「ボリス」と一致するもの

Sun Ra - ele-king

 そう、サン・ラーは、歴史上もっとも特異なジャズ・アーティストです。なにしろ自らの過去を消去し、生涯をかけてひとつの寓話を作り上げ、自身も最後までその物語の人物であることを演じきったのですから。地球を変えるために生まれ変わったとか、黒人の夢のなかで土星からテレポートされたとか、自らの出自からしていろんな説を唱えている彼は、同時に自らの奇観も磨き、パスポートもサン・ラーとして登録していました。〈インパルス〉が契約書を見せたとき、項目のなかに「地球での契約に限る」という一文を添えるよう要請したほどです。彼が音楽シーンに登場したとき、いや、登場してから何十年ものあいだ、ほとんどの地球人はその姿を侮蔑するか無視するか、敵視しました。こうした無理解やよくて奇異なるものをみつめる視線のなかでも、サン・ラーは動じる色をいっさい見せず、「地球人でない」「土星から送り込まれた」「黒人ではない」「存在さえしてない」という自分の物語をまげませんでした。
 面白いことに、21世紀も20年以上が過ぎた現在——、彼が地球での息を引き取ったのが1993年ですから、今年でちょうど地球脱出30年の現在、サン・ラーはしぶとい、いや、驚嘆すべき影響力をほこるジャズ・ミュージシャンのひとりとして認識されるようになっています。フライング・ロータスやムーア・マザー、セオ・パリッシュといった人たちの作品のなかにはサン・ラーが見えるし、ヤン富田やヨ・ラ・テンゴ、コンピュータ・マジックやエズラ・コレクティヴといった人たちはサン・ラーの楽曲をカヴァーしています。あのレディー・ガガもサン・ラーの代表曲のひとつ “Rocket Number 9” を借用しているのです。ますます価格が上昇する〈サターン〉盤を蒐集しているコレクターも世界中にいるでしょう。なかばポップアイコン化もしているようで、海賊版と思わしきサン・ラーTシャツが巷に増殖していたりもします。世代もリスナー層も超越し、これほど幅広くカルト的な人気を高め、地球上の生命体としては存在していないのにもかかわらず、年を追うごとに露出を増やしているミュージシャンは控えめに言ってもかなり稀だと思われます。

 現在、あるいはわりと最近の過去において、こうしたサン・ラー人気の広さ、根強さは、マイルスやコルトレーンに匹敵するという声があります。たしかにそうかもしれませんが、サン・ラーの音楽は、強烈な独奏者によるものではなかった。大所帯のアーケストラであること、集団で演奏することに彼はこだわった。集団で生活をともにすることにも意味を見出していた。それ自体がひとつのコンセプトだった、と言っていいくらいに。
 音楽家であり哲学者であり、勉強家であり、考古学者であり、童話の天文学者であり、学校の先生であり、無邪気な厭世家かつ夢想家であり、オリジナル・アフロフューチャリストであるサン・ラーは、およそ40年のあいだにじつに膨大な数のアルバムを録音しています。私たちは限りあるこの先の人生で、まだしっかり聴けていないサン・ラー作品があることを幸せに思ったりもします。……おっと、アーケストラはまだ活動中でしたね。
 
 ジョン・F・スウェッドによる『宇宙こそ帰る場所 ——新訳サン・ラー伝』は、世界で唯一のサン・ラーの評伝、サン・ラーが隠してきた彼の人生のおおよそすべてが描かれている本で、1997年に出版されて以来、世界で読まれ続けている名著と言える一冊です。サン・ラーの評伝とは、彼が消去した人生を物語ることにほかなりませんが、著者は、サン・ラーの難解な思想の糸(古代エジプト学、科学と考古学、黒人の民間伝承、オカルト学、象形文字など)を解きほぐしてもいます。本の虫だったサン・ラーは片っ端から書物を読んでいますが、それは生と死、空間と時間といった地球上の概念を超えて、調和を再統合するため、愛のためでした。 
 自己神話化の軌跡と、生々しい人間としてのサン・ラーを描いた400ページ以上の原書を、鈴木孝弥氏がおよそ1年半をかけて言葉を慎重に選び、日本語に変換することに成功しました。情熱的かつ読者に親切な氏は、多くの訳者註を加えています。また、原書に掲載された写真も、今後の研究においても重要な、本書の情報源や養分となった重要な文献類もすべて掲載してあります。日本語版は512ページになりました。大作なので、ゆっくり読めば1ヶ月は楽しめます。さらにもっとゆっくり読めば2ヶ月は宇宙遊泳できるし、迷っても大丈夫。宇宙こそ帰る場所(Space is the place)です。発売は1月31日。

ジョン・F・スウェッド(著)鈴木孝弥(訳)
宇宙こそ帰る場所──新訳サン・ラー伝

ジョン・F・スウェッド(John F. Szwed)
1936年生まれ。イェール大学名誉教授(人類学、アフリカン・アメリカン研究、映画学)、コロンビア大学名誉教授(同大学ジャズ研究センター教授、センター長を歴任し、現在非常勤上級研究員。グッゲンハイムおよびロックフェラー財団フェロウシップ。マイルズ・デイヴィス、ビリー・ホリデイ、アラン・ローマックス等々に関する著作が多数あり、その代表的なジャズ研究書『Jazz 101: A Complete Guide to Learning and Loving Jazz』(2000)は、『ジャズ・ヒストリー』として邦訳されている(諸岡敏行訳 青土社/2004)。また、CDセット『Jelly Roll Morton: The Complete Library of Congress Recordings by Alan Lomax』《ラウンダー・レコーズ/2005》のブックレット「Doctor Jazz」で、同年のグラミー/ベスト・アルバム・ノート賞を受賞している。

鈴木孝弥(すずき・こうや)
1966年生まれ。音楽ライター、翻訳家(仏・英)。主な著書・監著書に『REGGAE definitive』(Pヴァイン、2021年)、ディスク・ガイド&クロニクル・シリーズ『ルーツ・ロック・レゲエ』(シンコー・ミュージック、2002/2004年)、『定本リー “スクラッチ” ペリー』(リットー・ミュージック、2005年)など。翻訳書にボリス・ヴィアン『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』(シンコー・ミュージック、2009年)、フランソワ・ダンベルトン『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と女たち』(DU BOOKS、2016年)、パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』(スペースシャワーネットワーク、2009年)、アレクサンドル・グロンドー『レゲエ・アンバサダーズ 現代のロッカーズ』(DU BOOKS、2017年)、ステファン・ジェルクン『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(Pヴァイン、2018年)ほか多数。
 

宇宙こそ帰る場所──新訳サン・ラー伝 - ele-king

世界で唯一にして決定版、サン・ラー評伝、待望の新訳

近年ますます人気を拡大し、生前以上に聴かれている稀なジャズ・アーティスト
インディ・ロック・バンドからクラブ系のジャズ・バンドまでがカヴァーし、
レディ・ガガがその楽曲を引用するほど
その幅広いリスナー層はマイルス・デイヴィスに匹敵する

自分は地球人ではないし、ましてや黒人でもない
家族もいないし、生まれてさえいない
生涯をかけて作り上げた寓話を生き抜いた音楽家の
彼が消し去った地球での全人生を描いた大著

モーダルなジャズから電子音、
サイケデリック、大アンサンブル、
フリー・ジャズ、そしてアフロフューチャリズムの原点……
その影響力と功績において
欧州ではマイルス、コルトレーンとならべて語られる巨匠
サン・ラーのすべてがここにある!

目次

序奏

CHAPTER 1 バーミングハム
CHAPTER 2 シカゴ
CHAPTER 3 シカゴ pt.2
CHAPTER 4 ニュー・ヨーク・シティ
CHAPTER 5 フィラデルフィア
CHAPTER 6 世界・未来・宇宙

謝辞
出典/註記
主な参考文献リスト
サン・ラー・ディスコグラフィ
索引

[プロフィール]
ジョン・F・スウェッド(John F. Szwed)
1936年生まれ。イェール大学名誉教授(人類学、アフリカン・アメリカン研究、映画学)、コロンビア大学名誉教授(同大学ジャズ研究センター教授、センター長を歴任し、現在非常勤上級研究員)。グッゲンハイムおよびロックフェラー財団フェロウシップ。マイルズ・デイヴィス、ビリー・ホリデイ、アラン・ローマックス等々に関する著作が多数あり、その代表的なジャズ研究書『Jazz 101: A Complete Guide to Learning and Loving Jazz』(2000)は、『ジャズ・ヒストリー』として邦訳されている(諸岡敏行訳、青土社/2004)。また、CDセット『Jelly Roll Morton: The Complete Library of Congress Recordings by Alan Lomax』《ラウンダー・レコーズ/2005》のブックレット「Doctor Jazz」で、同年のグラミー/ベスト・アルバム・ノート賞を受賞している。

鈴木孝弥(すずき・こうや)
1966年生まれ。音楽ライター、翻訳家(仏・英)。主な著書・監著書に『REGGAE definitive』(Pヴァイン、2021年)、ディスク・ガイド&クロニクル・シリーズ『ルーツ・ロック・レゲエ』(シンコー・ミュージック、2002/2004年)、『定本リー “スクラッチ” ペリー』(リットー・ミュージック、2005年)など。翻訳書にボリス・ヴィアン『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』(シンコー・ミュージック、2009年)、フランソワ・ダンベルトン『セルジュ・ゲンズブール──バンド・デシネで読むその人生と女たち』(DU BOOKS、2016年)、パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』(スペースシャワーネットワーク、2009年)、アレクサンドル・グロンドー『レゲエ・アンバサダーズ──現代のロッカーズ』(DU BOOKS、2017年)、ステファン・ジェルクン『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(Pヴァイン、2018年)ほか多数。

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R.I.P. Vivienne Westwood - ele-king

 サウス・ロンドンの湾岸地区にある巨大なスタジオで忌野清志郎のフォト・セッションが始まり、僕はやることもなくただ見学していた。彼の初ソロ・アルバム『レザー・シャープ』のために30着ほどの衣装が用意され、デイヴィス&スターが息のあった撮影を続けている。スペシャルズやピート・タウンゼンド、デヴィッド・ボウイやティアーズ・フォー・フィアーズのジャケット写真を手掛けてきた夫婦のフォトグラファーである。2人が交互にシャッターを切るので、清志郎はどっちに集中していいのかわからず、序盤はうまくいっているようには見えなかった。彼らが用意した衣装のなかにテディ・ボーイズのジャケットがあり、清志郎がそれを着てポーズを取ると、実に恰好良かった。ミックス・ダウンの合間を縫って、体を休める間もなく撮影に挑んでいる清志郎はその時、体重が38キロまで減っていて、ジャケットはややダブついて見えた。そのせいか、そのカットは最終的にアルバム用には使われず、宣伝用に回されたので一般の目には触れなかったかもしれない。半日がかりの撮影が終わり、今日の衣装でどれか買い取りたいものはあるかと訊かれた清志郎はとくに考えた様子もなく「ない」と答えた。普段着にはネルシャツとか目立たないものしか彼は着ない。デイヴィス&スターが「OK」といって衣装を片づけ始めた時、「僕が買ってもいいですか」と思わず僕は声に出していた。テディ・ボーイズのジャケットはその場で僕のものになった。ヴィヴィアン・ウエストウッドの一点ものである。ガーゼ・シャツはワールズ・エンドですでに買い込んでいた。ヴィヴィアンだらけになった旅行カバンを持って僕は初のイギリス旅行から日本に戻ってきた。10代でパンク・ロックに出会うということはこういうことである。カタチから入ってもしょうがないなどとは思わない。ヴィヴィアン・ウエストウッドの服で全身を固めたい。二木信がトミー ヒルフィガーで全身を決めているのと同じである。ヴィヴィアン・ウエストウッドのショップが日本にオープンするのは意外と早く、93年のことだけれど、80年代にはまだ海を渡る必要があった。『レザー・シャープ』の取材とパンクの聖地巡りで僕の24時間はバーストしっぱなしだった。出所したばかりのトッパー・ヒードンがレコーディング・スタジオにいるのもぶち上がった。PV撮影の合間にトッパー・ヒードンが自分で飲むビールを自分で買いに行くところまで恰好良く見えた。

 70年代当時、パンク・ロックについての情報はほとんど日本に入ってこなかった。マルカム・マクラーレンのことはまだしもヴィヴィアン・ウエストウッドがパンク・ファッションを生み出したと言われても、詳細はわからないし、破けたTシャツぐらい誰でもつくれるような気がした。パンク・ファッションではなくコンフロンテイション・ドレッシングというコレクション名がついていたことも知らなかったし、「サヴェージィズ(パイレーツ)」、「バッファロー/泥のノスタルジー」、「ニューロマンティクス」と移り変わるシーンの背後にウエストウッドがいるらしいというだけで、それが本当なのかどうかもよくわからなかった(バッファロー・ハットは00年代にファレル・ウイリアムズがリヴァイヴァルさせている)。ウエストウッドがどんな顔なのかさえわからなかったので、僕は映画『グレート・ロックンロール・スウィンドル』のレーザーディスクを買い、セックス・ピストルズが女王在位25周年を祝うジュビリー当日にテームズ河に浮かべた船上でボート・パーティを開催し、〝God Save The Queen〟を大音量で演奏するシーンを何度も繰り返し観たけれど、警官たちと揉み合うマルカム・マクラーレンは確認できてもウエストウッドが逮捕された瞬間は判然としなかった(ちなみに『グレート・ロックンロール・スウィンドル』にフィーチャーされた〝Who Killed Bambi〟はテン・ポール・チューダーとヴィヴィアン・ウエストウッドの共作)。それどころかローナ・カッター監督のドキュメンタリー作品『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観るまで、僕はニューロマンティクスが下火になってから子どもを育てるお金がなくなくなったウエストウッドが生活保護を受けていたことも知らなかった。僕がカーキ色のジャケットを買い取った頃である。当時は誰と話してもイギリスへ行ったらBOYのキャップやパンクTシャツの1枚や2枚は買ったよと話し合っていた時期なのに。あの売り上げはウエストウッドには入っていなかったのだろうか。同じドキュメンタリーでウエストウッドはパンクについては語りたくないと最初は口を閉ざしてしまう。追悼記事のほとんどが「パンク・ファッションの女王が……」という見出しを立てているというのに、ウエストウッドにとってパンクは思い出したくない過去だということもちょっとショックだった。監督がねばりにねばって最後は経営実態まで細かく語り始め、それもまた驚くような内容だったけれど、同作は全体にお金のことが明確に語られているところが新鮮な作品だった。

  ヴィヴィアン・ウエストウッドは80年代の後半にファッションの方向性を大きく変え、いわゆるヴィクトリア回帰を果たしたとされる。パンクやバッファローとは異なり、確かにエレガントと呼べる性格のものにはなっていたけれど、裾が広がれば広がるほどいいとされた19世紀のスカート(クリノリン)をミニにカットするなど、そのアイディアは上流階級のパロディと言われたり、過去(束縛された女性)と未来(自由になった女性)を同時に表現したとも評され、目に見えない部分では男性用ファッションを素材レヴェルから女性用につくり直すなど、対決を意味するコンフロンテイション・ドレッシングはひそかに続いていたともいえる。92年にバッキンガム宮殿で大英帝国勲章を受賞する際にはスカートに大胆なビキニとスケスケのタイツ姿で現れ、物議を醸す一幕もあった(これには宮殿に所属する写真家の撮り方に悪意があったとウエストウッドは反論している)。一方でBボーイ・ファッションを低脳呼ばわりするなど、クレジットの入れ方を巡って20年間の付き合いに終止符を打ったマルカム・マクラーレンが新たに入れ込んでいたヒップ・ホップには冷たく当たり、ストリート・カルチャーとは決定的に距離を置こうとしたことも確かである。ニューロマンティクス時代の最後に単独で「ウィッチ」というコレクションを発表したウエストウッドはキース・ヘリングをフィーチャーすることで自動的にマドンナが広告塔になってくれるなど、実際にはストリート・カルチャーが彼女の名声を後押しした面があったにせよ。マクラーレンとの残念な結末とは対照的に『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観ると彼女の後半生は大学の教え子だったアンドレアス・クロンターラーとの愛の物語であったこともよくわかる。クロンターラーの献身ぶりやウエストウッドを支える彼の努力は並大抵ではなく、彼女もそれがわかっているところはなかなかに感動的だった。オーストリー出身のクロンターラーは92年にウエストウッドよりも25歳下の夫となり、25年間にわたって発表してきた「ヴィヴィアン・ウエストウッド・ゴールドレーベル」は実質的にはクロンターラーが手掛けていたも同然だったと発表し、ブランド名も「アンドレアス・クロンターラー・フォー・ヴィヴィアン・ウエストウッド」に改名されている。

  00年代に入るとウエストウッドは政治的言動を強く繰り出すようになる。とくに「気候変動」に関しては語気が荒く、行動力もかなりのものがあり、緑の党支持を表明しているものの、ヴィヴィアン・ウエストウッドの商品にはポリエステルが使われているなど矛盾を指摘されることも多く、かなりな額を寄付したにもかかわらず緑の党からイヴェントに出演することを拒否されたこともある。驚いたのはシェール・ガスの掘削に反対してキャメロン首相の別荘に戦車で向かって行ったことで、何が起きているのかわからなかった僕はスケートシングと動画を送りあったりして、その夜は、一晩中、大騒ぎになった。道が細くなってウエストウッドを乗せた戦車が別荘に突っ込むことはできなかったけれど、戦車の上から拡声器で抗議する姿を見てウエストウッドがパンクを全うしていることは確かだと思った。またウィキリークスを高く評価していて、アメリカ政府に指名手配され、エクアドル大使館で軟禁状態となっている主幹のジュリアン・アサンジを長期にわたってサポートし、クロンターラーと2人で獄中結婚の衣装をデザインしたり、アメリカ政府への引き渡しに反対して裁判所の前でウエストウッド自らが鳥かごに入って宙づりにされるというパフォーマンスも行なっている。05年にはキャサリン・ハムネットが90年代に定着させたメッセージTシャツに「私はテロリストではない。逮捕しないで下さい(I AM NOT A TERRORIST, please don't arrest me)」というメッセージに赤いハート・マークを付け加えてトレンドTシャツとして生まれ変わらせ、ワン・ダイレクションのゼインがこれを着てツイッターで広めたり、ジェレミー・コービンが労働党党首になった時は派手に応援し、ボリス・ジョンソンに大敗を喫することも。政治に比べてTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で使われたウェディング・ドレスが1時間で売り切れたとかファッションの話題が少ないことは気になるところだけれど、『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観ると、そっちの方はクロンターラーがちゃんとやっているのかなと思ってしまうのはやはりマズいだろうか。

