク・ロングがマイシャとして新しい音楽を聴かせてくれたとき、瞬時に引かれたんだ。ちょっとヴァイオリン奏者のマイケル・ホワイトだったり、あと日本で2枚レコードを作ったハリス・サイモンという人がいて、『New York Connection 』と『Swish』というアルバムがあって、そのストリングスとジャズというアイデアがぼくは大好きなんだけど、マイシャにはちょっとそれを彷彿させるものがあるんだよね。開かれていて、自由で、でもパーカッシヴなフィーリングもあって、おもしろことに、マイシャでぼくがいちばん好きな特徴のひとつがピアニストで、たしか日本人なんだよね。彼のソロは注目に値するよ。名前はアマネ・スガナミ(Amane Suganami)っていうんだ。あともちろんヌビア・ガルシアもシャーリー・テテー(Shirley Tetteh)もいるしね。
だからこういう作品を自分のレーベルから出せるのはすごく嬉しいよ。あと最近ココロコ(Kokoroko)とも契約したんだ。彼らの新作を年明けにリリースする予定なんだけど、ココロコもすごく好きなバンドで、彼らの音楽にはどこか西アフリカ的な雰囲気が感じられて、『We Out Here』に入っている彼らの“Abusey Junction”はYouTubeで800万回くらい再生されたんだよ。ジャズのトラックとして考えると、かなり異例だよね(笑)。

〈Brownswood〉のスタジオでセッションしているマイシャのPVを拝見しました。親密感があって、グッド・ヴァイブなところですね。見ていて、あなたがここ数年アプローチし続けているキューバやブラジルの音楽のようなファミリー感がある場面だと思いました。誰かの家に行ってセッションしちゃうみたいな。そんなフィーリングがいまのUKジャズにはあるんでしょうか?

GP:間違いなくあると思う。そこもこのシーンの強みなんだよ。ひとつのチームとして取り組んでいて、さらにみんながお互いから刺激を受けているという。そこがロンドンの良さでもあって、ジャズでもエレクトロニック・ミュージックでもインディ・バンドでも、そのなかでの競争があるんだけど、協力もするっていう。健全ないい意味でのライバル関係があるというか。みんなより上手くなりたいと思ってるから、それがそのシーンを強くしていく。いまのジャズ・シーンも一緒に演奏したり、お互いから学んだりしながら、それぞれが自分の個性を見つけていて、素晴らしいんだ。

いまの人たちはインターネットのおかげで音楽を探す能力が高いし速いから、非常に洗練されているよね。新世代のリスナーたちは、あっという間に音楽の核心部までたどり着くんだ。ぼくの場合はサン・ラを発見するまでに15年かかったけど、いまだったら15時間で見つけられる(笑)。

スピリチュアル・ジャズからの影響は、マイシャのほかにも、たとえばエズラ・コレクティヴにも感じますし、もちろんシャバカ・ハッチングスからも感じます。なぜいまになって、スピリチュアル・ジャズが見直されているんだと思いますか?

GP:見直されるべくずっと待ち続けていたと思う。正直、ぼくがパトリック・フォージなんかと一緒にDJをやってた80年代、90年代、最後にかけるのがスピリチュアル・ジャズだったんだよね。ぼくにとっては、たとえばダブ・レゲエとスピリチュアル・ジャズには通じるものがあって、何ていうか、実存的な、白昼夢のような、それをもっと構造がしっかりしてる音楽の前後にかけると、一種の美しいトランジションとしての効果があるというか、だからDJとしてぼくが生み出そうとしていた空気感にとっては欠かせないものとして常にそこにあったんだ。
何だろう、感情を動かす音楽というか……ああそうだ、カマシ・ワシントンはそういうサウンドを追求しているよね。ファラオ・サンダースやジョン・コルトレーンは、もうベスト中のベストな人たちなわけで、見直されるのは必然だったと思うよ。というのもいまの人たちはインターネットのおかげで音楽を探す能力が高いし速いから、非常に洗練されているよね。新世代のリスナーたちは、あっという間に音楽の核心部までたどり着くんだ。ぼくの場合はサン・ラを発見するまでに15年かかったけど、いまだったら15時間で見つけられる(笑)。

アフリカのリズムというのも、いまのUKジャズの特徴だと思います。これはもう、UKにおけるアフリカ系移民の増加を反映しているのでしょうか? あるいは、アフリカのリズムの多様さにジャズの“次”を見いだしたというか。

GP:そこはやっぱりロンドンの美しいところで、非常に多文化的な場所だからね。ロンドンとパリはすごく似ている部分もあるけど、全然違う部分もあって、パリのコミュニティは結構が分かれてるんだよね。UKの方が混ざってると思う。その結果として音楽もUKの方が混ざってるんだよ。アフリカン、レゲエ、カリビアン、コロンビア、南米と、あらゆる文化がロンドンのタペストリーとして織り交ぜられているんだ。そこがロンドンのマジカルなところだよ。たとえばザ・クラッシュのジョー・ストラマーのような人も世界中の音楽を擁護していた。その頃はちょっとアウトサイダーのものという感じがあったけど、いまはすべてが混ざってるんだ。いまの若いリスナーたちは、キング・サニー・アデの曲も聴けばグライムも聴くって感じなんだよね。アークティック・モンキーズからアート・ブレイキーまでが繋がってる。それは変わったことじゃなくて、ごく普通のことで、みんな幅広く聴いてるんだ。ぼくの頃はそうじゃなかったんだよね。

ヌビア・ガルシアもいろんな主要作品でサックスを吹いているキーパーソンだと思いますが、あなたは彼女をどのように評価しているのでしょうか?

GP:もちろん彼女はとても重要な存在だよ。あとはココロコのキャシー(Cassie Kinoshi )もそうだし、このシーンには多くの強い女性がいるんだ。それもこのシーンがすごく面白い理由のひとつだと思う。キャシーもシャーリーもシーラ(Sheila Maurice-Grey)も、みんな男連中と同じようにパワフルなんだ。演奏にしてもアイデアにしても独自のものを持っている。
ヌビアはスターになるだろうね。たぶんみんな彼女と契約したがってると思う(笑)。彼女はぼくにとってはもうビッグすぎるけど、すごく嬉しいよ。去年ぼくが観たなかでいちばん良かったライヴが、彼女が〈Jazz Re:freshed〉のアルバムを出すときにThe Jazz Cafeでやったもので、テオン・クロス(Theon Cross)がいて、シーラ・モーリスグレイ(Sheila Maurice-Grey)がトランペットで、フェミ・コレオソ(Femi Koleoso)とモーゼス・ボイドという2人のドラマーがいて、そしてジョー・アーモン・ジョーンズがいて……そのコンサートの場にいて、ぼくは『これは歴史的だ』と思ったのを覚えてるよ。とにかく彼女はこのムーヴメントにとっては非常に重要な大使の1人だね。

アシッド・ジャズの時代はDJカルチャーが主体でしたが、今日のUKジャズのシーンは個性的な演奏者たちが複数いて成り立っています。エレクトロニック・ミュージックが主流の現代において、この逆転現象は面白いと思うのですが、これはジャズ・ウォーリアーズの功績もあるんでしょうけれど、ほかにはどんな理由があると考えられますか?

GP:実は世界のいろんなところで起こっていることじゃないかと思う。職人の技を称えるというか、オーガニック・ワインも、クラフト・ビールも、家具職人も、あるいは芸術家もね。何でもデジタルで簡単にできてしまう時代だからこそ、伝統的な演奏が求められているということはあると思う。ドラムでもギターでも歌でもさ。だから誰でもDJになれるという状態に対するリアクションだよね。
こういう時代に、技術を習得するために努力した本物のアーティストを観ると、その良さが分かるという。人間がここまでできるんだっていうことに、すごいと思えるんだよ。職人の技が見直されているのには、そういう理由があるんじゃないかと思う。それに加えてジャズはすごくオープンな精神で演奏するもので、ステージ上で相互作用が起こるのを目の当たりにすることができるし、ミュージシャン同士の間でも、ミュージシャンと観客の間でも相互作用が起こるからね。

モーゼス・ボイドのように、シーンのなかにはほかにも複数の個性的で優れたプレイヤーがいますよね。あなたがとくに注目しているひとがいたら教えてください。

GP:ぼくがすごく好きなサラ・タンディ(Sarah Tandy)というピアニストがいるよ。来年あたり出てくると思うから彼女は注目しておいた方がいい。あとは……たくさんいすぎてわからないな。ヴェルス・トリオ(Vels Trio)もすごく好きだよ。それから今だったらスチーム・ダウン(Steam Down)、この人たちがアルバムを作ったら本当に面白いものになると思う。あとフランスでもドイツでも何かが起こりつつあって、ベルギーも色々面白くなってる。DJ Leftoが出した『Jazz Cats』というすごくいいコンピレーションがあって、ベルギー産の曲が20曲くらい入ってるんだ。
それに日本も絶対に期待を裏切らないよね。社長とかToshioもそうだし新世代もそうで、Shuya Okino(沖野修也)といった人たちも、彼らの素晴らしいところは新しい世代をプッシュして応援しているところだよね。だから今のこの動きがどう日本に影響を与えるのか、今後5年くらいがすごく楽しみだし、日本が何かやる時は絶対に面白いからね」

2019年も引き続きこの流れから良い作品がリリースされるものと思います。現在、リリースが決まっているものでいま言えるものを教えて下さい。

GP:ココロコのアルバムが年明けに出る。それは個人的にも楽しみだね。ええと他には……みんな作ってるんだよなあ。〈Brownswood〉からは、ザラ・マクファーレン(Zara Mcfarlane)の新作が出て、あとピート・ビアーズワース(Pete Beardsworth)というピアニストがいて、個人的にものすごく好きなんだ。ヤスミン・レイシー(Yazmin Lacey)も素晴らしいから要注目だよ。ぼくは彼女がいちばん好きなシンガーかもしれない。

