Home > Reviews > Album Reviews > Jana Rush- Painful Enlightenment
「もし誰かが暗い場所にいるなら、このアルバムは素晴らしいリスニングになるかもしれない。そしてそれは鬱というものを反映し……だけどそれは、炎のように燃え上がる、ある種抽象的な情熱なんだ」とヤナ・ラッシュは『ワイアー』誌の8月号で話している。「激しい音と周波数は自分への鼓舞と攻撃性の解釈でもある」
リリース元の〈プラネット・ミュー〉といえば、先日はDJマニーの、レーベル自身の説明文によると「ロマンティックなフットワーク」アルバムを出したばかりで、そして今度はヤナ・ラッシュによる、レーベル自身の説明によると「激しい感情的なジェットコースター」アルバムをリリースした。
1ヶ月ほど前、ぼくは先行リリースされた“Moanin’”を聴いたときに、これはすごい曲だと興奮した。情熱的なビバップ・ジャズの遠吠えのようなサンプリングと武術のようなドラミングにサブベース。この10年、エレクトロニック・ミュージックを前進させた大きな勢力のひとつにシカゴのフットワークがあることは言うまでもない。そもそもはローカルなダンス・バトルのための音楽として開発されたドラミングに特徴を持つこのスタイルは、マイク・パラディナスのキュレーションによって世界に伝達されると、エレクトロニック・ダンス・ミュージックのシーン全般にアイデアと活力を与えた。シカゴ内部ではDJラシャドやRPブーらがそのサウンドを前進させ、近年では食品まつりやジェイリンのようにシカゴ外部の人はアートフォームとしての可能性を追求するようにもなった。そしていま、シカゴのヤナ・ラッシュはこのスタイルの可能性をさらに押し広げて、アルバム1枚分のダンスというよりはより感情豊かなディープな音楽表現へと発展させてみせている。
彼女は新人というわけではない。調べてみると、ロバート・アルマーニやカジミエ、ポール・ジョンソンらシカゴ第二世代の影響のもと13歳から音楽を作りはじめたヤナ・ラッシュのデビューは90年代のなかば、レーベルはゲットー・ハウスの名門〈ダンス・マニア〉だった。大学にも進学し、やがて化学技術者、医療技術者、消防士などさまざまな職を転々としたそうだ。と同時に、彼女は長いあいだ、過労と深刻な鬱病からくる自己嫌悪に悩んできてもいる(彼女が20年近く作品を発表していないのもその影響だろう)。彼女が音楽で復活するのは2017年のアルバム『Pariah』で、ちなみにリリース元は〈Objects Limited〉、マイク・パラディナスのパートナー、ララのレーベルだ。現在ラッシュは石油精製所で化学技術者として働いているというが、本作『痛みをともなう啓発(Painful Enlightenment)』は4年ぶりのセカンド・アルバムで、彼女が自分の鬱病と向き合って制作された作品である。
なにしろ曲名には“自殺念慮(Suicidal Ideation)”なんていうのがあって、しかもこの曲がアルバムの目玉だったりする。アルバムの2曲目に配置されたそれは不快でシュールなポルノ映画のような、じつに奇妙な世界を描写しているわけだが、ジャズ・ギターの破片が壊れた機械のように繰り返される表題曲“痛みをともなう啓発(Painful Enlightenment)”にしても、女のあえぎ声と不吉なジャズ・ピアノの“G-Spot”にしても、シカゴ・クラシックを攪拌機に詰め込んだ“かき乱されて(Disturbed)”なる曲にしても、アルバムには居合抜きのようなドラミングと、そしてなんとも言えない不快な感覚がある。“マインド・ファック(Mynd Fuc)”は、調性を欠いた自由さにおいて、いわばフットワーク版デレク・ベイリーだ。もしくは彼女は、シカゴのゲットー・ハウスとスロッビング・グッリスルの領域とのあいだに回路を開通させている、と言えるだろう。つまり、インダストリアル・フットワークと呼べる何か。いずれにせよ、オウテカのファンを自認するリスナーであれば必聴だろう。
アクトレスのねじれたエレクトロを彷彿させるのは、DJペイパルとの共作“銀河のバトル(Intergalactic Battle)”で、これはアルバム中で唯一ファンキーと呼べる曲かもしれない。フランスのプロデューサー、ナンシー・フォーチューンとの共作“私を狂わせて(Drivin' Me Insane)”はそれこそTGの“ユナイティッド”の後につなげたくなる曲だったりするが、アルバムの最後を飾るDJペイパルとのもうひとつの共作“Just A Taste”の勇ましさが退廃に淫することを拒絶する。
レーベルによれば、このアルバムは「フットワーク・アルバムではない」とラッシュから言われたという。彼女はこう言った。「よりダークなエクスペリメンタル・リスニング・ミュージックのようなものであって、疑うことなく自分自身になる機会なんだ」
シカゴのフットワークはここまで来た。気楽に踊れるアルバムでないし、酔いにまかせて気持ちよくなれる音楽でもない。むしろただただシラフになっていく、そんな作品であるがゆえに好き嫌いは分かれるだろう。が、しかしひとつたしかなことがある。本作は懐かしい過去ではなく、エレクトロニック・・ミュージックの未来に向かっている。
野田努