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曽我部恵一BAND

合評

曽我部恵一BAND

Rose Records

Apr 16,2012 UP 文:木津 毅、竹内正太郎
12

広く問われるべき15曲 文:竹内正太郎


曽我部恵一BAND
Rose Records

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 ロックはいまだ社会的にアクチュアルな音楽たり得るのだろうか? 21世紀の、しかも、2011年3月11日以降のこの国で?

 あるいはこうした問いはいま、ほとんど意味を持たないのかもしれない。だが、少なくとも曽我部恵一BANDにとっては愚問ではないだろう、私はそう思う。そう、ロックンロールと作者の実人生、あるいは不定形な社会との接触面、そこにどんな表現が成り立つのか? 『キラキラ!』(2008)は、ある時代のひと時において、そのアンサーとして完璧な作品だった。日常にふと訪れては気まぐれに去っていく、ごく個人的な幸福の感情を、できる限り現在形で捉えようとする、誇りを持った内観の表現。海の向こうで戦争がはじまることを自覚しながらも、その破壊や暴力と同じ空の下に生きる私たちの、膿んだ成熟社会にも成り立ついくつかの幸福をハッキリと証言すること。あるいは、学者に社会問題視されるような頼りない生活にも、キラキラしたとっておきの感情が湧き得ること。そう、彼らは反論者だった。「まず曽我部恵一BANDのあり方がコンセプチュアルだから、時代に対するカウンターであって欲しいと思ってる」、かつて弊誌・野田編集長のインタビューに曽我部はそう答えている(『remix』誌・216号)。

 結論的に言うなら、3年ぶりのフルレンス『曽我部恵一BAND』は、これまでの曽我部恵一BANDとは大きく距離を置いた作品である。そう、曽我部恵一BANDは、曽我部恵一BANDであることをある意味ではやめている。ジャケットの写真は暗転し、トレードマークの笑顔は(おそらくは意図的に)消されている。『ハピネス!』(2009)から「プレゼント」(2009)にかけて、緻密にまで煮詰められた、煌めくようなポップ・パンクのギター・プロダクションは、"サマーフェスティバル"など、ごくいち部の限定的な立場に控えられ、tofubeatsのリミックスが先行で話題になったダンス・トラック"ロックンロール"に代表されるように、アレンジの制約、楽曲の形式という点で大幅な解放が見受けられる。全体的にはアコースティック・セッションを織り交ぜたいく分かメロウ・アウトした作品となっており、とくに、ザ・バンド風の柔らかいアメリカン・ロックで兵士の最期を看取る"兵士の歌"、あるいは、"ブルー"(2007)の続編のような美しいバラード、ポストモダニティ・ライフにおける実存不安に静かに潜っていくような"月夜のメロディ"では、近年のソロ・アルバムのような素晴らしい歌声が聴ける。

 議論となるのは、アルバムの最後を飾る"満員電車は走る"で、曽我部はそこで、狂気的なまでの密度で詰め込まれた満員電車にもれる、誰かの声にならないツイート、軋むような心の声を拾って読み上げる、という、ある種の三人称表現を採用している。そこからやがて一億二千七百六十万にまで一気に飛躍する、観察と想像によるその描写は、一級のポップ作家による社会への思いやりであり、素朴な優しさでもあるが、カメラの立脚は、対象からはやや遠く思える。だから、私が気になったのは、音の変化ではなく、多くの曲で言葉の分解能が下がっているように思われたことだ。例えば、「街は知ってる/ぼくたちの情けなさや優しさを」と歌う"ポエジー"や、「悲しい世界ねって/貧しい世界ねって/泣きながら揺れてた」と歌う"たんぽぽ"は、確実に誰かの姿をとらえつつも、言葉の握力はやや弱いようにも思える。もちろん、具体性をある程度排し、一般性を追求することは、ポップ・ミュージックの普遍性でもあるが、過去二作における実人生の、街の、人びとのホットな接写を前にすると、本作における詩作の立場はやや曖昧で、聴き手の顔を想像しようとすると、そこには靄がかかる。

 忌憚なく述べよう。「キラキラしていてね/いつもきみ/ずっと負けたってかまわない」"キラキラ!"、「ハードコアな人生かも/だけどトキメキのパスポート持ってる」"I Love My Life"と歌った前二作を、仮に誇り高き敗北主義の表明だったとすれば(それはインディペンデンス・ロッカーの態度として見事な説得力を生んでいた)、大量の留保を抱え込んだいまの日本で、曽我部にはもっと歌えることがあったのではないか、とも思う。
 その点、"街の冬"は、本作屈指の傑作であると同時に、提起する問題のあり方として異彩を放っている。報道でも大きく取り上げられた、社会から驚くほど呆気なく孤立してしまった札幌の姉妹が過ごした孤独の冬を、優しくエモーショナルに歌うこの曲は、まずそのアッパーさにおいてショッキングだ。曽我部はそこで、享楽的な鍵盤、踊るようなラインをなぞるベースが、まるで何かを祝福するかのようにファンキーに跳ねるなか、生活保護の申請者を取り上げ、同情のトーンで揃えられた世論を遠ざけるように、健康で文化的な最低限度の生活が保障されなかった日々にも、たとえ一瞬ではあっても美しい時間、あたたかい時間があったのでは、という、希望の眼差しを投げかける(そして、曲は最後、ちぎれるように終わる)。

 マクロな社会欠陥がどれほど近くに忍び寄ろうとも、人間として正しい生き方に立てば、個人の幸福はいつだって強く成り立つということ。曽我部恵一BANDの核となってきたそうしたメッセージ性をドラスティックに展開した、このような曲を擁しながらもなお、本作の立場がやや曖昧に見えるのは、カウンターすべき相手の曖昧さが、前掲のインタヴュー時に比してさらに増しているからでもある。そう、言うまでもなく、私たちの身の回りの世界は絶えず変化し続けているし、この国の曖昧さはますます高くなったように見える。だから、3月で断絶したままの誰かの日常や、原子力危機に晒された飼い殺しのような日常がある一方で、それでもなお、絶望の国に生きて、ディズニーランド的な幸福を何不自由なく享受できて「しまう」日常も混在する曖昧さそのものを、彼らには取り上げて欲しかった気もする。津波が引いた境界線や、同心円状に描かれた分布図以上に、私たちの日常は細分化されてしまったのだから。繰り返そう。果たして、ロックはいまだ社会的にアクチュアルな音楽たり得るのか? 21世紀の、しかも、2011年3月11日以降のこの国で? 判断はすべての聴き手に委ねたい。発売はもちろん、〈Rose Records〉から。広く問われるべき15曲である。

文:竹内正太郎

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