「ボリス」と一致するもの

Neon Neon - ele-king

 「きみは死ぬべきだね」......グリフ・リスが当時の首脳たちに向けてそう歌っていたのは、スーパー・ファーリーズ・アニマルズの『リングス・アラウンド・ザ・ワールド』の"ノー・シンパシー"だった。2001年のことだ。テーマのひとつとしてグローバリズムが深く根を張ったアルバム......前年のレディオヘッド『キッドA』と同じように。冒頭の言葉は、ある瞬間の偽りのない気持ちを口に出したものだろう。だがそのアルバムでは他の曲で、ポール・マッカートニーがセロリを齧る音で参加させられていた。カリッ、カリッ、カリッ......。僕はこのエピソードがたまらなく好きだ。スーパー・ファーリー・アニマルズのあり方が、とてもよく表れているように思うから。怒りは感情で、ユーモアは理性。そのふたつをリスナーへの深い思いやりで結びつける彼らのようなミュージシャンがいることを、僕にはちょっとした奇跡のように感じられる。彼らはちょっとした笑いが音楽に、あるいは人生にどれほど大切かを優しく教えてくれる。

 ネオン・ネオンはファーリーズのフロントマン、グリフ・リスとLAのビート・メイカーであるブーム・ビップによるコンセプチュアルなシンセ・ポップ・ユニットで、本作が2作目。前作『ステインレス・スタイル』は自動車発明家のジョン・デロリアンのスキャンダラスな人生にインスパイアされた作品で、それはつまり、商業主義やセレブリティ・カルチャーと、デュラン・デュランの80sシンセ・ポップや21世紀のヒップホップを結びつけた知的な風刺表現であった。だが、そこには揶揄や断罪よりもどこかメランコリーや慈愛のようなフィーリングがあって、それがグリフ・リスらしい非常に両義的な印象を生んでいた。その時代の商業主義の「後日譚」がわたしたちの生きる現在であることを彼は自覚していて、そんな愚かなわたしたちの姿に苦笑いをしているのだ。
 本作『プラクシス・メイクス・パーフェクト』のモチーフは、大戦後のイタリアを生きた共産党員ジャンジャコモ・フェルトリネッリ。なるほど簡単なバイオを読んだだけであまりにも興味深い、かなり特異な人物である。一族の莫大な資産を受け継ぎ、それを資産としてソビエトの社会主義古典を蒐集、また反ファシズムや(当時で言うところの)第三世界にまつわる書籍などを自分の出版社から出している(ソビエト関連では、ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』を西側にもっとも早く紹介したことで有名)。ネオン・ネオンは丸みを帯びたシンセの太い音を鳴らしながら、フェルトリネッリの風変わりな人生のトピックを次々と持ち出していく。『ドクトル・ジバゴ』、60年代にカストロとしたバスケットボール、事故なのか他殺なのか未だに解明されていない爆死、そして共産主義......。冷戦時代の歴史のダイナミズムとある種のエクストリームさが、キッチュでフェティッシュなシンセ・ポップに込められている。キャッチーなメロディが繰り返される"ドクトル・ジバゴ"ではこんなフレーズがどこか寂しげに歌われる。「1956年から57年になるころ、僕はまだ(共産主義者の)パーティ・アニマルだった/でも長くは続かない」。
 ネオン・ネオンはここで共産主義が燃え盛った時代を切なく見返しながら、理想やイデオロギーが止まらなくなってしまったときの奇妙な可笑しさを浮かび上がらせる。序盤の"ザ・ジャガー"、"ドクトル・ジバゴ"の穏やかなメランコリーも染みるが、ユーモアという点での真骨頂は中盤、"ショッピング(アイ・ライク・トゥ)"からハイ・テンポの"ミッド・センチュリー・モダン・ナイトメア"へ間髪入れずに至る流れだろう。前者の「買い物(するのが好き)」というデュエットに合わせつつ、ヨーロッパのレトロな映画のワン・シーンを真似して思いっきり身体を揺らしてみるといい。ひとを食ったような転調に、思わず肩の力が抜けずにはいられない。その脱力感はなにも特異な時代や人物だけを風刺しているわけではなく、ある理想やイデオロギーの失敗の「その後」を生きるわたしたちの哀しさと滑稽さをも笑っているのだろう。だが、同時にそれを抱擁しているようでもある。
 60年代に生きていたら、まっすぐに理想に燃えられたのだろうか?......愚かにも、そんな風に夢想することが僕には時折ある。けれども、フェルトリネッリの理想に燃えた数奇な人生が幸福/不幸の二元論で語れるものでないように、理想に燃えることが難しいわたしたちの時代が良いのか悪いのかなんて誰にもわからない。だから、グリフ・リス、ネオン・ネオンは優しいメロディと心地よく踊れるビートに乗せて、複雑な現代、哀しい後日譚を生きることをちょっとした笑いとして差し出してみせる。それは理性であり知恵であり、そしてやっぱり、何よりも思いやりなのだと僕は思う。

Akron/Family - ele-king

 自由になれ......でも、何から? その質問を、バンドはいったん無効にする。アクロン/ファミリーといえば、『セッテム・ワイルド、セッテム・フリー』のときに掲げられたデタラメな星条旗だ。それは彼らの雑食的にデタラメな音楽の表象であり、そして、デタラメに生きることの提案を暗示しているように思える。デタラメに生きること......そう口にしてみたところで、それを具体的にイメージできる人間は日本には少ないだろう。アクロン/ファミリーが日本でも人気が出たきっかけはあの祭のようなライヴで、僕もその熱狂に浮かされた人間のひとりだが、そのとき強烈に感じたのは彼らが誰よりもデタラメに生きることを実践し謳歌しているように見えたからだ。『ピッチフォーク』はそんな彼らがまとうものを「アーバン・ヒッピー・オーラ」だと書いているが、なかなか気の効いた表現だと思う。アーバン・ヒッピー。都会でボヘミアンとして漂泊する人びと......ライヴで彼らは、じつに能天気なやり方でそのコミュニティに勧誘しているようであった。厳密さに欠いていてもいい、というか、むしろそんな大雑把さでこそ得られる奔放さというものがあるのだろう。それは伝聞での60年代の記憶によるものかもしれないし、彼らのアンダーグラウンドへの思慕によるものなのかもしれない。

 トライバルというよりは呪術的なイントロではじまる"ホーリー・ボアダム"(聖なる退屈)、あるいはアッパーで大らかなノイズ・ミュージック"サンド・タイム"などによく表れているが、アクロン/ファミリーの通算7枚目となる『サブ・ヴァーシズ』は、彼らがアンダーグラウンド・シーンに置くシンパシーを素朴に抽出したアルバムだ。情報としては、プロデューサーがサンO)))やアース、ボリスらを手がけたランダル・ダンであり、ジャケットのデザインを担当しているのがサンO)))のスティーヴン・オマリーだということで、なるほどたしかにドゥーム・メタル人脈の影響がそこここに出現しているとも言える。ただ、ここにはそれ以上に雑多なジャンルが相変わらず渦巻いており、サイケデリック・ロック、フリージャズ、フォークにブルーズ、アフロにファンク......そういったものが整頓されずに、しかし熱をこめて投入されている。ただ言えるのは、ノイズ・ミュージックからの影響がこれまでよりも強く出ており、彼らの出自である〈ヤング・ゴッド〉のオーナーのマイケル・ジラの名前を連想させる。スワンズの昨年のアルバム『ザ・シア』と並べて聴いてみると見えてくるものがあるだろう。アクロン/ファミリーがかつて分類されていたフリー・フォークやブルックリンといった記号はもはや完全に過去のものになりつつ、同時に彼らのいち部となりその血に流れている。
 いっぽうで"アンティル・モーニング"や"ウェン・アイ・ワズ・ヤング"では、彼ららしい朴訥で美しいメロディやハーモニーが聴ける。僕が思うに、アクロン/ファミリーの音楽では野外のキャンプで演奏されるようなコミューナルでスウィートな瞬間というものが絶対に欠かせない要素になっていて、そこがハードコアな実験主義者たちとアティテュードを緩やかに画するところである。本作でもスピリチュアリティを思わせる言葉は随所に並び、そしてそれこそが一貫して彼らの表現のコアとなっている。"サムライ・ソング"でアルバムはドリーミーに、サイケデリックに終わっていくが、そこで歌われる精神世界は持たざる者が抱くポリシーのようなものだ。「財産がなければ 僕の運命が財産となった/何も持っていなければ 死が僕の運命となった」......何も彼らはモノを全部捨ててヒッピーになれと言っているわけではない、が、お前の精神が自由になれる場所を探せとずっと言い続けている。そしてそれを、分かち合うことを忘れない。
 だから"ホーリー・ボアダム"はライヴでめいっぱいアンセミックに演奏されるだろう。「怒りさえすれば 僕らは叫ぶことができる/大きな声で もっと大きな声で/好き勝手にやるために!」......それは、アクロン/ファミリーの音楽において押しつけがましい教条ではなく、純粋に僕たちの快哉である。

