太陽が眠り、夜のとばりが静かに降りてくる。オフィスを出た人びとが、満員電車に揺られて家路についていく。秘密を抱えた人びとが路上に紛れ込む。街にいる人たちは、昼間のそれとはいつの間にか入れ替わったように見える。どこからか温もりに溢れた音楽が流れてくる......。ギター、シンセサイザー、そしてドラマーがハットを揺らす規則正しい音がする。救難信号のようなネオンの明滅音。ベースの重い出音が空間を広げていく。電子ストリングスが鳴くように、擦り切れながら流れていく。かつてのザ・フレーミング・リップスのような、あるいは現在のM83のような、曽我部恵一BANDらしからぬ雄大なサウンド・レイヤー。そして、男の語りがはじまる。
「ねぇあんた、自分じゃないだれかの今日は生きられないよ絶対」"そして最後にはいつもの夜が来て"
「東京/トーキョー」の問題(「東京」という記号の持つ特殊性が剥奪され、「トーキョー」に地方の断片が過密に集積されていくようなフィーリング)については、北陸からの上京組である橋元優歩が本誌年末号『vol.8』のコラム「音楽の論点」に寄せて書いているが、本作のタイトルに「トーキョー」と表記した男は、16年前に別のバンドで『東京』というアルバムをレコーディングしている。そこに何かしらの含意を読み込んでも面白そうだが、ここでのそれは、東京というポップ・カルチャーにおけるある種のブランド感とは遠く離れた、極めて個人的なレヴェルで鳴っている。あるいはとても非現実的に、ロマンティックに。"トーキョー・コーリング"は、上京サヴァイヴ組である曽我部が肩の力を抜いて歌う、6年後のラヴ・シティ、その姿である。
"そして最後にはいつもの夜が来て"で予感させるシンセ・ポップの手触りは、是々非々を強く求めるようにしてアルバム全編に渡ってキープされる。もはや私たちの知っている曽我部恵一BANDではない。社会で暮らす多様な人びとを厳しいリアリズムで描いた前作『曽我部恵一BAND』と違って、『トーキョー・コーリング』は電子機材を操作して、華麗なポップスを展開している。リラックスしたAORのグルーヴ、エレクトロニックなファンク、ドリーミーなシンセ・サウンドの輝きとともに日付が変わる時間帯をゆっくりと通過していく。シャウトは控えめで、感情は抑制されている。例えばメロウでポップな"LOVE STREAMS"などは、チルウェイヴの甘い夢と遠く共振するように甘く鳴っている。
魅力的なファンクの"ルビィ"、ドラムマシンと電子音がループする"ワルツ"がある一方で、"雪"のような彼らしいバラードも用意されている。タイトル曲の"トーキョー・コーリング"は、散り散りになったかつての同胞たちに近況を尋ねる。真っ直ぐに受け取るのなら、『トーキョー・コーリング』は、<We>になれなかったたくさんの<I>を包み込む、保温性の高いウインター・ポップのアルバムだ。日の沈んだ街を歩きながらiPhoneでこの音楽を聴いていると、大切な人に会いたくなってくる。ずっとこんな気持ちだけが続けばいいのにな、と思う。
だが、ドリーム・ポップめいたクロージング"どうしたの?"が、夢の終わりを甘く淡々と伝えているのを聴くと、これは決して目を閉じてしまった音楽ではないのだと思える。発売日の設定にも、なにかクリスマス意識以上の含意があるのではと、つい想像してしまう。悪い季節がやってくるのかもしれない。怒っていても叫びたくはない、という人だっているだろう。『トーキョー・コーリング』は、政治的に言えばそのような位相で鳴っている。音楽は、<I>をどこまで守れるのだろうか。それはいまこそ切実な問いだ。



droneの状況の紹介の前に、現在も続く東京音響noise、improvisedシーンを忘れてはならない。自身の活動もここの影響下からスタート、2007年都内でlive活動を行っていた頃、盆の窪というacoust free improvised trioと出会う。
improvisedの影響下からスタートした活動のなかでMetaphoricというguitar duoのセッションに録音も含めて参加、2008年頃から録音作業中心。そのなかでUKのdroneシーンの存在を知る。Mirror、Andrew Chalk、Darren Tate、Colin Potter等、彼らの作った実験的なドローン・サウンドを多く聴いていた。自身のサウンド・イメージはfree improvisedからUK drone soundへ、Metaphoricの録音素材を編集して作り上げたambient/drone作品、1st editionのリリースは2009年。
自身の活動中に同じような思考を持ったアーティストは? とArt into Life サイトで知ったNerae,そのメンバーだったReizen(guitar)を紹介したい。2009~10年頃、当時都心の知人でAnderw Chalkと言って通じるもしくは注目しているのはNerae彼らだけだった。00年代日本人の作ったdrone作品で極めて重要なアーティストと言っても大袈裟ではないと思う。
Reizenとのdrone推薦盤の話のなかで「日本が誇る知られざるギター・ドローニスト、Diesel Guitarを評価することだけは忘れないでほしい」彼の言葉である。Diesel Guitar、Reizenは自身の企画で招聘してライブを行っていた。P.S.F. Records Modern Musicにて2タイトル購入可能。
京都のMeditationsで働いていた経歴を持つHakobune。2011年に彼が東京に出てきたことはとても重要、彼の作り出す音、存在は今後多くの若者への影響、指針となるだろう。更にはReizen+Hakobuneの二人が都内でライブ「音ほぐし」を主宰していることはとても重要(四谷、喫茶茶会記にて)。
P.S.F. Recordsの重要性、このTokyo Flashback 8、そこにはReizen、Metaphoric他多くのサイケデリック感覚を持ったアーティストが参加している。
上記00年代improシーンを異端の立場で牽引していた鈴木康文+安永哲郎によるlap top duo VOIMAという存在も紹介しておきたい。なぜ異端と書いたか? それは2008年4月に六本木Super Delux行われたFtarri Festival出演の際、多くのimproviserがelectro acoustのスタイルのなか、彼らはlap top2台でのパフォーマンスだったからだ。当時いやいまでも同じだと思うのだがlap topのライブはパフォーマンスとして面白みに欠けるという指摘があるが、99年来日時に観たJim O'Rourkeのlap top、00年に観たCasey Riceのlap topはいまでも脳裏に焼き付いている。
Metaphoricでguitarを担当、オリジナル・メンバーの庭野氏の最新作、Tower Recordの発行するfree magazine baunceでも取り上げられたが、ここでの庭野氏はギターにフォーカスを当てず、PC上での音作りに没頭したサウンドになっている。90年代から音作りを行っていたアーティストでなければ出せない音、こちらもノイズを出しているが不思議とテクノ、テクノ・ノイズ? テクノという感触が全編に渡って展開された作品。
ドローン後、北欧ノイズに遭遇し更にインダストリアルというキーワードに気がつく。日本で耳にするノイズとは別の側面を持つことに気がつく。個人的に今年発見した海外の盤を1点紹介したかった。やはりカセット・フォーマットは面白い。3本セットのケースなど現在東京では見たことがない。
このトリビュート・アルバムを買うになった自分の立場に自覚的でなくてはならない。Japanoiseはまだまだ進化する。