その起源を80年代の京都のアンダーグラウンドに持ち、2000年代においては「ローファイ」や「うたもの」として、〈Oz disc〉のサンプラー『so far songs』などによって提示された新しいインディの価値観を象徴し、〈ジャグジャグウォー(Jagjaguwar)〉からパステルズまでを日本のシーンにつないだバンドとしても記憶される、渚にて。2008年の『よすが』より6年、「また正月かあ!」と口をついて出るほど時の流れははやく、この間育児という経験もへてあらたに音楽と出会い直したというその中心人物・柴山伸二の、いまの暮らしと音について、湯浅学が訊ねる。(編集部)
柴山伸二、竹田雅子の夫妻を中心として活動するロック・バンド。柴山は80年代には高山謙一や頭士奈生樹らが結成したバンド、イディオット・オクロックのメンバーとして京大西部講堂を中心としたライヴ活動を展開し、自身では〈オルグ・レコード〉を立ち上げ、ハレルヤズ名義でソロLP『肉を喰らひて誓ひをたてよ』をリリース。92年にレコーディングが開始され、95年に完成をみる渚にて名義でのファースト・アルバム『渚にて』には、頭士奈生樹、工藤冬里も参加し、99年には『Wire』誌による〈ドミノ・レコーズ〉のサンプラーに工藤のMaher Shalal Hash Bazの作品と並んでハレルヤズ「星」のパステルズによるカヴァーが取り上げられるなど活躍のステージを広げた。つづく2001年の『こんな感じ』以降は米〈ジャグジャグウォー〉からも共同リリースがつづき、2014年には2008年依頼6年ぶりとなるフル・アルバム『遠泳』が発表された。
レコーディングも子どもの夏休みがはじまるまでに終らせなければいけなかったんです(笑)。
![]() 渚にて - 遠泳 Pヴァイン |
湯浅学:今回、渚にてのアルバムは計画的に作ったの?
柴山伸二:なかば計画的にですね。子育てが一段落してからはじめたので、6年ぶりというのも必然というか(笑)。子どもがひとりで自分のことができるようになった段階で、練習とかライヴができる状態に回復したという感じです。
湯浅:曲は作り溜めとかするんですか?
柴山:しないですね。何か設定されないと曲が出てこないんです。たとえばライヴをやるとか、レコーディングを年内にしなきゃいけないとか。宿題と同じで、締切とか目標がないとダラダラしてしまうんです(笑)。
湯浅:じゃあ、今回は発売を先に決めていたんですか?
柴山:発売が決まったのは後です。レコーディングがいつ終わるかハッキリとしなかったんですよ。作業を進めて、めどがついた段階で発売日を決めました。レコーディングも子どもの夏休みがはじまるまでに終らせなければいけなかった(笑)。子どもを見送ってから、午前中はスタジオに入って、学校が終わるまでにスタジオから帰ってこなければいけなかったという。だから、毎週午後3時までには帰宅していました。それが2月から7月までの足掛け半年くらいですね。
湯浅:今回、サウンド的なテーマや目標みたいなものはあったんですか?
柴山:サウンドの方向性はいつも同じなんですよ。90年代からそれは一貫しているつもりです。変わるのはスタジオの機材くらいで、目指している方向はつねに一点だけなので。僕は70年代っ子なので、黄金期のピンク・フロイドとかザ・バンドとかのやり方を自分なりに応用してみたり。まあ、勝手に肩を並べたい、という気持ちで。
湯浅:77年くらいまでですかね?
柴山:70年代前半までですね。ピンク・フロイドで言えば『狂気』までです(笑)。
湯浅:そうしたら73年(笑)?
柴山:そうなんですよ。ちょうど中高生くらいのとき。一枚のレコードを2ヶ月くらい毎日聴いていました。それとはまた別枠で76年以降はパンクの影響も入ってきますよね。70年代前半プラス76年以降、みたいな。パンクだったらジョイ・ディヴィジョンあたりまでだから、ディス・ヒートまでっていう感じですね。そう言うと「あ、そうですか」で終っちゃうんですけど、言わないと誰もわからないんです(笑)。
湯浅:そんなことはないと思うけど。でも、渚にてを聴きつづけていないとわからないと思うんですよ。
柴山:昔から聴いてくれている人はどんどん消えていってますけどね(笑)。
湯浅:最近の作品から聴きはじめた人と、昔の作品から聴いている人に接点はあるんだけど、感覚がズレちゃうところがあるらしくて。
柴山:それはいつの時代でもあると思いますよ。いまバンドをやっているような人はジミ・ヘンドリックスも後追いで、もちろん聴いたのは死んでからだし。ドアーズやビートルズでさえ全盛期はリアル・タイムでは知らないわけで。まぁ、僕は青盤赤盤世代ですから、それで聴いてどの曲がどのアルバムに入っているのかなってレコード屋さんで探して。それで『サージェント・ペパーズ』からさかのぼって聴く、みたいな。山本精一くんも検索すればボアダムズとか出てくるけど、いまはそういうイメージの人じゃないでしょう? 渚にても同じように、さかのぼって関心を持ってくれる人も少なからずいると思うんですけど。
僕は70年代っ子なので、黄金期のピンク・フロイドとかザ・バンドとかのやり方を自分なりに応用してみたり。まあ、勝手に肩を並べたい、という気持ちで。
湯浅:渚にてを聴いていると、歌詞の出発点で言葉をどのように紡いでいるのかなって思うんですよ。なんかこう、ある日閃いている感じもするし。
柴山:それもあります。ほとんどは子どもと散歩してるときとか、仕事中にちょっとずつ思いついたものをメモしてまとめて、っていう感じです。「紡ぐ」というのはまったくないですね。
湯浅:題名を先につけて詞を書くっていうのはないんですか?
