「New Gen」と一致するもの

型破りの夜 - ele-king

 今年の2月のことである。Zoh Ambaはニューヨーク、ブルックリンの外れ──場所は〈Owl Music Parlor〉で演奏した。開演前、彼女と目が合った瞬間、なにかに見透かされたような気がして、私は思わず笑ってしまった。彼女は一言の躊躇もなく近づいてきて、「Zoh」と名乗った。短く、はっきりと。
 私は東京の音楽メディアで記事を書いていると告げ、編集者から「ぜひ彼女を見てくるように」と言われたことを伝えた。彼女はふっと笑い、少し首を傾けて言った。「サックスで知ったんだろうね」。その言い方には苛立ちと諦め、そしてある種の共感が同居していた。

 たしかに、彼女はサックス奏者だ。自由奔放で、制御不能で、神懸かりのように音を爆発させる──そんなZoh Ambaを私は想像していた。でもその夜、彼女が抱えていたのは、自分の身の丈ほどもあるアコースティック・ギターだった。楽器は違えど、そこにいたのはやはりZohだった。存在感は変わらない。むしろ、より剥き出しで鋭かった。
 オープニングはJohn Roseboro。バンドはなし。ギター一本と声。〈Owl〉の温かい照明の下で、彼のポスト・ボサノヴァ的なプレイが場をやわらかく包み込んでいく。彼の曲は短くて、静かで、驚くほど美しかった。なかでも“How to Pray”と“80 Summers”は、夜にふっと差し込む灯のようで、気がつけば私は、自分の呼吸が浅くなっているのを感じていた。彼は予定よりずっと長くステージに立ち続けた。ついにマイクに向かって尋ねる。「Zoh、もう来る? それとも、僕がもう少し?」
 Zohがステージに現れると、場の空気は瞬時に変わった。ギター、ベース、ドラム──トリオ編成。Zohはストラップをかけ、ギターの弦を強く弾き、叫ぶように歌った。黒のアイライナー、剃り上げた頭。まるで何かを拒絶するかのように。演奏されたのはすべてオリジナル。つい最近、友人と意見がぶつかったことから生まれた曲もあるという。コードは驚くほど単純で、しかし誠実だった。歌詞は詩のようで、“Give Me A Call”や“Child You’ll See”には、彼女の生き方そのものがにじみ出ていた。
 その夜のZoh Ambaは、アメリカーナの風景をまとっていた。ジョン・フェイヒーを思わせるギター、だがそこにはパンクの残響もある。言葉はまっすぐで、ときに観客にも突き刺さった。演奏の途中、席を立った数人に向かって、彼女は軽やかに皮肉った。「おやすみなさい。一番いいところを聴き逃しますね」

 彼女の歌声はときに外れた。ピッチも怪しい。でもそれは、不思議と心地よかった。侘び寂び、とでも言うべきか。不完全なものが持つ美しさ──それは、いまのアメリカでは失われつつある美学だ。ポップスターたちは、すべてをオートチューンに通し、25人のプロデューサーの手を経て完成品を届ける。2024年の選挙以降、シリコンバレーの影はさらに濃くなり、カルチャーさえも制御下に置かれていく。だがZoh AmbaとJohn Roseboroは、そんな回路を一切拒否していた。オートチューンもエフェクトもない。ただ楽器と声。アンプを少しだけ通して、それだけ。彼らはただ、そのままでここにいた。

 Zohはテネシーの山中で育った。森のなかでサックスを吹いていたという。バンジョーとアコースティック・ギター、アパラチアとスモーキー・マウンテン。彼女のルーツには、アメリカの本当の田舎がある。その風景は、2016年以降、政治的に嘲笑の的となってきた。“赤い州”──トランプ支持層──“アメリカの恥”。Zohの出自は、いまやアメリカでもっとも安全に非難できる対象に重なっている。

 それでも彼女は、その土地の音を否定しない。いや、むしろ正面から受け入れている。サックスを置き、ギターを選んだこと──それはただの音楽的選択ではなく、一種の声明だった。民謡的(フォーキー)な、政治の影をかいくぐるような、素朴で誠実な音。そこには、語られぬ抵抗のニュアンスがあった。演奏は政治的スローガンを掲げることもなかった。だがZohの音楽は、彼女自身のルーツをまっすぐに、誰にも媚びることなく肯定していた。

 そう、これはポスト政治でも無政治でもない。むしろ逆だ。彼女の音楽は、あまりに政治的になりすぎたこの国の風景に、あえて何も語らず立ち向かっていた。それはまるで、すべてを語り尽くした後の沈黙のように、重たく、美しかった。

最後にもう一度、彼女の言葉を──
 「そんな小さな心を抱えないで
  上からの声なんか気にしないで
  彷徨いなさい、子よ、君の住処を
  心がすべてを抱えているのだから」

Zoh Ambaは、どんなジャンルにも収まらない。どんな言葉でも彼女を定義できない。ギターを弾こうが、サックスを吹こうが、それは変わらない。〈Owl Music Parlor〉での夜は、そのことを静かに、しかし強く証明していた。

Outside the Box: An Evening with Zoh Amba on Acoustic Guitar
by Jillian Marshall

Zoh Amba performed at the Owl Music Parlor in Brooklyn, New York this February. The musician and I made eye-contact before the show started, and she immediately introduced herself to me. I told her I write for a music magazine in Tokyo, and that my editor recommended that I see check her out. She shook her head in a mix of what seemed to be frustration and understanding, and said that he must know her from her work on saxophone. She was right, although at The Owl she was playing guitar: an instrument nearly as tall as her. But this isn’t to say that she didn’t have a large presence. From that first interaction to the hug she gave me after the show as I was leaving, I was impressed with her honest, no-nonsense attitude that — yes— has defined her both sound as a free-jazz tenor saxophonist and her work on guitar.
Fellow guitarist John Roseboro opened for her, playing solo without his usual backing jazz combo. His beautiful post-Bossa Nova playing and singing cast a gentle glow over The Owl’s cozy atmosphere, and his original pieces (like the stunningly gorgeous “How to Pray” and “80 Summers”) were like delicious little lullabies. Zoh Amba was set to play forty five minutes later, but after an hour of playing John asked into his microphone: “Zoh, when are you coming on? Should I keep playing?”
When Zoh did come on, the established mood gave way to something more charged. Playing in a trio with a bassist and a drummer, Zoh strummed and picked her acoustic guitar while belting into the microphone with her signature black eye-liner and shaved head. Her set was comprised of all originals, some nearly brand new— like one, she explained, that was inspired by disagreement with a friend from just a few weeks prior. The chords were simple and beautiful, and her lyrics (like on “Give Me A Call” and “Child You’ll See”) were poetic homages to authentic living. Although her sound on guitar that night was very folksy — sounding at times like American roots guitarist John Fahey — it retained an avant-garde, anti-establishment, punk- adjacent sensibility... especially since she playfully heckled a few people who got up to leave in the middle of her performance: “Hey, have a good night, but you’re missing out on the best part!”
Perhaps it’s because of her performance’s rawness. At times, her singing was pitchy and even out of tune, yet it was undeniably pretty in a wabi-sabi sort of way. There’s something refreshing— and perhaps even resistance-coded — about human beings making music with instruments and real, unfiltered voices. This is particularly true in today’s America (and world), where pop stars run everything through auto-tune as per the direction of twenty-five producers in a studio, and the presence of tech oligarchs has looms larger than ever since the 2024 election. But Zoh Amba and her guitar (as well as John Roseboro, for that matter) have no such meddling: no autotune, no production affects, no mediation besides some light amplification. They simply show up, and grace the audience with their pure artistry.
Zoh Amba grew up in the mountains of Tennessee, and is famously quoted as saying that she practiced her tenor saxophone in the woods. The thing about Tennessee— a rural state famous for the Appalachian and Smokey Mountain Ranges, as well as American folk music with its banjos and acoustic guitars— is that it’s also a red (republican-leaning) state. Americans associate red states, particularly since Trump’s first election in 2016 when the US’s political divide became officially cataclysmic, with backwater hicks: bad, racist white people who are responsible for America’s political embarrassments. And as I’ve written before, this is the one group in America it remains entirely politically correct (or perhaps even encouraged) to rip apart.

So Zoh Amba putting down the saxophone and picking up the guitar— something she seemed adamant about defending when we chatted before the show— seems somehow political to me. The music she played at The Owl Music Cafe wasn’t necessarily revolutionary in the way of her free jazz on saxophone. But its simplicity, and the authenticity with which she played, were both stirring and provoking. Although her set didn’t reference contemporary American politics or the ways in which rural America is disenfranchised, her set at The Owl Music Parlor seemed like an expression of her heritage: a celebration of those pre-political, beautiful, natural aspects of American folklore, complicated though Americana may be. Ultimately, her set reminded me of how important it is to remember that government is not representative of people, of heart, of culture. As she sang out on “Child You’ll See”, “To carry around such a little mind / Don’t listen to those folks above, just wander child in your abode / The heart is the center, it holds it all.”
Zoh Amba can’t be put in a box, no matter what she plays. Her show at The Owl Music Parlor was a testament to that.

new book - ele-king

 批評家にしてビートメイカー、そしてMCでもある吉田雅史の新しい単著、『アンビバレント・ヒップホップ』が本日3月7日、ゲンロンより刊行される。アメリカだけでなく日本のラッパーについても紙幅が費やされているが、各章のタイトルを眺めてみると「フロウ」「ビート」といった音楽的なテーマはもちろん、「リアル」「オーセンティシティ」「風景」といった興味深い切り口も用意されている。ヒップホップやそれをとりまく状況について考えたいとき、いろいろとヒントになってくれそうな本だ。電子批評誌『ゲンロンβ』での連載をもとにしつつも、大部分が書き下ろしという気合いの入った1冊。ぜひ手にとってみよう。

吉田雅史
アンビバレント・ヒップホップ

ゲンロン
四六判並製/424頁

特設ページ
https://webgenron.com/articles/ambivalent-hiphop

2月のジャズ - ele-king

Moses Yoofee Trio
MYT

Leiter / 森の響

 アメリカやイギリスに比べてシーンは大きくはないが、ドイツは昔からジャズが盛んな国である。そんなドイツのベルリンから登場したのがモーゼス・ユーフィー・トリオである。モーゼス・ユーフィー・ヴェスター(ピアノ)、ノア・ファーブリンガー(ドラムス)、ロマン・クローブ(ベース)からなるトリオで、2020年に結成して、2023年にミニ・アルバムの『Ocean』をリリース。モーゼスはアフロ・バンドのジェンバ・グルーヴの『Susuma』(2022年)に参加するなど、ジャズに限らないフィールドで活動してきた。ノアはインディ・ロック・バンドのフィベルに参加し、ヒップホップ寄りのミクスチャーなソロ・アルバムを出していて、ロマンはジャズ~ヒップホップ系トラックメイカーのS・フィデリティによるプロジェクトに参加するなど、3名とも伝統的なジャズと何か別の音楽的要素を融合する方向性を持つ。『Ocean』はそんな3人の持ち味が出た作品で、ジャズ、ヒップホップ、ロック、クラブ・サウンドなどが結びついた世界を見せた。3人というコンパクトでシンプルな編成ながら、極めて緊密で濃度の高い演奏を見せ、タイプとしてはロバート・グラスパー・トリオからゴーゴー・ペンギンバッドバッドノットグッドなどへと繋がるサウンドと言える。ノアのヒップホップを咀嚼しながらも極めて自由度の高いドラミングに見られるように、即興演奏の要素もとても強い。そして、アコースティックとエレクトリックの結びつきも強固で、人力ドラムンベースや人力ダブステップ調のナンバーもある。

 2024年にドイツ・ジャズ・プライズのライヴ・アクト・オブ・ザ・イヤーを獲得した彼らは、同年4月にシュトゥットガルト郊外の田園地帯にあるスタジオに入り、10日間かけてレコーディングをおこなった。そして完成したのが、彼らにとって初のフル・アルバムとなる『MYT』である。“Into You” はJ・ディラ的なズレ感のあるヒップホップ・ビートを軸に、メロウネスに富むピアノやスペイシーなSEがフィーチャーされる、MYTらしさを象徴するナンバー。“Ridgewalk” はブロークンビーツとドラムンベースを掛け合わせたようなビートを持ち、ベース・ギターがデジタルなフレーズを奏でるエレクトロ・ジャズ。クラブ・サウンドとも親密なMYTの側面を示している。“Green Light” はアフロビートを咀嚼したようなリズムで、女性MCをフィーチャーして南ロンドンのエズラ・コレクティヴあたりに通じるジャズとR&Bが融合した世界。“Bond”はリリカルなピアノ・ソロに始まり、人力ドラムンベースへと展開していく。南ロンドン勢で比較すればアシュリー・ヘンリーに近いタイプの美しい作品だ。“Push” もクラブ・サウンド寄りのジャズ・ファンクで、アコースティックな演奏ながらデジタルな質感を生み出す点はゴーゴー・ペンギンのアプローチに近い。一方、“Show Me How” はサンプリングも交えたサウンドで、彼らが標榜するアコースティックとエレクトロニックの融合を強力に推進している。


