![]() Washed Out Paracosm Sub Pop/よしもとアール・アンド・シー (8月7日発売予定) |
態度ははっきりしている。音楽にできる最良の行為、それは現実を忘れさせること。アドルノ以来、「醜い現実を酷くないかのように見えなくしてしまうのは実にけしからん」と、延々と批判されてきた大衆音楽の特性をアーネスト・グリーンは肯定する。まやかしであっても夢を選ぶ、そう思いたくなるときもたしかにある。現実が酷ければ酷いときほど、ダンス・カルチャーが燃え上がるように。
現実直視音楽にも最高につまらないものがあるように、現実逃避音楽は誰にでも作れるわけではない。テクが要るし、スキルも、コンセプトも、時代を見る目も要る。フランク・オーシャンのように、ドリーミーな音楽が現実を軽視した浮ついたものであるとも限らない。時代と向き合うことでしかドリーミーな音楽は威力を発揮しないとも言える。
夢作りの確信犯、ウォッシュト・アウトの新作『パラコズム』は、あなたを騙すことができるのだろうか。以下の取材から、彼は何を目的に、どんな思いで音楽を作っているのかが伺えるだろう。同時に、彼の音楽的な土台、その方向性もより明確にわかるはずだ。彼が夢見ているのは、ごくごく素朴な夢である。ゆえに彼は広く愛され、同時に非難される。が、しかし、この2年、どれほど彼のフォロワーが出てきたことか......
すごく昼間っぽいサウンドのアルバムを作りたかったんだ。晴れた夏の日に外で聴きたいレコードをね。曲を書いてたのは真冬で、すごく寒くて、でも頭にそんな場面を浮かべて書いてた。だから遅くても8月にはリリースしなきゃって思ったし、そこを目指してたんだよ。
■アセンズに引っ越したと聞きましたが、住んでいるのはそこですか?
アーネスト:うん、ジョージア州アセンズ。いまもその家で電話してるんだ。いいところだよ。いまは春の終わりから初夏って感じで、いい季節。
■『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』が2011年の7月ですから、ちょうど2年ぶりの新作となりますね。いまの心境は?
アーネスト:そうだな......最初に頭に浮かぶのはこの2年間のことかな。で、そのほとんどはツアーでライヴをたくさんやってたんだよね。この前のアルバムでは少なくとも1年半、2年近くツアーを続けたから。あいだには短い休みしかなくて、曲を書きだすには次のステップが何かちゃんとわかってなきゃいけないんだけど、いつも移動してライヴをやってるとそれがすごく難しくて。だから去年の8月にツアーが終わると、ほとんどすぐに新しいレコードの曲を書きはじめたんだよ。で、仕上げたのが今年の4月の初め。だから僕はツアーが終わるとほぼすぐに自分のスタジオにこもって、新曲を作ってた。休みなくね。
■今回のアルバムのリリースが8月になったということに関しては理由がありますか? 夏に出したかったとか、夏の終わりに出したかったとか?
アーネスト:その通り。一番の理由は、この新しいレコードが......最初、僕はすごく昼間っぽいサウンドのアルバムを作りたかったんだ。晴れた夏の日に外で聴きたいレコードをね。曲を書いてたのは真冬で、すごく寒くて、でも頭にそんな場面を浮かべて書いてた。だから遅くても8月にはリリースしなきゃって思ったし、そこを目指してたんだよ。少なくともここジョージアでは9月、10月に涼しくなって季節が秋に変わりはじめるから、それまでに出せるよう、完成させるのが僕にとっては重要だった。実際、そうやって締切を設定するのがよかったんだよね。とはいえ、もし曲作りに詰まって素材が揃わなかったら、当然リリースは先に延ばしただろうけど、自分としては夏までに出そうと思ってたんだ。
■あなたは、チルウェイヴという新しいジャンルの代表格となってしまったことで、賛同者も多い反面、多くの批判にも遭ったと思います。ここ日本でも賛否両論がありましたが、あなたは自分を取り巻いた、そうしたさまざまな言葉は気になりましたか? 傷ついたり、翻弄されたりしませんでしたか?
