いったいいつからそこに洗いざらされていたのかわからない......何十年も風雨を凌いだようにも、またつい昨日そこに置かれたばかりのようにも感じられるUMOのサウンドは、タイムレスという表現ではなく、ロスト・タイムと形容するのがふさわしいかもしれない。
オープンリール式のテープ・レコーダーやディクタフォンなどを用いながら、丹念に音を作っていくというルーバン・ニールセンは、アリエル・ピンクからえぐみをとったような、ヴィンテージだがトレンドを突いたローファイ感をトレード・マークに、サイケデリックなファンク・ロックを展開し10年代シーンに頭角を現した。今月リリースされたセカンド・アルバムでは、グラム・ロック風の楽曲などUKロック的なアプローチをさらに強め、ポップ・アルバムとしての幅を広げた印象だ。
しかしUMOの音は、懐古趣味というにはあまりにいびつで、ニュー・スタイルだというにはあまりに時代掛かっている。どこに置いても少しずつ違和感を生んでしまうような、いつの時代からもロストされ、どの思い出にも安住できないような、微量の孤独を感じさせるところに筆者は無限の共感を抱くのだが、その心は実のところは如何ばかりか。
今回、ホステス・クラブ・ウィークエンダーへの出演のため来日していたメンバーに話をきくことができた。中心人物であるルーバン・ニールセンと、ベースのジェイコブ・ポートレイト。ルーバンはよく知られるように、以前はニュージーランドの老舗インディ・レーベル〈フライング・ナン〉の重要バンド、ザ・ミント・チックスを率いて活躍していた人物でもある。場所をアメリカに移し、ひっそりとこのサイケ・プロジェクトをはじめていたわけだが、ルーバンのソングライティングの底にあるものは、自身が述べているように、どこにも属することなく渡り歩くブルースマンのそれに似通ったところがあるのかもしれない。古今東西の音が審級もなく膨大に蓄積されつづけるネットワークのなかを、静かな光を放ちながら漂泊するUMOの音楽に、そのイメージはいくばくか重なっている。われわれが惹きつけられ、共感を抱くのは、ルーバンのそのようなあり方に対してでもあるだろう。
古い機材にこだわっているわけでもないんだけど、いまの時代、きれいな音を出すほうが簡単だったりするからね。そうじゃないことをやろうとすると、やっぱり時間がかかるよ。でもそもそもそのままでおいしい肉がそこにあるのに、わざわざマヨネーズをつけたりいろいろな手を加えたりしてるだけかもしれないよね。
■“ファニー・フレンズ”(ファースト・アルバム『アンノウン・モータル・オーケストラ』収録)が聴けて感激しましたよ。あの作品が出た頃はレコード屋で働いていたんですが、それはもう毎日店頭でかけて......
ルーバン:それは素敵だね!
■はい(笑)。あの頃は〈ウッジスト〉とか〈メキシカン・サマー〉とかがまさに旬で、そのあたりと部分的に共振しながら、チルウェイヴというトレンドも爛熟期にありました。
ルーバン:そうだよね。
グレッグ:たしかに。
■で、UMOのちょっとガレージーな感じ、ローファイな感じ、こもった感じ、リヴァービーな感じっていうのは、そうした当時のシーンの雰囲気ととてもシンクロしていた部分があると思うのですが、あなたがたのファンクネスは、ちょっとめずらしくて、際立っていました。UMOには、ミント・チックスの体験を引いている部分もあるかとは思うのですが、パンクからファンクへというリズムの変化があるのは、ミント・チックスやパンクに対するひとつの批評なのでしょうか?
