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キングダム エクソダス<脱出>

キングダム エクソダス<脱出>

監督:ラース・フォン・トリアー
出演:ボディル・ヨルゲンセン、ミカエル・パーシュブラント、ラース・ミケルセン、ニコラス・ブロ、アレクサンダー・スカルスガルド、ウド・キア
原題:Riget Exodus/英題:The Kingdom Exodus
字幕翻訳:安本熙生
2022年/デンマーク/デンマーク語、スウェーデン語、ラテン語/319分/カラー/1:1.78/5.1ch
配給:シンカ/提供:シンカ、TCエンタテインメント
公式サイト Twitter

© 2022 VIAPLAY GROUP, DR & ZENTROPA ENTERTAINMENTS2 APS

7/28(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほかにて全国公開
『キングダム』I&IIデジタル修復版も一挙公開

三田格 Jul 06,2023 UP

『アダムス・ファミリー』や『メン・イン・ブラック』で知られるバリー・ソネンフェルド監督『ワイルド・ワイルド・ウエスト』はとても評価が低い。スカスカで中身がなく、アイディアは空まわりだし、そもそもつくりが雑だ、と公開当時最悪の映画に贈られるゴールデンラズベリー賞を受賞するに至っている。作品全体には差別用語があふれかえり、あまりに下品で、さらに主役がビンタ野郎のウィル・スミスときては救いの手を差し伸べる余地もない。これだけの不人気に迫れるのはいまのところ河野太郎とマイナバンバーカードぐらいしかないだろう。しかし、同作が公開された1999年はポリティカル・コレクトネス(以下、PC)がまだ力を持ち始めた初期段階で、当時の観客はソネンフェルドがわざと差別用語を撒き散らしていることはわかっていたし、むしろそうした風潮を跳ね返そうとする風刺のパワーを楽しんでいた。つくりが雑で、美術がハリボテに近いのも、要するにわざと「意識の低さ」を狙っていたのである。それがいまは配慮に欠けた駄作でしかない。ありとあらゆる意味でお話にならない作品であり、どうあがいても『ワイルド・ワイルド・ウエスト』に再評価の気運は訪れない。近いうちに視聴不可になる可能性すら感じる。

 70年代の文化戦争を下地にして増殖・発展を遂げたPCは人種差別や女性蔑視を助長してきた言葉狩りを皮切りに、いまやあらゆる弱者差別を否とする「正しさ」の実践として機能している。しばし「行き過ぎ」という批判が巻き起こるものの、そうした反動には倍返しのようなリスポンスがあり、徹底的にキャンセルされるのが常となっている。アメリカでは学校の図書館から次々と差別表現を含んだ本が撤去され、トニ・モリスンまで視界から消え去った時はさすがに日本でも話題になったけれど、こういった規制を次々と発動することがいまは政党活動として最もわかりやすいアピールなのだという。「あの本を葬った!」「この本を追放した!」と競って告発することが共和党にとっても民主党にとっても手っ取り早い政党キャンペーンとなり、それだけPCを強化することは人々の共感を得やすい「方法論」になっていると。アメリカ人はいまやPC道を突き進み、それを極めることがすべてにおいて優先課題なのである(先頭を走っているのはいまでもフォレスト・ガンプか?)。

 70年代の文化戦争で付け加わった人種差別や女性蔑視を別にすれば、PCが求める政治的正しさは、しかし、けして新しいものではなく、むしろ19世紀のアメリカを支配していたピューリタニズムが再帰したものといえる。現在のアメリカは不倫や怠惰を許さず、勤勉や禁欲に生きた19世紀のアメリカを再現し、20世紀はなかったことにしているだけだといえる。清廉潔白な人格をよしとするまでのプロセスはまったく異なっているにもかかわらず、どうやら19世紀も21世紀も結論は同じなのである。そう、20世紀は堕落と放縦の世紀だった。ジャズやロックやヒッピーやフリーセックスは一時的に悪魔にのりうつられただけであり、いまはそれらを追い出しているのだと、映画『エクソシスト』を評したスティーヴン・キングの言葉はほぼそのような内容だった。悪魔を追い出せば元に戻るのだと。ピューリタニズムというのは、そして、プロテスタントの分派であり、プロテスタントが生み出した経済理念が新自由主義というやつである。働いても恵みが少なければそれも神の思し召しといって諦めるのがカトリックで、働いたら働いただけのものは欲しいと要求し出したのがプロテスタント。信仰を勤勉に置き換えることでピューリタニズムと新自由主義の種が誕生したのである。そして、ヨーロッパを捨てたプロテスタントによって建国されたアメリカがピューリタニズムや新自由主義を純粋培養するのは、とても自然なことである。

