「ele-king」と一致するもの

パブリック娘。 - ele-king

hi ele-king

「あっ、ども。はじめまして。」パブリック娘。です。
https://lyricalgarden.web.fc2.com/publickmusume/
橋元遊歩さん(原文ママ)から、THE OTOGIBANASHI'Sだけではライヴレヴューとしてなんだからと、ついでに大絶賛をいただいたラップ・グループです。
https://www.ele-king.net/review/live/002309/

1から3が清水大輔、4から6が斎藤辰也、7から10が文園太郎による選曲です。メンバー3人のうちまともにDJをしているのは文園のみですが、橋元さんへの感謝状の意も込めまして3人揃って選曲させていただきました。リストを眺めますと、目立つのはアーティスト本人によるアップロードですね。これもナウなヤングのひとつのリアルでございます。そうそう、Tokyo No Waveなるシーンが東京のライヴハウス(主に高円寺二万電圧でしょうか)で盛り上がりつつあるようですが、ぜひエレキングにも分析してもらえたら面白いに違いないと思っています。

私事になりますが、夏風邪をガツンとひいてしまい、目覚めたら39.8度なんてことが2週にわたり断続的に起きています。熱いです。ホット・チップです。みなさんのご健勝となによりご健康を心よりお祈り申し上げます。

best wishes.
tatsuya


1
moscow club - jellyfish - Bandcamp

2
ミツメ - fly me to the mars!!! - Mitsume

3
ユームラウト - マイライフ・イズ・エンド - Myspace

4
Dro Carey - Venus Knock - The Trilogy Tapes

5
Chrome Sparks - Still Sleeping (Feat. Steffaloo) - Zappruder/Bandcamp

6
kyu-shoku - New Song - Soundcloud

7
Rhymester s/w Wack Wack Rhythm Band & F.O.H - ウワサの真相 featuring F.O.H」- Ki/oon Music

8
Buddha Brand - 人間発電所(ORIGINAL '96 VERSION) - Cutting Edge

9
tengal6 - Put Ya Hands Up!? (You Know What Time Is It!? Mix) by BeatPoteto - Soundcloud

10
You The Rock - Back City Blues - Cutting Edge

electraglide - ele-king

 フライング・ロータスと電気グルーヴとDJケンタロウと高木正勝がいっしょに出る......というこの実験的でマニアックでオープン・マインディッドで、そしてど派手なラインナップ。ソナー・サウンド・トーキョーとしても活躍するビートインクが3年ぶりのエレクトラグライド、通称エレグラを開催する。
 ビートインクといえば、いまでは〈ワープ〉や〈ニンジャ・チューン〉をはじめ〈ハイパーダブ〉などの日本でのライセンスで知られているが、実はもともと、20年前は、まだエレクトロニック・ミュージックが日本に根付く前から、〈ON-U〉や808ステイト、リー・ペリーなどのコンサートを手がけている。PAシステムに対する意識もかなり高い。ハイプ・ウィリアムスのライヴで度肝を抜いた去る6月の「ハイパーダブ・エピソード1」のときのように、豪華なラインナップばかりではなく、意地でもサウンドシステムに力を注いでくるであろう。演出にも相当気を遣ってくるだろう。
 11月23日(金曜日)、場所は幕張メッセ。スタートは夜の9時から。すでに出演者は、二回に分けられて発表されている。第一弾発表として、フライング・ロータス、スクエアプッシャー、フォー・テット、アモン・トビン、アンドリュー・ウェザオール、コード9。ビッグネームがずらりと並んだ感じだが、フライング・ロータスに関しては新作『Until the Quiet Comes』が素晴らしかったこともあって、この一本だけでも駆けつけて来る人は少なくないでしょう。
 8月末には第二弾発表として、電気グル―ヴ、DJクラッシュ、DJケンタロウ、高木正勝といった大物の名前が挙げられたばかり。9月末には最終ラインナップが明かされることになっている。
詳しくはココ→(https://www.electraglide.info/

 ちなみにele-king編集部では、当たり前の話だが、本当に、まだ何も知らない(スタッフに訊いてみたけれど、当然、口は堅い!)。なので最終ラインナップの予想をしてみる。あくまでも希望が込められた予想です。イーノ、ハドソン・モホーク、デイデラス、エイフェックス・ツイン、ローレル・ヘイロー、コーネリアス、ゴス・トラッド......あるいは裏をかいてボノボ、オウテカ、グリズリー・ベア、ダークスター、オウガ・ユー・アスホール......あるいはハイプ・ウィリアムスがまた来たりして......当たったら拍手を! はずれたら罵倒を!


11/23(金曜日/祝前日)
@幕張メッセ
OPEN / START 21:00
TICKET前売¥8,800 / 当日¥9,800
※18歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。
顔写真付き身分証明書をご持参ください。

TICKET INFO:
前売8,800YEN:9月1日より販売開始!
チケットぴあ 0570-02-9999 [https://t.pia.jp/]
(Pコード:177-607) 初日特電:0570-02-9565
ローソンチケット 0570-084-003 [https://l-tike.com/] (Lコード:72626) 初日特電:0570-084-624
e+ [https://eplus.jp]
BEATINK web [beatink.com]
(以下ABC順)
BEAMS RECORDS 03-3746-0789
DISC SHOP ZERO 03-5432-6129
DISK UNION(渋谷Club Music Shop 03-3476-2627、新宿Club Music Shop 03-5919-2422、下北沢Club Music Shop 03-5738-2971、お茶の水駅前店 03-3295-1461、池袋店 03-5956-4550、吉祥寺店 0422-20-8062、町田店 042-720-7240、横浜西口店 045-317-5022、津田沼店 047-471-1003、千葉店 043-224-6372、柏店 04-7164-1787、北浦和店 048-832-0076、立川店 042-548-5875、高田馬場店 03-6205-5454、diskUNION CLUB MUSIC ONLINE [https://diskunion.net/clubt/])
HMV(ルミネ池袋店03-3983-5501、アトレ目黒店03-5475-1040、ルミネエスト新宿店03-5269-2571、ららぽーと豊洲店03-3533-8710)
GANBAN 03-3477-5710
JET SET TOKYO 03-5452-2262
SPIRAL RECORDS 03-3498-1224
TECHNIQUE 03-5458-4143
TOWER RECORDS(渋谷店 03-3496-3661、新宿店03-5360-7811、秋葉原店03-3251-7731、横浜モアーズ店045-321-6211、池袋店03-3983-2010、吉祥寺店0422-21-4571、町田店042-710-2161、柏店04-7166-6141)
TSUTAYA(SHIBUYA TSUTAYA 03-5459-2000、代官山 蔦屋書店 03-3770-2727、
TSUTAYA TOKYO ROPPONGI 03-5775-1515、三軒茶屋店 03-5431-7788)

INFO:
BEATINK 03-5768-1277 [beatink.com]
SMASH 03-3444-6751 [smash-jpn.com] [smash-mobile.com]
HOT STUFF 03-5720-9999 [www.red-hot.ne.jp]
https://www.electraglide.info/

Maria Minerva - ele-king

 これまでマリア・ミネルヴァと勝手に読んでいたけれど、勉強不足ですいません、英語読みならミナーヴァ、ラテン語読みするなら正確にはミネルウァだそうで……ローマ神話に登場する音楽(魔術)の女神の名前の引用のこと。ミネルヴァとは俗ラテン語読みだったことをあとで知った。
 彼女が生まれ育ったエストニアの首都タリンは、今日、スカイプを生んだIT産業の成長国として、旧ソ連のなかでは貧しかった過去から一転した繁栄を遂げていることでも知られている。本名Maria Juur(マリア・ユールでいいのだろうか)は、自らのコンセプトに「負け犬」を掲げているが、母国の成長とともに育った女性なので、日本で多くに流通しているところの「負け」とは感覚が違っている。劣等感に支配された負け犬の惨めさが、彼女にはない。
 しかし、彼女が現在24歳だとしたら、24年前のタリンはそれなりにきつかったろうし、歴史を調べればそこがロシアとナチスに占拠されてきた土地であることもわかる。負け続けてきた歴史があり、そして彼女がそんな母国の文化にアイデンティファイしている話は、紙ele-kingの『vol.6』でもしている。やられ続けていた人間がいつの間にやる側に反転することはままあるが、彼女の変わらずの“前向きな”負け犬根性が注がれたアルバムは、8月も残すところ1週間というタイミングでレコード店に並んでいた。昨年の『キャバレ・シクスー』に続くセカンド・アルバム、タイトルは『ウィル・ハッピネス・ファインド・ミー?(幸福は私を見つけるか?)』。
 世間では、幸福とは自分で探すものだと教えられるが、いや違う、それは向こうからやってくるのだ、そんな言葉だ。しかもそれは、“私は発見されたくない(I Don't Wanna Be Discovered)”というアルバム3曲目のサブタイトルでもある。つまり、私は幸福なんてものにわかられたくない、と彼女は言っている。

 こうした不愉快さをにおわせるアルバム名に使いながら、ところがどっこい、『ウィル・ハッピネス・ファインド・ミー?』は、“マイクのごとき心(Heart Like A Microphone)”や“諦めるな(Never Give Up )”、“甘い相乗効果(Sweet Synergy)”や“永久機関(Perpetual Motion Machine)”、“星(The Star)”や“火(Fire)”などといった曲名のように、情熱的なニュアンスが並んでいる。“怒った少女のラヴ・ソング(Mad Girl's Love Song)”といったロマンティックな曲名の曲もあるが、これは60年代に自殺した女流詩人、シルヴィア・プラスの言葉からの引用だという(その曲は、昔の芸術界で不遇な死を遂げた女性への深い共鳴を感じさせる)。

 アルバムの内容は、前作とは比較にならないくらいに多様性を見せている。インド風のIDM=“ザ・サウンド”、メランコリックなヒップホップ=“ファイヤー”、レゲエ風=“スウィート・エナジー”、ジェフ・ミルズのミニマル・テクノをヒントにしたような曲=“パーペチュアル・モーション・マシン”、ダビーでスペイシーなポップ・ソング=“マッド・ガールズ・ラヴ・ソング”、アンビエント・ドローン的展開=“アローン・イン・アムステルダム”、エモーショナルなバラード=“ネヴァー・ギヴ・アップ”……そして、意外なことに、50年代に活躍した女性コーラス・グループ、ザ・コーデッツの“ミスター・サッドマン”(誰もが耳にしたような曲)をサンプリングしたメロウなR&B=“ザ・スター”。
 推し曲をひとつ選ぶなら、“アイ・ドント・ウォナ・ビー・ディスカヴァード”だろうか。ハンドクラップを取り入れたこのハウスは、マリアのお得意のスタイルの曲だが、いまどきの格好良さばかりではなく、今作の“情熱”を象徴するかのような力強さ、いままでの彼女にはなかったソウルがある。反響するループが瞑想的な“カミング・オブ・エイジ(成人)”などは、あたかもパティ・スミスのような語りを展開する。しかし、パティ・スミスにとってのヒーローはすべて男(ランボーからジミ・ヘンドリックス)だったが、マリアにとってのそれが女性(シクスーからプラス)であるという相違点は大きい。

 いろいろやれば良いってものではない。勇敢な挑戦が必ずしも成功するとは限らない。声はチャーミングだが、歌がうまいとは言えない。が、ともすれば移り気な新世代のラップトップ・ミュージックにも魂に訴える音楽があることをマリア・ミネルウァは証明した。しようとしている。“ハート・ライク・ア・マイクロフォン”で「私の心はマイクのようだ」と、機械で加工された声で歌う。的確なことを。「だから、まさに、それに話しかけろ(just talk into it!)」
 僕はこの曲にビョークの“オール・イズ・フル・オブ・ラヴ”を思い出したが、PCで音楽を創作するデボラ・ハリーを想像してみてくれてもいい。負け犬とは痛い人たちではなく、痛みを感じることのできる人たちのことである。