  05年に姪たちを連れて森アーツセンターギャラリーで開催されたヴィヴィアン・ウエストウッド展を観に行くと、まだファッションには興味がなかった彼女たちの反応は「魔女みた~い」というものだった。確かに装飾過多だし、とくに黒い服が集められた部屋は森の中にいるみたいで、妙な落ち着きがあった(日本ではゴスロリや矢沢あい『NANA』が流行の火つけ役になったと言われるし、ヴィヴィアン・ウエストウッドが人の名前だと思っていない世代には福袋で有名みたいだし……)。パンク・ロックは遠い夢。ヴィヴィアン・ウエストウッドが家族に囲まれて静かに息を引き取ったことを知らせる公式アカウントには「ヴィヴィアンは自分をタオイストだと考えていた」と綴られている。イギリスはニューエイジ大国なので驚くまいとは思うけれど、ここへ来て最後にタオイストというのは与謝野晶子のアナーキズム擁護に通じる空想性を想起させ、あんまり聞きたくなかったなとは思う。ヴィヴィアン・ウエストウッドの真骨頂はやはり力が漲るデザイン力であり、無為自然という意味でのアナーキズムではなく、大胆に布をカットするように制度として立ちはだかる壁を突破しようとする実行力に直結させたことだと思うから。またひとつパンクの星が消えてしまった。R.I.P.

interview with Dry Cleaning - ele-king

 『Stumpwork』というのはおかしな言葉だ。口にしてみてもおかしいし、その意味を紐解くのに分解してみると、さらに厄介になる。「Stump(=切り株)」とは、壊れたものや不完全なもの、つまり枯れた木の跡や、切断された枝があった場所を指す。そして、そこに労働力(= work)を加えるのは奇妙な感じがする。

 「Stumpwork」とは、糸や、さまざまな素材を重ねて、型押し模様を作り、立体的な奥行きを出す刺繍の一種で、もしかしたら、そこにドライ・クリーニングの濃密で複雑なテクスチャーの音楽とのつながりを見い出すことができるかもしれない。しかし、まず第一に、この言葉が感覚的に奇妙でおかしな言葉であることを忘れないでいよう。

 フローレンス・ショウは、いま、英語という言語を扱う作詞家のなかでもっとも興味深い人物の一人であり、面白くて示唆に富む表現に関しての傑出した直感の持ち主である。アルバム・タイトルでもそうだが、彼女は言葉の持つ本質的な響きというテクスチャーに一種の喜びを感じているようだ。“Kwenchy Kups”という曲では、歌詞の「otters(発音:オターズ)」という単語で、「t」を強調し、後に続く母音を引きずっているのが、音楽らしいとも言えるし、ひそかにコミカルとも言える。また、「dog sledge(*1)」、「shrunking(*2)」、「let's eat pancake(*3)」といった言葉や表現には、「あれ?」と思うくらいのズレがあるが、言語的な常識からすると、訳がわからないほど逸脱しているわけではなく、ちょっとした間違いや、型にとらわれない表現の違和感を常に楽しんでいることがうかがえる。このような遊び心あふれるテクスチャーは、「Leaping gazelles and a canister of butane (跳びはねるガゼルの群れと、ブタンガスのカセットボンベ)」のような、幻想的なものと俗なものを並列させる彼女の感性にも常に息づいている。ドライ・クリーニングの歌詞は、物語をつなぎとめる組織体が剥ぎ取られ、細部と色彩だけが残された話のように展開する。何十もの声のコラージュが、エモーショナルで印象主義的な絵画へと発展していくのだ。

*1: 正しくはdog sled(=犬ぞり)。「Sledge」はイギリス英語で「そり」なので、dogと合体してしまっているが、dog sledが正確には正しい。
*2: 正しくはshrinking(=収縮)。過去形はshrank、過去分詞はshrunk、現在進行形はshrinkingでshrunkingという言葉は存在しない。動詞の活用ミス。
*3: 正しくはLet’s eat a pancakeもしくはLet’s eat (some) pancakes。文法ミス。冠詞が入っていないだけだが、カタコト風な英語に聞こえる。

 音楽性において『Stumpwork』は、彼らの2021年のデビュー作『New Long Leg』(これも素晴らしい)よりも広範で豊かなパレットを露わにしている。ドライ・クリーニングのサウンドは、しばしばポスト・パンクという伸縮性のある言葉で特徴付けられ、トム・ダウズの表情豊かなギターワークからは、ワイヤーの尖った音や、フェルトやザ・ドゥルッティ・コラムの類音反復音を彷彿とさせるような要素を聴くことができるが、彼は今回それをさらに押し進めて、不気味で酔っ払ったようなディストーションやアンビエントの濁りへと歪ませている。ベーシストのルイス・メイナード、ドラマーのニック・バクストンは、パンクやインディの枠組みを超えたアイデアやダイナミクスを取り入れた、精妙かつ想像力豊かなリズムセクションを形成している。オープニング・トラックの“Anna Calls From The Arctic”では、まるでシティ・ポップのような心地よいシンセが出迎えてくれるし、アルバム全体を通して、予想外かつ斜め上のアレンジが我々を優しくリードしてくれる。このアルバムは、聴く人の注意を強烈に引きつけるようなものではなく、煌めくカラーパレットに溶け込んでいく方が近いと言えるだろう。

 だがこの作品は抽象的なものではない。現実は、タペストリーに縫い込まれたイメージの断片に常に存在するし、自然な会話の表現の癖を捉えるショウの耳にも、そして彼女の蛇行するナレーションとごく自然に会話を交わすようなバンドの音楽性とアレンジにも存在している。ある意味、このアルバムはより楽観的な感じがあって、人と人がつながる幸せな瞬間や、日常生活のささやかな喜びに焦点を当てているのだが、やはり、フローレンスの歌い方は相も変わらず、不満げで、擦れた感じがある。イギリスの混乱した政治状況は、曲のタイトル“Conservative Hell”に顕著に表れているのだが、私は、とりわけ混乱した状況の最中にトムとルイスと落ち合うことになった。イギリス女王は数週間前に埋葬されたばかりで、リズ・トラス首相の非現実的な残酷さが、ボリス・ジョンソンのぼろぼろな残酷さに取って代わったばかりで、リシ・スナックの空っぽで生気のない残酷さにはまだ至っていないという状況だった。

 3年ぶりにイギリスを訪れた私は、いきなりこんな質問で切り出した。

最近のイギリスでの暮らしはどのような感じですか?

トム:ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。まあ、良い点としては、次の選挙で保守党が落選することだろう。デメリットは、保守党落選まで、俺たちは、彼らが掲げる馬鹿げた政策に付き合わなければならないってことだね。

ルイス:うちの妹みたいに政治に全く興味のない人でも、「ショックー! マジでクソ高い!」って言ってるんだ。 請求書や食料の買い出しなど、いまは本当にキツイ状況になってる。

トム:まさにその通りだね。もし次の選挙で負けたいなら、国民の住宅ローンをメチャクチャにしてやればいい!


by Ben Rayner(左から取材に答えてくれたギターのトム、中央にベースのルイス、そしてヴォーカルのフローレンスにドラムのニック)

ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。

私の家族も同じようなことを言っていますよ。さて、この話題をどうやって新しいアルバムにつなげようかな......(一同笑)。先ほど、普段通りの生活をしながらも、現在の状況が断片的に滲み出てきているとおっしゃっていましたね。もしイギリスの政治情勢がアルバムに影響を与えているとしたら、それは日常生活のなかに感じられる、そういったささやかな断片なのだと思います。例えば、ある曲でフローレンスは「Everything’s expensive…(何から何まで物価は高いし...)」と言っていますよね。

トム: 「Nothing works(何をやっても駄目)」そうなんだよ。俺たちがフローの歌詞についてコメントするのはなかなか難しいんだけど、彼女は、ひとつのテーマについて曲を書くということは絶対にしない人なんだ。彼女の曲を聴いていると、脳の働き方がイメージできる。俺は以前、自転車に乗っていて車に轢かれたことがあるんだが、気絶する直前、不思議なことがいろいろと頭に浮かんできたんだ。でも、さっき俺が言った「いままでと同じような感じで進んでいる」というのは、「いままでと同じような感じで進んでいるけど、すごく抑圧的な空気が影に潜んでいる」という意味なんだ。それでも仕事に行かないといけないし、請求書も払わないといけないし、日常のことはすべてやらないといけない。ただ、政治情勢がね……俺たちは12年間この状況にいたわけで、少しでも好奇心や観察力がある人なら、その影響を受けていると思うよ。

ルイス:俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

(ドライ・クリーニングの音楽を)聴いていると、何かの断片が自分を通り越していくような感じがするんです。

トム:でも、ランダムってわけじゃない。彼女は、歌詞を一行書くと、次は、逆の内容を書くという性分みたいなものがあると思う。響き的にも、テクスチャー的にも、コンセプト的にも、まったく違うものを書くんだよ。例えば、絵を描くときに、すべての要素がうまく調和するようにバランスをとっているような感じかもしれない。

ルイス:俺たちが自分たちのパートを演奏することで彼女の歌詞に反応するという、会話みたいなことをたくさんやっているんだ。

(アルバムには)日常生活の断片のような一面もあるので、自分たちでアルバムを聴いていて「あ、この会話覚えてる……」と思ったりすることはあるんですか?

トム:ああ、たしかに俺たちの言ったこととか、自分がいた場で友だちが言ったこととかが、歌詞に入ってるよ。

ルイス:俺たちの演奏と同じように、彼女も即興で歌詞を書くことが多いし、あらかじめ考えたアイディアも持っている。バンドで演奏しているときは、その場の音がかなりうるさいから、ヴォーカルだけ別録りして、フローが言ったことを自分で聴き返せるようにしたんだ。今回のアルバムでは、ファーストよりも、レコーディングのプロセスで歌詞を変えていたことが多かったみたいだけど、それほど大きな違いはなかったと思う。

トム:それは、スタジオでの即興をたくさんやったからということもある。でも、だいたいの場合、フローは俺たちが曲を作り始めるタイミングと同じ時に作詞をはじめるんだ。曲を書きはじめる時はみんなで集まって、ルイスが言っていたように、フローがやっている何かが、俺たちのやっていること、つまりサウンドに影響することがよくあるんだよ。“Gary Ashby”を作曲しているときは、フローが、行方不明になった亀について歌っていると知った時点で、こちらの演奏方法が変わった。フローが言っていることをうまく強調する方法を探したり、フローの歌詞をもっと魅力的にできるように、もっとメランコリックにできるように工夫する。以前なら使わなかったマイナーコードなどを使うかもしれない。音楽を全部作った後に、彼女が別の場所で歌詞を書くということはめったにないよ。もっとオーガニックな形でやってるんだ。

ルイス:俺たちは、他のメンバーへの反応と同じような方法で、フローにも反応する。俺がドラムに反応するのと同じように、彼女のヴォーカルにも反応するし、その逆もしかり。(フローの声は)同じ空間にある、別の楽器なんだ。

初期のEPや、特に前作と比べて、(作曲の)アプローチはどのように変化したのでしょうか?

トム:作曲のやり方はいまでも変わらないよ。基本的にみんなでジャムして作曲するんだ。

ルイス:携帯電話でデモを録ることが多いね。みんなでジャムしていて、「これはいい感じだな」と思ったら、誰かが携帯電話を使って録音しはじめる。そして、翌週にその音源で作業することもあれば、半年間放置されていて、誰かが「そういえば、半年前のジャムはなかなか良かったよな」って思い出すこともある。ほとんどの曲はそんな始まり方だよ。今回はスタジオにいる時間が長く取れたから、意図的に、曲が完成されていない状態でスタジオに入ったんだ。

トム:そう、アプローチの違いは、基本的に時間がもっと使えたということ。前回は2週間しかなくて、なるべく早く仕上げないといけなかった。

ルイス:それに、ファースト・アルバムのときは、事前にツアーをやっていたから、レコーディングする前にライヴで演奏していた曲もあったんだ。今回は、ツアーができなかったから、アルバムをレコーディングし終わって、いまはアルバムの曲を練習しているところなんだ。

なるほど。曲を作曲している段階で、観客の存在がなかったということが、この作品のプロセスにどのような影響を与えたのか気になっていました。

トム: 実際に曲をライヴで演奏して試してみないとわからないから、何とも言えないね。その状況を受け入れるしかなかったよ。ライヴで曲を演奏することができなかったから、自分たちがいいと思うようなアルバムを作ることにしたのさ。

ルイス:(自分たちの曲を)聴くってことが大事だと思う。スタジオでは、また違った感じで音が録音されるから。スタジオで実験できるのはとてもいいことだし、俺たちの曲作りのプロセスには聴き返すという部分が多く含まれている、ジャムを聴き返すとかね。もし俺たちがレコーディングして、それを聴き直して編集するという作業をしていなかったら、ほとんどの曲は、演奏していて一番楽しいものがベースになるだろうけど、実際はほとんどそうならない。聴き返すということをちゃんとしているから。ライヴで演奏できなかったけれど、結局、同じようなことが起こったと思う。つまり、何が演奏して楽しいかよりも、何が良い音として聴こえるか、ということに重きが置かれることになるんだ。

トム:それと、1枚目のアルバムで学んだのは、あるひとつの方法でレコーディングしたからといって、必ずしもそれがライヴで再現される必要はないということ。だから、今回のアルバムをいまになって、またおさらいしているんだ。アルバムには絶対に入れるべき要素もあるけれど、また作り直していいものもある。『New Long Leg』のツアーでは、“Her Hippo”と“More Big Birds”に、新しいパートを加えたり、尺を長くしたりしていたから、この2曲は(アルバムヴァージョンより)少し違う曲になったんだ。

ルイス:偶然にそうなるときもあるよね。ツアーを通して、曲が自然に進化していくこともある。

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俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

今回のアルバムを聴いていてしばしば感じたことなのですが、曲が自然な形で完結し、これで終わりかなと思ったらまた戻ってきて、それが時にはそれまでとは全く違う感じになっているということがありました。それも、スタジオで色々と作業する時間が増えたからなのでしょうか?

トム:それにはいくつかの要因があると思う。まず、“Every Day Carry”を作ったときは、初めてスタジオで三つのパートを作って、そのなかでも即興演奏を加えたりした。“Conservative Hell”のときは、曲の最後の部分は、曲の最初の部分を完成させてから、何かが足りないと感じていたところに、ジョン(・パリッシュ、プロデューサー)が、何か作り上げようという気にさせてくれたから、出来たものなんだ。

ルイス:ファースト・アルバムでは、ジョンは曲を短くするのがとても上手だったけど、“Every Day Carry”では曲を伸ばそうという意図があった。ジョンにとっても、そのプロセスが実は楽しかったみたいだ。セカンド・アルバムのときも、ジョンはまた曲を短くするんだろうと覚悟していたんだけど、彼はもっと曲を伸ばそうとしていた。長くするのを楽しんでいたみたいだった。「曲は長い方がいいんだ!」とか言って。ジョンが曲を長くしてくれたことに、俺たちは驚きだったよ。

プロデューサーのジョン・パリッシュのことですね?

ルイス:そう。

ジョン・パリッシュは、私の地元ブリストル近辺の出身なんです。彼は、私が大好きなアルバム、ブリリアント・コーナーズの『Joy Ride』をプロデュースしたんですよ……(一同笑)。彼が他にも、さらに有名なアルバムを手がけているのは知っていますけど、私はとにかくブリリアント・コーナーズが大好きなんですよね。

トム:それがジョンのいいところだよね。自慢話をするような人ではないし、あまり有名人の名前を出したりしないんだけど、一緒に夕食をとっているときに、何か言ったりする。ジョンがトレイシー・チャップマンのレコードを手がけたって言うから、俺は「何だって!?」と思ったよ。彼にはそういうエピソードがあるんだけど、それは自然に彼から引き出さないといけないんだ。

ジョンとの制作は2回目ということで、親しみもあり、リラックスした雰囲気で仕事ができたのでしょうか?

トム:そうだね、それにはいくつかの理由があると思う。まず、自分たちの状態が安定していたということ。『New Long Leg』が好評だったことも自信につながったし、あの時点では、もっと大規模な公演にも出ていたから、とにかく気持ちが楽だったんだ。最初のアルバムでは、テイクを重ねながら、「これは絶対に素晴らしいものにしないといけないから、俺は全力を尽くさねば!」なんて思っていたんだけど、実際には、そんなこと思わなくていいんだと後で気づいた。アルバムを制作するということはとても複雑なことで、本当に数多くの段階があるから、ミキシングとマスタリングが終わる頃には、自分がそもそも何をしようとしていたのかさえ、すっかり忘れているんだ。だから、今回のアルバムでは、ある意味、ありのままを受け入れた。良いテイクを撮ろうとはするけれど、ジョンが満足すれば、次の作業に移るということをしていた。

ルイス:それにファースト・アルバムでは、ジョンと会った直後にレコーディングしたんだ。彼に会って、ほんの数時間で“Unsmart Lady”を録音して、次の曲に移って、また次の曲に移ってという感じ。バンドとして演奏する時間があまりなかったんだ。

トム:そうそう、それに前回は、彼が「それは嫌だから、変えて」とか言うもんだから、耐性のない俺たちにはショックだったよな(笑)。

ルイス:そうそう、で、トムは「え、今からですか?」ってなってたよね。前回は、日曜日に休みが1日だけあって、土曜日にジョンに「それは嫌だから、明日の休みの日の間に変えてくれ。では、月曜日に!」って言われたんだ。

トム:でも、前回のセッションが終わるころには、俺たちはすっかり溶け込んでいた。ジョンの仕事の仕方が気に入ったし、彼のコメントを個人的に受け止めなくていいってことが分かった。それに俺たちの自信もついたし、バンドとして少したくましくなったから、彼のコメントにもうまく対処できるようになった。だから、2枚目のアルバムでは、もしジョンが何かを違う風にやってみろと言ったら、俺たちは素直に違うやり方を模索した。

ルイス:それに、今回は音源に何か変更を加えるためにスタジオ入りしたという感じもある。最初のアルバムでは、多くの曲を既にライヴで演奏していたから、みんな自分のパートやアイデアに固執してしまっていて、それを変えるのは難しかった。でも今回は、もっとオープンな気持ちで臨んだんだ。

今回のアルバムは、ファースト・アルバムに比べて音の質感がかなり広がった感じがあります。それは自然にそうなったのでしょうか、それとも何か意識的に音を広げる要素があったのでしょうか?

