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『Sensuous』から『Mellow Waves』までに11年がかかったことに比べると、6年というインターヴァルは短いように思える。しかも、その間には、2020年から現在に至るまでの新型コロナウイルス禍の3年が含まれてもいる。ともあれ、ここにコーネリアスの6年ぶりのニュー・アルバム『夢中夢 -Dream In Dream-』が、ついに届けられた。
『夢中夢』は、コーネリアスのディスコグラフィの中で、独特の新鮮さを湛えている。たとえば、アルバム・タイトルが日本語なのは初めてだし、10曲中7曲には邦題が付されており、それらが英題より先に位置づけられている。
今年5月21日、福岡の野外フェスティヴァル「CIRCLE ’23」に出演した直後、栗田善太郎によるインタヴュー(https://open.spotify.com/episode/4sxpkxvv0iJcLS9yZtlDku?si=288221ab8b864b83)を受けた小山田は、アルバムについて「多重世界的なイメージ」、「シンガーソングライター的なアプローチというか、自分で歌って歌詞も書いて、みたいな」、「今まであんまりやってこなかったんで。前回、坂本慎太郎くんに何曲か歌詞を書いてもらったりとかしてたんですけど、あんまり頼っちゃいけないなと思って」と語っている。『夢中夢』は、コーネリアス/小山田にとって、「シンガーソングライター的な」アルバムなのだ。
坂本が歌詞を書いたのは、オープナーの “変わる消える – Change and Vanish” だけ。これはもともと mei ehara が歌ったシングルとして2022年に発表されたものだが、アルバムでは今年2月にリカットされた、キーを落として小山田自身が歌ったものになっている。これ以降、『夢中夢』では、自作自演的な、ある意味でパーソナルで内面的な世界が広がっていく。
それゆえに、どこか他者の介入を退け、あるいは他者を恐れているかのようにも見える『夢中夢』は、「夢の中の夢」にトラップされたがための自己完結性や閉鎖性──複層化された夢の中であがくクリストファー・ノーラン監督の映画『インセプション』を思い出させなくもない──に特徴づけられている。そういえば、『Mellow Waves』には “夢の中で” という曲があったが、『夢中夢』に収められている曲は、あのかわいらしいポップ・ソングよりも、かなり深く遠い世界にさ迷いこんでしまっているようだ。
歌ものに傾倒した『Mellow Waves』よりもインストゥルメンタルの比重が再び増え、3曲(“TOO PURE”、“NIGHT HERON”、“霧中夢 – Dream in the Mist”)も含まれている。そして、そういった点は、たしかにあの『Point』や『Sensuous』の透徹した世界への回帰のようでもある。
けれども、『夢中夢』は、聴き手を退けることはない。『Point』や『Sensuous』よりもっとずっと親しみやすくて不思議と温かい、歌のアルバムでもあるからだ。コーネリアスがこれまでに築き上げてきたサウンド・ヴォキャブラリーを用いたシンプルなポップ・ソング集、と呼んでもいいようなレコードかもしれない。ブライアン・イーノがその長いキャリアにおいて何度か歌に回帰してきたように、ここには明瞭で起伏に富んだ旋律があり、いつになく雄弁なギターがあり、アブストラクトでアンビエント的に浮遊する電子音に彩られながらもポップ・ソングらしい構造があり、そして何よりも叙情的な言葉がある。
なかでも “火花 – Sparks” は、コーネリアス/小山田の告白のような曲に聞こえる。90年代のインタヴューでの発言をめぐって過去の出来事と行動、さらには自身が発した言葉を否が応でも振り返り、向き合わざるをえなかった2021年以降の苦悩の時間が、「火花」には直接的に表れているように思えるのだ。「過ぎてった 瞬間が/突然に 蘇る/脳の中 消去した/思い出が 顔出す」。極限まで削ぎ落とされた言葉であるにもかかわらず、そこにはコーネリアスというペルソナが剥がれた小山田圭吾という個人の顔が、はっきりと、生々しいほどに、剥き出しのままで映りこんでいるのではないだろうか。しかし、これについて小山田は、本誌のインタヴューで「でもね、騒動のことを考えて書いた歌詞は、じつはそんなにないんです。“火花” も、古い曲で、もっと前に書いていたんですよ。ただ、いま読むとそのことを歌っているようにしか思えないと思うんですけど……じつはそういうわけでもないんです」と明言している。
とはいえ、『夢中夢』は、やはりとても叙情的なアルバムである。まったりとした微温のメランコリアが充満していて、けっして明るくはないものの、エモーショナルであることには変わりない。それがもっとも顕著なのは、METAFIVE の曲を再演した “環境と心理 – Environmental” だろう。ここでは、時間の経過と風景や景色の変化にともなって気分が前向きになっていく、という心情の遷移が描写されている。コーネリアスらしからぬ、あまりにも素朴な、主情主義的な詞だ。