(了)

interview with Anchorsong - ele-king

 これは穏やかで、休息としての音楽である。アンカーソングこと吉田雅昭はあきらかに成熟度を増している。ハウスの心地良いテンポとインドの多彩なパーカッションとのコンビネーション。温かく、平和的な音楽だ。井上薫とも少し似ているかもしれないが、アンカーソングはとことんミニマルで、物語性なるものは封じ込めている。まったく気持ち良い響きではあるのだが、なにか別の夢を与えるわけではない。つまり、これはサイケデリックな体験ではない。日常と地続きの音楽だ。ぜひともお試しあれ。こんどの休日に、彼にとって3枚目のアルバムとなる『コヒージョン』を家で聴いて欲しい。
 この音楽は、インド音楽を調査して制作された。しかしインド音楽ではない。お香の匂いもしなければ、シタールが鳴っているわけでもない。小刻みなリズムと最小限のメロディによるレイドバック・ミュージックなのである。
 ele-kingではこれまで吉田雅昭に二度の取材記事を掲載しているので、彼の詳しいプロフィールはここでは繰り返さないが、簡単には記しておこう。大学を出て彼は、ほとんどリスクを考えず、音楽文化がより豊であろうという解釈のもとロンドンに移住した。ヒッピーでも学生でも企業人でもない、とくに金持ちでもない日本人がこれをやることは、イギリス国籍の人間と結婚でもしないかぎり、いろんな意味で長くは続けられないし、そもそもロンドンに住んでいることで作品性が向上するともかぎらない。吉田雅昭はしかしそこにこだわっている。もしなんの情報も知らず彼の新作を聴いたら、これを日本人の作品であるとは思わないだろう。だからといってイギリスっぽいとも思わない。本人はまったく意識していないだろうけれど、井上薫しかり、Groundしかり、ぼくにはシカゴを離れたハウス・ミュージックにおけるノマド的展開がここからも聴こえる。
 以下、スカイプによる取材の記録だ。彼の喋り言葉は、ここに起こされた言葉そのままである。相も変わらず真面目で、丁寧な受け答えだった。

ぼくが実際に行くようなパーティも、緩い音楽がたくさんかかるようなパーティが多いんですよ。そのなかには、ぼくが好きな(インドの)ボリウッド映画の音楽をかける人も少なくないし。

すごく久しぶりですね。

Anchorsong(以下、吉田):そうですね。最後にお会いしたのが、新宿で以来。

一緒に飲んだよねー。たぶん取材をしたのはちょうど『Chapters』が出たときで、2011年なんですよ。新宿で飲んだときは吉田君が、実はぼくはこれからこういう方向性を考えているというデモを聴かせてくれたときで、それがまさに前作の『Ceremonial(セレモニアル)』に結実するわけですね。

吉田:はい。

いまもこうやってリリースをしているということはロンドンで相変わらず暮らしつつ音楽活動を継続されているということですよね。

吉田:そうですね。ただ、ぼくが最後に野田さんに新宿でお会いしたときは、イギリスを離れて日本に長期で帰国していたときだったんですよ。

あ、そうだっけ?

吉田:自分の本意ではなく、帰国せざるえなくなってしまい、けっきょく日本に帰った間に作品を作りはじめて、それが『Ceremonial』だったんです。それから3年前くらいにイギリスに戻ってきたんですよ。だからこの街(ロンドン)に、自分なりにこだわってはいるんですよね。必ずしもぼくの音楽はイギリスとかロンドンのシーンを反映しているわけではないんですけど。

反映しているんじゃないですか?

吉田:たとえばいまだと、ロンドンはアンダーグラウンドのジャズとかが盛り上がっていますけど、そういうものをすごく必死に追いかけたりしているわけではないです。ただやっぱりぼくがUKでおもしろいと思っているのはオーディエンスがオープンマインドなところなんですよね。どんなイベントに行ってもいろいろな音楽がかかっているし、それをオーディエンスも受け入れるだけの器量があるというか。そういうムードがいろいろな音楽を聴いてみたいという方向に動かしてくれるし、音楽を作るうえで、この街に住んでいるというだけでいろいろインプットがあるんですよね。

自分の意志とは反して日本に住まざるをえなくなった2年間というのは、吉田君にとってどういう意味があったのでしょうか?

吉田:いまになって思えばすごく良い機会だったなと思います。(ファースト・アルバムの)『Chapters』を出してちょうど1年くらいが経ったときだったんですけど、自分なりに今後どういう方向に進むのかということを考えなきゃいけなかったと思うんですよね。後ろ髪を引かれながらロンドンを離れることになったわけですけど、日本にいても世界に向けて発信できるような音楽を作りたいという思いは変わりませんでした。ロンドンという場所から離れたことでより自分のことを客観的に見る余裕ができたというか。あのときはいまよりも若かったということもあって、トレンドなどを自分なりに意識してはいたと思うんですよね。でも日本に戻ったことで、ロンドンを中心としたトレンドから距離を置くことになりました。『Ceremonial』は70年代とかのアフリカの音楽を反映した作品だったんですけど、実際トレンドとはあんまり関係のない、どちらかというと過去の音楽からインスパイアされた音楽になりました。そういう方向に進もうかなと思ったのはロンドンを離れたことが大きかったと思いますね。

クラブ・ミュージックやジャズに関して言えば、この10年間のイギリスの重要なファクターとして、アフロというのはデカいでしょう。UKにいたからこそアフロなのかと思っていたんですけど。

吉田:うーんどうなんでしょうね。まったくないとは言い切れないと思うんですけど。というのもちょうどぼくが作品を出した頃って、クラップ!クラップ!とか、いわゆるアフロ・フューチャリズムを追求している人たちがけっこう多かったので。でもぼく自身はそういうコンテンポラリーな人たちに触発されたというよりは、当時は〈Soundway〉や〈Analog Africa〉といったレーベルがさかんにリイシューを出していたときで、リイシューもののクオリティも高かった時期だったと思います。どちらかというとそういうものに傾倒していたんです。

〈Soundway〉のような発掘文化を身近に感じるのはイギリスにいるからこそじゃないですか?

吉田:それはそのとおりですね。ロンドンにいなかったら目を向ける機会があったかどうかはけっこうあやしいですね。

たとえば、サンプラーを使ってライヴ・パフォーマンスを売りにしていた『Chapters』までが第1期アンカーソングとすると、アフロをコンセプトにしたセカンド・アルバム『Ceremonial』からアンカーソングはあたらしい道に進んだという風に思って良いですか?

吉田:そうですね。音楽のスタイルという点では方向転換と解釈できると思いますが、マインドセット自体は実はあんまり変わっていないんですよね。たとえば、いまもライヴのやり方を変えていないんですよ。いまでもMPCとキーボードだけでライヴをやるというスタイルは変えていなくて、それをある意味自分のなかの芯の部分にしようかなと思っているんです。制作はもちろんコンピュータを使ってやっているんですけど、MPCとキーボードでやるという時点でかなり制限があるので完全に再現はできないまでも、ある程度アレンジすることでこのスタイルでライヴができるようになる、それが自分が保持するべき指標みたいに考えています。なので、もちろんぼくがアフリカの音楽を聴くことで、音楽的なスタイルというか方向性を広げたり、変えたりはしてはいくんですけど、根本にあるものは変わっていない。一聴した感じだとタッチは変わっているんですけど、たとえば曲の構成の仕方とか、展開の仕方とかそういうものは『Chapters』の頃から一番新しいものも含めて、そんなにがらりとは変わっていないですね。

そうだね。アンカーソングの特徴というか個性は、叙情性だと思っていて。今回の新作の8曲目、9曲目みたいな雄大さというか。何か叙情性というものがすごく滲み出てしまっている。今回インドのパーカッション、リズムを取り入れたという作品もやはり『Ceremonial』との連続性をぼくは感じます。

吉田:そう言ってもらえるとすごく嬉しいですね。

わりとアフロとかグローバル・ビートみたいなものを取り入れるときって、思いっきりそっち側の、アフリカだったらいかにもアフロというわかりやすい方向に行ってしまいがちなんだけど、アンカーソングの場合はそっち側にいかない。今回の作品もそうで、インドといったときに旋律がインド音階になりがちなんだけど、しかし我々がよく抱くようなインドではないんですよね。

吉田:それは実際にすごく意識したところです。

そこがおもしろいし、アンカーソングの音楽になっていると思う。

吉田:ありがとうございます。

前作の『Ceremonial』で自分がやったアプローチに手応えを感じて、今回もまた同じアプローチとして、アフロではなくインドのリズムを取り入れたと解釈しても大丈夫ですか?

吉田:少なくともガラッと方向性を変えようとは考えたことはまずなくて、前作を作ったうえで新たに生まれたぼくの音楽的関心を、単純に掘り下げた結果生まれてきたというニュアンスなんです。前のアルバムを作ったときにアフリカ音楽をたくさん聴き、パーカッションに対する興味がより深まりました。それからいろいろな国の、ぼくがまだあまりなじみのないようなパーカッションをいろいろ調べはじめたんですよ。パーカッションについて調べるとタブラとかドーラクとかそういうインドの打楽器など、必ずインドの音楽にいきあたるので。野田さんがおっしゃったようにインドの音楽と言ったらシタールの響きとか、インドの音階とかそういうものにまず気が行くと思うんですけど、ぼくはもともと身体を揺らせるような音楽が好きということもあって、パーカッションの響きに反応するんですよ。

それは徹しているんだね。

吉田:そうですね。インドの音楽に対してそういう方向から入って行って、けっきょくおもしろいと感じた部分を自分なりに発展させていった結果できたアルバムということなのかなと思います。

ちなみにいまでもクラブに遊びに行ったりするの?

吉田:そうですね、オールナイトのパーティに行くことは減りましたけど。小箱に行くことが多いんですが、とくにライヴアクトとかもでないDJが3、4人集まって好きな音楽をずっとかけているようなパーティに行くことはよくあります。

そういう場所からはインスピレーションを得ますか?

吉田:どうでしょう。ぼくが実際に行くようなパーティもひと晩中ハウスやテクノをかけているようなものではなくて、わりと早い時間からはじまるパーティだったりすることもあってか、緩い音楽がたくさんかかるようなパーティが多いんですよ。そのなかには、ぼくが好きな(インドの)ボリウッド映画の音楽をかける人も少なくないし。そういうところからおもしろい音楽を聴いて、Shazamで調べたりします。そういうところに足を運んでいるということ自体は、直接的にではなくても糧になっているとは思います。

好きなDJはいるんですか?