アーネスト:変な気がするのは......いま2009年、2010年の頃を振り返ると、僕には音楽業界における経験がまったくなかったし、それ以上に音楽制作やプロダクションにさえ経験がなかったから、ものすごくナイーヴだったんだ。いまあの頃の曲を聴くと、自分ではそのナイーヴさが聞こえてくる。その経験のなさは、いいことでも悪いことでもあったと思う。例えば評価されても批判されても、自分の音楽について書かれること自体初めてだったから、受け入れやすかったっていうのかな。誉められてもリアルに感じられなかったし......うまく説明できないんだけど。変に聞こえるかもしれないけど、あんまり気にならなかったんだよ。
たぶん、『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』を作ってるときは期待されてるのがわかってたし、その前に出したレコードを気に入ってるファンが大勢いるのがわかってた。たぶんどんなアーティストにとって難しいのは、そういうファンの期待に応えながら、新しいことをやって前に進もうとすることなんだよね。僕自身、同じようなレコードを何枚も作りたくないから。
で、批判に関していうと......かなり早い段階から、無視するのが一番だってわかったんだよ。レヴューは読まないほうがいい、って。それを早い段階で学んだのが大切だったと思う(笑)。とくにネガティヴなやつは。何の得にもならないし、僕はできるかぎり避けようとしてる。
■ベッドルームで作った音楽をブログにあげたらいきなりそれが話題となって、そして、アルバムまで出すことになってしまいました。日本からも、いきなり野外レイヴにライヴで呼ばれたり、2010年から2011年は、いろいろな急展開があったと思います。ベッドルームで楽しみにのために作っていた音楽を、人前でライヴ演奏することは、最初、いろいろな困難があったと思います。いかがだったでしょうか?
アーネスト:そうだね。日本でのライヴに関して言うと、これまで何度かやったんだけど......最初の来日は〈フリークス・フェスティヴァル〉だっけ? あれはほんとにライヴをはじめたばっかりの頃だったんだ。だからまだ試行錯誤してたし、ベスト・パフォーマンスだったとは言えないな(笑)。でもその1年後に〈フジ・ロック〉でまた日本に行って、あれは個人的にあらゆる場所でやってきたたなかでも思い出深いライヴのひとつなんだよ。自分たちでも何歩か前に進んで、どうすればいいパフォーマーになれるか、やりかたがわかりはじめてた。で、いまはそこからまた進んで、より経験を積んで、用意ができてると思う。新作でも重要だったのが、これをライヴで演奏することになる、ライヴが前よりずっとよくなるってことだったんだ。
■つまり、たくさんライヴをいろんな場所でやった経験が、音楽そのものやソングライティングにも影響したということ?
アーネスト:その通り。いま思ったんだけど、僕ら、いろんなバンドと一緒にツアーしたんだよね。演奏においてもソングライティングにおいても、よりビッグなバンドのサポートを務めたことがすごくいい経験になったと思う。最後のツアーではザ・シンズのサポートをやったんだ。僕は長年彼らのカジュアルなファンだったんだけど、実際に毎晩彼らのライヴを観て、そのプロフェッショナリズムに触れるのがすごく興味深かった。
と同時に毎晩彼らの曲を聴いて、ソングライティングでも......聴いてて自分が盗みたいところを頭のなかでメモしてたんだよね(笑)。だからライヴをやればやるほど、どうすればうまくいくかトリックがいろいろわかってきて、それを自分の曲に取り入れたくなった。もしベッドルームでずっと曲を作りつづけてたら、絶対にこんなレコードはできなかっただろうな。ただのベッドルーム・レコードじゃなくて、ライヴの延長っていう部分がすごく大きいんだ。
僕は、もちろんいまでも新しい音楽はネットで追いかけてるんだけど、ある意味クリエイティヴな距離を置こうともしてるんだ。トレンドってことで言えば、フランク・オーシャンとか、ドリーミーでありながらR&B寄りのサウンドがある。いまは、そのへんのサウンドをやってる面白い人たちが大勢いると思う。
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■『ライフ・オブ・レイジャー』のような音楽は、当時のリーマンショックと、直接的ではないにせよ、少なからず何らかの関係があると思いますか?