 この地に上陸していないまだ見ぬ巨人というのは、リヴァイヴァルとかフェスティヴァルとかにくまなく洗われてしまった気がするいまでも、いるにはいるわけで、ディラン・カールソン率いるアースはその数少ないグループのひとつであるのはまちがない。
 90年代のグランジの時代には、ニルヴァーナとの盟友関係にも関わらず、その対極に位置し、のちに2000年代のへヴィ&ドローンを牽引したサンO)))をインスパイアしたアースは、数年の空白期間ののち、ゼロ年代なかごろ、北米大陸の奥行きそのもののようなアコースティックの響きをとりいれた、独自のサウンドで復活し今日にいたる。彼らの現在は『エンジェルス・オブ・ダークネス、デーモンズ・オブ・ライト(Angels Of Darkness, Demons Of Light)』と題した連作(昨年の『Ⅰ』につづき、『II』を今年に入り発表している)にうかがえるが、スタジオ盤とはちがうナマのアースをたっぷり堪能できるこの機会を、逃す手はないでしょう。
 今回の来日ツアーには現在のへヴィ/ドローン・ミュージックの下地をつくった〈ハイドラ・ヘッド〉の創設者でもあるアーロン・ターナー率いるマミファーがスペシャル・ゲストとして全公演に帯同し、楽日にはボリスが彼らの初来日に花を添える予定だ。

 順番が逆のようで恐縮ですが、来日直前のディラン・カールソンに直撃したインタヴュー記事を『ele-king』vol.7に掲載しておりますので、彼らのライヴを目撃した方もそうでない方も、この稀有なバンドの言葉をあわせてご拝読ください。

EARTH
Japan tour 2012
with special guest : MAMIFFER

2012年9月19日(水)東京:新大久保Earthdom
open 18:30 / start 19:30
前売 ¥4,500 / 当日 ¥5,000 (ドリンク代別)
問い合わせ: チッタワークス 044-276-8841 / Earthdom 03-3205-4469

9月20日(木)大阪:心斎橋Pangea
open 18:00 / start 19:00
前売 ¥4,500 / 当日 ¥5,000 (ドリンク代別)
問い合わせ: Pangea 06-4708-0061

9月21日(金)愛知:名古屋池下Club Upset
w/ ETERNAL ELYSIUM
open 18:00 / start 19:00
前売 ¥4,500 / 当日 ¥5,000 (ドリンク代別)
問い合わせ: Upset 052-763-5439

9月22日(土)東京:新代田Fever
w/ Boris
open 18:00 / start 19:00
前売 ¥5,000 / 当日 ¥5,500 (ドリンク代別)
問い合わせ: チッタワークス 044-276-8841 / Fever 03-6304-7899

Miami Angels in America - ele-king

 本誌5号にてドッグ・レザー(Dog Leather)のインタヴューにも名前があがったボルチモアの男女ふたり組、ノイズ・フォーク・デュオ、エンジェルス・イン・アメリカ(Angels in America)の新作テープは(ナイトピープル)よりドロップ。
 エンジェルス・イン・アメリカのエスラ嬢(Esra)に出会ったのは本誌5号でも触れた昨年のSXSWでのハウス・パーティの夜で、その日はもうホント、マジ混沌を極めていた。いや、たしかにロスからオースティンまでの風景がループしているかのような砂漠を僕のバンドのペーパー・ドライバーのふたりと無免許で無職のフランス人(もちろんハイウルフです)を乗せて18時間の運転を経て、スリープ∞オーバー(Sleep∞Over)やピュア・エクスタシー(Pure X)をサポートし、サウザント・フット・ウェイル・クロー(Thousand Foot Whale Claw)として活動するアダムとマットに到着後はじめて出会ったにも関わらず、快く寝床を提供してくれただけでなく、最高に強烈なウィードを大量に御馳走になり(ニューメキシコ、テキサスはメキシコとの国境がすぐ近くにある事ことあり、検問が厳しいので同ふたつの州では違法であるメディカルウィードをロスから持っていくことを僕は前もってキャメロンとゲドに口すっぱく止められていたので、これは効いた)、ロクに寝ずに次の日遊び回った末がこのパーティだったので、僕の疲労と体内に循環するTHCの量は半端じゃなかったことを差し引いたとしても、この日のパーティは狂っていた。
 集合時間にだいぶ遅れ、〈NNF〉主宰のブリットに軽く怒られながら(僕はこの日自分のバンドのサポート・ギターを彼に頼んでいた)、僕はこの日のパーティに集まっていた連中にあんぐりさせられていた。前日すでに会っていたが、サヴェージ・ヤング・テイターバグ(Savage Young Taterbug)のチャールズが引き連れて来たクルーはまるでゴミ捨て場の妖精のようで、洗っていない一線を越えた彼らの服が放つクラスティな甘い香りが部屋には充満していて、「ジョイント吸おうよ。拾ったタバコを混ぜたから味ちょっと変だけど、えへへへへ」と語りかけながら、つねにテンパっているように見えるトレーシー・トランス(Tracy Trance)のタイラーは、カシオトーンで超絶テクを披露し、僕の度肝を抜くものの、何故誰も彼の絶対拾ってきたであろうワンピースとハイヒールにはツッコまない事が不思議でならないし、ソーン・レザー(Sewn Leather)、ドッグ・レザーことグリフィンのママに「うちの息子のソーン・レザーとDJドッグディック(DJ Dog Dick)はご存知なの?」と訊かれた僕とブリットは裏庭でその日のライヴのリフと展開を話していたものの「母ちゃんが犬チンって言っちゃうのかよ!」という思い出し笑いで、練習にならないし、そんな状況だから僕の手もおぼつかなくなり、キッチンの床にまき散らしてしまったビールを拭いていたところをいつの間にか横で手伝ってくれていたエスラのはにかんだ笑顔に僕のハートは一気に持っていかれた。
 彼氏にメチャメチャ睨まれながらも、僕は朦朧とした意識のなか、彼女との会話を弾ませることに全神経を集中した。「PYG(ショーケン、ジュリーのアレ)のレコードをずっと探しているのよ! 見つけたらぜひ私のためにゲットしてよ!」と言われ、何でそんなもん知ってるのかとそのときは思ったものの、(もちろんボリスのカヴァーで知ったのだろうが)たしかに彼女のエンジェルス・イン・アメリカの前作のレコードと今回のテープを聴いていると何となく合点する。冒頭でノイズ・フォークと形容したのは、このバンドは弾き語りではなくシンセ・ノイズだからだが、全身全霊を込めて絶叫する彼女のポエトリー・リーディングをきいて背筋に走る冷たいものは日本のあの時代のズブズブでドロドロの怨念フォークのそれだ。
 そもそもDJドッグ・ディックといいソーン・レザーといい、ボルチモアのこのノイズ+ポエムという方法論は、パンクは楽器を弾けなくてもいい、ヒップホップはビートと哲学があればいい、という流れの最終型にあるんじゃないかと思ってしまうのは大袈裟だろうか? エンジェルスやドッグディックはシンセこそ使っているもののソーン・レザーやまた先ほど話に出たサヴェージ・ヤング・テイターバグなんかほぼカラオケだし、それは本人のポテンシャルがすべてであり、それがショウとして成立しちゃってるのだ。