吉田:好きなDJ。うーん……。実際にその人のイベントにしょっちゅういっているわけではないんですけど、ソリスチャン(Thristian)は好きですね。ボイラールームをはじめた人なんですけど。もうレギュラーではやっていないみたいなんですけど、彼がNTSでやってた番組はよくチェックしていました。あとはフローティング・ポインツのNTSはいつも聴いています。あの人のセンスは随一だと思いますね。あとこの前、フォーテットのイべントにも行きました。

なんだかんだ言いながら行っているんだね。

吉田:いまでもエレクトロニックなものに限らず、現場に遊びに行くのが好きです。

いぜん吉田君は簡潔にダンス・ミュージックというものはアガりたい、気持ちがアガるものを求めているんだというふうに言っていたんですけど、自分の制作においてアガることというのはいまでもいちばん重視しているんですか?

吉田:自分が作っている音楽は決してフロア向きではないということは自覚しているんです。

しかしハウスのテンポじゃないですか。

吉田:今作でいうとキックがガツガツ入っている曲はわりと少ないんですよ。ベースが無い曲も多いし。そういう意味でクラブのダンスフロアでかかるようなものを必ずしも意識しているというわけではないんですよ。ただ、ぼくが好きなダンス・ミュージックは必ずしもそういうダンス・ミュージックではなくて、ゆったり身体を揺らせるような音楽がいちばん好きなんですよね。それは必ずしもガッツリお客さんをアゲようというものではなくても全然かまわなくて。家でも楽しめるし、自然と頭がうなずくようなものが自然にうまれるような。そういうものが好きなのはたしかです。ハウスっぽいテンポが多いというのも、歩くペースに近かったりするじゃないですか。

ある意味ではいちばん気持ち良いテンポだもんね。

吉田:そうですね。それはきっとそこから自然に反応して、そういうテンポになっているんだと思いますね。

アンカーソングの音楽は家でも聴けるし、フロアでも聴けるというところがすごく良いと思います。前作はアフリカだったのに対して、今作はインドのリズム。それ以外の部分で今回の新作に込めた新しいコンセプト、新規軸はありますか?

吉田:最初からものすごく意識して取り込んだわけではないんですけど、エレクトロニックな要素、具体的に言うと音なんですけど、そういうものを意図的により減らしたかなと思います。前のアルバムだと、たとえば1曲目にかなりエレクトロニックな曲が入っていたんですけど、今回の作品ではそれこそシンセのサウンドとかそういうものはできるだけ排除しています。ギターとかベースとか、ぼくが昔から馴染みのある楽器を重心に構成をしているんです。

ギターは自分で弾いているの?

吉田:そうです。今回楽器は全部自分で弾いています。エレクトロニックから離れようとしたとかそういうわけではないんですけど。ぼくが自分で音楽を作るときは、単体の各パートをひとつずつ作っていくんですけど、アンサンブルを組む上でいろいろな音を重ねていったときに生楽器がいちばん複雑で、リッチなハーモニーを生みだすと思うんですよね。もちろん大胆なエレクトロニクスをドンと入れてそれにフォーカスするのも良いんですけど、やっぱりギターとかベースとか一般的な楽器ってアンサンブルのなかですごく溶け込むので。インパクトのある音色ひとつをポンと出すよりも、いろんな音を重ねてアンサンブルを組み立てるというのがぼくなりのサウンドデザインの美学というか。シンセサイザーのオシレーターとかそういうものを使って音を組むのももちろんサウンドデザインではありますけれど、ぼくはむしろ生楽器の音やフレーズの組み合わせで勝負したい。そういうことがぼくがやりたいことなんですよね。それは今回、前のアルバムよりも意識したことだと思います。

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いろいろなところでおもしろいパーティはやっているけど、誰もが熱中しているようなものがないんです。もしぼくが間接的に影響を受けたものがあるとしたら、そういう状況そのものなのかなと思いますね。何でもできるし、どこにでも行ける状態でもある、フラット、ニュートラルな状態というか。

前のアルバム『Ceremonial』はすごくUKで評価されて、BBCラジオの6MUSICでも年間第5位に選ばれて、それなりに成功した作品だと思います。それで開けてきた活動というのがあると思うんですが、どうでしょうか?

吉田:やっぱり呼ばれるイベントがまず変わりましたね。実際『Chapters』を出したときはイギリスでは1枚目のアルバムだったということもあって、とくに呼ばれるイベントに脈絡がなかったんです。

『Chapters』は、プラッドみたいなエレクトロニカ的なところにも引っかかるし、あるいはボノボみたいなダウンテンポの人とも繋がるし。幅広いんだけど、逆に言うと掴みづらいところもあるよね。

吉田:それが必ずしも悪いことではないのかもしれないですけど、少なくとも呼ばれるイベントを見る限りあんまり脈絡がない。呼ばれて誰かのサポートをやることもあれば、すごくエレクトロニックなものもあればそうでないものもあったりとか。とにかくはたから見て自分の立ち位置があまり決まっていない感じがすごくあったと思います。前の作品を出してからは、よりダンス・ミュージックに特化したイベントに呼ばれることが多くなったということと、ワールド・ミュージックのフェスから呼ばれることも多くなりましたね。そういう意味ではオーディエンスが広がったのかなとは思いますね。

今回の作品もこのセカンドで得た手応えをちゃんと活かしつつ、それをさらにディベロップしようみたいな。

吉田:その考えがなかったということはないと思います。前のアルバムで多少ファンベースは広がったと思うんですけど、とはいえあれがイギリスではまだ2枚目のアルバムだったし、せっかく広がりはじめているので、前の作品で興味をもってくれた人が今回もいいなと思ってくれるような作品にしたいというのはやっぱりあったと思いますね。

イギリスのアンダーグラウンドなクラブ・ミュージックは、すごく他の文化、違う文化を取り入れるのがうまいですよね。たとえば最近で言えば南アフリカのゴムであるとか。

吉田:そうですね、そうだと思います。

そういう環境だからこそ発想できたところもあるんじゃないですか?

吉田:具体的なものというとパッと思い浮かばないですね。以前野田さんの取材のときもこういう話をしたと思うんですけど、イギリス、ロンドンを含めて過去5年くらい誰もが夢中になれるようなジャンルやスタイルみたいなものがあまりない状態が続いていると思うんです。

細分化されていてね。

吉田:それこそ、7、8年前にジェイムス・ブレイクが出てきたころなんかは、誰もがポスト・ダブステップというジャンルに注目していたと思うんですよ。好きじゃない人でさえ気にはなっているというくらい。ただ、ここ5年、6年くらいロンドンを含めてそういうものがない状態がずっと続いているとは思うんですよね。もちろんそれでもいろいろなところでおもしろいパーティはやっているけど、誰もが熱中しているようなものがないんです。もしぼくが間接的に影響を受けたものがあるとしたら、そういう状況そのものなのかなと思いますね。何でもできるし、どこにでも行ける状態でもある、フラット、ニュートラルな状態というか。そういう空気感を無意識のうちに反映している可能性はあるかなと思いますね。

音楽自体は盛り上がっているの?

吉田:ぼくはまだまだロンドンの音楽シーンは全然おもしろいと思っているし、それが急速に衰えているんだというようには、少なくともぼくは感じていないです。

たとえば食品まつりa.k.a foodmanとか、日本の土着性を洗練させたものがインターナショナルに評価されているじゃないですか。昔の三島由紀夫的なわかりやすいエキゾチズムではなくて、新しいセンスが国際舞台で受けていると思うんです。アンカーソングとしては、「日本を使う」と言ったら変だけど、「日本」を出そうという気持ちはないですか? たとえば、イギリスの音楽シーンも細分化されてニーズが多様化している状態がある。そのなかでやっぱり日本ぽいものというか、たとえばPCミュージックみたいなJ-POP的なものを取り入れているものだってイギリスにはあったりする。パフュームが好きな連中とか。そういうふうにある意味では大きな勢力が無い代わりに、いろいろなものがフラットに並べられているなかのひとつとして日本的なものがありますよね。

吉田:ぼく自身日本のシーンをはたから見ている状況になっちゃっているわけですけど、PCミュージックみたいなものを海外の人がおもしろいなと感じる理由がわかるんですよ。食品まつりさんの音とかは方向性が違いますけど、海外からみた日本人のオタク感、自分の世界観をとことん掘り下げているという意味でそういうものが海外の人に受ける感覚はすごくわかるんですよね。でも、それこそPCミュージックみたいな音とかってぼくにはある意味うまく距離感が取りづらい。イギリスのレーベルから出ている音ですし、日本の音楽とリンクしたものなんですけど、それがまるっきり自分にとって異質なものでもないかわりに、かといってぼくが昔から慣れ親しんだような音楽とも全然異なるので、うまくそれを自分のスタイルに落とし込むものとしてはあまり響いてこないということはあるかもしれないです。

エキゾチシズムというのは外国で暮らす異邦人にとって、ひとつの武器にもなると思うんだけど、それを求められることはない?

吉田:たまに言われますね。

DJクラッシュみたいな人だってそこを使っていたと思うんだよね。アンカーソングはそれを使わないよね。それをなぜかアフリカとかインドとかさ。

吉田:とくに今回その作品を作って、前の作品がアフリカの音楽に影響されて、今回はインドの音楽に影響されたというと、次はきっと日本だねと言われますね。

ハハハ(笑)。言われるでしょ。だってヴェイパーウェイブみたいに、グーグル翻訳で日本語翻訳したものが流行ったりとか、そういうご時世だからね。

吉田:日本のいかにも和の感じを思わされる尺八だとか、笙だとか太鼓だとかそういうふうなものを大々的にフィーチャーした作品はまだ作っていないわけですけど、なぜいまのところ選んでいないかと言うと、もしかしたらぼくの作品が、自分が興味を持っている国の音楽を外からみているということとすごく関係しているからだと思うんですよ。たとえばぼくがインドの音楽を好きになってインドの作品を作りたかったら、思い切って現地に行って現地のミュージシャンたちとレコーディングをして作品を作るということもその気になればできちゃうわけですよね。でも、ぼくはそういうふうなやりかたで作る作品よりも、はたからそういうものを見ていることで自分なりの距離感を置いて、そこでうまれた距離感のなかで自分の個性みたいなかたちで作品を作りたいなと思っているんですよ。あくまで異文化を外から見たうえで、自分なりに解釈して作るというか。そういうようなやり方に興味をもっているので。

それはすごくわかるな。

吉田:そういう意味で日本はぼくにとっては近すぎるというか。さっき言っていた、それこそパフュームやPCミュージックが注目している音楽にしてもたぶん同じような捉え方だと思います。うまく距離感がつかめないという意味では。

たしかに分断と対立がすごく目立つ時代だから。とくにロンドンはそれがすごいし、ブレグジットに対する非難がずっと絶えない街なので。脱退派が多数だった結果こうなっちゃったわけですけど、ロンドンに住んでいるとその分断ぶりが手にとれるようにみえます。それを表したタイトルなのかと言われることはあります。

今回の作品の話に戻ると、『Cohesion』は融合という意味ですよね。このタイトルを付けた理由を教えてもらえますか?