アーネスト:当然外の世界と関係してた。もちろん、全部僕個人の経験をフィルターにはしてるけど。だって僕はあの当時大学を卒業して、不況で職が見つけられなかったんだよ! 実際、タイトルの『ライフ・オブ・レジャー』もちょっとしたアイロニーのつもりだったんだ。僕は実家に戻って親と住みながら、"ライフ・オブ・レジャー=悠々自適の生活"を過ごしてたんだから。それが5年も続いた。家賃も払わずにすんで、すごく変な感じだったな。大人になったのに、何もやらずに親と同居して、気楽ではあるんだけど、同時に......まともな大人になれてないという後ろめたさもあった。
罪悪感があったんだよ。あのレコードの歌詞はそれについてだしね。でも音楽的には、僕はずっとああいうフィーリングの曲を作ってきたと思う。そこは僕の直感的なものっていうか、喜びと悲しみの中間、何も起きてないけどオプティミスティックな感覚はある、みたいな――僕がいまあのレコードを聴くと、そういうフィーリングが聞こえるんだよね。
■興味深いのは、ちょうど『ライフ・オブ・レイジャー』の頃から、ドリーミーで、逃避的な音がいろんなところから聴こえるようになったことです。これを時代の隠された声として捉えることはできると思いますか?
アーネスト:うん、できると思う。僕がやっていたことと似ていることをやってたバンドがいくつかいて......コンセプト的に同じようなものがあって、それを音楽にしていた。ちゃんとした理由は答えられないんだけどね。いくつか思い浮かぶのは......ひとつは当時テクノロジーにおいて、レコーディングができるセッティングが手に届くようになったこと。しかもそのレコーディングの方法が以前とは違ってた。テープや高価なスタジオを使わない、コンピュータでのレコーディングだね。そのことが曲作りにも影響を及ぼしてたんだ。そこは大きかったと思う。ネオン・インディアンやトロ・イ・モアみたいな人たちを考えると、僕らはみんな同じツールを使ってたし、みんな同世代で、たぶん似た音楽を聴いて育ってきてて。そこが一番大きいんじゃないかな。コンピュータ・テクノロジーの側面が。他の人たちにもその質問訊いてみたら面白いだろうけど。
■とくにアメリカでは、こういうドリーミーな音は、ウォッシュト・アウトが出てくるまで、あまりになかったと思います。しかし、この2年、欧州のインディ・シーンでもドリーミーな音が目立っています。あなたに近いテイストをもった音楽で、共感できるアーティストはいますか?
