「IR」と一致するもの

interview with FINAL SPANK HAPPY - ele-king

 BOSS THE NK と OD という謎に包まれた(?)ふたりによる「三期」にして「最終」の SPANK HAPPY。ある意味、露悪的なまでにフェティシズム、マゾヒズム、サディズム、ペドフィリア、窃視……といった性倒錯をハウスのビートに乗せ歌っていた第二期 SPANK HAPPY (その極点が『Vendôme,la sick Kaiseki』だ)の「ファンダメンタリスト」は、2019年のいまも後を絶たないのではあるが、過去にすがる狂信者を尻目に FINAL SPANK HAPPY のふたりは Instagram やライヴで熱心かつモード系でコミカルな活動を繰り広げている。

 そんな FINAL SPANK HAPPY の全貌を、おそらく提示するであろうファースト・アルバム『mint exrocist』がこのたび届けられた。見る者を困惑させるカバー・アートが部分的に物語っているように、「最終スパンクハッピー」が体現するのは「切ない」、「明るい」、「おもしろい」、そして「元気」である。アメリカのラップ・ミュージックなどについてはいわずもがな、それとはまったくの別軸で(二期スパンクスが予見した)病みに病みまくっている、落ちに落ちまくっている本邦大衆音楽の潮流。そこに悪魔祓いとして、清涼で爽快な香りを漂わせたミントの葉が投げ込まれたのだ。

メンヘラはもうダメですね。表現としては。一般化しすぎた。ヒップホップがバッドやナスティである義務、みたいなものです。いまメンヘラは表現としては「皆さん、喉が渇いたら水を飲むと良いですよ」と言っているのと同じです。一大マーケットですよ。

まずは BOSS THE NK さんと OD さんが出会って FINAL SPANK HAPPY の結成に至るまでのお話をうかがいたいです。

BOSS THE NK(以下、BOSS):菊地成孔くんの有料ブログマガジン「ビュロ菊だより」に私の回想録(「BOSS THE NK回想録」)を連載していていまして、我々が出会ってからフジロックに出るまでのことを書かせて頂きましたが(加筆修正を加えた最新版はこちら→https://www.bureaukikuchishop.net/blog )、菊地くんが12年ぶりでSPANK HAPPYを再開したいんだけど、いろいろと忙しくて自分でできないから(笑)アバターを頼まれました。J-POP史上、というか世界音楽史上稀に見る(笑)アバターを使ってバンドをやるという。彼らしいコンセプチュアルな発想ですが、はたから見たら絶対に「キャラ設定でしょ」って思われるに決まってるんで、、、、というのは、ご覧の通りコイツ(OD を指差して)が、小田朋美さんとミラーリングぐらいに似てるんで、「本人がやってるでしょ? と思われ続けながらやれ(笑)」いうミッションをもらいました。
 で、まずは相方を探してほしいと。 前人の相方の岩澤(瞳)さんはお人形みたいな人で、音楽にいっさい関与しないし、ただ立って言われるようにしていた人だった。だから、今回はなんでも自分でできる天才的な能力を持った──それは身体能力も含めて──相方を探して一応、世界中探し回ったんですがダメで。。。で、疲れ果てまして、私の地元が川崎なので隠し部屋に寝に帰ろうとしたんですが、近くにパン工場があるんですが……。

川崎のパン工場。

BOSS:そこから歌が聞こえてくるんです。あんまりにも上手いから最初はCDだと思っていたんだけど、歌い直したり止まったりするからどうやら生らしいぞと。そしたら中に女の子がいて、その子は小麦粉が入っている袋を服にして着ているボサボサな感じなんだけど、ものすごい天才でバッハから MISIA まで歌えるわけです。
 それが OD なんですけど、彼女は工場から出たことがない捨て子で、工場長から懇意にされてパンを食べながら育ったんだと。その子を工場の外に連れ出して、デビューさせるっていう話を菊地くんと僕とで取り付けて。この子なら間違いないと思ったんですけど……ところが非常に困ったことに、これこの通り、小田朋美さんにそっくりで。。。。

まあ、そうですよね(笑)。

BOSS:本人にしか見えないんだよね、って菊地くんに言うと、おもしろがって「いいじゃん、それだったら誰もがみんな、俺と小田さんがやってるバンドだって思うし(笑)ダブルアバターだ(笑)」って言うんです。

ODさんは?

OD:(パンを食べながら)その通りじゃないスか。インタヴュアーさんも、自分をミトモさん(*注:ODは小田朋美さんをそう呼ぶ)。だと思ってるデスか?

僕は BOSS THE NK さんと OD さんだと思って来ているんですが……(笑)。

OD:当然じゃないスか~(笑)。

OD さんは初対面のとき、BOSS さんについてどう思ったんですか?

BOSS:人さらいだと思ったんだよね(笑)。

OD:ハイ。なので「逃げろ~!」って。でも BOSS が走るのが早くて、ひっ捕まえられたじゃないスか。

BOSS:工場の上のほうまで追いかけるんだけど、OD があまりにも怖がって落っこちちゃってですね。。。でも下に製パン機があって、パン種があるところにボスンと落ちたから怪我しなかった。それで、父親代わりの工場長に相談して。

OD:パン工場のお兄ちゃんたちに囲まれてずっと暮らしていたデス。

BOSS:OD の口調は、そこに勤めている川崎のパン職人さんたちが川崎弁で「〇〇じゃないスか」って言っているのしか聞いたことがないからなんです。まあ、大きく「神奈川喋り」と言うか。

OD:そうなんスか? 全国共通弁だと思ってたじゃないスか~。

いま、ユースの幅も広がっちゃって、10代から50代くらいまでを一括りにできるじゃないですか。それを可能にしたのは、音楽だとロックとアイドルだと思うんだけど、そういう線でなく、10代から50代を「切なくていい」って感じさせられたらいいなと。いまは10代から50代まで青春ですから。

BOSS THE NK は BOSS THE MC が元ネタだと思いますが、「BOSS」に意味はあるのでしょうか?

BOSS:いや、ないです。私は普段は請負屋をしているので、名前は明かせません。それで菊地くんが「じゃあ、BOSS THE NK にしよう」って。北海道の人が怒んないのかっていう(笑)。

OD:なんでデスか?

BOSS:BOSS THE MC っていう、THA BLUE HERB っていうチームで北海道をレペゼンしているヒップホップの人がいるの。

OD:へ~!

BOSS:「ナル・ボスティーノ」かどっちかで迷って(笑)。

OD:「ナル・ボスティーノ」はやばいデスね。。。。

BOSS:で、OD は捨て子だから、コイツ自身も本名はわからないんですが、小田さんに似ているから携帯に「パン OD」ってしておいて(笑)。工場長からの携帯の着信は毎回「パン OD」って出るんですよ(笑)。で、そのまま「OD と BOSS THE NK」ということでスパンク・ハッピーをとりあえず始めたんですね。そうしたらおあつらえ向きに、伊勢丹さんから菊地くんのところに(2018年)5月のグローバル・グリーン・キャンペーンのキャンペーン・ソングをやってくれないかって依頼がきたんです。で、菊地くんがスパンク・ハッピーの再開をプレゼンしたら、すぐに通ってしまいまして(笑)。

FINAL SPANK HAPPY のファースト・シングル「夏の天才」(2018年)が生まれたんですね。

BOSS:その前にデモがあったんですよね。それがアルバムにも入っている“ヒコーキ”。それを聞かせたら、伊勢丹さんがめちゃくちゃよろこんでくれて。「OD、伊勢丹のタイアップ取れたよ」「やったじゃないスか!」っていうことで“夏の天才”ができたと。で、活動を始めて、あれよあれよという間にフジロックの出演も決まったっていう。まあ、SPANK HAPPY は歴史が長いので、12年ぶりに復帰したっていうこと自体がひとつのニュース・ヴァリューを持っちゃう。だから、フジロックからオファーが来たりしたんですけど、「持ち曲2曲しかないよ」っていう(笑)。それから1年半かけて、アルバムにたどり着いたっていう感じですね。

なぜ今回が「最終」なんでしょうか?

BOSS:いや、年齢的に――あっ、年齢は菊地くんと僕は同い年でして。56(歳)です――もしこのバンドがもしうまくいって3、4年続いちゃったら還暦になっちゃうんですよ。還暦になって、口パクで歌って踊っているわけにもいかないでしょう(笑)。

OD:でも、杖つきながら歌って踊るって言っていたじゃないスか!

BOSS:まあ、90(歳)までやってもいいんですけど(笑)。 いずれにせよ OD 以外のパートナーを見つけて第4期をする気はないので。これがトドメなのだ、ここから先はありません、ということで。

それほど OD さんは完璧なパートナー?

BOSS:そうですね。OD とやることが目的であって、OD がいなかったらやらなかった。誰でも良いから、どうしても SPANK HAPPY をやるんだっていう発想ではなく、菊地くんも「天才が見つかったら」ということでしたので。OD ありきなんです。
 あのう、あくまで、事情を知らないお客様から見れば、ですが、小田朋美さんっていうのは大変な才媛で、菊地くんがやっている DC/PRG と SPANK HAPPY のどちらにも、というか同時に 参加できる人材っていうのはいままでひとりもいませんでした。想像すらつかなかった。その点ひとつとっても大変なことです。藝大の作曲科を出ているからアカデミックな意味でも、作曲やアレンジの能力でも完璧っていう以上の特別な意味が小田さんにはある、ということになります。SPANK HAPPY のヴォーカルが DC/PRG のキーボードでもあるとか、トランペットであるとかさ。

OD:トランペットだったら卍ユンケルやばいデスね!(笑)

BOSS:小田さんのパブリック・イメージはクールでやや中性的で、でも歌うとけっこうエモくて鍵盤がものすごく上手くて作曲もできてっていう、完璧に近いような近寄りがたい女性ですよね。
 でも、OD はとにかく。。。。猿みたいなんです(笑)。OD は上京後しばらく小田さんと同棲していたので、小田さんが寝ていたりツアーへ行っていたりする間に勝手に機材をいじっていたら打ち込みができるようになってたんです(笑)。天才ザルというか(笑)。「猿の惑星」みたいな(笑)。

OD:それほどでもないじゃないスか~(笑)

BOSS:謙遜するところじゃない(笑)。「勝手に機械をいじっているうちに覚えたじゃないスか」、「ボスボス~、デモを作ったじゃないスか」って感じで。ジェンダーの問題でいうと、男の子が機械をいじって女の子がポエムを書くっていう、旧態的な役割分担じゃないんです。なにせ我々の場合は、機械をいじっているのもインスタグラムを管理してるのも OD なわけで。

OD:逆に、振付やお洋服は BOSS がやってるじゃないスか。

BOSS:そう。振付とスタイリングは私がやっています。私はダンサーではありませんが、ダンスは子供の頃から好きで、振付にも興味があるから、「OD がこう動いたら可愛いんな」とか、まあ、いろいろ考えて。で、まあ、当たり前ですが、OD も踊ったことがなかったので最初は目を回していたんだけど、あっという間に適応しました。適用能力と学習能力がすごいんですよ。しかも作詞と作曲とアレンジはふたりで共作してるから、もう世代もジェンダーもぐしゃぐしゃにゾルゲル状になっちゃっていて、誰のどっちの曲っていうのももうないんですよ。
 だいたい人間は、自分の正反面っていうのを隠し持っています。だから無教養で猿みたいな女の子で、口癖は川崎のパン工場の人々の言葉で、ものすごい元気でめちゃくちゃ踊ると。恥ずかしげもなんもないから、おしゃれで可愛いと思えばスイムウェアでステージへ上がるのも厭わないっていうのは、あくまで結果としてですが、小田さんの抑圧を集積したみたいなやつだった。天の采配としても完璧な構図ですね。
 それで、FINAL SPANK HAPPY の方向性が定まったんです。いま、皆さん基本的に暗いから。まあその。。。。お届けしますよ(笑)。
 いま、音楽の役割は、生きづらくて暗い自分を励ましてくれるとか、励ますのは素晴らしいことですが、「さあ励ましますよ、はい背中押します、あなたはそのままで良いんですよ」といったそのまんまな形が主流です。 あと、ドス黒いところを吐き出しているSSWの方とか。ディスではなくて、ひとつの成功フォームですから名前を出すけど、大森靖子さんとかですね。女性が暗部を吐き出すのは芸能の古典とも言えます。あとは、椎名林檎さんやコムアイさんみたいな「智将」というか。頭を使って計算して、マーケットはこんな感じでしょう、ふふふ、みたいな感じで、エロ具合からなにから完璧に計算してやる方々。
 そういうんじゃなくて、ポッと出の奴らが、軽くファニーでキュートにやるのだと。FINAL SPANK HAPPY が菊地成孔と小田朋美だったら「スーパー偏差値バンド」ですよね。それは最悪です。なので、私と OD っていう暴れん坊同士で楽しく、かつスーパーハイスキルで最高品質である。ということをブランディングしているつもりです。まあ、ブランディングたって、自然にそうなっちゃっただけなんですが(笑)。

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“エイリアンセックスフレンド”の振付くらいで「エロい」って言われるんだから、この国のピューリタニズムもロリコンもすごいところまできているよね。エロティックがパセティックという目的の素材になるべきです。エロさもあるが切ない。というのが大人の仕事で、AORの本懐である。

いま、BOSS さんがお話しされたのは「メンヘラ」についてですよね。

BOSS:はい。メンヘラはもうダメですね。表現としては。一般化しすぎた。ヒップホップがバッドやナスティである義務、みたいなものです。まあ、もっと一般性の高いことするんだけど(笑)。

FINAL SPANK HAPPY のテーマには「メンヘラの否定」もあるのでしょうか?

