最初のEPから早14年。その後『Psychic』(2013)、『Spiral』(2021)と冒険を繰り広げ、サイド・プロジェクトと呼ぶのがはばかられるクオリティを見せつけてきたダークサイド。その最新作『Nothing』もまた大胆不敵な即興演奏とエディットが美しく実を結んでいる。
2010年代以降におけるエレクトロニック・ミュージックの重要人物のひとり、近年はダンスにフォーカスしたアゲンスト・オール・ロジック名義での活躍も忘れがたいニコラス・ジャーと、ジャズ~即興演奏にルーツをもつデイヴ・ハリントン。ふたりがそれぞれソロではできないことを追求するアヴァンギャルド・バンドがダークサイドである、と言ってしまうと今日ではフェイク・ニュースになってしまう。彼らは新たなメンバー──かつてハリントンが属していたバンド、アームズのドラマーでもあるトラカエル・エスパルザ──を迎え、現在では3人組になっている。
さまざまな音楽を貪欲に参照し独自に昇華していくそのあり方はいまでも変わらない。4年ぶりの新作はダークサイド流のダブが炸裂する “Slau” にはじまるが、ファンクのグルーヴが昂揚をもたらす “S.N.C.” にパンキッシュなダンス・チューンの “Graucha Max”、ラテンの風を呼びこむ “American References” などなど、アルバムはこれまで以上にヴァラエティに富んでいる。途中でがらりと風景を変える “Are You Tired” なんかは、彼らの編集術のひとつの到達点かもしれない。
随所でノイズがふんだんに用いられているところにも注目すべきだろう。前作『Spiral』にパンデミックを先どりしたような曲が収められていたことを踏まえるなら、新作もまたこの激動の時代にたいするアンサーのような要素を含んでいるのではないか?
奇しくも、今回の新作の情報はLA大火災のタイミングでアナウンスされることになったわけだが、メンバーのうち当地にいたハリントンとエスパルザはまさにその被害を受けてしまったそうだ。そんな大変な状況のなか、ロンドンにいたニコラス・ジャーが取材に応じてくれた。通訳の青木さんによれば、思慮深く、慎重にことばを選んでいたという。
自分がつねに目指しているのは、スロウでありながら推進力があり、動きのあるエレクトロニック・ミュージックをつくる方法を見つけることなんだ。
■大火災で大変ななか取材をお受けくださり、ありがとうございます。1月末にようやく鎮火したそうですが、あなたたち自身にも被害は及びましたか? この1か月どのように過ごされていたのでしょう。
ニコラス・ジャー(Nicolás Jaar、以下NJ):質問をありがとう。バンド・メンバーのほかのふたり、トラカエル・エスパルザとデイヴ・ハリントンは当時ロスにいたから、避難せざるをえなかった。ふたりとも無事で、家に戻ることができた。自分はずっとロンドンにいたので、火災の直接的な影響はそれほど受けなかったよ。
■ダークサイドは、メンバーそれぞれのソロ活動とはべつに気軽にとりくめるプロジェクトという位置づけだったと思いますが、それは今回も変わりませんか?
NJ:面白い質問だね(笑)。トラカエル・エスパルザが加入した2022年以降、ダークサイドはバンドの新たなフェーズに入りつつあり、バンドとしての活動がより活発になった。少なくとも年に1回はツアーをおこなうようになり、アルバム『Live at Spiral House』のようなジャムの形や、『Nothing』のようなスタジオ・アルバムという形をとおして、一緒に音楽をつくることが以前よりも多くなった。自分にとって『Nothing』は、これまでの音楽人生でもっともエキサイティングなプロジェクトのひとつ。今後がすごく楽しみだし、このアルバムが自分たちをどこに連れていくのか見てみたい。自分たちはこのプロジェクトが大好きで、お互い一緒に仕事をすることに喜びを感じている。トラカエル・エスパルザと仕事をするようになったことで、バンドは根本的に変わり、以前は表現できなかった新しいサウンドが表現できるようになった。
■3人編成になった経緯を教えてください。
NJ:ロサンゼルスでトラカエルと毎日演奏するようになったのは、2022年の7月か6月頃だった。テナントを2、3か月間借りて、そこで毎日演奏して、ジャムをして、ドアを開けっ放しにして、ひとが出入りできるようにしていた。そうやってバンド活動を再開したんだ。それ以来、バンドは大きく変わったと思う。
■3人になったことで音楽制作の方法に変化はありましたか? 3人一緒にスタジオに入ったのでしょうか?
NJ:そうだよ。3人で一緒に音楽をつくっているし、トラカエルが新たなアイディアやサウンド、そしてハーモニーやパーカッションのアイディアをいろいろと出してくれるから、スタジオの雰囲気も変わった。だからバンドとして大きく成長できたと思う。
■役割分担のようなものはありましたか?
