ドキュメンタリー映画が異例の大ヒットとなったフィッシュマンズ、20代の若者たちがフィッシュマンズのトートバックを持って歩いている姿を渋谷で見たときは、ちょっと上がりました。まさに「永遠のフィッシュマンズ」ですね。
待っていた方も多いことでしょう。パンデミックの影響で、しばらくライヴのなかったフィッシュマンズですが、3月1日2日と恵比寿のリキッドルームにて2日間ライヴをやります。
1日目は1991年〜1994年、2日目は1995年〜1998年と、歴史に即したライヴになるようです(要するに、『空中キャンプ』以前と以後ですね)。配信もあるので、お見逃しのないように。
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〈ブルーノート〉はジャズの名門レーベルであるが、まだサンプリングが社会的に認知の薄かった時代からサンプリングを認め、またそれを自社音源のPRにも積極的に利用してきたレーベルだ。最初に〈ブルーノート〉が音源の使用を許可してアルバム制作をおこなったのがUs3(アス・スリー)の『ハンド・オン・ザ・トーチ』(1993年)で、当時は『ブルー・ブレイク・ビーツ』などDJ向けのサンプリングに特化したコンピも多数リリースしていた。その後もいろいろなアーティストたちによって〈ブルーノート〉音源のリミックスも作られ、その中でも傑作に挙げられるのがマッドリブの『シェイズ・オブ・ブルー』(2003年)である。これなどはまさに『ブルー・ブレイク・ビーツ』に収められた楽曲が多数使われているのだが、マッドリブの場合は単にビートなどをサンプリングするのではなく、そこに自身で演奏した素材をミックスし、一種のカヴァーやリメイクのようにしていたことも評価を高めた要因である。また、その中にはアンドリュー・ヒルの “イルージョン” を用いた “アンドリュー・ヒル・ブレイクス” という楽曲があって、そこでは〈ブルーノート〉創始者であるアルフレッド・ライオンの夫人のルースのインタヴューも交えていた。マッドリブはたびたびこうした試みをおこなっているが、それはサンプリングに込められた彼のジャズに対する造詣の深さや愛情を物語る。
マカヤ・マクレイヴンによる『ディサイファリング・ザ・メッセージ』も、マッドリブの『シェイズ・オブ・ブルー』に近い形でのリミックス/カヴァー・アルバムだ。『メッセージの解読』というタイトルどおりマカヤ・マクレイヴンが〈ブルーノート〉音源を読み解いたもので、単純に素材としてサンプリングするのではなく、自身で過去の〈ブルーノート〉の楽曲を研究し、それを自身の解釈を交えながら現在に再構築したものとなっている。
マカヤと言えばギル・スコット・ヘロンをリミックス/リコンストラクトした『ウィ・アー・ニュー・アゲイン』(2020年)があるが、これはギル・スコット・ヘロンのヴォーカル・パートや元々の演奏などのテープ素材をもとに、サンプリングやエレクトロニック処理と自身によるインプロヴィゼイションを交えて再構築していったもので、ある意味でギル・スコット・ヘロン以上にギル・スコット・ヘロンらしい楽曲もあった。単なる楽曲のカヴァーやサンプリングを超え、ギル・スコット・ヘロンの精神性や世界観を表現した素晴らしい作品集であったが、『ディサイファリング・ザ・メッセージ』はそれを〈ブルーノート〉に置き換えたものとなっている。
今回はマカヤひとりではなく、ジェフ・パーカー(ギター)を筆頭にジョエル・ロス(ビブラフォン)、マーキス・ヒル(トランペット)、グレッグ・ワード(アルト・サックス)、マット・ゴールド(ギター)、ジュニアス・ポール(ベース)、デシーン・ジョーンズ(テナー・サックス、フルート)が参加し、ときにバンド演奏に近い形で新たに弾き直したパートも交えている。マカヤはドラムのほかキーボード、ギター、ベース、パーカッションを演奏し、そしてサンプリングやビート・メイクをおこなう。
タイトルにメッセージがあるように、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの作品もやっていて、それに代表されるように1950年代後半から1960年代半ばくらいまでのハード・バップが中心となる構成だ。この時代はジャズ、そして〈ブルーノート〉にとっても黄金時代で、ホレス・シルヴァー、クリフォード・ブラウン、ケニー・ドーハム、ハンク・モブレー、デクスター・ゴードンといったスター・プレーヤーが活躍し、彼らの楽曲をマカヤは再構築している。主に1970年代のジャズ・ファンクが中心となっていたマッドリブの『シェイズ・オブ・ブルー』に対し、マカヤの『ディサイファリング・ザ・メッセージ』の相違性はこのあたりにあるだろう。ジャズ・ファンクはグルーヴ感のあるファンク・ビートを軸に、楽曲そのものが既にサンプリング向けの素材であるのだが、ハード・バップはプレイヤーのアドリブがより多く、インプロヴィゼイションやインタープレイに演奏の焦点があり、どちらかと言えばサンプリング向けの素材ではない。こうしたところからも、マカヤがありきたりの〈ブルーノート〉のカヴァー/リミックス・アルバムを作ろうとするのではなく、1950年代後半から1960年代半ば頃のジャズ・ミュージシャンの立場となり、当時彼らが何を想い、どのように感じて演奏していたか、それを自身に置き換えて表現したアルバムになっていると言える。
たとえばアルバムの冒頭を飾る “ア・スライス・オブ・ザ・トップ” はもともとハンク・モブレーの音源なのだが、サンプリングや演奏そのものは比較的原曲に忠実で、音のバランスやミキシングを変えてエッジを際立たせている。そして、カフェ・ボヘミアでのアート・ブレイキーのMCをピッチを上げてサンプリングし、ライヴ感を創出している。マカヤならではの現代ジャズ的なセンスが感じられると共に、ハンク・モブレーやアート・ブレイキーの息吹がそのまま伝わってくるような楽曲で、そしてハード・バップの時代のジャズが持つライヴ感が込められている。観客の拍手が交えられたケニー・ドーハムの “サンセット” にしてもそうだが、当時のジャズの主流な鑑賞はジャズ・クラブで聴くもので、実際にレコードもそのライヴを実況録音したものが多かった。時代は変わって、いまのジャズのアルバムはスタジオに入って録音することが主流となっているが、こうしたライヴ仕立ての仕掛けも当時の時代背景を反映しており、細かなところも練り込んで作られていることがわかる。