 19世紀にはアメリカだけの理念で済んだことだったが、世界に影響を及ぼす大国となったアメリカが同じようにPCや新自由主義を推し進めれば世界中の文化圏に影響を与えることは当然である。アラブ諸国の女性たちはライフ・スタイルが変化し、「ヴォーグ・アラビア」が創刊されたり、ドイツではオスのひよこをシュレッダーにかけることは禁止となり、世界各地にバリア・フリーが浸透すれば、マイナーな地域での人種差別も可視化が進んでいる。しかし、「#MeToo」に対して、フランスではカトリーヌ・ドヌーブが「男性が女性を誘うのは犯罪ではない」とこれに抵抗を示す発言をしたり、食文化からクジラを外さない日本やノルウェーなど、アメリカン・ウェイ・オブ・PCに必ずしも従順な国や文化圏ばかりが存在するわけではない。そうした影響のなかには漠然としていて何が起きているのか明瞭でないものも含まれているだろうし、結論が出るまでに長い葛藤を抱いているものも少なからずだろう。そうした不協和の蓄積に終止符を打ち、違和感を一気に吐き出したかに見えたのがラース・フォン・トリアー監督『キングダム』だった。上映時間5時間半。鬱期を脱したフォン・トリアーが本作では躁状態で疾走状態に入っている。

 オリジナルは1994年と1997年に製作したTVドラマ・シリーズ『The Kingdom(Riget)』で、時期的に『ツイン・ピークス』の影響を強く受けた内容。旧シリーズは全8話からなり、デンマーク本国では50%超の視聴率を記録したという。第3部をつくる前に主役を筆頭に5人の登場人物が死亡したため、完結に至らなかった話を本作は25年後にセルフ・リメイクし、『The Kingdom: Exodus(Riget: Exodus)』として第9話から始まる設定になっている。フォン・トリアー監督は同時期にパーキンソン病を発症し、治療を受けながらの撮影になるとも発表していて、旧シリーズとは関係を薄める(=独立した作品にする)ともコメントしている。オープニングは『イディオッツ』(98)に出演していたボディル・ヨルゲンセン演じるカレンが旧『キングダム』のDVDを観ているところから(ほとんど目のアップを横から撮っているだけ)。DVDを観終わるとカレンは悪態をついて自分の体をベッドに縛りつけ、夜中になって目が覚めるといとも簡単に拘束をほどき、外へ出かけていく。閉められた扉には「夢遊病者」と書かれている。家の前にはタクシーが止まっていて、TVドラマの舞台となっていたデンマークの国立病院(通称〝キングダム〟)」まで連れられていく。鳥に導かれて病院内に侵入したカレンは、しかし、夜間受付で院内に立ち入ることを拒否され、病院の地下に潜り込こうとする。カレンのエピソードはオリジナルには存在せず、いわば本編と並行して進むパラレル・ストーリーとして展開される。カレンに力を貸し、共に病院の地下で大冒険を繰り広げるのは『キリング』でブク大臣を演じた我らがニコラス・ブロ。

