「ボリス」と一致するもの

ele-king vol.18 - ele-king

 昔からよく言われることだが、Jポップからは背景が見えない。見えないのが日本の風景だと言われてしまえばそれまでだが、風景らしい風景がないかわりに内面ばかりが語られる音楽を聴き続けるというのは、どこか息苦しい。セックス・ピストルズにはロンドンの下町の匂いがあったし、ザ・スミスからはマンチェスター郊外の街並みが幻視できた。レゲエからはキングストンの熱気が伝播し、シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノは街の知られる1面をレポートした。ブリアルのダブステップからもブレア以降の寂しい郊外が一緒に聴こえた。ヒップホップやグライムにいたっては、それが見えない作品を探す方が困難だろう。(ここで言う背景/背後とは、東京や湘南や札幌など、ただ地名を言うことではない。社会や歴史的背後という言葉に置換しうるものの意味で使っている)
 今日の日本の新しいヒップホップ、KOHHやBAD HOPからは背景も一緒に聴こえる。KOHHは内面的でもあるが、同時に彼が生まれ育ったところ、その背後も見えてくる(見えた気になる)のだ。KANDYTOWNのような、必ずしも経済的に厳しい出自ではない人たちも、その背後を隠さない。自分がどこからやって来たのかということに自覚的だ。要するに、本当の意味でのストリート感覚を内包した音楽ジャンルである。(しかも、言いたいことを言いたい言葉で言えるジャンルだし、そのほとんどがインディペンデントだ)
 ヒップホップは10年以上前から日本の地方都市にも根付いているので、ここで紹介するのはほんのその一場面に過ぎない。しかし、注目して欲しい、たとえば表紙に写っている(キャップを被ってもいなければスポーツシューズを履いているわけでもない)青年が、いまもっとも脚光を浴びているラッパーなのだ。紙エレキングの最新号──いまヒップホップに何が起きているのか?

■vol.18 contents

特集:いまヒップホップに何が起きているのか?

010 interview KOHH、ロング・インタヴュー 取材:山田文大
028 「いまヒップホップに何が起きているのか?」文:磯部涼
032 talking PUNPEE×NORIKIYO+ふたりが選ぶ日本語RAP名盤
043 columns RHYMESTERについて今一度考えてもらいたい 文:宮崎敬太
044 story 日本にラップは根付いたのか?――川崎・BAD HOPに始まる 文:磯部涼
048 interview MONJU(仙人掌、ISSUGI、Mrパグ)、ロング・インタヴュー 取材・文:二木信
062 columns いまなぜTwiGyなのか──『十六小節』刊行について 文:山田文大
064 interview WD sounds(澤田政嗣 a.k.a Lil MERCY)──ハードコア×ヒップホップ
067 interview Fumitake Tamura (Bun)──研磨されるビート/拓かれる聴覚
070 interview 荒井優作──トラップから路上の弾き語りまで
072 interview YungGucchiMane──未来の大器 取材:山田文大
074 interview Olive Oil──南の楽園設計を夢見つづける
078 story 酩酊は国境をも溶かす──「It G Ma」から見る日韓ラップ・シーン 文:磯部涼
080 columns トラップとはなにか? 文:泉智
081 talking オカモトレイジ×泉智「KANDYTWONを語る」
090 interview Moe and ghosts──新「ラップ現象」 取材:デンシノオト
097 talking 二木信×UCD「肯定する力とゆるさ──オレらが好きな日本語ラップ」
106 interview tofubeats──フロウとサウンド重視、発明がなければ面白くない
112 interview MARIA──KOHH、BAD HOPから高校生ラップまで語る
116 talking ECD×水越真紀 つまり「生きてるぜ」ってこと──ECDと考える貧困問題
126 3・11以降の日本語RAP 30枚 二木信+宮崎敬太+泉智
128 columns Beat goes on&on──あれから30年 文:高木完
129 いまUSヒップホップに何が起きているのか? 文:三田格
138 USヒップホップを知るための30枚 選・文:三田格

■連載
146 アナキズム・イン・ザ・UK外伝 第9回 わたしたちはもっと遡ったほうがいい ブレイディみかこ
148 乱暴日記 第三回 KOHHとボリス・ヴィアン ~あれもありこれもあり、あれがあるからこれがある~ 水越真紀
150 音楽と政治 第8回 磯部涼
152 ハテナ・フランセ 第5回 配達人に乾杯! 山田容子
154 初音ミクの現在・過去・未来(後編) 佐々木渉
156 ピーポー&メー 第9回 故ロリータ順子(後編) 戸川純

表紙写真:菊池良助

Amazon

Goth-Trad - ele-king

 日本を代表するプロデューサー、ゴス・トラッドが新作『PSIONICS(サイオニクス)』を自身のレーベル〈Back To Chill〉よりリリースする。ここ数年の間に、マーラ主宰の〈Deep Medi Musik〉や〈Back To Chill〉から楽曲を発表してきたゴス・トラッドだが、アルバムという形でのリリースは前作『New Epoch』から実に4年ぶり。
 前作がゴス・トラッドのダブステップ期を総括しているものだとしたら、新作『PSIONICS』は、よりフリーフォームで重低音を追求し続ける近年の彼の活動が反映されたものになっている。今回収録される曲の多くが使用されたこちらのミックスは、彼のキャリア初期を彷彿とさせるドローン・サウンドから、彼のスタイルとも深く共鳴するドゥーム・メタル、メランコリックなメロディで溢れている。アルバムへの期待が高まる内容だ。

 今作は販売形式もユニークで、値段に応じて内容が異なる仕様になっている。ゴス・トラッド自身が自らのDJプレイで使用するレコードを制作しているスタジオ、ワックス・アルケミー製の高品質ダブプレートが入ったパッケージもあるので、彼のサウンドへの美学に「触れる」貴重な機会になるだろう。こちらのダブプレートには日本のバンド、ボリスやアメリカのエクペリメンタルMC、Dälekとの曲作などが収録される。 
 発売は9月上旬を予定。同月には今年10周年を迎えるゴス・トラッドのパーティ〈Back To Chill〉のアニヴァーサリー・イベントも行われる。

Artist: Gpth-Trad
Title: PSIONICS
Label: Back To Chill
Track List (変更の可能性あり):
01. Grind *
02. Vortex *
03. Amazon *
04. Locomotive * 05. Eraser *
06. Crooked Temple 07. Disorder *
08. One Drop *
09. Joust *
10. Untitled
* VIPパッケージの4枚組ダブプレートに収録予定の8曲
予約はこちらから: https://www.gothtrad.com/psionics/

Kendrick Lamar - ele-king

 N.W.A.の出身地でもあり、米西海岸ギャングスタ・ラップのメッカとも言えるカリフォルニア州のコンプトンから、ギャングスタではないコンシャスな若いラッパー、ケンドリック・ラマーがメジャー・デビューして大きな話題となったのは2年ちょっと前。まずは引出しがたくさんあるめちゃくちゃうまいラップに釘付けになったが、ファンク、ソウル、ジャズ、そして現行のトレンド、それらすべての音楽への敬意が滲み出すトラック群の魅力にも徐々に気付き、これは名盤だと確信するに至った。

 で、本セカンド。ものすごく期待している自覚があったので、その反動でガッカリするかもと覚悟していたが、この今年28歳の若者は悠々とその上を行ってくれた。何人分もの声色、無尽蔵のフロウ、ロング・ブレス、高度なリズム感から生まれる独創的な符割りなど、持てる能力を存分に発揮して生々しい感情表現を実現するラップの力は圧倒的だ。プロデューサーの顔ぶれは前作からだいぶ変わったが各トラックも秀逸で、尋常ではない美意識が全編を貫いている。これはほとんどの曲にプロデューサーやミュージシャンとして参加したテレース・マーティンの貢献も大きいのではないかと思う。
 スライ&ザ・ファミリー・ストーンの“Everybody Is A Star”の歌詞内容を黒人に特化したようなボリス・ガーディナーの“Every Nigger Is A Star”のレコードが穏やかにかかる中、JBのお得意のフレーズ“Hit me!”で勇ましく切り込んで風景を一変させるのは、まさかのジョージ・クリントン。バーニー・ウォーレルが切り開いた多彩な音色を引き継ぐシンセ・サウンドを軸に、Pファンク的な女性コーラスにも彩られたトラックに乗せて、ケンドリック・ラマーはジャブ的にサラリと技ありのラップを乗せてくる。すると電話越しにドクター・ドレーも登場したりして、いきなりファンクの歴史をざっくり提示したような1曲目から全く気が抜けない。息つく暇もなくジャズのインプロヴィゼイションに乗せて、緩急自在で鬼気迫るポエトリー・リーディングをガツン! とカマされて、この高水準の曲がインタールードだなんて、もうこちとらどうしたらいいのか。フック効きまくりの3曲目“キング・クンタ”は、アレックス・ヘイリーの『ザ・ルーツ』の主人公でアフリカから奴隷としてつれて来られたクンタ・キンテと自分を重ね合わせた一貫してハードな調子のラップが心を離さないし、モウモウしながら後ろに引っ張る幻想的な4曲目は、ヴァース1と2でまるで別人のように声色とフロウを変えてくる上に、一連のギャングスタ・ラップでのコケインのようなスタンスでビラルが歌い、スヌープがふにゃらかなラップで参加、さらにはアフリカ・バンバータの“Planet Rock”の有名なフレーズ「ズンズンズン~」も飛び出し、何やらめくるめく世界に連れて行かれる。
 続くジャジーでスムースな5曲目は往年のATCQでのQティップを彷彿させるラップが繰り出され、といった具合で、もうキリがないのでこれくらいにしておくが、以下の曲も慟哭を意識したフロウ、ヨーデルの発声で通した曲、鼻歌、アフリカを思わせるリズム、ぴろりろシンセ、ピート・ロックのスクラッチ、ジャジーなスキャット、プリーチなみの迫力のリサイト等々、音楽も含めてアフリカン・アメリカンの歴史に思いが及ぶ要素を随所に挟みながら、高い力量を惜しみなく発揮して突きつけてくるラップは聴きどころの連続だ。さらには1曲の中でもガラリと展開することの多いトラックは、どこで次の曲になったのか見失うほど刺激的だし、バックに聴こえるサックスやギターの凛とした美しい演奏にもハッとするので集中力が切れる間がなく、聴き終わった後はぐったりするくらいだ。

 さて、本作を購入した当初から気になっていた奴隷船を連想させるカヴァー・アートだが、音を聴いてますますリリックが気になったので対訳を取り寄せてもらった。案の定、そこには太い幹が通っており、それは奴隷制時代からの延長線上にあるアフリカン・アメリカンの閉ざされた現状の中で、自分はあちこちに仕掛けられた罠にハマることなく成功を手にしたが、自分ひとりが抜け出しても所詮、世界は変わらない、という葛藤だと思われる。それを裏付けたのは、3曲目の最後の「お前は心に葛藤を抱え/自分の影響力の使い方を間違えていた」というリリックを、5、7、8、10曲目で引き継ぎながらストーリーを長くしていることだ。そしてそれは1曲目でジョージ・クリントンが語る「お前は本当に彼らが崇拝するような存在なのかね/お前は食い物にされる蝶なのだ」という言葉、そして16曲目に続くアウトロでの2パックとの架空の対話にも繋がるという、実に念の入った工夫も施されている。
 このように、本作はラップ、トラック、リリック、構成、すべてが練り上げられた傑作なので、是非、聴いて味わい尽くしてほしい。

文:河地依子

»Next 野田 努

[[SplitPage]]

 ケースを開けてCDを取ると蝶──蛾に見えるが蝶なのだ。蝶は生物学的には花の蜜を吸うけれど、資本主義的には金に吸い寄せられる。そして、身を守るために身のまわりのすべてを消費しようとする毛虫(caterpillar)の音楽。ホワイトハウスをバックに、ドル札を見せびらかすブラック・ピープル──。ホワイトハウスをチョコレート色に染めたパーラメントの『チョコレート・シティ』、ドル札が子供たちを食べるファンカデリックの『アメリカ・イーツ・イット・ヤング』の影がちらつくかもしれない。その直観はおおよそ正しい。が、オバマへの皮肉もこもったこのアルバムは、それだけではない。

 トゥ・ピンプ・ア・バタフライ(To Pimp a Butterfly)──日本語に訳しづらいタイトルがこのブラック・ミュージックの一大絵巻、ブラック・パワーの一大叙情詩に冠せられている。話はそう単純ではないのだ。冒頭にあるボリス・ガーディナーの1973年の有名曲“Every Nigger Is a Star(すべてのニガーはスター)”のカットアップはある意味逆説であり、あるいは両義的に聴こえる。とくに2回目以降では。
 続いてジョージ・クリントンのお出ましとくる。御大のあの声が、言う。「お前は本当に彼ら(音楽産業/アメリカ社会/資本主義)が崇拝するような存在なのかね」──クリトンの警句が、内面の激しい葛藤が展開されるこのアルバムのはじまりだ。16曲後のその結末(アウトロ)には、ラマーによる2PAC(1996年に殺されたギャングスタ・ラップ黄金時代のスター)への合成インタヴューが待っている。
 その合成された対話において、ラマーは、2パックが気に入ってくれると思って『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』というタイトルにしたことを打ち明ける。そして、「groundってどういう意味なんだい」と唐突に訊く。2パックは答える。「(groundとは)貧乏人の象徴であり、貧乏人は全世界を切り開いて、富める者たちを飲み込んでいく」
 それからラマーは友人が書いた詩を朗読する。蝶とその幼虫である毛虫(caterpillar)に関する詩だ。この世界はその幼虫を避けているというのに、しかし蝶なら歓迎する。で、パック、あんたならこの話をどう思うんだい? その問いかけがアウトロの終わりだ。

 我々は、ブラック・ミュージックというタフな音楽から見える真実に、ときとして強烈に惹きつけられる。僕は、『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』を最初に聴きたとき、昨年のムーディーマンのアルバムと似ていると思った。それをよりダイナミックに展開した作品と言うか……およそ1か月ほど前は、ハウス好きの友人たちにはそう説明していた。家に帰って、1997年のムーディーマンのEP「アメリカ(Amerika )」に記された“another nigga”に関する文言を参照して欲しいと。
 しかしラマーは、さらにリスキーな挑戦をしている。
 『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』は、まず音楽作品として圧倒的だ。LAのコンプトン出身のたたき上げのラッパーが、同じくLAの、先鋭的シーンを代表するジャズ家系のサンダーキャットやフライング・ロータスを招き入れていることは、このアルバムの大きな魅力のひとつにもなっている。そのふたりがいるわけではないけれど、フリー・ジャズに乗せて俺のチンポはただじゃねぇと繰り返す2曲目の“For Free? ”などは、赤塚不二夫と山下洋輔トリオの共作を思い出さずにいられない。実験的であり、けっこう笑える。なんにせよ『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』はコンシャスなアプローチとシカゴのゲットー・ハウス/ギャングスタ・ラップ的なダーティーさにモダンな音響を混ぜながら、そう簡単に回収(Institutionalized)されないものとしてファンキーに突っ走る。ラマー言うところのアメリカの文化的アパルトヘイトを解放するかのように。