BOSS:いやいやいや。否定はしません。菊地くんがやっていた第二期 SPANK HAPPY はメンヘラ表現の先駆けになってしまったと思います。渋谷系っていう快楽的でおしゃれで、軽さのある人たちがいっぱいいた世界のなかに、二期スパンクスはフェティッシュだとか、そういうものを持ち込んだわけです。あと、二期ではとにかく「青春」っていう黄金を扱わないって決めていたので、そうなると幼児退行的で多形倒錯的になっていく。岩澤さんと菊地くんとで年齢差があったことによって、フェティッシュやインセストタブーも視野に入っていました。とにかく俗語としてはメンヘラ。だけど音楽は濃密で美しいんだ、という感じの世界観だったんですね(OD 寝始める)。
 二期は早すぎたので、後になって、フォロワーが、、、、SNSじゃないですよ(笑)、アーバンギャルドさんとか。あと、マーケットの需要もですね。菊地くんのあれは一種の病気だと思いますが、何やっても10年から15年早いって言われがちなんです。「いまだったら二期スパンクスは売れるよ」っていう人もいるんですけど、いまメンヘラは表現としては「皆さん、喉が渇いたら水を飲むと良いですよ」と言っているのと同じです。エコみたいですね(笑)。一大マーケットですよ。
 ですので、別に、アンチメンヘラ=健康思考という意味では全くありません。我々だって人間である限りしっかり病んでいます。単に違う商品を売りたい。コイツ(註:OD はもうとっくに寝ている)を獲得することで FINAL SPANK HAPPY のトーンとマナーが決まってきたんです。「エイリアンセックスフレンド」という曲名とか、ファースト・ヴァースで「甘いペニス」とか言うので、それを指して即物的に「エロい」と言われがちですが、でも、あの曲は切ない曲であって、エロい曲ではないです(笑)。

たしかに“エイリアンセックスレンド”からは「逢瀬」というイメージが浮かびました。

BOSS:セフレとはいえ「フレンド」なわけだから、お互いにちょっとは好きでしょうっていう、まあ、切ないところで(笑)。あとは、宇宙人のセフレっていう第一義と、不倫のダブルミーニングですね。年の差不倫の、しかも反復です。「あなたより子供な大人はいっぱいいたよ」と。そういうことほのめかしつつも全体的に切ないな、切なくてちょうどいいわっていう。あとは、タイトルの「エイリアンセックスフレンド」も、歌詞の最後の「ダンディ・ウォーホール」も、実在のバンド名で、ライミングしてる(笑)。
 いま、ユースの幅も広がっちゃって、10代から50代くらいまでを一括りにできるじゃないですか。それを可能にしたのは、音楽だとロックとアイドルだと思うんだけど、そういう線でなく、10代から50代を「切なくていい」って感じさせられたらいいなと。スティーリー・ダンみたいに「すごいだろ、俺たち」っていう上からには、どうせなれませんが、ただ、ハイクオリティな曲を丁寧に作っています。聴き心地軽いけど、切ないっていう。まあ、曲によってはストレートに悪ふざけてますけど(笑)。

1曲目の“NICE CUT”なんて、かなりふざけていますよね。ユースの幅が広がったことと「切なさ」、そして二期で避けていた「青春」はどういう関係性になるんでしょう?

BOSS:簡単に言うと解禁ですよね(笑)。それこそいまは10代から50代まで青春ですから。二期スパンクスは周りが全員青春だった。なので、青春はもういいわっていう格好でしたが、FINAL SPANK HAPPY はメンヘラ退場で、青春再登場っていう(笑)。切なさ、というのは、単に青春は切ないいじゃないですか。特に、いい大人の青春は(笑)。

では、FINAL SPANK HAPPY は性的な倒錯や病理といったものは扱わないんですか?

BOSS:扱わないですね。FINAL SPANK HAPPY では、あくまで装飾物としてエロいものは入っていますし、何せ実際にアダルトですからね(笑)、基本的には大人は明るく切なくいたいよねっていう。「切ない」と「おもしろい」と「かわいい」と「お洒落」しかない(笑)。 あと「元気」か(笑)。OD ライヴ中お客さんにパンをぶん投げたりする元気さですが(笑)。

カバー・アートやアーティスト写真でも意味ありげに使われているパンはなにかの象徴なんですか?

BOSS:だってパン工場で育ったんだもの(笑)

OD:(突如眼を覚まして)うおー!! そうじゃないスか!

BOSS:最初は、本当にパンしか食わないのかと思ってた(笑)。

漫画のキャラクターじゃないですか(笑)。

OD:ラーメン大好き小池さんじゃないスか(笑)。

BOSS:「なんでパン?」っていうのは皆さん言いますが、しょうがないじゃんねえ(笑)。

OD:「ス『パン』クハッピー」からきているって言われたりしたデスね(笑)。

OD さん的には FINAL SPANK HAPPY の切な明るいモードについてはどう感じていますか?

OD:まんまボスと自分を出してるだけじゃないスか(笑)。

二期との関連でいうと、アルバムでは“アンニュイエレクトリーク”をカバーしているのに驚かされました。

BOSS:ライヴでは二期の曲を、前期からのご贔屓筋へのサーヴィスとして3、4曲やっているんですよ。“アンニュイエレクトリーク”は、タナカくん(Shiro “IXL” Tanaka)のピートのクオリティがかなり高かったので収録しました。あとはめちゃくちゃ細かい話ですけど、“アンニュイエレクトリーク”のメロディって、とうとう最後まで岩澤さんがちゃんと歌えなかったんです。当時は Melodyne なんてないから、ピッチを直せなかったんですよ。だから、ちがうメロディのまま録っちゃっていた。菊地くんはああいう人なんで、気にしてないけど、作曲家としてちゃんと作曲した状態のものを正しく歌ってくれる人がいたら嬉しかろうし、OD に完璧に歌ってもらってやっと完成したっていう気持ちがありますね。

OD:“アンニュイエレクトリーク”は15年も前に書かれた歌詞らしいデスけど、いま聞いてもハッとする、響くところがあるデスね。

BOSS:「クラブの閉店」とか「計画停電」とかね。

2010年代には震災と原発事故があって、風営法問題があって…… 。

BOSS:そのうえで、退屈なんだっていう。退屈な人間が、何をするか。

OD:“雨降りテクノ”も雨に注意注意じゃないスか!

BOSS:そうそう。雨が降ってきて濡れると機械は漏電するから(笑)。

会社のデスクに自分の好きなフィギュアを並べているとか、待ち受け画面を好きなアニメにして仕事をしているとか、昭和の日本じゃ考えられなかった。日本人だけじゃなく世界中の人間たちが退行していっている。大人と子どもの振る舞いのすみ分けがなくなってきちゃっている。いまが昭和だったら、私なんてもうシルバー世代ですよ(笑)。

あまり二期と比べすぎるのもよくないとは思うのですが、二期が扱っていたものとして「資本主義」があると思うんです。そこは FINAL SPANK HAPPY としてはどうですか?

BOSS:とにかく二期はあらゆることに対して予見的だったと。当時は資本主義がどうのこうのなんて、多くの人びとには「なに言ってんだ、こいつら」みたいな感じだったと思うんですけど。
 菊地くんの作品には、全体的にそれが張り巡らされちゃっていて、正直よくないところ、というか、さっきも言った通り、症状だと思いますね。ちょうどジャストなときに出せるっていうのが、本当に才能がある人なので。早すぎる人や遅すぎる人は……カラオケで早く出ちゃう人とか、なかなか歌い出さない人みたいなタイミングが悪い人だから(笑)。早すぎるっていうのは音楽家として致命傷だと。
 ただそれは、菊地くんひとりの力じゃどんなに遅らせても、ちょうどぴったりにならない。私にもその病理はあります。けれども OD は、とてもいい意味で古典的な人で。

OD:自分は遅いタイプだから。。。昔のものがすごく好きなんデス!!

BOSS:それにしても“エイリアンセックスフレンド”の振付くらいで「エロい」って言われるんだから、この国のピューリタニズムもロリコンもすごいところまできているよね。パソコンではいくらでもエグいものが見られるのに。ポップ・シティ・ミュージックと完全に分離してしまっている。なんか、一種の放送コードですよね。もし「未来の大人のポップス」があったとしたら、エロティックがパセティック(涙目になるような状態)という目的の素材になるべきです。エロさもあるが切ない。というのが大人の仕事で、AOR(「アダルト・オリエンテッド・ロック=大人志向のロック」)の本懐である。と思ってやっています。菊地くんはバブル世代だから陽気なほうだけど、それでもパニック障害とかやっているしさ(笑)。一方、小田さんはめちゃくちゃ明るい人ではないので、我々とはできることがぜんぜん違うと思いますよ。

OD:ミトモさんに聞いたんデスが、子どものころはすごく明るかったらしいデスよ。

BOSS:それを「暗い」って言うんじゃない?(笑)。 「子どものころは明るかった」っていうひとは暗いひとでしょ(笑)。

OD:なんか、ご家庭でも一番ひょうきんだったらしいじゃないスか~。

BOSS:無邪気だったけど、楽園を追放されて無邪気じゃなくなったんでしょう(笑)。普通の発達だよそれは。小田さんの視点に立ったら、OD は幼児退行という側面もあるでしょうね。

OD:二期も退行を歌っていたじゃないスか。それは「少女」とか「幼児」ぐらいだと思うんデスけど、ミトモさんにとって自分は。。。3歳児くらいの感じじゃないスか(笑)。

BOSS:まあ、天才ザルだからな(笑)。人間以前に(笑)。

その「退行」についてはどうお考えですか?

BOSS:大きく捉えれば社会問題くらいなものですよね。会社のデスクに自分の好きなフィギュアを並べているとか、待ち受け画面を好きなアニメにして仕事をしているとか、昭和の日本じゃ考えられなかったことだから。
 でも、日本人だけじゃなくって世界中の人間たちが退行していっている。大人と子どもの振る舞いのすみ分けがなくなってきちゃっているんです。「大人買い」って、そこからきているわけじゃないですか。大人になって、子どものころに欲しかったプラモデルを山ほど買うとか。まあだから、20世紀は、どうしても退行の世紀に見えちゃうんですよね。全人類的に退行しているのかどうか? っていうのは、『アフロ・ディズニー』っていう本で菊地くんが識者と話しています。
 その一方で、若いアイドル・ファンたちのわきまえがよくなって、べたべた触って追い出されちゃう人がいなくなり、礼儀がちゃんとしてきている、大人っぽくなっている面もあるんですよね。退行の逆行現象として。だから、退行の問題は簡単には語れないです。特に、市民の私生活と、音楽表現との関係においては。いまが昭和だったら、私なんてもうシルバー世代なんですよ(笑)。

退行は力にもなるんですね。

BOSS:そうですね。なおかつふたりとも運動が好きで、ダンスしているし、ボディケアもやっている。アンチエイジングですよね、ひとつの。

OD:SNSで「菊地さんの隣にいる、あの体育会系の女むかつく」って書かれていて、自分はパリピユンケル卍驚いたじゃないスか! 自分はバッキバキの文化系じゃないスか~、大体自分の隣にいるのは菊地さんじゃないし!!(笑)

BOSS:「○○じゃないスか」っていうのが体育会系の言葉づかいだからってだけじゃない? まあオマエはスポーティーだからな。

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薬ばっかり飲んでいたり、ネットで病気の情報を集めたりしていたらもっと悪くなっちゃうので。恋人でもだれでもいいんだけど、誰にも「あたしのエクソシスト」がいて、ちょっとキスをしてくれるだけで悪魔を払ってくれるんだと。

……ええっと、音楽の話がぜんぜんできていなくて恐縮なのですが、今回はリズムのアプローチが多彩ですよね。二期はハウスやディスコのビートを中心にやっていたので。

BOSS:そうですね。リズミック・アプローチについては、二期スパンクスは DC/PRG と並走していたから、菊地くんもシンメトリーを出したかったんでしょう。ものすごい大人数のプロ集団が複雑なリズムに取り組む DC/PRG と、素人でなにもできない女の子とふたりだけですごくシンプルなテック・ハウスみたいなのをやる SPANK HAPPY と。
 我々はその当時の菊地くんの企みとは無関係です。OD のコード進行やメロディのつくりかたはすごく古典的でありながら、斬新で素晴らしいと思いますね。私にはできないことを簡単にやってのけます。リズムの対応力も非常に高いですし。
 あとは、テクノロジーの力が上がったっていうのも大きいですよね。昔は5連符の打ち込みなんてできなかったから。Ableton Live とか、あらゆるテクノロジーがリズムの揺らぎとかを追求してきている。あと、Ableton Live に「MIDI化」っていうのがあって、どんな音声データでもMIDI情報にできちゃうんです。そんなん使ってないけど(笑)。

OD:それはヤバいじゃないスか。。。。。

BOSS:だから、(エルメート・)パスコアールみたいなことが簡単できちゃう。言葉が全部歌になるので、ミュージカルって概念がなくなるわけです。極論的に、どんな映画も、台詞を全部音程化して伴奏をつけちゃえばミュージカルにできちゃうんだと。
 ポップ・ミュージックは新しい機材や技術をプレゼンテーションする音楽です。だから、FINAL SPANK HAPPY は原義に忠実にポップ・ミュージックだと思いますよ。二期はデカダンだったので、過去志向というか、傷とか幼児退行は過去への志向です。いまは軽やかで最新であると。なにも知らない人に「OD かわいいよねー」、「この曲切ないよねー」って楽しんで頂きたいですね。

ふたりの引力と斥力で、ちょうどいいところにいると。

BOSS:僕はコンサバの力に感動したことってあんまりないんです。業務上、クラシックの弦のチームを、クラシック上がりの有名アレンジャーの方とかと一緒にやるんですけど、あんまり感動したことがないんです。
 でも、小田さんが書いた弦──『mint exorcist』の弦アレンジは小田朋美さんがやっているんですけど──にはすごく感動したんですよね。コンサバで古典的な響きをちゃんと譜面で書ける人の弦って、こんなに感動するんだっていうことに打たれて。小田と OD が唯一繋がっている古典=クラシックスの力は振り絞れるだけ振り絞って、全部使おうっていう気持ちがありますね(笑)。

OD:BOSS のアイディアは、たまに言っていることがわからなくて作業が進まないこともあるデス。でもそれをふたつ、がっちゃんこで合わせてみると「あっ、すごくいいな」ってなるじゃないスか。お互いのいい面が、ひとつの曲としてうまくはまるデスね。BOSS のリズムやコードに対するアプローチって、最初「これは何スか?」みたいな斬新な発想なんデスが、自分は──もちろん新しいものも取り込むけど──基本的にコンサバで古典的なものが好き好きなところがあるじゃないスか。

調性を信じる OD さんと、ジャズの無調や調性から外れることに惹かれる BOSS さんとの対照性や緊張関係があるわけですよね (https://realsound.jp/2018/06/post-208704.html)。

OD:緊張というより、むしろお互いすげーなと思っているじゃないスか。自分は調性と無調って対立しているものではないと思うデス。調性の先に無調があって、距離の問題だと考えているので。無調のなかにもすごく美しいハーモニーはあるし、実は古典的な響きもいっぱいあるじゃないスか。

BOSS:おおおお。その発言自体が超コンサバでしょ(笑)。まあこうやって自然にバランスしてるバディなのだと(笑)。

OD:“Devils Haircut”は調がないっていうか、調性じゃないものがいっぱい重なって入っているデス。とってもお気に入りじゃないスか~(笑)。

BOSS:ブルースやロックンロールは、もともと無調への通路だからね。我々の“Devils Haircut”には、現代ブルースの要素とクラシカルな多調性の要素が、まさに共作的に溶け合っています。

どうしてベックの“Devils Haircut”をカバーしたんですか?