NJ:役割分担がはっきりしているとは言えないね。スタジオでは、ひとりひとりがちがう役割を担うことができるから。とはいえ、デイヴはマルチ・インストゥルメンタリストで、たくさんの楽器を演奏する。彼はオルガン、ピアノ、ギター、ベースを弾くし、コンガやパーカッションも演奏できる。トラカエルはおもにドラム・セットとパーカッションを演奏して、自分はおもにシンセサイザーや自分の声、そしてコンピュータ関連のエフェクトとシーケンスを扱っていた。でも、トラカエルがシーケンサーのアイディアを出してコンピュータを扱うこともあった。ときにはデイヴが……あるいはトラカエルが歌うこともある。トラカエルと自分が一緒に歌う曲もあるんだ。だから、すべてがとても流動的なんだ。
カンは若いころからずっと、自分のインスピレイションとしてDNAのように組み込まれている。20年以上前から。それに自分はずっとカンの大ファンだった。
■ニュー・アルバム『Nothing』の1曲目はダークサイド流の独自のダブで驚きました。本作制作中にダブを聴きこむことはあったのでしょうか?
NJ:最近はダブをよく聴いているよ。音楽制作の過程では当然、多くのインスピレイションが無意識にあらわれてくる。自分がつねに目指しているのは、スロウでありながら推進力があり、動きのあるエレクトロニック・ミュージックをつくる方法を見つけることなんだ。最初の曲はその両方を兼ね備えていると思う。
■あなたにとって最高のダブ・マスターはだれですか?
NJ:キング・タビーやスライ&ロビーなど、すべてをはじめた正真正銘のオリジネーターたち。究極のダブはいつの時代においてもジャマイカにあると思う。ダブはジャマイカに宿っている。ダブはジャマイカのものなんだ。もし自分たちやほかのだれかが、ダブからインスピレイションを受けているのであれば、それはジャマイカという島の驚くべき音の達人たちや天才たちからインスピレイションを受けているということなんだ。たとえばベーシック・チャンネルなど。そういうひとたちも自分にとってのインスピレイションではある。でも、おもなインスピレイションは「源」にあるんだ。そして、ダブの源とは、当然、キング・タビーやリー・ペリー、スライ&ロビーなど……ほかにもたくさんいる。
■途中でがらりと雰囲気が変わる “Are You Tired? (Keep on Singing)” のように、新作はこれまで以上にコラージュの感覚が増しているように感じました。ダークサイドの音楽は数々の即興演奏と録音後の編集から成り立っていると想像しますが、やはり編集に費やす時間が大きいですか?
NJ:そうだね。質問制作者の意見に同意するよ。そういう成り立ちだ。ジャムをして、ジャムが終わったら編集をはじめる。でもジャムにかんしては、起きるべきことはすべてジャムで発生させるようにしているんだ。
■即興演奏とテープ編集の先駆者であるケルンのバンド、カン(CAN)について思うところを教えてください。
NJ:自分が10代の頃、1999年にチリからニューヨークに来て、初めてカンのレコードを聴いたときのことをいまでも覚えている。ニューヨークで育った自分にとって、カンを聴くことは自分の音楽人生を大きく変えた体験だった。だからカンは若いころからずっと、自分のインスピレイションとしてDNAのように組み込まれている。20年以上前から。それに自分はずっとカンの大ファンだった。だから彼らを自分のなかから取り除くことは不可能だと思う。
■他方で今回の新作は、“Graucha Max” や “Sin El Sol No Hay Nada” 中盤からの展開のように、前作よりも歪んだノイズが目立つ印象を受けました。これにはメンバーのどのような意識の変化が関係していますか?
NJ:自分はいつもノイズ・ミュージックをつくっているよ、とくにライヴで。自分の以前の作品を聴いてきたひとからするとノイズは予想外だから、驚かれることもある。でも、デイヴだって昔からノイズ・ミュージックに取り組んできたし、トラカエルもそうだから、自分たちにとっては驚きではない。でも、たしかにいままではアルバムであまりノイズを使ったことがなかった。今回、アルバムで初めてノイズを起用したけれど、ライヴでは──デイヴとライヴをやりはじめた初期のころから──ずっとノイズを使ってきたんだよ。
■今回の新作でもっとも難産だった曲はどれでしょう? またなぜそうだったのでしょうか。
NJ:“Are You Tired? (Keep on Singing)” がもっとも難しい曲だった。なぜなら、この曲には非常にバラバラな部分があり、「よし、この曲はこうしよう」と、勇敢で大胆不敵な態度で臨み、それでメイクセンスするものだと自分たちで確信していなければならなかったから。この曲はいまとなってはお気に入りのひとつになったけれど、制作は冒険であり、ジェットコースターのようだった。
[[SplitPage]]われわれはいつだって「未来の残響」のなかで生きている。音楽はそうした「未来の残響」を「物質」に変える手段のひとつなんだ。
■新作『Nothing』の「Nothing=なにもない」には、ハリントンさんが娘さんと一緒に試みた、「なにもしない」というマインドフルネスの体験もこめられているそうですが、他方で、気候変動にたいする無策や偽善的な政治も含まれているようですね。歴史的な大火災の直後にこの新作がリリースされることの意味について、なにか考えたりしましたか?