James Brandon Lewis
Apple Cores

Anti

 ニューヨークを拠点に活動するジェイムズ・ブランドン・ルイスは、カリフォルニア芸術大学でチャーリー・ヘイデンやワダダ・レオ・スミスに師事し、ハワード大学にも学んでファイン・アートの修士を獲得したというサックス奏者。2012年からニューヨークに移り住み、デイヴ・ダグラス、ジュシュア・レッドマン、アルアン・オルティス、チャド・テイラー、ブラッド・ジョーンズ、ハンク・ロバーツ、トニー・マラビー、マリリン・クリスペルらと共演してきた。ニューヨークにおいてはマーク・リボー、キップ・ハンラハン、アート・リンゼイらの流れを汲んだ位置にある人物と言え、フリー・ジャズからラテン、ファンク、ヒップホップ、ゴスペルなどのミクスチャー感覚を持つ。自身のトリオやカルテットはじめ、クリフス、オリエンテーション・オブ・ウィなど様々なバンドでも活動するが、2020年代に入ってからはチャド・テイラー、ウィリアム・パーカーらとレッド・リリー・クインテットを結成し、ブルースやゴスペル、ブラス・バンドなどの要素を打ち出した『Jesup Wagon』(2021年)やマヘリア・ジャクソンに捧げた『For Mahalia, With Love』(2023年)をリリースし、特に『Jesup Wagon』はジャズ・レジェンドのソニー・ロリンズからも高く評価されたことが知られる。2024年にはワシントンDCの伝説的パンク・バンドであるフガジのメンバーが結成したザ・メスセティックスと共演し、〈インパルス〉からアグレッシヴなジャズ・ロック・アルバムをリリースしたことも話題となった。

 そんなジェイムズ・ブランドン・ルイスの新作『Apple Cores』は、盟友のドラマーであるチャド・テイラーと、同じく共演経験のあるベーシストのジュシュ・ワーナーによるトリオ・セッション録音。オーネット・コールマンの “Broken Shadows” を除いてオリジナル曲が収められていて、“Five Spots To Caravan” はドン・チェリーとオーネットが1959年に演奏をおこなったニューヨークのライヴ・ハウスであるファイヴ・スポッツにちなんだもの。キャラバンもオーネットの故郷であるテキサスのキャラバン・オブ・ドリームス・パフォーミング・アーツ・センターにちなんでいる。“Remember Brooklyn & Moki” のモキとはドン・チェリーの妻で画家/アーティストであるモキのことで、チェリーに対するインスピレーションがさまざま感じられる。アルバム・タイトルは詩人のアミリ・バラカによるコラムから名づけられており、ジェイムズ・ブランドン・ルイスが影響を受けた先人たちへのオマージュが綴られた作品と言える。“Prince Eugene” はチャド・テイラーがジンバブエの民俗楽器であるムビラを演奏し、ジュシュ・ワーナーがレゲエ/ダブのベース・ラインを奏で、ジェイムズ・ブランドン・ルイスのテナー・サックスが悠久のグルーヴを生み出していく。


Glebe
Gaudí

Daggio

 グリーブはイギリスの新しいジャズ・ユニットで、リーズ音楽院でギタリストのキーラン・ギュンターとピアニストのクリス・ブランドが出会ったことからはじまった。卒業後に本格的に活動をはじめ、パット・メセニーから多大な影響を受けてデビュー・アルバムとなる『Gaudí』をリリースした。演奏はふたりのほかにサックス奏者のドム・プジー、ドラマーのフィリッポ・ガリ、ベーシストのジャック・タスティンが参加。さらに楽曲ごとにソプラノ・サックスとフルートのトム・スミス、ヴォーカリストのタラ・ミントン、クレア・ウィーラー、フランチェスカ・コンフォルティーニがゲスト参加する。アルバム・タイトルはスペインの建築家のガウディを指しているが、彼の故郷であるカタロニア地方の美しい景色を連想させるアルバムだ。

 アルバム全体としては、パット・メセニーとライル・メイズによるパット・メセニー・グループの初期作品を思わせるもので、特に10分を超す “Ruby” はタラ・ミントンのワードレス・ヴォーカルをフィーチャーして天上へと誘う、まるで聖歌のような作品。ミルトン・ナシメントに代表されるブラジルのミナス音楽が持つ教会音楽的な雰囲気もあり、パット・メセニーと交流の深いギタリストのトニーニョ・オルタを彷彿とさせる楽曲だ。“L’lseran” もミナス風の楽曲で、ソプラノ・サックスの澄んだ音色がミナスを代表するサックス奏者だったニヴァルド・オルネラスを想起させる。


Marshall Allen
New Dawn

Week-End

 昨年末にサン・ラー・アーケストラの新作『Lights On A Satellite』を紹介した際に触れたが、バンド・リーダーであるマーシャル・アレンの個人名で初のソロ・アルバムとなる『New Dawn』がリリースされた。メンバーはアーケストラのアレンジャーを務めるノエル・スコットほか、セシル・ブルックス、マイケル・レイなど、ほぼアーケストラのメンバーが務めており、アーケストラのスピン・オフ的な作品とも言える。それ以外ではオーネット・コールマンとの活動で知られ、1980年代にファンクやR&Bを取り入れたコスメティックというバンドで一世を風靡したベーシストのジャマラディーン・タクマと、時代時代によってパンク、ニューウェイヴ、ヒップホップ、ブリストル・サウンド、ジャズなど縦横無尽にコミットしてきたシンガーのネナ・チェリーがフィーチャーされている。ネナ・チェリーはドン・チェリーの娘ということで、マーシャル・アレンとは何らかの接点があったのだろう。

 そのネナ・チェリーが歌うタイトル曲の “New Dawn” は、ストリングスなどをフィーチャーしたムーディーなバラードで、この曲に代表されるように1950年代のムード音楽と古典的なスタイルのジャズの雰囲気をまとっている。“African Sunset” もスペイシーなSEを織り交ぜながらも、スタイルとしては1950年代のエキゾティック音楽やイージー・リスニング。アヴァンギャルドなイメージが先行するサン・ラー・アーケストラだが、実際のところ根底にはこうしたオールド・ジャズやムード音楽などがあったということを改めて示している。途中で即興的なサックス・ソロが登場する “Sonny’s Dance” はサン・ラーのことを指しているのだろうか。また、サン・ラーの代表曲である “Angels And Demons At Play” もやっているが、これがかなりダビーな解釈で興味深い。そうしたなかで、アフロ・キューバン的な風味に富む “Boma” が異彩を放つ。サン・ラーにはあまりないタイプの楽曲で、ギターとストリングスによって緊迫感のあるムードを盛り立てていく。

Whatever The Weather - ele-king

 昨年は二度目の来日公演が実現、mouse on the keysのライヴへの出演も話題を呼んだロレイン・ジェイムズ。そのアンビエント・プロジェクト、ワットエヴァー・ザ・ウェザーのセカンド・アルバムがリリースされることになった。3月14日、おなじみの〈Ghostly International〉から発売(CDは日本盤のみ)。現在、新曲 “12°C” のMVが公開されているが、このヴィデオもジェイムズ本人が手がけたものだという。アルバム、楽しみにしておきましょう。
 なお、ファースト・アルバムのレヴューはこちらから。

Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!先行ファースト・シングル「12°C」がMVと共に公開!

Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているサウス・ロンドンのプロデューサー、Loraine Jamesのアンビエント志向のエイリアス、Whatever The Weatherの待望のセカンド・アルバムが3/14にGhostly Internationalからリリース決定!

そして先行ファースト・シングル「12°C」が公開されました。この曲はアルバムのクロージング・トラックで、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、魂を揺さぶるような充実感を生み出している感動的な楽曲です。Loraine本人が手がけたミュージック・ビデオも同時に公開されております。

Whatever The Weather new single “12°C” out now

Whatever The Weather – 12°C (Official Video)
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=p4BgcSlKd0g

The video was self-made by Loraine James.

Whatever The Weather new album “Whatever The Weather II” 3/14 release

Artist: Whatever The Weather
Title: Whatever The Weather II
Label: PLANCHA / Ghostly International
Cat#: ARTPL-230
Format: CD
Release Date: 2025.03.14
Price (CD): 2,200 yen + tax

※日本独自CD化
※ボーナス・トラック1曲収録
※解説付き予定

WTW第二章!Festival de FRUE、STAR FESTIVALを含む2度の来日ツアーも果たし、ここ日本でもジャンルの垣根を超え支持を得ているLoraine JamesのWHATEVER THE WEATHER名義での待望のセカンド・アルバムが完成!

ロンドン拠点のLoraine Jamesは、エレクトロニック・ミュージックの第一人者として名を馳せる一方、洗練された作曲、骨太な実験、予測不可能で複雑なプログラミングを融合させることで、そのサウンド・アイデンティティを確立してきた。名門レーベルHyperdubからリリースされる彼女の本名名義での作品は、IDMの影響を受け、ヴォーカルを多用したコラボレーションが多いのに対し、別名義であるWhatever The Weatherでは印象主義的で内面的な視線のアプローチをみせている。セカンド・アルバムとなる『Whatever The Weather II』では、催眠術のようなアンビエンスから、斑模様のリズム、日記的なフィールド・レコーディングの切り刻まれたコラージュまで、重層的なテクスチャーの豊かな世界がシームレスに流れていく。その結果、デジタルとアナログのさまざまな方法で加工された有機的な要素と人間的な要素の説得力のある結合から生まれた、独特の分断された美しさが生まれた。

レコーディング時の「感情の温度」に基づいて『Whatever The Weather』というタイトルをつけたが、彼女はレコーディングされた作品を改めて聴くと温度計の温度とは全く別の場所に感じられることがよくある、と述べている。それは環境の気まぐれであり、前作とその南極のイメージに比べれば、本作『Whatever The Weather II』は暖かい作品である。それは、再びCollin Hughesが撮影したジャケット写真の砂漠の気候や、Justin Hunt Sloaneがデザインしたパッケージが物語っている。また、両アルバムに共通しているのは、友人でありコラボレーターでもあるJoshua Eustis (aka Telefon Tel Aviv)のマスタリング作業で、彼は複雑な音に鋭い耳を傾け、驚くほど立体的なサウンド体験を作り上げている。

アルバムの冒頭を飾る「1°C」では、Loraineが「ちょっと肌寒いね…夏になるのが待ち遠しいよ」と話し、粒状の音と散在するヴォーカル・サンプルの層が浮かび上がる。この言い表せないムードは「3°C」にも引き継がれ、高周波の振動がステレオ・フィールドを飛び交い、力強くミニマルなキックが壊れたスピーカー・コーンを揺らし、広々としたシンセのハーモニーがはじけ、霧の中に消えていく。アルバム中最も長尺の「20°C」は、会話とマイナー・キーのコードの喧噪の中で白昼夢を見た後、グリッチでスタッカートなパーカッション・パターンの連続が花開く。「8°C」は、最小限の対位法で彩られた、1つのさまようようなキーボード・ラインに乗っている。これらの瞬間、Loraineは拡散するアイデアから難なく秩序を導き出し、遊び心のある自発性が共通の糸を生み出している。

このプロジェクトについて語る上で、最初の『Whatever The Weather』LP(Ghostly, 2022年)は『Reflection』(Hyperdub, 2021年)と同時期に制作されたこと、そして彼女の2つの音楽的心構えの間にはある程度のスタイルの相互作用があったことを指摘している当時、彼女はPitchforkのPhilip Sherburneにジャンルに対する思いを語り、「そう、私はIDMを作るほとんどの人とは違って見えるかもしれないし、違う時代から来たけれど、その言葉が否定的か肯定的かはあまり気にしていない。私の音楽はIDMだと思うし、他のものからインスピレーションを得て、それを融合させながら自分なりのアレンジをしている」。今回は、数か月間、この別名義とその特徴の開発に集中してエネルギーを注いだ。コラボレーターはおらず、ビートは少なく、主に本能と即興に基づいたプロセスだった。