言葉を即物的に扱い、音と響きへ極度に還元していった『Point』や『Sensuous』のようなアプローチも、たとえば “DRIFTS” にはある。しかし、そこで歌われる言葉は、「気配 匂い/空気 香り」、「糸口 ヒント」、「手がかり 暗示/含意 想い」、「感情 感触/浸透 伝達/伝搬 残像」といった、心情や感情に強く結びついたものだ。“DRIFTS” からは、“火花” のリリックと地続きの感覚や、ソーシャル・メディアのよどみとうねりに翻弄される心理的なイメージが、どうしても浮かび上がってきてしまう。
『夢中夢』が最後に流れつくのは、“無常の世界 – All Things Must Pass” という優しいポップ・ナンバーである。しかし、ここでも短い詞が多くのことを語っている。「誕生 消滅/繁栄 衰退」、「地水火風空/諸行無常/始まり 終わり/繋がり 巡り」。まるで『平家物語』である。
そういえば、前作『Mellow Waves』をめぐるインタヴューで、小山田はこんなことを話していた。
──「いつか / どこか」は小山田さんの作詞ですが、坂本さんの歌詞の世界に通じるものがありますね。穏やかな虚無感というか。
「結局、みんな死んじゃう」みたいな(笑)。
──坂本さんが書いた次の曲「未来の人へ」に通じる世界です。
坂本くんも僕と同世代だし、お互い中年感が深まってる感じ(笑)。去年、デヴィッド・ボウイとかプリンスとか子供の頃に憧れてた人が死んだりしたし、この歳になったら身の回りの人が死んだり病気になったりすることが多くなってくるじゃない? そういう感じが歌詞に出てるよね。遠くのほうに死が見えてきちゃったみたいな。
──世界が終わるとかじゃなくて、自分の体が滅びていくという実感が。
うん。そういうリアルな感覚。だんだん目が見えなくなってきたとか。
Cornelius「Mellow Waves」インタビュー|10年半ぶりのアルバムをより深く楽しむためのサブテキスト(音楽ナタリー) https://natalie.mu/music/pp/cornelius06
前作に続いて『夢中夢』には、こういった実感が確実に反映されている。
この世界に存在するものは、なにもかも変化を逃れることはできず、いつしか過ぎ去っていく。ひとはいまこの瞬間も老い、死に向かっていっているし、それに抗うことはできない。仏教的な諦観や不可逆性が『夢中夢』にはたしかにあるが、それが不思議と心地よいような、奇妙で柔らかいリラックスしたムードがある。
『Point』や『Sensuous』には、どこにもないポップ・ミュージックの未来のようなものがあった。しかし、『夢中夢』にあるのは、20世紀的な革新性と前衛性、一方向的な進化というよりも、そんなものにまるで拘泥していない達観のようなものである。夢の中の夢に閉じこめられ、そこでまどろみ、その外側で移ろいゆくひとやものを他人事として眺めているような。
“蜃気楼 – Mirage” には、『Fantasma』の “Star Fruits Surf Rider” へのセルフ・オマージュがサプライズとして仕込まれている。それは、単なる自己言及というよりも、多重化され入れ子状になって圧縮された時間や空間の表出のようだ。フランキー・ナックルズの “The Whistle Song” を彷彿とさせる夢見心地の “時間の外で – Out of Time” は、とりわけ象徴的である。なぜなら、ここでは、過去・現在・未来のちがいが存在しない、人間の一般的な認知の外にあるループ量子重力理論的な世界観が奏でられているからだ。
“火花” のミュージック・ビデオについて、小山田はこうも語っている。「まあ、100年後とか、一連の出来事が忘れ去られたとき、あれを観ていまとはまた別の解釈ができるんだったらそれはそれでいいのかな、と」。現在という時間の外へ出て、過去を飛び越え、あるいは未来の人へ。
死と不在がこだまし、20世紀的なるものの終わりが、いよいよ突きつけられている。『夢中夢』は、そんな無力感に満ちた気怠い2023年のサウンドトラックとしてこのうえ上ない、あらゆるものの外にあるポップ・レコードだ。
不思議な感覚だった。こんなにも裏表がなくて、ピュアで、正直で、でもどこか計算されている部分もあって、冷静だ。僕がジタムと出会った第一印象はそんなところだ。ムーディーマンが2016年に放った『DJ-KICKS』のミックスにより、彼の名が一躍注目されることになった。その後も立て続けにローファイなビートメイクとプリンスを彷彿とさせるような甘いヴォーカルを武器にEPやアルバムをリリースし、ロックとソウルが絶妙にブレンドされた2019年のセカンド・アルバム『Honeycomb』で一気に火が着いた。ビート・プログラムから、ソングライティングをほぼ自分自身で手がけ、ヴォーカルまで務める彼のDIYなプロダクションはどこか聴いたことあるような懐かしさと、馴染みのないフレッシュさが共存しているように感じられる。つねに自身のバックグラウンドを全面に押し出すスタイルも、共感が持てるポイントだろう。