トム:俺たちの音楽の好みが広いから、そうなることは自然だと思うんだよね。もし、もっと時間があれば、俺はアンビエント系のプロジェクトをやりたいと思うし、ルイスと一緒にメタル・バンドをやりたいとか、いつも思うんだよ。ニックはきっと何らかのダンス・ミュージックをやるだろうな。

ルイス:ドライ・クリーニングは、そうしたすべてのアイデアをさまざまな方向にうまく展開させた、素敵なコラボレーションなんだ。

トム:ルイスが1枚目のアルバムから今回のアルバムへの移行を説明したように、1枚目のアルバムでは、様々な方向に進むための余白がほとんど残っていなかった。2枚目のアルバムでは、そこから少し先に進めたという感じ。そして、もし次のアルバムを作る機会があれば、できれば3枚目のアルバムでは、さらにそれを発展させたいと考えているんだ。いろいろな道を模索していきたいと思っている。だから、もう少しアンビエントな方向に行きそうなときでも、「いや、こういう音楽は作りたくない」とはならずに、その流れに乗ることができるんだ。俺たちは、すでにそういう音楽が好きだからね。

ルイス:それに、スタジオで何ができるかということもいろいろと学んでいる。最初のEPはデモみたいなもので、2、3時間でレコーディングした。スタジオで演奏する時間があまりないから、リハーサルルームでいい感じに聴こえたものを、自分のパートとして書き留めていくような感じだった。2枚目のアルバムでは、スタジオ用に曲を書いていたという意識が強かった。曲を書いていて、トムが「この上に12弦ギターを乗せるべきだ!」などと言い出したりね。キーボードのパートがあったとしたら、ニックが静かに演奏しながら「アルバムではもっと大音量にするけど、こうやって弾くとすごくいい音になるんだよ」と言ったりね。そういう実験がもっとできるようになったんだ。

そのアンビエントな感じがもっとも顕著に表れているのが“Liberty Log”ではないかと思いますが、スポークン・ワードが大部分を占める曲のために作曲することというのは、従来のポップ・ソングのヴァース、コーラス、バースという構成に比べて、別のやり方で音楽を構成していくことになるのではないかと思うのですが。

ルイス:メンバーの誰かが「じゃあ、そろそろコーラスを演奏してみるか?」と言うんだけど、他のメンバーが「どれがコーラスなの?」って聞き返すことが何度もあったよ。

トム:そうそう、「どれがコーラス?」って。

ルイス:それで、どこがでコーラスなのか、みんなで決めるんだよ。

トム:それは実は良い傾向だと思うんだ。俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。たしかにミュージシャンとして、いろいろなものを取り入れる余地が与えられているように感じられるね。“Hot Penny Day”を書きはじめたとき、俺が最初にメイン・リフを書いたんだが、それは、『山羊の頭のスープ』時代のローリング・ストーンズみたいなサウンドに聴こえたんだけど...。

ルイス:誰かが、それをぶち壊したんだよ!

トム:それをルイスに聴かせて、一緒に演奏し始めたら、スリープみたいなストーナー・ロックみたいなものに変わり始めて、よりグルーヴィーになったんだ。

ルイス:そこにフローが加わると、一気にドライ・クリーニングのサウンドになるんだ。彼女の声や表現が、俺たちの音楽に幅を与えてくれていると思う。

トム:ミュージシャンとして、このメンバーと5年間一緒に仕事をしてきて、みんなそれぞれ、音のモチーフがあると思うんだ。ルイスだとわかる音があり、ニックだとわかる音があり、彼らにも俺だとわかる音がある。でもフローは間違いなくドライ・クリーニングという世界で、すべてを錨のように固定して、支えている存在なんだ。

by Ben Rayner

俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。

あなたがたが過去に活動していたバンド、サンパレイユとラ・シャークの作品を聴いていたのですが、例えばサンパレイユは一見パンク・バンドですが、わかりやすいパンク・バンドではないし、ラ・シャークは少しインディ・ポップ・バンドっぽいですが、これまたわかりやすいバンドではないように感じます。常に予期せぬ角度から攻めている気がするんです。

トム:俺たちが過去にいたバンドをチェックしてくれたのはすごく嬉しいよ! ドライ・クリーニングを理解するには、俺たちが過去にやってきたことがルーツになっていると思うからね。あなたが言う通り、俺たちは音楽の趣味が広い。俺が最初に経験した音楽はパンクやハードコアのバンドだったけど、スタイル的にかなり限界があると思っていたんだ。速い音楽のカタルシスも好きなんだけど、REMのメロディも好きなんだよ。ラ・シャーク(の演奏)は何度か見たことがあるけど、彼らは、明らかに歪んだ感じのポップ・バンドだったけど、後期の作品はインストゥルメンタルなファンカデリックのようなサウンドだったんだ。そんなわけだから、自分たちのいままでの影響をすべてひとつのバンドに集約するには時間が足りないんだよ。

ルイス:俺は運転中に、ふたつのバンドを組み合わせたらどうなるかっていう妄想をいろいろするんだけど、トムやニックやフローに会ったときに、そのアイデアを話すんだ。すると、彼らは「それ、やってみようよ!」と言ってくれる。で、やってみると、やっぱりドライ・クリーニングになるんだよね。ニュー・アルバムからフローのヴォーカルを抜いたら、いろんなジャンルに落とし込めそうな素材がたくさんあると思う。

フローレンスはすべての中心にいて、バンドのアイデンティティを束ねているとのことですが、同時に、彼女は少し離れているようなところもありますよね。新作では、ミックスの仕方だと思うのですが、以前よりもさらに、バンドがどこかひとつの場所で演奏しているように聴こえるのに、彼女のヴォーカルが入ってくると、まるで彼女が耳元で歌っているように聴こえるんです。まるで、自分がステージ上のバンドを観ているときに女性が耳元で囁いているような。

ルイス:それを聞いて、フローがバンドに入った経緯を思い出したよ。たしか、トムがバンド(の音楽)を演奏していたときに、フローがそれにかぶせるようにしゃべったのがはじまりだったね。

トム:俺たちは一緒にヴィジュアル・アートを学んでいて、当時は二人とも漫画の制作をしていて、その話をするために会ったんだ。彼女が「最近は他に何してるの?」と聞いてきたから、「ルイスとニックとジャムしはじめたよ」と答えた。そのときにちょうどデモがいくつかあったから、彼女に聴いてもらった。彼女はイヤホンを取り外して、「ふーん、面白いわね」と言って、喋りを再開したんだけど、まだイヤホンから音が出ていて、音楽が聴こえてきて、彼女の声がそれにかぶさっていた。ジョンが俺たちのバンドのことで一番興味があるのは、どうやってフローの声をミックスするかと言うことだと思うんだ。このアルバムでは、彼女の息づかいがかなり感じられるようになっている。フローはとても繊細なパフォーマーだから、彼女がするちょっとした仕草、例えば舌の動きとか、そういったごく小さな音も、ジョンは確実に取り込もうとする。このことについて、ジョンがインタヴューで語っているのを読んだことがあるけど、彼女がやっていることすべてを聴かなければならないと言っていた。それが第一で、それをベースにしてミックスを構築して、バンドの音を加えているんだ。

ルイス:レコーディングの時はいつも彼女も同席して、同時に彼女のトラックも撮る。スタジオには、隔離された部屋がいくつもあるから、俺のアンプは1つの部離すためにかなりの工夫がされているから、バンドの音の影響をあまり受けないようになっているんだ。トムが言ったように、ジョンはその点にかなり重点を置いている。

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The texture of broken things

by Ian F. Martin

Stumpwork is a funny word. It feels funny in your mouth, and it only gets more awkward once you start breaking it down to untangle its meaning. A stump is a broken or incomplete thing — the remains of a dead tree or the place where an amputated limb used to attach — and it seems like a strange thing to dedicate one’s labour toward.

It refers to a form of embroidery where threads or other materials are layered to create an embossed, textured pattern, giving a feeling of three dimensional depth to the image, and perhaps in this we can reach out and contrive a connection with the increasingly rich and intricately textured music of Dry Cleaning. But we shouldn’t forget that it’s first and foremost a viscerally strange and funny word.

Florence Shaw is one of the most interesting lyricists in the English language right now, and she has a remarkable instinct for interesting and evocative phrasing. Just as with the title itself, she seems to take a sort of joy in the inherent sonic texture of a word — the way she hangs on the hard t and trailing vowels of the word “otters” in the song Kwenchy Kups is both musical and quietly comical. There’s a constant delight in the awkwardness of small errors and unconventional phrasings that reveals itself in words and expressions like “dog sledge”, “shrunking” and “let’s eat pancake” that deviate disconcertingly but never incomprehensibly from linguistic norms. This playful texture is also ever-present in her instinct for juxtaposing the magical and the mundane that results in lines like, “Leaping gazelles and a canister of butane”. Dry Cleaning’s lyrics play out like a story where the connecting tissue of narrative has been stripped out, leaving only the details and colour — a collage of dozens of voices that adds up to an impressionistic emotional tableau.

Musically, Stumpwork reveals a broader, richer palette than the band’s (also excellent) 2021 debut full-length New Long Leg. The band’s sound has often been characterised with the elastic term post-punk, and you can hear elements that recall the choppy angles of Wire or the chiming sounds of Felt and Durutti Column in Tom Dowse’s expressive guitar work, but he takes it further this time, twisting it into queasy, drunken distortions or ambient haze. Bassist Lewis Maynard and drummer Nick Buxton make for a subtle and imaginative rhythm section that brings in ideas and dynamics from beyond punk and indie tradition. Smooth washes of almost city pop synth welcome you into opening track Anna Calls From The Arctic, and unexpected and oblique arrangements pull you gently one way and another throughout the album. It’s not an album possessed of an urgent need to grab your attention so much as a shimmering palette of colours to melt into.

It’s not an as disaffected and worn as ever. Britain’s confused political situation filters through, most explicitly in the song title Conservative Hell, and I catch up with Tom and Lewis in the middle of a particularly chaotic moment. The Queen has just been buried a couple of weeks prior, and the delusional cruelty of prime minister Liz Truss has recently replaced the ramshackle cruelty of Boris Johnson, but not quite yet given way to the vacant, lifeless cruelty of Rishi Sunak.

It’s been three years since I last had a chance to visit the UK, so I open with a big question.

IAN: So what’s it like living in Britain these days?

TOM: If you look at the news, it’s a living nightmare. Beyond that, though, things just carry on kind of as they were before, really. One thing that I think has happened now with the new prime minister is that this is the nadir: this is the endgame of Conservative politics. We’ve had twelve years of austerity and no growth, and even high ranking MPs are sort of admitting that they need to be an opposition party now. So one good thing about that is that the Conservatives are going to get voted out in the next election. The downside is that until that happens, we have to live with the stupid policies they have.

LEWIS:Even someone like my sister, who totally ignores it, even she’s like, “It’s shocking; it’s really fucking expensive!” — the bills, the food shopping, it’s getting really tough now.

T:That’s a really good point. If you want to lose the next election, fuck with people’s mortgages!

I:I’m hearing similar things from my family too, yeah. So seeing if I can segue this into the new album… (everyone laughs) What you were saying earlier about life going on as normal but with little pieces of the situation coming through, it feels like if the political situation in the UK informs the album, it’s in these little fragments filtering through normal life, like at one point Florence just remarks, “Everything’s expensive…”

T:“Nothing works.” Yeah, it’s quite difficult for us to comment on Flo’s lyrics, but she’s definitely the kind of person who wouldn’t make a song about one subject. Her songs remind me of the way your brain works. I remember being hit by a car on my bike once, and on the edge of the void there’s all sorts of strange things that come to your mind. But I should clarify what I said earlier about how everyone’s just getting on with things: everyone’s just getting on with things but under a very oppressive shadow. You still have to go to work, you still have to pay your bills, you still have to do all the normal things, it’s just that the political climate — we’ve been under this for twelve years, and if you’re an even slightly curious or observant person, it’s going to affect you.

L:We write together in the room at the same time, and she’ll have a stack of papers which will have lyrics that she’s written and will sort of combine and join together, and there’s lots of circling that and dragging it to that, making almost a collage where lots of different ideas come together.

I:When I’m listening, it feels like fragments of something flowing past me.

T:It’s not random though. When she writes a line, she has the sort of temperament to write the opposite line next — something completely different tonally, texturally, conceptually. It’s almost like when you’re making a painting or something, you’re trying to balance all the elements so it works nicely.

L:There’s a lot of reacting to us in the room playing our parts and us reacting to her, like a conversation.

I:There’s such an aspect of fragments of daily life to it and I wonder if there’s ever a sense where you’ll be listening to it and think, “Oh, I remember that conversation…”

T:Oh, there’s definitely things that we’ve said or things that friends have said when I was there and they’re in the lyrics.

L:And like ourselves, she improvises a lot when writing her lyrics as well as having some pre-formed ideas. We’ve had to get better at finding ways to record because the room’s quite loud when we’re playing, so a lot of times we’ll separately record the vocals so she can hear back what she said. I think on this record the lyrics changed more when it came to recording than on the first record, but not a huge amount.

T:That was partly because we improvised quite a lot of stuff in the studio. But generally, Flo will start at the same time we start writing the song. We’re all there at the start of it, and like Lewis says, a lot of the time there’s something Flo is doing that informs how we’re doing our thing as well — tonally, if that makes sense. When we were writing Gary Ashby, when I found out she was singing a song about a tortoise that’s gone missing, it changes the way you play; you find ways of punctuating what she’s saying, making it more charming or melancholy, you might use a minor chord or something that you wouldn’t have done before. It’s rare that we’ll write a whole song and then she’ll go away and write all the lyrics — that never happens, and it’s a more organic thing.

L:We’ll react to her in the same way we react to each other. I’ll react to the drums in the same way I react to the drums and the guitar, and vice versa. It’s another instrument in the room.

I:How has the approach changed, since the early EPs and the last album in particular?

T:We still write in the same way. We write by basically just jamming together.

L:There’s a lot of phone demos. We’ll be having a jam, think “This sounds OK” and someone just clicks on their phone and starts recording, and then sometimes we’ll work on it the next week or sometimes it’ll get lost for six months and someone will be like, “Hey, that jam from six months ago was quite good.” That’s how almost everything starts. This time, because we had more time in the studio, we intentionally went in with ideas less finished.

T:Yeah, the change in approach was basically that we got more time. Before we had two weeks to get it down as quickly as possible.

L:Also, with the first record, we were doing some tours beforehand, so we were playing some of that record live before we recorded it. This time we didn’t get a chance to do that: we recorded it and now we’re in the process of learning it.

I:Right, and I was wondering how not having the constant physical presence of the audience while you were developing the songs affected the process on this one.

T: It’s hard to say really, because without actually road testing the song, you never know. We just embraced it really: we couldn’t play live, so we just write the album the way we wanted to.

L:It comes down to listening, because things get captured differently in the studio as well. It’s quite nice to be able to try something in the studio and a lot of our writing process comes down to listening — like listening back to jams. It’s a nice way of doing it, because if we weren’t recording and listening back and editing from there, a lot of our songs would be based on what was the most fun to play, but that rarely happens because it’s all about listening. And I think that happens as well with not being able to play it live: it’s less about what’s fun to play and more about what sounds good.

T:I think also we learned from the first record that just because you’ve recorded a song one way, that’s not necessarily how it has to be live again, so that’s why we’re sort of relearning the album now. There’s things on the album that definitely need to be on there, but there’s also things that we can just make up again.Touring New Long Leg, there’s Her Hippo and More Big Birds where they just changed and became slightly different songs — added a new part to them, made them longer.

L:Sometimes by accident as well. Sometimes they kind of naturally evolve through a tour.

I:One thing that happens a few times on the new album is that a song will work its way to a natural sounding conclusion, I’ll think it’s ended, but then it will come back and sometimes as something quite different from what it was before. Was that something that came out of having more time to play around in the studio?

T:I think there’s several factors there. First, when we did Every Day Carry, that was the first time we did that in the studio, literally making three parts and kind of improvising some of them. When we did Conservative Hell, that whole last section of that song really came from the first part of the song down and feeling like there was something missing, and John (Parish, producer) was very good at motivating us to just go and make something up.

L:On the first album, John was quite good at making songs snappy, but with Every Day Carry we sort of extended it — and I think he quite enjoyed that process. When it came to the second album, we were kind of prepared for him to make things shorter again, but he seemed to extend stuff more. i think he kind of enjoys it, like, “It’s good when it’s longer!” He surprised us quite a lot by extending songs.

I:That’s John Parish, your producer, right?

L:Yeah.

I:He’s from around my hometown in Bristol. He produced one of my favourite albums, Joy Ride by The Brilliant Corners… (everyone laughs) I know he’s done way more famous albums than that, but they’re one of my favourite bands!

T:That’s one of the great things about John: he’s not the kind of person to brag about things or he doesn’t namedrop much, but when you’re having dinner, he’ll say something — he told me he did a Tracy Chapman record, and I was like, “What!?” He’ll have these stories, but you have to get it out of him naturally.

I:Was it more relaxing working with him this second time, with the familiarity?

T:I think in several ways. Firstly, we were more comfortable, just in ourselves; we’d been doing it longer and had more confidence. The fact New Long Leg did well gave us confidence, we’d played bigger shows by that point, and we were just feeling comfortable. I remember doing takes on the first record and feeling, “This has to be amazing, I have to give this everything!” and then you realise you don’t. Making an album is so complicated, there’s so many layers to it that by the time it’s mixed and mastered, you’ve completely forgotten what it was you were trying to do. So definitely on this one we sort of accepted things the way they were; you try to get a good take, if John’s happy, you move on to the next thing.

L:With the first one as well, we recorded it so quickly with John. We met him and within a few hours, we’d tracked Unsmart Lady, then we moved on to the next one and moved on to the next one. We didn’t have time to play so much.

T:Yeah. And it was a bit of a shock to the system last time when he would say things like, “I don’t like that. Change it.” (laughs)

L:And you’d be like, “Uh… now?” We had one day off last time, on the Sunday, and on Saturday, he was like, “I don’t like that. Change that tomorrow on your day off. See you Monday!”

T:But by the time we got to the end of that session, we were really onboard with it. We liked the way he worked and you just don’t take it personally. Because you’re more confident, a bit more robust, you can deal with it a bit better — you expect it and you welcome it. So with the second record, if he says to go and do something differently, that’s what you’re looking for.

L:And we’d go into the studio looking for things to change. With the first record, we’d been playing a lot of those songs live, so maybe people were a bit more fixed on their parts and their ideas, so that’s harder to change. This one was a bit more open to change.

I:The sonic texture of this album feels a lot broader than the first one. Did that come naturally, or was there some sort of conscious element to expanding the sound?

T:I think it’s natural in the sense that our listening tastes are so broad. I often feel that if I had more time, I’d do some kind of ambient project, or me and Lewis could do a metal band together. For sure Nick would do some kind of dance music, wouldn’t he?

L:And Dry Cleaning’s a nice collaboration of all those ideas pulling nicely in different directions.

T:The way Lewis described the transition from the first record to this one, it’s like the first record left little markers down for different directions to go in and on the second record we take them all a little bit further. And then hopefully on the third one if we get the opportunity to do another one, we’ll take it even further. It’s all about exploring different avenues. So when things seem to go a little more ambient, we’re already into that kind of music and we’ll go with it as opposed to being sort of, “Oh, I don’t want to make that kind of music.”

