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東京発、ディオニューソス主義者どもによるエクストリーム・バンド、エンドンによるファースト・フル・アルバム。
スイスはローザンヌでの〈LUFF(ルフ)フェスティヴァル〉、その最高峰のサウンドシステムの中で観たエンドン、エンプティセット(Emptyset)という連チャンが、昨年のライヴ観覧ハイライトであったことは間違いない。プロデュースにボリス(Boris)のAtsuo氏、エンジニアに中村宗一郎氏、リミックスにゴッドフレッシュ(Godflesh)のジャスティン・K・ブロードリック、ヴァチカン・シャドウ(Vatican Shadow)のドミニク・フェルノウを起用した本作品は、エンドンが内包するヴィジョンを2014年現在へ最大限具現化したものといえる。初めてディスコダンスアクシス(Discodanceaxis)やカタルシス(Catharsis)を聴いたときの衝撃に近いなこりゃ。
僕はこのアルバムを聴きながら、数ヶ月前におこなったボリスの最新作『ノイズ(Noise)』のウェブ掲載用インタヴューの中で、Atsuo氏がそのアルバム・タイトルを「当初ものすごくブルータルなイメージが沸いていたが、結果的にボリス史上最も音楽的なアルバムとなった」と発言していたことを思い出した。または数年前のピート・スワンソン(Pete Swanson)のインタヴュー中の発言、「音楽における究極性である“ノイズ”を表現しながらも聴者とのコミュニケーションとして成立させたい」という言葉も脳裏をよぎる。
エンドンのサウンドは限りなくノイジーで、そのパフォーマンスは限りなく暴力的であれど、それは非常に音楽的で愛に満ちている。圧倒的なスキルでバンドの基礎を支えるギターとドラム、肥えた耳と緻密な計算で紡いだノイズ/エレクトロニクスが縦横無尽に空間を駆け巡り、獣のごときボーカルが全感情を(死ぬ)限界まで表出させる。その5人をつなぐピアノ線のような緊張の糸は、つねに最大のテンションで張りつめているのだ。迂闊に飛び込むとこちらの手足が切れちゃう! みたいな。世界広しといえども、いわゆるバンド編成による音楽の究極性をここまで追求したアホどもを僕は知らない。
ちなみにヴィデオはロカペニスこと斉藤洋平氏、ジャケットは河村康輔氏。マジでやり過ぎでしょ君たち。凡百のオカマ系インダストリアル・ムーヴメント(僕を含む)を完膚無きまでに破壊し尽くすであろう、きたるレコ発は100%流血沙汰。僕も火に油を注ぎに行きます。ピュア・ファッキン・ディストラクト・カオス!
倉本諒