そして満を辞して3枚目のアルバム『Third』をリリース。ソロでのビート・メイキングから飛躍して自身と所縁のあるミュージシャンとバンドでのサウンドを追求。より音楽性が高くなり、同時に新たなジャンルのファン層を取り込むことに成功したと思う。今回のジャパン・ツアーでもジタムのプレイを見ようとたくさんのオーディエンスが駆けつけてくれたが、ヒップホップが好きな人、ロックが好きな人、そしてデトロイト・ヘッズなど、日本でもオーディエンスの融合がなされていたのは印象的だった。
昨今、ビジネスとアートを両立させるのは益々難しい時代になってきた。そんななか、絶妙なセンスと経験値を糧にインディペンデントな音楽史シーンをサヴァイヴし続ける彼の姿は一緒にいるだけで本当に刺激になった。訪れた先々で彼のパフォーマンスを聴いた人はこの感覚がわかると思う。とにかくポジティヴで、ダンス・ミュージックの固定観念を次々と破壊していくポテンシャルを持っている。このインタヴューは彼の生い立ちやバックグラウンド、ニュー・アルバム『Third』についてだけでなく、日々移り変わるシーンのなかでどうやって自由に音楽を表現し続けられるかというヒントも詰まっている。インドにルーツを持ち、オーストラリアで幼少期を過ごし、ロンドン、ニューヨークと拠点を移しながら世界を股にかけて活躍するひとりのアーティストに人生を豊かにする処世術を伺った。
最初のシングル「Whereyougonnago?」をムーディーマンが彼のコンピレーションに入れてくれたんだ。この出来事なしに僕の音楽を語ることはできないよ。
■改めてジャパンツアーはどうだった?
J:日本は本当に素晴らしいよ! 食べ物、景色、音楽、文化、アート、ファッション、すべてが映画みたい。実際に体感してみると、それ以上のものだったね。オーディエンスは僕のことを真摯に受け入れてくれて、レコードを持ってきてくれる人もいたんだ。最高の時間を過ごしたね。そして、ここで音楽を共有する機会を得られたことに本当に感謝している。改めてツアーの成功のためにサポートしてくれた皆さん、本当にありがとう。
■東京、大阪、京都、広島、金沢、名古屋と6都市を回ったね、ツアーで特別な思い出はある?
J:音楽はもちろんだけど、食べることも好きだから日本で食べた物は全部ハイライトになったね。特に金沢で食べたディナーは信じられなかったよ! 他にも、鉄板焼き、ラーメンに、お寿司、カレーなんかも。でも僕がツアーで得たことの大部分は、人との繋がり。文化をもう少しだけ理解して、自分の世界観を広げ、自分の生活に取り入れていくことで人生をよりよくしていくことだと思う。
■素晴らしいね、では音楽について話しましょう。いつから作曲をはじめたの?
J:音楽をやっていなかったっていう時期が一度もないんだ。つまり、生まれてからずっと音楽をやっているってことになるね。
■最初に勉強した楽器は?
J:最初の楽器はおそらくキーボードだったと思う。母さんが若い頃に買ってくれた小さなカシオのキーボードでレッスンにも通ったんだけど、まともに弾く感じが自分に合わなくてその後すぐにギターに移ったんだ。それでギターからちょっとしたエフェクトペダルを買ったんだけど、そこにはドラムマシンも付いていて、それでビートを細かく刻んでオーヴァーダビングしはじめたんだ。それが最初のプロデュースになるのかな?
■何歳くらいのエピソードだったの?
J:たぶん10歳くらいの出来事じゃないかな? 思い返すと自分でも驚きだよ。子どもの頃はひとりきりが多かったから、音楽が自分のはけ口になってたね。僕にとって音楽は、いつでも戻ってくることができる唯一の友人のようなものさ。2017年頃からより真剣に音楽に取り組むようになって、最初のシングル「Whereyougonnago?」を出した。それをムーディーマンが彼のコンピレーションに入れてくれたんだ。この出来事なしに僕の音楽を語ることはできないよ。まさしく音楽が僕にたくさんの祝福を与えてくれたんだ。音楽なしの人生は考えられないね。

■ムーディーマンとのエピソードについて、もう少し掘り下げてもいいかな?
J:彼とは本当に不思議な縁があって、僕が最初に買ったレコードもムーディーマンだった。白いジャケットにスタンプが押してあるだけだったから、誰のレコードかなんて3年くらい気づかなくて、後で振り返ると本当に驚いたよ。その2年後に僕が最初のレコードをリリースしたときに、〈!K7〉のスタッフから突然連絡が来て、彼が僕の曲を出したいって言ってきたんだ。
■本人に直接会ったことはある?
