「MARK」と一致するもの

不屈のペーター・ブロッツマン - ele-king

 何年もの間、ペーター・ブロッツマンの来日は、四季の巡りのように規則的で、晩秋の台風が通り過ぎていくかのように感じられたものだった。彼には、どこか自然で率直なところがあり、それは嵐のように吹き荒れる叫びが、やがては柔和でブルージーな愛撫へと代わるような彼が創りだすサウンドのみならず、その存在自体についていえることだった。セイウチのような口髭、シガーをたしなむその印象的な風貌は人目を引き、無意味なことを許さない生真面目なオーラを纏っていた。ブロッツマンは、侮辱などは一切甘受しなかった。

 6月22日に82歳で死去したドイツのサクソフォン及び木管楽器奏者は、そのキャリアの多くの時間を、無関心とあからさまに辛辣な批評との闘いに費やした。若い頃には、ヨーロッパのジャズ界の伝統的なハーモニーと形式の概念を攻撃して憤慨させ、同時代のアメリカのアルバート・アイラ―やファラオ・サンダーズたちよりも先の未知の世界へと自らの音楽を押し進めた。ドン・チェリーが命名した「マシン・ガン」というニックネームは、1968年に発表したブロッツマンの2枚目のアルバムのタイトルとなり、フリー・ジャズの発展を象徴する記念碑的な作品となった。

 最初は自身の〈BRÖ〉レーベルから300枚限定で発売されたこのアルバムは、ヴェトナム戦争やヨーロッパを揺さぶった大規模な抗議活動など、当時の爆発的な雰囲気の世相を反映していた。アルバムではベルギーのピアニスト、フレッド・ヴァン・ホーフ、オランダのドラマー、ハン・ベニンクやイギリスのサクソフォン奏者エヴァン・パーカーを含む、世界のミュージシャンたちがキャスティングされていたが、『マシン・ガン』は明確にドイツという国の、ナチスについての恥とトラウマという過去を標的にしていたようだ。

 「おそらく、それが、このような音楽のドイツとそのほかのヨーロッパの演奏の響きに違いをもたらしているのかもしれない」とブロッツマンは、亡くなる数週間前の6月初旬にディー・ツァイト紙のインタヴューで語っている。「ドイツの方が常に叫びに近くて、より残忍で攻撃的だ」

 その叫びは、今後何十年にもわたり響き続けるだろう。その一方、彼のフリー・ジャズの同僚たちは、若くして死んだか、年齢とともに円くなっていったのに対し、ブロッツマンは以前と変わらぬ白熱した強度での演奏を続けた。それが彼の健康に相当な負担となり、最後の数十年には、生涯にわたって強く吹き続けたことで、呼吸器に問題を抱えるようになった。2012年のザ・ワイヤー誌のインタヴューでは「4人のテナー・サックス奏者のように響かせたかった……。『マシン・ガン』で目指したことを、いまだに追いかけている」と語っていた。

 そのサウンドは、直感的な反応を引き起こすようなものだった。2010年10月に、ロンドンのOtoカフェで彼のグループ、フル・ブラストを聴きに、彼についての予備知識のない友人を連れていった際、演奏開始の瞬間に彼女が物理的に後ずさりをした光景を思いだす。

 しかし、ブロッツマンの喧嘩っ早い大男という風評は、彼の物語のほんの一部に過ぎない。独学で音楽を始め、最初はディキシーランドやスウィングを演奏し、コールマン・ホーキンスやシドニー・ベシェなどのサクソフォンのパイオニアたちへの敬愛を抱き続けた。それらの影響は、『マシン・ガン』でも聴くことができる。ジャン=バティスト・イリノイ・ジャケーのホンキーなテナーや、初期のルイ・アームストロングの熱いジャズなどもそうだ。その凶暴性とともに、ブロッツマンは抒情的でもあり、スウィングもしていたのだった。

 このことは、背景をそぎ落とした場面での方が敏感に察することができるだろう。有名な例としては、1997年にドイツの黒い森にてベニンクと野外で録音した『Schwarzwaldfahrt』があるが、これは彼の生涯のディスコグラフィの中でももっとも探究的で遊び心のあるアルバムのひとつだ。ブロッツマンのキャリアの後期にペダル・スティール・ギタリストのヘザー・リーと結成した意外性のあるデュオも、多くの美しい瞬間を生み出した。彼の訃報に接し、私が最初に手を伸ばしたのは、このデュオにふさわしいタイトルをもつ2016年のアルバム『Ears Are Filled With Wonder(耳は驚きで満たされる)』 で、彼のもっともロマンティックなところが記録されている。

 ブロッツマンは、文脈を変えながら、自身の銃(マシン・ガン)に忠実でいるという特技を持ち合わせていた。そのキャリアを通して、1970年代のヴァン・ホーフとベニンクとのトリオから2000年代のシカゴ・テンテットなど、多数のグループを率いたが、目標を達成したと感じるとすぐにそこから手を引いてしまうのが常だった。2011年にオーストリアのヴェルスでのアンリミテッド・フェスティヴァルのキュレーションを担当した際には、当時の彼の活動の範囲の広さが瞬時にわかるような展開だった。彼はシカゴ・テンテット、ヘアリー・ボーンズとフル・ブラストとともに登場するだけでなく、日本のピアニストの佐藤允彦からモロッコのグナワの巨匠、マーレム・モフタール・ガニアまで、ヴァラエティに富んだミュージシャンたちとのグループで演奏した。(このフェスのハイライトは、5枚組のコンピレーション『Long Story Short』 に収録されており、最初から最後まで聴覚が活性化されるような体験ができるだろう)。

 ブロッツマンの日本のアーティストたちとのもっとも実りの多い関係が、彼自身と匹敵するぐらい強力なパーソナリティを持つ人たちとのものであったのは、至極当然である。私が思い浮かべるのは、灰野敬二近藤等則、羽野昌二そして坂田明だ。彼はまた、若い世代のマッツ・グスタフソンやパール・ニルセン=ラヴなど、彼のことを先駆者としてお手本としたミュージシャンたちをスパーリング・パートナーに見出した。セッティングがどうであれ、中途半端は許されなかった。

 「ステージに立つというのは、友好的な仕事ではない」と2018年のレッド・ブル・ミュージック・アカデミー・レクチャーで、ブロッツマンは語った。「ステージ上は、たとえ親友と一緒だとしても、闘いの場なのだ。戦って、緊張感を保ち、挑戦し、新しい状況が必要で、それに反応しなくてはならない。それが、音楽を生きたものにするのだと思う」

The indomitable Peter Brötzmannwritten by James Hadfield

For years, Peter Brötzmann’s visits to Japan felt as regular as the seasons, like a late-autumn typhoon rolling through. There was something elemental and earthy about him. It wasn’t just the sound he made – a tempestuous roar that could give way to tender, bluesy caresses – but also his presence. He cut an imposing figure, with his walrus moustache and penchant for cigars, his no-nonsense aura. Brötzmann didn’t take any shit.

The German saxophonist and woodwind player, who died on June 22 at the age of 82, spent much of his career battling against indifference and outright vitriol. As a young man, he scandalised the European jazz establishment with his assaults on traditional notions of harmony and form, pushing even further into the unknown than US contemporaries like Albert Ayler or Pharaoh Sanders. Don Cherry gave him the nickname “machine gun,” which would provide the title for Brötzmann’s 1968 sophomore album, a landmark in the development of free jazz.

Initially released in an edition of just 300 copies on his own BRÖ label, it was an album that captured the explosive atmosphere of the times: the Vietnam War, the mass protests convulsing Europe. Although it featured an international cast of musicians – including Belgian pianist Fred Van Hove, Dutch drummer Han Bennink and British saxophonist Evan Parker – “Machine Gun” also seemed to be taking aim at a specifically German target: the shame and trauma of the country’s Nazi past.

“That’s maybe why the German way of playing this kind of music always sounds a bit different than the music from other parts of Europe,” Brötzmann told Die Zeit, in an interview conducted in early June, just weeks before his death. “It’s always more a kind of scream. More brutal, more aggressive.”

That scream would continue to resound through the decades to come. Whereas many of his free-jazz peers either died young or mellowed with age, Brötzmann kept playing with the same incandescent force. This came at considerable cost to his health: during his final decades, he suffered from respiratory problems that he attributed to a lifetime of overblowing. As he told The Wire in a 2012 interview, “I wanted to sound like four tenor saxophonists... That’s what I was attempting with ‘Machine Gun’ and that’s what I’m still chasing.”

It was a sound that provoked visceral responses. I remember taking an unsuspecting friend to see Brötzmann perform with his group Full Blast at London’s Cafe Oto in 2010, and watching her physically recoil as he started playing.

However, Brötzmann’s reputation as a bruiser was only ever part of the story. A self-taught musician, he had started out playing Dixieland and swing, and he retained a deep love for earlier saxophone pioneers like Coleman Hawkins and Sidney Bechet. These influences are audible even on “Machine Gun”: you can hear the honking tenor of Jean-Baptiste Illinois Jacquet, the hot jazz of early Louis Armstrong. For all his ferocity, Brötzmann was lyrical and swinging too.

This was perhaps easier to appreciate in more stripped-back settings. A notable example is 1977’s “Schwarzwaldfahrt,” recorded al fresco with Bennink in Germany’s Black Forest, and one of the most inquisitive and playful albums in his entire discography. Brötzmann’s late-career duo with pedal steel guitarist Heather Leigh – an unlikely combination – also gave rise to many moments of beauty. When I heard about his passing, the first album I reached for was the duo’s aptly titled 2016 album “Ears Are Filled With Wonder,” which captures him at his most romantic.

Brötzmann had a talent for sticking to his (machine) guns while changing the context. He led many groups during his career, from his 1970s trio with Van Hove and Bennink to his Chicago Tentet during the 2000s, but would typically pull the plug on each of them as soon as he felt they had fulfilled their purpose. When he curated the 2011 edition of the Unlimited festival in Wels, Austria, it provided a snapshot of the extent of his activities at the time. He appeared with the Chicago Tentet, Hairy Bones and Full Blast, but also in a variety of other groupings, with musicians ranging from Japanese pianist Masahiko Satoh to Morocccan gnawa master Maâlem Mokhtar Gania. (Highlights of the festival are compiled on the 5-disc “Long Story Short” compilation, an invigorating listen from start to finish.)

It makes sense that some of Brötzmann’s most fruitful relationships with Japanese artists were with personalities as forceful as his own – I’m thinking of Keiji Haino, Toshinori Kondo, Shoji Hano, Akira Sakata. He also found sparring partners among a younger generation of musicians, such as Mats Gustafsson and Paal Nilssen-Love, who owed much to his trailblazing example. Whatever the setting, there was no excuse for half measures.

“Being on stage is not a friendly business,” he said during a Red Bull Music Academy lecture in 2018. “Being on stage is a fight, even if you stay there with the best friend. But you have to fight... You need tension, you need challenges, you need a new situation, you have to react. And that makes the music alive, I think.”

 私はノエル・ギャラガーには我慢がならない。

 私はかれこれもう30年近く彼のことを嫌ってきたが、自分でもそのことが少し引っかかっている。長い間、尋常ではないほどの成功を収め、愛されるソングライターとして活躍し続けているということは、彼は実際、仕事ができるのだろう。かなり個人的なことになってしまうが、これほど長期にわたって、自分がひとりのミュージシャンを嫌ってきた理由を自分でも知りたいのだ。

 1990年代半ばのティーンエイジャーだった私にとって、その理由は極めて単純だった。ブラーとオアシスのどちらかを選ばなければならないような状況で、私はブラー派だった。それでも、『NME』のジャーナリストたち──当時、いまの自分より若かったであろうライターたち──の安っぽい挑発で形成された見解に、大人、しかも中年になってまで引きずられるべきではないだろう。私も少しは成長しているはずだし、大人になるべきだよね?