このアルバムの特異なサウンドは、彼女がソフトウェアよりもハードウェアを好んだことに起因している。シンセサイザーのバッテリーは、ほとんどオーバーダビングされることなく、数々のペダルによって変調、変形、再構築され、各アレンジメントが作成された瞬間に効果的に固定されている。ポスト・プロダクションでは、アーティストが最も重要視しているシーケンスに最大の努力が払われた。全体として、この組曲は、季節の移り変わりと自然主義的な優美さの感覚にふさわしい満ち引きを見せる。

この曲では、東京の遊び場にいる子供たちの心に響くエコーが、断続的に鳴り響く静寂を突き抜け、オフキルターな泡のような音色に包まれる。ここでLoraineは、彼女の多くの強みのひとつである、大胆不敵な音のコラージュへのアプローチを、野心的な実験と驚きに満ちたテンポによって高めている。同じ音空間に長く留まることに満足しない「15°C」は、ソフトなパッドと輝くカウンター・メロディが続き、突然、回転する機械の中の緩んだ部品を模倣した、耳障りで周期的なリズムが加わる。 Loraineの作品の多くがそうであるように、彼女の手によってのみ意味をなす内部論理を帯びている。
クロージング・トラックの「12°C」は、賑やかな人間空間から具体的なグルーヴへと漂い、メロディとテクスチャーを織り交ぜながら、実に珍しい、魂を揺さぶるような充実感を生み出している。その最後の瞬間、私たちは初めて、彼女のピッチシフトした声の上で、物憂げなアコースティック・ギターと優しく指でタップするビートを耳にする。これは、皮肉な曖昧さでアルバムを締めくくるコールバックであり、地平線の向こうにさらに何かが見つかるというヒントである。『Whatever The Weather II』には、まるでネガフィルムのような形式的な構成と、ウィット、インテリジェンス、そしてスキルで常識を覆すような、そんな魅力的な箇所がに満ちている。

マスタリングは引き続きTelefon Tel AvivことJoshua Eustisが担当。CDリリースは日本のみで、ボーナス・トラックが追加収録。

Track list:
01. 1°C
02. 3°C
03. 18°C
04. 20°C
05. 23°C (Intermittent Sunshine)
06. 5°C
07. 8°C
08. 26°C
09. 11°C (Intermittent Rain)
10. 9°C
11. 15°C
12. 12°C
13. null (Bouns Track for Japan)

Loraine James // Whatever The Weather

ロレイン・ジェイムス(Loraine James)はノース・ロンドン出身のエレクトロニッック・ミュージック・プロデューサー。エンフィールドの高層住宅アルマ・エステートで生まれ育ち、母親がヘヴィ・メタルからカリプソまで、あらゆる音楽に夢中になっていたおかげで、エレクトロニカ、UKドリル、ジャズなど幼少期から様々な音楽に触れることとなる。10代でピアノを習い、エモ、ポップ、マス・ロックのライヴに頻繁に通い(彼女は日本のマスロックの大ファンである)、その後MIDIキーボードとラップトップで電子音楽制作を独学で学び始める。自宅のささやかなスタジオで、ロレインは幅広い興味をパーソナルなサウンドに注ぎ込み、やがてそのスタイルは独自なものへと進化していった。
スクエアプッシャーやテレフォン・テル・アヴィヴといった様々なアーティストやバンドに影響を受けながら、エレクトロニカ、マスロック、ジャズをスムースにブレンドし、アンビエントな歪んだビートからヴォーカル・サンプル主導のテクノまで、独自のサウンドを作り上げた。
彼女は2017年にデビュー・アルバム『Detail』をリリースし、DJ/プロデューサーであるobject blueの耳に留まった。彼女はロレインの才能を高く評価し、自身のRinse FMの番組にゲストとして招き、Hyperdubのオーナーであるスティーヴ・グッドマン(別名:Kode 9)にリプライ・ツイートをして、Hyperdubと契約するように促した。それが功を奏し、Hyperdubは2019年に彼女独特のIDMにアヴァンギャルドな美学と感性に自由なアプローチを加えたアルバム『For You and I』をリリースし、各所で絶賛されブレイク作となった。その後『Nothing EP』、リミックス、コラボレーションをコンスタントにリリースし、2021年に同様に誠実で多彩なフルレングス『Reflection』を発表。さらなる評価とリスナーを獲得した。2022年には1990年に惜しくも他界したものの近年再評価が著しい才人、Julius Eastmanの楽曲を独自の感性で再解釈・再創造した『Building Something Beautiful For Me』をPhantom Limbからリリースし、初来日ツアーも行った。そして2023年には自身にとっての新しい章を開く作品『Gentle Confrontation』をHyperdubから発表。これまで以上に多くのゲストを起用しエレクトロニック・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとって現時点での最高傑作として様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連ねた。

そしてロレインは本名名義での活動と並行して、別名義プロジェクトWhatever The Weatherを2022年に始動した。パンデミック以降の激動のこの2年間をアートを通じて駆け抜けてきた彼女はNTSラジオでマンスリーのショーを始め、Bandcampでいくつかのプロジェクトを共有し、前述のHyperdubから『Nothing EP』と『Reflection』の2作のリリースした。そして同時に自身が10代の頃に持っていた未知の創造的な領域へと回帰し、この別名義プロジェクトの発足へと至る。Whatever The Weather名義ではクラブ・ミュージックとは対照的に、キーボードの即興演奏とヴォーカルの実験が行われ、パーカッシヴな構造を捨ててアトモスフィアと音色の形成が優先されている。
そしてデビュー作となるセイム・タイトル・アルバム『Whatever The Weather』が自身が長年ファンだったというGhoslty Internationalから2022年4月にリリースされた。ロレインは本アルバムのマスタリングを依頼したテレフォン・テル・アヴィヴをはじめ、HTRK(メンバーのJonnine StandishはロレインのEPに参加)、Lusine(ロレインがリミックスを手がけた)など、アンビエントと親和性の高いGhostly Internationalのアーティスト達のファンである。
「天気がどうであれ」というタイトルにもちなんで、曲名は全て温度数で示されている。周期的、季節的、そして予測不可能に展開されるアンビエント~IDMを横断するサウンドで、20年代エレクトロニカの傑作(ele-king booksの『AMBIENT definitive 増補改訂版』にも掲載)として幅広いリスナーから支持を得た。

Doechii - ele-king

 優雅さ、成熟、成長、そして知恵を象徴する深い緑。フォレスト・グリーンやエヴァーグリーン、ディープ・モスグリーンとも呼ばれるその色は、美しい黒い肌に重ねることで、さらに贅沢な魅力を放つ。そんな黒い肌の美しさを持つDoechiiが、グッチ柄のブラウンスカートにフォレストグリーンの薄底アディダス・スニーカーをアクセントにして、深夜トーク番組〈ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア〉のステージに立った。彼女を支える3人のダンサー兼シンガーたち(ここでは「彼女の姉妹たち」と呼ぼう)とともに、交差する円と三角形を編み込んだ髪でつなぎ、共通の祖先を思わせるフォーメーションを形成。彼女は『Alligator Bites Never Heal』から2曲をメドレーで披露し、2024年のテレビ界においてもっともバイラルな瞬間を作り上げた。完璧に計算された振り付けのなか、Doechiiは汗ひとつかかず、瞬きすらせずにその流れるようなラップを届ける。その技術の極致、そしてそれを超える完璧への執念がそこにあった。言葉の数学における自信、それはYasiin BeyやBeyoncéのようなアーティストのなかにしか見られない稀有なものだ。

 アルバム『Alligator Bites Never Heal』のジャケットには、エヴァー・グリーンの背景に木製の椅子に座るDoechiiの姿がある。その姿はアサンテ族の王を思わせ、彼女の膝にはアルビノのワニが鎮座している。そこには王者の威厳がある。
 アルバムは芸術作品であると同時に、ステージ上の輝きへの青写真でもある。同時代人であるタイラー・ザ・クリエイターもまた、アルバムごとにそのような魔法を実証してきた。最近の『Chromakopia』もそのひとつで、それは解きほぐし、観客の前で理解されるべき物語なのだ。

 今日のミュージシャンとラッパーはもはや同じものではない。かつて両者を同列に置くことにためらいはなかったが、その溝は広がり続けている。多くの者がただ良いビートを待つなかで、ミュージシャンたちはその多才さを保ち、革命的な思考によって楽曲が変容する魔法を理解している。〈コルベア・ショー〉が放送された直後、有名なインターネット放送〈タイニー・デスク・コンサート〉でDoechiiが9人の女性バンドと共演する最新プログラムが公開された。その空気感(ヴァイブス)はニューオーリンズのジャズ・バンドやファンカデリックを思わせるもので、彼女とバンドの一体感は、まるで生まれたときから一緒だったかのようだった。それは単なる一夜限りのコンサートというよりは、完全なる調和の産物だった。

 Doechiiの芸術は、現代のカラオケ的なラップ文化の対極にある。ステージでラップを偽装するバック・トラックは不要で、彼女にはパフォーマンスへの恐れがない。その存在は清涼剤のようで、ケンドリック・ラマーが彼女を「最強だ」と称した理由も頷けるというものだ。メディア嫌いで知られるケンドリックが誰かを公に称賛することは稀だ。そのため、多くの人びとが『Alligator Bites Never Heal』を今年のベスト・アルバム——いや、ミックステープと呼ぶべきだろうか——に挙げることも不思議ではない。だが、その区別は重要だろうか? もしミックステープがこれほど優れているなら、アルバムはもう必要ないだろう。

 19曲が収められたこのミックステープを思い浮かべると、ブラウンとエヴァー・グリーンで彩られた図書館が想像される。各短編がグッチのプリントで包まれ、Doechiiはまるで司書のようだ。なぜか? ケンドリック、バスタ・ライムス、エミネム、ア・トライブ・コールド・クエストらを模倣する能力が、彼女のソリッドで完璧なフローに絡み合っているからだ。
 ラップの各時代をスラップの限り大胆不敵に表現し(“”Boom Bap”)、韻の遊び心を蘇らせ(“Denial is a River“)、バスタ・ライムス(“Catfish”)に敬意を表し、90年代のR&B(“Wait”)でさえもフィール・グッドに仕上げ、フランク・オーシャンの芳香を発散するタイトル・トラックで締めくくる。ここでの模倣は才能の欠如ではない。多くの世代を育ててきたジャンルへの愛を示している。昨年(2023年)はヒップホップ50周年だったことを忘れてはならない。Doechiiはまた図書館司書のように、どの世代ともっともヴァイブが合うかを選び、それを音楽に反映させることができる。しかし、それは怠慢ではなくリスペクトだ。それは愛であり、ディスることではない。それは無能さではなく、多才さを意味している。

 もし『Alligator Bites Never Heal』のリリース直後にこれを書いていたなら、あるいは彼女の過去のヌード・ミュージック・ヴィデオ(“Crazy”)に影響されていたなら、この文章は異なっていただろう。だが、この原稿をリリースから数ヶ月後に記した自分に満足している。彼女の美意識、彼女の芸術、彼女の立ち振る舞いを知ることで、自分は満たされているからだ。そして彼女が「正式な」デビュー・アルバムを来年リリースしようとも、このミックステープが彼女をさらなる高みへと導く階段であることに変わりはない。


Symbolic in purveying elegance, maturity, growth, and wisdom, dark green which might be labeled forest green or evergreen or deep moss green, is also a luxurious color against beautiful, black skin. Doechii`s beautiful, black skin, in this case with no assumption. Armed in Gucci-patterned brown skirts with forest green thin-soled women`s Adidas as an accent, Doechii graced the stage of The Late Show with Stephen Colbert with her trifecta of dancer-singers (I will call them from here on her “sisters”).
In formation forming an interchanging circle and triangle, linked to each other by braided hair, our common ancestry, Doechii gave one of the most viral moments on standard tv for 2024 with a medley of 2 tracks from Alligator Bites Never Heal. Choreographed to the T, Doechii without breaking a sweat, delivered her flows without blinking an eye. Perfection of her craft with perfection on her mind. An air of confidence in word mathematics that we don’t see so much now except in performances like with Yasiin Bey and Beyonce.

The cover of Alligator Bites Never Heal has Doechii seated before the wisdom of an evergreen background in a wooden chair that reminds me of an Asante king. With her albino alligator on her lap, majesty there seems to be.