柴山:タイトルをつけるのは最後ですね。まず歌詞の内容ができあがってから、タイトルを考えます。
湯浅:順番だと曲が先だと?
柴山:そうですね。まず、曲の一部となるメロディができてきて、そこから引っ張り出してくるみたいな感じです。その過程で、土台を忘れないようにフレーズを当てはめながら、残りのメロディを引っ張り出すというか、捻り出すときもありますけど(笑)。それである程度出てきた時に使えるものが採用になる。あとはギターでコードを付けて、という作業ですね。
湯浅:コード進行からメロディを作るんですか?
柴山:そっちの方が少ないです。ギターで遊んでいるうちにというのは珍しいんですが、今回のアルバムにはいくつか入ってますよ。2曲めの“まだ夜”はギターからできたやつですね。コード進行が先にできて言葉をつけていくというのは、普段あんまりないです。
湯浅:じゃあ、メロディがまず最初に浮かぶんですか?
柴山:そうです。急にサビが出てきて、あとでその前後の様子を探るというか。それとも、イントロの最初のメロディがパッと浮かぶか、その2パターンあるんですよ。それがだいたい半々くらいの割合です。
湯浅:タイトルとメロディと詞の3つがあるんですけど、題名が並んでいて、アナログ盤だと最初から聴いて……となる。だけど、CDって意外とランダムに聴けちゃうというか。
柴山:買って初めに3曲めから聴く人とかいますかね? ダウンロードとか?
湯浅:たまにそういうのがあるんですよ。題名で検索して聴いちゃった人もいるし。タイトルと詞の内容がかけ離れていると、かえって喜ばれることがあるらしい。それはほとんど例外的な話なんですけどね。だけど、基本的に詞ができて歌ができて曲ができて、タイトルをつけるにあたっては、詞のテーマと曲全体のイメージとのどっちを優先されるんですか?
柴山:どちらも同じですね。表現したい曲のイメージと、具体的にどういう言葉を選択するかをどこまで追求するかですよね。自分の中でのリアリティというか。これしかない、というところまで考えるという作り方ですね。
湯浅:今回のって、というか毎回そうなんですけど、作り込んでいったあとに、引き算で少し抜いた感じがするんですよ。
柴山:それは音に関してですか?
湯浅:いや、全体的に。歌詞とか。抜いたというか、ここを少し待とうというか。間合いが少し柔らかいというか。
柴山:それはたぶん、歳を取ってきたから(笑)。よく言えば余裕のようなものが出てきている気がしますね。今回の新作の曲も、おととし子どもが4才になって昼間は幼稚園に行って家にいない時間ができてやっと作れたんですよ。ふたりだけで育児をしていたので、その時を待ってました(笑)。子どもは双子で、幼稚園に上がるまでは24時間つきっきりで。おむつが外れるまでは音楽もクソもありませんでしたね。最初の1年はギターをぜんぜん触らなかったから、左手の指先がふにゃふにゃになってしまいましたよ(笑)。
それでやっと幼稚園に上がって、とりあえず半日は家に子どもがいないので、その間にリハビリを兼ねてギターを練習してみたんですけど、昔の自分の曲のコードがなかなか思い出せなくて(笑)。レコードを聴くほうは夜中にコソコソとやっていたんですが、4年間曲作りはゼロだったんです。でもそれが案外いい方へ出たというか。しまい込んでいたギターを押し入れから出してきて子どもがいないうちに触ったら、「こんないい音がするんやな!」と、自分でギターを再発見してしまったというか。それまで1年以上はギターに触りもしなかったので。ちょっとした浦島太郎状態でしたね(笑)。
しまい込んでいたギターを押し入れから出してきて子どもがいないうちに触ったら、「こんないい音がするんやな!」と、自分でギターを再発見してしまったというか。
湯浅:それで新鮮さはあるんですか?
柴山:さすがに何年か触らなかったから新鮮さはありましたね。で、最初にできたのがタイトル曲の“遠泳”で、歌詞もほとんど悩まずに自然と出てきました。次はこうだな、っていうのがわかったんです。誰かが用意していてくれてたのかなって思いました(笑)。ライヴのほうも妊娠中期くらいから休んでいたので、5年ぶりくらいにそっちの方も再開したんですよ。そのときは活動休止以降の新曲だけでやって、昔の曲はアンコールで2曲やっただけでした。
湯浅:ライヴのときは子どもをどうするんですか?