 当時、私が最初に言ったであろうことは、彼の歌詞がひどいということだ。振り返ると、ノエルの歌詞は、デイヴィッド・バーマンやモーマスが書くような種類のよい詞ではなかったし、そもそもそれを意図していたわけでもなかった。彼らはパンク・ロックな、私のようなミドル・クラスのスノッブや評論家はファック・ユーという立ち位置で、「彼女は医者とヤッた/ヘリコプターの上で」のような狂乱状態とナンセンスな言葉が飛び交う、韻を踏む歌詞で注目を集め、面白がられた。その核心は、おそらく曲の魂が歌詞ではなく音楽に込められていたということで、それが理解できないのは心で聴いていないということなのかもしれない。

 そんなわけで、私が不快感を覚えたのが「心」の部分だったのではないかと思うようになったのである。つまり、ノエルの曲の感情的な部分が安っぽく安易に感じられ、バンドに投影され自信に満ちた威張った態度が、十代を複雑な迷いや疑念のなかで過ごした人間には響かなかったのではないだろうか。

 これは、現在のノエルの音楽に対しては不公平な批評だ。そもそもあの威勢の良さは、リアムと彼の嘲るようなロック・スターのヴォーカルに起因するものだった。ノエルは、ロック・スターとしての存在感がはるかに薄く、声も細くて脆弱な楽器だ。興味深いのは、ノエルとかつてのライヴァル、デーモン・アルバーンの音楽的な野心が大きく乖離するなかでも、彼らのポップ・ソング作りには、むしろ類似性が見られたことだった。二人の、シンガーソングライターたちの小さめで疲れ気味の声が、中年期の哀愁の色彩を帯びるのは容易なことだったから。ノエルの「Dead to the World」を聴くと、デーモンの声で“And if you say so / I’ll bend over backwards / But if love ain’t enough / To make it alright / Leave me dead to the world” (もし君が言うなら / 精一杯努力するよ / でも愛が足りないなら / 上手くやってくれ / 僕にはかまわないで) が歌われるのが、容易く想像できる。

 さらに、ノエル・ギャラガーはハイ・フライング・バーズの新作『Council Skies (カウンシル・スカイズ)』 では以前に比べて謙虚で、少なくとも思慮深い人物であるように感じられる。レコードを通してある種の喪失感に貫かれており、“Trying to Find a World that’s Been and Gone” では、「続ける意志」を持つことについてのお馴染みのリフレインが、たとえそれが無益な戦いであっても意味があるというメランコリックな文脈で描かれている。タイトル・トラックでは、1990年代の野心的な威勢の良さが、ぼんやりとした脆い希望へと変化している。それはおそらく、大富豪となったノエルがハンプシャーの私有地にいても、未だに思い出すだろう公営住宅地の空の下での、存続する誓いにほかならない。

 しかし、必ずしもその内省的な感覚が、歌詞としてより優れているとはかぎらない。初期のオアシスのパンクな勢いなしには、陳腐なものが残るだけだ。アルバムのタイトル・トラックは、“Catch a falling star” (流れ星をみつけて) という名言で始まり、すぐに“drink to better days” (より良い日々に乾杯) できるかもしれないという深淵なる展望が続く。だが、曲はそれでは終わらず、次々と天才的な珠玉の詞が火のように放たれる。“Waiting on a train that never comes”(来ないはずの電車で待つ)、“Taking the long way home”(遠回りをして帰る)、“You can win or lose it all” (勝つこともあれば、すべてを失うこともある)。ノエルの詞に対する想像力のあまりの陳腐さに、私が積み上げてきた彼のソングライティングに対する慈愛にも似た気持ちが、すべて消え去り、苛立ちだけが募り始める。“Tonight! Tonight!” (今夜! 今夜こそ!)、“Gonna let that dream take flight” (あの夢を羽ばたかせるんだ)というライムで、退屈なタイトルがつけられたクロージング・アンセムの“We’re Gonna Get There in the End”にたどり着く頃には、もう自害したくなっている。ノエルの愚かさ(インタヴューでのノエルは、私の反対意見をもってしても、鋭く、観察力があるようにみえる)ではなく、彼がリスナーを愚かだと見くびっているところに侮辱を感じるのだ。

 私は自分のなかに募るイライラを抑制し、少しばかり視点を変えてみる必要がある。

 ノエル・ギャラガーについてよく言われるのは、彼が料理でいうと「肉とポテト」のようなありふれた音楽を作るということだ。これは話者によっては、批評とも賞賛ともとれるが、いずれにしても本質を突いているように感じられる。メロディが次にどうなるのか、5秒前には予測できてしまうのが魅力で、一度歌詞が音楽の中に据えられると、摩擦なく滑っていき、漠然とした感情がそこにあることにも気付かずに通り過ぎてしまいそうだ。これは、細心の注意を払って訓練され、何世代にもわたり変わることのなかった基本的な材料を使って作られた、音による慰めの料理なのだ。 “Love is a Rich Man” を力強く支える同音反復するギター・フックは、ザ・ジーザス&メリー・チェイン(2017)の “The Two of Us ” と同一ではないのか? あるいはザ・ライトニング・シーズ(1994)の “Change” か? ザ・モダン・ラヴァーズ(1972)の “Roadrunner” なのか? それは、それらすべての未回収の記憶であり、蓄積されたロックの歴史のほかの100万ピースが半分だけ記憶された歓喜の生暖かい瞬間にチャネリングされるようなものだ。

 別の言い方をすれば、そこに驚きはない。これは、いつまでも自分らしく、変わる必要はないと教えてくれる音楽なのだ。この音楽は、自分の想像を超えてくるものを聴きたくない人のためのものだ。そして、ここで告白すると、私のある部分は、ノエル・ギャラガーのことが好きなのだ。オアシスとノエル・ギャラガーズ・フライング・バーズ両方のライヴもフェスで観ているし、私の意志とは裏腹に、飲み込まれて夢中になってしまった。九州で友だちとのドライブ中に、彼のカーステレオから “Be Here Now ” が流れてきた時も、20年ぶりに聴いて、それまでそのアルバムのことを考えたことすらなかったのに、すべての曲と歌詞を諳んじていたのを思い出した。結局のところ、決まり文句のように陳腐な表現は、その輪郭が脳裏に刻みこまれるほどに使い古されたフレーズに過ぎない。自分の一部になってしまっているのだ。

 そういう意味で、ノエル・ギャラガーに対する私自身の抵抗は、音楽的な癒しや保守性に惹かれる自分の一部分への抵抗ということになる。何故に? この私のなかの相反する、マゾヒスティックな側面はいったい何なのだろう。なぜ、ただハッピーではいられず、聴く音楽に緊張感を求めずにはいられないのだろう?

 基本的に、芸術作品のなかのささやかな緊張感は刺激的だ。ザ・ビートルズの “ストロベリー・フィールズ・フォーエバー” の冒頭がよい例で、ヴォーカルのメロディは本能が期待する通りのG音できれいに解決する一方、基調となるコード構成の、突然のFマイナーの不協和音に足元をすくわれる。リスナーの期待と、実際に展開されるアレンジの間の緊張感が、聴き手を楽曲の不確かな現実の中へと迷いこませ、馴染みのないものとの遭遇がスリルをもたらすのだ。

 オアシスが大ブレイクを果たしていた頃、ロック界隈で起こっていたもっとも刺激的なことは、ほぼ間違いなくローファイ・ミュージックという不協和音のような領域でのことだった。オアシスのデビュー・アルバム『Definitely Maybe(『オアシス』)』が初のチャート入りを果たした1994年の同じ夏、アメリカの偉大なロック・バンド、ガイディッド・バイ・ヴォイシズがブレイクのきかっけとなったアルバム『Be Thousand』をリリースしていた。彼らもまた、オアシスと同様にブリティッシュ・インヴェイジョンにより確立された、ロック・フォーメーション(編成)の予測可能性をおおいに楽しんでいたが、GBVのリーダー、ロバート・ポラードは、自身が“クリーミー”(柔らかく、滑らかな)と“ファックド・アップ”(混乱した、めちゃくちゃな)と呼んでいるものの間にある緊張感について主張した。彼が“クリーミー”すぎると見做したメロディは、リリースに耐えうるように、なんらかの方法でばらばらにして、曲を短くしたり、やみくもにマッシュアップしたりして、不協和音的なサウンドエフェクト、あるいは音のアーティファクト(工芸品)を、DIYなレコーディング・プロセスから生みだし、馴染みのある流れを遮るように投入するのだった。

 アメリカ人音楽評論家で、プロの気難し屋の老人、ロバート・クリストガウは、『Bee Thousand』を「変質者のためのポップス──上品ぶった、あるいは疎外された、自分がまだ生きていることを思い出すのに、痛みなしには快楽を得ることができないポストモダンな知識人気取りの者たち」と評した。そのシニカルな論調はともかく、クリストガウのGBVの魅力についてのアプローチは功を奏している──そう、快楽は確かに少し倒錯的で、これは音による「ツンデレ」なフェティッシュともいえる。そしてその親しみやすいものと倒錯したものとの間の緊張感が、リスナーの音楽への求愛のダンスに不確かさというスリルを注入してくれるのだ。

 ノエル・ギャラガーがかつて、退屈で保守的だと切り捨てたフィル・コリンズのようなアーティストの仕事にさえ、緊張感はある。ノエルに “In The Air Tonight ” のような曲は書けやしない。ヴォーカルは緩く自由に流れ、音楽の輪郭は耳に心地よく響くが、常にリフレインへと戻ってくる。曲に命を吹き込むドラムブレイクは、繰り返しいじられるが、長いこと抑制されてもいる。ソフト・ロックへの偏見を捨て去れば、フィル・コリンズのサウンドに合わせて、ネオンきらめく映画のなかのセックス・シーンを想像して、深い官能で相互にクライマックスに達することができるだろう。ノエル・ギャラガーの音楽で同じシーンを想像してみても……いや、やはりやめておこうか。私はたったいま、 “Champagne Supernova” を聴いて同じことを想像してみたが、非常に不快な7分半を過ごしてしまった。上手くはいかないのだ。

 ノエルの歌は、ある種の集団的なユーフォリア(強い高揚感)を呼び起こすことに成功しているが、それがほとんど彼の音楽のホームともいえるところだ。彼の歌詞とアレンジの摩擦の少なさは、社交的な集まりの歯車の潤滑油には最適で、リスナーにそのグループの陽気なヴァイブスに身をゆだねること以外は特に何も要求しない。おそらく、アシッド・ハウス全盛期のノエルの青春時代と共通項があるが、その違いはジャンルを超えたところにある。アシッド・ハウスには、「あなたと私が楽しむこと」を望んでいない体制側(スペイスメン3の言葉による)と、我々と彼らとの闘争という独自の形の緊張感が存在した──それはより広い意味でいうと、過去(トーリー党=英国保守党)と未来(大量のドラッグを使用して使われていない倉庫でエレクトロニック・ミュージックを聴くこと)との間の闘争だった。ノエルは明らかにそういった時代と精神に多少の共感を示しつつ、たまにエレクトロニック・アクトにもちょっかいを出しながら、彼自身の音楽は、常に未来よりも過去に、反乱者よりもエスタブリッシュメント(体制派)に興味を示してきたのだ。そして、時折公の場で繰り出す政治や他のミュージシャン、あるいは自分の弟に関するピリッと香ばしい発言には──哲学的、性的、抒情的、あるいは“ポストモダンな知識人ぶった”アート・マゾヒズムであれ、直感的なある種の緊張感は、ノエル・ギャラガーの音楽には存在しないのだ。

 もちろん、このことに問題はない。彼は音楽とは戦いたくない人のために曲を作っているのだし、それを上手にやってのけるのだから。

 この記事を書き始めた時、自分とはテイストの違いがあるにせよ、過去にノエルに対して公平性に欠ける態度をとっていたことを反省し、ソングライターとしての彼の疑いようのない資質を成熟した大人として受け入れ、融和的な雰囲気の結末に辿り着くのではないかと思っていた。しかし、それは彼と彼の音楽にとってもフェアなことではないと思う。平凡さはさておき、彼の真の資質のひとつは、感情をストレートに表現するところだからだ。

 だから、本当のことをいうと、私はいまでもノエル・ギャラガーの音楽が嫌いだ。私のなかの一部分が、彼の音楽を好いているから嫌いなのだ。彼は、私のなかにある快感センサーを刺激する方法を知っている。不協和音のスリルを忘れ、彼の音楽に没入する自分を許してしまい──本気で耳を傾けることを思い出した後に、6分間死んでいたことに気付かされるのだから。


The problem with Noel Gallagher (and why he’s good)written by Ian F. Martin

I can’t stand Noel Gallagher.

I’ve disliked him for nearly thirty years, and this bothers me a little. To have been an extraordinarily successful and well loved songwriter for so long, he must in fact be good at his job. More personally, for me to have hated a musician like that for so long, I want to know why.

As a teenager in the mid-90s, the reason was pretty simple: you had to choose between Blur and Oasis, and I chose Blur. Still, I probably shouldn’t carry into adulthood and middle age musical opinions that were moulded by the cheap provocations of NME journalists — writers who were probably younger at the time than I am now. I should be more mature than that, right?

At the time, the first thing I would probably have said was that his lyrics were bad. Looking back, they certainly weren’t good lyrics of the sort a David Berman or a Momus might write, but they were never meant to be: they were a punk rock fuck-you to middle-class snobs and critics like me, and the way lines like “She done it with a doctor / On a helicopter” jump deliriously and nonsensically from rhyme to rhyme is attention-grabbing and funny. The core of it, perhaps, is a sense that the soul of the song is carried by the music, not the lyrics, and if you can’t get that, you’re not listening with your heart.

So I start wondering if maybe that “heart” is what I found off-putting — that the emotions in Noel’s songs felt cheesy and facile, that the confident, swaggering attitude that the band projected didn’t speak to someone who spent their teens lost in complexity and doubt.