J:ムーディーマンのライヴを初めて見たのはロンドンでのコンサート。そのとき、彼はローラースケート・ツアーのようなものをやっていて、シカゴやデトロイトから15人くらいのの子どもたちを招待して、クロアチア、ロンドン、ポルトガルなどヨーロッパ全体のフェスを一緒に回っていたんだ。子どもたちは国はおろか、自分たちの地域を離れたこともなくて、そんな若者のために新しいコミュニティをもたらして、それを世界と共有している光景が僕にとっても本当に大きなインスピレーションだった。それで僕は彼に自分の絵も描いてあるビート入りのCDを渡して、その何年か後に彼のチームが僕に声をかけてくれたんだ。改めて彼のサポートに感謝したい。彼のコンピレーションに参加したことを思い出すといまでも緊張するよ。最近ベルリンのクラブで僕のトラックをムーディーマンがプレイしているのを聴いて「あぁ、なんてことだろう!!!」ってね。とにかく、感謝してもしきれないんだ。それに、日本からのフィードバックもたくさんあったのを覚えている。日本にはムーディーマンのヘッズがたくさんいるって聞いてたし、日本はいつも……「デトロイト」だよね。
■デトロイト好きな日本のオーディエンスは喜ぶと思うよ。
J:あの街が魅力的なのは間違いない理由がある。デトロイトは本当にインスピレーションに満ちた街。多くの異なるジャンルを融合し続けてるし、ひとつのスタイルに束縛されたり、ひとつの演奏方法に固執したりしない土壌があるよね。彼らはつねにヒップホップ、ファンク、ジャズ、テクノ、ソウルの間を難なく行き来してて、それが僕に大きなインスピレーションを与えてくれたんだ。DJや楽曲制作のなかで、僕もいろんなジャンルやリズム、そしてサウンドを行き来するのが好きだからね。デトロイトは僕にとっても本当に大きな影響を与えてくれているよ。
[[SplitPage]]インドの長い歴史のなかで、例えばアラビア数秘術を取り入れてそこから新しいものを生み出したり、日本文化を取り入れてきた歴史だってあるんだ。それが僕の音楽に対するヴィジョンに繋がっていると思う。
■ジャンルの話が出たけど、自分の音楽のスタイルをどう表現している? 『COLORS』のインタヴューでもいろんなジャンルをフュージョンさせていくって言ってたけど……。
J:僕自身、インド人として過去のインドの偉大な作曲家たちを見ていると、つねに世界中で出てくるサウンドを融合してそれをミックスしてきたような気がするんだ。R・D・バーマン(インドで最も影響力のある作曲家のひとり)はディスコ、サイケデリック・ロックを地元の伝統音楽と融合させてきたから、僕も同じ軌道を辿っていると感じるし、偉大なインドの作曲家たちの遺産を引き継ごうとしているよ。自分の音楽がカルチャーのメルティング・ポットになればいいよね。インドの長い歴史のなかで、例えばアラビア数秘術を取り入れてそこから新しいものを生み出したり、日本文化を取り入れてきた歴史だってあるんだ。それが僕の音楽に対するヴィジョンに繋がっていると思う。それから、僕はロンドン、ニューヨーク、メルボルンだったりと、多くの異なる文化の場所に住んで、いろんな人びとに出会ってきた。だから、自分が恵まれてきたすべての経験から、何か新しいものを生み出すことが自分の責任だと感じているよ。
■インタヴューのなかに「ANGER/怒り」っていうキーワードにも触れていたけど、その意味は?
J:まず、昨今の世の中を見てみると貧富の差が本当に大きくなっているよね。富裕層はさらに裕福になって、貧困層はさらに貧しくなるように設定されているのがよくわかる。「人類が地球上で生き残れるか?」って疑問について、人びとのヴィジョンが似合わないくらい現代社会はおかしなことになっていて、いわゆる「ヒューマニティー3.0」みたいな違った物の考え方が必要だと思う。なぜならいま、僕たちが進んでいる道はそれではないから。だから僕みたいな茶色い肌の人間が世界的な音楽シーンで活動しているだけで、別の物語を見せることができる。アーティストが皆、必ずしも同じストーリーを語ることはできないからね。
■つまり自分の感情に潜むメッセージを音楽に込めているってこと?
J:間違いなく、ほとんどの楽曲がそうだね。楽曲の全てが僕の人生を反映しているし、自分自身を楽曲に注ぎ込んでなかったら音楽にとっても失礼に値すると思う。いつも110%のチカラで音楽に取り組んでいるし、自分の音楽が誰かと似ているとも感じているよ。もちろん、誰かの影響を受けてるとか、あのアーティストに似ているねと言うことだってできるけど、この音は僕だけのものさ。そしてそれを本当に誇りに思ってる。
■では実際どのようにして音楽を作ったり、書いたりしているの? もちろん誰かとジャムやコラボレーションすることも多いよね?
