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interview with tofubeats

interview with tofubeats

ポジティヴの意味

──トーフビーツ、インタヴュー

取材:野田努+橋元優歩    写真:小原泰広   Oct 01,2015 UP

今回は「自分の」じゃなくて、「OLの」歌っていうのが作れるようになったんですよ。客観的なものにできたというか。


tofubeats
POSITIVE

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopDiscoRap

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そのさじ加減とともに、技術的にも遊べる力量がついたということなんでしょうね。

TB:それに関してはまだまだで、まったくないとだけ言わせてください(笑)。そもそも曲ができなさすぎて、〈ワーナー〉の会議室で「ポジティヴになりなさい」って言われて、タイトルが『POSITIVE』になったので。

野田:え、何があったの?

TB:最初に玉城ティナさんとの曲があって、それが1ヶ月くらいできなかったんですよ。それで神戸から呼び出されまして。釜飯を食いながら「トーフくんはもっとポジティヴになりなよ」って言われて。「そんなの無理っすよ」ってデザイナーのひとに言ったら、「でも“ポジティヴ”って、字面がいいじゃん。エネルゲンみたいでかっこいいよね」って感じになって、「じゃあ『POSITIVE』でいきますか」と。そしたら曲ができだしたんですよ。

そのニュアンスですと「やけ」みたいにも聞こえますけども(笑)。

TB:いや、根も葉もなくていいんだな、みたいな。逆にJポップだし、と。

野田:率直に聴いた感じを言うと、最後のEGO-WRAPPIN'のやつとか本当に泣きの入ったJポップというかさ。「絵に書いたようなJポップをやりやがって、このヤロー」と思ったんだよ。いまの話を聞くと、それはある程度は確信犯としてやってるの?

TB:前回のアルバムとかは、自分のなかの女の子っぽさとかOL的なものを増幅させて曲を書こうとかって感じだったんです。でも今回は「自分の」じゃなくて、「OLの」歌っていうのが作れるようになったんですよ。客観的なものにできたというか。前の作品がナイーヴになる理由もそこにあったんですけど、自分ではなくてそれぞれキャラに合わせてやればいいやって思えて。

野田:それはホントにプロデューサーだよね。

TB:しかもインスト曲を抜くことによって、そこに徹することができるようになったというか。その代わりに最後のテクノみたいなやつ(“I Believe In You”)が、いちばん思い入れがある感じなんです。

ある意味での勝負曲ですね。

TB:そうですね。この曲がいちばん聴いてほしいっていう。

野田:そうなんだ(笑)。

TB:すべてはここに持ってくるためにあるっていう感じなんで(笑)。

とはいえ、この曲もバランスが取れた曲だと思ったんですけどね。

TB:いちおう〈マルチネ〉10周年用で、派手にしたいというのはあったんですよ。

ひとつ前のシングル(『STAKEHOLDER』2015.4)って、つながりとしてはあの曲のの流れにあるのかもしれないですね。

TB:結局、『POSITIVE』を出す前提で『STAKEHOLDER』も出しているんですよ。ジャケも、この布陣でこのアルバムをやるっていうのは決まっていて、「ここではいくらふざけても大丈夫です!」っていう許可を〈ワーナー〉から取って作ったのが、この『STAKEHOLDER』だったんです。

内容的にも、今作のラストの曲とある意味で似ているというか、わりと自由にされてますよね。

TB:ファースト・アルバムだけでやらなきゃいけないと思っていたことを、切り分けて『STAKEHOLDER』でやりきっちゃって、『POSITIVE』はプロデューサーに徹する──そこの采配がうまくいったおかげでもあるというか。
たとえば最近のネットで聴けるいちばん尖った曲の傾向みたいなものが、この『STAKEHOLDER』にはなんとなくあるなというのが、わかりやすく見えると思うんです。アルバムのほうにももちろんそれがあるんだと思うんですが、すごく切り刻まれてJポップの形の裏に滲むくらいの程度になっていて。
というか、その尖った分量を減らすことも意識してさえいるんですよね。ヴォーカル・チョップみたいな手法とかは、もはやちょっと不良かもと思って減らしたところもあります。スカイラー・スペンサーの曲とかも、過剰なエディットを排除する作業をしたり。