自分の身体でさえ自分自身にものではないために、(ロバート・)ジョンスンは自分の女を満足させることができない。彼の人生においてはそれが何よりも重要であるために、その事実がひとつの象徴として拡大し、さらに多くの事実を、さらに多くの象徴を生み出す。
グリール・マーカス             
『ミステリー・トレイン』三井徹訳

歴史学者のロビン・DG・クリーは言う。つまり、黒人の若者にとって、資本主義は最高の味方であると同時に、最大の敵でもあるということだ。
                 S・クレイグ・ワトキンス
『ヒップホップはアメリカを変えたか?』菊池淳子

 このアルバムはアメリカの歴史の荒れ狂う期間に対する黒人音楽家の苦しみのリアクションであり、カーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイの優しい(穏やかな)公平性と違ってとにかく怒っている作品だ──というようなことをガーディアンは書いているけれど、ただ怒っているだけではない。『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』には、「大統領を殴ったる」「お前(アメリカ)が俺を殺人者に仕立てたんだろ」「オバマが『調子はどうだ?』ってよ」……などとアメリカへ憤りや不満をぶちまけるそのいっぽうで、自分が憎悪するその国で成功していることへの自己嫌悪、自己憐憫を隠さない。ネルソン・マンデラに思いを馳せながらも、社会と同時に彼の内面が発露される。そう、ファンキーだが内面的なのだ。オバマ以降の格差社会における社会的正義を訴えつつ、二重三重に抑圧された感情というよりも、それを克服してもなおもぬぐい去れない空しさと、なんとか克服しようとする思いとの、晒されることを恐れない葛藤がある。そして、それを突破する意味においてのファンク、あるいはジャズ、あるいはソウル、ゴスペル、ブルース。

 16曲目のアルバム中もっとも美しい曲、穏やかさと激しさの両方を併せ持つ“Mortal Man”が終わり、そして、アウトロにおける2パックの予言めいた言葉。「貧乏人は全世界を切り開いて、富める者たちを飲み込んでいく」──この作品において“希望”ないしは“オプティミズム”を探すとすれば、ひとつはそこだ。
 そして、ジョージ・クリトンの言葉ではじまったこの毛虫と蝶の物語は、先述したように、もうひとつの象徴的なものとして、夭折したギャングスタ・ラッパーの言葉で締められる。ブラック・ミュージックの偉大なる作品群と比肩しうる金字塔だと思うし、とにかく音を聴いているだけでもパワフルだが、だからこそ、歌詞対訳のついた日本盤をお勧めしたい。感情ばかりではない。スライ&ファミリー・ストーンの『暴動』のように、ケンドリック・ラマーはリスナーの頭をも使わせる。『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』は疑問符で終わっているのだ。

文:野田 努

 昨年『ノーザン・ソウル』という映画が公開された。この映画でわたしが一番ウケたのは、リアルなノーザン・ソウル・ファッションである。どうも日本でノーザン・ソウルというと、どちらかと言えばスウィンギング・ロンドンやモッズ系の格好をした人びとのイメージがあったのだが、この国に住むようになって「ノーザン・ソウル同窓会」みたいな催しに行った時、わたしは度胆を抜かれた。
 おっさんたちが履いているあのフレアと呼ぶにはあまりにも幅広のズボンは、ありゃ何だっけ、ほら中学校でヤンキーが履いてたやつ。あ、ボンタン? いやボンタンは裾が締まってたし、そうじゃなくてなんだっけほら、ああドカンだ、ドカン。しかもよく見れば青いドカンに白エナメルのベルトを締めた人なんかもいるし、上半身はランニング一丁でその上からサスペンダーでドカンを吊ってたりして髪型さえ違ったらこれはまるで……。と訝っていたら、おばはんたちは裾が床につきそうなフレアースカートでくるくる回っていて、これもまさに昔のヤンキーの姉ちゃんたちの制服のスカート丈である。なんのこたあない。ノーザン・ソウラーズは70年代の日本のヤンキーだった。そしてそのファッションを忠実に再現していたのが『ノーザン・ソウル』である。
 またこのUK版ヤンキーたちの集団ダンスシーンの野太さというかマッチョさが圧巻でブリリアントなのだが、どうやら日本ではヤンキー文化は反知性主義などと言われているらしく、その文脈で言えば『ノーザン・ソウルl』なんかはもう反知性主義大爆発である。

              ******
 
 5月7日の投票日を控え、UK総選挙戦がたいそうおもしろい。アナキー・イン・ザ・UKとはこのことかと思うほどのカオスである。二大政党だった保守党と労働党はどちらも不人気でマジョリティーを取れそうになく、右翼政党UKIPが台頭していたかと思えば、その勢いをスコットランドのSNPが奪った。昨年スコットランド独立投票で敗けたこの政党のシュールなまでの大躍進と、現代にあっては「極左」と呼ばれてしまうスタンスが、保守派からは危険視され、左派の心を躍らせている。それはまるでUKIPが出現したときの逆ヴァージョンのようだ。下層の人びとが右から左にまたジャンプしはじめている。
 うちの近所でもその現象は見られる。もともとブライトンはアナキストやエコ系の人が多いので以前からみどりの党が強い。が、みどりの党の支持者といえばミドルクラスのインテリと相場は決まっていたのに、今年は貧民街の家の窓にもみどりの党のステッカーが貼ってある。
「スコットランドのSNPの候補者がブライトンにいればSNPに投票するけど、いないからSNPと協力体制を組んでいるみどりの党に入れる」と言っている人がわたしの周囲にも多いのだ。
 この右からいきなり左に飛んでしまう軽さは識者に「小政党のつまみ食い」とか「危険な愚衆政治」とか言われる。彼らはこれを政治危機と呼び、「英国だけじゃない。欧州の有権者は長期的な目線でしっかり物を考えて大政党に投票しなくなった」と嘆く。
 が、大政党は何年も前から下層を存在しないものとして国を回している。はなから相手にされてない層の人たちが大政党のマニフェストを聞いていったい何を長期的に考えろというのだろう。

                ********

 昨年、『ノーザン・ソウル』とほぼ同時期に公開されたのが『ライオット・クラブ』だ。こちらは前者とは正反対の特権階級のポッシュな青年たちを描いた作品だ。オックスフォード大学でも両手で数えるほどのトップエリートしか入れない架空のクラブが、田舎のパブでチャヴも真っ青の反社会的行為を行う話なのだが、これはオックスフォードに実際に存在しているブリンドン・クラブをモデルにしている。実際このクラブにはあの映画の若者たちのように正装してレストランでディナーし、その後で店舗を破壊して店主に金を握らせる伝統があるそうだ。クラブ出身者の若者たちが政界に入り、国を支配する立場になるのも映画と同じである。ブリンドン・クラブの元メンバーには英国首相デヴィッド・キャメロンやロンドン市長ボリス・ジョンソンがいる(彼らは同期)。 
 ある日本のサイトを読んでいたら、「愛」、「夢」、「友情」、「仲間」などはヤンキー用語であり、よって反知性主義の言葉でもあると書かれていた。なるほど『ノーザン・ソウル』にもたしかにこのヤンキー概念はすべてあった。が、『ライオット・クラブ』ではこれらの概念は片っ端から否定されている。代わりにポッシュな青年たちが叫んでいる言葉は「レジェンド(伝説)」と「パワー(権力)」である。「愛」や「夢」を下層のコンセプトと否定し、「伝統」と「権力」を奉ずる青年たちは、自分たちが借り切ったパブの(店主と従業員が一生懸命に装飾した)一室をゲラゲラ笑いながら破壊し、庶民階級の女学生を呼び出して「3年分の学費を払ってやるから俺たち10人に口淫しろ」と言い、「もう金はいらないから出て行ってくれ」というパブの店主に暴行を加える。で、その店主が瀕死の状態になるので警察沙汰になるのだが、「出て行け」と言った店主にクラブのメンバーが札束をちらつかせながら言う台詞が印象的だ。「君たちは僕たちを嫌いだと言う。でも、君たちは本当は僕たちが大好きなんだよ」
 だがパブの店主はふふんと笑い「あんたたちはそこら辺でストリートを破壊しているガキどもと何の変わりもないじゃないか」と言うものだから死ぬ寸前までボコられるという、はっきり言って胸糞の悪い映画だ。この映画は選挙前の年に公開されたアンチ保守党プロパガンダ映画として物議を醸した。

           *********

 いま「英国の政界で最も危険な女」と呼ばれているスコットランドのSNPの女性党首は、「希望の政治」と「オルタナティヴな政治」という言葉をよく使う。
 ホープ。なんてのもまたいかにもヤンキーな響きだし、オルタナティヴという言葉だってけっこうヤバい。引用文献や歴史的&数字的裏付け等々の証拠を見せてから代替案を説明することもなく、大雑把に「オルタナティヴ」なんて言葉を投げるのはいかにも反知性的ではないか。「知識」より「感じ」を重んじるのはヤンキーの専売特許だ。
 こう書いてくるとロックなんてのもまた相当ヤンキーであり、「転がる石のように生きる」なんつうのも何の石がどの角度の傾斜で転がり、どの水準におけるライフを生きるのかグラフ化して解説しない点でフィーリング本位だし、「僕はドリーマーかもしれない。でも国なんてないとイマジンすれば僕たちは一つになれる」に至ってはもう「夢」とか「一つになろう」とかヤンキー概念の連発だ。
 かくしてロックは単なるバカと見なされ衰退し、伝統という名の世襲のものや、権力、財力といった計測可能な目に見えるものだけが世間で幅を利かすようになり、社会を牛耳ることになる。ロックというヤンキーが没落すると共に、息苦しいほど社会に流動性がなくなったのは偶然のことなのだろうか。
 『ライオット・クラブ』では特権階級の青年たちが「あいつらは上向きの流動性のことばかりバカの一つ覚えのように語っている」と言ってゲラゲラ笑っていた。
 一方、『ノーザン・ソウル』ではランカシャーの工場に勤める労働者階級の青年たちが下から上に向かって拳を突き上げながら力強く踊っている。

                
                 ******
 
 下側にいる人間が拳を上に突き上げられない時、その拳はどこに向かうのだろう。
 行き場のない拳はさらに下方に振り下ろされたり、横にいる人びとの中でちょっと毛色が違う者に向かうことになる。
 が、そんな鬱屈しきった救いのない社会で「希望」や「オルタナティヴ」といった言葉を恥ずかしげもなく口にし、本当に拳を向けるべき方向を指す者がいれば時代の空気は豹変する。ということを示しているのがいまのUKのムードではないだろうか。
 とはいえ、社会は下層だけで構成されているわけではないから、今度の選挙でも再び『ノーザン・ソウル』は『ライオット・クラブ』に負ける可能性もある。
 「反緊縮だの核兵器撤廃だの一昔前のロック・ミュージシャンのようなことを言っている。そんなことをすれば財政は崩壊するし、自国の防衛もできなくなる」
大政党のSNPに対する批判もワンパターンの様相を呈してきた。
 が、では現代の知性というやつは要するに喧嘩に強くなることと金勘定に長けることを意味するのかと思えばそれはそれでまたずいぶんと反知性主義的である。少なくとも貧困に落ちる家庭の数を増やし、飢えて汚れた子供たちをストリートに放置している為政者たちのエモーショナル・インテリジェンスの低さは、ヤンキーやチャヴに劣りこそすれ勝るものではない。

ギター・ドローン、極限の音 - ele-king

 アイシス(ISIS)のアーロン・ターナー。この先もずっと頭が上がらないだろうなって思うのは、おそらく彼と出会わなければ、自分の人生は大きく異なっていたであろうから。なんにもない状態でフラフラとLAに訪れたのに、多くの素晴らしい人たちとの出会いのきっかけを与えてくれたのはアーロンに他ならない。そういった意味では個人的に今回のMammifer / Daniel Mencheのツアー・サポートに指名されたことは本当に光栄なことである。

 昨年11月に最新アルバム、『スタトゥ・ナッセンディ(Statu Nascendi)』を発表したマミファー(Mammifer)はアーロン・ターナーと妻であるフェイスによるユニットである。彼らが暮らす、雄大な自然に囲まれたシアトル郊外のヴァショーン島を感じさせるアンビエンス、アーロンによるギター・ドローンとフェイスの美声とピアノ・アンサンブルによる幽玄なサウンドは、本作ではこれまでになく洗練された形で完成されている。

 彼らのクリエイティヴィティはいつだって留まるところを知らない。アーロンが昨年新たに結成したスマック(SUMAC)の『ザ・ディール(The Deal)』もまたヘヴィネスとミニマリズムをアイシスとは異なった形でアップデートさせていると言えるし、彼を含むポストメタル・オールスターズバンドであるオールド・マン・グルームも同タイトルで異なる内容を収録した2枚のアルバム、『ジ・エイプ・オブ・ゴッド(The Ape of God)』を発表したばかりだ。

 フェイスもまた、オークイーター(Oakeater)のアレックス・バーネットとのデュオBarnett + Colocciaで前作『Retrieval(リトライヴァル)』に引き続き〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック(Blackest Ever Black)〉からの新作リリースを間近に控えている。〈BEB〉レーベルの現在進行形暗黒電子音楽に新たな歴史を刻む傑作を約束しよう。一足先に拝聴したが、まるで異界への呼び水のようなサウンドだ。

 多忙なスケジュールのなか行なわれる、2年半ぶりとなる今回のマミファーの来日は、シアトルのベテラン・ノイジシャン、ダニエル・メンチェ(Daniel Menche)と同行する。自作楽器やフィールド・レコーディングをサウンド・ソースとしたライヴ・パフォーマンスは、過去の来日公演に訪れたオーディエンスを圧倒させている。マミファーによるレーベル〈シージ(SIGE)〉から発表されている近年の音源ではパイプオルガンやホーンを多用した見事なドローン・アンサンブルを聴かせてくれていたので今回どのようなパフォーマンスをみせてくれるのか、非常に楽しみである。

 ツアー初日となる大阪公演では、各方面から絶賛されるセカンド・アルバム『リズム&サウンド(Rhythm&Sound)』を発売したばかりのGoatの日野氏によるミュージック・コンクレートとテクノを融解させるYPY、〈スーパーデラックス〉での東京公演はボリスのスペシャルなセット、〈スープ〉での最終日にはドイツでの凱旋を終えたばかりのエンドンがパワーアップしたサウンドシステムで競演する。僕は大阪公演ではソロ、東京では普段のデュオ編成で異なるセットをおこなうつもりだ。各公演で繰り広げられる異世界へ足を踏み入れてはいかがであろうか?

