Home > Reviews > Album Reviews > Circuit Des Yeux- CDY3
揚げ足を取るようで後ろめたいが、許せ。編集部にはつねに火花が必要なのだ。橋元優歩の「月刊ウォンブ!」のライヴ評におけるfailureは、現場レポートなるドキュメントで、「城戸さん」というフィクションを挟み込んだことではない。仮に松村正人がオオルタイチのライブ評で宇宙人ポールとの対話を用いたとしても、それは文章表現のひとつのレトリックである。ひとつ、あの文章にfailureがあるとしたら、せっかく彼女はひとりで行ったのに、ひとりで行ったという事実を濁したことだ。
僕の女友だちのベテラン・クラバーによれば、最近は、ヒップホップのクラブにはひとりで遊び来る女の子が増えているそうである。これは、なかなかの変化だ。10年前は、ヒップホップのクラブに来る女といえば、いかつい(いかのも腕力の強そうな)男と一緒にいる、やけに綺麗な女と相場は決まっていた。が、いまでも毎週のようにナイトアウトしている僕の友だちの報告によれば、若い女の子ほどひとりで行く率は高く、しかも、行く手を阻むかのように待っているナンパ攻撃をかわすように、ひとりで来ている女の子同士が仲良くなってしまうらしい。むしろ、いまでは群れていないと行動できないのは男に多いそうで、たしかに僕も、「月刊ウォンプ!」には小原君、ワラ君という、いかつい男ふたりと一緒に行っている。いつの間にか遊び方のジェンダーは逆転しているのだ。
ヘイリー・フォールは、ひとりで行き先を選び、ひとりで行動を決めて、ひとりでことを成し遂げる、現代っ子的な女性である。
なにせ彼女はまだ23歳なのだ。しかも借金は5万ドル。彼女が18歳のとき、ハイプ・ウィリアムスの初期のリリースで知られる〈De Stijl〉からサーキット・デス・ヤックス名義で3枚のアルバムを出している。借金取りから逃げるように彼女は音楽家になった。インスピレーションは「恐怖」と「絶望」だ、とヘイリーは話している。
大学を出て間もない。ベーグル屋で週に50時間バイトしている。ヘイリーの回想によれば、インディアナ州にある実家は彼女の進学に経済的な援助をしなかった。知識を得る機関(大学)の価格の格差に彼女は腹を立てている。彼女は、アメリカの平等と自由が欺瞞であることを知っている。卒業後の人生は「ストラッグル(戦い)」だ、と彼女は言う。つまりヘイリーにはスプリングスティーン的な資質もある。
だから彼女は、エリザヴェス・フレイザーやグルーパーのように囁き声を使わない。ニコのような低めの声で、時折『ムーン・ピックス』の頃のキャット・パワーのような(つまり思春期的な)メランコリーと、時折USガールズのようなノイズを注いでいる。
『CDY3』は、サーキット・デス・ヤックス名義の最新10インチで、3曲入り。彼女も参加しているコズミック・サイケデリック・ロック・バンド、スリー・オープン・セックスのアルバムとも共鳴しているようだ。つまり、松村正人が、いや、倉本諒が宇宙人ポールと一緒にアモン・デュールIIのライヴに行ったとしよう。「どうだい、ポール、これは?」「うん、まあまあだね」「こないだのよりも良いだろう?」「まあ、悪くはないね」「おいおい贅沢言うなよ」......これはまだコンサート会場に到着する前段階である。
「女性である前に人間であればよかった」と、ヘイリー・フォールは話している。ひとりでクラブに行く女の子も、「女性である前に人間」として、「女性である前にひとりの音楽ファン」として、そこに出かけているわけだが、どうやらジェンダーに振り回されているのは男のほうなのかもしれない。
そして、インドの修道院で暮らすことなくコズミックでいられることは、音楽のひとつの可能性である。B面の"Helen You Bitch"は、彼女のわめき散らすようなフィードバック・ノイズがひたすら続くサイケデリック・ロックだ。フォーク・ロックの心地よさから逃げるように、彼女はひとりで飛んでいく。レコード針からはものすごいエネルギーがカートリッジを伝わり、トーンアームへと、そしてケーブルを伝わってアンプへと、さらにまたスピーカー・ケーブルへと伝わって、コーンから、飛び出てくる。猫は髪を逆立て、犬が吠える。また新しい女、いや、人間の音楽家が出てきた。
野田 努