前回のコラムを書いてから半年経った。以前のような、毎日バンドを見て、いろんな人にあって、旅をして、ショーをして、というエキサイティングな日々はなくなった。1年半続いた、失業保険もなくなった。かといって、仕事にすぐ戻る気もない。少し日本に行き、その後は、パンデミック以降にじょじょに増えだしたポップアップをやっている。毎日のようにいろんなバーや会場で、たこ焼きを焼きながら、そこで自分の作ったプロダクト、たこ焼きイヤリング、クロシェマスク、ヘッドバンド、ハット、フルーツ・ディッシュクロスから、酒粕を使ったスイーツやおかず系のもの、ハードコンブチャ、ジンジャービアなどを売っているのだ。パンデミックがはじまった頃、クオモ州知事の命令で、ドリンクを頼むときはフードもオーダーしなければならない、というルールができた。そのときに、私はいろんなバーからオファーを貰い、たこ焼きを焼きだしたのだが、そのルールがなくなったいまでもバーはこころよくポップアップをさせてくれている。
2ヶ月前ぐらいまでは、ニューヨークはワクチン、ブースター接種も進み、感染者数も低いままで、そろそろ普通に戻れるのか、と淡い期待を抱いていた。が、1ヶ月前あたりからコロナ感染者が一気に急上昇。記録をどんどん更新し、気がつけば私の周りはほとんどがコロナに感染、5人に1人、ぐらいの状況である。昨日一緒にいた人が今日いきなり陽性だったと伝えられ、毎週のようにテストを受ける日々が続いている。
私は去年の8月に、コロナに感染した(デルタ株だと思われる)。熱が39度ほど出て、それが4日ぐらい続き、ベッドから出ることができず、味覚も2、3日なくなった。ワクチンを2回受けた後で、まわりは誰も感染しなかったのに、という謎の感染だったのだが、抗体はできているようで、いまのところテストは毎回陰性である。
そして、今回のコロナ急上昇。オミクロン株だが、コロナはじまって以来の感染者数を記録し、テストサイトは毎日行列。新年明けたいまは少し緩和したが、ホリディ前は、予約を取っていっても2時間寒いなかで待たされる始末。1日で出るはずの結果も3、4日かかり、その間はモヤモヤするばかり。コロナ感染が急上昇しはじめたのが12月上旬なので、そこからバラバラと、バーや会場も一時クローズ。ニューイヤーイヴのショーもほとんどがキャンセルか延期だった。私がポップアップをしているバーや会場はほとんどがクローズしなかった。お客さんは少なかったが、それでもやっぱりレストランやバーに来たい人はいるし、その人たちがプロダクトを買ってくれた。NYEはライヴショーでポップアップしたが、その日はラッキーなことに暖かく、外にステージやバーを作って、すべてを外で催した。いまならきっと無理だっただろう(現在マイナス)。
今回の株の症状はマイルドで、そこまで心配ないということだが、やはりかかりたくはない。私も迷っていたブースターを年末に受けた。去年、レストランやバーは外のみだったが、現在、内側もワクチン証明を見せれば座れるのである。ただ、まわりでコロナにかかっている人はほとんどがブースターも受けている。ワクチン証明をレストランやバーで提示するのは意味があるのかな、と最近思う。なかで感染する可能性があっても、外で凍えながら座りたくはない。それが嫌な人はまずレストランに来ない。










イアン・ウェルマンは、カリフォルニア州ロサンゼルスを拠点とするサウンド・アーティスト、プロダクション・サウンド・ミキサー、フィールド・レコーディング・アーティストである。
この『On The Darkest Day, You took My Hand and Swore It Will Be Okay』は、2021年12月に〈Room40〉からリリースされたウェルマンの新作だ。同レーベルからリリースされたロバート・ジェラルド・ピエトルスコ『Elegiya』と同じく薄暗い空気と微かな光のようなアンビエント・ドローン作品に仕上がっている。
もちろん『Elegiya』と『On The Darkest Day, You took My Hand and Swore It Will Be Okay』は異なる作品だ。シネマティックなムードは共通しているが、『Elegiya』は幽玄な質感のドローンであり、『On The Darkest Day, You took My Hand and Swore It Will Be Okay』は、ノイズ音楽や生体音響学などに影響を受けたというイアン・ウェルマンらしいノイジーなうごめきに満ちたアンビエント/ドローンである。
ウェルマン本人のライナーによると「怒り、不安、希望の間で揺れ動き、通常はディストーションやノイズに変化し」「世界中で起きている出来事に意味を見出そうとする試み」であったという。加えて「行き詰まった人生に対する私自身のフラストレーションを癒す方法」でもあったとも書いている(https://ianwellman.bandcamp.com/album/on-the-darkest-day-you-took-my-hand-and-swore-it-will-be-okay)。不穏な社会や不安定な個人を反映するかのようなサウンドであるのはこういった背景があるからだろうか。
インターネットや現実で引き起こされる多くの社会問題や社会情勢はアンビエント・ドローン作品のような抽象的な音楽にも深く影響を与える。つまり時代が暗ければサウンドの質感にダークなものが増えるというわけだ(反対に過剰に癒しを放つものも増えてくる)。社会の無意識を写す鏡のような現代アンビエントだ。ちなみに現代アンビエント・ドローンの名手とはいえばヤン・ノヴァクであり、彼の霧のような美麗ドローンをまず思い出すが(彼の音響は本当に美しい。まるで空気を浄化するようなアンビエントなのだ)、イアン・ウェルマンの諸作品は、ヤン・ノヴァクのアンビエントとは異なる魅力を発している。
イアン・ウェルマンのアルバムを聴いていると、世界の不安や不穏をスキャンしたサウンズの波を感じてしまうのだ。彼は社会/世界、世界の変化や状況にとても敏感かつ鋭敏な感性を持っている音楽家なのだ。尖っていて不安定な感覚があるのだ。音もセンシティヴである。この感覚は精神の沈静を追求するアンビエントの音楽家の中では稀だ。不意にリリース・レーベル〈Room40〉を主宰するローレンス・イングリッシュの音楽性を思わせもする。