Albums act as pieces of art and also templates for the oncoming brilliance of the stage. Tyler the Creator, a similar contemporary, has demonstrated that kind of magic with every album, each one including the recent CHROMAKOPIA, a tale to be unraveled and then understood better in front of an anticipating audience.

Musicians and rappers are not the same anymore. I never hesitated before to keep both titles together but the gap between them is widening. Too many just waiting for a good beat. Musicians never wait maintaining their versatility understanding the magic of a song can metamorphosis just by a revolutionary thought. Only several moments after the Colbert show debuted, the famous Tiny Desk Concerts released their newest program with Doechii backed by a 9 piece all female. The vibes reminded me of New Orleans jazz bands and Funkadelic. The pin point, stop on a drop, symbiosis together with Doechii felt like 10 individuals born together instead of a one off concert. Such was their unity.
Doechii`s art is the antithesis of the current karaoke rap tribe. No need for a backing track on stage to fake rapping to, Doechii has no fear of performing. A breath of fresh air, there’s a good reason King Kendrick himself shouted out Doechii as “the hardest out.” A nod the media shy artist rarely gives to anyone. Some people are already considering Alligator Bites Never Heal the album of the year, excuse me, mixtape of the year. Does it really matter? If mixtapes are this good, I don`t need albums.

Peering into the 19 track mixtape, I imagine a brown and evergreen library with each short song covered with gucci prints. I imagine Doechii as a librarian. Why?
Intertwined in her solid, flawless flow, is her ability to mimic other famous rappers like Kendrick, Busta Rhymes, Eminem, and A Tribe Called Quest - often in the same song like “Denial is a River.” Like a librarian, inserting rap culture and nostalgia seamlessly. All love, no dissing, fearless to rep for each period of rap as long as it slaps (“Boom Bap”), reviving the playfulness of the rhyme (“Denial is a River”), paying respects to the Busta of all Rhymes, Busta Rhymes (“Catfish”), and even the feel good 90`s R&B (“Wait”) and ending with the title track emanating the Cali-vibes of Frank Ocean.
Mimicking here isn`t lack of talent. It`s showing all love for the genres that have raised many generations now. Let`s not forget that last year (2023) was the 50 anniversary of hip hop and it totally makes sense that such an artist as Doechii would appear now. Doechii can, again like a librarian, pick and choose what generation she vibes with the most and reflect that in her music. But its respect, not laziness. It`s love, not dissing. It`s versatility, not ineptitude.

I`m so glad that I didn`t pen these words the day after Alligator Bites Never Heal`s release. And I`m so glad that her past nude music videos didn`t educate my curiosity when I penned these words months after her release. And I`m content with her hyper-conscious view of beauty with her art, with her look, and with her sashay before I penned these words. And I`m nourished knowing she is free to create whatever she wants with her “official” debut album coming next year while Alligator Bites Never Heal stands has her stairway upward.

特集:テリー・ライリーの“In C”、そしてミニマリズムの冒険

ラ・モンテ・ヤング/アメリカン・ミニマリズム/アフロ・ミニマリズムの故郷、ブルース/JBと「ファンク」という魔法/CAN/ブライアン・イーノにおける「ミニマル」/ポスト・パンクによるミニマルの極限、ワイアー/サン・ラーにおける不規則な反復/アシッド・ハウスが切り開いた「ミニマリズム」の行方/マラリア!からカラ‐リス・カヴァーデイルへ/DJプレミアとJ・ディラ/ババトゥンデ・オラトゥンジ/ヨーロッパの旅、クラフトワークからミカ・ヴァイニオへ/ドリーム・ポップと接続するグリッチ

2024年ベスト・アルバム30発表

菊判218×152/160ページ
*レコード店およびアマゾンでは12月20日(金)に、書店では12月25日(水)に発売となります。

▶刊行のお知らせ:
エレキング年末号は、ジェフ・ミルズの予言通りの “ミニマリズム” 特集です

目次

特集:テリー・ライリーの“In C”、そして、ミニマリズムの冒険

マキシマリズム時代のミニマリズム(野田努)

インタヴュー テリー・ライリーを訪ねて――“In C”誕生60年(高橋智子)
『In C - 60th バースデー・フルムーン・セレブレーション・アット・清水寺』制作話を今作のプロデューサー、中村周市氏に訊く

テリー・ライリー、60年を越えるその歩み――“In C”以外の重要作品(杉田元一)
アメリカン・ミニマリズムの系譜――テリー・ジェニングス、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス(杉田元一)
ラ・モンテ・ヤング――永遠に鳴り続ける始原としてのドローン(松山晋也)
アフロ・ミニマリズム――ブルースにおける反復の文化(緊那羅:デジ・ラ)
「ファンク」は魔法、地球を支配したウィルス(野田努)
カン――いまなお世界中に広がり続けるミニマル・ロックの地下茎(松山晋也)
アンビエントのはじまりにミニマルあり──ブライアン・イーノの呼び水(杉田元一)
パンク・ミニマリズムの究極の境地――ワイアーの探求(イアン・F・マーティン/青木絵美)
サン・ラーの“Rocket Number Nine”に見るミニマルな高揚(野田努)
アシッド・ハウスが切り開いた「ミニマリズム」の行方(野田努)
ヨーロッパの旅――クラフトワークからポスト・パンクを経由してミカ・ヴァイニオへ(野田努)
もうひとつの行き先――マラリア!からカラ‐リス・カヴァーデイルへ(三田格)
ひとかけらの永遠、ヒップホップのミニマリズム──DJプレミア、J・ディラ、アルケミスト(吉田雅史)
アフリカン・ドラムを初めて西欧世界に聞かせたババトゥンデ・オラトゥンジ(三田格)
リスニング術――グリッチからアンビエント/ドリーム・ポップへ(野田努)
Minimal Nation――ミニマリズムのさらなる冒険のご案内(野田努)

非ポストモダン的ミニマリズムに向けて(仲山ひふみ)

2024年ベスト・アルバム30選
2024年ベスト・リイシュー23選
ジャンル別ベスト――テクノ(猪股恭哉) | インディ・ロック(天野龍太郎) | ジャズ(小川充) | ヒップホップ(高橋芳朗) | ハウス(猪股恭哉) | エクスペリメンタル(ジェイムズ・ハッドフィールド/青木絵美) | ポスト・ハイパーポップ(松島広人) | レゲエ/ダブ(河村祐介) | アンビエント(三田格)

2024年わたしのお気に入りベスト10――24名による個人チャート(青木絵美、天野龍太郎、小川充、小山田米呂、Casanova.S、河村祐介、木津毅、緊那羅:Desi La、篠田ミル、柴崎祐二、杉田元一、高橋智子、髙橋勇人、つやちゃん、デンシノオト、橋本徹、ジェイムズ・ハッドフィールド、二木信、ジリアン・マーシャル、Mars89、イアン・F・マーティン、松島広人、三田格、吉田雅史)

VINYL GOES AROUND PRESENTS そこにレコードがあるから 第5回 「THE CHANGING SAME」レーベルの節目とレコード文化の未来(水谷聡男×山崎真央)

プロフィール

cover photo by Masaru Tatsuki

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小林:今年スクエアプッシャーの『Ultravisitor』(2004年)が20周年を迎えたということで、アニヴァーサリー・エディションがリリースされています。先に世代感を確認しておきますと、ぼくがリアルタイムでスクエアプッシャーを聴きはじめたのが2001年です。00年の秋ころからエレクトロニック・ミュージックに興味を持ちはじめて、01年に〈ビート〉が〈Warp〉をとりあつかいはじめて。

渡辺:その前は〈ソニー〉だったね。

小林:はい。『Go Plastic』(2001年)、『Do You Know Squarepusher』(2002年)とつづいたあとに『Ultravisitor』が出て、当時、まだまだ聴いている電子音楽の量が足りていなかった自分の感想としては、「決定打が来たんじゃないか」みたいな第一印象がありました。

渡辺:そういう世代の方にフックがあったアルバムじゃないですかね。

小林:やはりその前の世代の方にとっては最初の2枚、『Feed Me Weird Things』(1996年)と『Hard Normal Daddy』(1997年)が決定的だったと思うんです。

渡辺:しかもその後にいろいろ実験をしていましたからね。

小林:『Music Is Rotted One Note』(1998年)とか。

渡辺:そこで極端に振れちゃったようにも見えて。「このひとはなにをやりたいんだろう」みたいなところは正直ありました。90年代の終わりとか2000年代初頭のスクエアプッシャーってそういうイメージが強かったと思うんですよ。『Do You Know Squarepusher』というタイトルもそうだけど、自分とはなにかを考えてた時期なのかな、と今回あらためて聴いてみて思いました。当時ってそんな話題になってました?

小林:今回、当時の『ピッチフォーク』のレヴューを確認してみたんですよ。そしたらかなり微妙な評価で(笑)。うまく書いてあって、悲観的とまではいえないんですけど、「いいものはどれも終わりを迎える」という書き出しで(笑)。ちなみに書き手のドミニク・レオンは自身も〈Smalltown Supersound〉から作品を出している音楽家でもあります。

渡辺:当時リアルタイムで褒められていた印象がぜんぜんなくて。『ガーディアン』のレヴューも3点で、まったく褒めていなかった。この時期、自分はなにを聴いてたかなって思い返してみると、ミニマルなんですよ。2000年代前半はクリック・ハウス以降のミニマルをすごく聴いてたから。そんな時代に『Ultravisitor』も出て、少なくとも「これはすごい」みたいな評価がされていた記憶はないし、でも酷評されたというわけでもなく……。たとえば『Music Is Rotted One Note』が出たときはものすごい賛否両論で、よくも悪くも話題になりました。その後、実験的にやっていく時期がつづいて、広く一般にインパクトを与えたっていう印象は残っていないですね。〈Rephlex〉のファンだったりエイフェックス・ツインのファンだったり、〈Warp〉のファンだったり、コアなひとたちは少しあとから支持していたような印象があって。それこそ小林さんもそうだと思うんですけど、新しい世代のニュートラルなリスナーが支持したことで広がっていったアルバムなのかな、という気はします。

小林:20周年記念盤を出すということは需要が見こめるからこそでしょうし。

渡辺:たとえば〈R&S〉もそうなんだけど、〈Warp〉もいまやってるスタッフって世代交代してると思うんですよね。昔の〈Warp〉に憧れて新人として入ったりA&Rやったりしてる若い人たちのほうが主力になっているんじゃないかな。そのあたりの影響も、今回あるのではないかなと思います。

小林:去年はバンドキャンプがブレイクコア・リヴァイヴァルを特集していて、そういうことも背景にあったりするのかもしれないと思う一方で、でもその路線であればすでに『Feed Me Weird Things』や『Hard Normal Daddy』がありますよね。

渡辺:そうなんですよね。じっさい『Feed Me Weird Things』はリイシューが出ましたよね。それが成功したというのもあるのかも。今度は、中期の彼の評価を確立した名作ということで。今回、レア曲を詰めたボーナス・ディスクがついてるじゃない。それらの曲の背景を当時は知らなくて、今回調べたんです。どうも、当時オンライン・レコード・ショップのBleep(当時はフィジカルの販売はWarpMartという別ショップ扱い)がスタートしたタイミングで、そこで予約購入した人に配っていたCDに入っていた曲みたいですね。プロモ盤としても出していて。

小林:なるほど。当時〈ビート〉から出ていた初回限定盤にもそのCD「Square Window」の5曲がボーナス・ディスクとして付属していました。

渡辺:今回、それが正式に付属したのが大きいんじゃないかなと思っていて。当時シングルとしても出た “Square Window” もいいんですが、とくに “Abacus 2” という曲が素晴らしい。レーベルとしてはやっぱりポップでキャッチーな曲をアルバムに入れてほしいはずなんです。ラジオで流せるような曲だったり、CD時代だったら試聴機で最初に流れる1曲目をそういうものにしたいとか。〈Warp〉としてはほんとうは “Abacus 2” を『Ultravisitor』に入れたかったんじゃないかと(笑)。今回、2枚目がけっこういいんですよ。そういうメロディックな曲だけじゃなくて、“Talk About Me & You” みたいなおもしろい曲も多い。でも当時トムが嫌だと言ったんじゃないか、という深読みはしちゃいますね。

小林:もしトム・ジェンキンソンが嫌だったのだとしたら、それはなぜだと思いますか?

