「AY」と一致するもの

interview with Jordan Rakei - ele-king

すでにハッピーな人をもっとハッピーにすることができる、そう信じているんだ。セラピーは何も、鬱や、PTSDといったものの治療ばかりとは限らない。あれは実は、この世界をもっとより客観的に眺めるのを助けてくれる、アメイジングな道具なんだよ。

 これまで3枚のアルバムをリリースし、新世代のシンガー・ソングライターとしてのポジションを確立させたジョーダン・ラカイ。もともとニュージーランド出身で、オーストラリアで活動基盤を築いた後にロンドンへ渡り、そこでトム・ミッシュロイル・カーナーアルファ・ミストリチャード・スペイヴンといった面々とコラボし、さらなる成功を収めていく。さらにはアメリカのコモンとも共演するなどワールドワイドに活躍の場を広げているジョーダンだが、そうした活動の華々しさに対して音楽そのものには非常に繊細で内省的な面がある。セカンド・アルバムの『ウォールフラワー』(2017年)がそうした一枚で、ネオ・ソウルの新星と持てはやされたファースト・アルバムの『クローク』(2016年)とは違う世界を見せてくれた。「AIシステムに立ち向かう人間の未来」を描いたサード・アルバムの『オリジン』(2019年)では、テクノロジーやネット社会が進化したゆえのディストピアへの警鐘を鳴らし、一方でディスコやAORテイストのダンサブルなサウンドも目立っていた。

 3枚のアルバムでそれぞれ異なる世界や音楽性を披露してきたジョーダンだが、ニュー・アルバムの『ワット・ウィ・コール・ライフ』もまた、いままでとは違う作品となっている。録音スタイルで見ると、いままではひとりでスタジオに入ってトラック制作をすることが多かったのだが、今作はすべてバンドとリハーサルしながら曲作りをおこなっている。そして、歌詞の世界を見ると実体験に基づくパーソナルな作品が多く、より深みとリアリティを増したものとなっている。結果として『ウォールフラワー』のように内省的でアコースティックな質感の楽曲が多いのだが、そこにはセラピーによって自己の振り返りをおこなったこと、ブラック・ライヴズ・マター運動を通じて自身のルーツに思いを馳せたこと、そしてコロナ禍での生活など、さまざまな経験が『ワット・ウィ・コール・ライフ』を作っている。音楽家としてはもちろん、ひとりの人間としてのジョーダン・ラカイの成長が『ワット・ウィ・コール・ライフ』にはあるのだ。

振り返ってみると、実は非常に多くのアドヴァンテージを与えられてきたじゃないか、と。単に自分の肌の色、そして自分のジェンダーのおかげでね。自分の特権を理解することを通じて、格差をもっと縮めようとし、できるだけ誰にとっても平等なフィールドをもたらしたい。

今日は、お時間いただきありがとうございます。

ジョーダン・ラカイ(Jordan Rakei、以下JR):いやいや、こちらこそ、取材してくれてありがとう!

いまはどんな感じですか?

JR:うん、アルバムが出たところでハッピーだし、エネルギーの波に乗ってる感じ(笑)。エキサイトしていて、アルバム・リリースのドーパミンが出てるよ。フフフフッ!

(笑)。近年のあなたを振り返ると、2019年にリリースしたサード・アルバムの『オリジン』のリリース後、日本公演も含むワールド・ツアーやアメリカの公共ラジオNPRがおこなうライヴ企画「タイニー・デスク・コンサート」への出演、『オリジン』を絶賛したコモンとの共演、別名義のハウス・プロジェクトであるダン・カイによるアルバム『スモール・モーメンツ』のリリース、コンピ・シリーズの『レイト・ナイト・テールズ』や〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトである『ブルーノート・リ:イマジンド 2020』への参加など、忙しい活動が続いていました。

JR:うんうん。

そうした中でコロナ禍があり、以前とは日常生活や社会、そして音楽業界も変化してきていると思います。あなた自身や周りではいろいろ変化はありましたか?

JR:いい質問だね。うん、あれで僕は……コロナが(昨年春)ロンドンに広まったとき、あそこから確か、僕たちは4ヶ月近くロックダウン状態に入ったんだ。で、あの状況のおかげで僕は、自分に音楽があるってことをありがたく思うようになったね。音楽は僕にとってホビーであり、と同時に自分のキャリアでもある。もちろん、自分の家にこもってばかりいたから、ロックダウン期はやっぱりとても退屈ではあったんだ。ただ、僕はアルバムを作っていたし、サイド・プロジェクトとしてダン・カイ名義で『スモール・モーメンツ』を作ったり。だからあのロックダウン期間中の多くを、自己投資する時間を見出しながら過ごしていた、というのかな? これがパンデミック状況じゃなかったら、僕は大抵他の人びとの作品をプロデュースしたり、ツアーをやったり、他のアーティストのために曲を書いて過ごしているわけで、今回はほんと、自分自身にフォーカスできる滅多にない機会だった、みたいな。だからなんだ(笑)、ここしばらくとても生産的だったのは! コンピレーションをまとめることもできたし、〈ブルーノート〉のプロジェクトにも参加でき、『スモール・モーメンツ』に今回のアルバム、と。うん、ほんと創作にいそしんでいたなぁ自分、みたいな(笑)。そんなわけで音楽的な面で言えば、自分のために時間を割くことができるようになったのは本当に良かったし、一方でパーソナルな面では、些細なことにもっと感謝するようになった。たとえば友人に会う機会を以前より大事に思うようになったし、それだとかディナーで外食に出かけることとか。外食はいままで別に大したことないと思っていたんだけど、ロックダウン中はそうした機会はすべて僕たちから取り去られてしまったわけで。だからいまの自分は、人生全般に対してもっとありがたさを感じるようになった。

ニュー・アルバムの『ワット・ウィ・コール・ライフ』は、そうしたコロナ禍によって変わってしまった世界と結びつく部分はありますか?

JR:ああ、そうなんだろうね。今回のアルバムの響きには、もうちょっとこう、静観的というのか、内省的な要素がある。自分に言わせればよりダークというか、かなり楽しくダンスフロア向けだった『オリジン』に較べて、もう少しエモーショナルかつダークなんだよ。だから、そうした面は部分的にインパクトを受けたと思う。けれども、実際に僕がこのアルバムを作っていた間は、僕のスピリットそのものはかなりポジティヴだったんだ。先ほども話したように、ロックダウン中は時間をすべて自分のために使えたわけだし、アルバムを作ることに対して相当エキサイトしてもいた。だから、やや入り混じっているというのかな、アルバムには明るくポジティヴな面もあるし、一方でかなりダークな部分もある。僕自身としてはかなり良いミックスになったと思ってるよ。

『オリジン』のテーマには「AIシステムに立ち向かう人間の未来」があり、テクノロジーやネット社会が進化したがゆえのディストピアを描いていましたが、『ワット・ウィ・コール・ライフ』におけるテーマは何でしょうか?

JR:主たるテーマと言えば、心理セラピーを受けに行き、そこで自分が学んだ教訓すべて、だったね。自分の子供時代について、結婚したこと、オーストラリアからロンドンへの移住、自分の両親、そして兄弟との関係についてなどなど、セラピーを通じて学んだ教訓のすべて。というわけで基本的にアルバムの全体的なストーリーは僕が自分自身について学んだことだし、それらを聴き手とシェアしようとしている。だから歌詞の面での表現も、いわゆる内面で観念化したものより、もっとずっとパーソナルになっているっていう。

具体的にどのようなセラピーだったのですか? いわゆる「セラピストのもとに通い、寝椅子に横たわって過去を語る」というもの?

JR:(笑)その通り。そもそもは実験として、面白そうだからやってみよう、ということだったんだ。というのも、セラピーを受けた当時の自分はかなりハッピーな状態だったし、とにかくセラピストがどんなことをやるのか興味があった。自分はそういったことに詳しくなかったから、実際はどんなものなんだろう? と。そんなわけで、とてもオープン・マインドかつハッピーな状態でセラピーを受けにいったところ、セラピストの女性からあれこれ質問されていくうちに、この(苦笑)、自分の心の内側にフタをしてあった邪悪な部分みたいなものをいろいろ明かしている自分に気がついた、というか。

へえ、そうなんですか!

JR:うん、かなり驚異的な体験だった。セラピーの過程をナビゲートしていくのを手伝ってくれる、いわば第三者的な存在の人と一緒に自分自身の人生を振り返る、という行為は。そうだな、おかげで自分の子供時代にも戻ることになったし、学校で起こった様々な出来事だとか、もっと小さかった頃の兄弟との思い出なども出てきて……あれはかなりいろんなことを明かしてくれる体験だったし、僕はセラピーをみんなに勧めているんだ。そうは言っても、中には自らの過去に改めて深く潜っていくのがとても難しい、と感じる人も確実にいるだろうし、無理にではないよ。ただ、いま現在の自分を人間として理解するのに、セラピーは非常に役に立つと思う。

でも、あなたはセラピーを受けるには若過ぎじゃないかと思うんですが(笑)?

JR:ハハハハハッ!

実験や興味半分でやってみたとはいえ、普通セラピーと言えば、メンタル面で問題があるとか、「中年の危機」に際して受けるものではないかと?