J:もちろん、コラボレーションは大好きだ。基本的に自分で頻繁にビートを作ったりしてるけど、最近出したアルバムのときはスタジオにこもっていろんなミュージシャンとセッションしたり、曲を書いたりしたね。特にこのアルバム『Third』では、より自分の個性を前面に出したかったから、自分のビートやトラック、歌詞をバンドに落とし込んで、よりユニットとして音楽を掘り下げることが重要なプロセスだった。だから新譜には生演奏がたくさん盛り込まれていて、もちろんこれからもこのスタイルを続けていきたいと思ってる。エレクトロニックとライヴ・ミュージックの間を探求すること、それが前のアルバムからより進歩した部分かな。もちろんいままでの楽曲にも生音はたくさんあったけど、このアルバムではミュージシャンとより入念に取り組んだって感覚も強いよ。
僕みたいな茶色い肌の人間が世界的な音楽シーンで活動しているだけで、別の物語を見せることができる。
■将来誰かとコラボレーションしたい人はいる?
J:そうだね……沢山いるけれど、アシャ・プトゥリなんかは夢のひとりだ。彼女は欧米でも活躍したインドを代表する名シンガーで、インド人にとってもアイコン的な存在なんだ。いまではみんなも知っている「ボリウッド(インド映画)」のサウンドを国外に広めたキーパーソンでもあるし、あとはガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュなんかも憧れの存在。でも有名、無名なんてことは関係ないし、現に今回のアルバムでもたくさんのミュージシャンとコラボレーションできたんだ。とにかく、自分だけのクリエイションに納めずに、共演するアーティストと自然な形で音楽を育んでいけたら最高だよね。
■日本のアーティストで気になる人は?
J:少し前に小袋成彬のリミックスをやったばっかりだし、また近いうちに彼の住んでいるロンドンに行く機会があるからまたセッションできたらいいね。それと、BIGYUKI、椎名林檎の楽曲も聴いてるよ。日本は本当に素晴らしいアーティストがたくさんいると思う。
■自身のプロダクションと並行してレーベル〈The Jazz Diaries〉もやっているよね。
J:元々、レーベルは自分のレコードを出すためにはじめたもの。僕らの音楽は本当にインディペンデントな業界だから、買ってくれたレコードのお金がどこに流れていくかを可視化するのが重要だと思った。だからレーベルは自分自身のためにあるし、実際に他に手がけたリリースも僕が世界を旅して実際に出会ったアーティストだけなんだ。音楽のおかげでたくさんの仲間ができたり、お金を稼いだり、行ったことのない場所を旅できている。結局、僕の人生の大半は音楽で、レーベルもそのなかの一部ってことさ。特に、南アジアのアーティストを集めたコンピレーション『Chalo』(2020)は、まだスポットライトの当たっていないアーティストやミュージシャンの仲間たちにとってとてもいいキッカケになったと思う。ダンス・ミュージック・シーンは欧米のアーティストが中心だけど、まだまだ知られていない素晴らしいアーティストが世界中にいて……。そう! まさに日本だって、世界のトップDJに引けを取らないくらい素晴らしいDJがたくさんいるよね。とにかく、そういう長い間光が当たらなかったアーティストをフィーチャーできたのは最高の機会だ。これからも続けていきたいな。
■そういうところも踏まえて、音楽にできる最良のことって何だと思う?
J:そうだね、まず自分にとって音楽は人生だし、人生が音楽だ。一生のサウンドトラックみたいに、仲間との出会いや子どもの頃からのいろいろな思い出が音楽になっていくんだ。音楽のチカラは本当に強い。日本に来て、僕は日本語も話せないし、日本人も英語を話せない人もいたけれど、僕の音楽を聴いてシェアしてくれる人がいる。それはただのドラムビートや楽器から鳴る音を超えて、音楽で繋がる人間関係なんだと思う。だから皆、「音楽は世界共通言語」なんて言うし、そこに文化や、年齢、人種は関係ない。それが自分たちやそれぞれのカルチャーを表現することも忘れてはいけないよ。
■それじゃあ最後に、「一ヶ月音楽禁止!」って状況になったら何をすると思う?