 話をあの日の夜に戻そう。自分のライヴも終え、エスラともさらに打ち解けてきた僕はようやく彼女の電話番号とアドレスを交換するために自分の携帯を取り出した。そこにブランク・リアルム(Blank Realm)のサラが現れ、「兄貴に迎えに来てもらいたいから電話かりるわね」と携帯を取られてしまった。もう読者は気付いているだろうが、このレビヴューを書いているのも、もし今後ボルチモアに行く機会があり、彼女のところに転がり込む日が来るならば何かあればいいなと期待しているからに過ぎないのだ。
 あの日の僕の最後の記憶はテイターバグの連れであるサムのワンマン・プロジェクト(名前失念)がゴーグルと猫耳、そしてもはやハミチンとかそういうレヴェルではないブーメランを装着し、ステージで絶叫していた。現在ヨーロッパをツアー中のエンジェルス・オブ・アメリカとソーン・レザーはきっとあのような混沌とした日を過ごしているに違いない。あぁ、ライフ・イズ・カオス。

Various Artists - ele-king

 先日、チン↑ポムが監修した美術手帖の打ち上げがあり、いま、ロシアで指名手配されながら美術活動を続けるヴォイナとのコーディネイトを務めたアンドレイ・ボールト氏と話をする機会があった。ヴォイナがどれだけ危険な状況にあるかは同誌に詳しくインタヴューが載っているので、そちらを参照していただくとして、2年前までロシアに住んでいたボールトさんに、ついあれこれと話題を持ちかけるなか、アンドレイ・ネクラーソフ監督『暗殺・リトビネンコ事件』は観たかと訊いてみたところ、それは観ていないけれど、僕の友だちもプーチンに逆らったために、いまも獄中にいると声を落とし、それまでの笑顔が少し曇ってしまった。ボクシングの試合に姿を現したプーチンに観客席からいっせいにブーイングが巻き起こるなど、全盛期の強権的支配が急速に翳りを見せているとはいえ、結局はヴォイナもパキスタンに脱出せざるを得ず(そのため、3月31日からワタリウムで行われるチン↑ポムとの共同展覧会に本人たちも来られることになったとはいえ)、表現者たちにとって厳しい状況が続いていることに変わりはない(『暗殺・リトビネンコ事件』ではイギリスに亡命したリトビネンコについてロシア国内で取材を続けていたジャーナリストたちが、最初はカメラに向かって様々な取材成果を語っていたのに、ドキュメンタリーが終わる頃にはひとり残らず死んでいたりする)。

 ロシアが資本主義化していく過程で生まれた新興の金持ちはオリガルヒと呼ばれ、時代の変化に対応できたのは当然、若い世代が中心だったために、彼らが好んだもののひとつにハウス・ミュージックがあった(プーチンもオリガルヒのチョイスだとされる)。現在、ロシアのディスコ・カルチャーは空前のイタロ・ブームに沸いていて、『フロム・ロシア・ウイズ・イタロ-ディスコ』といったコンピレイションがつくられたりと、まー、とにかく資本主義が謳歌されていることは間違いない。「働かざる者、食うべからず」というのはレーニンの言葉だし、その段階ですでにカトリック的な価値観は打ち捨てられていたのだから(カトリックというのは働いても食べるものが得られなければ、それも神の思し召しだと考え、労働量とその成果に明確な関係はないとするところがある)、自分の稼いだ金で遊ぶという面白さを制限できるわけがない。そして、そのような文化的な高揚のなかから、もしも面白い音楽が生まれているのなら聴かせていただくまでのことである。

 そうした退廃的ムーヴメントというか、日本人が置かれている環境と同じモードになっている場面にあって、どちらかというと暗いムードのコンピレイション・アルバムが耳を引いた。タイトルも『悲しいパターンの騎士たち』と、どこかオリガルヒに対して距離を取っているような印象もなくはない。モスクワのアントン・クビコフ(SCSI-9)とL.A.のエド・ヴェルトフが運営にあたり、早くからドイツのコンパクトにディストリビューションを委ねてきたレーベルの集大成である(対露投資では当然、ドイツが世界一なので、この関係はむしろ、言葉的にはドイツがロシアを食い物にするパターンだといえなくもない)。SCSI-9は〈サロ〉や〈フォース・トラックス〉からもリリースがある10年選手なので、ジャーマン・テクノを追っていた人なら名前ぐらいは目にしたことがあるだろう。同編集盤には「40分からの問題」と題された彼らの曲も収録され、煩雑になるので、いちいち名前は挙げないけれど、ロシアン・アンダーグラウンドからミニマル・ハウスのフロントラインがそれぞれにボコボコと重いベースを尖らせている(ジョン・テイヤーダがカリフォルニア、スーキーことシシー・カリーナ・ローマイヤーはベルリンからのエントリーか?)。ざわざとした店のムードとともにはじまる(英語読みで)テクニーク&ヤロースラヴ"チェック・ユア・アティチュード"からいきなりズブズブでドープ極まりなく、多少はしゃきっとしたところも見せつつ、クロージング・トラックにあたるドイエク"オールモスト・グリーン"ではリバーヴがあまりにも深く響き渡り、『悲しいパターン』は不思議なほど穏やかな気分で幕を閉じていく。

『ザ・ナイツ・オブ・ザ・サッド・パターン』に収録された8曲はどれも掛け値なしにハウス・ミュージックである。だけれども、ベースがあまりにゴツゴツとしているせいか、ダブステップを通過したハウス・ミュージックとして話題のBNJMNことベンジャミン・トーマスの近作にどことなく似通った印象を抱かせるところもある。デトロイト・テクノにしか聴こえないダブステップの逆パターンというのか、ブレインフィーダーのティーブスとジャックハイの名義でリリースした「トロピックEP」がブレイクのきっかけとなったトーマスは、ソロでは昨年、『プラスティック・ワールド』と『ブラック・スクエア』を立て続けにリリースし、今年になって、その2枚のアルバムから選ばれた14曲が初めてCD化されている。後者のアナログ盤はジャケットの内袋に外袋のデザインを印刷し、外袋には内袋のデザインを施したために、一見すると単なる12インチ・シングルにしか見えないというもので、錯視を利用したラッシュ・アワーのデザインをさらに遊び倒したものといえる。サウンドの方は、しかし、作を追うごとに機能的となり、軽妙洒脱な洗練と引き替えに遊び心は減少傾向にあるようにも感じられる。それでも、ハウス・ミュージックに新風を吹き込もうとする意欲は充分に伝わってくる(タイトル・トラックにはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサンプルが使われているらしい)。

 また、〈ラッシュ・アワー〉からオランダの老舗である〈デルシン〉に移籍したコンフォースことボリス・ブニクによるセカンド・アルバム『エスケイピズム』もハード・ワックスから支持されるだけあって、ベイシック・チャンネルを湿地帯でぶわぶわにしたような展開が実に気持ちよく、ダブとハウスの親和性をここでも印象付けてくれる(アナログの方が例によってデザインがいい。現場で作業しているのは理研軽金属工業株式会社の斉藤さんか?)。冒頭の「シャドウズ・オブ・ザ・インヴィジブル」からあっさりと持っていかれ、エレクトロの導入もいいアクセントになっている。なるほど「現実逃避」という感じかもしれない......

