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アデルはどうしてこんなに売れたのだろう。エイミー・ワインハウスのフォロワーとしてデビューした彼女は、ワインハウスのような突き刺さる情熱も破天荒さもないが、周知のようにすさまじく売れている。良くも悪くも、そつなく歌がうまいだけの彼女こそ『ガーディアン』が「新しい倦怠としての2011年」と呼んだ年の象徴のような存在だろう。ワインハウスの死への反動からか、ほかに際だったポップ・ソングがないからだろうか、とにかく、結果、アデル(あるいはエド・シーランなんか)にスポットが当たった。
そもそも『ガーディアン』が嘆くほど2011年は退屈だったのだろうか。サンプル盤とジェームズ・ブレイクしか聴いていないメディアにはそうかもしれない。だが、あんたらUKにはダブステップってものがあるじゃないか。ジェシー・ウェアといえば、SBTRKT(サブトラクト)の"ナーヴァス"(2010年)、ジョーカーの"ザ・ヴィジョン"(2011年)と、シーンのふたりの人気プロデューサーが、それぞれアルバムをリリースする前のシングルでヴォーカリストとしてフィーチャーされた新人ディーヴァだ。ケイティ・Bのような、実際にシーンのキーパーソンたちと関わってきた人物とも言える。今年の初夏には、ディスクロージャー(まさに今日のポップのデフォルトと言える、R&Bデュオ)のリミックス入りのシングル「ランニング」も出回っている。彼女のデビュー・アルバムがリリースされたというのなら、聴かない手はない。
ハイティーンの頃からドラムンベースのパーティに通っていたというジェシー・ウェアにとっての夢は、彼女曰く「誰かのバック・コーラス隊になること」だった。まあ、彼女が歌手を目指していたわけではないのは事実だろう。大学の英文科を出た彼女が目指していたのはジャーナリストだったというが、こうしたバイオグラフィーが、ケイティ・Bともアデルとも違っている。僕はもうちょっとダブステップよりのアルバムを期待していたのだけれど、『デヴォーション』は直球なソウル・アルバムだった。
ジ・インヴィジヴルのデイヴ・オクムがこのアルバムの多くをサポートしている。マシュー・ハーバートの〈アクシデンタル〉にフックアップされて、現在〈ニンジャ・チューン〉に移籍したという、ある意味UKの音楽界においては優秀なキャリアを歩んでいるアフリカ系の血を引くイギリス人だ。ジェシーと同じように、いわばアンダーグラウンド・シーンで頭角を出してきたオクムがポップに挑むという構図は、ベンガとスクリームとケイティ・Bの関係に重なる。『オン・ア・ミッション』の再来かと。
が、『デヴォーション』は『オン・ア・ミッション』とは別の方向性にアプローチする。それは、アデルとエイミー・ワインハウスの関係に似ている。いや、アデル以上の謙虚さを『デヴォーション』からは感じる。
これは、ポップ・スターになりたいとは思わなかった女の子のソウル・アルバムだ。彼女が歌手になったのはちょっとした偶然、運命のいたずらだった。旧友に持ちかけられたBBCでのバックコーラス隊への誘いを通じてSBTRKTと知り合い、"ナーヴァス"の歌手を務めることになった。すべては予定外だったが、ポスト・ダブステップの熱波のなかで彼女の声は注目を集めてしまった。
そんなわけでジェシー・ウェアのソロ・デビューは、UKでは温かく迎えられている。彼女もデイヴ・オクムも、初めてポップスにアプローチしながら、ポップの傲慢さ、偶像崇拝を否定する。ナイトクラビング文化が生んだディーヴァとも言えるが、クラブ・ソングよりもポップ・ソングを選び、アル中になるために音楽はやらないとエイミー・ワインハウスの幻想を打ち砕くような意見も言っている。個人的には複雑な気持ちだが、アルコールの大量摂取が身体に悪いことは僕も身をもってわかっている。
彼女はポップスを歌ってはいるが、ナイトクラビング文化における生な人間関係でそれを作っている。アティチュードはインディなのだ。また、白人女性シンガー+黒人プロデューサーというコンビは、ハイプ・ウィリアムスのようになにかと未来を感じる。こうしたバックボーンが、彼女への一票をうながしているのだろう。
そして、もうひとつ付け加えることがあるなら、ここには昨今のR&Bムーヴメントの目立った傾向である、ドリーミーなフィーリングが展開されていることだ。もちろん、あくまでもポップスとして。倦怠ではない、デヴォーション=献身的なそれとして。
野田 努