ジョン・フルシアンテ - レター・レファー

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ジョン・フルシアンテ - PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン

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 『レター・レファー(Letur-Lefr)』『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン(PBX Funicular Intaglio Zone)』というふたつの作品のリリースをめぐって、ジョン・フルシアンテはその思いを自身のブログに滔々と書き綴っている。「ジョン・フルシアンテ・ドット・コム」に掲載されたその文章は、彼の情熱と熟考のあとを生々しく伝える内容で、ファンのみならずひろく音楽リスナーの間でも話題になっている。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズというモンスター・バンドに在籍し、ことにソングライティングにおいてその音楽性の多くを担ってきたフルシアンテが、そこを脱けてめざした天地はどのような場所か。

 彼は2004年前後からはオブセッシヴなまでに数多のソロ・ワークスをリリースし、さまざまなアーティストと交流しながら腕を磨き、あくまでストイックに自らの目指す音を探求し続けてきた。バイシクル・シーフのジョン・クリングホッファー、マーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス、ヴィンセント・ギャロ。彼らとのイマジナティヴな共同作業を経て、今作に登場するのはMC、RZAやウータン・クラン・ファミリーの若手たちである。音のうえからみても、シンセやドラムン・ベースに彩られたこのキャリアにおける異色作からは、彼がいま目にしているものが過去ではないということが、ひしひしと伝わってくる。

 また、それはたんにロックからエレクトロニック・ミュージックへの転向という単純なモード・チェンジでもない。「シンセ、シーケンサー、ドラム・マシンに対するエキサイトメントをギターにも向けられるようになった」......自らのなすべきことについての真摯な思考と試行の果てに、この数年を音楽のプログラミング修行にあててきた彼が、ふたたびギターに向かい合うという物語までもが、この作品の背景にはふくまれている。

 ブログによれば、作品タイトルには彼の音楽ヴィジョンの一端が象徴として示されているようだ。思弁的な文章じたいも、彼のキャラクターに深く触れることができるものである。国内最速でその翻訳をお届けしよう。


Part.1

みなさん

 新作が2枚リリースされることになった。
 最初に『Letur-Lefr』というEPを、その次に『PBX Funicular Intaglio Zone』というLPがつづく。僕がヴォーカル、すべての楽器の演奏、そしてエンジニアを担当しているんだ。EPには何人か友達がヴォーカルで参加しているんだけど、そのほとんどがMCだ。LPにはゲストがひとり参加しているけど、その他は僕がヴォーカルを担当している。

 僕はこの音楽をプログレッシブ・シンセ・ポップだととらえている。だからと言って、そういうサウンドの作品に仕上がっているというわけではなくて、今作の基本的なアプローチを反映しているということだ。さまざまな音楽スタイルを組み合わせ、エレクトロニック楽器を使うことで、自分独自の音楽フォームをクリエイトしてるんだ。

 『Letur-Lefr』は2010年のもので、『PBX』は2011年に制作された。『Letur-Lefr』はコンピレーションみたいなもので、『PBX』の構想を練っている最中に作った楽曲をセレクトしたものだ。EPの楽曲は連続してレコーディングしたものだ。それぞれの作品は内容がまったくちがうものだから、LPをリリースする前に、“Walls And Doors”という曲をフリー・ダウンロードとして提供する。“Walls And Doors”は『PBX』の7ヶ月前にリリースされたけど、アルバムの方向性を予知していたんだ。“Walls And Doors”は最初はアルバムに入れると思っていたけど、入れない方がアルバムにとってよかった。

 『Letur-Lefr』は7月4日に日本でリリースされ、北米は7月14日、その他の国では7月16日にリリースされる。EPはプレオーダーできるけど、アナログ、CD、カセット、そして32ビット、FLAC、MP3などのフォーマットでこのリンクから購入できる。

 『PBX Funicular Intaglio Zone』は日本で9月12日、北米では9月25日、その他の国では9月24日にリリースされる。『Letur-Lefr』と同様、『PBX Funicular Intaglio Zone』もアナログ、CD、カセット、そして32ビット、FLAC、MP3などのフォーマットでリリースされる。

 『PBX』のプレオーダー・リンクは8月上旬に発表する予定だ。

ありがとう

ジョン

Hello people,

There are two new John Frusciante records coming out. The first is an EP entitled Letur-Lefr, and the second is an LP entitled PBX Funicular Intaglio Zone. I sing, play the instruments and am the engineer. The EP features a few friends on vocals, mostly MC’ing. The LP has one feature, the rest of the vocals being my own.

I consider my music to be Progressive Synth Pop, which says nothing about what it sounds like, but does describe my basic approach. I combine aspects of many styles of music and create my own musical forms by way of electronic instruments.

The tracks on Letur-Lefr are from 2010 and PBX was made in 2011. Letur is a compilation, a selected portion of music I made that year while PBX was conceived as an album, the songs having been recorded in succession. The records are very different from each other, so prior to the release of the LP, I will make available a free download of a song called Walls and Doors. This song pointed the way towards PBX, but was recorded 7 months earlier. I always took it for granted that Walls and Doors would be part of the record, but as it turned out the record was better off without it.

Letur-Lefr will be released in Japan on July 4th, in North America on July 17th, and in the rest of the world on July 16th. You can pre-order the EP, which will be available on vinyl, CD, cassette and in 32 bit, FLAC and MP3 digital formats here https://johnfrusciante.com/letur-lefr/

PBX Funicular Intaglio Zone will be released in Japan on September 12th, in North America on September 25th and in the rest of the world on September 24th. Like Letur-Lefr, PBX Funicular Intaglio Zone will be available on vinyl, CD, cassette and in 32 bit, FLAC and MP3 digital formats.

We will provide a pre-order link for PBX sometime in early August.

- Thanks, John

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Part.2

Album Titles

 「PBX」は内部のコミュニケーション・システムを意味する。自然界だと、ビジネスやオフィスではなく人間の内部にも似たようなシステムがある。「Funicular(フニキュラー)」とは、ふたつのケーブルカーが1本のケーブルに繋がれていて、ひとつのケーブル・カーが上がるときに、もう1台が下がる仕組みのことだ。音楽というのは、さまざまなレベルで常にそれと似たことが起きている。「Intaglio(インタリオ、沈み彫り)」は彫刻におけるひとつのテクニックなのだが、彫刻家が作品の裏側から彫ることで、徐々に見物人には前面から肖像がレリーフで見えるようになる。しかし彫刻家は、前面とは対極のアングルから肖像を彫っているわけだ。僕が魅力を感じる音楽には、これに似たアプローチが取り入れられていて、このアプローチが多ければ多いほど好きになるのだ。「Zone」は、自分の感情と身の回りの環境が一体化し、他の世界がすべて消えてしまう心理状態のことだ。この4つの言葉を組み合わせることで、僕のクリエイティブ・プロセスを深いところまで描写できるのだ。

 「Letur-Lefr(レター・レファー)」という言葉は、ふたつの異なるものが連結部分によってひとつになることを意味している。それは、アルバムの1曲目がアルバムの最終曲の続編であることに象徴されている。

PBX refers to an internal communication system. There is a natural version of this, wherein the “business or office” is a person. A funicular involves two trams connected by a cable, one going up while the other goes down. All music perpetually does this on many levels simultaneously. Intaglio is a technique in sculpture where one works on the opposite side of the image, whereby the image will eventually appear to the spectator in relief, but the angle the sculptor works from is the negation of that. In music that I like, an approach analogous to this was employed, the more so the better. Zone refers to a state of mind wherein the rest of the world seemingly disappears, and nothing matters but the union of one’s immediate surroundings with one’s feelings. These four words linked together go far to describing my creative process.

Letur-Lefr for me signifies the transition of two becoming one, notably symbolized by the first song on the album being the sequel to the album’s last.



Part.3

My Recent History

 エレクトロニック・ミュージックを作り、エンジニア作業もすべて自分で手掛けたいという夢を実現することに、5年前から真剣に取り組みはじめた。その10年前から、僕はさまざまなタイプのシンセサイザー・ミュージックやサンプリング・ミュージックを模倣してギターをプレイしていた。マシンの言語は、マシンをプログラミングする人に新たな音楽ボキャブラリーを与えたことに気がついた。過去22年間に生み出されたエレクトロニック・ミュージックは、新たなリズム、メロディ、ハーモニーの原理を導入した。以前はプログラミングで作られたエレクトロニック・ミュージックを聴いても、どのようなプロセスで曲が作られたかが解明できなかった。80年代のマシンや、90年代のトラッカー・ソフトウェアを熟知している人たちは、理論的なアプローチでプログラミングをしていたが、僕がポップ/ロック、ジャズ、クラシックから知っていた理論とはちがう体系のものだった。手と楽器の密接な関係性は、ミュージシャンが作り出す音楽の基礎となっているが、ポップ/ロックを演奏する上で、自分の頭が手によってコントロールされている傾向が強いことに気づいて、それを修正したいと強く願っていた。マシンの知能と人間の知能が刺激し合って、その相互作用によって生まれる音楽に僕は強い関心を抱くようになった。

 2007年から僕はアシッドハウスで使用される機材やハードウェアのプログラミングを学ぶようになった。7ヶ月間は何もレコーディングしなかった。その後は、10個の機材を同期させ、ミキサーに通してCDバーナーに録音するようになった。最初は実験的アシッドハウス・ミュージックを作っていたが、ロック・ミュージックで学んだスキルはいっさい使わなかった。僕は伝統的なソングライティングに興味を失って、音楽をクリエイトする新たな方法を見つけたいと感じていた。マシンに囲まれ、次々とマシンをプログラミングし、その興味深いプロセスを楽しんだ。それまでは筋肉を使って楽器を演奏していたが、同様に数字を使ってマシンをプログラミングする作業が楽しくなった。数学的で理論的な方法でリズム、メロディ、サウンドに取り組むようになったため、これまで無意識に使っていたスキルが徐々に意識的になった。

 その後は2人の友人と演奏するようになったわけだが、これまでひとりでリビング・ルームでやっていたことを仲間とやるようになった。この編成はいまでも僕の性分に合うバンドだと考えている。

 仲間と演奏するようになった直後から、僕はコンピューターを使用するようになった。最初は、僕がハードウェアで作り出していた音をレコーディングするためにコンピューターを使っているだけだったが、徐々にコンピューターがメインの楽器になった。僕の制作方法と考え方に特化した理想的なスタジオも同時に作り始めた(この作業は今も進行中)。この時期に作っていた音楽はCDバーナーに録音していた音楽よりも冒険的なインスト・アシッドハウスだった。コンピューターで2曲レコーディングしてから、自分が作り出している新しい音楽が“プログレッシヴ・シンセ・ポップ”という言葉にふさわしいと感じはじめた。当時作っていた音楽では、アシッドが中心的要素だった。