アーネスト:それはいま挙げたような人たちだよね。新しいバンドで言うと......難しいな。僕は、もちろんいまでも新しい音楽はネットで追いかけてるんだけど、ある意味クリエイティヴな距離を置こうともしてるんだ。トレンドってことで言えば、フランク・オーシャンとか、ドリーミーでありながらR&B寄りのサウンドがある。ああいうのが去年すごく人気になったよね。うん、フランク・オーシャンをはじめとして、そのへんのサウンドをやってる面白い人たちが大勢いると思う。
ただ個人的にはもうちょっと古いレコードを聴いてるんだ。とくにこの新作はいま出てきてる新しいアーティストより、古いレコードのほうに影響を受けてる。新しい音楽に関しては、僕はDJをよくやるんだけど、そのときはもっとダンス・ワールドにプラグインしてるんだ。プールサイドっていうバンドはすごくいいと思う。面白いサウンドを持ってて、よくあるクラブっぽいサウンドのダンス・ミュージックじゃない。もっとスロウで......この前のレコードはすごく好きだったんだ。ただ、このレコードの大きな影響のひとつにヴァン・モリソンの『アストラル・ウィークス』があって。それってダンス・レコードからものすごく飛躍してるんだけど(笑)。だから自分としては今回、純粋なエレクトロニック・ミュージックとは違うサウンドの音楽に興味を持ってたんだよね。
■あなたの音楽は初期の頃から、「戦わずに逃げよ」と言っていますよね? なぜそのような思いにいたったのでしょうか? とても興味深い反応だと思います。
アーネスト:その通りって気がするな。理由はわからないけど。僕は根っからのデイドリーマー、夢想家なんじゃないかな。生まれてからずっとそうだったし......いや、僕は大好きなことをやってるし、別に自分のミジメな存在から逃げだしたいってわけじゃない。それでも、本能的にそういうところがあるんだと思う。僕はきっと理想主義者で、ロマンティックで......僕の音楽から"エスケーピズム=逃避主義"っていう言葉を受け取って、それをネガティヴに考える人が多いんだけど、僕からするとアート自体がユートピア的なものなんだよね。日常の生活、いまここにおいてはすべてがパーフェクトってわけにはいかないかもしれないけど、なんであれ白昼夢として夢想することはできる。とくにこのレコードは全部それについてなんだ。頭のなかのもうひとつの世界、白昼夢、オルタナティヴな現実――なんて呼んでもいいけど。
■トールキンやルイスの『ナルニア物語』のようなファンタジー小説をあなたが好む理由は何でしょう?
アーネスト:えーと、実際そういう本は読んでるし、ファンと言ってもいいけど、そういう物語が大好きだとは言えないな。でもファンタジーっていう言葉を聞くと、そういうものがまっさきに思い浮かぶ。一番先に思い浮かぶ世界がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だったり、トールキンの中つ国だったり。ただ、必ずしもこのレコードの制作時にそういうものを考えてたわけじゃなくて。むしろ、もっと現実的な世界をユートピア的視点から見てるっていうのかな? 別に動物がふわふわ浮かんでるとか、そういうんじゃないんだ(笑)。いま起きてることのもう少し良いヴァージョンなんだよね。
僕、これが最初のインタビューだから、あと何度かやればもうちょっとうまく説明できるんだろうけど......。とにかく僕は毎日作業を続けてたんだけど、どんなアーティストでも作家でも、長い間ひとつの創造的空間を生み出そうとしてると......あるポイントにくると、もう問題は「ウォッシュト・アウトにとって意味が通じるか?」ってことじゃなくて、「自分が作りだしているその空間にとって意味が通じてるか?」ってことになるんだ。うまく言えないんだけど、僕にとってはその思考が興味深かった。その結果、2年前なら使わなかったような音楽的アイデアをたくさん使うことになったしね。頭のなかの空間で生きてるような感覚、創造的世界が存在してて、『どうすればこれを描きだせるだろう?』って感じだった。僕にとってこのレコードのサウンドは全部それなんだよ。とても温かくて、視覚的なサウンドで......ハープを多用してるよね? あのクラシックなハープ、グリッサンドっていうんだけど、あれは僕にとって夢の状態をリプリゼントするサウンドなんだ。初期のディズニー映画なんかでよく使われてる音なんだけど。とにかくそういうテキスチャーが、僕なりに自分が作りだそうとしていた世界を描きだしてるんだよ。
僕の音楽から"エスケーピズム=逃避主義"っていう言葉を受け取って、それをネガティヴに考える人が多いんだけど、僕からするとアート自体がユートピア的なものなんだよね。日常の生活、いまここにおいてはすべてがパーフェクトってわけにはいかないかもしれないけど、なんであれ白昼夢として夢想することはできる。
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■『ライフ・オブ・レイジャー』に収録された楽曲は、サンプリング・ベースの作りをしていました。そこから脱却するのに、あなたは自分の作曲法をどのように変えていきましたか?