渡辺:『Ultravisitor』って、メロディックでメランコリックですごく静かなタイプの曲と、ものすごくノイジーな曲と、両極端がありますよね。エレクトロニックなビートはもちろんあるけど、踊りやすかったりフックがあったりする、わかりやすい曲は入っていない。だから、収まりどころがなかったんじゃないかなと。彼は作品ごとにテーマを決めてやるひとだし、すごくクレヴァーなひとだとも思うし。たとえば初期に 「Vic Acid」(1997年)といいうシングルがありましたよね。あれに入っていた “The Barn” という曲には303がブリブリに鳴っていて、弟(アンディ・ジェンキンソン/シーファックス・アシッド・クルー)の影響もあるんじゃないかと思うんですが、ほんとうはああいうタイプの曲もかなり好きだと思うんですよ。でも、シンプルな4つ打ちだったり、わかりやすいアシッドでフロア寄りみたいな曲ってほとんどアルバムには入れていないような。

小林:たしかにそういう印象はある気がします。

渡辺:『Feed Me Weird Things』のときもたしか、1曲入れようと思っていたトラックが権利関係だったかで入れられなくなっちゃって、代わりにつくった穴埋め的な曲を入れたって話をしていましたよ。それが “Squarepusher Theme” だった。後に代表曲になったものが、もともとは入らない予定だった、という。あと、〈Warp〉から最初に出た紫のシングル(「Port Rhombus EP」、1996年)、あれもアルバムに入ってないよね。

小林:入ってないですね。あれはすごくいい曲ですよね。スクエアプッシャーでいちばんの名曲じゃないかと思います。

渡辺:渋谷にあったシスコ・テクノ店の棚が全部あの紫のジャケで埋まってて、1日中かかってたのをよく覚えてる。やっぱりあれがすごく衝撃的だったんですよ。だから、〈Rephlex〉から〈Warp〉に移った最初のアルバム『Hard Normal Daddy』には代表曲として絶対に入れるよねと思っていたけど、入らなかった。そういう彼のスタンス、こだわりはあるのかなと思います。最新作『Dostrotime』も、配信しないという触れ込みで。

小林:でしたよね。その後時間が経って結局配信しちゃいましたが(笑)。

渡辺:たぶんどこかで折れたのかなっていう(笑)。

小林:最初はストリーミング時代に果敢に抗ってるなと思って、ぼくも燃えて紹介記事を書いたんですけど、「出すんかい」って思いました(笑)。

渡辺:そうそう(笑)。だからその辺はせめぎ合いというか、思い入れだったり自分のなかでこういうプランでいきたい、みたいなものがあっても、ある程度時間が経てば妥協するところもあるのかなと。そういう意味では、今回のリイシューはレーベル側の意向とアーティストのやりたかったことを、両方ちゃんとうまくパッケージしているような感じがして、すごくいいリイシューだな、とぼくは思いましたね。寄せ集めの、ほんとうにアウトテイク集みたいなのって多いじゃないですか。買ったはいいけど2枚目は聴かないよ、みたいな。でも今回は「なんで入れなかったんだろう」という曲が多い。

小林:ちなみに『Ultravisitor』本編はライヴ音源が混ざっていて、若いころ「なんだろう、これは?」と思いましたけど、それについては当時どう思いましたか?

渡辺:その前の、『Do You Know Squarepusher』の2枚目にフジロックでのライヴ音源が入ってるでしょ。ぼくは完全にあの流れだと思ってたんですよ。たしか音質があまりよくなくて、その点をリヴェンジしたいのかなって、勝手に思っていましたね。だけど今回調べたら、彼は裏でいろいろ考えていたことがわかりました。当時のインタヴューってほとんど残ってなくて、ひとつだけあったんですが、それももうリンクが死んでいて。それでなんとかアーカイヴを漁ってテキストだけ読むことができたんですけど、ライヴ音源を入れたのは、ちょっとリスナーをバカにしているというか、炎上狙いのようなところもあったみたいです。そもそも自分の音楽は多くのオーディエンスが理解できないものだけど、ライヴの歓声が入っているとウケているように聞こえるから、それで「聴いてみようかな」と思っちゃうバカなひともいるかもしれない。そういう効果を狙っている、というようなことを言っていて。それでだれかが間違ってアルバムを買ってくれたら、本人は理解できなくて放置されても、そのひとの子どもや未来のリスナーが「こいつすげーじゃん」と思うかもしれない、ネクスト・ジェネレーションが自分の真価を発見してくれたら、老害になってもライヴができるかもしれない、そういう意図があった、と。

小林:なるほど。未来を先読みしていた……と褒めていいのかどうか(笑)。

渡辺:ほんとうにそこまで深く考えてたのかはべつとしても、発想としてはおもしろいですよね。ライヴ・ヴァージョンの歓声を活かすっていう。ライヴの勢いでもグルーヴ感でもなく、ほかのミュージシャンが参加していることを打ち出すのでもなく、ただ歓声が重要だっていうのはすごくおもしろいアイディアだなと。ライヴといえば、ダフト・パンクみたいに光るヘルメットをかぶったプロジェクトもあったよね。

小林:ショバリーダー・ワンですね。超絶技巧バンドの。

渡辺:あとロボットに演奏させたりとか(『Music For Robots』、2014年)、やっぱり随所でおもしろいことをやるひとだなと思います。そういう意味ではやはりなにかリリースされるたびに、スクエアプッシャーに帰らざるをえないというか、呼び戻される感じはありますよね。

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(ここで野田編集長が登場)

野田:90年代に初来日したとき、超満員の新宿のリキッドルームでドリルン・ベースをバックにベースを弾いていたよね。

渡辺:基本そのスタイルだったね、最初。

野田:あの時点でもうひとつのスタイル、型ができあがっていたからさ、そこから抜け出ることってなかなか難しかったのかなと。『Music Is Rotted One Note』以降、違う自分を探したかったのかもしれない。そこは彼のいいところで、自分の芸風を初期の時点で捨てたというか。

渡辺:「スクエアプッシャーらしい」初期のスタイルをいつまでも求められることが嫌だったみたいだね。どこかのインタヴューでそういうステレオタイプに対して怒ってたおぼえがある。でも、初期は家でもああやって録ってたという。『Feed Me Weird Things』の記念盤セルフ・ライナーノートに書いてありました。最初はマルチトラックのレコーダーがなくて、基本的に一発録りでやっていたそうで。バック・トラックをつくっておいて、シーケンサーのスイッチ押して、同時にベースを弾いて録ってたっていう。

野田:その話はおもしろい。それで音質がその後と違うんだね。やっぱりいいね、アーティスト初期の「持たざる」時代って。みんなアイディアを駆使してつくって録音してるんだよね。

渡辺:ホックニーを輩出した名門アート・スクールに通ってて、そのお金を親に出してもらってたのに、学費や学生ローンで得たキャッシュを全部シンセサイザーに使っちゃって(笑)。

野田:それは親の立場の人間としてはちょっと(笑)。

渡辺:一応、ちゃんと卒業はしたみたいですよ。

小林:でもたしかに10年代の作品になると、システム自体かなり高度な感じになっていきますよね。

渡辺:けっこう機材オタクっぽいですよ。

野田:そう。リチャード・D・ジェイムスとはまた違うタイプの。リチャードはもうちょっと偏執狂的というか、ある意味では狂気の世界に入ってるけど、スクエアプッシャーはもうちょっと真っ当な。

渡辺:そうだよね。だからオールドスクールの機材が好きだったりとか。『Be Up A Hello』は、そういう古い機材を持ち出してつくっていた。

小林:あれは彼にしては珍しく懐古的になった作品ですよね。

野田:スクエアプッシャー史において、『Ultravisitor』はどういう位置づけなの? 『Music Is Rotted One Note』はひとつの転機だったと思う。このころからマイルス・デイヴィスとか、けっこうジャズを意識して。

渡辺:完全に生演奏でやっていたしね。さっきも話したんですけど、それでその後いろいろやって、結果『Ultravisitor』に至った、みたいな。

野田:じゃあ第2期の総括的な。

渡辺:あるいは、第3期の出発なのか。ジャケが本人の顔写真っていうのも。

小林:買ったとき、ジャコ・パストリアスみたいだなと思いました。

渡辺:そうそう、ジャコ・パストリアスのファースト(『ジャコ・パストリアスの肖像』、1976年)っぽいですよね。すごく思った。当時だれも言わなかったけど、やっぱりそうだよね。それを今回変えたじゃない。もしかしたら、ちょっと恥ずかしくなったのかなと(笑)。

小林:以降も顔をバーンって出したアートワークはないですし。そもそもテクノのアーティストはそういうことを滅多にやらないですよね。やはり『Ultravisitor』には自分の振り返り、自分史的なテーマが込められているのでしょうか。

(このあたりで野田編集長が退場)

渡辺:そういう時期だったのかなと。『Music Is Rotted One Note』に “Don't Go Plastic” という曲があったけど、その後『Go Plastic』を出した。「ニセモノはやめましょう」って言っていたのに「やっぱりまがいものがいいです」みたいな(笑)。生演奏のような、いわゆる「ホンモノ」の音楽も自分はできるんだというのを見せたかった部分がありつつ、完全にそればっかりでもない、みたいな。

小林:なるほど。『Ultravisitor』はセンティメンタルなメロディの曲が多いのも特徴ですよね。そこで内面的なものを表現しようとしていたのかもしれません。Spotifyで見ると、“Iambic 9 Poetry” と “Tommib Help Buss” だけ断トツの再生数で、ほかの曲とケタが違っていて驚きます。大多数はその2曲しか聴いてないんじゃないかと危惧してしまいます。すごいライト層だとは思うんですが。

渡辺:残酷というか、ハッキリ見えちゃうから怖いですよね。その2曲の人気からもうかがえますが、スクエアプッシャーといえば過剰なビートだったりドリルン・ベースの極北だったり、あるいはベースもむちゃくちゃ弾きまくるみたいな印象だったのが、それと真逆のイメージを打ち出してきたのが『Ultravisitor』で。“Abacus 2” のようなポップでわかりやすいリズムで、かつメロディがきれいな曲を入れなかったのは、もっと静かなもののほうが彼のアナザー・サイドを打ち出すためにはいいっていう判断をしたのかもしれないですよね。こういう曲はその後も継続してある程度出てくるし。

小林:たしかにこれ以降、こういう曲がちょこちょこ入るようになりますね。

渡辺:インタヴューで「そういう曲がすごく好きだし、自分のなかにあるものだ」って自分でも認めている。それを本人がはっきり認識したり、あるいは自分のそういう面を発見した時期なのかなって思う。デビューが95年だから、そろそろ10年目が近づいてきている、正念場みたいなタイミングだったのかもしれない。そう考えるとやっぱり転機になったアルバムだと思うんですよね。

小林:肖像のジャケにしても感傷的な曲調にしても、ちょうど現代とつながる感覚があるようにも思いました。いまはSNSで有名人も一般人も自分語りをするし、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーも自分史3部作を出した。そういう時代の流れにハマったリイシューでもあるのかな。

渡辺:さっき当時のインタヴューの話をしましたけど、じつはもう1本あって、LAの雑誌『URB』がインタヴューしているんです。そっちはメール・インタヴューなんですが、トムが「ヴァーチャル・コメディアン」っていうソフトを使って返信をつくりました、って書いてて、ぜんぜんインタヴューになっていない(笑)。ようはChatGPTの先祖みたいなソフトなんですけど、当時から「新しい技術に新しいことをさせよう」みたいな発想が彼にはある。『Dostrotime』の “Wendorlan” のヴィデオでもオシロスコープを使っていましたよね。オシロスコープ自体は新しくないけど、そういうふうに技術に寄り添って自分を出していくところもおもしろいなと。いまでこそAIは当たり前のものになってきましたけど、20年前にそういうことをやっていて。そのソフトも自分でつくったらしいんですよね。ほんとうかどうかわからないけど。

小林:たしか『Damogen Furies』(2015)のときはソフトウェアから自作していましたし、テクノロジーへの関心は高いですよね。先ほどのロボットもそうですし。そうしたハイテクなものへの関心がある一方で、今回『Ultravisitor』を聴きなおして再発見したのは、やはり静かな曲で。といっても先ほど話に出た大人気の2曲ではなくて、“Andrei” と最後の “Every Day I Love” です。おなじくメロディアスなタイプの曲ですが、この2曲はバロック的ないし古楽的な感じもあって、もしかしたらスクエアプッシャー流の、民衆の音楽という意味でのフォークともとらえられるかもしれないと思いました。個人的には “Iambic 9 Poetry” や “Tommib Help Buss” より、この2曲のほうがいまは響くなと。先ほどの『ピッチフォーク』では「退屈だ」って書いてあったんですが(笑)。