2018年にヤン・ノヴァクが主宰する現代アンビエント・レーベルの名門〈Dragon's Eye Recordings〉からリリースした『Susan's Last Breath Became the Chill in the Air and the Fog Over the City's Night Sky』、2019年に同じく〈Room40〉からリリースした『Bioaccumulation』もそのような世界の不穏さを反映していたように思う。
2021年にリリースした本作『On The Darkest Day, You took My Hand and Swore It Will Be Okay』では、これまで以上に、不穏なアンビエンスに聴こえた。やはりコロナ以降の世界の反映だからだろうか。
アルバムには全13曲が収録されている。どの曲も微かなノイズが刺すように鳴り、一方で溶け合っていくような持続音を聴かせてくれる。しかもトラックには4分台の曲多い(1分ほどの曲もある)。この種のアンビエント作品は一曲が長いものが多いのだが、その点からしても異質な作風である。
本作は長い音の持続にじっくりと耳を澄ますタイプの作品はなく、ノイズのフラグメンツ(断片の数々)を摂取するようなアルバムなのだ。この断片性は聴く物に独特の不安感(と心地よさ)を与えてくれる。
じじつ、このアルバムを聴くと気候変化や社会問題、事件、事故などが混じり合った、いまこの時代特有の集合的無意識を聴取するような独特の不安感があるのだ。ほぼ同時期にリリースされた『I Watched The World Burn Without Leaving My Home』と合わせて聴くと、さらなる孤立感や時代の無意識を感じることができる。いわば「社会」「世界」に抵抗しつつ溶け合っていくような聴取体験があるのだ(『I Watched The World Burn Without Leaving My Home』はどうやら世界各地の火災問題を扱っているようだ)。ノイズという厳しい現実と平穏というアンビエントが交錯し、彼の音楽として総体を形作っている、とでもいうべきか。
そう、『On The Darkest Day, You took My Hand and Swore It Will Be Okay』は、まさに心と体と世界の境界が融解/溶解するようなアンビエント/ドローンなのだ。1年のはじまりに(でなくとも良いのだが)心身を調律するように聴き込みたい。
レコード店「Disc Shop Zero」の店主、飯島直樹氏が永眠してはや2年、今年の2月で3回忌を迎える。彼の功績に敬意を表しつつ、彼が志した低音の美学とその広大なヴィジョンを継承すべく、2月11日(金)渋谷のContact Tokyoにて、飯島氏がオーガナイーザーでもあったポッセ〈BS0〉がパーティを企画する。「Disc Shop Zero」に行ったことがない人も、ぜんぜんウェルカム。足を運んで、力強いベースを感じて欲しい。

Trilogies - Mars89 episode 1
Tribute to DSZ with BS0 United
at Contact Tokyo
・Studio X -Power of Dub-
Live:
Undefined
DJ (A-Z):
Dub Kazman from Osaka
Ena (Old School D’n’B Set)
Lil Mofo
Mars89
Ykah
・Contact -Dance in Dub-
DJ (A-Z):
Gunilla from Kyoto
K-yam
Moodman (Dub Techno set)
NullDaSensei
Sayuri
Torei
・Foyer -Roots & Culture-
Selector (A-Z):
Aki Dolanikov
BS0gang -Tribute to DSZ Set-
(1TA, Dx and Osam green giant)
Daddy Veda (Trip hop set)
Likkle Mai (DJ set)
Mini Soundsystem by
Homebeat Soundsystem
Shop : Disc Shop Zero Pop-up
Coffee : BS0 coffee
Food : ちょっと遠いレコード
————————————
・Disc Shop Zero 数量限定復刻T-Shirt
・数量限定BS0無料特典
2022年2月11日(金曜日)OPEN 22:00
UNDER 23 ¥ 1000
BEFORE 11PM ¥ 1000
GH G MEMBERS ¥ 1500
ADVANCE ¥ 2000
GH S MEMBERS ¥ 2500
GH MEMBERS ¥ 2500
DOOR ¥ 3000
3DAY PASS TICKET ¥ 4000
HP
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https://www.instagram.com/bs0tokyo/
「低音とエコーの向こう側に浮かびあがるカルチャーの交雑点を」
Contactによるマンスリーな3週レジデント・シリーズ、Trilogies、Mars89が務める2022年2月第1弾として開催されるのは、ブリストル・ミュージックを紹介してきた〈BS0〉とのタッグによるレコードショップ、DISC SHOP ZEROのトリビュート・スペシャル。
約2年前に店主、飯島直樹の急逝によって急遽、その歴史に幕を閉じたDISC SHOP ZERO。音楽と音楽、ローカルとローカル、人と人を結びつけるリンク・スポットとして、ブリストル・サウンドのディープな紹介者であり、現地のシーンの密な交流も含め、国内はもとより、世界中からリスペクトされたレコードショップであった。特にベース・ミュージックのスペシャリストとしての側面は晩年、首謀者の1人としてマイペースで主催していた〈BS0〉にひとつ象徴される。サウンドシステムと現地のDJ、そして東京やその他、国内各地のDJたちを結びつけるネットワークを持ったパーティ、それは文化のコンダクターとして単なる招聘とは異なった、店のコンセプトをそのまま“現場”として象徴させていたかのようでもある。このパーティの平日版として同地で開催されてきたBS0xtraには、Mars89もレジデンシーとして参加している。