JR:フフフッ! それは、僕がいわゆる「ポジティヴ・サイコロジー」というコンセプトを信じている、というところから来ている。どういうことかと言えば、メンタル・ヘルスの療法や心理学で用いられるツールを使い、悲しい状態からノーマルな状態に持っていくのではなく、通常の状態からハッピーな状態へ、そしてハッピーな状態からさらにハッピーな状態に人間を導いていく、というもので。だから僕はセラピーを利用することで、すでにハッピーな人をもっとハッピーにすることができる、そう信じているんだ。セラピーは何も、鬱や、PTSDといったものの治療ばかりとは限らない。あれは実は、この世界をもっとより客観的に眺めるのを助けてくれる、アメイジングな道具なんだよ。

そうやってセラピーを通じて子供の頃のこと、両親や兄弟との関係、ロンドンに移住して自立したこと、結婚生活について、両親の夫婦関係と自身の夫婦関係との比較や理解など、いろいろなことに考えを巡らせました。また、幼い頃からの鳥恐怖症や――

JR:うん、フフフッ!(苦笑)

その根源となる予測不可能なものに対する恐怖など、自身の内面にあった疑問がいろいろわかってきたと聞きます。恐れは克服できました?

JR:(うなずきながら)あれはおかしな話でね。僕のこれまでの人生ずっと、鳥は恐れる対象だった、みたいな。バカげた、根拠のない恐怖なんだよ。自分では説明がつくんだけど、ただ、いまだに鳥はおっかない。ほんとバカらしいよね、でも、なんとか克服しようとがんばっているところだよ。でまあ、僕が気づいたのは、鳥は……僕のいろんな恐れの中心めいた対象だったんだけど、いまやそれを、予測のつかないものに対して抱く恐れを象徴するものとして捉えている、みたいな? 僕はルーティンを守ったり、前もって計画を立てるのがかなり好きな方だし、けれどもたとえば、誰かに立ち向かうといった予測不可能な事柄、知らない人に面と向かうのは本当に怖い。それだとか社交面で感じる不安もあって、他の人びとと接して社交する状況にもビビる。そういったものはどうなるか予測できないし、何につけても、予測不可能なものには苦戦してしまうんだね。というのも……そうだなぁ、自分の中に何らかの反応が引き起こされてしまう、というか? セラピーに通って気づいたことのひとつも、僕はそういう体験には困難を感じるってことだったね。

ライヴ・パフォーマンスの場ではどうなんでしょう? あれも見知らぬ人が多く集まる、ある意味予測不可能な状況だと思うんですが。

JR:(笑)確かに。ただ、ライヴは対処できるんだ。おもしろいことに、僕はアガることがまったくなくてね。ステージに上がるのが怖いってことは一切ない。どうしてかと言えば、自分は本当にしっかり練習してきたし、リハーサルもよくやって、観客に向けて自分がどんなことをやりたいかきちっと把握している、という感覚があるからで。それに大抵は、観客もこちらのやることに拍手を送ってくれるわけで(笑)。ある意味、観客が喝采してくれ、僕が何か語りかけるとみんなが笑いを返してくれる、というのはある程度は予想可能だし、その状況を自分も理解している、と。とは言っても、(単独公演ではなく)フェスティヴァルでプレイするのは少し勝手が違って、状況を予測するのがやや難しくなるね。お客さんも僕が何者か知らないし、だからフェス出演では普段より少しだけナーヴァスになる。うん、それは自然な成り行きだし……とは言っても、基本的に僕はステージではアガらない。

そうしたセラピーによって音楽制作も影響されるところは大きかったのでしょうか?

JR:ああ、確実に作詞面では影響された。どの曲も、歌詞に関してはあのセラピー体験について、みたいなものだから。ただし音楽面で言えば、「たぶんそうじゃないか」ってところかな……? たぶん影響されたんだろうな、僕はあのムードにマッチするような音のパレットを作り出そうとしていたわけだし。そうしたムードの多くは生々しくエモーショナル、かつアトモスフェリックなものだったし、僕はあれらのストーリーを運び伝える詩的な媒体を与えたかった。そうだね、セラピーは僕に、歌詞そして音楽の両面で大きく影響したと思う。

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自分の傷つきやすさを捨てて、誰かに対してやっとオープンになれた自分についての歌だし……それはほんと、メタファーを使って書けることではない。

昨今の社会情勢が『ワット・ウィ・コール・ライフ』にも反映されていて、たとえば“クラウズ”はブラック・ライヴズ・マター運動に触発された曲です。あなたのルーツを辿ると、父親はクック諸島のマオリ族出身で、母親はニュージーランドの白人という混血ですが、肌は白かったので白人としての扱い、いわゆる「ホワイト・プリヴィレッジ」を受けてきた。で、オーストラリアという白人が大半の国で育ち、その後イギリスへ渡った。BLM運動によってそれまであまり気にしてこなかった自身の肌の色やルーツを見つめ直し、それによって受けてきた経験に思いを馳せて書いたのが“クラウズ”というわけです。改めてこの曲にこめたメッセージについて教えてください。

JR:うん、いま言われたことは基本的にあの曲をよく要約してくれている。ただ、あの曲で僕が話しているのは……まず、自分は人種が混じっていると自覚した、というのがあって。だから、これまで成長してきた間に、人種が混じっているということすら忘れてしまっていたんだよね、というのも僕の肌の色はご覧の通り白人のそれなわけで。で、ああした(BLM運動の)様々なことが起きていた中で考えていたんだ、「ああ、自分の父親の肌の色がブラウンだったことをすっかり忘れてたな!」と。父親はニュージーランド、そしてオーストラリアで暮らしてきた人生の間ずっと、ああした経験に対処してきたに違いないし、でも僕はそれについて彼と話し合ったことがなかった。彼がこうむったかもしれない人種差別に、僕はちゃんと共感したことがなかった、というか。で、先ほど言われたような自分が受けてきた特別扱い、純粋に自分の肌の色ゆえに与えられた特権について僕も考えさせられたし、白人の多い国オーストラリアで育ったことについて考え、また現在もロンドンのような場所で暮らしているし──ロンドンはもちろん多文化社会とはいえ、やはり白人が多いわけで。だから僕はとにかく、「ちょっと待てよ」と思った。というのも、僕はこれまでずっと一所懸命働いてきたし、自分が成功できたのはその努力の賜物だよ。ところがそんな自分のこれまでを振り返ってみると、実は非常に多くのアドヴァンテージを与えられてきたじゃないか、と。単に自分の肌の色、そして自分のジェンダーのおかげでね。白人の男性であるおかげで自分は成功を収めることができたというか、ハード・ワークに由来するものではなく、自分は最初の段階から得をしてきたんだな、と。で、あの曲は一種、そこから来る自分の罪悪感というか、その点を理解し、自ら認め、その上で問題に取り組みつつ前に進んでいこうとする歌なんだ。自分の特権を理解することを通じて、格差をもっと縮めようとし、できるだけ誰にとっても平等なフィールドをもたらしたい、そういうことだと思う。

そうしたリアリティと向き合うのは難しいことですよね。あなたが非常に努力して現在の立場にいるのは我々も理解していますが、現在の社会では「白人男性」のアイデンティティはとても多くの角度から敵視されてもいて。

JR:(うなずきつつ聞いている)。

そうしたアイデンティティの持ち主というだけで批判されてしまうのは、フェアではないんじゃないか? という気持ちも抱きます。たとえばの話、私からすれば旧型の「白人男性の特権」の象徴と言えばドナルド・トランプで。

JR:フハハッ!(苦笑)

彼は親からビジネスを受け継いだだけで、まさに父系社会の産物ですが、あなたはそうではなく自力でここまで来た。そんなあなたが罪悪感を抱くのは、逆にこちらもモヤモヤしてしまいます。とても複雑な話なので仕方ないとはいえ……。

JR:そうだね、複雑だ。だから、さっきも話したように、自分の中でも入り混じっているんだと思う。これまでずっと、本当に努力を重ねてきたのは自分でも承知しているからね。ただ、それと同時に、たとえば……キャリア初期の頃、僕はもっとトラディショナルなソウル・ミュージックを作っていたわけだよね。ところが、UKはもちろんアメリカ、いやそれ以外の世界中にも、とんでもなく優れた黒人のソウル・シンガーで、成功していない人たちはいる。でも、僕は白人でそれをやっていたからちょっとした存在になったというか、アウトサイダーながらソウル・ミュージックをやっている風変わりな奴みたいなものになって、人びとから「おっ、彼は白人なのにこういう音楽をやってて変わってるぞ、クールだ、彼の音楽を流そう」と注目された。その点ひとつとってすら、伝統的なソウルのコミュニティの中では僕には違いがあり、それが有利に作用して初期の自分が他の人より成功することに繫がった、というか。間違いなく僕は努力したし、練習も多く重ねて歌もさんざん歌い、少ないお客相手に何年も演奏するなどの下積みはやってきた。けれども、一方で、それとは別の側面では恩恵を受けてもきたんだよ。

“ファミリー”をはじめ家族や兄弟などについて書かれた曲もいろいろあります。家族や兄弟などプライヴェートな部分を歌詞にするのはとても勇気がいることかと思います。また歌詞も以前のように曖昧で比喩的なものではなく、“ファミリー”や“アンガーディッド”では直接的な言葉を使ってストレートに表現している場面もあります。ソングライティングをする上でいろいろ心境の変化があったのでしょうか? 以前に比べて自分をさらけ出すことを恥ずかしく思わなくなったそうですが。