■3/26(木)
大阪: 東心斎橋Conpass w/ YPY、DREAMPV$HER (Lonely pushin' set)
open 18:30 / start 19:00
前売 3,500yen / 当日 4,000yen (ドリンク代別)
問い合わせ: Conpass 06-6243-1666

■3/27(金)
東京: 六本木Super Deluxe w/ Boris
open 18:30 / start 19:00
前売 3,500yen / 当日 4,000yen (ドリンク代別)
問い合わせ: Super Deluxe 03-5412-0515

■3/29(日)東京: 落合Soup w/ DREAMPV$HER, ENDON
open 18:00 / start 18:30
前売 3,000yen / 当日 3,500yen (ドリンク代別)
問い合わせ: Soup 03-6909-3000

■チケット
2/7(土)より下記にて発売開始
大阪: ぴあ(P:255-709)、ローソン(L:56291)、e+、会場
東京/六本木: ぴあ(P:255-738)、ローソン(L:70293)、e+、会場
東京/落合: 会場、Daymare

MAMIFFER official site
DANIEL MENCHE official site


PLAID - ele-king

 『セレクティッド・アンビエントワークス 85 -92』やポリゴン・ウィンドウと比肩できうる作品とは、ずばり、『バイツ』(93)だ。いや、AFXよりも評価する人も少なくなかった。『サイロ』の2曲目からいくつかはブラック・ドッグみたいじゃんと言った人もいたように、『バイツ』、そして『スパナーズ』(95)は、オールドスクールIDMのトップ10入り間違いナシのマスターピースなのだ。その2枚の傑作がプラッド名義もしくはプラッドがそのままブラック・ドッグ名義で続いていたら、歴史は変わっていたかもしれない。
 2014年、プラッドは、この名義では10枚目のアルバム『リーチー・プリント』をリリースしている。たしかに彼らは、先にも書いたように、AFXらとともにIDMの起点を作っているが、彼らが92年~93年に高評価されたのは、彼らの音楽には多彩なリズム、たとえばラテン風のリズムなどがあって、それがクラブ・ジャズ系のDJにまで幅広く受けたからだった。そういう意味で、彼らのライヴは穏やかな彼らの作品とはまた違った面白さがある。ぜひ、注目して欲しい。

PLAID - Reachy Prints - Audio/Visual Live in Tokyo
2014年12月19日 (金)
@代官山UNIT

OPEN/START 19:00
ADVANCED TICKETS 4,000yen (tax incl./without drink)

PLAID (WARP / UK) with Benet Walsh

Guest live:
Ametsub (nothings66) / Kyoka (raster-noton) / Eli Walks

今年結成25周年を迎え、通算10枚目のオリジナルアルバム『Reachy Prints』をWARP RECORDSよりリリースしたブリティッシュ・テクノの重鎮にしてエレクトロニカの始祖、PLAID(プラッド)の3年振りとなる来日公演決定!  当日は最新A/V Live Setを披露!!

Advanced tickets now on sale.
Ticket outlets:
LAWSON TICKET (L:73253) https://l-tike.com/
e+ https://eplus.jp/
Peatix https://peatix.com/?lang=ja
Clubberia https://www.clubberia.com/ja/
RA https://jp.residentadvisor.net/
disk union 渋谷 Club Music Shop
disk union 新宿 Club Music Shop
disk union 下北沢 Club Music Shop
disk union 吉祥寺
Technique
UNIT店頭

more info.: UNIT 03-5459-8630 www.unit-tokyo.com
https://www.unit-tokyo.com/schedule/2014/12/19/141219_plaid.php

PLAID (WARP / UK)
ブラック・ドッグ・プロダクションズのメンバーとして活動し、〈WARP RECORDS〉が誇るエレクトロニック・ミュージックのオリジネイターとしてUKテクノの黎明期に数多くの革新的な 作品を発表してきたアンディ・ターナーとエド・ハリスンによるユニット。活動初期からメロディアスでダンサンブルなエレクトロニック・サウンドを展開し、後のエレクトロニカや IDM といったテクノ・シーンにおいて多大な影響を与え、エイフェックス・ツインや残念ながら今年急逝してしまったLFOことマーク・ベルなどと肩を並べる重鎮的存在としても知られる。またこれまでのアルバムでは、ビョークやニコラ・コンテ、そしてアコーディオン奏者コバなど多彩なゲストが参加し話題になる。さらに近年では映像作家ボブ・ ジャロックと「音と映像」をリンクさせた共同作『Greedy Baby』のリリースを始め、マイケル・アリアス監督から直々のオファーで、アカデミー賞の最優秀アニメーション作を受賞した松本太陽の『鉄コン筋クリート』、2年後には長瀬智也主演の『ヘブンズ・ドア』のサントラ担当するなど幅広いジャンルで活動を展開。今年、結成から25周年を迎え5月に10枚目となる最新アルバム『Reachy Prints』をリリース。今回の来日では最新のaudio/visual live setを披露する。

Ametsub (nothings66)
東京を拠点に活動。2013年は山口の野田神社で、霧のインスタレーションを交えながら坂本龍一と即興セッション。TAICOCLUBの渋谷路上イベントにてパフォーマンス。Tim HeckerやBvdubといったアーティストの来日ツアーをサポート。夏にはFLUSSI(イタリア)、STROM(デンマーク)、MIND CAMP(オランダ)といった大型フェスへ招かれる。アルバム「The Nothings of The North」が世界中の幅広いリスナーから大きな評価を獲得し、坂本龍一「2009年のベストディスク」に選出される。スペインのL.E.V. Festivalに招聘され、Apparat, Johann Johannson, Jon Hopkinsらと共演し大きな話題を呼ぶ。最新作「All is Silence」は、新宿タワーレコードでSigur Rosやマイブラなどと並び、洋楽チャート5位に入り込むなど、大きなセールスを記録中。FujiRock Festival '12への出演、ウクライナやベトナム、バルセロナのMiRA FestivalへActressやLoneと共に出演。2014年はTychoの新作をリミックス、Plaidと共にスペイン発、Lapsusのコンピに参加。ActressとThe Bugのツアーをサポート。秋にはArovaneやLoscilらの日本ツアーをサポート。Ovalから即興セッションの指名を受ける。YELLOのボリス・ブランクによるFACT Magazine「10 Favorite Electronic Records」に選出される。
北極圏など、極地への探究に尽きることのない愛情を注ぐバックパッカーでもある。

Kyoka (raster-noton)
坂本龍一のStop Rokkasho企画やchain musicへの参加、Nobuko HoriとのユニットGroopies、Minutemen/The Stoogesのマイク・ワットとのプロジェクトを行う、ベルリン~東京を拠点に活躍するスウィート・カオス・クリエイターKyoka。これまでにベルリンのonpa)))))レーベルからの3枚のミニアルバムを発表後、Alva NotoとByetone率いるドイツのRaster-Notonからレーベル史上初の女性アーティストとして2012年に12インチ『iSH』、2014年には待望のフルアルバム『IS (Is Superpowered)』をリリースする。そのポップとエクスペリメンタルを大胆不敵に融合させた、しなやかなミニマル・グルーブは様々なメディアで高く評価され、Sonar Tokyo 2012、FREEDOMMUNE 0<ZERO>ONE THOUSAND 2013へも出演を果たす。

Eli Walks
音楽一家に生まれたイーライ・ウォークスは、幼い頃から豊潤なサウンドに刺激を受け続け、すぐに音楽の魅力に取りつかれる。若くして、ギタリスト、作曲家、そしてプロデューサーとして活躍し、早い段階で才能を見出される。2005年までは日本でバンド活動を行っていたが、その後LAに渡米。2006年には本格的にサウンド・デザイン、プログラミング、エンジニアリング、作曲を勉強するため、名門カリフォルニア芸術大学に入学。Monolakeが開発した画期的な音楽ソフトウェア「Ableton Live」に関するレクチャーを行えるまでになるなど、音楽理論を徹底的に吸収。eli walksの原点となる多様なスキルを身につけていく。
再び拠点を日本に移した後、2011年4月に開催された「SonarSound Tokyo」でのサウンド・インスタレーションを皮切りに、Prefuse 73来日公演、Flying Lotus率いるレーベルの名を冠したショーケース・パーティ「BRAINFEEDER2」、オーディオ・ビジュアル・イベント「REPUBLIC」、年末カウントダウンのGOLD PANDA来日公演など、2011年多くのビッグ・イベントに出演。2012年もModeselektorやSNDの来日イベントにて、オーディエンスを圧倒するパフォーマンスを披露。各方面から大きな注目を集める中、満を持して初のオリジナル作品となるデビュー・アルバム『parallel』を<MOTION±>から同年3月にリリース。7月には「FUJI ROCK FESTIVAL ’12」への出演を果たし、錚々たるラインナップと共に、深夜のRED MARQUEEを沸かせた。
常に音楽を作り続け、現在までに400曲以上作曲。磨き続けた類まれなセンスと確かな嗅覚によって創り出されるトラックはいずれも瑞々しい魅力を帯びている。叙情的でアトモスフェリックな旋律と立体的に重なり合う音像。繊細にして大胆、美しくスリリングなエレクトロニック・ダンス・ミュージックを鳴らす、日本発の超大型トラック・メイカー。
現在待望の2ndアルバムを制作中。来年初頭のリリースを予定している。


ENDON - ele-king

 東京発、ディオニューソス主義者どもによるエクストリーム・バンド、エンドンによるファースト・フル・アルバム。
 スイスはローザンヌでの〈LUFF(ルフ)フェスティヴァル〉、その最高峰のサウンドシステムの中で観たエンドン、エンプティセット(Emptyset)という連チャンが、昨年のライヴ観覧ハイライトであったことは間違いない。プロデュースにボリス(Boris)のAtsuo氏、エンジニアに中村宗一郎氏、リミックスにゴッドフレッシュ(Godflesh)のジャスティン・K・ブロードリック、ヴァチカン・シャドウ(Vatican Shadow)のドミニク・フェルノウを起用した本作品は、エンドンが内包するヴィジョンを2014年現在へ最大限具現化したものといえる。初めてディスコダンスアクシス(Discodanceaxis)やカタルシス(Catharsis)を聴いたときの衝撃に近いなこりゃ。

 僕はこのアルバムを聴きながら、数ヶ月前におこなったボリスの最新作『ノイズ(Noise)』のウェブ掲載用インタヴューの中で、Atsuo氏がそのアルバム・タイトルを「当初ものすごくブルータルなイメージが沸いていたが、結果的にボリス史上最も音楽的なアルバムとなった」と発言していたことを思い出した。または数年前のピート・スワンソン(Pete Swanson)のインタヴュー中の発言、「音楽における究極性である“ノイズ”を表現しながらも聴者とのコミュニケーションとして成立させたい」という言葉も脳裏をよぎる。

 エンドンのサウンドは限りなくノイジーで、そのパフォーマンスは限りなく暴力的であれど、それは非常に音楽的で愛に満ちている。圧倒的なスキルでバンドの基礎を支えるギターとドラム、肥えた耳と緻密な計算で紡いだノイズ/エレクトロニクスが縦横無尽に空間を駆け巡り、獣のごときボーカルが全感情を(死ぬ)限界まで表出させる。その5人をつなぐピアノ線のような緊張の糸は、つねに最大のテンションで張りつめているのだ。迂闊に飛び込むとこちらの手足が切れちゃう! みたいな。世界広しといえども、いわゆるバンド編成による音楽の究極性をここまで追求したアホどもを僕は知らない。

 ちなみにヴィデオはロカペニスこと斉藤洋平氏、ジャケットは河村康輔氏。マジでやり過ぎでしょ君たち。凡百のオカマ系インダストリアル・ムーヴメント(僕を含む)を完膚無きまでに破壊し尽くすであろう、きたるレコ発は100%流血沙汰。僕も火に油を注ぎに行きます。ピュア・ファッキン・ディストラクト・カオス!

interview with Ike Yard - ele-king

ダーク・アンビエントがもっとも盛んなのは、これといった特定の場所というよりも、おそらく僕たちの脳内だ。「ダークネスに対する大衆の欲望を甘く見るな」という台詞は、2012年のUKで話題になった。

 アイク・ヤードは、今日のゴシック/インダストリアル・リヴァイヴァルにおいて、人気レーベルの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉あたりを中心に再評価されているベテラン、NYを拠点とするステュワート・アーガブライトのプロジェクトで、彼は他にもヒップホップ・プロジェクトのデスコメット・クルー、ダーク・アンビエント/インダストリアルのブラック・レイン、退廃的なシンセポップのドミナトリックス……などでの活動でも知られている。ちなみにデスコメット・クルーにはアフロ・フューチャリズムの先駆者、故ラメルジーも関わっていた。

 アイク・ヤードの復活はタイミングも良かった。ブリアルとコード9という、コンセプト的にも音響的にも今日のゴシック/インダストリアル・リヴァイヴァルないしはウィッチ・ハウスにもインスピレーションを与えたUKダブステップからの暗黒郷の使者が、『ピッチフォーク』がべた褒めしたお陰だろうか、ジャンルを越えた幅広いシーンで注目を集めた時期と重なった。世代的にも若い頃は(日本でいうサンリオ文庫世代)、J.G.バラードやフィリップ・K・ディック、ウィリアム・S・バロウズらの小説から影響を受けているアイク・ヤードにとって、時代は巡ってきたのである。


Ike Yard
Remixed [ボーナストラック4曲(DLコード)付き]

melting bot / Desire Records

IndustrialMinimalTechnoNoiseExperimental

Amazon iTunes

 先日リリースされた『Remixed』は、この1〜2年で、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から12インチとして発表されたリミックス・ヴァージョンを中心に収録したもので、リミキサー陣にはいま旬な人たちばかりがいる──テクノの側からも大々的に再評価されているレジス(Regis)、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からはトロピック・オブ・キャンサー、〈トライアングル〉とヤング・エコーを往復するヴェッセル……、インダストリアル・ミニマルのパウェル、〈ヘッスル・オーディオ〉のバンドシェル、フレンチ・ダーク・エレクトロのアルノー・レボティーニ(ブラック・ストロボ)も参加。さらに日本盤では、コールド・ネーム、ジェシー・ルインズ、hanaliなど、日本人プロデューサーのリミックスがダウンロードできるカードが付いている。
 
 7月18日から3日間にわたって新潟県マウンテンパーク津南にて繰り広げられる野外フェスティヴァル「rural 2014」にて来日ライヴを披露するアイク・ヤードが話してくれた。

初めてレイム(Raime)を聴いて好きになったときに〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉に音源を送った。すぐに仲良くなって2010年にロンドンで会ったよ。実はまだいろいろリリースのプランがあって、いま進んでいるところだ。

80年代初頭のポストパンク時代に活動をしていたアイク・ヤードが、2010年『Nord』で復活した理由を教えてください。

ステュワート・アーガブライト:2010年の『Nord』は、2006年の再発『コレクション!1980-82 』からの自然な流れで、またやれるんじゃないかと思って再結成した。アイク・ヤードは2003年と2004年にあったデスコメット・クルーの再発と再結成に続いたカタチだ。
 両方に言えることだけど、再結成してどうなるかはまったくわからなかったし、再結成すること自体がまったく予想していなかった。幸運にもまた連絡を取り合ってこうやって作品を作れているし、やるたびにどんどん良くなっているよ。

『Nord』が出てからというもの、アイク・ヤード的なものへの共感はますます顕在化しています。昨今では、ディストピアをコンセプトにするエレクトロニック・ミュージックはさらに広がって、アイク・ヤードが本格的に再評価されました。

SA:そうだね。アイク・ヤードのサウンドは世代をまたいで広がり続けている。いま聴いてもユニークだし、グループとしての音の相互作用、サンプルなしの完全なライヴもできる。1982年には4つのシンセサイザーからひとつに絞った。再結成したときはコンピュータ、デジタルとアナログ機材を組み合わせた。『Nord』は再結成後の最初の1年をかけて作ったんだけど、ミックスでは日本での旅やヨーロッパで受けたインスピレーションが反映されている。

ブラック・レイン名義の作品も2年ほど前に〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から再発されました。

SA:初めてレイム(Raime)を聴いて好きになったときに〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉に音源を送った。すぐに仲良くなって2010年にロンドンで会ったよ。実はまだいろいろリリースのプランがあって、いま進んでいるところだ。

今回の『Remixed』は、〈Desire Records〉と〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉との共同リリースになっていますが、このアイデアも〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からだったのでしょうか?