柴山:最初は地元の大阪でしかライヴができなくて、しかもランチ・タイムで12時半スタートっていう(笑)。妹が車で来られる距離に住んでいるので来てもらいました。妹はとっくに子育てが終わっていて、いちばん上の子はもう就職してたから、時間の余裕があったんですよ。だから妹に子守りをしに来てもらうという(笑)。妹にはなついていたので安心できました。妹に朝9時に家に来てもらって、僕は午後4時までに帰ってましたよ。妹も5時までには帰って晩ご飯の支度をしなきゃならなかったので(笑)。
湯浅:そういう生活上の縛りがあったほうが、やることがまとまるのかもしれませんね。
柴山:メリハリがつきますね(笑)。いい意味で緊張感が生まれる。まだ小学1年生なので、夜のライヴはちょっとできないんですよ。発売記念だけはしょうがないから東京で夜にやりますけど、どうしても一泊になるのでそのときは妹に預けて、次の日夕方の明るいうちに帰るっていう(笑)。
湯浅:1年生だとあと10年はかかりますよね。
柴山:ライヴの会場にはまだ連れて行けないですよね。小学校高学年くらいになったら、いっしょに行こうと思います。中学くらいまでは厳しいかな。
湯浅:中学くらいになれば、行きたい時に行けますけどね。坂本慎太郎くんの子どもが中学2年生で、オシリペンペンズのライヴを観に来ていて、このあいだ会いましたけど。好きな音楽も選べるし、自分のオヤジの音楽聴いているって言ってたよ。それでペンペンズのファンだから来たって言ってました(笑)。
柴山:ペンペンズの方が好きなのかな(笑)。
使う単語が歳をとって簡単になっていると思います。自分で漢字で書けないものは使わない、みたいな。
湯浅:ところで、生活のなかで詞を書いていくにあたって、やっぱり昔使っている言葉と、いま使っている言葉って少しちがうっていうのはあるんですかね?
柴山:多少はちがうと思いますけどね。
湯浅:それは意識的に変えていくってことかな?
柴山:使う単語が歳をとって簡単になっていると思います。自分で漢字で書けないものは使わない、みたいな。
湯浅:それは俺もよくわかります。
柴山:「喪失感」とかね。「喪」が書けない(笑)。
湯浅:でも若い頃って、けっこう無理して難しい言葉を歌おうとしていたってことないですかね?
柴山:ありますよ。はっぴいえんどの悪影響を受けて。国語辞典を引っ張り出してきて「寂寥なんです」なんて歌詞を作って真似事をしていた時期がありましたね(笑)。これはオフにしといてください(笑)。
湯浅:何かこう、到達しない部分もあると思うんですが。
柴山:歌詞がですか?
湯浅:いや、音楽全体で。つまり、昔は無理してやっていたけど、いまでは多少はできる部分もあるんじゃないのかなって思うんですよ。
柴山:いまは逆です。昔できていたことがいまはできない(笑)。高齢化とともに、記憶と体力が衰えましたね。やっぱり50歳を過ぎたあたりから。歌詞を全部暗記できなくなったとか。20年前は全曲普通に暗記してやっていたのに、いまは譜面台を置かないと歌詞が途中で出てこない(笑)。
湯浅:あれは一回置いちゃうとだめですね。
柴山:昔はなかったんですけどね。だんだんできないことが増えている(笑)。で、その中で必要に追いやられてシンプル化が進められてきたという感じです。退化していっているような。
湯浅:やり過ぎない部分というのもあるのかもしれないですね。結果的になのかもしれないけど。
柴山:音楽的にも歌詞にも、よく言えば無駄が無くなってきたというか。ハッタリをかます必要性が無くなってきたというか。やっぱり30代くらいまでは虚勢を張ってみたりだとか、ありましたね。
音楽的にも歌詞にも、よく言えば無駄が無くなってきたというか。ハッタリをかます必要性が無くなってきたというか。
湯浅:柴山さんにもあります?
柴山:ありますよ。誰にでもあるんじゃないですか? 「お前らにこれがわかるか?」みたいなハッタリをぶつけたい衝動が。
湯浅:それはありますけどね。
柴山:村八分的な。「今日はのらないし、やめるわ」みたいな(笑)。
湯浅:ははは(笑)。あれなんか、憧れがあるんですか?