JR:うん、それは確かにある。特に、君の言う通り“ファミリー”のようなトラックはそうだね。以前の僕は両義的な曖昧さ、そしてメタファーを用いて歌詞の意味合いを隠すのが好きだった。それはきっと僕自身に、ストーリーをオープンにさらけ出す自信が充分なかったからだろうね。ところが“ファミリー”では、あのストーリーを語る唯一の手段は本当に、比喩を用いずダイレクトに語ることだけだろう、そう思えた。その方が、もっと理解しやすいからね。そうは言っても、アルバム曲のいくつかにはやっぱり抽象的というか、比喩を用いたものもあるけどね、僕はああいう曲の書き方のスタイルも好きだから。ただ、数曲は、自分がこの内容を本当に語りたいのならばダイレクトに書くしかない、というものだね。たとえばさっき君の挙げた“アンガーディッド”、あれは妻との出会い、そしてそこで自分の傷つきやすさを捨てて、誰かに対してやっとオープンになれた自分についての歌だし……それはほんと、メタファーを使って書けることではないし、どんな風だったか、とにかくありのままに書く以外になかった(笑)。だから、そうしたふたつの書き方の混ざったものだし、おそらくそれは自分も成長した、人間として以前より成熟しつつあるってことなんだろうね。おかげで、場合によってはもっとオープンになった方がいいこともあると気づかされたっていう。

そうやって歌詞の中で自分を出し、弱さも見せることには勇気が必要だと思います。

JR:うん、僕もそう思う。妙な話だけれども、僕の場合、歌を通じてそれをやる方がずっと楽に感じられるんだ。たとえばどこかで友人と会って、そこで「お前の子供時代がどうだったか教えてよ」と友人に言われたら、面と向かって話す方がずっとやりにくいだろうな、みたいな?(苦笑)

(笑)確かに。

JR:いざ話そうとすると難しい。でも、それを歌に書くとなったら、曲作りは僕自身のスペースの中でやれるし、ある意味音楽の後ろに隠れて語ることができる、という面もあるからね。んー、まあ、音楽の中での方がほんと、自分をさらけ出すのがずっと楽なんだ。で、いまの自分としては、その方向にもっと進んでいきたいな、と。

サウンド面を見ると、いままでのようにあなたがある程度のベース・トラックを作った上で必要に応じてゲスト・ミュージシャンを入れて録音していくのではなく、バンドとしてスタジオに入っていちからサウンドを作り上げていくレコーディングがおこなわれています。あなたのバンドはいろいろツアーをしてきて結束も強くなり、今回はそうしたバンド・サウンドを求めてレコーディングに入ったのですか?

JR:その通り、まさにそう。僕がこの作品で捉えたかったのは……以前は、音楽はすべて自分で書いて、ライヴの準備のためにそれをリハーサル場に持ち込んで皆でプレイする、というものだった。で、彼ら(=バンド)は毎回、さらに良いサウンドにしてくれるんだよ。というわけで僕も「彼らと一緒に書かなくちゃいけないな」と思ったんだ、そうすれば、レコーディングする前の段階で彼らにもっと良いサウンドにしてもらえるから(笑)。というわけでスタジオに入って──うん、これまた混ざっているんだよね。彼らバンド側の出してきたアイデアをすべて享受しつつ、でも、自分自身にも挑戦を課したかったから、僕は今回は典型的な、オールドスクールなプロデューサーの役割を自分にもっと割り当てたんだ。ある意味少し後ろに退いて、耳を傾けた。キーボード、ギター、といった具合に各パートに集中するよりも、むしろもっと音楽全体の視界を聴くというか、音楽そのものと、そこからどんなフィーリングを受け取るかに耳を傾けていった。だから実際、今回はスタジオのコントロール・ルームで過ごすことが多かったんだ、他のみんながレコーディングしている間も、自分は昔気質なプロデューサー役をやっていたっていう。あれをやるのはチャレンジだったけれども、とても楽しんだし、これまでとはまた別のやり方で音楽について多くを学んだ、という気がしている。僕はアルバムごとに音楽作りのプロセスを変えていくのが好きだし、だから次のアルバムではまた違う創作過程を踏むかもしれないよ(苦笑)、まあ、どうなるかわからないけれども。ただ、今回のようなアルバムの作り方は素晴らしかったね、うん。

ウェールズの田舎で友人のミュージシャンたちと作ったそうですが、利便性の高いロンドンではなくウェールズを選んだのは何か理由がありますか?

JR:(笑)それは、僕たちは気を散らされるあれこれから逃れたかったからなんだ。僕としては、このレコーディング・セッションを一種の曲作りのために向かう小旅行とか休暇、それとも田舎の隠遁所で過ごす経験、みたいなものにしたかった。でも、いつもとは違う空間にいると、なんというか、自分の頭を別の働き方のモードに置くことになる、というのかな? たとえば、ロンドンにいたとしようか。僕たち全員がロンドンでこのアルバムを制作していたとして、ある日ひとつトラックを仕上げたら、みんな「さーて、どうやって家に帰ろうかな。夕飯は何を食べよう?」と考えなくちゃならない。日常生活のあれこれも考えながらやっているわけ。ところが田舎に滞在していると、日常は忘れて音楽だけに集中することになる。散歩に出かけて、木立の中を歩いて樹々を眺めているうちにインスピレーションが湧いて、スタジオに戻ってまた別のトラックに取り組んで、それで“ファミリー”ができ上がった、とか。だからあれは本当にオープンで、かつリラックスした音楽の作り方だった。と同時に、プレッシャーもあったけどね、自分たちが何をやろうとしているのか、僕たちにはまったくわかっていなかったから。でもその一方で、ああやってスタジオにいられるのはとても解放的な体験だった。だからあの2週間は本当に、くつろぎながらあの環境に入っていった、というか。

バンドのメンバーが全員揃って強制的にスタートするのではなく、ジャム・セッション的なことをしていく中でメンバーからいろいろなアイデアが生まれ、そうした自然発生的でクリエイティヴな雰囲気の中で楽曲が磨かれていったと聞きます。ただ、前もって何も決まっていないと、「さて、どうしようか?」と途方にくれてうまくいかない場合もたまにあったんじゃないかと……。

JR:(苦笑)。

自由だったセッションを、どんな風に舵取りしていったんでしょうか?

JR:いや、意外なことに、そういう困った場面に僕たちはあまり出くわさなかったよ(笑)。それにはクールな逸話があって……ある朝、僕たちは作業をはじめて1曲仕上げたんだ。アルバムの6曲目の“ワット・ウィ・コール・ライフ”、あれをその朝に録り終えた。よし、ということで、ランチを食べ昼休みをとって、作業再開になった。ところがみんな腹一杯ランチを食べたせいで、かなり無気力になってしまって。

(笑)。

JR:(苦笑)おかげで、みんなやる気を起こそうと必死だった。僕はそうじゃなかったけどね、そもそも、普段からそんなに食べない方だから(笑)。で、自分はまだエネルギーが余っていたし、一方でバンドの連中は満腹で不活発になっていて、でも僕は「よし、あのシンセサイザーで何かやろう」って感じで。そこで、“アンガーディッド”のイントロになっていくベース・ラインを弾きはじめた。だからなんだ、あの曲の冒頭部がとても剥き出しな感じになったのは。そういう風に自分が淡々と弾いていたベース・ラインに過ぎなかったからだし、でも、弾いているうちにこれはいいぞ、レコーディングしよう、と思い立った。そこからはじまったようなものだったし、徐々に僕はあの曲、“アンガーディッド”へと組み立てていった。ああした素敵な、ゆったり動いていく歌が生まれたのは、僕たちがみんなパスタを腹一杯食べてダルくなっていたからだった、という(苦笑)。

(笑)。

JR:(笑)あのときくらいだったかな、僕たちが作業を進めるのにてこずったのは。でも、ある意味あれはあれで良かったんだ、だってあそこから“アンガーディッド”が生まれたんだからね。

ビートメイカー的で、よりプロセスの細部まで突っ込んでいくタイプのプロデューサーではなくて、今回の僕はもっと俯瞰するプロデューサーをやってみたんだ。

メンバー間の意思疎通が豊かであるからこそ生まれる雰囲気ですし、先ほどもおっしゃっていたように、今回あなたはいわばクインシー・ジョーンズ的に全体像を見るアプローチをとった、と。やはり、そこにはあなた自身のミュージシャンとしての成長もあったわけですか?

JR:その通りだ。おそらく、5年くらい前の自分にこの作品は作れていなかっただろうと思う。ロンドンで過去数年、実に多くのミュージシャンをプロデュースし一緒に仕事してきたし、いろいろな人びとのために曲もたくさん書いてきた。そうやって僕はある意味、制作プロセスへの異なるアプローチの仕方を学んできた。そこで考えたんだ、これと同じことを自分のアルバムでやってみたらどうだろう? と。プレイヤーとして演奏の多くをこなすというより、むしろもっと総合プロデューサー的にあらゆる面に目を配る、というね。で、アーティストでありつつ自分でそれをやれるのは本当にラッキーだと思っているよ、セッションそのもの、あるいはクリエイティヴなプロセスを前進させるためにプロデューサーに頼らざるを得ないアーティストをたくさん知っているからね。でも、僕には自分の音楽をどんなサウンドにしたいか、そのヴィジョンがちゃんとあるし、と同時に曲を書いてもいる。だから非常にラッキーというのかな、曲を書くことができ、かつ、それをどう仕上げるか、プロセスの最後まで見通すこともできるのは。自分の頭の中にヴィジョンが存在するからね。で、それはこれまでの経験を通じて学んだことだったし、クインシー・ジョーンズ的な全体を見るスタイルのプロデューサーという意味で、確実に自分ももっと進歩したと思う。たとえばそうだなぁ、フライング・ロータスのようなビートメイカー的で、よりプロセスの細部まで突っ込んでいくタイプのプロデューサーではなくて、今回の僕はもっと俯瞰するプロデューサーをやってみたんだ。

『オリジン』では曲作りにおいてスティーヴィー・ワンダーやスティーリー・ダンからの影響を述べていましたが、『ワット・ウィ・コール・ライフ』を作る上で聴いていたのはローラ・マーリング、スコット・マシューズ、ジョニ・ミッチェル、ジョン・マーティンだそうですね。新旧のフォークやフォーク・ロック系のシンガー・ソングライターたちですが、彼らのどのような部分があなたの音楽に影響を与えているのでしょうか?