少年ナイフ - ele-king

 90年代ごろから日本のバンドが海外のインディ・レーベルからリリースされることも増えてきた。しかし実際には多くの場合、日本への輸出をあてこんでのものだという。海外でライヴをやったけど客はほとんど日本人なんて話もよく聞く。そんな中で本当に受け入れられているバンドを見極めようとしたときに、目安になるのがやはりツアーだろう。毎年のように1ヶ月とかそれ以上の海外ツアーに出ているバンドであれば間違いない。
 ちなみに「○○(ソニック・ユースとか)のオープニング・アクトで全米ツアー」みたいなのもあまりアテにならない。日本人と違ってむこうの客は真面目にスタート時間から来たりしないので、前座なんか見てないことが多いのだ。もちろん、別に海外で受けたから偉いというわけでもないとは思うが。
 よく言われる話だが、欧米のライヴハウスは日本のように機材が充実していることもなく、日々の移動距離も日本とは比べ物にならない過酷なものだ。そんななかで年中ツアーをしていればバンドが鍛えられるのも頷ける。アメリカのインディ・バンドなんかのライヴを観ると、上手い下手とは違う部分での地力みたいなものを感じることは多い。

 そんななか、かつて「世界でもっとも有名な日本のバンド」と呼ばれた少年ナイフは現在も精力的に海外ツアーをおこなっている。今年も8月から9月にかけて1ヶ月以上のヨーロッパツアー。そして先日も10月から11月にかけて1ヶ月以上の北米ツアーから戻ってきたところだ。
 そして帰国してすぐに今度は国内でのツアーである。12月2日、東京の新代田FEVERを皮切りに名古屋、大阪の三都市。毎年12月におこなわれる「Space X'mas Tour」の2011年版、というわけだ。ちなみにナイフは7月と12月にこの三都市のツアーをするのが恒例になっている。関東のファンにとっては貴重な機会なのです。このツアーはゲストを迎えることも多いが、今回はワンマンだ。

 FEVERのフロアに流れるストーン・ローゼスの音量が下がると客電が落ち、ナイフによる"We Wish You A Merry Christmas"が流れてメンバーが登場。本日発売のクリスマスカラー(赤と緑)のタオルを掲げている。その日売りたいタオルを持って出てくるというのは矢沢永吉に学んだのだろうか。衣装は昔からおなじみのモンドリアン風ワンピース。意外とメンバーチェンジをしているバンドだが(ディープ・パープルには及ばないがラモーンズくらいには変遷している)、衣装は代々引き継がれているのである。

 ツアータイトルにもなっているラモーンズ~バズコッコス系クリスマスソングの名曲"Space Christmas"でライヴはスタート。三曲目の"Twist Barbie"あたりからフロアも温まってくる。私はいつもは最前列付近で観てるのだが、珍しくちょっとうしろから観ていると、とにかくみんなニコニコしている。年季の入った(元)インディ・キッズみたいな白人のカップルが手をつないで踊ってたりして、会場の雰囲気はハッピーだ。
 おなじみのパンク・ナンバーで会場も盛り上がったところで中盤ではちょっと珍しい昔の曲をやったりするのもワンマンならではの楽しみだ。フェスなんかだと持ち時間も短いし、なかなかそうはいかないからね。"Redd Kross"はLAのあのベテラン・パワー・ポップ・バンドのことを歌った曲で、レッド・クロスの"Shonen Knife"という曲に対するアンサーソング。オリジナル・ベーシスの美智枝さん作のサイケポップ・ナンバー"I Am A Cat"を昨年加入したドラムのえみさんが歌い、オリジナルドラマーの敦子さんが歌っていたビートルズの"Boys"はベースのりつこさんが歌う。珍しく何曲かで直子さんがギターを持ちかえ、リッケンバッカーの美しい響きを聞かせる場面も。

 少年ナイフといえば「脱力系」とかそういうイメージがあると思うのだが(シャッグスのことを「少年ナイフの元祖」なんて書いているブログを見かけたこともある)、いまでは演奏上はそういう側面はほとんどない。現在のリズム隊は非常にタイトで、MCの際に「ツアーで食べ過ぎて、安定感がつきました(笑)」なんて話をしていたが実際のところ安定感があるのは間違っていない。
 2008年加入のりつこさんはバキバキに重い音色と長い髪を振り下ろす派手なヘッドバンギングがやたらと絵になるし、えみさんはズシっとした重量感のあるドラマーである。本編最後の"Economic Crisis""コブラ vs マングース"というメタル系ナンバーの二連発など、歴代メンバーでもっともヘヴィな演奏だろう。とくに後者のスローパートなど、ボリスのファンも納得! というくらいだ(余談だが、えみさんは髪を少し短くしたようで、ライヴEP『We Are Very Happy You Came』のジャケットのこけしみたいで可愛かったです)。

 アンコールでは今年リリースされたラモーンズのカヴァー集『大阪ラモーンズ』から3人それぞれがヴォーカルをとって"ロックンロール・ハイスクール""シーナはパンクロッカー""KKK"の三曲。ナイフのファンならラモーンズが嫌いなはずはないのでもちろん多いに盛り上がる。

 二度目のアンコールは配信でリリースされたばかりの新曲"Sweet Christmas"を披露。ナイフとしては三つ目のクリスマス・ソングで、これがまたラモーンズ・スタイルの名曲なのである。今回の配信リリースには、この曲のアコースティック・ヴァージョン、そしてオープニングSEで使われた"We Wish You A Merry Christmas"も収録。今年のクリスマス・ソングはこれ一択でしょう。どうせなら7インチでほしいと思ったらイギリスではアナログでリリースされているらしいので、現在入稿直前の紙『ele-king vol.4』の仕事がひと段落したら輸入盤屋に探しにいこうと思う(なかなか届かない原稿をジリジリしながら待っていたら、野田編集長からこの原稿を催促するメールが届いたのです)。

 MCでアナウンスされていたが、今年の年末は少年ナイフが初めてスタジオで練習をしてから30年。そして来年の春には初めてのライヴから30年。『大阪ラモーンズ』に続き、来年も30周年企画はいろいろとあるようだ。楽しみですね!

 会場で会った知人は最初は「今日はワンマンだし、長そうですね......」なんて言ってたのだけれど、終演後には満面の笑顔で「最高でしたね! 間違いないっすね!」と大興奮だった。まあ、そういうことだ。悪いこと言わないから機会があれば観に行くといい。ロックの楽しさってのはこういうものですよ。

君もこの革命に参加しないか? - ele-king

 グレッグ・フォックス......日本ではまだ名前が知られていないかもしれないが、ブルックリンの音楽シーンにおけるキーパーソンのひとりだ。元リタジー、ダン・ディーコン・アンサンブル、ティース・マウンテン、ボアドラム、最近ではガーディアン・エイリアン、GDFX、マン・フォーエヴァー、llllなどなど、その活動領域も幅広い。ブルックリンの音楽シーンにおいて、かなりの重要な位置にいることは間違いない。つねに複数のバンドに参加しているし、ショーもオーガナイズしている。今回のウォール街における経済格差抗議運動デモ(占拠運動)でも真っ先に動いたいのがグレッグ・フォックスだ。

 私が彼を知ったのは2年ほど前のことだ。ダン・ディーコン・アンサンブルをブシュウィックのサイレント・バーンという会場に見に行ったときだった。彼はドラムを叩いていた。私はその超人的なドラム・テクニックに、ただ圧倒されるばかりだった。
 彼はシェア・スタジアムBKというDIY会場のブッキングもしていて、私も参加させてもらったり、バンドを見に行ったりしていた。多くのミュージシャンから彼の評判は聞いていた。いつかじっくり話してみたいと思っていた。
 彼は素晴らしいミュージシャンであると同時に、凄腕のビジネスマンでもある。関わるバンドはどんどん大きくなっていくし、そして次から次へといろんなバンドに参加している。
 9月17日、「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠しよう)」を合い言葉に、若者たちによるウォール街のデモがはじまったときだった。グレッグからまわりのミュージシャンに呼びかける手紙が回って来た。彼がどのように感じていて、いま自分たちが何をすべきで何ができるか。その話題は避けて通れなかった。それぞれがそのために何かしなければと考えはじめた。そして私は、この機会に彼に訊いてみることにした。「ウォール街デモと音楽に関し訊きたいことがあるんだけど」と尋ねるとツアー中にも関わらず快く、「何でも訊いていいよ」とすぐに返事がかえってきた。