 1年ほどコンピューターを音楽制作に使うようになってから、自分のヴォーカルを導入するようになった。それまでは、ギターとヴォーカルをエレクトロニックに取り入れたくないと考えていた。僕が大好きなタイプのエレクトロニックのルールに基づいた音楽を作りたいと思っていたからだ。ギターとヴォーカルをエレクトロニック・ミュージックとミックスすると、以前僕がやっていたポップ/ロック・ミュージックのソングライティングとギターのルールに戻ってしまうから、避けたかった。エレクトロニック・ミュージックをギターやヴォーカルとブレンドしたら、エレクトロニクスが僕の曲、ヴォーカル、ギターの補助的な役割になってしまうと考えていた。そのアイデアには不快感を覚えた。僕はロック・ミュージシャンとしての経験が長かったので、ロックのルールが優先されてしまい、新しいことを発見するペースが遅れてしまうと考えていた。“ルール”という言葉を使うときは、特定の音楽スタイルを定義づけ、その境界線を設定する根本的原理や抽象的現象を指しているわけであって、その境界線のなかで人間はクリエイティブな探求をしているわけだ。

 ソングライティングは続けていたが、必要性を感じたときに、そしてその方法で表現しなければいけないときに曲を書くようにしていた。僕は長年、曲を量産することでソングライティングのスキルを磨くものだと考えていたが、それが違うということに気がついた。最近は、ソングライティングというのは呼吸のように、自然に起きるものだということが分かった。最初のうちは、事前に作曲した曲をレコーディングする作業が窮屈のように思えたが、新たな曲作りのメソッドを吸収し、プログラミングのスキルとスピードも上達していたので、インストを作っていたときと同じくらいヴォーカルとギター入りの曲のレコーディングが楽しくなった。この時期に『Letur-Lefr』の曲をレコーディングし始めた。このときはまだロックの要素は遠ざけていたが、R&Bとヒップホップは自然と僕がやりたかった音楽にブレンドできることがわかった。ソングライティングとプログラミングを統合する上で、R&Bは有効な方法だということに気がついた。ヴォーカルがインスト・トラックを支える曲作りの方法を見つけることができたわけだが、その逆ではないことが僕にとって重要だった。

 この時期が経過すると、僕は新たなアプローチでギターを演奏するコンセプトを練り始めた。そのために定期的な練習が必要だった。その数年前は、レイヴやシンセ・ポップのレコードに合わせて練習することが多かった。僕がやりたかった音楽では必要性を感じていなかったため、ギターを演奏するための筋肉を訓練させるような練習はしたくなかった。僕の妻のセカンド・アルバムで特定の演奏法がしたかったので、定期的に練習していた。しかし、その後に僕はまったく新しいギター演奏のアプローチを発見することができた。僕のメインのエレクトロニック楽器はMC-202だったが、最初の頃は202をプログラミングするときは、ギターの知識を使ってプログラミングしていた。しかし、長く202を使ったことで、僕のギタリストとしての知識と202奏者としての知識が同じレベルになり、僕のギター演奏が202のプログラミング方法に影響されるようになっていた。ギターを演奏するとき、ロック・ミュージシャンとしての指と筋肉の使い方から完全に離れることができるようになっていた。違うギターに変えたということもあるが(Yamaha SG)、202を使うときは指のポジションによって音符を演奏するわけではないので、そのアプローチによってギターを演奏する新しいアイデアが芽生えていた。この時点から、ギターが完全に僕がやろうとしている新しい音楽と一体になった。ギターに対する新しいアプローチが見つかり、音を加工する新たなテクニックを吸収していたので、シンセ、シーケンサー、ドラム・マシンに対するエキサイトメントをギターにも向けられるようになった。したがって、僕はロック/ポップスの音楽理論を他の好きな音楽要素と同じように、僕の音楽に応用できるようになった。考え方が変化したので、クリシェを避けることを意識する必要もなくなった。新しい癖が身についていたので、そこから様々な新しい音楽的方向に進むことができた。古い癖は完全に捨て去っていた。コンピューターも完全に僕にとって楽器になっていたので、ドラムンベース(そしてその他の作りたかった音楽的スタイル)も僕の音楽に完全に取り入れられるようになっていた。この時期から、僕は過去のエンジニアリング・スタイルを理解できるようになっていたので、新旧のプロダクション・スタイルを、様々な音楽スタイルと同様に組み合わせられるようになった。数ヶ月が経過すると、僕は『PBX Funicular Intaglio Zone』をレコーディングし始めた。何年間も僕は1曲ずつ制作するアプローチをとっていたが、新たなプロダクションの経験を積んだことで、ひとつの作品のコンセプトの中で完全に没頭しながら制作できるようになっていた。この時期から僕が長らく求めていたバランスを見つけることができた。ボーカルと曲の構造があっても、ミュージシャンとして完全に自由でいられる境地に達していた。

 『PBX』では僕が何年も前に頭の中で想像していた音楽的要素の組み合わせが実現しているが、当時はどうやって形にすればいいか分からなかった。純粋に音楽に取り組むチャンスを与えられたことが幸運だと思っているし、音楽ビジネスの中に長年いても、音楽に集中することができたことに感謝している。僕は長年レコードを聴きながら演奏したり、曲を書いたり、夢見ることにほとんどの時間を費やすことができた。それを手助けしてくれた人々にとても感謝している。

 最後に、アシッド・ミュージックは僕にとってよい出発点となった。そこから徐々に、僕はワンマン・バンドとしてあらゆる音楽的スタイルを自由に組み合わせられるようになったわけだから。

ジョン

I started being serious about following my dream to make electronic music, and to be my own engineer, five years ago. For the 10 years prior to that, I had been playing guitar along with a wide range of different types of programmed synthesizer and sample based music, emulating as best as I could, what I heard. I found that the languages machines forced programmers to think in had caused them to discover a new musical vocabulary. The various forms of electronically generated music, particularly in the last 22 years, have introduced many new principles of rhythm, melody, and harmony. I would learn what someone had programmed but their thought process eluded me. Programmers, particularly ones fluent on machines from the early 80s and/or tracker programs from the 90s, clearly had a theoretical foundation in their employ but it was not the theory I knew from pop/rock, jazz or classical. The hands relationship to the instrument accounts for so much of why musicians do what they do, and I had come to feel that in pop/rock my mind was often being overpowered by my hand, which I had a strong desire to correct. I was obsessed with music where machine intelligence and human intelligence seemed to be bouncing off one another, each expanding with the incorporation of what it received from the other.

In 2007 I started to learn how to program all the instruments we associate with Acid House music and some other hardware. For about 7 months I didn’t record anything. Then I started recording, playing 10 or so synced machines through a small mixer into a CD burner. This was all experimental Acid House, my skills at making rock music playing no part in it whatsoever. I had lost interest in traditional songwriting and I was excited about finding new methods for creating music. I’d surround myself with machines, program one and then another and enjoy what was a fascinating process from beginning to end. I was so excited by the method of using numbers much in the same way I’d used my muscles all my life. Skills that had previously been applied by my subconscious were gradually becoming conscious, by virtue of having numerical theoretical means of thinking about rhythm, melody and sound.

Then I began a musical relationship with two friends, wherein I could do basically the same thing I had been doing in my living room, only with other people. This continues to be a band which is perfectly congruent with my nature.

Right after we started playing together I started using a computer. Initially it was just something to record what I was doing with hardware but it eventually became one of my main instruments. I gradually built up a studio ideally set up for the specific ways I work and think (this is a continual work in progress). The music I did at this stage was a more adventurous kind of instrumental Acid House than what I’d been doing onto CD, and by the time I recorded my second song on a computer, I was aware that Progressive Synth Pop was an accurate description of what I was doing. Acid was nevertheless the central musical style involved.

After a year or so on the computer, I occasionally began using my voice again. Prior to this, incorporating guitar and singing had posed a problem because I wanted to make music based on the rules, as I perceived them ? inherent in the various kinds of electronic music I loved ? and did not want to blend this with what I previously did with songwriting and guitar wherein many rules of pop/ rock music would then naturally be employed. If I’d attempted to blend the two at that time my electronics would have served as support to my songs, voice, and guitar. This idea was repugnant to me. Because I was so much more developed as a rock musician, rocks characteristics and rules would have dominated, thereby slowing down the rate at which I was discovering new things. To be clear, when I say rules, I mean the underlying principles and abstract phenomena which define a particular style, marking its boundaries and limits, within which exists an area proven to be worthy of human creative investigation.

I continued to write songs, but only when I had to out of necessity, because something had to be expressed that way. I no longer looked at songwriting as a craft to prolifically hone, as I had for so long. In these recent years, it is just something that happens sometimes, a natural thing, like breathing. At first, recording pre-written songs felt like a restriction, but I eventually found myself having acquired enough new work methods of my own and enough skill and speed at programming that when I recorded a pre-written song I had as much fun as when I made instrumentals. This is the point at which the tracks on Letur-Lefr were recorded. I was still steering clear of most rock music characteristics, but R&B and Hip Hop were blending well with the various types of music I was combining. R&B seemed to me a path through which to integrate my songwriting with my programming, being that I could do it in such a way that the song served as support for the things I was doing instrumentally ? and not the other way around ? which was very important to me.

As this phase passed, I began developing a concept for a new approach to playing guitar, which required regular practice. For the preceding couple of years, practice consisted of playing along with this or that Rave or Synth Pop record or whatever. I didn’t see a point in developing my playing musculature-wise because there was no call for that kind of playing in my music. I originally was practicing in a disciplined manner because I wanted to play a specific way on my wife’s second record. But I found an approach to the instrument, which was brand new for me, in which I saw a lot of room to grow. My main melodic electronic instrument being the MC-202, I had gone through a long period where my knowledge of guitar informed much of my 202 programming. But I had now reached a point where I thought as much like a 202ist as I did a guitarist, and my guitar playing was now being informed by my knowledge of the 202. I was using the muscles I was developing in a way completely divorced from the way I used them as a rock musician, partially because I switched to a different type of guitar (a Yamaha SG), but mainly because my musical ideas stemmed from my understanding of an instrument on which the choice of notes is not limited by the position of ones hand. So at this point guitar became fully integrated into my music. The combination of having a new approach to the instrument, combined with all the ways I was now well versed at processing sound, resulted in my having the same excitement about guitar that I had long had for my synths, sequencers and drum machines. This, and other factors, resulted in my being able to pick and choose specific musical principles from rock/pop to apply to my music, just as I had been applying specific aspects of every other type of music I love. I no longer had to be concerned with avoiding cliches because I just didn’t think that way anymore. I had developed new habits which were taking me all kinds of new places, and the old habits were now foreign to me. Also the computer had now become an instrument for me, so Drum n’ Bass (as well as a number of other styles I’d been reaching for) had now become fully integrated into my music. At this point, I also had begun to grasp the characteristics of engineering styles of the past, allowing me to combine aspects of old and modern styles of production just as I’d been combining different styles of music.

A few months into this period, I began the recording of PBX Funicular Intaglio Zone. For years I had just approached everything one song at a time, but my experience in production now allowed me to comfortably work within a record concept while remaining completely absorbed in the process. By this time, I had found the balance that I’d been searching for, wherein the presence of a vocal and the structure of a written song actually provided me with additional freedoms as a musician.

Aspects of PBX are the realization of combinations of styles of music I saw in my head many years ago, as potentials, but which I had no idea how to execute. I’m so happy that I’ve had the opportunity to focus exclusively on music for music’s sake, and also so thankful that I got to spend all those years active in the music business whilst keeping my head in music all the time. I was free to spend most of my time playing along with records, writing, and dreaming. I have so much gratitude for everyone who made that possible.

In summary, Acid served as a good starting point for me, very gradually leading me to be able to combine whatever styles of music I want, as a one man band.