JR:彼らみたいな人たちは、音楽の中でもっとストーリー・テリングを基盤にしているからだと思うし、それに音楽的にもはるかにそぎ落とされて簡潔だよね。もちろん僕のアルバムはそぎ落としたものではないし、実に多く幾層も音が重なっている。とはいえ、思うに自分は、彼らの歌詞の書き方、そしてその歌詞の伝え方からインスピレーションをもらったんだろうね。それから、ハーモニーとメロディに対する彼らのアプローチの仕方にも。たとえば、スティーヴィー・ワンダーは非常にエキサイティングなハーモニーを使うんだ、非常にジャズ・ベースなハーモニー、あるいはファンクが強く基盤になったハーモニー、といった具合に。でも、今回のアルバムで僕はあまりそれはやっていなくて、それよりもっとソングライターがベースの、非常に多くレイヤーを重ねたものになっている。うん、そういったことに自分は足を踏み入れていったんだね、より歌がベースの、フォークが基盤の音楽へと。で、「このフォークがベースになっている音楽を、どうやったらもう少しモダンな、エレクトロニックな響きを持つものにできるだろう?」と自問していた。だからこのアルバムは新旧の世界の間に架かった橋、そこに存在するものだと思う。

以前のインタヴューではボン・イヴェールとも共演したいといったことも述べていました。世間からはネオ・ソウルというイメージで捉えられがちなあなたですが、いま述べたようなアーティストたちや『ワット・ウィ・コール・ライフ』のサウンドからは、よりアコースティックでフォーキーな世界を指向しているのかなという気がしますが、いかがでしょうか?

JR:そうだね。以前の自分は……いや、誰もが僕のことをこの、「ソウル・シンガーの新星が登場」みたいに評してくれたこと、それはとても感謝しているんだよ。ただ、僕はいつだって非常に幅広く音楽を聴いてきたし、たとえば昔作った「ソウル」なレコードにしても、他に較べて少しオルタナな曲がいくつか混じっていたこともあった。要するに僕の中には常に、異なる領域を探ってみようとする側面があるっていう。ダンス・ミュージックのプロジェクトであるダン・カイをやったり、あるいはセカンドの『ウォールフラワー』ではもっとアコギ寄りだったりしたのはだからだし、僕はアルバムごとに異なるサウンドを探究している。本当にたくさんいろんなタイプの音楽を聴いているから、毎回、それらすべてを聴き手とシェアしたいと思う。だから次のアルバムではまた、もしかしたらガラッと違うサウンドをやるかもしれない(笑)。とはいっても、現時点ではどうなるかまだわからないけどね! ただ、自分はきっと違うことをやるだろう、それは確信しているし、それが楽しみでもあるんだ。というのも僕はアルバム作りを、ファンや人びとに対して自分の持つ音楽的に異なる側面を見せる場であると同時に、ある種の学びのプロセスとして考えているから。僕は決して「これ」という風に、たとえば「僕はソウル・シンガー」と狭いひとつの箱に分類されたくないし、それは自身について「ソウル・シンガー」のレッテルだけに留まらない、もっとずっと多くのことをやる人間だと感じているからであって。そうだな、それが僕のキャリアのゴールみたいなものかな、(ジャンルや名称の区分云々を越えて)もっと「アーティスト」になりたい。

あなたの数多くの側面をパッケージした総合的な存在を目指す、と。

JR:そういうことだね。

先ほども「次はどうなるか」という話がありましたが、今後の予定やプロジェクト、やってみたいことなどお聞かせください。まずは、可能になったところで本作向けのツアーがあるでしょうが、それを終えたら?

JR:うん、やってみたいと思っていることはいくつかある。とはいっても現時点ではまだ歌詞のコンセプトはちゃんと考えていないんだけどね、僕は前もって歌詞コンセプトを想定するのが好きだから。でも、そうだね、やりたいと思っていることがふたつあって、まずひとつはクック諸島に戻ること、なんらかの形で自分の家系的な遺産を受け入れる、ということで。だからたぶん、何ヶ月かクック諸島に滞在して、地元ミュージシャンとコラボしながら曲を書く、みたいな。それができたら本当に素晴らしいだろうと思うんだ、自分自身のカルチャーと再び触れ合うということだからね。でも、それと同時に……発表したばかりの今回のアルバムは、音の重ね方やアレンジという意味で自分としてはかなり密度の濃い作品だと思っていて。だからぜひそれとはまったく逆の、思いっきりそぎ落とした作品、ミニマル調なものをやりたいと思っているんだ(笑)。

(笑)なるほど。

JR:(笑)僕はずっとこういう感じでやっているんだよ。ファースト・アルバムを作って、あれはかなりファンキーな作品だったから、次はもっとスローなものを作る必要があると思ったし、それでセカンドはスローなものになった。で、サードはまたファンキーな内容だったし、対して今回のアルバムはものすごく密度が濃い……という具合で、自分は作品を作りながら何もかものつり合いをとっている、そういう感覚がある。でもまあ、現時点でやりたいと考えているのはそのふたつだね。クック諸島でのなんらかのコラボレーション、そしてもっとシンプルな美しい音楽をやる。とにかくシンプルで、聴いていてリラックスできるような音楽を。というのも、いまちょうど、アンビエント・ミュージックにハマっているところでね。だからもしかしたら、2時間近い長さのアンビエントな曲をやる、とか?(笑)

それはいいですね。たまたまですが、私もアンビエント音楽はここ最近よく聴いています。

JR:いいよね、美しい音楽だ。

アンビエントの古典、ブライアン・イーノ作品だとか……

JR:うんうん、ブライアン・イーノね! 瞑想をやっているときや電車に乗って移動中に、僕もブライアン・イーノの『ミュージック・フォア・インスタレーションズ』なんかを聴いている。とにかく美しい経験というか、一種のムードを、心を落ち着けるムードを感じさせてくれる音楽だ。

もう時間ですので、終了させていただきます。今日はお時間いただきありがとうございます。また、あなたとバンドの皆さんが日本にツアーに来られる日を楽しみにしています。

JR:うん、できれば来年、日本に行くつもりだよ!

Popp - ele-king

 ミュンヘンからツイン・ドラムのジャズ・ユニット、ファジー(Fazer)のサイモン・ポップによるセカンド・ソロ。ハッセル&イーノ『Possible Music』を思わせる2年前の『Laya』と同じく打楽器だけで構成されたインプロヴァイゼイション・アルバム。複数の打楽器や細かいパーカッション・ワークを駆使し、全体にインド音楽のテイストを残しながらもアフリカ色が強くなったことで同じようにスタティックな作風でも静謐さの種類に変化がもたらされている。ファジーが元々、ラウンジ・ミュージックに近い音楽性だったこともあり、テンションをみなぎらせるようなインプロヴァイゼイションではなく、かといってニューエイジのようなユルユルでもなく、ビアトリス・ディロンへのクラブ・ジャズからのアンサーというのか、スティーヴ・ライヒから可能な限り緊張感を取り除いたアンビエント・ドラミングというのか。あくまでも演奏を基本にしていることでフィールド・レコーディングとプロセッシングでつくり出すアンビエント・ミュージックにはないオーガニックなムードが全体のトーンを決めている(90年代の雰囲気を出すためにゲート・リヴァーブとピッチ・シフトは多用したらしい)。サイモン・ポップはファジー以外の活動としてアブシュタン(Abstand)やファジーのドラマー2人によるファジー・ドラムス名義のアルバム『Sound Measures』などでミニマルにフォーカスした試行も並行して続けており、そのためか、サイモン・ポップのソロ作を取り上げた欧米のレヴューでは「サード・ストリーム・ミニマリズム」という定義がやたらとコピペされて使われているものの、僕が調べた限りどこにも定義の内容は書かれていない(ので、よくわからない)。お笑いの第7世代みたいなものなのだろうか?