吉田:今回の作品はとくにインドの打楽器の響きに触発されて作った作品なんですけど、インドの打楽器、タブラとかドーラクとかってアフリカのコンガとかボンゴとかそういうもうちょっと一般的なパーカッションに比べてすごくクセがあるんですよね。特徴のひとつとして音階を付けられる楽器が多くて。インドのヴィンテージのポップスを聴くと打楽器がとても使われていて、それらをサイケデリックなギターとかと組み合わせているんです。パーカッションのパターンなりリズムなりがメロディの一部として聴こえるような音楽がすごく多い。打楽器なのでリズムなんだけど、メロディの一部になっているみたいな。インドの打楽器の音を使うと決めた時点で、そこはぼくもすごく実践したいなと思ったんですよね。リズム、ビートなんだけど、ビートがメロディの一部でもある。逆もしかりで、メロディがあってベースとかギターを使うにしても、打楽器の響きとかパターンに寄り添ったリフとかを重ねて行くことで、メロディとリズムの境界線があいまいな感じになる。それがインド音楽の特性だと思っています。それを自分なりにエレクトロニックな手法でやってみたかったんですよね。『Cohesion』というタイトルは、そういうコンセプトをダイレクトに表しています。

2曲目の曲名が”Resistance”だったりとか、ちょっといままでのアンカーソングには無い言葉も曲名になっているんですけど、それは何か意味があるんですか?

吉田:曲のタイトルは深く考えずに決めちゃうことが多いんですけど、たとえば”Resistance”で言えば、一般的ではない要素を組み合わせているつもりではいるんですよね。あの曲のビートはドーラクというインドの打楽器、ドラムをベースにして作っているんですけど、そこにいかにも西洋のオーケストラ的なチャイムの響きをあわせてみたり、エレキギターのリフをいれてみたり。いろいろな相反しかねない要素をたくさん盛り込んでいるんですが、そういうもの組み合わせようとしたプロセスを言葉にしたというか。どの曲もそういうふうにしてタイトルがつけられていることが多いと思います。

ブレグジット以降のUKアジアに対する、ある意味ポリティカルな共感から作ったのかなという深読みは違います?

吉田:たまに言われますけどね。

言われるでしょ。

吉田:たしかに分断と対立がすごく目立つ時代だから。とくにロンドンはそれがすごいし、ブレグジットに対する非難がずっと絶えない街なので。脱退派が多数だった結果こうなっちゃったわけですけど、ロンドンに住んでいるとその分断ぶりが手にとれるようにみえます。それを表したタイトルなのかと言われることはあります。実際にそれを意識したわけではないんですけど、ただこういうご時世なので、音楽を作るうえで少しでも境界線の少ないものを作ってみたいということは、もしかしたら無意識のうちにちょっとあったかもしれないです。

最後の質問ですが、自分の音楽を言葉で何と形容しますか? たとえば、これはワールド・ミュージックではないと思うんだよね。ワールド・ミュージックのイベントに呼ばれていると言ったけど、いわゆるワールド・ミュージックではない。かといってハウスではない。自分の音楽をなんて呼びますか?

吉田:うーん……。

よくグローバル・ビートという言葉でイギリスのメディアなんかは言ったりするけど。新しいクラップ!クラップ!みたいなものとか。

吉田:必ずしもパッとひと言で伝わる言葉ではなくても良いとしたら、ぼくは日本人でイギリスに住んでいる外国人なわけですけど、外国人というかアウトサイダーであるがゆえの、外国人だからこそうまれてくる視点をベースにしたグローバルな音楽というか。しばらくロンドンに拠点を置いてはいますけど、マインドセットとしては放浪の身というか。

ボヘミアンというかね、ノマドというかね。

吉田:そうですね。ぼく自身ヒッピー的気質なところはあんまりないんですけど、マインドセットとしてはどこにもある意味根差さないことを意識しているというか。根無し草であるがゆえの音楽を作りたいと思うんです。

おもしろいね。

吉田:うまく短くまとめられないのがもどかしいですけど。

では、グローバル・ビーツと言われるのはどう?

吉田:実際そういうふうに形容されることもありますね。それは必ずしも的外れではないと思うので。

ぼくはすごく気持ち良いアルバムだなと思いました。初期のころはもっと詰め込んだ音楽をやっていたと思うんだけど、いまは引き算の音楽になっていますよね。

吉田:実際に考え方自体はそういう方向に変わったと思いますね。

ぼくはこれを自分のiPhoneに入れて通勤中電車のなかで聴いていますけどね。気持ちよくて立ったままでも眠くなりますよ。

吉田:本当ですか。それだけでも十分嬉しいです。ぼく自身あまり時と場所を選ばないというか。そういう音楽ってひとつの理想ではあるんですよね。どういうムードで聴いてもすんなりはまってくれるというか。

やっぱりリズムがあるというのは良いよね。

吉田:いまこっちでは特定の、誰もが夢中になっている分野がないということを言いましたけど、そのなかでいろいろなものが出ていて、ひとつアンビエントぽいものってちょっとした流行りくらいになっていると思います。

それはもう終わったんじゃないの? 前から?

吉田:たしかにいちばん熱かった時期は過ぎているかもしれないですけど、やっぱりまだそれっぽいものが出てきていると思うんですよ。ぼく自身もそういうものを聴くのは好きなんですけど、作るうえでは自然と身体が動くようなものを作りたくなるんですよね。

(了)

収穫の秋にジャー・シャカ祭り - ele-king

 UKサウンドシステム文化の生きる伝説、ブラック・アトランティックそのもの、ベース・カルチャーの体現者、生きているうちにいちどは体験したいジャー・シャカが今年もやって来ます。南は奄美大島から北は札幌まで、全国6箇所をツアー。毎度お決まりの科白を繰り返そう。ぜひ、体験して欲しい!!!

■JAH SHAKA Japan Tour 2018

—The Music Message!!!—
 激動する2018年!  今年も日本にJAH SHAKA降臨。年に一度のシャカ祭り開催!
 JAH SHAKAの半世紀に渡る伝道的な活動により、世界各地にサウンドシステム・カルチャーが伝播し、レゲエ/ルーツミュージックの発展に貢献してきた。
 ポジティヴなメッセージとスピリチュアルなダブサウンドの真髄を伝え続けている。
 奇跡の初来日から21年、 シャカのライヴ体験は日本でもジャンルの壁を乗り越えて支持を拡張し続けている。
 今年は東京、福岡、名古屋、大阪に加え、熱烈なアプローチを受け奄美大島に初上陸、そして17年振りとなる札幌プレシャスホールの6都市をツアーする。

【JAH SHAKA Japan Tour 2018】

▼11.16(金)奄美大島@ASIVI
SubVibes 5th Anniversary“JAH SHAKA in AMAMI”
OPEN 20:00 / START 21:00
 adv.3,500 yen (1Drink Order) / door.4,000 yen (1Drink Order)
TICKET
INFO : ASIVI (0997-53-2223)
https://www.a-mp.co.jp/index.html

▼11.18(日)福岡 @Stand-Bop
 RED I SOUND PRESENTS “JAH GUIDANCE IN FUKUOKA”
 OPEN / START 22:00~
 3,000yen +1Drink Order
 
▼11.22(木)札幌@Precious Hall
exrail×JAH SHAKA JAPAN TOUR support MAWASHI RECORD
 OPEN / START 23:00~
Special adv.3,500yen adv.4,000yen w/f 4,500yen door.5,000yen

▼11.23(金)東京@UNIT
JAH SHAKA DUB SOUND SYSTEM SESSIONS
 OPEN / START 23:30~
 adv.3,300yen door 3,800yen
TICKET
PIA (0570-02-9999/P-code: 130-029)、LAWSON (L-code: 70793)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
RA

▼11.24(土)名古屋@JB'S
JAH SHAKA JAPAN TOUR 2018
 OPEN / START 22:00~
 adv.3,800yen
TICKET:https://l-tike.com/

▼11.25(日)大阪@Creative Center OSAKA
JAH SHAKA OPEN TO LAST
 OPEN 15:00 / START 16:00 Close 21:00
 adv.3,000yen door.3500yen *共に別途1ドリンク代金600円必要
TICKET
ローソンチケット : Lコード 56812
チケットぴあ : Pコード 132316
イープラス
PeaTiXチケット

Total Info : JAH-SHAKA-JAPAN

★JAH SHAKA
 ジャマイカに生まれ、8才で両親とUKに移住。'60年代後半、ラスタファリのスピリチュアルとマーチン・ルーサー・キング、アンジェラ・ディヴィス等、米国の公民権運動のコンシャスに影響を受け、サウンド・システムを開始、各地を巡回する。ズールー王、シャカの名を冠し独自のサウンド・システムを創造、'70年代後半にはCOXSON、FATMANと共にUKの3大サウンド・システムとなる。'80年に自己のジャー・シャカ・レーベルを設立以来『COMMANDMENTS OF DUB』シリーズを始め、数多くのダブ/ルーツ・レゲエ作品を発表、超越的なスタジオ・ワークを継続する。
 30年以上の歴史に培われた独自のサウンドシステムは、大音響で胸を直撃する重低音と聴覚を刺激する高音、更にはサイレンやシンドラムを駆使した音の洪水 !! スピリチュアルな儀式とでも呼ぶべきジャー・シャカ・サウンドシステムは生きる伝説となり、あらゆる音楽ファンからワールドワイドに、熱狂的支持を集めている。heavyweight、dubwise、 steppersなシャカ・サウンドのソースはエクスクルーシヴなダブ・プレート。セレクター/DJ/MC等、サウンド・システムが分業化する中、シャカはオールマイティーに、ひたすら孤高を貫いている。まさに"A WAY OF LIFE "!