SA:レジス(Regis)のエディットが入っている最初のEP「Regis / Monoton Versions 」は〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉との共同リリースで、その後は〈Desire Records〉からだ。
 レジスとの作業は完璧でお互い上手く意見を出し合えた。スタジオを一晩借りて、そこにカール(・レジス)が来て、ずっと遊んでいるような感じだった。3枚のEPにあるリミックス・ヴァージョンを1枚にするのは、とても意味があったと思う。他のリミックスも良かった。新しい発見がたくさんあった。レジスが"Loss"をリマスターしたときは、新しいリミックスかと思うくらい、まったく違った響きがあったよ。
 2012年のブラック・レインでの初めてのヨーロッパ・ツアーは、スイスのルツェルンでレイム、ベルリンでダルハウス、ロンドンでの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉のショーケースはレイム、レジス、プルーリエントのドム、ラッセル・ハスウェル、トーマス・コナー、ブラック・レインと勢揃いの最高のナイトだった。

ちなみに、2006年には、あなたは〈ソウル・ジャズ〉の『New York Noise Vol.3』の編集を担当していますよね。

SA:〈ソウル・ジャズ〉は素晴らしいレーベルだ。ニューヨーカーとしてあの仕事はとても意味があった。まずは欲しいトラックのリストを上げて、何曲かは難しかったから他を探したり、もっと面白くなうように工夫した。ボリス・ポリスバンドを探していたら、ブラック・レインのオリジナル・メンバーがいたホールの向かいに住んでいたことがわかったが、そのときはすでに亡くなっていた。あのコンピの選曲は、当時の幅広いニューヨーク・サウンドをリスナーに提示している。

UKのダブステップのDJ/プロデューサーのコード9は、かつて、「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」と言ってましたが、ご存じでしたか?

SA:もちろん。コード9はニューヨークの東南にある小さなクラブに彼のショーを見に行ったときにコンタクトをとった。そのときにいろいろやりとりしたんだが、彼の発言は、どこかで「アイク・ヤードは20年前にダブステップをやっていた」から「アイク・ヤードは最初のダブステップ・バンド」に変わっていた。『Öst』のEPの引用はそうなっている。自分としては、当時の4人のグループがダブステップ的なライヴをできたんじゃないかってことで彼の言葉を解釈してる。

コード9やブリアルを聴いた感想を教えてください。

SA:ふたつとも好きだ。とくにコード9 & スペース・エイプの最初のリリースが気に入っている。最初のブリアルに関しては、聴き逃すは難しいんじゃないかな。ものすごくバズっていたからね。

[[SplitPage]]

レジスはタフだ。彼はまた上昇している。ニーチェが呼ぶ「超人」のように働いている。自分は、テクノと密接な関係にある。やっている音楽はミニマル・ミュージックでもある。

ダブステップ以降のアンダーグラウンドの動きと、あなたはどのようにして接触を持ったのですか?

SA:アイク・ヤードのリミックスが出たときに、シーンからフレッシュなサウンドとして受け取ってもらえたことが大きい。あと、ここ数年のインダストリアル・テクノ・リヴァイヴァルと偶然にも繋がった。僕たちのほかとは違った音、リズム、ビートが面白かったんだろう。

ヴェッセルも作品を出している〈トライアングル〉、ないしは〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉など、新世代のどんなところにあなたは共感を覚えますか?

SA:新しいリリースはチェックしている。いま誰が面白いのかもね。彼らは知っているし、彼らのやっていることをリスペクトしてる。エヴィアン・クライストを出している〈トライアングル〉のロビンから連絡が来て、レッドブル・アカデミーのスタジオでエヴィアンと1日中セッションしたこともある。
 〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉はブラック・レインの『Dark Pool』のリリース後にとても仲良くなった。パウェルはブラック・レインの最初のライヴで一緒になって友だちになった。トーマス・コナーとファクションもいた。〈RVNG Intl.〉のマットのリリース『FRKWYS』の第5弾にもコラボレーションで参加したよ。

『Remixed』のリミキサーの選定はあなたがやったのですか? 

SA:だいたいの部分は僕がやったね。リミックスのアイデアは〈Desire Records〉と企画して、好きなアーティストを並べて決めた。

リミキサーのメンツは、みな顔見知りなのですか?

SA:ほとんど会ったことがある。ない人はEメールでやりとりしている。日本のリミキサー陣はまだ話したことはない。あとイントラ・ムロスとレボティ二。ブラック・ストロボはとても好きだ。2003年のDJヘルの再発で、ドミナトリックス(Dominatrix)の「The Dominatrix Sleeps Tonight」では本当に良いリミックスをしてくれた。

レジスやパウェル、アルノー・レボティーニ(ブラック・ストロボ)のような……、クラブ・カルチャーから来ている音楽のどんなところが好きですか?

SA:時間があるときはできるだけ多くのアーティストを聴くようにしている。クラブの世界は、いま起きている新しいことがアーティストやDJのあいだで回転しているんだ。実際、同じように聴こえるものばかりだし、面白いと思えるモノはたいしてないんだが……。そう考えると、次々と押し寄せる流行の波のなかで生き抜いているレジスはタフだ。彼はまた上昇している。ニーチェが呼ぶ「超人」のように働いている。
 僕は、テクノと密接な関係にある。やっている音楽はミニマル・ミュージックでもある。他のアーティストを見つけるのも、コラボレーションするのも楽しい。新曲でヴォーカルを何曲か録って、アイク・ヤードのマイケルと僕とでザ・セイタン・クリエーチャーと“Sparkle"を共作した。そのときのサミュエル・ケリッジのリミックスはキラーだよ。〈Styles Upon Styles〉からリリースされている。音楽もビートもすごいと思ったから、JBLAのEPもリリースした。自分まわりの友だちと2012年にブリュッセルでジャムして作ったやつで(〈Desire Records〉から現在リリース)、〈L.I.E.S.〉のボス、ロン・モアリとスヴェンガリーゴーストとベーカーのリミックスもある! 最後に収録されているオルファン・スウォーズとのコラボでは、彼らが曲を作って僕が詞を書いた。クラブ・ミュージックと完全に呼べるものは、来年には発表できると思うよ。

とくに印象に残っているギグについて教えてください。

SA:6月にグローバル・ビーツ・フェスティヴァルで見たDrakha Brakha (ウクライナ語で「押す引く」)は良すぎるくらい良かった。キエフのアーティストで、エスノなヴォーカルやヴァイブレーション、オーガニックなサウンド、チェロ、パーカッションが入っている。彼らは自分たちの音楽を「エスノ・カオス」と呼んでいた。
 毎年夏に都市型のフリー・フェスティヴァルがあるが、自分にとってはとても良い経験だ。いつでも発見がある。レジス、ファクトリー・フロア、ヴェッセル、スヴェンガリーゴースト、シャドーラスト、ピート・スワンソン、ヴェロニカ・ヴァシカ……なんかとのクラブ・ナイトを僕もやりたい。

ダーク・アンビエント、インダストリアル・サウンドがもっとも盛り上がっている都市はどこでしょう?

SA:ダーク・アンビエントは、これまでにも多くの秀作がある。アイク・ヤードの4人目のメンバーでもあるフレッド(アイク・ヤードのリミックスEP第2弾でもレコンビナントとして参加)の曲は素晴らしく、『Strom Of Drone』というコンピレーションに収録されいたと思う。
 ドリフトしているドローンが好きだ。たとえば、アトム・ハートの、『Cool Memories』に収録されている曲、トーマス・コナーの『Gobi』と『Nunatak』、プルーリエント、シェイプド・ノイズ、クセナキス、大田高充の作品には深い味わいがある。
 ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』に触発されたブラック・レインの『Night City Tokyo』(1994)は、自分たちがイメージする浮遊した世界観をより正確に鮮明に描いていると思う。つまり、ダーク・アンビエントがもっとも盛んなのは、これといった特定の場所というよりも、おそらく僕たちの脳内だ。「ダークネスに対する大衆の欲望を甘く見るな」という台詞は、2012年のUKで話題になった。

東欧には行かれましたか? 

SA:おそらく東ヨーロッパは次のアルバムのタイミングで回るだろう。母親がウクライナのカルパティア人なんだ。コサックがあったところだ。で、僕の父親はドイツ人。母親方が石炭採鉱のファミリーで、ウェスト・ヴァージニアにいて、沿岸部に移り住んでいった。ウクライナ、キエフ、プラハ、ブタペスト、イスタンブールは是非行ってみたい。

日本流通盤には、コールド・ネーム、ジェシー・ルインズ、hanaliなど、日本人プロデューサーのリミックスがダウンロードできます。とくにあなたが気に入ったのは誰のリミックスですか?

SA:コールド・ネームしかまだ聴けてないけど、とても気にっている。

こう何10年もあなたがディストピア・コンセプトにこだわっている理由はなんでしょう?

SA:「ダーク」と考えらている事象を掘り下げるなら、あの頃はストリートが「ダーク」だったかもしれない。1978年のニューヨークは人種問題で荒れていた。その影響もあってダークだったと言えるけど、実際はそんなにダークではなかった。
 1981年にアイク・ヤードのメンバーに「もし電源が落ちて真っ暗になっても、僕たちはそこでも演奏し続ける方法を見つけよう」と伝えた。そのとき得た回答は、自分がロマンティックになることだった。
 自分たちには陰陽がある。暗闇の光を常に持っている。もっともダークだったストリートにおけるそのセンスは、やがて世渡り上手でいるための有効な手段となった。僕は、近未来のディストピアのなかで前向きに生きることを夢見ていなたわけではなかった。シド・ミードは、未来とは、1984年までの『時計仕掛けのオレンジ』、『ブレードランナー』、『エイリアン』、『ターミネーター』と同じように、世界をエンタテイメント化していると認識していた。
 ジョージ・ブッシュの政権に突入したとき、どのように彼がイラク戦争をはじめるか、その口実にアメリカの関心は高まった。彼の親父はサダム・フセインからの脅しを受けていた。が、当時のディストピアは、時代に反応したものではなかった。ヒストリー・チャンネルは『ザ・ダーク・エイジ』や『バーバリアンズ』といったシリーズをはじめたが、母親のウクライナと父親のドイツの血が入っている僕にとって、自分たちがバーバリアンであると信じていた。バーバリアンから来ているオリジナルのゴスに関して言えば、僕にドイツ人の血が流れているか定かではないけど、ドイツにいるときその何かを感じたことはある。自然環境、場所、そしてミステリーの狭間でね。
 2005年から2009年にかけてのディストピアについても言おう。ブラック・レインのベーシストのボーンズと再結成前のスワンズのノーマン・ウェストバーグは、ペイガニズム、アミニズム、ブーディカといったイングランド教、ドルイド教、その他クリスチャンにさせようとするすべての勢力に反した歌詞を根幹とした。新しい「ローマ」がどこで、それが誰であるかを見つけなければならない。そしてそれがいつ崩壊するのかも。

[[SplitPage]]

1981年にアイク・ヤードのメンバーに「もしも電源が落ちて真っ暗になっても、僕たちはそこでも演奏し続ける方法を見つけよう」と伝えた。そのとき得た回答は、自分がロマンティックになることだった。

80年代初頭、あなたはニューヨークとベルリンを往復しましたが、あれから30年後の現在、ニューヨークとベルリンはどのように変わったのでしょうか?