柴山:ちょっとやってみたいなと思いますよね。でも、あれはチャー坊だからサマになるんで(笑)。
湯浅:真似しても、今日は具合が悪いのかなって思われたりして。
柴山:次に会ったとき「スイマセン」って謝ったりして(笑)。そういう憧れみたいなものもだんだんとなくなってきたりして、自分のスケールも「まぁ、こんなもんなんだな」みたいな(笑)。よくも悪くも自分に見切りがつくようになってきたというか。でもまぁ、できることとできないことは、人それぞれにあるものなので。自分には何十行もあるような歌詞は作れないなとか(笑)。昔に比べたら、やっぱり言葉数は少なくなりましたね。だけど、ちょっと尺が長くなりました。短い曲が減って、5分以上の曲がほとんどになって。年寄りの話は長い、みたいな(笑)。
湯浅:でも一音一音の間合いが長いというのはあると思うんですけどね。
柴山:でもそれは自分ではよしと思っていますけれどね。長くなったといっても無駄があるわけではないので。ギター・ソロとか回数が決まっているんですよ。“残像”とかはライヴで長くなる余地が残っているので、レコーディングでは詰めましたが、ああいうのも別にここまで短くしてもなんの支障も出ないというか。“残像”はCDだと10分程度なんですけど、ライヴだと15分以上とかになります。
湯浅:そうですよね。スタジオだとまとめるほうへ行きますよね。
柴山:CDは2枚組にはできないんで、70分くらいには押さえなきゃいけないという。
湯浅:まぁでもアナログなら確実に2枚組だから。
柴山:だからアナログを出してほしいんですけど、2枚組がネックになってディレクターから返事がこないという(笑)。
湯浅:2枚組はジャケ代がかかりますからね。
柴山:CDなんか出さないで、アナログとダウンロード・チケットのセットを販売したらどうか、と提案したんですけど、返事がなかったですね(笑)。やっぱりニール・ヤングとかそういうクラスじゃないと無理かな?
湯浅:アナログにCD付録がいちばんいいですね。
柴山:CDは売れないって、売る方も買う方も言っているのに、なんでCDを出すんだっていう気もしますよ。
湯浅:そうですね。アナログを作る人がもう少し増えたらと思いますけど。化成(東洋化成)しかないから。
柴山:国内一社だけで値段が決まっちゃってますからね(笑)。一時期、東欧のプレスが運賃考えても安く作れる、というんで流行ったこともあったけど。
湯浅:なんかヨーロッパのプレスって音が悪いんだよな。
柴山:コストは安くても、再生ビニール使っている感じがしますよね。東洋化成さんにもうちょっと値段を安くしてもらって(笑)。
湯浅:立ち会いもできるし、環境はいいんだけどね。あれは独禁法に触れないのかな(笑)。
柴山:文句言う人が誰もいないんですね(笑)。
音はフォステクスのシブイチの8チャンネル(笑)。それしかスタジオになかったんです。
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湯浅:これはアナログ録音で?
柴山:リズム録りはアナログです。オープン・リールのテープを回しました。それで重ね録りをプロ・トゥールスでやりましたね。
湯浅:音は何チャンネルで録っているんですか?
柴山:音はフォステクスのシブイチ(4分の1インチ幅のテープを使用する)の8チャンネル(笑)。それしかスタジオになかったんです。
湯浅:よくありましたね。
柴山:エンジニアの私物です(笑)。
湯浅:テープは使い回し?
柴山:僕が持っていた6ミリのテープを押し入れから引っ張り出してきて。昔、テープをまとめ買いしていた時期があって。ピース・ミュージック(中村宗一郎氏のスタジオ)でやっていた時はアナログ録り、アナログ落としだったので。その頃に箱買いしていた6ミリテープの余りを発見して、それを使いました。大阪のスタジオで録った『よすが』の時はオタリのアナログ・マルチ・レコーダーのテープ2インチ幅の24トラックを使ったんですけど、渚にてが使ったのが最終稼働だったんですよ。今回もオタリで録ろうとしたらピンチ・ローラーのゴムが変形していて、使えない状態だったんです。エンジニアの人がスタジオのオーナーに修理を打診したんだけど、だめでした。「プロ・ツールスで全部できるんだから経費のことを考えろ」と言われて。
それで諦めかけたら、エンジニアの人が学生時代に宅録で使っていたフォステクスが動くかもしれない、となって。持ってきてもらったらギリギリ使えたんです。それで今回のベーシックのドラムとベース、ギターの録りは4分の1インチの8トラックなんですよ。これは専門的な話でそれこそ『サンレコ・マガジン』(サウンド&レコーディング・マガジン)向けかもしれないんですけど……2インチ幅の24トラックのオタリはSNが非常によくてヒス・ノイズもほとんどないから、ノイズ・リダクションがなくても使えるほどなんです。非常にハイファイで硬質な音で、逆に言うとデジタル的なぐらいクリーンな音質。業務用マルチ・レコーダーの国産では最高峰。対して、今回使ったのは民生用のフォステクスでしかも83年製……! しかもシブイチで(笑)。フル・デジタルは回避したかったので仕方なかったんです。ダメもとで、もし途中で壊れたら諦めるかってやってみたら、トラブルがなくて全曲録れたんですよ。一応、業務用レコーダーと比べたらヒス・ノイズも多いのでドルビーだけは使いましたけど。で、録ってみたらテープの幅が狭いのが影響して、すごくいい結果が出たんですよ。いわゆるテープ・コンプレッションが、テープ幅の狭い分だけ極端にかかったんです。悪く言えば強い音が潰れかけてるんですけどね。
湯浅:俺はあの感じが懐かしいと思いました。
柴山:ベースのブイーンと鳴るときの音なんかね。あれは全部テープ幅の狭さによってできたものです。聴いてみたら、これは2インチのときよりも迫力があるよなって(笑)。メンバー全員一致でこれでいこうってなりました。
湯浅:そういう事情があったのか。
柴山:だからフォステクスの民生用の8トラックのオープンリール・レコーダーが出発点でした。
よく言われました。「これは今年の録音なんですか?」って(笑)。
湯浅:ギターはあとで?