Jah Shaka 参考映像:
Jah Shaka - Deliverance & Kingdom Dub (Dub Siren Dance Style)
https://www.youtube.com/watch?v=iKJkblJIaVA

Jah Shaka japan LIVE
https://www.youtube.com/watch?v=CEikFjOcklI

Jah Shaka (RBMA Tokyo 2014 Lecture)
https://www.youtube.com/watch?v=3QNWpnwWgc4

【東京公演】
11/23(金・祝日)代官山UNITでの東京公演は、都内でも有数のクオリティを誇るUNITのシステムに加え、Jah-Lightサウンドシステムを導入、オリジナルスピーカーと楽曲を武器に活動するJah-Lightはセレクターとしても参戦!パワーアップしたJah-Light Sound System+UNIT SOUND SYSTEMでジャー・シャカが理想とするフロアーが音に包まれる空間が創造される。
Roots Rock Reggae, Dubwise!
"LET JAH MUSIC PLAY"

King of Dub
JAH SHAKA
DUB SOUND SYSTEM SESSIONS
- An all night session thru the inspiration of H.I.M.HAILE SELASSIE I -

2018.11.23 (FRI) @ UNIT
feat. JAH SHAKA

Selector: Jah-Light

Jah-Light Sound System +UNIT Sound System

JAH SHAKA SHOP by DUBING!!
Food:ぽんいぺあん

open/start: 23:30 adv.3,300yen door 3,800yen
info.03.5459.8630 UNIT
https://www.unit-tokyo.com

ticket outlets:NOW ON SALE
PIA (0570-02-9999/P-code: 130-029)、LAWSON (L-code: 70793)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
RA

渋谷/Coco-isle (3770-1909)
代官山/UNIT (5459-8630)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、
新宿/Dub Store Record Mart (3364-5251)、ORANGE STREET (3365-2027)

……………………………………………………………
info.
▼UNIT
info. 03.5459.8630
UNIT >>> www.unit-tokyo.com
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO

※再入場不可/No re-entry
※20歳未満入場不可。要写真付身分証/Must be 20 or over with Photo ID to enter.
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★Jah-Light
2002年、自身のスピーカーシステム構築を決意。
そこから約2年半の製作期間を経て、2004年"Real Roots Sound"をテーマに
"Jah-Light Sound System"をスタート。都内を中心に各地にて活動中。
2007年、自身のレーベル"LIGHTNING STUDIO REC."を立ち上げ、
1st Singleとなる"Independent Steppers (12")"をリリース。
2012年、新レーベル"DUB RECORDS"からリリースされた1st 10"singleでは、
A.Mighty Massa / Warriors March、B.Jah-Light / Diffusion "といった
コンビネーションプレスで純国産ルーツを世界に向けて発信。
2014年7月、10周年を迎えるにあたりサウンドシステムの増築と共に、
ニューシングル"Jah-Light / The Wisdom 12" (JL-02)"をリリース。
2015年、"DUB RECORDS"からの2nd 12"single "Indica Stepper(DR-002)"をリリース。
サウンド活動も14年目に突入し、オリジナルスピーカーと楽曲を武器に
"絶対に現場でしか体感できない空間"を目標にさらなる新境地に向けて進行中!

twitter:@jahlightss
FB:@jahlight.s.s
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▼Total info.
https://www.facebook.com/JAH-SHAKA-JAPAN-116346262420022/


Bliss Signal - ele-king

 今、音楽の先端はどこにあるのか。むろん、その問いには明確な答えはない。さまざまな聴き手の、それぞれの聴き方よって、「先端」の意味合いは異なるものだろうし、そもそも音楽じたいも現代では多様化を極めており、ひとつふたつの価値観ですべてを語ることができる時代でもない。
 だが、少なくともこれは「新しいのでは」と思えるという音楽形式がごく稀に同時代に存在する(こともある)。たしかに、その場合の「新しさ」とは、「歴史の終わり」以降特有の形式の組み合わせかもしれないし、音響の新奇性かもしれないが、ともあれ今というこの情報過多の時代において音楽を聴くことで得られる「新鮮な感覚」を多少なりとも感じられるのであれば、それは僥倖であり、得難い経験ではないかとも思う。
 聴覚と感覚が拡張したかのようなエクスペリエンスとの遭遇。例えば90年代から00年代初頭であれば、池田亮司、アルヴァ・ノト、フェネス、ピタなどの電子音響のグリッチ・ノイズから得た聴覚拡張感覚を思い出してしまうし、10年代であれば、アンディ・ストットやデムダイク・ステアによるインダストリアル/テクノのダークさに浸ってしまうかもしれないし、近年では今や大人気のワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの新作や音楽マニア騒然のイヴ・トゥモアの新作が、われわれの未知の知覚を刺激してくれもした。
 ここで問い直そう。ではワンオートリックス・ポイント・ネヴァーらの新譜においては何が「新しい」のか。私見を一言で言わせて頂ければ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーもイヴ・トゥモアもノイズと音楽の融解と融合がそれぞれの方法で実践されている点が「新しい」のだ。ノイズによって音楽(の遺伝子?)を蘇生し、再生成すること。彼らのノイズは、旧来的な破壊のノイズではなく、変貌の音楽/ノイズなのである。そう、今現在、音楽とノイズは相反する存在ではない。
 その意味で、2018年においてインダストリアル/テクノとメタルが交錯することも必然であった。むろん過去にも似たような音楽はあったが、重要なことはインダストリアル/テクノ、ダブステップ、グライムの継承・発展として、「インダストリアル・ブラック・メタル」が浮上・表出してきたという点が重要なのである。ジャンルとシーンがある必然性をもって結びつくこと。それはとてもスリリングだ。

 ここでアイルランドのブラック・メタル・バンド、アルター・オブ・プレイグスのリーダーのジェイムス・ケリーと、UKインスト・グライムのプロデューサーのマムダンスによるインダストリアル・ブラック・メタル・ユニットのブリス・シグナルのファースト・アルバム『Bliss Signal』を召喚してみたい。彼らのサウンドもまた音楽の「先端」を象徴する1作ではなかろうか。いや、そもそも「Drift EP」をリリースした時点で凄かったのが、本アルバムはその「衝撃」を律儀に継承している作品といえよう。
 アルバムは、闇夜の光のような硬質なアンビエント・ドローンである“Slow Scan”、“N16 Drift”、“Endless Rush”、“Ambi Drift”と激烈なインダストリアル・メタル・サウンドの“Bliss Signal”、“Surge”、“Floodlight”、“Tranq”が交互に収録される構成になっており、非常にドラマチックな作品となっている。ちなみにリリースはエクストリーム・メタル専門レーベルの〈Profound Lore Records〉というのも納得である。なぜなら同レーベルはプルリエントの『Rainbow Mirror』をリリースしているのだから。
 メタル・トラックもアンビエント・トラックもともに、ジェイムス・ケリーの WIFE を思わせるエレクトロニックなトラックに、マムダンスの緻密かつ大胆な電子音がそこかしこに展開されるなど、ブラック・メタリズムとウェイトレスなポスト・グライムが融合した音楽/音響に仕上がっており、なかなか新鮮である。もしもこのアルバムが2016年に世に出ていたらポスト・エンプティ・セットとして電子音楽の歴史はまた変わっていたかもしれないが、むろん「今」の時代にしか出てこない音でもあることに違いはない。

 ロゴスとの『FFS/BMT』などでも聴くことができた脱臼と律動を同時に感じさせる無重力なビートを組み上げたマムダンスが、すべての音が高速に融解するような激しいメタル・ビートの連打へと行き着いたことは実に象徴的な事態に思えるのだ。これは00年代後半にクリック&グリッチな電子音響が、ドローン/アンビエントへと溶け合うように変化した状況に似ている。そう、複雑なビートはいずれ融解する。ただその「融解のさま」が00年代のように「静謐さ」の方には向かわず、激しくも激烈なノイズの方に向かいつつある点が異なっている。エモ/エクストリームの時代なのである。
 いずれにせよブリス・シグナルのサウンドを聴くことは、この種のエレクトロニックな音楽の現在地点を考える上で重要に違いない。彼らの横に Goth-Trad、Diesuck、Masayuki Imanishi による Eartaker のファースト・アルバム『Harmonics』などを並べてみても良いだろうし、DJ NOBU がキュレーションした ENDON の新作アルバム『BOY MEETS GIRL』と同時に聴いてみても良いだろう。
 今、この時代、電子音楽たちは、メタリックなノイズを希求し、ハードコアな冷たい/激しい衝動を欲しているのではないか。繰り返そう。ノイズと音楽は相反するものではなくなった。そうではなく、音楽との境界線を融解するために、ただそれらは「ある」のだ。それはこの不透明な世界に蔓延する傲慢な曖昧さを許さない激烈な闘争宣言でもあり、咆哮でもある。「今」、この現在を貫く音=強靭・強烈なノイズ/音楽の蠢きここにある。

Sun Araw - ele-king

 去年このサイトで書いたように、やっぱり邦画は面白くなっているんじゃないかと思うんだけれど、あんまり変わらないかなと思うことに映画音楽がもうひとつピンと来ないということがある。吉田大八監督『羊の木』や濱口竜介監督『寝ても覚めても』は脚本も演出も演技もいいのに、どうにも音楽がマッチしているようには思えなくて作品への没入がどこか妨げられてしまった。今年の作品でいいと思ったのは瀬々敬久監督『友罪』ぐらいで、これは半野喜弘がラッシュを観た後に「音楽をつける必要はないんじゃないですか」と監督に告げたというエピソードがすべてを物語っているといえる。映像ソフトにはよく吹き替えヴァージョンや監督による解説の垂れ流しヴァージョンが選べるようになっているので、邦画に関しては音楽のアリ・ナシも選択機能に組み込んだらどうなのかなと思ってしまうというか。風景描写にポコッポコッとか音が入るやつとか、ほんといらねーよなーと思ってしまう。