- John

(訳:バルーチャ・ハシム)

Sensational meets koyxeи Japan tour 2012 - ele-king

 野蛮人が来日する。センセーショナル、人は彼をラップ界のリー・ペリーと呼ぶ。ラップ界には、ある意味ではかなりの数のリー・ペリーがいるかもしれない。その強豪揃いのシーンのなかにあって、センセーショナルはよほどのことがあるからそう呼ばれている。音楽ライターのスペクターがはじめた〈ワードサウンド〉は、IDMとヒップホップの水を埋めたレーベルだが、1997年、1999年と、そこから出た最初の2枚はぶっ飛ぶためだけに生きている男の美しい記録として忘れがたい。


Scotch Bonnet

 NHK名義で知られる、大阪人かつベルリン人のコーヘイ・マツナガは、2006年に最初のコラボレーション・アルバム『Sensational Meets Kouhei』を〈ワードサウンド〉から出すと、2010年にはマンチェスターの〈スカム〉(ゲスコムのメンバーによる)から『Sensational Meets Koyxeи』も出している。つい先日も、NHKはセンショーナルとDJスコッチエッグと一緒にヨーロッパをツアーしている。

 今回は、センセーショナル+コーヘイ以外には、言わずと知れた才人Scotch Bonnet(DJスコッチエッグ)、そして大阪ではAOKI Takamasa(ele-kingは彼の音楽が大好きです)、東京では中原昌也(『エーガ界に捧ぐ(完全版)』を出したばかり!)、そしてこれまた注目のKakato ( 鎮座Dopeness x 環Roy )が出演する!
 そして、センセーショナルとNHK、DJスコッチエッグは9月12日(水)21:00~@DOMMUNE、あります。前半、この伝説の奇人に編集部野田がインタヴューします。

Sensational (ex, Jungle Brothers aka Torture)
 Tortureの名前で活動していた頃、Jungle Brothersとして94年の3作目『JBeez Wit Da Remedy』に参加、そして彼の伝説ははじまった。
 芸術家はいつの時代も気ちがいじみた特質性、風変わりな人柄に富んでいるが、sensationalは他に類を見ない正に唯一無二の超オリジナルなラッパーだ。95年、Sensationalに改名しソロアルバム『Loaded With Power』(WSCD022) 、3作目のアルバム『Heavyweighter』 (WSCD037)をリリースした頃には、NY『タイムアウト』誌で「Sensational is underground hip-hop's number one upstart-in-waiting(待ちに待ったヒップホップ・アンダーグラウンド界のNo.1の成り上がりMC)」と称された。多くのラッパーがサンプリングを使うなか、彼はすべてオリジナルトラックで臨み、そのブレイクビーツに乗せた彼の鈍りきったフロウ、詩のように優美なフロウがILLなヘッズを虜にしている、まさに伝説の奇人!

Scotch Bonnet ( Scotch Egg / Berlin )
 DJ Scotch BonnetはDJ Scotch Eggとして活動するUK在住の日本人、本名「シゲ」の新プロジェクト。ヨーロッパを中心に活動。活動の初期はガバ~ブレイクコア~チップチューンを演奏する次々世代のテクノアーティストとしてブレイクコアのアーティストを多数輩出している〈ADAADAT〉〈wong music〉から2枚のアルバムと7インチ、10インチのアナログシングルを各1枚ずつリリースしている。ATARI TEENAGE RIOT /ALEC EMPIREとのヨーロッパツアーで頭角を現わし、その後μ-ziq / APHEX TWIN/ Bong-ra. /VENETIAN SNARES等、ブレイクコアや異端テクノ系のビッグネームと多数共演、UKでは2ndアルバムリリース時に英国ラジオ局BBCが彼の特別番組を放送する等、ほぼ毎日行われるGIGでヨーロッパ全土を席巻し、注目の的となっている。マンチェスターの「FUTURE SONIC FESTIVAL」やロンドンで行われるエレクトロニック・ミュージックの祭典「GLADE FESTIVAL」、70年代から続く老舗巨大フェス「Glastonbury festival」など多数のフェスティヴァルに出演。

■大阪公演at Conpass
9月14日 (金)
18:30 open / 19:00 start

Sensational meets koyxeи ( ex, Jungle Brothers + NHK )

DJ Scotch Bonnet ( aka DJ Scotch Egg / small but hard / Berlin )
Jemapur ( Saluut, Beta, Phaseworks )
Yuki Aoe ( concept )
DJ AOKI Takamasa
DJ Kouhei Matsunaga

ADV 2500 . DOOR 3000
https://www.conpass.jp


■東京公演at Super deluxe
9月16日(日・祝日前)
19:30 open / 20:00 start

Sensational meets koyxeи ( ex, Jungle Brothers + NHK )

Kakato ( 鎮座Dopeness x 環Roy )
DJ Scotch Bonnet ( aka DJ Scotch Egg / small but hard / Berlin )
Jemapur ( Saluut, Beta, Phaseworks )
DJ NHK fm
DJ 中原昌也

ADV 2800 . DOOR 3500
https://www.sdlx.jp/2012/9/16



https://koyxen.blogspot.com
https://nhkweb.info
https://twitter.com/kouheimatsunaga

interview with Mala - ele-king

E王
Mala - Mala in Cuba
Brownwood Recordings / ビート

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 これはロマンスである。冒険であり、成熟でもある。多くのダブステッパーはベルリン、アメリカに行った。アフリカを選んだ連中もいる。昨年のDRCミュージックの『キンシャサ・ワン・トゥ』、今年の『シャンガーン・シェイク』のような作品は、21世紀のワールド・ミュージックのあり方の一例となった。
 マーラはキューバに行った。その結実として生まれた『マーラ・イン・キューバ』は、今日のDJカルチャーによるベストな1枚となった。これは大げさな表現ではない。プロデューサーのジャイルス・ピーターソンは、1990年代に彼がロニ・サイズや4ヒーローで実現させたことを、マーラというダブステップ界の英雄の才能、そして、彼の努力を信じることで再度成功させた。ピーターソンはまさに鉱脈を掘り当てたと言える。
 "Introduction"の打楽器によるシンコペーション、ピアニストのロベルト・フォンセカによる穏やかなコードの重なりは、この名作のはじまりに相応しく美しい。ロンドン郊外の冷たいコンクリートの地下室で生まれたアンダーグラウンド・ミュージックがカリブ海諸島でもっとも大きな島、多彩なリズムを擁するキューバと結ぶばれたのだ。
 
 マーラのバイオグラフィーを簡単に紹介しよう。ダブステップのオリジナル世代で、コード9と並ぶ硬派、伝説的レーベル〈DMZ〉のメンバー、デジタル・ミスティックズ名義で作品を出し、ゴス・トラッドの作品をリリースしている〈ディープ・メディ〉の主宰者でもある。
 マーラの作風は、レゲエからの影響を反映していることで知られているので、カリブ海とは必ずしも遠いわけではない。が、サルサのリズムがダークなベース・ミュージックとどのように交流し、混合されるのかは未踏の領域だった。ジャイルス・ピーターソンのような知識豊富なプロデューサーがついているとはいえ、勇気を要する挑戦だったろう。以下の取材においてもマーラは、彼自身がキューバ文化に関して無知だったことを正直に明かしている。
 たとえば"Changuito"、この曲ではシンコペートするカウベルの音からはじまり、しばらくするとド迫力でダブステップのビートが挿入される。このシンプルな構造には、しかし激烈な移転の魅力がある。このような見事な雑食性は、"Mulata"のようなサルサのピアノを注いだ曲をはじめ、アルバムの一貫した態度となっている。無理矢理日照時間を引き延ばすわけでもないが、真夜中の美学で統一されているわけでもない。マーラはその両者の反響を手際よく捉えている。スペイン語の歌が入った"Como Como"は前半のハイライトのひとつだが、こうした不安定な異国情緒は、ラロ・シフリン(映画音楽で知られる)の領域にまで接近している。

 DJカルチャーらしい大胆なミキシング......つねにそこには多彩なリズムがあり、低周波が響いている。"Calle F"はラテン・ジャズのベース・ヴァージョンだし、マーラ自身もお気に入りだという"Ghost"にいたっては、リズム・イズ・リズムの"アイコン"のリズミックな恍惚とも近しい。宝石のようなアルバムが欲しいかい? ここにあります!

キューバについて実はあまり知らなかったんだ。キューバ音楽といえば、多くの人が知っている『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ』くらいのもので、音楽のことも文化のことも、ほとんど何も知らなかった。

あなたのバックボーンにレゲエがあるのは有名な話ですが、同じカリブ海とはいえキューバは言葉も文化も違います。キューバの文化や歴史に関してどう思っていましたか?

マーラ:実はあまり知らなかったんだ。キューバ音楽といえば、多くの人が知っている『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ(Buena Vista Social Club)』くらいのもので、キューバ音楽のことも、キューバ文化のことも、ほとんど何も知らなかった。

ジャイルス・ピーターソンとの出会いについて話してもらえますか? 彼からはどのようなアプローチがあったんでしょう?

マーラ:ジャイルスとは、彼のBBCラジオ番組でインタヴューを受けたり、〈ブラウンウッド(Brownswood)〉のポッドキャストに出演したりしたことが数回あったのと、以前から僕の音楽をプレイしてくれていたし、イヴェントで共演したこともあったから、お互いのことはよく知っていた。けれども直接制作で直接関わることはなかったから意外だったね。
 ある晩に突然電話がかかってきて、「キューバで『ハバナ・カルチュラ(Havana Cultura)』というアルバムを作るんだが、少し趣の違うアーティストを入れたいから、一緒にキューバに来ないか?」と声をかけてくれた。それが最初で、一度ロンドン・ブリッジの近くのパブで会って、ギネスを飲みながら、プロジェクトについて話し合ったんだ。そのときに彼が知っているキューバの話をしてくれて、僕は逆にキューバのことは何も知らないことを伝えた。話を聞いたら、とても誠実なプロジェクトだと感じて、それに誘ってもらえたことをありがたく思って、2011年の1月に最初のキューバ訪問に出かけたんだよ。

彼は長いあいだ、世界のクラブ・ジャズ・シーンをリードしている人物ですが、あなたから見てジャイルスの良さはどこにあると思いますか?

マーラ:ジャイルス・ピーターソンのような人物は、本当に音楽にとって重要だ。これまで素晴らしい功績を残していて、素晴らしいミュージシャンたちと仕事をしてきただけでなく、つねに最先端で、気持ちが若々しい。彼はつねに新しい切り口や、新しい音楽、新しいアーティスト、新しい音楽の紹介の仕方を考えている人。ジャイルス・ピーターソンみたいな人はそういない。僕の知っているなかで近い存在といえばフランソワ・Kもそういう人だね。年齢はずっと上だけど、音楽に対する考え方はとても先駆的で、古いやり方にとらわれていない。
 とにかくジャイルスと一緒に仕事が出来たことは幸運だと思っているし、彼は僕がこのアルバムを制作していた1年のあいだ、とても辛抱強く見守ってくれた。ジャイルスはずっと僕の作った音楽を楽しんでくれていた人だから、僕は別に誰かに認められたいと思っているわけじゃないけれど、自分のやっていることに自信を持たせてくれた。誰でもそう思わせてくれるわけじゃないからね、ジャイルスのこれまでの歴史があるからこそそう思わせてくれる。彼は根っからの「ミュージック・マン」。そんな彼に信頼してもらえて本当に嬉しく思うし、ジャイルスとは生きている限り、いい友人でいられるんじゃないかな! プロジェクトが終わったからといってなくなる関係ではなく、一生続いていくものだと思う。

最初このプロジェクトに誘われたとき、あなたに迷いはなかったでしょうか?