 前作の『Laya』は鐘の使い方やランダムなビートの刻み方など明らかにメディテイションを目的としていて、フィジカルではなく音の効果は意識に集中していた。『Devi』ではそれがガーナのリズムなど東アフリカのリズムを取り入れた結果、一転してフィジカルに訴えかける要素が増え、全体的に内省的な気分を誘発するものではなくなっている。“Gundel”や“Jilu”などインドとアフリカが融合し、なんとも気持ちのいいハイブリッドに仕上がっていて、透き通るような残響音が美しい“Myna”や、いまにもデヴィッド・アレンがごにょごにょとマントラじみたヴォーカルを歌い出しそうな“Dama”などどの曲も素晴らしく、『Devi』はドイツのミュージシャンがアフリカ音楽を取り入れた最高傑作といえるのではないだろうか(“Xolotl”は食品まつりのリミックスが聴いてみたい)。クラシック大国ドイツによるアフリカ音楽の受容はこれまで悲惨としか言いようがない過程を辿ってきた。ボアダムズ『77 Bore Drum』にヒントを与えたらしきナイアガラ(クラウス・ヴァイス)や最近のアフロ・ハウスまで、まったく横揺れがしないドイツ人のアフリカ趣味は彼らの生真面目な性格を伝えるだけで(なにせメトロノミック・ビートである)、カンのヤキ・リーベツァイトを例外としながらマーク・エルネスタスによるジェリ・ジェリやタイヒマン兄弟によるアフリカとの交流によって発展してきたクラブ・ミュージックの片隅でようやく重要が喚起されてきた程度だろう。その上でのサイモン・ポップであり、『Devi』なのである。

 70年代のクラウトロックでもミヒャエル・フェッター(Michael Vetter)やドイター(Deuter)がインド音楽をメインに似たようなことはやっていた。しかし、これらとモンバサやオム・ブッシュマンといったドイツのジャズ・ドラムが結びつくことはなく、2017年にヤン・シュルツ(=ヴォルフ・ミュラー)が『Tropical Drums Of Deutschland』を編纂することで新たなフュージョンの可能性が出てきたということなのだろう。70年代の空気と80年代のテクニックが結びつき、これに「サード・ストリーム・ミニマリズム」wを加えることでサイモン・ポップの音楽性は立ち上がってきたといえる。“Higlehasn”がクラフトワーク“Tanzmusik”のアンビエント・ヴァージョンに聞こえてしまったのは僕だけだろうか。ちなみに「Laya」はインドの音楽用語、「Devi」はインドの女神を意味しているのかなと思うけど、正確にはよくわからない。

YOUNG JUJU - ele-king

 この春にEP「LOCAL SERVICE 2」をリリースしたKANDYTOWN。同クルーのYOUNG JUJU、現在はKEIJUとして活動するラッパーが2016年に発表した記念すべきファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』がアナログ化される。オレンジのクリア・ヴァイナル仕様で完全限定プレスとのこと。客演にもプロデュースにも豪華面子が集結した1枚を、いま改めてヴァイナルで楽しもう。

KANDYTOWNのYOUNG JUJU(現KEIJU)が2016年に発表したファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』がオレンジのクリア・ヴァイナル/帯付きジャケット/完全限定プレスで待望のアナログ化!

◆ KANDYTOWNのラッパー、YOUNG JUJU(現KEIJU)が2016年に発表したファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』が待望のアナログ化! 客演にはIO、DONY
JOINT、Neetz、Ryohu、GottzのKANDYTOWN勢に加えてB.D.やFEBB、プロデュースにはKANDYTOWNからNeetzにRyohu、MIKI、Fla$hBackSからFEBBとJJJ、さらにはJashwon、Jazadocument、MASS-HOLE、DJ Scratch Nice、U-LEEが参加! MASS-HOLEのプロデュースで先行カットされた "The Way" やIOとNeetzが参加した "Angel Dust" といったライブでもお馴染みな楽曲や縁の深いB.D.とのコラボによる"Live Now"(プロデュースはJJJ)等を収録した傑作!
◆ 親交の深かったFEBBのレコメンにより、ミックス&マスタリングはベニー・ザ・ブッチャーやカレンシー、スモーク・DZAら多くのドープな作品を手掛けている名エンジニア、ジョン・スパークス(John Sparkz)が担当!
◆ フォトグラファー、嶌村吉祥丸氏が撮影し、イラストレーター/グラフィック・デザイナー、上岡拓也氏とIOがディレクションしたアートワークをベースに、CDにはなかった日本語帯を付属したアナログ盤がオレンジのクリア・ヴァイナル/完全限定プレスでリリース!


[商品情報]
アーティスト:YOUNG JUJU
タイトル: juzzy 92'
レーベル:KANDYTOWN LIFE / BCDMG / P-VINE, Inc.
発売日:2021年11月23日(火)
仕様:LP(オレンジ・クリア・ヴァイナル/帯付きジャケット/完全限定プレス)
品番:PLP-7193
定価:3.740円(税抜3.400円)
Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/OAG7L0bu

[トラックリスト]


1. Hallelujah
 Produced by DJ Scratch Nice
2. The Way
 Produced by MASS-HOLE
3. Angel Dust feat. Neetz, IO
 Produced by Neetz
4. Tap This feat. FEBB
 Produced by FEBB
5. First Things First
 Produced by FEBB
6. Skit 24/7
 Produced by MIKI
 Backing Vocal by IO
7. Live Now feat. B.D.
 Produced by JJJ
 Contain a sample from Shota Shimizu "Overflow" (JPSR01200783).
 Licensed by Sony Music Records.
 (P)2012 Sony Music Records


1. Ready
 Produced by JASHWON
2. Prrrr. feat. DONY JOINT
 Produced by Jazadocument
3. Speed Up
 Produced by Ryohu
 Backing Vocal by Ryohu
4. Til I
 Produced by U-LEE
5. DownTown Boyz feat. Ryohu
 Produced by Ryohu
6. Worldpeace feat. Gottz
 Produced by JJJ
 Backing Vocal by Ryohu
7. Outro
 Produced by Jazadocument

All Songs Mixed & Mastered by John Sparkz

Anthony Naples - ele-king

 夏も終わろうとしている。じょじょにではあるが気温も下がり、肌が冷たくなるのを感じる。UKとは違い、こと日本において「夏の狂騒」なるものはほぼなかった(というか禁止された)わけだが、それでもやはり、こうして季節の節目を予感すると、なにか僕のなかの気分も変わってゆくような……。クレイジーなクラブ・バンガーもおおいに結構だけれど、いまは少し落ち着きたい。良質なハウスを提供していたアンソニー・ネイプルズが、こうしてアンビエント、あるいはダウンテンポへ急接近したことは、まさにいまの移ろいにフィットする。『Chameleon』は来る秋のための、あるいは夏に失望させられたひとのためのサウンドトラックになりうる作品だ。

 ニューヨークのアンソニー・ネイプルズは、〈Mister Saturday Night〉や〈The Trilogy Tapes〉などからいくつかの12インチをドロップ。現在は自身のレーベル〈Incienso〉と〈ANS〉を拠点に、前者ではDJパイソンダウンステアズJのような才能を紹介しつつ、後者では自身の近年作をリリースしている。フォー・テットによる〈Text Records〉からドロップされた2015年の『Body Pill』にはじまり、自身の〈ANS〉における2019年の『Fog FM』までを俯瞰すると、彼のフルレングス作品はクラブ/フロアから得られた反応をアルバムへ落としこんだ印象が強かったが、『Chameleon』では大胆と言えるほどにダンス・ミュージックから離れており、彼にとって初めて、シンセサイザー、ギター、ベースやドラムといった楽器の生演奏を主軸に制作されたという。

 全編を通して落ち着いたアンビエンスが充満しているものの、それは聴き手の邪魔をしないサウンドに終始するのでなく、ベースとの絶妙な絡み合いを生み出しながら、ときにエレクトリック・ギターは躍動し、ドラムは有機的に働き、そして随所にシンセのデジタルな音が散りばめられている。そのなかでもとりわけ、エレクトリック・ギターを中心に作られたサウンドスケープが驚きをもって迎えられるべき点だろう。タイトル・トラックの “Chameleon” ではフェイザーをぐっとかけたギターの反復が重要な役割を果たしているし、“Massive Mello” におけるギターのストロークとベースのコンビネーションは素晴らしく、後半における短いギター・ソロでは、万華鏡のようなサイケデリアすら感じさせる。

 近い雰囲気を持つアルバムとして2018年の『Take Me With You』がある。しかしそれはクラブで踊ったあと、友人たちと誰かの家でくつろぐムードを表現した、アフターアワーのための音楽であった。むしろ『Chameleon』において、クラブやそれに付随するあれこれはもはや無関係と言える。インタヴューによれば、いくつかの曲はホルガー・シューカイやハルモニアなどのクラウト・ロックから影響を受けたと語るし、ロックダウンで長らくすみに追いやられていた過去のレコードをたくさん聴いたとも。そこにはA.R.ケーン、コクトー・ツインズ、コナン・モカシン、はてはニール・ヤングまでもが含まれている。この取り留めのない聴取の経験がサウンドそのものに影響を与えたとは感じないが、今作がフロアにまったく縛られていないことはこの事実からもひしひしと感じる。アンソニー・ネイプルズは今作において、DAWを立ち上げたモニターを前に座るハウス・プロデューサー然とした態度を選ばなかった。その代わり、小さなループ・ペダルと OB-6 のシーケンサーを手に取り、ひとりで自由なジャム・セッションらしきもの──本人はそれについて、楽器を嗜んでいた子どものころを思い出したと語る──をえんえんと続けた。その結実が『Chameleon』の音世界なのだ。

 また、『Chameleon』には言葉が見当たらない。もちろん歌詞はないし、それぞれのタイトルの多くがひとつの単語のみであり、音楽において一般的に具わる、言葉を通した聴き手への語りかけはほとんどない。いや、むしろ言葉がないからこそ、僕はこの音楽に耳をそばたて、ひとり目を閉じながら想像をふくらませるのかもしれない。しかし、それでもなお言葉に着目するならば、クローザーにおける “I Don’t Know If That’s Just Dreaming”、「夢を見ているのかどうか、私にはわからない」と。これはひとつの手がかりになるだろう。つまり、今作は夢見心地のアンビエントやダウンテンポではなく、夢にいるのかどうか、そのはざまで揺れ動き、聴き手の想像力を喚起しながら、いつのまにかどこかへ連れていってしまう音楽なのだ。写真家であり妻のジェニー・スラッテリーとダウンステアズJによるアートワークも示唆に富む。秋に咲く彼岸花の写真は意図的にゆがみ、ねじ曲げられている。それは少なからず音楽の危機を感じた今夏を経た僕(ら)にとって、これからのゆくすえを考えさせるような意味を持たせる。ほんとうに、聴いていると、思いもよらぬ考えごとや空想があれやこれやと押し寄せてくるじゃないか。