ウォール街のデモは、いま起こっている、国際的な革命を表明していると思う。この世界にいる人はみんなひとつの地球を共有していて、みんな共有物のなかのひとつで、みんな本当の意味でひとつであるということにいままで以上に気づかされていると思う。

ele-kingのインタヴューにお答えて頂いてありがとうございます。音楽が三度のご飯よりも大好きな人たちが集まる音楽ファンのためのサイトです。まずは自己紹介からお願いします。

グレッグ:こんにちは、この機会をどうもありがとう。僕の名前はグレッグ・フォックス。ニューヨーク・シティ生まれ、ニューヨーク育ちでいまはニューヨークのクイーンズに住んでる。僕のメインの音楽フォーカスはドラムだけど、他の楽器もたくさん演奏しるよ。エレクトロ・ミュージックも作っているんだ。いま関わっているプロジェクトは、ソロのGDFX、ガーディアン・エイリアン、マン・フォーエバー、IIII (w/ヒシャム・バルーチャ、ライアン・ソウヤー、ロブ・ロウ、ベン・ヴィダ)。最近DJドッグ・ディックの新しいアルバムのドラムをレコーディングした。これから一緒にツアーにもいくみたいだね。
 別のプロジェクトも進んでいて、いまはまだあまり話せないんだけど、かなり楽しみだよ。過去には、ダン・ディーコン・アンサンブル、ティース・マウンティン、リタジー、ボアダムスのボアドラムなど、いろんなバンドでプレイしていたよ。いまはガーディアン・エイリアンというバンドで、同じブルックリン出身の友だちバンドのドリーブスとツアー中。たったいまはアラバマ州、バーミンガムのボトルツリーという会場のトレイラーの前に座っている。そろそろ最初のバンドがスタートする頃じゃないかな。

ウォール街のデモについて訊きたくて、あなたにインタヴューを申し込みました。ウォール街デモの動きに関するプロジェクトを進行中だとか? それについてのあなたからの手紙が回ってきたのですが、この辺について詳しく説明してもらえますか?

グレッグ:ウォール街のデモがはじまったとき、僕はツアー中だった。とはいえ僕は『アドバスターズ』という雑誌の定期購読者だから、それが起こることは事前に知っていたんだ。彼らはその1ヶ月前からそのことについてよく話していたからね。ツアーから家に帰ってきて、ウォール街デモの中心地となった公園で過ごしていた友だちに会った。で、一緒に見に行ったら、たぶん、公園に着いて5分も経たないうちにキッチンで働いて、食事をサーブしている自分がいたんだよ。その週はその公園で食事をサーブしてほとんどを過ごした。
 その後、ショート・ツアーがはじまり、そこを出てツアーで多くの時間を過ごさなければならなくなった。しかし、そこで働いているほかの友だちをチェックして、できるだけオーガナイズできるようにしたんだ。時間があるときはグループ・ミーティングにも参加した。ウォール街デモのキッチン部隊にはツイッター・アカウントがある。もし誰かフォローしたい人がいれば、@OWS_Kitchen だよ。
 それから僕は、ニュー・パーティ・システムという、音楽に関連したワーキング・グループをディビット・ファーストとバーナルド・ガンと一緒にキュレートしている。ニュー・パーティ・システムはふたつのミッションがあって、1.ウォール街のデモの動きに対してベネフィット・ショーをオーガナイズしてまだこの動きを意識していない人びとに、何らかの形で加われるように気づかせる。2.ニューヨークのミュージシャンによる、オリジナル・レコーディングをシリーズでリリースして、ダブルで、この動きのためのお金をレイズし、同じ考えを持ったミュージシャンをあつめて、コラボレーションをすることでいわゆる「大きな波」を持ってくる。そうすれば、僕たちひとりひとりがやるよりも、もっとたくさんの人に伝えることができるし、アーティストが一緒に創造すると集団としてもさらに重みがでる。大きな波になって、もっとたくさんの人に伝わると思うんだ。最近、ハード・ニップスのエミとウォール街のデモについてよい話し合いをしたんだけど、彼女が使う「大きな波」という暗喩がとても好きだった。

なぜこのプロジェクトをはじめようと思ったのですか? また、このデモに対してはどう思いますか? まだ日本ではこの動きに関してあまり知らない人もいるので、詳しく説明お願いします。

グレッグ:いまはこの動きについてはっきり「何」とは言えないけど、個人的にこのウォール街のデモは、いま起こっている、国際的な革命を表明していると思う。この世界にいる人はみんなひとつの地球を共有していて、みんな共有物のなかのひとつで、みんな本当の意味でひとつであるということにいままで以上に気づかされていると思う。
 インターネットは僕らがひとつの大きな脳であるということを潜在的に気づかせてくれると思うし、僕たちは一緒になって、世界を自分たちのしたいようにすることができる。テクノロジーは地球がよりユートピアな状態にあることを気付かせるために存在する。僕らを阻止するただひとつのものは国際的な貨幣市場システムなんだ。ウォール街の動きは避けられない反応で、ドル社会の世界経済で利益を得て、支配力を増やす人たちの権力への巨大な伝達だと思う。彼らは人びとへの興味の代わりに、利益のために、政治的、経済的決定を指示する。もし、権力構造や経済オリエンテーションの改革がすぐにおこなわれなかったら、自分たちで惑星を完璧に破壊することになる。
 BPの流出から福島の経済的危機、終わりのない戦争......たくさんの国際的な危機が発生している。それらは莫大で、汚れた権力機構を維持する利益のために動かされている。とくにアメリカでは、僕たちは長いあいだ自分が実際に見たものではなく、恐ろしいメディア支配下で見させられ、そして生きている。僕たちは戦争、暴力のイメージで充満させられている。メディアは僕たちを初心者向けに易しくさせ存続させるたの宣伝機関のように見える。そのメッセージは、基本的に「批判的に考えるな。口を閉じろ。役立たない物を買い続けなさい」と言っている。このメッセージは、ポップ・ミュージック、宣伝、ラジオなどの新しいメディアにも届いている。だから今回のウォール街の動きは、こうした権力や金、メディア機関に対する脅威だよ。警察が抗議者を殴りつけ、野営地を取り壊し、市民の市民権を破っている。そしてこれが明らかなのに、彼らの行動はニュース番組からは削除される。
 だが、僕たちに対する暴力が酷くなれば酷くなるほど、この動きのための理解や同情は大きくなる。すべてのインターネットをシャットダウンしなければこれらの情報を取り入れることはできない。むしろ逆に、権力機構がどれだけ腐っているかを知ることになる。僕は、ウォール街の動きを赤ちゃんが床でハイハイしたり乗り物での年月を過ごしたあとに歩き方を習うような、その運命を目覚めさせる人間性の一部と見ている。僕たちはひとつで、僕たちの集合体は「変える」力があると気付いている。もう避けられないと思う。

アメリカの60年代を思い返したとき、音楽と政治的な能動主義は一心同体だった。僕たちはウォール街デモの動きを通して、政治と音楽との新しい関係性をいま見つけていると信じている。政治的ステートメントに参加することはアーティストの責任であると強く思う。直接的な行動か、発言という形なのか、もしくは現状のままいまのラインに沿って働くのかに関わらずね。

10月23日に、あなたはブルックリンでウォール街のデモに関したベネフィット・ショーを開きましたが、どんなバンドが参加して、どのような反応があったのでしょうか?