This is an unfair critique to bring to Noel’s current music. For a start, so much of that swagger was down to Liam and his sneering rock star vocals. Noel has far less of a rock star presence and his voice is a thinner, more vulnerable instrument. It’s interesting that even as Noel and former rival Damon Albarn’s musical ambitions have widely diverged, their pop songwriting has also revealed more points of similarity: two singer-songwriters with small, weary voices that easily carry the melancholy tint of middle age. Listen to Noel’s song “Dead to the World” and it’s easy to imagine Damon’s voice singing the lines “And if you say so / I’ll bend over backwards / But if love ain't enough / To make it alright / Leave me dead to the world”.

There’s a sense, too, that Noel Gallagher is a more humble, or at least thoughtful figure than he used to be on his new High Flying Birds album “Council Skies”. A sense of loss runs through the record, with the song “Trying to Find a World that’s Been and Gone” placing a familiar refrain about having “the will to carry on” in the melancholy context of a struggle that’s worth it even though it might be futile. In the title track, meanwhile, the aspirational swagger of the 1990s seems to have faded into a duller and more fragile hope that persists in the promise of the council estate skies that Noel can still presumably remember from his millionaire Hampshire estate.

That greater sense of reflection doesn’t necessarily mean the lyrics are any better, though. Without the punk swagger of early Oasis, all that’s left is cliché. The album’s title track opens with the words of wisdom “Catch a falling star”, swiftly followed by the profound observation that we might “drink to better days”. The song isn’t done though, firing nuggets of poetic genius one after the other: “Waiting on a train that never comes”; “Taking the long way home”; “You can win or lose it all”. The sheer banality of Noel’s lyrical imagination banishes every charitable thought I’ve been building up about his songwriting, and my irritation begins to rise. By the time he rhymes “Tonight! Tonight!” with “Gonna let that dream take flight” on the insipidly titled closing anthem “We’re Gonna Get There in the End”, I want to kill myself. I feel insulted not by how stupid Noel is (he comes across as sharp and observant in interviews, even when I disagree with him) but how stupid he thinks his listeners are.

I need to dial back my annoyance and get a bit of perspective.

An common remark about Noel Gallagher is that he makes “meat and potatoes” music. It’s a comment that’s either criticism or praise depending on the speaker, but it feels true either way. The appeal is that you always know what his melodies are going to do five seconds before they do it, and once placed inside that music, the lyrics glide by frictionlessly: vague sentiments that you barely recognise are even there. This is sonic comfort food made with practiced care from basic ingredients that have remained unchanged for generations — is the chiming guitar hook that anchors “Love is a Rich Man” the same as “The Two of Us” by The Jesus and Mary Chain (2017)? Is it “Change” by The Lightning Seeds (1994)? Is it “Roadrunner” by The Modern Lovers (1972)? It’s the accrued memories of them all, and of a million other pieces of rock history channeled into a warm moment of half-remembered exultation.

To put it another way, there are no surprises: this is music that tells you it’s OK to be yourself forever and never change. It’s music for people who don’t want to hear anything that challenges their expectations. And a confession: a little piece of me does like Noel Gallagher. I’ve seen both Oasis and Noel Gallagher’s Flying Birds live at festivals and both times got swept up in it despite myself. I remember driving with a friend through Kyushu as “Be Here Now” came on his car stereo, and I knew all the songs, all the words, more than 20 years after the last time I heard or even thought about the album. After all, what is a cliché but a phrase so well worn that it’s contours are carved into your brain? It’s part of you.

So my resistance to Noel Gallagher is really a resistance to that part of myself that’s drawn to musical comfort and conservatism. But why? What is this contrary, masochistic side of me that can’t just be happy and needs some tension with the music I listen to?

Fundamentally, a bit of tension in a piece of art is exciting. The opening of The Beatles’ “Strawberry Fields Forever” is a great example, with the vocal melody resolving cleanly on the G note where instinct tells you to expect it, while the underlying chord structure pulls the rug out from beneath you with a dissonant F minor. The tension between the listener’s expectation and what the arrangement actually does sends you tumbling into the song’s uncertain reality and there’s a thrill in this contact with the unfamiliar.

Around the time Oasis were breaking big, arguably the most exciting thing happening in rock music was in the dissonant sphere of lo-fi music. In the same summer of 1994 that Oasis’ debut “Definitely Maybe” first hit the charts, America’s greatest rock band Guided By Voices were releasing their breakthrough album “Bee Thousand”. While they, like Oasis, revelled in the predictability of the same established British Invasion rock formations, GBV leader Robert Pollard also insisted on a tension between what he called “creamy” and “fucked-up”. For him, a melody deemed too “creamy” would need to be mutilated in some way to make it acceptable for release: songs cut short or mashed together in haphazard ways, discordant sound effects or sonic artefacts emerging from the DIY recording process thrown in to interrupt the flow of the familiar.

American music critic and professional grumpy old git Robert Christgau described “Bee Thousand” as “pop for perverts — pomo smarty-pants too prudish and/or alienated to take their pleasure without a touch of pain to remind them that they're still alive”. The cynical tone aside, Christgau nails the appeal of GBV’s approach: yes, the pleasure is a little perverse — the sonic equivalent of the “tsundere” fetish — but that tension between the familiar and the oblique injects the thrill of uncertainty into the courtship dance the listener does with the music.

Even with an artist like Phil Collins, who Noel Gallagher has in the past dismissed as boring and conservative, there can be tension at work. Noel could never write a song like “In The Air Tonight”. The vocals flow loose and free, caressing the contours of the music but always locking back in for the refrain; the drum break that kicks the song into life is teased repeatedly but held back for so long. Get over your soft rock prejudices and you can imagine a deeply sensual, neon-bathed movie sex scene that reaches a mutually satisfying climax to the sound of Phil Collins. Imagine the same scene set to the music of Noel Gallagher… or maybe don’t. I just spent an uncomfortable seven and a half minutes listening to “Champagne Supernova” while trying to picture it, and it just doesn’t work.

What Noel’s song does succeed in evoking, though, is a sort of collective euphoria, and that’s where his music is most at home. The frictionlessness of his lyrics and arrangements work best lubricating the gears of social gatherings without demanding anything much from the listener other than that they submit themselves to the buoyant vibe of the group. It shares something, perhaps, with Noel’s youth during the height of acid house, but the differences go further than genre. Acid house had its own tension in the form if an us-and-them struggle with an establishment that didn’t (in the words of Spacemen 3) “want you and me to enjoy ourselves” — which is to say more broadly between the past (the Tory party) and the future (taking massive amounts of drugs in a disused warehouse while listening to electronic music). While Noel clearly has some sympathy with that era and ethos, and has flirted with electronic acts on occasion, his own music has always been more interested in the past than the future, more establishment than insurgent. And for all his occasionally spicy public remarks on politics, other musicians or his brother, a visceral sense of tension — whether philosophical, sexual, lyrical or “pomo smarty-pants” art-masochism — has no place in Noel Gallagher’s music.

This is fine, of course: he makes songs for people who don’t want to fight with their music, and he is very good at it.

I thought, when I started to write this, that I might end there, on a conciliatory note, with the realisation that I’d been unfair on Noel in the past and with a mature acceptance of his undoubted qualities as a songwriter, despite my differences in taste. But I don’t think that would be fair to him or his music either: for all his banalities, one of his genuine qualities is that he is a straight shooter emotionally.

So in truth, I still hate Noel Gallagher’s music. I hate it because a part of me likes it. Because he knows how to work that little part of me and stimulate those pleasure sensors. Because I let myself forget the thrill of the dissonant and sink into it — until I remember to really listen, and then I realise I’ve been dead for six minutes.

Mark IV - ele-king

Kukangendai - ele-king

 独自の尖った路線をひた走るエクスペリメンタル・ロック・バンド、空間現代が新作をリリースする。近年は『Soundtracks for CHITEN』や12インチ『Tentai』、カセット『After』に、グラフィック・デザイナー=三重野龍とのコラボなど、変わらず精力的に活動している彼らだが、オリジナル・アルバムとしてはスティーヴン・オマリーの〈Ideologic Organ〉から送り出された『Palm』以来、4年振りの作品となる。題して『Tracks』、CD盤は5月31日発売、デジタル版は本日4月26日より配信がスタート。ちなみにエンジニアはDUB SQUADROVOの益子樹で、空間現代の拠点・京都「外」にてレコーディングされている。
 また、同新作の発表に合わせ、東京では6月20日にレコ発ライヴが催されるほか、5月と7月には京都で3本のリリパが予定されている。詳しくは下記を。

ARTIST:空間現代
TITLE::『Tracks』
LABEL::Leftbrain / HEADZ
CAT.NO.:LEFT 2 / HEADZ 257
FORMAT:CD / digital
BARCODE:4582561399138
発売日:CD 5月31日(水) / digital 4月26日(水)
流通:ブリッジ
定価(CD):2,200円+税(定価:2,420円)

1. Burst Policy
2. Look at Right Hand
3. Beacons
4. Fever was Good
5. The Taste of Reality
6. Hatsuentou

◎ CD盤には佐々木敦と角田俊也によるライナーノーツを日本語・英語で収録

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2023年6月20日(火)at 渋谷WWW
【空間現代『Tracks』release live】

LIVE:空間現代
DJ:UNKNOWNMIXER(佐々木敦)

開場:19:30/開演:20:00
予約:3,500円+1D/学割予約:2500円+1D

予約フォーム:
https://forms.gle/e2ERaL1tot6PWP859

WWW
〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル地下
TEL: 03-5458-7685

《Kukangendai “Tracks” Release Party》京都編

① 5月13日(土)京都・外

Kuknacke
NEW MANUKE
MARK
空間現代

開場 17:30 開演 18:00
予約 2,500円 当日 3,000円
*学生証提示で予約・当日ともに2,000円

② 5月20日(土)京都・外

空間現代

開場 19:00 開演 19:30

③ 7月1日(土)京都・外

contact Gonzo
D.J.Fulltono
空間現代

開場 18:00 開演 18:30
予約 2,500円 当日 3,000円
*学生証提示で予約・当日ともに2,000円

●予約・詳細:http://soto-kyoto.jp/event/230513/

R.I.P. Mark Stewart - ele-king

文:野田努

「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂鬱な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂本龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。

 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドファーザーだが、10代半ばのぼくにとってはファンクの先生だった。ジェイムズ・ブラウンが発明し、白いアメリカで生きる黒い人たちから劣等感を削除し前向きな自信を与えたこの決定的な音楽の語法を、ザ・ポップ・グループというバンドはパンクの文脈に流し込んだ。それだけでもどえらいことだが、ブリストルという地政学のなかで生まれたこのバンドは、実験音楽であると同時に脳内をふっとばす低音ダンス音楽でもあり、当時UKで起きていた移民文化にリンクするダブという概念もそこに混ぜ合わせたばかりか、さらにまたそこに、60年代のポスト・コルトレーンから広がる炎の音楽=フリー・ジャズにも手を染めていたのだった。

 カオスとファンクとの結合に相応しいそのバンドのディオニソスこそ、マーク・スチュワートに他ならなかった。彼らが標的にしたのは、資本主義であり植民地主義だったが(残念ながらいまや重要なトピックとなっている)、こうした政治的主張と音楽との融合において、最高にクールで、圧倒的に迫力があり、創造的で快楽的でもあったロック・バンドがいたとしたら、彼らだった。

 ザ・ポップ・グループとしてのずば抜けた3枚を残し、マークはザ・マフィアを名乗ってからもその手を緩めなかった。エイドリアン・シャーウッドとダブ・シンジケートのメンバーといっしょに録音したシングル「Jerusalem」(1982)とアルバム『Learning To Cope With Cowardice』(1983)は、〈ON-U Sound〉がダブの実験において、どこまでそれをやりきれるのかという、もっともラディカルな次元に没入していた時代の輝かしい記録である。サウンド・コラージュとダブとの境界線を曖昧にし抽象化した “Jerusalem” 、奈落の底から立ち上がるアヴァンギャルド・ゴスペル・ルーツ・ダブの名曲 “リヴァティ・シティ” はここに収録されている。

 新しい音楽のスタイルの出現をつねに肯定的に捉えていたマークが、ヒップホップを無視するはずがなかった。ザ・マフィアを経てソロ名義になった彼が最初に発表した、傑出したシングル「Hypnotized」と 『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade(民主主義というヴェイルに包まれた時代が終わりを告げようとしているとき)』(1985)は、オールドスクール・ヒップホップの拠点から、シュガーヒル・ギャングの主要バックメンバー3人を引き抜いての制作で、これらはシャーウッドのダブの新境地によってインダストリアル・サウンドのルーツにもなった。

 このように、マークや〈ON-U Sound〉系の音楽にすっかり魅了されたファンの度肝を次に抜いたのは、1987年の決定的なシングル盤「This Is Stranger Than Love」だった。エリック・サティにはじまり、粒子の粗いヒップホップ・ビートがミックスされるこの曲には、90年代のブリストルを案内することになるスミス&マイティが参加し、のちのちトリップホップの先駆的1枚としても認定されている。