Riki Hidaka + Jim O' Rourke + Eiko IshibashiI - ele-king

 日高理樹(リキ・ヒダカ)は、彼の音楽がそうであるように、生粋のボヘミアンなのだろう。いまの日本では絶滅に近い、社会の規範に囚われることがないいわば自由人。いったい彼は何のために音楽を作っているのだろうか。崩壊したフォークソング、解体されたギター、無調と調性とを超えた響き、アマチュアリズムと実験……。
 ぼくが彼の音楽を初めて聴いたのは2016年の『Abandoned Like Old Memories』だったが、当時もいまも、彼はエスタブリッシュな音楽シーンにはいない。それはこの世界の秘密の入り口から下っていく地下室においてのみ演奏され、そこに遙々やって来た者たちのみが耳にすることができると、まあそんなところだ。

 しかしながら彼の彷徨にも、どうやら拠点と呼べる場所があるらしい。2005年10月に広島の中区にオープンしたレコード店〈Stereo Records〉である。LAで生まれ東京で育ち、NYでも数年ほど暮らしていたこの旅人がどうして広島なのか。2012年の夏、彼が貧乏旅行で日本を横断していたとき、ちょうど広島に着いたところで出会ったのが同店の店長、神鳥孝昭だったのである。風来坊というよりも浮浪者然とした日高に風呂場を教えて夕食をともにした神鳥が今夜はどこに泊まるのか訊いたところ日高は公園のベンチで寝るというので、だったらうちに泊まれと、こうしてふたりの関係ははじまったという。
 とはいえ、最初の出会いの時点では、神鳥にとって日高はただのおかしな若者である。神鳥が、日高が音楽をやっていることを知ったのはその出会いから1年後のことだった。2013年5月、広島でライヴを企画した際、友人づてにミュージシャンとして紹介されたのである。
 こうして日高と再会した神鳥だが、初めて聴いた彼の音に震えを覚えたという。そして、神鳥がレーベルをはじめようとしたときに、最初のリリースを日高理樹のアルバムにすることに迷いはなかった。2014年4月に、彼の『POETRACKS』のアナログ盤がRECORD STORE DAYに合わせて発売された。ぼくが最初に聴いた日高のソロ作品『Abandoned Like Old Memories』も〈Stereo Records〉からで、これはレーベルにとって3番目のリリースだった。(2番目のリリースはJan and Naomiでの活動で知られるJanと日高の共作によるサイケデリック・フォークの『Double Happiness in Lonesome China』)
 
 この頃神鳥は、人伝いではあったが石橋英子が日高を面白いと思っているという話を耳にし、アイデアが閃いた。2017年6月に広島の〈CLUB QUATTRO〉と愛媛の〈どうごや〉で神鳥が企画したライヴ公演にまず石橋英子とジム・オルークに声をかけた。それからふたりに当時はNY在住だった日高理樹のことを話し、ジョイント・ライヴを提案した。このアイデアに石橋とオルークは協力的だった。神鳥と石橋は話し合い、その結果公演は三部構成となって、最後を3人によるセッションで締めることにした。
 結果、6月6日の広島公演がこのトリオの最初の演奏になったわけだが、それがプロジェクトのはじまりとなった。3人は、2017年12月には、再度〈Stereo Records〉主催で東京と山梨でのライヴも実現させた。その山梨でのライヴのための滞在中、〈八ヶ岳星と虹レコーディングスタジオ〉においてセッションした記録をもとにオルークがエディットして、ミキシングを施した結果が本作『置大石』である。楽器は日高がギター、石橋がフルートとピアノ、オルークがシンセサイザーを担当している。
 
 “置_置_置”と“置___置___置”という謎めいた曲名の2曲が収録されている本作『置大石』(おきおおいし、と読むのだろうか)は、透明で美しいが抽象的で途方もなく、つかみ所がないかもしれない。しかも極めて静的なこの音色とテクスチュアの冒険は、外側だけ聴けばほとんど変化がないように感じられるかもしれないが、じつはその内部で変化している。ひょっとしたら、滲んだ水彩画さもなければ水墨画のように視覚的に再生されるかもしれない。
 レコードで言うA面の“置_置_置”では、抽象性の高いトーンが呼吸しているかのように途切れては鳴り、その幽妙な広がりの遠くからギターのドローンが響いている。曲のなかば過ぎから音は空間を包囲するように広がり、この空間は終盤に向け密度を増し、そして消えていく。
 石橋英子のピアノからはじまるB面の“置___置___置”は、その魅惑的な旋律にオルークのシンセサイザーと日高のギターがテクスチュアを描きながら展開する。ドローンのなかに石橋のフルートが加わると、音楽の背後からは平穏な気配がスローモーションで立ち上がり、やがてわずかな旋律はギターにゆだねられる。
 先述したようにこの2曲のミキシングはジム・オルークによるもので、彼はこの日常でも非日常でもない、いわば完結なきひとつの連続体のような曲における音のひとつひとつを調整し、静的で不規則的だが循環性のあるこれらの音響に輪郭を与えている。おそらくはオルーク自身もこの音楽のリスナーのひとりとして再構築したことだろう。
 また、レコード盤のレーベル面には〈Stereo Records〉の神鳥孝昭と〈八ヶ岳星と虹レコーディングスタジオ〉のオーナー、藤森義昭への感謝が記されている。この音楽は彼らとの出会いによって生まれているわけだが、ぼくがこのreviewの前半で書いているのは、日高と神鳥との出会いを軸にした話であって、山梨からやってきた石橋とオルークのふたり──音楽における静かな川の流れの深みのようなアーティスト──を軸にすればまたもうひとつの物語がある。そのふたつの物語の出会いが、このレコード(ないしはCD)に記録されている音楽と化したと。
 リスナーがこの音楽を聴いていてなにか胸のすく思いを感じられるとしたら、それはきっと彼らの出会いによって創出された感覚であり、そしてまた、リスナーが朝靄のかかったかのような、この空間にまでたどり着けたことへの喜びゆえであろう。(敬称略)

映画の歴史を変えた男、ジョージ・A・ロメロとは何者だったのか

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)、『ゾンビ』(1978年)、『死霊のえじき』(1985年)の「ゾンビ」三部作により、映画の世界に「ゾンビ映画」という映画史に残る大発明をした男、ジョージ・A・ロメロ。

このたび、お蔵入りとなっていた幻の非ゾンビ映画『アミューズメント・パーク』が発掘され、一般公開されることに。デビュー作『ナイト~』とブレイク作『ゾンビ』の間をつなぐ時期にあたる1973年に撮影された本作を基点に、改めてロメロという映画作家の本質に迫ります!

内容
・ジョージ・A・ロメロ伝
・スザンヌ・ロメロ(ジョージ・A・ロメロ財団)インタヴュー
・パオロ・ゼラティ(「Twilght of the Deat」脚本家)インタヴュー
・大槻ケンヂ、ロメロの魅力を語る
・幻の未公開作『アミューズメント・パーク』
・全作品レヴュー
・ロメロの遺伝子──ロメロの影響下にある作品紹介

執筆者
伊東美和、稲継美保、ノーマン・イングランド、氏家譲寿(ナマニク)、宇波拓、恵木大(ヒロシニコフ)、上條葉月、木津毅、キヒト、児嶋都、児玉美月、後藤護、高橋ヨシキ、てらさわホーク、とみさわ昭仁、麓隆次、真魚八重子、森本在臣、山崎圭司、山崎朋

目次

●レポート Living Dead Museum(ノーマン・イングランド)
●アミューズメント・パーク
 イラスト 児嶋都
 雇われ仕事でもやるなら徹底的に。アミューズメント・パークという名の地獄の楽園(ナマニク)
●クロスレビュー『ザ・クレイジーズ』&『マーティン』
 何ひとつ噛み合わない人びとの営み、ひたすら拡大し続ける混沌。そこに不気味なリアリティがある(てらさわホーク)
 連鎖する赤と狂気(木津毅)
 居場所のない絶望(キヒト)
 散種されたクィアな “ヴァンパイア” の魂(児玉美月)
●ジョージ・A・ロメロ バイオグラフィー(伊東美和)
●インタヴュー
 スザンヌ・デスロチャー・ロメロ「ホラーというジャンルもリスペクトされるべき」(ノーマン・イングランド/翻訳 児嶋都)
 パオロ・ゼラティ「ジョージがゾンビ・サーガの決着をどうつけるつもりだったのか伝えたい」(ノーマン・イングランド/翻訳 児嶋都)
 大槻ケンヂ、ロメロの魅力を語る
●作品レヴュー
 68年のインディペンデント映画としての『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(上條葉月)
 ホラーの巨匠が若き日に挑んだ異色のロマンティック・コメディ『There's Always Vanilla』(児玉美月)
 『悪魔の儀式』と「ルーシー・ジョーダンのバラード」(高橋ヨシキ)
 熱力学と人間嫌悪に抗して──『ゾンビ』(後藤護)
 ゴブリンによる音楽がアルジェント版『ゾンビ』に与えたもの(てらさわホーク)
 ドラゴンと戦い続けるために──『ナイトライダーズ』は走り続ける(高橋ヨシキ)
 ロメロとキングのECコミック偏愛──『クリープショー』(森本在臣)
 製作過程の紆余曲折が生んだポリティカルな寓話──死霊のえじき(ヒロシニコフ)
 異常心理の世界に挑む──『モンキー・シャイン』(山崎圭司)
 ロメロのアンビバレンツを内包した映画『ダーク・ハーフ』(麓隆次)
 「お呼びとあれば!」メジャーに牙剥く、ロメロの頑固な恨み節──『URAMI~怨み~』(ナマニク)
 ロメロのゾンビが帰ってきた!──『ランド・オブ・ザ・デッド』(てらさわホーク)
 失われることのないプロトタイプの強靭さ──『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(真魚八重子)
 インディペンデント映画の雄による白鳥の歌──『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(宇波拓)
 短編・CM・MV──ロメロのお仕事アラカルト(山崎圭司)
 ロメロの素顔とホラー映画への理解が深まるドキュメンタリー4作(山崎圭司)
 玉石混交? リメイク作品の数々(伊東美和)
●論考
 ロメロ以前のゾンビ映画からみるロメロの革新性(キヒト)
 ライブラリ音楽と創造性(宇波拓)
 ゾンビウォークからゾンビハンドへ──ゾンビの左手、人間の右手(後藤護)
 ゾンビを演じる(稲継美保+山崎朋)
●ロメロの遺伝子
●プロフィール