J:あまり考えたこともなかったけど、何かクリエイティヴなことだったり、アイデアを溜めたりもするかもしれない。でももし音楽をやっていなかったら何かビジネスをしてるかもしれないね。結局、僕に取って音楽は自身の頭のアイデアを形にすることの延長線上にあって、生きるために何かをはじめていると思う。それに、音楽もビジネスの一部だし、ミュージシャンでいることは起業家と同じこと。それはいまも昔も変わらないことで、素晴らしいミュージシャンやアーティストでも、それを持続可能にして継続させるためのビジネスの洞察力がなくて失敗している人も大勢いたと思う。だからこそ、過去の成功や失敗を多くのミュージシャンや起業家から学んで自分の活動に取り入れているのかもね。
『アダムス・ファミリー』や『メン・イン・ブラック』で知られるバリー・ソネンフェルド監督『ワイルド・ワイルド・ウエスト』はとても評価が低い。スカスカで中身がなく、アイディアは空まわりだし、そもそもつくりが雑だ、と公開当時最悪の映画に贈られるゴールデンラズベリー賞を受賞するに至っている。作品全体には差別用語があふれかえり、あまりに下品で、さらに主役がビンタ野郎のウィル・スミスときては救いの手を差し伸べる余地もない。これだけの不人気に迫れるのはいまのところ河野太郎とマイナバンバーカードぐらいしかないだろう。しかし、同作が公開された1999年はポリティカル・コレクトネス(以下、PC)がまだ力を持ち始めた初期段階で、当時の観客はソネンフェルドがわざと差別用語を撒き散らしていることはわかっていたし、むしろそうした風潮を跳ね返そうとする風刺のパワーを楽しんでいた。つくりが雑で、美術がハリボテに近いのも、要するにわざと「意識の低さ」を狙っていたのである。それがいまは配慮に欠けた駄作でしかない。ありとあらゆる意味でお話にならない作品であり、どうあがいても『ワイルド・ワイルド・ウエスト』に再評価の気運は訪れない。近いうちに視聴不可になる可能性すら感じる。

70年代の文化戦争を下地にして増殖・発展を遂げたPCは人種差別や女性蔑視を助長してきた言葉狩りを皮切りに、いまやあらゆる弱者差別を否とする「正しさ」の実践として機能している。しばし「行き過ぎ」という批判が巻き起こるものの、そうした反動には倍返しのようなリスポンスがあり、徹底的にキャンセルされるのが常となっている。アメリカでは学校の図書館から次々と差別表現を含んだ本が撤去され、トニ・モリスンまで視界から消え去った時はさすがに日本でも話題になったけれど、こういった規制を次々と発動することがいまは政党活動として最もわかりやすいアピールなのだという。「あの本を葬った!」「この本を追放した!」と競って告発することが共和党にとっても民主党にとっても手っ取り早い政党キャンペーンとなり、それだけPCを強化することは人々の共感を得やすい「方法論」になっていると。アメリカ人はいまやPC道を突き進み、それを極めることがすべてにおいて優先課題なのである(先頭を走っているのはいまでもフォレスト・ガンプか?)。
70年代の文化戦争で付け加わった人種差別や女性蔑視を別にすれば、PCが求める政治的正しさは、しかし、けして新しいものではなく、むしろ19世紀のアメリカを支配していたピューリタニズムが再帰したものといえる。現在のアメリカは不倫や怠惰を許さず、勤勉や禁欲に生きた19世紀のアメリカを再現し、20世紀はなかったことにしているだけだといえる。清廉潔白な人格をよしとするまでのプロセスはまったく異なっているにもかかわらず、どうやら19世紀も21世紀も結論は同じなのである。そう、20世紀は堕落と放縦の世紀だった。ジャズやロックやヒッピーやフリーセックスは一時的に悪魔にのりうつられただけであり、いまはそれらを追い出しているのだと、映画『エクソシスト』を評したスティーヴン・キングの言葉はほぼそのような内容だった。悪魔を追い出せば元に戻るのだと。ピューリタニズムというのは、そして、プロテスタントの分派であり、プロテスタントが生み出した経済理念が新自由主義というやつである。働いても恵みが少なければそれも神の思し召しといって諦めるのがカトリックで、働いたら働いただけのものは欲しいと要求し出したのがプロテスタント。信仰を勤勉に置き換えることでピューリタニズムと新自由主義の種が誕生したのである。そして、ヨーロッパを捨てたプロテスタントによって建国されたアメリカがピューリタニズムや新自由主義を純粋培養するのは、とても自然なことである。

19世紀にはアメリカだけの理念で済んだことだったが、世界に影響を及ぼす大国となったアメリカが同じようにPCや新自由主義を推し進めれば世界中の文化圏に影響を与えることは当然である。アラブ諸国の女性たちはライフ・スタイルが変化し、「ヴォーグ・アラビア」が創刊されたり、ドイツではオスのひよこをシュレッダーにかけることは禁止となり、世界各地にバリア・フリーが浸透すれば、マイナーな地域での人種差別も可視化が進んでいる。しかし、「#MeToo」に対して、フランスではカトリーヌ・ドヌーブが「男性が女性を誘うのは犯罪ではない」とこれに抵抗を示す発言をしたり、食文化からクジラを外さない日本やノルウェーなど、アメリカン・ウェイ・オブ・PCに必ずしも従順な国や文化圏ばかりが存在するわけではない。そうした影響のなかには漠然としていて何が起きているのか明瞭でないものも含まれているだろうし、結論が出るまでに長い葛藤を抱いているものも少なからずだろう。そうした不協和の蓄積に終止符を打ち、違和感を一気に吐き出したかに見えたのがラース・フォン・トリアー監督『キングダム』だった。上映時間5時間半。鬱期を脱したフォン・トリアーが本作では躁状態で疾走状態に入っている。