マーラ:誘われたときにすぐ「やりたい」と思ったよ。だから、すぐにやる気があることを伝えたけど、そう返事してから、家族や友だちにプロジェクトのことを話してどう思うか意見は聞いた。でも、絶対に逃してはいけない機会だと最初から思ったよ。こういう企画はそう頻繁にあるものではないし、むしろ一生に1回あるかないかのチャンスだ。それくらい、大きな意味があるものとして受け止めた。僕の慣れ親しんだものとはまったく違うから、冒険でもあったけど、ときにはそういうものに飛び込んでみるべきだと思った。

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ダブステップに興味は持ってくれたね。ベースの大きさに驚いていたのは間違いないけど(笑)。エンジニアが、「こんな低い周波数をどうやって歪まないように録音するんだ?」って不思議がっていた。彼らが聴き慣れている音楽とはだいぶ違ったと思う。

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実際、ハバナで体験したことについて教えてください。印象に残っていること、感銘を受けたことはなんでしたか?

マーラ:キューバでは本当に印象に残る体験をたくさんしたんだけど、例えば、僕が作ったトラックをスタジオで流していたときにダナイがそれを聴いて、「この曲私にちょうだい」というので渡したら、翌日それに合わせて歌詞を書いて来て、すぐに録音した。こういう体験だけでも、僕にとってはとても新鮮だった。これまでヴォーカリストと一緒に曲を作ったことはほとんどなかったから。しかもスペイン語で歌う歌手なんてね。彼女の歌詞の意味はわからないけど、でも雰囲気で伝わることがたくさんある。あれはハイライトと呼べる瞬間のひとつだった。
 もうひとつは、ある夜にジャイルスと僕がホーム・パーティに呼ばれてプレイしていたときに、男性がやって来て「一緒にプレイしていいか?」と聞かれたんだけどどういう意味かわからなくて、MCでもするのかと思ったら、トランペットを出して来た。「いいよ、どうぞどうぞ」と言ったら、僕のトラックに合わせて演奏し出した。それがとても良かったから、「明日スタジオに来ないか?」と誘ったんだ。そしたら実際に来てくれて、アルバム中の2曲で彼のトランペットがフィーチャーされてる。もしそのパーティに僕たちが出ていなかったら、彼が参加することもなかったわけだから、特別なことだったと思う。
 あとは、ドブレ・フィロ(Doble Filo)というキューバのヒップホップ・グループのエドガロ(Edgaro)とイラーク(Yrak)というラッパーの家に遊びに行ったら、小さな煉瓦造りの家で、中庭でラップトップ、ドラマー、ベーシスト、ギタリストとキーボーディストがいてリハーサルをしていた。その光景だけでもとても印象に残ったし、キューバはとてもカラフルな場所でどの場面を切り取っても絵になるし、ストーリーがある。他にも思い出はたくさんあり過ぎて話しきれないけどね!
 それに、町中には、たくさんの音楽が溢れている。

どのぐらいの滞在で、具体的にはあなたはどのようなセッションをしたのでしょうか? あなたはビートを作って、そこに現地の演奏を録音していったんですか? 

マーラ:キューバには合計で3回行ったけど、毎回1週間ほどの滞在だった。1回目は10日間だったかもしれないな。3回目は最近だったんだけど、それは(制作ではなく)プレイしに行ったんだよね。
 1回目のキューバ訪問の際に、ロベルト・フォンセカ・バンドが、約15種類のキューバン・リズムを僕のために録音してくれた。ロベルト・フォンセカはピアニストで、他にドラム(ラムセス・ロドリゲス)、コンガ(ヤロルディ・アブレウ)、ベース(オマー・ゴンザレス)がいた。それに、キューバの有名なティンバレス奏者であるチャンギートに参加してもらった曲もある。あと、"Calle F"という曲ではトランペット奏者(フリオ・リギル)にも参加してもらった。基本的には、キューバで彼らの演奏を録音し、それを僕が自分のスタジオに持ち帰って、僕がその素材を使ってアルバムにまとめたんだ。

作業自体はスムーズにいきましたか?

マーラ:難しかったことはたくさんあったけど、もっとも苦労したのは、開始してから9ヶ月くらい経って、録音した素材とひとりでスタジオで格闘していたときかな。僕はこれまで、完成品のイメージを事前に持って曲を作ったことがなかった。普段はとにかくスタジオに行って、やっているうちにかたちが出来ていって曲が完成するという風に作っていた。でも、これだけたくさんの素材を前に、それから何か作らなければいけないということだけ決まっていて、実際に何をしたらいいのかわからなくなってしまった。客観性を持てなくなったというのかな。そういう体験をしたことがなかったから、新たな挑戦だった。
 僕にとって音楽作りは迷路のようなもので、ゴールに辿り着くためにはいろんな経路を辿ることができる。でも、どれか道を進んでみないと、それが正しいかどうかはわからない。間違っていたら突き当たってしまい、また同じ道を逆戻りすることになる。でも、その迷路自体を自分が作っていて、自分で作った迷路のなかで迷子になってしまったような感覚だった。その過程で、何度かジャイルスや〈ブラウンウッド〉に「行き詰まってしまって、完成させられるかどうか分からない」なんて連絡したこともあったよ(笑)。そのときに、ジャイルスとも仕事をしたことがあって、僕の友人でもあるプロデューサーのシンバッドが手を貸してくれた。何度もスタジオに来てくれて、僕がやったものを聴いて客観的な意見をくれた。何曲かは共同プロデュースになっている。ミックスも一緒にやった。彼の協力は本当に有り難かった。彼のお陰でどんなアルバムにすればいいのか、より明確なイメージを掴むことができたよ。

キューバのミュージシャン、キューバの人たちはダブステップのことを知っていましたか? 

マーラ:興味は持ってくれたね。ベースの大きさに驚いていたのは間違いないけど(笑)。ロベルト・フォンセカのエンジニアが、「こんな低い周波数をどうやって歪まないように録音するんだ?」って不思議がっていた。彼らが聴き慣れている音楽とはだいぶ違ったと思うけど、ロベルト・フォンセカと彼のバンドは世界中をツアーしているから、エレクトロニック・ミュージックにも触れているし、平均的なインターネットを使えないし外国にも行けないキューバ国民より、いろんな音楽を知っている。

アルバムの冒頭に入っている言葉は何を言ってるんですか?

マーラ:ははは。あれね、実は僕も何を言っているのかずっとわからなかったんだよ。スペイン語だしね。彼が言っているのは、「僕たちの音楽は止めようとしても止まらない、こういう風にもできるし、ああいう風にもできる......」というようなこと。この言葉を冒頭に持って来たのは、最初に「ハロー」って入っているだろ?あれを家で流したときに、息子が聞いて「ハロー」って返事をしたんだ(笑)。だからアルバムのはじまりにちょうどいいかと思って。喋っているのはコンガのプレーヤーなんだけど、実際にセッションのはじまりに、少し話しながらウォームアップしていく感じが、アルバムのイントロとして相応しいように感じたんだ。

アルバムの曲で、あなた個人のお気に入りはなんでしょうか?

マーラ:うーん。どれかなぁ~。強いて言うと、最後に一晩で作った曲かな。他の曲のミックスダウンの途中で、その作業がとても長かったから、すこし飽きていたところだった。何か気分転換をしようと思って、おもむろにビートを作りはじめた。そうやって、ほぼ一晩で作ったのが"Ghost"というトラックだった。他の曲もすべて気に入っているけど、この"Ghost"は僕をどこか違う次元に誘ってくれるような曲。最後の最後に、どうして突然作り上げることができたのか、自分でもよくわからない曲なんだ。今年の3月に作ったばかりだよ。翌日にシンバッドがミックスを手伝いにスタジオに来たんだけど、彼にこの曲を聴かせたら椅子から転げ落ちそうになっていたね(笑)。一緒にメロディカや生のハンドクラップを足して、アルバムに加えることにしたんだ。
 あとは、"Changes"という曲もすごく気に入っている。でも完成させるまでに苦労した分、すべての曲に思い入れがあるし、苦労が報われたと思えるよ。

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多くの人は〈DMZ〉のリリースやイヴェントが、ダブステップの基礎を築いたと言うけれど、もともと僕は自分がやりたいことを追求しようとしてきただけで、シーンをどうこうしようと思ったことはない。

E王
Mala - Mala in Cuba
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ジャイルス・ピーターソンから何らかのサジェスチョンはありましたか?

マーラ:制作の途中で、いくつかのトラックを送って聴いてもらったときに、どれが好きかという意見はもらったけど、最終的に収録した14曲の順番や中身に関してはジャイルスもレーベルのスタッフもまったく関わっていない。出来上がったものを、「完成品です」と渡しただけだったよ。それをジャイルスが聴いて、幸運にもとても気に入ってくれた。彼は完全に僕を信頼してくれて、僕の作る音楽を信じてくれていた。その分、距離を置いて見守ってくれたね。

それだけ信頼してくれたからこそ、あなたも自信を持って取り組めたということですね。

マーラ:そう、その通り。

今回のプロジェクトをやってみて、もっとも良かった点はなんでしょうか?

マーラ:このプロジェクトに携わったことで、僕の考え方は大きく変化した。理由はたくさんあるけれど、そのひとつが、まず僕はアルバムの制作を依頼されたことがなかった。僕自身は、アルバム制作にこれまであまり興味がなかった。だから、それが大きな変化だった。ミュージシャンと共同制作するという体験も大きな変化だった。それもこれまで体験したことがなかった。キューバを訪れたことも、初めての体験だったし、外国でレコーディングすることも初めてだった。テープを使ってレコーディングするのも初めてだったし、それを64チャンネルの巨大なSSLデスクを通してやるのも初めてだった。あんな美しいスタジオで、レコーディング・エンジニアと一緒に仕事をしたことなんてなかった。録音された素材に対して、自分がやることを周りがどう思うかなんていままで気にする必要がなかった。ひとりでしか音楽を作ったことがなかったからだ。
 だからこのアルバムの制作過程のすべてが、僕自身のエゴを捨てて、自分がわかっていると思っていた音楽の作り方をいちど忘れなければならなかった。このプロジェクトにアプローチするためには、自分自身を変えなければいけなかったんだ。自分がやりたいこと、やるべきことに真摯に向き合うということだけでなく、ジャイルスや、〈ブラウンウッド〉や、『ハバナ・カルチュラ』、そして何よりもロベルト・フォンセカと彼のバンド、ダナイ・スアレスなどのミュージシャンたちに対してリスペクトを持つことの大切さを学んだ。彼らが僕に教えてくれたこと、それは音楽だけでなく、人として教えてくれたことは本当にかけがえのないものだった。

この経験、そしてこの作品は、ダブステップのシーンにどのように還元されるのでしょう?

マーラ:この経験は間違いなく、僕の今後に大きく影響してくると思うよ。一度、新しい考え方や仕事の仕方を学んでしまうと、もうその前の自分には戻れないよ。今後も、いままでやって来たように音楽は作り続けるけど、キューバの要素は、常に僕のなかのどこかに留まり続けるんじゃないかな。それはグルーヴかもしれないし、新たなサンプリングの仕方かもしれないし、とにかく多くのことを学ばせてくれたプロジェクトだった。

今回のような音楽的な成熟はダブステップのシーンのひとつの可能性だと思うのですが、あなた自身は今日のダブステップのシーンについてどのような意見を持っていますか? 