BOSS:ぜんぜん理由はないんですよね(笑)。OD はベック知らないし。「とにかく洋楽をカバーするじゃないスか!」ってなったので、時代もジャンルも関係なくふたりでランダムにどんどん音源を聞いていったんです。

OD:YouTubeでデス。

BOSS:我々のコンビネーションの別軸に「ポップスに対する教養のある/なし枠」っていうのもあるんです。OD は本当にいい意味でポップスの教養がないので、レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)はローリング・ストーンズの次くらいだと思っていましたからね(笑)。

ロックの歴史的には20、30年空いていますね(笑)。

BOSS:「ベートーヴェンの次がヴェーベルン」みたいな(笑)。すげーびっくりしたんだけど、ポップ・カルチャーという本来無教養なものだったのに対する教養、つまりサブカルですが、OD はポップスに対してパンクというか、アナキストですね。それでふたりでどんどんポップスを聴いていって「あっ、これかっこいいよね」ってなったからやっただけで。「いまこれをやったらセンスいいよね」っていう感覚では全くないです。ガラガラポンですよ(笑)。

OD:クレイジーな曲でカッコいい~と思ったデス。最初はFKAツイッグスの、チェロとピアノだけの静かな曲をやりたいとか、そういう話もしてたデスが、いつのまにか、「やっぱりこの曲良いよね、この曲をピアノでやって見たら面白そう」ってなったじゃないスか。

あのピアノはYMOの“体操”を思い出しました。

BOSS:あれはチャームですね。一番表面に置いてあるから、一聴して“体操”に聞こえるけれども、実際はコンロン・ナンカロウとか、同じ坂本(龍一)さんでももっと最近の作品の要素も入っている。“体操”ってもっとずっとポップだし、あれは形式が変形のブルースだからね。「これ“体操”だろう」っていうのは当然の反応ですけど、奥行きを作っています。
 あれはふたりじゃないとできないアレンジです。縦横に音楽的な奥行きがありながら、すごくふざけているので(笑)。

OD:ライヴの振り付けも、あの曲はスローモーションで卓球をやってるじゃないスか(笑)。それでそれで、最終的にはドライブデート中のふたりが車の事故で死んじゃうじゃないスか~(笑)。

音楽は、「簡単か難しいか」なんてことのはるか以前に、「向いてる向いてない」とか「できるできない」という軸すらないんです。一番似ているのは恋愛です。誰でも恋はする。でも、傷や不全で臆病になるでしょう。

ボニーとクライドじゃないですか(笑)。最後に、アルバム表題曲の“mint exorcist”についておうかがいしたいです。

BOSS:ヒステリーや恋愛依存症、誘惑依存症というのはいつの世にもありました。昔は悪魔祓い師やヒーラーがいて、現代では精神医療で投薬して治しましょうっていうふうに変わったわけですけど、それを一回、また戻したいんです。薬ばっかり飲んでいたり、ネットで病気の情報を集めたりしていたらもっと悪くなっちゃうので。恋人でもだれでもいいんだけど、誰にも「あたしのエクソシスト」がいて、ちょっとキスをしてくれるだけで悪魔を払ってくれるんだと──そういう話をパッと考えついたんですよね。最初はツアー・タイトルとして、適当に思いついたんですけど(笑)曲のテーマに発育させたと。

OD:自分がよくミントを食べていたからじゃないスか?(笑)

パン以外も食べるんですね(笑)。

BOSS:そう(笑)。OD はミントばっかり食って、なぜか途中でやめて、その食べ残しをそこかしこに、財産みたいに積んでるんですね(笑)。んで私は映画の『エクソシスト』が大好きなので、それもあって「mint exorcist tour」って適当に言っちゃったんですよ。で、夏にふたりでうなぎを食いに行って、昼から日本酒を飲んで「気持ちいいじゃないスか~」って言っていた帰りの数分間で、曲の骨格ができあがって。で、あなたは「mint exorcist」だと。涼しく甘く、悪魔を祓ってくれるんだと。

OD:その日のうちにばーって録って、できあがったんデスよね。

BOSS:最速でできた曲ですね。着想から完成まで5分かかってない。

OD さんが「音楽はみなさんが考えてるより、ず~っと簡単じゃないスか!」って言っているのが、いままでにない感じでいいなと思いました。

BOSS:まあ、時間をかけて作る曲もあるけど本当に一瞬でできる曲もある。だから、あの曲自体のことであり、人間が抱えている問題や、萎縮に関する解放ですよね。

OD:音楽が苦手だっていうひともいるじゃないスか。でも、向いていないとか苦手だとかって封じ込めちゃわないで、もっと音楽は簡単だって知って欲しいデスね。

BOSS:音楽は、「簡単か難しいか」なんてことのはるか以前に、「向いてる向いてない」とか「できるできない」という軸すらないんです。一番似ているのは恋愛です。誰でも恋はする。でも、傷や不全で臆病になるでしょう。

OD:臆病はダメダメじゃないスか~。

BOSS:無教養主義に対する肯定がキツすぎるんですよ。一方で、東大出の人が「人生に学歴なんて関係ない」って言ったらいやらしいじゃないですか。もしですよ。小田さんと菊地くんが「音楽なんて簡単ですよ」って言ったら、単純に腹たちますよね(笑)。それでおふたりが「いや、私は学校のなかでもドロップアウト組で……」とか話がグダッグダになっちゃう(笑)。
 だけど OD が、調子よく口笛吹いてる曲の途中で「みなさんが思ってるより音楽は簡単じゃないスか~。ウナギを食ったらすぐに曲ができてすごいじゃないスか~。ウナギには栄養があるじゃないスか~」って言うことで、本当にキツくなっちゃっている、難しく考えすぎちゃっている人たちのキツさをちょっと緩めてほしい。我々からの、小さな傷口へのキスだと思って頂きたいです。と、それぐらいは FINAL SPANK HAPPY はジャストに立っていると──実際どのくらいかっていうのは、これからやってみないとわからないんだけど(笑)。

わかるのは10年後かもしれませんね(笑)。

BOSS:そしたらジャストじゃないですね(笑)。「FINAL SPANK HAPPY はやっぱりマニアックだ」ってなるのか、「いやこれめちゃくちゃポップだよ」っていうふうになるのかは、聴いてくださった皆さんが決めることですから。

Burial - ele-king

 12月6日に編集盤『Tunes 2011 To 2019』のリリースを控えるベリアルだけれども、新曲“Old Tape”がストリーミングにて公開されている。同曲は〈Hyperdub〉と Adult Swim のコラボによるレーベル15周年記念コンピ『HyperSwim』に収録されているトラックで、コンピじたいもすでに配信開始となっている。同盤には他にアイコニカリー・ギャンブルファティマ・アル・カディリローレル・ヘイローといった精鋭たちに加え、マイシャやDJハラム、エンジェル・ホなど最近レーベルに加わった面々も名を連ねている(もちろんコード9も)。『HyperSwim』の試聴・購入は下記のいずれかより。

 Adult Swim / Spotify / Bandcamp

 なお〈Hypedub〉は12月7日に渋谷 WWW にて来日ショウケースを開催予定。

HyperSwim

Tracklist:
01. MHYSA - Games
02. Okzharp & Manthe Ribane - In Your Own Time
03. Ikonika - Primer
04. Proc Fiskal - Devlish River
05. DJ Taye - Inferno
06. DJ Haram - Get It
07. Angel-Ho - Chaos
08. Burial - Old Tape
09. Doon Kanda - Perfume
10. Mana - Climbing The Walls
11. Dean Blunt - Darcus
12. Scratcha DVA - Baka
13. Cooly G - Nocturnal
14. Nazar - Unruly
15. Kode9 - Cell3
16. DJ Spinn - Opioids
17. Lee Gamble - Chain 9
18. Laurel Halo - Crush
19. Fatima Al Qadiri - Filth

interview with Battles (Ian Williams) - ele-king

 結成から17年。世間的には“Atlas”で一世を風靡したことでも知られるエクスペリメンタル・ロック・バンドのバトルスが、ギター/キーボードのイアン・ウィリアムスとドラムスのジョン・ステニアーのデュオ編成となって初めてのアルバム『Juice B Crypts』をリリースした。4人から3人へ、そして2人へと編成を変えながら、変わることのない鋭角的なサウンドと祝祭的なグルーヴを奏で続けてきた彼らは、11月初頭に恵比寿ガーデンホールで開催され、満員の観客が詰めかけたリリース記念ライヴでも、その圧倒的な個性を聴かせてくれた。いや、むしろプリセットされた音源やシンセサイザーなどを駆使するイアンのサウンドと、サンプラーを使用しつつあくまでも生身のドラミングを力強く披露するジョンのグルーヴは、バトルスの核にある音楽性をより剥き出しにして聴かせてくれたと言ってもいいだろう。ライヴ当日、ステージに出ていく直前のイアン・ウィリアムスに、バトルスの変化と具体的な制作手法、新作『Juice B Crypts』について、さらにはその「モダン」なありようを伺った。(細田成嗣)

オリジナル・メンバーと、新しいメンバーのヒエラルキーができるよりは、ふたりだけの方がいい。

4年前のアルバム『La Di Da Di』と今作『Juice B Crypts』の一番大きな違いとして、やはりメンバーのひとりデイヴ・コノプカが脱退したということがあると思います。トリオからデュオへと編成が変わるなかで、音楽制作にどのような変化がありましたか。

イアン・ウィリアムス(Ian Williams、以下IW):デュオになったことである意味ではとてもやりやすくなった。というのも曲ごとの方向性が明確に見えるようになったんだ。いまは俺とジョン(・ステニアー)のふたりで楽曲制作をしているんだけど、ジョンはあくまでもドラマーとして存在していて、それ以外のギターやキーボード、あるいはループを使うところのコントロールとかはすべて僕がやっている。デイヴ(・コノプカ)やタイヨンダイ(・ブラクストン)がいた時代は、俺がここにこの音を置きたいって思っていても、みんながいろんなものを持ってきたりするから、なかなか思い通りにはならなかった。でも今回は俺が行きたいところにまっすぐに進めたという意味ですごくやりやすかった。だから曲の形を作るという点でははっきりと自分の意図を出すことができたんじゃないかな。いままでは意図がぶつかり合うことがあったんだけどね。もちろんぶつかり合うことで矛盾が生まれて面白いものができるっていうこともあって、とてもクレイジーで良い方向に進むこともあったんだけど、たまにクレイジーすぎてしまうこともあった。そういったことが整理されたっていう意味では今回のアルバム制作はとてもいい機会だったと思うよ。

バンドをやめる、あるいは後釜のメンバーを入れるなどの選択肢はあったのでしょうか。

IW:新しいメンバーを入れるというのは、変な感じがするというか、俺とジョンだけの方が正直な感じがする。オリジナル・メンバーと、新しいメンバーのヒエラルキーができるよりは、ふたりだけの方がいい。

具体的にアルバムを制作するうえで方法を変えたことなどはあったのでしょうか。

IW:俺が前にやってたドン・キャバレロの終わり頃からそうだったんだけど、バトルスの曲作りにおいてつねにインスピレーションを与えてくれるものがある。というのはループ・ペダルを使って音を重ねていく作業をするんだけど、それをバンドという形でやるにあたって、重ねた音をそれぞれの生身のミュージシャンに割り振ったらどうなるだろう、っていう考えがあるんだ。EPとか『Mirrored』の頃もまさにそうで、コール&レスポンスがかなり多い音作りだったと思うんだけど、それはたぶんね、ひとりで作った音を他人と共有するときに生まれる呼びかけ合いみたいなものがあったからなんだと思う。要するにループ・ペダルで使ったものを一旦バラして人に割り振るっていうことから生まれる呼びかけ合いね。今回の新しいレコードでやったことも割とそれと同じなんじゃないかというふうに思っていて。ただ今回はメロディの情報がものすごく多いから、リズムの上にメロディを乗っけるっていうんじゃなくて、サウンドの壁みたいなものにメロディも埋め込まれているというか、構築されたもの全体の一端がメロディになっている。つまりメロディがウワモノとして乗っかっているんじゃなくて、サウンドの壁の中から聴こえてくる、っていうふうに変わったっていうのはこれまでとの違いなのかもしれないな。ただ、自分が作った音楽を表現するやり方っていうのは意外とあんまり変わっていないんじゃないかな。

ループ・ペダルで作ったものを生身の人間に割り振る際に、機械ではなく身体を用いることによる意想外な出来事がひとつの面白さとして出てくると思うんですが、たとえば長時間のジャム・セッション、つまりインプロヴィゼーションをおこなう中でコンポジションのアイデアを掴んでいく、といったような制作方法をすることもあるのでしょうか。

IW:いわゆるインプロはやらないな。もちろんいまふたりしかいないということもあって、一緒に曲作りをするときにジョンにドラムを叩いてもらって、なんか面白い響きがしてヒントになることはあるにしても、僕らの場合それはたぶんインプロとは違う。インプロと言うよりも「必死の試行錯誤」って言った方が合ってると思う。「あ、いまなんか面白いのができたね」ってなったときに、どうやったか覚えておこうみたいな、そういうことはよくやってる。でもそれは曲作りそのものと同じだから、僕の中では特にインプロだとは思ってない。

新しいものを使ってみるのが好きなんだ。色々なことをやってみて、努力して、事故が起きるという状態まで自分を持っていく。素敵な事故が起こるまで。自分では予測や想像できなかったであろうことが起きるまで、機械と交流するんだ。

『Juice B Crypts』のもうひとつの特徴として、大勢のゲストが参加されてるということがありますよね。ゲストはどういうふうに選んでいったのでしょうか。

IW:服を着替えるような感じだった。色々と試しては「これ似合うね」とか「他のも試してみよう」とか、そういう感じで選んでいった。だけど特に決まったメソッドがあったというわけじゃなくて、それぞれの曲についてそれぞれの理由で人選していった。曲の求めに応じて解決策を探していったと言えばいいかな。たとえばセニア・ルビーノスに関しては前から好きな声で素晴らしいシンガーだと思っていたんだけど、最初は“Fort Greene Park”をやってもらおうと思って試してみた。だけどなんだか上手くハマらなくて、洋服を色々とあてがってみる感じで彼女に合う曲を探していった。その結果あのソウルフルな感じが“They Played It Twice”に合致してクールな出来になったんだ。

つまりアルバム全体のコンセプトを先に決めてそれに当てはまるようにゲストを呼んでいったのではなく、曲ごとにそれぞれの理由でゲストとコラボレーションしていったということでしょうか。

IW:そうだね。最初から全体を見ていたわけじゃない。たとえば“Titanium 2 Step”は最初インストで録ってみて、誰だったかに聴かせてみたら「なんかオールド・ロスト・ニューヨークっぽいよね」って言われて。たしかにニューヨークのクラシックなディスコ・パンクというか、70年代終わり~80年代頭ぐらいのノーウェイヴっぽいよなと思って、その手のバンドにいた人っていうことでサル・プリンチパートの名前が浮かんだから、声をかけてみたり。曲によって理由は様々なんだよ。

台湾の Prairie WWWW とはどのような経緯でコラボレートしたのでしょうか。

IW:彼らを観たのは4年くらい前、台湾の台北だった。とてもクールで変わったバンドだと思ったのを覚えている。彼らは、俺たちがいるステージの反対側に、クラブのフロアで準備していて、大きな帽子をかぶって床に座りながら、変な音をマイクから出していた。すごく奇妙だったんだけどクールな感じだった。だから彼らのことは覚えていて、連絡も取っていた。そこで今回の曲に参加してもらうことになって、クールなコラボレーションが実現したんだ。