Studio Xでは“Power of Dub”と題し、ライヴに〈ZamZam〉からのリリースでも知られるダブ・バンド、Undefinedのライヴ、Osaka Dub Meetingからは自身の〈Rough Signal〉で勢力的なリリースを行っているDub Kazman、さらにはMars89をはじめLil Mofo、Ena (この日はオールド・スクール・ドラムンベース・セットを披露)といったワールドワイドに活躍するDJたち、そして〈BS0xtra〉の注目株、Ykahが登場。カッティング・エッジなダブ / ベース・ミュージックの強力な低音がこだまするフロアに。
さらにContactは“Dance in Dub”と題して、ハウスやテクノなど、さまざまなスタイルでダンス・カルチャーのなかで息づく、ダブのミームを感じることのできる、ある意味で〈DSZ〉“らしい”ダブ解釈のヴァリエーションを楽しめるフロアに。
そしてFoyerでは“Roots & Culture”と題して、話題のミニチュア・サウンドシステム、Homebeat Soundsystemとともに、〈BS0〉の面々やリクル・マイなどがプレイ。そしてここには渋谷の街路一夜だけ蘇る、DISC SHOP ZEROのポップ・アップ・ショップがオープン。早い者勝ちの数量限定復刻Tシャツなどさまざまな、かのショップの縁の品が列ぶ可能性も。
フライヤーには、ブリストル・アンダーグラウンドの重要レーベル〈Bandulu〉の特徴的なアートワークなどを手がける現地のデザイナー、Joshuaによるアートピース。また数量限定BS0無料特典も。
音楽と人の繋がりから、強靱で芳醇なカルチャーを浮かび上がらせてきたDISC SHOP ZERO、そして店主、故飯島直樹の、そんなショップのコンセプトを継承し、次世代やまだ見ぬ同胞と共有する一夜。
と、長々と書いてしまったが最後に、先達の麻芝拓の言葉を引いて、この日の見所としよう。
「誰かが欲しかった“こんな音”が鳴る“こんな場所”が、渋谷のど真ん中の地下に生まれようとしている。それを完成させるのは、ひとりひとりのあなただ」
文:録通基飯
新年あけましておめでとうございます! 2022年も音楽についてたくさん書いていきたいと思います。2021年は、僕の力量不足ゆえ(単に怠けている日もある)に書けなかった作品がいくつもあった。今年は全て書く勢いでやるということで、そこを抱負に精進します。ということで新年一発目のサウンドパトロール、よろしくお願いします。
SW2 & Friends - Hither Green Glide / For The People | GD4YA

EL-B の運営する〈GD4YA〉は、UKガラージのダークな側面を好む人ならチェックすべきレーベル。彼自身、90年代からいくつかのレーベル(Not On Label のホワイト盤も多数)からアングラでダークなUKガラージを提供してきたDJ。もちろん、〈GD4YA〉のサウンドはその焼き回しではなく、現代版へきちんとアップデートされており、さらにハズレもあまりないときた。今作は、〈Rhythm Section International〉などからリリースを重ねる FYIクリス、エズラ・コレクティヴの鍵盤奏者として知られるジョー・アーモン=ジョーンズなどが参加。あのダークなUKガラージの音(〈Tempa〉の『The Roots Of Dubstep』を聴くと良し)を踏襲しつつ、南ロンドンにおけるハウスとジャズの視点も加えている。かなり面白い。
Instinct – PAUSE LP | Instinct

「UKガラージのダークな側面」なんて書いたので、こっちも紹介しないわけにはいかない。バーンスキ(Burnski)による、UKガラージ専用のインスティンクト名義でリリースされたフルレングス。連番でいくつかの12インチを出しており、それらをまとめたのが『PAUSE LP』。5番に当たる「Pstolwhip」は最高にオシャレなUKガラージで大好きだけど、今作には未収録……。流行り(?)の音数少なめでカラッと乾いた質感のUKガラージ・ビートがずっと続く、素敵な10曲入りLP。ベースは効いていてダークさはあるけど、なぜか凄くオシャレに聴こえる。個人的ベスト・トラックの “Apache” はサンプリングかと思うが、実弟によるヴォーカルのピッチをいじったもの。12インチの集成なのでそれぞれのツール感は否めないが、それでも聴きやすくまとまっていると感じた。
WILFY D & K–LONE - VITD004 | Vitamin D Records

K-ローンといえば、ファクタと運営するロンドンは〈Wisdom Teeth〉でよく知られている。が、Wilfy D とコラボレーションした今作は、言ってしまえばらしくない、スイートでソウルフルなUKガラージに仕上がっている。“Str8 Up” なんて最高なチャラ系UKガラージでかなりのお気に入り。そもそも、90年代におけるUKガラージというジャンルにはかなり売れ線の曲もあって、そこそこチャラい側面があることを思い出させられる。ちなみに Wilfy D のほうは、自身の〈Vitamin D Records〉や〈Dansu Discs〉などでリリースしつつ、ブリストルのレコード店&レーベルの〈Idle Hands〉のスタッフとしても働いている模様。いま挙がったのは全てUKにおける現行のレーベルで、全てかっこいいので合わせてチェックしよう。
Joy Orbison - red velve7 | TOSS PORTAL

2021年の個人的なハイライトのひとつ、それはジョイ・オービソンの『Still Slipping Vol.1』だった。本当にカッコ良かった。サウンドがカッコ良いのは当たり前だけど、何よりも「そこにい続けて……、もちろんいまもそこにいる」その姿勢がカッコ良いのだ。この曲は、ジョイ・Oによって突如ドロップされた未発表曲のうちのひとつ。ジャケは彼の祖母で、西ロンドンで音楽系のパブを祖父とふたりで経営していた方なのだそう。曲のリリースに際したインスタのポストによれば、「まだ始まったばかり」だと。これからも彼の動向には目が離せない。
Blawan - Woke Up Right Handed | XL Recordings

相変わらず、〈XL〉のこのシリーズは良いリリースが多い。去年は LSDXOXO による猥雑なゲットー・ハウス「Dedicated 2 Disrespect」が最高だったし、その前だとジョンFMの「American Spirit EP」も良かった。そしてブラワンからの「Woke Up Right Handed」も、これまた半端じゃない一撃だった。数あるフライト(2019年は340回もあったそう!)に嫌気がさし、いまは拠点とするドイツで酪農により多くの時間を割いているそう。このEPから出てくる音がそんな生活から生み出されたものなんて……。“Under Belly” のホラーめいた異様なサウンドが酪農生活によるものだとは、にわかには信じかたいよね。