マーラ:たしかに僕はダブステップのシーンに深く関わって来たし、多くの人は〈DMZ〉のリリースやイヴェントが、ダブステップの基礎を築いたと言うけれど、もともと僕は自分がやりたいことを追求しようとしてきただけで、シーンをどうこうしようと思ったことはない。そもそも「シーン」というのは誰かがコントロールできるものではないし、誰かが支配出来るものでもない。だから、僕は自分自身の方向性や、やりたいと思うことだけを考えるようにしている。この作品が、シーンに有益な何かをもたらせることができれば嬉しいとは思うけどね。

最後に〈ディープ・メディ〉について質問させてください。スウィンドルの「ドゥ・ザ・ジャズ」が今年の自分のなかのベストなシングルなんですが、あの曲に関するあなたの評価を教えてください。

マーラ:あれはアメージングなレコードだね。僕は音楽を聴くときに、好きか嫌いかということはあまり考えなくて、何を感じるかということに重きを置いているんだけど、スウィンドルの作品は僕にとってもとても興味深くて、さまざまな影響の消化の仕方がとても独特だと思う。例えばハービー・ハンコック......彼はジャズの人間だからね、彼の音楽の作り方はとてもジャズ的だと思う。そんな彼のベース・ミュージック、サウンドシステム・カルチャーへの取り組み方は他の人とまったく違う。
 スウィンドルのことは、シルキーとクエストを介して知ったんだ。彼らがスウィンドルの曲をかけていて、僕は聴いた途端に「何だこれは? 面白いぞ」と思った。その後いくつか彼の曲を聴いて、2ヶ月くらい経ってから、連絡してみようと思った。〈ディープ・メディ〉からリリースする気はないかと訊いてみた。そしたら幸運なことに、彼もとても喜んでくれてレーベルに加わることになったんだ。
 ちょうど彼の2枚目のシングルのマスタリングが終わったところだよ。今回のはまたジャズとは少し違ったアプローチの作品になっている。発売は10月頃になると思う。彼はとても若くて、たしか僕よりも10歳くらい年下なんだけど、とても集中力があって、行動力があって努力家だ。もうすでに何年もがんばってきている。自分のレーベルもやっているし、とてもアクティヴだね。最近の多くの若いアーティストは、いちどレーベルと契約すると、あとはすべてレーベルがやってくれると思いがちだ。でも実際はそうではない。アーティスト自身も努力してがんばり続けないといけない。彼にはそういうミュージシャンシップがある。彼はいま本当にがんばっているから、向こう数年間たくさんの作品を聴けると思うよ。アルバムの制作にも取りかかっているし、常に曲を作っているからね。僕自身も彼の活躍をとても楽しみにしているよ。

最後に、〈ディープ・メディ〉がヴァイナルにこだわる理由について、あなたの考えを教えてください。

マーラ:僕らはデジタル配信もしているけど、僕個人ににとってヴァイナルは大事なフォーマットなんだ。〈ディープ・メディ〉でリリースしている曲の99%は僕が実際にプレイする曲で、僕はヴァイナルをプレイするから。どちらかというと、僕個人のわがままだね(笑)。僕がレコードを集めるのが好きで、僕のレコード・コレクションに加えたいから(笑)。やはり音質が一番いいしね、大きなシステムで鳴らせばわかるけど、とくに僕の関わっているような音楽に関しては、このフォーマットで再生するのが最良の方法なんだ。それに、アーティストが血と汗と涙を流して作った作品だからさ、やはり手で触れるモノとして持っておきたいと思うのは自然だと思う。完成したという証でもあるしね。モノになって、やっと次の新しいことに取り組める。僕自身は、デジタルで発表するだけでは達成感が得られないな。

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MALA & COKI / DIGITAL MYSTIKZ JAPAN TOUR 2012

11/2(金) 大阪CONPASS (問) TEL:06-6243-1666
11/3(土・文化の日)DBS 16th Anniversary 東京UNIT (問) TEL:03-5459-8630
https://dbs-tokyo.com/

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きのこ帝国 presents「退屈しのぎ vol.3」 - ele-king

 この晩、きのこ帝国は最初に新曲を3曲演奏した。その3曲とも、前作からの飛躍があった。
 1曲目は、クラウトロック(大げさに言えば、オウガ・ユー・アスホール)をバックにボス・ザ・MCがラップしているような……といってしまうと本当に乱暴な表現だが、BMP125ぐらいのピッチの曲で佐藤はラップもどきを披露した。早口で何を言ってるかわからないが、それが前向きさを表していることはわかる。
 あとで訊いたら初めてのライヴ演奏だったという。それにしちゃあ、鮮烈なインパクトがあった。佐藤のラップ・ミュージックへの関心の高さを具体化した最初の曲でもあった。きのこ帝国がバンドとしていまどんどん動いていることがうかがえる。初演ということもあってドラミングは先走り、ピッチは速まってしまったそうだが、逆に言えば意味がわからないほどのファスト・ラップの最後で唯一聞き取れる「生きている」という言葉が、するどく胸を射貫いた。悪いことは言わない。この曲はシングルにして発表するべきだ。12インチ作りましょうよ! 良いリミキサーは日本にはたくさんいる。何よりも、この曲を必要としているリスナーはたくさんいます!
 「退屈しのぎ」とは、きのこ帝国の代表曲だが、彼らのオーガナイズするイヴェント名でもある、ということをその晩僕は知った。その晩は、編集部で橋元の二次元話に付き合わされたあと、JET SETのM君の四次元話にハマってしまったおかげで、4つ出演したバンドのうちのふたつ、きのこ帝国をのぞくとひとつしか見れなかった。そのひとつ、大阪からやって来た吉野というイントゥルメンタル・ロック・バンドは、最初から見ることができた。しかし、吉野とは……佐藤と匹敵するほど検索不能なネーミングだ。吉野は、ギター、ベース、ドラマーの3人組で、エレクトロニクスを用いた導入からモグワイめいたダークなギター・サウンドへと巧妙に展開して、ライヴをはじめる。ポテンシャルの高さを感じさせる演奏で、最後のチルなフィーリングも良かった。まだ非常に若いバンドだが、ビートに磨きがかかれば、より多くの注目を集めることになるだろう。がんばってくれ。しかし、大阪人のくせに東京のラーメンが美味いと言ってはいけないよ。


きのこ帝国の物販で働く菊地君。筆者はドラマーのコン君のデザインしたピックを1枚購入。

 下北沢ERAは、100人も入ればパンパンの小さいライヴ・ハウスだったが、満員だった。先述したように、きのこ帝国は、ラップの曲のあとにふたつ新曲を披露した。その2曲も良かったことは覚えているが、最初の曲のインパクトが強すぎてどんな曲だったか忘れた。バンドに音の隙間が生まれ、それによって音の空間が広がってた。それ以外のことは忘れた。こういうときは、明け方の5時でも、マニェエル・ゲッチングのライヴでメモを取っている菊地祐樹君を見習うべきなんだろう。菊地君は、物販で働きながら、お姉さんと妹さんもライヴに呼んでいた。3人とも顔が似ているどころか、誰が年上で誰が年下かわからない。しかもお母さんが僕と同じ歳という……なんということだ!

 きのこ帝国の演奏が終わると、大きな拍手とアンコール。アンコールに出てきたあーちゃんは慣れないMCを続け、ジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャー』のTシャツを着た相変わらず佐藤はクールに構えている。最後の曲って“夜が明けたら”だっけ? “退屈しのぎ”だっけ? 忘れた。が、細かいことはいいだろう。良いライヴだった。翌日は「WIREに行くんです」と嬉しそうに喋っている菊地君をその場において、僕は12時20分過ぎの小田急線に乗った。

XINLI SUPREME - ele-king

 さすがの橋元も編集部でこの音が鳴った瞬間に「なんすかこれ?」と訊いてきた。「マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやジーザス&メリー・チェインのようだ」と、イギリス人にとって最高の褒め言葉で迎えられた日本のバンド、現在大分を拠点とするシンリシュープリームが10年ぶりに新作を発表する。
 2002年、ロンドンの〈ファットキャット〉からリリースされた彼らのデビュー・アルバム『トゥモロー・ネヴァー・カムス』は、いま思えばシューゲイザー・リヴァイヴァル......などと言うと生ぬるく思う方もいるかもしれないけれど......の先駆けであると同時に今世紀のノイズ・ムーヴメントともリンクしていた(〈ファットキャット〉は当時、メルツバウも出している)。
 『トゥモロー・ネヴァー・カムス』は否定、否定、そしてまた否定の作品だった。ジーザス&メリー・チェインのように徹底的に、どこまでもネガティヴでありながら、同時に甘美で、恍惚としたサウンドで我々を魅了した。2002年の暮れには当時のアメリカ帝国主義を非難するかのように星条旗をデザインしたミニ・アルバムの『マーダー・ライセンス』もリリースしている。いずれにしても、シンリシュープリームとは、2002年当時、音楽が変わりゆく時代の波を感じていた人たちにとっては忘れがたいバンドなのだ。
 
 10年ぶりの新作は、ワールズ・エンド・ガールフレンドが主宰する〈Virgin Babylon Records〉から10月23日のリリースされる。タイトルは『4 Bombs』、レーベルの資料によれば「10年をかけ完成まで辿り着いたのはわずか4曲」で、彼らが2010年にオフィシャルサイトからmp3でフリー配信した"Seaside Voice Guitar"に関しては、この1曲のみに3年半の時間が費やされたという。彼らはこの10年、新たなノイズの創造に力を注ぎ続けていたのである。
 まずはこちらの映像を見よ!



XINLISUPREME - 4 Bombs

2012年10月13日 リリース
¥1100 VBR-009
8月24日よりVirgin Babylon Records通販サイトにて先行予約開始。

interview with Paul Randolph - ele-king


Paul Randolph And Zed Bias presents
Chips N Chittlins

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 ゼド・バイアスといえばUKガラージ/ベース・ミュージックを代表する名プロデューサーのひとりで、初期はイングランド中東部に位置する街、ノーザンプトンを拠点とするレーベル〈サイドワインダー〉から作品を出している(さらに初期はディープ・ハウスのレーベル〈ロウズ・オブ・モーション〉からも出している)。ザ・ストリーツのリミックスを手がけているほど母国では名が知れた人物で、ダブステップにも少なからず影響を与えているような先駆者でもある。ドラムンベースの人気レーベル〈ホスピタル〉、クアンティックで知られる〈トゥルー・ソーツ〉からもアルバムを出している。
 いっぽうのポール・ランドルフ、今回の取材の主役は、1999年、カール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラ名義の作品、スタイリスティックスのカヴァー・シングル「ピープル・メイク・ザ・ゴー・ラウンド」において、その美声をもって我々の前に登場した。そのシングルのリミキサーがムーディーマンやスラム・ヴィレッジだったので、ランドルフは、この10年、日本でも多くの人に愛されているデトロイト系のソウルの始動に絡んだひとりとなった。
 ランドルフはそれから、ムーディーマンの〈マホガニー・ミュージック〉から最初のアルバム『This Is... What It Is』(2005年)をリリースして、2007年にはシカゴの〈スティル・ミュージック〉からセカンド・アルバム『ロンリー・エデン』を発表、他方ではアンプ・フィドラーやジャザノヴァでの作品をはじめ、オクタヴ・ワン、アズ・ワンなど、数多くのアーティストの作品に歌、あるいはベース奏者として参加している。職人といえば職人だが、交流関係はアーティスティックである。

 『チップス・アンド・チットリンズ』は、そんな、いかにもUKらしいクラブ・ミュージック道(地方で暮らしながら絶対に自分の好きなことしかやらない、労働者階級的な反骨心)を突き進んでいるベテランと、いかにもデトロイトらしいスキルフルでセクシャルなソウルとのコラボレーション・アルバムである。ハウス(4/4キックドラム)、そしてガラージ/ベース・ミュージックのビート(裏打ちでバウシーなビート)、ランドルフのベースとプリンスのような歌声、ときおり注がれるアシッディな音色、つまり『チップス・アンド・チットリンズ』とはモダン・ノーザン・ソウルなのだ。
 周知のように、ノーザン・ソウルとは60年代のUSソウルをとことん輸入した、UKにおいてふだん汗かいて働いている連中のダンス・ムーヴメントである。チップス=英国人の(どちらかといえばいなたい連中の)日常的な食べ物、チットリンズ=アフリカ系アメリカ人のソウルフード。良いタイトル/プロジェ クト名だ。
 ジャザノヴァでのライヴのために来日したポール・ランドルフに話を聞いた。

デトロイトにダブステップのような音楽が入ってきたのってやっとこの2~3年ほど前で、「そういうものがあるらしい」というような認識しかなかったんですよ。もともとデトロイトはテクノとハウスを中心に発展してきたような町ですから。

ええと、最初の来日って、ムーディーマンのライヴのときでしたっけ?

