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はじまりは、彼女に振られた傷を癒やすためだった。アメリカのシットコム『となりのサインフェルド』をビンジ・ウォッチしたのち、DJサインフェルドを名乗ったスウェーデンはマルメに住む音楽一家の青年、アーマンド・ヤコブソンが2017年に “U” をドロップすると、ロウな質感を伴ったメランコリックな響きを持つその4つ打ちはまたたく間に広まり、それは同世代のロス・フロム・フレンズ──不思議な偶然。彼もアメリカのシットコム(『フレンズ』)から名前を拝借している──、モール・グラブ、DJボーリングといった面々と並列されながら、主にユーチューブのレコメンド・アルゴリズムを契機とした、インターネット発のローファイ・ハウスなるタームを生み出した。
しかし、そんなネット発でバズったジャンルにまとめられた彼らも、いまや、「悲しさ」や「メランコリー」といったローファイ・ハウスの陳腐なクリシェからの飛躍を試み、それぞれが自己のアーティスト性を高めようと動いている。それは、DJサインフェルドも例外ではなく、人気コンピ・シリーズ『DJ Kicks』へのミックス提供、エイフェックス・ツインが彼の “Sakura” をスピンしたことなど、彼がこのジャンルの枠組みに収まらないことは、これらの事実が端的に物語っている。
〈Ninja Tune〉からの初リリースとなる『Mirror』でもローファイ・ハウス感は抑えられており、その代わり、UKガラージ、イタロ、ダウンテンポなどを援用した、彼の音楽的な多彩さを感じさせるダンス・ミュージックに仕上がっている。同ジャンルの文脈から語られることもあったフォラモアは、〈FHUO Records〉からリリースした『The Journey』ではポップス(売れ線)に寄りすぎて残念だったのだが、DJサインフェルドはその点において絶妙な着地点を見つけたように思う。つまり、誰にでも開かれたフレンドリーなサウンドでありながら、アンダーグラウンドなダンス・ミュージックの出自もきっちりと感じさせるようなアルバム。僕のようなミュージック・ナードが惹かれるような部分もありつつ、音楽に対して深く入れ込んでいないようなひとにも……たとえば、さまざまな趣味嗜好を持った友人たちとドライヴしているときにかけたってなんら不自然ではない、誰だって入り込めるようなアルバムにもなっている。
テイラを2曲でフィーチャリングしたことをはじめとして、『Mirror』にはヴォーカルがあり、それが作品としての開かれた感覚に一役買っているのだろう。しかしそれは、DJがたくさんのヴォーカリストを招聘して歌を乗せるだけのポップス・アルバムなどではなく、ヴォーカルはサウンドのいち部分として、深いリヴァーブをかけ、ときにはサンプリングの作法に倣うような手法を用いつつ、声を中心に置くのでなく、あくまでDJサインフェルドによって創造されたサウンドスケープを軸に展開されている。また、「いまのダンス・ミュージックで興奮していること」、との問いに対して「UKガラージのリヴァイヴァル」と短く回答したのは、今作のムードを形作るひとつの要素として、UKガラージの存在があることもほのめかす。“Walking With Ur Smile” のビートがまさにそうであるし、R&Bのヴォーカルを乗せた “Someday” もこの手のジャンルが好きならばたまらない。これらの2曲だけでもリズム面において飽きさせない効果をもたらすし、さらにダウンテンポなインタールード “Home Calling”、イタロ調のサマー・アンセム “U Already Know” など、かつてないほどに作品としての充実を感じさせる。
先行シングルの “These Things Will Come To Be”、クローザーの “Song For The Lonely” など、彼の出自たるローファイ・ハウスの刻印は残っているものの、それはわずかばかりの残余であり、「より良いプロデューサーになりたい」と語るDJサインフェルドによって繰り出されるこれらの音は、すくなくともこのジャンルにはとうてい収まりきらない、より広い聴衆へのリーチを試みる進取の気性に富んだ作品に結実している。
アルバムのタイトルは、アルゼンチンのフリオ・コルタサルによる詩から着想を得たという。「あなたはいつも私の鏡だった。私自身を見るために、私はあなたを見ている」(原題『Bolero』)と。「ベリアルの真似事」をやっていた青年が、傷心を癒やすためベッドルームで音楽を作り、それがローファイ・ハウスにおけるクラシックとしての、メランコリックで陰鬱な音を伴った “U” になったこと。そして、今作において多くの時間をマルメの実家で過ごし、家族や友人と幸せな関係を築くことの大切さに気づいたことで、来るものを拒まないフレンドリーな『Mirror』になったこと。そう、彼が作ってきた音楽は、彼を移す鏡のようなものだった。もはや傷心した青年の姿はもうなく、『Mirror』がそこに映し出しているのは、これからもっと大きくなることを予感させる、素晴らしい才能に満ちたアーティストの姿なのだ。
渡部政浩