アルバムの構想は、いつ、どのように生まれたのでしょうか。

IW:前作のツアーが終わった後、俺はひとりで新しい音楽の制作に取り組んだ。そしてデイヴが脱退した。俺たちが作る音楽は、何をやっても、良い音楽になるという自負はあった。それが成功するかどうかは全く分からないが、俺たちの音楽はクールなものになるだろうと思っていた。そこでジョンに、「この新しい音源で何かやってみないか?」と聞いたらジョンはやりたいと言った。だからこのアルバムの元となったのは、俺がしばらくの間、作っていた素材なんだ。

なるほど。それはどのような素材だったのでしょうか。

IW:俺はいつも新しい「楽器」に興味を持っている。「楽器」とカッコ付きで呼ぶのは、エレクトロニック・ミュージックでは色々なものが「楽器」になるからだ。ある種のソフトウェアも楽器だし、シンセサイザーも楽器、伝統的なギターやベースギターもそうだし、ペダルを通すものや、モジュラーシンセサイザーも楽器になる。その全てが今回のアルバムに使われた。俺は、そういう新しいものを使ってみるのが好きなんだ。毎回、違った結果が生まれるからね。色々なことをやってみて、努力して、事故が起きるという状態まで自分を持っていく。素敵な事故が起こるまで。幸運な事故が起こるところまで色々なことを試してみる。実際に起こるまでは、自分では予測や想像できなかったであろうことが起きるまで、機械と交流するんだ。そしてそういうことが起きたときに「すごいな、こんなことが起こったんだ」と思う。そういう作業が大部分を占める。そのような事故が起きるような状況まで自分を持っていく。そのために機材やツールを組み合わせる。今回のアルバムでは、モジュラーシンセサイザー、エイブルトン、スウェーデンの会社のエレクトロン、それから何本かのギターを使ったね。

8分くらいの大曲を書くよりも3分半の短い曲を書く方が難しい。バトルスではいくらでも複雑なことができるわけで、それを一口大で提示してみるっていうのがいわゆる「歌もの」をやることの醍醐味だと思ってる。

タイヨンダイ・ブラクストンが脱退した後にリリースされた2枚目のアルバム『Gloss Drop』にも多数のゲスト・ミュージシャンが参加されていましたよね。メンバーの脱退後にゲストを呼んでアルバムを制作する、という点では似た経緯を踏んでいるように思いますが。

IW:そういうふうに言う意味はわかる。けれども僕らは『Gloss Drop』のことは意識していなかった。ゲスト・ヴォーカルをたくさん入れるのってとても楽しい試みだと思うんだよね。それはバンドという関係ではできないことができるというか、歌う側もいつもと違うことができて楽しいのかもしれないし、いつもと少し違うヴォーカルを聴いてもらえる機会にもなるのかもしれないし。僕らとしてもバンドのメンバーじゃない人とやるからいい意味でプレッシャーがかかるところもあるんだ。インストの曲ってさ、どれだけ楽器が上手いかとか、どれだけ曲が長尺で複雑で、山あり谷ありで最後には感動させてみせるぞみたいなね、そういうことが問われてしまうところがある。ひけらかし的な部分とか、どれだけ宇宙の彼方まで行って戻ってこられるか的な部分とか。でもそういった側面から自由になれるっていうのが、歌の入った割とコンパクトな曲の醍醐味だと僕は思う。単純に音楽として楽しんでもらえるんじゃないかっていうのがあるんだ。それに実を言えば8分くらいの大曲を書くよりも3分半の短い曲を書く方が難しい。それはたぶん100ページで書くことを10ページにまとめるときの難しさと同じだと思うけど、バトルスではいくらでも複雑なことができるわけで、それを一口大で提示してみるっていうのがいわゆる「歌もの」をやることの醍醐味だと思ってる。もちろんだからといって簡単なことをやってるわけではけっしてなくて、一口大の中にものすごくいろんなものが入ってるっていうことは間違いないけどね。

一方でもちろん『Gloss Drop』にはなかったような要素も『Juice B Crypts』には数多くあります。前作『La Di Da Di』から今作をリリースするまでの4年間に新しく興味を持った音楽はありましたか。

IW:シンセサイザーをいじることかなあ。具体的なレコードとか人物というよりも、新しいシンセを手に入れて遊んだりすることがすごく刺激になっている。

今作のプレス・リリースであなたは、モダニズムの概念を鍛錬した美術批評家クレメント・グリーンバーグの「メディウム・スペシフィシティ」に言及していましたよね。

IW:あれは〈Warp〉が勝手に入れたんだよ(笑)。たしかに雑談をしているときに名前を挙げたり、グリーンバーグのコンセプトを語ったりはしたかもしれない。でもそれを元に曲を作ったという話は一切してないよ。ただ、そうだね、たとえば曲の意味を問われたときに「これは恋人のことを想って書いた曲です」とか言っちゃえば簡単なんだけれども、俺の場合は「こういうビートがあります」とか「こういうテクスチャーのサウンドがあります」とか、それがそのまま曲になっているから、モダン・アートの考え方に似てるんじゃないかとは思う。モダン・アートって、たとえばブロックと木片があってそれらを組み合わせて何かを作ったときに、「これは支え合いを意味するのです」とかいう説明をしたらそうなるかもしれないけど、でも実際には単にブロックと木片があるだけだよね。白いキャンバスの上に白い輪っかを描いたとして、何を意味するのかって言われても、それは単純に白だよね。もしくはペンキをぶちまけて何かを描いたとして、それが牛みたいに見えることもあるかもしれないけど、でもそれはただのペンキなんだよね。そういうことなんだよ。素材がそのまま曲になってるっていう意味では、そういう一部のモダン・アートの考え方と近いところがあるよね。

バトルスの音楽はモダンだと思いますか?

IW:うん。そういうイデオロギーの方が好ましいと思う。

DC/PRG - ele-king

 菊地成孔率いるデートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデンが今年で結成20周年を迎えます。それを記念し、初期スタジオ・レコーディング作品3枚が、スペシャルプライス盤として再発売中です。なお同バンドは現在4都市をめぐるツアー中で、明日28日には新宿の BLAZE にて東京公演が開催されます。詳細はこちらから。

“菊地成孔”主宰ビッグバンドDC/PRG結成20周年記念!

常に進化を止めないサウンドでシーンを席巻し、幾多のアーティストに多大な影響を与えてきたDC/PRG。その原点とも言うべき1stアルバム『アイアンマウンテン報告』(2001年)から2ndアルバム『構造と力』(2003年)、そして3rdアルバム『フランツ・カフカズ・アメリカ』(2007年)の初期スタジオ録音3作品を結成20周年を記念して初回限定生産スペシャルプライス盤として緊急リリース決定!

菊地成孔コメント
 
[1999年当時のこと]
 バンドの着想は90年代初頭からありましたが、カヴァー曲(「circle/line」菊地雅章)の採譜とオリジナル曲のスコア化を経て、リハーサルスタジオに最初に入ったのが1999年末でした。世界はノストラダムスの預言や2000年問題が(どうやら)なさそうだという雰囲気と、何よりほとんどの人類が世紀末から新世紀へ跨ぐ、という時で、ネットという麻薬も今ほど蔓延っておらず、世界では目を覆うような内戦や紛争も絶無ではありませんでしたが、やがてそれらも集結し、「21世紀は争いのない〈心の世紀〉にしたい」的なオプティミズムで温まっていました。音楽は渋谷系やDJ先導の初期のクラブジャズなど、お洒落で高踏的で快楽的な感じでした。リズムに揺らぎや混沌を求める等というのは夢のまた夢、といった感じです。ですが僕の内部では「21世紀は、戦争や内紛がもっと醜悪な形になって、経済も悪化する」といった予感がありました。これがいかに、病的なまでに時代とアゲインストしていたかは、タイムマシンに乗って1999年まで来ないとご理解頂けないと思います。僕は生死を彷徨う難病を克服したばかりで、生命としての勘が鋭くなっていたんだと思います。来るべき時代に備えるのがジャズの特命だと思っており、すぐに準備に入りました。今回、我々の初期3作をP-VINEさんにリイシュー(サブスク解禁)して頂く運びとなったことをとても嬉しく思います。中でも、デモ盤もない、ライブハウス回りの、意味不明な音楽をやるバンドに契約書を差し出し、ちょっとしたマスヒステリーの中に突き落とし、3年間はマネージャーもやってくれ、僕らと世界のあらゆる運命を変えてくれた、生涯の恩人、又場クン(当時、P-VINE RECORDS A&R)に神聖なまでの感謝のバイブスを送ります。



アーティスト:DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN / デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン
タイトル:Report From Ironmountain / アイアンマウンテン報告
PCD-20412 定価:¥2,000+税
発売日:2019.11.13 【CD】

70年代エレクトリック・マイルスからの源流をジャズ~ソウル〜ファンク〜アフロ、さらには現代音楽までクロスオーヴァーした唯一無二なスタイルでダンスミュージックへと昇華した衝撃の1stアルバム(2001年作品)! ポリリズミックなリズムに重厚なグルーヴ、ツインドラムを備えた11人編成によるビッグバンド・スタイルで畳み掛ける怒涛のインストゥルメンタル・ミュージック! ジミヘンで有名なナンバー「HEY JOE」をも独創的な解釈でプレイするなどジャンルやカテゴリを超越したスタイルは00年代の幕開けにふさわしいボーダレス・サウンド!

《収録曲》
1. CATCH22 / 2. PLAY MATE AT HANOI / 3. S / 4. CIRCLE/LINE~HARD CORE PEACE / 5. HEY JOE / 6. MIRROR BALLS

【パーソネル】
菊地成孔(Vox-Jagar / CD-J / キーボード)/ 大友良英(ギター)/ 高井康生(ギター / フィルター)/ 芳垣安洋(ドラムス)/ 藤井信雄(ドラムス)/ 栗原正巳(ベース)/ 津上研太(ソプラノ・サックス)/ 後関好宏(テナー・サックス)/ 坪口昌恭(シンセサイザー / エレクトリック・ピアノ / クラヴィネット)/ 大儀見元(パーカッション)/ 吉見征樹(タブラ)
ゲスト:イトケン(ドラムス / タンバリン)

[「アイアンマウンテン報告」について]
 盤のタイトル、収録曲、曲順、曲名までが、製作前から全て、ミリ単位の精緻さで決まっていました。レコーディングで生じる演奏上のミスや混沌の全てに既視感があり、それは、恐らく、世界のジャズ史上でも最も長時間に及んだ編集作業を全て終えて、ミックス、マスタリングの終了まで途絶えませんでした。今ではもう考えられない集中力と憑依の力が、僕らがシットインしたスタジオ全体に漲っていて、僕らは新しいバンドのレコーディング、というより、何らかの、世界側からのミッションを遂行するのだとしか感じていませんでした。かといってスタジオが異様な緊張感に包まれていた。とかではありません。非常にリラックスした興奮とともに、全ては進みました。アルバムタイトル、楽曲タイトルに、僕のオリジナルは「ミラーボールズ」しかありません。あとは全てテキスト引用された物です。これは戦争、というより「戦場」に関するアルバムで、というか、音楽の中にある戦場の側面を、戦争が起こって行く生成過程と最大限まで共振させた作品です。20世紀までの、としますが、地上戦の構造と音楽の構造との共振の数値として、これを超える作品を僕は知りません。不安と恐怖が快楽であり、戦闘が健全さと繋がっている、という極秘事項を音楽で表現した、数少ない音楽の一つだと自負しています。


アーティスト:DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN / デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン
タイトル:Structure et Force / 構造と力
PCD-20413 定価:¥2,000+税
発売日:2019.11.13 【CD】

ポリリズムから溢れだす混沌としたグルーヴにあらたにホーンセクションを増強することで前作からのコンセプトをより強固なものへと進化させた第二期14人編成による2ndアルバム(2003年作品)! 80年代に一世を風靡した思想書〜浅田彰『構造と力』と同名のタイトルを冠し確固たるコンセプトをもとに全6曲で構成された壮大な組曲! 緻密に計算された音場と音象をベースにカオティックに乱れ飛ぶ音粒、そして複雑に展開し続ける曲構成はまさにプログレッシヴな進化を遂げるエクスペリメンタル・ダンス・ミュージック!

《収録曲》
1. 構造 I - 現代呪術の構造 / 2. 構造 II - 中世アメリカの構造 / 3.構造 III - 回転体と売春の構造 / 4. 構造 IV - 寺院と天国の構造 / 5.構造 V - 港湾と歓楽街の構造 / 6. 構造 VI - シャンパン抜栓の構造

【パーソネル】
菊地成孔(コンダクター / CD-J / キーボード)/ ジェイソン・シャルトン(ギター)/ 高井康生(ギター)/ 芳垣安洋(ドラムス)/ 藤井信雄(ドラムス)/ 栗原正巳(ベース)/ 津上研太(ソプラノ・サックス)/ 後関好宏(テナー・サックス)/ 坪口昌恭(シンセサイザー / エレクトリック)/ 大儀見元(パーカッション)/ 吉見征樹(タブラ)/ 関島岳郎(チューバ)/ 青木タイセイ(トロンボーン)/ 佐々木史郎(トランペット)
ゲスト:イトケン(ドラムス)

[「構造と力」について]
「アイアンマウンテン報告」のリリースパーティーが渋谷クラブクアトロでセッティングされたのは2001年9月14日です。つまり「よし。あと3日だ」という夜に、あの同時多発テロがあり、僕は、ミッションの遂行が順調であることを確認しましたが、そのままパニック障害を発症しました。このアルバムが仏語タイトルと英語タイトルと日本語タイトルを持っているのは、パリのスタジオで録音し、ライナーノートも含め、文字情報を全てフランス語にする予定だったからです。パニック障害の発症によって、パリへのフライトはなくなりましたが、クリエイトの力は倍返しで得ることになりました。このことは今でも音楽の神に感謝しています。何せこの作品と、前期のスパンクハッピーの代表作「ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ」は、作曲作業と録音作業が全て並行して、つまり僕は、パニック障害の発症により、生まれて初めて、アルバムを二枚同時に製作したのでした。今同じことをしろと言われても、絶対にできません。この作品から、僕はPCによるデモ制作、つまり作曲にMIDIを導入し、生演奏に変換可能な技法上の臨界点まで追及し、収録される6曲のリズム構造が、全て違うように、まず最初に6パターン作ってから楽曲化しました。発表当時は、ファンクジャズのミニマリズム平均から見て、あまりに多弁的で音数が多かったが故に、これはファンクでもジャズでもないと批評されましたが、アフロビーツやエレクトリックマイルズが、昭和というのどかな時代の色眼鏡から剥離し、正しく咀嚼されきった現在に於いては、何が起こっているか、リスナーがパノラマの動体聴力で見通せる、つまりポップな作品だと思っています。



アーティスト:DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN / デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン
タイトル:Franz Kafka’s Amerika / フランツ・カフカズ・アメリカ
PCD-20414/5 定価:¥2,000+税
発売日:2019.11.13 【2CD】

前2作のスタイルを踏襲しながらさらなる進化を遂げたCD2枚組/全100分におよぶ超大作! 発表直後に活動終了を宣言するなど初期(第一/二期)DCPRGの集大成とも言うべき3rdアルバム(2007年作品)! 14人編成による多様なリズム構造を備えた楽曲群に各メンバーのインプロヴィゼーションが連鎖的にフィーチャーされたカオティックなサウンドでありながら前2作に通じる圧倒的なファンクネスをも体現! 常にフロアライクなスタイルと先進性でダンスミュージックの新たな地平を切り開いた初期DCPRG最終章がここに!