 場面変わって昼間の病院では「ラース・フォン・トリアーのせいで、この病院の評判はガタ落ちよ」などとメタな会話が飛び交うなか、ミカエル・パーシュブラント演じるヘルマー・ジュニアがスウェーデンからヘリコプターに乗って赴任してくる。TV版ではスティグ・ヘルマーという役名なので、その子どもという設定のよう。デンマークではスウェーデン人は差別されているという認識が最初から示され、その通り、ヘルマーは冒頭から嫌味と嫌がらせを雨あられと浴びせられる。病院内にいるスウェーデン人たちが一致団結して人種差別に抗うという話がひとつの骨格をなし、病院内にはそのためのレジスタンス組織が存在していることが徐々に明らかになってくる。そのような対立軸が明白になる前に、病院内のキャラクターがほとんど奇人変人の集まりのように描かれていくところがまさに『ツイン・ピークス』で、それぞれのキャラクターに馴染んでいく過程が得も言われない面白さになっている。そうこうしているうちにスウェーデン人たちの怒りはマックスに達し、ついに「バルバロッサ作戦」が実行に移される(このあたりはまるで『翔んで埼玉』)。本作はロシアのウクライナ侵攻よりも前に撮影されているはずだけれど、「バルバロッサ作戦」というのは独ソ不可侵条約を結んでいたナチス・ドイツがいきなり旧ソ連を裏切ってソ連領土に侵攻し、330万人のソ連兵や民間人、そして100万人のユダヤ人を殺害した軍事作戦で、これがまさに現在、ウクライナ侵攻をプーチンが正統化している理由になっていたりする。偶然なんだろうけれど、「バルバロッサ作戦」について交わされる会話もなんともはや感慨深い。『キングダム エクソダス〈脱出〉』で実行される「バルバロッサ作戦」は、しかし、ルカーチが提唱したサボタージュがメインで、効率的な労働をしないという闘争であり、これがほんとにショボい。新自由主義に対する抵抗も虚しく、「働いたら負けかな」発言の方がまだ気概を感じられるというか。

 スウェーデン人差別を筆頭に『キングダム エクソダス〈脱出〉』にはPCによって抑制がかけられている表現がところどころで暴発する。白人だらけのキャスティングに唯一紛れ込んでいる黒人の扱いもけしていいとはいえないし、病院の意思決定を行う評決の場面ではどう考えても老人たちはバカにされている。なんというか、はっきり書けない人たちも出てくるし、極め付けはオリジナルにも登場するリーモア・モーテンセン(ギタ・ナービュ)が神出鬼没の車椅子で移動する患者の役ながら意味不明の行動によって身動きが取れなくなり、身体障害者に対するリスペクトがまるで感じられないこと。また、セクハラや病院内の訴訟事案を受け持つ弁護士(アレクサンダー・スカルスガルド!)はなぜかトイレにオフィスを持っていて、PC案件の解決が闇取引のようにしか描かれていないのもなかなかにシュール。現実感がないので、一見、躁状態になったフォン・トリアーが次から次へと悪ふざけを思いついているかのようにも見えるけれど、ここにあるのは『ワイルド・ワイルド・ウエスト』にあったPC破りというよりは、やはり、その背後にあるピューリタニズムへの懐疑であり、現在のアメリカ的なるものに対するカウンター的な価値観だろう。(以下、ネタバレ)。並行して進められていたカレンの物語は病院にかけられた呪いを解くために最終的に「悪魔を蘇らせる儀式」へとなだれ込んでいく(というほど簡単ではないけれど、あまりにややこしいので、そういうことで)。上にも書いたように、それはアメリカの20世紀や60年代の価値観、ジャズやロックやヒッピーやフリーセックスの復権を「悪魔」に喩えたものなのだろう。北欧はキリスト教も深くは浸透せず、エソテリックな宗教が色濃く残っている土地であり、品行方正で勤勉に働く人だけが「正義」だというプロテスタントの世界観にフォン・トリアーは抵抗を示し、屈するいわれはないと主張している。

 TV版『キングダム』はフォン・トリアーらが92年に設立した映画製作会社ツェントローパが最初に手掛けた作品で、同社はメジャーな作品を送り出す会社としては珍しくハードコア・ポルノの製作にも携わった製作会社であり、「女性が見る上質のポルノ」をつくることができるという絶大な評価もヨーロッパでは得てきた。ツェントローパの作品は隣国ノルウェーでポルノ合法化にも寄与するほど大きな影響力を持ったものの、英語圏と取引を始めた段階でそれらはうまくいかなくなり、結局、ハードコア・ポルノの製作から撤退する。『アンチクライスト』や『ニンフォマニアック』といった作品でフォン・トリアーが性表現をエクストリーム化し、論争を巻き起こした背景にはそのようなリヴェンジの感覚もあったわけである。英語圏とはすなわちピューリタニズムである。愛国法で身動きのできなくなったアメリカの道徳心を批判した『ドッグヴィル』(03)と同じく、フォン・トリアーはアメリカが輸出するピューリタニズムが世界を息苦しく、人々の生き方を窮屈にしていると告発し、糾弾したいのである。そのためには悪魔も呼び出すぞと。

三田格