Home > Reviews > Album Reviews > Sun Araw- Guarda in Alto
去年このサイトで書いたように、やっぱり邦画は面白くなっているんじゃないかと思うんだけれど、あんまり変わらないかなと思うことに映画音楽がもうひとつピンと来ないということがある。吉田大八監督『羊の木』や濱口竜介監督『寝ても覚めても』は脚本も演出も演技もいいのに、どうにも音楽がマッチしているようには思えなくて作品への没入がどこか妨げられてしまった。今年の作品でいいと思ったのは瀬々敬久監督『友罪』ぐらいで、これは半野喜弘がラッシュを観た後に「音楽をつける必要はないんじゃないですか」と監督に告げたというエピソードがすべてを物語っているといえる。映像ソフトにはよく吹き替えヴァージョンや監督による解説の垂れ流しヴァージョンが選べるようになっているので、邦画に関しては音楽のアリ・ナシも選択機能に組み込んだらどうなのかなと思ってしまうというか。風景描写にポコッポコッとか音が入るやつとか、ほんといらねーよなーと思ってしまう。
『Guarda in Alto』はミュージシャン名を伏せて聴かされたら、誰の作品か、たぶん、わからなかったと思う。イタリア映画のサウンドトラック盤としてリリースされたサン・アロウことキャメロン・スタローンズのソロ11作目。どの曲も圧倒的にシンプルで、ほとんど効果音に近い音楽が12曲収められている。イタリア映画は下火だし、日本ではほとんど公開されないので、どんな映画なのかさっぱりわからないままに聴くしかないけれど、これがひとつの世界観を明瞭に表現したアンビエント・アルバムになっていて、いろんなことで意味もなく心が揺れている夜などに聴いても、スッと心が落ち着いていく。メロディと呼べるようなものはほとんどなく、ベースのループやミニマルなパーカッション、あるいは弦楽器らしきもののコードをパラパラと押さえるか、ギターにリヴァーブだけにもかかわらず、しっかりとイメージを構築してしまう手腕はさすがとしか言いようがない。ジュークからベースやドラムを取り去ってもダンス・ミュージックとして成立させることができるかというテーマを追求し続けている食品まつりa.k.a foodmanがサン・アロウのレーベルから新作を重ねたことも必然だったのだなと納得してしまったというか。
サン・アロウの作曲法はブライアン・イーノのそれとは何もかもが違っている。イーノのサウンドはよく湿地帯に例えられるけれど、単純にしっとりさせる効果があるのに対し、サン・アロウは圧倒的に乾いている。現代音楽を基盤としているかどうかも両者は異なるし、イーノが余韻で聴かせるのに対し、サン・アロウはリズムだけを骨格として取り出してくる。共通点があるとすれば、レゲエやダブへの関心、あるいは時代がニューエイジに埋没し切っている時に、それに染まっていないということだろう。これは大きい。サン・アロウはロサンゼルスというニューエイジの聖地にあって、しかもアンビエント表現を試みているにもかかわらず1ミリもニューエイジには接近せず、独自のヴィジョンを揺らがせることはない。こういうことは相当な意志の強さか音楽的信念がないと遂行できないのではないだろうか。もっと言えば2年前にはニューエイジの立役者ララージとジョイント・アルバム『プロフェッショナル・サンフロウ』をつくっているというのに……(同作はそれなりにダイナミックなプログレッシヴ・ロック風だった)。
サン・アロウのこれまでの諸作もアンビエント・ミュージックとして聴くことはぜんぜん可能だった。しかし、『Guarda in Alto』はそれらとはやはり異なるアティチュードによってつくられたアルバムである。初めて聴いてから10年近くが経とうとしているのに、サン・アロウにまだ延びしろがあるとは驚きとしか言いようがない。ちなみにサン・アロウと食品まつりのコラボレーションはないのかな?
三田格