柴山:重ねたギターはプロ・ツールスでやりました。基本的にはベーシックのエレキ・ギターとベースとドラムがアナログ録音です。
湯浅:キーボードは?
柴山:一日来れなくて後録りになったけど、3分の1くらいは4人いっしょにやりました。ドラムの前に皆並んで(笑)。
湯浅:8チャンネルでやりくりっておもしろいですよね。
柴山:マイキングでどれだけ録るかを工夫しましたね。8チャンネルなんて20歳ぐらいの宅録時代以来(笑)。
湯浅:8チャンって意外に命が短くて、4チャンの次はもう16チャンになっちゃうって言ってたから、かえっておもしろいなと思いました。
柴山:8チャンネルではベーシック・トラックで一杯になって重ねまではさすがにできないので、仕方ないですが後の作業はプロ・ツールスで(笑)。
湯浅:それはもうマルチで戻して?
柴山:うん。それにヴォーカルなどを重ねて、ミックスもプロ・ツールスですね。マスタリングはまた別のスタジオに入って、音源をスチューダーの2トラック・ハーフ・インチ・レコーダーのテープ・スピード76cm/秒で一回録りました(笑)。スチューダーを持ってるスタジオが大阪で見つかったんです。で、スチューダーで再生した音をまた取り込んでマスタリングしました。それでなんともいえない音色になってるんですけど(笑)。
湯浅:ぜんぜん、いまどき感がないですよね。
柴山:それはよく言われました。「これは今年の録音なんですか?」って(笑)。
湯浅:ははは(笑)。「あれ?」ってなって3秒くらいで慣れるんですけど。最初の印象はすごく新鮮な感じがしました。
柴山:マスタリングのスタジオでも言われました。「こんな感じのスネアの音を聴いたのは20年ぶりぐらいだ」って。
湯浅:スネアはすごいショックですよね。いま録ろうと思ってもなかなか録れないし。
柴山:ああいう感じにしたいなと思っていたのが、偶然ポコッとできて。「あれ? 鳴ってるやん!」みたいな。
湯浅:ドラムって本当に難しいですよね。
柴山:とくにスネアがね。ザ・バンドの、リヴォン・ヘルムじゃなくてリチャード・マニュエルのスネア・ドラムですよ。“ラグ・ママ・ラグ”のあの鳴りです。鈍く低いけれど、通りがいいというか。漬物石をドスっと置いたような音ですね(笑)。あの音が出せたから今回はもう成功したな、という(笑)。
ザ・バンドの、リヴォン・ヘルムじゃなくてリチャード・マニュエルのスネア・ドラムですよ。“ラグ・ママ・ラグ”のあの鳴りです。あの音が出せたから今回はもう成功したな、という(笑)。
湯浅:柴山さんはこの『遠泳』のステレオ感に関してはどういう構想を持っていたんですか?
柴山:左右の広がりとかですか?
湯浅:それとか、分け方とかですね。
柴山:けっこうこだわるほうですよ。それはやっぱりピンク・フロイドとかキング・クリムゾンの影響ですね。最初は左にあったギターがいつの間にか右にあるとかね。説明しないとわからないけど、鋭い人がヘッドフォンで聴くとわかる、みたいな。そういうのは毎回必ず入れてるつもりなんですけど。
湯浅:まず定位はセンターから作っていくんでしょ?
柴山:そうですね。ドラムとベースからはじまって。それはまぁ、基本のセオリー通りですけど。
湯浅:ドラムなり、上モノをどっちにするかとか、最初からモノで考えて振り分けする場合も?