 『Guarda in Alto』はミュージシャン名を伏せて聴かされたら、誰の作品か、たぶん、わからなかったと思う。イタリア映画のサウンドトラック盤としてリリースされたサン・アロウことキャメロン・スタローンズのソロ11作目。どの曲も圧倒的にシンプルで、ほとんど効果音に近い音楽が12曲収められている。イタリア映画は下火だし、日本ではほとんど公開されないので、どんな映画なのかさっぱりわからないままに聴くしかないけれど、これがひとつの世界観を明瞭に表現したアンビエント・アルバムになっていて、いろんなことで意味もなく心が揺れている夜などに聴いても、スッと心が落ち着いていく。メロディと呼べるようなものはほとんどなく、ベースのループやミニマルなパーカッション、あるいは弦楽器らしきもののコードをパラパラと押さえるか、ギターにリヴァーブだけにもかかわらず、しっかりとイメージを構築してしまう手腕はさすがとしか言いようがない。ジュークからベースやドラムを取り去ってもダンス・ミュージックとして成立させることができるかというテーマを追求し続けている食品まつりa.k.a foodmanがサン・アロウのレーベルから新作を重ねたことも必然だったのだなと納得してしまったというか。

 サン・アロウの作曲法はブライアン・イーノのそれとは何もかもが違っている。イーノのサウンドはよく湿地帯に例えられるけれど、単純にしっとりさせる効果があるのに対し、サン・アロウは圧倒的に乾いている。現代音楽を基盤としているかどうかも両者は異なるし、イーノが余韻で聴かせるのに対し、サン・アロウはリズムだけを骨格として取り出してくる。共通点があるとすれば、レゲエやダブへの関心、あるいは時代がニューエイジに埋没し切っている時に、それに染まっていないということだろう。これは大きい。サン・アロウはロサンゼルスというニューエイジの聖地にあって、しかもアンビエント表現を試みているにもかかわらず1ミリもニューエイジには接近せず、独自のヴィジョンを揺らがせることはない。こういうことは相当な意志の強さか音楽的信念がないと遂行できないのではないだろうか。もっと言えば2年前にはニューエイジの立役者ララージとジョイント・アルバム『プロフェッショナル・サンフロウ』をつくっているというのに……(同作はそれなりにダイナミックなプログレッシヴ・ロック風だった)。

 サン・アロウのこれまでの諸作もアンビエント・ミュージックとして聴くことはぜんぜん可能だった。しかし、『Guarda in Alto』はそれらとはやはり異なるアティチュードによってつくられたアルバムである。初めて聴いてから10年近くが経とうとしているのに、サン・アロウにまだ延びしろがあるとは驚きとしか言いようがない。ちなみにサン・アロウと食品まつりのコラボレーションはないのかな?

interview with TOYOMU - ele-king

 まいったね、トヨムは罪深いまでに楽天的だ。荒んでいくこの世界で、シリアスな作品がうまくいかない自分に葛藤していたようでもあった。しかし、人生を「面白がる」ことはとうぜん必要なこと。いや、むしろ面白がる、楽しむことが土台にあるべきだろう。ストゥージズだって「no fun(面白くねえ)」といって面白がったわけだし、泣くのはそのあとだ。
 トヨムの名が知れたのは、2016年のカニエ・ウェストの一種のパロディ作品によってだった。『ザ・ライフ・オブ・パブロ』をおのれの妄想で作り上げたその作品『印象III:なんとなく、パブロ』がbandcampでリリースされると、欧米の複数の有力メディアから大きなリアクションが起きた。それまで知るひとぞ知る存在だったトヨムは、一夜にして有名人になった。
 それから彼は、日本のトラフィック・レーベルからミニ・アルバム「ZEKKEI」を出したが、それはパロディ作品ではなく、牧歌的なエレクトロニック・ミュージックだった。そんな経緯もあって、いったいトヨムのアルバムはどうなるのかと思っていたら、ユーモアとエレクトロ・ポップの作品になった。〈ミュート〉レーベルの創始者、ダニエル・ミラーの初期作品を彷彿させる茶目っ気、LAビートの巨匠デイダラスゆずりのエレガンス、それらに加えてレイハラカミを彷彿させる叙情性も残しながらの、チャーミングなアルバムだ。“MABOROSHI”という曲は、トーフビーツの新作に収録された“NEWTOWN”、あるいはパソコン音楽クラブの“OLDNEWTOWN”なんかと並んで、2018年の日本のエレクトロ・ポップにおいてベストな楽曲のひとつだと思う。
 取材は、10月上旬、広尾のカフェでおこなわれた。通りに面したオープンエアのテーブルには、心地良い秋風が入って来る。この時期の黄昏時は、あっという間に夜を迎えるわけだが、江戸川乱歩が幻視した都会の宵のなかに紛れる怪しいものたちの気配を感じながら、インタヴューは、ゆるふわギャングからサンダーキャットまで、節奏のない彼の好きな音楽の話からはじまって、気が付いたらお互いビールを数杯飲んでいた。

https://smarturl.it/toyomu

だんだんアートといってやっても自分自身がそこまで楽しくないなと思いはじめて。それだったらもうちょっと単純に明るくやろうと思いはじめました。だから自分としてはこのアルバムは明るいアルバムだなと思っています。

今回のデビュー・アルバム『TOYOMU』は、自分ではどんなアルバムだと思いますか?

TOYOMU(以下T):ジャケに表れているように、自分ではすごくカラフルな作品になったと思っています。1曲1曲の単位が集まって、アルバムとして。ぱっと見がそういう感じではあるんですけど、いままで自分自身が、ビートと呼ばれるものをやろうと思ってやっていた時期とか、ラッパーに提供しようと思ってやっていたとか、もしくは”MABOROSHI”みたいにシングルを作ろうという感じで、作り方に対する考え方自体がだいぶシンプルな方向に、シンプルって言ったらおかしいな……、自分の感情として分かりやすい方にだんだん近づいていった。アルバムとしてできあがってみるとあんまり複雑なことや、自分ができないことはもうできないなということを割り切ってやったということもちょっとある。

食品まつりさんのコメントとぼくのコメントは言葉は違うけど、だいたい同じような内容で、同じような印象を持ったのかなと思いました。ドリーミーで、ほっこりなアルバム。そう思われていることを自分ではどう思いますか?

T:人から見たときにドリーミーということは、きっとファンシーさが最後まで残り続けたんだろうなと思います。たぶん現実とひたすら向き合い続けたら、あのようなアルバムにはなっていなかったと思うんですよね。音楽という世界だけに関して言ったら、自分の世界のなかで考えて作ったので、その部分が要素として強いかな。それがたぶんドリーミーと言われる原因ではないかなと少し思います。

自分自身ではそう思わない?

T:ぼくはみんなにわかりやすいように、お祭りみたいな感じ、カーニヴァルちっくな感じだと思っているんですよ。いや、サーカスとかそういうものも近いかな。渋い曲や、かっこいい曲がいちばんベストだと思って作っていたときと、どれだけ人と違うことをやるかみたいな部分で魅せようと思ってやっていたときがあって。人から見たときにそういうわけのわからないものって結構不気味にうつるとぼくは思うんですね。まったくわけのわからないものとか、あとは真剣に物事をやっている人とか。そういうのに対してはお客さんからすると、まじめな演劇を見ている感じ。大衆とか民衆の人たちが楽しみにきているというよりかは、高尚なものを見ている感じで接するような。

アートを見ているような?

T:アートを見ているような、そっちの方を自分はかっこいいと思ってやりたいという感じでいままでは動いていたんですけど、だんだんアートといってやっても自分自身がそこまで楽しくないなと思いはじめて。それだったらもうちょっと単純に明るくやろうと思いはじめました。だから自分としてはこのアルバムは明るいアルバムだなと思っています。たぶんJ-POPとかになってくると思うんですけど、ただひたすら明るいということは、全く屈託がないというか。サーカスとかもそうですけど、ピエロとか大道芸の人とかも一応は明るくはふるまっているじゃないですか。でも、ずっとツアーじゃないですけど、各地を転々としてまわっているから疲れも出てくるし、ずっと笑顔ではいられないと思うんですね。でも、みんなに対して明るい顔をしようという気持ちで動けばある程度はみんながわーって拍手もしてくれるだろうし。いちばん近いのはサーカスのイメージという感じなんですよね。

サーカスには影というものもあるんだけど、影や暗闇をこのアルバムには感じないです(笑)。

T:きっとぼく自身がサーカスに対してそう思っていないからということが大きいと思います。あとは、このアルバムを作るにあたって、何回か曲自体を捨てたりとかしたんですよ。作っては捨てみたいなことが繰り返しあって。だから自分のなかでは、もう作るのが嫌だなと思うくらいにまでたまになったりして。

どういう自分のなかの葛藤があったの?

T:『ZEKKEI』を出した2年くらい前に遡るんですけど、それくらいからアルバムをいちおう作りだしてはいたんですよ。

2年かかったんだね。

T:じっくりやっていてもそのときはアートみたいなものが頭のなかにあったので、人と違うかっこいいものを作るんだみたいな感じがすごく大きかったんですよね。

そのときのかっこいいアートな音楽ってエレクトロニック・ミュージックで言うとたとえば何? OPNみたいな?

T:OPNとかアルカとかもそのときはよく聴いていた。あとは坂本教授の『async』。こういうのがかっこいいなみたいな感じで。いったら全部影があるじゃないですか。でも自分としてはそういうのもやるんですけど、そういうやり方でやっても、人に伝わるまでにならないんですよね。

あるいはそれをやると、自分自身が自分に対してオネストになれていない?

T:オネストになれていないということと、それに偽っているみたいな感じも若干はあった。かっこいいだろというものを思い込みでやったけど、結果的に作り出したものを周りの人に聴かせても、とくにそれに対して何かコメントがあるということがまったくなかったんですよ。ということは、自分ではかっこいいと思って作っているけど、相手に伝わっていないみたいなことが出てきた。そこの伝わらなさみたいなものがすごく自分ではもどかしいというか、イライラするというか。自分ではかっこいいと思っているのに。そういうことが作りはじめてから長いこと続いたんですよ。

じゃあ1枚分のアルバム以上の曲を作っては捨て、作っては捨て。

T:最近もボツ曲をもういちど聞いてみてた んですけど、ものすごい量があって。ちょっと工夫したら別の要素に使えるみたいなものがいっぱいまだあるんですけど。その状態自体が自分自体を陰鬱な気持ちにさせるというか。作れば作るほど、より悪くなっていくなみたいな。

ぼくはOPNやアルカみたいな人たちを評価しているんだけど、これだけ音楽がタダ聴きされて、飲み放題みたいな世界になっていったときに、逆に飲み放題だと酔えないということだってありうるわけだよね。

T:ハードルが下がったのに別に聴く人が増えていないということ?