ルーバン:基本的には、前のバンドのドラマーがあんまりファンクできる人じゃなかったんだよね(笑)。どっちかというとパワー・プレイが持ち味で。僕自身は、いまやっているような音に昔から興味があったし、父親がジャズ・ミュージシャンだったこともあって、馴染みもあったんだ。でもはじめたのはたまたまパンク・バンドだった。パンクのなかに徐々にファンキーな要素とかを入れていきたかったんだけど、なかなかああいうグルーヴは腕のある人じゃないと出せないんだよね。当時はまあ、無理だったんだ。だからバンドを離れてひとりで音楽を作ることになったときに、どうしてもちょっと古風なグルーヴを持ったものへと変わっちゃったんだよね。
■なるほど、古風なグルーヴという認識なんですね。今作はちょっとグラムっぽいいうか、UKロック的な音楽性が特徴になってるかなと思います。〈ファット・ポッサム〉にはヤックとかロンドンのバンドもいますけど、アメリカでいまUKロックというのはどんなふうに聴かれているんですか?
ルーバン:ヤックとかはたしかに人気があるよね。バンドによると思うけど、「ブレイクした」って規模の話になると、アークティック・モンキーズくらいかな。
ジェイク:でも、イギリスのバンドがいまアメリカで人気を高めているかっていうと、それは疑問だね。いま「きてる」のは、やっぱりサンフランシスコのガレージ・ロック・シーンだと思うよ。ガールズとかタイ・セガールとか......。
ルーバン:アメリカでイギリスのバンドが成功するのは難しいよね。ビッグにはじけるのは、アデルとかエイミー・ワインハウスとかポップなものでさ。
■そうですよね。ガールズやタイ・セガールなんかは、ちょっとヴィンテージな音づくりをしますね。UMOにも共通するところはあると思うんですが、そんなふうにレトロな音楽性に向かうのは、一種のノスタルジーからなんですか? それともいまの時代に疎外感のようなものがあったりするんでしょうか?
ルーバン:ノスタルジーっていうのはぜんぜんちがうかな。その昔を知っていないと感じられないものだからね。僕らがいま好きで聴いているサイケなものっていうのは、実際は僕らが知らない昔のものだ。ここ8年くらい、そういうものが気になってよく聴いてるんだ。僕にとってリアルにノスタルジックなのは、TLC、ブランディ(笑)、あのへんのR&Bだったら若い頃の思い出とともに懐かしむことができるよね。
サイケデリックな音楽を聴き込めば聴き込むほど思うのは、たとえばピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』とかが典型だけど、あれですべてが変わったなと思えるぐらいの衝撃度――新たなクオリティ、新たなスタンダードを設定したようなね――を伴っているところがすごいんだ。あの当時の作品のすばらしさはそこにあると思う。バンドとしての僕らのありかたは、機材だって新しいしモダンだと思うんだけど、好みのサウンドはたまたま60年代のものとかが多くなってしまうんだ。
■なるほど。モダンだっていうのはすごくよくわかります。曲についてなんですが、前作も今作も、あなた(ルーバン)がとても優れたソングライターなのだなということがよくわかるのですが、プロダクションについてはどうなんでしょう? ローファイっぽさを大切にしながら、とてもこだわり抜かれた音作りがされていると思うんですね。実際のところどのくらいの時間をかけて、どんなふうにサウンド・メイキングを行っていらっしゃるんですか?
ルーバン:ドモ、アリガトウゴザイマス(笑)。すごく時間はかかるんだ。いっさい妥協しないから。古い機材にこだわっているわけでもないんだけど、いまの時代、きれいな音を出すほうが簡単だったりするからね。そうじゃないことをやろうとすると、やっぱり時間がかかるよ。そもそもそのままでおいしい肉がそこにあるのに、僕はわざわざマヨネーズをつけたりいろいろな手を加えたりしてるだけかもしれないよね。さらにはその料理の方法がすごくアナログだっていう。ローファイじゃなきゃいけないと思っているわけではないんだ。
[[SplitPage]]ゾンビーズの『オデッセイ・アンド・オラクル』はとっても好きなアルバムだけど、あれだとちょっとロックさが足りない。キャプテン・ビーフハートも好きだけど、そうするとちょっとプリティさが足りない。そのちょっとの足りなさを自分で補いながらアルバムを作っていくんだよ。
■うーん、なるほどなあ。では曲についてなんですが、 “フェイデッド・イン・ザ・モーニング”などのブルージーなサイケ・ナンバーがある一方で、“ドーン”のようなシンセ・アンビエントが収録されていることは、この作品の持つサイケデリアが単純なものではないことを証明するようにも思います。“ドーン”はどのようにでき、どのような意図で収録されているのでしょうか?
