Home > Reviews > Album Reviews > PANIC SMILE- INFORMED CONSENT
かれこれ十年以上も前になるだろうか、前職である一部上場企業をさっさと辞め、雑誌編集のヤクザな世界(大手出版社はもちろんそうじゃないと思いますよ)に足を踏み入れて数年経ったある日編集部へ私宛に男性から電話があって、相手の会社名がよく聞きとれなかったのでインディ系のレーベルの方だと思い、会ってみたら先物取引の勧誘であった。これからは大豆がいいという。私は〈ベアーズ〉あたりで頭角をあらわしはじめた大豆なるバンドのことかと思い耳を傾けたが、どうやらモノホンの大豆である。ひとめ見たときからおかしいとは思ってはいた。彼はピンストライプが入った濃紺のスーツを着ているではないか。かくいう私はむくつけき長髪である。会話は終始かみあわず、「どうでしょう、60万お預けいただければ損はさせません」といわれ、ない袖は振れやしないので断るしかなったが、結論にいたるまでの私たちのぎこちなさはキャプテン・ビーフハートと彼のマジック・バンドを彷彿させないこともなく、金さえあれば大豆に賭けてみようという気に――なりはしなかっただろうが、不意に襲う逃げ場のない違和、異化、断絶は自他の境界線を引き他者を際だたせる。個人情報がどこかで錯綜し彼はきっとまだ私が上場企業の社員だと思っていた。うすうす途中からは勘づいただろうが、みなさんも経験されたこともあるかもしれませんが、だからといって突然打ち切るわけにもいかないので軟着陸を試みるしかない。ありふれた日本的な日常のひとこまといわれればそれまでだがしかしその大気のなかでくすぶったものはなにか。
パニック・スマイルは1992年の結成から、吉田肇、保田憲一、石橋英子とジェイソン・シャルトンの第4期の布陣が散会するまで、影に日向に日本のオルタナティヴ・ロック界をひっぱってきた。活動休止した2010年3月の〈we say foggy! vol.7〉は、私はバンドで対バンさせていただいたので袖から彼らのライヴを観た。吉田肇のギター・リフで幕を開け、互いに明後日の方向を向きながら一歩も引かぬ演奏は3作目『MINIATURES』以降の完成形に近づき円熟にいたるかに見えたが円熟の境地に安住しない/できないのもまたきわめて彼ららしい。
お休みのあいだ、バンドは吉田+保田の双頭体制になり、保田をベースからギターへコンバートし、新たにスッパバンドのDJミステイクをベースに、ドラムに松石ゲルを迎え、パニック・スマイルは4年ぶりの8作め『Informed Consent』を発表する。冒頭“Western Development2”の4小節のギター前奏につづき切りこんでくる変拍子アンサンブルはこれまでの延長線上にありながらプレイヤーの記名性に寄りかからないシンプルな構造に終始し、まことに若々しいのは技法や語法をぎりぎりまで削ぎ落とし空間が露わになったせいだろう。福岡で産声をあげたときから22年の年月をかけて原点に回帰したといい条、その軌道は螺旋を描くから現在位置は原点の上にある。ビーフハート的でありながらフォールを思わせペル・ユビュのように物体的なオルタナティヴ。それらをひとつも知らなくてもまったく問題ないノーウェイヴ。そのような音楽がこんな日本の大気のなかでも生まれうる、というか、そことの軋轢が推進力となる熱を生んだのか、吉田肇は“Devil’s Money Flow”で「とっておきの マネーフロー(中略)こっちに選ぶ権利がない こっちに選ぶ権利がぜんぜんない」(“Devil’s Money Flow”)と歌う。先物取引ばかりかあらゆる投機、蓄財、利殖、詐欺のたぐい、政治的決定、食べるものから着るものはいうにおよばず読む、聴く、観る、さらに飲む、打つ、買うにもシステムは還流し、参加する気も実感もないのに知らぬまに搦めとられ細部まで完璧にコンロトールされる、まさに「悪魔のマネーフロー」。“Informed Consent”“Antenna Team”“Nuclear Power Day”アルバムの歌詞はそこらへんに転がっている欺瞞を暴くが、ことさら告発調というより素朴かつ長閑であり、空転しながら孤高の違和を発しつづける。坂本慎太郎が『ナマで踊ろう』で刷毛で二の腕の裏をふれるように描いた現実をパニック・スマイルは隣家のベランダから怒鳴るように音にする。怒りと笑いに痙攣するグルーヴがおよそ半時間の『Informed Consent』を貫くが、終曲“Cider Girl”がシュワシュワとこの世の大気のなかに消えぬ間に再生ボタンを押してしまうのは盟友AxSxEのプロデュースもふくめ、あるべき場所にあるべきものがあるからである。
吉田さんのヴォーカルもすげーいいですね。おかえりなさい。
松村正人