《収録曲》
DISC1:1. ジャングル・クルーズにうってつけの日 / 2. (イッツ・ア・スモール) ワールド・ミュージックス・ワールド / 3. 競売ナンバー49の叫び
DISC2:1. ワシントンDC / 2. 1865年 バージニア州 リッチモンド / 3.フォックス・トロット / 4.花旗

【パーソネル】
菊地成孔(コンダクター / CD-J / キーボード)/ ジェイソン・シャルトン(ギター)/ 高井康生(ギター)/ 芳垣安洋(ドラムス)/ 藤井信雄(ドラムス)/ 栗原正巳(ベース)/ 津上研太(ソプラノ・サックス)/ 後関好宏(テナー・サックス)/ 坪口昌恭(キーボード / シンセサイザー)/ 大儀見元(パーカッション)/ 吉見征樹(タブラ)/ 関島岳郎(チューバ)/ 青木タイセイ(トロンボーン)/ 佐々木史郎(トランペット)

[「フランツカフカのアメリカ」について]
 合衆国とイラクの酷い戦争は、ある意味で00年代のカルチャーも経済もバッドリードし、リーマンショックによるシャットダウンまでそれは続きました。僕は、2006年の、合衆国軍によるバクダッド侵攻の報を聞きながら、21世紀に前置されたオプティミズムの一掃と、合衆国の弱体と、このバンドのミッションの終了を感じ、活動を終わることにしました。この作品さえ、アルバム名、楽曲共に僕のオリジナルではありません。全ては、検索し、歴史を再構築してみてください。「構造と力」で、PC使用の作曲を、少なくともこのバンドでは終えたと思った僕は、本作ではほとんど作曲をしていません。バンド活動中にメンバー全員が培った、ポリリズム、マルチBPMキーピングのスキルに全面的に依拠し、全てのチューンは、数小節の汚いメモ書きだけでレコーディングされています。初期衝動、PCによるシュミュレーション構築、集団即興のブランディングという風にバンドは発達を遂げ、この円環は現在でも閉じたまま、どの状態にいるかだけが動いています。全ては2001年から2007年までの6年間で遂行されたことです。後の音楽史に我々が何を与え、何を奪ったかは、何を捨てられ、何を奪われたかは、今回のリイシューを機に、特に現在の若いジャズファンにジャッジメントして頂きたい。僕は、1999年から、「楽に若者が聴けるようになるまで、まあ20年はかかるな」と思っていました。未来に向けて音楽を建築し、実演し、維持し、世界と共振して行く事だけが、僕を症状から救出し、治癒し、それをリサイクルする原動力であり、それは現在も変わりません。

interview with Kazufumi Kodama - ele-king

 9月6日に吉祥寺のSTAR PINE'S CAFÉで観たKODAMA AND THE DUB STATION BANDのライヴは強烈だった。個人的に、大好きなじゃがたらの“もうがまんできない”をこだま和文のヴォーカルとTHE DUB STATION BANDの卓越した演奏で聞けたことは大きい。だが、それだけではない。実際にライヴを観ながら心のなかで反芻したからと言って、僕なんかがこう書くのはあまりに恐れ多いのだが、まぎれもなく“いまの音楽”だった。しかしなぜそう強烈に感じたのか? それはわからない。それ故、この、こだま和文とバンド・リーダーでベースのコウチへのインタヴューは、そんな個人的な問いを出発点としている。

 トランペット奏者のこだま和文率いるレゲエ・バンド、KODAMA AND THE DUB STATION BANDは、2005年にスタジオ・ライヴ盤 『IN THE STUDIO』、さらに翌2006年にカヴァー集『MORE』を発表したのち活動を休止するものの、2015年12月のSTAR PINE'S CAFÉでのライヴを機に突如活動を再開する。こだま和文とコウチに加え、キーボードのHAKASE-SUN、ドラムの森俊也、ギターのAKIHIROといった日本のレゲエ界の腕利きのミュージシャンたちが集まり再出発を果たしたバンドは、12インチ・シングル「ひまわり / HIMAWARI-DUB」を発表し、2018年12月には、トロンボーン奏者/ヴォーカリストのARIWAの加入を経ていまに至る。

 そして届けられたのが、バンドとして初のオリジナル・フル・アルバムとなる『かすかな きぼう』だ。“霧の中でSKA”というタイトル通り哀愁のムードのなかを軽快なリズムが進行するスカから幕を開け、こだま和文流としか言いようのない憂いを帯びた“CHORUS”へと続く。故・朝本浩文(16年11月に死去)が曲を書いたMUTE BEATの“SUNNY SIDE WALK”のカヴァーでは、コウチが書いた歌詞をARIWAが歌っている。透徹としたダブがあり、ギターのAKIHIROによる“GYPSY CIGARETTE”は酔客でごった返す盛り場のナイトクラブにわれわれを誘うようだ。張り詰めた緊張感がある一方で、開放的であるのは、KODAMA AND THE DUB STATION BANDというバンドの共同体の個性によるものではないだろうか。
 バンドとアルバム、歌うこと、さらにヒップホップやファッション、“もうがまんできない”や“黄金の花”、ツイッターなどなどについて。国立の喫茶店でこだま和文とコウチが語ってくれた。

セクションというものは、演奏上、非常に不自由になるんですね。ところが、それを考えることもなく、彼女を受け入れていた。ARIWAが何か、僕の壁みたいなものを取っ払ってくれた。

STAR PINE'S CAFÉのライヴを観てとても感動しました。こういう言い方は恐縮なのですが、“いまの音楽”と強く感じました。

こだま和文(以下、こだま):そういうことを意識しているわけではないですけど、いまの音楽と言われるのはうれしいですね。いつもいましかないという気持ちでやっていますから。

艶めきがあり、身体が自然に踊り出してしまうようなダンス・ミュージックでした。こだまさんは、2017年に受けられたあるインタヴューを読むと、ある時期までは、ソウルやファンク、レゲエにしろ、踊れるということを経験したオーディエンスやリスナーから踊れないと思われるのはなかなか困ることでもある、という趣旨の話をされています。KURANAKAさんやYABBYさんとコンビを組んで、いわゆるDJセットでも活動されてきました。

こだま:そうやってヒップホップに近いようなこともやっていたわけですから、どこかで常にダンス・ミュージックをやっているという気持ちがありました。でも、これはブラック・ミュージックだとか、これはダンス・ミュージックだとか、そういうようなことを気にすることもできないくらい、僕にとって、いまは現実性のほうが強いんですよね。

“現実性のほうが強い”、というのはとても考えさせられる言葉です。

こだま:いまの暮らしのなかで、踊っていられないだろということもありますでしょ。「そんなに楽しくしろと言われても困るよ」という声が自分のなかからも聞こえますからね。ライヴでみんなに踊ってほしい、という気持ちになるときはもちろんあります。車椅子でライヴに来てくださる方が手足を動かして踊ってくれてもうれしいです。ただ、こっちが強くアピールして「踊れ!」というような時代ではないと思うんです。病院でずっと寝たままの人にも僕らの音楽を聴いてもらえたらいいなとも思いますし、こちらのこだわりなり垣根を取っ払って、リスナーとの関係を作りたいですよね。それで、自分のほうから音楽に何か決められたかたちを持ち込むことをやめたんです。だから自分が作る音楽もどんどんはみ出していきますよね。今回の作品もそんなところを含めて聴いてもらいたい音楽になっています。

いま、「そんなに楽しくしろと言われても困るよ」という声が自分のなかから聴こえてくる、とも話されていましたが、一方で、『かすかな きぼう』からはバンドとしてレゲエ、音楽をやる楽しさ、そういう音のふくよかさも伝わってきます。いまあらためてバンドで音楽をやるということについて何を考えますか?

こだま:最近のこの世の中で、5、6人の大人が集まってひとつの何かをやるというのはとても贅沢なことなんです。若いころは勢いもあって無敵なところがあるので、前日あまり寝ていなくても集まって音を出したりしていたけど、そういうわけにもいかなくなる。それぞれの暮らしの事情がある。しかも、DUB STATION BANDのミュージシャンたちは、選ばれたような、みんな忙しくしている連中だから、ある時間に全員で集まって音を出してバンドに密度を持たせるのは大変なんですね。そんななかで、それぞれ異なった音楽性や好みやセンスを持っている5、6人の人間がひとつの曲に向かって演奏をする。それがふくよかさとなって出ていたら、それはとてもうれしいことですね。こうやって、バンドのメンバーが集まり音を出し、作品を作るということはとても豊かなことなんですよ。いつ何があって、誰かが離れていってグループが続けられなくなるかわからないんです。だから、いましかないと。そういう気持もあります。

いまの時代に、“カネじゃない”なんて、なんだかんだ言ったってキレイゴトだろ、「やっぱり世の中、ゴールドだろ」って気持ちもよくわかるんですよ。僕のなかにだってそういう気持ちはありますからね。

2015年12月のワンマン・ライヴを機にDUB STATION BANDをもういちど始動させたきっかけは何だったのでしょうか?

こだま:第一期のDUB STATION BANDは、それこそ、メンバーひとりひとりのいろんな事情や都合で活動できなくなる時期がきたんですね。僕にとって愛すべきバンドだったから、もういちど腰を上げるのは大変なことで、かなり足踏みしてね。それにしびれを切らしたのかな、ベースのコウチから真剣に「もう一回やりませんか?」と熱意のあることを言われました。最初にその話をしたときにコウチに伝えたんです。「すまんけれども、自分は音楽にしかエネルギーを向けることができない。いろんな意味で他の面倒な仕事もやってほしい」と。それをコウチは快く受けてくれて、リーダーとして音を出すこと以外のこともやってくれているんです。実はそれは、僕にとっては初めての経験なんです。バンドを維持するために自分がリーダーではないという状態がとても良いかたちだなと思いましたね。ありがたいですよ。

そして、2018年の12月にはトロンボーン奏者/ヴォーカリストのARIWAさんもバンドに合流された、と。彼女は、ライヴでもこだまさんとともにフロントに立って演奏されています。

こだま:彼女のことは生まれたころから知っていて何年かおきに会う機会もあったんです。だけど、まさか上京してきた彼女といっしょに音楽をやることになるとは想像していなかったですね。あるとき、コウチが、彼女をリハーサル・スタジオに連れてきてくれたんです。しかも彼女はトロンボーンを持参していて。だったらとにかく音を聞いてみたいなという思いでした。そのときのインパクトは言葉では言えないほど強かった。長いことホーンのアンサンブルでは演奏してなかったんですけど、彼女と僕のアンサンブルは、図らずも僕の好きなものだったんです。演奏すればただちに相性みたいなものはわかるんです。あまりにもぴったりと彼女とのセンスが一致したので驚きました。それは技術的に彼女のレベルが高いとかそういうことではなく、言葉で説明できない何かが僕と彼女のアンサンブルにそのときにすでにあったんです。ミュージシャンとして、とても不思議な出会いでしたね。ARIWAが突然目の前に現れていっしょに楽器を演奏しているということ自体が不思議なことでした。

バンドでの、トランペットとトロンボーンのアンサンブルは、こだまさんにとってはMUTE BEAT以来ということになります。

こだま:セッションを省けばそうなりますね。セクションというものは、演奏上、非常に不自由になるんですね。息を合わせるとか音程を合わせるとか、決められたことを外せないとか、そういう制約がいろいろある。それにたいして僕はある種のトラウマみたいなものがあったんです。そういう制約がめんどうになったから、自分は80年代後半にソロに移行していったわけですから。自分の吹きたいように吹く、歌いたいように歌いたかった。そうして、ソロ・アルバムを作り、DJセットというサウンド・システム型のパフォーマンスをやるようになっていく。そのなかではかなり演奏の自由度が高いわけです。DJがオケを出してくれて、曲もつないでいってくれる。気が向かないところは流しちゃっても、そのあいだDJがスクラッチでもエフェクトでもいろんなことをして楽しめる。そういうすごくフリーなパフォーマンスが魅力的でDJセットをやったんです。バンドでワンホーンでやるのもやはり自由度が高い。そんな風に長年、セクションを拒んでいたわけですね。ところが、セクションの不自由さということを考えることもなく、彼女を受け入れていた。ARIWAが何か、僕の壁みたいなものを取っ払ってくれたとも言えますよね。

そのARIWAさんが歌う“Sunny Side Walk”はMUTE BEATのカヴァーですね。原曲にはなかった歌詞をコウチさんが書かれています。

こだま:“Sunny Side Walk”をやりたいと言ったのはコウチなんです。

コウチ:このバンドは基本的にこだまさんのやりたいようにやりたいと思ってはじめたんです。だからこっちからこれがやりたい、あれがやりたいとはほとんど言わない。そういうなかで、この曲は自分の方から提案したんです。もちろん朝本さんへの追悼の気持ちもありました。そうして、ライヴでやるようになったんですが、まだそのころは歌詞はなかったんです。それが、ある日突然歌詞が湧いてきて。これまで歌詞を書いたことはなかったですし、だから最初はARIWAに歌ってもらおうと思って書いたわけでもなかったんですよ。“Sunny Side Walk”は僕の散歩曲でもあって、いろんなことを考えながら散歩をしているそのままを描いてみたんです。字面で見てしまうとただの散歩の情景なんですけど、それこそ社会を変えようとするデモだったり、こだまさんがおっしゃっている日々の暮らしだったり、そういういろんなものが反映されてもいると思います。

こだま:僕は彼のセンスを知っているから、とてもコウチらしい歌詞だなと思いましたね。僕に足りない部分をコウチやARIWAが引き出してくれたということもありますね。あんまり言葉にすることもなくなってきたけど、モノを作ったり、演奏することにおいて大切なのは、やはり自由であるということですよ。何人かの人間が集まったとしてもそれぞれがまず自由じゃなきゃいけないんです。やりたくないことはやらないとかね。いまこのバンドは、時間がかかっても出てきたものを素直に出していくという状態になっていると思うんですね。誰にも拘束されない時間のなかで、それぞれのなかから出てくるのがいいですよね。ライヴや曲からそういう自由が伝わったらいいなって思いますよ。

いま語られた自由や、さきほどの「自分のほうから音楽に何か決められたかたちを持ち込むことをやめた」という言葉ともつながると思うのですが、ある時期からこだまさんは歌われています。先日のライヴでも歌っていましたね。

こだま:自分の好みやセンスから拒んでいた部分が取り払われて、ある時期からカラオケに行くようになったんですね。するとそこで、歌うことへの殻がすこし破れるわけです。そこで得たものがあった。「この俺でも歌えるな」と。でも、歌いはじめてから数年はかかっていますよ。歌うことが好きになり真面目にカラオケで歌うようになって、さらに、みんなと飲みながら下手でもいいから楽しく歌おうだけではなく、自然にライヴのなかで歌うようになるまでには。

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もともと僕は作業着が好きだったから、すべて捨て去ったなかでどうしても着るんだったら作業着がいいやという選び方だった。すると、外で土木作業をしている人たちとさして変わらない格好になるわけですね。そういうところに自分の価値観みたいなものを絞り込んだんですよね。

カラオケで歌う悦びを知ったということですね。その感覚はとても理解できます。最初はどういう曲を歌っていたんですか?