ルーバン:いじりかけの曲を、すごくたくさんPCのフォルダにまとめてるんだけど“ドーン”はそのなかのひとつだったんだ。すごくいい感じにできてるから、もったいないし何かに使いたいって思ってた。今回はアルバムをぶっ通しで聴いてもらうんじゃなくて、何か箸休めというか、ブレイクがあるといいかなと考えてもいたんだよね。そんなときだよ、“フェイデッド・イン・ザ・モーニング”の詞のなかに「徹夜明けで日差しがまぶしい」って部分があるんだけど、あの時間で日がまぶしいってことは、その前に夜明けが来てなきゃおかしいよなって思って、いじりかけの曲に“ドーン”って名前をつけて、そこに入れることにしたんだ。ちょうどね(笑)。
とにかく好きなレコードがたくさんあるから、それに触発されて作りたいと思った音を、自分のレコードのなかに落とし込んでいく、そういうやり方なんだ。ゾンビーズの『オデッセイ・アンド・オラクル』はとっても好きなアルバムだけど、あれだとちょっとロックさが足りない。キャプテン・ビーフハートも好きだけど、そうするとちょっとプリティさが足りない。そのちょっとの足りなさを自分で補いながらアルバムを作っていくんだよ。
■ああー。プリティさは大事ですね。UMOにはありますよ。“ソー・グッド・アット・ビーイング・イン・トラブル”“ノー・ニード・フォー・ア・リーダー”などは、ダックテイルズやジェイムス・フェラーロなどともどこか共鳴するような、どろっとして白昼夢的な音作りがされていると思います。〈ウッジスト〉や〈ノット・ノット・ファン〉〈ヒッポス・イン・タンクス〉といったようなレーベルに共感する部分があったりしますか?
ルーバン:いやー、ほんとにいまは才能ある人々に囲まれている時代だなという気がして、いま言ってくれたようなレーベルとか、この時代の人たちといっしょに名前を語られるのはうれしいよ。ただ、新しく出るレコードをチェックしきれてない部分はあるから、ほんとに新しいものは追いきれてなかったりはするんだよ。で、ふと気がつくと友だちのレコードだったり。
■友だちのレコード、教えてくださいよ。
ルーバン:ええとね、フォキシジェン(Foxygen)、彼らはレーベル・メイトでもあるけどね。あと、ワンパイア。ジェイクがプロデュースしたんだ。
■ああ!
ジェイク:仲良しなんだよね。ポートランドのバンドなんだ。
■うわあ、やっぱりポートランドはいいですね。
ルーバン:なんか力になれればなって思って、ツアーに連れて行ったりしてる。

ある意味、自分のアイデンティティを目立たないように消していくのが、いまの僕のあり方なのかもしれないな......。でもアメリカに住むこともアメリカの音楽も大好きだから、問題はないよ。
■ちょうどポートランドの話題が出ましたけど、ニュージーランドからポートランドに移住したというのは、日本人からすればまあけっこう大きな決断にも見えるんですが、実際のところなぜアメリカだったのか、そしてなぜポートランドだっだのか教えてもらえますか?