L:We’re learning more about what we can do in the studio as well. The first EP was really like a demo, recorded in a couple of hours. You don’t get much time to play in the studio, so you sort of write your parts for what sounds good in the rehearsal room. Writing the second record, we were writing for the studio more. We’d be writing a song and Tom would go, “There should be a twelve string on top of this!” There’d be a keyboard part here, or Nick would be playing really quietly and saying “On the record it’s going to be really big but it just sounds good the way I’m hitting it like this.” You get to experiment more like that.

I:I suppose it’s on Liberty Log where that almost ambient feeling is most pronounced, and I was wondering if writing for what’s mostly spoken word lends itself to a different way of structuring music compared to the traditional pop song structure of verse-chorus-verse-chorus.

L:There were a lot of times where one of us would say, “Should we do the chorus now?” and then we’d be like, “Which one’s the chorus?”

T:Yeah, “What’s the chorus?”

L:And we’d all have to agree on what’s the chorus.

T:Which I think was a good sign, actually. It shows how we’re all thinking in different ways but music is getting done. I think I agree: Lewis has said before in other interviews that one of the strengths of our identity is you have Flo in the middle of everything, and her voice anchors you, and certainly as a musician it feels that you’re given a lot of room to chuck things in. When we first started writing Hot Penny Day, initially when I wrote the main riff it sounded like Goats Head Soup-era The Rolling Stones to me…

L:And then someone fucked it up!

T:And then when I showed it to Lewis and we started playing it together, it started turning into something more like Sleep or stoner rock — made it more groovy.

L:And then Flo gets involved and it instantly sounds like Dry Cleaning. I think her voice and her delivery gives us a lot of scope.

T:I mean, as musicians, having worked with these guys for five years, I think we all have our own sonic motifs — I can tell it’s Lewis, I can tell it’s Nick, they can tell it’s me — but Flo definitely anchors things in Dry Cleaning world.

I:I was angles.

T:I’m really glad you checked our previous bands! I think if you want to understand Dry Cleaning, it has roots in what we’ve done in the past. Like you say, because we’ve got broad music taste, my first experiences in music were in punk and hardcore bands but I did find them stylistically quite limiting. I like the catharsis of fast music, but I also like the melody of REM. I remember seeing La Shark a few times and it was clearly a sort of skewed pop band but their later stuff sounded like instrumental Funkadelic, so it’s almost like there isn’t enough time to put all your influences into one band.

L:I’ll be driving and have little fantasies about combining two bands, and then I’ll meet up with Tom or Nick or Flo and I’ll say that, and they’ll be like, “We should do that!” And once again, it’s still Dry Cleaning. If you took Flo’s vocals off the new album, there’s so many different genres you could put stuff into.

I:You say Florence is in the centre of it all, holding the identity of the band together, but at the same time, she’s also a little bit separate from it in some ways. On the new album, even more than before, the way it’s mixed you hear the band playing, who sound like they’re in a room somewhere, but then her vocals come in and it’s like she’s right up against your ear. Like you’re watching a band on the stage and there’s just this woman whispering in your ear!

L:That reminds me of Flo’s story about her joining the band started with you playing the band and her talking over the top of it.

T:We’d studied visual art together — we were both making comics at the time, and we met up to talk about that. She asked, “What else have you been up to?” and I said, “I’ve started jamming with Lewis and Nick.” I had some demos and she listened to it. Then she took her earphones out, said, “Oh, that’s interesting,” and started talking, and I could hear the music still with her voice over the sound out of the earphones in the background. I think John’s key interest in our band is how he mixes Flo. On this record to a much greater extent you can hear bits of her breath. Flo is a very nuanced performer: just the little things she does, like the click of her tongue or something — very small sonic things that he’s very keen to make sure are in there. I’ve seen him talking about this in an interview, about how you have to hear everything she’s doing: that’s the first thing, and then around that, he builds the mix and brings the band in.

L:She’s always in the room when we’re recording, and she’s tracking at the same time. We’re lucky enough to have isolated rooms, so my amps can be in one room, Tom’s amps can be in another room, Nick could be behind some glass, Flo’s in the room with us, and she keeps a lot of those vocals. There’s a lot of effort put into isolating her vocals so there’s not too much bleed from the band. I agree with what Tom said, John puts a lot of focus on that.

interview with Wu-Lu - ele-king

 強烈な新人の登場だ。
 まずは “South” を聴いてみてほしい。グランジのようにも民俗音楽のようにも聞こえるギターとさりげないダブ処理に導かれ、コーラスではメタルのグラウルが炸裂、客演のレックス・アモーによる流水のごときラップがしんがりをつとめている。サウンドだけでじゅうぶんすぎるインパクトを与えるこの曲は、「ボトルの散らばったボロボロの団地の生まれさ」「高額過ぎて変わらざるを得なかった/家賃が高いんだ」と、明確にジェントリフィケイション(街の高級化)とそれがもたらすコミュニティの破壊をテーマにしている。MVも印象的だ。団地を練り歩く彼と仲間たち、そこへつぎつぎと差し挟まれるブラック・ライヴズ・マターの抗議者たちの写真。資本主義と人種差別、それらが別物ではないことを彼は見抜き、怒っている。プロテスト・ミュージック──と言うと古臭く感じられるかもしれないが、それはいまもこうして更新され受け継がれているのだ。
 男の名はマイルス・ロマンス・ホップクラフト。またの名をウー・ルー。彼はどこから来たのか?

 生まれはロンドン南部のブリクストン。アフロ・カリブ系の多く暮らす街だ。父は白人トランペット奏者で、母は黒人ダンサーだった。DJシャドウゴリラズ、ヒップホップDJのドキュメンタリー映画『Scratch』、母が職場から持ち帰ってきたトランスやジャングルのレコードなどから影響を受けつつ、初期〈DMZ〉のパーティに参加しマーラ&コーキを体験してもいる彼は、他方でスケボーゲームのサントラを介しラップ・メタルやポップ・パンクに入れこんでもいる。
 おもしろいのは、この雑食的プロデューサーがまずロンドンのジャズ・シーンとの関わりのなかから頭角を現してきたところだろう。2010年代後半、彼はLAビート以降の感覚を表現するトラックメイカーとしていくつかのEPを制作するかたわら、オスカー・ジェロームジョー・アーモン・ジョーンズヌバイア・ガルシアやザラ・マクファーレンといった音楽家たちとコラボを重ねている。
 一方でウー・ルーは10代のころに出会ったドラマーのモーガン・シンプソン(今回も “Times” に参加)を通じ、早くからブラック・ミディともつながりを持ってきた。ジャズ・シーンとインディ・シーン双方を股にかけることのできるアーティストはそう多くないだろう。ストレートに抗議の音楽を発信するウー・ルーとあえて政治性を匂わせないブラック・ミディが接点を有していたことも、文化的観点から見て興味深い。

 満を持して送り出されたファースト・アルバム『Loggerhead』は、それら複雑なウー・ルーの背景すべてが凝縮された作品になっている。ヒップホップ、ダブ、ジャズ、パンク、メタル、グランジが混然一体となったその音楽性は、一見ネット時代にありがちな「なんでもあり」の典型のように映るかもしれない。しかし彼のサウンドには不思議な一貫性が感じられる。アルバム全体を覆うラフでざらついた触感と、けっして軽いとは言えない諸テーマのおかげだろう。リリックが重要な作品でもあるのでぜひ対訳つきの日本盤で聴いてもらいたいが、たとえば “Calo Paste” は貧困問題を、“Blame” は人種差別問題を、“Times” はメンタルの問題(=社会の問題)を、“Broken Homes” は崩壊した家庭の問題を、みごとなアートとして表現している。
 昨日ボリス・ジョンソンの辞意表明が話題になったばかりだけれど、コミュニティに生きる人間として強者ではない立場から世を眺め、激しくも冷静さを忘れない音楽をプレゼントするウー・ルーの『Loggerhead』は、脈々とつづいてきたプロテスト・ミュージックの最新型として、世界が変わることを望んでいる。
 じつはちょうどこの記事の公開準備を進めている最中に安倍元首相被弾のニュースが、そしてたったいま訃報が飛びこんできた。銃撃の場面を模したアートワークはあまりにタイムリーなものとなってしまったが、むろんこれは意図としては逆で、警察などが弱者を襲うシーンだろう。いずれにせよ、混迷をきわめるこの世界のなかで変革を諦めようとしない本作は、いちるの希望として鳴り響くにちがいない。


Scrambled Tricks

頭がおかしくなりそうだった。「なんなんだ、これは!」って。それで彼(DJシャドウ)がドラムも叩いてスクラッチもやってキーボードも弾くマルチ奏者だとわかって、「これだ、自分もこれをやる」、これをやらなければならないんだと思ったわけさ。

サウンドクラウドのもっとも古いポストは2014年の “See You Again” ですが、音楽をはじめたのはいつからで、そのときはどのような活動をしていたのでしょう?

マイルス・ロマンス・ホップクラフト(Miles Romans Hopcraft、以下MRH):いつだったかなぁ……11とか12くらい? トランペットを吹いてたよ。父親がトランペット奏者だったから、この楽器がいいかなと思って。それでうまくなって双子の兄弟と父が参加していたスカのバンドで演奏したり。それで自分でビートつくったりしはじめたのが14、15歳くらい。父にどうやって音楽を録音しているのか訊いて、それで Reason で音楽をつくりはじめたのが2000年初期、2003年、04年くらい。友だちのレミってやつとダニエルってやつと Matted Sounds っていうグループを組んで、トリップホップっぽいダブステップっぽい感じのことをやっていた。それからDJに興味が出て、ターンテーブル、ジャングル、ヒップホップにどっぷりハマって。スクラッチとかね。それからサンプリングってものを知って、DJシャドウがたんなるDJではなくてじつはプロデューサーだということを知ったんだ。MPCを使っているとか。そのころの俺は「MPCってなに」状態で、すぐにプロデューサーにはならず、兄弟でバンドをやったりしてたんだよ。だから頭の片隅にDJのことがありつつ、父と兄弟でライヴをやっていて、それがフュージョンして、ある時点でひとつのものになった感じかな。

初めて世に発表したまとまった長さを持つ作品は、2015年のミックステープ「GINGA」で合っていますか?

MRH:そう。それまでつくってきたいろんなものを融合させながら、音楽的に自分がどの辺に存在したいのかを確かめようとしていたというか。たんにヒップホップのビートをつくってラッパーに提供したり、ダブステップのビートをDJ用につくるだけじゃないなっていうのは思っていて。当時は DJ Mileage って名前でダブステップをやっていて、MCにトラックをつくったりしてたんだけどさ。というか(「GINGA」以前も)ヘクターって連れと Monster Playground 名義でリミックスを出したりしていて。だから「GINGA」は俺が名前をウー・ルーに変える前にやっていたことを融合させた、初のオフィシャルなウー・ルー作品。自分にとっての契機になったと思う。ゴリラズのファースト・アルバムがブラーのシンガーにとってターニング・ポイントになったのと似たような意味で。自分がやらなきゃいけないのはこれだと思ったんだ。

反響はどうでしたか?

MRH:よかったよ。けっこうすぐ完売した。あのテープを心から信じてくれた友だちもいて、発表の仕方を一緒に考えてくれた友だちもいた。自分としてはただテープをつくって棚に並べて、さあどうなるかやってみようって感じだったけどね。そしたら、すごくいいと言ってくれるひとたちがいたんだ。これはなにかがちがう、トリップホップでもないしジャズとも言えないしっていう、あえて言うならば当時のシーンのフィーリングがあらわされているもの、という位置づけだった。とにかくかなり好評だったね。あれがきっかけで道が開かれたわけだから、もしかして自分がやったことのなかであれがいちばんいいことだったのかもしれない。自分としても、ジャンル分けできないっていうのはいいことだと思った。聴いたひとそれぞれが好きなように俺の音楽を解釈するようになったんだ。

モーガン(・シンプソン)を通じてブラック・ミディの他のメンバーとも会って、ある意味弟と兄みたいな感じでアドヴァイスしたり、キャリア初期に彼と出会えて美しい関係が築けたことを本当に嬉しく思っているんだ。

2018年にはオスカー・ジェロームのEP「Where Are Your Branches?」をプロデュースしています。同年のご自身のEP「N.A.I.S.」にはジョー・アーモン・ジョーンズが、翌2019年の「S.U.F.O.S.」にはヌバイア・ガルシアが参加していました。2020年にはザラ・マクファーレンのアルバム『Songs Of An Unknown Tongue』をプロデュースしています。モーゼス・ボイドとも友人なのですよね? サウス・ロンドンのジャズ・シーンと関係が深いように映りますが、そのシーンにはどのようなシンパシーを抱いていますか?

MRH:すごくおもしろいのは、いまあがった音楽の多くは、リリースされた時期は言ったとおりなんだけど、たとえばヌバイアが参加した曲はじつは2017年に録ったものだったりと、つくられた時期は前後してて。というのもみんな近所に住んでいたからね。ブリクストンとかあの周辺。だからある意味自然とそういうことが起こったんだ。モーゼスとは Steve Reid Foundation がきっかけで会って、しかも当時俺が関わっていたスタジオの超近所に彼が住んでいたり。オスカーとジョーは SumoChief ってバンドをやっていて、俺が SoulJam ナイトでDJしてるときに来ていたり。本当にごく自然に、ジョーがたまたまそこにいて、この曲気に入ったならちょっとキーボード弾いてくれないか? とか。ヌバイアのときもその日にひょっこり来て、曲をかけたらすごく好きだって言ってくれて、ワンテイクだけサックスを吹いてくれて。いま言ったひとたちはみんなおなじ勝ち方を目指していたんだよ。つまり互いに助けあって、みんななにかしらポジティヴなことをやろうとしているだけなんだ。

先ほどDJシャドウの名前があがりましたが、あなたがもっとも影響を受けたアルバムは彼の『Endtroducing...』ですか? 同作のどのような点があなたを突き動かしたのでしょう?

MRH:ちょうどここに来るまでの移動中も聴いていたよ。べつにこの作品を最初から最後まで通しで聴いて影響を受けたってことじゃないんだ。当時はCDなんて贅沢なもんは持ってなかったから。友だちからもらったMDとかMP3とかを断片的に聴いてただけだった。まず『SCRATCH』って映画を観たんだよ、98年とかそのくらいだったかな。俺はもう夢中で観て、そこに彼も出ていた。ほかにもDJキューバートとかマッドリブとかミックス・マスター・マイクとかビースティ・ボーイズ、カット・ケミストなんかも出てて。それで彼が画面に映ってレコードをディグる話とかをしている後ろで曲がかかってて。その曲がかかった途端、畏敬の念を抱いて「これすげえ」となりながら、彼が制作過程とか精神面の話とかをするのを聞いていて。それで彼がつくった “Dark Days” って曲の話になって、「ん? つくった? このひとただのDJじゃないのか」と思って。それで後日友だちが “Midnight In A Perfect World” を聴かせてくれて、「そう、この曲だ、ヴィデオを観たときにかかってたやつ」ってなって。そしたら友だちが「じゃあ “Building Steam With A Grain Of Salt” は聴いたことあるか?」と言いつつべつの曲をかけてくれて、もう俺は頭がおかしくなりそうだった。「なんなんだ、これは!」って。それで彼がドラムも叩いてスクラッチもやってキーボードも弾くマルチ奏者だとわかって、「これだ、自分もこれをやる」、これをやらなければならないんだと思ったわけさ。

他方でニルヴァーナやコーン、ザ・オフスプリング、リンプ・ビズキットやスリップノット、ブリンク182といったグランジ、メタル、ポップ・パンクもよく聴いたそうですね。それらメジャーなロック・ミュージックの、どういったところに惹かれたのですか?

MRH:その辺は、基本的にスケートボードとセットみたいな感じだったね。昔よく「お前は何者だ?」って聞かれて最初はなんて答えればいいかわからなかったけど、そのうち「俺はグランジャーだ」となったんだよ。好きだったのは、情熱の部分というか、エモーショナルな曲が大好きで、特にザ・オフスプリングは速いから好きで、なにかムカつくことがあったら大音量でかけて部屋で発散したりさ。あとスケートボードってところで『トニー・ホークス プロスケーター2』(2001年に発売されたヴィデオ・ゲーム)の音楽もあったし(サウンドトラックはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやバッド・レリジョンなどを収録)。友だちのレミはパンク系がそうでもなかったけどスケートボードは好きだったから、彼からはヒップホップ面で影響を受けたよ。長いドレッドでストライプのTシャツ着てたり、当時彼はルーツ・マヌーヴァとかレゲエが好きだったんだけどさ。ゴリラズも彼に教えてもらったんだよ。というか正確に言うと、あのアルバムの “Clint Eastwood” 以外の曲を教えてもらったんだ、俺はひたすら “Clint Eastwood” を聴いてたから。それで俺の頭にスケートボードとそういった音楽の組み合わせもインプットされたというね。


Blame / Ten

もう我慢の限界だっていうことを言っているんだ。ブリクストンは本来カリブ人の地域で、そのアフリカ系カリブ人コミュニティが地域を支え、発展させてきたことは否定できない。それなのにデヴェロッパーが来て地域を占領して、こじゃれた店ができてもともといたひとたちは住めなくなって。

『Loggerhead』にはヒップホップやダブなどさまざまな要素がミックスされていますが、やはりロックの比重がかなり大きいように感じました。あなた自身の表現を展開するうえで、仮にロック・ミュージックの手法がもっとも適しているのだとしたら、それはなぜでしょう?

MRH:いちばんまとまっていると感じた曲を選んだらそうなったという感じかな。もっとリラックスしていたり静かな曲もあったんだけどね。ここ3、4、5年くらいのサウンドにたいするアプローチがそうなってたかもしれない。自分のなかでどんどん強くなってきたというか、ほとんど一周まわった感じもする。メタルっぽい、グランジっぽいサウンドへ戻りつつ、ドリルとかジャングルな感じもあって。でもたぶん日記を書くようなものだよ。つくったときの自分がどういうところにいたかっていうことを示している。でもすでにいまの自分はそこから先に進んでいるけどね。つねに発展しつづけていて、その自分自身に追いつこうとしているんだよ。

“Times” にはブラック・ミディのモーガン・シンプソンが参加しています。彼とは「S.U.F.O.S.」でもコラボしていましたが、彼とはどのように知りあったのですか?