ポール:いいや、最初の来日は1985年で、そのとき僕は初めてちゃんとしたバンドの一員として来ていて、大阪のボトムラインというところで1日3回くらいショーをやりました。オリジナルもありましたけどカヴァーもあって、もうキャメルからヴァン・ヘイレンくらいまで何でもやるバンドでしたね。

というか、それって高校くらいってことですよね。

ポール:うーん、ひょっとしたら高校くらいだったかな。それからはもう7~8回くらい来日しています。何年かっていうのは、やっぱり言えないな(笑)。

どうしてです?

ポール:年齢がバレるからね(笑)。

なははは。いいじゃないですか(笑)。だって、たぶん我々があなたの名前をいちばん最初に認識したのは、1999年の"ピープル・メイク・ザ・ワールド~"のカヴァーだったんですけれども、それ以前のあなたの歴史というのもそうとう長そうですよね。

ポール:カールに会う前は、URのマイク・バンクスともともと友だちでよく練習していました。彼のお母さんの家の地下で、ドラムマシンやシンセやらをいじっていましたね。あの頃はなにも思っていませんでしたけれども、いま考えてみればURの生まれるもとになったのかもしれない。そのことに僕は気づいていませんでした。80年代に初めて日本に来たときには、ほんとはいっしょに来る予定だったんです。マイクも同じバンドにいたので。でもマイクは自分のプロジェクトを優先してデトロイトに残って、日本には来なかったんだけど、結果的には彼のほうが日本にもよく来てるし、世界を何周もすることになりましたよね。

へえー。それはすっごく面白いつながりですよね。

ポール:マイクに出会う前もいろいろなバンドにいたんです。けど基本的にマイクがデトロイトのアンダーグラウンド・テクノ・シーンを紹介する入り口になってくれた人で、彼からカールも紹介してもらったし、ケヴィン・サンダーソンも紹介してもらったしという感じで......。話が錯綜しちゃうけど、二度目の来日がムーディーマンだったかもしれない。

ああー。

ポール:実は4回目なんですけどね(笑)。

はははは!

ポール:よく考えてみればアンプ・フィドラーと2回来ていて。自分のバンドに最初アンプ・フィドラーが在籍してて、そのあとアンプがソロ作品を出すときに、サポートとしてベースを弾いて、そのバンドで2回ほど日本に来ているんです。そのあと、初めてエレクトロニック・ミュージックのソロ・プロジェクトとして出した作品がムーディーマンのレーベルからのもので、これは友人がムーディーマンにつないでくれたんだけど、それをきっかけに彼と来日しています。

ええと、僕、マイク・バンクスとは1993年12月に東京で会って以来の......なんて言ったらアレですけど、デトロイトが大好きな日本人のひとりです。あなたの地元の音楽を本当に好きなんです。

ポール:ああ、本当に! へえーーー!

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よく人に「きみは何がしたいの? あっちにもこっちにも行って」っていう風に言われることがあるんだけど、その考え方自体がおかしいと思う。彼ら自身がその質問を自分にしてるんじゃないかなと思います。僕にとってはその質問は意味がないし、何かひとつのところに落ち着く必要もない。


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ムーディーマンの初来日のときって、ストリップ嬢をステージに上げてライヴをやったときですよね。そのときにじゃあベースを弾いてたのがあなただったんですか?

ポール:いや、じゃあその次のときかな。自分以外にふたりほどパフォーマンスの人がいて、ムーディーマンがいちばん最後に出てきました。

今回、ちょうどあなたもアルバムを出すわけですけど、先日、Jディラがムーディーマンのところから未発表曲集の「ディラロイト」を出して、『リヴァース・オブ・デトロイト』っていうタイトルのアルバムもリリースされました。デトロイトのソウル・ミュージックというか、デトロイトの音楽を、すごくこう、再定義しようという機運を感じるなかでのあなたのリリースもタイミング的に面白いことだなと思いました。

ポール:ははは、でも、とくにそういう風にしようとしてなったわけではないんだけど。相談してこのタイミングでやろうってなったわけではないです(笑)。

そういえば、あなたにはリミックス・アルバムもありましたよね。2010年かな......『エコーズ(・ロンリー・エデン)』っていうね、2枚組でしたね。

ポール:あれはなんで2枚組だったかというと、キャリアとして2枚目の作品だったんだけど、『ロンリー・エデン』のとき、ディストリビューターにすごく問題があったんです。それでとても不安だったから、曲を少し残しておいたんです。それに新しい曲をプラスして2枚組にしたのが『エコーズ』なんですよね。だから1枚目の余韻の残るようなタイトルにしたくて『エコーズ(・ロンリー・エデン)』となったんです。チャールズ・ウェブスターとか、ジェロームとか、いろいろな人に話を振っていってできたものでした。いまもソロのプロジェクトで、もうすこしで終わりそうなものがあります。いくつもプロジェクトを持っていますが、わりと最近はロックのバンドのを終わらせたところだし、南アフリカのミュージシャンの仕事もやったりしていますよ。

それは楽しみです。今回の『チップス・アンド・チットリンズ』はデトロイトを拠点とするあなたがゼド・バイアスみたいな、UKガラージ/ベース・ミュージックのベテランとコラボレーションしたということがひとつのトピックですよね。『ロンリー・エデン』のときのリミキサーとしておたがいに知り合っているから、その流れから発展したんでしょうけれども、あらためて、どのように今回のプロジェクトが生まれて発展していったのかということを教えてください。

ポール:リミックスが終わったあとに、マイ・スペースでコンタクトを取ったんです。聴いてはいたけど、ダブステップって音楽が流行ってるっていうからどんなものかなと思って、それなら実際にやってる人に訊くのがはやいと。そしたら向こうが「ワオ」ってなってね。「僕、アンプ・フィドラーとのギグを観てるよ」って。「ずっといっしょに仕事をしたかった」ってゼドはすごく興奮してくれてね。「こんな曲どうかな?」ってマテリアルを送ってきてくれたから、すぐやって戻した。お互いすごく仕事がはやくて、「いいじゃない」ってなってね。
 ジャザノヴァの最初のころかな、3年ほど前にロンドンでギグをやったときに、ちょっと時間があまったから電車でマンチェスターまで行って、彼の自宅兼スタジオで数日間過ごしたんです。そしたら1日に4曲もできあがっちゃって。最初はただ行って、「どんな人かな」っていう感触をつかんで、軽いミーティングをしようというようなつもりだったんだけど、「ふたりのうちどちらかがもういやだってなるまでとことんやりましょう」ということになっちゃって、その次の日に3曲ってふうに、どんどんたまってきた。
 そうやってやりとりをしてきたのが3年前なので、彼もいろいろと忙しくなっちゃって一時放置されていたプロジェクトだったんだけれども、ときどき思いついたように連絡がきて、初めのころ作ってた曲を「こんなふうに直したよ」って送ってくる。けど、これは、「なんで直すんだよ! さわらないで!」っていう話ですね(笑)。で、じゃあ、「これもう3年も経ってるんだから終わらせようぜ」ということになったんです。だから今度は僕の自費じゃなくて、デイヴ(ゼッド・バイアス)のほうがチケットを送ってよこしてくれて、マンチェスターへ渡って作業を進めたわけです。

なるほど、なるほど。デトロイトにはデトロイトの独自のシーンがありますけど、UKガラージ/ベース・シーンっていうのはあなたからみてどういうふうに映ってるんですか?

ポール:音楽的なことでいえば、僕がそれまでまるで聴いたことのないものって感覚だったですね。デトロイトにダブステップのような音楽が入ってきたのってやっとこの2~3年前で、「そういうものがあるらしい」というような認識しかなかったんですよ。もともとデトロイトはテクノとハウスを中心に発展してきたような町で、そのなかに覚えきれないほどのサブ・ジャンルが枝分かれしていたわけなんですけど。そのなかにベース・ミュージックのようなものはなかったですからね。
 ゼッドと仕事しているあいだ、デトロイトでゼッドの名前が話に出たりすると「ああ、知ってるよ」っていう人もいたけど、だいたいは名前は知ってるけど、よくわからないって感じだった。僕が「聴いたほうがいいよ」ってすすめると、曲によっては好きだったり嫌いだったり、拒絶してしまう人もいればおもしろがるひともいた。やっとそれが定着してきて、デトロイトにも若いDJでダブステップDJって言われる人たちがでてきて、ちゃんとシーンを成立させてるって状況が生まれたんだけど、こっちからしてみれば、「きみたち4年前は何してたんだよ?」って気持ちもあってね。マンチェスターに行ったこともなければイギリスにも行ったこともないのに、彼らはベンガやら何やらダブステップの有名な作品のコレクションをたくさん持ってて、そういうDJをやってしまう。僕自身はクラブへは行けてなくて、それはデイヴが僕をスタジオに缶詰めにして「アルバムを終わらせるから」って遊びに行かせてくれなかったからなんです(笑)。

ははは、それは面白い話ですね。今回はジャザノヴァで来日されてますけど、あなたはほんとにいろいろな活動をされていて、たとえばディスコグスなんかを見ていたら、クレジットの多さに驚かされるんですね。ふだんはデトロイトに住んでいらっしゃるんですかよね? 10歳のときでしたっけ? ブラジルのサンパウロからアメリカのデトロイトに引っ越してこられたというのは。

ポール:そうですね。10歳になりそうってころからかな。

そのころすでに、ご家族の影響で楽器が使えたっていう話を聞いたことがあるんですが、デトロイトの文化にはすぐにうちとけることができたんですか?