こだま:ボブ・マーリーばかり歌うというわけではないですよ(笑)。演歌も歌うし、こどものころから馴染んできた歌謡曲や好きな洋楽のロックも歌います。カラオケボックスではなくて、まったく知らない方々が飲んでいるスナックなんですよ。だから、ちょっとしたセンスがいる。季節外れの歌をいきなり歌わないとか、自分で歌い続けないとか、決まり事ではないですけど、僕が得てきたデリカシーみたいなものがあるわけです。また、そのお店のママが、「歌うからにはちゃんと歌ってね」ってうるさいんですよ(笑)。そのころDJもやっていたから前に歌った人からのつなぎを意識して歌ってみたりしましてね。前の人が山口百恵の“コスモス”を歌うのであれば、さだまさしさんの曲を歌おうかなとか、海の歌が来たならば、俺は渚の歌にしようかなとか。そうやって見ず知らずの不特定多数の人の前で歌うことで、ある意味でエンターテイメント性みたいなものが、大げさに言うとね、鍛えられたんですね。ちょっと話が脱線したかな。

いや、とても重要なお話だと思います。STAR PINE'S CAFÉのライヴのときにはじゃがたらの“もうがまんできない”とネーネーズの“黄金の花”(『MORE』収録)をカヴァーされて、歌われました。

こだま:“もうがまんできない”は数あるじゃがたらの曲のなかでも、よく聞いていた曲なんですよ。レゲエ・アレンジの曲ですから、DUB STATION BANDに持ち込みやすいし、他の曲との関係も比較的作りやすい。じゃがたらの“タンゴ”もそうですね。また、おそれ多くも、じゃがたらの歌を歌うことを、自分にぶつけてみたところはあります。ネーネーズの“黄金の花”も自分に身近な曲だったのが大きい。ライヴに行ってご本人たちにもお会いしたし、たまたま“黄金の花”の作詞家の方にもお会いしました。だからとりわけ強い印象がある曲なんです。ネーネーズと言えば、“真夜中のドライバー”も好きな曲です。歌いやすいということもあるけど、よく聞いている曲を自然と選んでしまったんですね。“黄金の花”を最初に歌ったのは、初期のDUB STATION BANDのアルバムのレコーディングのときでした。もし、そのときみんながNGを出していたら歌わなくなっていたかもしれないですね。でも、ある程度受け入れてくれて、それで調子に乗ったわけです。さらに、バンドが再開して時間を置いて、あるとき、「実はじゃがたらの歌をやりたいんだよね」って言ってみたんですよ。するとみんながとにかく良い演奏をしてくれるのでこれまた調子に乗りましてね。『かすかな きぼう』では集中してオリジナルの曲を録音したので、これらの曲はまだレコーディングをしていないんですよ。でも現状ライヴでやっている曲は全部録音しておきたいという気持ちはあります。

ライヴでは“もうがまんできない”と“黄金の花”が補完し合っているように聞けました。“もうがまんできない”には、「ちょっとの搾取ならがまんできる」という歌詞があって、一方“黄金の花”には「黄金で心を捨てないで」という歌詞があります。とても単純化してしまいますが、端的に言うと、両者とも「世の中はカネじゃないんだ」ということを訴えている。僕は普段国内のヒップホップのライヴを観ることがとても多いんですけど、年々、“世の中、カネじゃない”と主張するラッパーは減っていると感じているんです。それが一概に悪いとかではないですし、言うまでもなくお金は大事です。ただ、ミュージシャンやラッパーが、それが仮にパフォーマンスだったとしても、ひとつのオルタナティヴの提示として“カネじゃない”と表現する場面を観ることが少なくなったな、と。そのことをKODAMA AND THE DUB STATION BANDのライヴを観て考えさせられました。

こだま:でもね、この国もいろいろ経てきて、いまの若い人たちも若い人たちなりに生きていくのが大変な時代ですから、「“カネじゃねえ”なんてキレイゴトだろ」という言葉はすぐに返ってくるんですよね。僕がたまたま選んだそれらの曲のなかにそういうシンプルなメッセージ性みたいなものがあるとしてもですよ、もっとふくらみをもたせたうえでの、つまり自由を表現したいんです。ラッパーたちが「世の中はカネだぜ!」ということをラップしてもいいと僕は思いますよ。いまの時代に、“カネじゃない”なんて、なんだかんだ言ったってキレイゴトだろ、「やっぱり世の中、ゴールドだろ」って気持ちもよくわかるんですよ。僕のなかにだってそういう気持ちはありますからね。

2000年前後でしょうか、ちょうどソロ作品を立て続けにリリースしている時代にこだまさんはヒップホップ・ファッションにかなり傾倒されていましたよね。当時、音楽雑誌に載っていた迷彩柄のシャツか何かを着たソルジャーのような出で立ちのこだまさんの写真に釘付けになったのをおぼえています。

こだま:露骨にそういう格好をしていましたね。当時は、これからはこれしかないぐらいの気持ちでヒップホップをかき集めて聴いていましたから。もちろん80年代はじめにも、ジャズ、ソウル、スカ、レゲエやダブといったいろんな音楽を経てきた自分の前に、それらの音楽と同時進行的にヒップホップはあったわけですね。90年代にはデ・ラ・ソウルなんかも聴いていましたよ。でも2000年前後のものは、それから10年、20年ぐらい経たヒップホップですからね。ものすごく強い影響を受けましたよ。エミネムも聴いたし、何よりドクター・ドレーですよ。あのサウンドは強烈だった。凄まじいですよ。ドクター・ドレーのインストのアナログを買い集めましたね。
 その一方で、当時は着るものなんてどうでもいいじゃねえかっていう気持ちになっていった時期なんです。だけど何かを選ばなきゃいけない。そこで聴いている音楽は強く影響するわけですね。どうでもいいことを捨てて剥ぎ取って何かを選ぶということになると、アーミーシャツだったりするんです。もともと僕は作業着が好きだったから、すべて捨て去ったなかでどうしても着るんだったら作業着がいいやという選び方だった。タオルを巻いてキャップをかぶったりしていましたね。すると、外で土木作業をしている人たちとさして変わらない格好になるわけですね。そういうところに自分の価値観みたいなものを絞り込んだんですよね。でも、そういう格好も誤解されたりして批判もあったんですよ。「ラッパーみたいな格好をしちゃって」というような、ね。ネットも普及してきた時代だったから、そういうのを目にしちゃったりしましたね。
 ただ、そういう格好ができるも、のめりこんでいく音楽があってこそですよね。格好なんて普通でいいのかもしれないと思うなかで、ある音楽にのめり込むことで、かろうじて新しいTシャツを買う喜びみたいなものを見つけるわけですよ。年齢とともに、いまはそれすらもちょっと危ういですけど。だけど、何もかもどうでもいいやとなってしまうと、本当にどうでもよくなってしまう。それじゃ生きていけないから。周りにいろんな人がいてくれるありがたみや、ライヴに来てくれる人がいることを支えに生きていっている感じがいまはする。それを続けていけたらいいな。

ネガティヴなことだけじゃ成り立たない。かといって、希望じゃないんですよ。ましてや明るく楽しく踊ろう、ということではない。そこで出てきたものが“かすかな”という言葉だった。

いまの話をうかがって、ますます、今回のアルバムのタイトルの『かすかな きぼう』はとてもこだまさんらしい言葉だなという実感が深まりました。“かすかな”という言葉で僕が連想したのは、こだまさんが篠田昌已さん(編註:じゃがたらのメンバーで、それ以前は梅津和時の生活向上委員会にも参加していたサックス奏者。チンドンも演奏。89年には関島岳郎、中尾勘二とコンポステラを結成。92年、急逝)の『コンポステラ』(1990年)に寄せた文章でした。こだまさんが「音楽で何が出来るんだろう?」と問いかけると、「微力なんだよ、微力なんだけれどやって行くんだよ」と篠田さんが答えた、というエピソードがありますね。『かすかな きぼう』はその篠田さんの言葉を、2019年を生きるこだまさんなりに再解釈したような言葉ではないかと。

こだま:いま篠田くんの話がでましたが、当時の篠田くんもじゃがたらと同時に自分の音楽をやりながら、光のようなものを求めていましたよね。それは僕と一致するところでした。そして、自分が生きる2019年のいま、そういう思いをひとつのアルバムにして聴いてもらいたいと思ったときに、曲名やタイトルをつけるのはなかなか難しい。はるか昔から生きるということは難しいことだったかもしれないですけど、僕がいま生きて感じているのは、国内外の人びとの大変な状況だったり、希望をなくす事柄についてです。そういうことがあまりにも多いんですよ。僕は楽友と呼んでいるんですけど、音楽をやってきた友がポツポツと亡くなっていく現実もある。日々ちっとも楽しくないんですよ。生きていたくもないけど、いま死にたくもない、っていう僕のキーワードがあるぐらいなんですね。そういうなかでも、曲を書いて、それを6人の人間が集まって音を出して作品にできるありがたみがある。そういう作品に思いを込めようとなったとき、どうしてもネガティヴなことだけじゃ成り立たない。やっている以上は聴いてほしいという気持ちを込めたいわけです。かといって、希望じゃないんですよ。ましてや明るく楽しく踊ろう、ということではない。そこで出てきたものが“かすかな”という言葉だった。曲やアルバムやイベントのタイトルを考えるときは、ポジティヴに考えるのではなくて、むしろ“こういうふうに思われたくない”という消去法に近いんです。それが強くなったのは3・11のあとですね。やっぱり大きかったですよ、3・11は。いろいろ変えました。本当に楽しいことなんてないよ、というのが正直な思いです。しかし、江戸アケミはそんな3・11を知らないんだよなぁ。

江戸アケミさんがいま生きていたら何を考えただろうって思ったりすることはありますか?

こだま:いやあ、とてもじゃないけどそこまでは考えが及ばないですね(笑)。でも彼はツイッターとか向いていたかもしれないね。わからないけれども。ツイッターで発信することに対していろいろ背負ったりしていたかもしれないな。

こだまさんのツイッターをよく拝見しています。晩酌されている台所の写真や食事の写真をツイートされていますね。僕は、イヤなことがあるとこだまさんのツイートを見ています(笑)。

こだま:僕は、自己顕示欲みたいなものがいちばんイヤなものだと思っているにもかかわらず、ツイッターをやっているわけですよ。だから矛盾したなかにいつもいる。「お前のことなんか知りたくねぇよ。もっとこっちは大変なんだ」という気持ちでいまの世の中あふれているわけじゃないですか。そのなかには他人から攻撃されてしまうようなあからさまな政治的な発言もあれば、もうちょっと暮らしのなかから聞こえてくる切実な声もありますよね。こちらもそれを垣間見ているわけだから、抑制もしますよね。

本作にも“STRAIGHT TO DUB”という研ぎ澄まされたダブがありますが、こだまさんは音楽、あるいはレゲエやダブのサウンドで、いわゆる自己顕示欲の抑制のようなものを表現されてきた側面もあるように思います。

こだま:ただ、一方で、もうすこしテンションの高い時代には、ものすごく過剰に自己顕示することが自由のひとつの表現だったんですよね。江戸アケミが自分の顔を割れたグラスで傷つけて血を見せるとか、ピート・タウンゼントがステージ上でギターを壊しちゃうとかね。でも、いまやそういう表現は見透かされてしまうでしょ。世の中に生きている人びとは「そんなことじゃおもしろくねぇんだよ」ってなっているわけです。すると、能天気ではいられなくなる。だから、いまはお笑いが成り立たない時代ですよね。一体何をみんな笑いに求めているんだろうか。僕はぜんぜん笑えないんですよ。だけど、たまたま笑えるときがなくはないんですね。ネットからそういう数少ないチャンスみたいなものを得るときはありますよね。

 インタヴュー終盤、こだま和文は、コウチの提案を受け、ステージ上でひとり、ツイッターの呟きのようにお話をするその名も〈独呟「ライブツイート」〉というイベントを数日後に開催すると話してくれた。僕は行けなかったが、きっと、笑いも起きるステキな会になったのだろう。友人に声をかけつつ、次のKODAMA AND THE DUB STATION BANDのライヴに備えようと思う。

Jon Casey - ele-king

 これは〈トランスマット〉が出さなければいけないアルバムだったのではないだろうか。南アの実質的な首都プレトリアからジョン・ケイシーによるデビュー・アルバム。ブリティッシュ・テイストのダブステップ「Geneva / Trigger Happy」で2年前にデビューし、ごく短期間に「Rockefeller EP」「6 Caliber EP」「Wave013」「On The Storm EP」と立て続けにリリースを重ね、ゴムやトラップをミックスしていく過程で独自のアマルガメイションを起こしたハイブリッド・ベース。これまでのリリースからは完全にひと皮向けてしまい、この夏にリリースされた「Catharsis EP」からも完全にかけ離れた内容となっている。オープニングは意表をついてメカニカルなタンゴ。”Militant(過激派)”というタイトルとは裏腹にファニーなムードでゲートウェイは開かれる。初期から音づくりは基本的に派手な方ではあったけれど、“Birdbrain”(18)あたりがターニング・ポイントとなったのか、それまでまったくといっていいほどアフリカ的な軽やかさには欠け、むしろブリストル産を思わせるウォッブリーな振動を運んでくることが多かったのに、続く“TV Room”と“Jaded”ではデリック・メイもかくやと思うようなカラフルで空間的に広がりのあるドラム・パターンを連打。デトロイト・テクノとUKファンキーを足して2019年に着地させたら、こうなっただろうか。この開放感は予想外だった。これに"Jaded(=疲れ切った、うんざりした)”というタイトルをつけるセンスは100%理解不能。ピアノのループがとてもいいです。先行シングルとなった“Banga(波)”はゴムやバングラにジュークも混ぜて、もはやどこまで行ったかよくわからないリズムに。スクリュードさせたヴォーカルからコロコロとリズム・パターンが変わる複数の「波」に翻弄される3分6秒。同曲を共作しているダバウ(Dabow)はアルゼンチンでケイシーと似たようなことをやっている新鋭で、この人もユニークな存在だけれど、面倒なので省略。続いて“Ransack(略奪)”。ジュークをスクリュードさせたような短い曲で、またしても穏やかではないタイトルだけれど、アルバム・タイトルとなっている『Flora & Fauna』が「(特定の地域に住む)動物と植物」のことを指し、ジャケット・デザインに象牙らしきものがあしらわれているのを見ると、やはり密漁によってアフリカの動物が乱獲されていることに心を痛めているという意味なのかなと。そう思うと少し悲しい曲に聴こえてくる。