MRH:〈MIC〉っていうインディペンデントのドープなレーベルをやってるニコールを通して知りあったんだ。あるとき彼女から連絡があって、「今度ユース・プロジェクトをやることになって何人かでジャム・セッションをやるから参加してほしい」って誘われて、それで行ってみたら、「近所に住むモーガンって子もあなたたちに会ったら喜ぶんじゃないかと思って誘った」と言うわけ。それで彼がドラムに飛び乗って叩いたら、おお……スゲーのが来たなと。たぶんまだ17歳とか、19歳とか、覚えてないけど、とにかく若かったんだよ。それで「彼はブラック・ミディっていうバンドをやってるからチェックしてみて」とニコールが教えてくれて。その時点で俺はまったく知識がなくて、でも名前からして全員黒人でキーボードでファンクとか弾いてるんだろうと思った。それから少し経って弟がブラック・ミディのことを話しはじめて、だから「俺そのバンドのドラマーと会ったよ」ってなって。それで俺のバンドって入れ替わりが激しくて、基本的には俺が音楽をつくっていろんなひとがセッション・プレイヤー的な感じで出たり入ったりするという感じなんだよ。だからモーガンにもギグでドラム叩かないかと声をかけて実際何度かギグをやって。彼はとんでもなく、笑っちゃうくらい最高だった。そのあとも「スタジオで一緒にビートつくろう」って誘って、彼がドラムで俺がギターで延々とジャムったりね。それで短期間で親しくなって、モーガンを通じてブラック・ミディの他のメンバーとも会って、ある意味弟と兄みたいな感じでアドヴァイスしたり、キャリア初期に彼と出会えて美しい関係が築けたことを本当に嬉しく思っているんだ。

ブラック・ミディ、あるいはほかのサウス・ロンドンのインディ・バンドたちに共感する部分はありますか?

MRH:もちろん。100%ある。ジョーやヌバイアやモーゼスとも同じだよ。ノアの方舟というか、もし俺が勝つとしたら全員勝つんだって思ってるから。それも今作でいろんなひとをフィーチャーしている理由なんだ。自分ひとりでつくることも可能だったけど、でも俺がどういうひとたちと一緒に音楽をつくっているのか世界に知ってほしかったんだよね。

「Wu-Lu」という名前は、エチオピアで話されているアムハラ語で「水」を意味する「ウー・ハー(wu-ha)」をもじったものだそうですね。なぜそのことばを選んだのでしょう?

MRH:だいぶ若いころだけど、ラスタファリにハマってたんだ。それでアムハラ語を勉強しようと考えて、まず自分の感覚をあらわすことばを覚えようと思った。それで水ってなんて言うんだろうとなって。水はひとに潤いを与えてくれて、流動的で、エモーショナルで、どんな形にもなって、割れ目から浸透していくという。自分がやることすべてにおいてこうなりたいと思ったんだ。そしてこの「wu-ha」ということばを見つけた。それで、「wu-ha」もいいけどなんかバスタ・ライムスの「Woo hah woo hah」言ってるやつ(“Woo Hah!! Got You All In Check”)みたいだなと思って、絶対イジってくるやつがいるだろうから嫌だなと。それで「Lu」に変えたんだ、そっちのほうが流れる感じがあるから。さらにあとから聞いた話によると、どうも「wulu」って中国の詩のことでもあるみたい。まあそれは由来ではなくて、正直自分では新たにことばをつくったと思ってたけどね。

アルバム・タイトルはアカウミガメ(Loggerhead turtle)が由来で、ひとりきりで海に浮かんでいるイメージを思い浮かべたそうですね。“Night Pill” も「俺は分離されている」という一節からはじまります。この孤独感は、社会や制度の問題に起因するものですか?

MRH:そのことばにはふたつの意味があるんだ。タイトルを考えていたときに、あるひとと意見の対立について話していて。そのひといわく、対立(「at loggerheads」というイディオム)はなくならないと。それでこのアルバムを考えたときに、けっこう自分が「俺の考えはこうだ。だれにも文句は言わせねえ」みたいに遠慮なく言っていると思って。でもそういう考え方って孤立しやすかったりもする。もしだれも賛同してくれなかったらじっさいひとりきりだよね。だからもともとは「at loggerheads」というイディオムが由来だけど、このことばをググってみたらカメのことがわかった。それで、これはすごくコンセプチュアルでいいかもしれないと。つまり一匹の大きなウミガメが紺碧の海を泳いでいるという。海や水が出てくる歌詞もあるしね。そういう部分にも引っかけてるんだ。

大きな注目を集めた “South” の歌詞はジェントリフィケイションを扱っていますが、MVはブラック・ライヴズ・マターのプロテストとリンクしています。この曲は、階級格差と人種差別が結びついていることをほのめかしているのでしょうか?

MRH:それはつねにあるというか、あの歌詞はBLMの時期に書いたものではないけど、明らかにクロスオーヴァーする。文化を通じて多くのものを与えてくれた地域や人びと、状況が、もう我慢の限界だっていうことを言っているんだ。ブリクストンは本来カリブ人の地域で、そのアフリカ系カリブ人コミュニティが地域を支え、発展させてきたことは否定できない。それなのにデヴェロッパーが来て地域を占領して、こじゃれた店ができてもともといたひとたちは住めなくなって。地域の変化はもう歴然としていた。それは本当にふざけるなだし、だから “South” はみんながもう我慢できないという時期だったんだ。イギリスには依然として不平等があるし、BLMにも通じるものがあるんだよ。

ウー・ルーの音楽にはロウファイさがあり、ひずみもあります。それはクリアでハイファイであること、いわば音のジェントリフィケイションにたいする反抗ですよね?

MRH:自分にとってはアナログなものってエモーショナルなんだよね。居心地がよくて、レコードを聴いている感覚を思い出させてくれるというか、音楽にハグされている気分になるというか。俺はスマホで育った世代じゃないし、部屋でレコード盤やCDをデカいコンポで聴いたり。ひずみでちょっとザラつくと感情が高まるんだ。


Broken Homes

interview with Boris - ele-king

 幕開けとともに閉塞感が増しつつある2022年の世相を尻目にボリスは加速度を高めていく。起点となったのは2020年の夏あたり、最初の緊急事態宣言が明けたころ、主戦場ともいえるライヴ活動に生じた空白を逆手に、ボリスは音楽プラットフォーム経由で多くの作品を世に問いはじめる。新作はもちろん、旧作の新解釈やデジタル化にリマスター、ライヴやデモなどのオクラだし音源などなど、ザッと見積もって40あまりにおよぶ濃密な作品群は、アンダーグラウンド・シーンの牽引車たる風格にあふれるばかりか、ドゥーム、スラッジ、シューゲイズ・メタルの代表格として各界から引く手あまたな存在感を裏打ちする多様性と、なによりも生成~変化しつづける速度感にみちていた。
 なぜにボリスの更新履歴はとどまるところを知らないのか。そのヒントはルーツにある轟音主義に回帰した2020年の『NO』と、対照的な静謐さと覚醒感をもつ2022年の『W』——あわせると「NOW」となる2作をむすぶ階調のどこかにひそんでいる。
 取材をおこなったのは旧年12月21日。同月だけで彼らはBandcampにライヴ盤と3枚のEP(「Secrets」「DEAR Extra」「Noël」)をあげており、前月にはフィジカルで「Reincarnation Rose」をリリースしていた。いずれも必聴必携だが、クリスマス・アルバムの泰斗フィル・スペクターが聴いたら拳銃をぶっぱなしかねないドゥーミーな音の壁と化したワム!の「ラスト・クリスマス」(「Noël」収録)と、「Reincarnation Rose」EPの20分弱のカップリング曲「知 You Will Know」の水底からゆっくりと浮上するような音響性が矛盾なく同居する場所こそボリスの独擅場であり、その土壌のゆたかさはおそらく今年30年目を迎える彼らの歴史に由来する。
 そのような見立てのもと、最新アルバム『W』が収録する「You Will Know」の別ヴァージョンに耳を傾けると、浄化するようなサウンドと啓示的なタイトルに潜む未来形の視線までもあきらかになる。現在地からその先へ――Atsuo、Takeshi、Wataのボリスの3者に、30年目の現状と展望を訊いた。

スタジオでの作業は日々絵を描きつづけるような、どんどんアップデイトされていくような感じなんです――Atsuo

ボリスは海外を中心にライヴ活動がさかんですが、このコロナ禍で制約があったのではないかと想像します。実際はどうでしたか?

Atsuo:こんなに(海外に)出ていないのは何年ぶり? という感じだよね。

Takeshi:ぜんぜん行っていなかったのは2006年よりも前だよね。それ以降は毎年かならず行っていたもんね。

2006年より前というのは、いかに長く海外での活動をされているかということですよね。でも逆に、ライヴ・バンドのメンバーに取材すると、ツアーがなくなって最初は悲しかったけど、ツアーしない時間にいろんな発見があったという意見もありました。

Atsuo:前はツアーをしなければ食べていけないと思っていましたから。コロナに入ってアルバムをすぐに作ってBandcampで2020年の7月に出したんですけど、その反応がすごくよくて世界中のリスナーからガッチリサポートしてもらえたんです。Bandcampの運営とか、楽曲の管理を自分たちでやりはじめたらツアーに出るよりも、経済的によい面もあって、制作にも集中できた。あと、すごく大変なことをしていたんだ、という実感もあります、ツアーに出るということが(笑)。その反面、あらためて再開するのも大変かなと思っています。いちおう今年は米国ツアーを予定してはいるんですけどね。

アメリカはどこをまわられるんですか?

Takeshi:全米をほぼ1周する感じです。

「周」という単位を聞くだけでも大変そうですよね。

Atsuo:感覚を戻すのがね。ほんと体力も落ちているんで。コロナ以前の状態まで自分たちのコンディションを戻さなければならないというのはたしかに大変です。

Takeshi:オフ無しで7本連続とかね。

ツアーと制作中心の生活ではメンタル面での違いはありますか?

Atsuo:スタジオでの作業は日々絵を描きつづけるような感じなんです。そういった生活のほうが個人的には好きなんですけどね。新曲を作ってレコーディングしていると精神的にはめっちゃ安定するんですよ。日々新しい刺激が自分に返ってくると、やっぱりいいなと思います。コロナ禍で気づいたのは、自分の性質が絵描き的というか、描いて作られていく感覚に惹かれるということでした。いわゆるバンドマンとはちょっと違う感覚というか、描き続けていかないと完成しない、その感覚が強いです。

Wataさんはコロナ禍でご自分の生活や性格の面で新たな気づきはありましたか?

Wata:家にずっといてもけっこう大丈夫でした(笑)。

意外とインドアだったんですね。Takeshiさんは?

Takeshi:ライヴができなかっただけで、あとはあまり変わらなかったですね。スタジオにもしょっちゅう入っていたし。音楽が生活に占める割合は変わらないどころか、逆に増えた気がします。

Atsuo:制作ペースは上がっているものね。

Wata:スタジオはふつうに使えていたので、思いついたらスタジオに入ってセルフレコーディングして家にもってかえって編集して。

Takeshi:前はその合間にツアーのリハーサルがあったりして、制作に集中できない局面もあったんですけど、コロナ禍では制作に没頭していました。

Atsuo:今回のアルバム『W』はリモート・ミックスなんですね。

リモート・ミックスとは?

Atsuo:担当していただいたエンジニアが大阪在住で、そこのスタジオの音響を「Audiomovers」というアプリで共有して、オンラインで聴きつつzoomで話し合いながらミックスを進めました。家の環境で聴けるのでかえってジャッジもしやすかったりするんですよね。

東京で録った素材を大阪に送ってミックスしたということですか?

Atsuo:そうです。今回はBuffalo Daughterのシュガー(吉永)さんに制作に入ってもらったので、シュガーさんに音源をいったんお送りして、シュガーさんからエンジニアさんへ素材が行き、確認しながらミックスという流れです。

通常のスタジオ・レコーディングとはちょっと違った工程ですね。

Atsuo:僕らはもう20年以上セルフレコーディングなんです。リハスタで下書きしたものを完成品に仕上げていくスタイルです。ミックスだけはエンジニアに手伝ってもらっています。

その前の曲作りの段階はふだんどのような感じなんですか。

Atsuo:曲はリハスタでインプロした素材をもとに編集して曲の構造を作り、必要であれば肉づけするというプロセスでできあがります。CANと同じです。

Wata:最初は作り込んでいたけどね。

Takeshi:初期のころはわりと普通のバンド的だったね。

Atsuo:うん、リフを作って、何回繰り返したらここでキメが入ってとか決めていたね。セルフレコーディングをはじめたあたりからいまの方法になっていきました。いわゆるレコーディング・スタジオではどうしても「清書」しなければならない状況になると思うんですよ。それが苦痛で(笑)。間違えちゃダメというのがね。でも間違えたり、逸脱することに音楽的なよさがあったりするじゃないですか。だったら自分たちで録れば、たとえ失敗しても問題ない(笑)。そのぶんトライできるというか。

Takeshi:曲を作る工程は、みんながそれぞれ素描をしていて「こんなのが描けたんだけど」と互いに見せ合うような感じです。そこでやり取りしながら色を入れていったり、線が決まっていったり、そういった感じです。

Atsuo:いわゆるバンド的な曲作りだと、下書きみたいなリハーサルを何度も重ねてレコーディングがペン入れみたいなイメージな気がするんですね。清書するというのはそういう意味なんですが、僕らはそうじゃなくて下書きから一緒にドンドン塗り重ねて描き上げていく感じですね。

KiliKIliVillaとはインディペンデントにおける基本理念を共有している感覚があります。KiliKiliVilaの契約は利益が出たら折半なんですね。それは欧米ではごく普通のことなんですが、国内でそれをやっているレーベルはある程度以上の規模では極端に少なくなる。――Atsuo

プロセスを重視するからなにがあっても失敗ない?

Atsuo:失敗も2回繰り返すと音楽になる。そういう観点から以前はガチガチに決め込んでいた構成も、失敗を受け入れられる意識になり、(演奏の)グリッドも気にならなくなりました。反対に、ポストプロダクション全開な作り方を試した時期もありましたけどね。同期などを使っていた時期です。いまは自分たちにしかできない方向、グリッドレスな方向に行っています。

方向性の変化はどんなタイミングでおとずれるんですか?

Atsuo:そのときどき好きなことをやっているだけです。これだけ長いあいだやっていると、なにをやっても世間的な評価は変わらないんですよ。であれば好きなことをやったほうが単純に楽しい。それこそカヴァーとかやると、高校のころやっていた楽しい感じを思い出したり。

若々しいですね(笑)。

Atsuo:(笑)楽しいことをやっていたいとは思いますよ。とくにいまのような状況下では各自の死生観みたいなものも露わになってきますし、楽しいことをしないと意味がないですよね。

とはいえコロナ禍で音楽をとりまく状況は厳しくなりました。たとえば今後どのようにバンドを運営していくかというような、現実的な話になったりしませんか?

Atsuo:ずっとインディペンデントでやってきてレーベルに所属することもなく、すべてを自分たちで舵取りしてきたんですね。原盤もほとんど自分たちで持っています。コロナ禍では自分たちで判断して行動するという、ずっとやってきたことがあらためて重要な気がしています。

KiliKIliVillaから出すのでも、いままでと体制は変わらないということですね。

Atsuo:体制は変わりませんが、環境はよくなりましたよ。たまたま知人を介しての紹介だったんですけど、KiliKIliVillaとはインディペンデントにおける基本理念を共有している感覚があります。KiliKiliVilaの契約は利益が出たら折半なんですね。それは欧米ではごく普通のことなんですが、国内でそれをやっているレーベルはある程度以上の規模では極端に少なくなる。レーベルの与田(太郎)さんからそういう契約だと聞いたときも、自分たちには普通のことなので、「はい、お願いします」――だったんですが、いざまわりを見渡すと日本でそれをやっているレーベルはあまりない。インディペンデントにおける価値観もシェアできるし、やりやすいですよね。そういうインディペンデントにおける美意識を共有している方がKiliKiliVillaのまわりにはたくさんいるので、いろいろなことがスムーズですね。

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それこそ高校生のころの感じというか、影響を受けたことを直で出してしまうような。――Atsuo

レコーディング、作品づくりに話を移します。ボリスは2020年夏にアルバム『NO』を出し、2021年はBandcampを中心にデジタル・リリースを含めるとかなりの数の作品を出されています。そして2022年の第一弾アルバムとして『W』が控えています。『W』の制作はいつからはじまったんですか?

Atsuo:『NO』のレコーディングが終わった時点で『W』の方向性が見えてきて、『NO』をリリースする前には『W』のレコーディングは終わっていました。

『NO』は2020年の7月です。一度目の緊急事態宣言が解除になってしばらくしたころ。

Takeshi:そうですね、その年の6月には終わっていたんですよ。

同時進行ですか?

Takeshi:『NO』が先に終わって、その後にすぐつづく感じでした。つながっている感じといいますか。

『NO』が「Interlude」で終わっていたのが不思議でした。

Atsuo:出す時点で『W』が決まっていたので、2枚でひとつという感じでした。

ということは制作前に2枚にわたる構想をおもちだった?

Atsuo:『NO』の終わりごろにそうなった感じですかね。

では『NO』はもともとどういう構想のもとにたちあがったのでしょう。

Atsuo:いま思えば現実逃避だったかも(笑)。とりあえずスタジオに入って肉体的にもフルのことをやって、疲れてすぐに寝てしまうような、現実を見なくてすむようにしたいというコンセプトだったかもしれません(笑)。不安な感じやネガティヴなエモーションを音楽でポジティヴな方向に昇華する、それが表現の特性だと思うんですね。無意識にそのことを実践していたのかもしれないです。

そういうときこそ曲はどんどんできそうですね。

Atsuo:それはもう(笑)。

Takeshi:血と骨に刻み込まれているから(笑)。

Atsuo:それこそ高校生のころの感じというか、影響を受けたことを直で出してしまうような。『NO』のときはわりとTakeshiと僕のルーツにフォーカスしていました。僕がメインのヴォーカルをほとんどとって、曲作りの段階からこれはツアーでやろうともいっていました。僕がヴォーカルでサポート・ドラマーを入れてやるんだという前提があって、いまは実際そういうライヴ活動をしていますからね。そこで僕とTakeshiにフォーカスしたので『W』ではWataの声にピントを当てて――ということですね。

僕も高校のときはパンク、ハードコアの影響をもろに受けていて、『NO』ではノイズコアの方向に突き進んでいきました。Takeshiとそういった部分を共有できるのはソドム。カタカナのソドムのノイズコアな感じが大好きだったんです。――Atsuo

おふたりのルーツというのはひと言でいうとなんですか?

Takeshi:パンクとハードコア、ニューウェイヴも聴いていて、いちばん衝撃を受けたのはそのあたりの音楽なので、初期衝動とともに、身体に染みこんでいます。そういったものがコロナでグッと閉塞感が高まったたタイミングでウワーッとあふれでてしまった(笑)。

Atsuo:僕も高校のときはパンク、ハードコアの影響をもろに受けていて、『NO』ではノイズコアの方向に突き進んでいきました。Takeshiとそういった部分を共有できるのはソドム。カタカナのソドムのノイズコアな感じが大好きだったんです。『NO』はイタリアのF.O.A.D.というパンク~ハードコアのレーベルにアナログ化してもらったんですけど、そのレーベルがソドムの再発(『聖レクイエム + ADK Omnibus』)をしたんですよ。そういう流れもあってF.O.A.D.に決めたという(笑)。

高校時代ソドムをカヴァーしていたんですか?