アーネスト:サンプリングが素晴らしいのは、サウンドのテキスチャーが豊かなんだよね。何かしら処理が施されてるから、アコースティック・ピアノの純粋な音なんかとは感触が違う。僕はサンプリングのそういうところがすごく好きなんだけど、欠点としては曲を書くときにフレキシビリティがないんだ。あるループが曲の一部にはハマっても、曲を広げていこうとすると仕えなくなったり。反復的にしか使えないんだ。ダンス・ミュージックやヒップホップが反復的なのは、だからなんだよね。僕は新作ではそこから離れて、もうちょっと違うソングライティングのアイデアを試したかった。もう少し複雑なアイデアをやりたくて、そのためには普通のインストゥルメンテーションを使うほうが理に適ってたんだ。
でも普通のインストゥルメンテーションをウォッシュト・アウト的にするには、さっき言ってたようなテキスチャーのある楽器を見つけなきゃいけなくて。で、いくつかのキーボードがこのアルバムのサウンドの核になったんだよ。一番有名なのがメロトロン、60年代初期に作られたキーボードで。オーケストラルな楽器、フルートやホーン、ハープ、そういう音があらかじめ録音されてて、ほとんどサンプラーみたいなキーボードなんだよね。元々の楽器、フルートなんかから録音された音がそれぞれの鍵盤に割り当てられてて、弾けるようになってる。しかも時代遅れのテクノロジーを通じて、面白いテキスチャーが生まれてるんだ。僕にとってはそれが両方の世界の一番いいとこどりだった。サンプリング的なテキスチャーがあるのに、ピアノを弾くように自由に弾けるんだ! 僕はそれでコードを弾いて、ハーモニーを作っていった。すごく楽しかったな。
■今回は機材の面で、どのような変化がありましたか? セッティング自体も変わった?
アーネスト:機材もセッティングも変わったね。僕はジョージア州アトランタからアセンズへ引っ越したんだけど、そんなに遠いわけじゃなくて、車で1時間くらいかな? ただ田舎に移ったことがこのアルバムにとっては大きかった。僕にとっては初めてちゃんとしたスタジオを家に設置したことも重要だったと思う。
うん、実際このレコードには、ウォッシュト・アウトの他のレコードで使われた音がひとつとしてないんだ。全部一から作っていったから。『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』はかなりシンセサイザーを多用したレコードで、シンセサイザーの長所はほぼどんなサウンドでも作れるところだよね。ベースでもドラムでも、どんな楽器のどんな音でも大抵複製できる。だから『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』は一握りのシンセサイザーで作ったレコードだったんだけど、新作ではそこをもっと広げたかった。全部にシンセサイザーを使うんじゃなくて、サウンドごとに合った楽器を使うっていうのかな? 例えばチェレスタっていう鍵盤楽器はベルみたいな音、高音域のキラキラした音が出るから、とくにそういうテキスチャーが欲しいときに使ってみたり。とにかくシンセサイザー一辺倒じゃなくて、もっと音のパレットを広げたかったんだ。できるだけ新しいサウンドを導入したかったんだよね。
(※この続きは紙『ele-king vol.10』に掲載。興味深いことに彼は、本作のインスピレーションとして、ヴァン・モリソンの傑作『アストラル・ウィークス』の他に、フォークトロニカ時代のフォー・テットを挙げている。初期のフォー・テット......というのは最近再発されているけれど、ウォッシュト・アウトとの親和性で言えば、実に辻褄が合う話だ。そうなるとやはり、少々強引な言い方だが、サマー・オブ・ラヴの種子は気がついたらアメリカに戻っていた、ということなのだろうか......。もしそうだとしたら、『コスモグランマ』もエメラルズもサン・アローも、そしてトロ・イ・モアやウォッシュト・アウトも......)