SA:83年の春にベルリンに来たとき、デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノによる『ロウ』や『ヒーローズ』の匂いが漂っていた。その2枚は自分にとってとてつもない大きな作品だったから、ワクワクしていたものさ。
 アイク・ヤードのその当時の友だちはマラリア!で、彼女たちは78年に自分が組んだザ・フュータンツのメンバー、マーティン・フィッシャーの友だちでもあった。マラリア!とは、リエゾン・ダンジェルーズ (ベアテ・バルテルはマラリア!の古き友人)と一緒に79年にニューヨークに来たときに出会ったんだ。
 クロイツベルクではリエゾン・ダンジェルーズのクリスロ・ハースのスタジオで何週間か泊まったこともあったよ。まだ彼が使っていたオーバーハイムのシンセサイザーは自分のラックに残っている。
 当時のベルリンは、ブリクサとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンが全盛期でね。初めて行ったときは幸運にも友だちがいろいろ案内してくれた。マラリア!のスーザン・クーンケがドレスデン・ストリートにあるスタジオで泊まらせてくれたり、ある日みんなで泳ぎに出かけようてなったときにイギー・ポップの彼女、エスターがすぐ上に住んでいることがわかったり……。78年から89年のナイト・クラビングは日記として出したいくらい良いストーリーがたくさんある。 そのときの古き良き西ベルリンは好きだった。いまのベルリンも好きだけどね。 83年以来、何回かニューヨークとベルリンを行き来してる。アイク・ヤードは8月25日にベルリンのコントートでライヴの予定があるよ。
 ニューヨークももちろん変わった。人生において80年代初期の「超」と言える文化的な爆発の一端は、いまでも人種問題に大きな跡を残してる。いまでも面白いやつらが来たり出たりしてるし、これまでもそうだった。女性はとくにすごい……まあ、これもいつだってそうか。音楽もどんどん目まぐるしく展開されて前に進む。
 〈L.I.E.S.〉をやっているロン・モアリは、近所のレコード屋によくいた。リチャード・ヘルとは向かいの14番地の道ばたで偶然会ったりする。
 しかし、ときが経つと、近所に誰がいるとか、状況がわからなくなってくるものだ。友だちも引っ越したり、家族を持ったりする。僕はイースト・ヴィレッジの北部にあるナイスなアパートに住んでいる。隔離されていて、とても静かだから仕事がしやすい。2012年のツアーではヨーロッパの20都市くらい回って、そのときはいろんな場所に住んだり、仕事もしてるが、ニューヨークがずっと僕の拠点だ。

最近のあなたにインスピレーションを与えた小説、映画などがあったら教えてください。

SA:以前も話したけど、僕のルーツは、J.G.バラード、P.K.ディック、ウィリアム・ギブソンだ。ワシントンDC郊外の高校に在籍していた多感な少年時代には、ウィリアム・バロウズの影響も大きかった。あとスタンリー・キューブリックだな。ドミナトリックスをやっていた頃の話だけど、1984年にワーナーにで会ったルビー・メリヤに「ソルジャー役で映画に出てみないか」と誘われたことがあった。フューチャリスティックな映画だったら良かったが、現代の戦争映画で自分が役を演じているという姿が想像つかなかった。が、しかし、その後、彼女は『フルメタル・ジャケット』のキャスティングをしていたってことがわかった(笑)。
 日本の映画では怪談モノが好きだし、黒澤明、今村昌平、若松孝二、鉄男、石井岳龍、森本晃司、大友克洋、アキラ、ネオ・トーキョー、川尻善昭『走る男』……なんかも好きだ。いまはK.W.ジーターとパオロ・バチガルピが気に入っている。
 ブラック・レインのアルバムでは、ふたつのサイエンス・フィクションが元になっていて、K.W.ジーター(P.K.ディックの弟子で、スター・トレックも含む多くの続編小説を生んだ作家)の『ブレード・ランナー2 :エッジ・オブ・ヒューマン』(1996)の小説。もうひとつはパオロ・バチガルピの『ザ・ウィンド・アップ・ガール』(2010)からのエミコの世界に出て来る新人類。
 いまちょうど著者のエヴァン・カルダー・ウィリアムスと、「今」を多次元のリアリティと様々な渦巻く陰謀を論じる新しい本と音楽のプロジェクトを書いている。
 もうひとつの本も進行中で、2000年頃から10年以上かけてロンドンのカルチャー・サイト、ディセンサスを取り入れてる。このスタイルの情報に基づいた書き方は、イニス・モード(意味を探さしたり、断定しないで大まかにスキャニングする)とジョン・ブラナー(『Stand On Zanzibar』、『Shockwave Rider』、『The Sheep Look Up』)に呼ばれている。ブラナーの『Stand On...』は、とくにウィリアム・ギブソンに影響を与えているようにも見えるね。

アイク・ヤードないしはあなた自身の今後の活動について話してください。

SA:早くアイク・ヤードの新しいEPを終わらせたい。新しい4曲はいまの自分たちを表している。そしてアルバムを終わらせること。『Nord』以降はメンバーが離ればなれで、みんな忙しいからなかなか進まなかった。
 次のアルバムは『Rejoy』と呼んでいる。日本の広告、日本語、英語を混ぜ合わせた言語で、アイク・ヤードにとっての新境地だ。ある楽曲では過去に作った歌詞も使われている。ケニーや僕のヴォーカルだけではなく、いろんなヴォーカルとも作業してる。アイク・ヤードのモードを変えてくれるかもしれない。
 また、新しいアルバムでは、ふたりの女性ヴォーカルがいる。日本のライヴの後、3人目ともレコーディングをする。そのなかのひとりは、エリカ・ベレという92年のブードゥー・プロジェクトで一緒になった人だ(日本ではヴィデオ・ドラッグ・シリーズの一部『ヴィデオ・ブードゥー』として知られている)。エリカは、昔はマドンナとも共演しているし、元々はダンサーだった。最初のリハーサルはマイケル・ギラ (スワンズ)と一緒でビックリしたね。
 新しいアルバムができた後は(EPは上手くいけば今年の終わりに〈Desire Records〉から、アルバムは来年以降)、「Night After Night」の再発にリミックスを付けて出そうかと思っている。ライヴ・アルバムもやりたい。
 あとは初期のブラック・レイン、ドミナトリックス、デスコメット・クルーのリリースも考えたい。サウンドトラックのコンピレーションも出るかもしれない。新しいテクノロジーを使いながら、新しいバンドも次のイヴェント、ホリゾンでやろうかとも思ってる。いまは何よりも日本でのライヴが楽しみだ。


※野外フェスティヴァル「rural 2014」にてアイク・ヤード、待望の初来日ライヴ! (レジスも同時出演!)

■rural 2014

7月19日(土)午前10時開場/正午開演
7月21日(月・祝日)正午終演/午後3時閉場 [2泊3日]
※7月18日(金)午後9時開場/午後10時開演 から前夜祭開催(入場料 2,000円 別途必要)

【会場】
マウンテンパーク津南(住所:新潟県津南町上郷上田甲1745-1)
https://www.manpaku.com/page_tour/index.html

【料金】
前売 3日通し券 12,000円
*販売期間:2014年5月16日(金)〜7月18日(金)
*オンライン販売:clubberia / Resident Advisor / disk union 及び rural website ( https://www.rural-jp.com/tickets/
*店頭販売:disk union(渋谷/新宿/下北沢/町田/吉祥寺/柏/千葉)/ テクニーク
*規定枚数に達しましたら当日券(15,000円)の販売はございません。

駐車料金(1台)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。

テント料金(1張)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。タープにもテント代金が必要になります。

前夜祭入場料(1人)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。前夜祭だけのご参加はできません。



【出演】
〈OPEN AIR STAGE〉
Abdulla Rashim(Prologue/Northern Electronics/ARR) [LIVE]
AOKI takamasa(Raster-Noton/op.disc) [LIVE]
Benjamin Fehr(catenaccio records) [DJ]
Black Rain(ブラッケスト・エヴァー・ブラック) [LIVE]
Claudio PRC(Prologue) [DJ]
DJ NOBU(Future Terror/Bitta) [DJ]
DJ Skirt(Horizontal Ground/Semantica) [DJ]
Gonno(WC/Merkur/International Feel) [DJ]
Hubble(Sleep is commercial/Archipel) [LIVE]
Ike Yard(Desire) [LIVE]
Plaster(Stroboscopic Artefacts/Touchin'Bass/Kvitnu) [LIVE&DJ]
Positive Centre (Our Circula Sound) [LIVE]
REGIS(Downwards/Jealous God) [LIVE]
Samuel Kerridge(Downwards/Horizontal Ground) [LIVE]
Shawn O'Sullivan(Avian/L.I.E.S/The Corner) [DJ]

〈INDOOR STAGE〉
Abdulla Rashim(Prologue/Northern Electronics/ARR) [DJ]
AIDA(Copernicus/Factory) [DJ]
Ametsub [DJ]
asyl cahier(LSI Dream/FOULE) [DJ]
BOB ROGUE(Wiggle Room/Real Grooves) [LIVE]
BRUNA(VETA/A1S) [DJ]
Chris SSG(mnml ssg) [DJ]
circus(FANG/torus) [DJ]
David Dicembre(RA Japan) [DJ]
DJ YAZI(Black Terror/Twin Peaks) [DJ]
ENA(7even/Samurai Horo) [DJ]
GATE(from Nagoya) [LIVE]
Haruka(Future Terror/Twin Peaks) [DJ]
Kakiuchi(invisible/tanze) [DJ]
KOBA(form.) [DJ]
KO UMEHARA(-kikyu-) [DJ]
Matsusaka Daisuke(off-Tone) [DJ]
Naoki(addictedloop/from Niigata) [DJ]
NEHAN(FANG) [DJ]
'NOV' [DJ]
OCCA(SYNC/from Sapporo) [DJ]
OZMZO aka Sammy [DJ]
Qmico(olso/FOULE) [DJ]
raudica [LIVE]
sali (Nocturne/FOULE) [DJ]
SECO aka hiro3254(addictedloop) [DJ]
shimano(manosu) [DJ]
TAKAHASHI(VETA) [DJ]
Tasoko(from Okinawa) [DJ]
Tatsuoki(Broad/FBWC) [DJ]
TEANT(m.o.p.h delight/illU PHOTO) [DJ]
Wata Igarashi(DRONE) [Live&DJ Hybrid set]

< PRE PARTY >
Hubble (Sleep is commercial/Archipel) [DJ]
Benjamin Fehr (catenaccio records) [DJ]
kohei (tresur) [DJ]
KO-JAX [DJ]
NAO (addictedloop) [DJ]
YOSHIKI (op.disc/HiBRiDa) [DJ]

〈ruralとは…?〉
2009年にはじまった「rural」は、アーティストを選び抜く審美眼と自由な雰囲気作りによって、コアな音楽好きの間で徐々に認知度を上げ、2011年&2012年には「クラベリア」にて2年連続でフェスTOP20にランクイン。これまでにBasic Channel / Rhythm & Sound の Mark Ernestusをはじめ、DJ Pete aka Substance、Cio D'Or、Hubble、Milton Bradley、Brando Lupi、NESS、RØDHÅD、Claudio PRC、Cezar、Dino Sabatini、Sleeparchive、TR-101、Vladislav Delayなどテクノ、ミニマル、ダブ界のアンダーグラウンドなアーティストを来日させ、毎年来場者から賞賛を集めている野外パーティです。小規模・少人数でイベントを開催させることで、そのアンダーグラウンド・ポリシーを守り続けています。
https://www.rural-jp.com

interview with BORIS - ele-king

■CD(ALBUM+SINGLE)

BORIS - NOISE
Tearbridge

NoisePsychedelicRock

Tower HMV Amazon iTunes

■アナログ盤
BORIS - NOISE Daymare

Amazon

 海外のアーティストとの交流の中で、お互いの国のアーティストやシーンに関する意見交換は必至であり、筆者の経験においてはその中でボリスの名が挙がらないことはまずない。名義の表記にはそのときどきの音楽性の差によって使い分けがあり、ロックの中心へと向かう大文字のBORIS、ロックの外側へ向かう小文字のboris、たとえばそうした二項の往復の中に、90年代から誰よりもワールドワイドに活動をおこなってきた彼らだからこそのジャパニーズ・ヘヴィ・ロックがある。2011年発表の『New Album』からはメジャー・リリースとなり、彼らは日本のロック史における新たなる地平線を提示した。
 そして、このたび最新作『Noise』が発表される。ボリスにおけるインターナショナルとは、ボリスにおけるフィジカル・リリースとは、ボリスにおけるノイズとは、ロックとは? アルバム・タイトルとは裏腹に、近年でもっとも音楽的な作品となったともいえる『Noise』の深淵にダイヴする! ……ということでインタヴューに向かいましたが、なにぶん過去の思い入れも深いバンドなのでおそろしいほど緊張してしまい筆者はほとんどホワイトアウト状態でありました。(倉本)


■BORIS / ボリス
1992年に結成され、現在はAtsuo、Takeshi、Wataの3人体制で世界的な活動を続けるロック・バンド。これまでにおびただしいリリースがあるが、2000年代には『Amplifier Worship』『あくまのうた』『PINK』などの成功によって海外からも絶大な支持を集めるようになる。2011年に初のメジャー・リリースを行い、活動をさらに多元化させた。最新作は本年リリースの『NOISE』。

A:Atsuo
T:Takeshi
W:Wata
N:野田

当初はすごくブルータルでノイジーなアルバムになりそうな予感だった。それで、そのタイトルが降りてきて、終わってみたら逆にいちばん音楽的なアルバムになっていたんです。(Atsuo)

はじめに、今作『NOISE』は、ロックの中心へ向かうもの=大文字BORISとしての作品、という認識で間違いないでしょうか?

A:う~ん……。なんか、完成したら今までの中で一番音楽的なアルバムができたなと思って。だから今回は大文字BORISでいいかなーと。

毎回、最初に小文字borisか大文字BORISかというコンセプトを決めているわけではないのですか?

A:そうじゃないですね。

完成していく段階で振り分けるんでしょうか?

A:まぁ、だいたいそうかな……。作っている段階では何も考えてないことが多いので、できあがったら「こっちだね」みたいに。

アルバム・タイトルが『NOISE』とのことですが、ボリスは過去作も含めて象徴的なアルバム・タイトルが多いように見受けられます。先ほどおっしゃった、いままででいちばん音楽的であるアルバム『NOISE』に込められた意味は何でしょうか。

A:プリプロが全体的にでき上がった頃ですかね、タイトルとしてフッと「Noise」って言葉が降りてきて……。去年の春ぐらいですかね、「あぁ、もうこの感じでいこう」と。当初はすごくブルータルでノイジーなアルバムになりそうな予感だった。それで、そのタイトルが降りてきて、終わってみたら逆にいちばん音楽的なアルバムになっていたんです。

前作『Heavy Rocks』ですが、なぜ再びかつてと同じタイトルを冠したのでしょうか? BORISにとっての「Heavy Rock」に対する再定義ともとらえられるのですが。

A:あの時は、『Attention Please』と『Heavy Rocks』を同時にリリースしたんですが、その兼ね合いの中で、Wataのヴォーカル曲だけの『Attention Please』に対して、その当時の「Heavy」感を詰め込むという感じで、アルバム相互のキャラが別れていった。それで『Heavy Rocks』と同じタイトルでもいいかな? ってなりました。

ジャケットのデザインも同一で色ちがいということだったので、ボリスとしてのへヴィ・ロックの再定義があったのかなと思いまして。

A:そうですね。ただ、非常に感覚的なものですよ。言葉でこう定義するって感じでもなく、いまはこんな感じかなと。僕らのフィーリングとしての「Heavy Rock」が、あのときはあんな感じだった。

ロックのヘヴィ性に対する感覚の変化であると。

A:そうですね。やっぱり僕らの意識の中だけではなく、周りの状況、認識も変わっているじゃないですか。それってすごく大きいことですよね。

買ってくださるお客さんが手に持って、開封して、聴くという、フォーマットそれぞれのシチュエーション、流れまで含めてデザインしています。リスナーが作品に触れている、見ている時間も音楽の重要な要素です。(Atsuo)

なるほど。逆に僕にとってボリスの変わらない部分ということで、ひとつお訊ねさせてください。
 ゼロ年代半ばからヴァイナルの需要がグンと伸びた理由のひとつに、プロダクトとしてのフェティッシュなマーケットの拡大があげられると考えています。時期的に捉えてもボリスのフィジカル・リリースの方法論はそれらのパイオニアとも言えると思います。また音質の点でもCDとヴァイナルのマスタリングを明確に差別化してきたと思います。ボリスのフィジカルへの異常ともいえるそのこだわりとは何なのでしょうか。

A:CDとLPでもフォーマットが結構違うじゃないですか。サイズであったり、収録面が分かれていたり。買ってくださるお客さんが手に持って、開封して、聴くという、フォーマットそれぞれのシチュエーション、流れまで含めてデザインしています。リスナーが作品に触れている、見ている時間も音楽の重要な要素です。

出会いってことでしょうか?