Atsuo:ソドムはやっていなかったですね。『NO』では愚鈍の「Fundamental Error」をカヴァーしています。

原点回帰的な側面があったんですね。

Atsuo:あとはロック・セラピー。実際僕らは高校時代、そうした激しい音楽を聴いて精神を安定させていたところがあったんですね。

ことに思春期では激しい音楽が精神安定剤の役割を果たすのは、わが身に置き換えてもそう思います。

Atsuo:ヘヴィメタルが盛んな国は自殺率が低いという話を耳にしたこともある(笑)。精神に安定をもたらすメタルといいますか。それもあって『NO』はエクストリームなんだけどヒーリング・ミュージック的なおとしどころになっていきました。自分たちにとってもそういう効果がありましたし。

『NO』というと否定のニュアンスが強いですが、『W』と連作を成すことで激しさや衝動に終始しないボリスの現在(NOW)のメッセージを感じますよね。そのためのWataさんの声という気がします。

Atsuo:チルなんだけど逆に覚醒できる感じになっていったんですね。

『W』にはシュガー吉永さんがサウンド・プロデュースで入られていますが、かかわりはいつからですか?

Wata:EarthQuaker Devicesというアメリカのエフェクターメーカーから「Hizumitas」という私のシグネチャー・モデルのファズが出たんです。そのメーカーの親睦会が2016年にあって、そこで初めてお会いしました。

Atsuo:TOKIEさんもその集まりで初めてしゃべったのかな。そこからシュガーさんがライヴに来てくださったり、だんだんつながりでできていきました。もともとBuffalo Daughter、好きでしたしね。『New Rock』のレコ発とか行きましたもん。

意外なようなそうでもないような。ともあれ90年代的なお話ですね。

Atsuo:自分のなかではBuffalo Daughterはインディペンデントな位置づけ。ゆらゆら帝国などともに認知度が高かったですし、そういう日本の状況からの影響も当時は受けていました。

シュガーさんの手が入ったことでもっとも変化したのはどこでしょう?

Atsuo:エレクトロニカというか電子音的なアプローチはシュガーさんの手腕です。ローが利いたキックであるとか。でも聴いてすぐにおわかりになる通り、僕らの演奏にはグリッドがないんですよ。録音はスタジオで適当に録っているのでリズムも揺れまくっているんですが、それを前提にシュガーさんは縦の線をプログラムしてくれてバンドのノリに合うような感じでアレンジを追加してくれました。曲の構造はほぼ決まっていましたが、シュガーさんに、曲の間口を広げてもらったというか、見える、聴けるアングルを増やしていただいたという感じです。サウンド・プロデュースの依頼ではありましたが、曲が並んで、今回の個展はこんなテーマなんだ、というようなものが見えてきたとき、どのようにプレゼンテーションしてもらえるのか? そういった感覚です。

ちなみにボリスがいままでやってきた外部との協働作業というと――

Atsuo:成田忍さん、石原洋さん、NARASAKIさんにも1曲手がけていただいたことがあります。

Takeshi:あとはコラボレーションが多いですね。

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僕らはバンドというものに対するこだわりは強いですよ。だけど、バンドの運営や方法論で音楽の可能性が閉じられるのがイヤなんです――Atsuo

さきほどAtsuoさんは自分が歌うとき、別のドラマーに叩いてもらっているとおっしゃっていましたが、フォーメーションみたいなもがどんどん変わっていっていいというお気持ちがあるということですか?

Atsuo:僕らはバンドというものにたいするこだわりは強いですよ。だけど、バンドの運営や方法論で音楽の可能性が閉じられるのがイヤなんです。

でもそれはアンビバレンスですよね?

Atsuo:はい。だから基本この3人で音楽の可能性を広げたい、新しいものを追究して作っていきたいという思いもあって、シュガーさんへサウンド・プロデュースをお願いしたり、新しい血としてサポートのドラマーに入ってもらったり、以前は栗原(ミチオ)さんに入ってもらったこともありました。

そうでした。最近なにかと栗原さんのお話をしている気もしますが、栗原さんが参加された『Rainbow』がペダル・レコードから出たのが2006年ですね。

Atsuo:その後で正式にサポートで入っていただいて、本格的にツアーをまわるようになったのは2010年から11年あたりでした。

Takeshi:栗原さんはサポートと言うよりも、僕らの認識としては4人目のメンバーだったんですよ。当時新しいアルバムのデモを作っていたときも、栗原さんがいる体でやっていましたから。

Wata:2014年の『Noise』だよね。

Takeshi:曲に必要なギター・パートが1本ではなくて2本、無意識にそうなっていたんですね。ある程度までかたちになってきたときに栗原さんが離脱しなくてはならなくなって、いままで作った曲をどうしよう?ってなったときに、4人のアレンジだったものを3人用にリアレンジをする必要になり、それでWataが死にそうになるという(笑)。

Wata:『Noise』の何曲かは栗原さんの音も入っているんですよ。デモで弾いていたテイクをそのまま使ったりしました。私は栗原さんと同じようには弾けないので、どうしようって(笑)。

Atsuo:3人であらためて完成形を作らなきゃならなかったので、それは大変でした(ため息)。

Wata:すごく助けてもらっていたので、いなくなったときは心細かったです。演奏面ではとくに。

Atsuo:でもあの時期があったのでWataもヴォーカルに集中できるようになった。

ボリスは3人ともヴォーカルをとるのがいいですよね。

Wata:ヴォーカルというほど歌えているかはわからないですけどね。

Atsuo:さっき言っていたエフェクターメーカーのSNSでWataのことを「ボリスのギター、ヴォーカル」と紹介していたんですが、「いや、ヴォーカリストじゃないし」と本人がつぶやいているのを耳にした憶えがあります(笑)。

Wata:ヴォーカリストというよりは楽器的な感じ、ヴォイスという言い方が近いです。主張とかメッセージを伝える役割ではなくて、楽器の一部として存在している声ですね。

でも『W』ではメイン・ヴォーカルをとっていますよね。プレッシャーはなかったですか?

Wata:最初から音響的という作品内でのイメージはあったので構えたりはしはなかったです。

歌メロはWataさんが書かれた?

Wata:メロディはTakeshiです。

Atsuo:ほとんどの手順としては楽曲ができあがって、仮の歌メロをTakeshiがインプロで作って、曲ごとに見えたテーマをもとにふたりで歌詞を書くんですけど、Wataが歌うという前提だと出てくる言葉も違ってきますよね。

Wata:私は歌詞にはタッチしていないですけどね。ふたりが書く詞も、言葉で風景が見えてくるような内容なんですね、主張とかメッセージではなく。

Takeshi:逆に『W』では自分だと歌わないような言葉を歌わせることができたともいえるんです。Wataの口から出てくるであろうと想像した言葉だったり旋律などを使えたりしたので。

Atsuo:歌詞においてはWataの担当は「存在」ですよね。

歌詞も全員で書いているというイメージなんですね。

Atsuo:その点もKiliKiliと考え方が通じているんですよ。僕らは楽曲の登録も連名なんです。たとえばWataはじっさい歌詞を書いていないけれども作詞者はバンドとして登録しています。それはWataの存在があるからその言葉が生まれてくるという理由です。バンドというのはそういうものだと思うんです。

それならメンバー同士のエゴがぶつかって権利問題に発展するということもなさそうです。

Atsuo:エゴを聴きたいリスナーもいるとは思うんですよ、誰が曲を担当し、歌詞を書いているのかということですよね。そこをはっきりさせたいリスナーは多い気がします。

レノン、マッカートニーもそうですし、はっぴいえんどでも細野さんの曲と大瀧さんの曲は違いますから、そういう腑分けの仕方も当然あるとは思うんですが、ボリスの場合みなさんはキャラが立っているのにエゴイスティックな打ちだし方はしていないですよね。

Atsuo:自然とそうなったんですが、共通している考え方は、いちばん大事なのは「ボリス」という存在、バンドということなんですよね。

そのスタンスをとりながら、今年で――

Atsuo: 30年。

エゴという意識は僕らは薄いと思いますね。自分にとって音楽、曲というのは、言いたいことを言う場ではないんですね。曲のかたちがだんだんできてきて、仮のメロディを乗せたときに、「こういう言葉が乗るよな」と導かれるというか委ねるというか。――Takeshi

30年といえば、ひとつの歴史ですが、長くつづけてこられた秘訣はなんですか?

Atsuo:さっきも言ったようなエゴとかが音楽の可能性の狭めるのが僕らはイヤなんです。

そこもCANと同じですね。リーダーがいない、けっして誰かが中心ではない。

Atsuo:傍から見たら僕がリーダーに見えるかもしれませんが、いちばん雑務をしている、ただのアシスタントなんですよ(笑)。

与田(KiliKiliVilla):その考えを持っているだけでバンド内の格差を生まなくなりますよね。イギリスはバンドに権利が帰属することが多いですが、日本だと作詞作曲で個人を登録する習慣があります。そういったことを長いことみてきて、イヤな思いもしてきたから若いバンドにこういう登録の仕方があるから、そうしてみない?とアドバイスすることもけっこうあります。ボリスはそれを自分たちでやっていたという驚きはありましたよね。

日本の場合芸能界の習慣ともいえますよね。

Atsuo:だからバンドの地位が低いといいますか、フロントマンとバックバンドという序列のヒエラルキーになっていく。そういうビジネスモデルが主体になっている気がします。

Takeshi:エゴという意識は僕らは薄いと思いますね。自分にとって音楽、曲というのは、言いたいことを言う場ではないんですね。曲のかたちがだんだんできてきて、仮のメロディを乗せたときに、「こういう言葉が乗るよな」と導かれるというか委ねるというか。音にしても、僕はほっとけば、ガンガン弾き倒しちゃうんですよ。でも、バンドやとその音楽を主体に考えれば、曲がそうなりたいであろうというコードストロークや弾き方に自然になっていきますよね。楽器をもっているミュージシャンのエゴではなく、楽曲のほうへ自分を寄せていくというか、ボリスで音楽を作っているときはそういう感じになっていますね。

Atsuo:CANとの違いは音楽的な教育を受けているかどうかということかもしれないです。僕らは独学ですからね。外部とは共有できるかはさておき、バンド内での音楽言語はいろいろあるんですけどね。

とはいえ共演は多いですよね。秋田昌美さん(MERZBOW)、灰野(敬二)さん、エンドン、カルトのイアン・アストベリーなど、ボリスはいろいろなバンドやミュージシャンと共演していますが、他者と同じ場を作るには共通言語を見出す必要があるんじゃないですか?

Atsuo:秋田さんは誰とでもできるし、誰とでもできないと言えますからね。

Takeshi:秋田さんとやるときはおたがい干渉していないよね。

Atsuo:それもエゴがないということなのかもしれないですね。自分たちの曲を放り出していますからね。秋田さんで埋め尽くされてもぜんぜんかまわないというか、それで自分たちの曲が新しく立ち上がる感じを聞きたいというのがまずあるので。シュガーさんにしてもバンドのグリッドレスな感じを尊重してくれたので、『W』ではうまくいったんだと思います。

■ボリスにとって今年はアニバーサリーイアーですが、アメリカ・ツアーのほかに計画していることがあれば教えてください。

Atsuo: 『W』もKiliKiliで30周年記念第1弾アルバムと言っているので、第何弾までいけるか挑戦しようと思っています(笑)。アルバムはだいぶ録り進んでいるし。

KiliKiliからは昨年暮れに「Reincarnation Rose」が出ていますが、あれを聴くとやりたいことをやったらいいやという感覚を受けますよね。極端なことをいえば、売れなくてもいいやというような。

Atsuo:そもそも売れようと思ったことはないですよ。

とはいえ「Reincarnation Rose」もメロディはキャッチーじゃないですか。

Atsuo:キャッチーさは大事ですが、売れたいというのは違うんですよね。ヘヴィな曲でもキャッチーかそうでないかという判断基準がある。楽曲の世界観がしっかり確立されたとき、初めてキャッチーと言えるのかもしれないですね。

さきほどソドムとか栗原さんとかの話が出ましたが、70年代、80年代、90年代とつづく東京のアンダーラウンド・ロックシーンの牽引車は片やボリス、片やゆらゆら帝国というような見え方もあると思うんですよ。このふた組にはアンダーグラウンド、モダーンミュージックのようなセンスをポップアートにしているような側面があると思うんですね。ゆらゆら帝国とボリスはぜんぜん音楽性が違うけど、出てきているところってすごく近いところだったりするじゃないですか?

Atsuo:同じスタジオを使っていたり、近いようで遠い感じですか。いちばんの違いはメタル以降の文脈だと思うんですね。

ボリスはメタルにもリーチしていますよね。

Atsuo:海外では完全にメタル・バンドあつかいですね。

Takeshi:自分たちでメタルだと言ったことはないんですけどね。でも向こうから手を差しのべてくるんですよ。

メタルにもいろいろありますが、どのようなメタルですか?

Takeshi:メタル・シーンの裾野が欧米では広いというか、単純に規模が違います。

Atsuo:ドローン・メタルというジャンルがあるんですよね。僕らはそのオリジネイター的な扱いではありますね。SUNN O)))とかですね。あとはシューゲイズ・メタル、シューゲイズ・ブラックという呼び名もあって、そういった風合いも感じさせるようで、総じてポスト・メタル的な言われ方をします。

Takeshi:何かと後ろについてくるんですよ、メタルって(笑)。

Atsuo:日本と海外だとメタルという言葉がカヴァーする領域に差があると思うんですね。向うはものすごく広い。あのスリル・ジョッキーがメタル的な音楽性のバンドをリリースするくらいですから日本とは捉え方が違いますね。

日本だとどうしても様式的なものというイメージが強いですよね。

Takeshi:いわゆるカタカナの"ヘビメタ"のイメージなんですよね。

Atsuo:僕らは速く弾くよりはシロタマを伸ばしたいほうなので(笑)。もっとオーガニックなんですよね。音を伸ばしてそこでなにが起こってくるかというドローン・ミュージック的な方法を結果的にメタルに取り入れている。

一方でアメリカには日本のアンダーグラウンド・ロックの熱心なリスナーも多いですよね。

Atsuo:かつては音楽好きが最後のほうにたどりつく辺境という位置づけでしたよね。

いまではボリスや、それこそメルツバウやボアダムスのような方々の活躍で日本のアンダーグラウンド・シーンは一目置かれている気もします。

Atsuo:でも気をつけておきたいのは、一目を置かれると同時に大目にみられている部分もあるんですよね。日本人だからメチャクチャやっても許されるというか。

それを期待されているともいえないですか?

Atsuo:並びがボアダムス、ギター・ウルフ、メルト・バナナですよ。ルインズにしても。

ややフリーキーな音楽性ですが、いい意味で根がないからからフリーキーさなんじゃないですか?

Atsuo:それはそうかもしれない。

ボリスも、みなさんの佇まいも相俟って欧米の観衆に独特な印象を与えるのではないでしょうか? Wataさんなんかはすでにアイコニックな存在だし。でも「Reincarnation Rose」のMVはもうちょっと説明があってもいいかと思いました。

Wata:私以外のメンバーもあのなかに女装して参加していると思われていますよね。

そう思いました。検索してはじめて知りましたよ。

Atsuo:けっこうちかしい友だちからもAtsuoとTakeshiはどこにいるの? って訊かれましたもん。

ついにマリスミゼルみたいになるのか、いまからその展開は逆に攻めているというか、真の実験性とはこういうことをいうのだろうかと、いろいろ考えましたよ。それもアーティスト・エゴの薄さからくる展開なのかもしれないですね。あれは反響も大きかったですよね?

Atsuo:すごかったですよ。最初に写真を公開したときは、「ボリス、ヴィジュアル期に突入」とか書かれました。発表前はコスプレとか言われるかなと思っていましたけどね。

どなたのアイデアですか?

Atsuo:流れなんですよ。シュガーさんとTOKIEさんにMVに参加してもらうアイデアは最初からあったんです。それだったらドラムもよっちゃん(吉村由加)にお願いしようということになって。衣裳はpays des feesというランドにお願いして、TOKIEさんもWataも一緒にお店に行って衣裳合わせをして、メイクとウイッグに関してはビデオの監督のアイデア。当日ヘアメイクさんとかも入ってできあがったのがあれだったんですが、当日までメンバー自身どうなるかわからなかったです。

Takeshi:自分も知らなかった。PVの撮影だと聞いてスタジオに行ったら、あのメイクを済ませたみなさんがスタンバイしていて「えっ!?」って、なったんですよ。

Atsuo:写真を公開した直後の反応はこっちも不安になるような感じだったんですが、翌日にはMVが出て、音を聴いてもらえればふつうにロックですし、わかっていただけたと思います。

30年経ってもまだまだノビシロあるな、ボリスと思いました。

Atsuo:(笑)。でもそんなふうにみなさんの頭のなかにいろんな考えが湧き起こっていたのだとしたら、やってよかったと思いますよ。

interview wuth Geoff Travis and Jeannette Lee - ele-king

 以下に掲載する記事は、2021年7月に刊行された別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』に掲載の、〈ラフ・トレード〉の創始者、ジェフ・トラヴィスと共同経営者ジャネット・リー(『フラワーズ・オブ・ロマンス』のジャケットで有名)、ふたりへのインタヴューです。現在のUKインディ・ロック・シーンに何が起きているのか、UKインディに起点を作った人物たちがそれをどう見ているのか、じつに興味深い内容なのでシェアしたい思い、ウェブで公開することにしました。
 〈ラフトレード〉については日本でも多くの音楽ファンがその名前と、だいたいの輪郭はわかっていると思う。しかしながらこのレーベルが、マルクス主義とフェミニズムを学んだ人物によって経営されていた話はあまり知られていない。このあたりの事情については、ele-king booksから刊行されたジェン・ペリー(ピッチフォークの編集者)が書いた『ザ・レインコーツ』に詳述されている。ま、とにかく、彼=ジェフ・トラヴィスには彼が望んでいる未来がありました。彼の志はおおよそ正しかったのですが、未来とは予想外の結果でもあります。さてさて、彼がポートベローに小さなレコ屋を開いてから45年、“UKインディ・ロック”はどこに向かってるのでしょうか。どうぞお楽しみください。


2021年はスリーフォード・モッズの素晴らしい『スペア・リブ』からはじまった。 by Alasdair McLellan

数多くのエキサイティングなバンドがいま浮上してきている、間違いなくそう思う。ただ、今回の違いと言えばおそらく、いま出てきている若いバンドの多くは本当に素晴らしいプレイヤーたちだ、ということでしょうね。テクニック面でとても秀でている。

ここ数年、日本から見て、UKのロック・シーンから活気が生まれているように感じます。スリーフォード・モッズのような年配もいますが、とくに若い世代から個性のあるバンドが何組も出てきて、このコロナ禍においてパワフルな作品を出しているように見えます。おふたりは70年代からずっとUKのロック・シーンの当事者であるわけですけど、いまぼくが言ったように、現在UKのロック・シーンは特別な状態にあると思いますか? 

