Home > Reviews > Album Reviews > Gil Scott-Heron- I'm New Here
9.11直後に初来日したケニー・ディクソン・ジュニアは西麻布の〈イエロー〉のステージでギル・スコット・ヘロンの"アメリカの冬"をカヴァーした。ディクソン・ジュニアのドープでかったるそうな歌い方、「ああ、あれはスコット・ヘロンの真似なんだろうな」とそのとき思った。言うまでもないことだが、スコット・ヘロンは彼がデビューしてから40年ものあいだ凄まじい影響力を発揮し続けている音楽詩人/活動家のひとりで、彼の"バトル"はラリー・レヴァンによってガラージ・クラシックとなり、カニエ・ウェストは新作においてその影響についてアナウンスしている。しかし"黒いディラン"は、この16年というもの音楽制作どころではなかった。コカイン中毒の挙げ句にその所持で逮捕されると、彼は多くの時間を刑務所と法廷で過ごさなければならなかった(投獄中の彼は、2002年のブラッカリシャスのアルバム『ブレイジング・アロウ』に参加している)。しかし彼に自由が与えられることがわかると、〈XL〉のボスであるリチャード・ラッセルが作品の制作を申し出たというのだ(というか、リチャード・ラッセルにそんな側面があったことが意外だ)。リック・ルービンがジョニー・キャッシュの録音で1994年に先鞭を付け「質実剛健で崇高な結果をもたらす」21世紀における新しいジャンル"heritage music(遺産音楽)"、それを〈XL〉のボスであるリチャード・ラッセルもやったのである――などという話を『ガーディアン』が載せている。そして同紙はこの遺産音楽を来るべきディケイドのベストの1枚であると断言している(なんてジャンル名だ! だったらリー・ペリーはどうなるんだ!)。
ブリアルやザ・XXを感じる瞬間さえある――という前振りだったので、そのセンスを期待して聴いたのだけれど、ロバート・ジョンソンへのトリビュートであろう"ミー・アンド・デヴィル"の音は、なるほどたしかにダブステップの暗いビートである。ブリアルっぽさは随所にある。こうしたアプローチはブライアン・ジャクソンとのコラボレーションによる70年代のストイックなジャズ・ファンクが耳にこびりついているファンからすれば好みが分かれるかもしれないが、僕は気に入った。いずれにしてもアルバムは、エレクトロニクス、そしてアコースティックとが絶妙なバランス感覚で展開する。
僕のベスト・トラックはタイトル曲のカントリー・ソング"アイム・ニュー・ヒア"だが、驚いたのはこれがスモッグのカヴァーだということ。〈ドラッグ・シティ〉の看板アーティストの曲をスコット・ヘロンは完璧に自分のモノにして歌う。「なりたくもない別の人間になったわけじゃない」、この歌い出しのフレーズが素晴らしい。そして......「たとえどれだけ、まちがった道を進んでいようと/いつでも、後戻りすればいいことさ」
60歳を迎える革命家の瑞々しい新作は、最初はどこまでも感傷的に聴こえる。冒頭の曲の言葉を引用しよう。「この曲を、とくべつに捧げたい人がいる/矛盾をかかえたまま、暮らしたひとつの家庭へ/ルールを知りながら、それを受け容れようとしなかった/私は、女性によって、育てられた/成熟し、大人となった/そして知った、私は崩れた家庭で、育てられたのだと」
指を鳴らす音がミニマルに響くなか歌う"ニューヨーク・イズ・キリング・ミー"は作中でもっとも悲しい曲だ。彼は、「思い返してみると/800万も人がいる街で、たった一人の友達もいなかった」と回想する。"ホエア・ディド・ザ・ナイト・ゴー"は、『ガーディアン』は「まるでゴッドスピード!の"ザ・デッド・フラッグ・ブルース"を彷彿させる」と指摘しているのけれど、その意見に僕も賛同する。暗い叙情詩と音楽との結合だ。
アルバムは全体で29分にも満たない。詩人は刑務所で日記を書き、作詞はしていなかったのだ。29分弱という短さは珍しいが、アルバムに深い感動があることには変わらない。彼のわずか数秒のインタールードに収められた短い言葉は宇宙のように膨張する。スコット・ヘロンは過去を振り返り、どこまでも振り返ることで、しかし前に進もうとしているようだ。「ふりかえって、ふりかえって、ふりむけば/全力で走れるかもしれない/もう一度あたらしい場所に、たどり着くかもしれない」
詩人はアルバムの最後で冒頭に読んだ詩の続きを読み上げる。最初に語った自叙伝を複雑に否定するかのように。「ありふれた物語のように聞こえるかもしれないが......しかしこれは勇気であり、生き様である――生き延びる以上の意志の強さで(略)/私が育ったのは、"いわゆる"崩れた家庭なのかもしれない/しかしもしも、ほんとうの私の家族を知っていたのなら/どれだけその言葉が正しくないか、身に染みて解るだろう」――こうして詩人は最後に来て、おのれの人生の深いところから大きな愛を抽出し、それまでの感傷主義をものの見事にひっくり返してみせる。そしてそれまでの28分が、タイトルとなった"私は新しくここにいる"という前向きな言葉へと変換されるのだ。
野田 努