柴山:レコードのモノラル盤は好きですけど、自分で作るときはモノラルはあまり考えないですね。小さい頃はラジオだけでモノラルしか知らなかった。でも、親にステレオを買ってもらってからは右と左が別れていて、ヘッドフォンで聴いたら「音が回る!」みたいな衝撃(笑)。ステレオの原体験は大阪万博の鉄鋼館のシュトックハウゼンの演奏で、あれもサラウンドの先駆けみたいなことをやってましたから。照明と音が同期して観客席を回るとか。
湯浅:いまは簡単にできることだよね(笑)。
プロ・ツールスは人生が500回ある感じですよ。今回は「もうそんなに要らんやろ!」って見切りをつけて作業してました(笑)。
柴山:そういう音のパノラマ的な定位ですよね。『2001年宇宙の旅』の後半のすごく盛り上がる光と音の洪水のところとか。前後感と左右感が全部出てる。そういう効果は今回のアルバムでも、あくまで味つけとしてけっこうやってますよ。そういう意味でプロ・ツールスはすごく便利になったので。でもプロ・ツールスも逆に能率が悪いですけどね。何でもできる代わりに修正もどこまでもできてしまうから、諦めがつかないんですよ。あと、指定した過去に瞬時に戻れるので。アナログだったら絶対に再現できない部分があって、そこで諦めがつくんです。人は生まれたら死ぬ、みたいな(笑)。アナログはいったんフェーダーをゼロにして電源を落としたら、卓の写真撮ってもフェーダーの位置をテーピングしても、次の日は絶対に同じ音は出ない。でもプロ・ツールスは何回でも生き返れるから、終わりがなくなっちゃうんですね。
湯浅:あれ聴き比べができちゃうのがよくないですよね。
柴山:『よすが』を録ったときは、「ベーシックは何月何日にやった何番目のテイクで、上モノの一箇所だけ今日はちょこっと変えます」とかやってましたからね(笑)。プロ・ツールスは人生が500回ある感じですよ。今回は「もうそんなに要らんやろ!」って見切りをつけて作業してました(笑)。でも、ときどきは「本当はまだ直しができるのにな〜」って内心思ったりしてましたよ。でも、プロ・ツールスで修正を重ねて追い込んだつもりでも結局はどう変わったのか、自分でもあんまり区別がつかないんです(笑)。ベーシックは同じもので、非常に細かいところをちょっと変えているだけですから。
湯浅:全体を変えるわけじゃないですからね。
柴山:今回やっとプロ・ツールスの見切りもついてきて、ミックスの作業も「子どもが学校から出てくるまでにキリをつけて帰らなきゃ」ってね(笑)。いまは子どもが狙われる犯罪がたくさんあって他人事じゃないですから。子どもを一人にすることが「まぁ、ええか」とはならなくて、「下校まであと20分しかない!」ってなります(笑)。そういった心地よい緊張感で作業を進めさせていただきました。
湯浅:だから忘れることがけっこう大事かもしれませんね。あんまり憶えているとかえって気になって戻りたくなっちゃうというか。
柴山:本当にそう思います。プロ・ツールス初体験のときは全部魔法のようでしたけど。
ピッチと時間軸を変えるのだけは絶対にしない、と。
湯浅:アナログのほうが、かえって思い切りがよくできていたのかもしれないな、といまになって思うんですけど。
柴山:ミックスでも同じですよね。いまは0.2dBのレベルの上げ下げでエンジニアからツッコミがきますから(笑)。
湯浅:そうそう(笑)。なんか急に細かいことを言ってる。0.2ってどこだよっていう。
柴山:スタジオの現場でデジタルだと、0.2dB上がったっていうのがわかるんですよ。
湯浅:あと波形でわかるじゃないですか? あれがよくないと思うんだよな。
柴山:まぁプロ・ツールスでも、時間軸とピッチの修正だけはしません。バスドラが少し突っ込んでいるからコンマ1秒ずらして修正しよう、とかはやらないんです。エンジニアは耳が慣れているから気づくんですけど、絶対にいじるなって言ってあります。自分の歌のピッチも「ここ少し修正してもわかりませんよ!」って言われるんですけど、それだけはやめてくれってお願いしてます(笑)。一音だけ歌い直したりとかはしましたけど。
湯浅:それはアリなんですか?
柴山:それはアリにしました(笑)。でもピッチと時間軸を変えるのだけは絶対にしない、と。
湯浅:いまって歌が簡単に直っちゃいますもんね。
柴山:そうなんですよね。だからそれをやると人として終わり(笑)って自分で決めていたので。
湯浅:最初からそうだと潔くていいですよ。なんか細かく直すのにすごく抵抗があるんです。自分で歌っていても、そういうふうに思うし。だけど、たとえば昔も手動でピッチを直していた人もいるわけで。つまりマルチ・トラックのテープで一箇所ずつ微調整して再生して上げて音程を直す。ユーミンとかもそうなんですよ。ものすごく細かくやってもあれだっていうのがすごくおもしろくて(笑)。『ひこうき雲』のときはそうやって全部ヴォーカルを直したらしくて、歌だけでものすごく時間がかかってるんですって。
柴山:一曲やるだけで気が遠くなりそうですね(笑)。だから70年代の後半くらいにはピッチ・シフターが出てきましたもんね。
湯浅:あれは録ったのが72年だから出たのが73年か。すごい大変だったって言うんだけど。
柴山:『ミスリム』のときもそうやってたんですか?
湯浅:その頃までには音程はよくなっていたらしいんだけど。だけど、それはそういうふうにしたかったからそうしてるみたいだけどね。
柴山:70年代は、浅田美代子も修正をしてあれだったから。
湯浅:浅田美代子は直しようがなかったんじゃない?(笑) これは無理だ、みたいな。再生したものを聴いて違和感があるのが嫌っていうのもあるし。
柴山:本人にしかわからないですよ。歌って細かいところを気にしているのは本人だけ、っていう。プロ・ツールスだとエンジニアが簡単に「ここの音程は上がりきってないから一瞬だけ上げてみましょう」とか言うんですけどね(笑)。ピース・ミュージックで録ってたときなんか、あんまり何度も同じ箇所を歌い直すもんだから「テープが粉を吹いてきたので一回テープ止めませんか」(笑)ってなったこともありました。レコーダーのヘッドが熱くなって、テープの磁性体が剥がれ落ちてきたんですよ。新しいテープだったんですが「テープがダメになっちゃうんで、ここは置いといて別の箇所を録音しましょう」って(笑)。
湯浅:今回はパッチワーク感が少ないですよね。
柴山:少ないですね。プロ・ツールスは使っているんですけど。今回は一本筋が通ったアルバムとして手応えはあるんですよ。大体同じ時期にできた曲ばっかりで。半年間くらいかな。
湯浅:前の(『よすが』)はそうでもないんですか?