オリジナルは1994年と1997年に製作したTVドラマ・シリーズ『The Kingdom(Riget)』で、時期的に『ツイン・ピークス』の影響を強く受けた内容。旧シリーズは全8話からなり、デンマーク本国では50%超の視聴率を記録したという。第3部をつくる前に主役を筆頭に5人の登場人物が死亡したため、完結に至らなかった話を本作は25年後にセルフ・リメイクし、『The Kingdom: Exodus(Riget: Exodus)』として第9話から始まる設定になっている。フォン・トリアー監督は同時期にパーキンソン病を発症し、治療を受けながらの撮影になるとも発表していて、旧シリーズとは関係を薄める(=独立した作品にする)ともコメントしている。オープニングは『イディオッツ』(98)に出演していたボディル・ヨルゲンセン演じるカレンが旧『キングダム』のDVDを観ているところから(ほとんど目のアップを横から撮っているだけ)。DVDを観終わるとカレンは悪態をついて自分の体をベッドに縛りつけ、夜中になって目が覚めるといとも簡単に拘束をほどき、外へ出かけていく。閉められた扉には「夢遊病者」と書かれている。家の前にはタクシーが止まっていて、TVドラマの舞台となっていたデンマークの国立病院(通称〝キングダム〟)」まで連れられていく。鳥に導かれて病院内に侵入したカレンは、しかし、夜間受付で院内に立ち入ることを拒否され、病院の地下に潜り込こうとする。カレンのエピソードはオリジナルには存在せず、いわば本編と並行して進むパラレル・ストーリーとして展開される。カレンに力を貸し、共に病院の地下で大冒険を繰り広げるのは『キリング』でブク大臣を演じた我らがニコラス・ブロ。

場面変わって昼間の病院では「ラース・フォン・トリアーのせいで、この病院の評判はガタ落ちよ」などとメタな会話が飛び交うなか、ミカエル・パーシュブラント演じるヘルマー・ジュニアがスウェーデンからヘリコプターに乗って赴任してくる。TV版ではスティグ・ヘルマーという役名なので、その子どもという設定のよう。デンマークではスウェーデン人は差別されているという認識が最初から示され、その通り、ヘルマーは冒頭から嫌味と嫌がらせを雨あられと浴びせられる。病院内にいるスウェーデン人たちが一致団結して人種差別に抗うという話がひとつの骨格をなし、病院内にはそのためのレジスタンス組織が存在していることが徐々に明らかになってくる。そのような対立軸が明白になる前に、病院内のキャラクターがほとんど奇人変人の集まりのように描かれていくところがまさに『ツイン・ピークス』で、それぞれのキャラクターに馴染んでいく過程が得も言われない面白さになっている。そうこうしているうちにスウェーデン人たちの怒りはマックスに達し、ついに「バルバロッサ作戦」が実行に移される(このあたりはまるで『翔んで埼玉』)。本作はロシアのウクライナ侵攻よりも前に撮影されているはずだけれど、「バルバロッサ作戦」というのは独ソ不可侵条約を結んでいたナチス・ドイツがいきなり旧ソ連を裏切ってソ連領土に侵攻し、330万人のソ連兵や民間人、そして100万人のユダヤ人を殺害した軍事作戦で、これがまさに現在、ウクライナ侵攻をプーチンが正統化している理由になっていたりする。偶然なんだろうけれど、「バルバロッサ作戦」について交わされる会話もなんともはや感慨深い。『キングダム エクソダス〈脱出〉』で実行される「バルバロッサ作戦」は、しかし、ルカーチが提唱したサボタージュがメインで、効率的な労働をしないという闘争であり、これがほんとにショボい。新自由主義に対する抵抗も虚しく、「働いたら負けかな」発言の方がまだ気概を感じられるというか。
スウェーデン人差別を筆頭に『キングダム エクソダス〈脱出〉』にはPCによって抑制がかけられている表現がところどころで暴発する。白人だらけのキャスティングに唯一紛れ込んでいる黒人の扱いもけしていいとはいえないし、病院の意思決定を行う評決の場面ではどう考えても老人たちはバカにされている。なんというか、はっきり書けない人たちも出てくるし、極め付けはオリジナルにも登場するリーモア・モーテンセン(ギタ・ナービュ)が神出鬼没の車椅子で移動する患者の役ながら意味不明の行動によって身動きが取れなくなり、身体障害者に対するリスペクトがまるで感じられないこと。また、セクハラや病院内の訴訟事案を受け持つ弁護士(アレクサンダー・スカルスガルド!)はなぜかトイレにオフィスを持っていて、PC案件の解決が闇取引のようにしか描かれていないのもなかなかにシュール。現実感がないので、一見、躁状態になったフォン・トリアーが次から次へと悪ふざけを思いついているかのようにも見えるけれど、ここにあるのは『ワイルド・ワイルド・ウエスト』にあったPC破りというよりは、やはり、その背後にあるピューリタニズムへの懐疑であり、現在のアメリカ的なるものに対するカウンター的な価値観だろう。(以下、ネタバレ)。並行して進められていたカレンの物語は病院にかけられた呪いを解くために最終的に「悪魔を蘇らせる儀式」へとなだれ込んでいく(というほど簡単ではないけれど、あまりにややこしいので、そういうことで)。上にも書いたように、それはアメリカの20世紀や60年代の価値観、ジャズやロックやヒッピーやフリーセックスの復権を「悪魔」に喩えたものなのだろう。北欧はキリスト教も深くは浸透せず、エソテリックな宗教が色濃く残っている土地であり、品行方正で勤勉に働く人だけが「正義」だというプロテスタントの世界観にフォン・トリアーは抵抗を示し、屈するいわれはないと主張している。