まさにいまその名前を出したかったんですけども、スカイラー・スペンサーってセイント・ペプシでしょ? 普通に歌っとるやんか、みたいな驚きもあって。

ポップスというのは内と外の認識というか、それをどう定義するかだと。

野田:Jポップと言ってしまうと語弊があるしね。tofubeatsは、いわゆるポップ・アートみたいなありかたをすごく出していると思うんだよね。ポップ・アルバムを作ろうとしているのはひしひしと伝わってくるんだけど、トーフにとってポップ・ミュージックは、さっきの現状認識に照らすと「焼け野原に近い」わけなんでしょう? 要するにろくな音楽がないっていうか。

TB:まぁ、なくはないですけどね。

野田:そういう中でいいポップ・ミュージックを作りたいということだと思うんだけど、それは何なの?

TB:一昨日、Seihoさんとしゃべっていて、「『POSITIVE』についてひとことだけ言いたいことがある。これを聴くと、tofubeatsくんのどこまでが外でどこまでが内かわかる」と言われたんですよ。だからポップスというのは内と外の認識というか、それをどう定義するかだと。
今回、小室さんと作りながら話していたんですけど、小室さんが何百万枚と売れていた時期でも、小室さんが言うには「絶対に売れない曲」が最初にできるんですって。僕の『STAKEHOLDER』みたいな、自分の好きなことだけをやった曲ができるそうなんですよ。でも、そこから1000人分、2000人分とアレンジで積んでいくんです。ここをこうしたら1万人増えるっていうメソッドがあるんですよ。ここまでやるとラジオ・レベル、ここからはテレビ・レベル……ただ、自分の好きなものからは離れていくっていう。まさに内からどんどんと外へ広げていく作業をアレンジでやるんですよ。それをやるのがJポップだっていう話で、それがみんなに喜んでもらうということだと。俺はそこまでは達観できないですけど、自分のなかにある感覚としては、「内」と「外」というのはたしかにあるんです。

野田:その小室さんが使っていた、内側から第一段階、第二段階と離れていく手法は、いまでも通用すると思った?

TB:俺は思わないです。それはもちろん時代的なものもあるので。ただ、それと同じことがやれるひとに、中田ヤスタカさんがいるって思います。本当かどうかわからないから真に受けないでほしいんですが、「時代の一歩先じゃお客さんにわからないから、半歩先じゃないとダメだ」って言われていたそうなんですよ。それはそのとおりで、俺はそれをわかっていてやらないのが品のよさだとは思うんですけど、そこで「半歩」を選べるひとはプロデューサーとして優秀だと思う。
そのあたり、僕はジレンマがあるんで──養う家族とかがいるわけでもないんで、僕はそこで折れる必要がないんです。でもそこで半歩を意識するのがポップスなんじゃないかな、と。まったく意識しないとアーティストっぽくなっていくんですけどね。僕が神戸とか東京とか言うのも、内と外を定義するからなんです。それが僕自身のポップス観に近いって感じですかね。それでSeihoさんに、「トーフくんがどこからどこまでが仲間だと思っているかがわかる」って言われたんですよ。

野田:なるほど。しかし「1000人、2000人」って、すごい発想だなー。フィル・スペクターとか誰でもいいんだけど、そんなふうには作っていなかったと思うんですよね。

TB:それはまさにJポップという感じが出ているんだと思います。でもグラミー全盛のときもそうだったんじゃないかって感じがするんですよね。メロディ・メイカーが別にいるっていうのも、まさにそれを表しているように見えるし。
あと、小室さんからその話をうかがってから、2000年くらいに放送された小室さんの『情熱大陸』(TBS)を見なおしたんですよ。そしたら小室さんが「あ、1000人減った」って言うくだりがあったんですよ(笑)。15年前に言ってるから本当だって思ったんですよね。でも小室さんはその中でも「ピアノ・アルバムをやりたい」って言って、無理してそういう作品を作っちゃう部分もある。やり方っていっぱいあると思うんですよ。内と外があるとして、毎回外を打つ人もいれば、内のものと外のものを作ってバランスを取る人もいるじゃないですか。おもしろいと思いますね。

「いま1000人積めたな」っていうのは、音楽が本当にたくさんの人と文化を動かしていた時代のダイナミズムであって、いまその発想を支えるものがあるかというと──

TB:動いて2、3人くらいなんですよ(笑)。

ははっ、ご謙遜! あるいは、CDというフォームじゃなければむしろ昔よりもたくさんのひとたちが音楽を楽しんでいるかもしれない、といういまは、「1000人積みます」っていう商業ベースの考え方が、逆に特別にかっこよかったりワンダーだったりもすると思うんですね。そのあたりのスタンスは、tofubeatsはどうやって取っているんですか?