グレッグ:10月23日の日曜日に最初のニュー・パーティ・システムのベネフィット・ショーを開催した。ラインナップは、マウンテンというバンドのコーエン・ホルトキャンプ、オネイダのキッドているミリオンのドラム・アンサンブルで、僕もときどきプレイする、マン・フォーエヴァー、ノート・キラーズ、そして僕のバンド、ガーディアン・エイリアン。たくさんの人、とくにウォール街のデモの参加者がたくさん来てくれてうまくいったと思う。毎日、ウォール街デモで働いている彼らがリラックスして音楽を楽しんでいるのを見れて、とても嬉しかった。少ないけど500ドルをレイズしたよ。次は12月上旬に予定しているけど、少なくてもこの2倍の成功があると期待している。

また、他のミュージシャンたちとこの動きに関連するレコーディングもしているとか。それはすでに終わっているのでしょうか? また、リリースするとすれば、いつ頃になるのでしょうか。

グレッグ:ニュー・パーティ・システムは2日間コリン・マーストンのスタジオで過ごした。彼は素晴らしいプロデューサー、エンジニアという以外に、クラリス(krallice)、ダイスリズミア(dysrhythmia)、ゴーガッツ(gorguts)などのバンドでもプレイしている。コリンは、このプロジェクトのために2日間エンジニアの時間を寄付してくれた。
 レコーディングに参加したミュージシャンはディヴィッド・ファースト、キッド・ミリオン、バーナルド・ガン、キップ・マローン、そして僕。僕たちは良い素材をたくさんレコーディングしたし、いますべてを通してみて、最初のニュー・パーティ・システムのレコードがどういうものになるか決めているところだ。僕がツアーに出ているので、ディヴィットと僕はすべてを離れながら、コーディネートしている。
 たぶん、最初のレコードは2012年の初期にはリリースできると思う。これからもっとたくさんのゲスト・ミュージシャンとレコーディングしていくつもりだよ。このプロジェクトをどのように発展させるか、たしかではないけれど、僕はとても楽しみにしている。このウォール街デモの動きの、僕たちの感情的な投資に取り組むために、集合体として他のミュージシャンやアーティストと結合するのは素晴らしいよね。

デモの場所で他のミュージシャンが演奏しているのを見たことはありますか? 音楽はこのデモを救うと思いますか?

グレッグ:たくさんのミュージシャンが公園でプレイしているのを見ている。ウォール街デモそれ自身が「救済」を必要しているとは思わないけれど、音楽はこの動きの役割りを果たしていると思うし、すでにある程度までいっている。アメリカの60年代を思い返したとき、音楽と政治的な能動主義は一心同体だった。僕たちはウォール街デモの動きを通して、政治と音楽との新しい関係性をいま見つけていると信じている。政治的ステートメントに参加することはアーティストの責任であると強く思う。直接的な行動か、あるいはメディアを通じての発言という形なのか、もしくは現状のままいまのラインに沿って働くのかに関わらずね。
 アーティストやミュージシャンは、話さなくても伝えることができるし、そうする際に言葉ではできない多くの真実を話すことができる。この意味を通して、僕たちは人びとに気づかせ、彼ら自身を活性化させるのを助けるんだ。僕たちはウォール街デモの動きに対して自分からはなかなか関係を見出せない人びとに向けてドアを開くことができる。人びとはまどろみから揺れ起きて、直面している世界情勢を知る。すべての人びとは地球にいる人間のひとつであることを悟るべきだ。

インディ・ミュージックをやっているあなたと同じぐらいの年の人たちは、この動きに対して「気が付いている」と思いますか? 他のミュージシャンであなたと同じような活動をしている人を知っていますか?

グレッグ:さざまなな形でウォール街デモの動きに関わっているたくさんのミュージシャンやアーティストを知っている。たくさんの音楽仲間にこれからのベネフィットショーの参加を賛同してもらえたし、基本的に僕がいままで話してきたミュージシャンはみんな情熱的にそのいち部にいる。
 とはいえ、とくに国際政策やその関係に関して公に取り組むこと、正直で、純粋で、情緒的なこうした姿勢を示すことを嫌う人がいるようにも思える。人びとは「おかしなこと」をためらうべきじゃない。むしろ僕からすれば、このウォール街デモの動きに対して、何らかの方法で、少なくとも何らかのサポートを示すことのないアーティストやミュージシャンが多いことにも驚いている。
 でも、まだ始まったばかりだからね。これからもっと増えると思う。いずれは、いま僕らが直面している問題をもっと多くの人が悟ってくれると思う。

ありがとう。最後に、あなた自身のことについて訊きます。音楽をはじめたきっかけは何だったのでしょう? 音楽をはじめるにあたって音楽的ヒーローはいたのでしょうか?

グレッグ:僕はニューヨーク経由の地球出身。マンハッタンで生まれ、両親の家を出るときにブルックリンに引越し、いまはクイーンズに住んでる。僕は基本的に人生をずっとそこで暮らしている。
 僕がなぜ音楽をプレイするか? 僕の祖父はドラムをプレイしていて、いつもプレイしたいと思っていた。いつも音楽をプレイしたいという衝動があったし、これって素晴らしいリリースだよね。音楽は長いあいだ僕のパスに沿ったガイドで、非常に価値があった。続けているあいだには、いちどに起こる出来事や覚えておくべきものなどがたくさんあったし、僕が想像もしなかった、さまざまな場所へ連れていってもくれた。いまも正しいことをしていると思い続けている。演奏して、レコーディングをして、ツアーを続けている。僕は好きだから音楽をプレイしている。ジョセフ・キャンベルの言葉に「好きなことを追い続けなさい」というのがある。
 音楽的ヒーローでいますぐに頭に浮かんだのは、ジョージ・クリントン、フランク・ザッパ、キャプテン・ビーフハート、エルヴィン・ジョーンズ、ボアダムス、ニード・ニュー・ボディ、ドクター・ティース・アンド・ザ・エレクトリック・メイヘム、オーケストル・ポリー・リズモ、バットホール・サーファーズ、ロランド・カーク、ライトニング・ボルトかな。

ブルックリンのオススメバンドを紹介してください。

グレッグ:ドリーブス、PCワーシップ、CSCファンク・バンド、ハブル、トーク・ノーマル、ボウ・リボン、アーメン・デューン、クラウド・ビカム・ユア・ハンド......最近ダスティン・ウォングがバルチモアからブルックリンに引越して来てプレイを見たんだけど、とてもかっこ良いよ。ソフト・サークル、サイティングス、マン・フォーエヴァーもいいね。

日本には行ったことがありますか? 日本の文化に対して、どのような印象を持っているのでしょうか?

グレッグ:もし僕がお金のことを気にしないで世界中のどこでも行って音楽をプレイできるとしたら絶対日本に行きたい。行ったことはないけど、いつも行きたいと思っていた。古代の日本建築にとても魅了されたし、クロサワは僕のいちばん好きな映画監督だよ。日本のサイケデリック・ミュージックも大好きだし、そもそも僕は任天堂をプレイして育ったんだ。それと僕が思う日本食って、きっと現地では違うのかもしれないけど、なぜか日本では食事も合うと思うんだ。もう我慢できないくらい日本に行ってみたいね。日本で音楽をプレイするのは僕が人生のなかでやってみたいことのひとつ。いまのところプランはないけどきっと遠くはないと思うんだ。

日本のバンドで好きなバンドはいますか?