ポール:デトロイトに移ったころというのは、子どもだったし、シーンというものを認識できていなかったというか、そんなものなかったのかもしれないですね。僕の世界は学校で、学校のなかのバンドでジャズをやったり、ロックをやったりしていました。でもそのときの学校の先生が、ほかの子どもよりも僕のほうが音楽的に先に進んでしまっているから、この子は退屈なんだろうなと気づいてしまっているようでした。実際にそのとおりだったし、どうやってこの子にもう少し楽しんで音楽をやってもらえるだろうかと先生が困っていたのを覚えています。シンプルなものとか誰にでもわかる音楽には興味がなかったし、もう少し深いことをやりたいとそのとき思っていました。

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なんで僕がほかの人の音楽を聴くかといえば、僕のうしろからやってくる、新しい人たちの動きがこわいから聴いているんじゃなくて、ほかの人たちがどういう解釈をして音楽を聴いているのか、どういうアイディアを持っているのか気になるから、なんです。


Paul Randolph And Zed Bias presents
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デトロイトっていうのは音楽の町でもあるわけで、それこそ才能のあるミュージシャンやプロデューサーがたくさんいるんじゃないかと思うんですが、あなたにとって音楽哲学を形成する上で大きな影響を及ぼしたものについて教えてほしいです。

ポール:たぶん家族の影響が強いですね。祖父はシンガーでしたし、父はクラシック・ギターと、僕が生まれる前まではトロンボーンもやっていて、おばあちゃんは衣装を作る人だった。曾じいさんはレコーディング・スタジオを持っていて、ヴァイナルをカットする機械があったっていうことでね。基本的にはクリエイティヴなことをやる人たちに囲まれて育ったから、大人になるにつれてレコード屋に行くようになって、レコードを漁って雑誌を漁って、ちょっと気になったものがあったらとことん調べるという感じでした。
 そのころはなんでも共有できる友だちがまわりにいたかというとそうでもなくて、レッド・ツェッペリンが好きな人もいれば嫌いな人もいて、ファンクが好きな人もいればそうでない人もいるなかで、僕はぜんぶが好きだったんです。そこがまわりの人とは違うところでした。家族のなかで同じようにいろんな音楽を聴いて、どれもへだてなく好きだったのはおばあちゃんでした。彼女が亡くなったときに持ち物を整理しに行ったら、びっくりするくらいのレコードのコレクションがでてきてね! 種類も豊富で 、ローリング・ストーンズのオリジナルの初盤がすごくきれいな状態で混じってたり。もっとこれにはやく気づけばよかったと思ったんですよね。ほかの人もいるからあんまり持っていけなかったんだけど、それをいろいろ聴いたという影響はあるかもしれない。聴くほうから演奏するほうになっていったのは自然な流れですね。

へー、ローリング・ストーンズのオリジナルの初盤ですか-、それはいい話ですね。ちなみに『ロンリー・エデン』の「エデン」とは何を指していますか? 

ポール:いや、とくになにかアイディアはないです(笑)。みな人はなにかをするために生まれてきているんだと思いますが、「なにかをやるように」という神や宇宙の意思、そこから与えられる役割に、私は純粋に応えているだけだとしか言いようがないです。ほんとに私にとってはごくナチュラルなことで、好きだからやるし、気持ちいいし心地いい。それを拒否することもできないですし、しかもそれにまかせて努力せず、がんばらず、コントロールしようとすることなしに、自然にそれをやらせておこうとすれば自然に出てくるものなのです。
 これはもしかしたら特別なことかもしれない。みんなが僕のやっていることを評価してくれるから。ときどき人生の節目なんかで、これでいいんだろうか、自分のやっていることはまちがってい ないだろうかと思うこともあるんだけど、思い返していくとまちがってなかったんだなと、何のために生まれてきたのかということを知り、ちゃんとやるべきことをやっているんだなと感じるんです。僕はよく言うんですが、ミュージシャンやプロデューサーというのは、なにかメッセージを伝える人だと思う。僕たちは自由......完全なフリーダムというメッセージをデリバーできていると思いますよ。

あなたはヴァン・ヘイレンもレッド・ツェッペリンもPファンクも好きだったわけですが、あなたにとって音楽のなかでいちばん重要な要素というのはどんなものになるんでしょう?

ポール:なんでもいいっていうんじゃないんですよね。わかってくれていると思うけど。じゃあ何かといえば、フィーリングとしか言いようがない。たとえばこの花が好きだというときにそれは色かかたちかにおいか、花瓶なのか、その花の置かれている状態すべてによって決まることです。音楽は主観的なものでもあるんだけど、僕にとってはフィーリングで、そのときそのときに感じるものを大切にしています。そのことが僕の人生をゆたかにしてくれたと思いますよ。
 よく人に「きみは何がしたいの? あっちにもこっちにも行って」っていう風に言われることがあるんだけど、その考え方自体がおかしいと思います。彼ら自身がその質問を自分にしてるんじゃないかなと思います。僕にとってはその質問は意味がないし、何かひとつのところに落ち着く必要もない。音楽をこれだけ聴いていると、ひとつのジャンルに対して円が描けていきますよね。べつのジャンルのところにも円があって、その円が交わってくるところがある。そこがやっぱり面白いものだと思います。そのつながっているところを見れば、なぜこの音楽がこうで、何の影響をどこから受けたのかってことがわかるじゃないですか。それは面白いことだと思いませんか? 
 そこを見ていれば、ブルースがなぜジャズに影響したのか、なぜジャズがリズム&ブルースに行ったりとか、それがファンクに影響して、さらにヒップホップに影響していったのか、いろいろなことがわかるし、好奇心もあるしね。たしかに幅広い興味があって、なんでも好きとはいかないけど、なんでも聴くよ。ときどきまわりの人から「そんな音が好きなの?」ってふうに驚かれることがあるんだけど、それがディアフーフとかですね。

ディアフーフ! まあ、とくにあなたほどの腕利きのミュージシャンの多くは他人の作品をそあなたほど幅広く聴かないものですよね。DJなんかにしてもある限られたジャンルしかかけなかったりする人が多い。あなたは本当にオープンマインドなんですね。

ポール:ほかの人たちがどう思っているかは別として、僕についてお話しします。なんで僕がほかの人の音楽を聴くかといえば、僕のうしろからやってくる、新しい人たちの動きがこわいから聴いているんじゃなくて、ほかの人たちがどういう解釈をして音楽を聴いているのか、どういうアイディアを持っているのか気になるから、なんです。自分がまったく持っていなかったり、これまで経験してこなかった文化――音楽も文化ですよね、ただ音だけ聴いていてもわからないんですが――人のアイディアを知ることによって、自分が生きることができなかったほかの文化に触れることができるかもしれない。だからほかの音楽に惹かれるんです。
 コラボレーションの素晴らしいところはゼッドもぜんぜん違う文化のなかで育った人だけど、まったく違うふたつの世界、僕の世界と彼の世界からそれぞれやってきて、おたがいの窓をのぞき込みながら、「面白いじゃん」というふうに引き合いながら違う音を組み上げていく作業はものすごく面白いと思ったよ。
 自分の枠だけとか、あるひとつのジャンルだけを聴いていくのって、危険なことだですね。まわりの人だったり、過去の人々がどんなことをやってきたのかっていうことを聴かなきゃいけないし、最近のとくにダンス・ミュージックが陥りがちなのは、あまりにも音楽が入手しやすくなって、そこらじゅうにいろんな音楽があるからこそ、周囲の人との競争だけを気にして、そのせまいなかで終わっちゃうことが多い。表面だけの理解でおわることも多い。ほんとはもっといろんな人と、自分とは違ったユニークな考え方を持った人の音楽を聴けば、その人にはなれなくても、その人が培ってきたものをすこしいただいたり分け合ったりできるますね。ゼッドとの作業のなかでも、僕が前から知りたくて教えてもらったこともあるし、逆に僕が彼に教えてあげるということもありました。そういう意味でもいろんな人の音楽は気になりますね。

良い話ですね。しかし、もう時間がきてしまいました。今日はどうもありがとうございました!

情報デスクVIRTUAL - ele-king

 僕はチルウェイヴに関しては、いちど、紙ele-kingのvol.4誌上で、スクリューという技法を断念した時点で終わったと、松村の耳元に囁いたことがある。DJスクリューのアイデアが、彼が死んで、そして数年が過ぎ去ってから、暇さえあればPCに向かう煮え切らない青年たちに伝播したとき、ドロドロのポスト・モダンなポップは生まれた。スクリューは、その遅さに特徴を持っているが、ありものの録音物を加工するという点においては、ノイ!のセカンド・アルバム、あるいは初期のザ・レジデンツの系譜にあるとも言えなくはない。チルウェイヴのブームが去った後も、スクリューは拡大し、いまここに受け継がれている。さて、最先端のタームを紹介しましょう。今回はヴェイパーウェイヴ(vaporwave)です!

 チル、クラウド、ヴェイパー......、これらポップのニュー・ブリードは、ダウンローダーによるきわどい創造行為によって活気づいている。
 いろいろ出ている。メディアファイヤード、コンピュータ・ドリームス、そして今年〈ビアー・オン・ザ・ラグ(毛布の上のビール)〉からリリースされたマッキントッシュ・プラスによるカセットテープ作品『フローラルの専門店』......、まずはメディアファイヤードの曲を聴いてみよう。ケイト・ブッシュの往年のヒット曲のサンプリング、ペプシコーラのコマーシャル映像のルーピング......クラウド・ストレージとして利用されるメディアファイヤはダウンロード時代の象徴で、合法/非合法を往復するデジタル時代のカオスでもある。液晶画面の向こう側に広がる空間から拾ってきた音をサンプリングし、他の音と混ぜ合わせ、ピッチ操作する(チョップド&スクリューする)、こうしたあやしげな領域の新たな闖入者が〈ビアー・オン・ザ・ラグ〉レーベルというわけだ。視聴はこちらで→https://beerontherug.bandcamp.com/

 彼らがいったい何者なのか僕は知らない。レーベルのサイトで送料込みの10.5ドルだった。注文したら1週間ほどでCDRが届いた。『フローラルの専門店』は売り切れだと言われた。
 「情報デスクVIRTUAL」という日本語混じりの名前は、どう考えても日本人の使っている日本語ではない。『札幌コンテンポラリー』という意味不明な題名、そして単語帳をコラージュしているかのような曲名("札幌地下鉄・・・「ENTERING FLIGHT MUSEUM」"、"iMYSTIQUE エジプト航空「EDU」"、"PRISM CORP不可能な生き物"、"NEO Sunsetters エネルギー危機iCONGO"、"Healing 海岸で昼寝My Last Tears"、"「Wkpx Ceephax '81」 新しい年 "Spring Blooms""などなど)、これらデタラメな言葉の並びが指し示すのは、情報に満ちあふれ、フラットだが混沌とした領域、文字通りの「情報デスクVIRTUAL」な世界、液晶画面の向こう側だ。
 〈ビアー・オン・ザ・ラグ〉がやっているのは、ハイプ・ウィリアムスがUKミュージックの文脈でやっていることのUS版と言える(そして、ジョン・オズワルドがアヴァンギャルドでやったことのチルウェイヴ版である)。催眠的で、同じ手法――サンプリング(カットアップ)、加工、そしてまた加工――を使いながらも、こちらのほうはいなたく、無邪気で、少々AORめいている。そして、繰り返すが、音楽の効力としては催眠的で、デジタルにサイケデリックなのだ。

 PCは、現代的な道具であると同時に道具以上の幻想をふくらませる。それがゆえに良識的な大人からは害毒のひとつとも見られている。とくに近年は、インターネット、SNSの中毒性、つながりの強迫観念、依存性の精神的なリスクを指摘する声も少なくない。
 他方では、PCには精神的にまったく醒めながら、それを玩具として遊んでいる連中もいる。チル、クラウド、ヴェイパー......は後者にいる。マス・プロダクト、マス・セールをポップだと信じ込んでいる人には彼らの音楽は反ポップだが、俗物(ゴミ)を無邪気な遊びにしてしまうことをポップとするならこれは今日的なポップである。フリー・ウィードやメディアファイヤードなどといったネーミングにもデジタル環境のきわどさとの戯れ、一種の茶目っ気を感じる。笑いがあって、若い世代の遊び心を感じる。ジェームス・ブレイクが「CMYK」を発表したとき、「(大ネタを加工しまくって使うため)これはヒップホップの最新型」などと評価されたが、最新型はまだ続いている。
 かれこれ1年以上も、へらへらしていたら怒られてしまいそうな空気のなかで暮らしている。オリンピックを楽しもうとしても「がんばれ日本」という言葉が反復する。まあ、どこの国も似たようなものと言えばそうだが、今回はいろんなお題目と重なっているところが実にいやらしく政治的で、統制的だ。こんなご時世、こんな国の言語をカットアップして、こんなことを真剣にやっているなんて、バッカだな~。でもね、だから最高。

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