 後半は初期にやっていたダブステップに立ち返りつつ同じことはやらないぞという気概を見せてトラップを意識したような曲が続き、まずはスローモーションでどんちゃん騒ぎをしているような“2 Slice”、タイトルを裏切らずにカチャカチャとにぎやかな“Pac Man”、のったりとした“Playlust”はPlaylistとlust(欲望)を掛け合わせた現代の鎮魂歌のようで、これはデリック・メイというよりはカール・クレイグかな。最後がトラップとダブステップを不可分なく融合させてしまった“Plymouth”で、レーベルのアナウンスも含めて『Flora & Fauna』が過度にトラップであると強調して紹介されるのはこの曲のせいではないかと思われる。重苦しく優雅で、南アフリカが複雑で込み入った生活環境に覆われていることがざっくりと伝わってくる。同曲に参加している清水ではないチー(Chee)もまた南アのプレトリアでドラムンベースを軸に音楽制作を行い、2017年にセカンド・アルバム『Fear Monger』が注目を集めた新鋭。「南アにはまだ数え切れないほどのアーティストが眠っているよ」とは、2年前にチーが語っていた言葉で、そのなかにはすでにジョン・ケイシーもいたということなのだろう。チーにはEDMの残像がちらついている。年齢的に見て、そこが音楽への入り口だった可能性は十分にありうる。しかし、彼はそこから類まれなる克己心を持って自らの音楽性を掘り下げ、アンダーグラウンドへと突き抜けてしまった。クワイトやアヨバネスから数えて彼が南アのクラブ・ミュージックにおいて何世代目に当たるかはもはやよくわからないけれど、チーの背中を追ったジョン・ケイシーにはEDMのメソッドを振り払う苦労はなく、あっさりと次に歩を進められる条件が整っていたのだろう。「6 Caliber EP」あたりは『Fear Monger』とそれほど大きな差があるとは思えないものの、『Flora & Fauna』ははるかに遠くまでリーチを延ばし、カリフォルニアのレーベルからこうして手が伸びてきたと。


NITRODAY × NOT WONK - ele-king

 ミニ・アルバム『少年たちの予感』が話題のニトロデイが、年明けの1月12日に新代田FEVERにて自主企画イベント《ヤングマシン4号》を開催する(この日はヴォーカル小室の20歳の誕生日なのだという)。共演相手に選ばれたのはなんと、こちらも今年話題のアルバム『Down the Valley』を発表した NOT WONK! これは素敵な一夜になりそうだ。詳細は下記をば。

NITRODAY、ヴォーカル小室の20歳の誕生日となる、2020年1月12日(日)新代田FEVERにて自主企画ヤングマシン4号を開催!
共演は NOT WONK が決定!

来年2020年1月12日(日)NITRODAYヴォーカル小室の記念すべき20歳の誕生日に、自主企画シリーズ「ヤングマシン」の第4回「ヤングマシン4号」の開催が発表された。
対バンは以前自身のツアーにも招き、メンバーがリスペクトを公言している、NOT WONK の出演が決定!

まさにヤングでロックでオルタナティブな夜になること間違いない。
先行受付も本日からスタートするので、ロックファンは間違いなく来て欲しい夜になるだろう。

【LIVE INFO】
ヤングマシン4号
2020年1月12 日(日)東京・新代田FEVER
出演:NITRODAY / NOT WONK and more...
open 17:30 / start 18:00
2,800円(ドリンク代別)

オフィシャル先行受付
11/22(金)12:00~12/1(日)23:00
https://www.nitroday.com/

NITRODAY "ブラックホール feat.ninoheron" (Official Music Video)
https://youtu.be/YCz0RcZWXHA

NITRODAY "ダイヤモンド・キッス" Official Music Video
https://youtu.be/Q_B-7kmMcjc

NITRODAY "ヘッドセット・キッズ" Official Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=GAysdh-dL1U

“少年たちの予感”各配信サイト
https://ssm.lnk.to/premonition_of_kids

NITRODAY
NEW MINI ALBUM「少年たちの予感」
発売日:2019年10月23日(水)
税込価格:¥1,650 税抜価格:¥1,500
品番: PECF-3244
収録曲
01. ヘッドセット・キッズ
02. ダイヤモンド・キッス
03. ブラックホール feat.ninoheron
04. アンカー
05. ジェット (Live)
06. ボクサー (Live)
07. レモンド (Live)
08. ユース (Live)

【other live】

■2019年12月8日 「極東最前線~にゅーでいらいじんぐ2019~」 
会場:渋谷CLUB QUATTRO 出演)eastern youth / NITRODAY

■2019年12月13日 「Doors Music Apartment -1213-」
会場:仙台LIVE HOUSE enn2nd + 3rd 
出演:NITRODAY / オレンジスパイニクラブ / osage、Slimcat / TETORA / CRYAMY / MINAMIS

■2019年12月20日 「年末調整GIG 2019」
会場:名古屋CLUB UPSET
出演:EASTOKLAB / キイチビール&ザ・ホーリーティッツ / PELICAN FANCLUB / NITRODAY

■2019年12月31日 「AFOC x Shelter presents ROCK 'N' ROLL NEW SCHOOL 19/20」
会場:下北沢SHELTER
出演:a flood of circle / SAMURAIMANZ GROOVE / The ManRay / THE PINBALLS /突然少年/ NITRODAY  / DJ:片平実 [Getting Better]

■2020年2月15日 「ROOTS NEW ROUTE TOUR」
会場:心斎橋Pangea
出演:Jurassic Boys / No Buses / CAR10 / NITRODAY / DJ:DAWA [FLAHE RECORDS]

■2020年2月16日 「ROOTS NEW ROUTE TOUR」
会場:名古屋CLUB ROCK'N'ROLL
出演:Jurassic Boys / No Buses / CAR10 / NITRODAY / DJ:⽚⼭翔太(BYE CHOOSE)

【PROFILE】
小室ぺい(ギボ) やぎひろみ(ジャズマスター) 松島早紀(ベイス) 岩方ロクロー(ドラムス)

独特の語感で描かれる小室の歌詞世界を軸に、様々なロックミュージックへのリスペクトと愛情を感じるサウンドをポップにそして、時にエモーショナルに表現し、今後の日本ロックミュージックを担うであろう大きな可能性を秘めたバンド。2018年7月2nd EP「レモンドEP」をリリースし、Apple Music「今週のNEW ARTIST」、SPACE SHOWER NEW FORCE 2018、タワレコ メンなどにも選出され、2018年12月1st アルバム「マシン・ザ・ヤング」をリリース。2019年3月22日新代田FEVERにてバンドとして初のワンマンライブを開催。7月19日渋谷WWWにて自主企画第3弾「ヤングマシン3号」を開催。そして11月より盟友betcover!!とのスプリットツアー“エノシマックスツアー”を開催中。

▼TOTAL INFO
NITRODAY OFFICIAL WEBSITE
https://www.nitroday.com/

Noah - ele-king

 Noah 『Thirty』は、いくつもの色彩が反射するダイアモンドのようなエレクトロニカ・ポップであり、ひとりの音楽の感性の中に瞬いた「光と旅と都市を巡る音楽」でもある。

 Noah は日本の電子音楽家だ。2009年より音楽活動を本格化させ、ピアノやクラシック音楽をベースにしつつ、繊細で緻密なエレクトロニカ/ポップな作品をリリースしてきた才人である。代表作をひとつ挙げるとするならば東京の音響レーベルの老舗〈Flau〉から2015年にリリースされ、英国『ガーディアン』誌で絶賛されたという『Sivutie』だろうか。

 「白昼夢」の世界を描いたという『Sivutie』から4年を経て発表された作品が、新作『Thirty』である。本作品において Noah は「自分が自分でないような」感覚をカラフルな現実として表現していく。「東京」という都市が現実と虚構の狭間で色彩豊かに生成するような感覚とでもいうべきか。じじつこの4年のあいだに Noah は故郷の北海道を離れて東京を活動拠点とするようになったという。『Thirty』には未知の都市に対する繊細な感性が横溢している。

 そう、エレクトロニカにおいて私たちはいつもひとりの音楽家の感性と感覚と認識と感情を知ることになる。エレクトロニカはとてもパーソナルな音楽なのだ。Noah の音楽も都市が放つ粒子の只中で、自身の「声」を生成する。「声」とはいわゆる人の声だけではない。音楽の、音響の、和声、旋律の中に息づいている音楽家の「声」だ。
 私たちはすぐれた音楽を聴くと、たとえインストの楽曲であっても作曲した音楽家の「声」を感じることがある。例えば坂本龍一のピアノ曲。彼のハーモニーは、その音楽の「声」だ。近年ではフローティング・ポインツのトラックに彼の「声」を聴き取ることができた。Noah の楽曲も同様である。彼女の音楽には、彼女にしかない響きがあった。たとえばそのハーモニーに、そのメロディに、そのノイズに。

 本作『Thirty』は Noah の新しい代表作に思えた。『Thirty』は前作『Sivutie』以上にポップなトラックを収録している。電子音響のカーテンのように幕開けを告げる“intro”、ダンサブルなエレクトロニカ・ディスコ“像自己”、ピアノと電子音とヴォイスが交錯するオリエンタルな“夢幻泡影”、エキゾチック・エレクトロニカ・ミニマル・ミュージックとでも形容したい“18カラット”、80年代香港ポップをエレクトロニカ経由で粒子化したような“メルティン・ブルー”、硬質なムードに満ちたラグジュアリーでインダストリアルな“愛天使占”、シンプルなメロディとミニマルな電子の交錯が心地よい“シンキロウ”、エレピの響きとハイハットの刻みの中心に空間的な静寂のなか中華的なメロディと微かな電子音が交錯する“風在吹”、アップテンポの4つ打ちビートとディスコ的なベースラインと麗しい音響処理による“像自己 alternative ver.”。

 全曲 Noah という音楽家の作曲家としての力量とサウンドメイカーとしての繊細さと緻密さが交錯しており、現時点での彼女の最高傑作といっても過言ではないだろう。2018年にリリースされた Teams と Noah と Repeat Pattern による『KWAIDAN』での制作が、『Thirty』にも大きな影響を与えているのでないかと想像してしまった。

 『Thirty』を聴くこと。それは見知らぬ都市を訪れたときに感じる未知の「光」を感じる経験に似ている。都市の放つ光に目が眩む感覚。この作品には、どこかそのような旅行者の意識を感じた。その場のすべてを吸収するように移動を重ね、意識と感覚を飛躍させる未知なる都市の旅人たちと同じように、本作の楽曲たちは、どこか「次」へと向かおうとする意志を放っていたのである。
 ここではないどこかへ。仮想と現実の彼方へ。エレクトロニカ、ポップ、オリエンタル、クラシック、ヴェイパーウェイヴ、アジアン・ポップなど軽やかにステップしつつ、まるでダイアモンドのように華麗な光を放つ本作を聴きながら、私はすでに Noah の次回作がいまから楽しみになっている。

Moor Mother - ele-king

 この音楽はぼくにある光景を喚起させる。デトロイトにおいてテクノなる音楽が、すなわちたかが音楽と我々日本人が思っているモノが社会的なパワーとリンクすることを本気で目指していたあの時代のあの光景である。いや、それは彼の地においてまだ終わったことではない。
 そもそも高橋勇人が悪い。昨日、スカイプ越しにロンドンの彼から、チーノ・アモービはテクノ史におけるアンダーグラウンド・レジスタンスのような存在だと評論家サイモン・レイノルズがピッチフォークで書いているという話しをされた。そのときは、まあたしかになぁとは思ったけれど、しかし帰り道で、いや待てよ、現代のアンダーグラウンド・レジスタンスという言い方がもし許されるというなら、それはフィラデルフィア出身のムーア・マザーのほうがより相応しいのではないかと思い直した。それでこうして、深夜に書きはじめているのである。
 ムーア・マザー(本名:Camae Ayewa)の音楽は、アミリ・バラカ、サン・ラー、Pファンク、パブリック・エナミー、UR、ドレクシア、あるいはサミュエル・ディレイニーやオクタヴィア・バトラーのようなSF作家、これらアフロ・フューチャリストたちの系譜の現在地点である。すなわち西欧文明支配の社会に対する抵抗者であり、ジェイムズ・ブラウンやサム・クックのソウル、ボブ・マーリーやラスト・ポエッツを息を吸うように吸収し、そしていま思い切り吐き出している抗議の音楽。ついに出たか。
 
 ひと昔前なら、ブラック・エレクトロニック・ミュージシャンといえばその多くがクラブ・カルチャーに属していたが、ムーア・マザーは必ずしもそういうわけではない。ハウスやテクノはDJのときにかけているようだが、彼女の出自はパンクであり、ラップだ。
 また、彼女の思想的共同体にはフィラデルフィアのブラック・クアンタム・フューチャリズムなるアフロ・フューチャリズム(文化研究、DIY美学、音楽、文学、アート、ワークショップなど)のプロジェクトがある。彼女はそのメンバーのひとりで、主宰者であるラッシーダ・フィリップスはSF研究であり、単著をもつ作家であり、弁護士であり活動家だ。いずれにせよ、ムーア・マザーの3枚目のアルバム『ソニック・ブラック・ホールのアナログ流体』の背後には、ここ10年であらたな展開を見せている新世代による21世紀のブラック・ムーヴメントが深く関わっているようだ。

 ちなみに、1866年のメンフィスの暴動から2014年のマイケル・ブラウン射殺事件までの歴史がコラージュされているという前作『Fetish Bones』以降、ムーア・マザーはいっきに注目を集めている。クラインは、最大限の賛辞をこめて歴史の勉強のようであり「本を読みたくなる音楽」(紙エレ22号)だと言い、自分のアルバムに参加してもらったアース・イーターは、ムーア・マザーについて次のように語っている。「彼女は私が出会った人のなかで、もっとも強いインスピレーションをくれた人のうちのひとりだった。今後出会う人のなかでも、彼女ほどの人はあまりいないと思う。彼女のやっていることは世界にとってとても重要なこと。彼女は詩を通して、人間を超えた存在になっている。タイムトラベルという単純な概念が、彼女の詩のなかで実現され、彼女の詩に耳を傾けている人たちを、悲惨で恐ろしい時代へと連れていくことができる。だから本当にその恐怖を感じることができる。詩を活用して、人びとの想像力を掻き立て、私たちの歴史の恐ろしさを理解し、実感させることができるというのはすごいことだと思うわ。人びとをそういう風に感じさせるということは、とくに私の国ではとても重要なことだと思う」(紙エレ23号)

