Home > Reviews > Album Reviews > Melody's Echo Chamber- Melody's Echo Chamber
メロディ・プロシェのようなお嬢さんを見ると、わたしのようなZ級ゴシップ・ライターが連想するのは、昨年ジョニデと離別したヴァネッサ・パラディとか、ラース・フォン・トリアー監督のミューズになって「衝撃の性描写!」(見出しにおける感嘆符の多用は、日本語ゴシップ・ライティングの基本だ。英文ゴシップでは一切使われないが)な話題の多いシャルロット・ゲンズブールとかだ。彼女らも、若い時分には、いまをときめく男たち(父親を含む)に愛され、バックアップされて君臨したポップ・プリンセスだった。
『Lonerism』が2012年の『NME』のベスト・アルバムに選ばれたテーム・インパラのケヴィン・パーカーも、いまをときめく男には違いなく、彼の全面的バックアップのもとに昨年リリース!! された本作は、まるでLUSHかと思った。で、いやあ、でもこれなら当時のUKのほうが良かった。などという年寄りらしい偏狭な心持になり、卑屈な目つきでRIDEの『Nowhere』を聴きはじめたりしていたのだが、ちょっと待てよ。と思った。冷静に考えると、なぜに豪州人と仏国人が歩み寄ってブリテンで出会っているのだろう。
フランス語は温かい響きを持つ言語だ。が、フレンチ訛りの英語というのは、その温かみが災いし、どことなく間抜けな響きになる。かわいい仏人娘に舌っ足らずの英語で歌わせて喜ぶのは英語圏の男にありがちな性癖だが、メロディ・プロシェは"Bisou Magique"や"Quand Vas Tu Rentrer?..."などのフランス語で歌っている曲のほうがずっと良い。
そういえば、オーストラリア英語にも妙な温かみがあり、近年は、語尾がゆるーく伸びて必ず半音上がる、泥くさいような、すっとぼけているような、オーストラリア人独特の温かみのある喋り方がなぜか英国の若者のあいだで流行しているが、テーム・インパラの音楽も、語尾が上がる豪州英語のようだ。言語の特徴が人間の性質に影響を及ぼすとすれば、豪州と仏国の人間の体温は、明らかに英国人よりも高そうである。
そんな豪州人サイケ・キングと仏人ポップ・プリンセスがコラボして出来た音楽は、80年代末から90年代初頭の寒い英国のインディ・バンドみたいでした。というのは、なんか釈然としない。いっそ、このぼやけたシューゲイズによるドリーミー感を取り除いたらどうだろう。LUSH&フランス・ギャルじゃなくて、レッド・ツェッペリン&エディット・ピアフみたいな、怒涛のサイケデリック・シャンソンをやってみたらどうだろう。と考えてしまうのは、このアルバムがその可能性の片鱗を見せているからだと思う。
しかし、ふわふわドリーミーなのは恋愛初期の特色でもあろうから、怒涛のコラボなんてやりだしたら、彼らは突然炎のごとく電撃破局!!! しているかもしれないが。
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とはいえ、今年に入って掲載された豪州メディア『TONEDEAF』の記事を読むと、メロディ・プロシェはさらっとこんなことを言っているのだった。
「次の録音が待ちきれない。とてもハッピーだと思える地点にいるの。だけど、もしケヴィンからインスピレーションをもらえなくなって、彼やPondのメンバーと一緒に仕事できなくなったら、私は同じぐらいインスピレーションをくれる他の誰かを見つけるわ」
個人的には、今年はStealing SheepやHaimのようなDIY色の濃い女の子バンドにこそ活躍して欲しい。(DIYレトロの括りなら、男の子デュオのFoxygenもクールだし)。
37年の時を経て再び確認しておけば、DIYとは、自分でやれ。ということである。
ブレイディみかこ