A:はい。経験していく過程というか。それもイメージして。やっぱり音だけの世界観じゃなくて、聴いていただける人がいて、手に取ってもらうっていう経験があって、参加してもらうところまで含めて作品ですね。

まだ僕の手元に届いていない、来る『NOISE』2xCDと2xLPのフィジカルへのこだわりがあれば教えて下さい。

A:国内盤は友だちのReginaっていうデザイン・チームのリョウ君にやってもらいました。ジャケットはもう公開されていますけど、彼なりの「Noise」をこちらに提示してくれています。

印刷とか毎回異常にこだわっているじゃないですか。今回はどうなんですか?

A:国内盤に関してはそういったところ、ギミックではなくてもっとこう……見えない空気感とか、そういうところをつくり込んでいる感じかな。海外盤の方は僕がデザインを担当していて、そっちはまあ特色とか光沢感とかのギミック有り。Web上では絶対再現できないような。僕はそういうデザインしかできないんで(笑)。

でもそこはやっぱりすごく大事じゃないですか。僕は音源を買う要素としてそこがなければはじまらないみたいな部分もあったりするので。

[[SplitPage]]

僕らは、いろんな曲の連なりがあって、アルバムの中でのそういう作品世界っていうものを追っていくようなアルバム・バンドなんですよ。(Atsuo)


BORIS - NOISE
Tearbridge

NoisePsychedelicRock

Tower HMV Amazon iTunes

■アナログ盤
BORIS - NOISE Daymare

Amazon

逆にダウンロード販売とかって抵抗はありますか?

A:あぁ~……

どのあたりが苦手ですか?

A:あぁ~……。ちょっといまのは小さい文字にしといてもらえますか? フォントサイズ落としてもらっていいですか?

(一同笑)

わかりました(笑)。ただ、ボリスはアンチ・ダウンロードなイメージありますよ。

N:しかし、ボリスは頻繁に海外に行かれているわけで、アメリカなんかは本当にダウンロードが普及しているじゃないですか?

A:ただそのぶんアナログも伸びていますからね。

一般的にもそこは二極化していると思いますよ。たとえばボリスのリリースはプロダクト的にも価値があるので、音を単純に聴く行為を越えてみんな買うと思うんですよ。だからダウンロードのマーケットには単純に影響されない気がしますけど。

A:海外のレーベルからも、ボリスは他のバンドに比べてデジタル販売のパーセンテージがすごく低いって。フィジカルは売れるんだけど、もう少しデジタル伸ばしてくれないかって言われています。でもずっとこんな感じでやってきたので、とにかくわからないんですよ、ダウンロードって。実際自分が買ったことないし。さっきの話に戻りますけど、CDとかLPって自分が経験してきたように、手に取るところまでをイメージして作品づくりにフィードバックしていけるんですけど、ダウンロードは実際買ったことがないのでイメージしづらい。i-tunes、i-podももちろん使っていますけど、取り込む場合WAV、AIFFそのまま。とりあえずみんなmp3とかに圧縮するのは卒業した方がいいと思うなあ。ハードディスクも安くなっているし。

でもいまはそれだけで成立しているレーベルとかアーティストもいますよね。フィジカルのリリースがいっさいないレーベルとかもあるじゃないですか。

T:逆に「なぜそれで成立させられるの? どうやったらデジタルの売上げを伸ばせるの?」 ってこっちからレーベルに質問したい(笑)。

A:僕らは、いろんな曲の連なりがあって、アルバムの中でのそういう作品世界っていうものを追っていくようなアルバム・バンドなんですよ。

アルバム・バンド!?

A:シングルをポンポン切っていくようなバンドじゃなくて、曲の連なりである種の世界観、世界を探検して、その報告をするみたいな作品づくり。だからアルバムごとにカラーが変わってきたりもするんですけど。シングル1曲でも買えるようなダウンロードのシステムってまだぜんぜん馴染みがない。

T:それは正直な気持ちですね。


僕、本当にメルヴィンズのコレクターだったんですよ。プロモ盤からリミテッドのシングルまで、とにかくどんな手を使ってでも……みたいに。それは自分にとってすごくいい経験だったし、豊かな時間だった。それをもしボリスに対して感じてくれている人がいるとしたら、とてもうれしいことです。(Atsuo)

N:でも、ここ10年で日本のロックというか日本の音楽、それこそいろいろな、灰野敬二からボリスまですごくマーケットとして大きくなったんですよね。とくにアメリカなんかは、アメリカでメディアをやっている人間と話しても、10年前に比べて明らかに日本の音楽に対する好奇心であるとか興味みたいなものが増えているなという実感があるんですよ。やっぱりそういう日本の音楽、たとえば灰野敬二でもボアダムスでもボリスでも、そういうものを買っている人たちというのは、モノとして自分の部屋に置きたいという欲望がすごく強いリスナーだと思うんですけれど、そういう感覚って海外に行って感じられたことはあります? 日本のバンドということで逆に注目を浴びているというような。ボリスにとってそれが本意なのか不本意なのかはわからないですけど。

A:いろいろな誤解込みでボリスがこういった状況になっているとは思っています。単純に日本語がわからないわけじゃないですか、彼らは。僕ら日本語で歌っているし。だから逆にいろいろな情報を取りこぼさないようにフィジカル・フォーマットを買ってくれていたりとか、やっぱり情報を求めてくれているんじゃないかと思いますね。

N:たとえば僕らがかつて向こうのバンドに対してすごくミステリアスな気持ちを抱いていたように、いまアメリカに住んでいるような人なんかが、日本のバンドやボリスに対してミステリアスな気持ちを抱いているというような印象は感じますか? そのあたりはボリス的にはどうなんですか?

A:そうですね、それは実際に自分も経験してきたことで。僕、本当にメルヴィンズのコレクターだったんですよ。プロモ盤からリミテッドのシングルまで、とにかくどんな手を使ってでも……みたいに。ブートのビデオまで取り寄せたりしてね。とにかくどんな些細なことでも知りたかった。それは自分にとってすごくいい経験だったし、豊かな時間だった。それをもしボリスに対して感じてくれている人がいるとしたら、とてもうれしいことです。

僕もそのあたりはお訊きしたかったのですが、たとえば日本のサイケデリックとかって、欧米ではある種のブランドのようなものになっていたりします。ボリスはかなり初期の段階からワールドワイドな活動をされていたわけで、失礼な意見になってしまうかもしれませんが、そういった海外からの日本のロックへの先入観といったもので捉えられてしまうことへの抵抗感はありましたか?

A:……んー、いや? (笑)

すいませんでした……。

A:僕らは「サイケ・バンドです!」 みたいなノリでもないし。「メタル・バンドです!」とも言えないし。非常に宙ぶらりんな感じなんですけど、海外ではどちらのシーンにも受け入れてもらっている感覚がある。たとえば去年〈オースティン・サイケ・フェス〉に出させていただいたんですけど、あそこに出ると、「わ! 俺らすごくメタルっぽいな!」と思ったり、以前出演した〈朝霧JAM〉でも「やっぱり俺らメタルっぽいなー」とか。

T:黒い服着ているの俺らしかいない。

(一同笑)


僕らは「サイケ・バンドです!」 みたいなノリでもないし。「メタル・バンドです!」とも言えないし。非常に宙ぶらりんな感じなんですけど、海外ではどちらのシーンにも受け入れてもらっている感覚がある。(Atsuo)

A:逆に、このあいだロンドンでやった〈デザート・フェスト〉っていう、3日間ストーナー、ドゥームとかそういうヘヴィなのばっかり出るイヴェントだと、「あれ? 俺らサイケ・バンド?」みたいに、周りの状況によって自分たちに見えるボリスの姿がなんか微妙にズレたりする。話を戻すと、海外ではメタルの市場ってやっぱりすごいデカいじゃないですか。

めちゃくちゃデカいですよね。

A:すごいですよね。同時にサイケデリックの市場ってのも、プレミアがついていてもちゃんとお金を出して現物を買うっていう、もはや骨董品収集レベルのガチな方々がたくさんいる、すごく手堅い市場なんですよね。だからそういったふたつのシーンからサポートしてもらっているのは本当にありがたいですね。

[[SplitPage]]

やっぱりある種、向こうのロックの歴史の流れにはまっちゃっている部分がある。でもツアーに出れば出るほど自分たちが「うわっ、超日本人だなー」みたいに思うこともやっぱりある。それを僕らなりに消化したというのが『New Album』だったんですけど。(Atsuo)

メジャーからの初リリースとなった『New Album』からJ-POPやJ-ROCK、ビジュアル系やアニソン等の“J”を全面的にフィーチャーしたものとなりましたが、それはやはり前述の欧米におけるボリスの捉えられ方を破壊したいという欲求だったのでしょうか?

A:そうですね。やっぱりある種、向こうのロックの歴史の流れにはまっちゃっている部分がある。でもツアーに出れば出るほど自分たちが「うわっ、超日本人だなー」みたいに思うこともやっぱりある。行き来しているからこそ見えてくる日本のカルチャーの面白さもある。それを僕らなりに消化したというのが『New Album』だったんですけど。根底には、いかにバンドっていう概念を捨てていくかっていうようなアーティストとしてのヘヴィさがあった上で、エクストリームに「ポップです」というところに向かっていった。ノイジーなまでにね。たとえばこの〈エイベックス〉が築き上げてきたような、アーティスト主導ではなくて企画先行で生まれる音楽であったり、デザインとしての音楽、そういうところにピントを合わせた作品でしたね。

N:ちなみに海外へ行って向こうのジャーナリストによく訊かれる質問とかってありますか? 日本ではあまり訊かれないような。

A:次は誰とコラボレーションしたいですか? って絶対訊かれますね。それは何か変なんですかね?ボリスのスタンスは(これまでのコラボレーション相手にサンO)))、メルツバウ、灰野敬二、ザ・カルトのイアン・アストベリー等)。

いや、僕はそこはいろんな意味で気になりますよ。僕の認識ではボリスは大きなバンドなんですけど、それでもたとえば細かいスプリットのリリースが絶えないじゃないですか。ボリスの規模のバンドになるとそういった形でのリリースはやらないバンドも多いですし、また、失礼かもしれませんがコラボレーションの相手もけっして有名なアーティストでない場合が多かったりとか。そのあたりにこだわりを僕は感じています。このあいだのJマスシスのレーベルからのヒープとのスプリット7インチしかり。

A:バンドの規模が大きくなっていくとコントロールしづらくなることもやっぱり多くて……もう、本当にめんどうくさいですよね、昨今のリリースに関する実務量は。

(一同笑)

A:CD作って、ヴァイナル、僕らの尺だと絶対2枚組になる。そしてデジタル。海外リリースでは、デジタル・ダウンロード用のジャケットをつくるのも当たり前なので、ジャケットだけでも3種類作らなきゃならないし、マスターも3種類。とにかくどんどんめんどうくさくなっている。

(一同笑)

N:それぞれのニーズがありますからね。

A:そういった中で、すべて自分たちでハンドリングできたり、フッと出せる、作ってすぐ出せるというようなものが、やっぱりどうしても欲しいんですよね。そのスピード感というか。曲作って、レコーディングして、出して、もうお客さんの手元にある、みたいな。もちろんダウンロードとかネットで共有するのではなく、形あるものでね。実際ヒープとの7インチも僕らまだ持ってないですから。

(一同笑)

あの7インチはボリスからアプローチしたものなんですか?

A:あれはJからのオファーです。アメリカ・ツアーの際に僕らのサウンド・エンジニアとしてついてくれているノエルっていうお爺ちゃんがいて──ジミヘンを3回も観たことある人。

すごいですね。

A:当時クリームも13thフロアエレベーターズも、バブルパピーも観たことあるって、ロックのバイブルみたいなお爺ちゃんなんですけど、彼はダイナソーJr.のPAもやっていて、先に「ヒープってバンドがノエルのことを歌った曲を作ったから、ボリスもなんかノエルのことで曲書いてみてよ」って言われて、それで。

ジョー・ヴォルクはどこで?

A:ジョー・ヴォルクはポーティスヘッドの〈ATP〉に出ていた。彼のライヴがすごく良くて。

T:僕らと同じステージの出演だったんですけど、サウンド・チェックでの彼の音と歌がとにかくすごくて、なにこの人みたいな。僕らそのときは彼のことを知らなくて。

A:彼のアルバム、じつはジェフ・バーローがプロデュースやっていたりするんですけど。そのライヴのときに声をかけて話したりして、それからですね。本当のところ、顔が見える関係性の中でリリースとか作品づくりとかをやっていけたら楽しいですね。


昔から聴いてきてくれているようなお客さんは、相当耳が肥えている方々なので、表層がどんなものであろうと「ボリスはやっぱりボリスだよね」って言ってくれる。(Atsuo)

N:でもあれですよね。成田さんというプロデューサーをつけて〈エイベックス〉から出したということは、それまでのボリスのイメージを更新するといった意味合いがあったとおっしゃっていましたが、以前お話したときに、ボリスはどうしても海外のほうが比重が大きくなって、たとえば10年前に比べて海外で知名度が高い日本のバンドが増えてきたと思いますし、ele-kingで以前、アシッド・マザーズ・テンプルのインタヴューを掲載したらすごくアクセスがあってビックリして。平均して月に3000以上、アメリカからのアクセスがあるんですよね。日本の情報に飢えているアメリカ人がおそらく読んでいると思うんですけれども、そういった意味ではボリスはいまの状況の先陣を切っていったひとつだと思うんです。
 以前お話したときには、海外の音楽シーンの中ではガッツリ機能しきれているのに、日本だと自分たちがいまひとつ機能しきれていないんじゃないかというようなこともおっしゃっていましたね。それもあって前回から〈エイベックス〉からリリースされていたりするわけですが、実際出してみて、前作の反応はどうだったんですか? たとえば倉本くんのようなドゥーム・メタル・ファンには複雑なものがあったと思うんですよ、正直な話。いろいろなリアクションがあったと思うんですが、そのあたりはいかがでしょう?

A:なんて言えばいいのかな。前回の『New Album』に関しては、「わかりやすすぎてわかりにくい」。担当も言っていましたけど、「わかりやすすぎて売りにくい」と。

(一同笑)

だから、ある意味で『New Album』はボリス史上もっとも尖ったアルバムだったと思いますよ。

A:そうですね、シニカルな感じじゃないですか。べつに、すげぇ売れよう! と思ってあれを作ったわけでもないし。

(一同笑)

A:どうしても作品が批評的になってしまう。〈エイベックス〉から出すことでバカ売れするような期待も最初からなかったですし。まぁ、あれはあれで、メジャーからリリースするという部分もコンセプトの中に入れた、僕らなりの切り込み方だったんで。

N:それまでのファンからのリアクションはどうだったんですか?