NJ:(しばらく、1分近く、考えている)大災害というものは、悲しいことに毎年起きている。自分たちが暮らす世界では、イスラエルによるパレスチナ人にたいする大量虐殺のような人災が起こっている一方で、自分たちの消極的な態度や、消費主義的な生活様式を変えることができないことが原因で、地球の気候が急速に変化し、自然災害が頻発するようになっている……。この地球上で危機のない瞬間はないと思う。いつだって、どこかで危機が起きている。スタジオでこの音楽をつくっていたとき、自分たちは世界の残酷な現実から目を背けず、現実を遮断しないようにしていた。できる限り現実を直視しようとしていたんだ。アルバムが発表されたのは、火災がロサンゼルスの大部分を破壊し、地域の広範囲が瓦礫と無に帰したのと同じ日だったと記憶している。自分たちはそのようなことが起こるとは予想もしていなかったし、それは明らかにたんなる偶然の一致ではある。だが、破壊という行為が24時間365日、自分たちの目の前で繰り広げられているという事実は、偶然ではなく、自分たちが自らとった行動、あるいは行動しなかったことの結果なんだ。
■2018年に録音され2021年にリリースされた前作『Spiral』には、パンデミックの状況を歌っているかのような “Lawmaker” という曲が収められていました。今回のリリースのタイミングもそうですが、ダークサイドには予言者めいたところがあると感じたことはありませんか?
NJ:あなたの話を聞いて鳥肌が立ったよ。なぜなら大半のひとは、音楽が過去につくられたものであっても、不思議な形で現在を語っていることがあるという事実を見逃しているから。それは予言とかそういうことではないし、デイヴや自分がなにかをしたからでもない。われわれはいつだって「未来の残響(echoes of the future)」のなかで生きているという事実に起因しているんだ。そしてわれわれはつねに「未来の残響」と「過去の残響」とともに歩んでいる。そして、音楽はそうした「未来の残響」を「物質」に変える手段のひとつなんだ。
■ふたつのパートに分かれている “Hell Suite” は、おどろおどろしい曲名とは裏腹に、むしろ天国のような雰囲気をもった落ちついた曲です。この曲ではどのようなことが歌われているのですか?
NJ:“Hell Suite (Part I)” について……。ときどき歌詞を忘れてしまうのでデータを確認する、ちょっと待ってて。“Hell Suite (Part I)” は、自分たちがいる場所が地獄であることから、服などを持って、遠い旅に出なければならないひとたちのことを歌っている。彼らは故郷から遠く離れすぎて、いまでは故郷がどんなところかわからなくなってしまったと言う。この曲はじつは7年ほど前に書かれたんだ。この曲のデモは7年ほど前に書かれたもので、当時自分は「やめるのはまだ遅くない(It's not too late to stop)」と歌った。今日、ライヴでこの曲を演奏するときは歌詞を変えていて、「どうやって彼らをやめさせるか?(How will we make them stop?)」と歌っているんだ。この世に地獄をつくりだした人びとに責任を負わせるという意味で。それは多くの場合、ナルシシストで強欲でエゴイスティックな政治家たちだ。“Hell Suite (Part II)” は、ある意味、最初の曲の続きであり、主人公と彼が話している相手が湖で出会うという内容。湖とは、「たったいま」つまり 「いましかない瞬間」。そしてそのふたりが出会うと、互いにあることに気づく──双方とも壊れてしまっているということに。だが、その壊れた姿こそが、二者を分断するのではなく、互いを理解する方法となるかもしれない。
■あなたは積極的にガザの状況についてリポストしています。音楽にはつらい現実からわれわれを守ってくれるシェルターの役割がある一方で、逆に音楽は現実へ意識を向ける契機にもなりえます。現代のような大変な世界のなかで音楽活動をやっていくことについて、あなたはどのように考えていますか?
NJ:つねに矛盾を抱えている。そのことについては毎朝、自分と向き合って納得させなければならないものだと思っている。簡単な答えはないけれど、自分がいまでも音楽をつくっているのは、感情的、精神的な理由からであり、心が音楽を必要としているから。自分がこの世界で生き続けるためにはそうするしかないんだ。
■最後の曲 “Sin El Sol No Hay Nada” は、太陽がなければなにもない(Without the Sun there is nothing)という意味のようですね。逆にいえば太陽は希望ともとれそうですが、あなたにとっての太陽とはなんでしょう?
NJ:この小さな惑星に生きる人間として、太陽を見上げ、太陽がなければ自分たちは存在しないということを理解できるという事実。これは非常に強力な感覚だと思う。自分たちは生命の源の片鱗を見ることができる。地球上の生命を可能にしているのは太陽からの近さだけでなく、太陽からの適度な距離でもあり、そのバランスには、深く謙虚な気持ちにさせられると同時に、なにか美しいものを感じる。
■これまでアルバムを出すごとにライヴ音源もリリースしてきましたが、今回もその予定でしょうか? いつか日本でもあなたたちのライヴが見られる日を待ち望んでいます。
NJ:日本にはぜひ行きたいね。いいアイディアだと思う。『Nothing』のライヴ・アルバムをつくれたらいいなと思うんだけど、その現実からはとても遠い。なぜなら、ほとんどの曲をライヴでどう演奏したらいいのか、まだわかっていないんだよ!



