TV版『キングダム』はフォン・トリアーらが92年に設立した映画製作会社ツェントローパが最初に手掛けた作品で、同社はメジャーな作品を送り出す会社としては珍しくハードコア・ポルノの製作にも携わった製作会社であり、「女性が見る上質のポルノ」をつくることができるという絶大な評価もヨーロッパでは得てきた。ツェントローパの作品は隣国ノルウェーでポルノ合法化にも寄与するほど大きな影響力を持ったものの、英語圏と取引を始めた段階でそれらはうまくいかなくなり、結局、ハードコア・ポルノの製作から撤退する。『アンチクライスト』や『ニンフォマニアック』といった作品でフォン・トリアーが性表現をエクストリーム化し、論争を巻き起こした背景にはそのようなリヴェンジの感覚もあったわけである。英語圏とはすなわちピューリタニズムである。愛国法で身動きのできなくなったアメリカの道徳心を批判した『ドッグヴィル』(03)と同じく、フォン・トリアーはアメリカが輸出するピューリタニズムが世界を息苦しく、人々の生き方を窮屈にしていると告発し、糾弾したいのである。そのためには悪魔も呼び出すぞと。

在英日本人DJのKay Suzukiが主宰する要注目のディガー系のレーベルのひとつ、〈Time Capsule〉からなんとも面白いコンピレーションがリリースされる。『Tokyo Riddim 1976-1985』は、レーベル曰く「レゲエと融合した昭和の歌謡曲を中心に集めた魅惑の和製ラヴァーズ・ロック・コンピレーション」。近田春夫のプロデュースによる平山みきのニューウェイヴ・レゲエをはじめ、小坂忠、小林”ミミ”泉美の、八神純子、越美晴、Marlene、リリィらによる計8曲のレゲエ調の魅力的なポップスが収録されている。アートワークもかなり良い感じで、アナログ盤には、当時の写真、そして収録曲とその時代背景を詳述したライナーノートも付いている。ディガー度高めのこのアルバムは、配信は無しで、アナログLPとアルバム・ダウンロードのみの販売。予約はすでにはじまっている。レーベルのサイトをチェックしよう。

V.A.
Tokyo Riddim1976-1985
Time Capsule
TIME016
※発売は9月1日予定
で、レーベルのサイト見るとすぐわかるように、〈Time Capsule〉は昨年、『Anime & Manga Synth Pop Soundtracks 1984-1990』を題して、日本アニメや漫画のサントラに収録された、シンセ・ポップに特化したコンピレーションもリリースしている。こちらもディガー度が高く、面白いです(読み応えのあるライナーノーツ付き)。チェックしてください。
去る6月、謎の看板がロンドン東部に出現していたという。答えはこれでした。
5年前、〈Fabric〉の名ミックス・シリーズの記念すべき100番=『Fabriclive 100』を共同で手がけた盟友同士のコード9とベリアルだが、それを継承するアイテム、両者によるスプリットEP「Infirmary / Unknown Summer」が7月21日にリリースされることになった。レーベルは〈Fabric〉傘下の〈fabric Originals〉。
なおコード9の曲 “Infirmary” のみ、ストリーミングで先行して7月11日から試聴可能です。
やはりジェフ・ミルズにとってトニー・アレンとのコラボは相当大きな経験だったようだ。新プロジェクトの名は、彼らのコラボ・シングルのタイトル「Tomorrow Comes The Harvest」を継承している。以前、ミルズ、アレンとともにツアーをおこなっていたヴェテランのキーボーディスト、ジャン=フィ・ダリーとのザ・パラドックスなるプロジェクトもあったけれど、今回は新たにタブラ奏者プラブ・エドゥアールが参加。トリオとして機能するようにあらためてコンセプトを練り上げたそうだ。即興演奏をつうじて音とリズムを交わらせ未知の領域を探索する──発売は9月8日、ミルズの新たな進化=『Evolution』に注目を。ワールド・ツアーも決定しています。

Label: Axis Records
Band: Tomorrow Comes The Harvest
Artists: Jeff Mills, Prabhu Edouard, Jean-Phi Dary
Title: Evolution
Format: Album
Release Format: Vinyl, CD, digital
Release Date: September 8, 2023