海外のファンのリアクションとかも気になりますね。

A:とりあえず、昔から聴いてきてくれているようなお客さんは、相当耳が肥えている方々なので、表層がどんなものであろうと「ボリスはやっぱりボリスだよね」って言ってくれる。『New Album』からついてくれたお客さんもいたりとかして、よけい混沌とした状況にはなっていますよ。

(一同笑)

それはボリスが混沌とした状況を求めているというふうに捉えてよいのでしょうか?

A:はい。基本的に「いいものはいいじゃん」というスタンスでいたいので。それぞれの主観でね。

N:スタイルとかではないということですね。

おっしゃっていただいたように、長年誰よりもワールドワイドに活動してきたボリスにしか見えない世界があるわけですが。日本と外の往来の中でボリスが再構築されつづけてゆく感覚と、その共有の繰り返しによって、つねに世界も更新されていくということでしょうか。

A:そうですね。もちろんアルバムだけの評価ではなくて、ツアーであったり、ライヴであったりがバンドとしての説得力であると基本的には思っています。

『New Album』まではバンドっていう概念をとにかくブッ壊すみたいなことをやってきた。徹底的にやったので、今回はちょっと肩の力を抜いて普通のバンドっぽく3人で……そういえば3人でインタヴュー受けるのは何年ぶりだろう。(Atsuo)

成田忍氏との制作がエクストリームな形で表れた『New Album』から継続するような形で、前作『praparat』での共同作業、そして今作『NOISE』へと至ったわけですが、『New Album』と比較すると、今作『NOISE』は成田氏のエッセンスがボリス本来のサウンドに自然に落とし込まれている気がします。はじめに成田氏に仕事を依頼するに至ってから今作まで、共同制作を積み重ねていく中でお互いのヴィジョンの変化はありますか?

A:そうですね、『New Album』の時点では成田さんはそこまで僕らのことを理解していたわけでもないし、でもだからこそ良かったというか。

その状況だからできたことって意味でしょうか?

A:そうですね、あの作品はね。成田さんはリリース後もほとんどのライヴを観に来ていただいていて。ボリスのツイン・ギターというかベースレスになる編成に着目してくれていたり。成田さんなりのボリス観みたいなものを更新していただいて。その間にジョー・ヴォルクの12インチとアソビ・セクスとのスプリット、デッド・エンドのトリビュート等も一緒に制作させていただいて、次々に新しい関係の仕方が見えてきました。で、『New Album』のときは〈Peace Music〉のエンジニアの中村さんがぜんぜん噛んでいなかった。その当時からバンドと成田さんと中村さんの三角形でやれたらいいんじゃないかなーと思っていたんですよね。『New Album』まではバンドっていう概念をとにかくブッ壊すみたいなことをやってきた。徹底的にやったので、今回はちょっと肩の力を抜いて普通のバンドっぽく3人で……そういえば3人でインタヴュー受けるのは何年ぶりだろう。

(一同笑)

A:まだ一言もしゃべってない人がいるけど(笑)。

W:こういった現場に馴れていないので……。

[[SplitPage]]

バンドの中での三角形と、バンドとプロデュース、エンジニアの三角形がバランスよく進行しましたね。(Atsuo)


BORIS - NOISE
Tearbridge

NoisePsychedelicRock

Tower HMV Amazon iTunes

■アナログ盤
BORIS - NOISE Daymare

Amazon

A:それで今回『NOISE』ではバンドに立ち返って演奏に集中して。表層的なテクスチャーとか肌触りみたいなポスト・プロダクション部分を成田さんに。サウンド・エンジニアの中村さんが音楽としての骨格の強さを構築してくれました。バンドの中での三角形と、バンドとプロデュース、エンジニアの三角形がバランスよく進行しましたね。

ボリスは過去作品をかえりみても、外に仕事を振らずにすべて自分たちで完結していた時期もあると思うのですが、現在そこを外に振ってゆくということは、そこに新たな可能性を見い出しているということでしょうか?

A:そうですね。いや、できるんですけどもうボロボロになるんですよ。

どういうことですか?

A:全作業を受け持つと……。曲とバンドの関係性が猛獣ショウみたいな、猛獣使いみたいな……。

(一同笑)

A:……猛獣っていうよりはキメラだよね?

T:なんか見たことがない想像上の生き物みたいな。

A:お互いがこう鞭でバシッ! ガブッ! って噛まれたり、いつも戦っている感じがあった。その暴れているイメージをどうにか焼き付けるのにかなりの労力、集中力を使う。それは自分たちで暴れさせているんですけどね(笑)。曲とつくり手がお互い暴走し合ってボロボロになってゆく。けっこう疲れるんですよね。

なるほど(全然わかっていません)。ただ、先ほどのお話にあったみたいに、作っている段階では大文字BORISなのか小文字borisなのか、はたまたBorisなのかということは考えていないとおっしゃっていましたが、それでも小文字borisは大文字BORISやBorisに比べるとジャム色は強いように感じていました。しかし、要はすべて同じようにジャムから生まれて、それに対しての外の方々の作業の中で聴こえ方が変わってゆくということなんですかね。

A:ここ何年かはTakeshiがデモをつくって、それをバンド・アレンジしていくっていう手法も取り入れていますけど、基本はジャムですね。今回のリード曲、“Quicksilver”も、ジャムって「あ、できた」みたいな感じでした。ジャムだから、基本的に繰り返しとかサビみたいな構造的な作曲をしていない──日本の音楽の方法論的な部分でいうサビってところがなかったり、リフレインがホント少ないんですよ。どんどんどんどん展開していっちゃう。

個人的な好奇心でお訊きして申し訳ないのですが、生活の中のどれぐらいの時間を制作に割いていますか? ボリスは3人での活動歴がとても長いと思うのですが、普段どのくらい3人で制作に臨んでいるのか、いち音楽家の僕としては単純に気になります。

A:平日は仕事しよう! というふうに決めていますよ。

平日はガッツリですか?

A:うん。昼から。やることがなかったら「ちょっと録ろうか?」みたいな感じ。

T:リハーサルスタジオに入って、レコーダー回して。

A:一応、皆さまのおかげでこうして生活させていただけているので、ちゃんと仕事として捉えています。

スッゴイっすねー……(溜息)。

A:このやり方がいいのか悪いのかはわからないですけどね。ツアー中に刺激を受けることが多いので、帰ってきたら直ぐ「スタジオ入ろうか?」ってなりますね。

自然の現象と音楽が生まれる現象って同じことじゃないですか。音楽って空気が振動している現象であるし、水が降っていることとか、火が燃えていることとか。そういう自然の現象に匹敵する情報量がないと、人の目とか耳って楽しめないんじゃないかな? (Atsuo)

話が飛んでしまいますが、名作『flood』以降、現在まで僕にとってボリスは水のイメージがまとわりついています。それはリリックであったり、タイトルであったりさまざまな形ではあるのですが。しかし同時にボリスはデザート・ロックにはじまるようなカラッカラのドライヴ・チューンが根底にあるとも捉えられますし、そういった意味では相反するふたつの要素が混在しているようにも思います。そのあたりは意識的なのかなと。

A:いや……、僕が「雨男」ってくらいですよ。

(一同笑)

A:そういった自然の現象と音楽が生まれる現象って同じことじゃないですか。音楽って空気が振動している現象であるし、水が降っていることとか、火が燃えていることとか。そういう自然の現象に匹敵する情報量がないと、人の目とか耳って楽しめないんじゃないかな? なんかグリッドに沿ってやる音楽とか、均一なループとか、規則的なことは僕らにはできないし(笑)。
グダグダなズレとか、オーガニックな感じでしか演奏ができない。そういった意味では今回『NOISE』はかなりそっちの方に寄っていったかな……。

T:構築するってことより、自分の内面から自然にグワァーって流れ出てきてしまうような、そういう意味でのオーガニック感。

A:単純に一点でアタックを「ダン!」って合わせるアレンジにしても「ダワァン」とハミ出ちゃうみたいに合わない。合わないときの情報量っていうか、そういう表情が出ちゃうことが僕ららしさなのかなって、ここは「良さ」として再認識しています。

僕はそのあたりをすごく深読みしていて、ボリスはメルヴィンズの同名曲に由来するように、アメリカの乾いた音楽の影響で生まれていながらも、たとえば日本の文化や民族性において、湿度──という表現を僕はしばしば用いますが──そういった部分を意識的に落とし込んでいるというふうに捉えるのは考え過ぎでしょうか?

A:影響受けてやっても同じにはならないですよね。体の大きさも違うし、楽器の鳴りも違うし。

電圧とかも違うッスよね。

T:湿った空気を震わせているのか、乾いた空気を震わせているのか、とかもね。

A:あんな大きな体の人たちと、こんな細い華奢な女の人(Wata)が同じ条件でギターを弾いてもやっぱりぜんぜん違う音になる。そういったことを思う機会もたくさんあったけど、逆に日本人らしいグラデーションというか、階調の多さみたいなものも売りになると思っています。

[[SplitPage]]

日本ってマジックミラーで囲われていて、内側からは外が見えるけど外側からは内が見えない。(Atsuo)
ジャムの曲が形になって行く過程で、言葉を加えたりギターのフレーズを入れたりしていくとき、常にそれらの「日常性」は考えます。(Takeshi)


BORIS - NOISE
Tearbridge

NoisePsychedelicRock

Tower HMV Amazon iTunes

■アナログ盤
BORIS - NOISE Daymare

Amazon

ボリスの楽曲や詩からは昭和歌謡を強く感じることがあります。実際に花太陽雨のカヴァーをやっていたりもしますし。僕が海外でボリスが好きな子に出会ったりすると、PYGのことを訊かれたりして。海外のファンはボリスの和製音楽のバッググラウンドにすごい興味を持っていると思うんですよ。

A:欧米のロック史に匹敵するくらい日本のロック史には濃いものがありますよね。でもぜんぜん外側には伝わってない。向こうの人もどうやって掘り下げていいかわからない。ジュリアン・コープが書いた『ジャップ・ロック・サンプラー』にしても主観的でまだホントに入り口みたいなものですよね。パッと見でも日本には本当に変なカルチャーがいっぱいある。音楽の歴史だけでも、たどっていったら「すごいものがあるんじゃないか?」って、みんな興味持っているんじゃないかな?

N:レコード・コレクターからすると(日本は)最後の秘境と言われていますからね。いまはインターネット社会でこれだけ情報がアーカイヴ化されているでしょ? でも日本の音楽の歴史だけは世界に知られていない。

A:日本ってマジックミラーで囲われていて、内側からは外が見えるけど外側からは内が見えない。ずっとそういう状況で日本人が中で好き勝手に空騒ぎしている。でもそういったカルチャーがネットの時代になって断片的にどんどん漏れ出している。外側からしたら興味が沸くでしょう。クオリティ高いですからね、日本文化は。僕らはそういう意味では(外から)正当に評価されていないと思う。彼らだって日本の音楽からの影響も強く受けているわけですから。

N:外は感覚的な部分でそれを感じているから好きなんだと思いますよ。

僕も彼らはイメージだけですけどそれを感じているのだと思いますね。

N:それにサウンドの上でも癖みたいなものが向こうの人は聴くとわかるみたいですよ。ひとつ言われているのが、アメリカの植民地主義じゃないですが、日本は戦後にアメリカの文化をおもいっきり与えられた。コカコーラを飲んでアメリカ的な文化をどんどん取り入れようというふうになった。そしてギターから何から実際に取り入れている。けれども日本は植民地化されることへの反発心があって、それが音楽の中に表出している。向こうの人はそういう分析の仕方をしているんです。

A:力道山的な。

N:そうそうそう。

(一同笑)

N:それが大雑把になると三島由紀夫からきゃりーぱみゅぱみゅまでいっしょになってしまうのですけど。それぐらいおもしろがってはいるんですよ。

A:過去の歴史の構造によって、日本人の表現活動が全部シニカルに見えちゃうことってありますよね。

N:でもむしろシニカルに見えているというよりはやっぱりミステリーに見えているんじゃないですか。僕らがアモンデュールを見るような感じで向こうは見ている気がしますけどね。

A:僕らの場合は表層的なロック・フォーマットがアメリカン・オルタナティヴみたいなものだったんで、アメリカのシーンにはハマりやすかったのかなとは思いますね。

N:あとは時代的なものもあったんでしょうね。そういうものが求められているというか。

A:そういう雰囲気はありましたよ。ボアダムスがあって、ギターウルフがあって、メルトバナナがあって、次の日本人は誰? 他に誰か日本人のアーティストはいないの? みたいな空気を当時は感じましたね。

N:僕はそれっておもしろい状況だと思うんですよ。ジュリアン・コープがたとえでたらめだとしても、あれだけ書いたってことは大したもんなんですよ。本当に資料がないので。


ロックってもっと危険で馬鹿馬鹿しく、下劣なものなんです。だからこそ人々の日常に寄り添える部分があると思うんですよね。(Atsuo)

話は変わるのですが、僕がボリスにのめり込むきっかけとなったのはゼロ年代後半のパワー・アンビエントとかヘヴィ・ドローンがキテた時期だったんですけど、当時たとえばサン O)))とボリスのコラボレーション『Altar』が暗示するように、スティーヴン・オマリーや、他にはアイシスのアーロン・ターナー等、インターナショナルなネットワークで世界観を共有していたと思うんです。また、当時、さまざまな背景でヴィジョンを交錯させていた仲間は現在ではそれぞれいい具合に異なるフィールドで活動しているように見えます。彼らのような長年のミュージシャンシップからの現在のボリスへのリアクションというのは気になりますか?

A:「それぞれの役割」があるな、とは思います。君がそっち行くなら僕こっち、みたいな。お話に出たアーロンやスティーヴンは昔からの友人で、3人ともアースの『2』を当時から、まわりの誰も評価していないのに絶賛していました。他にはジム・ジャームッシュの『デッド・マン』のサントラも僕らは注目していたりした。それぞれ別の場所にいても同じフィールを共有していた記憶はあります。それぞれのバンドが活動していく中でそれぞれの立ち位置みたいなものが生まれていって。サン O)))はああいった現代音楽というかコンテンポラリー・アート寄りな方向にいって。僕らは……ロックというか──

ボリスはアート志向な表現に抵抗感を感じていると何かのインタヴューで読んだことがあるのですが。

A:抵抗感というのは彼らに対しての抵抗感ではなくて、自分たちが「アーティスト」と呼ばれることに対する抵抗感、高尚なものとして捉えられることへの抵抗感ですね。

ただ、ボリスは過去作品を聴く上でも、現代音楽の方向性にいって何ら不思議ではないというか、むしろすごいものができ上がるだろうって確信もあったりします。そこでボリスがロックにこだわるのはなぜだろうとも思います。

A:やっぱりロックってもっと危険で馬鹿馬鹿しく、下劣なものなんです。だからこそ人々の日常に寄り添える部分があると思うんですよね。そういうロックの日常性みたいなものに魅力を感じますね。人々の生活とか社会システム、すなわち日常の中で人々の手元まで届くというところに可能性を感じます。日常が変わらないと何も変わっていかないと思う。人々の日常に寄り添える音楽でありたいとは思いますね。

T:ジャムの曲が形になって行く過程で、言葉を加えたりギターのフレーズを入れたりしていくとき、常にそれらの「日常性」は考えます。言葉にしても高尚な言い回しではなくて、普段使うような響きの言葉をできるだけ選ぶようにしている。ギター・フレーズも僕やWataが弾いたりするわけですからどうしても手癖になってしまう部分があるんですけど、意識的にキャッチーにしてみたり、明るい気持ちで弾いたり……。誰でも弾けるとか、誰でも口ずさめるとか、そういった日常性、距離感がグッと近くなるようには意識していますね。

ボリスの打ち込みが聴いてみたいんですけど今後期待できますでしょうか?