 この頃、マークはハウス・ミュージックへの共感を示していた。じっさい、1990年にリリースされた『Metatron』に収録された「Hysteria」は、都内のテクノ系のパーティでもよくかかっていたし、1993年に初来日した際のステージは、その数年前まではダンス・ミュージックのヒットメイカーだったアダムスキーとふたりによるパフォーマンスだった。渋谷のオンエアーのステージに登場し、あの大きな身体を豪快にゆらしながらあちこち動き回り、胃袋のそこから鳴らしているかのような彼の独特のヴォーカリゼーションを、ぼくの記憶から消そうたって無理な話である。

 個人的な思い出を言うなら、もうひとつある。1999年の話だが、ぼくはロンドン市内の図書館に隣接した、コーヒー一杯1ポンドほどの食堂で、マークと待ち合わせて、会って、話を聞いたことがある。これにはいくつかの不安と驚きがあった。携帯が普及する以前の話なので、彼に指定されたその場所に、時間通りにほんとうに彼が来てくれるのか、行ってみなければ確認のしようがなかった。また、ぼくに言わせれば、自分のスーパーヒーローのひとりが、日本からダブについての話を聞きに来ただけの(つまり、彼の作品のプロモーションでもないでもない)小さなメディアのために、ブリストルという地方都市からわざわざロンドンまで来てくれるのかという心配も、じゅうぶんにあった。だいたいこういう場合は、せめてそこそこ気の利いたレストランでおこなうというのが、ひとつの作法のようなものとしてある。しかしカネのない学生同士が待ち合わせるようなその広い場所に、マークはぼくよりも先に来て、ひとり、どこにでもあるような丸いテーブルのイスに腰掛けていた。

 これは奇遇としか言いようがない。先日亡くなったジャー・シャカの話も、そのときマークから嫌というほどされた。〈ON-U Sound〉における実験旺盛な時代の(マークにとっての)重要な影響源のひとつは、ジャー・シャカだった。ぼくは幸運なことに、1992年と1993年にロンドン市内の公民館で開催されていたシャカのサウンドシステムを経験していたので、マークの話にすっかり納得した。なるほどたしかに、ロンドンにおけるシャカのシステムは、それ自体が実験的といえるほど、あり得ない低音とあり得ない音のバランスで、原曲をまったく別のものにしていたのである。

 彼の長いキャリアのなかで、ぼくにしてみれば、出さなければ良かったのにと思った作品もある。何年か前に、再結成したザ・ポップ・グループとして来日したこともあったが、いくらそこで往年の代表曲を演奏しようとも、初来日におけるアダムスキーを従えてのよれよれのライヴのときの異様な緊張感を味わうことはなかった。が、そう、しかそれもいまとなっては贅沢な話なのだ。

 マーク・スチュワート、ザ・ポップ・グループ、ザ・マフィア、これらの影響力はものすごいものがある。マッシヴ・アタックやポーティスヘッドどころか、バースデー・パーティ(ニック・ケイヴ)のようなバンドだって、あのディオニソスがいなければ違ったものになっていただろう。

 フランツ・ファノンは、「抑圧された人たちは、つねに最悪を想定する」と言ったが、マークは逆で、未来に対して楽観的だった。新しいもの、若い才能をつねに褒め称え、あれだけ深刻な社会問題を取り上げてきたのに関わらず、よく笑う、あの豪快な佇まいの彼には、根っからの楽天性があった。いまぼくはそれをがんばって思い出そうとしているが、地のはるか暗い底から、ダブのベースとファンクの力強いリズムをともなって、彼の絶叫が呪いのように聞こえてくるのである。



文:三田格

 坂本龍一が83年に初めてラジオのレギュラー番組を持った「サウンドストリート」の第1回目を聞いていたら、『B2~Unit』を録音しているスタジオにスリッツのメンバーが毎日遊びに来るんだよと話している箇所があった。そして、お気に入りだというスリッツの曲をかける際に「ザ・ポップ・グループの兄弟バンド、いや、姉妹バンドです」と紹介し、ザ・ポップ・グループについてはなんの説明もなかった。第1回目の放送にもかかわらず、彼のラジオを聞いているリスナーはザ・ポップ・グループのことは知っていて当たり前といった雰囲気だった。ザ・ポップ・グループはその前年、セカンド・アルバムがリリースされると急に音楽誌で持ち上げられ、当時、大学生だった僕は波に乗ろうとする大人が大挙して現れたような気がしてしょうがなかった。ファーストに比べて明らかにフリーキーなセンスは薄まり、様式化が進んでいるというのに唐突に興奮し始めた大人たちの言動はどうにもナゾで、あの時のイヤな感じは40年経ってもいまだに身体から抜けてくれない。「ザ・ポップ・グループ」というネーミングがあまりにアイロニカルだったせいで、それはなおさらグロテスクに感じられ、資本主義的な文脈でアノニマスを気取ったネーミングはそれ自体がポップ・アートになっているという印象を倍増させる効果まであった。当時の音楽メディアがシーンを取り囲んでいた状況はXTC“This Is Pop”やPIL“Poptones”といったタイトルにも滲み出し、キング・オブ・ポップがトップに立つ日もすぐそこに迫っていた。ポップはもはや社会をテーマとして表現されるタームではなく、コマーシャリズムという姿勢に取って代わり、そのことに無自覚ではいられなくなった制度そのものを彼らは名乗っていたのである。消費主義が勢いを増す80年代の入り口でポップを対象化できなければ表現者の主体性が失われるという不安や焦燥をザ・ポップ・グループというネーミングは見事に集約していた。さらにセカンド・シングル“We Are All Prostitutes(私たちはみな金銭のために品性を落とす売春婦だ)”というタイトルはさすがに言い過ぎだと思ったけれど(いまだに少し抵抗がある)、ポップ・ミュージックをやるためにそこまで考えなければいけないのかという状況について認識できたことは大きかった。また、ザ・ポップ・グループについて何かを考えることはただの大学生でしかなかった僕が平井玄さんや粉川哲夫さんといった思想家たちと深夜ラジオで議論ができるパスポートになったことも僕にとっては少なからずだった。

 多大なインパクトを伴って現れたザ・ポップ・グループは、しかし、あっという間に解散してしまった。ザ・ポップ・グループはすぐにもピッグバッグとリップ・リグ&パニックに分かれてマテリアルやジェームズ・ブラッド・ウルマーといったフリー・ファンクの列に加わり、“Getting Up”や“You're My Kind Of Climate”がその裾野を大いに広げてくれたものの、マーク・ステュワートだけがどこかに消えてしまった。ザ・ポップ・グループが不在となった81年は僕にはパンク・ロックから続く狂騒が少し落ち着いたように感じられた年で、地下に潜った動きやドイツで始まった新たな胎動にも気づかず、個人的には音楽に対する興味が少し薄れた時期でもあった。日本では「軽ければ正義」といった風潮が蔓延し始めた時でもあり、TVをつければホール&オーツやシーナ・イーストンばかり流れていた。これが。しかし、82年になると様相が一変する。「破壊」と「創造」が必ずセットで訪れるものならば、82年はパンクによって破壊されたポップ・ミュージックが見事に再構築を成し遂げた年だと思えるほど、あらゆる場面に力が漲っていた。アソシエイツやキュアー、スクリッティ・ポリッティにファン・ボーイ・スリーと数え切れないアイディアが噴出し、それぞれが持っていた独自のヴィジョンはニュー・ロマンティクスから第2次ブリティッシュ・インヴェンジョンへと拡大していく。リップ・リグ&パニックやピッグバッグが先導したブリティッシュ・ファンクはディスコ・ビートとあいまってその原動力のひとつとなり、ナイトクラッビングがユース・カルチャーのライフスタイルとして完全に定着したのもこの時期である。ほんとに何を聞いても面白かった。ひとつだけ不満があるとしたら、それはダブの可能性が思ったほど翼を広げなかったことで、フライング・リザーズやXTCのアンディ・パートリッジによるソロ作など、ダブをジャマイカの文脈から切り離して独自の方法論に持ち込むプロデューサーが期待したほどは増えなかったこと。ダブよりもファンクというキーワードの方が大手を振るっていたというか。マーク・ステュワートがマフィアを率いて“Jerusalem”を投下したのはそんな時だった。

 83年に入ってすぐに輸入盤が届いた“Jerusalem”は祭りに投げ入れられた石のようだった。さらなる興奮を覚えた者もいれば、白けて避けてしまった者もいたことだろう。“Jerusalem”はジャケット・デザインがまずはザ・ポップ・グループと同じ刺激を回復させていた。紙を折りたたんだだけのジャケットもラフで無造作なら、引っ掻き傷のような文字はナイトクラッビングやニュー・ロマンティクスとは異なる文化の健在を表していた。ザ・ポップ・グループが放っていたヴィジュアルと言語による挑発はすべてマーク・ステュワートによるものだったと再確認させられた瞬間でもあり、“Jerusalem”やカップリングの““Welcome To Liberty City””などインダストリアル・ミュージックとダブをダイレクトに結びつけたサウンドは鮮烈のひと言で、カリブ海を遠く離れたダブ・サウンドがポップ・ミュージックの再構築ではなく「パンクの再定義」と評されたのもなるほどだった。様式化されたパンクやマイナー根性に支配されたアンダーグラウンドとは異なり、不遜で広く外に開かれた攻撃性はそれこそパンク直系であり、アソシエイツやスクリッティ・ポリッティに覚えた興奮とは異なる次元が存在していたことを一気に思い出させてくれた。パンク・ロックに触発された言説に「誰でも音楽ができる」というワン・コード・ワンダーとかスリーコード万能論のようなものがあり、その通りチープな音楽性が勢いづくという局面が当時から、あるいは現代でも少なからず存在している。それとは逆にパンクが高度な音楽性と結びついてはいけないというルールがあるわけもなく、パンクがトーン・ダウンした時期にファンクやジャズをパンクと結びつけたのがザ・ポップ・グループだったとしたら、マーク・ステュワート&マフィアは同じくそれをダブやレゲエと結びつけ、もう一度、同じインパクトまで辿り着いたのである。それはやはり並大抵のクリエイティヴィティではなかった。追ってリリースされたファースト・アルバム『Learning To Cope With Cowardice』ではさらにその方法論が縦横に展開されていた。どれだけテープを切ったり貼ったりしたのか知らないけれど、“To Have A Vision”や“Blessed Are Those Who Struggle”の目まぐるしさは格別だった。

 90年代に入ってからマーク・ステュワートがアダムスキーを伴って来日し、ボアダムズなどが出演するイヴェントで前座じみたステージやったことがあった。アダムスキーというのはレイヴ初期にコマーシャルな夢を見たスター・プロデューサーの1人で、レイヴがヒット・チャートとは異なるオルタナティヴな磁場を独自に切り開いた頃にはバカにされて放り出された存在だった。マーク・ステュワートとアダムスキーというのは、つまり、水と油のような組み合わせだったのに、これがそれなりに泥臭いテクノとしてまとまったステージを成立させていた。『Learning To Cope With Cowardice』やその後のソロ・アルバムでもそうなんだろうけれど、マーク・ステュワートのサウンドはおそらくエイドリアン・シャーウッドの力によるところが大きく、マーク・ステュワートという人は自身のアイデンティティと音楽性がそれほど強くは結びついていないのだろう。シンセーポップかと思えばニュービートとあまりに節操がなく、サイレント・ポエッツにザ・バグと交際範囲も度を越している。彼にとって大事なことは極左ともいえるメッセージを伝えることであり、イギリスでは活動家と認識されるほど明確に権力と対峙することで、確か自分のことをジャーナリストと呼んでいた時期もあった。とはいえ、彼はやはりヴォーカリストだった。目の前でマイクを握りしめていた時の存在感は圧倒的で、彼の声には独特の張りがあり、彼が敬愛していたらしきマルカム・Xに通じるカリスマ性も申し分なかった。

 ある時、インタビューを始めようと思ったらマーク・ステュワートに「腕相撲をしよう」と言われて彼の手を思いっきり握ったことがある。当たり前のことだけれど、彼の手は暖かく、少しがさがさとしていて分厚かった。あの手に二度と力が入らないと思うとやはり悲しく、どうして……という気持ちにならざるを得ない。R.I.P.