渡辺:バロックっぽいのはぼくも気になりましたね。2004年のライヴを調べると、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでやっていたりするんですよ。クラシカルのひとたちとやったり、いろいろ実験もしていた時期のようなので、そういう影響もあるのかも。でも、なんで “Iambic 9 Poetry” があれほど広く受け入れられたのかについては、考えてみたんですけどわからないんですよね。ピアノやクラシカルな楽器でのカヴァーをYouTubeで見かけたりとか、ぜんぜん違う層に刺さっていたりして。

小林:エイフェックス・ツインの “Avril 4th” がひとり歩きしているのと似たような現象かもしれませんね。エイフェックスやスクエアプッシャーの凶暴なブレイクビーツは、ふだんそういうものを聴かないリスナーからすると受け入れられないけど、きれいなメロディの穏やかな曲だったら聴けるという。

渡辺:“Iambic 9 Poetry” については、新しく発見したことがあって。ぼくは普段ゲームの仕事をしていて、英語の脚本をつくったりしてるんですけど、いろんなキャラクターに方言とか昔のことばを喋らさなきゃいけないことがあるんです。そのキャラクターが違う文化圏のキャラクターであることを表現するために、古い時代の喋り方をさせたり。それで、あるときイギリス人のスタッフから「アイアンビックを入れたらどうですか」と言われたことがあって。古典詩の脚韻のひとつに「イアンボス(iambos)」というのがあって、日本語だと「弱強格」。ようするにリズムのことです。そのリズムに合うことばを選んで入れて、読み方も強弱をつけて読むんです。シェイクスピアのころはそういうことが盛んで、だからイギリスの舞台俳優はみんなけっこうそれができるんですよ。現代の日常会話では使われてない言語だけど、「こういうキャラクターなので、そうしてください」と伝えると、普通にやってくれる。その弱強格にも「三歩格」とか「四歩格」とか種類があるんですが、「Iambic Pentameter」が「弱強五歩格」のことで。『Budakhan Mindphone』(1999年)に “Iambic 5 Poetry” という曲がありますけど、そのことだったんですね。それが、『Ultravisitor』だと “Iambic 9 Poetry” だから、「弱強九歩格」ということになる。なんで「9」にしたのかわからないんですけど、「弱強九歩格」というのはおそらく存在しないんですよ。以前「5」はやったから今回はその上を行く「9」でやろうということなのか、静かな曲調のなかで波を打っていくようなドラムの流れのことを意識しているのかはわからなですけど。インストの曲なのに、舞台とか古典詩からインスパイアされてそういう題をつけるのはおもしろいなと。

小林:それはすごい発見ですね。ぜんぜん知りませんでした。

渡辺:リアルタイムではまったく気づいてなくて。最近になって仕事をしてるときに気づいたんですよね。「これじゃん!」って。だから、彼はことばづかいは荒っぽいときもあるけど、すごく頭のいいひとなんだなと思います。

小林:『remix』時代に野田さんがやった、『Just A Souvenir』(2008年)リリース時のインタヴューでも、コンセプトなどをめぐってかなり知的な話をしていました。ブレグジットに反対する曲(“Midi Sans Frontières”、2016年)を出したりもしていましたよね。

渡辺:その曲の素材をフリーで出すから、みんなでそれを使ってリミックスしてくれという。あれはすごくおもしろいなと思いました。昔オウテカがクリミナル・ジャスティス・ビルのときに「これなら捕まらない」ということで反復しない曲(“Flutter”、1994年)を出してたじゃないですか。あれに通じるものを感じましたね。〈Warp〉もスピリットを失っていないなと。

小林:今回聴き返してみて、あらためていいなと思った曲ってありましたか?

渡辺:最初はトムが観客に話しかける声、そこからすごく静かにはじまって激しいドリルン・ベースになっていく曲……“Tetra-Sync” かな。前から割と好きではあったんだけど、今回聴き直してもやっぱりすごくいいなと思った。まあ、ライヴを観たいですね。

小林:いま『Ultravisitor』でライヴをやってくれたらすごくハマりそうな気がしますよね。

渡辺:その後ライティングに凝ったライヴなどが評価されましたけど、そういうこともぜんぶ経てきたうえで、この時代の曲をやったらどうなるのか、というのは聴いてみたいですね。

小林:ということで、ここまでの話を一言でまとめると、『Ultravisitor』はスクエアプッシャー試行錯誤期の名作、ということですね。

Squarepusher
Ultravisitor (20th Anniversary Edition)

Warp / ビート
2024.10.25 release

2CD国内盤

Amazon Tower HMV disk union

3LP国内仕様盤

Amazon Tower HMV disk union

東京国際映画祭レポート - ele-king

 今年の東京国際映画祭は、ドナルド・トランプが米大統領選での勝利宣言をした同じ日に閉幕するという不運に見舞われた。トランプの勝利は、マイノリティや女性の権利、ウクライナ・パレスチナ情勢、世界の民主主義、そして地球環境の未来にまで深刻な影響を及ぼすものとなるだろう。そのような事態を前にして、日本を代表する映画祭はあまりにも小さく感じられた。

 東京国際映画祭(TIFF)がそもそも話題性の高いイベントであるというわけではない。TIFFという略称からしても、1ヶ月先に開催されるトロント国際映画祭(同じくTIFF)の影に隠れてしまいがちだ。毎年、東京国際映画祭のコンペティション部門で上映される外国映画のうち、日本で劇場公開されるのはほんの一握り。しかも、最高賞にあたる東京グランプリを受賞しても、配給会社が見つかる保証はない。

 しかし、今年最高賞を取った吉田大八監督の『敵』は、2005年以来、日本映画として初めてグランプリを受賞した作品であり、その心配は無用だろう。以下に、その作品と、今年上映された注目すべき映画について簡単にご紹介する。

『敵』

 吉田大八監督はこれまで駄作を撮ったことはないが、この作品は彼の最高傑作と言えるかもしれない。筒井康隆による1998年の小説を映画化した今作は、その穏やかな滑り出しから、後にシュルレアリスムへと突入する衝撃的な展開をみせる。長塚京三は、退職した大学教授を演じ、その日常生活が徐々に、そして最終的には劇的に破綻してゆく様を見事に演じきり、主演男優賞を受賞。このラストは、ルイス・ブニュエルや、ダーレン・アロノフスキーの『マザー!』を彷彿とさせるほどである。トランプ当選のニュースを聞いた後、再びこの映画を鑑賞したのだが、作品が描く死生観や、謎の「敵」に関する噂、そして大量の難民であふれかえる社会の描写は、さらに不吉なトーンを帯びていた。
(2025年1月17日劇場公開:https://happinet-phantom.com/teki/) 

『トラフィック』

2024 © MINDSET PRODUCTIONS – LUNANIME – LES FILMS DU FLEUVE – BASTIDE FILMS – FILMGATE FILMS – FILM I VÄST – AVANPOST MEDIA – MOBRA FILMS
119分/カラー/ルーマニア語、オランダ語、英語/日本語、英語字幕/2024年/ルーマニア、ベルギー、オランダ

 西欧と東欧の格差を赤裸々に描いたテオドラ・アナ・ミハイ監督の社会派ドラマ。ルーマニア人ギャング集団がロッテルダムの美術館から多数の文化財を盗み出したという2012年の事件を基に制作。前半はオランダが舞台で、窃盗集団の1人の内縁の妻(最優秀女優賞を受賞したアナマリア・ヴァルトロメイ)に焦点を当てており、後半よりも面白い。この映画では、裕福な西欧において、出稼ぎに来る移民たちが二流市民として扱われている様子が容赦なく描かれているが、その一方で、彼らの母国にも深刻な不平等が存在することも取り上げられており、そのような背景を思えば、ピカソの作品がどうなろうと、取るに足らないことのように思えてくる。

『雨の中の慾情』

©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
11月29日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

 昭和の時代に描かれた、変態チックでシュールな漫画は、現代の映画制作者に対して「健康を害する可能性あり」という注釈を添えるべきかもしれない。台湾を舞台にした片山慎三監督の映画は、つげ義春の作品いくつかを翻案したものだが、手塚眞が監督した『ばるぼら』と共通する難点があった。最先端の映像技術や、時折織り込まれるドリーミーな空想シーンを駆使しても、時代錯誤的な性描写を美化することはできないのである。さらに、この映画は(現実というものがあるとすれば)現実が何なのかという感覚を揺るがそうと躍起になっているせいで、こちらとしては、結局、何もかもがどうでもよくなってくる。しかし、この作品は散漫・雑然としながらも、見どころのない映画というわけではない。例えば、大日本帝国陸軍による大虐殺を描いた豪勢なシーンなど、現代の日本映画ではあまりお目にかかれないような場面もある。 
(11月29日劇場公開:https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

『アディオス・アミーゴ 』

118分/カラー/スペイン語/日本語、英語字幕/2024年/コロンビア

 イヴァン・D・ガオナ監督による、マカロニ・ウェスタン風のコロンビア映画。昔懐かしい西部劇の雰囲気が色濃く出ているが(主人公たちのやけに汗ばんだ顔がやけにアップで映るなど)、一筋縄ではいかない展開で予想外の方向へと進み、人類は暴力行為から脱却できるのかという話になる。そして、「イエス・キリスト」という名の先住民シャーマンによって与えられる天然の幻覚剤を大量に摂取することで、復讐に燃えていた登場人物たちに、平和を考える余地が生まれてくる。あまりテンポがよいとは言えないが、『アディオス・アミーゴ』のラストは力強く、パラレルワールドでのメキシカン・スタンドオフ〔訳注:互いに武器を向け合ったまま誰も動けない状態〕で締めくくられ、セルジオ・レオーネというよりもアレハンドロ・ホドロフスキーに近い。

『レイブンズ 』

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
2025年3月28日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショー

 伝記映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』に続き、マーク・ギルが制作したこの作品も、悩める芸術家の姿を描いているが、その内面には踏み込めていない。『レイブンズ』は、2時間という上映時間内に、芸術家のキャリアすべてを詰め込もうとするという、ありがちな罠にはまっている。特に、写真家・深瀬昌久のような複雑な人物を扱うとなると、その取り組みはさらに困難なものとなる。この映画は、深瀬役の浅野忠信と、深瀬の妻でありミューズでもあった洋子役の瀧内公美の安定した演技が支えとなり、映像も良く仕上がってはいるが、どこかありきたりな印象が残る。ギルの最も大胆な試みは、深瀬を突き動かした闇の衝動を具現化したことであり、それはホセ・ルイス・フェラーがヴォイスオーバーを務めた、人間サイズのカラスという形を成しているのだが、このカラスは、残念なことに漫画『DEATH NOTE』の死神に酷似している。(2025年3月劇場公開:https://www.ravens-movie.com/

『黒の牛』

2024年/日本=台湾=アメリカ/114分/シネマスコープサイズ/5.1chサラウンド/白黒&カラー
配給:ALFAZBET、ニコニコフィルム、ムーリンプロダクション

 東京国際映画祭でデビュー作『祖谷物語―おくのひと―』が上映されてから10年あまりを経て、蔦哲一朗監督はさらに素晴らしい2作目で返り咲いた。『黒い牛』は、19世紀後半、日本近代化の波に翻弄される山男(リー・カンション)の物語を通して、禅の悟りへの道を描いた作品。70mmフィルムで一部撮影されたモノクロ映像には独特の質感があり、その一方で、音響効果はサイケデリックな域にまで達している。それ加えて、ただただ唖然とするような場面もあったので、この作品は、ぜひとも大画面・大音量で鑑賞していただきたい。

Tokyo International Film Festival Report

written by James Hadfield

This year’s Tokyo International Film Festival had the misfortune to wrap up on the same day Donald Trump declared victory in the US presidential election. In the face of an event that’s likely to have such dire consequences – for minorities, women’s rights, Ukraine, Palestine, global democracy and the state of the planet itself – Japan’s preeminent film festival felt awfully small.

Not that TIFF tends to be a major news event anyway; even its acronym ensures that it’s forever in the shadow of Toronto’s more high-profile festival, which takes place a month earlier. Only a handful of the non-Japanese films screened in competition each year go on to receive a theatrical release here; even winning the top Tokyo Grand Prix is no guarantee of finding a distributor.

That won’t be an issue for this year’s winner, Daihachi Yoshida’s “Teki Cometh,” which became the first Japanese film to take the festival’s top prize since 2005. Here are some brief notes on that, and a few of the other notable movies that screened this year.