A:音源としてはあり得る……いや、どうだろう?

日本盤『Smile』(海外盤とはミックスが異なっていた)の冒頭は若干ダンス・ミュージックっぽかったですよね。

A:石原さん(石原洋『Smile』のサウンドプロデューサー)のリミックスでああなっていますね。あの頃はリズムマシンもよく使っていた。テンポが揺れるようなものを使っていたんですよ。もうオモチャ。微妙に早くなったり遅くなったり。やっぱりそういうもの、エラーが起こるようなものに魅力を感じる。打ち込みは打ち込みでそういう音楽の良さももちろんわかっているんですけど、このメンバーでライヴでやるとなると、僕らがべつにやらなくてもいいことかな、と思ってしまいますね。録音作品としては全然アリだと思うんですけどね。

少し機材の話が出たところでお訊きしたいのですが、ボリスのテープエコーはスペースエコーなんですか?

A:はい。

201ですか? (※Roland Space Echoの型番)

A:アンチ201です。

(一同笑)

A:リヴァーブはいらない。

ボリスのギター・サウンドにテープエコーは最高の相性だと思います。

A:150がないとツアーに出ない、この人(Wata)。そこで重要なのが、リヴァーブ・ユニットが入っていない150なら、軽くて運びやすい。

僕は機材が好きなのでそういった部分のこだわりも気になりますね。昔からボリスはオレンジのイメージが強かったりするのもありますし。テープエコーは壊れますよね。

W:壊れますよ。何回も。

A:いままで10台くらいは買っているよね。

W:何個か壊して、それぞれの部品を集めて修理したり。

N:音デカいですよね。

A:最近はわりと抑えめなんですよ。歌にピントを合わせたいので。でも今年の頭から昔の曲を演奏するセット、それこそ『Amplifer Worship』の曲を入れたり。当時以上にグッと音量を上げるパートもやっているんですが、会場の電源が落ちたりしちゃって。

(一同笑)

アンチ201です。リヴァーブはいらない。(一同笑)  (Atsuo)

ボリスは演奏環境へのこだわりは強いと思いますが、アメリカはどこもかなりローファイじゃないですか、そのあたりはどう対処しているんですか?

A:基本的にステージの上で音のバランスは作ってあるので、あとは外音がデカく出せるか出せないかだけなんです。会場のスペックがよければよりいいですけど。結局先も話したエンジニアのノエルはもう耳が遠くなっているので、自分に聴こえるようにグーッと上げてしまうんですね。だから大丈夫です。

(一同笑)

これからNOISEワールド・ツアーがはじまるわけですが、どのようなアーティストとステージを共有するのでしょうか?

A:アトラス・モス、セレモニー、ナッシング、マリッジズ、サブローザ、マスタード・ガス & ロージズにマスター・ミュージシャンズ・オブ・ブッカケとかですね。サポートには昔からの友達もいるし、楽しみですね。今回はツアーに出るのが楽しみになるアルバムになった。今まではこんな感覚なかったですね。

また今後の海外ツアーを経ることで今回の『NOISE』までのボリスの感覚がさらにアップデートされていくわけですね。

A:6月の国内のライヴはアルバムの全曲披露をやるんですが、そこから海外ツアー用にまたセットを変えて向かうつもりです。アメリカ・ツアー後、日本でも9月に東名阪で行ないます。日本に戻ってきた頃には『NOISE』の曲も成長したものが聴かせられるんじゃないかな。

ボリスはパフォーマンスをおこなう上で日本と海外の環境の違いを実感していると思いますが、今後国内のライヴ環境の変化に対するヴィジョン等はあったりしますか?

A:だいぶ変わってきている気がします。去年から国内でもライヴをたくさんするようになって、やれば変わってくるものだな、と実感しています。お客さんもチケットの買い方とかを覚えたりしたんじゃないかな?

え?

A:いや、日本のライヴでもどんどん外人のお客さんが増えているんですよ。

T:以前、浅草のホテルから新代田フィーバーに電話がかかってきて、「そちらに行くにはどうやって向かえばいいんですか?」って問い合わせが入ったことがあって、どうやら宿泊中の外人さんが観に来たいってことだったんですけど。

(一同笑)

それもすごい話ですね。

A:浅草観光協会に話を通した方がいいのかもしれないね(笑)。

T:主要ライヴハウスへの経路とチケットの買い方だけでも。

山崎春美 - ele-king

 その時代を美化するつもりはない。ただ、先日の九龍ジョーとのトークショーでも話したことだが、僕が中高学生だった1970年代後半の日本には、ロック・メディア(ロック評論ないしはロック作文)文化は、手短に言って、カオスとして存在していた。ソツのないモンキリ型の社会学や便利屋ライターなんぞは出るすき間がないくらいに、好むと好まざるとに関わらず、まあいろんな人たちがろくすっぽ資料など読みもせず、が、その代わりに、深沢七郎や夢野久作や坂口安吾や、ウィリアム・S・バロウズやフィリップ・K・ディック、トマス・ピンチョンやルイ=フェルディナン・セリーヌなんかを耽読しながら、内面をどこまでも切り裂いたような、好き勝手な文章を書きまくっていたのである。山崎春美は、間章を「ファナティックな文学青年」と形容しているが、僕にしてみたら、山崎春美こそが「ファナティックな文学青年」がひしめく70年代後半の日本にあった文学的ロック批評/言語空間におけるもっとも不吉な巨星に他ならない。たとえばラモーンズを、そう、あのラモーンズを、以下のような、モリッシーも顔負けの、胸をえぐられるような切ない日本語で意訳/変換できる人は他にいないだろう。

 冬が来て
 もう二年も居座っている
 今は、最前線の「寒さ」だ
 俺の持っていた最低の威厳までもが吸いつくされるほどに
 すべてが冷厳だ

 でもまた、
 こんな素敵な季節が外にあったか?
 彼らは言う、"唇をゆるめよう、ラクにやろう"
 ケッ、くだらない
 それが実は嘘っぱちの固まりだってことは、
 まず一番に君が知っている

 これからが本物の冷時冷分だぜ
Ramoes"Swallow My Pride"(1977)

 こういうのは、もうどう考えても一種の芸で、訳詞という仮面を被った何か別モノだ。当時の訳詞とは、海外取材などできない立場の人たちが、自分なりの言葉で欧米の音楽を紹介し、日本の文化(コンテキスト)に落とし込むためのメソッドのひとつでもあった。これを積極的に利用したのが『ロッキングオン』と『ロックマガジン』だった。こうした、正確さよりも解釈力や表現力を念頭においた独自の訳詞は、発想が不自由な人がやるとひとりよがりの自慰行為に終わるのだけれど、文学的なセンスを持っている人にかかるとそれ自体がひとつの作品となる。

 小6で洋楽に目覚めた僕は、『ミュージック・ライフ』という白人さんが大好きなミーハーなロック雑誌を定期購読していたのだが、中1の後半に"シーナはパンク・ロッカー"や"ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン"にがつんとやられ、出てきたばかりのパンク・ロックなるものに心奪われてしまったお陰で、後にも先にも唯一雑誌のバックナンバーの取り寄せなる行為を『ZOO』というファンジンみたいな雑誌で早まってしまい、そして、同じようにまだファンジンみたいだった『ロッキングオン』から『音楽専化』、まだまだヒッピー臭かった『宝島』からプログレ雑誌時代の『フールズメイト』までをと、買ったり借りたり立ち読みしながら読みあさっていた。アメリカの西海岸文化が清潔感溢れる『ポパイ』となったように、『宝島』もぴかぴかのニューウェイヴ雑誌となり、『ロッキングオン』が商業誌として確立する、少し前の時代のことだ。
 それはもう14歳~17歳あたりの子供にしてみたら、親の目を盗んで見るエロ本よりスリリングだった。僕の中学の3年間は、『ニュー・ミュージック・マガジン』以外の音楽誌ほぼすべてを読んでいたと言っていい。阿木譲の『ロックマガジン』だけは静岡に売っていなかったので読みたくても読めなかったのだが、高校時代、知り合いが『ロックマガジン』と『モルグ』を見せてくれたことがあった。僕が文筆家としての山崎春美の名前を確実に覚えたのは、そのとき初めて手にした『ロックマガジン』に載ったラモーンズの"ナウ・アイ・ウォナ・ビー・ア・グッドボーイ"の訳詞による。表紙は忘れたが、山崎春美の強烈な言葉だけはいまでも憶えている......つもりでいる。それが果たしてどんな言葉だったのか、九龍とのトークショーでは調子こいて記憶起こしで朗読までしてしまったわけだが、後から記憶違いだったらどうしようと不安になったので、ここでは止める。

 先にも書いたように、1980年になるとロック/サブカル雑誌文化は経済的な自立を果たそうとする。ケオティックな言語空間と言えば聞こえはいいが、一歩間違えれば文学かぶれのアマチュアリズムとも言えるわけで、「マリファナ論争」をやっていた『宝島』が郷ひろみを表紙にツバキハウスを紹介するようになるのも、それが時代の要請でもあり、おそらく当事者の目標でもあり、サブカル・メディア業界の流れでもあったのだろうと僕は受け止めている。とはいえ、レーガノミクス、サッチャーリズム(そして中曽根)の時代だ。世のなか効率と経済が第一ですよとなれば、70年代後半の日本のロック批評/言語空間という、効率とも経済とも縁のなさそうな、カオスのなかのもっとも純度の高いカオスたる山崎春美の居場所をどこに探せばいいのだろう、世渡りを拒み、かつてラモーンズをラモーンズ以上の想像力で受け止めてしまった血まみれの若者はどこに行けば良かったのだろう。『ロックマガジン』と決別し、間章を敬愛を込めてデブメガネと呼び、『ロッキングオン』をコケにして、工作舎をしれっと離れ、そして彼は赤裸々にもこう書いている。「僕はいつでも、情況の中で沸騰する泡のように、消えたり現れたりしていたかった。けれど、オカシナ疎外者意識を軸にした共同幻想か、デッチアゲとすぐにわかるそれ以外に情況らしきものはなかった」(1980年)

 本書『天國のをりものが』は山崎春美の初の著作集である。『ロックマガジン』時代の文章から最近のものまで載っているが、多くは70年代末~70年代の余韻の残る80年代初頭に書かれている。再録されているほとんどの原稿は、著者が10代から20代前半に書いたものだということを知れば、その早熟さに驚くかもしれない。数々の「訳詞」は、各章の扉にある。そして、紙エレキングに載った三田格の発言への反論もある(こんなところにまで......、さすがミタカク!)。
 70年代のロック・サブカル雑誌文化および批評/言語空間は、60年代への意識的なカウンターとしてはじまっている。パンクもまた60年代への弁証法的反論だったことがいまでこそわかるが、当時の山崎春美はパンクに「分裂的、非体系的、反ヒエラルキーの思想」を見ている。彼のこうしたある種のアナキズム(ないしは虚無)は、文章だけではなく、ガセネタやタコでの音楽活動はもちろんのこと、自身も編集を務めたエロ本を扱う自販機本『Jam』、そして伝説の雑誌『HEAVEN』の編集にも垣間見ることができる。
 本書の素晴らしい装丁を手がけている羽良多平吉は、『HEAVEN』のデザイナーでもあり、僕の世代にとってはネヴィル・ブロディやテリー・ジョーンズみたいな人たちとは比べようのないくらい憧れのデザイナーのひとり。当時は、海外雑誌の物真似デザインとは別次元の、実験精神旺盛のエディトリアル・デザイナー、あるいは伊藤桂司のようなイラストレーターがこの手の文化に関わっていたことも重要な事実である。ヴィジュアルも含めて、ロックについてのコンセプチュアルな解釈、活字文化が、ここまで自由なのだということの再発見にもなるだろう。
 また本書は、この国の音楽メディアのターニングポイントにおけるもっとも重要な軌跡でもある。アニメ雑誌『アウト』も『Jam』やら『HEAVEN』やらの、この時代のケオティックなアングラ出版文化のなかで生まれているということは僕も初めて知った。ちなみに(笑)という表現は、山崎春美の発明で、今日のメールや書き込みのwなど、制度から離れた現代の書き言葉の先駆的な試みも著者はやったと言える。
 が、そうした細かい話はさておき、あらためて何故いま山崎春美なのだろうか。80年代に経済的に自立したロック・サブカル雑誌文化は、しかし90年代に向けて70年代的な文学性を切り捨てながら、再編していく。たとえるなら、深沢七郎よりもボリス・ヴィアン、坂口安吾よりもサリンジャーという具合に。90年代後半の赤田祐一編集長時代の『クイックジャパン』が山崎春美を特集したのも、それをナキモノとする風向きへの抵抗だったのだろう。つまり、気がついたら飼い慣らされたロック・シンガーばかりの、ソツのない社会学を使った文章、便利屋ライターが500回以上も聞いたことのある言葉をさらに上塗りしているご時世だからこそ、本書『天國のをりものが』は刊行される意義がある。日本におけるポストパンクの知性がここにある、とも言える(世代的にも、著者は欧米のパンク/ポストパンクの人たちと重なる)。

 僕個人が70年代後半の、山崎春美に象徴されるようなロックの言語をどのように享受して、やがていかなる考えにおいて、恐れ多くも先達の文学性とは意識的に距離を置きながら、自分自身のスタイルを自分なりに模索したかについては九龍とのトークショーで話した。それはあの場での話なので、聞いていた人はツイッターしないで下さいね。ただあのとき話したように、僕が深沢七郎を好きになったのは間違いなく山崎春美からの影響(藤枝静男と、そしてフィリップ・K・ディックもそうなんですね、きっと......)。それだけでも僕は著者に感謝しているし、山崎春美がいなかったら......と気づかされることは少なくない。だいだいこんなに長く書いてしまうなんて、やはり思い入れがあるんだなあと自分でもびっくり。
 以上、敬称略でした。

  1 2 3 4 5 6