グレッグ:ボアダムス、アシッド・マザー・テンプル(とくにマコト・カワバタのソロ)、DMBQ、ボリス、メルツバウ、それと『ゼルダの伝説』の作曲者のコウジ・コンドウ。あふりらんぽとにせんねんもんだいも好きだよ。

※9月17日にウォール街で数百人の若者からはじまった経済格差を訴えるデモは、翌週にはさらに全米から若者が集まり、100人近い逮捕者を出すほどの規模となった。グレッグ・フォックスが取材のなかで述べているように、もともとはカナダのアナーキスト雑誌『ADBUSTERS』の呼びかけではじまっているが、集まったデモの主体が20代の「沈黙の世代」と呼ばれる若者層だったことも話題となっている。その後、シカゴ、サンフランシスコ、フィラデルフィアなど全米の多くの都市でもデモが繰り広げられている。また、2ヶ月後の現在もこの運動は拡大している。

vol.16 : メルト・バナナ in NY! - ele-king

 アメリカで活躍する日本のバンドというと、メルト・バナナ、ボアダムス、少年ナイフ、アシッド・マザー・テンプル、灰野敬二、最近では、ボリス......今日は、1993年に結成され、10月29日の土曜日、 今年で、18年目を迎えるメルト・バナナのライブを見にいった。今回は、10月1日から11月29日まで、休みはほとんどなしの、2ヶ月間の怒濤なるツアーだという。オレゴン州から入り、ミッドウエスト、カナダ、東海岸、南部を通り、そして西海岸に入るという経路である。ニューヨークは、ツアーのちょうど中間あたりで、〈サントス・パーティ・ハウス〉というマンハッタンのダウンダウンにある、Andrew WKが経営する会場でおこなわれた。ちなみに共演は、Tera Melos、Unstoppable Death Machines。早めに着いたつもりが、「次がメルト・バナナだよ」と言われる。まだ9時だというのに。

 客層は男の子中心で、革ジャン、パンク系が目立ち、ガタイはでかい。ハロウィン・コスチュームな人もいた。CMJのハイライト・ショーに行ったような人は見られない......。
その日のニューヨークでは大雪が降った。10月にしては珍しい、というか私が記憶している限りでは初。サンクス・ギビング・デー辺りを目安に大雪が降るのはよく覚えているが、ハロウィン辺りというのはここ10年記憶にない。異常気象。
それでも、いい感じにお客さんは入っていた。ほとんどどが昔からのコアなファンなのだろう。曲がはじまるごとに、「オーーーー」といううなり声。ちょっと怖かったが、このバンドに対する期待感の大きさだ。 電撃的なキンキン、バリバリ、ヒリヒリしたパンク・ノイズ・サウンド......という表現が適切なのか、とにかく、絶妙なテンポで、曲をどんどん展開していく。ベースは女の子、ドラムは男の子。そしてギターのAgataさん、ヴォーカルのやこさんの4人編成。やこさんは、トレードマークのショートヘア、白の長袖トップにジーンズ、底の高いラバースニーカー。中間にはショート・ソング(たぶん1曲5秒、10秒とか)を8曲連続で披露。野郎の声援にまた力が入る。
セットにヴァラエティがあって楽しいし、それに対応できるヴォーカル力はさすがだ。キャリアの長さを感じさせる貫禄ある演奏で、とくに今回のメンバーのバンド・サウンドはスキがなく、怒涛のように演奏し、曲が終わるたびに、思わず拍手した。
やこさんの拙い英語がある種のヴァーチャル感をだすのか、あのアニメ声で「マーチ(物販)があるよ」などと言われるともう大変。ショーが終わったあとは、階段にながーい行列ができていた(なぜか今日はマーチ・テーブルが階段のいちばん上にあった)。しかもその列はまったく動く様子なし。たぶんひとりひとりと話しているので長くなるのだろう。こんな行列は,少年ナイフのジャパン・ソサエティのショー以来かもしれない。
先述した海外で活躍する日本のバンドは、いちど地位を得たらファンは根強く、ずっと付いて来てくれる。もっともこの傾向は10年選手バンドばかりで(私が知る限り)、残念ながら最近のバンドには見られない。イコール、若い子にそこまで音楽やバンドに対して情熱がないのか、そこまで夢中にサポートしたいバンドに出会ってないのか、単に見逃しているのか、最近のバンドがよくないのか......時代が違うといえばそれまでだけど、ライヴの醍醐味はいつもレコードで聴いているアーティストが目の前でプレイしていて、直接話しが出来る。そのリアリティにある。そうしたライヴの熱さも、今日のマーチに並ぶファンの図を見るとまだまだ捨てたものではないと少し感動した。この感覚を次世代につなぐことができたらもっといいのにね。

 実際、最近まわりで人気のあるバンドは、まるっきり新しいことをやっているわけでなく(私が知っているまわりのバンド限定ですいません)、最近見たダム・ダム・ガールズしかり、ターミナル5(!)でのショーが決まったガールズしかり、彼らは古い歌がどれだけ良くて、自分たちが影響を受けて、この曲が存在していることを意識している。いいと思うものを自分が思った通りに表現できるのは素晴らしいことで、それが実際受け入れられている。いまは情報が氾濫していて、どれが本当でどれを信じるべきでさらに自分が何が好きかを惑わせるツールがたくさんある。便利なようで、それがことをややこしくしている。

 とまれ。今日、ライヴを見て思ったことは、長く続けられるインディ・バンドには根強いファンがいて、実際、彼らをがっかりさせないライヴを毎回やっている。前回、私が見たとき(たぶん自分が企画した2002年のライトニング・ボルトのジャパン・ツアーでの共演時)と勢い、見た目もまったく変わっていない。さらに18年やっているのだけど色はまったく褪せていない。でもそれがファンの期待を裏切らない......ということなんだろう。素晴らしいことだと思う。今日の時点で、後(ツアーは)40本残ってると、MCで言った。18年間、こんな感じでずっとやっている。繰り返すけど、まわりの大きな男の子たちが「オーーーー」と唸っているのをみると、元気付けられる。夢中になれるものがあるということは、ホントにいいことだと思った。

 外は大雪だったが〈サントス・パーティ・ハウス〉は熱気に包まれていた。ショーは終わったけど、ひと息つきたくてドリンクを頼もうとしたら、バーテンダーが先ほどの穏やかな可愛い女の子からゲイのふたりに変わっていた。しかも水着とレオタード! そして、気が付いたら「外に出ろ」と警備員のおじさんに追いやられていた。外に出ると、ずらーっと、また行列(......雪降ってます)。しかも牛や鹿の着ぐるみ、ティンカーベル、魔女、ゾンビ......変なコスチューム。なるほど、ハロウィン・パーティがこのあと開催されるのかー。土曜日の夜、ハロウィン・ウイークエンド、当然当然。パーティー・ハウスですから。

Dry & Heavy - ele-king

 90年代の日本では、ミュート・ビートのレゲエ叙情主義とはまた別の水脈において、ベース・ミュージックの実験が繰り広げられていた。東京では代々木にあった〈チョコレート・シティ〉というヴェニューがその最初の震源地のひとつとなったが(そこはヒップホップ/レゲエのクラブとして知られ、あるいは日本で最初のジャングルのイヴェントが開かれていた場所でもある)、その周辺にいたドライ&ヘビーはオーディオ・アクティヴらとともに渋谷系がフランス映画のサントラ・レコードを掘っていた時代に70年代のジャマイカのサウンドシステムの痕跡をひとつひとつ吟味していた。
 こと秋本武士と七尾茂大によるドライ&ヘビーは、ベース奏者とドラマーがそのバンドの中心となるレゲエのスタイルをそっくりそのまま踏襲し、アストン・バレット、グレン・ブラウン、ボリス・ガーディナー、ロビー・シェイクスピア、リロイ・シブルス等々(以上、ベーシスト)、カールトン・バレット、スライ・ダンバー、スタイル・スコット、あるいは映画『ロッカーズ』の主役となったホースマウス・ワレス等々(以上、ドラマー)の領域を目標とした。レゲエは、親しみやすいメロディ・パート(歌、あるいはホースセクション)とアフリカから来ているリズムのパートのふたつの構造からなっている。そして、レゲエほどリズムのパートが脚光を浴びた音楽はない。レゲエ・ファンはシンガーの名前と同等に、ときにはそれ以上の重要性をもってベーシストやドラマーの名前を覚えるのだ。
 ドライ&ヘビーが重要な働きを見せたのは1990年代後半からゼロ年代にかけてで、彼らは当時、ザ・ブルー・ハーブやシンゴ02といったラップの新しい勢力と共振しながら、それまでの日本のラスタカラーのレゲエとは別の、異種格闘を好む新しいベース・ミュージック・シーンのエースとして君臨した。ダブとヒップホップが交錯する都会のアンダーグラウンドをホームとしながら、あるいはリクル・マイという魅力的なシンガーがいたとはいえ、ドライ&ヘビーはそれが自分たちの誠実さの表れであるかのように、二拍/四拍のアクセントに特徴を持つワンドロップと呼ばれるリズムとひたすらシンコペーションするベースラインというジャマイカの基本文法に忠実なだけだった......が、しかしそれが当時、急速に増えていった葉族やらダンサーやらの心身にダイレクトに訴える音となったのだ。要するに、UKのレイヴ・カルチャーがアシッド・ハウスでやったことを彼らはレゲエでやったとも言える。