TB:だからそこで「力を抜いてみよう」というのでできたのがこれというか。エゴをマックスでやらないとどうなるんだろう、みたいな感じですかね。それに世の中がもっと世知辛くなっていったときに、みんなはどんどんアーティスティックになっていくと思うんですよ。あと、何も定義がないから、自分のやりたい音楽をやるしかないんですよね。だから対社会的なものを作るっていうのは……どうなんですかね。それも時代によりけりだと思うんですけど、いまの時代としては、来年はマジメなやつを作っても大丈夫なんじゃないかという気もしているんです。だから、こういうのを作れる間に作っておこうというのもあったかもしれないですね。

来年はマジメなやつを作っても大丈夫なんじゃないかという気もしているんです。

ああ、なるほど。それは「2015年じゃないとできない」というさっきの発言ともつながりますね。「今年」のニュアンスをもうちょっと聞きたいです。

TB:今年は『Maltine Book(SWITCH特別編集号)』とかが出ていますけど、どこか荒野っぽいというか。tomad社長みたいな人は、そこに今度は砂が盛り上がって枯山水ができ上がるとか、Seihoさんとか岡田さんみたいに、開拓時代だから好きなことができると言っているひともいる。僕は流行のなかでそこにどうやってタッチしていこうか試行錯誤しているので、ブームみたいなものがなくなるとかえって距離が取れなくなってしまうっていうか……、そういう定義がどんどんなくなっていくんで、最後はどういう音楽をやっていくか、いま自分自身に問いかけられつつあるんです。だから内と外がなくなったときにどうやろう? という不安がありますね。

それは突き詰まった答えをいつか聴いてみたいですね。ではtofubeatsから見た理想的なポップ像というと、どんなものになりますか?

TB:「気概がある」っていう言い方になっちゃうんですけど……。ある人が言っていたんですが、すごく有名なバンドでも、後進にたいしてエデュケーショナルな感じがない音楽が多いでしょう? その向こう側はあんまり見えないっていう。たとえばNonaReevesとか、聴いてみるとその向こうにある音楽がわかるじゃないですか? 当人がそうなりたいと思って動いたんだなって。そういうのであってほしいとは思うんです。この音楽を聴くことによって、何か作用が起きてほしいというか。それは音楽的な作用です。それを聴いてダンスをはじめるとかでもいいんですが、僕が理想だと思うJポップは、音楽を聴いて、音楽の作用が起きるのがいい。もっと音楽を聴こうと思わせてくれるというか、そういうものが優秀だという定義がなんとなくある。ただ、サザンを聴いてそう思うひともいるでしょうから、人によりけりなんですけどね。でも、僕が好きなのは「なんやこれ、もうちょっと調べてみよ」となる音楽というか。

僕が理想だと思うJポップは、音楽を聴いて、音楽の作用が起きるのがいい。もっと音楽を聴こうと思わせてくれるというか。

野田:参照性が高い音楽?

TB:同列の音楽に行ってもいいんですよ。たとえばアクフェン(Akufen)を聴いて、「カットアップってなんだろう?」と思って、アクフェンとぜんぜんちがうやつを聴くというか。そうさせてくれる音楽が好きなんです。

野田:それをポップ・ミュージックのより大衆側でやるってこと?

TB:そうです。だからおもしろいアイドルの音楽を聴くのと、アイドルの曲を聴こうとなるのはまた別の原理じゃないですか? もっと音楽的な広がりを与えてくれるものというか。そういうものがJポップのチャートに入ってほしい、という願いがありますね。
今日はJ-WAVEでさっきまでイヴェントがあって、フットワークが流れててめちゃびっくりしたんですよ。ラジオでEDM以外のクラブ・ミュージックがかかることってほぼ無いんですね。先週、車に乗ってたら大阪のFMからスウィンドル(Swindle)が流れてきてびっくりして。