柴山:違いますね。何年かの間に少しずつ、という感じでした。ライヴが今度あるから、少なくとも新曲を一曲はやろう、という感じで。そうした方が新鮮でもあるんで。それを2、3年やって10曲超えたらアルバムを作ろう、となるんですよ。『よすが』まではその繰り返しが多かったですね。
湯浅:もうそういうふうにはできないんですかね?
柴山:ライヴ自体がコンスタントにできないので。子どもが大きくなったら、ライヴの回数は増やすかもしれないですけどね。
それまでは自分から音楽を取ったらゼロだと思っていた。いまはすべて子どもが最優先という形になってますから。それが幸せということなんですけど。
湯浅:うちは今年で上のが20歳なんですよ。下が中学3年で、ふたりとも女です。
柴山:口をきいてもらえますか(笑)?
湯浅:うちは仲良しなんですよ(笑)。
柴山:A&Rの井上さんの娘さんは14歳から20歳の間まで口をきいてくれなかったらしくて。
湯浅:井上のうちはビッチですから(笑)。うちの場合は子どもが小さかった頃はべったり育児してたからね。ライヴを観に行くのがとにかく大変だよね。双子だったらもっと大変なんだろうなって思います。
柴山:夜、子どもが寝てからヘッドフォンでこっそりレコード聴いていても、育児で疲れてるから3曲めくらいで寝ちゃうみたいな(笑)。
湯浅:生活のサイクルが変わって、昔作れなかったものが作れるってことはないんですか?
柴山:今回の新曲は全部そんな感じですね。表現としてはそんなに変化がないんですけど、子どもがいなかったときとは感覚的に違いますね。
湯浅:1回めはそんなでもないんですけど、2回めからわかるんですよ。最初は渚にての新譜として聴けるんだけど、2回めから「あれ?」と思うことが随所にあってまた1曲ずつ繰り返したくなるんですよ。そこはずっと聴いた身としても発見がありました。
柴山:ありがとうございます。
湯浅:いえいえ。それはやっぱり生活の変化がけっこうあるのかなって思って。
柴山:いちばん大きいと思います。まあフルタイムのミュージシャンではないので(笑)。4年も休んでミュージシャンとか言ったら恥ずかしいですけど。まぁ、片手間だったのが、そうではなくなったというか。自分から子どもとの生活を取ったら音楽しか残らない、みたいな感じですかね。子どもが生まれたのは本当に大きいですね。それまでは自分から音楽を取ったらゼロだと思っていた。いまはすべて子どもが最優先という形になってますから。それが幸せということなんですけど。だから健康に気をつけてますけどね。
湯浅:それはやたら言われますよね。死なないようにってね。
柴山:だからまぁ、生きてるって素晴らしい、みたいなことですよ(笑)。東日本大震災もありましたし。あのときは子どもがまだ3歳でした。そのときにできた曲っていうのはないんですけど、歌詞の世界観には入っていると思います。日本人全員が同時に死をリアルに意識したのが3.11だったと思うんですけど、戦後のナマっちょろい世界を生きてきた自分の世代にとっては、後にも先にもあれほどのものはなかったですからね。豊かな高度経済成長期で育ったので。
“遠泳”ができたときは、もう一度泳ごうという気分だったんですよ。(中略)結局、海へ泳ぎ出してどこかにたどり着くのか、一周して戻ってくるのか、コースは人それぞれなんだけど、そういう、生きていくことのメタファーなんです。
被災された方々には不謹慎にあたる言い方かもしれないですけど、“遠泳”ができたときは、もう一度泳ごうという気分だったんですよ。津波で亡くなられた方々が、逆に海がなかったら死なずにすんだかというと、そう考えても意味はなくて、そもそも海がなかったら人間だけではなくてあらゆる動物も地球自体も生きてはいけないわけで。“遠泳”の歌詞にはそれがいちばん入っているかもしれないですね。海はもっとも豊かな存在であるかもしれないけれど、もっとも恐い存在でもあるわけで。結局、海へ泳ぎ出してどこかにたどり着くのか、一周して戻ってくるのか、コースは人それぞれなんだけど、そういう、生きていくことのメタファーなんです。比較的早い段階で(アルバムの)タイトル『遠泳』とタイトル曲は決まってました。あとはメンバーを説得するだけでしたね(笑)。他の曲名も全部漢字2文字にしようと思ったんだけど、ひらがなが好きな人もメンバーにいて反対の声があったので(笑)。世界でいちばんすごい存在は海であって、その次は母だということですね(笑)。お母さんもすごいです。
湯浅:そうだよなぁ。男って子どもを生めないしな(笑)。