Teki Cometh (敵)

Yoshida has never made a bad film, but this might be his finest hour. The director’s adaptation of a 1998 Yasutaka Tsutsui novel starts so gently, its later turn into surrealism comes as a shock. Kyozo Nagatsuka deservedly won the Best Actor award for his portrayal of a retired professor whose domestic harmony starts to unravel, first slowly and then spectacularly, in a final act that recalls Buñuel and even Darren Aronofsky’s “Mother!” Watching it for a second time, after getting the news about Trump’s electoral win, the film’s rumination on mortality and its depiction of a society awash with rumours of a mysterious “enemy” and hordes of refugees took on an even more ominous tone.
(Released theatrically on January 17, 2025: https://happinet-phantom.com/teki/)

Traffic (Reostat)

Europe’s east-west divide is laid bare in this anti-thriller by Teodora Ana Mihai, based on a 2012 heist in which a Romanian gang made off with a clutch of priceless artworks from a museum in Rotterdam. The first, and stronger, half of the movie is set in The Netherlands and focuses on the common-law wife of one of the thieves (Anamaria Vartolomei, who won the Best Actress prize). The film is merciless in its depiction of the second-class status afforded to migrants in the affluent West, though also attentive to the stark inequalities that exist in their native country – compared to which, the fate of a Picasso painting starts to look rather insignificant.

Lust in the Rain (雨の中の慾情)

Kinky, surreal manga from the Showa era should probably come with a health warning for contemporary filmmakers. Shinzo Katayama’s Taiwan-set drama, loosely adapted from several stories by Yoshiharu Tsuge, suffers some of the same problems as Macoto Tezka’s “Tezuka’s Barbara.” Superior tech specs and occasional bursts of dreamlike visual imagination can’t gloss over some retrograde sexual politics, while the film works so hard to undermine our sense of what (if anything) is real that none of it seems to matter any more. This sprawling, messy movie isn’t without its highlights, though, including a lavish set-piece depicting an Imperial Army killing spree – not something you see often in modern Japanese cinema.
(Released theatrically on November 29: https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/)

Adios Amigo (Adiós al amigo)

This Colombian spaghetti western from Ivan D. Gaona goes hard on the throwback vibes (the faces are extremely close and extremely sweaty), but takes a circuitous route to an unexpected destination, where what’s at stake is whether or not people can move on from violence. It takes some liberal doses of all-natural psychedelics – dispensed by an Indigenous mystic named Jesus Christ – to get the film’s vengeful characters to a point where they might consider giving peace a chance. While the pacing is a little off, “Adios Amigo” ends strong, with a Mexican standoff in a parallel dimension, more Jodorowsky than Leone.

Ravens

Mark Gill’s follow-up to Morrissey biopic “England is Mine” is another portrait of a tortured artist that doesn’t get past the surface. “Ravens” falls into the familiar trap of attempting to squeeze a whole career into a two-hour runtime, which is a particularly fraught undertaking when you’re dealing with a figure as problematic as photographer Masahisa Fukase. The film looks good, and is grounded in solid performances by Tadanobu Asano as Fukase and Kumi Takiuchi as his wife-slash-muse, Yoko, but it ends up feeling oddly generic. Gill’s boldest step is to give a literal manifestation to the dark impulses that drove Fukase, which take the form of a man-sized raven, voiced by Jose Luis Ferrer, who bears an unfortunate resemblance to the Shinigami from “Death Note.”
(Released theatrically in March 2025: https://www.ravens-movie.com/)

Black Ox (黒の牛)

Over a decade after his debut film, “Tale of Iya,” screened at TIFF, Tetsuichiro Tsuta returned with an even more impressive sophomore feature. “Black Ox” sets out to depict nothing less than the path to Zen enlightenment, through the story of a mountain man (Lee Kang-sheng) who comes spiritually adrift during Japan’s late-19th century modernisation. Shot partially on 70mm film, the monochrome imagery has a tactile quality to it, while the sound design pushes things to almost psychedelic heights. There are sequences that left me slack-jawed: it’s worth seeing on the biggest screen, and with the loudest speakers, possible.

JULY TREE - ele-king

 ラッパーであり映像作家としてPUNPEE“タイムマシーンにのって”、BIM“NOT BUSY”、唾奇 × Sweet William“Let me feat. CHICO CARLITO”などのMVを手がけるOle/Takeru Shibuyaの作品展覧会が渋谷の神泉駅近くのギャラリー、JULY TREEにて開催される。HIP HOPシーンを中心に多岐にわたって活動する作家のアートを堪能しよう。

■展示情報
Ole/Takeru Shibuya
Solo Exhibition「Sketch World」

会期:2024/12.1(sun)~2024.12.16(mon)
15:00〜20:00*予定
会場:JULY TREE
*営業日時間等お問い合わせについてはJULY TREE 公式Instagramにてお願いいたします。

■イベント情報
オープニングイベント:
日時:2024.12.1(SUN) 14:00〜19:00
会場:JULY TREE
※オープニングイベントのみ、エントランス500円(ワンドリンク付)
*お問い合わせについてはJULY TREE 公式Instagramにてお願いいたします。

■リリース情報
2024.11.27 Release Ole New SG『IJIN』
配信リンク:https://orcd.co/ole_ijin

■Ole/Takeru Shibuya :プロフィール
東京出身のラッパー/映像監督。
映像と音楽をクロスオーバーさせ、自由自在に行き来しながら軽やかに自身を表現する。2019年 シングル「Doller (beats by illmore)」でシーンに軽やかに参入。これまでシングル作品他、3枚のEPもリリース。どこか気怠げながら、小気味良いスムースなフロー。自身にしか描けない唯一無二のライミングセンスで、独自の音楽感を発信し続ける。映像監督「Takeru Shibuya」 としても活動。PUNPEE「タイムマシーンにのって」、Kvi Baba 「TOMBI」、WILYWNKA & Brasstracks「Our Style」、唾奇×Sweet William「Let me feat. CHICO CARLITO」、VaVa「Mugen」など多くのHIP HOPアクトのMVを手がける。また、MVに留まらずきゃりーぱみゅぱみゅ、PUFFY、KIRINJI、POP YOURSなどのアートワーク/ライヴ演出に至るまでその活動はシーンの枠に留まらない。最近では、親子丼がだいぶ好き。

〈店舗情報〉
JULY TREE(ジュライ・トゥリー)
住所:153-0042
東京都目黒区青葉台4-7-27 ロイヤルステージ01-1A
・HP: www.julytree.tokyo
・Instagram:@july_tree_tokyo
・Twitter:https://twitter.com/julytree2023
*営業日時間等お問い合わせについてはJULY TREE 公式Instagram、にてお願いいたします。

 2024年のアメリカについて日本の方々に知ってもらいたいことがひとつあるとしたら、今回の選挙における選択肢に、私たち多くのアメリカ人が熱狂していたわけではなかったという点だ。
 まず一方には、近年でもっとも忌み嫌われた政治家、ドナルド・J・トランプがいた。彼はかつて、2004年にスタートしたリアリティ番組『アプレンティス』(※参加者が「見習い」として働き、最後に採決される)において「お前はクビだ!」と叫ぶ役を演じ、それで一躍、アメリカで有名人になった、億万長者のペテン師である。2024年に早送りすると、後期資本主義の典型であるこの人物は、なぜか労働者階級からの支持を得て現状に至っている。支持層の多くは白人の地方住民——おそらくは私たちの社会では一括りにしても問題のない唯一のグループ、無学で人種差別的な「田舎者」たち——で、2024年の選挙ではラテン系や黒人層にも右傾化が顕著に見られた。結果、トランプは国民投票と議論の的となる選挙人団の両方で勝利を収めたわけで、多くのアメリカ人の心に彼のポピュリスト的メッセージが響いたことは否定できない。
 もうひとりの候補者は、2020年の大統領選で民主党予備選挙において支持を得られなかったカマラ・ハリスだった。アメリカ史上初の女性副大統領であるが、しかし、女性である私としては、黒人女性を副大統領に起用したバイデンの人選が「フェミニズムの勝利」などという幻想を抱くようなものではないことを承知している。また、ハリス氏が女性であるからといって、彼女が女性の利益を代弁するなどとは一瞬たりとも考えたこともなかった(事実、民主党はオバマ政権時から妊娠中絶に関する法改正の機会を持っていながら優先事項とせず、最初の任期中に却下した)。もしその女性が優れたアイデアと能力を認められて当選したのであれば、アメリカ社会は真の男女平等を達成したと言えただろう。悪名高いことに、彼女は電撃的な選挙キャンペーン中、ほとんどインタヴューに応じなかった。数少ないそのなかには、ニュース番組『60ミニッツ』も含まれていたが、番組では、彼女の当初の極めて親イスラエル的な立場を隠すように編集されていた。また、彼女の具体的な政策に関心のあるインタヴュアーに対しては、「ウェブサイトを見てください」と答えるのみだった。
 トランプは、過去10年間の大半を大統領選に費やしてきたと言えるような、誇大妄想的なおしゃべり屋だ。彼を打ち負かすのは難しくないはずだった。が、“政策(ポリシー)”ではなく“権力(ポリティクス)”に頼ってアメリカ人の半分を味方につけようとするのは、明らかに勝利のための戦略とは言えない。

 理由はふたつある。第一に、民主党が(アメリカ)国民に対して誠実でなかったこと、そしてそれが私たち(私のような真の左派を自認する人びとを含む)の多くを遠ざけてしまったことだ。アメリカの民主党は決して「左派」ではないことをここに明確にしておきたい。実際には、経済政策に関しては穏健中道、あるいはやや右派だ。しかも、アメリカの主流メディアは民主党に支配され、バイデンや民主党への批判を「保守派の陰謀」に過ぎないとした。また、バイデンの明らかな認知機能の衰え、米国(およびその他の国々)におけるインフレの蔓延、犯罪の増加、そして不法な人権侵害の国境問題は「陰謀説」であって、それも右派によるものとした。現在の平均的な民主党員によれば、右翼であることはナチスであることを意味する。

 そのようなレッテルを貼られるのを避けるために、自分の信念を検閲した人はたくさんいると思う。私もそのひとりだ。なぜなら、私の食料品代は2020年以来ほぼ2倍になっているのに、アメリカは無意味な代理戦争にふたつも関わっている(そればかりか大量虐殺に積極的に資金を提供)。2022年には、私が利用するニューヨーク市の地下鉄駅で起きた集団銃撃事件で10人が撃たれ29人が負傷した、私は何ヶ月も電車に乗るのが怖かった。アメリカの“信頼できる”メディア、たとえば『ニューヨーク・タイムズ』などによると、これらの懸念はすべて私が「右派の白人至上主義者だから」ということになるらしい。
 私が、民主党がトランプを打ち負かすことができなかった理由としてふたつ目に挙げるのは、あからさまな偽善だ。私はドナルド・トランプの内閣や気候に対する態度、最高裁の保守的な人選、1月6日の議会襲撃事件など、数え上げればきりがないが、これらすべてに深い不快感を抱いている。しかし、民主党がヒステリックに主張する「自分たちに投票すれば、ファシズムからアメリカを何とかして救うことができる」という主張は疑わしい。なぜなら、真の左派の候補者たち(とくにコーネル・ウェストやロバート・F・ケネディ・ジュニア、ただしイスラエルに対する姿勢を除いて)は、討論会はおろか、予備選挙にも参加させてもらえなかったからだ。ハリス自身も民主党候補として選出されたわけではない。今年6月のトランプとの討論会の惨憺たる結果によってバイデンの老いがもはやアメリカ国民に隠しきれなくなった後、ようやく戴冠されたに過ぎない。
 トランプは厳密には有罪判決を受けた犯罪者だが、それは捜査を受けたからだ。それに対して、バイデン一家が関わっていると想像される違法な不正行為には驚かされるばかりだ。とくに彼の息子ハンターのノートパソコンにウクライナや中国との家族ビジネスに関するメッセージが含まれていたという噂が事実だったことを考えると——もっとも、その話はアメリカの主流メディアによって大幅に検閲されていたが。
 民主党が自らの権力を脅かす人物を攻撃しようとしたのは今回が初めてではない。民主党と共和党が同じコーポラティズムの硬貨の表裏であることは、何年も前から明らかであった。例えば、バーニー・サンダースの階級意識を意識したキャンペーンは、2016年と2020年の両方で民主党に支配されたメディアによって組織的に破壊された。そして2024年には、ロバート・F・ケネディ・ジュニアの型破りながらも力強いキャンペーン・メッセージ、すなわちアメリカ政治に蔓延する腐敗と取り組むというメッセージも、ナチス(すなわち民主党員と認めない者)からの言論の自由を守ることを主張する「左翼」メディアによって同様に粉砕された。バーニーの選挙運動と同様に、ケネディ・ジュニアの政策も検閲され、ワクチン反対派の気違いじみた戯言にすぎないものに貶められた。なぜなら、彼もバーニー同様、“アイデンティティ”ポリティクスではなく“階級”ポリティクスによって、実際にアメリカの分裂を埋めようとしていたからだ。
 結局のところ、真の左翼であれば、抑圧の本質的な交差点は「階級」だと教えるだろう。カマラ・ハリスの集会でビヨンセやトゥワークをするミーガン・ジー・スタリオンを登場させても、生活費が手頃になるわけでも、パレスチナの戦争が終わるわけでもない。