野田:それは本当にたまたまだね(笑)。

TB:協賛番組でその局制作じゃない番組だったんですけど、そういう「おお!」というのがほしくて、びっくりしたいというか。「ああ、またEDMね」とかじゃなくて、いろんな音楽が入った多様性みたいな感じがあるといいなと思うんですけどね。

野田:じゃあ自分でもそれを目指すわけだね。

TB:本当にひとりでやるしかないというか。

でも、〈マルチネ〉さん周辺のなかでもtofubeatsはとくにドラマチックでロマンチックなミュージシャンなのかもしれないとは思いますけどね。程度の差はあれ。

TB:いや、もう本当にドラマ信仰がはなはだしいって問題視されているんですよ(笑)。岡田さんとかにリアリズムに欠け過ぎているとよく言われるんですね。

野田:どういうこと?

TB:深夜ドラマが好きすぎて、なんでもドラマっぽくしちゃうというか、ストーリーをつけちゃうというか。だからインタヴュー受けがいいとかはあるかもしれないんですけど(笑)。なんでも勝手に自分でストーリーにしちゃうっていうのは、半分病気だって言われる。〈マルチネ〉のひとたちは点で物を見れるので……。インターネットと相性がいいのはそれですね。僕がインターネットをやっているけど、レコードを買ったりとかしたいのは、ストーリーがなきゃっていう性質のせいかもしれないです。

それはアルバムの考え方にも影響するかもしれないですね。

TB:なんというか、曲もタイトル単体では評価できないんです。さっきも言ったんですけど、「つながりがないと」とか言っているのはそれに近い気がしますね。

ある意味では商売っていうドライさで音楽を見れないひとなのかもしれない、とか。

TB:だから必死っぽい感じがするのかもしれないですね。

たとえばくるりの岸田さんが歌われているやつとか、EGO-WRAPPIN'の中納さんとの最後の曲だったりとかは、tofubeatsが本当は持っているドラマチックな部分が、彼らの声を通して表に出てこられる。「ドラマチック」というのをダサいと思っているかはわからないですけど、自分で押し込めている部分もあるのかなという感じはするんですね。でもそのあたりの曲は、唯一それが自然に感じられる。

野田:俺は今回のアルバムを聴いて、tofubeatsってこんなに情のひとなのかと思った。

TB:情のひとですよ(笑)。それだけは言わせてください(笑)。

野田:こんなにエモーショナルでペーソスがあるのかと思ったね。

そういういうことを上手く歌うひと、あるいはそういうひとを選んだんだなと思いました。

TB:そうなんですよ。他人経由にして歌うからいいんですよ。あと、歌ってもらわないと自分で聴けないじゃないですか? それがいいんですよ。僕は自分のアルバムは自分で聴きたくて作っているので、自分で聴くためにはひとの声が入っていないといけない。

野田:けっこう泣きのひとなんだよね。

TB:いや、もうめちゃくちゃそういうタイプですよ。

それだとKREVAさんのやつ(“Too Many Girls feat.KREVA”)がおもしろいじゃないですか。半分KREVAさん、半分ご自身みたいな。

TB:あれは『lost decade』でPUNPEEさんとやったのといっしょです。トリがあってオチがあるっていうか。そういうものへの遺伝子レベルでの羨ましがりというか。あと、イケメンが好きなんですよね。自分にないものがあるので。

ひとに歌ってもらっている部分が半分、自分で歌っているのが半分ってなっているじゃないですか?

TB:そうですね。

その意味で、出てくるものが他の曲とはちょっとちがうような気がしたんですけどね(笑)。

TB:これは半分コミック・ソングみたいな感じなんですけどね。

「このひとはこれを守っているんだな」ってわかるミュージシャンが好き。

テクニカルな部分というよりも、むしろ曲の表現とか意味みたいな部分を何重にも外側から考えているひとなんだなと思いますね。でも、その「外側感」は自分にとって不自由であったりはしないんですか? あるいは、「もっと無邪気にやれたらいいな」とかって思わないんですか?