Oval - ele-king

 グリッチの開拓者、オヴァルが新作を発表する。ピアノの導入でリスナーを驚かせた『Ovidono』(2021)以来のアルバムだが、先行配信中の “Touha” を聴くかぎりどうやら今回もピアノがフィーチャーされているようだ。『Romantiq』と題されたそれは5月12日に世界同時発売。かつてグリッチで世界を震撼させたマーカス・ポップが目指す「ロマンティック」とはいかなるものになるのか? 期待しましょう。

OVAL(オヴァル)
『ROMANTIQ』(ロマンティック)

THRILL-JP 57 / HEADZ 258 (原盤番号:THRILL 590)
価格(CD):2,200円+税(定価:2,420円)
発売日(CD):2023年5月12日(金) ※ 全世界同時発売
フォーマット:CD / Digital
バーコード:4582561399527

01. Zauberwort(ツァオバーヴォルト)
02. Rytmy(リートミー)
03. Cresta(クレスタ)
04. Amethyst(アメティスト)
05. Wildwasser(ヴィルトヴァッサー)
06. Glockenton(グロッケントーン)
07. Elektrin(エレクトリン)
08. Okno(オクノ)
09. Touha(トウハ)
10. Lyriq(リューリク)
11. Romantic Sketch A(ロマンティック・スケッチ A)
12. Romantic Sketch B(ロマンティック・スケッチ B)

Total Time:46:20

Tracks 11, 12…日本盤CDのみのボーナス・トラック

All music written, arranged and produced by Markus Popp
Artwork by Robert Seidel

'90年代中盤、CDスキップを使用したエポック・メイキングな実験電子音響作品を世に送り出し(2022年発表されたPitchforkの『The 150 Best Albums of the 1990s』にて1995年作『94diskont.』が132位にランクイン)、エレクトロニック・ミュージックの新たな可能性を提示し続け、世界中にフォロワーを拡散させた独ベルリン在住の音楽家、オヴァル(OVAL)ことマーカス・ポップ(Markus Popp)。
2020年1月リリースの『SCIS』(THRILL-JP 51 / HEADZ 243)以来のワールドワイド・リリース(米シカゴの老舗インディー・レーベルThrill Jockey Recordsより)となるオヴァルの最新アルバム『ROMANTIQ』にて、マーカス・ポップがまたしてもエレクトロニック・ミュージックの可能性を刷新した。
「ASMR 2.0」とも呼ばれた、2021年12月に発表された女優Vlatka Alecとのアートプロジェクト作品(マーカス自身のレーベル、UOVOOOからのOVAL名義でのリリースとなった)『OVIDONO』(Soの豊田恵里子も参加)でのクリエイションも反映させ、『OVIDONO』のアルバム・カヴァーを担当したデジタル・アーティストRobert Seidel(ロバート・サイデル。ドイツのイエナ出身で、現在はベルリンを拠点に活動。『ROMANTIQ』のアートワークも担当)とのオーディオ・ヴィジュアルなコラボレーション(2021年9月に開館したDeutsches Romantik-Museumのグランド・オープニング用のコラボレーション)が契機となり、多様な建築物かのように立体的な音空間を創り出している。
かつてのフォークトロニカ、ポスト・クラシカルとは一線を画した、2010年の『O』以降、職人芸のように磨き上げた、生楽器(オーガニック)とエレクトロニクス(デジタル)の境界線を曖昧にした独特なブレンドが、新たな領域に達し、所謂音楽家的なコンポーザー、メロディーメイカーとしての才能が一気に開花したかのような、圧倒的にオリジナルでロマンティックな音楽を創り上げた。
‘膨大な情報量を、見事に昇華し、これまでの作品の中でも最高峰に美しく洗練された、ノスタルジックでありながらフューチャリスティックでもある、情緒豊かな大傑作アルバム。

アルバムからの先行シングルとなった9曲目「Touha」(トウハ)のHEADZヴァージョンのMusic Video(video by Robert Seidel)は現在、以下URLにて限定公開中。
https://www.youtube.com/watch?v=itRb-9EkhC8

◎ 全世界同時発売(2023年5月12日)
◎ 日本盤CDのみのボーナス・トラック2曲収録
◎ 日本盤CDのみマーカス・ポップ本人によるマスタリング音源を使用(デジタル配信は、ワールドワイド版のThrill Jockey盤と同様に、Rashad Beckerによるマスタリング音源を使用)
◎ 日本盤CDのみマーカス・ポップとロバート・サイデルのお気に入り画像をメインに使用した、Thrill Jockey盤とは異なるオリジナル・デザインのジャケット。

interview with Black Country, New Road - ele-king

ワンテイクで撮ったのだと思って欲しくないな、と思った。ここは正直に、3日間の公演を通して撮られたものだと知ってもらいたかった。そこで毎晩違った格好をしようということになった。(エヴァンズ)

 アイザック・ウッドがブラック・カントリー・ニュー・ロードを脱退して1年が経った。
 正直、僕はまだ彼の才能が恋しいし、もうBCNRが『Ants From Up There』をプレイしないということを本当に残念に思っている。しかしBCNRは止まらない。メイン・ヴォーカルの脱退というバンドにとって致命的なアクシデントを乗り越え、BCNRの絆はより強固なものになっている。『Ants From Up There』は言うまでもなく美しい名盤で、様々なメディアでも2022年のベスト・アルバムの上位に並んだ。しかしウッドの脱退を受け、バンドは全曲新曲でのツアーを決めた。ツアーがはじまるまでの限られた時間で曲を持ち寄り作られたライヴ・セットは一年のツアーを経て研磨され『Live at Bush Hall』へ帰結する。

 過去のインタヴューでメンバーがよく口にしていた民主的なバンドの意思決定プロセスが『Live at Bush Hall』では濃く反映されているように感じる。各曲でメイン・ヴォーカルが変わるスタイルも要因として大きいだろうが、誰かひとりが編曲を統括しないことで生まれる流動的で自由なグルーヴがライヴ・アルバムというアイデアと相性が良く、これはスタジオではなくライヴで録るべきだというバンドの選択に合点がいく。プロムや学芸会的なアイデアも、会場を友人やレーベルの人間と飾りつける様子もBCNRが獲得したスタイルをよく表現している。

 サウンド面でも評価されるべきアルバムだと思う。ただでさえメンバーが多いBCNRだが、ピアノ、ドラム、ヴァイオリン、サックス、フルートなど音量がバラバラな上、パーテーションで仕切ってあったが、ステージはかなり小さいので録音はかなり難しかったと思う。先行してYouTubeにアップされているライヴ映像を見ると、ギターのルーク・マークとベースのタイラー・ハイドの後ろにはアンプがなくステージの後方、ピアノの裏まで押し込んであったりいろいろ工夫が施されてある。マスタリングにアビー・ロード・スタジオのエンジニアがクレジットされているのでしっかりしているのは納得だが、生々しいがクリアで暖かく重厚感のあるサウンドはライヴ・アルバムとして理想的な録音になっている。

 語るべきストーリーのあるバンドは多くの人から愛される。我々ファンや音楽ライターは往々にして悲劇やそれを乗り越えるバンドのストーリーを勝手に作りあげてしまうが、そんなことは彼らには関係なく、「ミュージシャンとしては、1日を大切に生きてその瞬間を楽しむということが大事だと思うんだ」と言う彼らの素直に音楽を楽しむ姿勢は、そんなストーリーよりも貴重で素晴らしいと思う。

よくあるライヴ映像は、複数のライヴ映像のうまい部分を編集して繋ぎ合わせて、見栄えを良くしているけれど、僕たちはそのやり方はしたくないと思った。(マーク)

シングル「Sunglasses」のリリース時から聴いていたのでインタヴューできることを大変嬉しく思います。まずは簡単な質問から。BCNRのSpotifyにみなさんのプレイリストがあります。多彩で面白く楽しみに聴いているのですが、あれはみなさんが普段聴いている曲なのでしょうか? それともバンドのためのリファレンスのような物として共有しているのでしょうか?

ルイス・エヴァンズ(Lewis Evans、以下LE):あれはバンド・メンバーで共有しているプレイリストで、各自が好きな音楽を追加しているんだ。普段みんなが聴いている曲を入れているだけで、BNCRが作る音楽のレファレンスとも言えるけど、僕たちは具体的な曲をレファレンスにして制作をすることはあまりしないから、その時々に聴いている曲をシェアしている感じだね。

ルーク・マーク(Luke Mark、以下LM):BCNRがこういう曲を聴いているとか、こういう曲に影響されているということをリスナーに知ってもらいたいという意識は特になくて、僕があのプレイリストに載せているのは、ただそのときに自分が聴きまくっていた曲というのが多い。だから、同じ曲がプレイリストに何回も入っていることもある。誰かが載せた曲を、他のメンバーが聴いて、またそれをプレイリストに載せたりするからね。

いちばん最近のものに青葉市子やBuffalo Daughterなど日本のアーティストが入っていましたが、日本のアーティストも普段聞きますか? どんなアーティストでしょう?

LM:チャーリー(・ウェイン/ドラム)とメイ(・カーショウ/キーボード)が青葉市子の大ファンなんだ。僕は彼女の音楽を聴いたことがなかったんだけど、今度、彼女とロッテルダムのMOMOというフェスティヴァルで共演することになった。だから残りのメンバーはこれから彼女の音楽を聴いて知ろうと思っているところだよ。

LE:プレイリストに載せたかどうか覚えてないけど僕は渡辺美里をよく聴くよ。“My Revolution” とか。ポップ・ソングの書き方に関してはエキスパートだと思うからね。トップ・クオリティだよ!

LM:僕たちの家では朝食の時間にかける音楽だよな。

LE:そうそう、コーヒーを飲みながら聴いてるんだ。


今回取材に応じてくれたルーク・マーク(ギター)


今回取材に応じてくれたルイス・エヴァンズ(サックス/フルート/ヴォーカル)

アイザックが抜ける前の時点で、BCNRにはライヴやフェスティヴァル出演をする機会がたくさん予定されていた。その機会を活かしてライヴなどに出演するのか、音楽以外の現実味のある仕事を見つけるかという話で、全員が前者を希望した。(エヴァンズ)

いろいろなインタヴューでもお話しのように、様々な音楽的バックグラウンドをお持ちですが、音楽以外の影響はどうでしょうか? 好きな映画や本やアートなど、音楽以外からの影響について教えてください。

LM:バンドのメンバーたちは様々なメディアから影響を受けているよ。たとえばタイラーはアート専攻だったから現代美術について詳しいし、チャーリーは美術史が好きだからヨーロッパをツアーしているときは美術館に行きたがる。チャーリーがメンバーの中で、いやタイラーと同じくらい、いちばん美術史について知っていると思う。僕はヴィジュアル・アートに関しては好きなものは少しあるけれど、あまり知識がない方なんだ。最近は、近代美術家のピーター・ドイルという人がロンドンで展示会をやっていたから行ったけど、とても良かった。とても親しみやすいというかわかりやすいから自分でも好きなんだろうな(笑)。デカいサイズの、カラフルな絵を描く人だ。僕がいちばん好きなのはピーター・ドイルかな。本はどうだろう……?

LE:僕は本をあまり読まないんだ。

青木:では映画はいかがですか?

LE:映画は好きだよ。映画は大好き。僕には本は読むだけの集中力がないんだ。だから1時間半くらいの映画が僕にとってはちょうどいい。映画かあ……僕がいちばん好きな映画って何だっけ?

LM:ルイスがいちばん好きな映画は『Waiting for Guffman』(96:クリストファー・ゲスト監督)だよ。

LE:そう、『Waiting for Guffman』で、えーと誰が作ったんだっけ?

LM:あれだよ、あの人!

LE:『Spinal Tap』(84:ロブ・ライナー監督)を作った人! 彼(*脚本のクリストファー・ゲスト)と、彼がいつも起用するキャストのメンバーが登場する、最高な90年代の映画だよ。全てがアドリブなんだ。『Waiting for Guffman』は本当に大好き! あとはかっこいいホラー映画も好きだよ。最近は日本のホラー映画も観てるんだ。『仄暗い水の底から』(02)も観たし……

LM:『仄暗い水の底から』はすごく良かったよな。

LE:『リング』(98)も観た。あれは有名だよね。

LM:『リング』も『仄暗い水の底から』と同じ監督だよね(*中田秀夫)。『仄暗い水の底から』の方が怖かったと思う。

LE:『仄暗い水の底から』の方が?

LM:『リング』の描写は他の映画で何度も模倣されているというか……去年も『Smile』(22)というホラー映画を観たんだけど、『Smile』の基本的なストーリーは、『リング』の結末から始まる感じなんだ。だからパクリだと思ったよ。僕は映画にあまり詳しくないけれど、今年は、可能な限り、映画を一日一本見るということをして、映画に詳しくなろうとしているんだ。これをやれば年末までに365本の映画を観たことになる。ルイスと僕にはルームメイトがふたりいるんだけど、そのふたりとも映画が大好きなんだ。彼らの方が僕よりもずっと映画には詳しい。だから僕は最近、デュー・デリジェンスの取り組みとして、昔の名作映画をたくさん観ているよ。イングマール・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニといったアートハウス系の名監督の作品を観ている。いままでそういう作品を観たことがなかったからね。最近は初めて『8 ½』を観たけど、素晴らしいと思ったよ。

映像の途中でみなさんがセットを作るシーンが印象的でした。プロムや学芸会的な演出はどこから出てきたのでしょうか?