 注目すべきは、選挙運動が失敗に終わっていた際に、この国を悩ませている政治的分裂の解消を模索して、ケネディ・ジュニアが民主党と共和党に接触したことである。民主党は彼を無視したが、トランプは最終的に彼に閣僚への参加を要請した。

 民主党は過去8年間、自分たちに反対する人びとの知性や人間性を侮辱してきたという不名誉な実績がある。ヒラリー・クリントンは、自分たちに投票しない人たちを「憐れむべき人びとの巣窟(the basket of deplorables)」と呼び、バイデンは先月、彼らを「ゴミ(garbage)」と呼んだ。私の友人でさえ「トランプに投票する人は悪だ」と宣言している。私が貧しい田舎の白人アメリカで育ち、そこで暮らす大多数の人たちは、ただ生活を営み、そっとしておいてほしいと願う善良で勤勉な人たちであることを知っているからかもしれないが、私は民主党が「蜂を捕まえるには酢よりも蜜を使った方がよい」(*)という古い諺を聞いたことがないのではないかと思わずにはいられない。

 私はふたつの出来事を決して忘れないだろう。どちらも私の政治的信条に影響を与えた出来事だ(私は環境問題に関心があり、所得の平等、中産階級および労働者階級の生活の質に維持、女性の権利に関心があり、アメリカの海外における植民地主義的な存在を排除することに関心があり、性的暴行容疑のある人物には投票しない。民主党がその事実を隠そうとしても、ジョー・バイデンもその対象だ)。
 最初の出来事は2016年、いまは亡き祖父に「なぜトランプに投票するのか」と尋ねた。
 「私は実はバーニーのほうが好きなんだ。でも、トランプには勢いがあるし、ワシントンDCには変化が必要なんだ。民主党の連中は自分たちがみんなにとっていちばん良いことをわかっているつもりだが、そんなことはない。政府は小さく保つべきなんだ」
 「なぜ小さく保つ必要があるの?」と私は尋ねた。「国民皆保険(ユニバーサル・ヘルスケア)制度は必要ないの?」
 「それはいいな」と祖父は言いました。「でも、郵便物を確実に送ってもらいたいなら、米国郵便公社ではなくフェデックスのようなサービスを利用しなければならない。政府のウェブサイトにアクセスしても、動きが遅すぎて使えない。それに政府の電話番号にかけても、何時間も保留音が鳴りっぱなしだ」
 彼の言うとおりだ、と私は思った……
 「では、もし政府が医療を提供したら?  まあ、おそらく世界最悪の医療だろうね」
 オバマが 全国民向け医療制度を試みた際、健康保険に加入できない人には700ドル以上の罰金を科されることを考えると、私も同意せざるを得ないかもしれない。

 ふたつ目の出来事は、私が日本の音楽の博士号を取得するために在籍していたコーネル大学の大学院の仲間たちと、2016年の選挙後のパーティで過ごしたときのことだった。 大学院生たちは、トランプに投票した人たちは無学で愚かで、——そしてまたあの言葉が出てきたわけだが——、邪悪(evil)だ、などと不満を漏らしていた。
 「トランプに投票した人と話したことがある人はいる?」と私は尋ねた。
 「いるわけないだろ!」と彼らは声を張り上げ、誇らしげに言った。「なぜそんなことをする?」
 「まあ、もしそうしたら」と私は言った。「みんなあなたたちをエリート気取りのろくでなしの集まりだと思うだろうね」そして私はその場を去った。
 過去最悪のパーティでの出来事。

 私としては、これは希望の持てる出来事だと考えている。民主党がなぜ負けたのかについて、引き続きよく考えてほしいと願っている。共和党は、相手候補があまりにもひどかったからこそ自分たちが勝てたのだということを知ってほしいと願っている。そして、私は米国が最終的に現実的な第三政党を誕生させることを願っている。私はこれまで3回の大統領選挙でそうした政党に投票してきた。なぜなら、今年のアメリカ大統領選挙の茶番劇が示すように、民主党と共和党は同様に堕落しているからだ。
 おそらくほとんどのアメリカ人が私の意見に賛成してくれると思う。

(*)物事をうまく進めたり人を惹きつけたりしたいなら、批判や冷たさよりも、親切や優しさで接するほうが効果的だという意味のことわざ。

American Politics: There Are No Good Guys in 2024

Written by Jillian Marshall

If there’s one thing I wish Japanese people could know about Americans in 2024, it’s that most of us were not excited about the choices in this election.
On the one hand was the most reviled politician and public figure in recent memory. Yes, Donald J. Trump: the billionaire grifter who cemented his fame in America on a reality TV show called The Apprentice, where he screamed “you’re fired!” at contestants. Fast forward to 2024, and this poster child of late-stage capitalism somehow found his political base in working class America: the very people exploited by the system that rewarded him. And while that base was largely white and rural — perhaps the only group in our society it’s OK to make sweeping judgements about (uneducated, racist rubes, they are!) — this year’s election saw significant rightward movement in Latino and Black populations as well. Having won both the popular vote and the somewhat controversial electoral college, it’s undeniable that Trump’s populist messaging evidently spoke to the majority of American voters.
On the other hand was a candidate so unpopular during her 2020 presidential bid that she received zero votes in the Democratic primary: Kamala Harris, the first woman vice president in American history. But as a woman, I’m under no illusions that Biden’s explicitly tokenistic appointing of a Black, female vice president was any kind of “feminist victory”— nor did I believe for a second that Harris would serve women’s interests simply because she herself is one (Democrats have had the chance to codify pro-abortion legislation into our constitution since the Obama administration, which Obama himself dismissed as a “non-priority” during his first term). If anything, I’d believe that American society achieved true gender equality if a woman got elected by recognition for her good ideas and competency— neither of which Harris demonstrated. Infamously, she gave very few interviews during her blitzkrieg campaign — including one with news program 60 Minutes that was actually edited to redact her original, highly pro-Israel stance— and dismissed interviewers interested in her specific policies to “go to her website.”
Trump is a megalomaniacal blowhard who has spent most of the past decade vying for presidency. It shouldn’t be hard to outwit him, but banking on politics instead of policy to win over half of America is, evidently, not the winning strategy.
The reason why is twofold. First is the Democratic Party’s inability to be honest with the (American) public, and how this has alienated many of us— including people, like me, who identify as true leftists. Let me first clarify that the American Democratic Party is not truly “left”; it’s actually moderate-center or even slightly right on economic policies. At the same time, mainstream media in the US — overwhelmingly controlled by the Democratic Party — have claimed that any critiques about Biden or the party in general were nothing but conservative nonsense. Biden’s obvious cognitive impairment, the rampant inflation in the US (and elsewhere), increased crime, and illegal, inhumane border crossings were not only conspiracies, but right wing ones at that. And according to the average Democrat today, being right wing means you’re a Nazi.
To a certain extent, I’d say that there are many of us who censored our beliefs to avoid being branded as such— myself included. Because, even though my grocery bill has nearly doubled since 2020, the US is in two ridiculous new proxy wars (while actively funding a genocide) and, after twenty-two people got shot at my subway station in New York City in 2022, I was scared to ride the train for months, my concerns — according to America’s “reputable media” sources like the New York Times — must be because I’m a right wing white supremacist.
The second reason I think the Democratic Party failed to defeat Trump is because of its blatant hypocrisy. I am deeply uncomfortable with Donald Trump’s cabinet, his misogyny, his stance on climate, his conservative stacking of the Supreme Court, what happened on January 6th of 2021 — the list goes on. But the Democrats' hysterical claims that voting for them will somehow save America from fascism is suspicious when other candidates running on truly leftist tickets — notably Cornel West and RFK Jr (save for his stance on Israel) — weren’t even allowed a debate, much less a primary election. Harris herself wasn’t even elected as the Democratic candidate; she was essentially coronated only after Biden’s senility was no longer able to be hidden from the American public following a disastrous debate with Trump in June of this year. And while Trump is technically a convicted felon, that’s only because he was investigated. I can only imagine the illegal shenanigans in the Biden family, particularly since rumors about his son Hunter’s laptop (with its messages about family business deals with Ukraine and China) turned out to be real— though that story was heavily censored by American mainstream media.
This isn’t the first time the Democrats have sought to destroy anyone who threatens their power. It’s been obvious for years that the Democrats and Republicans are two sides of the same corporatist coin; Bernie Sanders’ class-conscious campaign, for instance, was systematically destroyed by the Democrat-captured media in both 2016 and 2020. And in 2024, RFK Jr’s unconventional, but powerful campaign message of tackling the rampant corruption in American politics was similarly dismantled by the “left wing” media outlets claiming to preserve freedom of speech from the Nazis (i.e. anyone who doesn’t identify as a Democrat). Like Bernie’s campaign before him, RFK Jr’s platform was censored, reduced to nothing but an anti-vaxxer’s kooky ramblings, because he— like Bernie— threatened to actually bridge the divide in America through class politics instead of identity politics.
After all, a real leftist will tell you that class is the true intersection point of oppression. Trouncing out Beyonce or a twerking Megan Thee Stallion at a Kamala Harris rally does jack shit to make the cost of living more affordable, or end the war with Palestine.
Worth noting, too, is that RFK Jr reached out to the Democrats and the Republicans when his campaign was failing, seeking to bridge the political divide plaguing this country. The Democrats ignored him, while Trump ending up asking him to join his cabinet.
What’s more, Democrats have a nasty track record these past eight years of disparaging the intelligence and even humanity of whomever disagrees with them. Hillary Clinton called people who don’t vote for them “the basket of deplorables”; Biden called them “garbage” just last month. Even my own friends have declared on several occasions that “anyone who votes for Trump is evil.” Maybe it’s because I grew up in impoverished, rural white America and know for a fact that the majority of people there are decent, hardworking folks who just want to make a
living and be left alone, but I can’t help but think the Democrats never heard the old adage: “You catch more bees with honey than with vinegar.”
I’ll never forget two moments, both of which informed my personal politics (I care about the environment, I care about eliminating America’s colonialist foreign presence overseas, and I won’t vote for anyone with a sexual assault allegation — which includes Joe Biden, as much as Democrats try to hide that fact). The first was in 2016, when I asked my now-deceased Grandpa why he was voting for Trump.
“I actually like Bernie,” he said. “But Trump has the momentum, and we need change down in Washington DC. And those Democrats think that they know what’s best for everyone, but they don’t. We need to keep the government small.”
“Why small, though?” I asked. “Don’t you want universal health care?”
“That’d be nice,” my Grandpa said. “But if you want something mailed on time, you have to use a service like FedEx instead of the United States Postal Service. If you go to a government website, it’s too slow to use. And if you call any government phone number, you’re on hold for hours.”
He’s right about that, I thought...
“So if the government offered health care? Well, it’d probably be the worst health care in the world.”
Given that Obama’s attempt at universal health care penalized people upwards of $700 if they couldn’t obtain health insurance otherwise, I might have to agree.
The second moment was during a post-2016 election party with my fellow graduate students at Cornell University, where I was finishing my PhD in Japanese music. Grad students there were sharing their grievances, like how everyone who voted for Trump is uneducated, stupid, and— here’s that word again — evil.
“Have any of you ever talked to anyone who voted for Trump?” I asked.
“Of course not!” they remarked, with something close to pride in their voices. “Why would we?”
“Well, if you did,” I said, “You’d know they’d think you’re all a bunch of elitist assholes.” And I left.
It was the worst party I ever went to, by the way.
So I, for one, see this as a time of hope: I hope that the Democrats keep taking a look in the mirror about why they lost. I hope the Republicans know they only won because the other candidate was so awful. And I hope the US can finally produce a viable third party — which is how I’ve voted for three presidential elections now — because the Democrats and the
Republicans are, as evidenced by the farce that was this year’s American presidential election, equally captured.
And I dare say most Americans would agree with me.

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