 さて、これは喉元をぎゅっと絞められた『ブラックボード・ジャングル・ダブ』が地底の奥深くから噴射しているような、そう、9年ぶりの、秋本武士と七尾茂のふたりによるドライ&ヘビーの新曲だ。片面10分以上、両面で20分ちょっと。それも〈ブラック・スモーカー〉からのリリースで、キラー・ボングは例によってミステリアスな彼の言葉の断片を食いちぎっては地面に吐き付けているようだ。一時期オーディオ・アクティヴでギターを弾いていたカサイも参加して、ダーティーなソウルのこの怪しげな饗宴にやんわりと色気を与えている。
 B面の"One Shot One Kill"はそのダブ・ヴァージョンとなっているが、それは装飾性を剥いだ、より骨組みだけを際だたせたミックスになっている。ローファイでこもり気味の低音はスピーカーのコーンを限界まで震わせ、デジタル時代に顕著となったチージーな高域はすべてカットされている。中域に重点をおいた音のバランスは、この10年カセットテープでリリースされるドローンのサウンド・オペレーションと重なるものがあるが、実際の話、ふたりのセッションは瞑想的で、スピリチュアルにも感じる。お決まりのディレイやリヴァーブもない。まあ、彼ららしいストイシズムの境地が展開されている。
 こういうレコードを買うのは、いまでも苦労する。すぐに売り切れしまうからだ。本当に音を必要としている人たちが、あっという間に群がってそれをひきちぎってはそれぞれの地下室へと消えていくのだ。

I'll Be Your Mirror - ele-king

 ここで彼のイ二シャルを書いたらわかる人にはわかってしまうので、Xとしておこう。Xとは、昼の1時に渋谷のモヤイ像前で待ち合わせた。僕は待ち合わせの時間と締め切りはかなり守るほうなので、1時ちょい前に着いた。僕の隣ではお父さんが自分の子供にモヤイ像の説明をしている。「これね、イースター島というところにあるんだけど、これがいったい何の目的のために作られたのかまだわからいんだよ。ナスカの地上絵を知っている?」
 お父さんは宇宙人について喋りたくてうずうずしている。こっちはそれを全否定したくてうずうずしてくる......と、そのときXはやって来た。酒臭い息をはきかけながら、「いやー、すいません」と言うので「いや、ぜんぜん大丈夫だよ」と言うと、「ちょっと友だち紹介していいですか」と言うので、あ、いっしょに行くのかなと思ったら、Xが前日の夜からずっといっしょに呑んでいた友だちだった。「いやね、俺は5時ぐらいに抜け出したんですよ。いちど家に帰って着替えようと思ったから。そうしたらもう、電話がガンガンにかかってきて」
 暖かい日差しが照りつける日曜日の渋谷を歩きながら、Xは説明した。ということは、ふたりの友だちはいままで呑んでいたのか......。「おたがい内臓を大切にしよう」と僕は言った。
 「Xの内臓はすごいな。俺はもうそんなに呑めない。40過ぎたあたりから量が呑めなくなったんだ」と47歳の僕は43歳のXに言った。日曜日の渋谷駅にはいろいろな人がいる。酒臭い40代がいても不思議ではないだろう。しかしいまから「I'll Be Your Mirror」に行く酒臭い40代はおそらくXだけだろう。

 新木場に着くとXは駅構内のコンビニを見つけて、「煙草を買ってきますよ。ついでに酒を買って飲みながら行きませんか」と言った。そしてXは350のビールを2缶持って出てきて、1缶を僕に渡すと、今度は煙草のケースを空け1本を取り出して、近くにいた人に火を借りて火を付けて、煙を思い切り吸い込んで吐いた。僕は40前に煙草を止めて以来すっかり嫌煙家になってしまったが、さすがに「俺の前で吸うな」とは言えない。「Xはロックンローラーだなー」となかば皮肉を込めて言うと、Xは陽気に「イエー!」と奇声をあげるのだった。

 「I'll Be Your Mirror」はいまやオルタナ・ロックの、純粋な音楽主義的イヴェントとして世界的に有名な「All Tomorrow's Parties」の日本での最初の試みである。出演者は、ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!、ボアダムス、灰野敬二、ボリス、メルト・バナナ、エンヴィ、ファック・ボタンズなどなど。チケットは即ソールドアウトになったという。GYBE!がそこまで人気があるとは思えないので、これはイヴェントそのものへの期待の表れだと解釈すべきだろう。それはXの真っ黒な肺と違って、健康的な態度だ。
 そして我々は、最初のボアダムスがはじまるまで、少なくともビールを二杯、ウォッカトニックを二杯飲んだ。Xは「100円多く払うから、ウォッカを多く入れてくれ」と、カウンターのお兄さんにしつこく懇願した。「もっとウォッカ入れようよ、パンクになろうぜ!」とわけのわからないことを罪のない従業員に話しかける40代がいま僕の目の前にいることは、充分にオルタナティヴだ。
 会場内はまだみんな入ったばかりということもあってか、やや緊張している様子だった。友だちの家に初めて遊びに来たばかりのように、気持ちがまだうまくイヴェントに入れ込めていない。もちろんXは別だが......。つまりボアダムスは、いつもならもっと踊り狂ってるオーディエンスがそこにいるものだが、どちらか言えば多くの人が「観ている」感じだった。続くボリスもそんな様子だったが......僕はボリスを初めて聴けたのが嬉しかった。驚いたのは灰野敬二のライヴだった。別のステージでやっていた灰野敬二のライヴは、入場規制がかかるほどの満員だった。入れないオーディエンスはあの轟音を会場の外で聴いていた。インディ・ロックとなかなか接点を持つ機会がなかったということかもしれないけれど、その光景は日本のアンダーグラウンド・シーンのゴッドファーザーへの関心の高さを示していたし、灰野さんのライヴ終了後のガッツポーズも実に格好良かったなぁ。
 というか、灰野敬二に続いたエンヴィも、そしてまたメルト・バナナのライヴも大盛況だった。メジャー・レーベルと契約しているバンドがひとつもいないなかで、チケットが売り切れて、そして千人ぐらいのインディ・ロック・キッズが灰野敬二のノイズを浴びて声を挙げている姿は、いつの間にか行方不明になってしまったXと比べるまでもなく未来を感じさせるものだ。僕の知り合いには、結局日本のバンドばかりを聴いてしまったという人もいて、ああ、その気持ちわかるなーと僕も思った。夜暗くなって、メルト・バナナの演奏がはじまる頃には、GYBE!が最後に控えていることなど忘れてしまっていた......。

 会場内では簡単なパンフレットが配られていた。ページをめくると、最初に「ルール」が記されている。「ATPはロクデナシゼロの方針で運営しています。ロクデナシにならないように注意してください。マジにロクデナシになるなってことです」とある。ロクデナシ(英語でアスホール)かぁ......ひとり強烈なのがいたなぁ......帰りの新木場の駅のホームでそれを読みながら、最初からルールを破ってしまったかもなぁと思ったのである。結局Xはファック・ボタンズのライヴ中に消えていって......そしてひとり泥酔のぬかるみのなかを彷徨っていたという話だ。ごめんX、いくら電話しても出ないから帰るよ、日本には本当に素晴らしい音楽がたくさんあるよな。お互い内臓を大切にしよう。

私はあなたの鏡になろう
あなたがちゃんと家に帰れるように灯りになろう
"I'll Be Your Mirror"

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