ローファイ・ハウス(≒ロウ・ハウス)なるタームが隆盛したのが 2010 年代。ハウスの四つ打ちは有しているものの、それはクラブでの使用を念頭に置いたものではなく、主なテリトリーはインターネット──とりわけ YouTube であった。そのメランコリックかつノスタルジックな雰囲気を携えた音楽は、どちらかといえばクラブに通いつめるパーティ・アニマルよりも、ベッドルームでひとり夜な夜な音楽をディグるナードたちを喜ばせた(そのどちらの属性にも当てはまる変わり者は別として)。90 年代におけるIDMがそうであったように、ローファイ・ハウスもダンスを契機としながら、機能性のみを追求したジャンルではなかったのだ。やがてときは経ち、そこに括られていた才能溢れる面々も、近年では、YouTube の縦横1280×720のサムネイル画像なんかには収まらない躍動を見せている。
USの人気シットコム『フレンズ』の主要キャラクターからネーミングを拝借した、エセックス生まれのロス・フロム・フレンズことフェリックス・クラリー・ウェザオールもまた、そのひとりだろう。「ダーク、ムーディ、ノスタルジック&ヴァイヴスなクラブ・マテリアル」(実にローファイ・ハウスらしいワードが並ぶ、レーベル説明文による)に焦点を当てた、〈Lobster Thermin〉のサブ・レーベル〈Distant Hawaii〉からの “Talk To Me, You’ll Understand” の YouTube 再生回数はすでに800万を超える。聴けばおわかりの通り、背後にはノイズが流れ、ハイハットやスネアにはわずかな歪みが掛かり、そしてチョップされたヴォーカル・サンプルを主体とする、反復的な四つ打ちを有する構造……まさにローファイ・ハウスのお手本のような曲である。いやしかし同時に、このリリースからすでに何年もの月日が流れてもいるのだ。その間、彼はいくつかのEPをリリースしているし、フライング・ロータスと出会い〈Brainfeeder〉と契約し、1枚目のフルレングス・アルバム『Family Portrait』をドロップ。そしてブレイクした “Talk To Me, You’ll Understand” から数えておよそ5年。めくるめく変化し続け、それが今作の『Tread』に結実した。
〈Brainfeeder〉からの2枚目のアルバムということもあり、過去にあったあのローファイ・ハウスの感触はすでに影を潜めている。まず感じたのは圧倒的に音が良い。もはや、ローファイではなくハイファイになっている。オープナーの “The Daisy” から早くもベスト・トラックと言いたくなってしまうクオリティで、近年のトレンドといえるUKガラージを拝借したサウンドに、ロス・フロム・フレンズによる複雑かつ緻密なアレンジメントが冴え渡る好トラックに。続く “Love Divide” や “Revellers” を聴けばより明らかに感じるが、リズム面ではダンス/クラブの作法を感じさせるものの、明らかに空間が広く感じられる奥行きと立体感を伴ったサウンド・デザインが施されており、これはゴリゴリの低音が効いたクラブのサウンドシステムよりも、質の良いスピーカーないしは細部まで聴き取れるヘッドホンで、じっくりゆっくり味わいたくなるような音楽だ。
また、マッドリブにインスパイアされたという “A Brand New Start” は、クラシックなソウル/ジャズとモダンなエレクトロニックの邂逅といったところで、過去のサンプリングに新たな息吹がもたらされるこの上ない好例に思える。“Life In A Mind” は、パティ・レベルのヴォーカルをサンプリングした一発勝負かつアイデア勝利の面白い曲で、こちらも同様に彼の緻密なサウンドの調理が施されている。前者に関しては、一聴したとき、ふとカリブーの “Home” なんかを思い出した。そういう意味でも『Tread』において、彼の作る音楽はそれらUKのヴェテランたちにすら迫りつつあるとも感じさせる瞬間がある。
ロス・フロム・フレンズは録音物としてのクオリティにとことんこだわり続けたのだろう。その絶え間ないプロセスの大きな一助となったのが、彼お手製の「Thresho」というプラグインで、これによって彼は Ableton 上で演奏したあらゆるものを簡単に保存できるようになり、より自由に音楽制作に没頭できたと語る。そのプラグインは無料で公開(https://thresho.rossfromfriends.net/)されており、それと合わせて、『Tread』の制作中に彼自身が録音した50GB(!)にも及ぶ使われなかった音の素材もダウンロード可能になっている。使われなかったものだけでも2000以上もの音の素材があるのだ。その事実だけで、彼が『Tread』を制作するべく、どれだけのスタジオ・ワークを積み重ねたのかは想像に難しくない。
『Tread』はロス・フロム・フレンズの次の段階を示している。彼がローファイ・ハウスとタグ付けされたあの頃から比べると、その鳴っている音をはじめとしてあらゆることが変わっている(ちなみに、彼は父親になったそうです)。しかし彼が YouTube のサムネイルから飛び出そうとも、音がとんでもなくハイファイになろうとも、ヒップホップばりのサンプル・ヘヴィーな音楽を作ろうとも……色々なことが変わろうとも、あの頃、ロス・フロム・フレンズの音楽に興奮できたひとなら、このアルバムは必ず楽しめるに違いない。
ブラック・ミディ、ブラック・カントリー、ニュー・ロード、スクウィッドなど多くのインディ・バンドがエネルギッシュなアルバムを送り出す一方、ロレイン・ジェイムズ、アヤ、ヤナ・ラッシュなど、エレクトロニック・ミュージックの側も負けじと数々の野心作を生み落とした2021年、個人的には「挑戦」の一年だった。
ひとつは、夏の紙エレで日本のラップ/ヒップホップ特集号をつくったこと。ふだんその手の音楽ばかりを聴いているわけではないぼくにとって、これまで深くは考えてこなかった表現形態と向き合う良き機会となった。もうひとつは、臨増でメタヴァース特集号をつくったこと。これまたふだんテック系のイシューをメインに追いかけているわけではないぼくにとって、ヴァーチャル概念や身体性の再考など、新鮮な驚きの連続だった。