LE:今回のプロジェクトのフォーカスは、通常のアルバム・リリースではなく、ライヴ映像にしたいと思っていたこと。このプロジェクトに収録されている曲は、アルバムのために書いた曲ではないんだよ。だからライヴ公演みたいな感じにしたかった。でもライヴ公演では、全てのテイクが最高なテイクになるとは限らない。だからなるべく最高なテイクを披露できるための環境を自分たちで作り上げた。つまり、公演を複数回おこなうということだ。でも、今後テレビなりYouTubeなりでこの映像を観た人が、これをワンテイクで撮ったのだと思って欲しくないな、と思った。ここは正直に、3日間の公演を通して撮られたものだと知ってもらいたかった。そこで毎晩違った格好をしようということになった。確か、アート・ディレクターのローズ(Rosalind Murray)が学芸会的なアイデアを思い付いたんだと思う。それか僕かタイラー。よく覚えてないけど、3人の誰かが思いついた。

LM:(爆笑)僕もそのときにいたよ。

LE:タイラーがイメージの絵を描いていて、ローズがアイデアを思いついて、みんなで脚本を書いたんだっけな? とにかくアート・ディレクターと一緒にこのアイデアを思いついたんだ。それに加えて、これをすごく楽しくて、馬鹿げていて、面白いヴィジュアル・プロジェクトにしようという思いがあった。そうすることで映像主体のリリースにすることができた。そして観客に対しても、一連の曲を聴くという体験よりも、映像を観るという体験を提供できるという、クリエイティヴで面白い手法になった。

LM:3公演やったのは、曲を上手に演奏する機会を3回設けるためだった。それに、よくあるライヴ映像は、複数のライヴ映像のうまい部分を編集して繋ぎ合わせて、見栄えを良くしているけれど、僕たちはそのやり方はしたくないと思った。だから学芸会的なアイデアが出る以前から、ひとつひとつの公演のヴィジュアルを独特なものにしようと話していたんだ。だから公演ごとにバンドとして統一感のある格好にしようと決めていた。その方が、どの公演の演奏なのかが明確になるからね。その考えが発展して、学芸会のアイデアへとつながったんだ。

青木:つまり、一晩ごとに同じ衣装を着て、次の夜の公演はまた別の衣装、という流れだったんですね。

LM:その通り。だから僕たちがひとつの衣装を着ているときは、その衣装でワンテイクしかしていないということなんだ。各曲はひとつの公演で一回ずつしかやっていないということだよ。

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僕たちが近い将来、新曲を披露しはじめたら、その曲はおそらく、『Bush Hall』に収録されている曲とほぼ同じ状態だと考えていいと思う。(マーク)

スタジオ・アルバムではなく、ライヴ・アルバムでのリリースになったのはどういう経緯があったのでしょうか?

LE:アイザックがバンドを脱退したとき、僕たちは「活動を休止するか、しないか」という究極の選択を迫られた。アイザックが抜ける前の時点で、BCNRにはライヴやフェスティヴァル出演をする機会がたくさん予定されていた。その機会を活かしてライヴなどに出演するのか、音楽以外の現実味のある仕事を見つけるかという話で、全員が前者を希望した。

LM:もちろんバンド活動を続けたいし、ライヴをやりたいという気持ちもあったよ!

LE:そこでフェスティヴァルで演奏できるようなライヴ・セットを3カ月間という短期間で書き上げたんだ。だから今回の曲は、アルバムを想定されて作られたものではなかった。各曲についても、他の曲を考慮しながら書かれたものでもなかった。「手持ちの曲がある人は、リハーサル室に持ち寄ってきて。いま、それをみんなで練習しよう! 締切があるんだ」──そういう感じだった。このプロジェクトの仕上がりに満足していないわけではないけれど、これはアルバムとしては適切ではないと感じていたんだ。アルバムとしてリリースするのはしっくりこなかった。だからこうやってライヴ・アルバムとしてリリースできたことは嬉しい。良いリリースの仕方だったと思う。今回の曲がライヴのために書かれたものだということが明確に伝わる作品になったと思う。

LM:僕も同感だ。

ブッシュ・ホールでのライヴは去年のフジロックで来日されたときよりもアレンジも変わりかなり演奏がまとまり、一種のBCNR第二章の総括のような印象を受けました。以前のインタヴューでは(チャーリー・ウェインが)発展途上だとおっしゃっていましたがいまはどう考えますか?

LM:以前、曲についてインタヴューされたときは、今後もっと変更していこうと考えていたんだと思う。僕たちは通常そうやって曲を発展させていくから。曲をライヴで演奏したら、その後にはリハーサル室に集まって、細かい修正をしながら、曲を改善していく。でも今回は、ライヴの回数が多すぎて、あまりそれをやることができなかったんだ。去年はすごく忙しくて、自由な時間があっても僕たちはみんな疲弊していたから、追加の作曲セッションはほとんどやらなかった。だから通常のBCNRの曲と比べて、今回のアルバムの曲はオリジナルに比較的忠実だと思う。

LE:でも今後6カ月くらいのうちに、『Bush Hall Live』アルバムの曲のどれかに嫌気が差して、書き直したいと思う時期が来ると思う。そのときには曲の修正をするよ。

LM:最終的にどの曲も書き直しが入るんじゃないかな。お客さんも『Bush Hall Live』の曲を気に入ってくれているし、今後僕たちが、ライヴ向けではない、アルバム向けの作曲をしていくに連れて、お客さんは『Bush Hall Live』の曲もアルバム・ヴァージョンを聴きたいと思うんじゃないかな。そのときに、僕たちの最新の音源に合うように、『Bush Hall Live』の曲を調整していくと思う。僕たちはいままでもそういうアプローチでやってきたんだ。それが気に入らない人も一部いるんだけどね。でもそれがベストなやり方だと思う。

LE:自分たちがいちばん納得できるやり方だよね。

演奏力もさることながら、楽器の数にしてはすごくタイトになってきて、すごいバランス感だと思います。全体の編曲はどなたかが担当されたのでしょうか? それともツアー中に研磨されていったのでしょうか。

LE:ツアー中に研磨していったものがほとんどだった。中には1、2曲どうしてもうまくいかない曲があって、数カ月間ライヴで演奏していたんだけど、毎回問題があったから、スタジオに入って微調整をおこなわなければならないものはあった。自分たちの満足がいくように修正する必要があったんだ。でもそれ以外の曲は全て、編曲などはせずに、時間をかけて研磨されていった。編曲する時間がなかったということもある。ルークが言ったように、僕たちは10月頃に1カ月のオフがあったんだけど、みんな完全に疲弊しきっていて、一緒に集まって作曲するのは無理だということになり、ただ一緒に集まって遊んでいた。だから編曲というよりは研磨されたということだね。

ブッシュ・ホールではオーディエンスも曲を知っている様子ですごく暖かい印象でした。“Up Song” なんかはすでにアンセム的な情緒があると思います。昨年のツアーを経て新生BCNRは世界のリスナーにすでに受け入れられていると思いますが、オーディエンスの反応はどう感じていますか?

LM:みんなにとっては嬉しい驚きだったみたいだね。僕たちも、みんなが新曲を気に入ってくれたことが驚きだった。新生BCNRの最初のツアーはUK でやったんだけど、小さな会場で新譜を披露した。最初のライヴはブライトンだった。BCNRのファンだけでなく、僕たちの友人たちでバンドをやっている奴らもこのライヴを観にきてくれて、みんなすごく良いと言ってくれた。僕たちと関わりのあるPR会社の人や、マネージャーや、バンドの近しい人たちで、まだ新曲を聴いていなかった人たちもライヴに来てくれて、みんな新曲を素晴らしいと言ってくれた。とても嬉しかったよ。幸先が良いと思った。それ以降、公式な音源がリリースされるまでの間、様々な映像や情報がYouTubeなどで公開されてきたけれど、ネガティヴな反応はほとんどなかった。とてもポジティヴで寛容的なものばかりだった。みんな僕たちのことを応援してくれてサポートしてくれた。本当に嬉しいことだよ。

LE:素晴らしいことだよね。お客さん全員が僕たちの曲を知っているという、ニッチなシーンに出くわすのが面白いよねという話をごく最近していたんだ。去年の夏にラトヴィアに行ったんだけど、僕たちのことを知っている人はあまりいないと思っていた。案の定、そのフェスティヴァルは5000人収容の場所だったけど僕たちのライヴには150人くらいしかお客さんがいなかった。その1週間後、僕たちはリトアニアでライヴをやったんだけど、そのときは僕たちを観ている観客が1000人くらいいたんだ! しかも曲の歌詞を知っている人ばかり。「ラトヴィアとリトアニアは隣国同士なのに、なぜこんなにも違うんだろう!?」と思ったよ。自分が一生行くことがないだろうと思っていた二カ国に行くことになって、そのうちの一カ国では僕たちことを知っている人が大勢いた。とても奇妙な体験だったよ。
 先週は香港に行ったんだけど、香港でもBCNRの曲の歌詞を知っている人がたくさんいた。すごく変な感じだよ。それに、僕たちの曲を知らない人でも僕たちのライヴに来て、僕たちを観にきてくれるということが嬉しい。観客の前から3列目くらいまでは、コアなファンで、未発表の曲もすでに全て知っているという人たち。大人数の観客の場合、3列目より後ろの人たちは、曲を知らないけれど、僕たちがバンドとして上手いと思っているからライヴを観ていて、そのフェスティヴァルで同じ時間帯にやっている他のバンドが観れなくても、僕たちを観る方がいいと思ってくれている人たち。そういう人たちがいるのを見ると感激するし、そう思ってくれる人たちがいるということに感謝しているよ。僕たちが作る音楽は良いものだと自分でも思っているけれど、お客さんがいまでも僕たちのことを好きでいてくれて、リスペクトして観にきてくれるということは嬉しいことだよ。

わかっている唯一のことは映画音楽をやりたいということ。僕はインタヴューされるごとに必ずこう言っているんだ。いつか僕の言葉が映画監督かプロデューサーに届いて「BCNRを起用したい」と言ってくれるかもしれないことを願ってね。だから日本で映画音楽が必要な人がいたら教えてくれよ。僕たちがやりたい!(エヴァンズ)

アルバムの中で特にお気に入りの曲は何ですか?

LM:お気に入りの曲はいくつかあって、理由もそれぞれ違うから答えるのは難しいけれど、1曲だけ選ぶとしたら “Turbines” かな。初めて聴いたときも「なんて素晴らしい曲なんだ」と思ったんだ。

LE:“Turbines” はおそらくいちばん良い曲だろうな。でも演奏するのがいちばん好きという曲ではないかもしれない。演奏していてすごく疲れるし。

LM:ストレスを感じるよな。僕が演奏していて楽しいのは “Dancers” の終盤。“Up Song (Reprise)” も演奏していてすごく楽しかった。満足感もあったし、美しいと思った。あまり演奏する機会はないんだけれどね。先日は “Up Song (Reprise)” のロング・ヴァージョンをやったよね。台北でヘッドライン公演をやったんだけど、そのときは前座がいなかったし、僕たちのセットはそもそも短めなんだ。セットも急ぎな感じで演奏してしまったよね。お客さんはみんな楽しんでくれていたけれど、セットが終わりに近づくに連れて「今日のライヴではあまり長い時間演奏していないよね」ということに自分たちで気づいて、僕とタイラーとルイスが “Up Song (Reprise)” の即興部分を指揮しながら長いヴァージョンにしていったんだ。結構良い感じになったよな?

LE:ああ、クールだったよ! あとこれはセットの中でも良い曲に入る感じでは到底ないんだけど、“The Wrong Trousers” の後半部分を歌うのはめちゃくちゃ好きなんだ。

LM:タイラーと歌い合うところだろ? あれはストレスを感じないもんな。

LE:そうそう。僕は自分の歌う感じがクールだと思っていないけど、そのことを十分自覚した上であの後半部分を歌っているんだ。キーが変わる陳腐な感じも好きだし、タイラーと僕がお互いに問いかけ合うようにして歌っている感じや、僕とタイラーが一緒にやるダンスなどが気に入ってるんだ。自分が「Turn around(=振り向く)」という歌詞を歌うところでは実際に振り向いたりして、すごくダサい瞬間なんだけど、やっていてすごく楽しいんだ。

もし現在のBCNRを定義するとしたらどういうジャンルになると思いますか?

LE:オルタナ・フォーク・ロックかな?

LM:なんだろう? むずかしいな。

LE:ポスト・パンク以外ならなんでもいいや。

LM:ハハハ!

ブッシュ・ホールで演奏されている曲はメンバーが持ち寄って作られたと伺いました。今後スタジオ・アルバムを作るとして、作曲プロセスは変わらないのでしょうか?