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
Yahoo!ショッピング
HMV
TOWER RECORDS
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

全国実店舗の在庫状況
紀伊國屋書店
三省堂書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア
旭屋書店
有隣堂
TSUTAYA

Tomorrow’s People - ele-king

 アナログ・レコードにまつわる新しい試みとして〈Pヴァイン〉が取り組んでいるプロジェクト「VINYL GOES AROUND」からニュー・アイテムの登場だ。
 今回のタイトルは、シカゴのソウル・グループ、トゥモロウズ・ピープルの1976年作『Open Soul』のテスト・プレス。1枚ずつ手づくりで制作されたシルクスクリーン・ジャケット仕様。今回も超限定商品のため、お早めに。

Tomorrow's People「Open Soul」LPのテストプレスがハンドメイドのシルクスクリーン・ジャケットでVINYL GOES AROUNDから超限定発売。

Tomorrow's People「Open Soul」LPのテストプレスを株式会社Pヴァインの新規事業「VINYL GOES AROUND」限定で9/15(水)午前10時より販売する。

ハンドメイドのシルクスクリーン・ジャケットは、青みを含んだグリーンの女性のポートレートと、鮮やかな赤の文字でデザインし一枚ずつ丁寧にプリント。

本作はバートン4兄弟を中心としたシカゴのソウルグループの1976年に制作されたアルバムで、DJやソウルマニアの間で究極のコレクターズアイテムとなっている作品。中でも一際光る存在の20分を越える壮大かつグルーヴィなファンク「OPEN SOUL」は、永遠と繰り返されるフレーズがドープなダンストラック。またディープなソウル曲「Lovers to friends」や極上のファンキー・チューン「Let’s Get With The Beat」、疾走感のあるインストゥルメンタルファンク「Hurt Perversion」などを収録。また当アイテムは先日eBayにて先行販売をしてUS $132で落札された。

[購入ページリンク]
https://vga.p-vine.jp/exclusive/
※9/15(水)午前10時より販売開始


[商品情報]
アーティスト:Tomorrow's People
タイトル:Open Soul (Test Press)
品番:VGA-5001
フォーマット:LP(シルクスクリーン・ジャケット/シリアルナンバー入り)
価格:¥7,700(税込)(税抜:¥7,000)
★VINYL GOES AROUND限定販売
★9月15日(水)午前10時より販売開始

[TRACK LIST]
A1. Lovers To Friends
A2. It Ain't Fair
A3. Hurt Perversion
A4. Hurry On Up Tomorrow
A5. Let's Get Down With The Beat
B1. Open Soul


[VINYL GOES AROUND]
株式会社Pヴァインが立ち上げたアナログ・レコードにまつわる新しい試みを中心としたプロジェクト。
https://vga.p-vine.jp/

 今日も雨が降っている。雨の日には Portishead を聴くことが習慣化していたが、こう雨続きだと他の選択肢も取り入れなくてはいけない。そう思いながらもまた『Dummy』のLPに針を落とす。8月が終わり9月に入った途端に、ブレーカを落としたかのように太陽は消え、暗く陰気な日が続いている。今年の夏の雨は、一度降りはじめたらなかなか止まず、それがあらゆる場所に水害をもたらした。去年までこんなことはなかった。と、毎年言っている気がする。窓を流れ落ちる雨の音にクラックル・ノイズが混ざり合い、Beth Gibbons の悲しく震えた声が語りかける。「How can it feel, this wrong」

 先日、私はとある政治的な目的を持った集会に参加し、がらんとした広い講堂の中に作られた簡易的な議場で、いろいろな表情をした他の参加者と意見の交換や危機感の共有をおこなった。あらゆる課題が話されたが、それについて活動している方がいたこともあり、環境問題についての話が多く出た。環境問題が今後の政治で大きな比重を持つことは間違いなさそうだ。
 私はUKの Extinction Rebellion を支持している。Extinction Rebellion が何かわからない人はこちらをみてもらいたい。 https://extinctionrebellion.uk/
 2019年末に宣言した通り、私は2020年度のDJの出演料の10%を Extinction Rebellion に寄付した。Radiohead が『OK Computer』の未発表音源をハックされ、身代金をハッカーに払う代わりに Bandcamp で音源を全て公開した事件を覚えている人は多いだろう。その売り上げの寄付先も Extinction Rebellion だった。
 私は彼らの大規模なパフォーマンスで大企業や政府に圧力をかけるやり方に賛同している。というのも、市民ひとりひとりの努力だけでは限界があると感じているし、市民ひとりひとりの努力に頼るやり方というのは簡単に言えば搾取だと思っているからだ。レジ袋有料化も政府が果たすべき責任を市民に押し付けたに過ぎない。私はできる限り環境に配慮してより良い生き方をしたいと思って、そういう選択を心がけるようにしている。SNSやweb媒体では意欲的な、あるいは責任感や危機感のある人が情報を発信し、同じような人が増えるよう呼びかけている。しかし、忘れてはいけないことは、選択肢の量は金銭的余裕に比例するということだ。

 最近まで私には余裕がなかった。例えば学生の頃の私の生活──白目を剥きながら通学して課題をこなし、終わったらアルバイト、夜には何かを求めてクラブへ行き、目を閉じながら勘で部屋に戻るという生活──でひたすら消費されるカロリーを支えていたのは粗悪な肉だった。米の上に乗っていたりパンに挟まれていたりと、いくつかのバリエーションはあったが、基本的には粗悪な肉だった。それが安かったからだ。それが環境に悪いということを当時は知らなかったが、体に悪いということは知っていた。しかし、その頃の私は、飢えているいま現在の自分をなんとかすることで精一杯で、生きているかどうかもわからない未来の自分の体調など、考える余裕もなかった。いまでは随分とマシな生活になったが、満足のいく「環境に優しい生活」を送れるほどではなく、日々罪悪感と向き合って過ごしている。もっとお金に余裕があれば。もっと時間に余裕があれば。もっと選択肢があれば。もっと未来に希望があれば。願うことは多い。同じような思いの人も少なくないと思う。ではなぜ金銭的にも時間的にも余裕がなく、選択肢は限られ、未来に希望がもてないのだろうか。これは私個人だけの問題なのだろうか。そうは思わない。確実に政治によって改善しうる部分が多分にある。もちろん個人の選択に関わる問題だけではない。こうして市民がない袖を振りながら少しでも何かしなければと行動しているその間に居酒屋チェーンが大量に焼肉屋をオープンし、自己中心的なビリオネアが大量の燃料を燃やして宇宙へと飛んでいる。気候変動に対する抗議活動の中で何度も「THERE IS NO PLANET B」というフレーズを見かけた。しかし、もし PLANET B が存在していたとしても、そこに逃れられる人間は限られている。

 ニール・ブロムカンプの『エリジウム』では、富裕層はもう地球には住んでいなかった。衛星軌道上に建設したユートピアで暮らし、ヴェルサーチのロゴがあしらわれた医療ポッドで体をメンテナンスしている。彼らが忘れ去ろうとし、敵意すら抱く地上では、代替可能なパーツとして人びとが労働し、ユートピアの繁栄と地上の管理体制を支えている。物語の最初と最後には「理不尽なことがあるのよ」と孤児院のシスターがマックスに語りかけるカットが挿入される。そう。理不尽なことがあるのだ。セレブリティや政治家だけが医療を受けられる状態というのは2154年まで待つ必要もなく、いますでにそうなっている。衛星軌道上にユートピアが建設されなかったとしても、富裕層は大量のリソースを使うことで、もう少しのあいだ快適な生活を続けられるだろう。その犠牲としてオセアニアの島のいくつかが沈み、熱波が都市を襲い、何種類もの動物が絶滅し、人びとの住める場所が限られて大量の難民や移民を出したとしても、彼らの住むゲートで閉ざされた街に影響はないのだろう。もし、ゲートを乗り越えようとすれば、エリジウムのデラコートみたくティーカップ片手に攻撃を命令すれば良い。
 富裕層や特権的な層には考える必要がなく、それ以外の人たちには考える余裕が与えられないという構図は、他のあらゆる問題にも当てはまることだろう。