TB:無邪気にやりすぎちゃうと品がない感じになっちゃうから。

野田:そこは何か、tofubeatsの中にあるんだね。

TB:そこに関してはボーダーがあるんですよ。いちおう全曲その意識の中に収まっているというのがあるんですよね。

野田:tofubeatsが気にしている品性の部分はわかる気がするね。一歩タガが外れると、それこそEDMのひどいヤツじゃないけども──

TB:曲とか歌詞についても、自分の中でボーダーがあるんですよ。ハーバート(Herbert)なんて、「自分はこれは絶対やらない」みたいなことがサイトにずっと載っているけど、俺もああいうのがあるんです。ああいうのになりたいというのはすごく思ってて。よくわからないけど、「このひとはこれを守っているんだな」ってわかるミュージシャンが好き。俺はボニーさんとか岸田さんにそれを感じるんですよ。小室さんもそうですね。めっちゃ器用なのに、やることを限定するじゃないですか。手癖とかが出ないようにするっていうのは、なかなか難しいような気がするんですよね。

倫理みたいなもの。そういうものをより気にしなきゃいけないというか、最近の若いひとはそういうところにわりと厳しいということは感じるんです。そういう感覚とか、芸術であれ何であれ自分のことをテキパキ説明して、キャリアを切りひらいていけるっていうようなところでも、tofubeatsはひとつのお手本になっているのかもしれないですよ。

TB:どうなんですかね。僕より若いひとは政治とかがもっと好きでしょう。僕らよりもうちょっと下くらいの世代との断絶は感じるんですよ。だからSEALDsとかが“彗星”とか“No.1”とかをかけて演説しているっていうのを聴くと「へぇー」と思うっていうか。

野田:そういう曲がかかってもおかしくはないかもしれないね。

TB:あと、僕のルールのなかには政治を語らないっていうのがあるので。絶対に公の立場では。そういうのが何個かあるんですよね。

今年の感触全体として空を掴んだ感じがありますよ。

野田:tofubeatsをかけるシールズはおもしろいとは思うけどね。それとは別の話なんだけど、今年が焼け野原っていうと俺も似たような感覚があって、2015年ってあんまりおもしろい音楽が多くなかったでしょう?

TB:「これが流行っているな」っていうのもないなって。

野田:たとえばエレクトロニック・ミュージックのシーンを見たときに、とくに新しいものが出ているわけじゃないんだよね。それ以前のほうが動きがたくさんあって。そういう意味でいうと、現行の音楽のおもしろいところとリンクしようとしても、できるところがない。そんな中で音楽を作ろうとなると、「内と外」っていうさっきの言葉が正しいかどうかわからないけど、何かいままでとちがう作り方が求められるというかね。

TB:いまも、周りが言うほど俺は「できた」って感じがしてないんですよ。今年の感触全体として空を掴んだ感じがありますよ。悪いのができたとは思っていないんですけど、これが何かを起こすぞみたいな感じは、今年はしなくって。

それはわからないよ。

TB:起きたら起きたでうれしいですけどね。

でも、「今年」ってもののツマミを上げたり下げたりしてくれる唯一の存在なのかもしれないじゃないですか? 他のひとができないぶん、さらに昔とはその塩梅もちがうってことがわかっているぶん。

野田:まぁ、でも今年は出すのが難しい年だったと思うわけよ。

TB:それはそうですね。

野田:ヴェイパー・ウェーヴでもジュークでもなんでもいいんだけどさ。

だって3月以降『ele-king』は出てないんですよ。書籍の刊行が多くっていろいろ大変だったんですけど、でも何か大きな動きがあったら出てるはずなんで。出たのは別冊の「ポストロック」と「ジム・オルーク」(笑)。

TB:はははは(笑)。やばいなー。

野田:大変な時期だよ。

TB:「荒野になるとハウスが流行る」みたいなtomad社長の意見も正しかったし、俺たちもDJをはじめた頃の音楽を聴くっていう(笑)。

野田:それはシティ・ポップが流行るのと同じだよね。バック・トゥ・ベーシックな感じ。

TB:ディスコのリエディットとかもレコードとかですごく買ってて。「DJはじめたときといっしょじゃん!」ってなるみたいな。しかも作っている曲にはそのフィードバックがないから、余計そういう感じがするというか。単純にやることがなくなったから、自分の出処を確認しているだけなんですよ。

そんななかでギター・バンドはのびのびとやっているんですかね?

TB:バンドも形見が狭いでしょう。

野田:バンドだって真新しいことをやっているわけじゃないじゃん。

真新しいことがないから、シティ・ポップが参照されたり。

TB:あと荒野過ぎてちょっと出てくると拾われちゃうから、余計やりにくくなっていると思いますよ。

取材:野田努+橋元優歩(2015年10月01日)

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