ジャネット・リー(JL):ええ、数多くのエキサイティングなバンドがいま浮上してきている、間違いなくそう思う。ただ、今回の違いと言えばおそらく、いま出てきている若いバンドの多くは本当に素晴らしいプレイヤーたちだ、ということでしょうね。テクニック面でとても秀でている。若いバンドはたまに、数曲プレイできるようになり、髪型とルックスをかっこよくキメたらツアーに出てしまい、成長するのはそこから……ということもあるわけだけど(苦笑)、いま飛び出してきているバンドの多くは、テクニックの面ですでにとても優れていると思う。しかも彼らの多くはカレッジあるいは音楽校、たとえばブリット・スクールやギルドホール・カレッジ(ギルドホール音楽演劇学校)等に通った経験もあるから、ツアーに出る前に楽器演奏をしっかり学んでいる、という。いま起きていることの違いのひとつはそこだと、わたしは思う。

ジェフはいかがでしょう? ジャネットの意見に賛成でしょうか?

ジェフ・トラヴィス(GT):ああ、賛成。(苦笑)だから、わたしたちはいつだって意見が一致するんだ! 

JL:(笑)

GT:興味深いと思うのは我々が十代だった頃はいまのような音楽学校はなかったことでね。ブリティッシュ・ミュージック・シーンはある意味アート学校で生まれたようなものだ。実際に学生だった者だけではなく、アート校周辺に集まった連中も音楽をやっていた。それに、ピート・タウンゼントのように実際にアート学校に通った人びともいた。
 けれどもいまや、さまざまな音楽学校がそれに代わったわけだ。かつ、70年代には職がなければ失業手当の申し込みができ、政府からわずかのお金が給付された。飲食費に充てるのではなく家賃のためにね。
 ところが現在では、政府給付を受けるのははるかにむずかしくなっている。それに大学やカレッジといったアカデミックな道を望まない、あるいは義務教育以上に進学したくないキッズで、それでも音楽を本当に愛しているとか、何かをクリエイトするのが大好きという者たちは、先ほどジャネットが名前を挙げたような新たなタイプの音楽校に向かうわけだね。
 リヴァプールや南ロンドンをはじめ各地にそういった学校があり、彼らはそこに3年通ったり、専門校他の違ったタイプのカレッジに通い、音楽を学べる。実際、それが大きなサポートになっている。ミュージシャン同士がそうした学校で出会い、バンドを結成し、プロジェクトをやったり。たとえば、ミカ(・リーヴィ)の通った、キャンバーウェル(南ロンドン)にあるあの学校はなんだっけ? あるいは、ジョージア・エレリー(ブラック・カントリー・ニュー・ロード、およびジョックストラップ)が行ったのは……

JL:スレイド美術校? いや違う、ジョージア・エレリーが通ったのはギルドホール。

GT:ああ、ギルドホールか。ああいった面々は本当に才能あるミュージシャンであり、相当なカレッジに通ってね。

JL:でも、そればかりとは限らないし——

GT:たしかに、生まれつき才能のある者もいる。

JL:——ただ、彼らが基準を高く定めていく、と。

GT:ああ、レヴェルを上げる。違う世代ということだし、そこだね、70年代からの変化と言ったら。

JL:そう。

GT:思うに……それに70年代は、ある種60年代を引きずっていたとも言える。というわけで、カウンター・カルチャーの発想がいまよりももっと優勢だったのではないかな?

JL:(うなずいている)

GT:だから、若者はちゃんとした職に就こうとはしない、弁護士や医者になるつもりはない、といった調子で、親が子に望む生き方と逆の方向に向かったものだ。けれども、彼らはそういう考え方をしていないよね? いまのキッズは違う。

JL:ええ、それはない……。ということは、いまのキッズには反抗する対象があまりないということでしょうね、かつてのわたしたちと較べて(苦笑)。

GT:ああ。それにおそらく、まだ親と暮らしているだろうしね。

JL:でしょうね。

GT:なにせひとり暮らしをしようにも、家賃が高過ぎて無理だから。その違いは大きい。UKにおいて、音楽は歴史的に言っても、我々がいつだってかなり得意としてきたところでね。我々にいくらかでもある才能のうちのひとつだ。だからイングランドでは常に、新たな面白い音楽が生まれてくる。
 もっとも、ムーヴメントというのは正直、定義しにくいものでね。我々はその面は大概、社会学者やそれらについて書く音楽ジャーナリストの手に委ねておく。我々はとにかく、いま音楽をやっている人びとのなかで我々がベストだと思う者たち、我々全員がエキサイトさせられる連中を見つけようとするだけだ。
 とはいえ、うん、間違いなくひとつのムーヴメントがあるね。あの、歌うのではなくて、たとえばマーク・E・スミスやライフ・ウィズアウト・ビルディングスのスー(・トンプキンス)がやっていたような、歌詞を吐き捨てるごとくシャウトする一群の連中がいる。ドライ・クリーニングやヤード・アクト、スクイッドブラック・カントリー・ニュー・ロードといった連中、彼らがああいう風に「歌う」歌唱ではなく、「語る」調の歌唱をやっているのは興味深いことだ。

UKにおいて、音楽は歴史的に言っても、我々がいつだってかなり得意としてきたところでね。我々にいくらかでもある才能のうちのひとつだ。だからイングランドでは常に、新たな面白い音楽が生まれてくる。

これら新たなバンドがどんどん出てきているのには、何か社会/文化的なファクターがあると思いますか? それとも、じつはずっとこの手のバンドは存在し活動していて、シーンもあり、それがいまたまたメディアに発見され、脚光を浴びているのでしょうか? 

JL:新しいシーンはいつだって進行していると思う。常にね。そして、いつだってメディアがそれを取り上げ、命名するものだ、と。ただ、さっきも話したように、現在起きていること、おおまかに言えば南ロンドン&東ロンドン・シーンになるでしょうけど、それを他と区別している点は、新たなバンドのミュージシャンシップだと思っている。専門的な腕の良さ、彼らが技術的に非常に堪能であること、この新たな一群とこれまでとを画している違いはそこになるでしょうね。というのも、ほら、たとえばパンクの時代には、そこから離れていく動きがあったわけでしょう? 

たしかに。

JL:パンク以前は、人びとは技術的にとても達者だったし、(苦笑)ギターでえんえんとソロを弾いたり(苦笑)。そしてパンクが起こると、楽器が上手なのはまったくファッショナブルなことではなくなり、誰もそれをやりたがらないし、誰も聴きたがらなくなった。その側面は長い間失われていたけれども、こうしていま、人びとが再び音楽的な才能を高く評価する、そういうフェーズに入っているということだと思う。本当に、ちゃんと演奏ができる、という点をね。

GT:それもあるし、いま、ロンドンには非常に活況を呈しているジャズ・シーンもある。それは珍しいことでね。新世代の若い黒人のロンドン人たちが、ジャズを再び新しいものにするべく本当に努力を注ぎ込んでいる。それはずいぶん長い間目にしてこなかった動きだし、そこもまた、新しいバンドのいくつかのなかに入り込んでいる気がする。サキソフォンやホーン、ヴァイオリンなど、一般的なバンドでは耳にしないサウンドが聞こえるし、それも彼らにとってはノーマルな部分であって。そこはある意味興味深い。

たしかにジャズも勢いがありますし、新世代バンドのなかにはやや70年代のプログレが聞こえるものがあるのは、興味深いです。

JL:ブラック・ミディでしょ(笑)?

GT:ああ。

(笑)はい。なので、いまの世代は、パンクだ、プログレッシヴ・ロックだ、ヒッピー音楽だ、という風にジャンルを分け隔てて考えていない印象があります。影響の幅が非常に広いな、と。

GT:その通りだね。我々が本当に驚かされてきたのもそこで、たとえばブラック・ミディの3人と話すとする。で、彼らの音楽的知識、その幅、そして歴史的な理解は全ジャンルにわたるものであり、とにかく驚異的だね、本当に。わたし個人の体験から言っても、あの年齢で、あれだけさまざまな音楽や知名度の低いアーティストについて詳しい人びとに出会ったことはいままでなかった。ジャズ・ギタリスト、フォーク・ギタリスト、カントリー&ウェスタンのプレイヤー、ロカビリーのギター・プレイヤー等々。それはまあ、インターネットが人びとの音楽の聴き方の習慣を変え、あらゆるものへのアクセス路をもたらしたからに違いないだろうけれども。

JL:しかも、彼らは音楽学校に入るわけで。そこでも教育を受け、音楽史等について学ぶ。

GT:ああ、そうだね。にしても、彼らの音楽への造詣の深さ、あれにはただただ舌を巻くよ。

若手のシェイムをはじめ、ゴート・ガール、ドライ・クリーニング、スクイッド、ブラック・ミディ、ワーキング・メンズ・クラブ、ヤード・アクト、ザ・クール・グリーンハウス、コーティング、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、ビリー・ノーメイツスリーフォード・モッズやアイドルズなどなど……彼らをポスト・パンクと括ることに関してはどう思われますか? 


ゴート・ガールの『On All Fours』もよく聴きました。 by Holly Whitaker

GT:ルイ・アームストロングはかつてこう言ったんだ、「音楽には良いものか、悪いものしか存在しない。わたしは良い類いの音楽をプレイする」とね。

JL:(笑)その通り。

(笑)ええ。

GT:いやもちろん、わたしも理解しているんだよ。ジャーナリストは数多くの原稿を文字で埋め、何かについて書かなくてはならないわけだし、物事をジャンルへとさらに細かく分け、そこに名前をつけようとするのは理にかなっている。けれども、ミュージシャンのほとんどはそれらのカテゴリーのなかに入れられるのが正直好きではないし、とくにジャンルに関して言えば、これらのバンドたちは、別の世代がやったのと同じようにカテゴリーを認識してはいない。非常に多様でメルティング・ポットな影響の数々が存在しているからね。ポップをやることも恐れないし、かと思えば次はフォーク、今度はソウル・ミュージックをプレイする、という具合だ。たとえばブラック・ミディは今日、ホール&オーツのカヴァーをやってね。

(笑)なんと!

GT:あれはまさか彼らから?と思わされた変化球だった(苦笑)。

JL:(笑)それに、彼らはブルース・スプリングスティーンの曲もカヴァーしたことがあって。あれにも――かなり驚かされたわね。でも、個人的に言えば、わたしはカテゴリーは別に気にしてはいない。とにかく、いいものか、そうではないか。何かしら胸を打つものか、あるいはそうではないか。それだけの話であって。わたしたちの心に響き感動させられるもの、わたしたちが惹き付けられるのはそれ。これまで、わたしたちが「あの新しいムーヴメントのなかから誰かと契約しなくてはらない」という風に考えたことは一度もなかったと思う。そうした考えは一切入り込まないし、とにかく本当に才能があるとわたしたちの見込んだ人びとと会ってみるし、その視点から物事を進めていくことにしているだけ。彼らをグループとして一緒にまとめているのは、新聞のほう(笑)。

(苦笑)はい、我々の側ですよね。承知しています。

GT:(笑)。

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若い子たちはスリーフォード・モッズにあこがれていると思う。ちょっとしたヒーローだし、若い人たちの見方もそれだと思う。彼は自分の考えをはっきり外に向けて出しているし、しかも人生経験もちゃんとある人だから。

多くの若いバンドが2018年あたりに登場していることで、ブレグジット以降のUKの社会/政治状況が間接的に影響を与えているという解釈がありますが、あなたがたはどう思われますか? 若者の多くは未来に不安を感じているでしょうし、とても不安定な状況なわけですが。

GT:そこは非常に大きい部分を占めていると思う。たとえばゴート・ガール、彼女たちの書くこと、プレイしている曲、何もかもがそうしたことによって形成されていると思うし、彼女たちは社会の崩壊や、現在の世界の状態を非常に強く意識している。というか実際彼らのほとんどは、いまどういうことになっているかについてかなり強い意識があると思う。これらのミュージシャンの多くが演奏している音楽は、必ずしもストレートにコマーシャルだとは言えない類いのものなわけで、そういうことをやるためには、実は本当にやりたい音楽を「自分たちはこう感じている」とプレイし、言いたいことを言うしかない。人がどう考えるだろうか?と気にするのはある種の検閲であり、忌まわしいことと言える。
だから、(商業的ではなく)やりたい音楽をやっているということは、彼らがはただ単に保守的に順応するのではなく、いわば自分たち自身の道を進んでいる、その現れだね。ただ、いまの時代において、成功という概念はとても混乱させられるもので。

JL:そうね。

GT:やっていることを気に入ってくれるオーディエンスを見つけること、それがサクセスなんだろうね。かつ、音楽をプレイすることで生計を立てられる、それが多くのミュージシャンの夢だよ、実際。彼らがまず到達しようとする第一着陸地点がそこだろう。

JL:ええ。それにわたしは、このCOVIDのロックダウンやもろもろの後で、かなり大きなクリエイティヴィティの爆発が起こるんじゃないかと期待している。人びとは集まってクリエイトすることができずにいたし、おそらく彼らも、音楽を作りクリエイティヴでいるために何か別の方法を思いつかなければならなかったでしょうから。で、「必要は発明の母」なわけで、きっとここから何かが出てくると思う。大きな、クリエイティヴな爆発が起きるでしょうね。

シャバカ・ハッチングスの素晴らしい新作はロックダウン下で制作されたはずですし、おっしゃるように、今後UKからさらに多くの素晴らしい音楽が出てくるのを期待したいです。

JL:そうね。

〈ラフ・トレード〉では、ゴート・ガール、ブラック・ミディ(そしてスリーフォード・モッズ)を今回の特集のなかでフィーチャーさせてもらっています。どちらの新作も大好きなので、個別に話を訊かせてください。まずはゴート・ガール。このバンドこそぼくには70年代末の〈ラフ・トレード〉的な感性を彷彿させるものがあるように思います。ザ・レインコーツのような、独自の雑食性があって、しかも女性を売りにしない女性バンドです。

GT&JL:うんうん。

おふたりにとって、このバンドのどこが魅力ですか?

JL:彼女たちは……非常に音楽的だからだし、彼女たちの作っていた音楽をわたしたちが気に入ったのはもちろん、しかも彼女たちはとても意志の強い、興味深い、若い女性たちであって。彼女たちのような若い女性たち、強い心持ちがあり、自分たちが求めているのは何かをちゃんと知っている女性のグループと一緒に仕事できるというのは、わたしたちにとって非常に魅力的だった。というのも、ああいうグループは、決して多く存在しないから。

ええ、残念ながら。

JL:そう。だから、これまで彼女たちと一緒に仕事してこられて、こちらも非常に嬉しいし満足感がある。

ブラック・ミディはほとんどアート・ロックというか、なんでこんなバンドが現代に生まれたのか嬉しい驚きです。ブリット・スクールで結成されたのは知っていますが、だいたいダモ鈴木と共演していること自体が驚きです。彼らはいったい何者で、どんな影響があっていまのようなサウンドを作るにいたったのでしょう? 『Cavalcade』を聴いていると、エクスペリメンタルですが、XTCみたいなポップさもあるように思います。

JL:……(ジェフに向かって)この質問はあなたに譲る。

GT:(苦笑)えっ!

(笑)説明するのが楽ではないかもしれませんが。

GT:むずかしいね、というのも彼らは本当に風変わりで、とても型破りだから。たとえばジョーディ(・グリープ)、ギタリストでメインのシンガーのひとりである彼だけれども、彼は相当にエキセントリックなキャラクターだ。非常に個性的な人物だし、ああいう人間には滅多にお目にかからない。で、そこは本当に彼の魅力のひとつでもある。
まあ……我々はほかとはちょっと違う人びとを、普段出くわさないような人びとを常に讃えてきたよね。いい意味で、とは言えないような、やや興味深い人びとを。だがジョーディはとても教養があり、知識も豊富で、しかも実に素晴らしいミュージシャンだ。それに彼はとてもいい形で、自分のやっていることの本質を理解している、というのかな。彼は楽しいことをやりたい、スリリングかつ楽しいものにしたいんだ。それは非常にいい考え方だ(笑)。 

JL:たしかに。彼らのもっとも魅力的なところのひとつは、彼らには境界線が一切なさそうだ、ということで。とにかく彼らは、そのときそのときで自分たちの興味をそそることならなんだってやるし、自分たち自身を「我々はこういうバンドであり、やっているのはこういうこと」という風に見ていない。自分たちにとって興味深く、スリリングなものであれば音楽的にはなんだってやる。彼らは恐れを知らないわけ。

GT:しかも、それをやれるだけの能力も備えている。それは珍しいことだ(笑)。

JL:そう、そう。能力があり、恐れ知らず。彼らはほかの人間がどう考えるかあまり気にしていないし、自分たち自身を楽しませている。そこに、わたしたちは非常に魅力を感じる。

なるほど。でも、レーベルとしては、そんな風になんでもありで形容・分類できないバンドな、逆にマーケティングしにくいのではないか? とも思いますが。

GT:新しく、前代未聞ななにか、というね。それはその通りだし、だからこそエキサイティングなのであって。

JL:でも、その意見はおっしゃる通りで、彼らをマーケティングするのはとてもむずかしかったかもしれない。ところが実際はどうかと言えば、これまでわたしたちがしっかり付き合ってきたなかでも、彼らはもっともマーケティングしやすいバンドでね。なぜなら彼らには自分たちで考えてきたアイデアがあるから。自分たちをどう提示するかについて、本当にいいアイデアを持っている。その意味でもやっぱり、「境界線がない」という。彼らがとてもいい案を思いついてきて、こちらはそれらのアイデアをサポートしてきた。だからこれまでの彼らのマーケティングは、楽しかったとしか言いようがない。そもそもアイデアがちゃんとあるから、かなり楽にやれる、という。

質問にあった、ザ・フォールやパブリック・イメージのようなバンドは現在でも出てこれるか? に対するわたしの回答は、絶対に出てこれるだろう、そう思う。

今回我々が取り上げているような、ここ数年出て来たバンドのなかで、もっともいまの時代を言葉によって的確に表現できているバンドは何だと思いますか?