 我々日本人が彼女の政治的かつ文学的な言葉の醍醐味を経験するには高いハードルがある。それはわかっているが、クラインが「ティンバランド2.0」と喩えたそのサウンドも聴き応え充分である。「言葉は、政府が人びとをコントロールするために使われもするが、音楽が解放のための技術であるなら、より感覚で、より開けている」とムーア・マザーは『WIRE』誌の取材で語っている。ゆえに音楽とはひとつのジャンル/スタイルに閉ざされてはならないというのが彼女の考え方だ。
 よってサン・ラーからの影響に関して彼女は、そこにあらゆる音楽(ブルース、ドゥーワップ、ソウル、ジャズ、クラシック、電子音楽、ノイズなど)があることだと説いている。じっさい本作『Analog Fluids Of Sonic Black Holes』では、複数のゲストを招きながら、エレクトロニック・ミュージックのさまざまな形態が試みられている。アルバムを“音波のブラック・ホール”と言うだけあって、音響そのもものも素晴らしいのだ。
 たとえば冒頭の3曲、思わず空を見上げてしまいそうな、サウンドコラージュとポエトリー・リーディングによる“Repeater”、そして彼女の烈しいラップと強固なビートを有する“Don't Die”~“After Images”へと続く最初の展開には、まずもって圧倒的なものがある。それに続くのが、公民権運動家でもあったポール・ロブスンの歌声からはじまる“Engineered Uncertainty”となる。
 ソウル・ウィリアムスが参加した“Black Flight”でもまた歴史の暗い闇をエレクトロニック・アフロ・ビートが駆け抜けていく。そして、地元フィラデルフィアのハウス・マスター、キング・ブリットによるウェイトレス・トラックの“ The Myth Hold Weight”でアナログ盤のA面は終わる。
 「あなたを感じる」というソウル・ヴォーカルのループとぶ厚い電子音による“Sonic Black Holes”からアナログ盤のB面ははじまる。三田格がレネゲイド・サウンドウェイヴのようだとメールしてきた“LA92”では、1992年のロサンゼルスの暴動がラップされている。ムーア・マザーとコラボレーション・シングルを発表しているMental Jewelryは、今回も3曲で参加しており、力ある声で読み上げられる詩の朗読と有機的に結合するかのような、そしてあぶくのような雲のようなエレクトロニック・サウンドを提供している。そのうちの1曲“Shadowgrams”が終わると、ブリストルの注目株ジャイアント・スワンによる重たく揺れるグルーヴの“Private Silence”が待っている。フィラデルフィアのラッパー、Reef The Lost Cauzeを招いていて、ここでも彼女は烈しくラップする。
 最後から2曲目の“Cold Case”には、ジャスミン革命におけるアンセム“Kelmti Horra(わたしの言葉は自由)”を書いたチュニジアのプロテスト・シンガー、エメル・マトルティが歌っている。そしてアルバムの最後に収録された“Passing Of Time”には、実験的なサンバで知られるブラジルのバンド、メタメタのヴォーカリストであるジュサーラ・マルサルが参加している。

 ──ぼくはこのアルバムを発売日に購入し、それから何度となく聴き続けている。アナログ盤で聴いて、データでも聴いている(いまどき珍しくパワフルな作品なので、半分聴いて休憩入れられるアナログ盤を推薦します)。で、聴いているなかでいまも新しい発見があり、ゆえにいまもってこの作品をどうにもうまく説明できていないなと自分でもわかっている。ただひとつだけ言っておこう。ブラック・マシン・ミュージックの新章が本格的にはじまったと。先日レヴューしたアート・アンサンブル・オブ・シカゴの新作での客演もずば抜けていたが、このアルバムにもまた唸らされている。

消費税廃止は本当に可能なのか? (4) - ele-king

財政のために人々がいるのではなく、人々のために財政がある。

 本シリーズの第三回目では、政府や銀行はその支出に際し財源は必要ない、ただ金額を記帳するだけでお金が生まれるとする概念「スペンディング・ファースト(最初に支出ありき)」や「万年筆マネー(Key Stroke Money)」のことをお伝えした。

 このことは政府や中銀、市中銀行の会計を調査することによって明かになった経緯がある。関西学院大学の朴勝俊教授がランダル・レイ教授の著作「Modern Money Theory」の会計的側面に関する要点( https://rosemark.jp/2019/05/07/01mmt/ )をまとめてくれている。バランスシートを解読することはなかなか難しいかもしれないが、それによると資産と負債が常にイコールになっていることや、政府がただ支出することによって民間に預金が生まれていることがわかる。

出典:MMTとは何か —— L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点:関西学院教授・朴勝俊

 「誰かの負債は誰かの資産」だ。例えば上図からは民間銀行の資産「⑩中央銀行券」は中央銀行の負債「⑩中央銀行券」に対応していて、そこからは私たちが普段使っている日本銀行券(通貨)は、もともとは日銀の負債だったこともわかる。

 信じられないかもしれないが、これは事実だ。主流経済学は「貨幣がどこでどうやって作られるか」に注目してこなかった貨幣ヴェール論のままにマクロ経済を論じてきた。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授はMMTにも好意を示しているが、ランダル・レイ教授が以下のように批判している。高名な経済学者でさえ理解していなかったのだから、多くの人が知らなくても無理はない。

「彼は『お金が無から生まれるだって?』『政府の資金は尽きないのか?』といった問いを止められない。彼は”お金”が貸方と借方へのキーストロークの記録であることを全く理解していない。いまだに銀行が預金を取り込み、それらを政府に貸していると考えているんだ」
出典:New Economic Perspectives

 さて、財務省のプロパガンダを信じておられる方は「それでも政府債務である国債が1100兆円にも膨れ上がっているのだから、早く返さなければいけないのだ!」とツッコミを入れるかもしれないが、その点もとくに心配はいらない。

 MMTの視点では、政府支出後に発行された国債は金融市場を介して中銀の発行する準備預金と両替されるだけであり、また「政府の赤字は民間の黒字」「政府の債務は民間の資産」だと認識しているため、国債発行残高(累積債務)はただ単に貨幣発行額を記したものに過ぎないとされる。逆に国債を償還するということは世の中にある通貨を消滅させるということになるので、とくに減らす必要もない。

 その他のポストケインジアンらの視点では、中銀に買い取られた既発国債は借換を繰り返し消化され、またその中銀保有国債に満期が到来した時は、日本の場合は特別会計の国債整理基金とのやりとりを介して公債金という名の現金として財源化、国庫に納付されるだけとなる。国債償還費の殆どは日本政府の子会社である日銀が払っているし、本来は税金で償還する必要さえないのだ。
(参考:政府債務の償還と財源の通貨発行権(借換債と交付債)について -富山大学名誉教授・桂木健次


出典:政府債務の償還と財源の通貨発行権(借換債と交付債)について ポストマルクス研究会報告 -富山大学名誉教授・桂木健次

 桂木教授本人は「私は覗き見ポストケインジアンのポストマルクス派」と自称されているが、経済学も時代と共に進化するので、一つの学派に限らずいろんな研究成果を取り入れるということだろう。財務省の皆さんにも、ぜひ時代遅れとなった新古典派から脱却し、情報をアップデートしてほしいものだ。

 上記のような国債会計処理の事実があることを知ってか知らずか、--知っていてやってるとしたら悪質極まりない背信行為であるが-- 政府がどケチで、その債務ヒエラルキー下部に属する民間銀行や民間企業もどケチなため、実体市場に貸し借りが生まれない。貸し借りが生まれないということは、債務証書たる通貨も創造されえないということだ。

 通貨がこの世に生まれないから、人々は通貨を手に入れる機会を失い、消費もしなければ投資もしない。繰り返しとなるが「誰かの消費は誰かの所得」だ。誰かが消費しなければ他の誰かの所得が増えるはずもなく、経済は縮小していくのみとなる。

 政府が通貨を創造し、実体市場に供給しなければ、民間はただただ限られたパイ(通貨)を奪い合う弱肉強食の資本主義ゲームに没頭せざるを得なくなるという寸法だ。更には、この実体市場に通貨が足りない状況に加えて、市場から通貨を引き上げる消費増税まで幾度も強行されてきた。

 このような狂ったことを20年間やり続けたことによって、この国の需要は損なわれ、あらゆる産業は衰退した。その結果、台風被害に対する治水などの防災体制や、復旧のための供給能力は毀損された。停電が長引いたことによる二次災害となる熱中症で亡くなる人まで出す有り様になってしまったのだ。被害にあわれた方たちのことを思うと強い憤りを感じずにはいられない。

 そう、まさに「Austerity is Murder(緊縮財政は人を殺す)」だ。

 筆者の目には、この状況は「欲しがりません、勝つまでは」と言いながら、兵站を削りインパールに向かった大日本帝国軍の行軍そのものに見える。

 ケルトン教授は来日時に、「大企業や富裕層らの既得権益を代表する一部の共和党議員は、ほかの国会議員にMMTのロジックが知られてはまずいと思っているからこそ、MMTを危険だとする非難決議を国会に提出した。MMTを理解した政治家によって大多数の国民が助かる政策にお金が使われてしまうことを恐れたからだ。これは逆に、彼らが、政府の赤字支出が誰かの黒字になることを知っている証拠ともなる」ということを語っていた( https://www.youtube.com/watch?v=6NeYsOQWLZk )が、MMTや反緊縮のロジックが知られるとよほど都合の悪い勢力がいるということだ。

 エスタブリッシュメントは、自身らの草刈り場である金融市場にお金を流すことで利益を得ようとしているため、財政政策を介して実体市場にお金が供給されることで、金融市場における自らの利益が減ることを防ごうとしているのだろう。実際にはそんなトレードオフが起こるとも限らないのだが。


 先月、日経新聞が「消費増税に節約で勝つ 日常生活品にこそ削る余地あり」と題した記事で、”買わないチャレンジ”として、「何カ月かすると、それまでは当然のように思っていた物欲が、ほとんど強迫観念のようなものだったことに気がつきました」「日常生活費を削減するため、まずは買わない生活を」といったことを書いていた。

 日経新聞も、本シリーズ冒頭で触れた経団連や経済同友会などと同様に「家計簿脳」まる出しである。このような記事を重ねることで国民の消費活動を抑制させれば、日本経済を破滅に導くことになりかねない。日経新聞が訴えるべきは政府にもっと各所に財政支出をしろ、減税しろということではないか。筆者には何かしらの意図があるように思えてならない。

 日本国内ではこのように気の滅入る論説ばかりが目につくが、海の向こうでは一つの兆しも生まれた。先日、欧州中央銀行のドラギ総裁が、「ECBと各国政府は、金融政策ではなく財政政策に力を入れるべきで、MMTやヘリマネのようなアイデアにもオープンになるべきだ」と発したのだ。

 ドラギ氏は、加えて「ECBが国債を直受け(財政ファイナンス)し、消費者に直接届ける」という向きでも発している。この一連の発言が、どこまで具体性を帯びた政策を想定しているのかはわからないが、各国政府に財政出動を勧めたうえで、ECBは最後の貸し手(Lender of Last Resort「LLR」)役以上の役も担うということなのかもしれない。富を吸い尽くすドラギラ伯爵とも揶揄された彼の、任期満了直前の置き土産といったところか。

 この手の「金融緩和は役割を終えた。財政出動が有効だ」とする論はドラギ氏だけではなく、ポール・クルーグマンをはじめ、IMFチーフエコノミストでMIT名誉教授のオリビエ・ブランシャールや、元ハーバード大学学長で元世界銀行チーフエコノミストのローレンス・サマーズらも同様の発言を重ねているほか、実際にドイツ政府は、景気後退への対応策として国民経済の需要を押し上げるために巨額の財政出動を準備していると伝えられている。

 また、先日開かれたG20では、主要国からは「金融政策頼み」をやめ、財政政策にシフトすべきだとの声も上がっている。IMFのゲオルギエワ専務理事は「金融政策だけでは役に立たない」とも主張していた。

 MMTer達は、この「役割を終えた説」よりもっとラディカルな「金融緩和無効論」を早くから論じてきている。ランダル・レイ教授は「中央銀行家は財政政策をどうすることもできない。彼らは、配られた唯一の手札、つまり金融政策でしかプレイできないが、その手札はバランスシート不況においては無力(インポ)である。回しているそのハンドルは経済に繋がっていなかった」と「MMT 現代貨幣理論入門(p473)」に綴っている。

 MMTが注目される背景には「金融緩和策は資産価格を上昇させ、富裕層だけに恩恵を与えた」という不信感もあるのだが、いずれにしても、上述したように、MMTerと同じような発言が、欧米の超大物エコノミスト達からも発せられているのだから、エスタブリッシュメントの庇護者である自民党や財務省、経団連も無視できないのではないだろうか。


 日本では、山本太郎氏の影響もあってか、共産党のみならず国民民主の小沢一郎議員原口一博議員、立憲の川内博史議員ら野党大物議員からも消費税減税ないし積極財政の声が聞こえつつある。加えて、山本太郎氏や松尾匡教授らとマレーシア視察に行った立憲若手の中谷一馬議員は、「MMT(現代貨幣理論)に関する質問主意書」と題した見事な質問書を衆議院に提出している。

出典:衆議院・第200回国会 中谷一馬議員 質問主意書

この質問書と、対する政府答弁に関しては、11月4日と5日に来日講演を予定しているMMT創始者の一人のビル・ミッチェル教授(ニューキャッスル大学)も呼応している。我々一般国民は、野党の議員たちにも声を届けつつ、議論の輪を拡大し、大いに期待して待てば未来は明るいと感じさせてくれる。

 消費税廃止は可能だ。わが国の財政にも心配はない。無意味な心配をし、出し惜しみをすることで余計に状況が悪化することを、わが国は20年かけて証明してきたじゃないか。

 「財政のために人々がいるのではなく、人々のために財政がある」とは、松尾匡・立命館大学教授の言だ。政府財政を均衡させることに意味はない。むしろ財政黒字化のために、徴税で人々のポケットからお金を奪うことは国力の衰退につながる。政府は人々にもっとお金を支出し、経済活動を活発化させることで、生産力を維持し、人々を幸せにしなければならないのだ。

 本稿のような情報に初めて触れられた方もおられるだろう。経済学初学者でミュージシャンである筆者の下手くそな理論解説にもどかしい思いをされたであろうことをお詫びしたい。

 と同時に、たとえば以下のような発言をみたとき、少なからず違和感を覚えていただけたら幸いである。こういう発言こそが、経済学でいう「合成の誤謬」と呼ばれるひとつの勘違いであり、この国を衰退させる考えだからだ。

 ユニクロ・柳井正氏「このままでは日本は滅びる。まずは国の歳出を半分にして、公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと。今の延長線上では、この国は滅びます

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