そういう意味で言うと、トヨム君はもともと曲を無料ダウンロードで出していたわけじゃない? しかし、これはこれで作品として作りたいと思ったわけでしょ?

T:もちろん。ただ、自分の能力との差がどうしてもある。きっと誰だってそういうことはあると思うんです。自分はこうしたいけど、いくら気持ちを入れ替えようと思ってもできないとか。そのときは簡単な話、ちょっと切り替えて、自分はそれができないからできることをやろうみたいな感じでシフトすればすぐに道を切り替えられたと思うんです。いまになって思えば、自分とその周りの状況に甘えていたという感じがあるんですよ。自分にウソをついていたというか。

OPNやアルカみたいな人はすごくシリアスじゃない? そのシリアスさを捨てたなという感じはするんだよね。

T:シリアスになりたかったけど、それをやろうと思ってもまったくできなかったんですよね。そんなフリをするということ自体がいまになって思えば間違っていた。自分に合っていなかった。そういうところのレベルで全然コントロールしきれていなかったというのが自分のなかであるんですよ。

それでこういうジャケットにしたんだろうけど、何かきっかけがあったの?

T:結局いくらやってもできないということになったときに、音楽を辞めるかどうかくらいまで考えていたんですよ。別に音楽を作ることに辞めるとかないけど。あとはいろいろな人と会ったりして。自分はいまでも実家暮らしなんですけど、実家暮らしをしている人でもちゃんとやっている人はもちろんいますが、その生活レベルからして見直した方がいいんじゃないかと思って(笑)。京都でやっていたらどうしても周りがめちゃくちゃ競い合っているという状況では正直ないと思うんですよ。

ゆるい?

T:もちろん京都でもしっかりやっている人はいるけど、自分と同じトラックメイカーやビートを作っている人で競い合っているような状況は東京のようにはない。京都は超田舎ではないけど、超都会でもないから。

独特なところだからね。

T:居たら心地良いんですよね。自然もあるし、川もあるし。そこに居たら、自分では俺は他人とは違うんだと思っていても、どうしてもあらがえないだろうなというのは意識しないと。そこに気付いたのが一番大きかったですね。地方都市に住んでいてめちゃくちゃ頑張っている人もいっぱいいるし。

自分が地方都市でやっているんだという意識はこの作品にはすごくあるの?

T:その反面インターネットがあるから、意識さえ、やる気さえチェンジできたら関係ないんだろうなというのは思うんですけど、そう口では言ってもできない方が絶対に多い。なんでこういうアルバムになったかというときも、実感として自分の人生がそう思ってきたということがけっこうある。

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全部楽しかったらいいじゃんとは思わないですけど、全員がシリアスにならなくてもいいんじゃないかなと思いますね。という発言が出るくらいぼくは楽天的。だから、トーフくんがああいうものを作れるのは本当にすごいと思う。ぼくは自分ではまったく。

この作品を作っていくときに、自分のなかで励みになった作品はある?

T:単純にぼくは〈ブレインフィーダー〉が好きだから、その流れでサンダーキャットも聴いていたんですけど、あの人の突き抜け方とかがいちばん。実際去年メトロでも観たんですけど。

へー、どんなところが?

T:あれだけベースがうまかったら、俺さまベースうまいだろみたいな感じになると思うのに、めちゃくちゃアホなジャケにしたりとか、人に対して優しいんですよね。食品さんとかもみていて思うんですけど、この人良い人だなって思う作品のほうが。2年くらい前まで小難しいことが好きだったけど、そういうアルバムを作るうえでプチ挫折みたいなものがあったから。実際そういうものをシンプルに聴いたら心が豊かになるし、ポップだし。門戸が広いというか風通しが良いというか。尚且つそういうこともやっていたからということもあるんですけど、最近アリアナ・グランデがカヴァーしたりとか、サンダーキャットのプロデュースの曲とか、ファレルのアルバムに入っているみたいなああいういわゆるメインストリームにもちゃんと出て行けるような感じにまで昇華できるんだなと思った。

音楽性は全然違うけど、サンダーキャットはでかかったんだ。

T:前から好きだったから、その流れで聴いていました。あの人も友人の死みたいなものがあって、『Drunk』より一個前は結構シリアスな感じがあったんですけど、今回はアルバムを通じて全部突き抜けているなという感じがしましたね。ジャケからしてもそうですけど。まあ、それだけじゃないですけど、ポップな作品の方が聴いていたかもしれないですよね。むしろ。

ぼくはもっとポップになるかなと思っていたんだけど。ラップしたりとか。わりとおさえているなと思った。なんでそこまではいかなかったの?

T:2年の制作期間に発した、良い部分が全て集約されているのが今回のアルバムです。なのでそこに対しての体力温存は全くありませんよ。全精力をそそいで作ったものだからこそ、「次は自分の声を入れてみたい」というような願望も見えてきましたが、そういった経験がないとまず思いつかなかっただろうと思います。

じゃあ自分の方向性は決まったと。

T:アルバムの形が全部見えるまでは、自分はいったいどうしたらいいんだろうというのが自分のなかではぼんやりとしかないのに、こういう方向にいくんだみたいなものを勝手に決めつけて思っていて。ぼんやりとしたもの、そういう方向性な感じでみたいに思っていたけど、そういうことはやめようと思った。その形で、1回自分のモヤモヤしていたものを終わらせたいなという意味で。

ここまでいくのが大変だったということはよくわかったよ。

T:そうやって抽出したものがいまの僕の地盤を固めたことは間違いないので、自信を持ってどんどん次へ向かおうと思います。というかむしろ、これからさらに面白い風景が見れそうなのでワクワクしてますね。

今回のアルバムの方向性というか、もうこれでいいやと思えたのはどの曲を作ってから?

T:やっぱり”MABOROSHI”ですね。自分のなかで歴史的に残る作品を作ってやるみたいな気持ちが無く、純粋に心からやりたいと思って一番形に成し遂げられた曲なので。しかもそれがサンプリングとかもまあ。なので、この曲が自分のなかのひとつもモヤモヤを晴らしてくれた。

なんで”MABOROSHI”という曲名にしたの?

T:ぼくはもともと、幻とかサイケデリックなものが好きというわけではないんですけど、ああいうものがいちばんぼくのなかではかっこいいみたいなことが基盤としてあるんですよ。

ふっとよぎる幻覚みたいな感じ?

T:幻覚というと言い方がおかしいんですけど、ファンシーなものが自分は一番好きなんですよ。

ファンシーなものってたとえば?

T:いちばんわかりやすく言えばディズニーの世界ですね。ファンタジア、魔法。ハリーポッターとかでもそうですけど。小学生のときも読んでいたし。

最高なファンタジーって何?

T:いまぱっと映像だけで言うならば『ザ・フォール』という映画。『落下の王国』というのがあるんですけど。もうちょっとわかりやすくいうと……。やっぱりさっき言ったディズニーの『ファンタジア』なのかな。小さい頃に観ているから。

大人になってからは?

T:この世にあるかどうかわからないみたいなものが好きで。

たとえば?

T:ラピュタとか?

へー、ジブリが好きなんだ。あ、でもたしかにジブリっぽいかも(笑)!

T:ずっと観ていたわけではないですけど、生活の延長線上にちょっと近所の山を登ったらみたいな。

ジブリだったら何が好きなの?

T:『となりのトトロ』か『千と千尋の神隠し』で迷いますね。どっちか。ぼくの趣味がものすごく子供っぽいんですよね。本当に絵本とかにある感じの世界感が好きで。『おしいれのぼうけん』とか知っていますか? 自分の押し入れの先がトンネルになっていて。

でも、うん、ジブリっぽいよ。

T:人としてという意味ですか?

いや、もちろん音楽が。“もぐら慕情”とか。“MABOROSHI”も『千と千尋の神隠し』のレイヴ・ヴァージョンと喩えられなくもない。

T:ジブリっぽいですか(笑)。

トトロのフィギュアとか持っていたりする? 昔けっこう有名な UKのディープ・ハウスのDJの家に泊めてもらったとき、ベッドにトトロのぬいぐるみがあって(笑)。

T:フィギュアは持っていないです。そういう感じではない(笑)。ただあの世界感が何回観てもひたれるからいいなと思うんですよね。夏になる度に。

それは世代的に?

T:世代的なものが大きいと思うんですけど、日曜ロードショーとか。あと、いま思ったんですけど、もうひとつはもしかしたらゲームかも。ポケモンとか。ポケモンとあと任天堂系のマリオ。ポケモンは現実でもないけど。あれは世代的なものかもしれない。いずれにしてもゲームを作るとなったら、そのときはファンタジーというのが人気作の大前提ですよという感じでみんな作っていた感じがする。

しかし、トヨム君はトーフビーツとは逆だよねー。トーフビーツは2作連続であれだけメランコリックなアルバムを作っているじゃない? 同じ世代で関西で暮らしていてもこうも違うのかって感じが(笑)。

T:でもそれでいいんじゃないかなとぼくは思うんですけどね。たしかにぼくもリスナーとしてだったら全部楽しかったらいいじゃんとは思わないですけど、全員がシリアスにならなくてもいいんじゃないかなと思いますね。という発言が出るくらいぼくは楽天的。だから、ああいうものを作れるのは本当にすごいと思う。ぼくは自分ではまったく。

そうだよね。自分に嘘をつくことになっちゃう。

T:それをやったらすごくベタベタしそう。ネトネトしたものになりそう。あんなにさらっとできない。

彼はアーティスト気質なんだろうね。実はすごく。エンターテイナーでいようと思いながらも、どうしてもアーティスト的なんだよな。

T:まじめですよね。それは昔から絶対誰も勝てないだろうという感じがするので(笑)。常に競い合っているからバチバチやってやるぜとは思わないですけど、そこまでそんなに思っていないやつが同じ土俵でやってもそんなに意味がないんじゃないかな。

彼は単純にいまの音楽シーンで自分と同世代、それ以下の人がもっと出てきて欲しいんだよ。ひとつはね。話していて思うのは、俺しかいねーじゃんというくらいな感じ。もっと出てきてくれよ、ポップ・フィールドに。いつまでも年上ばかりじゃなくて。

T:切り込み隊長にさせるなよみたいな(笑)。

そう。

T:それは今回のアルバムがとくにそうですね。ひとりで走っていますからね。

ひとりで走っているよ。それは同世代としてどう思う? あれは同世代の音楽をやっているやつに対するメッセージじゃない?