LM:おそらく変わらないだろうね。僕たちはほぼずっとそうやって作曲をしてきたからね。次のスタジオ・アルバムがあると仮定したら、今回のライヴ・アルバムとの違いは、曲を研磨するプロセスが長くなるということだろう。曲がレコーディングされる前に、より多くの段階を経て、変化させていくだろう。僕たちが近い将来、新曲を披露しはじめたら、その曲はおそらく、『Bush Hall』に収録されている曲とほぼ同じ状態だと考えていいと思う。その新曲がレコーディングされるまでには多くの段階を経て、より洗練されていくだろう。でも僕たちはいまでも、メンバーが曲の骨格を持ち寄って、それにみんなで一緒に肉付けしていくというプロセスを多くの場合取っているよ。

最終日のプロム公演の準備では〈Ninja Tune〉のスタッフが総動員でセット制作の手伝いをしてくれて、風船を膨らませてくれたんだ。〈Ninja Tune〉のCEOでさえも!(エヴァンズ)

今後、BC,NRはどのような方向性を目指すと考えられますか?

LE:どうだろうね。わかっている唯一のことは映画音楽をやりたいということ。僕はインタヴューされるごとに必ずこう言っているんだ。いつか僕の言葉が映画監督かプロデューサーに届いて「BCNRを起用したい」と言ってくれるかもしれないことを願ってね。だから日本で映画音楽が必要な人がいたら教えてくれよ。僕たちがやりたい!

LM:しかも日本に行って音楽制作をするよ。

LE:そう、日本でやりますよ! バンドのみんなと将来どんなことをやりたいかと話すとき、具体的な話になるのは映画音楽をやりたいということだけなんだ。僕たちはバンド活動においては、毎日を1日ずつ生きている。バンドのみんなと一緒に音楽を作っているときは楽しいし、今後も一緒に音楽を作っていきたいと思っているよ。でもこの先、具体的にどうやって音楽を作っていくのかなどはあまり話さないんだ。いままでもそこまで計画的にやってこなかったけれど、うまく行っているし、ミュージシャンとしては、1日を大切に生きてその瞬間を楽しむということが大事だと思うんだ。

昨年はかなり長いツアーをされていましたが、フェスティヴァルなどで共演されたバンドの中で印象深いバンドはいましたか?

LE&LM:ギース(Geese)!

LE:彼らはクソ最高! めちゃ良い!

LM:実際にバンドの奴らと会うこともできたんだ。良い奴らだったよ。

LE:パリのフェスティヴァルはなんて言ったっけ? La Route du Rockだったよね。フランス北部のフェスティヴァルだったかも。そこで彼らを観たんだ。

LM:La Route du Rockだ。ギースの音楽は前にも聴いたことがあって、確か〈Speedy Wunderground〉のダン・キャリーがミックスを手がけたアルバムを出している。だからバンドのことは知っていたんだけど音楽はちゃんと聴いたことがなかった。でもそのフェスティヴァルで彼らのライヴ・セットを観ることができた。僕はルイスと一緒にいて、チャーリーとタイラーとメイはどこか他のところにいた。バンドのみんながギースを観ているとは知らずに、偶然彼らのライヴの後に他のメンバーと遭遇したんだよ。「すごく良かったよな!」ってみんなで話していた。ライヴの後にギースのメンバーと話す機会があって、彼らは今度リリースするセカンド・アルバムについて、BCNRのファーストからセカンド・アルバムへの移行と似ている感じだと教えてくれた。僕たちもファースト・アルバムをリリースした後は、いままでとは違う方向性に行きたいと思って、ワクワクしながらセカンド・アルバムの制作をした。彼らのセカンドもそんな感じになるらしいよ。セカンド・アルバムからのファースト・シングルはすでに公開されていて、すごく良い感じだよ! だからあのライヴでは彼らの新曲を聴くことができた。最高だったよ。

LE:あとは誰を観たかなあ。

LM:ボニー・ライト・ホースマンも良かった。

LE:ボニー・ライト・ホースマン!

LM:ボニー・ライト・ホースマンはトラディショナルなフォーク音楽をやるバンドで、イギリスのフォーク音楽を主にやっていると思うんだけど、カントリー調に演奏するんだ。カントリー・バンドのセットアップで、フェンダーのテレキャスター・エレクトリック・ギターを使ったりしている。バンド・メンバーたちはステージで、お互いに近い場所、1メートルくらいの距離で立って演奏していた。すごくタイトな演奏でメンバー全員が歌っていて、合唱していた。

LE:素晴らしいミュージシャンシップだったよ。確か僕たちと彼らは3つのフェスティヴァルに連続で共演したんだ。ヨーロッパ北部のフェスティヴァルが3件くらい連続でブッキングされていたんだよ。ドイツ北部とスカンジナビアの辺り。それで、その後、彼らとスイスのクラブに一緒に行ったんだよ。

LM:そのことをすっかり忘れていた!

LE:あれはすごく楽しかった。最高だったよ。

LM:僕はボニー・ライト・ホースマンのことを知らなかったんだけど、フェスティヴァルでは彼らの後にBCNRが演奏する予定だったから彼らの演奏中にステージの脇で機材のセットアップをしていたんだ。ステージ脇から彼らのセットをずっと観ていたよ。すごく感動したね。その後にも彼らと共演する機会があったんだけど、最初に彼らのライヴを観たときは素晴らしくて驚いたよ。

LE:あとは、Primaveraでゴリラズを観たときは興奮したね。最高だった。子どもの頃の思い出が一気に蘇った瞬間だったよ。

去年のアンソニー・ファンタノー(Anthony Fantano:アメリカのユーチューバー、音楽評論家)のインタヴューで〈Ninja Tune〉との契約について話されていたことが面白かったので、ぜひ日本のメディアでも紹介したいです。〈Matador〉や〈Sub Pop〉など伝統的なインディ・ロック・レーベルではなく〈Ninja Tune〉との契約を決めた経緯について教えてください。

LM:ミスター・スクラフをリリースしたレーベルということしか知らなかった。それはクールだと思ったけどね。〈Matador〉にも「〈Ninja Tune〉には期待しない方がいい」と言われていた。

LE:ダンス・ミュージックのレーベルだからという理由でね。

LM:そう、だから何の期待もしていなかった。しかもレーベルの所在地がサウス・ロンドンの少し怪しいところにあった。そしてオフィスの上に通されて、イギリス支店のトップだったと思う、エイドリアンに紹介された。彼の役職は定かではないんだけど、A&Rもやっていると思う。とにかくすごくいい人だった。エイドリアンは僕たちを座らせて、「これが変わった状況だというのはわかっている。我々は、君たちのようなバンドと契約するようなレーベルではない。でも逆になぜそれが良いことなのか説明するよ」と言っていろいろと説明してくれた。〈Ninja Tune〉は僕たちが公開した音楽が好きで、レーベルの人もBCNRという音楽をリリースすることにワクワクしているし、BCNRというプロジェクトに一緒に関わっていきたいと思っているということ。僕たちがいままでやってきた音楽や、僕たちの美的感覚を全て尊敬しているし、僕たちに今後もリリースに関する指揮を取ってほしいと。それはまさしく僕たちが望んでいたことだった。〈Ninja Tune〉には僕たちみたいなアーティストがいなかったから、そういう意味で僕たちはリリースのタイミングを自由に決めてよいということだった。似たようなバンドのリリースとかぶることがないからね。異例の選択をするということは僕たちにとっても有利になるということを説明してくれた。
 彼の説明はもっともだったけれど、いちばんの決め手はレーベルの人たちが僕たちのプロジェクトに熱意を感じていたことと、レーベルの人たちがいい感じだったから。そして僕たちが作り上げたものをベースに一緒に仕事をしていきたいと思ってくれていたから。当時はいまよりも、自分たちの音楽と、その表現方法だけで評価されたいと僕たちは強く思っていた。だからプレス写真も公開していなかったし、自分たちが作った音楽やカヴァーした音楽だけを公表していた。〈Ninja Tune〉はその考えに共感してくれたんだよ。それで僕たちもその場で説得された。〈Ninja Tune〉のオフィスを後にして、僕たちみんなはしばらくの間黙っていた。みんなが同じ気持ちかどうか気になったから。そしてすぐにみんなで「このレーベルが一番だね!」と道端で話し合ったよ。「〈Ninja Tune〉が最高だから彼らと契約しようぜ!」と話していた。そして結果的に僕たちは正しい選択をしたということが証明された。〈Ninja Tune〉は、活動をサポートしてくれる一方で、僕たちの好きなようにやらせてくれる。最もわかりやすい例がこの映像プロジェクトだよ。これはかなり実現が難しいものだった。事前の綿密な計画も必要だったし、費用もかさんだ。〈Ninja Tune〉にとってはキツかったと思うよ(笑)。でも全て僕たちのためにやってくれたんだ。

LE:これは映像には含まれていないけれど、最終日のプロム公演の準備では〈Ninja Tune〉のスタッフが総動員でセット制作の手伝いをしてくれて、風船を膨らませてくれたんだ。〈Ninja Tune〉のCEOでさえも! 僕たちのプロジェクト・マネージャーも細かい準備作業を全て手伝ってくれた。みんなすごく親切なんだよ。

LM:みんな本当に風船を膨らませていたんだよ。最高だった。彼らは僕たちを信頼しているし、僕たちも彼らを信頼している。少なくともいまのところは……(笑)

ありがとうございました。最後に日本に来る前に日本のファンに何か一言ありますか?

LE:日本に行くのがすごく楽しみだよ! 名古屋と大阪公演のチケットをたくさん買ってねー(笑)! とにかく、本当に日本に行くのが待てないよ。自分がいままで行った国の中で、いちばん最高な国だったと思うから、早くまた行きたい。すごくワクワクしてるよ!

LM:素晴らしい国だよね。日本で僕たちを見かけたときに、僕たちが興奮してはしゃいでいるように見えたら、それは興奮しているフリをしてるわけじゃなくて、本当に興奮してるってことだからね。日本のファンに会えるのも楽しみにしてる。みんなすごく良い人たちだったからね。

LE:ああ! 特に大阪と名古屋ではたくさんのファンに会えたらいいなって思ってるよ! みんなのお父さんもお母さんもライヴに連れてきてー!

青木:4月は前回の(フジロック)のように暑くないし、気候も最適だと思いますよ。

LM:それは僕とルイスにとってはありがたい。僕たちは暑さが苦手なんだ。いまいるタイも暑すぎるよ。

青木:ルイスさん、マークさん、今日はお時間をありがとうございました!

LE&LM:東京で会えるね。

青木:はい、もちろんです。タイとインドネシア・ツアーを楽しんでくださいね。東京でお会いしましょう!

LE&LM:ありがとう! またねー!

Black Country, New Road - ele-king

 昨年のフジでは全曲新曲というチャレンジングな姿勢を見せつけたロンドンの若き6人組、ブラック・カントリー・ニュー・ロード。この4月頭には単独来日ツアーも決定している同バンドから、嬉しいお知らせの到着だ。
 昨年12月、彼らはロンドンのブッシュ・ホールなるヴェニューにて、なかなか趣向を凝らしたパフォーマンスを3回にわたっておこなっているのだが(回ごとに「学芸会」だったり「おばけ」だったり「牧歌的田園」だったり、ヴィジュアル・コンセプトが異なる)、その模様が昨日、YouTubeで公開されている。

 そしてここで披露された新曲9曲がなんと、『Live at Bush Hall』として音源化、日本限定でCD化されることになった。
 この『Live at Bush Hall』はバンドにとってアイザック・ウッドが脱退してから最初のリリースであり、新体制となって以降に書かれた曲で構成されている。文字どおり、新たな出発というわけだ。来日ツアーにそなえ、ぜひとも聴きこんでおきたい。
 なお、昨年来日時のインタヴューはこちらから。

Black Country, New Road

ブラック・カントリー・ニュー・ロード

完売となった話題のロンドン公演を映像作品として発表!
あわせて9曲の新曲を収録した最新作『Live at Bush Hall』が
日本限定でCD化決定! 3/24発売!

数量限定のTシャツセット、タワーレコード限定の
トートバッグ・セットも発売!

待望の初単独ジャパンツアーはチケット発売中!
フジロックの感動が再び!