柴山:次は生きているうちにアルバムを何枚作れるかという最大のテーマについて挑戦したいと思います(笑)。それと、孫の顔を見るというのと、レナード・コーエンに負けないように80歳を過ぎてもアルバムをリリースすることですね。この前、頭士奈生樹くんに会ったんですよ。同い年なんですけど、「あと何枚作れる?」みたいな話をして、「いや〜、あと1枚かなぁ」って(笑)。いや、それは少な過ぎるからせめて5枚くらいは出さないと、って。頭士くんはどこか仙人的な生き方をしている人で、べつに強いてCDを出さなくてもいいというか、いい曲さえできたらあえて他人に聴いてもらわなくてもかまわない、みたいなんですよ。僕は俗世間の人間なのでこんないい曲CDにしなきゃあかんで、と思ってしまうんです。頭士くんは田中一村みたいな考え方なんです(笑)。作品至上主義で。離れ島でひとりで制作に没頭して「ええ絵が書けた!」って完結(笑)。で、僕が出版社の編集者みたいになって「これは画集にしなきゃあかんよ!」って言う、みたいな。人に見てもらってはじめて作品って完結するんだからって言っても、「いや必ずしもそんなことはないんじゃ」っていうような感じ(笑)。
湯浅:死後発見っていうのもあるからね。
柴山:ゴッホになってどうするんだっていう(笑)。生きているうちに騒がれなきゃあかんやろ、と言っているんですけど。山本精一くんなんかも焦っていると思いますよ。ハイペースでライヴもやってアルバムも毎年のように作ってるから、「ちょっと出しすぎ?」みたいな。まぁ、それはそれで彼の生き方なのでいいと思いますけど、でもそれに対して憧れもありますね。彼はまだ独身で子どももいないから、好きに時間が使えていいな、と思います。好きなときにライヴにも行けるし、御前様になっても怒られたりしないし。気が向いたときにレコーディングしてCDを出して、単純にうらやましいなーと思います。いつでも練習できるし(笑)。
湯浅:じゃあ、子どもの成長に従って次のアルバムが決まりそうですね。
柴山:そうですね。だからリリースはいままでより増えると思います。
ゴッホになってどうするんだっていう(笑)。生きているうちに騒がれなきゃあかんやろ、と言っているんですけど。
湯浅:小学校1年生というと授業は5時間ですか?
柴山:5時間ですね。2年生から6時間になるみたいです。だから親の自由時間がちょっとずつ増えていくので、それがいまの楽しみです。あと、お風呂が一人で入れるようになるのが時間の問題で。いまは毎日いっしょに入っているけど、女の子ですから。
湯浅:お風呂は小学校3年生までですね。
柴山:「お父さん臭い」とか「来ないで」ですよね。まだ大丈夫で裸で走り回ってますけど(笑)。いっしょにいられる時間を楽しみたいと思います。
湯浅:こうしている間にも成長していますからね。
柴山:時間のスピードがあいつらと自分でぜんぜんちがいますからね。でも同じ時間軸で生きていることが不思議で楽しいですね。
湯浅:たぶん年齢の分母がちがうからだと思いますね。
柴山:もういま、自分の一か月っていったら一週間くらいの感覚ですよね。とくに子どもが生まれてからはファズをかけたみたいに自分の時間が加速してます。この間、向田邦子のドラマを観てたら、森繁久彌が出ている回があるんですけど、お正月のシーンで森繁久彌が「また正月かぁー!」って言うんですけど、その台詞が最近自分もよく出るようになりましたねえ(笑)。
湯浅:そうそう、すぐに年末になっちゃうんですよね。夏とか短い。
柴山:小学生のときとか、夏休みは永遠に近かったですもんね。
湯浅:夏が3日くらいで終っちゃう感じですよね。
柴山:もう1年が半年くらい、って感じですよね。だから、うかうかしてないでレコ発のライヴに向けて真剣に準備しようと思ってるんですけど。
湯浅:それはいつなんですか?
柴山:1月です。12月はライヴハウスが押さえられなかったんですよ。子どもの学校があるから土日しかライヴができないっていう括りがあるんで。土曜日の朝に子どもを妹に一泊預けて上京して、夜にライヴして翌日帰ってきて引き取って、月曜日に学校に行かせる、という。
湯浅:大阪のライヴは祝日の午後にやるんだ。
湯浅:大阪ではランチ・タイムにやって明るいうちに帰るということです(笑)。年配のファンにはそっちのほうが評判がいいんですけどね。帰るのが楽みたい。会場の外に出たらまだ日が出ていて、一杯飲んで帰るのにちょうどいい、みたいな。
湯浅:一杯飲んでも帰ったら9時みたいな感じですもんね。
柴山:普通のライヴだったら、終ったら10時半とかでゆっくり飲みに行くには終電が気になる。だから大阪は早めの時間にやって、東京は営業的にしょうがないから夜やりますけど(笑)。
湯浅:来年またアルバムができるといいですね。
柴山:来年はどうかな……。
湯浅:じゃあ、再来年。意外と毎日が早いので、気がつかないうちに2年くらい経っているんですよね。
柴山:ははは、今回のは6年ぶりなんですけどね!