ルーバン:前のバンドのツアーで来たのがきっかけかな。たまたま叔父がポートランドに住んでたというのもあったんだけど、当時は例の『ポートランディア』っていうテレビ番組がはじまる前だったから、べつに有名でもなかったし、とくに何か特別な期待は抱いていなかったんだ。でも街を歩いてみるとみんな着ているものはオシャレだし、かっこいいし、バーに行けば好きなアルバムがかかっているし、ちょっとここに住んでみようかなって気持ちになったんだよね。ニュージーランドの友人たちからは「なんで?」って言われたよ、たしかに。ほんとにポートランドはいまみたいに有名じゃなかったんだもん。でも、いまはわかるんじゃないかな。
■みんな住んでないけどよく知ってますよ。ニュージーランドのローカルな音楽シーンって、ポートランドのローカルなシーンと似てたりしますか?
ルーバン:まず、生活のペースは似てるかな。それから、ニュージーランド時代からインディ・シーンに興味があったから、ザ・クリーンとかザ・チルズとかはチェックしてたんだけど、彼らの雰囲気とこちらのインディ・シーンの感じも似ているといえば似ていると思う。〈K〉と〈フライング・ナン〉のノリとかね。ただ、ニュージーランドのほうが、バンド同士が競い合うムードが強かったと思う。ポートランドのほうが仲間意識やコミュニティ感覚が強いかな。
■今作のように〈ジャグジャグウォー〉からリリースということになると、UMOも世界的にはUSインディの重要バンドとして認識されていくことになると思います。ご自身のアイデンティティの問題として、こうした点に何か思いはありますか?
ルーバン:ある意味、自分のアイデンティティを目立たないように消していくのが、いまの僕のあり方なのかもしれないな......。でもアメリカに住むこともアメリカの音楽も大好きだから、問題はないよ。それがパーフェクトなあり方だとは思わないんだけどね。でも、アメリカはミュージシャンとしては活動しやすい国だし、そもそもニュージーランドは小さな国で、音楽をやっている人に限らず、いつかはそこを出ていくというのがカルチャーの一部としてあるんだよね。外に出ていろんなものを発見して、はじめて自国の良さにも気づくっていう(笑)。そういう、外側から国を見つめてその価値を再認識するという昔ながらのニュージーランドのやり方を、いま僕もやっているのかもしれないね。
■なるほど、日本とは違いますね。UMOの曲って基本的にはすごくポップなんですけど、どことなく孤独とか諦念のようなものが漂うように感じます。暗いわけじゃないけど、けっしてハッピーというわけでもない。あなたには実際に「Swim and sleep like a shark does」(“スウィム・アンド・スリープ(ライク・ア・シャーク・ダズ)”)していた時期があるのでしょうか?
ルーバン:いまでもそういう気分になることがあるよ。でもそういう気持ちを曲に書くことでどうしたいかというと、みんなに「こういう思いをしている人が他にもいるんだよ」ってふうに共感してほしいってことなんだ。孤独や疎外感みたいなものを助長しようと思っているわけではなくてね。この気分にはまり込んでもらいたくはない。
昔からブルースのアーティストなんかが悩みを歌にしたりしているのは、悲しい音楽の役割として、悪い状況からの救いになる部分があるからだと思うんだ。同じような思いをしている人が他にいるってわかることで救われるというのが、悲しい音楽の役割のひとつだと僕は思っていて。基本的に、僕が曲を書く根本には音楽を通じてみんなとつながりたい、コミュニケートしたいという思いがあるんだ。ただ、自分の気持ちに正直であればあるほど、ダークなものが表に出てくる。けどそこで終わらずにどこか明るいところを見せたい、見てほしいって思ってるよ。
■ああ、いいお話が聞けました。ありがとうございます。最後にひとつだけ、前作のジャケットの写真ってユーゴスラビアの建物なんですか?
ルーバン:あれはクロアチアだね。もともとああいうふうな写真をベルギーの写真家が撮っていて、いいなと思ってたんだ。だけどその写真を買わせてくれって言ったらあまりにも高い値段を提示されて(笑)。だから観光客の撮った写真をいくつか探して、それをフォトショップで作り直したんだ。もともとのものと似た感じのアングルにして、モニュメントの前に立ってる人間は、僕のまわりの人を撮って組み合わせたりしてね。