昨年リリースされた2nd『Ants From Up there』が、全英3位を記録し、数多くのメディアが年間ベストチャートでトップ10にリストアップするなど大絶賛を浴びたブラック・カントリー・ニュー・ロード(以下BC,NR)。初来日となった昨年のフジロックでは「セットリストを全て新曲で構築」という大胆な姿勢で臨み、圧倒的演奏力と感情を揺さぶる歌声で、観客の涙腺は崩壊! SNSでトレンド入りも果たすなど大きな反響を生み、今年4月には初の単独来日ツアーも決定している彼らが、完売となった話題のロンドン公演のフル・ライブ映像作品を公開! 今回の映像と音源はロンドンのブッシュ・ホールで行われた3公演のドキュメントである。また、映像化された9曲の新曲を収録した最新作『Live at Bush Hall』が日本限定でCD化され、3月24日に発売することが発表された。数量限定のTシャツセットや、タワーレコード限定のトートバッグ・セットも発売される。

Black Country, New Road - 'Live at Bush Hall'
https://youtu.be/VbHV8oObR54
ブッシュ・ホールで行われたライブは、バンドにとって新たな始まりとなるものだった。2022年の初め、BC,NRは全英3位のアルバム『Ants From Up There』(マーキュリー賞候補のデビュー作『For the first time』に続く、12ヶ月ぶり2度目の全英トップ5アルバム)をリリース、ファンや評論家から称賛され、数々の満点レビューを獲得、r/indieheads、Rate Your Musicでのファン投票での1位、Pitchfork読者投票の3位、日本ではrockin’onやele-kingなど世界中の年間ベストで高評価を記録した。

前作『Ants From Up There』がリリースされる数日前にフロントマンのアイザック・ウッドはバンドから離れることとなり、BC,NRは残ったメンバーのルイス・エヴァンス(サックス/ヴォーカル)、メイ・カーショウ(キーボード/ヴォーカル)、ジョージア・エラリー(ヴァイオリン/ヴォーカル)、ルーク・マーク(ギター/ヴォーカル)、タイラー・ハイド(ベース/ヴォーカル)、チャーリー・ウェイン(ドラム/ヴォーカル)の6人から成る新体制となり、ライブ用に全く新しい楽曲を書くこととなった。 彼らは短期間で作り上げた楽曲を、Primavera、Green Man、Fuji Rockなどの世界各地の大型フェスで披露し、新たなパフォーマンスは英Rolling Stone誌や、The Guardian紙、NY Times紙など様々なメディアから賞賛を受け、昨年のAIM Independent Music Awardsの "Best Live Performer" にノミネートされるなど、注目を集めた。

今回公開された3日間にわたるロンドンのブッシュ・ホールでのライブ・パフォーマンス映像の監督はグレッグ・バーンズが担当し、音源はPJハーヴェイのコラボレーターでもあるジョン・パリッシュがミックスを行った。メンバーのルイス・エヴァンスは、次のように語る。

これは瞬間をとらえたものなんだ
この8ヶ月間、ツアーで演奏してきた曲の小さなタイム・カプセルのようなもの
- Lewis Evans

12月に行われたこのロンドン公演では、公式にリリースされた楽曲ではないにもかかわらず、観客がバンド共に歌い上げ、バンドとファンとの絆の強さを証明した。
BC,NRにとって、典型的なやり方でライブを映像化し、ありきたりな方法で公開するというアイデアは、魅力的ではなかった。

過去に見た、あるいはやったライブ・セッションの映像化のやり方には懸念があったんだ。
複数の公演での演奏が視覚的にまとめられていて、そのため実際の演奏からは離れたものとなってしまい、人工的でライブとは思えないような印象を与えてしまう。そこで僕たちは、3つの夜がそれぞれ異なるビジュアルに見えるようにするアイデアを思いついた。僕たちは、正直に、3回演奏したことをみんなにわかるようにしたかった。ノンストップで演奏しているわけではないんだとね。
- Luke Mark

学校劇、牧歌的なシーン、幽霊の出るピザ屋など、アマチュアの演劇にインスパイアされた独自のテーマと美学が各夜に設定されていた。学校のプロム・パーティーの終わりのようなシーンもあった。

僕たちは架空の劇というアイデアを思いついたんだ。
架空のあらすじを書き、登場人物に扮し、それぞれの劇のプログラムやセットを作った。
本当にエキサイティングで、楽しかったよ。
- Lewis Evans

また、今回のライブでは友人やファンにも協力してもらったという。ペンキ塗りやセット作り、カメラを渡されたり、電話で撮影を指示されたりして、物作りを手伝った人もいた。そして、これらのすべての人のスタイル、物語、視点を織り交ぜた独特のビジュアルが生み出された。

映像を作るなら、人間味のあるものにしようと思ったんだ。
この作品を作っている時に、多くのファンが曲を広めてくれて、僕らが曲を出さなくても、みんなが曲を聴くことができるようになったんだ。
この映画を作るにあたって、僕らの活動を支えてくれている人たちを巻き込むのはいいことだと思ったんだ。
- Luke Mark

日本限定でCD化される待望の最新作『Live at Bush Hall』は3月24日にリリース! 数量限定のTシャツセット、タワーレコード限定のトートバッグ・セットも発売される。

また、BEATINK.COMではブッシュ・ホールで行われたライブ・レポートを公開中!
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13199

今年2022年、ブラック・カントリー・ニュー・ロードは、2月にセカンド・アルバム『Ants From Up there』をリリースした。その発売の4日前に、主要メンバーがバンド離脱という危機的状況に一度は陥ったものの、確固たる想いを胸に6人で再始動し、更なる進化を証明してみせた。初来日となった今年のフジロックでは「セットリストを全て新曲で構築」という大胆な姿勢で臨み、圧倒的演奏力と感情を揺さぶる歌声で、観客の涙腺は崩壊! YouTubeでも配信されたそのパフォーマンスは全国の音楽ファンを魅了し、SNSでトレンド入りも果たすなど大きな反響を生んだ。そんな彼らの初単独ジャパンツアーが決定!!ポストロックな曲調にホーン、ストリングスを重ね、どこか上品な一面を持ちながらも大迫力で、時には狂暴なプレイを見せてくれる彼らのライブは、今や世界中でソールドアウトを重ねている。ロックシーンの最前線を駆ける彼ら “BC,NR” にとって記念すべき初の単独来日公演。そのライブは、きっとオーディエンス一人一人の記憶に強烈に刻まれることになるだろう。

また、今回のジャパン・ツアーでは数量限定のチケット+Tシャツセットの発売も決定! チケット+Tシャツセットでしか手に入らないファン必携の限定デザインTシャツ!

名古屋公演
2023年4月4日(火)
名古屋 CLUB QUATTRO
INFO:名古屋クラブクアトロ 052-264-8211 [ http://www.club-quattro.com/ ]

大阪公演
2023年4月5日(水)
梅田 CLUB QUATTRO
INFO: SMASH WEST 06-6535-5569 [ https://www.smash-jpn.com ]

東京公演
2023年4月6日(木)
渋谷 O-EAST
INFO:BEATINK [ www.beatink.com ] E-mail: info@beatink.com

[全公演共通]
OPEN 18:00 / START 19:00
前売チケット: ¥6,800 (税込)
別途1ドリンク代 / オールスタンディング
※未就学児童入場不可
前売りチケット+Tシャツセット: ¥11,300 (税込/送料込)

チケット情報

一般発売:12/17 (土)〜
イープラス
ローソンチケット
チケットぴあ
BEATINK

企画・制作: BEATINK
INFO: www.beatink.com / info@beatink.com

label: Ninja Tune / Beat Records
artist: Black Country, New Road
title: Live at Bush Hall
release: 2023.03.24

商品ページ:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13274

Tower Records:
https://tower.jp/artist/discography/2795695?sort=RANK&kid=psg01

編集後記(2022年12月31日) - ele-king

 2022年はことばに力のある音楽が多く生み落とされた年だった。あくまで自身の体験にもとづきながら、自分をとりまく社会の存在を浮かび上がらせるコビー・セイを筆頭に、パンクの復権を象徴するスペシャル・インタレストウー・ルーなど、せきを切ったようにさまざまなことばが湧き出てきた。それはもちろん、2020年以降の世界があまりにも激動かつ混迷をきわめていたからにほかならない。
 日本には、七尾旅人がいた。パンデミックやジョージ・フロイド事件以降の世界を鋭く描写しながら、しかしけっして悲愴感を漂わせることなく、ぬくもりあふれるポップな作品に仕上げる手腕は、問答無用で今年のナンバー・ワンだろう。ほかにも、たくさんのことばが紡がれている。それらの動向については紙エレ年末号で天野くんがまとめてくれているのでぜひそちらを参照していただきたいが、個人的にもっとも印象に残ったのは tofubeats だった。
 レヴューで書いたことの繰り返しになってしまうけれど、「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」という一節は、どうしたってペシミズムに陥らざるをえない2022年の状況のなかで、「失われた未来」のような思考法と決別するための果敢な挑戦だったと思う。もともと『わが人生の幽霊たち』でその考えを広めたマーク・フィッシャー当人も、つづく著作『奇妙なものとぞっとするもの』では資本主義の「外部」について試行錯誤し、いかにペシミズムから脱却するか、あれこれ格闘していたのだった。来年はいよいよ『K-PUNK』の刊行を予定している。どうか楽しみに待っていてほしい。
 もうひとつ、その『奇妙なものとぞっとするもの』でも論じられていたアンビエントの巨匠、ブライアン・イーノが新作で歌った「だれが労働者について考えるだろう」というフレーズも強く脳裏に刻まれている。振り返れば、2022年の大半はイーノについて考えていたように思う。別エレの特集号、大盛況に終わった展覧会「AMBIENT KYOTO」とその図録の制作、6年ぶりのソロ・アルバム。人民のことを忘れない彼のことばにも、大いに励まされたのだった。

 本をつくるのはほんとうに大変だけれど、それは自分が明るくない分野の知見に触れる、絶好のチャンスでもある。個人的に今年は『ヴァイナルの時代』と別エレのレアグル特集号、そして現在制作中のサン・ラーの評伝に携われたことが、非常に大きな経験になった。エレクトロニック・ダンス・ミュージックのルーツがブラック・ミュージックにあること、それを忘れてはならない。
 2022年、ele-king books は24冊の本を刊行している。あたりまえだが、本はひとりではつくれない。協力してくださった著者、ライター、通訳、翻訳者、カメラマン、イラストレイター、デザイナー、印刷会社や工場、流通のスタッフ、そしてもちろん購読者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。来年も多くの企画を準備しています。2023年も ele-king books をよろしくお願いします。

 最後に。故ミラ・カリックスの思い出として、1曲リンクを貼りつけておきたい。

 それではみなさん、どうぞよいお年を。

mira calix - a mark of resistance (radio edit)

20世紀のもっとも気色悪い、混乱させる、
超越的な小説、映画、音楽を扱い、
『資本主義リアリズム』の著者の新作にふさわしく、
読み応えがあって明確な主張がある。
──『クワイエタス』書評(2017)より

それがなぜ「奇妙なもの」に見えるのか?
「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」という混同されがちな感覚を識別しながら、
オルタナティヴな思考を模索する

H・P・ラヴクラフト、H・G・ウェルズ、フィリップ・K・ディック、M・R・ジェイムズ、
デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー、
クリスタファー・ノーラン、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、
ザ・フォール、ブライアン・イーノ、ゲイリー・ニューマン……
思想家、政治理論家、文化評論家マーク・フィッシャーの冴えわたる考察がスリリングに展開する、
彼の生前最後の著作にして、もう一冊の代表作。

目次


奇妙なものとぞっとするもの(不気味なものを超えて)

奇妙なもの
時空から生じ、時空から切り取られ、時空の彼方にあるもの──ラヴクラフトと奇妙なもの
現世的なものに抗する奇妙なもの──H・G・ウェルズ
「身体は触手だらけ」、グロテスクなものと奇妙なもの──ザ・フォール
ウロボロスの輪にとらえられて──ティム・パワーズ
シミュレーションと非世界化──ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとフィップ・K・ディック
カーテンと穴──デヴィッド・リンチ

ぞっとするもの
ぞっとするものへのアプローチ
何もないはずのところにある何か、何かあるはずのところにある無──ダフネ・デュ・モーリアとクリストファー・プリースト
消滅していく大地について──M・R・ジェイムズとイーノ
ぞっとするタナトス──ナイジェル・ニールとアラン・ガーナー
外のものを内へ、内のものを外へ──マーガレット・アトウッドとジョナサン・グレイザー
エイリアンの痕跡──スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー、クリストファー・ノーラン
「……ぞっとするものは残りつづける」──ジョーン・リンジー

訳者あとがき
参考文献
索引

マーク・フィッシャー(Mark Fisher)
1968年生まれ。ハル大学で哲学の修士課程、ウォーリック大学で博士課程修了。ゴールドスミス大学で教鞭をとりながら自身のブログ「K-PUNK」で音楽論、文化論、社会批評を展開する。『ガーディアン』や『ファクト』、『ワイアー』に寄稿しながら、2009年に『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉訳、堀之内出版、2018年)を発表。2014年に『わが人生の幽霊たち(五井健太郎訳、Pヴァイン、2019年)を、2016年に『奇妙なものとぞっとするもの』(五井健太郎訳、Pヴァイン、2022年)を上梓。2017年1月、48歳のときに自殺する。邦訳にはほかに、講義録『ポスト資本主義の欲望』(マット・コフーン編、大橋完太郎訳、左右社、2022年)がある。

五井健太郎(ごい けんたろう)
1984年生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はシュルレアリスム研究。訳書にマーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来(Pヴァイン、2019年)、ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』(講談社、2020年)、『絶滅への渇望』(河出書房新社、2022年)、共著に『統べるもの/叛くもの──統治とキリスト教の異同をめぐって』(新教出版社、2019年)、『ヒップホップ・アナムネーシス──ラップ・ミュージックの救済』(新教出版社、2021年)など。

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わが人生の幽霊たち』重版出来!
2022年12月2日以降順次全国の書店に入荷予定

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