 Extinction Rebellion やグレタ・トゥーンベリはじめ、多くの人たちによる活動の結果、環境問題が世界で共通の大きなイシューのひとつとなり、多くの人がそこに関心を寄せている。日本も例外ではない。この秋に予定されている衆議院選挙では多くの政党が何かしらの「環境問題への取り組み」を掲げるだろう。しかし、本当にそれに取り組めるのは、誤魔化しやポーズで済まさないのは、どういう政党だろうか。
 先に述べた内容の帰結として「環境問題への取り組み」は格差の是正やノブレス・オブリージュのような持てる者の責務を果たさせることとセットでないと成功しないと思っている。それができるのは、間違いなく自民公明や維新ではないだろう。野党共闘に希望を見出せる人もいれば、そうでない人もいるだろう。しかし、間違いなく自民公明維新に比べれば遥かにマシだ。ほんの少しでもマシな方へ、ほんの少しでも良い方へと動かしていくしかない。それはどんな政党が政権を握っていたとしても変わらない。選挙はもちろん署名や抗議活動など、やり方は先人たちから学んできた。抗議活動をしていると、しばしば「そんなことしてないで選挙に行け」と言われることがある。抗議活動に参加していて、かつ選挙権を持っている人が選挙に行っていないと、本気で思っているとは思えない。この国で生まれ育っていても、どれだけの間この国で暮らしていても、選挙権がない人たちが大勢いることをわかって言っているのだとしたら、非常に差別的で意地の悪い言葉だ。とにかく、何を言われようと、できることは全てやりたい。

 9年のあいだ続いている自民党政権以外の状態を、選挙権を得たばかりの18から20歳前後の人たちはよく知らないし、89年生まれの私ですら、記憶にあるかぎりのあらゆる将来の不可能性が景気などの経済的理由に由来するものだった(そう言い聞かせられてきた)。ミレニアル以降の世代が再帰的無能感と運命論的価値観に支配されるのは当然の帰結のような気もするし、そう仕向けられていたような気もする。搾取され続ける中で未来に希望を持てず、全てを諦めて現状に身を委ねて生きている状態は、『Matrix』に描かれた人間プラントとどちらがマシだろうか。目覚めたくなかったと言って裏切ったサイファーも未来に希望を持っていなかった。一方で赤いピルを選んで(それがネットでジャーゴンとして使われていたことは有名だ)陰謀論に傾倒していく者たちがいたことも記憶に新しい。
 残念ながらこの世界には救世主もいなければ、勧善懲悪のスーパー・ヒーローも存在しない。しかし、ECD も言っていた。どうして無力だと思いたがるのか。あるよ。ひとりにはひとり分。力が。


DJ Seinfeld - ele-king

 はじまりは、彼女に振られた傷を癒やすためだった。アメリカのシットコム『となりのサインフェルド』をビンジ・ウォッチしたのち、DJサインフェルドを名乗ったスウェーデンはマルメに住む音楽一家の青年、アーマンド・ヤコブソンが2017年に “U” をドロップすると、ロウな質感を伴ったメランコリックな響きを持つその4つ打ちはまたたく間に広まり、それは同世代のロス・フロム・フレンズ──不思議な偶然。彼もアメリカのシットコム(『フレンズ』)から名前を拝借している──、モール・グラブ、DJボーリングといった面々と並列されながら、主にユーチューブのレコメンド・アルゴリズムを契機とした、インターネット発のローファイ・ハウスなるタームを生み出した。

 しかし、そんなネット発でバズったジャンルにまとめられた彼らも、いまや、「悲しさ」や「メランコリー」といったローファイ・ハウスの陳腐なクリシェからの飛躍を試み、それぞれが自己のアーティスト性を高めようと動いている。それは、DJサインフェルドも例外ではなく、人気コンピ・シリーズ『DJ Kicks』へのミックス提供、エイフェックス・ツインが彼の “Sakura” をスピンしたことなど、彼がこのジャンルの枠組みに収まらないことは、これらの事実が端的に物語っている。

 〈Ninja Tune〉からの初リリースとなる『Mirror』でもローファイ・ハウス感は抑えられており、その代わり、UKガラージ、イタロ、ダウンテンポなどを援用した、彼の音楽的な多彩さを感じさせるダンス・ミュージックに仕上がっている。同ジャンルの文脈から語られることもあったフォラモアは、〈FHUO Records〉からリリースした『The Journey』ではポップス(売れ線)に寄りすぎて残念だったのだが、DJサインフェルドはその点において絶妙な着地点を見つけたように思う。つまり、誰にでも開かれたフレンドリーなサウンドでありながら、アンダーグラウンドなダンス・ミュージックの出自もきっちりと感じさせるようなアルバム。僕のようなミュージック・ナードが惹かれるような部分もありつつ、音楽に対して深く入れ込んでいないようなひとにも……たとえば、さまざまな趣味嗜好を持った友人たちとドライヴしているときにかけたってなんら不自然ではない、誰だって入り込めるようなアルバムにもなっている。

 テイラを2曲でフィーチャリングしたことをはじめとして、『Mirror』にはヴォーカルがあり、それが作品としての開かれた感覚に一役買っているのだろう。しかしそれは、DJがたくさんのヴォーカリストを招聘して歌を乗せるだけのポップス・アルバムなどではなく、ヴォーカルはサウンドのいち部分として、深いリヴァーブをかけ、ときにはサンプリングの作法に倣うような手法を用いつつ、声を中心に置くのでなく、あくまでDJサインフェルドによって創造されたサウンドスケープを軸に展開されている。また、「いまのダンス・ミュージックで興奮していること」、との問いに対して「UKガラージのリヴァイヴァル」と短く回答したのは、今作のムードを形作るひとつの要素として、UKガラージの存在があることもほのめかす。“Walking With Ur Smile” のビートがまさにそうであるし、R&Bのヴォーカルを乗せた “Someday” もこの手のジャンルが好きならばたまらない。これらの2曲だけでもリズム面において飽きさせない効果をもたらすし、さらにダウンテンポなインタールード “Home Calling”、イタロ調のサマー・アンセム “U Already Know” など、かつてないほどに作品としての充実を感じさせる。

 先行シングルの “These Things Will Come To Be”、クローザーの “Song For The Lonely” など、彼の出自たるローファイ・ハウスの刻印は残っているものの、それはわずかばかりの残余であり、「より良いプロデューサーになりたい」と語るDJサインフェルドによって繰り出されるこれらの音は、すくなくともこのジャンルにはとうてい収まりきらない、より広い聴衆へのリーチを試みる進取の気性に富んだ作品に結実している。

 アルバムのタイトルは、アルゼンチンのフリオ・コルタサルによる詩から着想を得たという。「あなたはいつも私の鏡だった。私自身を見るために、私はあなたを見ている」(原題『Bolero』)と。「ベリアルの真似事」をやっていた青年が、傷心を癒やすためベッドルームで音楽を作り、それがローファイ・ハウスにおけるクラシックとしての、メランコリックで陰鬱な音を伴った “U” になったこと。そして、今作において多くの時間をマルメの実家で過ごし、家族や友人と幸せな関係を築くことの大切さに気づいたことで、来るものを拒まないフレンドリーな『Mirror』になったこと。そう、彼が作ってきた音楽は、彼を移す鏡のようなものだった。もはや傷心した青年の姿はもうなく、『Mirror』がそこに映し出しているのは、これからもっと大きくなることを予感させる、素晴らしい才能に満ちたアーティストの姿なのだ。

Radiohead - ele-king

 2000年秋にリリースされたレディオヘッドの4枚め『Kid A』と2001年春にリリースされた5枚め『Amnesiac』は、それまでのギター主体のスタイルを放棄、当時の若きロック・リスナーにエレクトロニック・ミュージックなどへの道を示してくれた転機作だった。
 その20周年を祝し、同2作が新たにひとつの作品としてリイシューされる。題して『Kid A Mnesia』。未発表曲も含まれている。発売は11月5日。数量限定のレッド・ヴァイナル盤はすぐになくなりそうな予感がするので、お早めに。

RADIOHEAD
世紀の名盤『Kid A』と『Amnesiac』が
20年の時を経てひとつの作品『Kid A Mnesia』へ。
門外不出の未発表曲 “If You Say the Word” が遂に解禁!

KID A MNESIA

「音楽史における20世紀最後の名盤」とも評されるレディオヘッドの4作目『Kid A』と、同時期にレコーディングされ双子作品とも位置付けられる5作目『Amnesiac』が発売21周年を記念し、ひとつの3枚組作品『Kid A Mnesia』として11月5日に〈XL Recordings〉よりリリース。同作より、門外不出の未発表曲 “If You Say the Word” が本日解禁された。

Radiohead - If You Say the Word
https://radiohead.ffm.to/if-you-say-the-word

2000年発売当時、ギター・ロックのフォーマットを捨て去りエイフェックス・ツインやオウテカなど先鋭的なエレクトロニック・ミュージックを取り入れた作風で物議を醸し出したレディオヘッドの革新的4作目『Kid A』。そして同じ時期にレコーディングされ、同作の双子作品にしてクラウト・ロック、ジャズ、ブルーグラスなど古典的な音楽とエレクトロニクスを混ぜ合わせ、円熟を見せる近年のバンド・サウンドの雛形になった『Amnesiac』。今回発売から20年を経て、同レコーディング・セッションから発掘されたBサイドや別ヴァージョン、そして未発表音源 “If You Say the Word” と初公式リリースとなる “Follow Me Around” を含む12曲を収録した『Kid Amnesiae』が追加された3枚組作品『Kid A Mnesia』としてその偉大なる歴史を更新。“エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス”──2000年代の音楽史に革命を起こしながらも二つの軌道を辿った作品が、20年の時を経て今一つになる。

なお、2021年11月5日(金)に世界同時発売となる本作の日本盤3CDは高音質UHQCD仕様となっており、歌詞対訳・解説が封入され、5曲のボーナス・トラックを追加収録。輸入盤3CD/LPは通常盤に加え、数量限定レッド・ヴァイナルが同時リリース。本日より各店にて随時予約がスタートされる。

label: XL Recordings / Beat Records
artist: RADIOHEAD
title: KID A MNESIA
release date: 2021.11.05 FRI ON SALE

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