と振り返ってみて気づいたのだが、ラップにせよメタヴァースにせよ、それら大部の背後には共通して「勝ち上がる/稼ぐ」というネオリベ的な価値観が横たわっている。その点にどう対峙するかにかんしてもまた試行錯誤の繰り返しだった。制作に協力してくださった方々、執筆陣、取材に応じてくださった皆さま、あらためてありがとうございました。
とまれ、人間ってやつは得意なこと・好きなことばかりやっていても成長しない……いや、いかんな、これは「脱成長」と合わない考え方だ。2021年の大きなテーマのひとつは成長ではなく「持続可能性」だった。サステナビリティというやつである。わかる。続けられるか否かはとてもたいせつなことだ。
後者の特集号をつくる過程で映画『竜とそばかすの姫』を観た。歌うことが好きだった主人公のすずは、じぶんを助けようとして母親が死んでしまったことがトラウマになり、うまく歌えなくなってしまっていた。過去と現在、田舎(リアル)とネットの対比、『美女と野獣』『時をかける少女』への(セルフ)オマージュなど、いろんな要素が盛りこまれた重層的な作品なのだけれど、メタヴァースという今日的な枷を外してみても、2021年のムードをみごとにとらえた映画だったように思う。
劇中には「ジャスティス」なる集団が登場する。彼らは仮想世界の秩序を守るべく活動している組織で、同世界内で暴れまわる「竜」を追っている。リーダーの人物は相手のアヴァターを強制解除し「中の人」を白日のもとにさらすことのできるアイテムを持っている。いわゆる特定厨とSJWをかけあわせたような存在だ。マッチョな白人男性を想起させるいかにも「ヒーロー」なアヴァターを身にまとった彼には、「警察が必要だ」とのセリフが与えられている。
ポイントは、彼が仮想世界=プラットフォームの運営者ではないところだろう。主人公や「竜」同様、いちユーザーにすぎない彼が(多数のスポンサーをバックにつけているとはいえ)独自に警察=国家の意志を内面化し、他人を追いこみ、狩ろうとするのだ。数年前話題になった、相模原殺傷事件の実行犯とおなじである。
なぜひとは警察になりたがるのか? 『竜とそばかすの姫』が公開される四日前には、オリンピック開会式の音楽担当者が公表されている。ネットが普及する以前からあった問題とはいえ、2021年はあらためてその欲望の奇妙さについて考えさせられることになった。
対照的なのが主人公のすずだ。彼女は告発もしなければ晒すこともせず、断罪もしない。物語の終盤、ある衝撃的な事実を突きとめたすずは、ふつうなら警察に通報しそうなものをそうはせず、わざわざみずからの足を使ってある人物に会いにいく。直接行動である。彼女を促したのは友情でもなければ恋でもない。ただたまたま出会うことになった気になる他人を助けたいという(無償の)行為が、結果的にじぶんを助けることにもなる──そんな相互扶助的な発想が『竜とそばかすの姫』の根幹を成しているのではないかと思う。
もちろん、年末号で水越真紀さんが指摘しているように、そういうアクションは国家によって都合よく利用される可能性だってある。それでもぼくは、ミャンマーやらアフガニスタンやらオリンピックやら、とかく殺伐とした空気に覆われた2021年のなかにあって、すずの行動に素朴に勇気づけられたのだった。
2021年、ele-king books は23冊の本を刊行した。2022年も多くの企画が控えている。引き続き時代を見すえた本をつくっていきたいと思っているので、楽しみに待っていてほしい。すずの気持ちを忘れず、がんばります。
それでは、良いお年を。
なぜ私たちが来たのか
いつだってうまく思い出せない
わからない
私たちはなぜ来たのだろう
ブライアン・イーノ“バイ・ディス・リヴァー”
“バイ・ディス・リヴァー”は、曲もいいが歌詞もいい。人生の真理だ。イーノが1977年にリリースした『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』の収録曲で、ドイツの電子音楽デュオ、クラスターとの共作としても知られているこの名曲をカヴァーしていのがアルヴァ・ノト&坂本龍一、マーティン・ゴア(デペッシュ・モード)、それからエレキングでお馴染みのイアン・F・マーティンと、ユール・ネヴァー・ゲット・トゥ・ヘヴン(以下、YNGTH)というシニカルな名前で活動するカナダの電子音楽デュオである。
YNGTHは、2012年にデビューして以来、2014年にくだんのカヴァーをふくむシングルを1枚、それから2017年にセカンド・アルバムを出しているだけで、だからこの10年で本作を入れてわずか4作品しかないのだが寡作家というわけではない。メンバーのチャック・ブレイゼヴィックは、ドリームスプロテイション、スロー・アタック・アンサンブルというふたつのプロジェクトでも活動している。前者はエレクトロニック、後者はクラシカルで、両者ともに音数は少なく、ともに空間があり、とにかくドリーミーだ。要するにサウンドの指向性は、YNGTHとさほど変わらなかったりする。スタイルがアンビエントであろうとシンセポップであろうとクラシカルであろうと、彼らの音楽は蒸気であり、綿であり、夢のなか。「You'll Never Get To Heaven=決して天国へは行けない」というバンド名は、反語なのである。
あてどなく歩き、ふと気がついたら川辺にいる。前に進めず立ち止まり、空を仰いで、どうしてここに来たのか理由が思い出せないことをそのとき知る——カフカめいた人生観を彷彿させるこれがイーノによるオリジナル版“バイ・ディス・リヴァー”だと言うのなら、YNGTHによるカヴァーは、川辺で立ち往生しながら別次元に入って気持ちよくなってしまっている。思い出せないことは快楽とでも言うかのように。そう、天国にしか行けない。
もっとも、ドリーミーではあるが潔癖症的で、なるほど日本の「環境音楽」に影響を受けたという話も頷けなくもないのだが、かつては、彼らのサウンドからレイランド・カービー(ケアテイカー)めいた“幽霊たちのボールルーム”を引き出した人もいたのだった。たしかに、少し手を伸ばせばボーズ・オブ・カナダやブロードキャストにも届くのかもしれない。が、他方ではエリック・サティのカヴァーもしている彼らのアンビエントには上品な静寂があり、癒やしもあり、滲むように広がるアリス・ハンセンのささやき声は、彼らの美しい空間を演出する一要素として機能している。『降雪列車にあなたの月光帽子を振る』というタイトルはノスタルジーというよりはシュールであって、じっさいこれは詩的な音楽でもある。