JL:それはもう、あなたが親であれば、彼らはあなたの子供であってみんな愛しいし、「この子」とひとつだけにスポットを当てるのはとてもむずかしい、というのがわたしの感覚であって(苦笑)。

(笑)すみません。

JL:(笑)でもまあ、スリーフォード・モッズには山ほどある。いまの世界の状況とUKの状況について、彼らには言いたいことがいくらでもある。だから、ある面では、たぶん彼らでしょうね。一方で、ゴート・ガールは、女たちにとって本当に大事なことを言葉にして歌っている。先ほど言ったように、ブラック・ミディは境界線も恐れも知らなくてアメイジングで――だから、この一組、という話ではない。そうやって選ぶのはこれからもないでしょうね。

GT:ああ。それに、我々全員が惚れ込んでいる、キャロライン(Caroline)という新人バンドもいる。8ピースのグループなんだが。

はい、知っています。

GT:うん。彼らのやっている音楽もわたしたちみんながとても、とても愛しているものだ。興味深いんだよ、あのバンドは共同し合い作業できる者たちによる一種の集団で、コミュナルな、恊働型でね。しかも8人と大規模なグループだから、その力学を見守るのも興味深い。それにこれらのグループはいずれも、もっとショウビズ的なロックンロールとしての価値も備えている。たとえばスリーフォード・モッズ、あるいはブラック・ミディの演奏を観に行くと、実際のイヴェントが、ショウとして、パフォーマンスとして、とにかくファンタスティックなんだ。それゆえに彼らのメッセージ、あるいは彼らの言わんとしていることに対して懐疑的になってしまうかもしれないが、とにかく素晴らしい一夜のエンタテインメントになってもいて。それもまた、彼らのやろうとしていることの一部なんだ。


内省的だった2021年に、場違いな騒々しさをもたらしたブラック・ミディ。

それではサウンドの面で、おふたりにとってもっとも斬新に感じるバンドはどれでしょうか?

GT:我々はいま、アイルランドのフォーク・ミュージックにとても入れ込んでいる。あの音楽は現在非常にいい状態にあるし、ランカム(Lankum)、リザ・オニール(Lisa O’neill)、 イェ・ヴァガボンズ(Ye Vagabonds)、ジョン・フランシス・フリン(John Francis Flynn)といった面々が大好きでね。新たな世代による伝統的なアイリッシュ・フォークの再解釈ぶり、あれはアイルランド音楽に久々に起きたもっともエキサイティングなことではないかと我々は思っている。実際、70年代初期以来のことだ。(※上記アクトはいずれも〈ラフ・トレード〉、もしくはジェフとジャネットが音楽ライターのティム・チッピングと始めたフォーク音楽を紹介するための傘下レーベル〈River Lea〉所属)

なるほど。

GT:それだけではなく、文学界も興味深くなっている。労働者階級や少数派文化の背景を持つ作家の作品がもっと出版されるようになっていて、それは出版界ではかなり久々のことであり、本当にエキサイティングな展開だ。他のレーベル所属アクトのライヴはあまり観に行かなくてね(苦笑)……

JL:ミカ・リーヴィ(Mica Levi/ミカチュー名義で〈ラフ・トレード〉から2009年にアルバム・デビュー)は、〈ラフ・トレード〉外ね。彼女も以前〈ラフ・トレード〉所属だったけれども、いまは自分自身で活動している。わたしたちは彼女が本当に大好きで。

同感です。最近はサントラ仕事を多くやってきましたよね。ものすごい才能の持ち主だと思います。

JL:ええ。彼女は本当にアメイジング。

いまの若いロック・バンドは、Z世代やミレニアルに属している子たちも少なくないと思うのですが、昔のロック・バンドのようにまずドラッグ(大麻は除く)はやらないし、酒に溺れることもないですし――

GT&JL:(苦笑)。

また、人種問題や環境問題、フェミニズムにも意識的だと人伝いに聞いています。おふたりから見てもそう思いますか? 70〜80年代のロックンロール・ピープルとは違う、と?

JL:間違いなくそう。わたしは確実に彼らから勉強させてもらっているから。彼らは食生活も健康的で、お酒も飲まないし、PC(政治的に正しい)でもあって(笑)。

(笑)口の悪いスリーフォード・モッズは除いて。

JL:(笑)その通り。ただ、あなたの言う通りで、若い人たちのアプローチの仕方は本当に違う。だから、むしろわたしたちの方が彼らから学べると思う(苦笑)。彼らの方が、かつてのわたしたちよりももっと妥当なルートをたどっている——というか、いまですらわたしたちはその面はダメかもしれない(笑)。

GT:フフフッ!

スリーフォード・モッズのようなバンドは、質問者のようなオヤジ世代にしたら堪らないバンドですが、UKの若い子たちはジェイソンのことをどう思っているのでしょうか? いまのバンドに彼らの影響はあると思いますか?

JL:若い子たちは彼にあこがれていると思う。彼はちょっとしたヒーローだし、若い人たちの見方もそれだと思う。彼は自分の考えをはっきり外に向けて出しているし、しかも人生経験もちゃんとある人だから。

階級闘争と文化闘争の問題についてはどう思われますか? つまり、いまのUKの文化、音楽はもちろんテレビ/映画界等の担い手から労働者階級が昔にくらべて激減し、文化が富裕層に乗っ取られているという話です。PiLやザ・フォールのようなバンドは現代では出にくい状況にあるという。

GT&JL:フム……(考えている)

ある意味、より複雑な状況のように思えます。たとえば先ほどおっしゃっていたように、いまバンドをやっている人びとにはカレッジやブリット・スクールに通った者もいて、親の学費負担もそれなりでしょうし。

GT:それは部分的には誤解だね。ブリット・スクールは実は学費を払わないで済む学校だから。

ああ、そうなんですか!

GT:あれは有料校ではないはずだし、それ自体があの学校の意義であって。入校するためにオーディションを受けるとはいえ、学費は払わないでいい。金持ちの子供のための、彼らが世に出る前に教養を積む学校だ、と思われているけれども実はその逆。才能さえあれば誰でも入校できるし、労働者階級の面々もブリット・スクールに通っている(※通訳より:ブリット・スクールに通ったことのある有名なアクトであるエイミー・ワインハウスもアデルも労働者階級なので、これは当方の理解不足です)。そこは思い違いだし、ブリット・スクールの側ももっとPRをやってその点をはっきりさせるべきだな。とはいえ、ファット・ホワイト・ファミリーのようなバンドもいるわけで……(ジャネットに向かって)彼らはどんな連中なんだい? 労働者階級?

(笑)。

JL:……(考えている)

GT:あれは、また別の系統だ。

JL:彼らは彼らだけの無比階級(笑)!

GT:そうだね、たしかに他にいない。彼らは違う感じだ。ただ、とりわけいまのロンドンのミュージシャンにとって、彼らは非常に影響力の大きいバンドでね。まあ、いろいろな人間が混じり合っていると思うし、労働者階級の面々にもいずれ、リッチな層と同じくらい、音楽界に入っていく可能性が訪れると思う。

JL:でもわたしは、いまは中流〜中流よりちょっと上の階級の人びとがバンドに多い、その意見は本当だと思う(笑)。それは本当にそうだと思うし。ただ、人生における何もかもがそうであるように、物事はさまざまなフェーズを潜っていくものであって。たとえば70年代には、お洒落で高そうな学校に通ったことがあってバンドをやっていると、あざ笑われることがかなり多かったと思う。
けれども、とにかくいまはもうそんなことはないし、もっと人びとが混ざり合っている。だから、そうした類いのタブーが消えたんだと思う。もっと混ぜこぜだし、いまはもっと、しっかり教育を受けた若者たちがバンド活動と音楽にのめり込んでいる、そういうものではないかと思うし、とにかく時代は変化している、ということなんでしょうね。ある意味、わたしたちは向上した、というか。

なるほど。そうしたタブーは逆差別にもなりますしね。中流やそれ以上の階級の人間であっても、音楽作りが好きでバンドをやりたければやっていいわけで。

JL:でも、スリーフォード・モッズ、間違いなく彼らは、そうしたバックグラウンドからは出て来ていないし。それに、質問にあった、ザ・フォールやパブリック・イメージのようなバンドは現在でも出てこれるか? に対するわたしの回答は、絶対に出てこれるだろう、そう思う。仮にわたしたちが明日彼らのライヴを観に行き、素晴らしかったら、その場で契約しているでしょうし。要は才能があるかないか、それだけの話だと思う。

1970年代末のポスト・パンク時代にはサッチャーという大きな敵がいましたが——

JL:(苦笑)ええ。

いま現在のロック・バンドにとって当時のサッチャーに匹敵するものとは何だと思いますか? 

GT:たぶん、内務大臣のプリティ・パテルは国でもっとも人気が低いんじゃない? 

なるほど。

GT:彼女は嫌悪の対象だ。けれども、現政府が若者たちの多くに対して発してきた嘘の山々、あれはとにかく過去に前例のないひどさという感じだ。いやおそらく、過去にも同じだけの嘘をつかれてきたんだろうが、かつては秘密のとばりにもっと隠されていたのが、いまやもっとあからさまになっている、ということなんだろうね。
で、先ほど君が言っていたように、いまの若者はもっと政治に関して意識的だし、この国でいま何が起きているかについてとても詳しい。気象変動をはじめとするさまざまな問題に対するアクションの欠如も知っているし、それを我々も過去数年起きてきた大規模なデモ行動の形で目にしてきたわけで。

BLM運動など、いろいろありますね。

GT:そう。とはいえ、君の指摘は正しいよ、マーガレット・サッチャーがある意味、若者を団結させた存在だった、というのはね。「この政府はうんざりだ」と彼らも思ったわけで(苦笑)。

JL:でも、あの頃も保守政権だったし、いまも保守政権なわけで。

GT:そうだね。憂鬱にさせられるのは、この保守党政府がしばらく長く続きそうな点で。そこは最悪だ。

政治・社会状況が困難であるほどアートは活発になると思うので、それを祈りましょう。でも、ということはボリス・ジョンソン首相はサッチャーほどの「敵」として見られてはいない?

GT:ああ、彼もそうだけれども、うん……

JL:……いまは、保守党全体がそういう感じで(苦笑)。

何人ものサッチャーから成り立つ政党、と。

JL:そう。だから、単純に「このひとりを敵視する」という象徴的な存在はいない。

GT:でもミュージシャンにとっては、ボリス・ジョンソンはミュージシャンがヴィザ無しで欧州に渡り、ライヴをやり、現地でお金を自由に使うのを許可する協定をEUとの間で締結しそこねた、という事実があるわけで。まだ駆け出しのバンドが外に出て行ってプレイするのは不可能な話だし、ミュージシャンには深刻だ。若いバンドに限らず誰であれ、欧州で演奏するのが以前よりもっとずっとむずかしくなっている。現政府のアートに対する感謝の念の欠如、そこにはただただ、ショックを受けるばかりだ。

それもありますが、まずはCOVID状況の克服が先決ですよね。それが起きればライヴ・セクターも回復するでしょう。音楽界にとってもまだまだ困難な時期は続きますが、〈ラフ・トレード〉の活況を祈っています。

GT&JL:ありがとう。

(初出:別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』2021年7月刊行)


(追記)
 ついでながら、ぼく(野田)が気に入っているのは、ドライ・クリーニングとブラック・ミディ、次点でスクイッドです。2021年の洋楽シーンは良い作品が多かった、それはたしかでしょう。が、コロナ禍ということがあってだいたいが内省的だった。そんななか、ブラック・ミディから聞こえる場違いな騒々しさとスクイッドの“Narrator”には元気をいただきました。
 というわけで、ブラック・ミディ、スクイッド、ブラック・カントリー・ニュー・ロードの最新インタヴュー掲載の紙エレキング「年間ベスト・アルバム号」、どうぞよろしくお願いします。(ロレイン・ジェイムズの本邦初インタヴューもありまっせ)

Boris - ele-king

 世界的な人気をほこるヘヴィ・ロック・バンド、ボリスの新作(シングル)「Reincarnation Rose」が11月17日、〈キリキリヴィラ〉からリリースされる。なんと新曲には、アルバム『We Are The Times』が評判のBuffalo Daughterのシュガー吉永が参加。表題曲はギターがうねりまくりの圧倒的なボリス・サウンドで、カップリング曲のおよそ20分のドローン‏/アンビエントも注目に値する。初回限定盤で、16ページブックレット仕様。

Boris
Reincarnation Rose

11月17日発売
KKV-126
1. Reincarnation Rose 4:20
2. You Will Know 19:38

予約ページ
https://store.kilikilivilla.com/v2/product/detail/KKV-126

Squid - ele-king

 日本のメディアが何かと話題にする「Z世代」、UKとは着目点にだいぶ隔たりがあるようだ。最近英国在住のある人物から言われたZ世代とは、まず環境やジェンダーや人種問題に関しての意識が高く、つまりPCがしっかりしていて、健康に悪い酒も煙草もやらない(大麻は別)、ほとんどが環境に優しい自転車派……云々、そして続けて言われたのは、しばらく保守党政権が続くのだろうけれど、ブーマー世代がほとんどいなくなったときには、自分たちの理想とする社会と資本主義とは噛み合わないことに気づいている/気づきつつあるミレニアルやZ世代が有権者となって、いっきに左よりの政権が生まれるんじゃないかと。偏った見方かもしれないけれど、この話の是非はともかくひとつ確実に言えるのは、こんな楽観論はとてもじゃないけれどいまの日本からは出てこないということだ。
 UKのインディー・ロック/ポスト・パンク新世代の特集記事を7月末発売の別冊エレキングで企画し、彼の地のパワフルな若い音楽に熱中していると、嬉しい反面、ふと我に返ると悲しくなる。世界各国1時間あたりの賃金増加率を20年前と比較した場合、80%増加のイギリスに対して5%マイナスの日本。去年1月デイリーミラーが掲載した「イギリス人観光客のためのもっとも安い場所」の第三位が日本。日本円で390円のビッグマックはアメリカでは620円だそうで、以上は数週間前のTBSの報道番組で報じていたことだが、敢えて資本主義的観点で言えば、(円安政策とはいえ)どれだけ俺たちは安いんだろうかと。ちなみにイギリスとの比較で言えば、ボリス・ジョンソンがワクチン調達チームをスタートさせた昨年の4月、こちらはその月アベノマスク配布スタート……。
 もうこの辺で止めておこう。暗くなるばかりだ。

 昨今のUK音楽には、音楽学校がその役割を果たしているケースが多々ある。アデルやエイミー・ワインハウス、最近ではブラック・ミディを輩出したブリット・スクールだけではない、シャバカ・ハッチングスやUKジャズ・シーンの面々の多くもトゥモロウズ・ウォリアーズというジャズ・ミュージシャンの育成機関出身だ。階級を問わず才能さえあれば無償で入れるこうした教育機関は、ともに1991年という景気の良かったとは言えない年に設立されているが、イギリスは文化というモノに力を入れている国なんだなと。翻って我が国は……はい、もう止めます。

 スクイッドはブラック・ミディやブラック・カントリー・ニュー・ロードのように、多大な参照元をもって音楽を自由形式に繰り広げているいまどきのバンドで、ブライトン出身の5人組。手短に言えば、CANとトーキング・ヘッズを掛け合わせたようなミニマルなファンク・サウンドとリチャード・ヘルをうるさくしたような、悲鳴さながらのヴォーカリゼーションに特徴を持っている。マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』に影響されているような左よりの知的好奇心旺盛な連中で、たとえばMVでは今日の明るいディストピアとしての再開発された都市が描かれていたりする。
 『ブライト・グリーン・フィールド』は、満を持してのデビュー・アルバムというわけだが、前評判に違わずじつにエキサイティングで、推進力のあるサウンドになっている。彼らの勉強熱心で頭でっかちなところにもぼくは好感を抱いているのだけれど、〈Warp〉が出すだけあって趣向を凝らしたそれぞれの楽曲はたしかに興味深い。たとえば“2010”はクラウトロックとボサノヴァを混合したような心地よさがあり、一瞬だけ対極的なハードコアが火を噴くものの、最後はスペース・ロックの彼方に飛んでいく。サン・ラー風のフリー・ジャズからはじまる“The Flyover”は、クラスター風の電子の宇宙に転換したか思えば、突如トーキング・ヘッズ風のファンクへと進路を変える。
 こうした節操のない折衷感覚は、繰り返しになるがブラック・ミディやブラック・カントリー・ニュー・ロードらと同じで、過去の情報が無秩序に溢れかえっている現代らしい傾向であり、それを前向きに捉えたアプローチであることは彼らの意気揚々としたサウンドからも感じられる。
 しかしながら、スクイッドを好きになれるかどうかはサウンドよりも、クセの強いヴォーカルを受け入れられるかどうかに関わっているのかもしれない。アルバムでもっとも目立っている“Narrator”は、軽快で、じつにクールにポスト・パンクなファンクを展開しているが、ここに泣きわめいているようなオリー・ジャッジのヴォーカルが心おきなく噴火する。曲の後半では、スピーカーから汗が飛び散るかのような勢いでひたすら叫び続けているわけだが、叫びたいのはこちらのほうである。毎晩ニュースを見るのが憂鬱で仕方がない……って、いやいやいや、それよりも、これまたブラック・ミディと同じことが言えるのだが、スクイッドの音楽にも演奏の喜びが横溢している。そして、それにしてもみんな演奏がうまい、うま過ぎる。

REGGAE definitive - ele-king

全世界の音楽ファン必読のディスクガイドが登場!

スカ、ロックステディ、レゲエ、ルーツ、ダブ、ダンスホール

60年以上もの歴史のなかから
選りすぐりの1000枚以上を掲載
初心者からマニアまで必読のレゲエ案内

A5判・オールカラー・304ページ

Contents

Preface

●Chapter 01 The Ska era (1960-1965)

Column No.1 サウンド・システムのオリジン

●Chapter 02 The Rock Steady era (1966-1968)

Column No.2 1968 最初のレゲエ

●Chapter 03 The Early Reggae era (1969-1972)

Column No.3 DJというヴォーカル・スタイル
Column No.4 ルーツ・ロック・レゲエ、バビロン、Fire pon Rome

●Chapter 04 The Roots Rock Reggae era (1973-1979)

Column No.5 スライ&ロビーとルーツ・ラディクス、ロッカーズからダンスホールへ

●Chapter 05 The Early Dancehall era (1980-1984)

Column No.6 ダンスホールの時代
Column No.7 サイエンティストの漫画ダブ

●Chapter 06 The Digital Dancehall era (1985-1992)

Column No.8 My favorite riddims.
Column No.9 レゲエと聖書とホモセクシュアル

●Chapter 07 The Neo Roots era (1993-1999)

●Chapter 08 The Modern + Hybrid era (2000-2009)

Column No.10 大麻問題

●Chapter 09 Reggae Revival era (2010-2020)

Column No.11 Reggae Revivalというコンセプト

Index

[著者]

鈴木孝弥
ライター、翻訳家。訳書『レゲエ・アンバサダーズ 現代のロッカーズ──進化するルーツ・ロック・レゲエ』、『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と音楽と女たち』、『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』ほか。レゲエ・ディスクガイド関係の監修では『ルーツ・ロック・レゲエ 』や『定本 リー “スクラッチ” ペリー』など。『ミュージック・マガジン』のマンスリー・レゲエ・アルバム・レヴューを15年務めている。

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