T:そういう話に関してもそうなんですけど、以前は単純にトーフ君がものすごく売れていて、自分は必至にかっこよくて渋いものを作っているんだけどなと思いながらも、うずくまっていた感じの時期とかがあった。そういうのが単純にうらやましいなと思って。同じ年に生まれたのにみたいなことがあった。いまはたしかに同じ時期に生きてきたけど、単純に圧倒的にトーフ君の方がやっている年数が長いし。

先輩だと。

T:普通に先輩という感じ。ぼくは全然同世代だとは思ったことがない。

なるほど。これは紙面に乗せるからね(笑)。

T:そこは別に俺のことなんか見てねぇよという意味ではなくて、単純にリスペクトしかないという感じ。だから、じゃあ俺もいっちょ言ってやるかじゃなくて、自分ができる、いちばん本気でやれるやり方でどんどんアタックをしていこうみたいな考え方にいまはなってきたんですよ。

じゃあ、トヨム君は、地方に住みながらこつこつとやると?

T:ぼくは出ていくぞという気持ちがものすごくいまは強いですけどね。でもシリアスにやることが自分のやり方であるとは到底思えないというか。

だから自分なりのやり方で、もっていく。

T:なんか、ふぁーっとしたい。しゃがみこむというよりかは。全員が全員シリアスだったら気持ち悪いと思うんですよ。

まあとにかく、来年のRAP入りのアルバムを楽しみにしているよ。今日はどうもありがとうございました。

ライヴ情報
11月16日(金)H.R.A.R @京都METRO / https://bit.ly/2xKj9hh
12月22日(土)食品まつりとTOYOMUの爆裂大忘年祭 @KATA + TimeOut Cafe&Diner / https://bit.ly/2J4fTSi

公演概要
タイトル:食品まつりとTOYOMUの爆裂大忘年祭
出演者:食品まつりa.k.a foodman / TOYOMU and more! *追加出演者は追ってご案内します。
日程:2018年12月22日(土)
会場:KATA / Time Out Cafe&Diner (両会場共に恵比寿リキッドルーム2F)
時間:OPEN/START 18:00
料金:前売¥2,500 (ドリンク代別)/ 当日?3,000(ドリンク代別)
問合わせ:Traffic Inc./ Tel: 050-5510-3003 / https://bit.ly/2J4fTSi / web@trafficjpn.com
主催・企画制作:Hostess Entertainment / Traffic Inc.

<TICKET INFO>
10月22日(月)より販売開始!
購入リンク
https://daibonensai.stores.jp/

<出演者>

食品まつりa.k.a foodman

名古屋出身のトラックメイカー/絵描き。シカゴ発のダンスミュージック、ジューク/フットワークを独自に解釈した音楽でNYの<Orange Milk>よりデビュー。常識に囚われない独自性溢れる音楽性が注目を集め、七尾旅人、あっこゴリラなどとのコラボレーションのほか、Unsound、Boiler Room、Low End Theory出演、Diplo主宰の<Mad Decent>からのリリース、英国の人気ラジオ局NTSで番組を持つなど国内外で活躍。2016年に<Orange Milk>からリリースしたアルバム『Ez Minzoku』はPitchforkやFACT、日本のMUSIC MAGAZINE誌などで年間ベスト入りを果たした。2018年9月にLP『ARU OTOKO NO DENSETSU』をリリース。

*追加アーティストの発表は追ってご案内申し上げます。

ブレインフィーダー10周年!
ヒップホップ、ジャズ、テクノを横断する稀代のレーベルの全貌

ケンドリック・ラマーとのコラボも記憶に新しい
フライング・ロータス、サンダーキャット、ジョージ・クリントン
の3大インタヴュー掲載!

つねに革新的な音楽を作り続けるフライング・ロータスの舵取りのもと、
オープンマインドな姿勢でヒップホップ、ジャズ、テクノを横断し、
多くの個性的な作品を送り出してきたLAのレーベルの足跡を徹底的に紐解く!!

ドリアン・コンセプト×ジェイムスズー、ジョージア・アン・マルドロウ
のインタヴューも掲載、充実のディスクガイドにコラム、貴重な写真も多数収録。

映画『KUSO』&『ブレードランナー』特別座談会:
渡辺信一郎(『マクロスプラス』『カウボーイビバップ』『サムライチャンプルー』)×
佐藤大(『カウボーイビバップ』『攻殻機動隊』『交響詩篇エウレカセブン』)×
山岡晃(『サイレントヒル』『BEAT MANIA』『LET IT DIE』)

特別インタヴュー:
TREKKIE TRAX(Masayoshi Iimori & Seimei)――新世代から見たLAの魅力

【執筆陣】
天野龍太郎、大前至、小川充、小熊俊哉、河村祐介、木津毅、小林拓音、
小渕晃、野田努、原雅明、バルーチャ・ハシム廣太郎、三田格、吉田雅史


contents

Flying Lotus

preface ジャズにクソを投げろ!――フライング・ロータスに捧げる (吉田雅史)
interview フライング・ロータス (三田格/染谷和美/小原泰広)
column 音楽の細分化に抗って――フライング・ロータス小史 (原雅明)
Flying Lotus Selected Discography (小林拓音、三田格、吉田雅史)
column ドーナツの輪をめぐる旅――フライング・ロータスとJ・ディラ (吉田雅史/大前至)
column 崩壊したLAの心象風景――フライング・ロータスの映画『KUSO』が描きだすもの (三田格)
interview 渡辺信一郎×佐藤大×山岡晃 健康なクソをめぐる特別座談会 (小林拓音)

Brainfeeder 10th Anniversary

column ブレインフィーダーはどこから来て、どこへと向かうのか――レーベル前史とこれまでの歩み (三田格)
my favorite 私の好きなブレインフィーダー (大前至、小熊俊哉、河村祐介、天野龍太郎、吉田雅史、小川充、木津毅、小林拓音、三田格、野田努)
interview ジョージ・クリントン (野田努/染谷和美/小原泰広)
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Gottz - ele-king

 とどまるところを知らない KANDYTOWN からまた新たな一報です。同クルー内でもひときわ強烈なインパクトを放つMCの Gottz が、本日ソロ・デビュー・アルバムをリリースしました。MUD をフィーチャーした“+81”のMVも昨日公開済み。いやもうとにかく一度聴いてみてください。フックがあまりにも印象的で頭から離れなくなります。Neetz、Ryugo Ishida(ゆるふわギャング)、Yo-Sea、Hideyoshi(Tokyo Young Vision)らが参加した『SOUTHPARK』、これは要チェックです。

KANDYTOWNのラッパー、Gottz の MUD をフィーチャーした“+81”のMVが公開!
その MUD や Neetz、Ryugo Ishida(ゆるふわギャング)、Yo-Sea、Hideyoshi(Tokyo Young
Vision)らが参加した待望のソロ・デビュー・アルバム『SOUTHPARK』がいよいよ本日リリース!

 KEIJU as YOUNG JUJUやDIAN、MIKI、DJ WEELOWらとともに結成したグループ、YaBasta として活動し、IO や Ryohu らを擁するグループ、BANKROLL と合流して KANDYTOWN を結成。16年リリースのメジャー・デビュー・アルバム『KANDYTOWN』でも“The Man Who Knew Too Much”や“Ain't No Holding Back”、“Feelz”といったライブでも定番な楽曲で猛々しいラップを披露して注目を集め、グループとしての最新曲“Few Colors”でもラップを担当。また IO や YOUNG JUJU、DONY JOINT、MUD といったメンバーのソロ作品にも立て続けに参加し、大きなインパクトを残してきたラッパー、Gottz(ゴッツ)! KANDYTOWN 内でも一際目立つアイコン的な存在でもあり、ラッパーとしてだけでなくモデルとしても活躍し、BlackEyePatch のコレクションやパーティに出演したことも話題に!
 その幅広い活動からソロ・リリースの待たれていた Gottz の正に待望と言えるソロ・デビュー・アルバム、その名も『SOUTHPARK』から KANDYTOWN の仲間でもある MUD が参加し、自己名義アルバムのリリースも話題な KM がプロデュースした先行曲“+81”のミュージック・ビデオが公開! Reebok CLASSICがサポートしており、BAD HOP や YDIZZY、Weny Dacillo らの映像作品にも関与してきた KEN HARAKI が監督を担当している。
 そしてその MUD や Ryugo Ishida(ゆるふわギャング)、Yo-Sea、Hideyoshi(Tokyo Young Vision)が客演として、KANDYTOWN の Neetz や FEBB as YOUNG MASON、Lil’Yukichi、KM がプロデューサーとして参加した『SOUTHPARK』がいよいよ本日リリース!

Gottz "+81" feat. MUD (Official Video)
https://youtu.be/Y15eBPsYL5g


[アルバム情報]
アーティスト: Gottz (ゴッツ)
タイトル: SOUTHPARK (サウスパーク)
レーベル: P-VINE / KANDYTOWN LIFE
品番: PCD-27039
発売日: 2018年10月17日(水)
税抜販売価格: 2,700円
https://smarturl.it/gottz-southpark

[トラックリスト]
1. +81 feat. MUD
Prod by KM
2. Makka Na Mekkara
Prod by Lil’Yukichi
3. Don't Talk
Prod by Lil’Yukichi
4. Count It Up (PC2)
Prod by Lil’Yukichi
5. Kamuy
Prod by KM
6. Move! feat. Hideyoshi
Prod by KM
7. Summertime Freestyle
Prod by YOUNG MASON
8. Raindrop
Prod by KM
9. The Lights feat. Ryugo Ishida, MUD
Prod by Neetz
10. Neon Step - Gottz, Yo-Sea & Neetz
Prod by Neetz
Guitar : hanna
* all songs mixed by RYUSEI

[Gottz プロフィール]
同世代の KEIJU as YOUNG JUJU や DIAN、MIKI、DJ WEELOW らとともに結成したグループ、YaBasta のメンバーとして本格的に活動を開始し、IO や Ryohu らを擁するグループ、BANKROLL と合流して KANDYTOWN を結成。15年にソロ作『Hell's Kitchen』をフリーダウンロードで発表し、16年にはKANDYTOWNとして〈ワーナー・ミュージック〉よりメジャー・デビュー・アルバム『KANDYTOWN』をリリース。

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