まあ、好きなように解釈すればいいだけの話だ。1年の終わりというのはとかく感傷的になりがちで、ひとりでこの音楽に浸るにはもってこいの時期だったりもする。いやー、なにかと疲れました。我々はyahooニュースやそのコメント欄や新聞の見出しのなかに生きているのではない。ときには休息、川辺に佇むことが必要なのだ。
※以下のイアン・F・マーティンによるコラム原稿は、web掲載した〈ラフトレード〉インタヴューと同様、別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』のなかの小特集「UKインディー・ロック/ポスト・パンク新世代」のために寄稿されたものである。今日の状況を知るうえでもシェアすべき原稿なので、ここに再掲載します。
Music for fragmented lives
断片化された生活のための音楽
イアン・F・マーティン(江口理恵・訳)
written by Ian F. Martin / translated by Rie Eguchi

ザ・スミスの再来とも言われ文学性が評価されているフォンテインズ D.C. by Vinters Pooneh Ghana
UKは混乱した、幸せではない場所だ。貧困の拡大、ナショナリズムの高まり、ブレグジットから、選挙民が絶望しながら受け入れた狭量な保守主義まで、大量の新聞の見出しは何かがとんでもなく間違っていること、つまり、孤独な国がパニックに陥って自分自身を抱きしめ、粉々になり、断片となって崩れて行く様子をはっきりと示している。
しかし、このような目に見える衰えの兆候の裏には、目に見えにくいたくさんの不安が隠れている。とくに若者にとっては劇場型のブレグジットによる玄関払いを喰らって、様々な機会が閉ざされるという感覚は、緊縮財政や21世紀の資本主義の不安定な労働条件のなかでもう長いこと続いてきたことだ。ミュージシャンたちにとっては業界が少数のデジタル・インフラの所有者たちのまわりで合体し、音楽がプレイリストのための、哀れなほどの報酬のコンテンツになり下がり、ブレグジットによって引き起こされた欧州ツアーへの財政的、官僚的な障壁もまた、閉ざされた扉のひとつだ。
2019年9月、私はUKをエンド・オブ・ザ・ロード・フェスティヴァルのために訪れた。エンド・オブ・ザ・ロードは英国のインディーズ・フェスティヴァルの最高峰で、爽やかな、またはメランコリックなシンガーソングライターからアフロビート・オーケストラ、ジェンダーフルイドなグラム・エレクトロニカまで、様々なアーティストが出演する混沌とした世界のなかの芸術的でリベラルなバブルのような心地よさがある。しかし、2019年に印象に残ったのは様々なテントやステージから聴こえる音から立ち昇る怒りと、激しい無秩序ぶりだった。カナダのクラック・クラウド、アイルランドのフォンテインズD.C.から、ワイヤーのようなヴェテラン勢がエネルギーに満ちた音を立て、ビルジ・ポンプの粗い、惑わせるように旋回するリフ、Beak>のクラウトロック的なミニマリズム、そしてスリーフォード・モッズの意気揚々とした凱旋のヘッドライナー・セットなど、これらの、またこれ以外のアーティストたちの演奏もポスト・パンク的な緊張感と角のあるスレッド(糸)のようなものに貫かれていた。
この日ラインナップされていた若手の有望株のなかでも、斜めからのポスト・パンク的なアプローチをする4つのバンド、ゴート・ガール、スクイッド、ブラック・ミディとブラック・カントリー・ニュー・ロードが話題になっていた。2年後、彼らが代表する奇妙で興味深い世代の新しいブリティッシュ・ミュージックが育ってきているが、彼らが実際に何を代表しているのかを特定するのは難しい。
音楽史のなかで特定の時代に結びついたタームである、レンズの役割のようなポスト・パンクは、ここで起こっていることの幅を説明するには充分ではないように感じる。これらのバンドは少なくともブレヒトやワイルの伝統にまで遡る部分を持ち、エクスペリメンタル・ロック、No Wave、カンタベリーのサイケデリック・シーン、クラウトロックなど、すべての〝ポスト~〟のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ハードコア、ポスト・ロック)にまで貫かれ、同時にキャプテン・ビーフハート、ジズ・ヒート、ザ・カーディアックス、ライフ・ウィズアウト・ビルディングス他の挑戦的なインディヴィジュアルに活動するアーティストたちにも及んでいるのだ。
しかし、ポスト・パンクをより抽象的に、パンクがイヤー・ゼロの基点からの短い爆発で残した断片をくし刺しにして繋ぎあわせる、音楽を取り戻すプロセスだと考えるならば、今の若いバンドたちは文化的な瓦礫をふるいにかけて規範を過激に覆された後にそれを理解しようとする点で、同じような立場にあるようだ。しかし、パンクの時代とは違い21世紀の文化的な混乱は、若者のカルチャーからではなく、政府と資本主義の構造そのものから来ており、ポスト・パンクや、〝ポスト・パンクド(嵌められた)〟の若いミュージシャンたちは、切断され、断片化された自分たちの置かれている環境下で、扇動者ではなく、犠牲者となっている。
断片化された、断絶的な感覚は、多くの新しいブリティッシュ・ミュージックのなかから聴こえてくる。
ブラック・ミディの音楽の突然の停止や開始、トーン・シフトの多用、1920年代から直近にいたるまでの100年にわたる時間軸から受けた影響などから、それを聴きとることができる。彼らは音楽業界が資金援助をするパフォーミング・アーツの専門学校、ブリット・スクールの卒業生で、学校が提供する施設で実験ができただけでなく、音楽史を学んだことで広い視野にたって音楽を探究する恩恵を受けている。バンド自身もこの背景が与えてくれた特権を痛感しているようで、自分たちが受けた音楽教育を遊び心と小さな喜びを感じながら活用している。
ロンドンのバンド、ドライ・クリーニングの素晴らしいデビュー・アルバム『New Long Leg』には断絶を意味するような、もっとダウンビート(陰気)な感覚がある。控えめだが、微妙にゴツゴツした音をバックに、ヴォーカルのフローレンス・ショーが毎日を無為に過ごしている人の日常の疲れて断絶した、サンドイッチを食べる気力もない、何かを経験することに意義が感じられないという一連のスナップショットをため息交じりに歌う。シニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)の間にある皮肉なギャップ──「あなたは、あれほど汚い裏庭をもつ歯医者を選ぶか?」とアルバムのタイトル・トラックで問いかけ、「選ばないと思う」と応えている。
ブラック・ミディの折衷主義とドライ・クリーニングの倦怠感はまったくの別物に見えるかもしれないが、根無し草のような感覚を共有している。それは、どんなに教育を受けて意識を高めても、自分のしていることでは何も変わらないという無力感や権利の剥奪といった形をとることがあり、敗北の雰囲気のなかにも解放感が感じられたりする。誰も自分のしていることに関心がないのなら、やりたいことを好き勝手にやっていいという免罪符を持っているという感覚だ。
やたらと個々のバンドの意図を決めつけたりするのは危険だが、リスナーとしてはこの世代のバンドの音楽の多くが英国の生活を貫く断絶感と共鳴しているように感じる。ゴート・ガールは政治的なものと生活での体験をさりげなく結び付け、スクイッドは無数の方向にむかって半狂乱で爆発し、シェイムは「自分のものではない世界」に向かって怒りを燃やし、優れたザ・クール・グリーンハウスは皮肉たっぷりの不条理な物語を延々と反復される2音のみのギター・ラインに乗せて表現している。それぞれのやり方で、世界を前にして笑ったらいいのか、泣いた方がいいのかがわからないリスナーの不安と心の急所に触れているのだ。

2021年はセカンド・アルバム『Drunk Tank Pink』も出したユーモアと勢いのシェイム by Sam Gregg
これらのバンドはすべて、何らかの方法で自分たちを取り巻く断片的な世界を理解しようとしている。たとえ、その不条理さに浸って楽しむためだけであったとしても。多くの批評家がザ・フォールの影響の高まりを指摘しているが、それはある意味、ザ・クール・グリーンハウスのトム・グリーンハウスが2020年のDIY誌のインタビューで指摘したように、安易な比較ともいえる。「みんな自分たちをザ・フォールと比較するし、その理由もわからなくはない。それは妥当な比較だとは思うけれど、ザ・フォールはあまりにも多くのバンドに影響を与えてきた存在で、まるでラップのレコードをグランドマスター・フラッシュと比較するようなものだ。彼らはその道のゴッドファーザーだけど、ラップはとても豊潤な世界で、いまはみんながラップの要素を使ってたくさんのことをしているのが現実だ」
彼の言うとおり、ザ・フォールの語りかけるようなヴォーカルと反復するクラウト=パンクのリズムは、本当にあらゆるクリエイティヴな方法で用いることのできるシンプルなツールである。ドライ・クリーニングやヤード・アクト、ドゥ・ナッシング、ガッド・ホイップとビリー・ノーメイツは皆、インディー系の言語を様々な方法で表現している。そしてこのラップとの比較が面白いのは、最近のインディー・ギター・バンドが注力していること、つまりヒップホップが伝統的に得意としてきた──人生における混乱を物語に織り交ぜて意味を持たせる──ことを表現するため、このゆるいヴォーカルの構造がじつにパワフルな方法になりうるからだ。ザ・クール・グリーンハウスはこれらの物語を音楽の中心に据えている。ブラック・カントリー・ニュー・ロードは、道にはぐれた生活のスナップショットを話し言葉による物語として、複雑で騒々しいマリアッチとスリント風のアレンジに織り込んでいるのだ。正式な意味での物語とは言えないかもしれないが、我々は皆、このような断片的な物語をソーシャル・メディアで創造し、フィードに流れてくるノイズを構造化された物語としてではなく、本能的に、感情の質感を読み取っている。
物語は空間のなかにも存在する。「ブラック・ミディの前で、君に愛していると告げた」と、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのアイザック・ウッドは〝Track X〟のなかで情景を描写するように言っているが、冗談のようでありながら、おそらくライヴ会場などの物理的な空間の重要性についても言及しているのだ。断片的な命を一か所に集めて観客がシェアできる経験を創りだすと同時に、バンドたちが共に発展して繋がっていく場所のことを。ブラック・ミディやスクイッドの曲の多くは長尺で、8分強あるものが多い。これらのバンドは、分割してSPOTIFYのプレイリストに組み込まれるための最適さは持ち合わせていない。彼らは、一度の機会にすべてを体験するためにあるバンドなのだ。
独立系の会場がバンドの成長に欠かせないインフラであるとすれば、レーベルもまた役割を担っている。ブラック・ミディ、ゴート・ガール、スクイッドにブラック・カントリー・ニュー・ロードは皆、〈Speedy Wunderground〉レーベルのプロデューサー、ダン・キャリーとの繋がりを持つ。自宅のスタジオで、1日で7インチ・レコードを録音し、ミキシングしてマスタリングするキャリーの作業工程は、自発的でエネルギーにあふれた時代感覚を捉えているし、シングルを非常に限定的にしかプレスしないというレーベルの抜け目のないポリシー(フラストレーションはたまりそうだが)が、〈Speedy Wunderground〉のリリースを期待の高まるイベントにしているのだ。キャリーのような人びとの重要性はカルチャーのなかのノイズをふるいにかけ、新しい、エキサイティングなものに焦点を当て、我々が断片的なもののまわりに物語を組み立てることが可能になることにある。〈Rough Trade〉、〈Warp〉、〈Ninja Tune〉や〈4AD〉のような、影響力があって、いまも独立系であり続けるレーベルの存在がこれらのバンドを次のレヴェルに押し上げて、彼らの物語をさらに幅広いところへ届けることを確約するのだ。
これらのバンドはいずれも、いま、UKで騒がれている豊富な人材のそろった幅広いポスト・パンク層の表面をなぞっているに過ぎない。ガールズ・イン・シンセシスやEsの怒りに満ちたスラッシュから、ハンドル、スティル・ハウス・プランツの実験的ミニマリズム、薄汚れたインディ・アート・パンクのカレント・アフェアーズとウィッチング・ウェイヴズ、心にとり憑く崇高なナイトシフトまで、周囲の混乱や断絶、断片化にもかかわらず、いや、だからこそ、UKから驚くほど豊かな音楽的なクリエイティヴィティが生まれているのだ。
(初出:別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』2021年7月刊行)
